シナリオ

皆殺しの城

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●√EDEN:東京某所、高層ビル屋上
 ごうごうとビル風が唸り、√能力者たちの髪を、服をはためかせる。彼らの視線は一様に、ビル群からやや離れた一角、緑の残る未開発エリアに堂々と存在する、一つの城へと注がれていた。

 城。然り、西洋風の巨大で堂々たる城だ。
 都心部に時々見受けられる、デザイナーの個性とセンスとインスピレーションが爆発したタイプの建築物だろうか――違う。紛れもなく、完全に、それは城だった。日常風景に一切似つかわしくない、剣呑ですらあるシルエット。だが人々が気付くことはない。

 今のところは。
「あれを攻略して、破壊してほしいんです」
 髪を押さえ振り返った星詠みの少女、|捌幡《やつはた》・|乙《おと》が告げた。
「どこの誰か知りませんけど、ろくでもない√能力者の仕業ですよ。多分、√ドラゴンファンタジーから天上界の遺産を|√EDEN《こちら》に持ち込んだんだと思います」
 乙は舌打ちし、これみよがしに嘆息した。
「本当、面倒くさい……|ダンジョン《ああいうの》は向こうの√だけにしてほしいですよね。おまけに私が予知しちゃうし。今日は新しく見つけたお店に行くつもりだったのに」
 完全にプライベートな愚痴だ。ある√能力者がそれを咎めると、ジロリと刺々しい視線を向けた。
「なんです? いいじゃないですか、これが|星詠み《わたし》の仕事ですし。
 なら、解決があなた達の仕事です。……出来ないってこと、ないですよね?」
 口さがないどころではない。おまけに謎に煽る始末。ひたすら性格が終わっていた。

 そこについて苦言を呈されたかどうかはともかく、乙は咳払いした。
「……まあ、あなた達ならなんとかしてくれると思ってなければ、伝えませんから。
 とにかくまずは、ダンジョンに突入してインビジブルを蹴散らしてください」
 乙は改めて城を指さした。周囲を漂うクラゲのような物体――『インビジブル・クローク』。それは現状、ダンジョンから離れる様子はない。だが今後はどうだろうか。
「城の正門付近はガラ空きです。なので、そこから突入して内部へ侵入してください。
 別のモンスターもいるはずだから、『核』に着くまでは戦い通しじゃないでしょうか」
 核。乙は疑問を浮かべた√能力者を一瞥し、頷いた。
「まだあのダンジョンは、この√EDENに完全に定着していません。
 ダンジョンを構成する『核』を倒せば、自然に崩壊していくはずです。
 当然、そいつはわんさかいるモンスターよりずっと強いのは確実、ですけど」
 乙は髪を靡かせた。その表情には根拠不明の自信が満ちる。
「周りの人達がモンスター化する前にやっつけちゃうのなんて、簡単ですよね?
 全員やられてゲームオーバーとか、やめてくださいね。私が恥ずかしいんだから」
 心配しているのか、単に自分本位なのか、いまいちよくわからなかった。
 言葉振りはイラッとさせられそうだが、とにかく身を案じてるのは確からしい。それと解決能力への信頼も嘘ではあるまい――そもそも嘘がつけそうにない。

 ところで、√能力者の一人から「実行犯の悪しき√能力者」について質問が出た。
 乙は目を見開き、何故か悔しそうな顔をした。
「……全然考えてなかったとかじゃ、ないですから。感心とかしてませんし!
 と、とにかく……正体はわかりませんが、そいつもダンジョン内にいると思います」
 ぐぬぬと肩を震わせ、少女は語る。本当に何故悔しそうなんだろうか。
「うまく探索すれば見つけ出せるかもしれませんけど、無理は絶対しないでください。
 あくまで目的は、ダンジョンの崩壊――つまり核の撃破なんですから! それと!」

 強い語気で叫んでから、少女は沈黙した。しばしビル風がごうごうと吹く。
「……なるべく無事で帰ってください。ほんと、他意はないですけど」
 消え入りそうな声だが、それは確かに届いたはずだ。

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第1章 集団戦 『インビジブル・クローク』


●ダンジョン内部:正門付近
 城の外郭部や天守閣付近に浮遊していたインビジブル・クロークは、情報通り正門付近には影も形も見当たらなかった。
 巨大な木造扉を警戒しつつ押し開けば、中はオーソドックスな通路。古ぼけた赤絨毯が床を覆い、石壁には松明が等間隔に飾られている――それらは√能力者の到来に応じてひとりでに炎を宿し、幽く通路を照らした。

 突入からほどなくして、外で目撃されたのと同様のモンスターが現れる。あるいはもしかすると、外を漂っていた奴らがわざわざ中へ戻って迎撃に出たのかもしれない。
 いずれにせよ、数は多い。1体、2体……数えている間に、緩慢に思えた浮遊はあっという間に距離を縮めていた。どうやら気を抜いていると思わぬ一撃を貰いそうだ。
 閉所ではあるが、天井までの高さは奴らが自由に飛び回ることが出来る程度には余裕がある。逆に言えば、こちらも存分に暴れまわれるということだ……!
紅憐覇・ミクウェル

●夏枯れ時はとうに過ぎ
 世界は物語のように都合よく出来ていない。
 "|めでたし、めでたし《Happy ever after》"で本を閉じれば、あとは永遠に――などということはなく、|人生は続いていく《show must go on》のだから。
「あー……エレベーター、やっぱねえよなあ」
 とん、とんと腰を手の甲で叩き、紅憐覇・ミクウェルは億劫そうに背中を逸らした。パキパキと嫌な音が身体の中から聞こえてくる。御年、実に70。古希祝いは当初「これ以上老け込みたくない」という理由で拒んだが、|何処かの誰か《Anker》のたっての願いに応じたばかり。相手はエルフで、自分は人間。死を喪失した√能力者とて、老いれば身体は衰え気力も萎えていく。ミクウェルにだけわかるのだ――もう昔のようにはいかないと。

 そんな彼女に侘しい現実を目の当たりにさせるかの如く、揺らめく篝火の灯りに若かりし日の幻影がよぎった。はたして幾つのダンジョンを踏破しただろう? あの頃はもっと恐れを知らず、疲れとは無縁で、未知への期待と脅威への敵愾心を燃やし突き進んだものだ……。
「まあ、向こうから寄ってくる分、楽かねえ」
 すっかり艶を失った赤い髪が、風に揺らいだ。虚空より出現したのは、巨大なヘビー・ブラスター・キャノンだ。平然としたミクウェルのすぐ傍を、凝縮されたエネルギーが劈いた。射線上のクラゲ型インビジブルが二体消し飛ぶ。三体目は四割ほどの触手を喪失し、声なく身悶えするようにうねった。
「チッ」
 霞む目を擦り、眉間を揉む。今の射撃で丸ごと消し飛ばすつもりでいたが、狙いを誤った。原因はわかる、単なる老眼だ。その間にも逆方向から手勢が迫っていた。
(「わざと喰らいや、鍼治療みてえにうまくいかねえかな」)
 考えつつ、最低限の動きで回避。喰らうことよりも、むしろ急なぎっくり腰のほうが恐ろしい。力の抜ける字面を考えた奴は、おそらく当事者になったことがないのだろう。あれを一度でも味わったら、"ぎっくり"なんて腑抜けたワードは当てはめる気にならないはずだ。

 新たな砲塔が、ゆらりと下がるミクウェルの隣に出現した。
「こっちゃあ、これからキツい登り降りが待ってんだ。とっとと消えな」
 再びエネルギーの奔流。今度は狙い過たず、三体が消し飛ぶ。傍から見ると、それはあらゆる無駄を削ぎ落とした洗練された動作の連続だった。それは事実ではあるが、色々なもの――たとえば何もしていないのにずんと心身にのしかかる気怠さ――を希釈した、客観というものだ。
「本当、先が思いやられるわ」
 肩に手を添え、ゴキゴキと首を慣らす。
 夏枯れ時に絡め取られ、ロマンスも大団円もなく今に至るかつての英雄は、しかしその眼光と技巧までは翳っていない。

戦闘員六十九号・ロックウェル

●疼き
 星詠みの語りの間、戦闘員六十九号・ロックウェルは堪え性のない子供めいて巨体を揺すっていた。門が開くのすら億劫で、拳と言わず全身でブチ抜いて進みたかったほどだ。
 しかし不思議なもので、いざ闘争の幕が開くとこの男は足を止める。最後に残した大好物を勿体ぶるかのように――あるいは、もう逃げる力など残っていない獲物を、爪と牙で弄び楽しむ肉食獣の如く。
「景気付けだ」
 ガチャリと、剣呑な音を立ててアクセプターが開かれた。銃のようにも見えるそのチャンバーに、弾丸めいたツールを挿入――否、装填。ガチン。鋼鉄が閉じ合わさるこの瞬間の重みと手応えは、堪らない。ロックウェルの笑みが深まった。
「最初から飛ばしてやる、せいぜい楽しませろ――」
 握りしめた拳を誇示するように振り上げ、そして!
「……変身ッ!!」
 鉄拳が雷管を殴りつけ、その姿が瞬時に変貌した。

 およそ意思や知能の類が見受けられないように思えたインビジブル・クロークの群れは、その瞬間突然に知性を得た。さもなければ、ロックウェルを甘く見ていたということになる。いずれにせよ奴らは本能的恐怖と脅威を感じ取り、変貌した怪人に麻痺触手を伸ばした。正面、上、さらに左右。見かけによらず速い。距離感と目測を誤認させるがゆえに、回避は難しく……BLAMN!!

「遅いな」
 硝煙の奥から声。それは呆れであり、愉悦であり、期待と高揚が入り混じる。何が起きたのか? ロックウェルは自身の表皮数センチまで迫った触手を、横から殴りつけたのだ。四肢はさながら散弾銃を思わせる無骨な輪郭を描き、手首足首には物騒な|弾丸発射機構《インパクト・トリガー》が装着されていた。
 ロックウェルは大きく上体を捻った。傾げるようにした首すれすれを、刃物じみて鋭い触手が無意味に通過。その時、右親指で弾いたスラッグ弾がクルクルと回転している。左肘を繰り出し、その方向からの攻撃を妨害。同時に、空中に浮かんだ弾薬が発射機構に装填された。
「だが、そちらから来るのはいいぞ。手間が省ける!」
 ゴウ――BLAMN! 左腕が空気を切り裂いた音と、凄まじい発砲音にタイムラグはほとんどない。二度目のインパクトはクラゲじみた半透明の実体の真芯を捉えていた。"撃"たれたインビジブルの後ろ半分は、さながら花開くように爆ぜている。超自然的なエネルギーが血のような液体となって飛び散り、その姿は完全消失。

 赤銃眼が砕けた。左足に装填したショットシェルの勢いで己を撃ち出した証拠だ。ロックウェルは2m超の巨体と思えぬ軽やかな動作で空中回転し、インビジブルクロークの背後を取りつつ変則的右踵落としを繰り出している! BLAMN! 触手と内容物を床にぶちまけ、二体目即死!
「さあ、まだまだこれからだ! 俺を落胆させるなよ!」
 実のところ、毒触手は何本か刺さっている。刺さっているが、肉体の頑強さに無効化されていた。仮に苦痛が生じ身体が強張ったとしても、ロックウェルはむしろハンデで丁度良くなったと嘯いて楽しんだだろう。
 唯一にして揺るぎなき絶対的快楽が、今、ここにあるのだから。

イィヴィ・ラプター

●髪の毛一本ほどとて
「なんッですかこりゃあ……」
 イィヴィ・ラプターはクソデカな城ダンジョンを見上げ、ぽかーんと口を開いた。多分、背景を宇宙めいた感じにするとしっくりくる。
 どうもダンジョンが地上に出現した時に近くかはたまた下にいたのか、なんかやけにうるせえなと思って出てきたらこのざまというわけだ。
「絶対やべえのいますよねぇ、こんなとこ……」
 君子危うきに近寄らず。疾走するならもっと金目の物を探して走りたい|第一疾走者《アルファ》としては、とっとと見なかったことにして帰――金?

「城。え? 城ですよね?」
 ギラリ。イィヴィの目が500YENの形になった。彼女は|この硬貨《これ》が大好きなのだ。なにせ一番デカいし。
 城ということは、つまり財宝がある。……のか? わからないがまあないってことはないはずだ。だって城なんだから。財宝がない城はもうただのデカい建物だ(※ダンジョンです)。
「……やる気出てきましたァ!!」
 イィヴィは両手を突き上げ、叫んだ。幸い(?)その野望を聞きとがめる者はいない。まあいたとして、「なんかちっこくて痩せた|娘《こ》が騒いでるなかわいいね」ぐらいで終わったんじゃなかろうか。
「やったろォじゃないですか! 目指せ教団運営資金ー!!」
 イィヴィはその名に違わぬスピードで駆け込んだ。こう、腰から下が@みたいな感じでぐるぐるしてるイメージだ!

 ――が。
「げぇ、いきなりィ!?」
 哀れイィヴィは、出来るだけインビジブルがいないルートを探ろうとしたまさにその瞬間に、ふよふよ浮かぶクラゲに出くわしてしまったのだ。
「ええい、我がともがらよ! 出てこい!」
 モコモコと赤絨毯が膨らみ、穴が開き、低光量の地底環境に最適化された独特の風貌の小人たちがキィキィと群れ現れる。すなわち、|地底の小人たち《グレムリンズ》!
「ゆけぃ! 第一疾走者の名のもと、その力を示すのだ!」
 ビシィ! イィヴィは誇り高く近づいてくるクラゲの群れを指さした!

 ……静寂が訪れた。

「……ちょっと? お前たち??」
 グレムリンズは顔を見合わせ、ダルそうにキィキィ鳴いた。おおよそ言いたいことをまとめると、「今ちょうど昼寝してたのになんで喚び出すの?」的なことをアピールしているらしい。
「お前らぁ!? 真面目にやんなさいよぉ!? でないと――」
 シュッ。小さな風鳴り、そしてイィヴィの髪がふわりと翻った。
「しゅっ? ってか、あいたっ」
 イィヴィは目を点にして、鋭い痛みの走った頬に触れた。指先が赤く滲む。もう一度触れる。切れてる! なんで? そりゃ鋭い触手で切られたからだよ!

「……お、おおおおお前らぁ!! 集中攻撃ィ!!」
 グレムリンズは慌てて群がった! クラゲに噛みつき、ひっかき、引っ張り、とにかくボコボコだ!
「シャーーーーーッ!!」
 イィヴィはさらに威嚇! 敵の反撃が……始まる!
「いける! いけた! 撤退ーーー!!」
 脱兎とはまさにこれ。一行はスタコラサッサと疾走! 先頭はもちろんイィヴィだ。これ第一疾走者の名前汚れてない?
 だがこれは全て狙い通りだ。インビジブル・クロークは驚くべき速度で空中を浮遊するが、それでも3秒で追いつき攻撃を与えるには僅かに足りない!
「はい3秒! お前らもう一回かかれーッ!!」
 騒がしい二度目の攻撃がキマり、なんとかノーダメージで撃破できたとさ。

夜風・イナミ

●リスクとリターン
「ひぃ!」
 迫りくる毒触手に対し、夜風・イナミが盾めいて掲げたのは一枚の板だ。表面には「うしのゆ」のゆるっとしたひらがなが書かれている。……盾でもなければ鍋の蓋でもない、驚くべきことにこれは湯もみ板だ!
 普通に考えれば貫通されるかかいくぐって横からぶすりとやられそうなものだが、巨大湯もみ板は的確に触手を跳ね返した。2mの巨体を生かしたリーチで力任せに湯もみ板を振り回すと、すぱーん! といい音がしてインビジブルクロークを壁に叩きつけた。ラケットではないのだが……。

 そう、これはただの湯もみ板ではない(そもそも巨大なのだが)。√能力によって創造された不思議骨董品……いうなれば魔力を宿した攻防一体の武器といえる。単純なそのサイズと、板という形状がイナミの闘い方に適していた。
「もう、あんまり使いたくないですね……」
 だがそれを手にでかい図体をカバーしつつ進むイナミはというと、浮かない表情。それも当然だろう……『不思議骨董品』は、代償を与える。使えば使うほど、破滅の呪いがイナミを襲う確率も高まるのだ。
 なので、出来ればさっさと先へ進みたい。しかし先へ進むためには、インビジブルクロークへ自ら挑む必要がある。ということは、あの明らかに痛そうな触手がどんどん襲いかかってくる……その図体も当然、被弾箇所に繋がる。進むは難し、退くは易し……一番よくないのは、足を止めてまごまごしながらカウンターに徹すること。必然的にイナミは、腰が引けつつもすり足で奥へ進むような格好になっていた。

 幸い、イナミが石化の呪詛の力を使う必要はなかった。その堅実な闘い方が功を奏したといえる。
「隠し通路とかあったりしませんかね?」
 こんこん。目についた怪しい床や壁を湯もみ板で叩く。この骨董品を残した人も、こんな使い方は想定していなかったのではないだろうか。傍から見ると、迷宮をさまようはずの|牛獣人《ミノタウロス》が罠を警戒しつつ進んでいるというのは、なんとも奇妙なものである。
 今の時点ではイナミが「それ」を直接見つけることはなかったが、しかし徐々に退路を潰していく着実な探索は、暗闇に潜む事件の黒幕をじわじわと遠回りながら追い詰めつつあった……。

躑躅原・戎吾

●正義の味方のお仕事
 躑躅原・戎吾にとって、|警視庁異能捜査官《カミガリ》の職務よりも|ダンジョン攻略《こちら》のほうが馴染が多い。何せ彼はもともとあちらの√からやってきた稀人。が、それがさらにこの√EDENで叶おうとは、なんとも不思議なものである。
「あっちこっちの要素が混ざり合って、頭がこんがらがっちまいそうだな」
 開かれた門の前で、戎吾は毛並みを掻いてひとりごちた。これから迷宮に挑もうというのに、己の居場所を見失っているようでは話にならない――だが幸い、その点に関しては戎吾に心配はないだろう。
「ま、|修行者《ノービス》らしく真面目にケーサツのお仕事しますかねぇ」
 もっとも根本的な礎、骨子となる武と力は、その骨身と魂に染み付いているといっていいからだ。

 飄々と暗闇の中へ足を踏み入れた戎吾だが、どこか人を食ったような雰囲気は敵の気配を感じるとともに消え去った。
「来たか。殴り甲斐のなさそうな連中だ」
 ふわふわと重力を感じさせずに浮かぶインビジブルクロークの姿は、まさに戎吾の言う通り警戒心を損なう間抜けさだ。
 しかし、だからといって見た目や雰囲気を理由に敵を見誤って油断するほど、戎吾は腑抜けてはいない。彼の牙はむしろ、風来坊じみた生き方の中で研ぎ澄まされているといっていい。

 インビジブルクロークは油断ならないスピードで滑るように近づき、毒触手を繰り出した。動きの一つ一つが緩慢に見えるが、それが逆に厄介なのだ。間合いや行動の起こりを錯覚させ、気が付いたら囲まれているということにもなりかねない。
「おっと! 油断も隙もねぇな!」
 こめかみを狙った触手を裏拳で弾き、戎吾は嘯いた。続けて額を狙った触手を、大きく身を沈め回避。その姿勢のまま、最小限の動きで一気に敵の下へ潜り込む。まさに虎の狩りの如く!
「おらよっ!」
 立ち上がりながらの痛烈なアッパーカットが、インビジブルクロークの重さのない身体を上に跳ね上げた。天井に叩きつけられんばかりの垂直の跳ね上げを、戎吾自身も強靭な足のバネで追う。ただ飛んだのではない……彼が身を沈み込ませていた場所に、密かに側面や背後を狙おうとしていた敵の毒触手が突き刺さっていた。跳躍はこの不意打ちへの回避であり……。
「いちいち一体ずつ相手にしてらんねぇからな、まとめていかせてもらうぜ!」
 |霊震《サイコクエイク》! 強烈な霊能震動波が放射状に空間を揺るがした。インビジブルクロークの粘体めいた身体が不気味に揺らめき、そして風船のように爆ぜ、霊子を撒き散らして消滅していく。

「よっと」
 着地した戎吾はぐるぐると肩を回し、再び足を進める。
「鬼が出るか蛇が出るか、どっちが出ようが両方出ようが……ぶちのめすだけだ」
 口元に浮かべた笑みは、闘争心に満ちていた。

山田・菜々

●数多を砕く
 探索は順調に進んでいた。地上階の通路の先はエントランスホールとなっており、左右に階段がカーブを描く。山田・菜々は上階の探索の先陣を担った。第二陣との遭遇は、まさにその二階へ上がった途端に起きた。
「早速新手っすか。こりゃほんとに山ほど詰まってるみたいっすね」
 ひときわ巨大に肥え太ったインビジブルクロークがポンプのように身体をうねらせるのを、菜々は睨みつけ拳を鳴らした。
ぼぷん――飛び出したのは無数の子機、いやこの場合は「仔」と呼ぶべきなのか? ややサイズの小さいインビジブルクロークの群れが、まるで胞子のように噴出したのである。それはあっという間に二階到達地点を満たし、触れるものを手当たり次第に鋭利な触手で痛めつけようとした。

「こういう時はおいら向きっすね。狙わなくてよさそうだから――」
 菜々は片手でバス停を担いだ。ごう、と風が唸る。一歩を踏み込み、息を思い切り吸いながら……弧を描くように、バス停を振り回す!
「まとめて、吹っ飛ばすっすよ!」
 目の前に迫りつつあったインビジブルクロークの仔の群れが消し飛んだ。得物のサイズに頼った力任せの横薙ぎ、向こうから近づいてくるからには、ただその場で武器を振り回すだけで最低でも一体には当たるというわけだ。当然それだけの重量物を振り回せば反動も大きく、14歳の華奢な体は重心を持っていかれてよろめく。だがこれは次の攻撃の予備動作だ。
「しゅッ!」
 吸い込んだ息を吐き出す。バス停を床に突き刺すように支えにし、むしろ振り子運動めいて勢いを付けての拳。仔を吐き出したインビジブルクローク本体にめり込んだ鉄拳が、一撃で敵を吹き飛ばし、崩壊させた。
 闇の中からは次なるインビジブルクロークが一体、また一体と姿を現す。力を籠めてバス停を床から引き抜き、菜々は次の一撃のために独特の構えを取った。

八芭乃・ナナコ

●皆殺しするのは……
「不思議なバナナ、付けられて~♪」
 Z世代っぽいダルそうな感じで節をつけて、謎のバナナソングを歌う八芭乃・ナナコ。二階階段周辺の敵が一掃され、本格的に次のフロアの探索が始まったわけだが、ナナコの気分は鬱々としていた。
(「バイトじゃない初仕事で、いきなり皆殺しでぶっ殺しな|ダンジョン《ゾーン》だもんなぁ……我ながらやばない?」)
 ナナコの闘いと言えばもっぱら、悪の組織が妙な作戦をやってるところに駆けつけて格闘戦を繰り広げたりするのがセオリーだ。RPGめいたダンジョン|探索《ハック》など、ほとんど経験がない。つまりその時点でダルい。そしてその姿は……バナナだった。そう、彼女はバナナのヒーローなのだ。具体的な見た目は薄暗がりだということで、描写は避けておくことにする。別にイラストがないからヘンに描写すると、あとあとで齟齬が出て困りそうとかそういう問題ではない。ないったら。

 まあそれはさておき、バナナめいて歪曲したバナナソードブレイザーを肩に担いでタラタラ無警戒に歩くナナコ。ダンジョンのベテランがいたら、罠を警戒する素振りもないその気の抜けっぷりを咎めるか、あるいはふてぶてしさと胆力に舌を巻くかもしれない。
 その時だ。次の階への道を探すナナコの前に、暗闇の中からぬうっとインビジブルクロークが出現した!
「うわおっ!?」
 予期せぬ遭遇に、さしものナナコも声が漏れた。……近い! とっさにバナナソードブレイザーを繰り出し……かけるが、そこでヒーローとしての勘が何かを感じ取った。ナナコはその直感に任せ、あえて攻撃を行わずに大きくバックステップを踏んだ。

 直後、彼女がさっきまでいた場所に、まるで外套のようにふわりと別のインビジブルクロークが舞い降りた。そう、敵は上にもいたのだ。
「うっへぇ、コンビネーションとかすんの? 水族館ならキレーで済むのになぁ」
 見た目にそぐわぬ狡猾さ。物言わぬインビジブルは、しかしただのふよふよ近づいてくるクラゲと油断できそうにはない。ナナコは気を引き締め、ソードブレイザーをくるりと一回転させてキャッチした。
「だったらスピード勝負で蹴散らすぜ!」
 そうと決めれば、今度はナナコのほうが疾かった。敵の繰り出した触手をくぐり抜けるようにダッシュし、バナナめいた歪曲を生かした斬撃! 顔面狙いの触手もろとも、一撃でインビジブルクロークを仕留める。
「二体目、いただきだぜ!」
 ステップを踏み、回転速度を乗せての二撃目。あっという間に二体の敵が両断され、ぶすぶすと靄のような霊子を撒き散らして消滅していった。

ノーバディ・ノウズ
久瀬・彰

●|しらみつぶし《ブルートフォース》
「なあ、これやらかした奴ァ世界観って言葉知ってんのか?」
「それをホロウヘッドくんが言うの、笑えるね」
 久瀬・彰はへらりと軽薄な笑みを浮かべた。ノーバディ・ノウズ
とツーマンセルを組んだ――|名前《NOBODY》に反して|相棒《Buddy》付きとはまた奇妙だが――二人は今、城内二階の薄暗がりを探索している。目的は上階へ到達するための通路だ。エントランスホールに敷き詰められていた赤絨毯は、ここに至って大理石のタイルに変じた。もっとも、その組成は現実のものとは異なるのだろうが。

「ところでクゼ」
「何」
「クラゲって何が効くんだ?」
 彰はペン回しの要領で、微小な明かりすらもギラギラと照り返す医療用メスを危なげなく弄び、考える。
「さあ? 俺はとりあえず撃つより斬るほうが効きそうだから|メス《これ》用意しといたけど」
「へ、なら俺ぁ……えーっと」
 ノーバディは懐をゴソゴソと漁る。期限切れのクーポン券、更新しないまま年会費の支払いが過ぎた何処かの映画館の会員証、コンビニかなにかのくしゃりと丸めたレシート……。
「いくらダンジョンだからって、家庭ゴミの不法投棄はよくないよ」
「違ェよ! クソ、使えそうなモンがねえな」
 そうこうしているうちに、二人はゆっくりと浮遊するインビジブルクロークの一群を見つけた。
「あら。見つかったかな」
 久瀬は気持ち少しだけ背中を伸ばす。間合いを感じ取りにくい緩急のある動きで、敵は近づいてくる……4体、5体。はて、少しばかり数が多い。

「ちょっとホロウヘッドくん」
「待てって、いやこれなんだよ……服の値札か? なんでポケットに入れてんだ」
「あのさ、俺肉壁とかヤなんだけど? 君がやってほしいんだよね」
 その間にもインビジブルクロークは近づいてくる。6体、7体……かなり多い! さらに、明らかに鋭利な毒針が触手の先端から生えてきた。
「え、なにあのでっかい針。ちょっと、ホロウヘッドくん?」
「うわ! これいつ何処で貰った飴だよ? あの飲み屋か?」
「ホロウヘッドくんてば、敵――」
 毒針の生えた触手が、伸びた。その伸縮速度は彰の予想を遥かに超えて早く、そして長い。ぴゅう、とほとんど蚊の鳴くような微かな音を立て、薄暗がりを切り裂く一糸!

 ……ガガガガ!
「あったあった、まぁこれでよさそうだろ」
 閃光と焦げ臭い音が、その姿を照らした。彰を狙い伸びた触手を殴った拳は、ナックルダスター状のガントレットで覆われていた。丸く短い二本の突起が飛び出したその形状は、さながらバッテリーのようだ。そして事実、彼の頭部は電気を示す稲妻マークを浮かべていた。バチリと、拳から腕、腕から身体、身体から足へ駆け巡ったスパークがのたうつ。
「さしずめ電池マン、ってとこかね!」
 ぴゅう。二本目の触手。ノーバディは素早いダッキングで躱し、驚くべきスピードで踏み込んだ。いましがたのスパークは、彼の肉体を駆け巡る電気エネルギーの証明でもある。足跡の形に床が焦げ付き、瞬間的に発揮された熱量を示していた。
「クラゲなら電気もよく通すだろ? 多分だけどな」
 低姿勢からの抉るようなアッパーカット。半透明の胴体に拳がめり込み……ガガガガッ! 再び閃光。直接叩き込まれた電撃が、インビジブルクロークの身体を内側から照らす様はまるで豆電球のようだ。長く伸ばした触手は、それゆえにインファイトに持ち込んだノーバディのスピードについてこれない。ぶすぶすと煙を発し、インビジブルクロークの触手はだらりと力を失った。
「こいつもくれてやる、取っとけ!」
 ノーバディはガントレットを切り離し、投げた。それは意匠だけではなく、実際大量の電気エネルギーを内在させたボムなのだ。
 KBAM! 三度、閃光が敵群の中心で爆ぜた。放射状に広がった稲妻の飛沫に劈かれたインビジブルクロークは、空中で触手を痙攣させ身動きが取れずに悶え苦しむ。

 その身体を、スパスパと鋭い光が切り裂いた。それはよく見ると光ではなく、薄闇を照り返す医療用メスの刃だ。
「はい料理完了、っと」
 ノーバディの背後にいたはずの彰の姿が、ぼんやりと薄暗がりに浮かんだ。スタンボムの爆発範囲を逃れたインビジブルクロークか、毒針を額めがけ発射する。彰の剽げた笑みが、まるで墨に溶けるように消えた。毒針は誰もいない場所をむなしく通り抜け、かつん、と小さな音を立てて壁に突き刺さる。
「俺、注射嫌いだからさ」
 彼が現れたのは、やはり背後。よく見れば、その足元には無数の黒い手がざわめき、さながら風に揺れる叢めいてくるぶしあたりを包んでいた。
「撃たれるのは勘弁ね。逆は好きなんだけど」
 既に斬撃は終わっている。切り裂かれた肉片を、伸びた影の手が毟るように飲み込み、たちまち影の群れは勢いを得てぶわりと膨らんだ。360度に音もなく拡大した影の手が、さらに別のインビジブルクロークを掴み、掻き毟り、あるいは捻じ殺す。
「はは、案外グッドコンビネーションじゃねえか? 光と影だぜ」
「次からは、その頭に仕込む用のアイテム。ちゃんと用意しとこうね」
 彰の注意は、あまり注意する気がなさそうだった。実際どうでもいいのだろう。彼はどんな時でも、こうやってふらふらと頼りない。
 しかし少なくとも、モチベーションは高そうだった。面倒な聞き込みや張り込み、あるいはオペに比べればまだマシだとぼやき、二人は暗闇へと消えていった。

萩高・瑠衣
アダン・ベルゼビュート
ララ・キルシュネーテ
レミィ・カーニェーフェン

●さらなる深層へ
「ひとつ、ふたつ、みつ――」
 まるで数え歌のように節をつけて、ふわりと浮かぶ赤い群れを指し示す。それは指ではなく、カトラリーだった。携える少女はまだ幼く、乳白色の髪から覗く瞳は|紅玉《ルビー》めいてきらきらと魅惑的に輝いている。

 彼女は――ララ・キルシュネーテは、楽しそうだった。
「ふふ。たくさん、たくさんね」
 瑞々しい唇を、瞳と同じぐらい赤い舌がちろりと舐める。もう一方の手に携えるのも、やはりカトラリー。金と銀、鏡のように磨き上げられた表面に映るのは無垢な笑み。そしていよいよ蠱惑的に輝く瞳。
 誘蛾灯に群がる羽虫のように、インビジブルクロークはその光に誘われる。だが本体が近づくよりも早く、鋭い毒針がぶちゅりと放たれた。

 針が劈いたのは、花びらだった。それは季節外れの桜の花びら。ララを狙ったはずだというのに、ならば彼女は何処に?
「残念、はずれ」
 声はインビジブルクロークの背後から。遅れて、金色の斬撃がしゅるりと闇を裂いた。すれ違いながらの、カトラリーでの一閃。狙い過たず中心を裂かれたインビジブルクロークが、霊子を踏み出し霞んで……消えない。薄靄めいた霊的なエネルギーは、ララを包み込む花吹雪のように揺蕩い、彼女に吸い上げられていく。妖しい景色だった。
「足りないわ。まだまだ、ぜんぜん足りない」
 ララは飛ぶように駆けた。残る三体どころか、さらに多くの敵を、さらにさらに多くの敵を惹きつけ、寄せるかの如く……危うい動きだ。

「あら」
 ふと彼女は声を漏らした。耳聡く聞きつけたのは、この薄暗がりにはそぐわぬ篠笛の音。それはララを包囲しようとしていたインビジブルクロークのうちの何体かを、魔性めいて引き寄せる。紅玉の瞳が、笛を奏でる萩高・瑠衣の姿を見つめ、細まった。
「あの子、一人であんな数の敵を集めて……」
 瑠衣は呟き、眉根を寄せる。遠間から射抜くような視線の感情は、何処か判別しがたい。咎めている? あるいは興味深げなのか? そのどちらのようにも思える。
(「思わず笛を吹いて引き寄せちゃったけれど、もしかしたら邪魔をしてしまったかしら」)
 だが、瑠衣は思索をすぐに打ち切った。何故なら敵を引き寄せたからには、あの毒針がすぐにでもこちらへ飛んでくるからだ。そしてそれは、ララも同じ。まずは自分の受け持つ敵を片付けねば、連携のしようもない。

 意識を引き締め敵に注意を向けた時、瑠衣は僅かに驚いた。ふわふわと重みを感じさせない、緩やかな浮遊をしていたはずのインビジブルクロークは、瑠衣が想定していたよりもはるかに間合いを詰めていたのである。
(「近い!」)
 このふわりとした動きが曲者なのだ。緩やかに見えてその実素早く、かと思うと見た目以上に止まっているように遅くなる。変拍子の旋律もかくやの不安定な動きは、それゆえに間合いを錯誤させる。そして、触手も厄介だ。柔らかく何処からでも狙いをつけられ、また伸縮性も高いがゆえに……!
「せぇいっ!!」
 虚を突かれたごく一瞬の忘我を、鮮烈な気合いが張り裂けさせた。どう……と、腹の底に響くような音が轟いたような気がしたが、それはただの錯覚であると瑠衣は即座に理解する。全身を震わせる、霊震の残滓が齎した幻に過ぎない。

「意図せず揺らぐ気分はどうだ? クラゲども」
 ぶちゅり。厭な音を立てて歪み、砕ける本体。瑠衣めがけ驚くべき速度で飛んできた針は、やはりその圧力で砕けていた。アダン・ベルゼビュートは「ふん」と鼻を鳴らし、降りかかる霊子の飛沫を魔焔で焼き払った。震動は当然ララの側にまで伝わり、彼女を囲んでいた敵のうち何体かを押し潰すように破壊している。
「つまらぬ! どうせならもっと大量に来ればいいものを」
「ええ、ええ。ララもそう思うわ」
 一転して少女はころころと鈴が鳴るように笑った。しゅ、しゅと鋭く微かな風鳴り。霊震を逃れたインビジブルクロークが裂けて消える。瑠衣は二人の鮮やかですらある戦いぶりに呆け、はっと我に返った。敵を引き付け棒立ちになっている場合ではないのだ。
「そんな、わざわざ余計な敵を集める必要はないと思うんだけれど……」
「そう? だって、そのほうがたのしいわ。それに満たされるもの」
 ララは歌うように言う。その言葉は真意を掴み難く、彼女自身と同じように奔放。一方、アダンは愉快げに笑っていた。
「まったく同感だ! 此の魔王の歩みを止めたいならば、いっそ紅き壁でも作ってみせろいうのに!」
「ま、魔王……??」
 こいつは何を言っているんだ? 瑠衣は思わず呆れてしまい……。

「皆さん、下がってください!」
 姿なき何者かの声が響いた。余裕綽々でいたとは思えぬほど一瞬で表情を引き締めたララとアダンは、速やかに後退。ちょうど瑠衣を挟む形で三人が並び――その隙間を縫うように、二発の弾丸が駆け抜けた。
「え?」
 瑠衣の呟きの直後、轟雷が爆ぜた。深淵のような暗闇を、花開いた稲妻が照らす。アダンは目を見開いた。
「いつの間にこれほどの数が……!」
 瑠衣の篠笛の音に招かれたか、あるいはララの放つ花の芳香めいた妖しい雰囲気が引き寄せたのか?
 三人が気付かないうちに、10では効かぬ数のインビジブルクロークが、暗闇にうっそりと満ちて戦列を整えていたのである。
「おかわり、たくさん――でも、小賢しいわ」
 ララは愉快と不服を混ぜ合わせたように、笑みながら呟いた。その群れも、今しがたの魔弾の炸裂によって半透明の身体を貫かれ、黒く焼け焦げ、そして消滅していく。
「いやあ、突然失礼しました」
 三人に声をかけたのは、一目で業物とわかる複雑な機構の精霊銃――いや、もはや精霊狙撃銃とでも呼ぶべきか――『ミカヅチ』を担いだ猫獣人の少女。
「私、レミィ・カーニェーフェンと申します。
 身を隠して敵の気配を探っていたのですが、随分と密集しているところを見つけまして……そしたら皆さんまで集まっていたので、どうしたものかと」
 レミィは手短に現状を説明する。彼女は頭から生えた猫の耳をぴんと立てた。
「おそらくこの先はさらに密集しているかと。
 闇雲に突っ込んだり、囮になるのは危険ではないでしょうか?」
 ダンジョンに魅せられた少女の認識と分析は的確だ。そして、これだけの数の敵の充実は、何の理由もなしに起きるとは思えない。

「ふむ、いいだろう」
 アダンはいちいち大仰な身振りを交え、渾身の笑みをキメる。
「ではこの魔王の輩として、貴様らが後に続くことを許す!」
「どうしてお前がまとめるようなことを言うの?」
 ララは心底不思議そうにアダンを見上げた。
「これは、たのしいたのしい鬼ごっこよ。ララが鬼なの。
 だから誰より先を行くのも、ララ。ついてくるのがお前たち」
「何ィ!? 此の魔王に随分と気安く叛意を向けるではないか、娘!」
「ララはお前の部下になった覚えはないわ」
 つーん。ララはそっぽを向いた。
「……なんでこの二人は喧嘩してるのよ」
「あ、あはは……」
 呆れる瑠衣の言葉に、レミィは苦笑いした。
「でも、逆にいい組み合わせじゃないでしょうか?」
「そういうものなのかしら? ダンジョンって、詳しくないのよ」
 瑠衣は詠唱錬成剣を床に突き立て、呟く。
「そもそも今、令和よね。こんな場所に城なんて、どういうこと?
 いっそ夢であったほうが楽なんだけど、そんなことないわよね」
「だからこそですよ! ダンジョンも、あのお二人も」
 レミィは目を輝かせ、力説した。
「まったくミスマッチに思えるけれど、それが逆に噛み合うのです。
 つまりですね、磁石のようなもので真逆が的確というか……」
「ず、ずいぶん語るわね」
「えへへ、失礼しました!」
 レミィははにかみ、恥ずかしそうに尻尾をくねらせた。
「とにかく此処から先は、協力して進みましょう!」
 その点に於いて、否を唱える者はいなかった。


 そして結論から言うと、レミィの読みは正しかった。
「階段だわ」
 瑠衣は目を凝らし、奥に聳える階段を捉えた。だが彼女は駆け出したりはしなかった――先と同じ、いやおそらくそれ以上の数のインビジブルクロークが、開けた通路を門番じみて守っていたからである。
「今度はララが一番よ。どうしても厭なら、お前たちも好きになさい?」
 言うやいなや、ララは風のように駆け出した。アダンが「だから俺様がだな!」とか叫ぶのはともかく、瑠衣は驚きも止めもしなかった。それがあの少女にとって、もっともやりやすく的確なポジションであるとわかっているからだ。
「私たちも行きましょ!」
「後から続きます、こちらはお構いなくです!」
 レミィの姿が消える。隠密効果を持つハンターコートで、暗闇に溶け込むように潜伏したのだ。
「ええい、何故誰も彼も俺様を魔王として扱わんのだ!」
 アダンはぶつぶつぼやきつつ、やはり同様に駆け出した!

 みっしりと詰まったインビジブルクロークが、ララの接近に反応。毒針が一本、二本……もはや弾幕じみて、触手の先端から分離し放たれた。
「お前とお前と、お前からね!」
 ぎぃん――カトラリーがバツ字を描き、毒針を切り捨てる。桜色のボタンイチゲが渦を巻き、嵐じみてその姿を覆い隠した。三、四、五、容赦なく毒針は花嵐の中に突き刺さる。内側から空気が膨らみ、花吹雪が爆ぜた――そこにララはいない。代わりに突き出されたのは、非物質的刀身だ!
「かかったわね!」
 それはララではなく、瑠衣だった。花嵐を隠れ蓑にして敵の攻撃を誘い、近づいてきたところへ詠唱錬成剣の刀身を伸ばし、切り裂く。カウンターの刺突は狙い通りにインビジブルクロークを貫き、そして錬金毒が内側から敵を腐らせ滅ぼした。

 ならばララは何処に? 答えは……敵の真っ只中だ。
「さあ、狩りの時間だわ!」
 ざ、ざ、ざ、ざん! 生命を吸い喰らう金銀の災刃が、荒れ狂うように走った。ララは赤い瞳を炯々と輝かせ、ひとつ、ふたつ、みつ、よつと次々に細切れに切断していく。敵を斬れば斬るほど、その斬撃速度と獰猛な踏み込みは速まるようですらあった。
「もっとよ。ララをもっと満たして頂戴――」
 うっとりした声。その笑みに、瞳に、毒針の狙いが当てられる。だが!
「そこです!」
 BLAMN! 魔弾が陶然とするララの眼の前を掠め、毒針を穿ち、そして触手を砕いて本体に到達。雷鳴の魔弾が爆裂し、周囲の敵を食らった。ばちばちと残る雷電は、踏み込んだララや瑠衣を加速させる力となる。
「こっちにも来なさい、少し闘いづらいけど……!」
 瑠衣は笛を奏でて敵のコンビネーションを乱し、突出した敵を錬成剣で串刺しにして殺していく。二人の前衛によって敵の前線が晴れると、最密集地帯というべき有象無象の塊が暴かれた。その密度は敵にとって不利に働く。待ちかねていたアダンが切り込んだ!
「そうら、最大震度だ。止められるならば止めてみるがいいッ!」
 ゴッ――ガン!! 魔焔の塊が密集地帯の中心で炸裂。震動を伴う熱波が敵を一網打尽に焼き滅ぼした。
「ハァッハハハ! 数を揃えようと、魔王の前ではこの程度よ!」
 風穴だ。密集した敵を焼き滅ぼした魔焔が、再び階段への道を拓く。上階からさらに降りてきたインビジブルクロークが、即座にその穴を塞ごうとする……が!

「今のうちに奥へ! 挟撃しましょう!」
 BLAMN! レミィの的確な狙撃。埋まりかけた風穴の中心で雷鳴が叫びを上げ、寄せ手を滅ぼす。
「オカワリは、この先ね? ララが全部平らげてあげる!」
「あの子、ほんとに見境ない……! 大丈夫なのかしら」
 瑠衣はいてもたってもいられず、穴の中へと飛び込んだララを追う。それはただ前に出すぎたわけではない。敵は壁を形成しているのであって、向こう側に入ればそれはすなわち背後を突くも同然だ。アダンの堂々たる立ち振る舞いが敵を引き付け、そしてガラ空きの隙を晒す。痛みを感じぬ彼の仁王立ちは、暗闇に潜んだレミィを守る盾役の意味も担うのだ。
「本来なら、ヒットアンドアウェイで敵の数を減らすんですけど……!」
 なんと勇猛果敢な闘いぶりか。レミィは後ろから三人を見守るような形になっていたが、ダンジョンに初めて挑んだ昔の自分とは比べ物にならない勇ましさに、舌を巻いていた。それは危うく、だが頼もしさが勝る。彼女は笑っていた。
「こういう|冒険《ダンジョンハック》も、楽しいですね!」
 BLAMN――挟撃を受け完全に術中にハマったインビジブルクロークの群れを、|とどめの一撃《クー・デ・グラ》が抹殺! 雷鳴の魔弾が再び爆裂!
「これで……終わりよ!」
 最後の一体を射抜いた瑠衣の詠唱錬成剣が確実に滅ぼし、かくして上階への活路は拓かれた。

タマミ・ハチクロ

●深淵
 確保された階段を最初に上り、第三層へ足を踏み入れたのはタマミ・ハチクロだった。
 それは蛮勇や冒険心ではなく、|少女人形《レプリノイド》であるがゆえに|代えが効く《・・・・・》という、タマミ自身の認識と自薦に拠る。
「さて……」
 がしゃり。|人形用自動拳銃《TMAM896》のスライドを引き、弾倉に銃弾を装填。銃身下部に取り付けられたマグライトが円錐状の光を投げかけ、暗闇に満ちた新たな深淵の闇を切り裂いた。
「|少女分隊《レプリノイド・スクワッド》、招集であります」
 背後から左右交互に一体ずつ、タマミと全く同じ姿の少女人形が展開し、そして同じようにTMAM896を構えた。当然ながらこれはタマミ自身のバックアップ素体である。白い尾がくねり、まったく完全に同期された耳の動きでシンクロした。
「では我々らしく、地獄に向かって前進でありますな」
 気安い言葉だった。聖職者の装いは伊達や酔狂ではなく、彼女の信念だ。ならば、地獄という言葉も重々しく感じられる――たとえその足取りが軽やかであったとしても、だ。

 肝心の第三層は、打って変わって入り組み、その構造も内装も城とはかけ離れていた。
 苔生した石ブロック、あるいは饐えた臭いを放つ腐りかけた木の扉、かと思えば、一転して城塞らしい華美なダンスホールが出迎えもする。何もかもがあべこべで、統一感がない。
「このダンジョンの作り手には、こだわりが感じられませぬなあ」
 タマミは呟き、耳をそばだてた。この内部構造からわかるのは、敵は――つまり黒幕は、あくまで「ダンジョンを構築し、被害を広げる」ことを念頭に置いている、ということだ。
 何か偏執的なこだわり、信念、はたまた歪んだ愉悦。そういうものとは無縁の、ただただ破滅を齎す害意。
「そんなに侵入者が怖いのでありましょうか」
 タマミは目を細めた。先の知れぬ混沌とした作りは、|探索者《こちら》を警戒させ進行を遅滞させるための闇雲な努力といったところか。そして事実、罠の類はそれなりに待ち構えていた。それを臆病と謗るか、堅実と評価するかは人に依ろうが――。

 接敵は十字路の中心で生じた。
「分隊、構えであります!」
 同一人物であるがゆえに、少女分隊は即座にお互いの背後をカバーする。四方の通路からゆっくりと、確実に近づくインビジブルクローク――包囲されているがゆえに、それぞれの方角の数は心もとない。
「|命令《オーダー》、敵殲滅」
 BBLLAAMMNN!
 マズルフラッシュが金色の瞳を照らす。アタッチメントによりロングバレル化したTMAM896の弾丸は、射程外から反撃を許さず急所を撃つ。もしもそれでなお近づかれたならば、いずれかの素体があえて前に出て肉の壁となり、敵を止める。銃剣を銃身下部に着けた素体がその役目を担い、そして彼女たちに恐怖の表情はなかった。

 一縷たりとて。
「ま、わざわざ餌をくれてやる義理はないであります。命大事に、でありますよ」
 自分自身に語りかけるその声音は、午後に降る雨に備えて傘を勧めるような軽いものだった。

オリヴィア・ローゼンタール

●影
「まったくもう……本当に困りますね」
 いかにもダンジョンめいた石畳の通路を抜ければ、今度は螺旋階段の渦。昇っている最中にインビジブルクロークが降り注ぎ、ようやく登りきれば今度は大岩。
 もはや城の外観になぞらえた仕掛けにとどまらず、徹底的にこの先へ進ませまいとするトラップ・構造・地形のオンパレード。オリヴィア・ローゼンタールが愚痴るのも無理はない。
「違法建築どころの話じゃありません。このままじゃ、ダンジョンの外にまで被害が拡大してしまう……」
 間違いなく、敵の狙いはそれだ。一刻も早く、核を破壊してしまわなければならない、が……。

 自らの足でダンジョン第三層を駆け回るオリヴィアは、ふと曲がり角の向こうに人影を見たように思った。
「……√能力者? いえ、違う」
 味方ならあのように、自分から離れるように移動するはずはない。であれば、今のはまさか!
「待ちなさい!」
 オリヴィアは叫び、ロケットスタートした。だがその行く手をインビジブルクロークが阻む!
「邪魔を……するなッ!」
 別人じみた鋭い言葉が飛び、拳はそれよりも速かった。ぶよぶよとした半透明の実体を鍛え上げた鉄拳で打ちのめし、吹き飛びかけたところで触手を掴んで強引に引き寄せる……否、その動作はジャイアントスイングじみた遠心力を伴う!
「せぇい!!」
 打ちのめされたインビジブルクロークを別の個体に叩きつけ、ひるませ、飛びかかる。伸びた触手を逆に絡め取り、締め上げ、引きちぎる。毒針は握り潰して粉砕という力強さだ。多少の怪我を負おうとも、オリヴィアの攻め手は止まらなかった。
「こんなふざけた違法建築ダンジョンを作り上げた報い、償ってもらう!」
 オリヴィアは暗闇に逃げ込む小さな背中に叫んだ。それは、この一件の黒幕を怯えさせ、さらに追い詰めていく。包囲網は徐々に形成されていた……!
「邪魔をするならなんだろうと、吹き飛ばすまで!」
 拳から吹き出した霊力が、インビジブルクロークを跡形もなく消し飛ばした!

駆魔・万化

●化かし合い
「いやあ、初心者感あるわねえ」
 すたすたと一切怯えるふうもなく、暗闇の中を歩く駆魔・万化。しみじみと頷く姿は完全に老人そのものである。もちろんエルフなだけあり、その見た目には皺の一つもないのだが。
「ダンジョンもお化け屋敷も似たようなものよね。私も昔はこういうのハマッて皆で作ったわー。
 で、最後はなんでか勇敢な人間に攻略されて……なんで燃やすのかしらねあいつら」
 古来より、屋敷やダンジョンの類は焼け落ちるか、崩壊するか、さもなければ爆破されるものと相場が決まっている(誰によって?)
 そして物語は|めでたしめでたし《Happy ever after》で終わる。終わってきた。はたして何度その終わりと始まりに立ち合い、あるいは当事者となったのだろうか。瑞々しいかんばせからは想像もつかない。

 つまり駆魔はヴェテランであって、それゆえに混沌極まるダンジョンの入り組んだ構造を、的確に踏破していった。
「ちょっとぉ、なんでこんなでたらめな作りしてるのに追ってこれるのよぉ……!」
 その存在を気取られ追い詰められつつあった黒幕は呟き、とにかく走って距離を取ろうとした。

「それは当然、あんたの考えがわかるから」
「!」
 駆魔はその行く手を遮っていた。篝火が唇を噛みしめるその姿を――ダンジョンを築き上げた『指名手配吸血鬼『マローネ・コール』』の幼気な姿を照らし出した!
「へぇ、可愛らしいサキュバスちゃんね。いや、吸血鬼なのか?」
 駆魔は知るよしもなかったが、マローネは日本政府直属の吸血鬼チームを壊滅、その残忍な手口で指名手配を受けた極めて凶悪な√能力者である。弧を描いた瞳が細まり、尖った牙を笑みが表す。
「おばさん、こんなところであたしを追い詰めたつもり?」
「ア゛!?」
 駆魔、キレた!
「このメスガキ、押し潰してやるわ!」
「やば……!」
 マローネは飛び退った。KRAAASH! 直前まで立っていた場所に降り注いだのは……ダルマ!?
「はぁ!?」
「どろんどろろんどろんチェンジ、ってね!」
 ダルマが……つまり一瞬にしてどろんチェンジした駆魔が笑い、そして倒れ込んだ。となれば次は転がりこむのだ。なんという質量攻撃!
「オラァメスガキはメスガキらしくわからせられなさいよ!」
「ああもう、なんなのよこいつ!」
 マローネは入り組んだ通路へ逃げ込んだ。入れ替わりに溢れ出したのはインビジブルクローク……なのだが。
「ワハハハ! 木製のダルマに毒なんて効くかぁー!!」
 その図体で反撃もろとも圧壊! 通路を砕いて物理的に道を開き、敵をさらに袋小路へと追い詰める!

黒野・真人
櫂・エバークリア

●|行き止まり《デッドエンド》
 |インビジブルクローク《クラゲ》に連携という発想はない。
 櫂・エバークリアの予測は正しく、だがある意味で間違っていた。

 何故ならここは、生み出した張本人がいるダンジョンだ。
 その全てが自由自在とまではいかないが、ある程度はその意のままに操ることが出来る――たとえば今、その存在を暴かれ追い詰められたとなればなおさらに!

「行きなさい!」
 指名手配吸血鬼、『マローネ・コール』の叫びが闇に木霊する。ぞわりと何処からともなく何体ものインビジブルクロークが現れ、櫂に群がった。
「チッ、こりゃ少しアテが外れたか……!」
 誤算はたった一つだ。その拳に宿る炎である。もともとエネルギーをチャージしながら立ち回るつもりでいたが、いかんせん数が多い。下手な鉄砲もなんとやら……敵の攻撃が多ければ、それだけ致命的な一撃を受ける可能性も高まる。後回しにされたダメージで倒れていたら世話がない。
「あははっ、どうやらここまでみたいね! そのまま圧殺されちゃいな!」
 放たれる毒針を回避する櫂を、マローネははるか後ろから嘲笑う。特に苛立ちはない。そもそも最初から相手を選んで容赦するような、手際のよさは櫂にないからだ。敵は殺す。そう決めてここへ来ている。問題はどれだけ効率的に、かつ無慈悲に叩き潰すか……。

 その時だ。何かが床を蹴る音がした。
「え?」
 マローネはその者の動きの認識が遅れた。単純な疾さはある、だが最大の理由は、そいつがあまりにも無防備に群れに飛び込んだことが信じられなかったからだ。

 ――ぐしゃん!!
「おっと、これは……」
 凄まじい衝撃と轟音。櫂は、まるで巨大なハンマーを振り下ろしたかの如く、インビジブルクロークの一群を|叩き潰した《・・・・・》黒野・真人を見て、目を細める。
「ブッ潰してやる……って、こういうつもりで言ったわけじゃないんだけどな」
 黒一色。真人はなんでもないように立ち上がり、床に亀裂を作って突き刺さっていた|手斧《ハチェット》を担いだ。
「あれ? アンタも来てたんだ」
「気付くの遅いって」
 櫂は肩を竦め、ゆるやかに笑った。
「けどちょっと助かったぜ。借り1ってとこかな」
「別に、そーゆーつもりじゃなかったから、いいよ」
 真人はゆったりと浮遊するインビジブルクロークの群れに身体を向け、歩き出した。
「ムカつくんだよな、こういう自分が有利で、優れてて、好きなことやって当然だと思ってるヤツは」
「……!」
 マローネは安全圏へ撤退。その前にさらなるインビジブルクロークの群れが現れ、彼女を守る。何本もの毒針が真人を襲った!

「だから、叩き潰す。貴様らなんかに、オレを足止めできるかよ」
 毒針の全てを飛び越え、再びハチェットを力任せに振り下ろした真人が言った。壁のようなインビジブルクロークの群れに、縦の亀裂が生じた――轟音! 横からの触手をほとんど自動的な回避動作で躱し、真人の姿が消える。単なる同色の迷彩ではない、闇を纏ったことによる完全な潜伏。
「そろそろ俺も働いておかないとな!」
 攻撃目標を見失い混乱するインビジブルクロークに、櫂が挑む。既に拳を覆う炎は、篝火めいて高らかに燃えていた!
「60秒ぴったりだ――食らっとけ!」
 床に叩きつけた拳を中心に、炎の波が溢れた。
 消えざる魂の炎が、群がるインビジブルクロークを飲み込み、焦がし、焼き滅ぼす。跡形もない。あとに残るのは櫂と、空白――その一点、不自然な闇の塊があった。それが膨らみ、爆ぜ、中から真人が飛び出した。
「邪魔なんだよ」
 一閃。人間の頭蓋を破壊するため、通常の手斧よりも重量と鋭さを増した得物が、遠心力を乗せて振るわれた。ぶん、と見た目にそぐわぬ風鳴り、インビジブルクロークは巨大な獣の爪で引き裂かれたように真っ二つになり、消え去る。
「今日はクラゲサラダにでもしようかと思ってたんだが、食う?」
「……クラゲって、まさかこいつら?」
 櫂は頷いた。
「見た目通りの味だろうし、食えるだろ? 多分」
「多分って……腹壊しても知らねーぞ」
「なあに、|√ウォーゾーン《むこう》じゃ食い物は選んでやれねえから……よっ!」
 BLAMN! 銃弾が闇を貫いた。二人は並び、そして駆け出す。
「あいつがこのダンジョンの作り手ってやつみたいだ、このまま追い詰めて仕留めちまおう。じきに他の√能力者も来るはずだ」
「なんでもいい。ヒトだろうがインビジブルだろうが、敵は殺す」
 マローネは逃げようとした。だがもはや退路はない。奴は追い詰められたのだ。そして闘いの第二幕が開く!

第2章 ボス戦 『指名手配吸血鬼『マローネ・コール』』


『指名手配吸血鬼『マローネ・コール』』。
 相手を小馬鹿にしたような表情と態度とは裏腹に、慎重かつ堅実な手管を特徴とするこの邪悪な女は、密かにダンジョンの深層に身を潜めていた。

 だが√能力者の破竹の快進撃と徹底的な探索により、ついに袋小路へと追い詰められた形だ。こうなるとマローネは、次のモンスターをおびき寄せてけしかける暇などない。
「あなた達がここまでやるなんて思わなかった。でも、だからって甘く見ないでよね。
 アタシのことナメてるようなざこざこな√能力者なら、返り討ちにしちゃうんだから!」
 同胞を裏切り殺戮せしめた魔性は伊達ではない。
 ダンジョンの核となった本命を滅ぼす前に、ここで奴を叩き潰し後顧の憂いを断とう!
タマミ・ハチクロ
イィヴィ・ラプター
レミィ・カーニェーフェン
紅憐覇・ミクウェル

●一瞬の価値
「おいたが過ぎたね、|吸血鬼《クソガキ》」
 開口一番、|紅憐覇《くれは》・ミクウェルの大胆な挑発にマローネの眉がピクリと揺れた。
「……随分な言い草ね|人間《マンカインド》。たとえ√能力者だとしても、|吸血鬼《アタシ》と|定命の種族《モータル》とじゃ基礎の違いってものがあるんだけど」
「本気でそう思ってンなら、最初からてめえが出張ってくるってもんだろう?」
 道理である。マローネの言葉は慢心した傲れる吸血鬼の|典型例《テンプレート》そのものだ。

「――気を抜くんじゃないよ」
 にも関わらず、紅憐覇は|若者《ルーキー》たちへ警戒を促した。
「えっ!? 今のって、あいつがバキバキに調子乗ってる隙を突くとこじゃないんです!?」
 イィヴィ・ラプターは予想と異なる反応に、その意図が解らず大仰なまでに驚いた。
「|だからこそ《・・・・・》、でありましょうな」
 と、横からタマミ・ハチクロが補足する。
「相手は指名手配を受け、なお完全な滅びを逃れている√能力者。
 ……それは、単にAnkerに殺されていないというだけではない。
 さしずめ、いかにも"らしい"反応で油断を誘うというところでありましょうかな?」
 マローネの眉根に、見た目に相応しからぬ皺が寄る。タマミは聖職者めいて、だが少し猫らしく表情を和らげた。
「敵を嘗めてかかるほど、初心じゃないでありますよ。
 生憎|素人《レイマン》ではなく|雨使い《レインメーカー》でありますゆえ、期待していたなら申し訳ないであります」
「……そうね、アタシももう少し気をつけないとダメそうかしら」
 マローネの纏う空気が変質した。
「相手は天上界の遺産を持ち出した張本人です、連携して……」
「すげー!!」

「へ?」
 レミィ・カーニェーフェンは、ラプターの叫びに目が点になった。
「なんッ、かすっげープロフェッショナルゥ……な雰囲気出てますね!
 なるほどなー、そんな感じで統率すれば|地下小人《あいつら》ももう少し素直に……」
「……あのう、もしもし??」
 なにやらブツブツ一人で考え込み始めたイィヴィの肩を、ちょんちょんと叩くレミィ。マローネは表情を屈辱に歪め、紅憐覇は呆気に取られていたのが笑い始めた。
「アッハッハッハ! いいね。力みすぎないのは大事だよ」
「いやいや、私めちゃくちゃやる気ですからね!」
 ラプターはがばりと振り返り(後ろでレミィが「ひゃっ!」と驚いた)強く主張。
「だって指名手配犯ですよ? 金になるじゃねぇですか!!」
「懸賞金ってかかってるんでありますかな?」
 タマミは肝心要のマローネを見た。
「そこんとこ、どうなんであります? ほら、賞金首って掛けられた額で強さがわかるみたいなのが――」

 ――ごう!
「……ふざけるんじゃないわよ……!!」
 凄まじい殺気。濃密な血の臭いが空間を満たし、動脈血を思わせる|世界《レイヤ》に染まった向こうに、マローネの怒りの凝視がギラついた。
「おやおや、図星突かれてキレちまったかね」
「それはいけねぇですよ! というかあんた、"救い"にご興味は……」
「|小生《シスター》の前で宗教勧誘とはいい度胸でありますな」
「って、そんな話してる場合じゃないですよ!?」
 警戒を促す声を、真紅の血の雨が文字通り切り裂いた!


 だが、雨が彼女らに直接触れることはなかった。
「なんですって?」
 マローネは目を剥いた。四人の前に現れた集団が、肉の壁となって雨を防いだのである。BLAMNN――己の存在を主張するかの如く、とうに放たれていた一発の銃声が残響した。
「そうら、|老いぼれ《ロートル》ども! 出番だよ!
 若者どもの道ィ拓いてくたばれるんだ、上等だろうが!」

 然り。現れたのは、いずれも紅憐覇と同じく髪の色が抜け落ち、肌は弛んで深い皺を刻んだ老人たちだった。
「いいねぇ、年寄り冥利に尽きるぜ!」
 若き頃は豪傑で鳴らしたのであろう、背中の曲がった小さな老爺がフガフガと叫ぶ。
「あいたたた……こりゃほんとにお迎えきちゃうじゃないのよぉ」
 品の良い婦人服にパールのネックレスが特徴的な老いた婦人が、恐ろしく使い古された――しかし丁寧に手入れされたことが一目でわかる――|大盾《タワーシールド》で最前線に仁王立ちする。
「あ、あのお爺さん! お父さんのお話に出てきた……!?」
 中には、レミィが語り聞かされた叙事詩じみた逸話の当事者と思しき者もいた。
「なあに、全員ただのジジババさ」
 紅憐覇はニヤリと笑った。
「あたしも含めて、だがね――さあ、行くよ!」
 ガシュン! 冥道外骨格『十三仏』の関節部から圧縮空気を噴き出し、|爆発的加速《ロケットスタート》。老化によって凋落した身体能力を強引にブーストし、闇に溶け込もうとするマローネへ驚いかかる!
「疾い!?」
「教えてやるってんだよ、|銀の英雄譚《シルヴァリオ・ヒーローズ》ってやつを!」
 マローネはクロスガードし後ろへ跳んだ。ブラスト・ブルームに増設されたブースターが火を噴く! 槍めいてその質量を利用した殴打だ!
「く……ッ!」
「そらそら、若い|者《もん》がカッコよく決めちまいな!」
 ふさふさとした眉毛で目元が隠れた好々爺は、おそらく孫や近所の子供たちに「人のいいおじいさん」として親しまれ、そしていい意味で軽んじられているのだろう。人懐っこい笑みからそれがわかる。だが今の彼は、設置型機関砲をその場に突き刺し、対空砲火じみて弾幕をばらまく歴戦の砲撃手だ!

「……はい!」
 レミィは目を輝かせ、満面の笑みで頷いた。なおも降り注ぐ血の雨の中、銀色の先達たちが生み出した活路を、自らもハンターコートを羽織り駆ける!
「必要ならこれを! 少しは足しになると思いますので!」
「やったぁ儲けましたぁ!」
 ばさりと投げ渡された外套を掴み取り、イィヴィは目をキラキラさせ、そしてハッと我に返った。
「ってぇ、こんな喜んでる場合じゃねぇです! これじゃ|第一疾走者《わたし》の名折れじゃねぇですか!」
「ならば、小生|ら《・》がその疾走、援護するであります」
 タマミの背後、左右に広がったのは同型機たる少女人形たち――ではない。それはまるで、天使の翼を思わせる軽量型レイン端末だった!
「|同系統《レインメーカー》らしく、同じ土俵で勝負であります」
 逆向きの雨じみて、粒子収束弾幕が展開。血の雨は相殺され、桜色の霧となって渦を巻いた。それは些か早く、また花びらよりも細やかな桜の吹雪めいている。
「チッ……!」
 マローネは血霧を纏い、弾幕を躱す。雨は単なる攻撃にとどまらず、血霧を纏ったマローネを覆い隠す煙幕じみた広範囲の結界でもあるのだ。ゆえに、タマミの相殺は味方の前進を後押しするばかりか、マローネが自由に動き回れる領域を削り取ることにも繋がる。

「偉大なる我らが祖霊! 末の子たる|イィヴィ《わたし》をお救いください!」
 ハンター・コートをばさりと|軍旗《はた》のように翻し、雨を避けながら走る。ラプターの詠唱は、ダンジョンに轟く弾幕と雨音の中でも朗々と響いた。
「老いぼれどもが、邪魔よ!」
 対するマローネは驚くべきスピードで立ち回り、まず数の利を覆しにかかる。いかな英雄たちとて、老いさらばえた今では一撃を受けるのがせいぜい。マローネは長く伸びた赤い爪で無慈悲にとどめを刺そうとする、だが!
「裏切り者のてめえに! あたしらの絆を打ち破れるかよ!」
「させません――そこです!」
 銀と稲妻。二つの弾丸が同時に飛来した。紅憐覇とレミィによる|交叉射撃《クロスファイア》! マローネは仰向けに倒れた老人への追撃を諦め、垂直に跳びながら回転し、赤い爪によってそれらを切り裂く!
「鬱陶しい! 死になさいッ!」
 目指す先は――紅憐覇だ。だが!
「させないと言いましたよ!」
 BLAMN! マローネの意図しない角度から、二発目の弾丸が飛来!
「ぐっ!? 一体どこから……!」
 続けざまに三発目。つまり、今響いた銃声がこの三発目のものだったのだ。壁、天井、床、あるいはタワーシールドを利用した跳弾!
「やっぱり若いもんには敵わないねぇ!」
「ぐ……ッ!」
 ライフルの銃身による重い打撃を受け止め、桜色の飛沫を散らし滑るマローネ。その背後、回り込んだラプターが首元へ食らいつくように飛びかかった!
「んがぁああっ!」
「……見え見えよ、そんな不意打ち……!」
 然り。マローネはラプターの牙が食らいつくより先に、その爪で脇腹を裂いた。

 だが違うのだ。そもそもラプターは不意打ちなど狙ってはいない。全てはこの一撃……足を止め、己の息の根を止めようとする一発を誘い出そうとしていた!
「わかりますよ――|爪《それ》、|射程《リーチ》が短いもんな!」
 ラプターは両手足で腕を抱え込む。引き戻すことが出来ない。そして!
「口訣の続きです――出待ちしてた祖霊様、お願いしますよぉ!」
 ダンジョンが、否、大地が揺らいだ。敵味方を問わず、全員がぐらりとよろめくほどの衝撃が、ラプターとマローネを中心に広がったのである。
 それはすなわち、堕ちたる星をも返す|古き星の支配者《レプティリアン》たちの御業。√能力によって限定的に再現された太古の破滅の残滓!
「ガハ……ッ!」
 噴き出した血は強化のためでなく、マローネが自身の攻撃を返されたことで受けたダメージの証左だった。その隙を、仲間たちは見逃さない。
「主よ――」
 マローネは見た。己をめがけ降り注ぐ雨を。

 雨の如き|慈雨《ひかり》を。
「我らを、憐れみ給え」
「あああああああッ!!」
 聖光は文字通り身を灼く天敵だ。全身を杭で穿たれたような痛み、そして屈辱が悲鳴を上げさせた!
「吸血鬼の身には効くでありましょう? 強みが弱みに変じたでありますな」
「こ、のォ……!!」
 ならばせめてラプターを――いない? 彼女は光の加護で得た僅かな活力で後退していた。
「あー、いらねー意地張ったァ……」
 カウンターの一撃は、当然ラプターにもダメージを齎す。が、その表情は晴れやかだ。
「ま、私いつでもマジなんで。"救い"についても本気だったんですけどね」
「|銀の弾丸《あたしら》の手も、|聖光《すくい》の御手も拒むってんなら、ま――ろくな末路はねえわな」
 紅憐覇は葉巻を銜え、笑った。その先端を、幾重にも跳ねた雷鳴の魔弾が駆け抜け、火を灯す。ここから先は|新世代《われら》の番だと示すかのごとく。

 稲妻が、再びマローネを貫いた。
「あーー」
「あなたが壊そうとするかけがえのないものを守るために、私たちは絶対に諦めません!」
 レミィの眼差しは、鮮やかだった。それは今という瞬間を、すぐに過ぎゆく現在の重みと儚さと、輝きを知る者の眼差しだった。

山田・菜々
オリヴィア・ローゼンタール
八芭乃・ナナコ
萩高・瑠衣

●連撃の波濤
 ドウ! 空気を聖なる炎が焦がし、オリヴィア・ローゼンタールの身体を前へと押し出した。さながらジェットエンジンじみた轟音と加速。炎の爆発による推進力は凄まじく、一瞬にしてマローネの眼前へ。
「お灸を饐えます、これこのようにっ!!」
 岩の如き拳が奔った。が、マローネは長く伸びた赤い爪をマンゴーシュめいて巧みに使い、炎に触れず手首のあたりを弾くように攻撃をいなした。即座に反撃、白い首筋を狙い爪が斜めに危険だ!
(「私の三倍の強化と二倍の強化、数字だけなら有利のはずなのに――!」)
 オリヴィアは舌を巻いた。血族としての血の|希少性《レアリティ》か? 否、答えはもっと単純だ。それは踏み越えてきた場数と殺めた命、すなわち戦闘経験の違い。そして基礎的な身体能力差が、倍率の有利を埋めて余りある!

「こっちも遊んでもらうっすよ!」
 横合いから山田・菜々の拳打が|妨害《インターラプト》した。マローネは舌打ちし、オリヴィアの首を刎ねるはずだった爪で的確なコンビネーションを受け流す。するりと絡みつくように細い腕をグラップルした奈々は、そのまま柔術の要領でマローネを投げる。空中に赤い霧の残滓が踊り、指名手配吸血鬼はバレリーナめいて軽やかに着地した。双方ダメージなし!
「やりづらいわね……!」
「アンタのそのうにょうにょした√能力! あーしのバナナブレイカーでぶっ潰すぜぇ!」
 追撃をかけたのは八芭乃・ナナコ 。右手が黄金に輝き、まっすぐと突撃。だが掌で触れるよりもマローネの方が疾い!
「血よ、雨となり降り注ぎなさい!」
 鮮血の雨が|豪雨《スコール》と化した。一粒一粒がダイヤモンドカッターじみた切断能力を持つ範囲攻撃!
「うおおおおヤバイヤバイ!? あーしは|八芭乃《やばない》だけどこれはヤバイやつ!」
 ナナコは咄嗟に右掌を斜めに掲げた。降り注ぐ雨は触れた瞬間、バナナブレイカーの黄金の輝きで無力化される。太腿や左腕までは守ることは敵わない。物量の問題だ。

「……あなた一体、あのクラゲたちとどういう関係なの?」
 ただ独り、後方から攻め込むチャンスを窺う萩高・瑠衣が問いかけた。
「どうもこうも、コイツが黒幕なんだろ!? ……だよな?」
「わからないで殴りかかってたんですか!?
 ナナコに確認され、オリヴィアは逆に驚いた。
「私が知りたいのは目的よ。こんなダンジョンを|この世界《√EDEN》に生み出して、何がしたいの? 誰かに雇われたとか?」
「教えてあげなぁい。聞きたいならアタシのところまでくればいいのに」
 挑発的な笑みはすぐに警戒の表情に戻る。
「……なんて、見え透いた挑発じゃ乗ってこないでしょ?
 あなたたちやっぱり危険だわ。即席の連携でこれだけのコンビネーション……アタシがこうまで追い詰められてるんだもの」
 マローネの全身には、未だ修復の追いつかぬ傷。それは先遣の√能力者が与えた相当なダメージの証左だ。|人妖《ダンピール》であるオリヴィアは、特にその負傷の深さを見て取った。
「ええ、あなたの目的など、聞いたところでやることは変わりません。
 この場で徹底的に痛めつけ、今後このようなことをしないようわからせます」
「それとも指名手配から逃げるために、ダンジョンを隠れ蓑にしてたってとこっすかね? ま、おいらもなんでもいいっすけど」
 菜々はぷらぷらと振っていた拳を再び握りしめた。
「|√EDEN《こっち》への侵攻を見逃すつもりはないんで」
「……というわけだ! 覚悟しろよ悪党!!」
「あなた、さっき私以上に理解できてなかった割に堂々としてるわね……」
 瑠衣の呆れた視線にも、ナナコはめげない。JKギャルは細かいことは気にしないのだから。

 両者は間合いを開けて睨み合い、お互いに攻め込むチャンスを窺う。マローネの狙いは、切断の血雨を降らせることでの範囲攻撃、そしてその雨の中に血霧のオーラで紛れ、鋭い|不意打ち《アンブッシュ》で独りずつ沈めていく手だ。当然、四人はそれを読んでいる。ゆえに数の利を覆されることがないよう、お互いに死角を潰さねばならない。
「おっし! あーしが次こそ決めてやる!」
「ちょっと待つっす、作戦を……」
「うおおお行くぜ吸血鬼! あーしの必殺技ァ! 喰らえー!!」
 だがナナコが誰より先に突っ込んだ! JKギャルは細かいことを気にしないのだ!
「そうですね、あれこれ考えても仕方ありません! 諦めるまで殴って倒し続けます!」
「ちょっと!?」
 おまけにオリヴィアまで再びジェット推進力で突撃! 瑠衣はぽかんとし、菜々と顔を見合わせた。
「……あー、まあおいらもどっちかというと|直情的《あっち》タイプなんで、行ってくるっす」
「あなたたち、作戦はどうしたのよぉー!?」
 瑠衣は思わず叫んだ。しかし実際のところ、この決断力と向こう見ずともいえる猪突猛進さは、それゆえマローネの反撃を潰す良い方向の作用を生んだのだ。
「考えなしの小娘ども、次から次へと!」
 ナナコの右掌を躱し雨を降らせ隠密しようとしても、菜々とオリヴィアの交互に繰り出されるコンビネーションがそれを許さない。特にオリヴィアの聖なる炎は、それ自体が吸血鬼であるマローネの弱点であり、さらに直接的な攻撃力は先述の身体能力差を補って余りある。つまりマローネは、オリヴィアの攻撃を絶対に喰らうわけにはいかず、防御の比率を傾けざるを得ない。そこに手数とテクニックで勝る菜々がポジティブに噛み合っていた!
(「あんな猛スピードの応酬の中じゃ、私の詠唱錬成剣は振るだけ無駄ね。なら――」)
 瑠衣は篠笛を口元に当て、おもいきり息を吸った。ピリリリ――雨音にも負けぬ特殊周波数の音波が、血に濡れた空気を揺らす。
「ぐ、ッ!?」
 振動とはすなわち防御不可能の物理現象だ。|偽伝・鼓囃子《ツヅミウチモドキ》。耳を塞ごうとも全身に、そして魂にまで浸透する霊的な震動がマローネの動きをかき乱す!
「この、音……! 耳障り、ねッ!」
 マローネは強引に攻め手を突破し、演者を仕留めようと走った。だが!
「加速力なら、私が上です――受けなさいッ!!」
「……ッッ!!」
 ジェット加速で追いついたオリヴィアのボディブローが腹部に突き刺さる! アッパーカットじみて斜めに叩き浮かされたマローネは無防備だ!
(「ダメ、防御を固めないと……!」)
「あーしのこの手が|黄金《こがね》に輝く! バナナを喰らえと唸り……えーいとにかく喰らえバナナブレイカァー!!」
 SMAAAASH! ナナコの掌打! 凝縮されかけた霧のオーラが、爪が、そして切断の血雨が止んだ。
「√能力、が……!?」
「もらったっすよ!」
 拳のワン・ツー! 浮き状態を強制されたところへさらに膝! 絡め取り、山なりの放物線を描き――一本背負いじみて、床に脳天から叩きつけられた!
「ガハァッ!!」
「辛いでしょ? |特等席《かぶりつき》での私の演奏は」
 篠笛を構えた瑠衣は、不敵に微笑みさらなる震動を浴びせ余裕を奪っていく……!

久瀬・彰
ノーバディ・ノウズ

●虚々実々
「ホロウヘッドくんってさ、|なんでも《・・・・》着けられるんだよね?」
「あ?」
 久瀬・彰は、マローネを顎で示した。
「じゃあ、もし仮に彼女の頭とか着けたら――」
 ノーバディ・ノウズのヘルメットの表面に、呆れ顔のEMOJIが浮かんだ。彼自身も、両手を広げ、大げさに肩を竦める。
「おいおい、シリアスな話か? クゼ。エキセントリックなんてもんじゃねぇぜ。
 なら試してみるか? お前のメスで、あの嬢ちゃんの首をスパッと……」
「……ふうん、そんなことが出来るつもりなのかしら」
 目を細めた吸血鬼の強い殺意が、二人の軽口を止ませる。彰は敵と相棒とを二度見し、ブルブルと大きく首を横に振った。
「いやいやいや、冗談冗談。ていうか|切らせてくれない《・・・・・・・・》でしょ」
「おいマジか。切れるなら切るのかよ」
「冗談って言ってるよねぇ!?」
「じゃあ俺が美少女ヴァンパイアになるところでも」

 二人は左右に跳んだ。そして、上から見ると直角の左右対称なL字を描くように、後ろへ。降り注いだのは無数の雨。それは触れるだけであらゆるものを切断してしまう魔の血雨だった。
「アタシがシュレッダーみたいに切り裂いてあげるわ。そこの男の頭で試しなさい!」
「オイ、キレさせてんじゃねぇか!? 責任取れよクゼェ!」
「無理無理無理! っていうか、俺狙わないでほしいな!」
 当然、攻撃は彰に集中する。血の雨がメスを|飲み込む《・・・・》。誇張ではない。回避しながら苦し紛れに投げたメスは、血の雨に触れた瞬間バラバラになり、さらに残骸が微塵に砕け、そして粉々になって消えたのだ。まるで、雨そのものが刃物を喰らい、噛み砕いたかのようだった。
「うわ。マジかあ」
「死になさい!」
 当然、マローネは攻撃しながらノーバディに注意を払っている。見え透いた挑発と陽動。ノーバディは電池式榴弾を放ち、稲妻のドームを張って防御にした。
「さァて、おあつらえ向きのを借りるぜエンゾ!」
 バチバチと幽きアーク放電が衰滅していく。バシュン! とマガジンめいて排出された電池に替わり、ノーバディが|装填《セット》したのは!

「あれは!」
「おっとぉ、やっぱり俺、君と遊びたいかもしれないな」
 攻守が逆転。逃げ回っていたはずの彰が間合いに飛び込み、メスを振るう。マローネは致命的部位を狙った斬撃を回避せざるを得ない。これは同じ系統のユーベルコードだ。触れることそれ自体が無力化を生む。加えてその狙いは的確!
「ほんとにアタシの首を落とすつもり?」
「さあて、どうでしょう」
 黒刃が赤を切り裂く。マローネは|円舞曲《ワルツ》を踊るように、回転の中から爪を振るった。ざくりと彰の脇腹が裂ける。抉れたのはボディバッグ。なければ臓器を持っていかれていたかもしれない。
「ああ!? スペアが!」
 じゃらじゃらとこぼれ落ちたメスに混ざり、黒い水のようなものが飛沫を上げた。マローネは慎重で堅実であるがゆえに、得体の知れない影の魔力になんらかのトラップを警戒、飛び退る。そこへメスの投擲だ、動揺はフェイクか? とも限らぬ。本意の読めない難敵!

「待たせたなクゼ、それに嬢ちゃんもよぉ!」
 ゴッ! 十字架をかたどった鉄拳がマローネを襲った。少女吸血鬼は回転しながらの華麗なジャンプで直撃を回避。触れた髪が一房千切れ、灰化して赤い雨の中に解けていく。今や、ノーバディの頭部は神々しい白。目を閉じた大理石の天使像めいた形に変じ、拳や肩、肘、脚部にはいずれも十字のアクセントだ。
「どぉだい、イカした面構えだろ? |かくあれかし《エイメン》、ってな!」
「アタシを相手に、最適な姿に変わったってわけね」
「あ、あと頼むよホロウヘッドくん! 俺見ての通り仕事道具が……」
 後ろに回り込んだ彰は、ガチャガチャとメスをかき集める。持ち上げると、それらは数百年を経たかの如くボロボロに崩れ果てた。跡形もない。
「ああああ……これヤバイよねぇ、経費通るかなぁ……」
「ちなみに俺の場合はダメだったぜ。せっかくタダで煙草|喫《の》めると思ったのによォ……」
 ノーバディはボクサーめいて両拳を打ち付け、フットワークを刻んだ。
「君のは範囲が広すぎるんじゃないの? なんでもありでしょ。俺とは違うね」
「……よく言うわね、この男!」
「おっと、相手は俺だぜ美少女じゃん!」
 疾い! 大股で踏み込んだノーバディのストレート! マローネは驚きつつも身をかがめて躱す。腹部に爪の刺突――を繰り出そうとした瞬間、ざくりと二の腕が切り裂かれた。
「ぐっ!? こい、つ……!」
「懐に痛いからさぁ、手頃なところで倒れといてよ」
 彰のえみは軽薄だが、それはどこか昏く陰鬱。彼は雨を逃れるため後退した。
「おらおら、目ェ逸らせねえように派手なの行くぜ!」
「――!!」
 聖なる光を放つボディブローが、邪悪なる吸血鬼の身体に抉り込む!

アダン・ベルゼビュート
夜風・イナミ
駆魔・万化

●喜怒哀楽驚愕絶叫激憤燃焼
「え? アタシこんなモンスター招き入れたつもりないんだけど」
「…………」
 夜風・イナミはブルブルと大きな身体を震わせた。そう、彼女はモンスターではない、れっきとした√能力者、しかもなんなら冒険者である。つまりダンジョンに関しては専門家。間違っても門外漢のマローネにモンスター扱いされる謂れはない。

 ……だがいかんせん、見た目が見た目だ。でけえ牛の頭蓋骨被った2m級の|牛獣人《ミノタウロス》。見間違えるのもやむなしであろうか。
「ふん、何がモンスターだ。それがどうした」
 だがここで助け舟(?)を出したのが、アダン・ベルゼビュートだった。
「あ、あの、そもそも私モンスターじゃ……」
「この俺様は! かつて魔界にて魔蝿を統べていた覇王なるぞ!!」
 ドドン! アダンはカッコいいポーズ(片手の人差し指と中指をまっすぐ伸ばし、親指も伸ばし、三本の指でL字を描いて目を縁取るようにかざし無意味にもう片方の腕を伸ばす)をキメた!

 沈黙が訪れた。

「……え? 覇王……??」
 イナミは目が点になった。
「嘘でしょ、あなた何歳?」
「この|依代《からだ》は人の世においては成人なり……」
「えっつまり18歳ってこと? マ??」
 駆魔・万化は愕然とした顔でアダンをつまさきからてっぺんまで見た。
「キミ|18歳《それ》で|厨二病《それ》なの!? 大丈夫なの!?」
「否。俺様は覇王。何人たりともこの俺様を定義することは不可」
「いやこれは重度だわ~……逆に清清しいわねここまでくると」
 万化はマローネを見た。
「ねえ、こんな感じでバカやっちゃってる|人間《ヒトの子》見てたら、ちょっとワルぶっちゃうのとかくだらなく思えてこない?」
「否! 俺様は魔蝿を綜べりし覇」
「改心しときましょうよ~~~裏切りとかそういうの、まあ多分五世紀ぐらい殊勝に反省してればみんな忘れてぼんやり許してくれるって!」
「そんなざっくばらんでいいんです!?」
 イナミは思わず突っ込んだ!
「大丈夫よ|あの子《マローネ》可愛いもの! 美少女キャラはなんやかや絆されて許されるって|お決まり《テンプレ》じゃない?」
「そうかもしれませんけどそれが根拠の説得ってどうなんです!?」
「その通りだ! 俺様は美醜なぞでは心は動かされん! 覇王に立ちふさがる者に死あるのみ!」
「これ見ててメスガキぶるのとかちょっとキツくない? ね、どう?」
「俺様を説得の材料にするのはやめろ!!!!」
 マローネは大きく息を吸い込んだ。

「――ざっけんじゃないわよ、√能力者ども!!」
 ごうっ!! その身体から吹き出す旧き血族のオーラが、ふざけた雰囲気を消し飛ばした! 両手指から赤い爪が伸び、ギラギラと瞳を血に染めたマローネが、地を蹴る!
「あーっ!! ものすごく刺激されてるじゃないですかあの黒幕ー!!」
「ダメかあ……んじゃまあ仕方ないいけいけ覇おグワーッ!!」
 無茶振りしようとした万化がすれ違いざまに爪で切り裂かれ、血を螺旋状に撒き散らしながらきりもみ回転して吹っ飛んだ!
「やられてますー!?」
 驚きつつもイナミは石化の魔眼を放とうとした。だが、その姿は血の色のオーラに歪み、魔眼を屈折させて無力化してしまう。一瞬にして姿が消失!
「消え……」
「次はあなたよ! 死になさい!」
 虚空から声が響き、アダンに向け必殺の不意打ちが襲いかかった!

 その時、アダンを中心に――より正確には彼の影から――炎が噴き出した。
「覇王たる我が命令に従い、顕現せよ! |覇王の喝采《ベルゼビュート》!」
「……ッ!?」
 それは昏い黒炎。マローネの爪を阻み、退け、吹き飛ばしてなお余りある波濤だった!
「わーっ!? 何も見えません! 魔眼が!」
「だったら、あのうすらデカいモンスターから……!」
「だから私は! モンスターじゃ! ないです!!」
 跳梁する黒い狼の群れを爪で切り裂き、マローネは狙いをイナミに変えた。イナミは苛立った。体よく挑発され、翻弄されている自分の未熟に。そしてマローネに対して!
「止まってください――止まりなさい!!」
「!!」
 喉元をめがけ突き出そうとした爪が石化した。頭蓋の影、イナミの双眸がギラリと不穏に輝く!
「チ……!」
「逃がしませんよ!」
 マローネは血の雨を降らせ、オーラと二重に紛れることで魔眼から逃れようとする。その間に哄笑するアダンが、影の門より炎と狼の群れを次々と召喚!
「この……ふざけた奴らのくせに!」
 マローネはいつになく憤り、焦っていた。これまでの√能力者たちの熾烈な連携によるダメージは重く、追い詰められているがゆえに。

 だから、万化が密かに伏せていた罠にも気付くのが遅れた。
「其は千変自在極楽竜王、心霊亡霊妖魔妖異、神あるものも無きものも、人呼ぶその名をバケモンズ!」
「!?」
「|融《と》けて解《ほど》けて償いな! ってね!」
 万化が召喚したもの――それは、マローネの身体から生えた、無数の首だった。

「……は!?」
「うおー!! 出番だ出番だ!」
「祭りだ祭りだぁ!」
「ドゥフフwwww美少女メスガキ吸血鬼との融合wwwwたまりませぬぞwwww」
 首は鬼もいれば蛇もいる。お化け提灯にニキビの目立つ眼鏡の識者に一つ目入道……いやなんだこのラインナップは!
「何、こいつら……うる、うるさっ!?」
 ぎゃーぎゃーとやかましく思い思いに騒ぐ|千変竜王《バケモンズ》! 耳元で怒鳴られると気が散るどころではない!
「捉えました! そこですね!」
「しま――!」
 イナミの怒りに燃える双眸が、今度こそマローネの全身を射竦める。全方位に散っていた炎が、黒狼の群れが、そして影の鎖の三重攻撃が鎌首をもたげた!
「さあ、聴け! 我が喝采、影のしもべの|祝宴《カルネヴァレ》を!」
「やっちゃえやっちゃえー!」
「そのやかましい首もろとも焼き尽くしてくれる!」
「いけいけゴーゴえっ」
 ノリノリで煽っていた万化は二度見した。圧倒的な火力による焼却攻撃! 当然融合した首もどんどん燃えていく!
「「「ギャーッ!!」」」
「グワーッ!?」
「一緒に焼けてますー!!?」
 ついでに流れ火で万化も燃えた! 融けて解けて混ざっていたのはこっちらしい。

黒野・真人
櫂・エバークリア

●暗殺の流儀
 暗闇に火花が散る。そのたびに三つの影が位置を変え姿を変え、めくるめく|死の舞踏《ダンスマカブル》を踊った。その中心は常にマローネが立ち、そして黒野・真人と櫂・エバークリアが彼女を挟み込む。二対一の遊撃戦、尋常の戦況で見れば一方的有利によって瞬く間に片付く|はず《・・》の戦い。

「なるほど、こりゃ確かに……!」
 櫂は飄然と呟いた。その喉元を狙い爪が奔る。ギン。重い金属音が響いた。横の斬撃に対し縦に掲げた闇烏の銃身で防御したのである。火花がこめかみを伝う汗に煌めき、櫂は両足を踏みしめながらも大きく後退させられる。マローネは吹き飛ばされる櫂のスピードよりも僅かに疾く、必然的に体勢を整えるより先に二度目の攻撃が来た。遠距離戦に持ち込むことが出来ない!
「させるかよ」
 心臓を狙ったまっすぐな刺突は、直前で背後から振り下ろされた|手斧《ハチェット》を払う防御に変わり、櫂の命を救った。真人の冷然とした双眸が浮かぶ。それは闘争に対する一切の気後れがないがための凪。つまり己と敵の命を同じ場に置き、あらゆるリスクを受け入れた覚悟の表情だった。
「邪魔をしないで!」
 マローネは地を蹴った。闇を覆い沈み込んだ真人を、旧き血の暴威が強引に現世へ引きずり戻す。魔力の爪によって切り裂かれた闇は、しかし完全には消えなかった。

 今や真人自身が闇へと溶け込みつつあったからだ。
「インビジブル化……!」
「アイツがどれだけデキるか、まだあんま知らないけどさ」
 真人は目を細めた。
「目を離していい奴じゃ、ないと思うよ」

 銃声。マローネの頬すれすれを弾丸が掠めた。渦を巻いた髪が一房持っていかれ、闇に溶けゆく。当然ながら真人は回避動作すら取らない。そうなるように櫂が弾道を計算して撃ったのだから当然だ。
「避けるかよ。だがどうする、まだまだ狙うぜ」
 前門の虎、後門の狼。闇への同化を強める真人の姿は秒を追うごとに薄らぎ、マローネの眼でも追いきれなくなる。完全な隠密状態に入った奴の不意打ちは、防ぎきれるとは思えなかった。ならばこのまま攻撃を続けるか。櫂のプレッシャーがその判断を躊躇させる。奴に後ろを見せるのは下の下だと、戦闘者として積み重ねたマローネの経験が断言していた。
「やるわね、あなた達……!」
 マローネはリスクを嫌った。真人と櫂の違いは攻撃タイプの問題だ。ハチェットによる近接戦は、すなわち攻撃の瞬間必ず近づかれることを意味する。限界まで神経を研ぎ澄ませ常に意識を向けていれば、少なくとも致命打を重傷に抑えることは出来るはず。上手くいけばカウンターでの|逆致命打《ハイリターン》だ。であれば|遠距離《アウトレンジ》からの一方的な攻撃を封じるのがベター。ベストではないが選ばざるを得ない。マローネは真人を諦め櫂へ向け再び襲いかかった。

 ――ここまでの長く一瞬の複雑な逡巡、判断は、全て二人の暗殺者の掌の上だ。そして、誘導されていることをマローネも理解している……ことも、二人は把握している。尋常ならざる闘争に於いては、ともすれば恋人や家族よりも互いの思考が明瞭となるもの。√能力者の戦闘は無数の|分岐《ルート》の選択と強制、そして自ら分岐を生み出すようなものだ。文字通り生死を分ける一瞬が無限じみて連続で訪れる。まともな精神では耐えきれない。
「そうだぜ、俺と踊ってくれよお嬢さん」
 逆手に握った濡烏で手首を落とす爪を弾き、受け流す。マローネがしてみせたように、首を傾げるようにして鋭いキックを躱した。濡烏を脇下に滑り込ませれば腋窩動脈を断てるか。櫂はそれを敵の誘導と判断し後退。この判断は正解だ。マローネは空中で二段蹴りを繰り出し、背後からの真人の不意打ちを牽制。次の瞬間には、鎖骨を狙った弾丸を伏せて回避し再び追いすがる。櫂は闇鳥のストックを、頭部が来るであろう場所に置いて迎撃した。舌打ち。一歩手前で床を蹴り、直角に横移動して側面へ回り込もうとする。疾く的確な移動――だが!
「それは読めてるな」
「ッ!」
 今度こそ濡烏の刃が届いた。インビジブル化したのは真人だけではない。そして積み重ねた経験は、もちろん櫂にもある。華奢な身体を斜めに斬り捨てるつもりで放った逆袈裟は、浅い切り傷を生じるに留まった。あの踏み込みから一瞬で離脱に切り替えるか。指名手配を受けなおも√能力者として活動してきただけはある。

 だが二度目の銃弾は回避できない。くるりとバトンのように回転させての|狙わずの射撃《ファストドロー》。この距離なら、櫂はターゲットサイトを覗き込む必要すらなかった。弾丸はマローネの太腿を貫き、機動力を奪う。
「が、ァ……ッ!」
「おっと、失礼。隙だらけだったもんで」
 瞬間的な憤怒がマローネの眼を曇らせる。もっとも冷静に備えていたところで、そこに最初から待ち構えていた真人のハチェットを避けられるはずもなかったが。つまり|詰み《チェックメイト》に置かれた状態であり、ここに落とし込むまでの布石の連続をコンビネーションというのだ。
「ガラスキ!」
 霊剣術・神鳥閃が闇を白々と裂いた。マローネは血反吐を撒き散らし、呪われたその身体を灼く神霊の力に悶絶する。
「卑怯者、って文句は聞かねーとよ。オレたち、暗殺者だからさ」
 あくまでも|標的《ターゲット》を仕留めること。それだけが――それこそが、彼らの唯一絶対の目的だ。

躑躅原・戎吾

●最悪と最劣
「さて」
 軽くその場でジャンプし、コキコキと首を鳴らし、躑躅原・戎吾は言った。これから全力疾走を始める陸上ランナーのような、心地よい緊張感と適度なリラックス。最適な打撃を繰り出す準備は、とうに整っている。
「一応仕事なもんでな。そっちがどんな気分だろうと|これ《・・》はやらにゃならん」
「……投降勧告なら、御生憎様。無駄な労力よ」
「そう言うな。俺も面倒なのは理解してるさ」
 戎吾は苦笑めいて笑い、告げた。
「大人しく捕まるなら、いまなら|刑務所《ムショ》の臭い飯にふりかけぐらいは付く――かは断言出来ねえが、まあ働きかけはしてみるぜ。
 それが嫌なら、まあ、そういうこったな。俺としちゃ最悪と最劣どっちを選ぶ、ってなもんだが」
「どっちもお断り」
 人間であれば、√能力者だろうととうに仮初の死を迎えている傷……マローネは魔力で簡易処置し、荒い息のまま立ち上がった。ぼたぼたと足元に血だまりが生じた。
「あなたを殺して、逃げ出すわ。こんなくそったれのダンジョンからね」
「自分で手前勝手に生み出しといてよく言うぜ。"核"が泣いてんじゃねえか?」

 軽口は烈風のような踏み込みで吹き飛んだ。向こうからの凄まじい殺意が、戎吾の毛を逆立たせる。ミサイルじみた拳で頭部を粉砕される己を俯瞰的に幻視した。戎吾は薄く笑っていた。それはただのフェイントだ。本命は左爪での逆袈裟の斬撃か。そう来るように体勢を微調整して誘っていたとはいえ、狙い通りに動いてくれたことを戎吾は喜ぶ。

「ありがとよ」
 半歩、身体をズラし右手を伸ばした。爪はその表面を切り裂くに留まる。マローネの目が驚愕に歪んだ。
「グローブ、脱ぐ手間が省けたぜ」
 赤い血の霧が、少女めいた身体を覆う。しかしそれはすぐに霧散した。爪痕の刻まれた右掌が身体に触れ、√能力を否定していたからだ。マローネは即座に首へハイキック。触れるよりも先に左拳が脇腹に突き刺さる。
「……ッ!!」
「ようこそ俺の|射程内《リーチ》へ」
 二度目の拳。防御など許さない!
「臭い飯の代わりだ――飽きるまで食らっとけ!」
 拳打の乱れ打ち! 情け容赦のない鍛え上げた闘争の結晶は、獲物を狩り殺す獣の爪じみて幾度となくその身体を貫き、そして砕いた!

ララ・キルシュネーテ

●グラニテ
 ララ・キルシュネーテの笑みに、マローネは眉根を寄せた。これまでの戦闘によるダメージは重く、修復もこれ以上はままならない。次の一戦が、文字通り生死を分ける――重々承知の上だが、怪訝な表情を浮かべたのはそれが理由ではない。
「お前が、|オカワリ《・・・・》ね」
 ララは謳うように|ひとりごちた《・・・・・・》。それはマローネを前にし、投げかけられていたが、マローネと会話することを望んでいるようにはとても思えない――事実、その通りだ。ララにとっての戦闘とは食事と同義である。食材と朗らかに会話を交わす美食家が、世界の何処にいようか? 猿の脳を喰らう悪食とて、生きた猿に呼びかけはすまい。ララの言葉は全て|調味料《スパイス》に過ぎないのだ。
「綺麗なお羽、綺麗なお顔――ふふ」
 きゅう、と口の端が吊り上がった。
「とっても、気に入ったわ」
 マローネは生命活動維持に回していた全ての魔力を、この一瞬に注いだ。
 爆発的なエネルギーが噴き出し、彼女は驚くべき速度で跳んだ。

 少女が二人すれ違い、傷ついたのは一人だった。
「か……ッ!?」
「嗚呼、勿体ない」
 ララはカトラリーを伝う旧き血を、赤い舌で舐め取った。唇の端を血の滴が零れ落ちる――ちゅるりと、舌が下唇を湿らせた。笑みは深まる。
「もっとよ。丹念に斬って刻んで焼いて、混ぜて――」
 食材としては十二分。今の交錯は合格点だ。ララはそれ以上を望む。
「お前を、美味しい御馳走にしてあげる」
 血の雨が降る。今度はララが動く番だった。

 血の華が二輪、咲いた。大きなボタンイチゲが桜色のつぼみを芽吹かせ、花開いた。散りゆく花弁は降り注ぐ雨に貫かれ切り裂かれる。もう一輪はララが咲かせた赤い華。闇に沈み、潜み、加えた一手。
 ヂ、ヂ、ヂ。軋むような甲高い音が小刻みに続く。二刀流による連撃を、マローネが爪で弾きいなし受け流す。反撃はそれ以上のスピード。ララはうっとりと微睡みめいて瞼を伏せ、踊るように躱す。その姿が意識の外へと|潜伏《ミスディレクション》する。マローネは本能的に気配を読み、踵を繰り出した。花吹雪が距離感を錯誤させる。少女は後ろをすり抜けるように転がり、立ち、くるりとステップを刻んで逆の脇腹を切り裂いた。
「さぁ、さぁ、踊って頂戴な」
 少々海月に飽いたところへの口直しのグラニテ。ララは悲鳴を呑み、苦悶を舐り、絶望をたっぷりを啜った。愛でるような慰撫の斬撃。時折彼女自身にも傷が与えられ、その痛みをも陶然と嚥下し、返しの串刺し。カトラリーが臓器を貫く。はらわたは避け、甘やかな味を損なわぬよう。

「……化、け……もの、ね……あな、た」
 か細い吐息に呆れるような声が混じった。
「褒め言葉だわ」
 ララは微笑み、その命を欠片一つ粒一つ滴一つ遺さず平らげた。

第3章 ボス戦 『堕落騎士『ロード・マグナス』』


 城の頂点、王の間に当たる天守閣。窓の外には数を増すインビジブル・クロークの群れ。それはまもなく、ダンジョンの外へ影響をもたらす限界点の可視化でもある。
『オオ……』
 闇を凝らせたような人型。『堕落騎士』の二つ名で知られる|怪物《それ》は、人の身でありながらいくつものダンジョンを踏破し、当然のようにモンスターへ至ったモノだった。
 つまり、これからこの城を中心に人々を襲うであろう末路のモデルケースだ。
『我が剣は王のため……安寧を齎すために……』
 玉座など最初から此処にはない。この城は伽藍に過ぎず、堕落騎士は影法師めいたただの『核』だ。その言葉は洞窟に反響する風鳴りのような無意味な戯言。

 だがその力、荒れ狂う武威は本物である。
 核と成り果てたモンスターは止まることはない。
 城に踏み入れたモノを皆殺しにし、その後外へと溢れ征服を始めるまで、決して。
山田・菜々

●|拳《けん》と|剣《つるぎ》
 山田・菜々は会敵と同時に身を沈め、|全力疾走《スプリント》した。ぐんと全身がまったく同時に引き寄せられるような違和感。より正確には、周囲の空間そのものが引き寄せられている!
「接敵上等っすか、近づく手間が省けるっすね!」
 ごう! 刈り取るような下段薙ぎ払いをショートジャンプで回避し、空中回し蹴りを繰り出す。大木を蹴ったような錯覚が生じた。並の武芸者なら、反動で弾き飛ばされ隙を晒すところ、菜々は左手を床に突き立て次の攻撃へ繋ぐ!
「まだまだ!」
 頭部への逆さ蹴りはやはりノーダメージ。側転した次の瞬間、頭部のあった場所に剣が降った。凄まじい衝撃で床に亀裂が走る。堕落騎士の攻撃は一撃一撃が重く、疾い。だが攻撃間隔は雲泥の差だ。そこに菜々の付け入る隙がある。連打、連打、連打! やはりダメージを受けた気配すらないが、回避と攻撃の一体化したコンビネーションは止まらない! 止めれば死だ!

『我が探索に立ちはだかる者に、死を!』
 堕落騎士は両手で剣の柄を握りしめ、大きく振りかぶった。がら空きの胴体に左右のボディブローが突き刺さるが、むしろ拳を痛めかねない。菜々は後ろへおもいきり跳んだ。ブウン――KRAAASH! 大海を割るが如き振り下ろしが、剣風を吹き荒らす!
「それだけの技と力、きっと辿り着くまでにエモい|冒険譚《ストーリー》があったんだと思うっす、けど!」
 BLAMBLAMBLAM! 特殊圧縮銃を撃ちまくり、追撃を防ぐ。十字を描く横斬撃への移行が僅かに遅延。菜々は再び身を沈め走った。頭上すれすれを薙ぎ払う剣、だがその時彼女は拳の間合いだ。
「おいらにも守りたい大切なものが……あるんすよッ!!」
 体重を乗せたアッパーカットが、兜の下顎部分に命中!
『……!』
 蓄積したダメージが功を奏したか、堕落騎士の巨体がぐらりとのけぞった。苦し紛れの攻撃を受け流し、投げへ繋いだ菜々は、そのまま騎士を床に思い切り叩きつけた。重みに耐えきれず剣戟の亀裂が裂け目となり、粉塵が舞い上がる……!

アダン・ベルゼビュート

●覇王と騎士
 王なき玉座の前、瓦礫まみれの騎士が立ち上がる。携えるは剣、両足を支えるは忠義と矜持――生前の、モンスターとなる以前の英雄であれば、胸を張ったそう答えたはずだ。

 だが今の堕落した姿から感じられるのは、ただの虚無。侵入者への敵意が、底の抜けたバケツのように無意味に溢れ出すのみ。
「伽藍洞の城に、影法師の如き騎士――フ、似合いの組み合わせよな」
 アダン・ベルゼビュートはしかし、声と裏腹に笑わなかった。
「しかし俺様は、貴様に敬意を表そう。たとえ貴様が魔物であれ、その行いはまさに騎士に他ならん」
 瞳に昏い炎が燃えた。
「なにせ貴様は、この覇王たる俺様の前に立ちはだかる愚を冒したのだ。
 その蛮行、敬意と憤怒を以て応じなければ我が覇道も廃るというもの!」
 堕落騎士は無言で剣を構えた。その途端、息が詰まるほどの重圧がアダンを襲った。たとえ踏みとどまろうと、空間そのものに作用する引力に抗うことは出来ない!

 ゆえに、アダンは自ら前へ進んだ。無謀とも言える踏み込みに、首を刈る真っ直ぐな斬撃が応える。無痛の肉体だろうと死は不可避!
「傲るな、覇王の歩みなるぞ!」
 アダンは左腕に影を纏い、剣を受けた。影もろとも左腕が半ばまで断たれ、血が床を汚す。だがアダンは止まらぬ。さらに一歩踏み込み、右手を伸ばした。鎧に触れた瞬間、空間の軋みが止んだ。ルートブレイカーだ!
「この俺様に一撃を加えたこと、敵ながら褒めてやろう」
 堕落騎士は剣を引き、縦に振りかぶった。影が左腕を鎧い、傷口を強引に縫合して鋭い輪郭を象るほうが疾い。右腕で鎧を掴む姿勢は、左腕の一撃にそのまま繋がる。
「受けるがいい――我が尖影の一撃!」
 裂帛の気合いを籠め、影の篭手が鎧を砕いた。そして二度目の衝撃! 杭打機じみた炸裂が腹部を貫き、背中から影が突き出す。堕落騎士は剣を振り下ろした。

 ――ズン!!
「……覇王の前に立つのだ。そうこなくてはな」
 右肩を鎖骨ごと叩き割られ、アダンは血を吐き笑った。胴体を貫いた影が膨らみ、爆ぜ、三度の炸裂で堕落騎士を虚ろの玉座へ叩きつける!

夜風・イナミ

●目には目を
 √能力者はモンスター化に耐性を持つ……とはいえ、堕落と聞くと夜風・イナミは他人事ではいられない。何かと流されがちで影響されやすく、今しがた敵に翻弄されていたとくれば尚更だ。
「あなたも、目先の感情に流されてしまったんでしょうか」
 騎士は無言。大剣を担ぎ、気を練り上げる。土手っ腹の風穴が闇色の瘴気でかりそめに塞がり、さらに粘ついた呪いの炎に分かれ燃え上がる。人魂めいて騎士の周囲を漂う炎は、攻防に於いて手強い。

「……そっちが呪いの炎を使うなら、私だって……!」
 目には目を、呪詛には呪詛を。イナミは嫌々ながら着実に前へ、一歩ごとにその姿がおぞましい怪物へと変じていく。
「うらみ、はらさで、おくべきか……です!」
 単眼の骨兜の奥で双眸が妖しく輝いた。漂う炎がいくつか、空間に満ちるインビジブルもろともイナミへ吸い込まれていく。そのたびに毛皮を燃やす炎の勢いが強まるのだ。骨が軋み、足音が地響きを伴う。そして!
「行きます――!」
 ズン! 右蹄が床を砕き、次の瞬間膨らんだ巨体が霞む!

 城を揺るがすほどの踏み込みから繰り出した左蹄のサイドキックを、堕落騎士は回避しなかった。代わりに被弾箇所を呪いの炎が広がり覆う。反射攻撃だ!
「……ッ!!」
 スピードを乗せた蹴りの威力がイナミを襲った。だが倒れ……ない! 今も軋み膨らむ巨体の質量で強引に捩じ伏せる!
「痛いじゃないです、かぁっ!!」
 ごう! 斬撃をショルダータックルすることで被弾しつつも抑え込み、左蹄を地面に突き刺すように踏みしめる。右蹄が恐ろしい前蹴りを放った。さしもの堕落騎士も耐えきれず仰向けに倒れ込む!
「お返ししてあげます……! これが私の、怒りですよ!!」
 KRASH! 太釘が騎士の胸部に突き刺さった。堕落騎士は剣を引き、イナミの腹に突き刺す。イナミは防がなかった。その時彼女は両手を握りしめ、振り上げている。そして、雄牛の如き雄叫びを上げハンマーパンチを振り下ろした!
「ああああああッ!!」
 ゴッ、ゴッ!! 釘の平頭を叩く、叩く、叩く! 鎧を砕き貫通する釘! 玉座の間がひび割れ悲鳴を上げていた!

駆魔・万化

●幾度も、幾度でも
 √能力者は死に見放された者、終わりなき欠落の迷い子。冒険者としての成功を半ば約束される祝福によって、モンスターに成り果てることは避けられど、代わりと言うにはあまりにも重すぎる制約が伴う。
「そう。あなたは|でない《・・・》のに歩んで歩んで、そこへ辿り着いたのね。
 此処へ行き着き、こう成り果てたのね。只人でありながら英雄たらんとした騎士よ」
 駆魔・万化の瞳に万色の感情が去来した。
 無情、無念、虚無感。感服、憧憬、羨望――ありとあらゆる感情が濁流のように溢れ、通り過ぎ、最後には晴れやかな夕暮れ空のような赤茶色。
「いいでしょう。私がこう思うのは初めてではないし、最後でもない。
 たとえ無力で無意味で無謀だとしても――いいえ、だからこそ、かしら」
 万化は剣を構えた。駆魔の剣、千を超え万を結び億へと挑む、絆と因果と枷の剣を。それは彼女という一人の存在の本質そのものだった。
「いざや示そう万化の銘に負いし義理! 借りて騙りて駆りて狩る、その真髄魅せてあげるわ!」
 講談が如く口上を叫べば、巨躯が怒涛となって攻めかけた!

 敵の斬撃は横。胴体を上下に分かつ破滅の剣、それはさながら夜明けの如し。刃は呪いの炎を纏って燃え上がり、触れるだけでも敵対者を焼き滅ぼすと見えた。
「憑依降臨、滝霊王の御業よ在らん!」
 対する万化は縦。破邪顕正の霊験あらたかなる力を牙狼霊剣に宿し、真正面から切り結ぶ。ごきん、と世界が軋むような音がした。衝撃は音に遅れて全身を叩き、骨という骨をミシミシと震わせる。体格差は圧倒的、まともな打ち合いは無謀でしかなかった。万化は勢いそのまま吹き飛び、そして続く踏み込みからの袈裟懸けを空中で受け真っ二つの残骸と化す。

「――と、思ったことでしょうね!」
 だが、そうはならなかった。
 立っている。万化は強烈な剣戟のエネルギーを受け止め、逃がしも防ぎも躱しもせず、その上で立ち、耐えた。むしろ二度目に先んじたのは彼女のほうだ!
「しぇええいッ!!」
 澱んだ瘴気を払う清廉な怪鳥の気合いが迸った。縦にぐるりと一回転し、飛び込んでの斬り伏せ。呪いの炎が盾めいて広がり刃を受け、その力を反射する。ぞぶり、と異形の剣で跳ね返された傷が万化を抉った。彼女は退かなかった。
「まだまだァッ!」
 さらに三度目。堕落騎士は逆手に握った剣の峰で、防御を捨てた斬撃を受け止める。大鐘を割れんばかりに叩いたような轟音が空気を震わせ、新たな傷。双方ともにだ。さらに一合、一合、一合――撃つ、撃つ、撃ち込む! 常に万化が先んじる。技量や能力ではない、意気だ。この瞬間に己の全てを載せ、そして敵の全てを受け止めるという、捨て鉢とも言える意気で勝るのだ!
「あなたの全てを憶えていてあげる。だから、私の一撃、受けなさい」
 構えるは駆魔流表技、祈るように上体を伏せ断頭の一撃を潜る。剣技に向かぬ姿勢から繰り出されるのは、沈みながらの回転によって成り立つ下段の切り払いだ。
「神足――祓討ッ!!」
 360度の回転は平行ではなく、捻れた螺旋を描く。下から上、スプリングのように跳ね上がる剣は、それゆえに尋常な防御を掻い潜る。まさしく滝を昇る龍の如し――入った! 捨て身の剣が呪いの炎を吹き飛ばす!

タマミ・ハチクロ

●礎となるもの
 戦争は科学文明の進歩と密接に関係する。
 木の枝を尖らせれば槍となり、石を括り付ければ斧となる。ただの石はやがて黒曜石に取って代わられて、青銅を経て鉄器が生まれた。
 飛び道具も然りだ。石を手で投げるより振り回した方が殺傷力が高いことを知ったかつての誰かは、スリングを作った。やがて矢が生まれ、鏃もまた金属化し、長い時を経て銃というブレイクスルーが誕生した。

 銃とはタマミ・ハチクロそのものである。彼女は聖職者だが、|槌矛《メイス》の欺瞞には甘んじない。鉄火を以て敵を殺す。そして銃の出現したことで鎧は意味をなさなくなり、泥沼の塹壕戦へと流れていく。
 厳密に言えば、鎧は銃に対して無力|ではない《・・・・》。むしろ重厚な|全身板鎧《フルプレート》は、その厚みで銃弾を弾いてしまう。廃れた理由は騎兵戦での不利が最たるものだが、ならば此度は如何に。

 BLAMN! 銃声、直後、甲高い破砕恩。銃弾は鎧の関節部に狙い過たず命中したが、弾かれた。完全なる融合による弱点の克服。
「やはり|隙間狙い《これ》は却下でありますな」
 タマミはタックルめいた低姿勢でスプリントした。直後、頭上スレスレを死神の鎌じみた剣戟が右から左へ。その時彼女は白兵戦距離だ。驚くべき加速! その理由は床に足型を生じるほどの限界を超えた脚力である!
「しッ!」
 割れ鐘のような轟音が響いた。小柄な体躯からは想像も出来ない回し蹴りが、堕落騎士の脇腹にめり込んだのだ。巨体がぐらりと傾ぐ。大上段からの真っ直ぐな振り下ろし――KRASH! タマミは無傷。軸足ふくらはぎの筋力のみで横方向へ跳んでいた。BLAMN! 貫通弾がこめかみに命中、しかし弾かれるに留まる。床材をチーズめいて削ぎながら逆袈裟の斬撃が迫った。タマミはショートジャンプで刃を飛び越え、交錯の瞬間刀身を蹴る。迫撃砲じみた膝が兜をべこりとへこませた!

「音に聞こえし英雄騎士、噂に違わぬ戦いぶりでありますな!」
 反動で宙返りを打ったタマミの背に、|天使の光翼《フェザーレイン》。羽ばたき散った翼が無数の光芒の雨と変わる。膝の衝撃でのけぞったところへの面制圧攻撃に、さしもの騎士もたたらを踏んだ。KRASH! 床を砕き己を砲弾に見立てた飛び蹴りが胸部に命中! 騎士の巨体が地面から浮いた! タマミは追わず、貫通弾を3点バースト射撃。銃弾同時に両断された。空中で異形の斬撃を放った騎士は、床を砕きながら減速。そこへ時間差を置いたタマミが這うような姿勢で滑り込み、垂直に顎を蹴り上げる。これは読まれていた。剣を盾代わりに防御。剛腕がタマミの左胸郭を抉る。
「――ッ!!」
 |最悪の事態《一撃絶命》は辛うじて避けた。本来なら心臓もろとも、左肩近辺が砕け散っていたはず。肋骨数本が粉砕し、胃・膵臓・腸を榴弾じみて貫いた。致命傷だ。

 だがまだ動くことは出来る。
「ごぶ、ふッ」
 赤黒い血反吐を噴いた口元には笑み。被弾を引き換えに、タマミは騎士に取り付いていた。右こめかみの命中箇所に銃口を押し当てる。BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM!! AP弾の濁流が左こめかみから飛び出す。左腕がタマミの首根っこを掴み引き剥がそうとした。彼女はそれより一瞬早く、顔面をストンプ!
「主の、御心によりて――!」
 飛び離れた彼女の代わりに、無数のレーザー弾幕が騎士を貫いた。並のモンスターであれば五度死んでいる攻勢を、騎士は三度で耐えている。その膝は地面に突くことなく、湧き上がる証拠がスイスチーズめいた全身の負傷を塞いでいった。
「……さて、あと何度殺せそうでありますかな」
 タマミは負傷程度を計る。左胸郭の挫滅は重い。負荷限界を超えた両足の筋繊維が裂け、ブーツは血染めの赤い靴と化している。血溜まりが見る間に広がっていった。
 死への恐れはなかった。タマミの思考は、己という道具が壊れるまでに出しうる最大のポテンシャルを冷静に計算する。
 タマミ・ハチクロは銃である。戦争の輪廻の果てに産み落とされた、敵を殺すために鍛造された銃弾そのものだ。

イィヴィ・ラプター
八芭乃・ナナコ
ララ・キルシュネーテ

●祝福と救いと……
「お宝! おーたからー! 王の宝で略してお宝ァーッ!!」
 イィヴィ・ラプターは駆けずり回り、虚ろな玉座の周りをバターになるまでクルクル周り、壁を這い上がり、天井にしがみつき、べしゃりと落下した。
「ない!?」
 なかった。残念ながら隠し扉や落とし戸も、魔法の呪文で出てくる秘密の宝箱もなさそうだった。
「でも城なんだから宝がないとおかし――あでッ!」
 しがみついていた天井の一部が落下し、こつんと頭に当たった。

 跳ねた破片が転がり、瘴気を伴い『出現』した騎士のつま先に当たった。
「どォわッ!?」
『……オオオ……世界に、平和を……聖剣を以て……』
 死闘に次ぐ死闘で繰り返し死に、そして即座に蘇生した堕落騎士である。イィヴィは白い髪を逆立てて威嚇した。
「ちょっとお前! お宝どこです!?」
『……聖剣こそが救い……』
「えっなんか全然話通じなくね??」
 堕落騎士は剣を担いだ。横薙ぎ斬撃がイィヴィの首を狙い、閃いた!

 否、訂正が必要だ。閃こうとした、その時である!
「バァナナキィーック!」
 SMAAASH! 背中に突き刺さる飛び蹴り! 反動で跳ね空中きりもみ回転し、両者の間に着地したのは八芭乃・ナナコだった!
「バナナ!? 今のどのへんがバナナなんです!?」
「いいか、バナナってのは心意気なんだ!」
「何もわかんねーけどすげー自信です! あとこっちも会話通じねえ!」
 ナナコは踏みとどまる堕落騎士を睨んだ。
「この野郎、世界観が違いすぎんだよ! 確かにダンジョン潜ってっとモンスターになるって話だけどなぁ!」
「えっ!? そうなんスか!?」
「知らないのかよ! 基礎知識だろ!? あーしでも知ってるぞ!」
 ぽつぽつと、堕落騎士の身体から瘴気が分かれた。鬼火めいた呪いの炎が一つずつ燃え上がる。

「いいじゃない、なんでも。立派で威厳があって、そして――」
 しゃなりと妖しい足取りで、ララ・キルシュネーテが現れた。
「食べ応えもありそうだわ。正体なんて、なんでもいいの」
「おい、こんな奴食べる気か!? やめとけ、バナナを食えバナナを!」
「デザートは後で頂くわ。ララは|主菜《ヴィアンド》を食べに来たの」
「奇跡的に会話通じてんのすげーですね!」
 キン、キン――カトラリーを鳴らし、舌なめずり。
「それにね、清廉であるより三毒の淵に沈んだ方が……ふふ」
 貪・瞋・痴。今の堕落騎士は全ての煩悩を満たしていよう。
 毒のあるものは不思議と美味だ。中には毒こそが美味という悪食もいる。ララは美食家で、悪食でもあった。つまり御馳走だ。
「聞いてたわ。王、王って。そんなものいないのにね?」
「やっぱですかァ……」
「ただの、言い訳なのよ。これの、殺戮の理由付け」
 だから愉快で好き――少女の唇が紡いだ。

 もはやモンスターに成り果てた騎士に、不服や苛立ちという感情があるかは怪しい。単に偶然、タイミングが重なっただけかもしれない。
 だがその瞬間、彫像めいて不動だった騎士は動いた。ララの挑発に痺れを切らしたかの如く。
「ぅおッとォ!?」
「あっぶねェ!」
 前後をほぼ同時に薙ぎ払う回転斬撃を、イィヴィは蜥蜴めいて跳ね、ナナコはしゃがんで躱した。ララは滑るように走っていた。呪いの炎がぶわりと広がり、投網めいて彼女を飲み込もうとした。
「生意気ね。食材の分際で、ララを食べてしまおうなんて」
 銀光がバツ字を描く。四つに切断された炎の残滓を、ララから生じた炎が食らった。桜禍の迦楼羅炎。堕落騎士は大剣を斜めに構え、腹を狙った二連撃を防ぐ。重い衝撃が、巨体を後退させる。

「そろそろ私らも征きますよォ! 来いやァ、|ともがら《ラプター》ども!」
 ダン! イィヴィは床を踏みつけた。それは地の底まで届く呼びかけ。地殻を土を床を壁を超え、飛び出す14の影!
「来タ来タ来タァ!」
「出番! |地底小人《グレムリン》ドモニハイイ顔サセネェー!」
「猿ドモニモイイ顔サセネェー!」
 蜥蜴人間じみた豪傑どもが叫んだ。彼らは思い思いに飛びかかろうとした。

「私の言葉を聞けェ!!」
 有無を言わさぬ|咆哮《こえ》が、ともがらを魂で従えた。老いらくの冒険者を参考に、即興で挑んだ統率。イィヴィは莞爾と笑った。
「さあ、行きますよ迷い子! 私らがお前の"救い"です!」
 堕落騎士はララとナナコに挟撃され、互角に立ち回る。そこへイィヴィ率いる14体が加われば、明らかな不利だ。ゆえに空間を歪ませる力で、まずこの14体をなます斬りにしようとした。
「全員! 突ォ撃ィッ!!」
「「「ARRRGH!」」」
 怒涛! 待ち構える斬撃をするりと躱し、15の牙と爪が一箇所に集まり間髪入れず連打! 胸部鎧が砕け、瘴気が噴き出す!
「おっしゃあ! あーしの力見せてやる!」
 ナナコの全身をバナナ色のオーラが包んだ。ソードブレイザーが形を変える。完熟したバナナの皮を剥いたような巨大剣だ。
「フレッシュバナナセイバー! 喰らえやァーッ!」
 刃はまっすぐ胸部の穴に突き刺さった。
「うおおおおりゃああああッ!!」
 有り余るパワーで、ナナコは堕落騎士を押し、壁に縫い留める。フレッシュバナナセイバーを引き抜き、身体を蹴って離れた。爆発!
「悪は滅びた! あーしの勝ち!」
 ヒーローは爆発を背景に大見得を切った。

 バナナ色の爆発の中から、呪いの炎の礫が放たれた!
「――とは、いかないみたいね」
 それはララの迦楼羅焔が焼き尽くす。背中を守った少女は笑い、遅れて飛び出した堕落騎士の剣戟を二刀で受ける。
「ってぇ!? オイ、即リポップは卑怯じゃねえの!?」
「血迷って冥途にも迷っちまってやがりますからね、徹底的に送ってやるしかねーですよ!」
「「「ARRRGH!」」」
 銀災が鎧を食い破り、再び退ける。7体のラプターが飛びかかり斬撃を押し留めた。ララは小柄を生かして懐へ潜り、窕で追撃。亀裂を生じる。炎が呪いを飲み込み、雪崩を打った!
「美味しいわ、お前の生命。もっともっと頂戴――」
「私も! 宝が欲しかったんスよこの野郎ォォ!!」
 ゴウ! 上段横薙ぎ不発! 迦楼羅焔で閉じないよう広げられた亀裂に、イィヴィは世界の歪みそのものを「ねじ込んだ」――炸裂! 堕落騎士の身体が上下に千切れ飛んだ。

「で、また復活! だろ!?」
 ナナコの読みは当たった。即時蘇生は上半身側。彼女は既にさらに高く跳んでいる。
「新フォーム披露回おなじみの必殺技の大盤振る舞い! いっくぜぇ!!」
 正義のバナナフラッシュが、即座に三度目の死を与える。倒れた下半身が呪いの焔に包まれ、立ち上がり、炎が消えた。
「こいつ、蘇生も上手いこと利用してやがりますねぇ! つーわけで順番に攻撃して足止めェ!」
「「「ARRRRGH!」」」
 14体のラプターは一度に全員ではなく、一、二体ずつの連続攻撃を矢継ぎ早に見舞う。堕落騎士の動きが鈍る。一発一発は無理やり攻撃出来る程度のものだ。だが、その無理は確実にナナコかララに必殺のチャンスを与える。
「本当に強いのね。ララ、お前が欲しいわ」
 防御に専念しても迦楼羅焔が全身を覆う。装甲を貫通する強化された斬撃はそれ自体が脅威。
「お前の呪いを塗り替えてあげましょう。祝福された最期のために」
「そんでもって私らが救ってやります。何百度蘇ろうが、我らはしぶてーし諦めませんのでねェ!」
「つまり……バナナこそが祝福された救世主ってことだな!?」
 ナナコが総括した。
「デザートは後で頂くと言ったでしょう?」
「そろそろ私も腹減ってきたんで勘弁してくんねーですか!?」
 イィヴィの悲鳴は一番真に迫っていた。

萩高・瑠衣
オリヴィア・ローゼンタール

●静と動、柔と剛
 オリヴィア・ローゼンタールは空間全体を引き寄せられる奇妙な感覚に戸惑った。自分は触られた気配が一切ないのに身体が動く。並の戦闘者なら一瞬の戸惑いが致命的な隙となる。
「好都合です! 受けよこの爆炎!」
 オリヴィアは違う。一流だ。逆に利用して剣戟を躱し、懐に潜り込んで顎を狙いアッパーカットを繰り出した。燃える拳が命中し、炸裂! 爆発が巨体をロケット噴射じみたスピードで空中へ!
「逃すかッ!!」
 オリヴィアは垂直にジャンプし、聖なる焔を纏う拳を叩きつける。堕落騎士は瘴気纏う剣を盾のように斜めに構え、防御。再び爆発が大きく敵を弾いた。堕落騎士は床に剣を突き立て、爆発を生じながら強引に減速する。

「貰ったわ」
 声は背後。しゃりん、と澄み渡る音が間隙を裂いた。
 密かに背後へ回り込んでいた萩高・瑠衣が、がら空きの背中を非実体の刃で斬り伏せる。爆裂状態と化した床は瑠衣の行動をも阻害してしまうが、オリヴィアの猛攻に注意が逸れた今ならデメリットを差し引いても十分に決められるのだ!
「おおおおおッ!!」
 鎧と融合しようと、物質に依存しない斬撃は防げない。背中のダメージに構えが崩れたところへ、正面のオリヴィアが到達。顔面にジャンプパンチ――命中! KBAM! 堕落騎士の肩から上が爆ぜて消し飛んだ。

「離れないと……!」
「いいえ、私は離れません」
「えっ!?」
 蘇生に備え急いで離脱した瑠衣は、仁王立ちするオリヴィアに驚いた。瘴気が欠損部位を補い蘇生。全周囲斬撃を繰り出そうとしたところにハンマーパンチだ! 堕落騎士の右肩が破壊される!
「貴様の相手は私だ!」
 オリヴィアは叫び、肩越しに瑠衣を見た。つまり、自らお取りを買って出るつもりなのだ。並大抵の根性で出来ることではない。
(「もし私があんな攻撃を食らったら、とても無事ではすまない。ここは任せるしかないわね」)
 マローネと違い、敵は対話の余地が一切ない。挑発や口八丁で隙を作るプランは放棄せざるを得なかった。自分に出来ることは、オリヴィアが斃れる前にできるだけ多くの斬撃を叩き込むだけだ。

 しかし、堕落騎士とてかつては英雄と呼ばれた冒険者である。
 気配を消し不意打ちを狙う瑠衣は、常に自分に放射される禍々しい殺意に晒された。間合いに踏み込めば最後、オリヴィアの攻撃を受けてでも一撃で叩き斬られるという確信があった。
「弾ける炎よ! 未だ救われぬ亡者に安息の眠りを!」
 凄まじい撃ち合いだった。爆裂する拳と剣戟がぶつかるたび、どちらもダメージを受け血飛沫が舞う。長く耐えられるわけがない。そして、チャンスが何度も巡ってくるとは思えない。次のチャンスに、確実に大ダメージを与えねば――。
(「……私も少しは博奕に挑まないとダメそうね」)
 戦いにはリズムがある。オリヴィアの鬨の声、剣戟の風鳴り、爆発する炎の火の粉、轟音……無数の音から、戦いのメロディを感じ取る。そこに己の意思を組み込み、必殺の一撃へと繋げるのだ。
「はぁあああ!!」
 オリヴィアは右拳に聖なる炎を集め、捨て身のジャンプパンチを繰り出した。堕落騎士は胴体を両断する危険な横薙ぎを構える――ここだ!

 KBAM! KBAM! 床のあちこちが爆発し、瑠衣の姿を隠す。上体を捻った大振りな斬撃は、後ろから近づく瑠衣をも巻き込み同時に抹殺出来るかもしれない。しかし斬撃の直前には一瞬の隙がある。練り上げた威力ゆえの埋めがたい一瞬だ。
「こんな博奕を打つ真似、これっきりにしたいものね――!」
 瑠衣はオリヴィアが隙を作ってくれるのを待つのではなく、オリヴィアのために隙を作った。非実体の刃が、深々と巨体に突き刺さった。放たれる寸前で、斬撃の構えが崩れた!
「もらったァ!!」
 KA-BOOOOM! 全力を籠めた爆炎拳が、再び堕落騎士の上半身を爆ぜ消した!

ノーバディ・ノウズ
久瀬・彰

●独孤の英雄と、戮力協心
「オラァッ!!」
 破魔の力を宿すノーバディ・ノウズの拳が、銅鑼を思わせる音を鳴らした。やや|大振り《テレフォン》だが重い一撃を胸部に受け、堕落騎士が一歩退く。
「あ」
 久瀬・彰が呻き、頭を抱えてしゃがみこんだ。

 ――KRAAAASH!
「がッ!!」
 頭上をノーバディが通過し、壁に叩きつけられた。彰は敵と後ろのノーバディを見やりつつ腰を上げる。
「うっわ、痛そうだねえ。生きてる?」
「おいクゼェ……こういうのは身を挺して受け止めたりするとこじゃねェのかよ……!」
「やめてよお、そんなの俺らしくないでしょ」
 ノーバディはロザリオ頭を左右に振り、瓦礫の中から立ち上がる。堕落騎士の痛烈なカウンターで砲弾じみて吹き飛ばされた形だ。
「っぱダメだな、この頭じゃ大したダメージが出せねえ」
「おまけに切り込むのはちょっと覚悟が要るね」
「ああ、俺がいま見本になったみてーにな!」
 堕落騎士は大剣を担ぎ、一歩踏み出した。それだけで、見えない巨大な城壁がせり出したような錯覚を与える。
「次はテメェが行くか? ケツ蹴ってサポートしてやるよ」
「いやあ、勘弁かな」
「仕方ねえ、代わりにこのあとの飲みは奢りな!」
 ノーバディが最終ラウンドに挑むボクサーめいて拳を鳴らし、前へ。
「それなら明日の救急当直のシフトと財布の持ち合わせ確かめさせて??」
「細かいこと言うんじゃねえよ、行くぜッ!」
「ちょっと――」
 彰は頭を振り、ノーバディに続いて駆け出した。

『聖剣の力はここに。王を脅かす者は全て打ち払う』
 寂々とした声。堕落騎士の全身から立ち上る瘴気のオーラが鳴りを潜めた。ノーバディは敵の巨体に凝縮される凄まじい力の密度を感じる。直後、彼は空間ごと敵に向け引き寄せられた。
「さっきみてぇには行かねぇぞ、やってみやがれ!!」
 堕落騎士はほとんど自動的に斬撃を繰り出した。KRASH! 左拳が砕ける。敵は既に剣を振り上げ、両手で構えていた!
「おォ――ゥラァッ!!」
 KRAAAASH! 大上段の振り下ろし! 両足を踏みしめロザリオ頭で受け止めたノーバディは、頭が砕け散った。敵は三度目の斬撃の構えだ。もはや防ぐ方法がない。

「っと、それはちょっと困るんだよね」
 堕落騎士の脇腹。彰の影の刃が刺さっていた。ノーバディの背後に隠れて近づき、死角に潜り込んでいたのだ。残念ながら影は鎧の隙間に潜り込むことが出来ず、砕け散る。完全なる融合により、関節部の弱点を克服しているからだ。

『玉座を転げ回る鼠に死を!』
「ひどいなあ。俺はお医者さんなんだけどね」
 ゴウ! 床を削り取る低空斬撃! 彰は垂直に飛び回避していた。
「ま、今はメスの代わりにこいつを使わせてもらうけど!」
 振り下ろしたのは霊力で作り出した鎌だ。体重を乗せた刃が、鎖骨付近に突き刺さる。それ自体のダメージは致命的と言い難いが、結果的に敵の攻撃をさらに押し留めた。
「これでグラス一杯ぐらいにまからない? ホロウヘッドくん」
「考えといてやるよ、クゼ!」
 堕落騎士は顔を上げ、見た。己の鏡像めいたノーバディを。
「さっきの引き寄せは奇妙な体験だったぜ、テメェも味わってみろや!」
 ただ一度きりの模倣能力。ノーバディはさんざん苦しめられた斬撃をもコピーし、空間引き寄せ能力で敵の姿勢を崩す。そして、力任せの振り下ろしが命中! KRAAASH! 霊力の鎌とクロスするように叩き込まれた一撃で、堕落騎士の身体は袈裟懸けに裂けた!
「とりあえず呑みは確定でいいよなぁ!」
「だから当直のシフト確認しとかないとさ――あ、空いてる」
 二人は飛び退り、抜け目なく言葉を交わしていた。

躑躅原・戎吾
レミィ・カーニェーフェン
紅憐覇・ミクウェル

●先逝くもの、後を追う者
 冒険は死と隣り合わせだ。
 ダンジョン内部は危険に満ち、モンスターは一切容赦なく冒険者に襲いかかる。気を抜けば些細なトラップで命を落とすことも珍しくない。
 だが、冒険者の末路はそれだけではない。目の前の堕落騎士が、ありありとその姿で示している。
「もう何度、こういうのを見てきたことかね」
 紅憐覇・ミクウェルは葉巻に火を点け、紫煙を吐き出す。眉間の皺が深まり、老いた相貌を渋面に変えた。
「ま、いまさらな話だ。踏み越えてきた光景でもあるからねェ」
「……おとぎ話を聞いたことがあります」
 レミィ・カーニェーフェンが呟いた。
「世界を救うために、いくつものダンジョンを踏破した英雄……。
 この人だけではありません。沢山の冒険者が、同じように……!」
「そうだな。つまり俺らとっちゃ、先輩みてぇなもんだ」
 ミクウェルを一瞥し、「もっとベテランも居るが」と呟く躑躅原・戎吾。
「なあ先輩、あんたをほっとくとどれだけの人が犠牲になるだろうな?
 100や200じゃ効かねえだろう。俺らの√みたいになっちまうんだ」
「……そう、ですよね。それは絶対に防がなければなりません」
 レミィも同じことを考えていたようで、ぐっと拳を握り頷いた。
「だから……倒しましょう。ここで、確実に!」
「今は刑事じゃなく、冒険者として仕事すっか!」
「だとよ、|成れの果て《モンスター》」
 ミクウェルはニヤリと笑った。
「王だとか安寧だとかじゃねえ。てめえのための死をくれてやる!」
 鎧が重々しい音を鳴らした。それは後継者達の勇ましい鬨の声に、先逝く影が応えたかのようだ。

 そして戦闘が始まった。空間そのものに作用する引力が三人を間合いに引きずり込もうとする――だが、かかったのは戎吾だけだ。
「お招きありがとうよ! 今回ばかりはレディーファーストはナシだ!」
 戎吾は自ら飛び込み、ミクウェルとレミィへの力の作用をカットした形だ。そして、剣戟よりも早く、そして深く踏み込み、拳を構える!
「オオオオオッ!!」
 ゴガガガ! 巨大な岩をドリルで砕くような轟音! 拳打の連撃が、腹・胸・顔面・肩と猛スピードで叩き込まれる! 肉体と完全融合した鎧を砕くには、これほどの猛打をもってしても足らない。

 しかしそれでも、二人への攻撃を抑え込むには十分な威力とスピードがあった。息をも付かせぬコンビネーションに耐えきれず、堕落騎士はたたらを踏んだ!
(「連射するだけじゃコピーされちゃう――だから、ここで!」)
 その間に敵の側面を取っていたレミィは、狙撃精霊銃を構える。そしてふと、ミクウェルがどう動こうとしているかを一瞥で確かめた。
「へ?」
 レミィは思わず攻撃の手を止めかけた。

 何故ならミクウェルは、いつの間にか傍に現れていたエルフの少年――正しくはそう見える相棒と向き合い、口づけを送っていたからだ。
「え、ええええっ!?」
 まだ13歳の少女である。既に肩を並べて戦っていたため、ミクウェルのことはすっかり「女だてらの男勝りなベテラン冒険者」という第一印象に染まっていた。そんな彼女が目を閉じ、淑女のような表情で口づけする姿は、あまりにも印象と真逆で、そして――そう、ロマンチック!
「何してやがる!?」
「あ、あわ、わわわ……で、ですけど、あああれ!」
 戎吾は叫び、重いストレートで敵を吹き飛ばすと振り返った。
「……本当に何してやがるんだばあさん!!?!?」
「ったく、若いのがピーピーうるさくて落ち着かないよ」
 ミクウェルは顰め面で唇を離した。対するエルフの少年は、むしろ自慢げに胸を張る。
「アンタも、何ドヤ顔してんだいクソガキ」
「当然だろ。お前はいつだって俺の乙女なんだ」
 Ankerのハルファイラはふふんと鼻を鳴らす。

 その姿が変身した。在りし日の勇者ハルファイラへと!
「ほら、アンタらも前を見る! いつまっでもババアのツラ眺めてんじゃないよ!」
「は、はいぃ!」
「クソ、調子狂うぜ!」
 レミィと戎吾は軍曹にどやされる新米兵士めいて従った。乱痴気騒ぎの間に体勢を整えた堕落騎士は、全員を巻き込む恐るべき斬撃を繰り出そうとする。だが!
「させるか! 出番はもらうぞ!」
 ハルファイラの盾が強引に剣戟を抑え込んだ。瘴気のオーラが分かたれ炎になると、後衛のミクウェルの弾幕が全て撃ち落としていく!
「そら、嬢ちゃん! あるんだろ、さっきのエグい奴が! 叩き込んでやりな!」
 ミクウェルはレミィに叫んだ。
「も、もちろんです! あの、ところでお二人のご関係って!?」
「知りたいか? 見どころある娘だな! 何を隠そう俺達はだな」
「集中しろっつってんだよぉ!!」
「はいぃごめんなさいぃーっ!!」
 BLAMN! 雷鳴の魔弾が爆ぜた。弾丸はハルファイラの盾の影から見事に敵のボディを貫き、戎吾の連打で生まれた歪に命中! 体内で雷の魔力が炸裂し、鎧のあちこちから魔力と瘴気が噴き出す!
「アンタも! あたしのこたいいから!」
「文句言っていいのは俺のほうじゃねえかぁ!?」
 戎吾はがなり返しつつも、ハルファイラと肩を並べた。
「あんたのパートナー、おっかねえぞ」
「そこがいいんだ、そこが」
 勇者ハルファイラは平然と笑った。
「攻撃は全部俺が防いでやる、好きなだけやれ!」
「ったく、頼りになることこの上ねえぜ! どいつもこいつもよ!!」
 ゴガガガガッ!! 再度の猛攻! 雷鳴の魔弾で全身にヒビが走った今、先ほどのようにフィジカルで防ぎ切るというわけにはいかない。カウンターを繰り出そうにもハルファイラの盾が物理的に防ぎ、瘴気の炎はミクウェルとレミィの援護射撃で全て撃ち落とされてしまうのだ! 一撃ごとに鎧がひび割れ、砕け、破片が飛び散った!
(「ど、ドキドキするぅ……! でも、なんでだろう。今――」)
 ハンター・コートで敵の狙いから身を隠し、位置を変えて援護を続けながら、レミィは思った。

「ワクワクしてんだろう?」
 偶然にも隣り合ったミクウェルが、どこかハルファイラに似た笑みを浮かべた。
「あたしは要介護のババアだけどね。昔話のストックならいくらでもあるよ」
「……それも是非、お聞きしたいです!」
「変わったガキだねぇ。けど今は――」
「はい! この冒険を、最高に楽しい思い出で終わらせるために!」
 SMAAASH! 戎吾の一撃で堕落騎士が吹き飛んだ。クレーターのような胸部の陥没に照準を合わせ、レミィは息を吸い、集中した。
「……|核《ボス》を倒して、このダンジョンを|踏破《クリア》します!」
「そういうこった、餞別を受け取っとけ先輩!」
「なら、あたしも線香くらいは備えてやろうかね」
 BLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! ミクウェルは葉巻を投じ弾幕! その隙間を縫う魔弾が再び胸部を貫き、堕落騎士を絶命せしめた!

黒野・真人
櫂・エバークリア

●皆殺しの城
 金のため。
 名誉のため。
 快楽のため。
 信念のため。
 大義のため。
 人と人が争うからには「理由」がある。なんの理由もなく他者を害する人間は存在しない。子供じみた遊びのような殺しでさえ、楽しむためという理由がある。意思を持つ生物であるからには根拠と行為と結果の因果関係から離れることは、まずあり得ない。

 だが、目の前の敵は違う。
「コイツは、空っぽだ」
 黒野・真人が顔を顰めたのも当然だ。堕落騎士は『そうであるからそうする』ものに過ぎず、もはや機構の一部に等しい。事実、モンスターでありながら迷宮の核と化した今、英雄は戦うために戦い、殺すために殺す。まさに、人型の虚無だった。
「こんな人形みたいなヤツに好き勝手されんのは――」
「気分が悪い、だろ?」
 櫂・エバークリアが言葉を継いだ。彼は笑い、すぐに表情を引き締めた。
「……けど、こいつは格が違う。マローネがちょこまかしてたわけだ。
 こんな化け物なら、わざわざ自分が守る必要もないんだからな」
 そもそも二人は暗殺者である。暗殺者とは、正面切って「せーの」で殺し合うような職業ではない。自分に有利な状況を作るか、あるいは待ち、気付かれずに殺す。「戦う」のではなく「殺す」仕事。それが暗殺者だ。
 決して正義のヒーローではない。このダンジョンの有効範囲内に、誰かかけがえのない相手がいるわけでもない。
 極端なことを言えば、ここで見て見ぬふりをしてもよかった。きっと√能力者の誰かが、苦戦しつつも解決した――|かもしれない《・・・・・・》。世界は案外、なるようになるものだ。

 二人はその安易な選択肢を採らなかった。
「ここまで来たら一蓮托生だ。最後まで行こうじゃないか」
「ああ。オレは――いや」
 真人は頭を振った。
「オレ達は、こんなガランドウにはぜってー負けねー!」
 まるで宣戦布告に応じたかの如く、堕落騎士が動いた!

 まっすぐ正面から踏み込み、右から左へ斬撃を繰り出す。シンプルだがそれゆえに回避は難しい。真人はハチェットを掲げ前に出た。
「ナメんな!」
 大鐘に破城槌を叩きつけるような音が轟いた。逆に踏み込んだことが功を奏した形だ。斬撃が最大速度に到達するより早く軌道を潰すことで威力を減衰。それでも真人は大きく後ろへ吹き飛ばされた。弾かれた彼を追って、虚ろな呪いの炎の飛礫が放たれた。炎自体を攻撃しても反射されてしまうために、撃ち落とすのは危険。いかに対処するか?
「そいつは通らないぜ――『ここは既に俺の|領域《テリトリー》』だからな」
 見よ。呪いの炎は見えない壁に触れたかのごとく、あるラインを越えた瞬間に消失する。これが櫂の√能力で区切られたテリトリー。しかしその本質は、空間を支配することではない。
「真人。もう一回さっきのやってくれ!」
 櫂は叫んだ。
「大丈夫だ、『お前はもう絶対に力負けしない』!」
「……そうかよ!」
 真人は受け身を取り、全力疾走した。呪いの炎では埒が明かないことを察した堕落騎士は、大剣を担ぐように腰を落とし迎え撃つ。
「うおおおッ!!」
 体格差、膂力、どちらも敵が上だ。不完全な斬撃を防御しただけで弾かれたのだから、いまさら証明するまでもない――はず、だった。だが真人の振り下ろしたハチェットは、迎撃の剣を押し潰すように兜にめりこみ、砕いたのである!

「これは!」
「言葉は世界を変えるんだぜ。ま、タネのある手品だけどな」
 櫂の√能力『|言の葉・虚語《ウツロガタリ》』は、口にした単語の力を武器に宿すものだ。今の櫂は狙った獲物を必ず射抜くことが出来る。ならば何故真人の攻撃が強化されたのか……答えは簡単だ。彼は真人の攻撃に合わせ銃弾を打ち込んでいたのである。堕落騎士の左踝を撃ち抜いた弾丸は床を跳ね、周囲に再び生まれた呪いの炎を次々に撃ち抜いた。
「まだまだ行くぜ。『吹き飛ばし』だ」
 BLAMN! 弾丸に宿る風の力で炎が消し飛ぶ。間合いに入られた堕落騎士は、真人のインファイトを防ぐことが出来ない!
「隙を与えるなよ。そいつは手加減するとすぐに蘇るからな!」
「ああ、分かってる。ここで絶対に! 殺し尽くす!」
 ガ、ガ、ガガガガッ! 嵐のような連撃! 頭を砕かれ、肩口から心臓を断たれ、胴体を真っ二つにされ、堕落騎士は何度も死ぬ。そして√能力の力で即座に蘇る。持久力勝負は敵の土俵だ。
(「これだけじゃ足りない――なら、もう四の五の言わねえ!」)
 真人は躊躇を捨て、叫んだ。
「来たれ! 彼岸から、此岸へ!」
 その身に受け継がれてきた忌むべき力が呼び覚まされた。その時、呪いの炎を消し飛ばした弾丸が、真人の手斧に命中!
「今から『鏖《そいつ》はでっけー鈍器』だ!」
 ズシン、と想像を絶する重みが片腕に乗った。手斧はまるでコンクリートの塊のような質量兵器に変じた。言霊の力だ。そこには幽明境呼の魔力も宿る!
「やるじゃん、カイ! ありがたく使わせてもらうぜ!」
 真人の体重を遥かに超える質量は、いわば仮想の重みだ。今の真人ならば、質量に振り回されず、通常と同じように武器を振るえる。重みを味わうのは敵の方だ!
「空っぽの人形は――砕けて壊れちまえよ!!」
 真人は裂帛の気合いを籠め、力任せに武器を叩きつけた!

 魔力の相乗効果で生み出された仮想質量が、堕落騎士の肉体を完全に粉砕した。言うなれば大型トレーラーに時速数百キロのスピードで激突されたようなもの。虚ろなる仮初の力は一緒に砕け、しかしもう奴が蘇ることはない。
『世界を……救わねば……!』
「要らねーよ。アンタに救われる必要なんてない」
 真人は残心し、言った。
「そうやって歩き続けて、止まれなくなったんだろ。もう十分だ、ゆっくり休めよ」
 櫂の言葉に、騎士の残骸は崩れ果て、塵となって消えた。核が失われたことで、ダンジョンもまた鳴動を始める。
「っと、お約束だな。さっさと脱出しないとまずそうだ」
「さっきのコトダマでなんとかなったりしないのか?」
「そこまで便利じゃないんだよ。所詮は虚、だからな」
 櫂は笑った。
「さあ、帰ろうぜ。脱出したら賄い出してやる」
「こんな苦労した割に合わない報酬だな」
 言いつつも、真人に不服はなかった。そして二人は崩れ行く城から脱出を果たす。
 踏み込む者全てを殺す魔のダンジョンは、かくして全てを殺し尽くされ伽藍の如く消滅したのである――。

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