シナリオ

えっ!? ダンジョン探索に保険はきかないんですか!?

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●とあるダンジョンの物語
 スフィンクスは、謎かけを挑んでくると人は言う。
 けれどもそれが、本当は『事実とは異なる』としたら?
 ダンジョンの奥深くに潜む強敵相手に、君はいかなる手段で立ち向かうのだろう?

●何はともあれ食べようぜ
「よっ、集まってくれてありがとな」
 √ドラゴンファンタジー世界のとある街角にて、その話は始まった。
 小豆色の肉球を見せるようにかざして、猫獣人のカデンツァ・ペルッツィ(星を見る猫・h01812)が、気さくな笑みで冒険者――√能力者たちを出迎えたのだ。
「ゾディアック・サインの案件だ、この辺りにダンジョンが発生しててほっとくとマズいから、何とかして欲しいってのが今回の話なんだが」
 依頼の内容をまず簡潔に伝えると、カデンツァは器用にタブレットを駆使して地図アプリを開き、とある店舗に立ったピンを指し示す。
「星詠みで視えたのが、まずはここの店な。まあいわゆる『冒険者の酒場』ってヤツでさ、みんなもそういうの好きだろ? メシも美味そうだからまずは行ってみるといいぜ」
 ダンジョン攻略は? まずは食事? どういうことだろうという顔をする√能力者たちの顔を見て、カデンツァは耳の裏を軽く掻きながら言った。
「ダンジョンの場所自体は分からなくもねえんだが、内部の情報がフワッフワで、とても伝えられたもんじゃねえんだわ。最深部に潜んでる『主』のことは伝えられるんだが、そこに至るまでの過程が不透明じゃあ、みんなも心配だろ? まずは『酒場で情報収集』ってコトさ」
 とりあえず美味しい食事を堪能しつつ、ついでにダンジョンについての情報も手に入れる。悪い話ではないだろう? というのが、カデンツァの言いたいことらしい。
「アレだ、おおかた『トラップを掻い潜って進む』とか『雑魚モンスターを蹴散らして進む』とか、そういう道中の情報が手に入るんじゃね? って思うんだけどよ」
 それを事前に知っているかどうかだけでも、だいぶ違う。
 冒険に保険はきかないのだから、情報は事前に手に入れておくに越したことはない。
「店の名前は……『黄金のほったて小屋』か。いいなあ、俺も今度フリーの時に行くわ」
 タブレットで店舗情報を眺めながら、今回の冒険に同行できないカデンツァが羨ましげに√能力者たちを見上げた。しかしその表情はすぐ、真剣なものに変じる。

「まずはしっかり食って情報集めて、ダンジョン攻略してきてくれよ」
 星詠みたるカデンツァは、冒険者たちを案内する都合上、同行ができない。
 なればこそ、呼びかけに応じてくれた冒険者たちを、心から信頼するのだ。
「土産話、楽しみにしてっからさ。気をつけて行って来てくれよな!」

 酒場は、大通りを少し進んで、看板が見えたあたりで路地に入ると見つかるらしい。
 さあ、いざ行かん。
 √ドラゴンファンタジーの冒険へ!

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第1章 日常 『冒険者の酒場』


メイ・リシェル

●極上のホットミルクをひとつ
 ダンジョンアタックの依頼を真っ先に引き受けたメイ・リシェル(エルフの|古代語魔術師《ブラックウィザード》・h02451)は、指定された冒険者の酒場こと『黄金のほったて小屋』を目指していた。
 ひとつ間違えばあっという間に別の√へ足を踏み入れてしまうことだってありえる曲がり角に注意を払いながら、目印となる店舗の看板を見逃さないように大通りを進む。
「――あれ、かな」
 並び立つ道路標識のそばに置かれた、店の名前が大きく書かれた立て看板を見つけたメイは、無事道を違えることなく目的の酒場にたどり着くことができた。
「うん、ダンジョンはほっとけないけど、何の情報も無しに向かうのは危ないもんね」
 メイは本来、こういった賑やかな場所などは少々不得手だったりもする。けれど、一度成し遂げると決めたからには頑張ろうと、白いもこもこのミトンに包まれた両手で己の頬をひとつぽふ、と軽く叩いた。
「しっかり情報を集めないと――いざ!」
 そうして意を決したメイは、『黄金のほったて小屋』の重い扉を開いたのだった。

 酒場は、メイが想像していた以上の喧騒に包まれていた。えっちょっと待ってやっぱり帰ろうかな、などと一歩後ずさりそうになるけれど、既に背後の扉は閉まっている。
「いらっしゃい、あんたも冒険者さんかい? 好きな場所に座っていいよ」
 いかにも女将と呼ぶべき貫禄を漂わせた、店主らしき女性にカウンター越しからそう声を掛けられたメイは、こくりと頷いて店内を見回した。
(「あそこにしようかな、ちょうど席が空いてて、近くで話してる人も多い」)
 四人がけのテーブル席に両側を挟まれた二人がけのテーブル席がちょうど空いている。片方の椅子に荷を下ろすと、反対側の椅子にちょんと腰掛けた。
「いらっしゃい、とりあえず飲み物から注文を聞こうかねえ」
「じゃ、じゃあ……あったかいミルクをひとつ」
「おや、ちょうど良かった。今日の牛乳はいつもよりちょっと上等なのを仕入れたんだ」
 注文を取りに来た女将に、未成年の選択肢としては無難なラインでホットミルクを頼めば、何と今日は運が良かったらしい。幸先の良さに、胸を撫で下ろすメイであった。

「おお? 何だ何だ、ミルクなんて飲もうとも思わなかったけどよ」
「道理で今日のクリームシチューはいつもよりコクがあると思ったのよね」
「でも、お代はいつも通りなんだろ? ホント、この店はこれだからいいんだよな」

 メイと女将とのやり取りは、周囲の客たる冒険者たちにも聞こえていたらしい。席の選択が功を奏したのか、ホットミルクが運ばれてくるのを待たずして、メイは他の冒険者たちとの会話に入り込むことに見事成功したのだった。
「えっと、この近くにダンジョンがあるって聞いたんだけど……」
 何か知っている者はいないか、とまでは言葉にせず、愛らしい赤い瞳で冒険者たちを見渡せば、次々と言葉が返ってくるではないか。何と話が早いことか。
「そうそう、最近湧いたダンジョンだよな! 層は浅いが、トラップもモンスターも厄介だって話だぜ」
「定番よね、落石やトラバサミや地雷、落とし穴と勢揃いよ。解除できる面子がいるならそっちを通ってもいいわよね」
「面倒くさけりゃ、足元はしっかりしてっから雑魚モンスターを蹴散らして行くべきだよな。確かハーピーの群れだったか、洞穴の中だってのに器用に飛ぶもんだわ」
 ふむふむ、なるほど、とメイはもたらされる情報を全部――そう、全部しっかりと頭の中に叩き込んだ。エルフは記録を遺さぬものだが、記憶は持っているものだから。

「おまちどおさま、ホットミルクだよ!」
 そんな中、女将が木製のジョッキをメイの前にどんと置いた。うーんこれは一般的なホットミルクよりも明らかに量が多い。何もかもが大サイズの酒場なのだろうか。
「ありがとう、いただきます。みなさんも……」
 女将と、有益な情報をもたらしてくれた見ず知らずの冒険者たちにぺこりと一礼するメイに、いいってことよと気前の良い言葉が返される。
「ボク、冒険者になったばっかりだから、色々教えて貰えて嬉しいな」
「そうなの? でもエルフは見た目じゃ|年齢《とし》が分からないしね」
 最初はどうなることかと思ったものの、蓋を開いていたら勇気を出して頑張った成果がきっちりと出た。そのことが何よりも嬉しく、メイはホットミルクを一口飲むと、ますます心が温まる心地になる。
「おうおう新人か? ダンジョンに行くなら気をつけるんだな!」
「じゃあそのホットミルクは俺からの奢りにしてやるよ、景気付けにドーンと行け!」
 わっはっは、とメイを囲んで冒険者たちから笑いが起こる。

(「何かあったらと思って、いつでも発動できるようにはしておいたけど」)
 酒場といえば乱闘がつきもの、というイメージが何となくあったりして、万が一の物品破損に備えたウィザード・フレイムの準備もあったが、どうやら使わずに済みそうだ。
(「これも一種の『保険』かなぁ……」)
 そう、きっとこういう備えが、これから先いつかメイを救うに違いない。

 ダンジョンを通過するにあたってのルートは、二つ。
 トラップが多数仕掛けられている道を突破するか、足場はしっかりしているがハーピーの群れが巣くう道を選ぶか。
 ここから先は、どちらの道についてより深掘りしていくかに焦点が絞られることとなるだろう。
 先陣を切って具体的な情報を入手したメイは、奢りとなったホットミルクを有難く堪能するのだった。

獅出谷魔・メイドウ

●酒とハンバーグと、ハーピーの情報と
「ここか……」
 ライオン獣人の獅出谷魔・メイドウ(暴力の化身・h00570)が立ったのは、酒場『黄金のほったて小屋』の入り口前。木製の扉は、はっきり言って結構頑丈だ。
 扉の重厚さは、メイドウが扉の取っ手に手をかけた瞬間理解出来た。だが、それが何だというのか。メイドウはお構いなしに、重々しい扉を躊躇なくババーンと開け放った。
「よっ! やってる?」
「やってるよ! まぁた豪快に扉を開けるのが来たもんだねえ!」
 寒いから早く閉めな、と笑いながら女将が好きな席に座るようメイドウに促す。いわゆるビキニアーマーに身を包んだ、豪快という文字に命を吹き込んだかのようなメイドウの立ち居振る舞いに、酒場の冒険者たちが思わず目を惹かれる中、そんな視線すら意に介することなく、メイドウは空いているカウンター席にどっかと腰を下ろした。
「とりあえず酒! と肉!」
 心の赴くままに、欲するものを素直に注文するメイドウ。メニューも確認しないまま頼んだものだから『所持金が足りるか』問題に後から思い当たったが、まあ足りるやろの精神で深く気にしないことにする。食べたいものを食べて、飲みたいものを飲むのが一番だ。
「はいはい、とりあえず生で行っとくかい?」
 木製のジョッキに麦酒がなみなみと注がれて、ドンとメイドウの前に置かれた。女将はすぐに『肉』というフワッとした注文に応えるべく、厨房の冷蔵庫から事前に仕込んでおかれたと思しき、楕円形に整えられた生肉を取り出した。
 カウンターに陣取ったメイドウからは、一連の様子がよく見える。故郷で喰らっていたような加工の類が一切ない肉塊とは異なる、手間のかかった肉だと一目で分かった。
「おお! そいつぁ確か……ハンバーグ!」
「うちのはそこそこデカいからね、満足してもらえると思うよ」
 麦酒をゴクリと喉に流し込みながらメイドウが歓喜の声を上げると、女将がニィと笑いながら熱したフライパンの上にハンバーグを置く。じゅうう、と広がる肉が焼ける音と香ばしい匂いに、メイドウは思わず頬を緩めた。
「焼く前に刻んで野菜とか混ぜるなんて、洒落てるよなあ……!」
「肉は丸焼きも素材の味を感じられていいがね、こうして一手間加えるのもいいもんさ」
 こまめに肉をひっくり返して焼き目が付きすぎないよう気をつけながら、女将は「よし」と言い、肉が半分浸るほどの水を入れてすぐフライパンに蓋をした。
「焼き上がるまでちょっと待ってな、付け合わせはコーンとニンジンでいいかい?」
「明らかにいい匂いしてきたな! 女将に任せるぜ、絶対うめえやつだろ!」
 メイドウ曰く『洒落てる肉』ことハンバーグは、もう少し経てばジューシーな蒸し焼きにより仕上げられ、供されることだろう。その過程を眼前で拝めるというのはたまらなくもあり、じれったくもあり……。

 フライパンの蓋が、開かれる時が来た。
「うおっ……」
 肉が焼ける音と匂いは、いつ見聞きしても最高だ。しっかり火が通ったハンバーグはあっという間に鉄板の上に盛り付けられ、仕上げにオニオンソースをかけられて、遂にメイドウの前に提供されたのだった。
「おまちどお! うちのハンバーグはデカいだけじゃなくて味も自慢なのさ、堪能しておくれよ!」
「ひゃあ、待ってました! ……えーっとこれ、ナイフとフォークで食うんだっけ?」
 たどたどしい手つきながら、まるで俵のような大きさのハンバーグにナイフを入れて、フォークで刺して口に運ぶ。獣の牙で咀嚼した瞬間、口いっぱいに旨味が広がった。
「……!」
 美味い。これは美味い。メイドウは夢中になってハンバーグを切っては食べ、切っては食べを繰り返す。合間に喉に流し込む麦酒との相乗効果もまた、素晴らしかった。
「あーーー! 修行の前に食う飯は二番目にうまいな!」
 付け合わせの野菜まで綺麗さっぱり平らげたメイドウが、清々しい感想を述べる。それを聞いた女将が「おや、一番じゃあないのかい?」と問えば、答えはこうだ。
「一番は、修行の後の飯だな!」
「はっは、そいつぁ敵わない訳だ! じゃあ今度は、修行の後にまた立ち寄っておくれ」
 そんなやり取りをして豪快に笑い合う二人を、他の冒険者たちは思わず見てしまう。
「なあ、修行ってこととその身なり……あんたもまさか」
 和やかな雰囲気が功を奏して、自然と会話が成立する流れになったのか、冒険者の一人がメイドウに話しかけてきたのだった。これは情報収集のチャンスかも知れない。
「おう! ダンジョンってのに行くんだぜ! アタシも冒険者なんだぜ!」
 ホレ、と懐から『冒険者登録証』を取り出して見せるメイドウに、周囲の冒険者たちがぞろぞろと集まってきた。記載されているランクこそ低いものの、眼前のメイドウ本人から漂う『実力者』の雰囲気は本物だ。冒険者たちは思わず息を呑む。
「でさ、そのダンジョンはどんなモンスターがいるんだ! あと、どんな場所なんだ!」
「お、おう……」
「なあ~、教えてくれよ~!」
 空になったジョッキを片手に、空いた腕で手近な冒険者の肩をバシバシ叩きながら、メイドウが人懐こい挙動で尋ねるものだから、冒険者たちは口々に知りうる情報を話し始めた。
「ざっくり言えば、ダンジョンの主にまでたどり着けたヤツぁ、まだ一人も居ねぇ」
「途中の道がキツすぎるんだ、エグいトラップの山を抜けるか、それが嫌ならハーピーの群れを蹴散らすかなんだが……」
 ふんふんと話を聞いていたメイドウが、獅子の耳を動かして反応する。
「ハーピーがいっぱいの道!? 燃えるぜ!!」
「いや、でもマジで多いぜ?」
「回避すればトラップだらけの道だろ!? おもしろそー!!」
「いやいやいや、泣きたくなるぜ!?」
「悩むぜ、悩むが……ハーピーぶっ倒しまくりコースがいいぜ! な、詳しく聞かせてくれ!」
「あはは、アンタにゃそっちの方が向いてるかもな」

 ――曰く。
 ハーピーが巣くう道はダンジョンの途中にあり、天井が高めに作られているという。通路幅も広く戦闘には困らないのだが、それは『ハーピーも自由に動き回ることができる』ということを意味している。
 そして何より、数が多い。一体一体の強さはそれほどでもないが、数の暴力で迫ってくる――ということだった。
「あんたも行くなら気をつけなよ、四方八方から攻めてくるんだぜあいつら」
「うおおマジか! それじゃ、何匹でも倒し放題ってコトだよな!?」
「そ、そうね……?」
 メイドウは、ダンジョンの難所についての情報を得て、燃える獅子の赤い瞳を爛々と輝かせて、気後れするどころかむしろ意気揚々としていた。
 血湧き肉躍る、大冒険の気配がする――。そう思うと、メイドウの心は昂ぶるばかりであったのだ。

オフィーリア・ヴェルデ

●デトックスウォーターとも言うらしいです
「ダンジョンを冒険するにも、自分で情報を集めなくてはいけないのね」
 最初から全てがつまびらかになっていれば話は早いけれど、下調べもまた重要な仕事なのだろうと、オフィーリア・ヴェルデ(新緑の歌姫・h01098)は思う。
「危険を減らす為にも、頑張るわ」
 そう、これは他ならぬ己自身のためでもある。オフィーリアは『黄金のほったて小屋』の重い扉を、全力で引き開けるところから始めるのだった。

(「なんて重い扉なのかしら、酒場に入るだけでも大仕事だった気がするわ……?」)
 身体が丈夫とは言えない体質のオフィーリアは、ぐぬぬと出入り口の扉を引いているところを、ちょうど退店するところだった冒険者たちに手伝ってもらい、何とか入店を果たした。もうこの時点で息が上がってしまいそうだったけれど、頑張らなければ。
「いらっしゃい、好きな席に座ってちょうだい! すぐ注文を取りに行くからねえ」
 新たな来客の気配を感じ取った女将が、オフィーリアの方を見て笑顔で着席を促す。わいわいがやがやと賑やかな雰囲気ではあるが、幸い満席ではない。ちょうど空いていた二人がけの席にちょんと腰掛けると、宣言通りすぐに女将がやって来た。
「メニュー見るかい? それとも何か適当に見繕おうか?」
「ええ、じゃあ……果実水があれば、それを」
「おやおや、うちのことを知ってて来てくれたのかい? 果実水ならお任せだよ、眼精疲労から美容まで、ざっと五種類のお悩みに合わせた果実水があるんだけど」
「そんなにあるなんて……! なら、せっかくだから元気が出るようなものがあれば」
「はいよ、良いのがあるからね。少し待ってな」
 手書きの伝票に注文を書き込むと、女将はカウンターの中へと入っていく。その背を見送ったのち、オフィーリアは食べるものをどうしようかと考え始めた。
 ちら、ちらと辺りを見回せば、冒険者たちは実にさまざまな料理を思い思いに堪能している。良くある現象だが、メニューを見ていざ注文しようと決心しても、その間に配膳されていく食事や既に近くの誰かが食べている食事を目の当たりにすると、その心がゆらぐことだって多々あるのだ。ならば、せっかくだから『美味しそうに食べている人と同じものを注文しよう』という思考に至っても、それは至極当然のことと言えよう。
(「どんな味なの? なんて、食べてる人に話しかけたら迷惑……?」)
 とはいえ、見ず知らずの他人に、しかも食事中に突然会話を持ちかけるのはいかがなものかと躊躇してしまうのもまた事実。上手く事が運べば、情報収集のきっかけにもつながる可能性は捨てきれないので、何とかして他の冒険者たちとの交流を持ちたいと機をうかがうオフィーリアの視界に、ピザのようでピザに見えない『何か』が飛び込んできた。
(「私が知ってるピザとずいぶん違う、まるでサラダみたいに野菜がたくさん……」)
「お待たせ、元気が出る果実水だよ! ラズベリーとローズマリー、それにライムが入ってるのさ」
「わ……っ」
 透明なグラスに注がれた水の中で、ラズベリーの鮮やかな赤とライムの健康的な黄緑、そして水面と底をつなぐように配されたローズマリーが見目麗しく、まるでグラスの中が一つの芸術作品のような見映えをしているものだから、オフィーリアは思わず声を上げる。
「最近『映え』が流行ってるんだろ? 若い子に人気でねえ、味も栄養も……」
「の、飲むのがもったいないくらいだわ」
「あっはっは、飲んでくれなきゃそれこそもったいないよ。スマホで写真撮っておきな、ついでにSNSで拡散してくれるとこっちもありがたいしねえ」
 さりげなく商売上手な女将に、そうだとオフィーリアは『ピザらしきもの』について聞いてみることにした。
「あちらのテーブルの……ピザに見えるのだけど、サラダ……なのかしら?」
「ああ、あれはうちの釜で焼いてるピザだね。野菜と卵を乗せて出してるから、サラダに見えたかい? サーモンと豚肉と鶏肉の三種類あるけど……そうだ」
 オフィーリアの問いに女将がサラサラと答えながら、何かを思いついたかのように、ピザを食べている冒険者の方を向いて、突然話を振ったのだ。
「ねえあんた、うち来るたびいつもそのピザ食べてくれるけど、こちらのお嬢さんが興味を持ってくれたみたいだよ! あんたからアピールしてやっておくれよ」
「ええ!?」
「ええ!?」
 まさかの展開に、オフィーリアのみならずピザをもぐもぐ食べていた冒険者まで変な声を上げてしまう。けれども、これは絶好のチャンスとも言えよう。逃す手はない!
「……あの、教えてもらえると嬉しいわ。私、これからダンジョンに行くから、しっかり食べておかないといけなくて」
「そ、そうなのか……いやあ参ったな、生地は薄めでパリッとしてて、野菜や卵もたっぷり乗ってて食べ応えがあるから、味は間違いねえよ」
 てへへと照れくさそうに、オフィーリアの言葉に応えるピザ好きの冒険者。どうやらサーモンがメインのピザを食べているようで、その半分は既に平らげられていた。
「まるっと一つはデカすぎるかも知れねえから、ハーフサイズもできるぜ。なあ女将?」
「おうとも、お嬢さんそうするかい?」
「そうね、せっかくだからそれでお願いするわ」
 こうしてオフィーリアの食事も無事決まったところで、いよいよ会話は件のダンジョンについてへと移行していくのだった。

 オフィーリアがダンジョン探索を計画している、と聞いた冒険者たちは、皆一様に『大丈夫か』とまずは心配の色を見せたが、それは決して彼女を侮っている訳ではない。
 ダンジョンの危険を十分知っている者たちだからこそ、その身を案ずるのだ。
「トラップの道ヤベえよな、あんなん余程の解除知識がないと通れねえよ」
(「そうなのね……素人の技術じゃ難しそう」)
「ハーピーだって大概だったわよ、あんなに四方八方から迫られたらたまったもんじゃないって」
(「なるほど、思っていたより数が多いということね」)
 ふむふむと冒険者たちの話を聞いていたオフィーリアは、話の流れで小さく挙手をしてみせた。すると、目ざとくそれを見つけた冒険者が「どうした?」と聞いてくれる。
「ハーピーが出る道の方は、高さや幅の具体的な情報があるのかしら?」
「ああー、道っつうよりは『広間』って感じがしたなあ」
「分かる、狭い道が拓けたと思ったら、いっせいにハーピーが襲いかかって来るの」
「こちらもだけれど、向こうもかなり自由に動き回れる――そういう話ね」
 何だか、頑張れそうな気がしてきた。戦場についてのリアルな情報が手に入るだけでもありがたい。こうしてせっかく気前良く情報を提供してもらえたのだから、何かお礼をしなくてはと、オフィーリアは強く願う。ゆえに、焼きたてのピザを持ってきた女将に「短い歌を一曲披露しても良いか」を尋ねると、ニッコリとした笑顔の肯定が返ってきた。

 その日、『黄金のほったて小屋』では、通常ならば|無料《タダ》では聴けないレベルの美しい歌声が響き渡り、店内総立ちの拍手喝采が巻き起こったという。

天咲・ケイ

●カレーライスにも色々あるけれど
 言われてみれば、そんな冒険者の酒場があったかも知れない。
 酒場など、それこそダンジョンの数ほどあるものだから、意識していなかったけれど。
(「知らない場所ではないですね、これなら迷うこともないでしょう」)
 学校帰りの気軽さで、天咲・ケイ(人間(√ドラゴンファンタジー)の気功闘法|格闘者《エアガイツ》・h00722)は最初の目的地たる『黄金のほったて小屋』をすぐに見つけ出すと、その重い扉を開け、躊躇うことなく店内へと入っていった。

 中学生相当の少年が一人で入店しようとも、全く動じないのが酒場の主人というものだ。冒険者の中には、もっと年若くして功績を挙げているものだっているのが普通だから。
 ゆえに、この酒場の女将もごくごく自然にケイを迎え入れ、荷物もあるだろうからと二人がけのテーブル席に案内してくれた。
「すみません、カウンター席でも良かったですのに」
「学生さんだろ? 荷物の置き場も必要ってもんだ、遠慮しなくていいんだよ」
 ケイが軽く頭を下げるのを手で制しながら、女将がメニューを開こうとする。それを今度はケイが制すると「注文、いいですか」と言った。既に心に決めた品があるのだ。
「おや、話が早いね――この後、ダンジョン探索でもあるのかい?」
「はい、腹がへってはなんとやらと言いますからね――カレーライスを、|大盛で《・・・》」
 大盛、と告げたところで、女将の表情からスッと笑顔が消えた。
「……うちの大盛は、そこらの大盛とは訳が違うよ。それでも良いのかい?」
「覚悟の上です。私はカレーにはうるさいので、そちらこそお覚悟を」
 すわ一触即発かという謎の雰囲気に、周囲の冒険者たちもいつしか固唾を呑んで二人のやり取りを見守る状況になっていた。カレーライスを注文するだけでどうしてこんなことに……!?
「あっはっは、分かったよ! うちの自慢のカレーライスを用意するから、楽しみに待ってな!」
 豪快な笑い声で緊迫した雰囲気を吹き飛ばすと、女将は常の笑顔に戻ってカウンターの奥へと下がろうとする。それを、ケイが引き止めた。
「あと、食後にカフェオレをひとつ」
「あいよっ!」
 伝票にしっかりと『食後・カフェオレ』と書き足した女将は、今度こそカレーライスを用意するべく厨房へと向かうのだった。

(「学校では、冒険者である事を隠しているから」)
 何やかやで注文が完了したカレーライスを待ちわびながら、ケイはふと思う。
(「こういった、冒険者ばかりが集う酒場なら大丈夫でしょう」)
 情報収集の場を酒場に指定されたのは、理にかなっているとも言えたし、ケイの個人的な事情にも都合が良かったという訳だ。
 何せ、店内は冒険者だらけ――というか、冒険者しかいない。気兼ねなくこれから向かおうとするダンジョンについての話ができるというもの。
「……でさ、トラップの方がワンチャンあるかなって思った訳よ」
「いやどうしてガチガチの冒険者ぶっ殺しゾーンにワンチャンあるって思ったんだよ」
 わはははは、と笑いが巻き起こる合間合間に、聞き耳を立てれば続々とダンジョンについての情報が飛び込んでくる。皆、一度はダンジョンにアタックしてはどこかしらで逃げ帰り、次のアタックに向けて作戦を練ったり情報の交換をしているようだった。
「ハーピーの群れもなあ、数がヤベえよ」
「空飛んで四方八方から攻めてくるのエグくね? どうせいっちゅーんだよ」
(「……ふむ」)
 いつの間にか置かれていたお冷やを一口飲みながら、トラップやハーピーの話を少しずつ仕入れていくケイ。どちらを選ぶべきか――などと考えていた所に、その時は訪れた。
「カレーライス、大盛いっちょ! さあさ、堪能しておくれよ」
 女将が、驚くべき量のカレーライスをドンとテーブルの上に置いたのだ。紛れもない大盛――しかし、相手にとって不足なしである!
「ありがとうございます、いただきます」
 両手を合わせて一礼すると、ケイはスプーンを手に取り、早速カレーライスを口に運ぶ。
「……っ」
 一口食べて、すぐに理解した。
 このカレーライスは……美味しいと!
「なるほど……最初は甘めと思わせておいて、それにより後から来る強めの辛みがより引き立つということですね……」
 野菜も肉も惜しみなくゴロゴロ入っており、味のみならず具でも満足ができる。
「これはかなり、美味しいですね……」
 そう呟いたのを最後に、あとは終始無言で、ケイのお眼鏡にかなった大盛のカレーライスは、しっかりと堪能され食べ尽くされたのだった。
「おやまあ驚いた、あの量を食べきってくれたんだねえ! ありがたいことだよ」
「率直に言います、私はこのお店の常連になるかもしれません」
「うんうん、いつでも待ってるからねえ。是非また来ておくれ」
 どうやら様子を見に来たらしい女将が感嘆の声を上げるのに対し、ケイは心のままに感想を述べた。女将もまんざらではない様子で、喜びを隠さず応える。
「うちのカレーを気に入ってくれたのはありがたいけどさ、ここに来たってことはあんたも冒険者ってことだろ? お目当てはやっぱり、近くのダンジョンかい?」
「はい、ダンジョンアタックを計画しています。ですが、情報が少なくて」
「初見って訳だね、それならここにいる連中が格好の情報源さ。っと、カフェオレもあるんだったね? 今すぐ用意するわねえ」
 ひとまず、最優先事項は『食後のカフェオレ』だと、女将は再びカウンターの奥へと引っ込んでいった。

「ハーピーさあ、こう……ドーンと行ってバーンってやれば何とかなるんじゃね?」
「擬音だけで会話をされましても困ります、もっと具体的にお願いします」
「トラップ解除できなくて泣いて帰ってきたオメーに言われたかねえよ!」

 雑談混じりに、さりげなくダンジョンの情報が入ってくるものだから気が抜けない。
 敵が群れて襲いかかってくると分かっているだけでも十分だ、例えば接敵すると同時に広範囲を攻撃できる√能力で対抗するなど、ある程度の想定は可能だからだ。
 もしくは、√能力に完全に依存しなくても、持てる技能を駆使すればまた違ったアプローチが可能かも知れない。
「カフェオレだよ、ゆっくり飲んでいっておくれ」
「ああ、ありがとうございます」
 普通ならマグカップに入って出てくるのだろうけれど、この酒場では木製のジョッキになみなみと注いで提供するのが常らしい。そういうことならありがたくいただこうと、ケイはジョッキを持ち上げ――ようとした。重い。分かってはいたが割と重い。
(「これは、ある程度飲むまで両手で持たないと無理そうですね……」)
 トラップ解除は『力ずくで破壊しない限りは、相当腕の立つ解除役がいないと難しい』らしく、ハーピー退治は『開けた空間での戦いになるので、身を隠す場所がほとんどない』らしい。どちらを選ぶにしても、事前の準備が重要そうであると知れた。

「ごちそうさまでした、とても美味しかったです」
 そうして、ラージサイズ極まりないカフェオレも完飲したケイが席を立つ。
「ありがとうねえ! どこに行くにしても、気をつけるんだよ」
「はい、大丈夫です。無事に帰って、近いうちにまた来ますね」
 女将の気遣いを内心でありがたく思いながら、ケイは酒場を後にするのだった。

カノロジー・キャンベル

●社員の給与を賭けた勝負が、今始まる
 √ドラゴンファンタジーの世界は、一言で表現すれば『剣と魔法の現代地球』である。
 ゆえに、冒険者の酒場と言っても、まさに現代風の居酒屋が軒を連ねているということだってざらにあるのだ。
 そんな中、古い物語の中に登場しそうな、いかにもな雰囲気の酒場――『黄金のほったて小屋』の存在は、冒険者の間でも密かな人気であるとかないとか。
「あら~~~、いい酒場じゃないの~~~!」
 両手を組んで身体をくねらせながら、そんな酒場の雰囲気を大いに喜ぶのはカノロジー・キャンベル(Company president・h00155)だった。
「いかにもって感じで、アタシこういうのだ~い好きよ♡」
「雰囲気もウチの売りの一つだからねえ、気に入ってもらえて嬉しいよ」
 店を褒められた女将もまたカノロジー同様に上機嫌だが、ある『疑問』を口にした。
「ところであんた、せっかく来てくれたのに何だけど……」
「そ・う・な・の~~~! 残念、食べたり飲んだりはできないのよねぇ」
「あぁ……やっぱりそうかい、人生飲み食いだけじゃあないけど、ウチの自慢の料理を食べてもらえないのはやっぱり残念だねえ……」
 肩を落とす女将は、心底無念そうだった。
 けれど――仕方がないものは仕方がない。

「だってアタシ、そもそも口が付いてないんですもの~~~♡」

 そう。数ある平行世界の中では、|そういう《・・・・》存在があってもおかしくはない。『異形頭』――人間の胴体に、頭部のみが人ならざる形をしているものだ。
 カノロジーの頭部に該当する部分は、チョーカー(ロジー的にはブレスレットだそうだが)を境目にするように、巨大な右手に変じているのだった。
 どこから声を発しているのかを考えてはいけない。何故オネエなのかも考えてはいけない。今は多様性の時代、こういうことだってある。あるったらあるんだよ!

「だはははは! こいつぁ笑えるぜ、よくそんなナリで酒場なんて来たもんだ!」
「もしかして目的は男漁りかよ、とんでもねえ」
「マジかよ、おお怖っ」

 ――しかし、誠に遺憾ながら、こういった下品な輩に揶揄われることもまたカノロジーにとっては『いつものコト』だったりする。
 特にこの場は酒場というだけあり、斯様な無礼は想定の範囲内と言えよう。
(「まあ、それでも『情報収集』なんていくらでもやりようがあるわ」)
 ゆえに、カノロジーは一切動じることもなく。むしろ、本来の目的である『ダンジョンアタックにおける情報収集』にあたっては、話の流れとして実に好都合であった。
「あんたたち、大概にしておきな! ……すまないね、口の悪い連中で」
「ううん、良いのよ♡」
 すかさず仲裁に入る女将に「構わない」と言わんばかりに右手たる頭部を軽く揺らすと、カノロジーは罵声を浴びせてきた連中の方に身体を向け、静かな声音で言った。
「――慣れてるから」
「……っ、てめえ! 調子に乗りやがって!」
「ちょっと痛い目見ねえと分かんねえのか!」
 弱い犬ほど良く吠える、とはよく言ったもので。ここにいる以上は曲がりなりにも冒険者なのだろうが、これで程度は知れた。本来ならば相手にする時間すら惜しいが、せっかくのカモだ、これを引き鉄にしようではないかと内心でカノロジーはほくそ笑む。
「あらあら、威勢が良いコト♡ それじゃあ、アタシと勝負しましょう?」
 カノロジーが、そう言いながらスーツのジャケットを脱いで手近な椅子の背にかけると、シャツの袖をまくった。筋肉質の腕が露わになり、それを見た者たちは思わず息を呑む。

「――腕相撲で」

 どん! と、テーブルの上に肘をついて、右手を構えた。
 いつでもかかって来なさいと、言わんばかりに。
「お、おいおい……どういう話の流れなんだよ、腕相撲で勝負って」
「簡単な話よぉ、アタシが負けたら一杯おごってアゲル♡」
 実はその財源、カノロジーが経営する会社の社員に支払われるべき来月のお賃金なんですけどね! どうなっても知らないぞ!
「代わりにアタシが勝ったら……ダンジョンのこと、なにか知ってることを洗いざらい教えてもらいましょうか♡」
「な、何だその程度かよビビらせんな……いいぜ! 相手になってやる」
 まずは一人目の無謀なるチャレンジャーが現れ、既に構えられたカノロジーの手を握った。実はその時点で既に凄まじい『圧』を感じ、相手が怯んでいたのはここだけの話。
「参ったねえ、それじゃセコンドはあたしが務めようか」
 やれやれといったていで、しかしどこか楽しげに、女将がやって来て審判を買って出る。
「レディー……ファイッ!」
「はいぃ!!!」
「ぐわあ!!!」
 勝負は――一瞬で決着がついた。カノロジーの圧勝である。強い、強すぎる。男が度胸で女が愛嬌ならオカマは最強というフレーズをどこかで聞いたことがあるが、まさにその状況としか言いようがない!
「ま、マジかよ……」
「勝てるヤツいんの?」
 酒場がざわめく中、女将はにんまり笑いながら、むしろ周囲に発破をかけた。
「あんたたち、あれだけイキがっておきながらもう終わりかい!?」
「さあさあ、一人一勝負、勝っても負けても恨みっこなしよ~~~!」
 かかって来なさいという構えのカノロジーに、意を決した野郎どもが次々と挑んでは、ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返された。
「レッツ、グラップルよぉん!」
「あがががが! 腕がもげる!」
 その様、まさに爽快であった。もしかしたら美味い酒がタダで飲めるかも知れないだとか、とにかくこの異形頭のオネエに一泡吹かせてやりたいとか、様々な思惑はあったやも知れないが――カノロジーを揶揄した連中は、皆ことごとく返り討ちにあったのだ。

「じゃあ、約束通りダンジョンについて知ってることを全部話してもらおうかしらん♡」
「「「はい……イキってすみませんでした……」」」
 楽しい腕相撲勝負を一通り追えたカノロジーは今や悠々と椅子に腰掛け、その前に敗北者どもがひれ伏している状況である。名誉のために申し上げておきますと、ロジーさんが強いたのではなく、負けた連中が勝手に申し訳なさのあまり地に伏しただけです。
「あんたほどの腕があれば全然余裕かも知れねえけどよ、あのダンジョンの難所は二つあるんだ」
「二手に道が分かれてて、トラップだらけの道を突破するか、ハーピーの群れを蹴散らして進むかを選ばなきゃならねえ」
「どちらにも言えることなんだが、まともに相手しなくてもいいんじゃないかって話が最近になって出てきてる」
 カノロジーは淡々とした声で、話の続きを促した。
「その『まともに相手をしなくていい』っていう辺り、もうちょっと詳しくいいかしら」
「ああ……トラップは最悪破壊して突き進んでもいいし、ハーピーは大量にいるが全部を倒さなくても最低限痛めつけて先へ進んでもいいだろう、っていう考察だ」
 この場の誰一人としてダンジョンの難所を突破していないがゆえに、あくまでも『こうしたら良いのではないか』という推論にはなってしまうが、それでも現場を実際経験してきた者たちの集合知だ。十分参考にはなるだろう。

「よっし、ありがとねぇ♡ アタシ、張り切ってチャレンジしちゃう♪」

 やはり行くのか……という顔で、冒険者たちが背を向けたカノロジーを見る。
「……が、頑張ってね……!」
「気を付けてな、応援してるぜ!」
「無事ダンジョンの主を倒せたら、報告しに来てくれよな!」
 声援をその背に受けて、カノロジーは片手を挙げてひらひら振ると、そのまま酒場を後にしたのだった。

レア・ハレクラニ

●本日のおすすめの一品
 ある日の『黄金のほったて小屋』に、エルフの少女がやって来た。名をレア・ハレクラニ(悠久の旅人・h02060)という。外見こそ年若く見えるが、エルフという種族の例に違わず数百年の時を生きている、立派な冒険者――√能力者だ。
 エルフという種族に対し、人々は往々にして人生の悲喜こもごもを知り尽くしているかのような超越的雰囲気を覚えるかも知れないが、その点においてレアは非常に『現代地球へ順応していた』。何せ、自分の冒険を配信するチャンネルを持っているくらいなのだから。更新は不定期でのんびり運営だけど、良かったらチャンネル登録と高評価をよろしくお願いします! だそうです!

「ごはんっ、ごはんっ♪」
 そんなレアは、メニュー一覧を眺めながらめちゃくちゃ上機嫌であった。
「どれもこれも美味しそうで、レア迷ってしまうのです~」
 グランドメニューが記されている冊子だけでもよりどりみどりで目移りしてしまうというのに、その上『本日のおすすめ』などと手書きのメニューがカウンターに貼り出されているとあらば、そちらも気になってしまうのが生きとし生けるものの|性《さが》だ。
 周りの冒険者たちが頼んだものを参考にしようと思っても、それもまた皆が皆異なるものを美味しそうに食べているものだから、結局目移りしてしまうのに変わりはなく――。
「うう、このままだと一向に決まる気配がしません……でもっ!」
 レアはメニューから視線を外し、愛らしい顔を上げた。その瞳はキラキラと輝き、まさに『いいこと思いついた』状態である。
「こんな時、レアはどうすればいいのか知ってるのです!」
 カウンター席で一人ふふんと不敵な笑みを漏らしつつ、普段配信で慣らしたカメラ目線を決めつつ、グッと親指を立てた。
「それは――『お店のご主人のおすすめを聞く!』です!!」
 ドヤアァァァ……! 動画編集をするならここで効果音が鳴り響くところだろう。そしてそれは実際名案であった。店主との話も弾むし、情報収集にももってこいだ。
 そうと決まれば話は早い、えいっと元気良く手を挙げて、レアは声を張り上げた。
「ええっと、ご主人! レアにおすすめのごはんをお願いしたいです!!」
「はいはい、呼んだかい? ウチのおすすめでいいならいくつかあるけど……」
「大丈夫、レアは好き嫌いとかありませんですよ! 何でも食べます!!」
「ん? 今何でも食べるって言ったね?」
 あれ、ちょっと話の流れが変わってきたっぽい? という気配を察したレアは、やって来た店主たる女将からふいっと目を逸らし、たまたま目に入ったとある冒険者のテーブルに置かれたドカ盛りのナポリタンらしきものに視線を奪われつつ、言葉を続ける。
「んー……でも、今はそんなにお腹空いてないですから、デザートとかも大歓迎ですよ?」

 チラッ。
 逸らしていた視線をほんのちょっとだけ女将に戻しつつ、このニュアンスよ伝わりたまえと言わんばかりにレアは数度まばたきをした。
「おや、何か気になる食事を頼んでるお客がいたかい?」
「べ、別にあれが美味しそうだな、とかとは……っ!!」
 女将もいよいよレアとのやり取りが面白くなってきたのか、自慢の料理は数あれど、何を振る舞ってやろうかと探りを入れ始める。
「ちょっと、初めて見たなぁ、どんな味かなって……」
「あーあの、スキレットでグツグツ言ってるアレかい?」
「そ、そうですっ! 何かこう……ガーリックのいい香りがするというか……」
 何でもあると言われると迷いに迷ってしまうけれど、例えばイタリアンだとか、方向性が掴めるだけでもだいぶ違う。レアと女将の中で、最初に提供するメニューが、今まさに決まりつつあった。
「よし、任せときな! アツアツのを用意してあげるからね!」
「よろしくお願いしまーす!」
 女将が張り切ってカウンターの奥へと下がっていくのを見送ったレアは、席に着いた時に置かれた冷水を口に含みつつ、料理を待っている間に周囲の会話へと耳をそばだてる。
 待っている時間を有効活用して、ダンジョンアタックへの情報を仕入れておきたかったのだ。

「――でさあ、俺思う訳よ。あのハーピー連中は最低限いなして強行突破すれば次こそイケるんじゃないかって」
「言うだけなら簡単だけどさ、すげえ数だったろ? 振り切れんのか?」
「じゃあ、トラップの方を行くしかないわね……」
「そっちはそっちで、何がいくつあるのか、まだ全然把握できてないんですよね」

(「うーん、みんなダンジョンの攻略に苦戦してるみたいです」)
 カラン、と氷が溶けて小気味良い音を立てる。レアもこれまでちょいちょいとダンジョンの攻略を経験してはきたが、ここまで難所かつ本格的なものは初めてかも知れない。
 ダンジョン攻略の最終目的は、最深部に巣くっている主を倒すことだが、そこに至るまでの道中でほとんどの冒険者たちがつまずいている状況は、なかなかに手強そうだった。
(「ハーピーは群れで襲いかかってくるのですか、でも全部を相手にしてたら確かにキリがなさそうなのです……」)
 範囲攻撃で可能な限り一掃するか、何らかの手段で血路を切り拓いて駆け抜けるか。
 冒険者たちが出す案は、どれも試してみる価値がありそうだった。

 などと、レアなりに色々と思索を巡らせているうちに、どうやら『おすすめの一品』が完成したようだった。これは間違いなく、ガーリックの香ばしい匂い……!
「はいお待たせ、今が旬のプリプリ牡蠣のアヒージョだよ!」
「わあぁ……! こんなに大きな牡蠣、すっごく久しぶりに見ましたっ!」
 レア感覚での『久しぶり』なので、本当に貴重な一品なのだろう。一つ一つが大きくて肉厚で、それでいて大味すぎず旨味が凝縮されていそうな牡蠣に、レアは思わず両手を組んでときめいてしまった。
「火傷しないようにお食べ、追加があればいつでもどうぞ!」
「わーい、いただきます~~~!」
 アツアツの牡蠣を、言われた通り火傷しないように細心の注意を払いながら、そっと一口かじれば――予想通り、口いっぱいに広がる幸せの旨味である!
「おいしいですっ! 幸せ~~~」
 思わず大きな声で喜びを口に出したレアを、冒険者たちが温かい目で見た。
「あれ、もしかしてこのバゲット……オイルに吸わせて食べたらもっとおいしいんじゃないでしょうか……!?」
 レアは気付いてしまった。更なる美味への道が、そこにはあった。
「んん~~~! 最高ですっ!!」
 旨味がオリーブオイルに溶け込んでいるので、それをバゲットに吸わせて食べるのは大正解なのだ。牡蠣も磯臭さなどの嫌味が全くなく、予想通り旨味の塊で、果たしてレアが取った『店主におまかせ大作戦』は大成功だと証明されたのだった。

 たんまりと牡蠣を堪能してひと息ついたところで、ふと周りをもう一度見渡してみると、旬のフルーツがこれでもかと乗ったパフェが目に入った。あっ。
「はいっ、ご主人! 追加いいです?」
「よく食べるねえ、もちろん歓迎だよ」
「大丈夫、デザートは別腹です! あの……あちらのテーブルの人が食べているパフェをお願いします!」
「はいな、一緒に紅茶かコーヒーはどうだい?」
「あたたかい紅茶でお願いしますっ!!」

 食事は美味しい、ダンジョンの情報も得られる。
 これは……もしかしなくても十分最高な案件では?
 レアはホクホク顔で、甘味の到着を待つのだった。

黒野・真人

●食べれば何とかなるというお話の真相
 黒野・真人(暗殺者・h02066)がその気になれば、出身世界たる√EDENから異世界へは、いつだって行ける。それこそ近所のコンビニにちょっと買い物に行く感覚で、界をまたぐことだって可能なのだ。
 そうして今、真人は√ドラゴンファンタジーと呼称される世界へと足を踏み入れていた。
(「ヨソだろうと、強くなりたいから行く。場数踏むの大事」)
 ダンジョンを探索せよと言われたが、それはつまり最終的には『諸悪の根源を殺せ』ということなのだから、そのためならばどんな段取りも厭わず引き受けようと思った。
(「何処だろうと行って、殺すべきをブッ殺す」)
 鏖殺――ことごとくを皆殺しにする名を冠したハチェットをその身に隠した若き暗殺者は、己が何者かを若干十六歳にして十分すぎる程に理解していたから。
(「オレは、暗殺者だし」)
 黒ずくめ、という表現では足りぬくらいに黒い少年は、独り指定された酒場こと『黄金のほったて小屋』の重い扉を開くのだった。

「……うお」
 ドッと押し寄せてくる喧騒に、さすがの真人も一瞬気圧される。真人が普段慣れ親しんでいる『酒場』は、もっとこう、静かな落ち着いた雰囲気で……とにかく、この酒場は想像以上に賑やかであった。
 けれどそれが不快か、と問われれば――答えは否だ。
(「……本当は、こういうの好きだ」)
 まだ学校に通っていた頃を思い出せば、自分はこういう世界観を元に紡がれた物語に触れたことがあったものだ。
 あの頃は己とは全く無関係の、文字通り絵空事のように感じていて、行くとしたら夢の中で――などとふんわり思っていたのが、今や徒歩でこうして実際に入り込めるのだから、人生は本当に分からない。
(「不思議な感じ、でも」)
 殺し殺されの世界に生きる者が抱いてはいけない感情なのかも知れないが。
 それでも、真人は今を生きる人々の活気に触れて、確かに感じたのだった。

 ――嬉しい、と。

「いらっしゃい! そんなとこに突っ立ってないで、好きな席に座りな!」
「……」
 これまたいかにもな風体の女将に促されるかのように、真人は内心を悟られまいと無言で頷くと、かつかつとカウンターの席へと慣れた風に座ってみせる。
(「星詠みはメシ食えってたな」)
 そしてカウンターに肘を乗せ軽く頬杖をつきながら、カッコつけて端的に言うのだ。
「旨いお薦め、大盛で」
 キリッ。もしかしたら、そんな効果音がついたかも知れない。
「念のため聞くけど、苦手なものだったり、アレルギーだったりは大丈夫かい?」
「……問題ない」
 あれ、結構丁寧に聞いてくれるんだと思いつつ、その辺りは本当に大丈夫だったので端的に返事をした。最近は飲食業も何かと大変なんだな、とまで思ってしまう。
「じゃあ、任せといておくれ! あと、本当に大盛だから――覚悟しとくんだよ」
「……」
 人の良い笑みで女将がそう言うと、カウンターの奥へと引っ込んでいく。一応お腹は空かしてきたけれど、そんなにもそんなになのか……? という疑問は消えないでいた。
 ただぼうっと待っているだけなのも何なので、不自然にならない程度に酒場の中を見渡してみれば、テーブル席の冒険者パーティーと思しき団体がとんでもない量の料理を皆でシェアしながら和気あいあいとしているのが目に入った。
(「もしかして、あの量が来る……のか?」)
 いやいやまさか、あれは恐らく大人数用のまた別メニューだろうと、真人は己に言い聞かせるように視線をカウンターに戻し、先に出された冷水が入ったグラスを軽く揺らす。
 少なくとも、このグラスはごくごく普通のサイズだ。そんなにいきなりドカ盛り料理が運ばれてくる訳が――。

「おまちどおさま! 本日のお薦め、ペペロンチーノのベーコン添えだよ!」
「……っ」
 すごい、大盛。覚悟を問われた理由が、ようやく理解ができるレベルだった。皿がカウンターに置かれる時の『ドン』という音の迫力からして、尋常ではない。シンプルながら香ばしい匂いで食欲をそそるガーリックと、大量のパスタを覆い尽くさんばかりのどでかいベーコンの枚数も大盤振る舞いだ。
(「オレ、相当欠食に見えたか? それとも、すごい親切なのかな」)
 こうなると、色々と考えてしまう。けれどもどのみち女将が厚意で選んでくれた一品であることに変わりはない、真人は女将に向けてぺこりと頭を下げた。
「い、いただきます」
「あいよ、遠慮なく食べとくれ!」
 惜しみなく乗せられたベーコンの下に隠れたパスタをフォークで絡め取り、最初の一口を放り込んだ途端、口の中いっぱいに程良い辛みとガーリックの旨味が広がった。このペペロンチーノ、ただ量が暴力的なだけではない――ただシンプルに、旨い!
 こうなると、フォークを動かす手が止まらない。最初にこの『大盛』が運ばれてきた時は一瞬目眩がするかと思ったが、いざ食べ出すとついついがっついてしまう。ベーコンも忘れずに食べ進めると、これまた塩気がよく効いていて良いアクセントになった。
(「いやちょっとこれは、普通に食べ切れそうなんだけど」)
 気がつくと皿の半分は空になっていて、そこでふと我に返った真人が顔を上げると、ニコニコ笑顔の女将とちょうど目が合う。まんまと女将の思惑にはまったような心地がして、湧いてきた気恥ずかしさを隠そうとまたペペロンチーノとの戦いを再開した。

 横並びのカウンター席、少し離れたところで酒と肴を堪能していた冒険者もまた、そんな真人の姿を微笑ましく眺めている。壮年の男性だろうか、まるで我が子を見守るかのような視線で、真人が大盛のペペロンチーノをすっかり完食するまで見守っていた。
「……っ、は……」
 満腹感と達成感に、思わず息を吐き天を仰いだ真人を見た女将と冒険者が、同時に拍手を送る。食べている時は夢中で気付かなかったけれど、女将はともかく他の客にまで見守られていたのかと思うと、何だか妙に緊張してしまう。
「いやあ、いい食いっぷりだった! ここの大盛を一人で平らげるとは、大したもんだ」
 恐らく酒が入っているであろう木製のジョッキを軽く掲げると、冒険者は笑った。食事をしていれば自然と情報が手に入るとはよく言ったもので、先方から話しかけられるとは好機だと真人は即座に察し、口を開いた。
「だっ、ダンジョンの攻略法を……」
 やっちゃった。
 噛んじゃった。
 もっとこう、スマートに情報を聞き出したかったのに、ままならないものだ。
「お前さんも今話題のダンジョンに向かうのか? ここにいる連中はだいたい道中で引き返して来てるからな、攻略法があるなら逆に聞きたいくらいだろうさ」
 そう言いつつも、冒険者は真人を否定するでもなく、こう言葉を続けた。
「だがな、ここに来たのは間違いじゃない。無策で乗り込むより、そうやって情報収集をしようって姿勢こそが大事だ。お前さんを見込んで、俺が知っていることで良けりゃあ全部話そうじゃないか」
「! いいのか、そんな」
 あまりにも都合が良すぎないかと身構えてしまうくらいの勢いに、つい遠慮の言葉が出てしまうが、構わないと冒険者の男は頷いた。
「いいんだよ、聞いときな。ここではそうやってみんなやり取りしてんのさ」
 他の客の注文を取りに行きがてら、女将も笑いながらそう背中を押してくれる。
「そういうこった――まあ、ダンジョンには当然『主』がいて、そいつを倒すのが最終目的にはなるが、まだ誰もそこまでたどりつけちゃいねえ。途中の分岐が難所でな」
 男はまるで酒など入っていないかのように真剣な面持ちになり、真人へと告げた。

「トラップが大量に仕掛けられた道と、ハーピーが大量に巣くう道。俺はどちらにも挑戦したが、断念して帰ってきた訳さ。他の連中もだいたい同じような感じでな、情報交換してみりゃあ結論としては『まともに相手をしない方がいい』っていう方向に傾いてる」

 トラップはそれこそ『引っかかってみて初めて分かることが多い』が、他のダンジョンでも見受けられ生態もある程度知られているハーピーの相手をする方が幾分かはマシで、さらに言えば大群で攻めてくるのを全部相手にしなくとも、強行突破して先を急いだ方が良いのではという所まで、冒険者たちの中では話が詰められているそうだった。
「あとは、誰がそれを実行するかだな。お前さんなら俺らよりも先にやっちまうんじゃないかって、そう思う訳さ――直感だがね」
「え、あ、その」
 景気の良い食いっぷりから、まさかここまで評価されるとは露にも思わず、真人は言葉に詰まってしまう。けれども、ここまで言われると当然悪い気はしない。
「ありがと……」
 冒険者の男に何とか礼を告げると、ちょうどカウンターに戻ってきた女将に食事の代金を支払おうとして――気付く。
(「やべ、通貨が違うか!?」)
 硬貨も紙幣もある程度用意はあるが、それはあくまでも√EDENでのもの。√ドラゴンファンタジーであるこの世界では、価値を持たないのではなかろうか?
「紙幣二枚分、それで十分足りるよ。若いのにきちんとしてて、立派だねえ」
「に、にせんえんでいい……ってことか……?」
 二万円ではなかろうなと思いつつも、おずおずと言われるままに千円札を二枚差し出せば、女将はそれを確かに受け取って、食後にとミントキャンディーを渡してくれた。

 ――絶対、頑張ろう。
 色々と気恥ずかしいことも多かったけれど、間違いなく、そう思えた。

櫂・エバークリア

●食卓を共に囲めばもう仲間だし
 同業他社、と言われると、どうしても興味を抱かざるを得ないのは何故だろう。
 櫂・エバークリア(心隠すバーテン・h02067)は√ウォーゾーンの片隅でバーを経営している身であるからして、今回星詠みから『まずは冒険者の酒場に行ってきて欲しい』と頼まれた時には、主目的がダンジョン探索ではあると知りつつも心躍る思いだった。
(「他世界の、しかも酒場なら最高だ」)
 これぞ役得、というべきか。√能力者でもある櫂は、ひとたび√ドラゴンファンタジー世界に足を踏み入れれば、もう立派な『冒険者』だ。
「うまい飯にうまい酒、冒険者もいいかもな」
 大通りを進むうちに、目印である『黄金のほったて小屋』と書かれた看板を見つけた櫂は、うっかり別の√に迷い込まぬよう注意しながら、矢印に沿って路地を曲がる。そうして見出した件の酒場は、重厚な扉の向こうで櫂を待っているようだった。
(「勿論、情報収集も大事だ」)
 入店前に、身を引き締める。
(「何も分からない所へ踏み込む程、命知らずにはなれない」)
 大事なことは決して忘れずに、櫂は扉に手をかけた。

 酒場にも、色々な種類がある。例えば、己が経営するバーは会員制で誰もが気軽に立ち寄れる場所ではないが、その分穏やかでしっとりとした雰囲気を楽しめる――ものだと、自負しているつもりだ。対してこの酒場は、いわゆる大衆酒場のていをしており、店舗の規模も外見から想像する以上に広く、団体で押しかけてもキャパオーバーを起こすことはほとんどなさそうに見受けられた。
「おや、今日は一見さんが多いねえ! 一人かい? 今テーブルを片付けるから……」
「ありがとう、でも大丈夫だ」
 忙しなく動きながらも新たな来客の気配を感じ取った女将らしき女性が、気さくに声をかけて席の用意をしようとするのを、櫂は敢えて制した。どうしたことだろうか?
(「四人がけのテーブルに三人のパーティーらしき団体、席は一つ空いている」)
 入店と同時に店内を観察したのは、ただ関心があったからだけではない。櫂は最初から、どこかしらの冒険者一行のテーブルを共に囲もうと目論んでいたのだ。そしてちょうど良さそうな一団を見つけたので、実にさりげない所作でテーブルへと近付いた。
「悪いな、相席いいかい?」
「……んあ? 何だアンタ」
 三人で談笑していたところに、見知らぬ男が突然話しかけてきたとあっては、残念ながらすげなくされるのも仕方ないかも知れない。けれども、それは想定の範囲内。
(「よそ者なんざ、睨まれるだけだろうけど――こういう時は、何よりこれが一番」)
 人当たりが良い笑みも慣れたもので、櫂はこう切り出した。
「話を聞きたいだけさ、この場は俺が奢るから――どうだい?」
「えっ!? そんな言葉通り美味しい話があるんですか!?」
「あなたも冒険者なのかしら、最近話題のダンジョンの話で良ければいくらでも……」
 うわっ突然態度が軟化したぞ! こうかはばつぐんだ!
(「酒も飯も、こういう場は何よりの潤滑油なんだ」)
 何しろ櫂には潤沢な資金がある。拠点こそ√ウォーゾーンだが、表と裏、両方の生業で得た『取引』により懐は暖かい。ぬっくぬくだ。その辺りは何の心配も要らなかった。

 櫂はダンジョンの情報を少しでも多く引き出したい。
 冒険者たちは少しでもダンジョンの情報を話したい。
 この時点で互いの歯車はかっちりと噛み合ったため、それからの話は非常に早かった。念のために「本当に奢りでいいんだな?」と聞かれた以外は、見た目も味も抜群に美味しい料理を囲み、思い思いに好きな酒を頼み、大いに盛り上がったのだ。
「ここの飯はとにかく何でも量が多いんだよ、アンタも一人じゃ逆に大変だったろ」
「気前のいいヤツは嫌いじゃないぜ、いいやむしろ歓迎だ! ありがてえなあ!」
 冒険者たちが言う通り、さらりと一人前のようにメニューに書かれた品物のことごとくが、普通に考えると最低でも二人がかりでないと食べきれないような量で供されるものだから、これは確かに相席を持ちかけて正解だったかも知れないと櫂にも思わせるレベルだった。
(「金額に対しての量が確かにおかしいな……元は取れるんだろうか」)
 そんなことまで考えてしまうそうな量のピラフを取り分けながら、同じテーブルを囲んだ冒険者たちを見れば、これまた米類に合いそうなローストビーフの山に挑んでいる。
「それで、ダンジョンの話で良かったわよね?」
 慎ましやかに見えて、実はこの場で一番多い量を平らげている女性の冒険者にそう問われると、櫂は頷いてみせた。
「ああ、ダンジョンの事を知りたいんだ。どんな情報でもありがたい」
 噂通りの大きな木製のジョッキに注がれた麦酒を口にした後でそう頼むと、食事の合間に次々と彼らが知る限りの話が飛び出してきた。

「もう知ってる話だったら申し訳ねえが、この近くで今誰もが躍起になって攻略しようとしてるダンジョンは、『主』の所までたどり着くまでがそもそもの難所でな」
「多分、二手に分岐してる場所のどちらも厄介だっていう話は端折ってもいいかもだよな。トラップが仕掛けられた道と、ハーピーが大量に巣くってる道の二つのことだ」
「トラップは数が多すぎて、一つ一つ解除していたらそれだけで疲弊してしまうくらいなの。他の冒険者からも話は聞くのだけれど、こちらはあまりおすすめできないかも……」

 どうやら、ダンジョンに挑戦したものの途中で引き返して来た冒険者たちの間では、トラップの道は若干忌避されている傾向にあるようだった。
「なら、もう片方の道はどうだろう? ハーピーなら、他のダンジョンでも相手にするなどで対処法が見えてきていたりする頃合いだとか」
 野菜も食べたいねえ、という話で注文されたシーザーサラダがこれまた大盛で運ばれてきたタイミングでそう尋ねると、早速それを取り分けながら女性が答える。
「鋭いわね、次に挑戦するならハーピーの道にするっていう話が多いわ。こちらはこちらで数がひたすら多いけれど、戦場は向こうもこちらも動きやすい広間になっているから、可能なら蹴散らして、全部は無理でも最低限倒して道の向こうに進めればもしかしたら――という感じかしら」
 冒険者の戦い方もそれぞれなので、戦闘そのものは各々得意な手段を取れば良いが、四方八方から攻め立ててくるハーピーの群れを倒し切る必要まではなさそうだ。
 もちろん、腕に自信があるのならば全部倒してしまっても構わないだろうけれど。
「ハーピーがいる戦場自体は開けた空間になっているが、その先に『主』へと続く道が必ずあるという事で間違いないかい?」
「その――はずだぜ? そこで行き止まりだったらそれこそ詰みだっての」
「いや、確かあと少しで進めそうだった連中がいたはずだよ。それでこの話の流れになってんだからさ」
 先程まで山盛りだったはずのサラダも、あっという間になくなってしまう。櫂も抜かりなくある程度のサラダを確保しながら、冒険者たちからもたらされる情報を全て脳内に叩き込んでいった。
(「トラップの方は難しそうだが、ハーピーの方はやりようによっては何とかなりそうで良かった」)
 ここまでの情報を仕入れることができたのも、これまで幾多の冒険者たちが『勇気ある撤退』を決断してきたからだろう。それへの対価と感謝の意を表するのに、食事をご馳走する程度、どうということはないと改めて思う。

「もしも、俺がダンジョンに向かうとしたら」
 そう櫂が口を開くと、冒険者たちは三人とも、いっせいに身を乗り出した。
「行くならマジで気を付けてな!」
「情報提供したとは言っても、せっかく奢ってもらったんだ。死なれちゃ目覚めが悪い」
「どう進むにしても、しっかり準備していくのよ。あなたなら大丈夫だと思うけど……」
 ダンジョンアタックの話題を共有しているうちに、すっかり心を開いてくれたようだった。櫂が見抜いた通り、酒と飯の力は本当に偉大である。
「――ありがとう、こうして話を肴に盛り上がれただけでも十分だけれど、やっぱり一度は挑戦しておきたいからね」
 だいたいの情報は得たと判断し、櫂は麦酒を飲み干した。
 ここまでのお勘定を約束通り引き受けたら、いよいよ探索へと向かうこととなる。仕入れた情報を最大限に活かせば、きっと上手く行くに違いない。
 ダンジョン攻略という最大の成果を持ち帰って、また誰かしらとこうして酒を酌み交わしたいものだと思いつつ、櫂は席を立つのだった。

ヘリヤ・ブラックダイヤ

●美味しい角煮と美味しい情報
 冒険者の酒場『黄金のほったて小屋』に迷うことなくたどり着き、ちょうど空いていたカウンター席に座ったヘリヤ・ブラックダイヤ(元・壊滅の黒竜・h02493)の前には、ゴロゴロとボリューミーな豚の角煮が置かれていた。
 そう、開幕から豚の角煮である。白髪ネギと煮卵が添えられた本格派だ。
「店主おすすめの肉料理を頼もうか」とだけ注文をしたら、シンプル系と手が込んだ系のどちらが良いかと問われたので、ならばせっかくだから後者だと返事をした結果だった。

「店主よ、この肉の塊は何故斯様にナイフを使わずとも容易くほぐれるのだ」
 淡々としているようで、しかし感嘆の声音を混じらせながらヘリヤが問えば、店主たる女将は満面の笑みで軽くカウンターの奥――厨房を親指で示しながら言う。
「豚バラのブロック肉を、うちでは圧力鍋を使わないでじっくり時間をかけて仕込んでるのさ。先代の頃からのレシピでねえ、柔らかくトロトロに仕上がるのが自慢だよ」
「なるほど、焼いて香辛料で味を調えただけのものとはまるで違う」
 箸だけでホロリと切れる上に、口に入れればしっかりとしみ込んだ煮汁の味が広がる。脂っこいように見えて全然嫌味がなく、ひたすらに旨味ばかりが押し寄せてくるのに、ヘリヤは舌鼓を打つばかり。
(「舌が変わったというのもあるが、この時代の食事は美味だ」)
 黒曜石を思わせる美しき鱗持つ|竜《ドラゴン》だったのははるか昔のことだ、人間の姿に堕とされたことを不便に思うことも多々あれど、こうした娯楽を堪能できるという点では、なるほど悪い話ではないなとも感じることができた。

(「冒険の前だ、補給は整えておかねば」)
 そう考えたヘリヤは、量に関して「多めに頼みたい」と注文の時に申し添えていた。ゆえに、供された角煮の量はゆうに二人前を超える。これだけ美味ならばいくらあっても足りぬくらいであり、食べ崩しながら女将や他の客――冒険者たちから話を聞くには、むしろちょうど良いくらいだった。
「あっ豚の角煮じゃん! 俺たちも頼もうぜ!」
「すみません、人が美味しそうに食べてるの見ると、つい同じものが食べたくなっちゃって……」
 近くのテーブル席で注文を悩んでいたと思しき冒険者たちが、ヘリヤにそう声をかける。問題ないと片手を軽く挙げると、冒険者たちが女将に豚の角煮を注文しているやり取りが続いた。もしかしたらこれは、情報を仕入れる契機かも知れない。
「おねーさんも、今話題のダンジョン?」
「ああ、今からダンジョンだ」
 凜としてどこか近寄り難い雰囲気すら醸し出しているかも知れないヘリヤに対し、この冒険者は割と気さくに話しかけてくる。まだ年若い人間に見えるこの冒険者は、件のダンジョンについて、何か知っているだろうか?
「発生してまだ間もない、入ったら先が罠の道とハーピーの道とで分かれている……というところまでは聞いているが」
「そうそう! そこまではみんな問題なく進めるんだけどさ……なあ?」
「はい、どちらを進むにしても突然難易度がはね上がり、その先を見た者は今のところいません」
 気さくな青年に続き、手綱を握っているのだろうか、冷静そうな青年が言葉を続けた。
 ダンジョンは発生直後から探索に着手されてはいるようだが、いわゆる難所をどう突破するかが、引き返して来た冒険者たちによるもっぱらの議論の中心であるようだ。
「そうだな、個人的にはハーピーの道の方が良い」
「マジで? 俺たちもそっち行ったけど、すんげえ数が群れてて死ぬかと思ったぜ?」
「罠はどんな面倒なものがあるかも分からないが、ハーピーならば」
 時折角煮をつまみながら、ヘリヤは至極当然のことのように言った。

「――全て、なぎ払えば済むことだ」
「うっわ、かっけえ」
「いやでも確かに、この方のおっしゃる通りかも知れないですよ」

 トラップが仕掛けられた道に関しては、冒険者たちの間でも、残念ながら全てがつまびらかにされていない状況であるのが実情らしい。完全な攻略法が見出されるまでは、もう少しばかりのトライアンドエラーが必要になりそうだという見込みだった。
 一方で、ヘリヤが話を振ったハーピーの道に関しては、まだ勝機はありそうだということで『次にアタックする時はどうするか』の話題が複数挙げられているという。
「おまちどお、ご所望の豚の角煮だよ! って、もうすっかり盛り上がってるじゃないか」
 女将が冒険者たちの元へ、これまたすごい量をした豚の角煮を運んでくると、既にダンジョンに関しての情報を共有し始めたヘリヤたちを見て笑う。
「ハーピーってアレだろ、何しろ数が多くてあんたたちも苦労してるんだってね?」
「そそそ、連中さあ、巣くってる場所が広間みたいに開けた空間なのをいいことに、四方八方から襲ってくるんだよ」
「身を隠す場所も、ほとんどありませんでした。あの群れの全てをまともに相手していては、その先もあるのに途中で消耗してしまうでしょう」
 ヘリヤがまさに知りたいと思っていた、戦場についての情報も自然と入ってくる。豚の角煮が偶然繋いだ縁としては、上々ではないだろうか。
「……そんなにも、群れの数は多いのか」
「ヤバかったなあ、でもおねーさんくらい強そうな冒険者なら、ドカーンって蹴散らせるかも知れねえし」
「そうですね、あるいは最低限を蹴散らすに限って、広間の向こうにあるはずの『先へ進む道』まで強引に突破してしまうのも良いだろうと言われています」
 ハーピーの群れで足止めを食った冒険者たちは、次ならこうするという策を各々練っているようだった。飲んで食って情報交換をしつつ、誰が『主』の所まで一番に乗り込むか――話は、そういう段階に進んでいるのだろう。

(「ハーピーごときに後れを取るつもりはないが、こればかりは実際に見てみないと最適解は出せないやも知れないな」)
 会話を交えながらも、豚の角煮を味わうヘリヤは、油断なく戦場についてのイメージを膨らませる。ハーピーというだけあって、恐らくは空中から攻撃を仕掛けてくるのだろう。そして、それが可能な程度には開けた空間での戦いになる、ということか。
「足場が悪いなどの条件がないなら何よりだ、あちらが動きやすいならば、こちらもそれは同じことと考えて良いのだろう」
 残っていた煮卵まで食べ終えて、ヘリヤは情報を提供してくれた冒険者二人に向けて、大仰に言った。
「ハーピーの道に関しての話、大変参考になった。後は任せておくと良い」
「ええ!? 初見で攻略するっての!? ヤバくね!?」
「君はもう少し人様に伝わる言葉で会話をしなさい!!」
 ヘリヤなりの謝意の言葉ではあったが、果たして伝わっただろうか。誇り高きドラゴンプロトコルの少女は、現代地球がもたらした凝った料理と、スムーズに共有される情報の恩恵にあずかりながら、いざダンジョン攻略に挑む。

「実に美味であった、ダンジョン探索が終わったら、次は別の料理も楽しみたいものだ」
 女将にもそう言うと、代金はいくらかと尋ねるヘリヤ。女将はそれに気付くと、伝票を持って近付いてきて、ヘリヤの肩に軽く手を置いた。
「お勘定だね、すぐに行くのかい? 大丈夫だとは思うけど、気をつけるんだよ」
 最近の若い子は、動画映えとかを狙って無茶をしがちだから心配だよ――なんて、あくまでも外見はうら若き乙女であるヘリヤを気遣い、女将は送り出してくれた。
 寝床すら失った身にとって、こうして『戻ってきていい』と言われるのは、悪くない。
 次にこの酒場を訪れる時は、宣言通り朗報を持ち帰ろうと思うヘリヤであった。

第2章 集団戦 『ハーピー』


●ハーピーの群れに挑め
 星詠みから攻略を依頼されたダンジョンにほど近い冒険者の酒場『黄金のほったて小屋』で、√能力者たちが同じ冒険者として得た情報を整理した結果、トラップの道を行くよりはハーピーが巣くう道を進む方が、先行きがよりはっきりしていることが判明した。

 曰く、ダンジョンの内部をある程度進むと、突如だだっ広い空間が広がるとか。
 そこには、大量のハーピーが群れをなし、四方八方から襲いかかってくるだとか。
 可能ならばその全てを倒し尽くしても構わないし、難しければ最低限を屠った上で、群れを突破した先にある『主』の部屋へと続く道を目指しても構わないとか。

 上半身が女性、下半身は猛禽類の怪物。
 腕そのものは翼であり、猛禽の爪が主な攻撃手段である。
 ただ、幸いにして、連中は数にものを言わせているだけなので、今回集った√能力者たちの前では、余程の油断がない限り苦戦することはないだろう。

 一般の冒険者たちの間で『難所』とされたこのハーピーの群れを、どのように突破するか? それが、今問われることとなる。
獅出谷魔・メイドウ

●百獣の王の『狩り』
『ギャアッ、ギャアッ』
『キエエェェェェ!!』
 冒険者の酒場で話題になっていたダンジョンは、すぐに見つかった。徒歩で行けるレベルで、めちゃくちゃご近所さんだったからだ。
 道中も、散々脅された割には楽に感じた――いかにもな洞穴を進んだ先、二股に分かれた道を、大きな鳥の類が鳴き散らかす声がうっすらと聞こえる方へと向かうまでは。
(「おうおう、こっちがハーピーぶっ倒しコースで間違いなさそうだな!」)
 耳障りな鳴き声に近付くにつれ、しかし獅出谷魔・メイドウは心を躍らせた。酒場で仕入れた情報が確かならば、大広間めいた場所に出ると同時に、ハーピーの大群と遭遇することになるはずだ。それはつまり、存分に持てる力を振るえるということだから。
 躊躇うことなく、獅子獣人は力強く歩を進めた。そして、その時は来た。

 ――バサバサバサバサッ!!!

 それはまさしく先人たちより聞いた通り、突如視界が開けたと思ったら、鳥の羽ばたき音が響き渡り、人と鳥が混ざり合った姿のモンスターが群れをなして現れたのだ。
「コイツらがハーピーか! 揃いも揃ってマズそうなツラぁしてやがるぜ!」
『ギギ……ッ!?』
 ハーピーさん側も、まさか初手で美味い不味いかの判定を下されるとは思わなかっただろう。天井の高い大広間を舞いながら、メイドウの言葉を聞いた個体が変な声を上げた。
「さあ、爪でも魔法でも見せてみろ!」
 言葉通り『かかって来い』と胸を張るメイドウを囲むように、ハーピーたちは次々と飛行高度を上げる。そして、人間がするそれと同じように大きく息を吸うと、禍々しい牙をむき出しにして口を開けた。
『キィエアァァァァァァァ!!!』
 耳をつんざく絶叫は可視性を持った音波の弾丸となり、間断なくメイドウを狙って飛来する。直撃しては命が危ない――と、メイドウが論理的に考えたかは分からない。ただ、事実として、メイドウは脅威的な脚力で大広間を駆け抜け、襲いかかる音波の弾丸を紙一重で躱したのだ。
「む! 突っ込んでくるだけじゃなく、上から何か撃ってくるのか!」
 鍛え上げられた獅子の脚で、メイドウはハーピーが上空に舞い上がったことによりできた広々とした地上の空間を、縦横無尽に駆け抜ける。音波の弾丸が地面に振れると同時、轟音が響き翼持つ怪物どもは興奮に身をよじらせるが、今や冒険者の中でもトップクラスの実力を持つメイドウを捉えることは叶わなかった。
「お返しだ! 行くぜっ!」
『ギィッ!? ガガ、ガ……ッ』
 運悪くメイドウの手近に居た個体が、突然の衝撃に呻き声を上げ――じきに、動かなくなった。√能力【|激昂阿修羅《ゲキコウアシュラ》】の容赦ない打撃の嵐に叩きのめされ、あっという間に沈黙したのだ。
 恐るべき怪力による打撃の余波で生まれた衝撃波は周囲のハーピーたちをも巻き込んで、反撃にと放たれた音波の弾丸さえも相殺してみせる。それに明らかな困惑を見せる敵を前に、物足りないとばかりにメイドウは、たった今屠り地に落としたハーピーの屍を思いっきり蹴り上げると、上空で戸惑い隙だらけだった群れに叩きつけてやった。

「どうだ! 物足りんぞ! もっと強い奴はいねえのか!!」
『ギャ……ウ……』
『ギイイイッ!!』

 圧倒的な力量の差を見せつけ、煽るメイドウ。
 ここに来て初めて自分たちが『狩られる側である』と思い知らされたハーピーたちは、動揺して連携行動を取れなくなってしまう。怯え竦む個体と、自棄になって単騎で迫る個体とに別れた結果、メイドウの尋常ならざる連撃の前に次々と蹴散らされていった。
 もっと強い奴は、きっとこの先にいる――その気配をうっすらと感じ取ったメイドウは、それを目指すべくニィと笑って、獅子の咆哮で邪魔者どもを沈黙させるだのった。

天咲・ケイ

●それは、あまりにも一方的な
 天咲・ケイは噂のダンジョンに潜入し、しばらく真っ直ぐに進むと、行き当たった分岐点で明らかに猛禽類の鳴き声と思しきものが聞こえる方へと足を踏み入れた。
 より近付くにつれ、バサバサという羽ばたき音も混じり始める。いつハーピーの群れに遭遇してもいいよう、油断なく気を引き締めながら歩を進めると――居た!
『キョアアアアア!』
『ギャアッ、ギャアッ!』
 顔面こそ人間のなりをしていても、発する声は猛禽のそれであり、どうやら知性は然程高くないように思えた。噂通り、群れをなすことで猛威を振るっているのであろう。
「なるほど、数こそ多いものの脅威と呼べる強さではないようですね」
 眼鏡の奥で黒い瞳をほんの僅か細めたケイは、ハーピーたちが飛び回る空間を確認する。
(「そして、戦うには申し分ない場所ではありますが」)
 これもまた、酒場で集めた情報通りであったのだが、障害物が何一つとして存在しないのだ。せめて一瞬でも身を隠せる岩ひとつくらいあっても良かろうに、それすらない。

「ならば」

 ケイの決断は早かった。チャイナドレスの裾をはためかせながら、大広間と呼んで差し支えない空間の壁に沿って移動を開始した。そう、何も馬鹿正直に真っ向から挑む必要などない。囲まれぬように常に壁際を移動すれば、自然と接敵する数も減るというもの。
 侵入者の動きに反応したハーピーたちが、ケイを圧殺せんとばかりに殺到する。翼を打って舞い上がると、視界から外れた個体は見えなくなったが、邪魔をせぬというならば構うまい。
「目視であれば見える――私を止めたければ、姿を見せざるを得ませんね」
『ギィッ!』
 ニーハイソックスが生み出す絶対領域を見せつけんばかりに、瑞々しい少年の脚が勢いに任せて振るわれた。それにより生じた衝撃波は、周囲のハーピーたちをググッと牽制する。
 ケイの攻撃動作は止まらない。両足が地に着くと同時、今度は上半身を地面と水平に倒して溜めた気を両手から放ち、それを盾にするように視界内のハーピー目掛けて身を屈めたまま一気に接近し、飛翔しているハーピーの脚をがっしと掴んで接近戦を仕掛けた。
 肉眼での視認以外を認めぬ隠密行動を取る代わりに、移動力と戦闘力を半減以下にさせたハーピーの群れなど、恐るるに足らず。脚を掴まれたハーピーは、哀れ豪快にぶん回され、周囲の個体どもを蹴散らす武器代わりとされたのだ。
『グエェ……!』
『ギャゥッ!?』
 それでも鋭い鉤爪は掠りでもすれば無傷では済むまい、しかしそこは先程放った気がオーラの障壁となってケイを守る。ハーピーたちは明らかに困惑していた――これまで追い返してきた冒険者たちとは、明らかに格が違うではないかと。

(「順調に敵の数を減らせましたね」)
 まるで棍棒のように同族をなぎ払う武器とされたハーピーは既に息絶え、それを無造作に放り出すと、ケイはいまだ視界に入る愚かな者どもを一掃すべく、腕を引いた。
 そして突き出された拳から始まる容赦のない連撃は――【|百錬自得拳《エアガイツ・コンビネーション》】! 一撃のもとに複数のハーピーが屠られ、辛くも逃れた個体には衝撃波や掴みかかりが襲いかかり、決して逃すことがない。
「余裕があれば全滅させたい所ではありますが」
 最初に大広間へと足を踏み入れた時の殺気は既に失せ、ハーピー側からの攻撃意欲はすっかり削がれてしまっているようだった。これだけ一方的に攻撃されては、無理もない。
「……わざわざ追い回してまで、というのもかえって時間の無駄ですね」
 既に、眼前は開けた。見えないハーピーたちは、敢えて姿を隠しているのだろう。
 頃合いだ、と判断したケイは、遠慮なくダンジョンの奥へと続く道へと駆けていった。

オフィーリア・ヴェルデ

●聖竜に願うは
 正直に言えば、戦いは得意ではない。
 けれど、オフィーリア・ヴェルデは果敢にもダンジョンへと足を踏み入れた。
(「倒さなくても、飛んで四方八方から襲い来るハーピーをなんとかして、先に進めればいいのね」)
 何も、力任せになぎ倒していくだけが攻略法ではないと知れただけでも、酒場で情報収集をした甲斐があったというもの。オフィーリアにはある考えがあった。それが上手く行くならば――難所と称されたハーピーの群れを、あるいは突破できるやも知れない。

 ダンジョンをしばらく進むと、確かに道は二手に分かれていた。その片方から、猛禽類のものと思しき鳴き声や翼の音が微かに聞こえる。そちらに向かえば、件のハーピーが居る大広間へとつながっているのだろう。
 かくしてオフィーリアは、遂にハーピーたちと邂逅した。
『ギャアアアアッ!』
『キィエェエエエッ』
 バサバサと翼を羽ばたかせながら、オフィーリアの姿を認めるなり声を大きくする異形のモンスターたち。話には聞いていたが、確かに戦場となる空間は大広間と呼ぶに相応しい程度に広く、ハーピーたちが自由自在に飛び交っているではないか。
「偉大なる聖竜様……!」
 オフィーリアは、微かに震える手を胸元で組むことでそれを抑えながら、【|神聖竜詠唱《ドラグナーズ・アリア》】を発動させ、|神聖竜《ホーリー・ホワイト・ドラゴン》を顕現させることに成功した。
(「これで、ハーピー達もその荘厳なる竜の御姿に恐れおののいてくれるかも……」)
 白き聖竜はオフィーリアの呼び声に応えるかのようにその美しい両翼を広げる――常人であれば、その神々しいまでの光景にひれ伏さずには居られなかっただろう。

「あぁ、聖竜様を攻撃しないで……!」

 なんということでしょう。ハーピーたちのお世辞にも高いとは言えない知性には、聖竜の神性が響かなかったのか? まるで『新しいカモが来た』とばかりに、むしろ聖竜を囲んで今にも襲いかからんとしているではないか。
(「でも、聖竜様に注目してくれてたら……チャンスかも」)
 囮にするようで少々申し訳ないけれど、オフィーリアはハーピーたちの狙いが顕現させた聖竜へと向いている隙を突き、大広間へと踏み込むや走り出し、こう願った。
「聖竜様、お願いです。ハーピー達が色々な所から飛んできて先に進めないのです」
 無作法なるモンスターどもは、乙女の言う通り、道を阻まんとしている。
「彼女達が自由に動け回れないように」
 乙女は祈り、願う。
 ――広間の天井を、飛べないくらいに低くしてくださいと!
『グギ……ッ!?』
 ずしん、と。大気が歪み、圧迫感を覚えたのは気のせいではなかった。オフィーリアの願いは大広間中を包み込み、聖竜が言葉通りそれを叶えてくれたのだ。
 羽ばたく自由を奪われたハーピーたちが次々と呻き声を上げ、辛うじて攻撃が届きそうな個体から音波の弾丸が往生際も悪く放たれる。しかしモンスターどもは混乱の最中にあり、その命中精度は非常に低い。当てずっぽうに撃たれた弾丸ならば、覚悟を決めたオフィーリアの前には無力も同然!
(「多少の被弾は覚悟の上よ」)
 手にしたディヴァインブレイドは、まるでその決意を祈りと捉えたかのごとく輝き、音波の弾丸もハーピー自体も自動的に攻撃し、牽制してくれる。
 願いを叶えたのち、聖竜は静かにその姿を消していた。手の震えは最早なく、ダンジョンの奥へと続く道へと、オフィーリアは迷わずに突っ切っていた。
 背後でハーピーたちが悔しげに騒いでいたが、振り切ってしまえばどうということはない。事前に入手した情報の通り、まともに相手をする必要はなかったのだ。
 オフィーリアの作戦勝ちである。また一つ経験を積み重ねた乙女は、冒険者として確実に成長していくのであった。

メイ・リシェル

●猛禽の咆哮
「わあ可愛くない」
 ダンジョンの分岐を違わず進み、情報通りハーピーの群れが巣くうエリアに到達したメイ・リシェルの第一声は、これだった。
 だが気持ちも分かるというもの、ハーピーと言われてまず思い浮かぶのは、人間の女性部分要素が強く、外見の愛らしさや魅了の歌声などを前面に押し出すタイプではないか。
 対して、此度のモンスターはと言えば、むしろ猛禽類の要素が強すぎるまであり、人間の女性でありながら発せられる声はもはや言語ですらない有様だ。
「……って、言ってる場合じゃないね」
 ギャアギャアと、いかにも知性が低そうな鳴き声で威嚇してくるハーピーたちを見る。ああ確かに、噂に違わぬ群れの数だ。
(「この数を全部相手にするのは無理だから、最短距離を突っ切るよ」)
 メイの判断は速く、そのための策も練ってきてあった。故に、まごまごしてハーピーたちに先手を打たれることなく、メイはモンスターが群れる大広間へと踏み込んだ。

 バサバサと、羽音だけでも既にやかましい。それが大広間中に響き渡るのだから、なおのこと。そんな中でもメイは集中を切らさず、ハーピーたちの群れから目を離さずに、一歩踏み込んでは下がるを繰り返していた。
 何をしているのか? と思われるかも知れないが、いくら群れとは言えどもさすがに広間中を埋め尽くしている訳ではなかろうと、必ずどこかしらにあるはずの『数が比較的少ない部分』を見極めんとしているのだ。
 全体的に愛らしいメイの、特にとんがり帽子を幾度かハーピーの鉤爪が掠めていくが、巧みに躱して敵陣の薄い箇所を探る。次第にハーピー側が痺れを切らしたのか、群れの一部がメイの方――ダンジョンの入り口に近い方へと動き出した。
(「見えた」)
 それにより、自然と手薄な場所が生じる。我慢強く機を窺ったメイに好機が訪れた形だ。多少強引にでも駆ければ、ある程度は難なく進める活路を見出した今、躊躇する理由はない!
『ギャアアッ!!』
『キエエェェェ!』
 最初に迫ったハーピーたちの間をするりと抜けて、走り出したメイに対し驚愕とも怒りともつかぬ声が上がる。声は次第に大きさを増し、遂には目に見えるまでに強力であろう音波の弾丸となるのだ。
 メイは星の杖を一度くるりと回し、トンと地面に突いた。その動作、およそ三秒。【ウィザード・フレイム】を発動させるには、十分な時間であった。

「これ、いらないからお返しするね」
『ギィヤァァァッ!?』

 煌々と燃え上がる炎が生じたと思うや、メイ目掛けて放たれた音波の弾丸を『反射する』! 想定外にも程がある事態に、ハーピーたちは自ら放った攻撃を喰らって次々と地に墜ちていった。
「この音、ボクにとっては耳障りだけど――あなたたちの耳にはどう聞こえるのかな?」
『ギギッ……!』
『グウゥゥウッ』
 どうやら、ハーピー自身も不快さは感じるらしい。自分がされて嫌なことを積極的に相手へ仕掛けていくとは、ろくでもない輩である。
 攻撃への対処法は完璧に把握した。しかし、大広間の先にあるダンジョンの最奥へと続く道に向かわねば、話が進まない。攻撃を反射する炎を維持しながら進むことは事実上困難であり、メイは決断を迫られた。
「――うん」
 決意の証としてまばたき一つ、冬の装いをした少年魔術師は杖を構えて駆け出した。
 残ったハーピーたちが当然ながら行く手をさえぎるも、メイは勢いに任せてそれらを思い切り殴りつけ、叩き伏せながら先を急ぐ。
(「どのみち、無傷で行ける訳は無いから」)
 幸い、群れの向こうに先へ進む道はもう見えている。弾丸が地面にぶつかり生じた轟音をまともに聞くまいと、長い耳をミトンに包まれた手で塞いだりしながら、駆けた。
「ボクの――勝ちだ」
 胸元のベルがりん、と鳴る。
 それと同時に、メイは大広間を駆け抜けることに成功したことを確認した。
 背後では追うことを諦めたハーピーたちがギャアギャアと喚いていたけれど、もう相手にする必要はないというものだ。

カノロジー・キャンベル

●巨大な右手の冴えた手刀
 未知数にも程があるトラップの道より、ハーピーが巣くう道を進んだ方が勝算は高い――冒険者の酒場で得た情報を元に、カノロジー・キャンベルはダンジョンを突き進んでいた。途中の分岐では、まるでこちらを誘うが如く片方の道からギャアギャアと猛禽類の鳴き声がうっすらと聞こえたものだから、迷うこともなく。
「困るのよねぇ、空を飛ばれると」
 この先はきっと情報通り大きく開けた空間であり、声の主であるハーピーたちが群れをなして待ち受けている姿が容易に想像できるものだから、軽いぼやきを漏らす。
「文字通り『手が届かない』んですもの~~~」
 カノロジーは本当に困っていると言わんばかりの声音をダンジョン内に響かせた。両手を掲げても、右手と化した頭部で天を仰いでも、飛翔する者どもには届かない。
(「『カンパニー』の、狙撃ができる子を呼んでおけば……なんて、無い物ねだりね」)
 社内SNSで急遽スレッドを立てて援軍を呼ぶことも考えはしたが、後で臨時ボーナスを要求されるなど諸々の手間と時間を考慮した結果、単騎出撃した方が早いという結論に至ったロジー社長であった。
(「幸い、ここの突破が目的みたいだし、そうしちゃいましょうか♡」)
 そう、真面目に殲滅戦をしろとは言われなかった。
 ならば、あらゆる『手を尽くして』先に進んでみせようではないか。

『ギィエエェェェェェエ!』
『ギャアッ、ギャアッ!!』
 女性の顔面から猛禽の咆哮が響く、というのは、なかなかの圧があった。
 だが、首から先が巨大な右手と化しているカノロジーとて、色々な意味で負けてはいない。
 ハーピーたちはバサバサと翼を羽ばたかせ、次々と舞い上がり、その鋭い鉤爪で敵対者――カノロジーを連撃で引き裂こうと動く。対するカノロジーは『右手』を構えた。
「来なさいっ!」
『シイイィィッ』
 右脚、左脚。交互に繰り出して、カノロジーを集団で痛めつけ、嬲り殺す。
 ハーピーたちはそうやって、普段からそうしているように数の暴力で押し切ろうとした。
 よもやまさか、自慢の鉤爪が逆に引き裂かれるだなんて、想像もせずに。

 何が起きた? 何のことはない――カノロジーの√能力【|手法・快刀乱麻《カッティング・テクニック》】による、痛快なまでの切れ味を誇る手刀が炸裂したのだ。
 首から上の、本来人間の頭部があるべき部位は、ハーピーからすればさぞ狙いやすかったに違いない。どんな異形と化していようと、人間で言えば頭部に該当するのだから、恐らくは急所かと判断したのだろう。
「どぉ? アタシったら頭がキレるでしょ♡」
 ピシッと揃えられた『右手』は、今やハーピーたちにとっては恐るべき脅威。迂闊に仕掛ければ、刃物と変わらぬ勢いで倍返しどころではない反撃を喰らうのだから。
「言うてコレ、手なんだけど~~~♡」
『ギィヤァァア!』
 指と指の間を裂かれ、あるいは脚そのものを切断され、ハーピーたちは苦悶の叫びを上げた。見事なまでの返り討ちだ、群れの一部を犠牲にして、モンスターはようやく接近戦が不利という結論に至る。カノロジーに対して道を空けるように距離を取ると、しかし往生際も悪く聞くに堪えない鳴き声を発し始めた。
(「マズいわね、飛び道具に切り替えたかしら」)
 音波の弾丸を四方八方から放たれては、さしもの今のカノロジーには反撃の手立てがない。先へ進む道が拓けたのを好機と判断し、異形頭の冒険者は一度身を屈めると、一気に地を蹴って真っ直ぐに駆けた!
「無理無理無理無理ホント無理! ここが最近蓄えたカロリーの燃やし時よぉ~~~!」
 太ってないよ! 蓄えてんのよ!
 カノロジーは全力で走る! ハーピーたちは怒りに満ちた表情で、そんなカノロジーに音波の弾丸を次々と浴びせかける! 一人相手によってたかってプライドってもんはないのか!? ないよな! 知ってた!
 どぉん! どぉん! 轟音が炸裂する音だけでも、鍛え上げた身体に衝撃が響く。だが、構ってはいられない。どんな痛みにも耐える気合と根性で、涙目になりたい気持ちを堪えながら、遂にカノロジーは大広間を突破することに成功したのだ。

「アタシ手だから泣けないわ~~~! 泣いても許される場面なのに~~~!」

 かわいそう。でもなんかかわいい。いい運動になったら良いのですが!

黒野・真人

●天賦の才、ここに
 予想以上の量を誇る食事を振る舞われ、情報も負けないくらいたんと仕入れることに成功した黒野・真人が、いよいよ噂のダンジョンへと潜り込んだ。
(「おなか一杯元気一杯で来たけど」)
 コンディションは万全、ハーピー何するものぞと思っていたけれど――。

「わ」

 その光景を目の当たりにした真人は、素で声を出してしまう。
 女性の顔面からギャアギャアと猛禽の咆哮が発せられるさまだけでも、目をまあるくしてしまうには十分な光景だった。
(「本だと、綺麗可愛い系デフォルメ絵が多いから」)
 歌声で魅了するだとか、愛らしい外見をしているとか、そういう――どちらかと言えば人間に寄った方面の混じり方を想像していた所に、生身の鳥人をぶつけられたのだ。無理もない。
「けど」
 揺らいだ心をすぐに波一つない水面のように落ち着かせ、真人は現実を受け入れる。そういうモノと戦うのも、『|√《ルート》』という概念を知った『|真人《オレ》』は、慣れていく必要があると。
「気合入れて……ヤるか!」
 漆黒に身を染めた青年が、ハーピーたちへと向き直った。

 ――とは言っても。
「すごい数……羽も」
 バサバサと響く、大広間と呼ぶに相応しいエリアを飛び交うハーピーたちの羽音だけでも圧倒されそうだった。
(「羽毛アレルギーあったら、くしゃみ連発しそう」)
 これから命のやり取りをするにあたって、ナチュラルにそう考えをよぎらせる真人は、きっと将来大成するに違いない。
 それに、たとえ今の真人に多数を一度に攻撃する手立てがないとしても、酒場で得た『全部を相手取る必要はない』という助言がまた、真人の背中を押してくれる。
(「この数……全狩りしたいけど、流石に厳しそうだ」)
 |鏖《みなごろし》の銘持つ武器を手にする身としては、文字通りの全滅が理想ではあったが、先にも考えた通り今は現実と向き合って戦わねばならぬ。ならばと真人は、今持てる|能力《ちから》を駆使して障害を排除することを決めた。

 思い切って自らハーピーの大群へとその身を晒せば、耳をつんざく奇声と共に、上空から鋭い鉤爪が殺到する。真人はその瞬間をこそ待っていた!

「殺す」

 シンプルに、ただその一言だけで良かった。意識の外で身体が動き、真人は高々と跳躍していた――ハーピーたちのさらに上を行くように。そのままの勢いでハチェットを振ると同時、哀れな個体の頭部が砕かれ、地に墜ちて沈黙する。
『ギギッ……!?』
『ギャ……ッ!!』
 一連の動作には一切の無駄がなく、あまりにも洗練されていたものだから、モンスターどもの知能では到底理解が追い付かない。突如群れの一角を崩され、しかも獲物と目を付けた存在がその姿をかき消したことに対し、困惑の声を上げて空中で右往左往している。
(「このまま突っ切ってもいいけど」)
 冒険者の酒場で、心に沁みる言葉をかけられたことを思い出す。
(「応援して貰った分、頑張らないと!」)
 真人は敢えて、ハーピーが集中している箇所を狙って再びその身を晒した。反射的に鉤爪を向けたハーピーの挙動に応じて発動するのは【オートキラー】だ! 狙われるのはむしろ好都合、何の躊躇もなく攻撃の間合いまで跳んでは、ハチェットを振るいお返しとばかりに次々と鳥人どもを両断する。
 いまや舞うのは羽だけではない、血飛沫と肉片が、大広間を満たしていた。一方的に蹂躙されるばかりのハーピーたちは、恐慌状態に陥ったか、まるで方向感覚を失ったかのごとく出鱈目に空中をふらつくばかり。
 真人が通った後には、肉塊の山が築かれる。それを顧みることもなく、先を急いだ。

 ――オレ、頑張れたかな。いい報告、できるかな。

 挑戦した冒険者たちが弱いのではなく、真人が強すぎるという結論ではあるのだが。
 血に濡れたハチェットを一度振るって汚れを払うと、開かれた道を急ぐのであった。

櫂・エバークリア

●それは、あまりにも一方的な
 櫂・エバークリアの優れた聴覚により、ハーピーたちの気配はまず音として、ダンジョンの分岐点に到達する前に察知された。ギャアギャアと騒がしいもので、それを避ければ恐らくはいまだ解明されていない点が多いトラップだらけの道へと進むことになるのだろう。
 ここは素直に、仕入れた情報通りにハーピーたちを相手取ることにしよう。そう決めて猛禽類特有の耳障りな鳴き声が聞こえる方へと、櫂は歩を進めた。

「群れとは聞いてたが、これは」
 中々の数だ、と率直に感じた。いかにもな洞穴が突如開けたと思うや、上空を自在に舞う女性と猛禽類が混じり合ったモンスターどもが、視界を覆わんばかりに待ち受けていたものだから。
(「ちょっと骨になりそうだ」)
 確かに、これだけの群れをまともに相手取っては冗談抜きに日が暮れるというものだろう。けれど櫂は思う――ダンジョン探索には『帰り』もあるし、他の冒険者たちのこともあると。
 できる。
 やれる。
 ならば、成さぬ道理はないだろう。

「ちょいと、全滅させてくか」

 腕を軽く回し肩を鳴らして、櫂は奇声を発しながら威嚇してくるハーピーを一瞥した。

 右手に「濡烏」、左手に「闇烏」。得物を両手に、櫂は広間へと一気に突入する!
『ギャアアァァァア!』
『キィエエェェェエ!』
 何も知らぬ、いつも通り数で蹂躙できる獲物が飛び込んできたと思い込んだハーピーたちが、上空いっぱいに舞い上がると、鋭い鉤爪を櫂に向けて襲いかかってきた。
(「よし」)
 思惑通りである。やみくもに攻撃してくれれば、身体が勝手に反応する――それこそが櫂の√能力こと【|影跳《カゲトビ》】だ。思考よりも先に感覚がその身を動かし、まずは真っ黒い狙撃銃が火を吹きモンスターを撃ち落とし、次に真っ黒い長めのナイフがモンスターの首を刎ねた。
「お前達は、俺に触れる事もできない」
 格好付けでも何でもない、ただ事実を述べただけの言葉である。言語を解する能力があるのかは定かではないが、少なくとも、攻撃しようとしたら逆に群れの一部があっという間に屠られたという事実だけは呑み込めたようで、ハーピーたちは一度櫂から距離を取った。
 バサバサと羽ばたきの音が再び響き、櫂を囲むように、まさに四方八方から、今度こそいっせいに攻め立ててきた。ああ、冒険者たちは『これ』に苦戦していたのかと思う。
 いっそ守勢に回っていれば、櫂は作戦を変更せざるを得なかったかも知れない。だが、ハーピーたちの知性は然程高くはないようだ。力任せに畳みかけることしか能がないらしい。
 刃を向けられれば、それを逆手にとって一方的に先制攻撃をするだけのこと。
 近づきたいと櫂が望むならば、濡烏を振るって迫り。
 逆に距離を取りたいと願うならば、闇烏を唸らせ穿ち。
 そしてその度にインビジブルで形成した闇をまとってその身を隠し、ハーピーたちを翻弄するのだ。
(「時間がかかろうと、只管に繰り返せば」)
 着実に、最初に見た時と比べて、群れの数が減っている。手応えは、間違いなくあった。

「綺麗に平らげないとな」

 冒険者の酒場で、出された食事をすっかり腹に収めたのと、同じように。
 櫂は疲労などこれっぽっちも見せず、舞踏のようにハーピーたちを屠り続けた。

 ――静寂。
 まさか、訪れるとは思われなかったもの。
 あれだけ大広間めいたこの場を満たしていた猛禽の気配は、今やすっかり消えていた。
「……ふぅ」
 モンスターどもの返り血に濡れた櫂が、事もなげにただ、息を吐く。視界を妨げるものがなくなった先には、ダンジョンの『主』へと続くであろう道が見えた。
(「解ってはいたが、な」)
 もしも、だ。ハーピーたちを全滅させたその先が『行き止まりだった』なんていうオチがついたとして、それを酒場で一緒に盛り上がったあの三人の冒険者たちに聞かせたらどうなるだろうと考えてしまう。
「酒の肴に、笑って伝えに行ったんだがな」
 頬についた、己のものではない血を拭うと、櫂はそう独り言ちて先へと進むのだった。

空沢・黒曜
レア・ハレクラニ

●共闘、エルフの乙女とモグラ獣人
「とっても美味しいご飯だったのです~」
 冒険者の酒場で堪能した食事のことを思い出しながら、レア・ハレクラニはウッキウキでダンジョンを進む。ここに来た以上、主な目的はもちろんダンジョンの踏破だが、噂の分岐点からのハーピーたちとの接触まで、もう少しだけ余韻に浸っていたいのだ。
「牡蠣を噛んだときに口いっぱいに広がったあの味……」
 磯臭さの嫌味を微塵も感じさせない、濃厚でクリーミーな旨味ばかりが思い出される。
「特に、オイルたっぷりのバゲットが最高だったのです!」
 とてもつけ合わせだとは思えぬアクセントもたまらなかったものだと、レアは両手を頬に当てて、あの時の|口福《こうふく》をかみ締めるように言った。
「パフェもめっちゃ美味しかったですし、これはしばらく忘れないと思うのです……っ!!」
 ぐぐっ、と。今度は両手で拳を固めると強く握りしめ、身体中にみなぎるパワー的なものを全身で感じ取る。ああ、食事はただの情報収集だけではなく、戦いに赴くにあたっての力をも与えてくれるのか。

「冒険者の酒場、行きそびれちゃったんだよね。そんなに美味しかったんだ?」
「ひゃっ!?」

 感激を一人で振り返っていたつもりだったレアの背後から突如声がして、それはもう思いっきり変な声を出してしまう。声の主――空沢・黒曜(輪る平坦な現在・h00050)は、悪気はなかったと申し訳なさそうに鋭い爪が生えた大きい手を軽く振って、口角を上げた。
「聞いた話だと、この先はハーピーの群れがいる道を進んだ方がいいんだって?」
 ツルハシを担いだモグラ獣人が気さくにそう問えば、レアもすぐ気を取り直してにっこり笑顔、酒場で得た情報を惜しみなく黒曜に開示する。
「そうなのです、トラップの道よりはハーピーの道を行く方がいいそうです」
 酒場の冒険者たちがそうしてくれたように、ダンジョンに関する情報はもったいぶらずにどんどん共有していく。誰だって手柄は欲しいが、そもそも先に進めず最悪命を落とすことの方が余程よろしくないというものだ。
「一応、暗さに気をつけてランタンを準備してきたけど……」
「あっ、特に誰も何も言ってなかったので気にしなかったです! でも、壁のたいまつだけだと確かに心もとないですね?」
 黒曜は多少なら夜目が利くから何とかなるかなとは思いつつ、念のためにと用意したランタンは確かに二人の行く先をしっかりと照らしてくれて、心強かった。
「ありがとうございます、心の準備は出来てるつもりでしたが、誰かと一緒だともっと頼もしいですっ」
 大事なのは、何よりも落ち着いて行動すること。
(「冷静でいなきゃダメなのです」)
 一人より二人の方が、より不測の事態にも対処できることだろう。まず、今回の相手となるハーピーが『四方八方から攻めてくる』という情報に関しては、互いに死角を補うように立ち回ることができれば、それだけでも数的不利を覆すきっかけになるはずだ。

 ランタンに照らされた道を進む二人の前に、分かれ道が現れた。
 同時に、片方の道からはギャアギャアと猛禽類が鳴く声がうっすらと聞こえてくる。
「……わかりやすいのです」
「間違いない、こっちだね」
 迷うことなく、ハーピーたちのものと思しき鳴き声が響く道を選ぶレアと黒曜。歩を進めるにつれてそれは次第に耳障りなまでに大きくなり、鳥の羽音も混ざってきた。
『ギャアッ、ギャアッ』
『ギギッ!? キィエッ!』
 それはまさに情報通り、突如開けた空間が現れたと思うや、そこを埋め尽くさんばかりのハーピーたちが群れて巣くっているではないか。
「じっくり考えるよりもまず動く、うん――シンプルでいい」
「……っ」
 ツルハシを構える黒曜と、息を潜めてハーピーの群れを観察するレア。
(「地面を這い回る身だけど、ハーピーに負けちゃいられない」)
 何せここはまだ『通過点』、この先に待ち受ける『主』こそが最終目標とあらば、こんなところで手間取るわけには行かぬというもの。
「主退治の肩慣らし……油断とかはなしで、調子上げていこうか」
 全一式万能ツルハシを一度強く握れば、チクリとした感覚と共に、竜漿兵器が本格的に起動する。さあ――戦いの時だ!

 二人の姿を認めたハーピーたちは、次々と高い天井近くまで舞い上がり、鋭い鉤爪を向けたりけたたましい鳴き声を発し始めた。
 先に仕掛けてきたのは、両脚の鉤爪を交互に繰り出し主に黒曜を引き裂かんと目論んだ一群だった。だが、少し冷静に観察すれば、誰にでも分かる攻撃の軌道――それを見逃す黒曜ではなかった。
「|定義《オーダー》、|複合構築《スクラッチビルド》……|破砕準備完了《レディ》! ふんっ!!」
『キョエェェエッ!?』
 一番最初に黒曜へと到達する『はずだった』個体が、発動した√能力【|対障害物特攻破砕ツルハシ構築術《オーダーメイド・ブレイカー》】の一撃により、驚愕の声だけを残して文字通り破砕される。
(「範囲攻撃に二回攻撃……厄介だから攻撃をできるだけさせないように仕留めれば」)
 手近な個体、弱っていて一撃で葬れそうな個体、そういった攻撃の優先順位をつけることで、ツルハシを構築しつつダッシュで一気に攻撃の間合いに飛び込んでは、一体また一体とハーピーたちを倒していく黒曜。
「鉤爪を振るう隙さえ与えない」
 金の瞳を細めながら、黒曜は無駄のない俊敏な動きで、ツルハシを振るう。
「ガツンとやってしまおうか!」
 そんな黒曜の背中を守るかのように立ち回り、同じく油断なくハーピーと向き合いながら、魔導書をかき抱くのはレアだ。こちらの方面はしばしにらみ合いが続いたが、奇声がひときわ大きくなると、明らかに目に見える音波の弾丸が突如として地面を穿った。
「……あれは当たったら痛そうです」
 ビリビリと伝わってくる振動だけでも、危機感を煽られるには十分だった。
「あ、確か、こんなときに便利そうな魔法があった気がするです」
 思い立って魔導書を開くと「どこだったかな~」と、古びたページを繊細な指で繰る。
 焦ってはいけないし、焦ってはいない。冷静でなければと、心に決めていたのだから。
「これです!」
 該当するページに書かれた魔術には、詠唱の時間が、ほんの少しだけ必要であり。
 その僅かな時間を作るため、レアは背後の黒曜がハーピーを一体屠ったタイミングを見計らい、少しだけその大柄な体躯を物陰として使わせてもらうことにした。

「三秒だけっ」
「了解だよ!」

 三。
 二。
 一。
「召喚です、【ウィザード・フレイム】!」
 ――がん! がんがん! がん!!
 煌々と燃え上がった炎は障壁となり、二人めがけて放たれた音波の弾丸をことごとく跳ね返した! 自ら放った音波でありながら、さぞや不快だったのか、ハーピーたちは次々と地に墜ちて動かなくなる。
「今です、無理に全部は倒さず先を急ぐのです」
「そうしようか、まだ先があるからね」
 ハーピーたちのざっと半分が減らされた具合の中、残った群れが怯んだ一瞬の隙を突いて、レアと黒曜は最奥へと続く道へと駆け抜けていった。

ヘリヤ・ブラックダイヤ

●ヒトのカラダの戦い方
 大群を相手に戦えと言われれば、それはヘリヤ・ブラックダイヤにとっては、何ら造作もないことであった。ドラゴンプロトコルたるヘリヤの『本気』を以てすれば、黒竜の姿を取り、有象無象などに傷つけられることも一切なく、問答無用でなぎ払い蹂躙することも容易い。
「――なるほど、聞いていた通りだな」
 だが、現場に到着してみてヘリヤはその考えを改めざるを得なかった。誠に遺憾だが、話に聞いていたハーピーの数は、誇張でも何でもなく『めちゃくちゃ多かった』のだ。
「広い空間に、上空にはハーピーどもがわらわらと」
 いくらヘリヤが強大な力を行使できるとはいえ、|竜《ドラゴン》の姿を取るための時間は限られている上に、無尽蔵ではない竜漿を大量に消費してしまう。
(「……この数を相手にするには、体内の竜漿が持たんか」)
 いかな無敵のドラゴンとはいえ、竜漿が枯渇してしまえば気を失ってしまう。そうなれば、事実上の終わりだ。これはまだまだ道中の最中、本気を出し切る訳にも行かない。

「ままならないものだ、人として突破するしかないか」

 不本意だ、という表情を隠す必要もなく、ヘリヤはハーピーたちを一瞥する。ギャアギャアと喚く姿からはまるで知性を感じることができず、事前の情報通り、物量で圧倒してくる戦法を取るのだなとすぐに理解できた。
 逆に考えれば、誇り高き竜の本質を露わにする必要すらないやも知れぬ。
「人の体の戦闘技巧、試してみるとしよう……!」
 ヘリヤは一度身を低くすると、身体中のバネを思い切り伸ばすかのように地を蹴った。自らモンスターの群れへと突撃する形となり、そんなヘリヤを嬉々としてハーピーたちは包囲する。
『ギャアァッ!』
『キエェェエッ』
 耳障りな鳴き声が、収束していく感覚。それは気のせいなどではなく、ハーピーたちが自らを肉眼以外でのあらゆる探知を無効にした証であった。視界に入ってる個体以外は、気配すら感じられない。
 だが、逆に言えば――見えてさえいれば、どうということはない!
「お前たち如きが、私から逃れられると思うな」
 黒き両翼が広がり、手にした魔導機巧斧『竜吼』が唸りを上げる。【|竜爪刃《ドラゴンクロウ・エッジ》】なる√能力が発動し、視界に捉えていた個体を無造作にまずは一体、一撃のもとに葬り去った。
 舞い散る猛禽の羽根の向こうで、ハーピーたちが明らかに動揺しているのが見えた。
『シイイィィッ』
 まるで同胞の仇を取らんばかりに上空から飛来し襲撃するハーピーが現れれば、ヘリヤは得物を魔導機巧剣『竜翼』に持ち替えながら、滑らかな動きで鋭い鉤爪を刀身で受け止める。
「――ふっ」
 気合を乗せた息を吐くと同時、ヘリヤは地面に突き刺していた『竜吼』を空いた片手で無造作に掴むと、それを遠心力に任せて振るい、視界の外に居た連中もろとも一気に斬り捨てた!
 剣で受け、斧で斬り、時折剣でもなぎ払いを交えながら、ヘリヤはあっという間にハーピーの群れを蹴散らして行く。探知を無効化しても存在そのものを消すことは不可能だ――ならば、攻撃に巻き込んでさえしまえば、わざわざ目視で確認する必要すらない。
(「それでも、まともに全部を相手にしていてはキリがない」)
 頃合いを見て、ヘリヤはこれが最後だと『竜翼』を思い切り振るって、驚くべき広範囲に渡る周囲のハーピーたちをことごとく吹き飛ばしたのだ。

「道を開けよ!」
『ヒ……ッ!?』

 そうしてヘリヤが大喝するや、残ったハーピーたちは例外なく萎縮し、反撃の気力すら失ったように見えた。実質無力化させられたモンスターどもを捨て置き、黒竜の娘はダンジョンのさらに先を目指し、大広間を突破した。
「ままならんが……」
 魔導機巧の剣と斧をそれぞれ手にしつつ、ヘリヤはほんの僅かだけ、笑う。
「蹂躙ではない『戦闘』というのは、悪くない」
 人のカラダも存外楽しいものだなと、竜はしなやかな体躯で洞窟を駆けた。

第3章 ボス戦 『『アンドロスフィンクス』』


●蜘蛛足のスフィンクス
 騒がしい――と、|ソレ《・・》は思った。
 ハーピー共の鳴き声とは明らかに異なる、静寂を乱さんとする気配がする。
『何故、私をそっとして置かないのです』
 蜘蛛の足が蠢き、アンドロスフィンクスと呼ばれる存在が、そう口にした。
『何故、勝ち目がないと分かっていながら私に挑むのです』
 問いかけるソレは、ダンジョンの最奥にあたる場所で、冒険者たちを迎え撃つ。
 √ドラゴンファンタジーでは複数目撃情報があり、撃破の報告も上がっている個体だ。その口から発せられる謎かけには、ほぼ意味も正解もないと、先人たちの決死の検証により明らかになってはいるが、純粋な戦闘力だけ取っても強敵と言えるだろう。

 問答無用で黙らせてしまうのが一番良いかも知れない、ここまでの道のりを『雑魚を蹴散らすこと』で解決してきた冒険者たちなのだから。
 女性と蜘蛛が融合した姿で、先に相手取ったハーピーとは異なり、明確な知性を持った存在。だが、それが何だというのか? 所詮は倒すべきモンスターだ。
 このダンジョンの『主』たるアンドロスフィンクスを倒し、あの愉快な酒場に堂々と凱旋しようではないか!
メイ・リシェル

●開戦
 ダンジョンの最奥にたどり着いた者など、今まで一人として存在しなかった。
 故にアンドロスフィンクスは侮っていた、己を斃せるものなどいやしないと。
「何故そっとしておかないか――って?」
 つぶらな瞳にその異形を映しながら、メイ・リシェルは決然と言い放つ。
「あなたが、明確に世界の敵だからだよ」
 ダンジョンは、一度発生したが最後、冒険者たちにより制圧されない限り、まるで意思を持つかの如く定期的に蠢いて姿を変え、あらゆる生物をモンスターと化してしまう。
(「これ以上このダンジョンを成長させないために、ここで邪魔させてもらうね」)
 ダンジョンを捨て置くというのは、そういうことだ。それはメイの本意ではないから、戦うだけ。脳裏によぎるのは、あの酒場にいた気の良い女将や冒険者たちの姿だ。
『煩いですね』
 心底疎ましい、とでも言いたげに、アンドロスフィンクスが動いた。
 見るからに悍ましい蜘蛛足がざわめき、異形の怪物は身構える。
『私に挑むというからには、相応の覚悟をしてもらいます』
 ヴェールの奥で、女性がニィと気味悪く笑った。

 このモンスターが放つ蜘蛛糸は、広範囲の対象を三百回にわたり切り裂くという。その分一撃の威力は低いが、それでも喰らいたくないものだ。
 メイには――既に準備が整っていた。相手がお喋りで助かった、というべきか。【ウィザード・フレイム】を発動させる機を得たメイが凝った意匠の杖を振るうと、アンドロスフィンクスの顔面を覆うように突如として炎が巻き起こる!
『あ、あああ、ああ……!?』
 小柄な少年を細切れにして終わりだと思っていたモンスターは、完全に不意を突かれて顔面を覆って必死に目潰しの炎を振り払わんと身を捩った。
「よし……!」
 目潰しの効果が出たことを確認したメイは、地を蹴って全速力でアンドロスフィンクスの巨大な体躯の背面へと駆けた。移動することで、モンスターの視界を遮っていた炎こそ消えてしまうが、メイを見失っていることに変わりはない。
『おのれ、何処だ、何処に行ったのです!』
 怒気を孕んだ声で喚くアンドロスフィンクスの背中は無防備だ。だが、もたもたしているとじきに気付かれる。三秒という時間を、これ程までに長く感じたことはない。
(「もう、一撃」)
 メイが再び杖を掲げ、振り下ろした。それと同時、再び燃え上がった炎は、純然たる攻撃手段としてモンスターの背中に完璧に命中したのだ。
『あ、ぐぁ……!』
 そこでようやく敵が背後にいると気付いたアンドロスフィンクスが蜘蛛糸を飛ばすが、もう遅い。一撃離脱の策を携えて挑んだメイの目論見通り、蜘蛛糸の攻撃範囲にもはやメイの姿はなかった。

「静かなのが好きなのはボクもだけど」
 どんな形であれ、目潰しが機能しなかった際にはと別の動きも考えていたが、杞憂だったと言うべきか。一つの√能力をここまで使いこなせるのは、立派な才覚だろう。
 メイ自身としては「便利な魔法だね」程度の認識かも知れないが、万能が故に使いこなすには術者のひらめきと実力の両方が必要となるものだ。素晴らしいという他にない。
「ここを騒がしくしてるのは、あなただよ」
『小僧……ッ』
 表情こそ淡々としているが、メイの宣言は、明確な敵意を秘めていた。
「もっと強い人がこれから来るから、覚悟してね」
 この程度では済まぬ、と。
 これ以上にない、恐ろしい宣告であった。

獅出谷魔・メイドウ

●強襲
 蜘蛛足の怪物は、忌々しげに何かをブツブツと呟いていた。
『何故、あのような不覚を取ったのです』
 人間のカタチを取った指の先――爪をがり、と噛んで、明らかに苛立っている。
『何故、この私が冒険者風情に後れを取ったのです』
 その様子だけでも、獅出谷魔・メイドウを奮起させるには十分だった。
「よく鳴く鳥の後は、よく喋る蜘蛛か! すぐに黙らせてやるぞ!」
 先にどんな形で冒険者から手痛い目を見たのかは知らないが、少なくとも今アンドロスフィンクスが相手をすべきなのはメイドウであり、その事実から目を逸らされてはたまったものではない。
『……何時から、其処にいたのです』
「てんめぇ、ナメやがって!」
 それでようやくこちらに気付いたかと思えばこれだよ! おこだよ!
 獅子の牙をむき出しにしながら怒るメイドウは、しかしその身にこの悍ましい蜘蛛足のモンスターへの対処法をしっかりと刻み込んできていた。故に、無鉄砲には突撃しない。
(「戦った覚えのある相手だ、怖い事なんか何もないぜ!」)
 愛用の大剣「超巨大剣オールスレイヤー」に手をかけながら、グッと身を低くする。
(「だが蜘蛛脚攻撃が強烈なのも確かだ、当たれば死ぬ!」)
 たとえ論理的思考という概念が欠落していようとも、メイドウほどの実力者にもなれば、本能レベルで理解できるのだ。

『答えなさい、お前は――』
「うるっせえ!!!」

 執拗に問答を強いんとするモンスターに一喝すると、メイドウは自慢の獅子の脚で地を蹴り、一気に間合いを詰めると大剣を振り抜き、巨大な蜘蛛足を斬りつけた。耳障りなまでの金属音が響き、手にも痺れが走る。だがメイドウは構わず即座に飛び退り、今度は自ら間合いを大きく開けた。
『痛いではないですか、何ということをするのです』
「おお、痛えのか! じゃあ効いてるって事だな!」
 振り上げられた蜘蛛足は、巨大が故に動きがどうしても大味になる。そこを突き、再び懐に飛び込むと、今度は蜘蛛足の付け根あたりを無造作に大剣で打ち据えた。
『……ッ』
 蜘蛛足を抱き込むようにして、メイドウをそのまま捉えんとするのを、アンドロスフィンクスの身体を蹴る反動を活かしてまた離脱する。
「ええとこれ何て言うんだっけ――そう『ヒット&アウェー』だ!」
 すごい! メイドウさんが戦法を身につけている! 戦いの中で日々進化する猛者だ!

『一見何も考えていないように見えて、着実に私へ損害を与えてくる……』
 モンスターは、着実に己を苛む痛みという概念を認識し、そう口にした。
『お前は何者なのです? 私に傷を与えるとは、許し難い行為です』
 知ってはいたが、実際対峙してみると、思っていた以上に――この問答はしんどい。
 特にメイドウにとっては、殴って倒すだけの相手と、何故会話をしなければならないのかという問いさえ逆に湧いてくる。
「なんか色々しゃべっててイライラしてきたぜ! 根比べか! そうなのか!」
 多分違うんですが、ある意味そうかも知れません状態であった。
 その証左として、根比べの結果、モンスターの蜘蛛足はこれまで一度としてメイドウを捉えることがなかったにも関わらず、既に摩耗してボロボロになっているではないか。
(「そりゃあ、当たったら自滅する程のパワーだ!」)
 メイドウの獅子の瞳に、より一層の輝きが宿る。
(「当たらなくても、タダじゃ済むまい! 今だ!」)
 くっちゃべりながら繰り出されてきた攻撃などで、このメイドウを圧倒できるなどと思われては困るというもの。もはや傷だらけとなったご自慢の脚を、何者をも斬り伏せる大剣でもって崩す!
『馬鹿な!?』
「うおおっ!」
 大剣から手を離し、一気に跳躍して人間の顔面である部位を鷲掴みにしてやる。そして両脚を思いっきり身体に向けて引き寄せると――バネを一気に解放するイメージで、よく喋る顔面にドロップキックを決めたのだ!

「自滅するような未熟者に、負けちゃいられねえ!」

 アンドロスフィンクスからの返事はなかった。それだけ一撃が強烈だったということだろう。お得意のお喋りすらできない状況に追い込まれて、ねえどんな気持ち?

天咲・ケイ

●連撃
 痛烈な攻撃を喰らい、しばしの沈黙を強いられるアンドロスフィンクス。それでも何とか持ち直したか、顔の血を拭いながら再び言葉を発し始めた。
『私は、考えを改めなければならないのでしょうか?』
 問いは、遂に己へと向けられる。冒険者たちを取るに足らない存在だと判断していたことを、油断だったと認めざるを得ないのだろうか。
「お休み中でしたか? それは失礼しました」
 そんな中、あくまでも丁寧な言動を崩さぬまま、天咲・ケイがその姿を現した。一見すれば年端も行かぬ少年に見えるかも知れないが、ケイもまた立派な冒険者だ。黒一色に染まった姿で――チャイナドレスについては敢えて言及すまい――モンスターと対峙する。
「ですが、あなたが簒奪者であるならば滅ぼさねばなりません」
 冒険者として、√能力者として。
 眼前の脅威を到底捨て置く訳にはいかない。
「それに」
 格闘術を多少なりともかじった者であれば瞬時に理解できるだろう、隙のない構え。
「勝負というものは、始まってみなければわからないものですよ?」
『言いましたね、冒険者。そこまで言うなら、力を示してみなさい』
 禍々しい蜘蛛足がギシギシと音を立てて蠢き、両者の間に一層の緊張が走った。

 すらりと伸びたケイの脚から、鋭い蹴りが繰り出される。それはアンドロスフィンクスを直撃こそしなかったが、狙いはそれにより生じる衝撃波をぶつけることだ!
 蜘蛛が足を巧みに動かし衝撃波を弾きいなす動作の隙を突いて、ケイはモンスターの死角へと駆け抜けた。一度視界に収められたが最後、動きを封じられてしまうからだ。
『中々に小賢しい立ち回りをする、お前はそれなりに頭が回るということでしょうか』
 よく喋る蜘蛛をまるで相手にせず、ケイは撹乱を続ける。衝撃波を跳ね返すと同時に方向を悟られ反撃の気配を察するや、即座に装備した篭手型竜漿兵器「星辰甲」に血液を通し、迫る蜘蛛足へ逆に打撃を叩き込んだ。

『見つけました、もう逃がしません』

 ぐるうりと、アンドロスフィンクスの顔面がケイの方を向く。すう、と息を吸って、それから思い切りそのモンスターはこう叫んだ。

『私の問いに答えなさ――』
「失礼します」
『あ、が……ッ!?』

 いや、叫んだ――はずだった。
 だが現実はどうか。ケイが咄嗟に地面を蹴り上げた勢いで舞い上がった砂埃が、念動力という埒外の技能に乗せられ、狙い違わずアンドロスフィンクスの目元を直撃したのだ。
 完全に無防備な顔面を砂埃が直撃したものだから、見開いていた目は一時的ながら機能を失い、叫びすら噎せて途中でかき消され、目論見はことごとく潰えたのだった。
『げほっ、うえ……っ』
 正直、ちょっと綺麗に入りすぎて気の毒になるレベルだった。ケイはまさかここまで怯まれるとは思わず、何なら少し申し訳ない気持ちにさえなりながらも、しかし攻撃の手を緩めない!
「あなたが今までどれ程の冒険者たちを蹂躙してきたかは知りませんが」
 手刀が構えられ、明確な殺意を纏う。
「邪妖を斬り裂く刃……その身で受けてみますか?」
 今度は、こちらが問う番だ。
 顔を覆ってもがき苦しむアンドロスフィンクス目掛けて一気に距離を詰め、蜘蛛足を足場としてケイが跳躍する。目指すは、先程狙った顔面――もっと言えば、右目である!

 ――一閃。

『あ、ああ、あ!』
 手で目を覆っていようが、全く関係ない。【|魔斬りの刃《マキリノヤイバ》】は、あらゆる防御を無視して狙った部位を破壊する√能力だからだ。
 片目を奪われたモンスターが、悲鳴しか発せられなくなったのを見て、ケイは追撃の好機を得たことを確信した。流れるようにみぞおちと思しき部位に強烈な一撃を叩き込みながら、軽やかに再び地上へと戻っていく。
「どうやら、冒険者を甘く見ていたようですね」
『おのれ……おのれッ』
 慢心も、確かにあったかも知れない。
 だが、ケイの強さが心身共にこの怪物を上回ったのもまた事実。
 致命の傷にこそならなかったとはいえ、十分に誇れる成果であった。

オフィーリア・ヴェルデ
クレス・ギルバート

●共闘
「やーっと追いついたぜ、心配させやがって」
「助けに来てくれたのね、嬉しいわ」
 可憐なる乙女と凜々しい剣士が、それはもう仲睦まじく言葉を交わす。
「私、戦い慣れていないし……どうしようかと思っていたの」
「不安なら、最初から俺と一緒に行けば良かったんだ」
 オフィーリア・ヴェルデは、実際ここまで大いに奮戦した。屈強な肉体とは程遠い身なれど、持てる限りの知恵と機転で、ダンジョンの難所と呼ばれたハーピーの群れさえ突破してみせ、こうして最奥の『主』が居座る場所までたどり着いたのだから。
(「危険な事はするなと言われていたのに、一人でダンジョンに来た事がバレちゃった」)
 そんなオフィーリアは、幼なじみでもあるクレス・ギルバート(晧霄・h01091)が己を追ってここまで来てくれたことに、正直な安堵を漏らしたのだ。

「……怒ってる?」
「……別に、怒ってねぇよ」

 おっかなびっくりオフィーリアが尋ねれば、返ってくるのはぶっきらぼうな言葉。
「けど、帰ったら小言一時間コースな」
「えっ」
 やっぱり怒ってるじゃない! とはさすがに言えず、けれどもクレスの言葉から「生きて帰ることが大前提」という自信を感じ取り、頼もしさは増すばかり。
『よろしいですか』
「何だ」
 そこで、ようやくアンドロスフィンクスが口を開いて、二人の世界に割り入ってきた。まさかとは思うが……今まで遠慮していたというのか……!?
 クレスがひとつ瞬いた後にモンスターへと視線を向ければ、こんな問いが投げかけられる。
『何故、この私を差し置いて二人の世界を作り上げているのです』
 遠慮してた――! 言葉の意味を理解できずにポカンとするオフィーリアの代わりに、クレスは少しばかり顔をしかめると、すぐにモンスターへと向き直った。
「悪ぃ、今はお姉さんの相手してやらねぇと――だよな」
『相手が私で良かったですね、知性なき獣相手だったら今頃お前たちなど……』
「そいつぁどうかな? ――リア、唄を頼む」
「! ええ、聴き逃さないでね」
 オフィーリアが、独りダンジョンを進んでいた時に抱いていた不安や怖れは、今やすっかり消え去っている。クレスの短い呼びかけ一つで、全ての意図を理解した乙女は、すうと息を吸い瞼を伏せ、天上の音楽を思わせる美しき歌声を響かせた。

 ――【|響き合う五線譜《イル・ペンタグラマ・ケ・ウニシェ》】、オフィーリアの脅威的な援護能力を持つこの歌声はしっかりとクレスへと繋がり、確実に戦意を鼓舞していく。
 みなぎる力は、煌々と燃え上がる焔という形で白き竜の剣士を包み込む。二人揃いで胸元に飾った花が同時に揺れ、より強固な繋がりを感じると共に、クレスが刺突の構えを取ると同時、アンドロスフィンクスが動くよりも圧倒的に速く、それこそ焔が燦然と咲くように、力の残滓を曳きながら一気に間合いへと踏み込んでいった。
『な……ッ』
「待たせて悪かったな」
 捨て置かれて寂しかったというのならば、こいつをくれてやる――そう言わんばかりに、クレスが構えた日本刀「晧」の穿ち貫く一撃は、装飾に包まれたモンスターの人間たる部位に命中した。胴に該当する箇所であろうか、お喋りな口からは苦悶の声ばかりが漏れる。
(「クレス、油断だけはしないで」)
 祈りを乗せた歌声は続く。ひとたび結ばれた祈りと願いを乗せた聲は、そう容易くは途切れない。オフィーリアの想いを乗せた刃は、引き抜かれるや今度は悍ましく蠢く蜘蛛足の一つを強かに打ち据えた。
(「機動力を削げれば僥倖とは思ってたが、こうも上手く行くとはな」)
 見るからに動きが鈍ったアンドロスフィンクスを見て、再び間合いを取ったクレスが確かな手応えを感じる。

『おのれ……何と忌々しいこと、何と耳障りなこと!』

 しかし、アンドロスフィンクスもただでは斃れない。クレスの攻撃力がオフィーリアの援護で底上げされていることを見抜き、狙いを新緑の乙女へと定めたのだ。
(「駄目」)
 自分が攻撃されてしまっては、クレスが攻勢を保つことができなくなってしまうとは、重々承知していた。故にオフィーリアは、鼓舞の声が届く範囲でモンスターの視界に入らぬよう必死に立ち回っていたが、明確な敵意に晒されてしまってはそれも難しい。
『娘、まずはお前からです』
「させっかよ!」
 執拗にオフィーリアを狙うモンスターの前に敢えてその身を晒し、クレスは負傷も厭うことなく、手にした日本刀で雨のように降り注ぐ蜘蛛糸を斬り払い続けた。

「クレス……っ」
「構うな、続けろ!」

 三百もの攻撃、その全てを躱せというのは難しいもの。しかも、誰かをかばいながらというのだからますますだ。純白の外套は端々が裂け、所々にうっすらと血の朱が滲む。けれどもクレスはそれを全く意に介さず、オフィーリアに唄えと叫ぶのだ。
「リアの唄は、俺の気に入りなんだよ」
 赫焉たる焔よ、再び咲き誇れ。
「邪魔するなんて無粋な真似を、許すわけねぇだろ」
『な……何なのです、お前たちは……!?』
 その気迫に、さすがのアンドロスフィンクスも気圧されてしまう。それほどまでに、クレスの――オフィーリアの想いを背負った青年の闘志は、凄まじいものだった。

(「ありがとう、クレス」)
 オフィーリアは歌う。共に世界を瞳に映そうと誓った人のために。
(「少しだけ痛いけれど、私も頑張るわ」)
 そう、本当は。ほんの僅かだけれど、蜘蛛糸が身体を掠めていった。それを悟らせないように、気丈に振る舞い歌い続けるオフィーリア。たとえ身体が打たれ弱くとも、根性ならば負けてはいないと、今こそ知らしめるために。
(「……傷がバレたら、お小言の時間、増えちゃうかしら」)
 なんて、思わなくもないけれど。

 思うように行動できない苛立ちが、アンドロスフィンクスの行動を徐々に狂わせていくかのようだった。ただでさえ一撃の威力が低い蜘蛛糸の攻撃なのに、その命中精度が目に見えて落ちているのが、二人には分かった。
『お前たちなど、お前たちなど……!』
「噂通り口だけは達者じゃねぇか、だがさっきも言ったよな」
 研ぎ澄まされた日本刀の玲瓏なる刃が、ダンジョンの中にも関わらず煌めく。
「リアの唄の――邪魔はさせねぇっ!」
 青年が地を蹴る速さを、誰が捉えられようか。焔は夜天を灼き、輝きが軌跡を描くばかり。見るからに頑丈な蜘蛛足の一本を狙った一撃――【|暁天の覡《アケヌヨルヲヤク》】による攻撃が、装甲すら貫通し、使い物にならぬように至らしめた。

『馬鹿な、信じません……この、私の脚を……ッ』
「信じるかどうかなんて関係ねぇよ、現実を見ろ」

 巨躯を震わせ、己をかき抱くように声を絞り出すアンドロスフィンクスに対し、クレスは改めてその背にオフィーリアをかばいながら、吐き捨てるように言った。
「まさか、|一本だけで終わると思ってねぇだろうな?《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》」
「ええ――私も、まだまだ唄い続けられるんだから」
 オフィーリアも、クレスに続き継戦の意志を明確にする。
 この時のアンドロスフィンクスが見せた表情たるや、絶望に染まっていたとしか言いようがなかったという。

空沢・黒曜
レア・ハレクラニ

●共演
 右目と、蜘蛛足の一本。
 それを損傷してなお、アンドロスフィンクスが放つ威容は凄まじいものだった。
 むしろ、手負いとなったことにより、放つ殺意はより増したやも知れない。
「見るからに強そうな敵なのです……」
 魔導書を胸にかき抱き、レア・ハレクラニがそれを見上げた。
「はっ、あれがこのダンジョンのボスですね! レアたち、頑張って倒すです!!」
 冒険者の酒場ではもっぱらハーピーやらトラップやらの話題でもちきりだったけれど、それはあくまで『通過点』の話。ダンジョンに巣くう『主』こそが、倒すべき敵なのだ。
 レアの隣には、道中で合流し、そのまま成り行きで同行することとなった空沢・黒曜の姿がある。愛用のツルハシを肩に、軽く目を細めてモンスターの様子を見ていた。
『何故……何故、お前たちなどに、この私が……』
 既に幾度の交戦で手痛い傷を負った、といった所か。アンドロスフィンクスは忌々しげに呪詛の言葉を吐きながら、悍ましい蜘蛛足を蠢かせて、レアと黒曜をギロリと睨んだ。
『お前たちは何者です、ただの冒険者ではありませんね』
「うん、意味のない問いかけだね」
『……何?』
「そんなに長い付き合いになる訳でもないのに、自己紹介する必要なんてないからさ」
『おのれ……ッ、大口を叩きおって!』
 ギシギシと不快な音を立てて、蜘蛛足を動かし、怒りを露わにするモンスター。その様子を見て、レアはあわわわと黒曜を見た。
「だ、大丈夫なのです!? 怒らせちゃったみたいですよ!」
「大丈夫。ああいう鳴き声のモンスターだから、さっさと絞めるが吉だ」
 敢えて挑発した側の黒曜は、至って平然と言い放つ。
(「まずは逆上させて、冷静さを奪う」)
 だがその内心では、確かな戦略があった。
(「……強さは本物だから、調子に乗らせないよう畳み掛けていかないと」)
 主導権を握らせずに、どこまで立ち回れるか。それが肝要だと理解しているからこそ、この場にレアが共にいるということも加味して、黒曜はツルハシを握りしめた。

「自分が前に出てガンガン攻めていくから、チャンスがあればどんどん打ち込んで」
「はいです!」
 一言残すや、ツルハシを振るい一気に踏み込んで蜘蛛足をも恐れず立ち向かっていく黒曜に、元気良く返事をするレア。即興の役割分担ではあるけれど、実に噛み合っていた。
(「敵の視線に二人同時に入ると厄介だね、上手いこと撹乱できるといいけど」)
 アンドロスフィンクスは、その巨躯が自慢でもあり弱点でもあった。特に発達した蜘蛛足の攻撃威力は高いけれど、太く長い脚の一本一本で自らの視界が遮られることにもなることに、当の本人は気づいているだろうか。
 黒曜が意識してモンスターの側面や後方などの視界外に回り込むことで、攻め込んでくるモグラ獣人への対処が明らかに後手後手になっているのが、好機を窺っていたレアにも分かった。
『ちょこまかと鬱陶しい獣め、そこのエルフ共々切り刻んでくれましょう!』
「え、待って、|そっち《・・・》!?」
 半ばヤケクソ気味にアンドロスフィンクスが咆えると同時、三百本もの斬り裂く蜘蛛糸が放たれた。その攻撃も想定の範囲内ではあったが、まさか自棄を起こしてあてずっぽうに放ってくるとは思わなかったものだから、これにはさすがの黒曜も困惑する。
 命中精度は低い。当たったとて、威力も低い。
 だが、何しろ本数が多い。ハーピーの群れと同様、物量で攻めるということか。
(「これじゃ、さすがに自分の身を守るので精一杯……っ!?」)
 ツルハシを必死に振るって降り注ぐ蜘蛛糸を振り払う黒曜は、当然レアの身を案じるが、チラと視界にレアの姿を入れた時、その表情は驚愕へと変化した。

「ふむふむふむ、厄介なのはこの蜘蛛の糸なのです」
「ま、魔導書を頭に乗せて防御してる――!?」

 レアはごくごく自然に、頭部にぶ厚い魔導書をかざして、まるで雨傘のように蜘蛛糸からその身を守っていた。さすがは数百年以上の歴史をレアと共に紡いできた魔導書だ、物理的な頑丈さが違うというべきか……!
「見た目より強度もあるですし、何よりよく斬れるのです!」
『その割にはお前が斬れていなくて、私としては実に不本意なのですが!?』
 レアはレアで、無意識のうちにアンドロスフィンクスの神経を逆撫でしてしまっているようだった。だが、それでいい。奴に理屈をこねさせ始めたらこちらが不利だからだ。
 実際、レアを完全に視界に捉えている今、アンドロスフィンクスがその気になれば眼前にいるエルフの乙女を麻痺させて、そのまま引き裂くことだって可能だろうに、それを完全に失念しているではないか。
「うーーーん、レアもスパッと斬られるのは嫌なのです……」
(「さすがは長命種、肝の座り方が違うというか」)
 蜘蛛糸の脅威が一段落したところで、ようやく唸るレアを見て、黒曜が感心する。平常心をほとんど失っているアンドロスフィンクスに対して、このレアの平常心っぷりたるや。
「あ、こんな時に助けてくれそうな人に心当たりがあるです。昔、どこかのダンジョンで会った剣士さん!」
(「エルフ基準の昔……一体何百年前なんだろう」)
 ツッコミは尽きないが、何にせよ戦力のあてがあるなら有難い話というもの。黒曜は油断なくアンドロスフィンクスの周りを駆けながら、レアの出方を待った。
「あの人の剣なら、この蜘蛛の糸も斬れそうです! 確か、その人を召喚する方法が……どっかに書いてあったような……」
 先程までレアを完璧に守り抜いた頼もしい魔導書のページが、ぺらぺらと捲られる。魔導書にはたくさんの付箋が貼られていたけれど、逆に多すぎてどれがどれだか状態なのが少々残念な点かも知れない。歴史の重みが違うからね、しょうがないね。

「あ、これですね。【|エルフの世界樹《ユグドラシル・メモワール》】使うのです」

 目的のページを見つけたレアは、そう言うと瞑目する。脳裏によぎるは、いつだったか確かに出会ったことのある、腕の立つ剣士の姿。
 十秒あれば、十分だった。凜とした出で立ちの、いかにもな雰囲気を纏った剣士が一人、レアとアンドロスフィンクスの間に顕現したのだ。
「剣士さん、レアを助けてくださいです!」
 鎧を纏ったその姿は、男性とも女性とも判別がつかぬけれど、漂わせる覇気は間違いなく実力者のそれであった。
『人間一人増えたところで……!』
 攻撃対象が増えただけ、という認識なのか、モンスターは再び鋭い切れ味を誇る恐ろしい蜘蛛糸を放つ。広範囲にわたり降り注ぐそれを――召喚された剣士は一瞥した。
「あの蜘蛛の糸をスパッと斬って、エイッてアイツを攻撃してほしいのです!」
 まるで「承知した」と言わんばかりに、剣士はレアの言葉通り、手にした剣を大きく振るう。すると、驚くべき広範囲の蜘蛛糸が、あっという間に斬り払われたではないか。

「いいね、便乗させてもらおうかな」

 好機を作る側に回る予定だった黒曜が、今まさに、この絶好のチャンスを逃すまいとツルハシを構え直した。黒曜の切り札とも言える【|対障害物特攻破砕ツルハシ構築術《オーダーメイド・ブレイカー》】が発動し、全一式万能ツルハシは脅威的な威力を誇る恐るべき武器と化した。
「狙いすぎはこっちの隙になるだろうからと思ったけど、今は風向きがいいからね」
 巨大な蜘蛛足の、いまだ健在な七本分が蠢いている。蜘蛛糸を放つのに夢中で、脚での攻撃は停止している状態だ。そのうち一本を狙い、無防備な脚に一発、強烈な刺突を繰り出す!
『ぐあ、あ……ッ!?』
 本来ならば、せいぜいが胴体に一撃叩き込めるかどうかだった。
 それが、危険な脚をまるまる一本破砕するに至らしめた。これは快挙だ。
 さらに――レアが召喚した剣士は、召喚者との約束通り「エイッ」と攻撃までしていってくれた。脚を砕かれバランスを崩したモンスターの胴体部に、鋭い斬撃を決めたのだ。
「わ、やったのです!」
「よし、この調子で確実に狩って、酒場に勝利の報告……あと、料理を味わいに行こうか」
 かの酒場――『黄金のほったて小屋』の食事を、今度こそ堪能したいものだと、黒曜は率直な願いを口にする。その時は、きっとそう遠くはない。

ヘリヤ・ブラックダイヤ

●圧倒
「お前の姿は、これまでも何度か見たことがある」
 冒険者の中でも折り紙付きの実力者たるヘリヤ・ブラックダイヤの眼前には、脚を二本砕かれ、右目を喪ったアンドロスフィンクスの見るも無惨な姿があった。
『私を……知っているというのですか』
 ヘリヤは首肯し、全く臆することなく蜘蛛足の怪物を見上げて、言った。
「その度に無意味な問いかけを行っていたが――|問いそのものを誤っている愚か者《・・・・・・・・・・・・・・・》は、お前が初めてだ」
『愚か者――私を、愚弄しましたね?』
 手負いの獣は、殺意をより際立たせるという。まさにその通りで、アンドロスフィンクスはただでさえ格下であると思っていた冒険者風情にここまで傷を負わされ苛立っていたところに、ヘリヤに侮辱の言葉を浴びせられ、ますます怒りを露わにした。
「どうやら、己の実力すら冷静に見極められないと見た」
 明らかな侮蔑の表情で、ヘリヤはしかし武器を手に取る。
 片手に剣を、もう片手には斧を。
「ならば、私自らが教えてやろう――光栄に思え」
 アンドロスフィンクスなるモンスターは知る由もない、眼前に立つ存在が、どれだけ恐ろしいものであるかということを。
 そしてこれから始まるのが、一方的な蹂躙でしかないということを――!

 蜘蛛足が二本折れている――とはいえ、残り六本はいまだ健在。それらを巧みに振り上げて、アンドロスフィンクスはヘリヤに襲いかかった。
『お前が何者かは知りませんが、その不遜な言動を後悔させてあげましょう!』
 巨大な蜘蛛足が振り上げられる。直撃すれば、さすがのヘリヤもただでは済むまい。
「ふ……っ!」
 だが、ヘリヤはまるで動じない、それどころか、モンスターの挙動一つから隙を決して見逃さず、一気に足元に飛び込むと、左手に握った魔導機巧斧『竜吼』を叩きつけた。
『小賢しい! それで優位に立ったつもりですか!』
 別の脚がヘリヤの身体を貫かんと振り下ろされたが、洞窟内には鋭い金属音が響くばかり。右手の魔導機巧剣『竜翼』が、事もなげにその脚をがっしと受け止めたのだ。
「言ったはずだ、お前の姿は何度も見ていると」
 そう、ダンジョンに巣くうアンドロスフィンクスなど、取り立てて希少な存在ではない。常に発生し続けるダンジョンに、むしろ比較的高確率で存在する『攻略対象』に過ぎぬ。

『馬鹿な』
「馬鹿はお前だ、いい加減理解しろ」

 言って聞かぬなら、身体に分からせるまで。
 そう言わんばかりに、ヘリヤは再び斧の一撃を最も損傷が激しい一本に集中して叩きつけた。斧が脚に喰らい付くかのように、刺さったままになる。まるで楔のように穿たれたそれを敢えて手放し、両手で剣を握り、脅威的な怪力で振り抜くと、蜘蛛足そのものではなく刺さった斧を打ち据えた。
『ぐぅ、あ……ッ!』
 たまらずアンドロスフィンクスが苦悶の声を上げ、ぐらりとその巨躯が傾いだ。脚の一本が完璧にへし折られ、斧は地面に突き刺さっていた。身を捩り痛苦に耐えるモンスターの横を事もなげにかつかつと通り過ぎ、無造作に斧を引き抜くと、ヘリヤは平然と敵対者に向き直り、剣の切っ先をじゃきんと蜘蛛足の怪物へと突きつけた。
「勝ち目がない、だと? 誰に向かって口をきいているつもりだ」
『……な、にを……』
「そもそも『挑む』というのは、格下が格上に使う言葉だ」
 そこで初めて、アンドロスフィンクスは残された左目を見開く。眼前の存在は、ただの少女などではない。己は敵対する相手の力量を完全に見誤ったのだと、ようやく気づいた。

『お前は、まさか』
「|私たち《ドラゴン》を侮り、|挑んできた《・・・・・》者の末路は一つ」

 刮目せよ、これこそがヘリヤが誇る√能力【|竜爪刃《ドラゴンクロウ・エッジ》】の真髄である。攻撃が命中する限り、その連撃は止まることを知らない!
 巨大な竜の尾も、剣も斧も、ヘリヤの跳躍を妨げることはない。高々と舞い上がったヘリヤは、咄嗟に防御で掲げられた蜘蛛足を斧で強かに打ち据えると、その脚に着地する。
「消え失せろ」
 そうとだけ吐き捨てて、ヘリヤは斧と剣を同時にアンドロスフィンクスへと叩きつけ、斬り伏せた。

櫂・エバークリア
黒野・真人

●連撃
『何故、そこまで仲が良いにも関わらず、今まで同道しなかったのです』
 と、アンドロスフィンクスにまで問われるくらいには、ここダンジョンの最奥部に到達するまで、黒野・真人と櫂・エバークリアの二人はずっとすれ違っていた。
 二人の関係は、入り浸るバーの店主と客。言ってしまえばそれまでだが、表立っては言えないような『仕事』をやり取りする程度には深い仲――共犯者である。
「ちょ、おま……来てたのか!?」
「真人こそ、同じ仕事だったか」
 奇跡的な確率で、互いに全く今の今まで気づかなかったものだから、驚きも大きい。
(「ルートは他にもあったのか、まさか真人と遭遇するとは思ってなかったが」)
 酒場で聞いたダンジョン内の分岐について、櫂は思い起こす。まさかとは思うが、真人はハーピー巣くう道とは異なる、トラップだらけの道を突破してきたのかも知れないという考えに及んだりもする。
「……何だ、居たのかよ」
 冷静を取り繕って対応する真人のことを、今更などと言わないであげて欲しい。彼なりの意地があるのだから。
(「もしかして、酒場のあれこれを見られてたりしてないよな……!?」)
 内心ではものすごくヒヤヒヤしつつ、ジロリと櫂を見遣る真人。自分たちはあくまでも仕事でここに来たのだから、ドライな態度を崩す必要など――。
「お前……あそこの|大蒜《にんにく》パスタ食ってきたな」
「!?」
 普段通り、飄々とした態度を崩さなかったのはむしろ櫂の方であった。今ここにこうして共に立っているということは、まず冒険者の酒場で情報収集をしたであろうということは、想像に難くない。
 そして、それを踏まえた上で改めて真人を観察すれば、微かに大蒜の匂いがするではないか。まるで見てきたかのようにそれを指摘してみれば、予想通りの反応に笑みが漏れる。
「きょ、今日は! 暗殺じゃねーから! いーだろ!?」
 あっという間に素の自分を出してしまう真人に、それでいいと言わんばかりに無言で頷く櫂。軽く茶化して緊張をほぐしてやろうという目論見は、見事に成功した。

 そして、冒頭のアンドロスフィンクスによる言葉である。
「ほら見ろ、変なこと聞かれちまったじゃねーか! んな話してる場合じゃねえ!」
「何だあいつ、放っておかれてさみしかったとかか?」
 眼前に、倒すべき敵がいることは承知の上だ。雑談はここまでだなと櫂は手をひらひらさせる。それを見た真人が、短く言葉を発した。
「個別連携……いいな?」
「まーかせとけって」
 聞いただけでは矛盾する作戦のように思える一言を低い声で伝える真人に、櫂はまるでバーの厨房にいる時と同じような軽口で応じると、二人同時に地を蹴った。

『今の私は手負いです、それを認めた上で敢えて問いましょう』
 右目を潰され、自慢の蜘蛛足も複数折られて使い物にならなくなっているアンドロスフィンクス。それでもなお放つ殺気と圧は尋常ならざるものである。
『何故――』
 そこまで口を開いた時、モンスターの眼前には、太古の神霊「神鳥」を纏った真人が肉薄していた。速い、あまりにも速すぎる。まさに問答無用の一撃「霊剣術・神鳥閃」を叩き込む√能力【|神鳥降臨《シンチョウコウリン》】が発動した証左であった。
(「問いに耳は貸さない、貸す必要なんてない」)
『無粋、な……!』
「何とでも言え!」
 がきぃん! と、金属音が響き渡り、痛烈な一打が蜘蛛足の一本に直撃した。
(「所詮こいつは、タダの化物」)
 モンスターと成り果てた存在に、慈悲など以ての外だ。
 あの酒場でのやり取りを思い出せば、誓った決意が強く思い返される。

 ――絶対、頑張ろう。

「此処に生きる人たちには、お前の存在なんて邪魔なだけだ!」
 無意味な問答など、真人には通じない。
 そしてそれは、櫂にも同じことが言えた。
 出遅れたのではなく、敢えて先手を真人に任せた櫂は、その間に【|言の葉・虚語《ウツロガタリ》】による自己強化を成功させていた。ダンジョンの『主』ともなれば、当然やられっぱなしではいないだろう。ハーピー共を相手取るのとは訳が違う。
『そうですね、私にとっても――お前たちは実に目障りです』
 ボロボロになりつつあるヴェールの向こう、残された左目をギラリと光らせ、アンドロスフィンクスが鋭い切れ味を誇る蜘蛛糸を雨あられと降らせてきた。一本一本は細く見えるが、何しろ数が多い。油断して被弾を繰り返すと、蓄積したダメージは見逃せないものになるだろう。
「所有者に、反応速度と速さの強化を」
 櫂が紡ぐ言の葉は、確実な効果をもって武器に宿る。ただの法螺吹きであろうとも、その言葉は世界をも変えうると知るがいい。かくして櫂は本当に世界を塗り替え、怪物の想定を遙かに上回る機動力で、射出される蜘蛛糸のことごとくを回避してのける。
「そんなトロい攻撃じゃ当たらねえよ」
 あくびが出らあと言わんばかりに、雨のように降り注ぐ蜘蛛糸を掻い潜る櫂。それを見たアンドロスフィンクスが、忌々しげに問いかけを放ってきた。
『避けてばかりでは、何も変わりません。お前はそれを承知しているのですか』
 だが、真人と同じく櫂もまたその問いには応えない。そんな義理はないということを、十分に理解していたからだ。いちいち相手の問答に付き合っていては、逆にペースを握られてしまいかねない。そんなおそれがあるのなら、なおのことだ。
 櫂が蜘蛛糸を躱す一方で、真人は「終焉刀」を振るって迫る蜘蛛糸を斬り払っていた。およそ三百もの蜘蛛糸とて、当たらなければどうということはない。この攻撃でどれだけの冒険者たちを葬ってきたかは知らないが、櫂や真人の前には――無力!

『私の蜘蛛糸を――お前たちは、一体』

 問わずにいられない状況なのだろうか、それとも根っからの性分で問うてしまうのだろうか。アンドロスフィンクスが愕然とした声音で二人の素性を問わんとするも、もはや何を言っても無意味である。
『二人揃っている意味がまるでない、なのにここまで私を追い詰めるとは』
「そう、思うか?」
 櫂は不敵に笑むと、それが愚かな問いだと暗に含ませつつ、一言だけ返す。
「ああ、まるでダメだな」
 分かってねえ――つまりはそういうことだと、真人もまた口の端を上げた。
 残された蜘蛛足で、攻防一体の構えを取ろうとしたアンドロスフィンクスの懐に、飛び込んだのは今度こそ二人同時。左右の両側から、交差するように攻めかかる!
(「カイが間隙を逃す訳ねえ」)
(「真人、併せるぜ」)
 構えた二人の刃が、綺麗な斜め十字の斬線を描き、アンドロスフィンクスの腹部を狙い違わず引き裂いた。巨躯を揺るがせ身悶える怪物を背に、二人は同時に着地した。

「ボス討伐完了っと……までは、行かなかったか」
「カイにだけいいとこどりはさせねえけどな、あとひと息ってとこか」

 確かな手応えは感じた。間違いなく、このまま畳み掛ければ勝利は目前。
 なら何度でも叩き込んでやると、真人と櫂は得物を構え直したのだった。

カノロジー・キャンベル

●死闘
 ダンジョンの『主』こと、アンドロスフィンクス。
 その巨躯はもはや満身創痍で、ここまで攻め込んできた冒険者たちの全てが強者であったことを窺わせた。
『何故……』
 それでも怪物は、虚ろな声で、問答を止めることがない。
『何故、私はここまで追い詰められているのです』
 こんなはずではなかった。聞こえるのはせいぜいハーピー共の鳴き声程度だったはずのこの最奥部に、響くのは己の呻き声ばかりという事実を、受け入れることができなかった。
「そうやって疑問に思うのって、大事よねェ」
 頬――にあたるであろう『右手』の端に指を添えながら、カノロジー・キャンベルが声を発した。眼前の怪物に一定の理解を示しつつも、次の言葉で容赦なく斬って捨てる。
「でもごめんなさいネ。ウチ、基本が|OJT《ブラック》だから♡」
 カノロジーの経営方針が現任訓練主義だという以上、問答は重要視されない。
「なぜなぜ分析は、|殴り合い《業務》の中でやっといてちょうだい♡」
『み、自らブラック企業を自負するとは……令和のコンプラに反するのでは!?』
「聞く耳持たないわね~~~! だってアタシ、耳がないんだもの~~~♡」
 時代を感じさせる問答に持ち込もうとするアンドロスフィンクスを、ぐうの音も出ない事実を突きつけることで実質論破するカノロジー。恐るべし……!
「ま、レポート上げといてくれたら後で読んでおくわ~~~♡」

 ――そんなものを、提出することができたならばの話ではあるが。

 それはそうとして、と。カノロジーは容赦なく踏み込み、一気に怪物の懐に飛び込んでいった。残された蜘蛛脚の一本が美しい『頭部』を掠めていったが、一向に構うまい。
 血糊すら指先を彩るネイルのように感じさせる挙動で、修練の末に会得した技巧の一つたる【|手法・白手割砕《デストラクション・テクニック》】を繰り出し、お返しとばかりに脚の付け根に強烈な一撃を喰らわせた!
『おのれ……ッ!』
「反撃上等よ、受けて立つわぁ♡」
 頭に血を上らせて、攻撃が大振りになってくれればこちらのものだ。特にせっかくカノロジーお得意のインファイトに持ち込めたのだから、この機を逃す手はない。
 腕から生えている方の右手を振り上げると、モンスターの胴にすらりと伸びた両足を絡めぴったりと張り付いて、何度も手刀を振り下ろした。
 カノロジー自身も回避を完全に捨てたこの体勢では、蜘蛛脚による痛烈な一打を浴びることとなるが、それは同時にアンドロスフィンクス自身が脚を捨てることにもつながる。
(「ダメージ上等、倒れるまで張り付いてやるつもりよ」)
 それは、覚悟の違いであった。絶対に勝つという意志が、何とか窮地を逃れようとするばかりの意志に、負ける訳がないのだから。
『この……ッ! 離れなさい!』
「だ~め♡ 最後の最後まで手を焼かせてア・ゲ・ル♡」
 遂には人間の腕二本でカノロジーを引き剥がそうと足掻き出したアンドロスフィンクスに、そうは行かないわよと|足の締め付け《グラップル》を強めれば、そうこうしているうちに自らの攻撃に耐えかねた蜘蛛脚がまた一本、ボロリと崩壊していった。
「あらやだ痛そう、そろそろお終いにしてあげましょうか」
 そちらが脚なら、こちらは――一貫して『手』だ。
 フィニッシュブローに相応しく、最後の一撃は――カノロジー直々に『|右手《あたま》』をくれてやることにした。既に斜め十字状の傷を受けていた胴体部分を完全に貫いて、アンドロスフィンクスなる異形の怪物は、異形頭の√能力者の『手』により、かくして葬られたのである。

「……に、してもよ」
 スタイリッシュな装いは、傷を受けてすっかり傷んでしまった。手入れを欠かさず美しさを保っていた手も、己の血と怪物の返り血とで、大変なことになっている。
「これだけダメージ受けても、何の補償もないってんだからやんなるわよねェ」
 実にもっともな話だった。財宝の非課税などの施策も良いが、命あっての話だから。
「ダンジョン探索にも保険が欲しいわァ~~~!」
 もしも、探索に保険がかけられるのだとしたら、それは商機になるのではないか?
 いつの日か、誰かが実行に乗り出す日が来るかも知れない。そんなことを思いながら、冒険者たちはダンジョンを後にするのだった。

 ――さあ、凱旋の時だ!

挿絵申請あり!

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挿絵イラスト