シナリオ

キミとメモリアル!

#√ウォーゾーン

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 #√ウォーゾーン

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●僕らの日常が侵略されてるぞ(物理)
 都市コードNb-6434-KN。
 中枢から外れた、それほど多くない学徒動員兵を抱える学園都市は、その日呆気なく陥落した。
 √ウォーゾーンではさして珍しくもない光景。ただ1つ、異常なことがあった。

 それは、その戦闘においてただの1人も死者が出なかったことでも。
 戦闘機械達に占拠された都市の機能が全く変わらずに維持されたことでも。
 次の日、学徒動員兵達の授業が平常通り行われたことでも無い。
 ……いや、全て異常なのだが、そうではなく。
 真の異常は。

「ドクトル・ランページという。今日からここで共に学ぶ運びとなった」
 腕部の斬撃兵器(ドクトルリッパー)に接続されたチョークで、器用に自身の名を書き付ける巨大派閥(レリギオス・ランページ)の統率者にあった。
「学校なる物については事前に情報を取得して来たが、私達戦闘機械にそれに該当する物はなかった。つまり、全くの未経験だ」
 敵意や殺意を向ける事すらもできずに唖然とする学徒動員兵の少年少女達を前に、ドクトルは小さく頭を下げる。
「故に、謹んで学ばせていただく」

「……そうはならんやろ」
 星詠み、水垣・シズクはそれしか言えなかった。

● これでもいつもの予知よりマシ
「えー、まぁ、なんと言うか。お伝えした通りの状況です。ドクトル・ランページが学徒動員兵の学校に転校……でいいのかな。入学して授業を受けています」
 普段の予知とは別の意味で疲れた様子の水垣はそう伝えつつ律儀に地形情報などをモニタに映す。
「えーと、皆さんにお願いしたいことは。ドクトル・ランページの排除……なんですけど」
 現状学園都市は戦闘機械による占拠状態にある。
 今の所危害を加える様子こそ見せないが、ドクトル・ランページと同時に相手どれば生徒達に危害が及ぶのは間違いないだろう。
「学園に潜入……生徒か教師として、ドクトル・ランページに接触、学園都市の外へと誘い出してください」
 すでに許可は取ってあります、と臨時の学生証などを力無くひらひらと振ると同時にモニターに移された地図の一点が青く光る。場所は学生用の娯楽施設などを備えた学生街のさらに外、学園都市外郭だ。
「もしドクトルと冷静に話せる自信がない方は、学生の子達のケアをお願いします。仇敵と一緒にいることで消耗してたり、思春期特有の変な状態になっちゃってる子も多いので……」

 そこまで説明して、何か質問はありますか?と言葉を切った。まばらに、いくつかの質問が飛ぶ。
「排除の必要があるか?ですか……そうですね。もし情報収集の結果、不要だと感じたのであればそれも良いかもしれません。ですが……」
 おそらくそんなことは無いだろう。と言外に込めて水垣は静かに質問者を見据える。
 そして、『どうやって誘い出せば良いんだ?』という次の質問に対し、露骨にイヤそうな顔を浮かべた。
「私に聞かないで欲しいんですけど……いや、すみません。現状その情報は得られていないです。なので、まず情報収集をお願いします。学生か、その……本人から」
 今のドクトルは学生っぽいことならなんでもやってくれるみたいなので……と疲れた様子で続ける水垣に、さすがにこれ以上の質問を投げられるものはいなかった。

 質問がない事を確認すると、水垣はいつになく深々と頭を下げる。
「すみません、本当、無茶なお願いで。皆さん、よろしくお願いします」

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第1章 冒険 『動揺し、不安定になっている人々』


 予鈴のチャイムが鳴り響く中、教師からの紹介を待つ√能力者達は扉の小窓から教室内を覗き込む。
 そして√能力者達は、教室の最後尾の席で、生徒達から遠巻きに警戒されながら窓際で外を眺めるドクトルの姿を目にした。
 窓から吹き込んだ風が、長い茜色の髪を揺らす……。
フォー・フルード

● ベルセルクマシン先生
「今日から臨時教師になったフォー・フルード先生です」

 そう紹介されたフォー・フルード(理由なき友好者・h01293)への反応はと言えば。
 端的に言えば、「また増えた」であった。

 ただでさえ意味不明の存在に精神をすり減らしているところに、ドクトル以上に戦闘機械な見た目の先生が来たのだ。生徒達の反応はもっともと言える。
 彼の持つ|EOC《電磁的光学迷彩》マントを使えば人になり切る事も可能であったが。戦闘機械群、それもドクトル・ランページに通じるとも思えない。彼女を警戒させない事の方が優先度は高かった。

 と、そうまでして気を遣ったドクトル・ランページはと言えば。
 ちらりと視線を向ける程度でほとんど無反応だったのだから甲斐のない話だ。

 そうして始まった奇妙な授業だが。
 生徒達の警戒は、実のところそれほど長続きはしなかった。
 それは|友好強制AI《技術》への信頼という面もあるだろう。戦場で技術の欠陥をいちいち疑っていたのでは疲弊しきってしまう。ある程度は鈍くあるのも兵士の資質だ。

 だがそれ以上に、時に読書家のような深い見識を、時に迫力に満ちた活劇を、時に腕利きの狙撃手としての学びの多い経験を。多様におりまぜて語るベルセルクマシンの話は、想像を越えて生徒達の心を引き込んだ。
 幾つかの授業を終え、一日が終わるころには生徒達と談笑すらできる程に距離を縮めたフォーは1人の少女に問いかけた。

「ランページの様子、ですか?」
「ええ、どんな些細な情報でも構いません」
「といっても、うーん、なんだかずっと変だったっていうか」

 今の状況は元々変ではある。という空気を言外に感じたのか、少女は慌てたように言葉を続けた。
「あっ、ごめんなさい!そうじゃなくて、最初は私たちの作戦とかを探りに来たのかなって思ってたんですけど。ずっとあの感じなので」
「なるほど」

 実際、フォーが思い切って授業中に指名した時の反応も。
「すまない先生、聞いていなかった」
 である。

「分かんなくなってきちゃいました。もしかして、戦闘機械って言っても話し合えば分かる相手っていうのも居たり……するんでしょうか?」

 口から出かけた「先生みたいに」。という言葉を呑み込んだのは、友好強制AIの存在を知るが故だろうか。だが彼女の心が揺らいでいるのは一目で見て取れた。
 たしかにフォーの知る中には友好強制AIの影響を受けずとも人類との共生を命題とする者は存在する。だが、|派閥《レリギオス》ランページ。ひいてはドクトル・ランページがそれに含まれるかと言えば……。

「たしかにそういう例はありますが、今は警戒を解くべきではないでしょうね」
「そう……ですよね」

 少し悲しそうに俯く少女に、フォーは続けて声をかけた。
「ですが、その優しさは素晴らしいです。ベルセルクマシンにも分け隔てないあなたの様な方のお陰で、自分は随分助かっています」

 その言葉に少女は僅かな間、目を丸くする。そして。
「フォー先生はあの子が居なくなったら先生辞めちゃうんですよね」
「はい、あくまで臨時ですから」
「勿体ないなー。向いてると思うんですけど」

 そう言って、いたずらっぽく笑った。
「先生、人の良いとこ見つけるのうまいから!」

クラウス・イーザリー

● 正しく疑う
「本当に『そうはならんやろ』って感じだけど……」
 √ウォーゾーンを故郷とし、戦闘機械群と戦い続けてきたクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)にとって。星詠みが口にした言葉は、彼女以上に実感を伴った感想だった。

 学びへの貪欲さが奇行に繋がることこそままあったが、ここまで変な事をしだすのは流石にはじめてだ。
 もっとも、その姿勢が常の侵略であれば死んでいたはずの生徒達を生き残らせているのだからありがたくはあるのだが。

 クラウスが座る席はドクトルの斜め前。彼女が攻撃を開始した時、真っ先にそれを受け止められる位置だ。
 耐久力はともかく、対応力という面でクラウスに及ぶものはそういない。

 結局のところ、クラウスは目の前の戦闘機械を信じていなかった。
 表立って敵意を向ける事こそしない、しかしそれは|割り切り《諦め》でしかなく。
 対話ではなく占領を初手に選ぶような相手に対して警戒を解けるほど、クラウスが戦場に身を置いた時間は短くない。
 それゆえの判断だったが、結果だけ言えば、彼女は不自然な程に動く様子を見せなかった。
 そうなると、直接彼女の位置を視認できない今の位置はやや都合が悪かった。

「少し危険な手だけど……」

 クラウスはドクトルの視線が向いていないのを伺いながら、近くを漂うインビジブルに意識を合わせ、穏やかな口調で呼びかけた。
 インビジブルとは失われた命の残滓だ。
 このような学園に残るそれは当然のように学生達の物が大半であり。中には同じ学徒動員兵であるクラウスの呼びかけに答える物もある。
 周囲に漂う光が少しずつ形を成し、やがて2人の少女の姿をかたどった。

「こうやって話すの久々かも」などとかしましく話合う2人のインビジブルに向けてクラウスは尋ねる。
「彼女、何か変なことしてなかった?」

 彼女の学びたいという言葉に嘘はない、「まぁ普通に学生として過ごしていたんだろうな」というクラウスの考えは思ってもない方向に裏切られた。

「変かどうかは分からないけど。サボってたね」
「サボり……?」
「あー、授業中に関係ないページを開いたり、落書きしたりしてたような」

 ある意味では非常に学生らしいが、彼女らしくはない。
 クラウスが戦場で見えた彼女はまさに探求の怪物といった存在だった。
 それが学びを放棄するというのは、根本的な行動理念に反する行動だ。

「後、イヤリングしてた」
「やば、校則違反じゃん」

 きゃいきゃいと盛り上がるインビジブル達から目を離し、未だに窓際でたそがれるドクトルをちらりと見る。
 ちょうど風でひらりと舞い上がった髪の向こうに、仄かに光るイヤリングがたしかに揺れていた。

 気づかれないように情報処理端末で写真を取り、拡大する。
 ドクトルの全身を覆う装備と似たような材質、加工がされたそれはクラウスにも見覚えが無い物だ。彼女との遭遇が常に戦場だった事を考えると単に見落としと言う可能性も無くはないが。

「分からないけど、伝えておいた方がいいよね」

 僅かな情報が真実の糸口になることもある。クラウスはそれを良く知っていた。

エアリィ・ウィンディア

● 相手の目を見て、名前を呼ぶこと
 放課後、生徒達がばらばらと散っていく少し寂しい空気の中。1人の少女がドクトル・ランページに向かって歩みを進めていた。
 「まさか、ただ学校に行きたかっただけ、なんて事はないだろうなぁ」そう心の中で呟いて。エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は変わらず外を眺めるドクトル・ランページに声をかけた。

「ね、ドクトル・ランページさん」
 今まで先生……√能力者のだが。の質問に答える時以外は立ち上がる様子すら見せなかったドクトルの顔が向けられた。
 どこかぼんやりとエアリィを見上げる彼女の姿は、全身凶器とも言える装備をまとめて無視すればあどけない少女にも見える。

「あたしはエアリィ・ウィンディアっていうの。よかったら、「エア」って呼んでもらえたらうれしいかな」

 記憶が確かであればエアリィとドクトルの邂逅自体は三度目だ。だが以前の遭遇は敵としての一方的な物で、名乗りあうような時間も気持ちもありはしなかった。
 だから、実質初めましてな今日は、にっこり笑って挨拶する。

 簒奪者達の統率者という大仰な存在に物怖じせずに話しかける胆力。
 それはひときわ多くの√能力者達が集う博物館の館長という立場によって身についた面もあるが、生来の物というのが大きいだろう。人懐っこいのだ、つまりは。

「エア……分かった、エアだな。記憶した」

 スルーされるかと思ったあだ名を思った以上に深くかみしめている様子に少し意外さを感じながらも。エアリィはほんの少しだけ距離を詰めて彼女に質問を投げかけた。

「ところでドクトルさん。学校ってお勉強とか運動とか、そういうのをするんだけど……。なにが興味あるのかな?」

 エアリィの質問にドクトルは考え込むように俯き、ややあって申し訳なさそうに答える。

「問い返すようですまないが、エアはどういった物を好むのか教えて欲しい」
「あたし?あたしは運動とかかなぁ」

 大方見抜かれていそうではあるが、魔法の勉強などと他√の技術を真正面から言うのは無駄な警戒を招くだろうと無難な回答を返したところ、ドクトルの反応は迅速かつ明確だった。

「運動……それは、『部活』という活動の事を指しているのだろうか?」
「運動だけが部活ってわけじゃないけど。運動部に入る人は多いよ、バレーボールとかバスケットボールとか」
「私も|部活《ソレ》に興味がある」

 思った以上……いや、想像だにしていなかった勢いで食いつかれ、やや言葉に詰まる。
 学生であるエアリィには当然部活の知識はあるが。この学園の、という意味では知るはずもない。
 なんとか頭をふり絞り、出したアイデアは。
「あたしもこの学校の部活を全部知ってるわけじゃないから……せっかくだから一緒に見てみる?」
「一緒に……」

 ドクトルが押しかけることになる部活に心中で謝罪しながら思い切って手を引けば、ドクトルはさしたる抵抗もなく椅子から立ち上がる。そして、繋いだ手に体重を預け、引かれるままにエアリィに追随した。

 ほんの少し日の沈み始めた校舎を2人の|少女《・・》が駆けていく。
 青い少女の後を追って、茜色の髪がなびく。

ヨシマサ・リヴィングストン

● 普通そうな人ほど
「これから2週間、どうぞよろしくお願いしますね〜」
 個性豊かな面子に続けて入ってきた教育実習生を名乗る青年……ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)の挨拶は、いくぶんか生徒達の心を落ち着かせた。
 なにせ、もう一人のある意味√ウォーゾーンにピッタリな先生と比べて、学園の空気に自然体で馴染んでいるのだ。
 「ああよかった、この人は普通っぽい」そう油断していたからこそ、ヨシマサの取った行動はクラス内に激震を走らせた。

「どうも~、こんな時期に転校なんて珍しいっすね」

 休み時間になるなり、ドクトル相手に和やかに話しかけに言ったかと思えば。
 あまりにも普通に転校生に対する会話を振りだす姿は一周回ってぶっ飛んでいたが、それに対するドクトルの反応もまたどこかおかしかった。

「珍しい……?転校には時期があるのか?」
「そうっすね、年度初めとか夏休み明けとかが多いですね。途中からだと授業に追いつけなかったりしますからね~」
「なるほど、合理的だな」

 まず転校で良いのか?という疑問を無視して、ギリギリ海外からの留学生相手といっても通じそうな会話を繰り広げる戦闘機械の統率者と戦線工兵。
 奇妙な2人の妙にふわふわとした会話は少しずつ生徒達の緊張した空気を弛緩させていった。

「ドクトルさんは将来の夢とかあったりします?」
「将来の夢か……難しいな」

 完全機械は将来の夢じゃないんだ、などと教室のどこからか呟きが聞こえる。
 そこじゃないだろというツッコミはどこからも聞こえなかった。

「まぁまだ学園生活は長いですからね~、ゆっくり決めていけばいいっすよ」
「良いのか?人間にとっては重要な課題なのだろう?」
「重要だからこそ、なかなか決められない物っすよ」
「そうなのか」

 生徒達が「あー、分かる」などとぼんやりした共感の声を上げる中。
 ドクトルと会話を交わすヨシマサは頭の中で彼女の一挙手一投足を詳細に分析していた。ヨシマサが唐突にこのような行為に出た理由に、彼がスリルマニアだから、という面が無いわけではない。
 それは全く否定できない。
 だがそれと同列に、彼女が今どのような状態なのかを間近で見極めるための博打と言う面も大いにあった。

 知識・常識は戦闘機械のソレ、だが知識の使い方、振る舞いは人のソレに極めて近いように|見える《・・・》。
 挙動としては友好強制AIを埋め込まれたベルセルクマシンに似ているが、思考の根底構造に変化がない。
 そして反応までの僅かなディレイ。
 いうなれば、同時翻訳。誰かが彼女との間に入って会話を|人間語《・・・》に直している。
 それがヨシマサが抱いた感想だった。

 そこまで見極めた所で、次の授業を知らせるチャイムが鳴り響いた。
 ヨシマサは頭を切り替え、柔和な笑みでドクトルに手を振った。

「じゃ、また話に来ますね~」
「分かった、ヨシマサ先生。待っている」

 小さく手を振り返すドクトルを背に、ヨシマサは頭の中を整理しなおす。
 やはり情報収拾には彼女との直接会話が有効であるのは間違いなさそうだった。

「ふふ~、次は何の話をしましょうか~」

 もちろん、ヨシマサの頭にあるのは。それだけ、という訳ではないようだったが。

花園・樹

● 良い目標です
 学活の授業。一日の締めくくりに行われたその授業の場に花園・樹(ペンを剣に持ち変えて・h02439)が踏み込んだ途端。妙な緊張感が教室中に走った。
 その空気を一身に浴びた樹は、「生徒達はここまでランページを脅威に……」と思い。直後、彼らの視線が全て自分に注がれていることに気が付いた。

 これは前二人の"先生"がそれぞれ別のベクトルでぶっ飛んでいたせいなのだが、流石にそれを察しろというのは酷と言うものだろう。
 妙な居心地の悪さを感じつつ、簡単なアイスブレイクと共に生徒達に自己紹介プリントを配布しているうちにその空気は段々と収まっていった。
 それは樹の√能力によるもの、というよりはもっと普通に、樹の振る舞いが真っ当な|先生《・・》のそれとして完璧だったというのが大きい。とりあえずはなんとかなりそうだ、と一息を吐いたタイミングで、ドクトル・ランページの手が上がった。

「質問をしても良いだろうか?」
「何かな?」
「この『将来の目標』についてなのだが」

 意図を見抜かれたか、と背筋に緊張が走ったのも束の間。

「先ほど、将来の夢は難しいから今決めなくても良いと言われた」

 昼休みに豪速ストライクをかましていった他√能力者の流れ弾が突き刺さった。
 「誰なんだそんなことを言ったやつは……」という気持ちが湧き上がるが、その程度の事で動じていてはやんちゃな盛りの子供たちの相手は勤まらない。
 後で恨み言の一つくらい言ってやる。と、結局相手の前では飲み込んでしまいがちな決意を固めつつ。ドクトルの目を見て語り掛ける。

「将来の夢、とまで行くと大変だけど。これは目標だから難しく考えなくて良いんだ。卒業までとか、一年後とか。もっと短く来週までだっていい。自分が今何をしたいのか、それを形にしてみることが大事なんだ」
「なるほど」

 これはドクトルに向けた言葉ではあったが、同じプリントを渡した生徒達への言葉でもあった。
 学徒動員兵の"寿命"は短い。
 それは半人半妖である樹と比較して、ではない。
 多くの少年少女達が血と火薬を友とし、明日も知らずに散っていく。
 だからこそ、樹は彼らに一つでも明日への希望を持っていて欲しかった。

 『来月発売の合成チョコパフェを食べる』『次の誕生日もみんなでパーティする』『卒業!』など、華やかで、どこか淋しい目標の数々が樹の教卓に並べられる。
 そして。

「私もできたぞ」
 その言葉と共に樹に手づから差し出されたプリントを見て、樹の目は見開かれた

 『みんなと仲良くなる』

 思わずドクトルの目を見る。
 相変わらず何を考えているのか分からない、無機質な瞳が樹を見つめ返す。
 新米教師の身には、戦闘機械の統率者の真意を見極めるのはまだ難しいようだった。

 だが、見極められないのであれば。先生が|生徒《・・》を信じてやらなくてどうするというのか。

「うん、良い目標だ」
「そうか。それなら嬉しい」

 端的に言葉を述べて自席へと戻っていくドクトルを見送り。
 |教師として《・・・・・》、気合を入れなおす。

 かつて自分は彼女に、『平和的に学ぼうというなら歓迎しなくはない』と伝えた。
 それを彼女が覚えているかは分からないが。少なくとも自分が言った言葉の責任を取れないようでは大人として失格だ。

「よし、じゃあ順番に発表していこうか」

アリス・グラブズ

● 境界
 恐怖と絶望、なによりも強いのは、あの時1人逃げた自分への嫌悪。
 校舎裏、少年は人気の無い植え込みの陰に1人座り込んでいた。

 乗り越えたはずだった、忘れたはずだった。
 出会った場所が戦場であったなら兵士として立ち向かえたはずだ。

 だが、そうではなかった。
 何事もないように、何事でもないように、|ドクトル・ランページ《アレ》はそこに座っていた。
 それが、どうしても耐え切れなかった。

 今だけは教室に居たくない。
 そう思い、1人座り込む少年の耳に聞き覚えの無い声が響いた。
 「……あれ?どうしたの?お腹、空いた?」

 弾かれるように顔を上げるとそこには、不思議な雰囲気の少女が立っていた。
 関係者しか入れない校舎の、人気のないエリアに現れた、可愛らしい服装に身を包んだ見覚えのない少女。怪しいのは間違いないが、その怪しさを分類できる表現を少年は持ち合わせていない。

 例えるならばそれは、未知との遭遇。
 少女……アリス・グラブズ(平凡な自称妖怪(兼 ディスアーク下級怪人)・h03259)が正真正銘の|宇宙生物《エイリアン》であることを考えれば。|例えれば《・・・・》もなにもないのだが。
 アリスはそんな少年の反応の空白に、スッと距離を詰めた。

「ねぇねぇ、今日の授業ってどんなだった?」

 そして、一度懐に入れてしまえば。
 天真爛漫な……少なくとも見た目の上ではそう見える。可憐な少女の言葉を無下にできるほど、少年は兵士として完成されてはいなかった。

「え……今日の授業……?」
「嫌な事は思い出さなくて良いから。楽しかった事だけワタシに教えて?」

 記憶を思いかえし、ぽつぽつと語り始めた少年をアリスはじっと見つめる。

(……視線回避、軽度の防衛反応……記録中)
 少年の回想を解析し、身体反応を分析し、少年の瞳に映った戦闘機械の姿を演算する。語られなかった空白から、ドクトルの"今"の姿を予測する。
 そうして得られた結果は。

(感情応答解析……うん、今んとこ"敵意"はなさそう?)
 少なくとも喫緊の危険はないであろう、という結論だった。
 アリスがドクトルの分析を深める一方で、少年は口から流れでる言葉のままに胸に抱えていた蟠りを吐きだした。

「昔、オレの目の前で、アイツに友達がバラバラにされたんだ……なんでみんな、あんなバケモノと一緒に居られるんだよ……」

 抱え込んできた言葉を発し、ようやく解放されたのか。少年の目から涙が零れる。そんな少年をアリスは優しく抱きとめた。

「大丈夫、大丈夫だよ。怖かったよね。」

 幸いと今日の擬態は上手く行っていたようで、少年は自身の縋るそれの異常にも気づかずただ泣き崩れる。
 その気になれば、縋りつく彼を同化し新たな"アリス"にすることも、肚の中に収めることも難しくない。
 "できる"だけで言うなら。アリスだって立派な怪物だ。

 では、怪物とそれ以外を分かつ境界とは何か。
 故郷を追われ、別√の地球を追われ、幾度もの倫理プロトコルへのバージョンアップを経て。アリスはそこに一応の解らしきものを得た。

 人を見て"ご飯"だと思えば怪物で、"人"だと思うなら人なのだ。

 今のドクトルがその瞳の向こうに人を見るならそれでよし。
 だが、そこに|実験動物《モルモット》を見るならば……。

「その時は食べちゃえば良いよね」

 少年を慰めるアリスに代わって。
 ここでないどこかで、|別の《同じ》アリスがそう言った。

ハスミン・スウェルティ

● 目の前に居るあなたを
「つまり、ここで説明されていた式をこっちでも同じように使うんだ」
「なるほど」

 妙に分かりやすいドクトルの説明を聞きながら、ハスミン・スウェルティ(黄昏刑務所・h00354)は目の前の|戦闘機械《少女》に思いを巡らせた。

 ハスミン自身は勉強が得意な方ではない……別に頭が悪いわけでもないが、生まれ育ちの関係で基礎教育が抜けている。
 にも関わらず、そんなハスミンに授業内容をざっくりと理解させる程度には彼女の指導は的確だった。

 それが逆におかしくもある。
 彼女は人類を|実験動物《モルモット》程度にしか捉えていない戦闘機械の統率者なのだという。
 そんな彼女が、これほどまでに人間に取って都合の良い会話能力を持ち合わせているものだろうか。

 頭の良い人は誰にでも分かるように話せる、というのを聞いたことがあるが。ドクトルもその類だとでもいうのか。
 少なくともハスミンの会ってきた|博士《ドクトル》と呼ばれるような飛びぬけた人種は何を言っているのか分からない人の方が多かったが。

「ありがとう、分かりやすかった」
「そうか、それならば良かった」

 そう答えるドクトルの顔は無感情ながら、どこか自慢気にも見える。
 なにやらずっと妙で、それでいて悪い気持ちという訳でもなかった。

 戦いばかりの√ウォーゾーンにおいてハスミンが|ハスミン《表人格》であったことはほとんどなく、当然ながらドクトル・ランページについても提供された情報以外はほとんど白紙だ。
 以前戦った事がある(らしい)|別人格《青色》であればどこがどう違うのかはっきりと説明できるのかも知れないが。少なくとも今のハスミンにとって、ドクトル・ランページとは目の前に居る少女が全てだった。

 だから、いっそ割り切る事にした。
 求めるのはドクトル・ランページの考えではなく、目の前の彼女が何を考え、どうしたいのか。

「ドクトルさん、勉強好きなんだね。すごいな」
「さんはいい。ハスミン……も、わざわざ私に聞きに来るぐらいだ、勉強に興味が無いとは思えないが」
「私は……今までしようと思ったこと無かった、かも」

 まるで普通の学生のように、人間災厄と戦闘機械は言葉を重ねる。
 奇しくも似たようなペースで。中身のない、しかし意味のある会話を。

「ドクトルは、卒業したらどうするの?」
「む……卒業か……。人間はそんなに将来のことが気になるものなのか?」
「みんなって訳じゃないだろうけど……ドクトルみたいな子相手だと聞きたがる人も多いの、かな」

 その言葉にドクトルは何かを考えるように空中に目線を留める。
 一瞬だけ、ほんの少し空気が変わった。
 それは例えば、見えなくて冷たい何かがハスミンと彼女の間に立って、彼女にだけ囁きかけた、ような。
 空気は一瞬で霧散して、何事も無かったかのようにドクトルの口から言葉が紡がれる。

「……いわゆる卒業、という段階を踏むことは無いだろうが。……検証終了後の事は決まっていない」
「……そうなんだ」

 僅かな沈黙が流れ、それを切っ掛けとするようにドクトルが立ち上がる。

「すまない、この後用事があったのを思い出した」
「あ、うん。勉強、教えてくれてありがとう」

 立ち去っていくドクトルを見送りながら。
 ハスミンはそっと制服の中に忍ばせた|手錠《本体》に触れた。
 なぜだか、|色《他の人格》の事が妙に気になったから。

第2章 日常 『澄み渡れ、青春。』


● 予定通りに
 結局、それなりの時間を共に過ごしてなお、√能力者達は彼女の意思を掴み切れずにいた。
 授業はそこそこ、放課後は部活に勤しみ、寮に帰る前に学生街で買い物。
 見た目を除けば、どこをどう見ても普通の学生。
 これが潜入工作であれば大したものだと感心するばかりだが、問題はそんなまどろっこしい真似をする理由がわからない事だ。

 だが、理由はともかく、理屈は分かってきた。
 ドクトルがつけているイヤリング、アレは一種の友好強制AIなのだ。
 彼女自身、あるいはその派閥によって作成されたものらしく。装着者の意志が優先されるようではあるが。
 ドクトル自身を元にした一種の擬似人格が会話や所作を中継し、コミュニケーションに違和感が生じないようにしているのだろう。

 目的は不明。しかし、意図が無いようにも思えない

 であれば、だ。答えざるを得ない状況を作るのが良いだろう。
 当初の作戦通り、ドクトル・ランページを外郭におびき出して戦闘機械の戦力と分断し、その間に学生達の安全を確保。
 本人に直接意思を問うのだ。
 
 例え本心を話さなかったとしても、人質である生徒の安全さえ確保できるならばそれでいい。さすがの彼女と言えど、後ろ盾の戦力無しで作戦を強硬するのは難しいだろう。
アリス・グラブズ

● ホンモノ
 多くの学徒動員兵の学園で推奨される行動の一つに校内の清掃活動がある。
 戦場での規律維持、愛校心の向上、共同生活の訓練。色々な建前と人員不足への対応を兼ねた施策だが、教育の結果か生徒の間ではそれなりにメジャーな活動となっていた。

 だから、放課後の校舎で生徒が2人で掃除をしていても不思議ではないのだが、今の光景はそういった前提があってもやや不思議な物だった。

「ねっ、ドクトルさんっ♪ こっち、手伝ってくれない?」
「ん?分かった」

 √ウォーゾーンらしくない可愛らしい洋装に身を包んだ少女、アリス・グラブズが。
 全身に奇妙な兵器を装備した少女ドクトル・ランページに箒を渡し、自身はちりとりとゴミ袋を持って待ち受ける。
 最近になって少しずつ装備を取り外すようになったとはいえ、やはりドクトルの姿は異形であり、一般の生徒にはやや近づき難いだろう。

 だからこそ、アリスにとってみれば都合が良かった。
 彼女の精神干渉能力……|視触共鳴構造《アトラクター》は視線と"音"を起点とする。
 指向性こそ持たせられても、他の生徒への影響を完全に除去することはできない。
 それ自体は"アリス"としては別に構わないけれど、バレるリスクは低い方が良いだろう。

「ドクトルさんは最近、学校で面白い事あった?」
「面白い事か、そうだな……この間の授業で先生が突然全く新しい塹壕構築の方法を教えると言い出してな……」

 何気ない、普通の生徒がするような会話を交わしながら、
 髪に隠れた|視線投射器官《みつめるつの》を通し、少しずつドクトルの内側へと"アリス"を浸透させていく。
 気付かれないように、それでいて、より深く繋がれるように。
 そうすると、少しずつドクトルの思考過程が|自分《アリス》のことのように読み取れてくる。

 これを最初にした時の感想は、あまり洗練されていないな。だった。
 行動と思考が微妙に噛み合っておらず、細かく見ると微妙に違和感がある。
 会話や所作といった人の挙動だけをシミュレーションしようとすると。どうしてもああいう感じになる、アリスも何度か通った道だ。
 ゆえに、そこに何かしらの目的があるのだろうと見抜くのは簡単だった。
 だが今は……。

 (ねぇ、ホントは──“どうしたい”の?)

 アリスがその表膜で笑顔を装うのとは対照的に。今のドクトルは、同じ表情のまま時に嬉しそうに、時に悲しそうに。
 まるで、本心からそうしたくてここに居るかのように振る舞って見せる。

「この辺も大体キレイになったね!手伝ってくれてありがとう!」
「礼には及ばない、これも生徒の義務らしいからな」

 どこか誇らしげに、嬉しそうに。彼女は言う。
 その変化に、きっと自分自身も気付いていないのだろう。

 そういう挙動に、心当たりが無いわけではなかった。
 人間の内的挙動をシミュレートし続けていると、そのうち専用の回路ができてくる。
 そうすると|演算する《考える》よりも早く体が動くようになる事があるのだ。

 今の所、それが|心《ホンモノ》とどう違うのか。
 その答えをアリスは持ってはいなかった。

ヨシマサ・リヴィングストン

● あゝ青春よ
「ドクトルさん、軽音やりませんか?」

 ヨシマサの誘いに、一部の生徒達はまた始まったと苦笑し、一部は興味深げに話の流れを伺う。実のところ、彼のこういった誘いはクラスの定番となっていた。

 元々√ウォーゾーンというのは娯楽の少ない世界である。そんな√の学生ともなれば、活力を持て余しているものが殆どだ。
 そんな中で、ヨシマサが他の√の知識を活かして提案するイベントは、多くの生徒に好意的に受け止められた。
 そういった訳で、生徒達が固唾を飲んで話の流れを見守る中、教科書から顔をあげたドクトルが答えた。

「ヨシマサ先生。二つ、質問がある」
「なんでしょう?」
「一つ、なぜ軽音なんだ?」

 ドクトルは言葉を切ってヨシマサの返答を待つ。
 二つ目の質問は答えを聞いてから、と言う事なのだろう。

「軽音部と言えば学園生活、青春の代名詞っすからね」

 果たしてそうだろうか、という根本的な疑問はこの際置いておくとして。
 『青春の代名詞だから』という理屈は、仮にも戦闘機械の統率者に対して『青春するために入学してきたんだろう?』と言っているような物だ。
 尤も、ドクトル側も「そうなのか」、と素直に頷いてしまった物だからその推測を否定できる材料も無いのだが。とにかく納得した様子のドクトルは次の疑問を投げかけた。

「二つ、私は楽器を演奏する機能は持たないが、大丈夫なのか?」
「大丈夫っすよ」

 即座に返った自信に満ちた言葉に、ドクトルと生徒達は感心した様子を見せた。
 その程度の問題は予想済みだったか、と。

「ボクもマジで弾けませんから」

 大丈夫ではない。

 ……結局のところ、練習は音楽を得意とする数人の学生が先生役として挙手してくれた事である程度形になった。
 「文化祭にむけて特訓です!」というヨシマサの号令に乗っかった彼らと共に小さなレンタルスタジオを借りて、あの曲が良いこの曲が良いと和気藹々と意見をぶつけ合わせる。
 そうして、ある程度曲が流せるようになってきた辺りで、ドクトルはふと思い出したようにヨシマサに尋ねた。

「そういえば、文化祭、というのは確か秋ごろに行われる物だろう。私がそれまでの期間、ここに居ると想定しているのか?」
「それを言ったらボクだってここに居るのは二週間っすよ」

 「あっ!」という声が周囲から聞こえる。みんな忘れていたのだろう。あるいは気付かないフリをしていたか。
 それはドクトルも同じだったようで、不思議そうな顔を隠せてはいなかった。

「それなら、なぜあのような事を?」
「半分はノリです」
「半分は、なんだな」

 流石にヨシマサの言動にも慣れたらしいドクトルが少し呆れた様子で言う。

「残る半分はですね。文化祭の練習ってことにしておけば、本番の時にみんなで思い出せるでしょう」

 その思い出こそが青春なのだ、と。言葉にしたわけではなかったが、そう伝える。
 それを受け取ったドクトルが何を考えているのかは読み取れなかったが。
 しばらくして不意にその細い指がキーボードを叩いた。

「その理屈は、本番を行えるだけの実力があれば、の話だろう?であればもっと練習すべきだな」

 自然と笑いが零れ、再びがちゃがちゃとした合奏が響きだす。
 その日、小さなスタジオに響く音は、暗くなるまで途絶えることが無かった。

フォー・フルード

● 残酷な奇跡の時代について
 街中を二機の殺戮機械が悠々と歩いていた。
 それ自体は√ウォーゾーンでは珍しい事ではない。奇妙なのは、その二機がまるで教師と生徒であるかのように振る舞っていた事だろう。

「フォー先生、あれは何をやっているんだろうか」
「あれはフリーマーケットですね。使わなくなった衣類などを売り買いする即席の商店です」

 向けられる目は奇異の目が半分、恐怖や怒りが半分と言った所。
 生徒達による『変わった先生』の噂が無ければその割合はもう少し極端だったかもしれない。
 狙撃手として、自身が衆目を集めていることに少し居心地の悪さを感じながらもフォーは先生としての|役割《ロール》を全うしていた。

 彼が受け持つ|生徒《・・》、ドクトル・ランページ。彼女の今の状態は|ベルセルクマシン《友好AIの影響下》に近いのだという。
 それを前提に観察すれば、確かに彼女の言動はフォー自身のソレに近いところがあった。だからこそ、彼女の真意を問う……場合によっては妥協点を話し合う機会を設けたいと作戦通りに彼女を連れ出したまでは良かったのだが。校外学習という名目を取った以上、急に人気のない場所に誘導しだすのも不自然だった。

「他に気になる場所などはありますか?」

 さてどうやって連れて行ったものかと頭の中に地図を浮かべながらそう尋ねると、ドクトルは思案の後にこう答えた。

「フォー先生が好きな場所を教えてほしい」

 渡りに船、というべきか。
 その建物は街の外れにぽつんと立っていた。
 周囲の建造物と少し様式の異なる、おそらく旧時代の技術で作られたそこは、小さな図書館だ。
 勝手に修復される建造物と異なり、紙でできた本は一度焼けてしまえば失われてしまう。小さな物でも残っているだけ珍しい方だ。

「本、か……」
「えぇ、ランページさんは本は読みますか?」
「書籍の情報を可能な限り入力していた時期はある、が。紙媒体、それも小説の類に触れたことはあまり無いな」

 そう言って、書架の片隅から作為なく一冊の本を抜き取った。
 深い緑に藻類のようなモチーフが描かれたその本に目を通し、小さく眉を上げる。

「あぁ……その本ですか」
「知っているのか?」
「少し難しい本ですが……ランページさんには合っているかもしれませんね」
「そう、か」

 フォーの言葉に後押しされ、ドクトルはその本を持って小さな木の椅子に腰を降ろした。戦闘機械の処理能力を以てすれば本来一瞬で読み終わってしまうであろうそれを、1ページ、1ページと読み進めていく。
 フォーはちらりと時計に目をやった。作戦の遂行を考えるならば、適当な所で切り上げるべきなのであろうが。その姿を邪魔する気もどうにも起きず。目の前で書籍に集中する|生徒《ドクトル》の姿をじっと見つめていた。

「フォー先生」

 そうしていると不意に名前を呼ばれた。
 半ばほどまで読み進めた本をテーブルに置き、ドクトルの視線が真っすぐにフォーへと向けられる。

「あと数日で良い、時間をくれないか?」

 それは本についてだったのか。
 それとも彼女が√能力者達の作戦に気付いていた上でのお願いだったのか。
 その答えは明確ではなかったが、どちらにせよ彼の返答は決まっていた。

「わかりました、続きは後日にしましょうか」

 彼女が生徒の|役割《ロール》を捨てたくないと言うのなら……今少しの猶予を、と。

クラウス・イーザリー

● 最後のひと時。あるいは結末の直前
「やあ。この後、時間はある?」
「ちょっと遠乗りに行かない?思いっ切り走るの、爽快だよ」
 
 授業終わりの校舎の前、クラスメイトを遊びに誘う分には悪くない誘い文句だ。
 誘った当人、クラウス・イーザリーがもう少し楽しそうな顔をしていれば、だが。

 この辺りはクラウスを責めるのは酷と言う物だろう。
 親友を亡くして以降、クラウスの青春を満喫する心は機能していなかったし。
 どう取り繕ってもドクトル・ランページは家族を、親友を奪った戦闘機械群の統率者だ。
 彼と同じような境遇でなおにこやかに語りかけられるのは詐欺師か狂人、あるいは聖人くらいで、クラウスはそのどれでもなかった。

 とはいえ、デートの誘いとしてはやや不格好なのは確かなのだが。
 ドクトルは、何も言わずに頷いた。

 事前連絡のお陰か、車輌の少ない道路はバイクで走るには最適だった。
 風は澄んでいて、初夏の気温に火照る体を程よく冷やしてくれる。

「クラウス・イーザリー」

 その声は、風音の中でもはっきりと聞こえた。
 明確に何が違うと言える訳ではなかったが、その言葉が『生徒』ドクトルではなく、『戦闘機械』ドクトル・ランページとして発されていると理解できたのは。
 その雰囲気が幾度も戦場で聞いたソレとよく似ていたからだろうか。

 即座に攻撃に備えて身構えたクラウスだが、不思議な事に彼女が動く様子は無い。
 肩越しにちらりと目をやれば、彼女は流れていく景色を静かに見ていた。

「端的に言おう。あなたの……あなた達の目的は理解している」
「やっぱり、気づいてたんだ」
「他の√能力者はともかく、十回以上作戦を邪魔した相手の顔を覚えられないようでは統率者などやっていられん」

 敵意は感じない。元々敵意をむき出しにするタイプでは無かったが。
 今はそう、そもそも何かをしようという気力を感じなかった。

「単刀直入に聞くよ。……何を考えて、学生なんてやっているの?」
「その答えは……他の√能力者が揃った場で言う。既に招集をかけているのだろう?」

 それもまた正解だ。彼女は√能力者達の作戦をほぼ正確に読み切っている。
 それだけに、クラウスには彼女の意図が掴み切れなかった。

「だが、そこへ向かう前に、幾つか寄ってほしい場所がある」
「……それが時間稼ぎじゃないって保障も無いと思うけど」
「そう思うならばここで戦闘を行ってもいいが」

 どのみち集合まで多少時間はかかる、どうせ作戦がバレているのなら彼女に従った方が被害は少ないだろう。
 そう判断したクラウスは仲間たちへ連絡を一つ入れ、再びアクセルを握りなおした。

「分かった。あと、しっかり掴まっていた方が良いよ」

 街中のクレープ屋、小さなレンタルスタジオ、町はずれの図書館、星が見える丘……。
 それぞれの場所に居る時間はほんの僅かで、何をするでもなくただぼんやりとそこを見つめるだけ。
 それほど大きくない街はバイクで回ればあっという間で、日が暮れるよりも早く彼らは最後の目的地へ向けて走り出した。

 相も変わらず車輌の少ない道は、向かい風が吹きつけているのに妙に静かだった。

「感謝する。クラウス・イーザリー」

 ドクトルがぽつりと言う。

「来てくれたのがあなたでなければ、私はいつまでも決断を引き延ばしていただろう」

 赤くなり始めた空の下、逆光に照らされたドクトルの表情は読み取れなかった。

 そして、バイクが郊外の開けた場所へとたどり着く。
 √能力者達が、そこで待っている。

エアリィ・ウィンディア
ハスミン・スウェルティ

● "その日"の一日前
 きっかけはエアリィ・ウィンディアの「せっかくだから一緒に買い食いに行こう」というあまりにも学生らしい誘いだった。
 その誘いにドクトルと、たまたま近くにいたハスミン・スウェルティが乗り。
 3人は学生街の中ほどにあるクレープ屋へと足を運んでいた。

 11際の少女に引率される戦闘機械と人間災厄という言葉上は奇妙な絵面だが。
 多くの装備を外し、ほとんど人と同様の姿となったドクトルと、見た目上は少女と言っても通るであろうハスミンは意外にも学生街の風景に溶け込んでいた。

「バナナと生クリームとカスタードの入った物をお願いしますっ!」
「私はイチゴチョコアイスにしよう、かな」

 迷いなく味を決める二人に対し、ドクトルはメニューを上から下まで眺めながらも決め手に欠けるようで。

「……では、私もエアと同じものを」
「それもいいけど、せっかくだから違うの頼んで交換しようよ!」

 結局、ドクトルは十分ほど悩んだ挙句、季節限定だというメロン味の物を頼んだ。
 三人で近くのベンチに座り、互いに異なる味を交換しあう。
 その姿は、簒奪者とそれと戦う者の関係であるとはとても思えない、普通の学生同士のようだった。

「ハスミン、頬にクリームがついているぞ」
「え、どこだろう」
「右頬の上……そう、そこだ」
「それを言ったらドクトルさんもね」

 ハンカチを取り出して拭ってやれば、ドクトルは目を白黒させた後。大人しくされるがままになる。エアリィからしても、ほんの少しお姉さん気分を感じられるのは悪くなかった。

 そうして、クレープを食べ終えた時には、陽がすこし陰りだす夕方と昼の丁度中間の時間だった。
 帰るには少し早いが、遠出するには遅い。微妙な時間だが、だからこそ今回の目的……ドクトルを誘い出し、その真意を問う。には合っていた。

「ちょっと遅くなっちゃうかもだけど、せっかくだから街はずれの方まで行かない?きっといい風が吹いてると思うんだ」
「しかし……」
「あ、それなら私がいい場所を知ってるよ、ついてきて」

 ドクトルの言葉を遮って、今度はハスミンの先導で街の外へと歩き出す。
 一度渋るような様子を見せたドクトルだったが、歩き始めれば特にこれといった不満を言う事もなく。ハスミンの後をついていく。
 三人で話しながら歩くうちに、まだ沈みかけだった太陽は瞬く間に沈んでいき、その場所に辿りついた時には既に薄く赤色を残して夜へと差し掛かっていた。
 それでも、星の光、月の光が降り注ぐその場所は、不思議と暗さを感じなかった。

「ここ、この間見つけたんだ」

 エアリィとハスミン、そしてドクトルは小高い丘に腰を下ろし、言葉少なく空を見つめる。
 空はどこでも繋がっている、なんていうけれど。√ウォーゾーンの夜空は黄昏の色をしていた。
 √EDENや√ドラゴンファンタジーとも、もちろん√汎神解剖機関とも違う。
 静かで、どこか悲しい色だ。

 時間が止まってしまいそうな静寂がいつまでも続く中。
 最初に言葉を切り出したのは、やはりエアリィだった。

「ドクトルさんは……なんで学校に興味があったの?」
「……正確には、学校に興味が有った訳ではない」

 あまりにも直接的な言葉に、エアリィは少し面食らった。

「私達の目的はあくまで|完全機械《インテグラル・アニムス》への到達だ。学校を選んだのは、検証に最も都合が良かったからだ」

 |完全機械《インテグラル・アニムス》。そう、その言葉だ。
 将来の夢を聞かれた時、入学理由を問われた時。
 どのタイミングでも、彼女はなぜかその言葉を頑なに口にしなかった。おそらく生徒達の警戒を抑えるためなのだろうが。
 それをわざわざ口にすることには、何らかの意思を感じざるをえなかった。例えば、意図して心の距離を空けようとするような。

 星を見上げる彼女の瞳に映るのは、理知の輝き。
 かつての戦いで常に目にした。そして、この学園生活で一度も目にすることが無かった光だ。

 エアリィは、いつでも動けるようにほんの少しだけ身を硬くする。
 一方で、ハスミンはその光に気付いているのか居ないのか、同じく星を見上げながらドクトルに問いを投げかけた。

「じゃあ、ドクトル。その検証の中で何か得難い新発見はあった、かな」

 ハスミンの視線を受けて、ドクトルは小さく首を振る。

「正直を言えば、目新しいデータは得られていないのが現状だ」

 他の場所で会ったドクトルであれば、そこで言葉を切っていただろう。しかし、今の彼女はさらに言葉を続けた。

「だが、今日のような経験は……少なくとも過去のデータには無かった経験だ」

 そう言って、再びドクトルは黙り込む。
 その時気付いた。いつも彼女のイヤリングに仄かに輝く赤い光が、今は輝きを抑えていた。それはつまり、と考察するよりも前に、ハスミンがドクトルに再び問いかけた。

「ドクトルは、|完全機械に《すごく》なるのが目標、なんだよね」
「……そうだな」

 ハスミンが立ち上がり、ドクトルに向き直る。真っすぐな瞳が、理知を宿した瞳と向き合った。

「もしも」
「もしそれが、他人を傷つける方法じゃないのなら……」

「私は応援する、かも」

「それは……」

 ハスミンの真っすぐな言葉に|簒奪者の統率者《ドクトル・ランページ》はその鉄面皮を僅かに歪め、声を詰まらせた。
 その表情が見えたのはほんの一瞬だった。あるいはか細い星明りが見せた錯覚だったのかもしれない。
 それでも、ただの錯覚だと思うには、あまりに印象的だった。
 だから、エアリィもまた、ドクトルに向けて向き直り、言葉を伝える。

「うん、もし他の人に迷惑かけないって約束するなら。あたしも応援するよ!」

 2人の少女の言葉を受け取った簒奪者の瞳は、僅かに揺れていたが。
 やがて、何かに耐え切れなかったかのように静かに閉じられる。
 次に開いた時には理知の光は消え、学園生活で接してきたドクトルの目に戻っていた。
 2人に習うようにドクトルが立ち上がる。風を受けて、髪の向こうのイヤリングが仄かに輝いた。

「感謝する。エア、ハスミン。2人に会えて良かった」

 それはほとんど、別れを告げる言葉だった。

花園・樹

● メッセージ
「今でも許せねぇよ、だけど、今のアイツに怒る気にもなれないんだ」
「思ってたよりかわいい子ですよね、あれも演技なのかもですけど」
「文化祭、一緒に演奏するんだってさ。そんなわけないのにね……本当だったらちょっとだけ面白いよね」

 一枚、また一枚、テストの答案に手を走らせる。
 そこに書かれた名前に、彼らの言葉を思い返しながら。
 ドクトルの対処が本来の業務である樹にとって、テストの採点などは正確には業務外に当たるのだが、今は無性に手を動かしたい気分だった。

 携帯に着信した一本のメッセージに手を止める。
『ドクトルの誘導に成功。到着時刻は18:00を予定』

 明確なタイムリミットを突きつけられて、樹はちらりと傍に置かれた|太刀《狼牙》に目をやった。
 生徒を護るためと誓い、握った剣は変わらずにそこにある。

 だが。
 いや、だからこそ、と言うべきなのだろう。
 彼女に刃を向ける覚悟はまるで決まっていなかった。
 それどころか、時が立てば立つほど揺らぐばかりだ。

 彼女と共に過ごした時間は短くとも、確かに彼女は|生徒《・・》だった。
 例えそれが簒奪者であるからと言って、簡単に解釈を捻じ曲げて良しとできるような誓いなど、立てた覚えはない。

 それに、行かない理由はいくらでもあった。
 安全の為、という意味ならばそれこそ校舎に留まった方がいいだろう。
 今回集った√能力者達は精鋭ぞろいだ、たとえドクトル・ランページが相手だったとしてもそうそう負けは無いだろうし、対話の結果によっては校舎に残っている戦闘機械が一斉に蜂起する可能性もある。
 校舎に戦力が残っているのは悪い事ではない。

 だが一方で、もし戦闘になってしまえば、彼女の話を聞く機会はもう無いだろう。と言う予感もあった。
 √能力者に死は無いが、別の場所で出会う彼女はまた別の欠片だ。
 例え√能力者達が勝利したとして。樹は彼女が何を思っていたのか知らないまま、生徒達に知らせることもできないまま別れる事になるだろう。

 そこで思考はループする。考えながら目の前の事に没頭していたせいだろうか。

「先生……花園先生!」

 いつの間にか、傍に1人の女生徒が立っていることに気付かなかった。
 その手にはプリントの山を抱えている、他の先生からの頼まれごとだろうか。

「あぁ、ごめん。すこしぼーっとしてたみたいだ」
「このプリント届けておいてほしいって頼まれたんです……あの、先生。大丈夫ですか?顔色、すっごい悪いですけど」
「すこし頑張りすぎちゃったかな、大丈夫。心配させてごめんね」

 不安を抱かせまいと、笑顔を取り繕ってプリントを受け取るが。
 彼女の顔は晴れる様子はない。

「先生、先生も……行くんですか?」

 そう言って、彼女は携帯に届いた警戒体勢のアラートを見せる。
 大きな戦闘の予測を告げるそれを見て、ドクトル・ランページとの最後の対話を想定しない物はこの学校には居ないだろう。

「もし私たちのために残るって言うなら。私たちは大丈夫です。
 これでも戦闘の訓練は積んでますから、弱い戦闘機械がいくら集まったって負けたりしませんよ!」

 樹を元気づけようとしているのだろうか、両手をグッとガッツポーズにして、少女は明るい声で言う。
 しかし、やがて彼女は上げた手を力なく下ろした。

「会わないんだったら、別にいいんです。でももし、先生があの子に会うなら……私は、楽しかった、って……いえ、やっぱり大丈夫です」

 その顔にあるのは、恐怖や焦りではなく。寂しさと、小さな哀しみ。

「私、準備してきますね。先生も、頑張ってください」
「……うん、気を付けて」

 そう言って、女生徒は職員室の扉を出ていく。
 今ひとたび、狼牙に目をやった。

 必ず戦いになると決まった訳ではない。
 それでも、どうしてだろうか。
 別れの予感だけはあった。

第3章 ボス戦 『『ドクトル・ランページ』』


● もっと時間を
 ある程度廃墟などを残した、戦闘の影響が出にくい郊外の一点。
 そこに√能力者達とドクトル・ランページは向かい合っていた。

 ずらりと並んだ彼らを前に、ドクトルは対話というよりは独り言のように話し始めた。
「あなたたちのお陰でデータの検証が思ったよりも早く進んだ。だから、礼としてあなた達の疑問に答えよう。私の目的は人類が"絆"と定義するものについての検証だ」

 絆、人と人との繋がり。無限のパワーソース。社会性動物の生命線。
 それは決して創作の中だけの話ではない。
 実際、同じ学舎で深い関係性を築く学徒動員兵には強力な√能力者が生まれやすく。
 人間の感情に影響されて、戦闘機械が自発的に人類側に付いたケースも少ないながらに存在する。
 人間から学ぶ事を掲げるものとして、無視して通るわけにもいかなかった。

「人間同士のデータを観測するのは容易だが、運用のためには|絆《ソレ》が|戦闘機械《私たち》にどのように作用するかを検証する必要があった」

 そう言って、ドクトルは茜色の髪をかき上げて耳元のイヤリングを見せた。
 仄かな赤い輝きを放つそれを彼女はそっと指で撫でる。

 彼女が述べた目的は、戦闘機械群のそれにしては穏便な……ともすれば共存可能であるとすら思わせる物だ。
 彼女の|実験《・・》がいつもこういった物であれば、|派閥《レリギオス》ランページはあるいは人の護り手となる可能性すらあったかもしれない。
 だが、そうでないからこそ、彼女は常に敵として姿を現してきたのだ。

「何か質問は?」

 1人の√能力者が手を挙げる。「目的は分かった。では、この後どうするつもりなのか」と。
 
「検証は、現在も進行中だ。
 本来であれば検証完了後は学校に残してきた戦力を使って生徒達を生体モジュールとして回収する予定だったが。
 ここまでマークされている以上それは不可能だろうな、そのまま撤退させるだろう」

 その言葉に幾人かからため息が漏れ、ある物は目線を鋭くする。
 やはり戦闘機械は戦闘機械か、という感想もあれば、戦わなくて済みそうなことに安堵を感じるものもいた。
 そんな彼らの様子を見ながら、ドクトルもまたどこか安心したような様子で言葉を続け。

「とはいえ、まだ確実なデータが得られていない以上、予定外ではあるが、もう少し検証を……」

 突如、彼女は目を見開いた。
 それはまるで、自分口から出た言葉が信じられないかのように。
 そして、小さく顔を伏せる。

 その雰囲気の変化に、経験豊富な√能力者の何名かは油断なく戦闘態勢を取った。

 瞬間、ドクトルの尾が跳ね上がり、イヤリングを跳ね飛ばした。
 赤い光が宙を舞い、鋭い音を立てて地面に落下する。
 そして、再び顔をあげたドクトルの瞳には、常の彼女が抱く鋭く冷たい理知の光が輝いていた。

「……前言を撤回する。検証を予備段階に移行。目的は、収拾データが戦闘へ及ぼす影響の確認」

 格納していた戦闘兵器を展開しながら、ドクトルは絞り出すように言葉を紡ぐ。

「ようやく理解した。|絆《これ》は毒だ」

 全身を覆う装甲が次々と成形され、細い体を覆っていく。
 その間も、彼女は言葉を止めることはない。

「この期間……性能の向上も、√能力の強化も為されていないにも関わらず。私は無為にここに留まろうとした。この状態が続いてしまえば私たちの悲願を、|完全機械《インテグラル・アニムス》への到達を為すことはできない」

 そして、完全な戦闘形態へと姿を変えた彼女が、√能力者達に向けて告げる。

「私達は、強くならねばならない。故に……」

 鋭く自らをも刺す、決別の言葉を。

「ここでの学びは、終わりだ」
ヨシマサ・リヴィングストン
クラウス・イーザリー
フォー・フルード


 長大な尾による動き出しの一撃を止めたのはクラウス・イーザリーだった。
 装甲の隙間を狙ったスナイパーライフルの一撃はドクトル・ランページにとってもタダで受けて良い攻撃ではない。
 振りかざした尾を盾のように構え直せば、弾丸はダメージもなく弾かれるが、それでも仲間たちが体勢を整える時間を稼ぐには十分だ。
 そして、既に攻撃の準備をしていたものであれば―――。
 尾の盾によって遮られた視界の死角から炸裂弾と化した弾丸が突き刺さり、激しい爆発を引き起こした。

 煙の向こう、ヨシマサ・リヴィングストンが|装甲撃砲装置《インフェルノギア》に変形した重火器に次弾を装填する。
 その目には油断の一つもなく、次なる攻撃の予兆を静かに見据えていた。
 彼らがすぐさま動けたのは戦闘経験の豊富さ、だけが理由ではない。

 彼らが√ウォーゾーンに生まれた人間だからだ。
 この√に生まれた人々は、遅かれ早かれ心と頭を切り離す術を学ぶことになる。
 否、学べなかったものから死んでいく。
 多くの同胞の亡骸を越えていくうちに、彼らはどんな状況であれ"敵"に立ち向かうことができるようになっていくのだ。

 ……それは決して、心が傷つかない事を意味するわけではない。


「少し、狙いがブレちゃいましたね」

 廃墟の壁に身を隠し、次の攻撃の機会を伺いながらヨシマサは呟く。
 先ほどの攻撃の瞬間、ヨシマサは最後の瞬間に視線を逸らしてしまった。

「絆は毒、言い得て妙ですね~……」

 確かにこれは彼らが厭う弱さだ。
 この状況になっても、一緒に過ごした時間が心のどこかで引き金を引く指を鈍らせる。
 それを抑え込むためには、その気持ちと正面から向き合う必要があった。

 ほんの僅かな時間、過ごした日々を思い返す。
 持ち込んだイベントに目を白黒させる姿を。
 楽し気にキーボードを弾く姿を。

 いつかどこかの舞台で皆と練習した曲を披露する。そんなささやかな夢は。彼女が|派閥・ランページの統率者《ドクトル・ランページ》である以上、決して叶う事の無い夢だ。

 だが、夢を見る希望が無ければ人は壊れてしまうし。信じる弱さが無ければ人は生きていけない。

「この二週間を、忘れませんから」

 抱いた|絆《毒》を飲み下し。ヨシマサは再び|対象《ドクトル》に照準を合わせる。
 今度はもう、照準がブレることは無かった。


「やはり動いたか、クラウス・イーザリー。そして、ヨシマサ・リヴィングストン」

 土煙を切り払い、再び姿を現したドクトルが呟く。
 彼女もまた、この状況で最初に動くのはこの二人であろうと予測していた。

 人間にまるで興味のない|派閥《レリギオス》オーラムのゼーロット辺りならともかく、
 彼女はドクトル・ランページだ。人から学ぶことを是とした彼女が……この二週間を共に過ごした彼女が、その程度の読みを外すはずもない。
 むしろ驚くべきは警戒していたはずの彼らに先制を許してしまった事の方だ。だが、そんな一時の驚きにいつまでも目を向けていられるほど時間の猶予はない。
 ドクトルは即座に視線をクラウスに定め、次なる攻撃を行おうとする彼へと一気に跳躍した。

 クラウスのような軽装よりの人間が膂力で勝るドクトルの攻撃に対抗するときの基本は、当たらないか、攻撃させない事だ。
 その意味で、クラウスの戦いは模範と言うべき動きだった。
 常にレーザーライフルがドクトルに通るギリギリの距離を保ち、相手の急速接近に対しては|氷の跳躍《インビジブルを用いた空間跳躍》で距離を詰め、先んじて電磁ブレードを突きたてる事で動きを止めて離脱する。
 決定打に至る一撃こそないが、手数でもってドクトルを釘付けにし、徐々にダメージを蓄積していく。
 加えて、どうしても避けきれない攻撃に対しては――。
 ドクトルが攻撃体勢を取ることで生じた隙に、ヨシマサの誘爆弾が撃ちこまれ、その体を大きく弾きとばす。
 一切の誤差なくドクトルの急所を撃ち抜くその爆撃は、強固な装甲をもってしても防ぎきるのは非常に困難だ。
 下手な攻撃はむしろ危険で、二人の連携はドクトルの反撃を大きく減らすことに成功していた。

 幾度かの打ち合いを経て、殆ど無傷のクラウスと細かな傷を追ったドクトルが向かいあう。
 かつて戦った彼女と比べ、細かな部分で動きが鈍い。
 特に、火力としては遥かに脅威であろうヨシマサの排除に動こうとしないのは普段の彼女であれば考えられない判断だ。

 それは、過ごした時間が未だに彼女を貫いているのだろう。
 そんな姿に、クラウスの口からつい、言葉が漏れた。

「もう、良いんじゃないか?」

 ドクトルの動きが僅かに止まる。

「共に過ごした相手と戦うのがそんなに辛いなら。無理に戦わなくてもいいじゃないか」

 一瞬の間を置いて振り降ろされたドクトル・リッパーは狙いを僅かに外して地面を深く抉り。瓦礫の欠片を巻き上げた。
 宙を舞う断片の向こうから、ドクトルの鋭い目がクラウスを射貫く。

「そういうあなたはどうなんだ、クラウス・イーザリー」
「俺は、辛いと思っているよ」
「……!」

 その瞳が大きく揺れた。
 その経歴、対戦闘機械の参戦率を勘案し、ドクトルは、クラウスを復讐者あるいは監視者であると|プロファイルして《思い込んで》いた。だからこそ彼女は、いつかただのドクトル・ランページが統率者に戻るための"楔"を彼に求めたのだ。
 そんな役割が、|情に厚く心優しい彼《クラウス・イーザリー》に務まる筈もないと気付かずに。

 前提の破綻は思考回路に僅かな不備を産み、戦闘行動の演算をほんの少し遅らせる。
 本来であれば即座に修正される歪み。だが、今の彼女にとってはその程度の演算の不備ですら十分すぎる影響だった。
 クラウスのそれ以上の言葉を遮らんと放たれた大振りな攻撃は大きな隙を産み。
 そこにヨシマサと不可視の狙撃手による強烈な一撃が叩き込まれた。


 一時的な行動不能が回復するよりも早く。
 |EOC《電磁的光学迷彩》マントを纏った不可視の狙撃手、フォー・フルードは次の行動の布石を打つ。

「算出完了、誤差許容範囲内、|射出《FIRE》」

 構えた|拳銃《Gr-429c》に込められた弾丸は未来予測弾。フォーの戦術眼と合わせて未来予知にも似た行動予測を可能とする分散型演算補助装置だ。
 通常の弾丸と合わせ、牽制代わりにこれをばら撒く。
 弾丸はドクトルによっていくつかは弾かれながらも、地面に着弾した物は正常に機能を発揮し始める。

 最初からそれをしなかったのは、位置がバレるというのもあるが。万全の状態のドクトルであれば、この弾丸の性質すらも見抜いてくる可能性があったからだ。

 先ほどの一撃だって、クラウスの言葉に彼女の行動が大きく揺らいだあの一瞬でなければ攻撃は通らなかっただろう。
 同じ戦闘機械だからこそ分かる。ドクトル・ランページはフォー・フルードという機体に対して一種の確信をもって行動していた。
 彼は、その性能を最も活かしうるタイミングで"必ず"攻撃してくる。と。

 だからこそ彼女は、先ほどの一瞬まで意識的に急所への射線を切るように動き、何も無いように見える空間への警戒を途切れさせることが無かった。

 そう思われていた事が悲しく……は無かった。
 「まぁそうだろうな」、大げさに言っても。「残念だ」、と言った所だろうか。

 悲しむのが人としてあるべき姿なのだろう。友好強制AIから得られた情報から、あるいはこれまでに観測してきた人間の姿から人間性らしきものを演算する事はできる。
 震えながらに戦いたくないと嘆くこと。ここからは敵同士だと覚悟を決めること。
 そして今のドクトルのように、逃れられぬ運命に葛藤すること。

 自らの矛盾に気づき、イヤリングを弾き飛ばしたその姿は。一瞬|人間と見間違えてしまう《友好強制AIを欺く》ほどに人間らしかった。

「それとも、それを見せるところまでが作戦だったのでしょうか」

 それだけに、彼女を"敵"と見ることに何1つの問題もないことが少し残念だった。

 先ほどの一撃でおおよその居場所を把握されたのであろう。潜伏場所を薙ぐように|物質崩壊光線《マテリアル・キラー》が放たれる。

 フォーは姿勢を低くしてそれを躱し、返す刀で|銀鳩《手榴弾》を投げ込んだ。
 込めた中身は|電磁妨害《チャフ》や|目くらまし《スタン》ではなく、下手な戦闘機械であれば四散させるだけの威力を持った炸薬だ。
 最低限そのくらいの威力が無ければ目くらましとしても役に立たないというのが、彼女の兵器としての強度を表していた。

 |予測演算射撃機構《セルフ・ワーキング》による並列予測を駆使してなお、その演算能力はほぼ互角。
 補足した位置情報を元に次の行動を演算し、EOCマントによる光学迷彩を貫通……。
 正確には、見えずとも次に居るであろう場所へと的確に|物質崩壊光線《マテリアル・キラー》を放ってくる演算能力は腐っても|王権執行者《レガリアグレイド》と言う事だろうか。

 それでも一度として直撃を許していない以上、今時点ではフォーの演算速度が彼女を僅かに上回っているという事なのだろう。それでも大きな一撃を叩き込むだけの余裕はなかった。

「ジリ貧ですね」

 味方の√能力者達もそろそろ弾切れが近い、リソース戦は明らかに不利だ。
『そろそろ多少の無理も必要なタイミングだ。』そう判断したフォーは、再び拳銃を構えた。

 ばら撒かれる弾丸と共にフォーが遮蔽から走り出す。
 ドクトルの装甲には殆ど影響のない攻撃。しかし狙撃手としての本分を大きく離れたその行動はドクトルの予測を一時的に裏切り、対処までの猶予時間を一気に引き延ばした。その一瞬の猶予を狙って、本命のフックショットを撃ち放つ。

 二機の距離が一気に縮まる。
 振り降ろされる斬撃兵器、予測通りであれば、相討ちとなる一撃。
 しかし、ドクトルの攻撃は予測よりも一瞬だけ振り遅れ。
 ゼロ距離にまで引き寄せられたその体を狙撃銃の一撃が貫いた。

 再びEOCマントを起動させて距離を取りながらフォーはふと考える。
 仮にも教え子であった彼女に何の感傷も抱くことなく銃を向けられる自分は、やはり先生には向いていないようだ。
 そう言ってくれた少女の言葉が記憶領域の関連データに浮かんで消える。彼女の言葉を裏切ってしまった事は、少し申し訳なかった。

アリス・グラブズ
エアリィ・ウィンディア
花園・樹


 三対一、それも戦闘に優れた三人の√能力者を以てしても、|王権執行者《レガリアグレイド》相手の戦闘を継続し続けることは困難だ。
 今の弱体化したドクトル・ランページであっても、致命的なダメージこそ無くとも、残弾の不足や身体機能の低下は避けられない。

「こんなものか。……ならば、終わりだ」

 瞬間、動きを止めたタイミングに完璧に合わせてドクトル・リッパーが振り降ろされる。狙いすました。直撃すれば体を真っ二つに断ちかねないほどに強力なその一撃は、直撃の寸前に銀の閃きによって軌道をずらされて大地を裂くに留まった。

 それを為したのは、エアリィ・ウィンディア。
 精霊に愛された小さな少女は銀の剣を構え、ドクトルの前に静かに立っていた。

「少し休んで。ここはあたしが引き受けるからっ!」

 仲間たちが安全圏に退避するのを背中に感じながら、エアリィはドクトルに視線を戻す。その瞳に迷いは無かった。

「少し、話してもいいかな」
「なんだ」

 今のドクトルの話し方や表情は一緒に過ごした時とはまるで違うけれど。
 言葉少なに話を聞く姿はあの星の夜と同じように見えた。

「さっきドクトルさんは絆について色々言ってたけど。絆ってそんなに複雑なものじゃないと思うんだ」

 何を今更、とでも言いたげにドクトルの目が細められる。
 しかし、エアリィはあえてその視線を振り切って言葉を繋げる。

「人だけに特別な物じゃない。例えばドクトルさんと戦闘機械達、その上下関係にだって成り得るものだったと思うの」

 それは、あの短い時間を確かに友達として過ごしたエアリィから見て。
「だから……」
 今の彼女の姿が。

「|絆《あなた自身》を否定しないで」

 自分自身を傷つける為に戦っているようにしか見えなかったから。

「……ッ!………………言いたいことは……それだけか?」

 僅かに目を伏せながら、ドクトルが再び構えを取った。
 言うべき事は言った。それでも言葉だけで出来る事には限界がある。

「……それが答えなんだね。なら、あとは全力でぶつかるだけっ!!」

 エアリィの言葉を皮切りに、二つの影がぶつかりあった。

 一瞬で距離を詰めたドクトルの長大な尾がエアリィに振り降ろされる。
 本人の心象を反映するかのように乱暴に打ち下ろされたその一撃は、防御に優れたWZですらも容易く叩き割るだろう。しかし、例え力が強くとも、芯のブレた攻撃が通る程エアリィが母と積んできた訓練は軽くない。
 風域の結界によって弱められた一撃を、沿わせるように振るった銀の剣で逸らし、受け流す。

「行くよ、ドクトルさんっ!!」

 無数の兵器の暴力の中を、青い影が跳ねた。
 |斬撃兵器《ドクトル・リッパー》を、|薙ぎ払う尾の一撃《ドクトル・テイル》を、不意を討つように放たれる|光線《マテリアル・キラー》を。迷いのない足取りで躱しながら。それでいて、|多重詠唱《重ねた言葉》で紡がれる六大精霊たちへの|詠唱《呼びかけ》は止まらず、応えた精霊たちの力はエアリィの手の中で交じり合い、集束していく。

 そしていつしか、彼女の手の中に集った力は六色の光の奔流となって夕闇を照らし出していた。

「六界の使者よ、我が手に集いてすべてを撃ち抜きし力を…!!」

 詠唱の最後の一文を言い切り。ドクトルがバランスを崩した瞬間を狙ってエアリィは強く地面を踏み込んだ。二人の距離が極限まで近づく。

「届け、この思いっ!!|六芒星精霊収束砲《ヘキサドライブ・エレメンタル・ブラスト》・|零式《ゼロ》」

 抱き着いた彼女の手から、全身全霊の思いを込めた魔力の煌めきが迸った。

 光が収まった時。そこに立っていたのはドクトル・ランページだった。
 |斬撃兵器《ドクトル・リッパー》は左手側がほぼ全損。|尻尾状の兵器《ドクトル・テイル》も各所の連結部からスパークを散らし、殆ど稼働していない。
 加えて各所の装甲は大きく破損し、特徴的な角状の頭部装甲に至っては一本を残して全て破断している。
 満身創痍を体現したような姿で、それでも彼女は、立っていた。

 一方で衝撃の中心に居たエアリィはと言えば、ダメージこそ少ないものの大技の反動もあって機敏に動ける状態とは言い難い。
 そんな彼女に、迷うように揺れるドクトルの刃が振り降ろされ――。

 間一髪で滑りこんだ、花園・樹の鞘に入れられたままの太刀が攻撃を逸らした。

「先生……」
「遅くなってすまない」

 エアリィに頷いて、樹はドクトルの前へと進み出た。


 アリス・グラブズは観測していた。
 こちら側の戦力は今のドクトルにぶつけるには明らかに過剰で、彼女が手を出すまでもなく戦闘は終了するだろう。
 だから、戦闘に加わるわけには行かなかった。

 アリスと近しい、|構造によって成り立つ存在《戦闘機械》が真に絆を得る事はできるのか。
 今のドクトルが、それを切り捨てることができるのか。
 彼女が興味を抱くそれを確かめるためには、重要なピースが2つ足りなかったから。

 必要なのは、今ここに居ない2人の√能力者。
 どちらも覚悟を決めるのに時間がかかったようだが。
 今、彼らは自らの意思でこの場に現れようとしていた。

 アリスがすべきことは、その2人をほんの少し手助けすることだ。

「遅刻だね、先生」
「君は……どうしてここに?」

 校舎の出口で、いつも通りの笑顔で話しかけられた樹は面食らってしまった。
 独自の行動が多い彼女の動きを予測出来てはいなかったが、少なくとも戦場にはいるだろうと踏んでいたのだ。

「大丈夫、向こうにもワタシは居るからっ♪」
「なるほど。そういう√能力なんだね」

 分身、あるいは姿だけを飛ばす√能力なのか思い至った所で。
 わざわざ迎えに来てくれた事にお礼を言おうとした瞬間、樹の脳が揺れた。

「ドクトルさんとちゃんと話し合うためには、ちゃんと話を聞いてないとね!」

 視覚と聴覚に重なるように、異なる場所が浮かび上がる。
 そこでは今まさにドクトルとの対話が始まろうとしていた。


 『青は藍より出でて藍より青し』という言葉がある。
 教え子が教師を上回り、優れた才を発揮し始める事を指す言葉だ。

 教え導く立場になったとはいえ、道は未だ半ばだ。教え子に学ぶ事はいくらもある。

 今がまさにそうだ。アリス越しにエアリィとドクトルの会話を聞いて、樹は疑問が解けていくのを感じていた。

 性能の向上が見られなかったと、ここに留まることは無為なのだと。彼女はそう言った。もしそれが本当なのであれば、ただ帰還すれば良い。わざわざ戦う必要が無い事は、賢い彼女の事だ、きっと分かっているはずだ。

 なのにドクトルは戦うことを選んだ。その理由がずっと理解できなかった。
 しかし、その目的が自身の否定にあるというのなら。
 それに寄り添う事こそが先生の役目だろう。

「……来たのか」

 言葉を交わすよりも先に振るわれた|斬撃兵器《ドクトル・リッパー》は霊犬『早太郎』の霊気によって加速された樹に当たることはなく、すぐ横の地面を傷つける。

 子供の癇癪のように、幾度も幾度も振るわれる攻撃を躱し、受け止め。
 少しずつ言葉の届く距離へと歩みを進める。

「伝えたい事が有るんだ」

 樹が伝えるのは、ここに来られなかった生徒達の思い。
 
 かつて戦闘機械によって友人を奪われた少年は少しだけ、その心を溶かしていた。
 クラスメイトの少女は、ドクトルの天然さを愛おしんでいた。
 共に演奏した少年は、同じ時間を過ごした事を忘れないと言った。
 彼女の事を思う少女は、泣きそうな顔で一緒に居られて楽しかったと言っていた。

 彼らだけではない、多くの生徒が、あるいは先生も。
 彼女との日々を通して何かを得た。
 絆とは与え、受け取る物だ。
 きっとそれは、ドクトルにとっても。

「だから、絆を受け入れろと?」
 振り降ろされた一撃を正面から受け止め。樹は首を振って答える。
「いいや。ただ、全てを終わらせる前に、もう一度考えて欲しいんだ」

 今の彼女の行動は、考え尽くした結果ではなく。
 芽生えてしまった感情に混乱しているように見えた。

「もし、君がまた、学びたいと思うならば先生は待っているよ。……何度でも」

 言葉を尽くし切れた自信は無い。
 だが、いつしかドクトルの攻撃は止んでいた。


 「ワタシからも良いかなっ?」

 アリスは、ドクトルの中に起こる幾度もの揺らぎを観測し続けていた。
 出会ったときからずっと、この戦いの中でも。

 それは単純な興味であり、あるいは期待であったのかも知れない。
 戦闘機械という自分にどこか似た存在が心を芽生えさせる事があるのか。

 この戦いの中でずっと、ドクトルはそれを構造のうちに覆い隠していた。
 樹の言葉に彼女の構造がほどけかけている今であれば。
 それを確認する手段をアリスは持っていた。

「観測記録No.0027──“絆”が構造を狂わせた、唯一の例」

 |情報構造体再演《プロトコル・オリジン》、彼女が得た絆の再演。
 その発動と共に|少女《アリス》を象っていた表層の構造が剥がれ落ちる、開かれた構造の内から溢れるのは数多の記憶。アリスが|観測し《見守っ》てきた、ドクトル・ランページという1人の少女の記録。

 自己情報核を透過した光の屈折がプリズムのように光景を映し出す。
 彼女が過ごした何気ない日常。
 友達と街を歩いて、授業中に目線を交わして、名前を呼んで。

 他愛の無い事を話しあえる友達が居た。 
 常に未知の楽しさを教えてくれる先輩が居た。
 厳しくも優しく見守ってくれていたクラスメイトが居た。
 同じ目線に立って教え導いてくれる教師が居た。
 戦闘機械の自分を大切な生徒だと言ってくれる先生が居た。
 手を引いて新しい事へと連れ出してくれる友達が居た。
 同じ感覚を共有し、静かな時間を過ごせる友人が居た。

 そして、ひととき、人類の敵であることを忘れている自分が居た。
 
「ねぇ、アナタの中にも……残ってたり、しないかな?」

 アリスの呼びかけドクトルに静かに重なり。

「もういい。もうやめろ……!」

 暖かな記憶を振り払うように|斬撃兵器《ドクトル・リッパー》が地面を裂いた。
 深く刻まれた一線の向こう。
 逆光で隠された彼女の表情はアリス達の位置からでは見えない。
 だが……。

「覚えているからこそ、、忘れられないからこそ……!!これ以上……思い出させるな!!」

 それは慟哭だった。
 
 強い拒絶でありながら、初めて彼女が自身の心をさらけ出した証でもある。
 であれば必要なのは、あともう一押し、最後の一押し。

 その時、アリスの知覚に1つの感覚が引っかかった。
 引かれた一線を当然のように飛び越えて、1人の√能力者がドクトルへと近づく。

 それは……。

ハスミン・スウェルティ


 ハスミン・スウェルティ。『手錠』の人間災厄。
 戦闘時には異なる戦闘スタイルを持つ|人格《色》へと変化し、使用する√能力もまた|人格《色》に依存する。
 それが、かつて"青"と戦ったドクトルが収拾したプロファイルの内容だ。
 それゆえに、ドクトルは混乱していた。
 なぜなら今のハスミンが纏う色は。

「……なんのつもりだ、ハスミン・スウェルティ」

 |銀《無色》。戦いの記憶を持たない。戦う力すらも持たない彼女は。
 それでも確たる決意をもって、そこに立っていた。

 一歩、ハスミンとドクトルの距離が近づく。

「私……少し怒ってる、かも」
 怒り……言葉で言い表すなら、近い感情はそれだろうか。
 けれど、それは|色《感情》で表すにはあまりに子供っぽく。何よりも本質的な。

「人類を沢山殺した戦闘機械だって事は知っているよ」
 彼女なりに多くを調べた。ドクトルがいかなる存在か、過去の彼女がどれだけ多くの人を苦しめてきたのか。

「すごくなろうとしてるのも知ってるよ」
 多くを話した。勉強を、好きな事を、夢を。|友好強制AI《翻訳機》を通して、そして恐らくは彼女と直接に。

「方法次第では応援するって、ちゃんと言ったよ」
 それなのに相談一つなくこんな方法を取るのは、納得がいかない。
 そう、"友達"なら。

「ハスミン……?」
 どこか不安げに、ドクトルが呟いた。

「……喧嘩、しようよ。私が勝ったら……ちゃんと、話を聞いてもらうから」

 一歩一歩、強く大地を踏んで、駆けだす足は真っすぐに。
 √能力者同士の戦いとしては致命的な程に遅い足取り。
 しかし、その距離が詰まるまで、ドクトルはただ、何もできずに彼女を見つめていた。


 装備の殆どが破壊されようと、ドクトル・ランページは絶大なる力を持つ簒奪者、|王権執行者《レガリアグレイド》だ。
 多少の√能力が有った所で、無手で立ち向かうことなど出来はしない。

 だが奇妙な事に、二人の戦い……いや、二人の喧嘩は|互角《・・》だった。
 ハスミンの握りしめた拳が装甲の破壊されたドクトルの肌を叩く一方で。
 時折迷うように放たれる物質破壊光線や斬撃はハスミンを僅かにかすめるか、彼女の右手のひらに燃える奇跡に偶然ぶつかって消える。
 それでも一方的に傷ついているのはどうやったってハスミンで、ドクトルの機関に影響を与えるようなダメージは無い。
 しかし、パンチの当たった場所からずきずきと疼くような痛みはあった。
 
 きっとその差を埋めている物こそが、彼女が確かめようとした"絆"なのだろう。

 幾度目かの交錯を経て、両者共にふらつきながら拳をぶつけあう。

「それで全力なの?私にすら勝てないなら、すごくなんて未来永劫なれやしないから!」
「舐める、なぁ!!」

 ハスミンの言葉にドクトルが叫び、ついに奇妙な均衡を保っていた天秤が大きく傾いた。
 ドクトルが迫っていた拳を受けとめ、彼女の体を力任せに地面へと叩きつける。
 そして、倒れたハスミンに、最後に残った|右手の兵装《ドクトルリッパー》を突き立てようとして―――。

『ドクトル!!』

 その一撃は、顔の横を僅かに逸れて、地面へと突き刺さった。
 直撃の瞬間に無理やりに逸らした軌道によって、硬質な地面を抉ったドクトル・リッパーに無理な応力が加わり、既に脆くなっていた刃にヒビが入る。

 誰かの攻撃によって弾かれた訳でも、身体の限界によって狙いがブレた訳でもない。
 刃を逸らしたのはドクトル自身の無意識だ。
 そして、それをなしたのは、アリスの刻み込んだ情報であり。樹の言葉であり。なにより、ハスミンのひたむきな思い。

 限界を迎えた|斬撃兵器《ドクトル・リッパー》が砕け散る。煌めく破片が舞い散る中。
 体重を支えるものを無くしたドクトルはそのままハスミンに導かれるように倒れ。
 小さな体が腕の中に収まった。

 再び立ち上がろうとする彼女を強く抱きしめる。
 「私の勝ち、だね」
 「……あぁ……」
 容易く振り払えるはずの細い腕を。ドクトルは、振り払おうとしなかった。

● キミとのメモリアル
「本当に学校には顔を出さずに帰還するのですか?」
「あぁ、これ以上おかしな影響が出ても困る。それに、私の言葉は樹先生が伝えてくれるだろう」

 交渉役を任されたフォーの言葉に、ドクトルはにべもなく答える。
 結果だけみれば、数の有利こそ取られたとはいえ、ほとんど手も足も出ない一方的な敗北を喫した形となる。
 こんなデータを出しておきながら実験継続を主張出来るほど|派閥《レリギオス》ランページはドクトルに妄信的な集団と言う訳ではないし。ドクトル自身もそんなつもりは全くなかった。
 故にどうあっても別れは必定であった。

「そちらこそ本当に私を破壊しなくて良いのか?実験の縮小などを期待しているのだとしたら、それは無意味だと宣言しておくぞ」
「ですが以前と同じという訳でもありません。下手に破壊して元の状態に戻る位なら。今のあなたが少しでも長く維持されてくれた方が人類にとっては有益です」
「……違いない」

 苦々しい顔を浮かべるのが生粋の戦闘機械で、何事もなかったかのように続けるのが友好強制AIを埋め込まれたベルセルクマシンだというのだから面白い。
 だがそれで良い。この場においても有益無益に限った交渉が出来るからこそ、フォーは交渉者の席に立たされたのだから。

「あとは、これの扱いか」

 そう言って手元にあったイヤリングを掲げる。ドクトル・テイルによって弾き飛ばされたそれは、修復され、元の輝きを取り戻していた。

「友好強制AIですか」
「便宜上はそう呼称するのが良いだろうが、別物だ。……人類が作り出した枷と、|戦闘機械《私たち》が人類になる為に作った道具では根本的な思想からして大きく異なる。その程度の事も予測できなかったのは、我ながら失策だった」

 そう言いつつ、ドクトルはその場から立ち上がり。少し離れた所で待つ√能力者達の方へと歩み寄る。そして――。

「……ハスミン」

 すこし迷って、彼女の名を呼んだ。
 √能力者達が見守る中、歩み寄った彼女の手に、ドクトルはそっとイヤリングを置いた。

「良い、の?」
「私達の拠点や技術情報は含まれていない。分解して解析するなり、他の戦闘機械に移植するなり好きに使うと良い」

 ドクトルを感情持つ機械たらしめたこの道具が手元から離れた以上、彼女はゆっくりと元の戦闘機械へと戻っていくのだろう。

「そう……ありがとう、ドクトル」

 ハスミンがそれをしまい込むのを見届けると。
 ドクトルは、並んだ皆の顔を焼き付けるように見て、静かに背を向けた。
「これより私は残存戦力を纏めて帰還する。二度と会う事は無いだろう…………さようなら」

「……待って」
 歩き出そうとするドクトルの手をハスミンが掴む。

「確かに今のドクトルに会うことはもうない、かも……でも、さようならだと少し寂しいから」

 彼女の体を振り向かせ、向かいあう。
「またね」

 ドクトルは小さく笑った。
「あぁ…………また」

 キミとメモリアル! 完

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