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Faith.
●
腐った風が淀んでいる。
数多のひとの骸の上で、竜人に刃を突き立てるおんなが居た。
まずは自らに立ちふさがった男。それから子ども。そして女。刃を突き立てるたびに叫ぶ声も福音のように甘やかだ。
やがて声を発しなくなった|いとおしくも尊き竜《・・・・・・・・・》の部位ひとつひとつを丁寧に切り離し、おんなは血と肉の海から取り出した三つの心臓をうっとりと見つめた。
嗚呼、愛しい竜たち。
強く気高く孤高で美しい真の竜。
力を奪われ人に墜とされた、悲しくか弱きドラゴンプロトコル。
失われたなら取り戻しましょう。姿も力も何もかも。
わたくしはそれを成し遂げる為の天啓を星より得たのだから。
肉の身を捨て、我が身とひとつになりさえすれば。ドラゴンプロトコルは再び真竜に至りて天を駆けることも叶うはず。
ゆえに。肉体という枷を捨て、かりそめの命を捨て、わたくしとひとつになりましょう。
今生の命など惜しむことはありません。怖れる必要もないのです。わたくしたちは必ずや真竜の時代を取り戻す。これはその為に必要な行為なのです。
幾度否定されようと邪魔をされようと、わたくしは自らが信ずる道を征く。
何を犠牲にしようと、どれほど茨の道であろうとわたくしは敬愛する竜たちの為に諦めない。
この命も、どの命も、全て総て真竜たちに捧げましょう。
――嗚呼。この想いをきっと『愛』と。その道を征くことを『信仰』というのだ。
●
「マルシェに興味はあるだろうか?」
√ドラゴンファンタジーに通じる異世界への扉の前で、ベネディクト・ユベール(ドルイド・h00091)が徐に問う。
ドラゴンファンタジーはダンジョンの脅威に晒されつつも、ダンジョンで得られる遺物や宝物によって急速に技術を発展させてきた世界だ。当然、ダンジョン産の品を多く扱ったマルシェも多数存在する。
そしてベネディクトが今回案内する『カプリスマルシェ』も、そういったマルシェのひとつなのだという。
カプリスにあったダンジョンは既に封印されているが、その跡地で魔力を含んだ良質な鉱石が眠っていることが発見された。以来、カプリスでは魔鉱石の採掘とその加工技術を磨き発展させたのだと言う。
「火を内包するガーネットのランタン。水を抱くブルージルコンを飾った、水が湧き出る花瓶。植物の生長を助ける力を持つミントガーネットのサンキャッチャー。そんな加工品が多く出回る。それから……そうそう、宝石を加工した化粧品も有名なんだ」
口下手かつ化粧品に然程明るくないベネディクトの、いまいち要領を得ない説明を代弁すると。
ロンゲルというドラゴンプロトコルの一家が作っている、魔鉱石を加工した『宝石コスメ』が最近流行り出しているのだという。
様々な宝石を溶かしこんだような煌めくネイルポリッシュ。
ガーネットやロードクロサイトを中心とした華やかなリップグロスやスティック。
モルガナイトやラベンダークォーツ、ムーンストーンなどの可愛らしいアイシャドウパレット。
オパールやラブラドライトの色が遊ぶラメ。タンジェリンクォーツやローズクォーツのパウダーチーク。
魔法を内包する宝石を粉にして作ったコスメは、まじないにも使える本格的なものだ。宝石そのもののカラーを宿すコスメたちは艶やかに彩ってくれると評判、とのことだった。
「気になる化粧品を試したり購入するも良し。魔法がかかった加工品を買うも良しだ。食べ物はないのだが、なかなか賑やかなマルシェだと思う。……ただ、な」
――それだけの案内なら良かったのだが。
「微かだが、風に異臭が混じっている。いきものの血と肉が腐った臭いだ」
それは決して気のせいではない。
何故ならば星が教えてくれたのだ。腐った風。倒れ伏し折り重なった死の上で、無惨に引き裂かれるドラゴンプロトコルたちの遺骸を。それを喰らう|何者か《・・・》を。
「おそらく喰竜教団の襲撃がある。ただ、ドラゴンプロトコルだけを狙ったというにしては、あの予知はあまりに犠牲で溢れていた。気になるのは『腐った風』だ。それが何かまでは私にはわからなかったが……広く被害が出るものであることは間違いがないだろう」
風の正体まではわからなくとも、予知はひともドラゴンプロトコルをも巻き込む風が吹き荒れることを確かに示している。
事前に阻止出来ればいいが、曖昧な予知は敵も星を詠んでいる証。先んじて避難を促せば、星が変わったことに気付いた喰竜教団は行動を変えるだろう。その先がどうなるかは全く未知の事態となる。
ゆえに必要なのは警戒。そして、何かあった時に迅速に動けるようにしておくことだ。
「易いことではあるまい。だが被害を迅速に最小で抑え、来たる敵を迎え撃つ。恐らくそれが今は最善だ。……頼めるか」
そう言って竜人たるベネディクトは琥珀の瞳に静かな怒りを燃やし、集った能力者たちを見渡す。
「教団というからには、きっと喰竜教団には強固な『信仰心』があるのだろう。信仰とは信じ尊ぶこと。そしてかたく信じることだ」
喰竜教団が『真竜の為と』謡いながら、ドラゴンプロトコルそのものの命を奪ってでも、いずれ彼らを真竜に至らしめるに必要なこととかたく信じているのなら。それが決して揺らぐことがないのなら。
これはきっと、信仰と信念のぶつかり合いになる。
「……成し遂げ、皆で無事に帰ってきてくれ」
預けるように。背を押すように。ベネディクトは静かに告げて扉の先へと能力者たちを誘う。
――信仰とはなんなのか。今、その意味を問われている。
これまでのお話
第1章 日常 『ファンタジーマーケット』

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爽やかな水色が空を覆う、気持ちの良い快晴。
深呼吸したくなるような新緑の風を吸い込んだなら、カプリスマルシェへと足を踏み出そう。
ダンジョンマーケットは数多あれど、魔鉱石の加工品だけを扱うカプリスマルシェは少しばかり珍しい類だろう。
入口付近に飲み物のスタンドがある以外は、マルシェには加工品の出店ばかりが立ち並んでいる。
火を宿す赤い宝石を組み込んだランタンやカップウォーマー。水を宿す青い宝石を組み込んだ冷却装置やインテリア。
風を宿す緑色の宝石は、土を宿すブラウンの宝石と組み合わせることで植物との親和性がぐっと高くなる。
白い宝石は光を、黒い宝石は夜を宿す加工品と相性が良い。
様々な加工品や装飾品、御守りの店が並ぶ中で、ロンゲル一家の出店は少しばかり異質だった。
並ぶのはどれでも魔鉱石を特殊加工した宝石の化粧品。
宝石と変わらぬ煌めきを持つコスメたちは、最近では女性を中心に少しずつ人気の広がりを見せている。
宝石を加工するのは父の役目。様々な成分と宝石の粉を混ぜ合わせて化粧品を作るのは母の役目。
そして綺麗な容器に詰めて、お客様にお渡しするのが娘の役目。
どんな色が似合うのか迷ってしまったら、娘――マリ・ロンゲルに話を聞いてみるといい。彼女なら、きっと似合いの色を教えてくれるだろう。
さあさ、カプリスマルシェははじまったばかり。
皆はどんな宝石の煌めきに、心を掴まれる?
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サファイア。アウイナイト。エメラルド。ゴッシェナイト。サンストーン。シトリン。
ロンゲル一家の宝石コスメの店先に並ぶコスメたちには、どれも元となった宝石の色と輝きがそのまま閉じ込められている。
透明感のある宝石もさることながら、真珠や翡翠のようにまろい色と輝きも捨てがたく、色とりどりの宝石たちの輝きはどれもシルフィカ・フィリアーヌ(h01194)の心を擽ってやまない。
宝石。コスメ。乙女ならば一度は焦がれるようなものがひとつになったとあらば、やはり一度は見ておきたいもの。たくさんの商品はどれも目を惹いて迷ってしまうけれど、マルシェや市であちこち目移りしてしまうのはもういつものことだ。
ならばいっそ開き直ってしまえばいい。迷うことすら楽しんでしまおう。きっとマルシェの楽しみ方とはそういうものだと、シルフィカは柔くターコイズの瞳を撓ませて再びコスメたちへと目線を向ける。
宝石コスメはどれもお試しが出来るのだという。一人何度でも、気になるだけ存分に。
そんな気前のいいサービスに甘えて、シルフィカも存分に気になるコスメに手を伸ばす。
いくつものカラーを集めたアイシャドウパレットは、まるで宝石箱のよう。じゅわりと血色感をプラスして清楚な透明感をくれる珊瑚のチークは、貝殻をモチーフにしたケースにいれられていて可愛らしい。
試せば試す程どれも可愛くて欲しくなってしまうのがコスメの魅力。けれど全部を購入出来る訳ではないから、シルフィカは存分に迷って迷って。たくさん迷って。……やがて、ひとつを選び取る。
「これ、かな」
選んだのは薔薇をモチーフにしたケースにいれられた、ローズクォーツのリップグロス。透明感のある淡く優しいピンク色は、きっとシルフィカの唇を特別可愛らしく彩ってくれる。
「ネイルポリッシュも気になるな」
視線を向けた先は、様々な宝石で作った爪紅だ。綺麗に彩られた爪は見るだけで力が湧いてくるもの。まじないにも使えるほどともなれば、カラーから受ける印象だけでなく本当に元気だって貰えるかもしれない。
けれども。
ちらりと見た陳列棚には、それはそれは沢山のネイルポリッシュがある。宝石の数だけあるというのだから大したものだが。
「どの色がいいかしら……やっぱり、迷ってしまうわね」
好きな色。好きな宝石。好きなモチーフ。選び基準ならシルフィカにもたくさんあるけれど、得てして基準というものはあればあるほど指を迷わせるものだ。それが好きなものあるのなら、尚の事!
「あの、お客様。なにかあたしで力になれることはありますか?」
困り果てて小さく唸るシルフィカに気付いた少女が、控えめに声を掛けた。赤茶けた髪を高く結い上げ、宝石コスメで綺麗にメイクアップした少女。ゆらゆらと揺れる竜尾は、彼女がこの店の看板娘、マリ・ロンゲルであることを示している。
彼女は、そう。確か、迷った時はおすすめを聞いてみてと初めに言っていたはずで。
「……ね、お嬢さん。良ければわたしに似合う色をおすすめしてくださる?」
鮮やかな色でも淡い色でも、どちらでも大丈夫だからと。困った時はアドバイスを貰うのが一番と知っているシルフィカは、ふぅわりとマリに微笑む。
そのお願いに「もちろん!」と二つ返事で応えたマリは、少しばかりに逡巡して。やがて、ひとつを選び取った。
「クンツァイトはどうでしょう。淡いラベンター色ですが、クンツァイトは多色性があって光の当たり方で青みのあるピンクや濃い紫色にも見えるんです。このネイルポリッシュも同じ性質を持っているんですよ」
ほら、とネイルの瓶を光に透かしてみれば、確かに色が光で幾重にも揺らめく。
「お客様が先にお選びになったローズクォーツにも似て可愛らしいですし、お客様の髪色にもよく似合っていると思うんです。一度塗りなら淡い色を、二度塗りする濃い目の色で楽しめるのも魅力です。どうでしょう!」
そう言って、マリはラベンダー色の小瓶を差し出してみせた。
迷いに迷った買い物も、終えてみれば楽しくてあっという間だ。
ロンゲル家の店での買い物を終え、シルフィカは改めてカプリスマルシェを歩く。他にも気になるものは色々あるし、……なにより。
「……」
くん、と風をひと嗅ぎする。今はまだ、風に混じる香りにおかしなものは感じられない。けれども小さな異変も決して見逃さぬよう。シルフィカは静かに警戒を強めるのだった。
●
魔鉱石とは、魔力や魔法を含んだ鉱石のことだ。
魔力や竜漿が豊富な土地に長く在ったり、強力な魔力に晒されることで出来るもので、その用途は幅広い。
そして魔鉱石は錬金術に於いても有用だ。その効果や効能は、|錬金騎士《アルケミストフェンサー》たるトゥルエノ・トニトルス(h06535)にとっても興味深いものであった。
とあらば出向かぬという理由もなく、トゥルエノは早速カプリスマルシェの賑わいへと足を向ける。
魔鉱石の加工品のみを取り扱うという少々特殊な市ではあるが、店の数も客足も決して少なくはない。加工品の数もまた然りで、魔鉱石を使った日用品や装飾品の数々が陽光を反射している。
きらきらと輝くようなものは、トゥルエノにとっても好ましい。
赤いランタン。青色のインテリア。効果の違うふたつの魔鉱石を組み合わせることで複合効果を作り出し、植物との親和性を増すもの。
もとは違う効果のものを掛け合わせて他のものを作り出すというのは、錬金術にも似ている。そうとわかればトゥルエノの興味は様々な加工品のつくりへと向いて、あれにもこれにも目移りしてしまう。
装飾品の出店を覗いてみれば、静かに鎮座する宵色のオニキスが艶やかにトゥルエノを出迎えた。
「ふむ……夜を宿す黒い宝石も良いよな」
ちらりと思い浮かべるは可惜夜。何に使うのが良いだろう。どんな錬金の材料にしようか。悩み考えながらも何処か楽し気な様子で、トゥルエノは露店の軒先を風のように渡り歩いていく。
そうして漫ろ歩くうち、辿り着いたのは一際賑わいを見せる露店だった。店を後にする客たちの手には、それぞれきらめく化粧品が握られている。それこそ、まるで宝石そのものような――。
「そういえば、宝石コスメ? というのが人気だとか」
そう思い出して足を止める。世情に疎い自覚はあるが、人気がある品だと聞けば興味も湧くというものだ。
丁度客が途切れたタイミングだったので、そうっと店先の商品棚を覗いてみると、思わず「ほう」と吐息が漏れた。
化粧品にあまり明るくないトゥルエノであっても、ロンゲル一家が手がけた商品の美しさはわかる。宝石そのものといっても差し支えない色と輝きが、ここには化粧品として揃っているのだ。
「お客様、コスメにご興味がおありですか?」
興味深げに宝石コスメを眺めるトゥルエノに、驚かせぬよう配慮された声音で少女が問いかける。この店の看板娘――マリ・ロンゲルだ。
「ああ、うむ。うつくしいな、と思っていた。もしよければ、何かオススメの品など聞かせて貰えないだろうか」
「そう言って頂けるとあたし達もうれしいです! うふふ、オススメならたくさん」
親の仕事を褒められて嬉しいのだろう。頬を喜びにほんのりと染めて、マリは幾つかの化粧品に手を伸ばす。
「うちの宝石コスメはたくさんの種類がありますが、中でも一番なのがネイルポリッシュです」
手に入った魔鉱石や宝石で一番最初に作るのはネイルポリッシュなのだという。顔に乗せる色にはある程度基準があるが、ネイルならばどんな色だってあっていい。だから最も種類がある品もまたネイルポリッシュなのだ。
「宝石にも色んな意味や効果があります。迷信とも言われますが、魔法を含んだ魔鉱石で作っているからこそおまじないにも使えるんですよ」
例えばルビーは情熱を燃やして、やる気をアップさせてくれたり。ムーンストーンは月の力で病気をしにくくなったり。アクアマリンは心を落ち着かせてくれたり、ラピスラズリは周囲と自分を浄化してくれる。
あまり強くはないけれど、そんな効果があるのだと、マリはいくつかのネイルポリッシュをトゥルエノの前に並べた。
「お客様の好きな色や宝石ってなんですか?」
「色合いは青や紫、暗色系が好みなのだが」
「でしたら、こちらはいかが? アイオライト、そしてタンザナイトのネイルポリッシュです」
マリが差し出したのは美しいすみれ色のアイオライトと、『タンザニアの夜』という名付けられたタンザナイトだ。
その神秘的な深い青は、どちらも美しい『夜』の色。トゥルエノが纏う色からも深い青が好きなのではないかと感じたマリのオススメだ。
二つのネイル瓶をじっと眺め、次にトゥルエノは自らの手を見る。
この青色を塗ったなら。ひそりと添えるようにカッコよくなれたら――良いものだろうなぁなんて。
試してみるのも一興だろうか。
●
カプリスマルシェの宝石コスメ。
その名をアン・ロワ(彩羽・h00005)がはじめて見つけたのは、雑誌の小さな広告だったと思う。
まるで空想を織りあげたようなそのコスメの写真は|乙女《アン》の心を大層擽って、その煌めきに夢を膨らませては『いつか』の機会を願っていたのだけれど。
まさか、こんな機会がやってくるなんて!
大賑わいのカプリスマルシェは、あちらこちらに魅力的な品が並んでいる。
魔鉱石を使った日用品や宝石の指輪のお店だって大層気にはなったけれど、今日のアンの目的はたったひとつ。
「こんにちは!」
迷いなくロンゲル一家の店に辿り着いたアンの一際元気な挨拶に、ロンゲル一家は揃って柔い笑みを向ける。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。宝石コスメのお店へようこそ。なにか気になるものはありますか?」
「えっとね、ご相談があるのだけれど……できたら、おんなのこたちだけで」
そっと声を潜めたアンに、ロンゲル一家の三人は顔を見合わせる。
「女の子たちだけ? コスメなら僕も相談に乗ることも……」
「だめ! 殿方には聞かせられないわ」
首を傾げる父親に、アンは一生懸命首を横に振る。いつもならば「ぜひ!」というところだけれど、今回ばかりはそうはいかない。アンが今日、ひとりで此処に来たのはちゃんと理由があるのだ。
「あらあら。あなた、そういうことですからちょっぴり離れていてくださいな。ここは私とマリに任せて」
アンの真剣な様子を感じ取った母親が、笑顔で店主である夫の背を店の反対側に押していく。その間に娘のマリはこっそりと、お試しスペースへとアンを呼んだ。ここならば秘密の相談だってしやすいというわけだ。
「それで、ご相談というのは?」
母親とマリ、そしてアンだけになったお試しスペースで、母親がちょっぴり声を潜めて話を切り出す。
女の子が『女の子だけで内緒の相談がある』なんて言うのなら、それは一大事だと二人はよく知っている。そしてきっと、宝石コスメがそんな女性たちの勇気や希望になるかもしれないことだって、コスメをたくさん扱ってきた二人は知っているのだ。
「あのね……あたしね、十八さいになったらね! およめさんにしてもらいたいひとがいるの!」
「わぁ、本当!?」
乙女のときめきが溢れるアンの言葉に、思わずマリが身を乗り出す。
恋や結婚のお話は年頃の娘にとってそれは興味津々はお話だ。もっと聞かせてと言わんばかりのマリを押しとどめながら、母親が頷いて続きを促す。
「そのときにね。『綺麗だ』って、だいすきなひとにいちばんに言ってもらいたいの。だからね、あと三年。ながもちさせられるように、この子たちにおまじないをかけることはできる?」
空色の瞳で、ロンゲル家のふたりを見上げる。
……お化粧品には使用期限があるのだと聞いた。けれどカプリスマルシェにひとりで来られる機会はそう何度もあるわけではない。『ひとりで』などもっと少ないだろう。
ひとりじゃないと買えない、ひとりじゃないと出来ない買い物をする為に、アンはこのチャンスを絶対に逃すわけにはいかなかったのだ。
「もちろん、出来ますよ」
そんなアンの真摯な様子に、ロンゲル家のふたりは微笑みながら頷いた。
本来宝石コスメは製造から二年程度で使用期限がくる。一度でも開封してしまえば、消費期限は半年から一年程度。
けれども未開封のままを保てるならば、五年まで使用期限を延ばすことが出来るという。そのいらえに、アンの頬が嬉しさで林檎色に染まった。
「ほんとに?!」
「ええ、本当です。どの宝石コスメにおまじないをかけましょうか。欲しいコスメや宝石は決まっていますか?」
「ええ、もう決めてきたの! あたしちゃあんと調べてきたのよ!」
こっそり宝石辞典を調べて見つけた恋の石。淡いピンク色の、幸せの象徴のような薔薇石英。
薔薇彫刻の透明ケースに眠るローズクォーツのリップスティックを、アンは迷わず選び取る。
「ローズクォーツの口紅はいまのあたしには背伸びしすぎかもしれないけれど……でも、きっとね」
あと三年と口にすれば短いけれど、アンにとってはあまりに待ち長い。
けれども、ちょっとだけ思い直したのだ。それだけ時間があるのなら、きっと。
「あと三年したら、この口紅が似合うすてきなレディになるわ。きっとよ! ね、それってとってもすてきでしょう?」
「ええ、とっても! じゃあこの口紅はそれまで秘密の御守りね」
そう言って笑顔を満開に咲かせたアンに、ロンゲル家の二人も心からの同意を込めて頷いた。
●
カプリスマルシェは、魔鉱石の加工品ばかりを取り扱った市だ。
魔力を多く含んだ鉱石は魔法を宿す道具に使われ、宝石品質の鉱石はそのまま装飾品やまじないの触媒などに加工されることも多い。
大体の魔鉱石の加工品はその美しさから石自体の色や形をしっかりと残しながら、装飾という形で飾られる。故に、宝石細工の類だろうかと問うた御剣・峰 (h01206)に、魔鉱石でちょっとした魔法を施した日用品を多く扱う店の店主は「おおむねあっているよ」と頷いた。
「なんとも華やかで目を惹くものが多いな」
「そうだろうね。魔鉱石は内側に魔法を含んでいるから、自ら輝くような石が多いから」
炎を宿すアルマンディンガーネットが施されたカップウォーマーを並べながら、店主はほら、とひとつ商品を見せてくれる。
真っ赤なガーネットの内側に、淡く揺らめく魔法の光があった。角度を変えても変わらぬ輝きは確かな魔法の証だ。魔鉱石に熱源を供給されているカップウォーマーは、真白の素材に細やかな金細工とガーネットを飾った繊細で上品なデザインだ。
あまり華美なものは好まない峰だが、こうして職人がひとつひとつ、丹精込めて作り上げたものに対する印象は少しばかり別だ。熟練の職人の手による丁寧な仕事は、人の目を惹く美しさに溢れていて好ましい。
「折角だ。何か使える食器でもあったら買っていくか」
礼を言って店主に品を返すと、峰はゆるりと立ち上がる。襲撃にまでは幾ばくかの猶予もあると言っていた。ならばせっかく訪れたマルシェを楽しまないのも損だ。
ここには魔鉱石を組み込んだ食器を売っている店もあるという。ならば普段使い出来るようなものが望ましい。
あまり華美ではなく、かといってシンプル過ぎず。カプリスマルシェならではの品があれば最高だ。
目的の品を求めてマルシェを漫ろ歩いていると、やがて琥珀の瞳に飛び込んできたのは他の出店よりもややこぢんまりとした店だった。
店番は老夫婦がふたりだけ。品数も多くはなかったが、主に食器を取り扱っているらしい。ご主人が切子細工のグラスを丁寧に拭き上げる傍らで、奥方であろう夫人は今も筆を持ってカップに絵付けをしている姿が印象的だ。彼女の前に並ぶカップはどれも温かな植物や花の絵が描かれていた。
引き寄せられるようその店に立ち寄った峰は、並ぶ手作りの食器たちのあたたかみに思わず笑みを浮かべて店主に問いかける。
「手の込んだものが多いようだな。これらは全てお二人が?」
「ああ、いらっしゃい。そうだよ。硝子職人の息子が作ったグラスと、陶磁器職人の娘が作ったカップに、私が魔鉱石の加工と切子細工を。妻が絵付けをしとります」
「では普段使い出来るコーヒーグラスなどはないだろうか? できればペアになっている物が欲しいんだが、あったらそれをくれ」
なんとも剛毅な注文に、老夫婦はゆっくりと目蓋を瞬かせる。つまり峰は、良い物を見繕ってくれたならデザインなどは任せると言っているのだ。こざっぱりした彼女らしい注文だろう。
老夫婦は少しばかり相談したあと。桐の箱に入れられた二つのグラスを差し出してみせる。
まろく丸みを帯びたタンブラー型のコーヒーグラスは、美しい格子の切子細工が全く同じく施されている。二つの魔鉱石を内包した底は厚く、まるで硝子の台座にコーヒーグラスが鎮座しているようだ。
「こちらはどうでしょう。ガーネットで耐熱性を上げ、サファイアで硬度を増したコーヒーグラスです。落としても簡単には割れませんし、冷たいコーヒーだけでなく温かいコーヒーを淹れても使用できますよ」
「ほう、それはそれは」
魔鉱石というものは、峰が思っていたよりも便利で色んな使い方が出来るものらしい。
まるで双子のように並ぶグラスを受け取って、峰はまじまじと眺めてみる。傍目には違いもわからぬ程に精巧に刻んだ細工に、底の二つの石の色が映し出されていて、そのまま飾ったってきっとよいインテリアにもなるだろう。
「……いいな。店主、これをくれ」
「ほっほ、お気に召していただけましたか」
「ああ、包んでくれるか?」
このグラスがあれば、いつものコーヒーだってカフェのようなお洒落な姿になるだろう。そうしたらきっと、気分だって上がるはず。
先に出来た楽しみに目を細めた峰に、老夫婦もまた笑みを深めて丁寧に包んだグラスの箱を差し出すのだった。
●
草木繁る自然公園を会場としたカプリスマルシェは、確かな賑わいを見せていた。
ひとりで。友人同士。家族で、恋人と、仕事仲間と。店員と客のやりとりで賑わうマルシェを、クラウス・イーザリー(h05015)は密やかに警戒しながら歩む。
(今のところ、何も変わったことはないか)
ぐるりと会場を一周してみたが、今この時は平和そのものだ。注意深く風の臭いを嗅いでみたが、新緑の爽やかな香りがするばかり。『腐った風』には当てはまりそうもない。
警戒は続けながらも、クラウスは改めて店先に並ぶ品々に目を向ける。魔力を内包した加工品は機械ばかり、という世界に生きてきたクラウスにとっては魔法がかった装飾品や日用品、まじないの類は目にするのも新鮮だ。
気になるままにあれこれ手に取ってみれば、店主が快く加工品について説明をしてくれる。魔力を含んで内側から煌めくような魔鉱石を備えた品々は、見ているだけでも楽しかった。
「……折角だし、宝石コスメも見てみよう」
たくさんのマルシェの露店の中で、一番の賑わいを見せる店の前で立ち止まる。カプリスマルシェの目玉となりつつある、ロンゲル一家の宝石コスメの店だ。
メイクや化粧品のことはわからないが、名物ならば一目見るのも一興と、丁度人のはけたタイミングを見計らって店先を覗く。その品々を目にして、思わずクラウスから感心の声が漏れた。
そこに並ぶのは、宝石そのもので作り出した鮮やかな化粧品の数々。情熱的なガーネットのリップスティック。淡いアクアマリンのアイシャドウ。スペサルティンガーネットのチーク。
その一つ一つの名前や用途がわからなくたって、星の海を詰め込んだように煌めく化粧品を素直に綺麗だと思った。
「いらっしゃいませ! 何かお求めですか?」
煌めきに目を奪われていると、快活に声を掛けられた。赤茶けた髪を高く結わえた店員の少女――マリ・ロンゲルだ。
否、自分は、と首を横に振ろうとして、ふと。クラウスは誕生日が近い友人のことを思い出す。
「贈り物を見繕って欲しいんだけど」
「はい、構いませんよ! どんな方に贈るんですか?」
「友人なんだが、多分化粧はあまりしたことが無い。色白で赤い瞳の女の子なんだけど」
そんな子に似合いそうな宝石コスメはあるだろうかと問えば、僅かな思案の後。マリが手に取ったのは、淡く少しばかりシルキーなピンク色のリップスティック。
「これはスミソナイトのリップスティックです。お化粧をあんまりしたことがないなら、リップスティックは一番簡単にはじめられるお化粧だと思うの。色白な方ならピンクが似合うと思うんだけど、淡くて照り感の強いスミソナイトなら派手じゃなく可愛く出来ると思うんです」
どうでしょうか、と差し出してみせたそれは儚くも淡く輝いていて。クラウスは柔く口角を上げて頷いてみせた。
「またいらしてくださいね~!」
元気に手を振るマリと、深く頭を下げるロンゲル夫妻に軽く応えて、店を後にする。手には小さな贈り物ひとつ。カーネーションが咲くリップスティックケースに収められた宝石コスメをしっかりと鞄に仕舞いこんでから、クラウスは改めてマルシェを見渡す。
皆、楽しそうだ。こんな平和な風景を壊されるわけにはいかない。ロンゲル一家も買い物を楽しむ人達も、みんな守りたいと。
誰かを救う為の戦いを続ける傭兵の少年は、また警戒と決意を深めていった。
●
ふわり、ほわり。
まるで綿雪のように真白な少女がカプリスマルシェの賑わいを渡り歩く。
魔鉱石の魔法の揺らめきを、宝石の煌めきを映し反射する白銀の尾を上機嫌に揺らして、楊・雪花(h06053)は魔法具や装飾品が並ぶ軒先を珍し気に眺めていく。
喰竜教団が現れると聞けば放っておけない。雪花自身もドラゴンプロトコルであるがゆえに教団の存在や襲撃は他人事ではないし、他のドラゴンプロトコルが犠牲になるのだって嫌だ。僅かにでも力になれればと、カプリスマルシェを訪れたのだが――。
「でもその前に……せっかくのマルシェですから見て回らないと勿体ないですよね♪」
マルシェの賑わいに心が躍るのだって事実。警戒はもちろんするけれど、せっかく訪れた魔鉱石の市を楽しまないのは損だ。
魔鉱石はどれも美しく、加工された魔鉱石が道具に魔法を掛けつつも華やかに彩る様子は見ているだけでも楽しい。けれど年頃の女の子である雪花の一番の目当ては、やはりロンゲル一家が製作する宝石コスメ!
「こんにちは!」
「いらっしゃいませー!」
わくわくに胸を躍らせて軒を潜れば、赤茶けた髪を高く結い上げて店先に立つ娘が快活に出迎えてくれる。彼女が看板娘のマリ・ロンゲルなのだろう。店の中では夫婦と思しき二人も穏やかに笑って接客している。
商品棚に目を向ければ、思わず「わあ」と声が零れた。
装飾の可愛らしい透明なケースの中に収められているのは、どれも華やかな煌めきを持つ化粧品の数々だった。
『宝石と変わらぬ煌めきを持つコスメ』の噂は、雪花も聞いたことがある。けれどひとつの家族がひとつひとつ丁寧に作っているこのコスメは、未だカプリスマルシェだけで販売される限定品のようなもの。ゆえに実際に目にするのは初めてで。
画面越しに見たそれよりも、陽の光を受けた本物はもっとずっと美しく見えた。細かな粉質のパウダーチークは薄紅のローズクォーツが可愛らしい。隣に並ぶ元気なオレンジサンストーンのそれは、頬に乗せれば健康的で温もりのある血色感と光沢を宿してくれるだろう。
様々なカラーリングが並ぶネイルポリッシュは宝石をそのまま溶かし込んだようで、爪先を宝石で彩るなんて考えたら心も踊る。
煌めく宝石コスメたちはどれも素敵で、手を伸ばしてみたくなるけれど。
伸ばしかけた手を引っ込めて困ったように目線を沈ませる雪花に気が付いたマリは、そっと雪花に歩み寄る。
「お客さん、どうしました?」
「えっと……実は私、お化粧ってあまりしたことがなくてどれが自分に合うとかも分からないんですよね……」
なにかアドバイスが欲しいのだと。正直にそう告げると、マリの顔がぱあっと華やいだ。
「もちろんです! お客さんは真っ白で綺麗だから何でも似合うと思うんだけど……そうね、それなら」
雪花の顔立ちを両手の親指と人差し指で作ったフレームで覗き込んでから、迷いなくひとつの宝石コスメを手に取った。
「お化粧に慣れなくても使いやすいのって、やっぱりリップスティックかな。手軽だし塗るのもそんなにテクニック必要ないですから。なのであたしのおすすめは、このロードクロサイトのリップスティック!」
はい、と手渡されたそれは、やわらかくも透明感のあるピンク色のリップスティックだ。実際に塗ってみたならば肌馴染みのいいオレンジがかったピンク色が唇に薔薇色を灯してくれるのだという。
「わぁ、可愛い!」
「でしょう! お客さん綿雪みたいに真っ白だから、あんまり派手な色よりは淡い色でお化粧した方が可愛いかなって思ったんです。良かったらお試ししてみませんか?」
「いいんですか?」
「もちろん! ささ、どうぞこちらへ!」
お試しスペースの椅子に雪花を誘い、マリはリップをブラシに取ると慣れた様子で唇に乗せる。
鏡を勧めながら、「宝石もお化粧も、ひとを勇気づけたり楽しくさせたりする魔法なんですよ」と楽しそうに笑うから。つられるように、雪花も薔薇宝石に染まる唇に柔い弧を描くのだった。
●
賑わいを見せるカプリスマルシェの店先を流し見ながら、手元のパンフレットに目を落とす。
アンジュ・ペティーユ(h07189)のお目当ては勿論、このマルシェの目玉となりつつある宝石コスメだ。
アンジュは他者の空想を宝石にし、その欠片を集める身。『宝石コスメ』とやらは手に入れておきたい気持ちだ。
だってその宝石コスメはきっと、『宝石をそのまま化粧品に出来たら』なんて空想からはじまった試みに違いないのだ。ならば宝石コスメはまさしく『空想から生まれた宝石』なのだろうから。
そんなの、集めたいに決まってる!
「うっわぁ。思ったよりいっぱいあるなぁ」
けれども実際に店を覗いてみたならば、居並ぶコスメの数々に目を瞬かせる。
透明なケースに入れられた宝石コスメたちは、まるでジュエリーケースに並ぶ宝石そのものだ。
深い青紫色のアイオライトの煌めきは夜のとばりの色に似て。ターコイズの目が覚めるような鮮やかな青緑色は、きっと爪に乗せたら可愛らしいに違いない。
「こっちのガーネットも捨てがたい……というかガーネットいっぱいある」
一口にガーネットと言っても、ガーネットという石は実に多種多様だ。真紅のロードライト。深い深い赤のパイロープ。ベリーのようなマラヤ。果汁滴るオレンジのようなスペサルティン。高い屈折率を持つ緑色のデマントイド。清涼感のあるミントグリーン。
ガーネットを見ているだけでも随分迷ってしまえるようなラインナップに、アンジュは小さく唸り声を上げた。
……これは、店員のお薦めを聞くのが一番かもしれない。
「すみません」
「はい、いらっしゃいませ! どうなさいました?」
声をかければすぐに快活な少女の声が返る。赤茶けた髪を高く結い上げた竜人の店員の名札には、『マリ』と書かれている。
「普段使い用の宝石コスメが欲しいんだけど、どれも綺麗で迷っちゃって。オススメを聞いても良いですか?」
「ふふ、綺麗って言ってくれてありがとうございます! そうですね、欲しいコスメの種類って決まってたりします?」
両親の仕事を褒められて、マリは嬉しそうに頬を染める。ならばと張り切る様子を微笑ましく思いながら、アンジュは鷹揚に頷いた。
「瞼を彩るとっておきが欲しくて。でもどれも好きな色で悩んでしまうの」
「わかります、あたしも自分で使う時はいつも悩んじゃう。じゃあお客様の好きな色って何ですか?」
「好きな色は、そうね。紫にピンク。あ、でもパステル系の黄色も好きだよ」
「紫にピンク、黄色……あ! でしたら丁度ぴったりのお色がありますよ!」
アンジュが挙げた色を聞いて、ぴんとマリの竜尾が上向いた。アイシャドウの棚から迷わず一つを選び出すと、硝子の蓋を開けてアンジュに差し出してみせる。
「どうぞ、アメトリンのアイシャドウです」
それは透明感のある淡い紫と黄色の二色のアイシャドウだ。
アメトリンは一つの結晶の中にアメジストとシトリンが生成することによってバイカラーになる宝石だ。その神秘的な色合いを見事閉じ込めた二色のアイシャドウをブラシでなぞるように取って、マリは自らの手の甲に引いてみせる。
「ほら、ひと撫でで綺麗にグラデーションしてくれるでしょう。ふたつの色が混ざり合った中間色はちょっぴりピンクっぽくて、これならお客様の好きな色を全部乗せられちゃう! どうでしょう!」
「わぁ!」
ぱあっとアンジュの笑みが華やいだ。好きな色ならばどれでもきっととっておきになるだろうな、とぼんやり思っていたけれど。まさか、好きな色を全部叶えてくれる宝石コスメがあるなんて!
「とっておきをありがとう! これでお仕事も頑張れるきがするよ!」
素直な謝辞を口にすれば、マリも嬉しそうに笑みを深めて頷く。大切に両手で包んだとっておきのアメトリンのアイシャドウは、陽の光を浴びて鮮やかに煌めいていた。
●
カプリスマルシェは少々限定的な市だ。
他の商品はないかわりに、ダンジョン産の魔鉱石の加工品という点で言えばこのマルシェはそこそこ高い知名度を持っている。
魔力を含んだ鉱石は内で魔法が光を持って揺らめき、自ら輝くように煌めく。宝石品質や魔力の高いものはそのまま装飾品やまじないの品へ。それ以外は便利な魔法や効果を発現する魔法具へと加工される。
その中でも、魔鉱石そのものを化粧品へと昇華させた宝石コスメは、珍しさも相まって近年少しずつ知名度を上げてきている。娘のマリ・ロンゲルがSNSや動画サイトなどで小さくも一生懸命に宣伝した効果が、今出てきているのだろう。
そしてそんな宝石コスメに胸をときめかせる女性が、ここにひとり。
「魔鉱石の化粧品……! なんて女心をくすぐる商品でしょう」
黎明色の長い髪を風に揺らす如月・縁(h06356)は、上機嫌にマルシェを往く。
宝石も化粧品も、どちらもその美しさや楽しさでひとの心を掴むもの。それが一つに融合したとあらば、女心は存分にくすぐられてしまう。
思わず、任務以上に張り切ってしまうかもしれない程に!
目当ての店はすぐに見つかった。ロンゲル一家の宝石コスメの店はそれを買い求める客の楽し気な声で溢れているからだ。
あれも綺麗、これも可愛い、試しに塗ってみてもいいか、なんて声が溢れる店は、カプリスマルシェではひとつしかありはしない。
丁度人がはけたタイミングを見計らって店先を覗けば、そこはまるで宝石箱と錯覚するような煌めきに溢れていた。
緑がかった黄色のスフェーンのアイシャドウは、光を存分に含んだ煌めきを反射している。シャンパンカラーのインペリアルトパーズのリップグロスは水に濡れたような艶めきを持つウォーターティント。陽の光を浴びる宝石コスメたちはどれも美しくて目移りしてしまう。
一度端から端までをざっと流し見た縁は、商品を並べ直す赤茶けた髪の竜人の娘に声を掛けた。
「すみません。化粧品を買いたいのだけど、私の肌に合う物はあるかしら」
「いらっしゃいませ! お客さんに合うコスメ、ですか?」
快活に出迎えた少女――マリ・ロンゲルは縁の言葉に首を傾げる。
「ええ、|こんな《ターコイズ》色の目に加えて、髪色が変わってしまうの。自分では似合う色が見つけられなくて、ぜひ目利きしてほしいわ」
「わぁ、朝焼けの空みたいな綺麗な髪ですね! 瞳の色も素敵、海のよう。そうですね、あたしのおすすめでよかったら……」
縁の長い髪と海のような瞳をまじまじと見つめ、マリは顎に手を当て一思案。夜が明けるように色が変わる長い髪。海の色。色が揺らめく、ならば――。
「あ、いいものがひとつあります!」
ぴんと閃いたマリが、アイシャドウパレットの宝石コスメをひとつ手に取った。透明ケースに収められたその宝石は――。
「ウォーターオパールのアイシャドウです。透明に見えますけど、ほら! 光を当てるといろんな色が浮かび上がってまるで光が遊んでいるみたいでしょう? そのまま使うもよし、ラメにしてちょんと乗せるのもきっと可愛いですよ!」
髪色が光や感情で遊ぶのなら、コスメの色だって光で遊んでもいい。
ウォーターオパールならば水に親和性の高い宝石だ。きっとのその瞳の色にも似合うだろうと、マリは鏡を持ってくる。許可を得られたならすぐにでも試し塗りを勧める勢いだ。
それにこの宝石コスメは品質のいい魔鉱石を使っているからまじないにも使えるのだと聞いて、縁は目を丸くした。
すっかり楽しくなってしまったマリが、「せっかくだからお客様にオススメしたいリップグロスもあるんです!」と背を向けた瞬間を狙い、縁は透光の花弁を放つ。
風にそよぐ花弁は、危険が迫るのならきっとすぐに教えてくれることだろう。不穏な風だって、それに揺蕩う花弁はすぐに気づくはず。
それまではまだ、この平和な買い物を楽しもうか。
●
「ドラゴンファンタジーはいつもすごく賑やかね!」
買い物で賑わうカプリスマルシェを一望して、捧・あいか(h03017)は笑みを咲かせる。
√ドラゴンファンタジーは『活気』に満ちている世界だ。ダンジョンやモンスターという脅威に晒されてはいるものの、人々はそれを怖れながらも自らの糧とすることを選び取れるだけの強さがあった。
強さは活力を生み、活力は活気を生む。そのお陰かどうかは定かではないものの、ドラゴンファンタジーにはとにかく祭りやマルシェといった催しものも多い。
ここカプリスマルシェでも装飾品などの定番の商品もあれば、魔鉱石の特性を存分に利用した魔法具やまじないの道具のような珍しいものも並んでいる。声を張り上げて客を呼び込む商人の声も、吟味しながら選ぶ者たちの声も全てが活気、即ち『人の生きる力』で満ちていて、それがあいかにとってはとても心地が良かった。
店先に並ぶ品々は、見ているだけでも楽しい。
こっちのアイオライトのキャンドルホルダーは、キャンドルの光と相まって集中力を高めてくれるらしい。向こうの花翡翠を飾ったシュガーポットは、中の砂糖に花の香りを移してくれるのだとか!
どれもこれも珍しくて楽しくて、マルシェを漫ろ歩くだけでも十分に楽しめる。けれど、そう。あいかにはちゃんとお目当ての品があって。
「そうそう! 宝石コスメ! どういう風なのかしら!」
このマルシェの目玉になりつつあるお化粧品。『宝石と変わらぬ輝きのコスメ』と聞いたならば、ポップスタアであり何より年頃の娘であるならば気にならぬ方が嘘というもの。
宝石のようなコスメでお洒落をしてステージに立てば、きっとあいかをより華やかにしてくれるに違いない。
「すいません、おすすめのコスメってあるかしら!」
跳ねるような足取りでロンゲル一家の店に飛び込むと、居並ぶたくさんの宝石コスメたちに目を輝かせながら店員に声を掛ける。応じたのは赤茶けた髪を高く結い上げた竜人の娘――マリ・ロンゲルだ。
「いらっしゃいませ! お客様にお似合いのコスメですか?」
「ええ! それにお友達にも紹介してみたくて、使い方のコツとか、おすすめメイクアップも教えてもらえたら!」
「わぁ、喜んで! でしたらお客様、こちらにお座りになって!」
お試しスペースの椅子を引いて、マリは嬉し気にあいかの顔立ちを両の親指と人差し指で作ったフレームから覗いた。あいかの雰囲気、柔らかな髪色、青空みたいな瞳。それらに似合うコスメを商品棚から選ぶマリの竜尾は上機嫌に揺れる。
「宝石コスメはつけすぎないのがコツ! 薄付きで十分発色してくれるし、どれも宝石のように淡い輝きを持ってますから」
「リップは艶々ぷるぷるになるグロスがいいかな。アヤナスピネルのはっきりしたピンク色が似合いそう」
「パウダーチークはピンクコーラルはどうかしら。大きなブラシでじゅわっと滲むように乗せるの可愛いですよ」
「アイシャドウは……迷っちゃう! 宝石箱のパレットはいかが? ダイアスポアのピンクブラウンを中心にブラウン系で纏めてちょっぴり目元に大人っぽさをプラスするんです」
おすすめをしてもいい。しかも友人にも紹介すると聞いて、マリのやる気が大爆発。矢継ぎ早に次々コスメを持ってきては紹介するものだから、はじめはあいかも圧倒されていたけれど。なんだか段々楽しくなってきて、「あれはどうかしら」「これってどうなの?」なんて積極さが出てきたならもう乙女たちは止まらない。
色々と試し終えて満足する頃には、すっかりあいかのフルメイクが出来上がっていたのだった。
「ふう、楽しかった! ……でも、楽しんでばかりもいられないわね」
大満足のお買い物を終えて、マリたちロンゲル一家と別れたあと。人気の少ない木陰に身を隠したあいかは、オルカの幽霊たちを呼ぶ。
この場所に訪れる不穏な陰。雑踏から隠れるよう、人目を避ける陰の足音。マルシェの外で、楽しんでいない音を。
「歌で響かせて」
空に放ったオルカたちが人には聞こえぬ歌をうたう。遠い歌声は重なり、響き合って共鳴して。
あいかはそっと、その歌に耳を傾けた。
●
「腐った風。喰竜教団の襲撃に備えて警戒、か」
ニル・エルサリス(h00921)の唇から、小さく溜息が零れる。
星詠みが予知した事件は広く被害を及ぼす可能性があるとされているものだ。喰竜教団の狙いはドラゴンプロトコルのみだが、此度は明らかに無差別性がある。
被害が出るとわかっていて避難を促さないのがもどかしい。けれども星詠みから外れてしまえばその後の敵の行動の予測がつかなくなってしまい、どうなるかはもうわからないのも事実。
「なら、少しでも被害を軽くする為にも襲撃者の目星を出来る限り付けておきたいところね」
迅速な対応は入念な下準備によってなされるものだ。客に扮してマルシェを巡回し、人の流れや道順、配置。その上で人々の表情や不審な仕草をしている者がいないかをさりげなく警邏することで得られる情報は多いはず。
決してあからさまではなく、悪目立ちして台無しになどしないように。それを自らに言い聞かせると、ニルは賑わいを見せるカプリスマルシェへと足を踏み出した。
淡いひかりを放つムーンストーンのランプ。魔鉱石のさざれ石を集めた小瓶の御守り。炎を宿す武器飾りは、刃に火を灯してくれるのだという。
魔法を抱く魔鉱石ならではの加工品は、確かに見ているだけでも珍しい。物珍しさに感嘆の吐息を零してばかりの者もいれば、目当てのものがあるのか商人と値段の交渉をする者もいる。
そのひとつひとつに耳を欹てながら、ニルは露店を流し見て歩く客を演じて歩く。順路を漫ろ歩き、怪しいかもしれないと直感が囁いた者がいる店に足を止め、さりげなく商品を選ぶふりをしながら密やかな会話を盗み聞く。
(今のところは特に怪しい会話もなし……アタシに反応するやつもいない)
一通りカプリスマルシェを巡ったところで、ひとまずのところをニルはそう結論付けた。
基本的には買い物や商談を楽しむ者ばかり。喰竜教団が襲撃するならば、彼らのターゲットであろうドラゴンプロトコルのニルに特殊な反応を示す者が居ないかとも警戒していたが、今のところはそんな者もいなかった。
ひとまずのところ今すぐに脅威があるわけではないと判断しても良さそうだ。警戒は続けながらも、一旦肩の力を抜いていいのかもしれない。
であるならば、最後に確認すべきはドラゴンプロトコルであるロンゲル一家の店だろう。
このマルシェの名物となりつつある宝石コスメの店の前は人が絶えず、故にこそ邪なものが紛れるのは簡単かもしれない。近くにいて損はあるまい――が。
「参ったわね……アタシ、オシャレ全般に疎いんだったわ」
コスメと言われてもいまいちぴんと来ない。とりあえず傍に寄ってみたものの、鮮やかで綺麗なのはわかるが、シェーディングにハイライト、チークと言われても何がなにやら。
とは言え、折角来たのに手ぶらで帰るのもちょっぴり寂しいのも事実。自分では選べなくても、記念に何か見繕ってもらうくらいはしたっていいかもしれない。
「すいません。宝石コスメが欲しいんだけど、オススメを見繕ってもらうことってできるかしら」
「いらっしゃいませ! もちろんですよ、喜んで!」
ご希望の品はありますか、と快活にいらえたのは赤茶けた髪を高く結い上げた竜人の娘。この店の看板娘、マリ・ロンゲルだ。宣伝のため、本人も宝石コスメを使って化粧をしているのだろう。その華やかなかんばせにニルは目を瞬かせ……、やがてちょっぴりバツが悪そうに目を背ける。
「実をいうとオシャレには疎くて……。何を選んだらいいか」
「ふふ、でしたらお任せください! お客様はお肌も綺麗ですから、フェイスパウダーで整えたベースに単色のアイシャドウとリップだけでもきっと可愛いですよ!」
おすすめを選ぶことに慣れているのだろう。ひとつ、ふたつ、みっつ。数多と並ぶ宝石コスメから迷わず三種を選び取ると、トレイに乗せてニルに差し出してみせる。
「これは真珠のフェイスパウダー、こっちはアクアマリンの単色アイシャドウ。それからピンクトルマリンのリップスティックです。どれもさっと塗るだけで、あまりテクニックもいりません。よかったらお試ししていかれますか?」
「えっ」
おためし。考えていなかった。
トレイに並ぶ宝石コスメたちは確かに宝石をそのままの光沢があって美しくて、けれどもそれを肌に乗せるとなると……どうやって塗ってみたらいいのやら。
「……やり方も教えてくれます?」
「もちろんですよ!」
控えめながらもおずおずと返る是に、マリは笑みを深めてニルをお試しスペースの鏡の前に座らせる。
そうして、パウダーの付け方やアイシャドウの乗せ方をわかりやすく解説しながら、ニルを華やかに彩っていくのだった。
●
内に魔力を宿す宝石、魔鉱石。内側から魔力の淡い光を発するそれらは、今日の晴天を受けて内からも外からも煌めいてる。
風で揺れるたびに瞬くようなそれらはまるで星のようで、ウイル・カサブランカ(h07159)は眩しそうに目を細めた。
煌びやかな魔鉱石の加工品は、それを埋め込むに相応しい細やかな細工のものが多く、見目にも華やかでどれも目移りしてしまう。
多分、元々。|宝石《いし》は好きだった気がする。過去の記憶がごっそりと抜け落ちているウイルは、自らの好むものすら未だ曖昧だ。
まっさらな記憶で見知らぬ土地に立ち、途方に暮れた。けれども忘れてしまったものは致し方なしと前ばかりを向いて歩き始めたこの世界で、時折こうして過去の欠片に触れるようなことがある。結局思い出せはしないのだけれど、『自分の欠片』に触れるようなこういう発見は嫌いではなかった。
ともあれ、目下の問題は思い出せない過去の記憶の方ではなく。
「うむ、困ったな」
カプリスマルシェで一番の賑わいを見せる宝石コスメの店先で、棚に整然と並ぶ化粧品たちを前にウイルは腕組みをする。
折角だからと立ち寄ったはいいが、ウイルはお洒落とは少々縁遠い。唯一の洒落っ気といえば白虹のような銀髪の毛先を淡紅に染めるくらい。それも狩りの時の返り血対策という始末。
自らを美しく、或いは可愛らしく飾る為というよりは、戦化粧の分類になろうか。
この宝石コスメたちは、そういったまじないにも使えるとのことだけれど。今ここでは、|本来の用途《・・・・・》で買うべきなのだろう。
視線を向ければ、丁度品出しをしている竜人の娘がいる。上機嫌に鼻歌を歌う横顔はきらきらと輝いていて、きっと彼女もこの宝石コスメを使っているのだろう。彼女がきっと、この店の看板娘だ。名は確か、マリと言ったか。
彼女に素直に教えを請おう。年長者の矜持など腹の足しにもならない。
「すまない、ひとつ口紅を選んでは貰えないだろうか」
「いらっしゃいませ、あたしで良ければ喜んで! 普段使い用ですか?」
「いや、めかし込む時用で」
「えっ!」
即断即決にて問いかければすぐさま快活な応えが返る。『めかし込む時用』と聞いてそのアーモンドのような瞳を少女のように輝かせるマリに、乙女的な発想に至ったのだと気づいたウイルは小さく笑って首を横に振った。
「予定はないが、まあ気持ちだ。今よりももっと命を惜しむよう、失くしたくない『とっておき』が手元に欲しい」
「なるほど……命綱、みたいなものですかね」
理由としては少し重いだろうか。けれどもすぐさま商品棚に並ぶ口紅をじいっと見つめて選び始める姿は、流石プロと言うべきだろうか。真剣に迷う眼差しは、ウイルにとっても何だか好ましい。
「ちなみに琥珀が好きだ。手数をかけて申し訳ないが、何かの参考になれば」
「琥珀? 琥珀、琥珀……あ、それなら『とっておき』がありますよ!」
悪びれず楽し気に笑うウイルがくれた助言に、マリの竜尾がぴんと上向いた。すぐさま手を伸ばしたのは少しばかりの『特別』が並ぶ棚だ。そこから月桂樹の冠の意匠が施されたリップスティックを選んで、ウイルの前に差し出して見せる。
蓋を開けてくるりと回すと、ケースから顔を覗かせたのは、赤。
「これはチェリーアンバーのリップスティックです。チェリーアンバーは赤みの強い琥珀のことで、ちょっと珍しいんですけど。ほら、深みと温かみがある赤色でしょう?」
琥珀と言えば黄色や褐色のイメージが強いけれども、実は赤や緑色も存在している。通常の琥珀よりもやや希少性のあるチェリーアンバーは、仕入れの時に『絶対にリップがいい』と言ってマリが譲らなかったという。
柔らかくあたたかい赤色は、きっとあなたの白虹のような髪にもよく映えるだろうと、胸を張って差し出すから。
若者の眩しい笑顔につられるように、笑みを深めてウイルも頷いた。
「それにしても父上も母上も腕利きだな。マリも将来は職人を目指すのだろうか」
「はい! あたし、お父さんとお母さんが作ったこの宝石コスメも、それを選んでるお客様の顔を見るのも大好きなんです! だから今ね、ちょっとずつ修行させてもらってるんですよ」
包んだ宝石コスメを受け取りつつ問えば、マリは力強く頷いた。今日一番に輝いた瞳が、きっと心からの願いなんだろうと物語る。
(その未来は必ず守らないとな)
胸の内だけでそっと呟く。その為にこそ、今。自分は此処に居るのだ。
●
「わー! 此処が、カプリスマルシェ?」
異世界の扉を潜った先。晴天の陽光を反射して煌めく市へと足を踏み入れた花七五三・椿斬(h06995)は、冴月の瞳を瞬かせた。
あちらこちらで石がきらきらと瞬いている。店先を覗いては楽し気に品を選ぶ客たちと、客との交流を楽しみながら商品を勧める店主たち。その楽し気な声音と笑顔は鉱石の煌めきに負けない程で、わくわくが胸の中で大きく膨らんでいくのがわかる。
肩に留まる紅椿飾ったシマエナガ――相棒の六花と顔を見合わせたら、そのわくわくはもう弾けて止まらないから。
「行こう、六花!」
花天狗の少年は、思いのままに駆け出した。
シラーの青い光が月光に似たムーンストーンのテーブルランプ。モスアゲートを飾った花瓶。夜を閉じ込めたラピスラズリの宝石箱。
魔力を含んだ鉱石たちを加工して作った品々は、見目もその効果にも椿斬は興味津々だ。興味の赴くままに足を運び、店先を覗いては珍しい品に驚いて、店主の説明に目を輝かせる。
「僕、こういう場所も好きなんだ。賑やかで楽しくてさ」
弾む足取りでマルシェを歩みながら、椿斬は相棒に語り掛ける。
マルシェには人々の活気がある。ひとの営みの中でもこういった賑わいに身を置くことは好きだ。人々の笑顔がきらきらしていて、温かくて。
玄冬の域にてひとり住まう少年は、その温かさがとても心地がよかった。
さて、次はどの店に往こうかと視線を巡らせていると、不意に肩を居場所にしていた六花が飛び立った。
慌てて追いかけてみると、相棒はとある装飾品の店へと舞い降りていく。そうして一声、椿斬を呼んだ。
「六花はこれがいいの?」
追いついた椿斬を待っていたかのように、六花はリボンを嘴に銜えて見せる。その先には青い雪の結晶のような小さな飾り。
銜えて離さぬ様子から、それが気に入ったのだろう。欲しいのかと問えば勿論とばかりに小さく跳ねるから、唱える否なんてありやしない。
早速購入して六花の足に結んであげると、六花は嬉しそうに跳ね回る。
「あは! とっても可愛いや」
それがあんまりにも可愛らしかったから、椿斬もまた楽しげに笑みを深めた。
椿斬の肩に戻った六花は、つん、と彼を突いてみる。『君は?』と問わんとしているのを感じ取り、椿斬はくるりと視線を巡らせた。
「僕は……そうだなぁ。宝石のお化粧品、かな」
果たして視線の先には、ロンゲル一家の宝石コスメの店がある。歩み寄れば、宝石そのものと見紛うばかりの化粧品たちが椿斬と六花を出迎えた。
「きらきらした大地からの贈り物をぎゅっと閉じ込めたみたい。僕、紅が欲しいな」
欲しい色ならば決まっている。――けれど。
居並ぶ宝石の化粧品は数多とある。加えて一口に『赤』と言っても、淡いものから鮮やかなもの、暗い赤まで様々だ。
商品棚を彷徨う目線が、辿り着く場所を定められずに迷子になる。やがて困り果てて眉を下げる椿斬の小さな溜息を、聞き留めた者がいた。
「お客様、なにかあたしにお手伝いできることはありますか?」
年若い娘の声に顔をあげれば、赤茶けた長い髪が目に入る。エプロンを身に着け、ゆらゆらと竜尾を揺らす娘の胸元には、『Mari』と書かれたネームプレートが光っている。
明るい笑顔を向けるマリに、六花が椿斬の頬を小さな頭でもふ、と押す。相棒の後押しに椿斬は意を決して迷いを言葉にする。
「ねぇ、僕に似合うのはあるかな? 赤がいいんだけど、赤にも色んな種類があって……」
一緒に選んではくれないだろうか、と。眉を下げる椿斬に、マリは敢えて強く自分の胸を拳で叩いた。
「まかせて! お客様はきっと鮮やかな赤が映えますよ。アイシャドウがいいかな……不透明もかっこいいけど、透明感のある赤がきっといいですね。定番ですとルビー、ルベライト、レッドスピネル……ああでもやっぱり、綺麗な赤と言ったらガーネットも外せませんね!」
マリはあっという間に赤を選び取ると、椿斬の前に並べていく。どれも鮮やかな赤だ。その中でも一際椿斬の目を惹いたのは、真紅と呼ぶに相応しいひとつ。
「あ、これ……いいね!」
「それはアルマンディンガーネットですね! 魔除けの効果もあるんですよ」
椿斬が手にしたのは真紅のアイシャドウ。静謐の玄冬に降る雪のような椿斬の目蓋の上に一筋引いたなら、雪景色の中で咲く真っ赤な椿のようにきっと鮮烈な印象を残すだろう。
「ありがとう、僕の宝物が増えたよ!」
大好きな色を見つけられてほっと安堵したような、やわい笑顔で紅を抱き締めた椿斬に、マリも同じだけ嬉しそうに笑みを返す。
宝石コスメがお客様を笑顔にしてくれること。それが何より嬉しいと告げながら。
●
カプリスマルシェは魔鉱石を使った加工品ばかりが並ぶ市。
このマルシェにある鉱石はどれも内側から淡く魔力の光を揺らめかせ、時に美しい装飾品やまじないの品。時に便利な魔法を宿す道具の動力として使われている。
インクにきらきらの光を宿すオパールの万年筆や、愛らしいシトリンのネックレスなど、店先に居並ぶ心擽る品はたくさんあって、そのどれもが気になるけれど。
「今日は宝石コスメが見たくって!」
「まあ」
意気揚々とマルシェを歩く廻里・りり(綴・h01760)に、傍らのベルナデッタ・ドラクロワ(h03161)はヴェールに覆われぬ瞳を丸くする。
「コスメに、興味があるの。りりが」
「そうです!」
「大きくなったのね。お母さんのリップをオモチャにして遊んで怒られていた、あのりりが……」
「なんでちっちゃい頃のこと覚えてるんですか!?」
頬に手を当てて感心するベルナデッタに、りりは大慌て。りりが可愛らしい少女の頃の『女の子らしい背伸び』は、今から考えてもざっと十年以上前の出来事のはず。まさかそんなことを覚えているなんて思わず、りりは頬を恥ずかしさに染める。
「きれいなクレヨンだなって思ってらくがきに使っちゃったんですよね……すっごくおこられたのを覚えてます……」
「ラクガキのお姫様のドレスも悪くなかったはずだけど、今日はあなたのためのものを探しましょうね」
懐かしむように目を細めて柔く微笑みながら、ベルナデッタはりりの手を取る。
あの時、母のルージュや可愛らしいピンクのリップは艶やかで、ドレスを描けば本物のお姫様のそれのようにに描けたものだ。母親にはとっても怒られたけれど、あの艶やかさと滑らかさは今も忘れられないでいる。
母親の化粧品というものは、幼い少女にとって『大人』というものの憧れや象徴だ。そうして時は経ち、りりも大人と言われるような年齢になった。そろそろあの時の憧れに手を伸ばす時だ。
その店は、そんな憧れへの一歩を叶えてくれる店だから。
「わぁ」「まあ」
宝石コスメの店先は、まるで宝石箱を開いて見せたかのようだった。宝石品質の魔鉱石に錬金術と特殊な加工を施して作られたというコスメたちは、宝石そのものと変わらない色と透明感、そして存在感を示している。
ロードライトガーネットのリップスティックは鮮やかな赤紫色。唇に乗せればきっと目線を奪うだろう。
オレンジサンストーンのパウダーは、目蓋に引いても頬に乗せてもきっと可愛らしい元気な印象を与えてくれる。
存在しない色はないと言われる程にカラーが豊富なトルマリンのネイルポリッシュたちは、揃えて買ったならきっと毎日色を選ぶのが楽しくなる。
どれもこれも見ているだけでも楽しい。けれども、ひとつを選ぶとなるとまた別の話なわけで。
彷徨う目線は選びきれぬがゆえのもの。思えばりりは今まであんまりコスメを買ったことがなかった。――となれば、せっかくだもの。
「すいませーん!」
「はーい、いらっしゃいませー!」
声を掛ければすぐに振り向いてくれたのは、年若いドラゴンプロトコルの娘。エプロンのネームプレートには『Mari』と書かれている。この店の看板娘だ。
「ちょっと迷ってしまっていて。よかったら店員さんのおすすめを聞いてみたいです!」
「わぁ、喜んで! 欲しいコスメって決まっていたりしますか?」
「アイシャドウが気になるんですけど、どんな色が似合うでしょうか」
首を傾げるりりを、ベルナデッタは微笑みながら見守っている。マリはアイシャドウの棚をじっと見たあと。柔い笑みを浮かべて、改めてりりに向き直った。
「お客様は、そのアイシャドウを使ってどんな自分になりたいですか?」
「どんな自分?」
「ええ。コスメはなりたい自分に変身できるアイテムです。自分の為に明日可愛くなりたいとか、誰かの為に綺麗になりたいとか。お化粧はそういう夢や願いを叶えてくれます。そうして楽しい気持ちになったり、勇気を貰ったりするんですよ」
だから教えてほしいと、マリは請う。りりのなりたい自分。なりたいイメージ。どんな願いだって笑ったりなんかしない。それを叶えるのが自分たちの役目なのだと真摯に告げるマリに、りりはそっと傍らのベルナデッタを見る。そうしたら、彼女もまた微笑んで頷いてくれるから。
「それじゃあ……わたし、大人っぽくなりたいです……!」
勇気を出して背伸びの願いを口にしたなら、マリはとびっきりの笑顔で「任せて!」と胸を叩いた。りりの髪色と瞳の色をじっと見てから、ひょいひょいと選んだのはいつつのアイシャドウ。それをひとつひとつ、専用のケースに嵌めてりりに差し出した。
「どうせなら欲張ってパレットにしてみました。ローズクォーツの淡いピンク、ストロベリークォーツの濃い目のピンク。インペリアルトパーズのシェリーのようなオレンジピンク。締め色にブラウンダイヤ。そしてパールのラメです」
コンパクトの中で花の形になった五つの宝石たち。試してみますか、と問われれば断る理由なんてなくて。ブラシで順に目蓋に乗せていけば――ほら。
「わぁっいつもよりおとなっぽくなりました!」
鏡を前にしたりりが頬を上気させた。甘やかなピンク系で可愛らしく彩った目蓋。けれどもブラウンできっちり締めることで、大人らしい上品さが生まれている。
「マリの見立ては完璧ね、いつもより大人っぽくて華やかに見えるわ」
共に鏡を覗き込むベルナデッタも、太鼓判を押して頷いてくれる。このパレットがあれば、可愛らしさも大人らしさも思いのままだ。
ベルナデッタの言葉に何度も頷いたりりは、「この色をください!」と花のコンパクトを握り締めた。
「ベルちゃんはほしいものありますか?」
「ワタシ?」
会計を済ませたりりに問われ、ベルナデッタは宝石コスメたちを見渡しながら思案する。アイシャドウもリップも悪くないけれど、この中で何か選ぶとするならば――。
「ワタシは……そうね。ネイルを探しましょう。爪先を飾るのは好きよ」
「ネイル? わたしもしてみたいです!」
宝石そのものを使った色とりどりのネイルポリッシュに目を留めたならば、すかさず興味津々のりりも身を乗り出した。
「りりも一緒にやりたいの?」
「はい! 手元を見たときにかわいいとテンションがあがるって聞いたことがありますし、その日の気分で変えるのってたのしそうですよね!」
そう言って、りりは無邪気な笑顔を向ける。そのかんばせが、幼き日に母のリップスティックに憧れた少女のそれに重なってしまったものだから、ベルナデッタは思わず柔らかに目を細めた。
嗚呼、この子は本当に無垢だ。色んなことに好奇心旺盛で、純粋で、18歳という大人になった今も変わらずに彼女が持ち続けている彼女の良さだ。その純粋さが眩しい。
「ふふ、ずっと変わっていないところもあるわね」
「そうですか?」
「ええ。おしゃれしたい気持ちは伝染するものだもの。いいわ、ピッタリのものを探しましょう。めいいっぱい背伸びして遊ぶためのもの。沢山買って帰りましょうね」
笑みを深めて、ベルナデッタはネイルポリッシュの棚に手を伸ばす。
なんの宝石がいいだろう。どんな色なら自分にも彼女にも似合うだろう。二人で揃いのものを買ってもいいし、いくつか買って時折シェアしあうのも悪くない。
一度塗れば淡く色づき、二度塗りすれば爪先が宝石に変わるネイルポリッシュは、きっと。塗るたび、手元が目に入るたび。二人のかんばせに笑みの花を咲かせてくれることだろう。
●
確かな賑わいを見せるカプリスマルシェを見渡せば、風に揺れた魔鉱石が陽の光を反射して煌めいていた。
加工して嵌められたカップの中で。宝石品質のものは宝飾品やまじないの品として陳列棚で出番を待つ中で。そのどれもが美しい魔力の輝きを内包している魔鉱石は、店先を流し見て歩くだけでも心が躍る。
けれど、この度八乙女・美代(h07193)の心を一番に揺り動かしたのは――。
「宝石コスメと聞いちゃ黙っていられないわ」
「ええ、わたくし達の商いにぴったりですわね」
握りこぶしひとつ、ぎゅっと握る。不思議なコスメショップの店主である美代にとっては『宝石そのものと何ら変わりない輝きを持つコスメ』と聞けば見逃すわけにはいかない。
その傍らでシルヴァ・ベル(h04263)もしっかりと頷いた。シルヴァもまた、不思議な宝飾品店『星の鍵』の従業員。宝石と名のつくものはやはり気になるもの。
二人そろってロンゲル一家の宝石コスメの店を訪ねると、まるで宝石箱のように色とりどりの宝石コスメたちが整然と棚に並んでふたりを出迎えた。
パールのフェイスパウダー。サンストーンのアイシャドウに、ファイアオパールのチーク。
宝石品質の魔鉱石を加工して作られたという宝石コスメは、ケースに入れられていなければ宝石そのものと見紛うほどだ。
宝石特有の透明感を残しつつも、鮮やかな色合いを消して損なわずに各種コスメに加工する技術は明らかに一級品と言えるだろう。その品質と出来に、美代の瞳がにんまりと細まる。
「折角二人で来たんだもの。コスメの選び合いっこしましょう」
「まあ。いいですわね」
提案にすぐさま返るいらえが心地いい。ならば不思議コスメ店の店主としては、とびっきりのものを選んであげなくては!
コスメ店の店主たる矜持を胸に張り切った美代の目線が、リップが並ぶ商品棚で留まる。シルヴァにはリップを選んであげたい。小さな唇を艶やかに、可愛らしく彩るようなものがいい。
彷徨う細長い指先がまず最初に触れたのは、燃えるようなルビー。
「ルビーのリップも色鮮やかで素敵だけれど。普段使いしやすいものがいいかしら」
燃えるような赤は、情熱的で大人っぽい印象を作り出すのに最適だ。だけれど彼女には少々色が力強過ぎるだろうか。赤はここぞという勝負所に使って欲しいような気もするから、普段使いにはあまり向かないかもしれない。
つい、と逸れた指が次に向かったのは可愛らしい印象のピンクのリップたち。
ローズクォーツは定番の売れ筋商品。シャンパンガーネットのシェリー色は大人への背伸びが出来るだろう。アヤナスピネルの鮮やかなピンク色も、パパラチアサファイアの柔らかな薄紅色も、どれもシルヴァには似合いそうだ。
なかなかひとつに決められず、どうせなら数本纏めて買うのもいいかしら、なんてよくばりが脳裏に過り始めた時だった。
「……あ、このリップなんて素敵ね」
ふと目に留まったのは、可愛らしい苺色。苺ドロップのようなストロベリークォーツのリップスティックだ。ケースも苺をモチーフにしたもので、見た目も可愛らしい。
一言店員に断ってから試し用を手の甲に引いてみると、淡いピンクに赤がグラデーションがかって見える。苺と名付けられるにも納得だ。
これならばきっとシルヴァのかんばせを華やかに彩ってくれる。それでいて派手過ぎない色合いはお出掛けの時にも気軽につけていくことができそうだ。
笑みを深める美代の傍らで。シルヴァは店の看板娘マリと共に、美代へと贈る『とっておき』を探していた。
「お連れ様への贈り物ですか」
「ええ、美代様にはアイシャドウパレットを差し上げたいんですの」
「でしたら宝石箱のパレットはどうでしょう!」
此方ですと案内された棚には、小さな宝石箱が並んでいた。ぱかりと蓋を開ければ、いくつもの宝石コスメが散りばめられたパレットが顔を出す。
温かみのあるオレンジブラウンのジャスパーをメインに、スモーキークォーツで目尻を締めて、ダイヤモンドの輝きを乗せる上品なブラウンパレット。
アクアマリンの淡い水色とタンザナイトの夜色、そしてスフェーンの煌めくラメを乗せる夜と月のような夜空のパレット。
様々な宝石コスメを詰め込んだパレットは、まさしく宝石箱だ。いくつもの宝石箱を開けてみせるマリは、まるで宝石商のよう。なんだか同業者みたいな親近感が湧いて、シルヴァは小さく笑みを零す。
「華やかな装いのかただから目を引くお色がいいわ。パープルはどうかしら?」
傍らでリップを吟味している美代をちらりと見る。長身に艶やかで長い黒髪。白い肌はきっと鮮やかな色が良く似合う。
赤も悪くはないけれど、瞳の色と同じでは少し目元の印象がぼやけてしまうかも。そう思えば、やはり品と艶を持つパープルが合うのではないかと思える。
「あちらのパレットを見せてくださる? そう、アメジストドームのような」
いくつかのパープルの宝石箱の中で、シルヴァの目に留まったのはアメジストだった。シルヴァの言う通り、アメジストドームをイメージして宝石を当て嵌めていったのだという。
「外側のグレーは黒真珠? それとも黒曜?」
「黒真珠です。パール特有の艶めきもちゃんと残っていますよ」
「内側の白は水晶でしょうか」
「ご名答です! 透明感のある細やかなラメなんです」
「中央のパープルの上品なお色はどう出していますの?」
「濃淡様々なアメジストを織り交ぜているんです。淡い方からブラシでなぞるだけで綺麗なグラデーションが描けますよ」
「まあ、職人技ですわね」
つい、と指先でなぞって手の甲に試してみれば、色付いた先から陽光を反射して煌めいている。華やかで粉質も良い。そしてなにより、アメジストドームは商売繁盛の縁起物だ。
「決めました、これにいたしましょう」
「うん、これにしましょ」
|宝石箱《パレット》を両手に抱えたシルヴァがそっと笑みを深めれば、同じタイミングで美代の声も華やいだ。どちらも丁度贈り物が決まったよう。
「妖精さんは――、マ!」
シルヴァが可愛らしい宝石箱を抱えていることに気付いて、美代が驚きの声を上げた。シルヴァもまた、美代が手にする可愛らしい苺模様のスティックに気づいて目を丸くする。
「ふふ! この宝石箱はアイシャドウパレットなんです。美代様にこちらを」
「アラアラ! それじゃあアタシからはこれを妖精さんに!」
互いの手にある贈り物を交換する。妖精のシルヴァには大きいサイズのリップスティックは、マリが魔法をかけたならあっと言う間に小さな手に馴染むサイズにしてくれるサプライズも嬉しい。
「美代様からの贈り物、とっても素敵! 嬉しいわ。おでかけのとき、すこし背伸びをしたいことがありますの。大事にしますわね」
リップを両手で大事に握り締めたシルヴァに、美代は満足げに頷いた。そうして今度は、自分の手の中にある小さな宝石箱をぱかりと開く。
「マァ、素敵なアイシャドウ。これをアタシに?」
「ええ」
現れたアメジストドームのアイシャドウパレットに、ぱちくり、ぱちくりと大きな瞳を瞬かせ――。
やがて、柔らかに破顔した。
「こうやってコスメを選んで貰ったのって初めてかも。こんなに幸せな気分なのね」
今までコスメ店の店主として、訪れた客人にコスメを選んであげることは幾度もあった。使用する者たちの願いが叶いますよう、勇気の後押しになりますようにと願いを込めて、選んであげた。喜んでくれる客人と約束を交わし、去っていく背中に幸せを祈りながら見送った。
それを今、はじめて体験する側になった。胸の奥で生まれた嬉しさと幸福がじわじわと広がって、くすぐったいようなあたたかさが唇に笑みを咲かせた。
「嬉しい。とっても嬉しいわ。ありがとう、大切につかうわね」
絶対よ、約束よと繰り返す美代が、本当に嬉しそうに笑う。何より大切な宝物みたいに、大事に大事に|宝石箱《パレット》を胸に抱えながら。
●
魔鉱石の加工品ばかりを扱うカプリスマルシェは、小規模ながらも確かな賑わいを見せていた。
自然公園の一角を使って行われるマルシェには三十程の露店が軒を連ね、訪れる客や仕入れの交渉をする商売人などが思い思いに品を眺めて歩く。
ひとりで気ままに歩くもの。友人同士や恋人同士で楽しむ者も居れば、家族連れだっている。その誰もを歓待するように、魔法を含んだ魔鉱石の加工品たちは、陽光を反射してきらきらと煌めいていた。
ここにこの後、襲撃がある。はじまりは『腐った風』。広く被害が出るものと推測される『風』の被害を最小限に抑え、襲撃者を撃退せねばならない。その為の下見は十全に行わなければならない、が。
それは、それとして。
「後々の仕事は忘れてはなりませんけれど……今はマルシェを楽しみましょう」
「んー、そうだね。今この時のひと時も大事な事だよね」
うつくしく微笑む香柄・鳰(h00313)に、九鬼・ガクト(h01363)も鷹揚に頷いた。
襲撃者への警戒は怠ってはいけない。風の匂いについても注意しておくべきだ。だが、ある程度の猶予があるのもまた事実。そして基本的に、マルシェやそこに並ぶ商品というものは一期一会であるならば、少しばかり楽しんだってバチは当たるまい。
|ガクト《主君》のくれる首肯に、鳰はつややかに目を細めた。
「賑わっていますね、ガクト様」
「ああ、賑やかで人が多いね」
かすんだ鳰の視界でもわかる程に、往来はマルシェを楽しむ人で溢れていた。ある程度整理された並びではあるものの、区画内で自由に商品を広げる露店と人は、明瞭な視界であっても時折先を見通しにくい。
「鳰、迷子にならないように」
「はい、大丈夫です」
不要な心配かもだけれどと言いながらも己を気遣う主君に笑み咲かせて頷き、鳰は器用に人波を泳いでいく。
淀みない動きに小さく笑みを浮かべながら、ガクトもまた気ままにマルシェをそぞろ歩き。
「それにしても、この目にも彩溢れる品々のなんと眩い」
心の赴くまま、主の歩むまま。呼び込みの声に店先を流し見ながら歩めば、どこに行っても色とりどりの魔鉱石が煌めき出迎えてくれる。
赤。青。黄。淡い緑に|透明《カラーレス》。色も形も様々なひかりが絶えぬ光景は、まるで宝石箱の中に迷い込んだかのようだ。
「ほら、ガクト様。この花瓶は水が湧くのだとか。ガクト様のお店にも良さそうですね」
手に取った花瓶は、水の魔力を抱くブルージルコンを飾った硝子製。ブルージルコンを美しく魅せるよう金で装飾を施したそれは、花をいれればたちまちに水が満ちるのだという。ガクトの営む茶屋処にあれば、水替えの必要なく生花を飾っておくことが出来るだろう。
「んー、宝石の色と種類で効果が変わると。水が湧く花瓶、お店に置けばお客様が驚くね」
興味を惹かれたガクトも足を止め、店先の品々をまじまじと見つめる。
「この赤い宝石は火を。この青い宝石は水を。なるほど、仕事の時に役に立つね」
どうやらここの魔鉱石に宿る魔力は、大体が色によって属性が大別されるようだ。時折例外はあるものの、欲しい属性や効果は石の色を見ればある程度目星がつけやすいのは有難い。
仕事に使うのならば、どんな効果がいいだろう。茶を淹れる時に茶器を温めておけるような受け皿や、茶が冷めにくい急須などはどうだろう。
思案を重ねながら真剣に品定めをし出したガクトに気付き、鳰もまた一思案。主の品定めの邪魔はしたくない。それに深い思案に耽る彼は没頭してしまうことがある。ならば鳰にとっても今は、小さなチャンスだ。
「もし、お店の方。根付があれば見せて頂いても?」
「根付? ああ、いいよ。装飾品の類は店の端にあるんだ、こっちだよ」
そう言って店の反対側へと向かう店主を追って、鳰もそちらに向かう。
霞んだ視界に飛び込む光の種類が変わったことに気づいてそっと手を伸ばせば、細い鎖のネックレスが触れた。
魔鉱石の中でも宝石品質のものは装飾品になることが多いらしい。感触は確かに細やかな仕事を感じさせるものだ。ここの店主は腕の良い職人なのだろう。
種類も多くあるとのことで簡単な希望を聞き取る店主に、ひとつ、ふたつ。鳰は思い付く希望を告げる。
店主が見繕ってくれた根付に触れて確かめれば、硬質で冷たい石の感触と繊細な細工を指先に感じ取った。
はじめに触れたのは龍。龍は強さや知恵、保護の象徴だ。次は鶴。長寿や平和、幸運の象徴。次は、複雑な花の形。店主に問えば蓮だという。蓮は純粋さや困難を乗り越える力を表しているのだったか。
「……あら、これは招き猫の根付」
確かめた姿形は、前足を高く掲げて人を招く猫。商売繁盛の縁起物だ。店を営むガクトにぴったりやもしれない。
しかし、だ。招き猫を掘った石の不思議な色合いに、鳰は小首を傾げる。明瞭ではない視界には淡い緑や青紫の飴玉のようにも見えるが、それが何なのか鳰には判別がつかない。
「もし。この石は一体……?」
「ああ、それはエンゼルフェザーフローライトだよ。石花蛍石とも言うんだがね」
曰く。エンゼルフェザーフローライトとは、|蛍石《フローライト》に天使の羽根に似た白い内包物が見られる特別なフローライトなのだという。
白い花のように見える|内包物《インクルージョン》が特徴で、光にかざすと淡い藤色や緑色の空に純白の羽根がふわふわと浮かんでいるかのように見える石だ。
朧の視界では決して見えるはずはないのに。なぜだろうか。石の中で風で空に翻る天使の羽根を見た気がして。
「……素敵、此方を頂けます?」
気づけば、そう口にしていた。
「……おや?」
品定めに耽っていたガクトが、ふと顔を上げた。いつのまにやら傍らにいた鳰が居ない。
まさか迷子になったかと慌てて周囲を見渡――す間でもまでなく。同じ店の反対側で、店主と話している鳰を見つけて安堵の息を吐く。
随分熱心に話しているから、気に入ったものでもあったのかもしれない。ならば邪魔をするのも無粋かと、再び品定めに戻ろうとすると。
トントン。
背中を指先で突つく気配。振り返ればガクトに憑く艶やかな『死神』が、何やら指を差している。
「んー? コスメ?」
こくりと、黒衣の|死神《おんな》が頷く。指差した先は、ドラゴンプロトコルの親子が営んでいるという宝石コスメの店だ。警戒を兼ねて周囲にいたのだが、どうやら彼女の興味を惹いたようだ。
未だ鳰も店主と話しているし、どうせすぐ傍の店だ。問題もなかろうと彼女の望むままに軒を潜る。
ロンゲル一家の宝石コスメと言えば、宝石品質の魔鉱石を加工した、宝石そのものと変わらぬ色と光を宿した化粧品としてカプリスマルシェの名物になりつつある。
宝石にも化粧品にも然程明るくはないガクトでも、その物珍しさは理解が出来た。宝石の輝きを身に纏うことが出来たなら、と。想像したことはあっても実現出来た者はどれだけ居ただろう。
ファンシーダイアモンドのラメ。『ない色は無い』と言わしめたトルマリンのネイルポリッシュ。アイオライトサンストーンのアイシャドウ。
背中の『死神』が上機嫌に棚を指先でなぞり――、やがて、艶めくリップスティックのひとつで指を止めた。
「コレが欲しいのかい?」
手に取った口紅は正しく深紅と呼ぶに相応しい、ピジョンブラッドルビーのリップグロス。確かめるように問えば、『死』を体現するおんなは上機嫌に唇で弧を描いた。
望むならばと店主に会計を頼もうとして、ガクトはふと手元に広がる品々に目線を落とした。長い前髪の下の瞳にも鮮やかに映るそれらの内、目に飛び込んだひとつも摘まみ上げて店主を呼んだ。
購入した口紅を受け取って上機嫌の『死神』を連れて元の店に戻ると、丁度鳰も買い物を終えて戻ってくる。そうしてすぐさまガクトの傍に寄ると、笑みを浮かべて彼を呼んだ。
「ガクト様、宜しいでしょうか」
すぐに頷いてくれるガクトに鳰が差し出したのは、買ったばかりの招き猫の根付。
「之は風の加護ある根付なのだとか。お守りとしてお納めくださいますか?」
「んー、可愛らしいね。ありがとうね、何処かに着けておこう」
「ええ、ぜひ!」
二つ返事で是を唱え、すぐに身に着けてくれることが嬉しい。根付は現代ではストラップにしていることが多いが、嘗ては帯に下げた巾着を落とさないようにするものだったという。店主から聞いた知識をそのまま披露すれば、心得たとばかりにガクトは根付を帯に絡めた。
彼の帯から揺れる石花蛍石の招き猫を見て、鳰は満足げに笑みを深める。渡したいものは無事に渡せた。そろそろ警戒に戻ろうかと提案しようとすると。
「鳰、お手」
「? はい、何でしょう?」
まるで飼い犬にでも告げるかのような言葉を唐突に告げるガクトに、鳰も素直に応じる。両手を差し出してみせれば、その上にぽん、と軽い何かが乗せられた。
「この小瓶は?」
「爪紅だとさ。碧と藤で綺麗だったから」
それは|紫水晶《アメジスト》と|翠玉《エメラルド》を混ぜたネイルポリッシュだ。二つの石は決してすべて混ざり合わず、美しいマーブル模様を描いて瓶の中できらきら揺れて。
思わず鳰は、綺麗ないろ、と小さく独り言ちた。
「鳰は綺麗な顔だから化粧する必要性は無いだろうし。ネイルなら武器を持つ時に映えるだろ」
「ま、勿体ないお言葉! でもね、ガクト様。化粧とは外へ向けてだけでなく、己を鼓舞する為でもあるのです」
身を飾るものには力がある。勇気を出して踏み出す為に、綺麗な化粧をしたり。自分を鼓舞する為に、好きな色を身に纏ったり。
たったそれだけのことと、笑う者もいるだろう。けれど美しく飾った己を、爪を見た時に。「今日は化粧がうまくいった」だとか、「好きな色のネイルが目に入るたび、元気を貰える」だとか、そんな小さな嬉しさが自分を鼓舞する力になるのだ。
「だから、そう。こんなうつくしい色が爪先に乗っていたら、戦場でも心強いでしょう」
「んー、なるほど。化粧とはそういう意味もあるんだね」
知らなかったと頭を掻くガクトに、笑みを向けて頷く。
ガクトの言う通りだ。鳰が刀を握るたび爪先にこの色が塗られていたならば、きっと力を貰えるに違いない。だって、忠心を捧ぐ主から賜った爪紅だもの。
「いつも仕事してくれているご褒美だよ。喜んでもらえてよかった」
「まあっ、ボーナスですね? ふふ! 有難うございます、大切に致しますね」
一度確かめるように胸に小瓶を抱き、そうして大切そうに小瓶をしまった――その時だった。
風の匂いが、変わった。
第2章 集団戦 『鉱石竜「オーアドラゴン」』

●
――ふふ。
微かな女の笑い声を聞いたのは誰だったろう。
透光の花が。オルカの歌が。警戒する者たちの琴線が。一斉に警告を発する。
顔を上げた能力者たちの間を、突如風が吹き抜けた。
異様な程に甘い匂いがする。まるで熟れ過ぎて腐り落ちた果実が弾けたような、くらくらする程に甘ったるい――腐ったかのような、風。
嗚呼。これは毒だ。毒の息吹だ。
ひとたび吸い込めば目眩を覚え、ふたつ吸い込めばそれはもっと酷くなる。込み上げる吐き気と痙攣で立っていられなくなる頃には|甘さ《どく》は全身に巡り、やがて苦痛を感じる間もなく意識と呼吸が閉ざされる。
はじめは抵抗力の弱い者から。やがて大人へと。
幾度も吹き付ける毒の風は瞬く間にカプリスマルシェ全体へと広がり、一般人も能力者も一切の区別なくそこに居る人々へと襲い掛かった。
ひとり、またひとりと膝を着き、胸を抑えて倒れていく。ドラゴンプロトコルは特に巡りが早いのか、症状が出る速度が顕著だ。
異変に気付いた者たちが逃げ出そうと駆けだして、今度は悲鳴があがる。
いつのまにか鉱石竜オーアドラゴンの群れが、カプリスマルシェ全体を囲いこんでいる。
近づく者を威嚇し、一歩ずつ包囲網を狭めては明らかな敵意を向ける。たったひとつ合図があれば、オーアドラゴンはその牙を人々に向けるだろう。
「きゃあああ!!」
「ママ、マリ、僕の後ろへ!!」
混乱の渦中にあるマルシェの中から、更なる悲鳴が風を裂いた。ロンゲル一家の宝石コスメの店が、いつの間にか鉱石竜に囲まれている。腐った風によって身動きも儘ならない中、父親は次々現れる鉱石竜たちから家族を庇っている。
ドラゴンプロトコルであっても彼らに戦う力はない。ひとたび襲い掛かられたならばひとたまりもない。
――ふふ。ふふふ。
どこからか女の笑い声が響く。
誰一人、『腐った風』の中から逃がしはせぬと。笑い声に呼応するように鉱石竜の群れが嘶いた。
けれども女には誤算があった。
既にマルシェの中には能力者たちが紛れている。異変を警戒し、為すべきを為さんと準備を整えていた者がいる事を彼女は見通せなかったのだ。
すべきことは三つ。
毒を孕んだ『腐った風』を抑えること。
鉱石竜の包囲網を崩し、人々をマルシェ会場の外へと逃がすこと。
ロンゲル一家だけを狙う鉱石竜の群れを排除し、彼らを助け出すこと。
風の影響は能力者たちにも及ぶだろう。ドラゴンプロトコルには巡りが早いかもしれない。
それでも、己が出来ることを為し、人々を護る為。
いざ、駆けろ。