まどろみのマツリ
木の床に、猫の足音は響かない。
昼下がりの光が斜めに差し込む保護猫カフェ『ねこまど』には、今日も静かな時間が流れていた。
エアコンの低い唸りと、冷たいグラスの氷がカランと鳴る音。客たちは言葉少なに、猫と視線を交わしながら、各々の穏やかな午後を過ごしている。
キャットタワーの上であくびをする三毛猫。
膝の上でまどろむハチワレ。
棚の影に隠れて様子をうかがうシャム。
それぞれが過ごしてきた孤独を、ここで少しだけ手放すように、猫たちは思い思いの居場所に体を溶かしている。
そして、静かに中心にいるのが――長毛のスコティッシュフォールド、《マツリ》。
白と淡い灰の毛並み。ぺたりと垂れた耳。人懐こい性格で、抱き上げれば喉を鳴らし、まるで最初からそこにいたかのように寄り添ってくれる猫。
彼女は、今も膝の上で目を細めている。
そんな午後の、何の変哲もない風景。
……ただ、その平穏は長く続かない。
「マツリっていう猫ちゃんがね、危ないんだ。ぼくの予言、ぜったい当たると思う!」
ふわふわの白いポメラニアン――星詠みコロ・マルメール(吠えぬ番・h07384)は、ぴょんと跳ねるようにあなたの前に姿を現した。
尻尾を揺らしながら、きらきらした瞳でまっすぐあなたを見上げる。
「場所も見えたよ。保護猫カフェ『ねこまど』。たくさんの猫がいて、その中にマツリちゃんがいるの。すごく強く引かれてて……大事なAnker候補だと思うんだ」
Anker。
それは√能力者が生きて在るための魂の錨。
欠落を埋め、帰還の座標を指し示す存在。
「サイコブレイドの気配も、もうすぐそこにあるの。たぶん手下の怪人が来る。マツリちゃん、まだなにも知らないのに……。お願い、守ってあげて。いってらっしゃい!」
光が駆け抜ける。
次の瞬間、あなたの意識は空を裂いて加速する√に包まれ、指定された場所へと向かっていった。
視界が落ち着いたとき、あなたはすでに『ねこまど』にいた。
今しがたまで誰かの膝にいたマツリが、気まぐれに歩き出し、あなたの方へと近づいてくる。
猫たちは変わらず静かだ。
黒猫が窓辺で眠り、サビ猫が尻尾を揺らしながら隣の客の足元にぴとりと寄っている。
けれど、確かにこの空間には“異物”の気配があった。
敵はまだ姿を現していない。
だが、誰かの姿を借りて紛れ込んでいるかもしれない。
あるいは、カフェの裏手にある広場で、気配を潜めているのかもしれない。
マツリの確保ができれば、戦場の選択権はあなたにある。
ここで迎え撃つか、外へ誘導するか。
けれどもしも、確保に失敗すれば――
マツリは攫われ、あなたの世界座標もまた、帰る場所を失うことになるだろう。
その先であなたを待つのは、サイコブレイド本人か。
あるいは、彼の剣を受け継いだ異形の怪人か。
マツリは、あなたのそばで小さくあくびをした。
何も知らないまま、今にもうとうとと眠ってしまいそうなほど無防備に。
けれどあなたは、知っている。
この柔らかな命が、誰かの魂の帰り道かもしれないということを。
撫でてもいい。名前を呼んでもいい。
でもその手は、いつでも護れるように。
この戦場に刻むのは、あなたの√だ。
第1章 日常 『ふれあいカフェのひととき』

「わ、わああ、かわいい……」
保護猫カフェ『ねこまど』の扉をそっとくぐった見下・七三子の視線は、まるで吸い寄せられるように、店内奥のキャットタワーへ向かった。そこにいたのは、白と淡い灰の毛並みを纏った長毛の猫――スコティッシュフォールドの《マツリ》。
「お名前はマツリさんって言うんですね……。静かに寄り添ってくれるような、不思議な雰囲気の猫さんです……ふわふわです……」
そっと差し出した手に、マツリは警戒もせず、すん、と鼻を寄せた。目を細めて喉を鳴らす音が、七三子の鼓動をほんの少しだけ落ち着かせる。
しかし、彼女の背後には、“戦場”の気配が確かに潜んでいた。
「……あ、お仕事! お仕事ですね。忘れてないですよ?」
姿なき敵――サイコブレイドの手下たちは、いつどこから現れるか分からない。けれど、七三子の中では既に“この命を守るべきだ”という答えが静かに灯っていた。
「何も悪くない方が、一方的な理由で命を奪われていいわけない、ですもんね」
店内には、ほかにも多くの猫と、店員、来客がいる。
この空間での戦闘は避けたい。
七三子はそう判断し、店の裏にあるという小さな広場を脳裏に思い描いた。
「……となると、裏手の広場でしょうか」
あくまで平静を装いながらも、彼女の視線は、マツリの居場所を常に捉えていた。
もしものときには、さっと抱き上げ、安全な場所へ退避する準備はできている。
「マツリさんが、私か、仲間のそばにいるか注意しておきましょう。……いざとなったら、さっと抱っこして、移動、ですかね」
ふわりとまた、マツリが足元に寄ってくる。まるで、彼女の思考を読んだかのように。
見下・七三子は小さく頷き、息を整える。
それは、守るための呼吸。戦うための準備。
柔らかな時間の奥に、確かな“決意”が光った。
「ねこ」
カフェの扉がそっと閉じられると、音楽のような沈黙が広がった。
勿忘・灯守の視線はまっすぐに、棚の上で丸くなっている猫へ向けられる。
耳が、ぺそりと折れている。あれがスコティッシュフォールド。あの猫が、マツリ。
保護猫――行き場を失ったもの。
その言葉に、心がひどく静かになる。
自分もそうだ。故郷をなくし、居場所もない。ただ流されるようにここにいる。
だから、惹かれるのだろうか。あの猫の、何気ない呼吸に。
動物に触れた経験はほとんどない。
けれど、音には敏感と聞いた。ならば、これでどうだろう。
「……【カザハナ】を、歌ってみよう」
灯守の声は静かに、けれど芯を持って空間を揺らした。
旋律は揺らめく風のように、猫たちの毛並みを優しく撫で、空気に小さな花嵐の幻を生む。
マツリが、ゆっくりと顔を上げる。
まばたきひとつのあと、まるで迷いなく、彼女の方へ降りてきた。
「……触れても、いいか?」
差し出した手に、マツリはすん、と鼻を寄せる。
その体温は確かにそこにあった。ふわふわで、柔らかくて、けれど芯がある。
「……そうだな。ぬくもりが、あるな」
手のひらに宿った鼓動が、彼女の内側で静かに波紋を描いた。
人も、猫も、世界も。触れてみなければ、本当にあるとは信じきれない。
だからこそ、今この瞬間が尊い。
けれどそのぬくもりを脅かす存在――サイコブレイド。
「……あれは、少し気にかかる。故郷を持たぬ、求める者か。Ankerを見分けるまでに、渇いているとは。哀れなほどに」
だが、それはこのマツリに手を出していい理由にはならない。
誰であれ、命を奪うために来るのならば。
そのとき、灯守はきっと、歌うだけでは済まさないだろう。
保護猫カフェ『ねこまど』。
柔らかな毛並みが触れるたび、クラウス・イーザリーの表情が、ふと、やわらかくほどけた。
(……かわいいな)
白と灰の長毛、ぺたりと折れた耳――マツリ。
Anker候補だと聞いているが、そうでなくても関係ない。
ただ生きているだけの命。それだけで、誰かを癒す存在。
「……こんなかわいいいきものの命を奪うなんて、許せないな」
小さくそう呟きながら、マツリの背を撫でる。
喉を鳴らす音が、指先にじんわり伝わってくる。
他の猫たちとも、優しく戯れる。
おやつを手に、差し出せば、臆病な猫もそっと寄ってくる。
だがその視線は、窓の外を捉え、店員の動きや客の様子を常に観察していた。
(どこから来る……? 敵の気配は、まだ見えないけど)
猫たちの無邪気な時間の中、ひとりクラウスはその背後に忍び寄る気配を探っていた。
気配は未だ定かではない。
ならば、もうひとつの方法を――。
人の目がないタイミングを見計らい、クラウスは小さく問いかけた。
「少し、話を聞いてもいいかな」
声は、空気に溶けるように放たれた。
その声が届いたのは、人には見えない“誰か”――インビジブル。
その姿がふっと変化し、生前の影となってクラウスの前に現れる。
彼は真摯に耳を傾ける。
ここ数日の動向、怪人らしき気配の有無、異質な存在の通過情報。
情報は、確かに得られた。
それはまだ確定ではないが、何かが近づいているという確信にはつながる。
(……できれば、この中で迎え撃ちたい)
外で戦えば、マツリが逃げ出すかもしれない。
迷子になれば、二度と帰ってこられないかもしれない。
クラウスはそっとマツリの背を撫でながら、彼女が安心して眠れる場所が、ここであるようにと静かに願った。
「……ほんと、かわいい。こうして生きてるだけで、癒されるなんてさ」
ふと、マツリがこちらを見上げた。
なにも言わず、ただ一度、まばたきをして――また目を閉じた。
「……ふふっ、やっぱりねこちゃんは、いいですね」
保護猫カフェ『ねこまど』の柔らかな空気の中、ちるははアイスティーを片手に本を開きながら、足元にすり寄ってきた猫たちに順番に挨拶していた。
ひざの上、棚の上、キャットタワーの中――ふわふわたちに囲まれるという最高のしあわせ。
ページをめくる手が止まるたび、撫でる手は止めない。
「マツリちゃん……来てくれる、かな?」
小さく声をかけると、白と淡い灰の毛並みを揺らして、マツリが近づいてくる。
すん、と匂いを嗅いで、ためらうことなく、ちるはの膝に乗った。
「……信じて」
その一言だけを、静かに、小さく囁いた。
もしこの先、ゲージに入れたり、抱えて逃げたり、ちょっとびっくりさせてしまっても――
「絶対においしいおやつをご用意しますので!!」という誓いは胸の中で強く、甘く叫ばれていた。
カフェの滞在時間が穏やかに流れていく。
その中でちるはは、猫たちの配置やマツリの動線、店内の出入り口の死角をさりげなく確認し続けていた。
やがて、ひとつの判断がまとまる。
「マツリちゃんは、私が匿います。準備、できてますから」
そっとマツリを抱き上げ、落ち着いた手つきで安全な場所へ。
そして、自分の姿に術式を重ねる。
「いち……」
すっと体が縮んでいく。マツリのサイズ感に近づき、毛色も似せて――彼女は“なりきった”。
変身完了。忍びの術が、猫の幻を織り上げる。
「残念ですね、私でした」
敵が来るなら、この姿で誘導する。
マツリを守るための囮となって、軽やかに、けれど真剣に戦場へ舞い上がるその背に、しなやかな決意が滲んでいた。
第2章 集団戦 『戦闘員』

広場の空気が、すっと冷えるような気がした。
保護猫カフェ『ねこまど』の裏手にある、芝生の広場。
昼の陽射しは和らぎ、曇り始めた空の下、木々の影が静かに揺れている。
ベンチがひとつ、雑草のない地面。花壇と柵があるが、視界を遮るものは少なく、戦いにはうってつけの場所だった。
マツリは、あなたの腕の中にいる。
ぬくもりをそのまま包むように抱きかかえられ、彼女は何も知らず、静かに身を寄せていた。
その体温が、帰る場所の目印となる――あなたの√の中心。
その穏やかな光景を、破る音がある。
ブーツの着地音。無機質な足音が、四方八方から近づいてくる。
建物の影。通用口の奥。ベンチの裏。屋根の上。
黒紫の戦闘スーツに身を包んだ、悪の戦闘員たちが続々と現れる。
その動きには規律がある。
整った連携、無言のうちに波のような配置。数の暴力が、目に見えて形成されていく。
連絡装置がつながり、彼らは一つの群体のようにうごめく。
誰も名を呼ばない。
だが、あなたの手の中にいる小さな命を、彼らは明確に――狙っている。
静かな広場が、戦場になるまで、あと少し。
戦場の気配に、風がざわめく。
広場の中央。不忍・ちるはの腕の中で、マツリは静かに丸まっていた。密着した肩抱っこ。頬と頬がふわりと触れるたび、確かに命のぬくもりがそこにあった。
「……いっしょなら大丈夫だから。安心して、ね」
その言葉と同時、広場の四方から飛び出してくるのは、黒紫の戦闘スーツに身を包んだ大量の戦闘員たち。
「マツリ確保、妨害排除!」「いけいけいけいけーッ!」
三下めいた叫び声が響くが、勢いは本物。数が、規模が、圧倒的。
「ふう……じゃあ、各々よろしくお願いしますー!」
見下・七三子はマツリを仲間に託すと、影から12体の戦闘員を呼び出す。こちらは“味方”だ。
「見下班、展開。マツリさんのためにお願いしますねー!」
味方戦闘員たちも気合充分に、フォーメーションを組んで突撃する。
敵の戦闘員たちも連携強化された動きで包囲を開始。
その中に、クラウス・イーザリーが踏み込む。
弾道計算、クイックドロウ。照準は一瞬。
「……こっちには、来させない」
紫電の弾丸が空を裂き、感電の光が戦場を照らす。
「ぐわあああ!?」「連携がッ!? 止まるな止まるなぁッ!!」
だが、怯んだ瞬間を逃すような仲間たちではない。
ちるははマツリを抱いたまま跳躍し、戦闘員の間を縫ってファミリアセントリーで乱れ撃つ。
「……お姫さまのお迎えはもっとロマンチックにお願いします、よ?」
戦闘員たちが動揺し、隙が生まれたところへ、勿忘・灯守が静かに歩み出る。
「LiLiコンタクト、オン」
その声と共に、外見はヒーロー【カザハナ】を思わせる姿へと変わる。
軍服風の装いに、夜空のような瞳。マツリに手を伸ばそうとする敵を、ソードブレイザーでいなしつつ、反応の遅れた戦闘員を天弓「トラモント」で正確に撃ち抜いていく。
「マツリには、指一本、触れさせやしない」
扉の前では、クラウスが冷静に陣を構えていた。
「こっちは通さない」
範囲射撃で敵を制圧し、倒れかけた敵の頭上に電撃鞭が叩きつけられる。
「うわああ!? マヒった! やられたァァァァ!!」
広場と建物の境界線は、まるで雷の結界。誰一人、越えさせない。
「敵さんが増えるなら、こちらも負けませんよ」
七三子は自らも足技を繰り出しつつ、味方戦闘員との連携で次々と敵を叩き伏せていく。
「どっちが連携上手か、試してみましょう?」
ちるはは再びマツリの背を撫で、ささやくように告げる。
「……信じて、なの」
そして踏み込む。“引き撃ちの蹴り”が敵の顔面を捉え、倒れた戦闘員の背にファミリアの射撃が重なる。
「ぐ、ぐへぇぇぇ……!」
――四人の力が重なり、戦闘員たちの群れを確実に押し返していく。
陽はまだ落ちていない。
だが、命を守る光は、既にこの場にあった。
マツリは、あなたたちの腕の中で、何も言わず、ただ安らかに呼吸していた。
敵は確かに数で勝っていた。だが――質が、意志が、違った。
「特攻モード、起動ぉぉぉッ!!」
ひときわ派手な蛍光色に発光した戦闘員が、咆哮とともに猛突進してくる。
その速度は確かに脅威。が、それも“読まれて”いれば意味はない。
「残念ですね、私でした」
ちるはの囮からの隠密跳躍が一閃。戦闘員の足元を斬り抜けるように風が走り、電撃と共にクラウスの鞭が絡みつく。
「ギャアア!? 光ってるのにぃぃぃ……ッ!」
その隙に七三子が味方戦闘員を展開。「包囲展開、囲んでくださいー!」
連携が崩れた敵戦闘員は次々と捕縛され、抵抗する間もなく地面に伏す。
遠距離では、灯守の「天弓トラモント」が再び光を引く。
空に浮かぶ幻の星から放たれた一矢が、最後に残った特攻モードの戦闘員の胸を撃ち抜いた。
「……ひゅぅ……お疲れ……さまでした……ッ」
パタリ。
場に、静けさが戻った。
地に倒れた戦闘員たちは、光に包まれ、システム的な転送エフェクトと共に次元の彼方へと引き戻されていく。
彼らが残したのは、破損したヘルメットと、浅い足跡だけ。
そして、残された命――マツリ。
小さな猫は、騒動が終わったことを感じ取ったのか、ちるはの腕の中で小さく伸びをした。
まどろみのようなぬくもりの中で、戦いは終わった。
第3章 ボス戦 『外星体『サイコブレイド』』

戦場に訪れた静寂は、長くは続かなかった。
踏みしめる音は、規則正しく、重い。
広場の外縁――かつて敵が現れた死角の向こうから、一人の男が歩いてくる。
長く、鈍色のミリタリーコート。
顔の一部を仮面で隠し、片手には異形の剣を握っている。
刀身は、まるで星の記憶でも宿したように淡く光り、その周囲には無数の黒い触手がうごめいていた。
それが、『サイコブレイド』だった。
喋らない。名乗らない。何も問わない。
ただ一つ、剣を持ち直し、静かに構える。
その気配は、先ほどの戦闘員たちとは全く異なる。
理性がある。意志がある。
それゆえに――この男が本当に命を奪う覚悟を持っているのだと、誰の√にも直感的に伝わった。
マツリの背中の毛が、ぴくりと逆立つ。
彼女は、あなたの腕の中でじっと息を潜めている。
この剣が向いているのが、紛れもなく“彼女の命”だと理解しているかのように。
触手が蠢き、コートの隙間から何かが伸びる。
彼は、ただ一言だけ口にした。
「……識別完了」
次の瞬間、広場の空気が“斬られた”。
無音の踏み込み。空間がきしむ。
直後、広場の中心に黒い裂け目が走り、【サイコブレイド】の剣が瞬間接近する。
彼は叫ばない。咆哮もない。
ただ静かに、機械のように、だがどこか人間らしい“悲しさ”をまとって――剣を振るう。
第3章・決戦、開幕。
異様な沈黙が、広場の空気を縫うように走った。
影から現れたのは、重たいミリタリーコートを纏った男。
その姿に誰もが直感した。これまでの敵とは“何かが違う”。
片手に握る異形の剣――サイコブレイド。
男の名もまた、それに等しい。
その背から這い出す黒く艶めいた触手が地をなぞり、空を裂いていく。
声はない。名乗らない。ただ、構えた剣の角度がすべてを語っていた。
「……識別完了」
その一言と同時に、空間が斬られる。
一瞬にして縮まった距離。触手と剣の連撃。
構えた者の前に、警告もなくその剣が突きつけられた。
「早い……!」
クラウス・イーザリーの目がわずかに揺れた。
それは驚愕ではなく、経験からくる認識。これは、手加減なく殺しにくる動きだ。
咄嗟に飛び退きながら銃を抜き、紫電の弾丸を放つ。
弾道計算を駆使しても、かろうじて触手を掠めただけだった。
「――来たか」
静かに呟いたのは、勿忘・灯守。
彼女は一歩、静かに前へ出る。
「これは、ワスレジノウタ。もう奪わせない、失わない……!」
記憶と願いを語る言葉が、空気に色を灯す。
灰桜の髪が揺れ、周囲の景色が変わった。
【過去の優しい思い出】が結晶となり、彼女を中心に“美しすぎる世界”が広がる。
その瞬間から、彼女の放つ矢はすべて必中となった。
天弓「トラモント」が解き放たれ、最初の矢がサイコブレイドの肩を貫く。
反撃はない。ただ静かに、剣が構え直された。
「避けない……自分を、壊してでも戦う覚悟……!」
クラウスが叫ぶ。
その言葉と同時に、再び銃口が火を噴き、今度は触手の一本を撃ち落とす。
灯守の狙撃との連携で、サイコブレイドの機動力がわずかに鈍る。
一方、広場の隅では――
「マツリちゃん、ぎゅーっとしてくださいね」
不忍・ちるはが優しく語りかける。
その腕の中で、マツリは小さく鳴いた。
ちるはは背中を撫でる手を止めず、背後へ跳躍して離脱。
隠密状態のまま、ファミリアセントリーが弾幕を張る。
「チャージの気配。妨害お願いします」
その合図と共に、銃撃と矢が一点に集中する。
「……じゃあ、いくか」
継萩・サルトゥーラが肩を鳴らし、にやりと笑った。
「オレの名前? まあ、あとで覚えてくれてればいいさ。狙え、ケミカルバレット!」
ガトリング砲が唸りを上げる。
超強酸の弾丸がサイコブレイドの足元に降り注ぎ、戦場全体が煙と閃光に包まれた。
「おおっと、避けたか。でも……遅いぜ?」
その爆煙の中から、七三子が飛び出す。
「今です!」
鉄板入りのブーツで跳躍し、サイコブレイドの剣を蹴り上げる。
再行動の構えすら取らせず、連撃に続く形でサルトゥーラが突撃した。
「――ドーピング、完了。行ける!」
だが、敵は沈黙したままだった。
触手が地面を走り、崩れかけた体勢を強引に立て直す。
そして、次の瞬間――全身の色が変わる。
「ギャラクティック・バースト、チャージ中」
声はなくとも、その気配が戦場を支配した。
空が歪み、剣の先端に“宇宙”が集い始める。
空気が揺れる。視界が焼ける。
剣の先端で光が渦巻き、まるで夜空の全てを集めたかのようなエネルギーが膨れ上がっていく。
――ギャラクティック・バースト、チャージ中。
「まずい……ッ!」
クラウスが即座に牽制射撃を行い、照準を操作。
弾道計算で導き出した一点を撃ち抜くが、チャージを止めるには至らない。
「焦らないで。確実にいきましょう!」
七三子がその射線を補佐するように、サイコブレイドの懐へ斬り込む。
ブーツの鉄板が地面を蹴り上げ、足元の触手を裂くように跳躍。
「こっち見てくださいませんか!」
その隙を生み出すと、背後からサルトゥーラの弾幕が再び突き刺さる。
「食らえぇぇッ!! 化学と弾幕の地獄、たっぷり楽しんでくれよな!」
強酸の煙の中を、灯守が静かに進む。
狙いは――剣のチャージポイント。
「……星が、泣いているみたいだな」
語るだけで広がる美しい空間。
【ワスレジノウタ】が再び空間を満たし、彼女はその中心で矢を番える。
「終わりにしよう、サイコブレイド。これ以上、お前を痛めさせない」
矢が放たれる。必中の光が、チャージ中の剣を貫いた。
サイコブレイドの膝が、わずかに落ちる。
だが、それでも剣を握る手は、緩まなかった。
「――ならば、全員で止める!」
クラウスの声が響く。
彼はスタンロッドを構え、光学迷彩を纏って音もなく接近する。
七三子は再び正面に立ちはだかり、
「あなたの背中、私たちが支えますから!」
サルトゥーラは全火力を収束させ、
「ケミカルバレット・ラストモードッ!!」
ちるはは、マツリを胸に抱いたまま静かに頷いた。
「おやすみなさい。いい夢が見られますように」
――全員、同時に跳躍。
最後の一撃が、刃となり、銃弾となり、魔力の奔流となってサイコブレイドへと集中する。
破裂音。閃光。触手の悲鳴。
その全てが弾けた後に、ただ、コートの裾だけが、静かに揺れていた。
サイコブレイドの身体が崩れ落ちる。
片膝をついたまま、剣を地面に突き刺すようにして、それでも彼は立ち続けていた。
やがて虚空へと消え去っていく。
残された静寂の中。
ちるはは、マツリを優しく降ろし、そっと問いかけた。
「……うちに、来ますか?」
マツリは一瞬だけ考えるように顔を上げ――ふにゃっと、喉を鳴らした。
それはきっと、ひとつの答え。
こうして、戦いは終わった。
小さな命は護られた。
その命が、誰かの帰る場所となるために。
そしてまた、新しい√が生まれていくのだろう――。