call me
●電話ボックス
雨の降る夜の事だった。その日の天気予報は晴れで、傘の必要もないはずだった。なのにだ。空を仰ぐと、顔面にぱらぱらと雫が降り注ぐ。陰鬱な空気をさらに色濃くさせる雨に、その女は疲れ切った表情で溜息を吐き出した。降ると言っていたのなら、傘はきちんと持って出ていたのに。
「天気って言っていたわよね……。」
人通りの少ない夜の住宅街。折り畳み傘も無ければ、雨宿りの出来る場所も無い。ともすれば、帰路を急ぐほかないと判断した女は、ヒールを響かせては足早に小道を抜ける。
なるべく雨を凌ごうと家々の壁に沿って歩く女の視界に、ふと、ぼんやりとした明かりが映り込む。薄い照明、緑色の電話が鎮座する古びた電話ボックス。それだけなら普通の電話ボックスとなんら変わりはないのだろう。問題は設置された場所だ。女の視線の先は十字路になっていた。ここを抜けたら家までもう少しと言った所だろう。なのに、電話ボックスはその十字路のど真ん中に置かれている。
――プルルルル。
コール音が鳴り響く。
「な、なんの冗談なのよ。」
女は立ち止まる。それでも音は鳴り続ける。ここを通らなければ家には帰れない。女は恐る恐る電話ボックスの扉を開き、受話器を持ち上げた。
「も……もしもし。」
『こんばんは、可愛い人。あなたの願いを叶えてあげるわ。』
甲高い女の叫び声が、夜の住宅街に木霊した。
●幽霊曰く
ここは√汎神解剖機関にある住宅街。現在の時刻は夜。霧雨が降っている。今日の天気は雨のようで、この雨は明け方まで続くだろう。そこへ、この世界の陰鬱な空気を更に濃くする男、東雲・夜一が煙と共に、あなたたちの前に姿を現した。
「事件だと。」
霧雨を凌ぐためのパーカーは湿り気を帯び、表情を隠すかのようにフードを深くかぶり直す。
「真夜中。十字路の真ん中に突然、電話ボックスが現れる。」
それだけでは何がなんやら分からない。夜一は更に噛み砕いて説明を続ける。時間帯は夜。天候は特に関係ないが、その日は雨だったそうだ。ただ、決まった時間に十字路の真ん中、普通なら電話ボックスを絶対に設置しないその場所に、突然現れるらしい。
「しかも、その電話は誰かが出るまで、一生鳴り続ける。真夜中に迷惑な話だよな。」
夜一は十字路の方角へ身体ごと向けた。この世界特有の空気はあるものの、誰も通っていない十字路は、いたって普通の場所に見える。その道のど真ん中に、突如として現れるだなんて、現時点では信じがたい。
鳴り続けるのなら、誰かが出なければならない。では、その電話に出たらどうなるのか。夜一は話を続ける。
「電話の向こうの相手に、願いを叶えてやると言われるそうだ。半信半疑で電話の声に応えた奴の願いが本当に叶ったもんだから、その話に尾鰭がついて夢の電話ボックスだとかなんとか言う奴も中にはいる。」
「ただ、そんな話は出鱈目だ。偶然。たまたま。そいつの願いが叶っただけにすぎない。」
どうやらまともに会話をして、その後行方不明になった者もいるようだ。
「そういう感情を利用する奴らは数多といる。行方不明者も出たって話になって来れば、見過ごすわけにはいかない。だから、今回は電話の向こうの声と会う約束を取り付けてほしい。相手が姿を現さないなら、此方から乗り込めばいいってやつだな。」
話題はなんでも良い。願いを叶えてやると言われるのだから、それらしい理由を付けてしまえば会うことも容易いだろう。そこから先のことは、電話の向こう側の相手次第。慎重に考えた方が良いのかもしれない。
「誰かの悪戯だったら良かったんだけどな。相手は怪異だろう。それもわりと厄介なやつ。だからってわけでも無いが、気を引き締めて向かってくれ。」
電話ボックスが現れるまで、残り数時間。霧雨が降る中、あなたたちは準備を整えて、その十字路に向かうのだろう。
「ああ、雨の対策はして行けよ。これから強くなるらしい。」
「いってらっしゃい、気を付けて。」
雨を凌ぐフードを目深に被った男は、あなたたちの背を見送った。
第1章 冒険 『真夜中に鳴り響くもの』

深夜0時前。一文字・伽藍(|Q《クイックシルバー》)は噂の十字路付近でスマホを弄る。細い雨の降る中、暗闇で光る画面ばかりが眩しい。伽藍は感情の読めない視線を画面に向け、送信ボタンを押した。
(最近減ったよね。電話ボックス。マ、今は皆スマホやらなんやらだもんね。)
スマホの時計が0を示す。
午前0時。伽藍はスマホから手を離し、雨を凌ぐフードを被り直す。
「ショギョームジョーってやつ?」
雨水が跳ねるのも気にせず、伽藍はヒールを響かせ、噂の電話ボックスの前へと向かう。
――プルルルルル。
「あーうん、鳴っとるわ。」
もちろん中には誰もいない。ありふれたホラー映画の導入のようだ。けれども、伽藍はそんな映画の導入も、この雰囲気も嫌いではなかった。僅かに口の端を吊り上げ、電話ボックスへと乗り込めば、受話器を持ち上げる。払いそびれた水滴が、伽藍の爪を濡らす。
「ハイハイ今出まーす。もしもしアタシ伽藍ちゃん!」
『もしもし、こんばんは。可愛い人。』
「え!なに!噂って本当だったんだ!」
伽藍は両目を見開き、さも驚きましたと言わんばかりの表情と声色を見せた。電話の向こうからは、幼い少女の声が聞こえて来る。これもまたありふれた映画のようだ。嫌いじゃない。
「聞いてよ電話ボックス君。」
『ええ、なあに?』
電話の向こうの少女は問う。
「アタシ毎日、つまんなくてさ。学校とか放課後とか、なんも代わり映えないし。面白そうって思ったことも、やってたらすぐ飽きちゃうし。だからさ、なんか滅茶苦茶面白いことない?」
声色に笑みを含みそうになるのを堪え、電話ボックスの壁に寄りかかる。それはもう心底つまらなさそうに溜息を吐き出し、伽藍は片手間に水滴の散った鮮やかな青色の爪を弄りながら言葉を続けた。
「っつか一緒に遊ばない?」
『一緒に?まあ、あなたの願いは私と一緒に遊びたいなのね。』
「そー!伽藍ちゃんボッチだから、友達になってよ!」
『もちろんよ。あなたの願いを叶えてあげる。だから今から言う所に来て頂戴ね。』
電話の向こうの少女が告げたのは、今は廃墟と化した病院の名前だった。楽しそうに紡がれる少女の声色に合わせて、伽藍もまた同じように声を弾ませる。にやけた顔が戻りそうにない。
爪に散った水滴は、既にコンクリートの床に落ちている。そこに伽藍が居たことを示すかのように、フードの水と相まって、歪な円を描いていた。けれどもそれもまたすぐに乾いてしまうのだろう。
伽藍は明るい声色のまま、電話の向こうに『またね』を告げるやいなや、静かに表情を戻した。
我ながら清々しいとさえ思う。だって、ここまでぜーんぶ。
――――嘘八百。
がちゃん、電話を切る無機質な音が、狭い箱の中で響いた。
鵠・酉(郭公・h07564)は少年然とした外見に、黒いカッパを着て闇に紛れていた。深夜。雨は変わらず降り続けている。音もたてぬまま、電話ボックスに忍び寄りその明かりを静かに眺めていた。
気弱そうな外見ではあるが、酉は汎神解剖機関から依頼を受けて怪異解剖士としての仕事もこなしている身でもある。今回電話の相手との対話は他の者に任せて、自らは猫の形をした影に周囲の警戒・並びに怪異の手掛かりを探してもらう事にした。
「忽然と現れて、噂をエサに人々を誘き寄せる電話ボックスですか……どこかチョウチンアンコウを彷彿とさせますね。」
失せ物探しを行う酉がぽつりと呟いた。ともすれば、行方不明になった者たちの安否も気になる所だ。
「行方不明になった方の痕跡が残っていればいいのですが……。」
雨は明け方まで続くらしい。早い所見つけてしまわなければ、他にも犠牲者が出るかもしれない。悪天候の中、物を探すというのは中々難しいが、酉は電話ボックスの明かりを頼りに、影であるスワンプに作り出してもらった影人形の猫たちと、電話ボックスの周辺を懸命に探した。
「何か見つかりましたか?」
酉は猫たちに問いかける。すると、一匹の影人形である猫が酉の前に現れた。何かを見つけたのだろう。こちらだと言わんばかりに、草むらの方へと歩む。
「これは……。行方不明者の物でしょうか?」
そこに落ちていたのは、大きなリボンが特徴的な赤い長財布だった。中身は抜き取られていないようで、身分証も現金もカードも綺麗に揃っている。
ただ、財布は草むらに落ちていたこともあってか泥が付着しており、所々傷だらけになっているようだ。しかしさほど大きな問題にはならないだろう。
「これがあれば、ここに来ている誰かしらがこの方の痕跡を辿ることが出来るかもしれません。」
影人形の猫が鳴き声をあげた。その直後。
コール音が鳴り響く。
酉は電話ボックスを見つめ、首を振った。
「電話越しに精神干渉を受けて、大元の所へ向かうよう暗示をかけられる可能性もあるので、僕は電話ボックスにはノータッチです。それに、他の手掛かりも見つかるかもしれません。」
鳴り続ける電話を他の者に任せ、酉は財布を片手に更なる手がかりを探すのだった。
レインコートで雨の対策を行う雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)は、噂の電話ボックスの前で、早速調査を開始していた。暗闇の中で目立つ光、一見してどこにでもあるような電話ボックスのようだが、もしかすると普通ではない箇所が見つかると思ったからだ。
弱い雨が叩きつける中、好奇心を隠すこともせずに電話ボックスの周りを観察する。
「うひょー!真夜中に突然現れる電話ボックスなんて、ホラーっぽくていいね!」
今の所は変わった部分は見受けられない。それでもらぴかは胸を弾ませて電話ボックスの観察を続ける。なぜなら、らぴかはホラーが好きだからだ。怖くはあるものの、ホラー好きともなれば黙ってはおけない。
「こりゃあ楽しみだね!」
もしかすると、と言う心当たりもあるにはあった。だからこそ、ピンク色の瞳を輝かせ、電話が鳴るのを今か今かと待つ。中の調査もと扉に手をかけた所で、甲高いコール音が鳴り響いた。
「電話だ!もしもし!」
元気よく電話に出たらぴかは、受話器を片耳に添えて電話の向こうから聞こえて来る声に集中をする。輝かせたままの瞳が、今のらぴかの心情を現していた。
(一体どんな声が聞こえて来るのだろう。ノイズ?それとも行方不明者の助け?)
暫くして受話器の向こうからは、幼い子どもの声が聞こえて来た。
『もしもし、可愛い人。あなたのお願いを叶えてあげる。』
「噂通りだ……!」
噂通りの言葉だ。しかし、らぴかはそんな声にも臆することなく、ストレートに問いかけることにした。まどろっこしいやり取りよりも、こうしてストレートに聞いた方が分かりやすい。
「この電話ボックスを出して、電話かけてきてるのは誰でどこにいるの?」
『そうねぇ……。』
少女は暫く考えているのか、無音が続く。時折ノイズが走るのは、怪異を相手にしているからかもしれない。それがまたホラーっぽさを演出している気がして、らぴかの鼓動は早まる。
『ここに来てくれる?山奥の病院。住所は――。』
少女の告げた場所は、今ではもう廃墟と化した病院だ。片手間に住所を調べたらぴかは明るい調子で頷く。
「わかった!そこに行けば、行方不明者もキミにも会えるんだね!」
『ええ、その通りよ。皆ここにいるの。だからあなたの事も、待っているわね。』
ぷつんと電話が途切れた。
らぴかの読み通りだ。行方不明者は電話の相手である怪異に連れて行かれたようだ。しかも相手は廃病院にいるらしい。
「よし!行方不明者を助けないとね!」
らぴかは受話器を元の場所に戻し、ピンクのブーツで駆け出した。
「真夜中に、十字路の真ん中に出現する電話ボックス。行方不明者に関しては口伝のみにて現在所轄警察にて調査中……。」
桂木・伊澄(蒼眼の|超知覚者《サイコメトラー》・h07447)はレインコートで雨を凌ぎながら、事前に目を通していた資料を思い返していた。
星詠みが言うのであれば、確実に被害が出ている。明らかに怪異の仕業だと分かる案件だ。
「となれば|こちら《異能捜査》の管轄だ。」
そう結論付けて、問題の電話ボックスに向かうべく、十字路へと足を踏み入れた。
レインコートを叩く雨音が緊張感を増幅させる。問題の電話ボックスの出現を、今か今かと待つ伊澄が時計を確認したその時。
――プルルルルル。
電話が鳴り響いた。
「これが問題の電話ボックス……。」
伊澄は軽く雨水を払い、電話ボックスの中へと入る。星詠みの言っていた通り、切れる様子はないようだ。ならばと受話器を手に取り、片耳に押し当てた。
「もしもし。」
『こんばんは。あなたの願いを叶えてあげるわ。』
随分と幼い少女の声に思える。資料通りの言葉だ。伊澄は一人、頷いた。
(資料の通りだ……。)
「そうだな、あんたのことを教えてくれよ。」
『私のこと?』
「名は?目的は?……そして浚った人間はどうした?」
沈黙が続く。犯人と話をするのならば、それ相応の緊張も走るだろう。払いきれなかった雨水が、受話器を持つ掌を湿らせる。
『ふふ、ふふふ。面白いことを言うのね。あなた、警察の人?』
「こちらの質問に答えるんだ。」
『ねぇ、私をどうするの?』
「然るべき処置を施す。」
『まあ、怖い。』
受話器の向こうで少女は笑う。
『そうねぇ……。可愛い子を探して来て。物でも人でも何でもいいわ。そうしたら、教えてあげる。』
伊澄が次の言葉を告げる前に、少女は言葉を挟んだ。
『私のいる場所を教えるから、ちゃんと持ってきてね。いい?まずは――。』
「ちょ、ちょっと待って。」
伊澄は慌ててメモを出来る物をポケットから取り出す。受話器の向こうで、少女は住所を告げた。メモに住所を書き込みながら、伊澄は手を止めた。少女が告げた場所。そこは既に廃墟と化した病院だったからだ。
(ここは既に廃病院となっているはず。そんな場所に、なぜ?罠……?)
『それじゃ、よろしくね。』
楽しそうな声が途切れた。受話器の向こうからは無機質な音が響いている。
「何はともあれ、行ってみない事には何も分からない、か……。」
湿った手を拭い、伊澄は廃病院へと足早に向かった。
傘を差す。生憎だが偽蒼・紡(『都市伝説の語り手』・h04684)は『家まで送りましょうか?』とは言わない。それは別の機会に。そしてトンネルの近くにいる別の者に任せよう。
紡が傘を差す理由は、濡れた服が少し不快だから。濡れることは良い。問題はその後だ。
水溜まりを避けるように歩く足は無意識だろうか、しかしそのお陰で紡の服は未だ濡れていない。
(『雨の日の夜十字路に現れる公衆電話』シュチュエーションもいいしまるで『都市伝説』の一つみたいで面白いよね。)
胸の中では噂の相手を楽しみにしているというのに、傘からはみ出した靴の先が僅かに濡れる程度だ。
かく言う紡も都市伝説の語り手という『都市伝説』が人の形を成したものだ。見た目こそ、普通の青年となんら変わりはない。足早に電話ボックスへと向かっていた矢先、紡の耳にコール音が届いた。
――プルルルル。
「ああ、これだ。」
紡はいつもの調子で受話器を取る。
「やぁ、こんばんは。」
『こんばんは、あなたの願いを叶えてあげる。』
噂の通りの言葉だ。電話の向こうは少女の怪異だろうか。高めの幼い声が紡の耳に届く。
「望み?」
『そうよ、あなたの望み。』
「あいにく俺にはそう言うものがないんだけど……そうだな君の話しが聞きたいってのはダメかい?」
人と話をすることは、嫌いではない。紡が選んだのは、このまま相手と話を続けるという選択肢だ。まるで都市伝説のような相手との会話は、きっと楽しいに違いない。紡は受話器を耳に当てたまま、相手の反応を待つ。
『まあ、素敵な誘い文句ね。』
そんなつもりはなかったが、どうやら相手は話を続けてくれるらしい。
「それはありがとう。君の話が聞きたいというのは本当だからね。」
『でもそうね……私の話が聞きたいなら、可愛い物を持ってきて頂戴。』
「可愛い物?」
『そう、可愛い物。人でも物でもなんでもいいの。持ってきてくれたら、あなたと話すわ。』
そう言って、少女は更に言葉を続ける。少女の声がノイズに邪魔をされ始めた。途切れ途切れの言葉の中で、かろうじて聞き取れたのは『山の奥の病院』とその病院の名前だった。
そういったものを語る紡には、聞き馴染みのある場所だったかもしれない。確かにそこは、既に廃墟と化した場所だ。
『待っているわ』
最後にノイズ混じりの声と共に、電話が切れた。
「廃病院か……。また一つ、楽しみが増えたな。」
廃病院と言えば、数多の都市伝説が眠る場所。一を探せば百が出て来る場所でもある。来た時と同じように、服が濡れぬようにと傘を広げ、紡は廃病院に思いを馳せるのであった。
闇にとける黒い傘。それを弄ぶようにくるくると回しながら歩むのは、リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)だ。
光の届かない場所。そんな場所で見上げる虚から落ちる雫は、自らの足元を黒く染め上げる。まさに闇が降ると言うに相応しい。そんな事を思いながら回した傘で、夜を染めた。
不意に耳を震わせる音が届く。兎の耳が僅かに動いた。いつもの聞きなれた音ではないけれど、恋人からの着信を待ち侘びたかのような。この音だけで心が弾むリリアーニャは、闇を纏った身を電話ボックスへと滑り込ませる。
「――もしもし?」
第一声は、甘さを含んだ声。
『もしもし、可愛い人。あなたのお願いを叶えてあげる。』
聞こえてきたのは、高いソプラノ。漸く聞けたその声に、リリアーニャの心が震える。
「……ああ、随分と待たせてくれたわね。私、あなたを待っていたの。」
『まあ、本当に?嬉しいわ。』
「ずっと雨の中に独りで寂しかった。」
電話の向こうへとかける言葉は、此方も|まだ《・・》少女めかした甘え声。鋭い爪を隠し、野で毛繕いをする微睡みの音。
「噂で聞いたの。願い事を叶えてくれるのでしょう?」
新しい玩具を見つけた顔を隠しもせずに、わざとらしく唇を尖らせては人差し指でくるくるとコードの螺旋を巻き付けた。
『もちろんよ。あなたの願いを叶えてあげるわ。』
待っていた。ぴたりと指が止まり、微睡む表情が一瞬のうちに歪んだ。黒薔薇の棘を含んだ声色、隠した牙が僅かに覗く。
「だったら今すぐここへ会いにきて、私を抱き締めてくれない?」
『抱き締める?あなたを?』
「……兎を一匹慰めるくらい造作もないことでしょう。」
電話ボックスの明かりが、明滅を繰り返す。電話の向こうの少女が動揺をしているのを、リリアーニャは聞き逃さなかった。
「このままひとりで放っておかれたらどうなってしまうか……。あんな噂、まったくの嘘だったって世界中に言いふらしてしまうかもよ。」
『ふふ。私を脅すつもり?でも残念ね。あなたを抱き締める両手はあるのだけれど、あなたに会いに行くためのとびっきりの靴がないの。』
「その靴が私よりも大切なの?」
『ええ、大切で必要なの。あなたよりも可愛く着飾らなくっちゃ。だからここまでは自分の足で来て?』
ここ。と電話の向こうの相手は律儀に住所を告げた。
『あなたにはとっておきのプレゼントを用意しておくわね。』
「ふふ、楽しみに待っているわ。」
ばちん、と電話ボックス内の電気が切れる。後に残るは、夜に紛れた兎だけ。リリアーニャは再び空を見上げ、息を吐き出す。
「雨って濡れるから好かないわ。」
しかし、闇は降り続ける。リリアーニャは、雨を凌ぐ傘を開いた。
「……さあ、怪異さんは期待に応えてくれるかしら?」
くるくるり。
傘に隠されたリリアーニャの表情は、雨だけが知っている。
現場に向かう一声を小さく零し、明日咲・理(月影・h02964)はフードを深く被った。視界はあまり良いとは言えない。
電話ボックスの明りに目を細め、理は拳を握りしめた。理の願いは復讐だ。それも弟や妹たちを亡き者へとした奴らに向けたもの。他人の手で叶えるのではなく、それは自らの手で成し遂げたい事だ。この手で叶えるからこそ意味がある。
その他の願いと言えば、脳裏をよぎったのは『知り合いたちの永い幸福。』しかしこれもまた、怪異に願う事ではない。ならば何を願おうか。電話ボックスへと足を踏み入れ、未だ声をあげない緑の電話と向き合ってはみたが、いまいちピンと来なかった。
雨音ばかりが響く。早くしろと言わんばかりに戸を叩いているようだ。
難しい顔で電話と睨み合うこと数分。ついにコール音が響いた。
「……もしもし。」
『もしもし。あなたのお願いはなぁに?』
随分と愛らしい声だ。懐かしさに綻んでしまいそうになるのを堪え、理は口を引き結ぶ。相手は妹ではなく怪異だ。それに今は、仕事を遂行しなければならない。
(願いか……適当に言っても良いのだが。)
『聞いているかしら?』
不安げな少女の声が聞こえた。首を振り思考を振り払う。意識を引き戻した理は、嘘偽りなく真っ直ぐに言葉を伝えた。
「ああ、聞いてる。お前に会いたい。」
『まあ。私に?』
喜んでいるのだろうか、少女の声が少しだけ弾んだ。この声の主と会う事で、行方不明者を見つけることが出来るのなら。そして助けることが出来るのなら、この手で彼らを助けたい。ならば告げる願いは一つに絞られる。
「俺を連れて行け。それが俺の願いだ。」
『真っ直ぐで分かりやすいお願いね。』
受話器の向こうで笑い声がする。少女が笑ったと言う事は分かったが、強まる雨音とノイズ混じりの声は次第に遠くなって行く一方だ。
『いいわ。でもその代わりに、可愛い物を持ってきて。人でも物でもなんでもいいの。』
「かわいい……?」
それが今回の件と何の関係があるのかは分からなかったが、漠然とした注文に、握っていた拳の力が緩む。
「……分かった。持って行く。場所は?」
拒否をすると言う選択肢は、今の理には無い。片耳は少女の声を、もう片方の耳は雨音を拾う。ぷつぷつと途切れて行く声を、聞き逃さぬようにと受話器を耳に押し付けて、拾い上げた単語を復唱した。山の奥。廃墟と化した病院。病院の名前。恐らくそこには行方不明者もいる。
行方不明者が怪異に攫われて、未だ闇の中にいるのであれば人の世へと連れ戻す。理は受話器を置く。そんな決意を胸に、電話ボックスから外へと出た。
身を叩きつける雨が、早く行けと急かしているようだった。
「背が高いんだから持って。」
傘の中で一際響く第一声。つり目がちな瞳を更につり上げ、首を上に向けたルイ・ミサ(天秤・h02050)は、持っていた傘の柄を隣の男の腕に押し付ける。
「相合傘は男が持つものでしょ?」
「時代錯誤も甚だしい。」
彼女に合わせて身ごと曲げていた男――七・ザネリ(夜探し・h01301)は、お辞儀をしていた首を定位置へと戻し、押し付けられた傘を受け取った。
「お前に持たせると俺の首が折れちまう。」
それでも猫背に変わりは無いが、傘の中で丸くなるよりかはましだ。自分を中心に傘を掲げ、自分のペースで歩みを進める。ルイよりも大きな一歩。その一歩に負けじと大きな一歩を踏み出すルイだが、自分基準で差された傘は意味をなさず、ウェーブを描く長い髪も自らの左肩も悲しきかな冷たい雨に濡れてしまう。
「髪が濡れる……。傘、もっとこっちに~。」
そんな声を聞いているのかいないのか、ザネリは傘を右肩に担いでみたり、吹き付ける風とは逆の方向に向けてみたりと呑気なものだ。それに合わせてルイも、自らの身を傘のある方へと滑り込ませてみたが、どうにもこうにも埒が明かない。
「ひひ、愉快。」
その実、ザネリは彼女を濡らしにかかっているのだから、濡れないという選択肢が、ルイには用意されていないのだ。
「ああもう、返せ。」
そうしてまた冒頭に戻る。
そんなやり取りを繰り返していた最中、噂の電話ボックスの前へとやって来たようだ。十字路の真ん中で鎮座をしているそれは、非常に怪しいが外から見る分には普通の電話ボックスと同じようだ。
「これが件の電話ボックスか。もっと禍々しいもんかと思ったが。」
「電話ボックスって最近あまり見ないし。」
こんな場所に置かれた電話ボックスなんて、自分から怪しいですと主張をしているような物だ。会話の最中、ルイは行方不明の女を思い、首を傾げる。
「鳴っていても普通出るか?」
「おびき寄せ能力が高いのかな……。」
一連の流れから仮説を導き出し、自らの頭で更に組み立てようとしていた矢先の事だ。
――プルルルル。
「ああ……いかにも怪しいトラップって感じだな。」
「元気でいいじゃねえか。」
なおもコール音が響き続ける。
「うるせえ。」
箱の中と外。鳴り続ける電話。無視をしたらどうなるのだろうか。ザネリの好奇心がむくむくと沸き上がった。
「ひひ、ルイミサ呼ばれているぞ。」
「お先にどうぞ。」
そう言いながらも自らの好奇心に白旗を挙げたザネリは、電話ボックスの扉を開いていた。
しかし――。
「せめーな、オイ。」
「……近い。狭いんだから、もうちょっとそっち行って?」
「こっちも限界だ。」
電話の相手と会話をする前に、新たな問題が発生したのである。女性が二人で入るならまだしも、細いとは言え相手はルイよりも大きな男だ。ザネリの身体は、電話と壁の隙間にみっちりと追いやられ、ルイの左肩は受話器が邪魔をしているのか、良いスペースにおさまれないままでいる。
「ほら鳴ってる。出て、出て。」
「お前が寄れチビ、あ?俺が取るのか?せめてジャンケンで決めろ。」
電話の上に右肘を置いたザネリが静かに拳を握った。最初はグーの構えだ。ルイも右手を掲げる。掲げる際にザネリの脇腹に肘が当たったが、今は良しとしよう。コール音が響く中、二人の戦いが始まった。
最初はグーから始まる勝負はすぐに決着がつくだろう。チョキを出したルイがパーを出したザネリに勝ったのだ。顔を僅かに持ち上げて勝ち誇った表情を晒すルイは、自らの目の前で今か今かと待ちわびる受話器をザネリに手渡す。
「はい、こちら……はくちょう座。」
『もしもし、あなたのお願いを叶えてあげる。』
「セールスならお断りと言いたいところだが。随分と魅力的な提案だなァ。」
電話の向こうから聞こえて来た声は少女の物だ。
「おまえがほんとうにかなえてくれるのか?」
少しの間があった。ザネリが少女へと問う間。少女が答える間。
『ええ、もちろんよ。』
「首のない男を探している。」
「随分とな。」
緊張の糸が張り詰める。ルイは二人のやりとりを壁に寄りかかって聞いていた。
(相変わらず妙なものを探している男だ……。)
腕を組み、瞼を閉じた。叩きつける雨音が強くなりつつあるのを、全身で感じ取る。湿った髪も服も、まだ乾きそうにない。
「ヒヒ、報酬は弾むぞ。」
『首のない男なら沢山いるわよ?』
笑っていたザネリの口角が落ちた。一瞬の空白を感じ取ったルイは、片目を開くに留める。電話を肘置きにしているザネリがいるのだから、少しでも動いてしまえば彼の顎を頭突きかねない。だから彼の表情を見ることは出来なかったのだ。
「対価は何をお望みだ?」
『可愛い物。人でもいいわ。それを持ってきて頂戴。場所を教えるから、きちんと覚えてね。』
「山奥。廃病院……罠では?」
「ひひ、罠か。」
電話はとうに切れていた。場所を告げた相手が自ら切ったのだろう。受話器を手放し、ザネリはルイを押し退けてこの狭い箱から抜け出した。罠であるならば引っ掛かりに行くのも悪くない。三日月を模る口を隠しもせずに、ザネリは一歩を踏み出した。
「おい、濡れる。」
自分を中心に開かれた傘は再びルイを濡らす。そんなザネリを追い、ルイもまた電話ボックスを後にする。また濡れる訳にはいかない。ザネリから傘を奪い取ったルイは、彼と共に夜雨に消えた。
手放した受話器は、宙吊りのまま無機質な音を響かせていた。
ナギ・オルファンジア(■からの|堕慧仔《オトシゴ》・h05496)は、竜胆が咲く傘を開き四つ辻に立つ。闇の中では、美しい花弁が光に透けることはないが、電話ボックスの僅かな光を受け、ナギと竜胆の柄の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。
今時、電話ボックスだなんてものはあまり見かけない。生まれたばかりの赤子や、√能力者の中でも電話ボックスという物を触れたことが無い者もいるだろう。そんなナギも、電話ボックスにはレトロだという感想を抱いていた。
しかし、その電話ボックスが現れる瞬間をこの目で見たい。一体いつ、どうやって現れるのだろうか。疑問を浮かび上がらせ、傘の中で待つ事数分。噂の電話ボックスは蜃気楼のように揺らめきながら、その場に現れた。
「……おやまあ。」
周囲を一周。ぐるりと見渡し、不審な点が無いかを確認。現れ方が現れ方だったが、どうやら町で見かける物と変わりない様子。
「住所はここと同じ、番号は書かれていない。」
そんな折にコール音が響き渡る。しかし、ナギはそれどころではなかった。周囲をもう一周。汚れないようにと着物の裾を折りたたみ、その場にしゃがみ込む。どこかに落書きは?その他変わった点はないだろうか。真剣に、けれども楽しみながら電話ボックスの観察を続けた。
(ふふ、怪異ですから文字化けしていたりして?)
一頻りの観察を終えたナギは着物の裾に気を付けながら立ち上がり、未だ鳴り続ける電話と向き合う。観察は終わった。そろそろ電話の向こうの相手と話をしてみようと言う気になったのだ。
扉を開き、受話器を持ち上げる。
「やぁご機嫌よう、お待たせしたね。」
『もしもし、可愛い人。かなり待ったわ。お願いごとを考えていたのかしら?』
少女の声だ。おおよそ少女らしからぬ口調ではあったが、声のトーンや色は幼い子の物だ。
「いいえ。願いを叶えてくれるという親切な君、噂の貴方。私は感銘を受けてやみません。」
『あらそう?』
「はい。とても。」
「どうしてそのような考えに至ったのかな?そのお顔を拝見しながらお話を拝聴したいというこの願いは、果たして叶うものでしょうか?」
『まあ……!』
電話の向こうの相手の声が弾んだ。感銘を受けている上に、自ら会いたいと言うのだから、この上なく嬉しいのだろう。
『会いに来てくれるのね。なら、話は早いわ。』
「今すぐに願いを叶えてくれるのかな?」
『そうよ。でも私、かわいい靴が無いから……あなたの所に行けないわ。だから会いに来て。』
場所は山奥の廃病院。律儀に病院の名前も告げるのだから、片手間に住所を調べ、少女のいるであろう場所を割り出すことが出来た。
「ここかぁ……。」
『待っているわ。』
電話が途切れる。受話器を元の場所に戻し、ナギは電話ボックスから出る。一人とは言え、蒸した電話ボックス内は暑かった。竜胆柄の傘を差し、夜風を浴びたナギは少しの好奇心を胸に、歩みを進めるのであった。
第2章 集団戦 『被害者』

山の奥。廃病院。病院の名前は――。
電話の向こうの少女が告げた病院は、今はもう廃墟と化した場所だった。耐久性を失い、地へと崩れ落ちた壁。むきだしの鉄骨。かろうじて部屋としての形を残している場所もあるようだが、この雨によってぬかるんだ地面を思えば、服を汚さぬように進むことは難しいだろう。
『あなたも誘われて来たのね。』
『あなたも騙されたのね。』
『僕のぬいぐるみはどこ?』
被害者たちの囁きが聞こえる。ここに足を踏み入れたあなたたちを、彼らはどこかで見ているのだろう。攻撃性の高い者、怯えて隠れている者、興味を示す者と様々だ。
ここにいると言う事は、電話の相手のことを何か知っているかもしれない。会話から何かを引き出すことも出来るかもしれない。もちろん、そのまま彼らを弔うことも出来るだろう。どのような方法を取るかは、あなたたち次第だ。
「廃病院、荒れ果てていますよね。お着物が汚れてしまうなぁ。」
瓦礫の山へと渋々と足を踏み入れるナギ・オルファンジアは、着物をたくし上げ懸命に鉄骨を乗り越えていた。少し先には、同じように瓦礫を超える桂木・伊澄の姿が見える。漸くを瓦礫を越え病院の待合らしき場所に出た二人は、この廃病院の異変を目にする。
「これは……。同じく電話BOXの声の持ち主に誘いざなわれて来た者達だというのか?」
「どうやらそのようですね。」
「これだけ犠牲者が出ているというわけか……。」
引き裂かれたソファーに座る大小の影。受付の中に隠れる影。その他にもいるのだろう。中にはここで日常生活でも送っているかのように、廊下をあるく影も見受けられる。
「幼い子供もいるようだ…くそ、一刻も早く大元の怪異を始末しなくては……!」
「彼女は可愛い靴が無いと仰っていましたが、それ以外は足りているのかしら。」
ここにいる者たちを案じながらも、電話の少女について思いを馳せるナギと拳を握りしめて怒りに震える伊澄。対の反応を見せた二人は、真っ直ぐに受付に居る被害者たちと向き合った。
「やぁ善き夜だね、皆さん。」
泥水で汚れてしまった着物の裾を軽くたくし上げ、ナギは一歩前に出た。落ち着いたナギの声に、漂う被害者たちが振り向く。伊澄は二丁の拳銃を構え、ナギの背後についた。
「君は何を願ったのかな?そちらの君は?」
もう一歩、被害者に近付く。ナギの周囲に漂うのはショコラの香り。指先で挟んだ葉巻を手持ち無沙汰にゆらゆらと揺らす。
「相手が何者かもわからないのに、対価も考えず願ったのか。」
被害者の数は多い。全員が全員敵意を見せている訳では無かった。話しに耳を傾ける者ももちろん居る。その時、緩やかな声色で話しを続けていたナギの頭上に、硝子の破片が浮遊した。着実に命を狙いに来ている。それはまるでナギの言葉を遮るかのような、対価を考えずに美味しい話に乗ってしまった誰かからの反抗のような。黙れと言わんばかりに、鋭い切っ先がナギを目掛けて降り注ぐ。
「………ふ、何と愛らしいこと。」
重い発砲音が三度。弾は宙で硝子を砕き、粉々になった粒子が飛び散る。ナギの一声を皮切りに、後ろで控えていた伊澄が怨念によって浮遊した硝子の破片を、余すことなく全て撃ち抜いていたのだ。
「怪我はない?」
「お陰様で。」
竜胆柄の傘をくるりと回す。その間わずかコンマ数秒にも満たないだろう。声をあげてすぐに傘を開いたのか、飛び散った破片を浴びることもなく、ナギは伊澄を振り返った。
「一体どんな目にあったのか……語るのも辛いだろうな。」
「そのようですね。」
伊澄の銃口は一つの影を捉える。この中から敵意を持った者を見つけ出すことは容易い。二人を見つめる一つの影。怒りに揺らぐ被害者が、今度は数えきれないほどの硝子を浮遊させ、二人を取り囲う。
「此処は退屈でしょう。」
鈍色の蜥蜴の姿を取る影がナギの足元を這い、言葉と共に吐き出した煙が優美な琉金を模る。琉金は宙を泳ぎ伊澄についた。
「その子は防御と迎撃を好みます。」
「助かる。」
「……それでは。」
「そろそろ余所へ行かれたら?」
ナギの言葉を合図に二人は地を蹴った。
「降り注ぐ銃弾の雨から逃れられるかな。」
際限なく降り注ぐ|銃弾の雨《バレットレイン》。相手が硝子の雨を降らせるのであれば、こちらは銃弾の雨で全てを撃ち抜く。崩れかけた柱に身を滑り込ませ、柱を盾代わりに引き金を引き続ける。
「ここに留まっていてもいい事なんてないだろ。」
硝子の雨は伊澄を狙った。柱からソファーの影へ、時には倒れた机を盾代わりに、硝子を撃ち抜きながら伊澄は被害者に言葉を投げ続けた。
被害者からの反抗。それともこうなってしまった事への怒りだろうか。硝子の雨が止むことは無い。であるならば、直接銃弾の雨で終わらせるしかない。
「狩りを御笑覧あれ。」
影と影の隙間を縫い、迫りくる硝子片へと飛び乗る鈍色の蜥蜴。伊澄へと向かった硝子片もナギの影業である兜御門守宮が弾き、粉々に砕いて行く。防御も迎撃も琉金が行ってくれている。あとは一瞬の隙をつくだけだ。
四方八方から襲い来る硝子片を二人と一匹は粉々に砕いて行く。雨と共に硝子が飛び散り、動く度に泥が跳ねては自らの足を引き留めようとまとわりつくようだ。
「消えた先がどうなっているのかは知らないけどここよりずっとマシだと思う。」
宙を舞う硝子の動きが一瞬だけ止まった。二人は視線を交わす。銃口を被害者に向け、それと同時に鈍色の蜥蜴と琉金が動く。
「と、そう俺は思うぞ!」
「次の生はどうぞもっと愉しまれてね!」
硝子の僅かな隙をついて被害者を貫くと、怒りに打ち震えていた影の動きが止まった。
影はゆらゆらと篝火のごとく揺らぎ、やがて闇の中へと消えて行った。
「うひょー!廃病院ってめっちゃホラースポット!」
雪月・らぴかは、廃病院に足を踏み入れるなり、そのホラーな内装に興奮した声をあげる。何も居なければただの廃墟。吹き抜ける風の音が幽霊の囁きに聞こえていたかもしれない。それはもうホラーな雰囲気満点で、恐らく足も竦みそうになっていただろう。
(何かがでそうなだけだったら結構怖かったかもだけど、被害者がいることがわかってるとそうでもないね!その気になれば倒せる存在って安心感があるのかな?)
周囲を見渡すと、先に足を踏み入れた者たちが既に一戦を終えた所だろうか。受付周りは幾分か歩きやすくなっているようだ。
「ここは大丈夫そう!あっちはどうかな?」
まずは安全を確保するべく、らぴかは別の道を探す。どこもかしこも被害者だらけだ。敵意のある者を見つけることは容易いだろうが、敵意の無い者もいる。その者たちを巻き込むわけにはいかない。ならばと無防備なふりをし、相手の攻撃を待つことにした。
廊下を歩き、待合室らしき場所へと辿り着いたその時、らぴかの耳に喉を張り裂くような絶叫が届いた。思わず耳を塞ぎ絶叫をやり過ごすと、目の前には細身の影が現れる。身長はらぴかよりも小さい。学生の被害者だろうか、揺らめく影の中から時折セーラー服のようなスカートの裾が見受けられた。
「現れたね!こいこい集まれ吹雪の力っ!ズバッと一発れっつごー!」
淡く白い光を纏った左手を握りしめ、らぴかはそのまま拳を振りかざした。荒れ狂う吹雪の力。その力でらぴかは吹雪の如く走り抜け、被害者の懐へともぐりこむ。
「本当は、やられる前にやりたかったんだけど、怯えている子もいるからね!無害な子を攻撃するつもりはないよ!」
事実、らぴかの背後。待合室のソファーの影に隠れるようにして小さな影が様子を伺っているのを、らぴかはこの戦いの前に見ていた。無防備なふりをして相手の攻撃を待ったかいがあった。金切り声に耳がやられそうにはなったが、相手の出方を伺う事も出来た。懐に潜り込んだらぴかは、吹雪を纏った拳を被害者の腹部を目掛けて一発打ち込む。生身の人間を殴るような柔らかい感覚は無い。霧雨の中に手を伸ばした時の冷気が、らぴかの拳を包み込んでいた。纏った吹雪が被害者の腹部を中心に広がり、やがて白い光は被害者の全身を包み込む。光に包まれた被害者は、最初と同じように金切り声をあげ、吹雪の中に消えて行った。
「これでよし!」
安全は確保できた。これでゆっくりと話が出来るだろう。らぴかはソファーの影に隠れた被害者へと話しかけた。
「もう大丈夫!さっき言葉を聞いたんだけど、誰に騙されて、そいつはどこにいるのかな?」
影は問いかけに応えるように、指を廊下の方へと向ける。瓦礫の積み上げられた廊下の奥を示しているのだろう。
『かわいい物を集めている女の子。でもかわいい物が嫌いな女の子。自分が一番かわいくなくちゃいけない子が、あの廊下の奥にいるよ。』
『私はその子に騙されたの。大切な指輪を取られちゃった。』
「そっか、その子があの向こうにいるんだね!」
影は頷く。
「ありがとう。行ってみるよ!」
らぴかは瓦礫を避けながら、示された廊下の奥へと向かった。
嘗ての形を残していない廃病院で、リリアーニャは闇に紛れて歩みを進める。足音は立てていない。恐らく少女の被害者だろう影たちが、辺りに漂い此方の様子を伺って居たからだ。彼らを刺激しないようにと、爪先を床に落とし水溜りを避けて歩く。
『ぬいぐるみはどこ……?』
いつの間に背後を取られたのだろう。緊張が走る。息を止め、振り返る。そこにいたのは、リリアーニャの腰ほどの高さの小柄な影だ。時折不安定に揺らぎ、嘗ての面影が見え隠れする。影はその場に立ち竦んだまま、リリアーニャを見上げていた。
「突然お邪魔してごめんなさい。私はリリアーニャと言うの。」
「大事なお友達とはぐれてしまったのかしら?私も探すのを手伝ってあげる。」
リリアーニャは膝を折り、差していた傘を小さな影へと傾ける。こんなにも小さな子を、電話の少女は手にかけたのだろうか。それを思うと表情が曇る。腹の奥の奥。許し難いという感情が湧き上がり、溜息を吐き出してしまいそうになる。
「一緒にお話をしながら、ね?」
吐き出しかけた溜息は、微睡む言葉で誤魔化した。今は目の前の子と二人きりだ。その変化を感じ取った者はいない。影が小さく頷くのを捉えると、リリアーニャは立ち上がり影と共に廃病院を歩くことにした。
「実はね、電話でとある人に招かれてここにきたの。てっきり待ち合わせができると思っていたのだけど。あなたは何か知らない?」
欠けた壁の横を通り、嘗ては病室だったのであろう場所を訪れる。鉄のパイプが床に散らばったそこには、もちろんぬいぐるみは見当たらない。
『もしかして、可愛いものが嫌いなあの子かな……?』
リリアーニャの足が止まる。
「知っているの?」
『うん……。あの子はね、かわいいものが嫌いなんだ。自分が一番かわいいから、自分よりもかわいい物も人も嫌いなんだ。』
静かに落ちた声がリリアーニャの兎耳に届く。隣の影が揺らめき、生前の面影を残した姿がはっきりと現れた。短い黒い髪を切りそろえた幼い少女だ。
『お友達ね、赤いリボンのクマの子。その子が取ったの。』
「……どこにいけば会えるかしら。」
子どもの目線に合わせて、リリアーニャはしゃがみ込んだ。二人の視線がぴったりと重なると、子どもは人差し指を持ち上げてリリアーニャの背後を示す。成長した木の枝が道を遮り、その先が見えない。時が止まっている。そう言うに相応しい場所。なぎ倒された木が道を塞ぎ、塗装の剥げた壁や剥き出しの鉄筋に囲われた|廊下《そこ》。
「……あそこに行けば会えるのね。」
『うん。お姉さん……ぬいぐるみ、取り返してくれる?』
リリアーニャは立ち上がる。他者を遠ざけるこの廊下の先。そこに向かえば、我儘な電話の相手に会える。
「もちろんよ。」
『よかった。お姉さん、いってらっしゃい。』
仄暗い感情をひた隠し、廊下へと身体を向ける。来いというのだから、ありったけの愛を持って行こう。私の足を使わせるくらいなのだから、それ相応の楽しみを私に与えてくれなくては。歩き出す手前、リリアーニャは小さな影に向かって片目を閉じた。
――――覗いてみる?
小さな影の隣にリリアーニャはいない。そこには、深淵の闇が佇んでいた。
一文字・伽藍は足元に落ちた病院の案内図を見ていた。現在地と示されたそこは、どうやら受付らしい。砕けた硝子の破片が案内板の上に飛び散り、それらしい雰囲気を醸し出している。
(幽霊の声が聞こえる病院の廃墟とか、百点満点のホラーじゃん。)
案内板に飛び散った硝子を足で避け、汚れた靴に溜息を吐き出す。歩きやすくてデザインもかわいい。おまけにヒールが高い。お気に入りの一足だというのに、今は泥が飛び散り可哀相な姿になっていた。
「こんなとこで、一体何して遊んでくれんだろうな〜電話ボックス君。」
付着した硝子を振り払い、案内図の通りに受付を抜けて適当に歩くことにした。現在地を知る事は大切なのだとホラー映画でも良く言っている。
「ところでそこの曲がり角の君。」
先程から此方を伺う視線には気付いていた。やみくもに歩いていた訳では無いが、背後の気配がどうにも気になってしまったのだ。伽藍に声をかけられるとは思っていなかったのか、視線の相手は驚きに肩を揺らし、慌てて柱の陰に隠れた。
「アッごめんて。めっちゃビビるじゃん……何もしないよ。」
敵意がないことを示すべく、両手を顔の横で振る。それでも相手は震えたまま、伽藍から逃げるようにして隅っこへと隠れてしまった。影の大きさからして、恐らく小学生くらいの子どもだろう。時折柱の陰から顔を覗かせはするものの、伽藍に近付く様子はない。伽藍は人差し指で頬を掻き、本日二度目の溜息を吐き出す。
「しゃがんだ方がいい?これなら怖くない?」
膝を折り、視線を合わせるようにしてしゃがみ込む。柱の向こうの影が、伽藍を静かに見据える。
「ちょっとお喋りしよ〜。」
『……お喋り?お姉さん、何しに来たの?だまされたの?』
どうやら少年のようだ。暗闇に紛れて、黄色のキャップを被った姿が揺らぐ。
「騙されてない。アタシさ、ここで遊ぶ約束があって来たんだけどさ。君はなんでここ居んの?おうちは?」
『遊ぶの?僕と一緒だね。でも僕のリュック、とられちゃった。黄色くてね、丸くてちょっとかわいいリュック。』
『だから探していたんだ。』
「そっかー。でも危ないからお家に帰ろうぜ。」
少年は迷っているのか、視線を落とし自らの服の裾を掴む。家に帰りたいのは山々だが、帰るに帰れないと言った所だろう。口を開閉させ、言葉を口にする前に閉じてしまった。
「だってさ〜こんなとこ居たら、いつまで経っても怖いままだし?帰り道は|クイックシルバー《【きらきら星】》が知ってるからさ。」
『ほんと?』
弾かれるように顔をあげ、伽藍の瞳を真っ直ぐに見つめる。純粋な眼差しが眩しくて、伽藍は少しだけ目を逸らしかけた。
「アタシの自慢の一等星だ。ちょっと眩しいけど、綺麗でしょ。」
きらきらと輝くお星さまの如く、|一等星《クイックシルバー》は少年の頭上で光りを放つ。
『うん、きれいだね。』
「でしょ。」
ここにおいでと言わんばかりに少年は受け皿代わりの両手を光に差し出す。その光が少年の掌におさまったと同時、破裂音を伴って光が弾けた。
「また会えたら、一緒に遊ぼ。」
後に残るは銀色の輝き。伽藍の前でバチ、と光が飛び散った。
ざあざあと、雨は未だに降り続ける。瓦礫を超えた先、廃病院の受付には大小二つの影が佇んでいた。一つは傘を差し、もう一つは濡れ鼠と化した影。周囲を漂う『被害者』たちの声を聞き、大きな影の濡れ鼠のシルエットが口を開いた。
「コイツ等話せるってことは首があるってことじゃねえか。」
七・ザネリは口をへの字に曲げ、硝子の破片が飛び散るソファーへと身を横たえる。脚がはみ出しているが、そんなことはどうでもいい。近くで浮遊する影も、はみ出した靴裏をつつく影も今はどうでもいい。
「俺はふて寝する。任せたルイミサ。」
「よくこんな場所で寝る気になるなぁ……まだ諦めるのは早いぞ。」
ザネリの靴で遊ぶ影へ、ルイ・ミサは一度肩を竦めた。影もまたルイを見つめて肩を竦めて見せる。大きさからして、好奇心旺盛な子どもだろう。ザネリで遊ぶその影も『被害者』の一人と見て取れる。
「地縛霊ってところか。」
ルイは腕を組み、小さな影を観察する。ザネリの靴だけでなく、服から下がる道具の数々にも興味を示しているようだ。これは使えるかもしれない。ふて寝を決め込むザネリの服を、ルイは引っ掴む。
「……何やら、餌に使われている気がするが。仕方ない上下に揺れ。軽やかな合唱をお贈りしよう。」
言われるままに彼の服を揺らすと金属同士の触れ合う音から、きゅうっと空気の抜ける音、硝子のぶつかる透明な音がこの場を彩った。
「こんな場所で退屈だろう?おいで。」
そこにルイの甘やかな旋律が乗り、静かだった受付が一瞬にしてステージと化した。そんな大合唱につられてか、受付のあちらこちらから興味を示す影が顔を覗かせる。
「この男はキミたちに面白い物を見せられるぞ?」
彼らにとっては見事な誘惑だ。甘く吐き出される言の葉も相俟って、影たちは次から次へと二人の前に現れる。
『……ぬいぐるみ。僕のぬいぐるみは?』
「……ぬいぐるみ?ひひ、ここにいるぞ。」
『僕の?』
「お前のじゃあない、俺のだ。イイだろ?ぜってえやらない」
「大人げないな。」
ザネリの服から顔を覗かせた猫のぬいぐるみを見遣り、その影は小さく『いいな』と零した。やはりこちらも子どもなのか、二人よりもうんと小さい。
「ひひ、仕方ねえな触らせてやるよ。」
『ほんとうに?』
影が顔を上げる。闇ばかりが広がる顔面にノイズが走った。影の感情を表現するかのごとく、ノイズの隙間から少年の姿が時折覗く。
「その代わりに、だ。協力しろガキ。」
『きょうりょく?』
「此処に連れて来たやつがいるだろ。電話でお前を誘った、嘘つき女だ。知ってることを吐いてもらおう。」
猫のぬいぐるみへと手を伸ばした少年は、助けを求めるようにルイを見上げる。矢継ぎ早に告げたザネリに変わり、ルイが少年へと言葉を続けた。
「あの女に騙されて来てしまったんだ。」
「キミもそう?」
『……でんわ、だまされる、あっ。そう!僕も!』
「あの女は何者?何が狙いなんだ。」
『おねがいを叶えてくれるっていわれたから、一緒にあそぼうっていったんだ。そしたら、かわいい物を持って来てっていうからもってきたんだけど……。』
「それでどうした。」
『……わたしがいちばんかわいいよね。わたしよりかわいいものは、いらない。って言って、気付いたらこうなってたんだ。』
少年の声に合わせて、周囲の被害者たちも声をあげた。皆々同じようにおびき寄せられ、似たような方法でこの姿となったのだろう。ザネリの足で遊んでいた影も、いつの間にか輪の中へと加わり、同じように頷いていた。
「お前ら。何の対価もなく願いが叶うと思うのか?」
一瞬にして声が止んだ。ザネリの一声に、影たちが黙り込んだからだ。美味しい話には必ず裏がある。少女に誘われたのが運の尽きだろう。被害者たちは皆、対価を少女に差し出したにすぎない。
俯く者、声をあげようとする者、震える者と様々な反応を見せる被害者たちにむけて、ルイは静かに声をあげる。
「キミたちは、自由を望むか?」
影は皆、ルイを見た。
「自由を選ぶ者だけ弔ってあげよう。」
苦しまないように一瞬で。
「おいで織姫、愛が奪われぬように悪魔がしたことを――。」
悪魔へと堕ちた天使。|黒翼陰獣《アスモデウス》。鮮血を啜り、姿を変える。
遠くで雷鳴が鳴り響く。被害者たちが捉えたそれは、黒い翼の。
「ほら、黒い影は天使に見えるだろう?怖くない。」
――――天使だ。
ソファーに身を横たえたまま、ザネリは長い足を組んだ。後の事はルイに任せて、自身は送り火を焚いて待つ事にしたのだ。ふと、服が引っ張られる感覚がした。服の引かれる先を見遣れば、猫のぬいぐるみを持つ少年がいる。少年は不安げな顔で猫を握りしめていた。
「あぁ、お前は俺が送ってやるよ。」
組んだ片足をゆらゆら遊ばせ、夜に目立つ眼を少年に向ける。少年と視線が重なった。送り火に照らされた幼い顔が、ぼんやりと浮かび上がる。枕代わりの腕が自らの服を揺らし、少年を誘う。讃美歌の代わりにはならないが、|子ども《ガキ》をあやす道具にはなるだろう。
「……ガキには少々甘くなるもんだ。」
それは誰の幸福だろうか。かさなる視線が途切れ、少年を目眩ます。静かに弾ける送り火を瞳に宿した少年には、歪む口の端をつり上げて笑うザネリの表情は見えなかった。
打ち付ける雨の合間に、鼻をすする音が聞こえた。
明日咲・理は誰も居ない廊下を、小脇に抱えた花柄のテディベアと共に歩く。電話の少女に言われた通りに『かわいいもの』を持ってきたのだ。
瓦礫を軽々と飛び越え、理は待合室の廊下を通り抜けて、病室らしき場所へと来ていた。
どこからともなく鼻をすする音がする。誰かがこの病室の中で泣いているのだろう。
「……誰かいるのか?」
声をかけたが反応はない。理は慎重に中を進む。雨風に曝されてすっかりと色を落とした部屋の隅。朽ちた机とベッドの隙間に|それ《・・》は居た。
「……どうした?」
影の肩が小さく跳ねる。しかし、顔を上げる様子はない。嘗ての面影だろう。寂しそうに膝を抱えて鼻をすするその子は、おさげの少女だった。
怖がられているのだろうか。未だに顔を上げる様子のない少女を見下ろし、理はあることを思いついた。小脇には、黒くて丸い瞳のその子がいる。
「こんにちは。」
しゃがみ込んでテディベアを少女の方へと突き出す。
「僕はくま次郎。一緒に遊ぼう!」
小さな手をちょこちょこと動かし、隙間からこちらを伺う視線へとテディベアが手を振る。妹や弟をあやす時にそうしたように、裏声でテディベアになりきる。隠れた瞳と視線が重なった時、大粒の涙を見せていた瞳が、次第に細まった。
テディベアへと両手を伸ばし、やわらかな身を包みこむ少女に、理も笑みが浮かぶ。
「……何があったのか話せるか?」
喜んでいた少女の顔が曇り、テディベアに顔を埋めてしまった。
『ママと喧嘩をしたの。』
くぐもった声を拾い上げ、理は真剣に話に耳を傾ける。母親と些細なことで喧嘩をし、その末に家を追い出されてしまったそうだ。途方に暮れていた所、少女は願いをかなえてくれる電話ボックスと出会ったのだ。
『ママと仲直りがしたいってお願いをしたら、ここに来てって言われたんだ。』
テディベアを抱く身が震えている。寒さからか、それとも恐怖か、その両方か。幽霊の知人は物に触れることができなかったが、被害者である少女はそれが出来ている。自らのパーカーを羽織らせてやりたい。ほんの少しの兄心を滲ませ、理が着込んだパーカーに触れた途端、指先が湿った。
(言われた通りに、雨を凌ぐ物を持って来ればよかった。)
今更ながら、傘を持っていないことを後悔してしまった。濡れる指をズボンで拭き、傘がないのであれば自らが傘になろう。理は立ち上がり、大きな身を折り曲げた。
「寒くないか?雨宿りの出来る場所に行こう。」
今は少しでも、少女を安心させてやりたかった。少女の頷きを見送り、二人は廊下を進むことにした。
別の病室では底なしの闇が広がり、後を振り返ると送り火にも似た淡い光がぼんやりと浮かぶ。ここに訪れた者たちの気配を感じ取り、少女に合わせて歩いた。
『ここで、電話で話した子からリボンをもらったんだ。すごく痛くて苦しくなったけど、かわいいリボンだったよ。』
『……そうか。』
『お兄さん、この子。もらってもいいかな……?』
抱きかかえたテディベアを見せ、少女は理を見上げた。もとより電話の相手に渡すつもりで持ってきていたが、少女が落ち着くならと理は二つ返事で頷く。少しでも安寧をもたらすことが出来るのなら、それに越したことはない。
『ありがとう。あの子はこの先にいるよ。お兄さんも会いに行くなら気をつけてね。』
「ああ、ありがとう。行ってくる。」
なぎ倒された木の陰。ここなら雨も凌げるだろう。少女とぬいぐるみに別れを告げ、理は電話の相手が待つであろう扉の向こうを目指した。
硝子の飛び散る受付を通り、所々凍った箇所の見られる待合室を抜けて、偽蒼・紡は診察室へと来ていた。
(あぁ、なるほど彼らは例の彼女の『被害者』というわけか。彼女はすでにこれほどまで被害をだした『怪異』というその証拠だ。)
ここに来ている|√能力者《なかま》も、皆それぞれ『被害者』と対峙をしているのだろう。視界の隅で光が弾けたのを確認すると、紡もまた診察室に向き合う。
「戦って場を納めるのは簡単だが……。」
朽ちた木の机の上には資料がいくつか見受けられるが、どれも文字が霞んで読めない。足元にも紙の束が散乱しており、恐らく写真らしき何かが貼り付けていたのだろうと読み取れはするものの状態が良くない。電話の相手の情報があればと目を向けてみたが、それらしき物は見つからなかった。
「俺としてはもっと彼女の話を聞いてみたいところだね。」
踵を返した所で、紡の前に影が現れる。ゆらゆらと影を揺らめかせ、それは女性の形を模った。
「こんばんは。」
『こんばんは。あなたはどうしてここへ?』
「個人的に興味が湧いたから。彼女は、誘き寄せたと言うのかもしれないけどね。」
「彼女はどんな怪異なんだい?」
目の前の影も電話の相手の被害者ならば、そこから情報を得ることが出来る。女は考えるような素振りを見せた。
「次に接する時の対処法を得られるかも知れない……君たちに無念があるというのなら、それを晴らしてあげられるかも。」
紡は未だ考える素振りを見せる女を言いくるめにかかる。事実、紡の言葉は本当だったからだ。ここで話を聞くことで、対処法が得られる可能性も、無念を晴らすことも出来るかもしれない。
紡のその言葉に納得をした女は、俯いていた顔をあげて漸く重い口を開く。
『あれは、少女の形をした何かよ……。自分が一番かわいくなければいけない。自分よりもかわいい物は全てを排除しにかかる。』
「……なるほどね。それで?」
『噂によれば彼女は、無数の少女の執着や嫉妬から生み出された者。私は彼女が生み出した花によって……。』
その時の事を思い出したくないとでも言いたげに、影は首を横に振った。紡自身もそれについては特に触れることはせず、黙って話の続きを促す。
『もしその子の元に向かうのであれば、花には気を付けて。見た目こそ綺麗だけど、あれは体の中で芽吹くから……。』
「忠告をありがとう。その時は気を付けるよ。」
感謝の言葉を告げた紡は、女の横を通り診察室を出る。電話の少女についての大まかな情報を得ることは出来た。被害者である女もこちらに手を出さないのであれば、こちらもまた手を出す必要はない。
「さて。その子は一体どこにいるのかな。俺の期待通りの怪異だといいんだけど。」
雨はまだ止んでいないようだが、次なる情報を得るべく紡は被害者だらけの廊下を突き進んだ。
第3章 ボス戦 『指定災厄『白花のラナン』』

木々が折り重なる廊下の先、そこには扉があった。その扉に手をかけ、あなたたちは中へと足を踏み入れる。
『ハッピーバースデー!』
派手なクラッカーと共に、電話の向こうの声が響いた。来る者を拒む外の様子とは打って変わり、この部屋だけが異様に可愛く整えられている。
淡いピンクと水色に塗られたには白いリボン、辺りにはメルヘンチックなメリーゴーランドや兵隊のおもちゃが見受けられる。鉄骨がむき出しとなった床には布製の白い花が敷き詰められ、言葉の通りの花の絨毯となる。
そんなメルヘンチックな部屋の中央、そこにはこの場所には不釣り合いな者達がいた。頭を垂れるようにして座った男の首は落ち、絶望に染まる女の口からは白い花が芽吹いている。その他にも、数多の被害者たちが折り重なり屍の山を作り出していた。
屍の山の頂で白いワンピースの少女が、あなたたちを見下ろす。
『誕生日は主役がお姫様になれる日。』
『ここでは私が|お姫様《主役》。』
『私よりもかわいいものを、全部、全部なくして、私が一番だってみんなにおしえるの。』
『さあ、あなたのおねがいはなあに?』
少女は白いスカートの裾をつまみ上げ、浅くお辞儀をした。
桂木・伊澄と雪月・らぴかは屍の山の頂に君臨をする『白花のラナン』と対峙していた。
「うひょー!なんか可愛くないのがいる!」
「ようやく電話の声の主とのご対面か。」
『ようこそ。可愛いものは持ってきてくれた?それとも、そちらの子をわたしにくれるの?』
リボンの巻かれた顔が、らぴかへと向く。桃色を纏うらぴかを、伊澄からのプレゼントだと受け取ったのだろう。少女の声は嬉しそうに弾んだ。
「可愛くない自覚あるから自分より可愛いやつを無くすんだね!」
先端に満月のような球体のついた魔杖を片手で持ち、らぴかは人差し指を少女に突き出す。その表情はいつもの明るい物ではあるものの、少しだけ眉が釣り上がってしまう。
「自分磨きすればいいのにね!」
「同感だ。なんの為に一体こんなことを……って、言ってやりたい所だけど。」
杖を構えるらぴかの隣で、伊澄は部屋を見渡した。白いリボンで飾られた壁、部屋の隅に置かれたメリーゴーランドの傍らには、被害者の物であろう黄色いリュックがリボンの花に巻き付けられて咲いている。
「あんたの誕生日パーティーとやらにギャラリーを集めたと?」
「それにしたって殺すことはなかったんじゃないかな……。」
黄色いリュックは引き裂かれ、このリュックの持ち主がどうなってしまったのかを安易に想像出来た。
『わたしが一番だもん。一番かわいいんだもん。わたしが、一番じゃなきゃいけないの!』
癇癪を起こした子ども。その言葉がぴったりだ。頭を振り両手の掌を二人に向け、ラナンは掌から生み出された布製の白い花弁を放った。一枚一枚にそれほどの威力は無いものの、舞い散る花弁のごとく不規則な動きで二人を襲う。
『さあ、あなたたちのお願いはなあに?』
「そんな理由でほいほい殺しちゃうのはヤバいよ!」
らぴかが動く。姿勢を低くさせ、ラナンとの距離を一気に詰める。片手の杖が氷の輝きを纏う。それは次第に春を告げるピンク色へと色を変え、身の丈ほどもある杖が威力のある斧へと変形した。
「振って縛ってカッチンコッチン、ピンクの氷で真っ二つ!」
変形惨撃トライトランス。らぴかの変形魔法で変化した杖が氷の力で相手を凍結させ、そして強力な連続攻撃を生み出す技。
らぴかが氷の刃でラナンの身に一撃を与えると、ラナンの傷口から白い花が溢れ出す。しかしその瞬間、甘い香りがらぴかの鼻腔を擽った。
ぴたりとらぴかの動きが止まる。
「……ホラーっぽくってテンション上がってきた!」
らぴかの瞳はラナンでは無くこの部屋を見渡し、足元で咲く死体と花の数々に嬉々とした表情を見せている。
「僕も、冷静に見えるかもしれないけど結構怒ってるからね……。」
そんならぴかの変化にいち早く気付いた伊澄は、怒りに震えるまま瞼を閉じた。胸の内側で煮え滾る炎。怒りの炎が、伊澄の蒼い瞳を更に燃え上がらせる。
「俺のお願いは『あんたに消えて貰う』事。」
両目を見開く。|悪魔の蒼眼《イービルアイ》。白い花を身に纏う伊澄の皮膚が焼かれるような、それでいて軽い痛みを伴う。けれども伊澄はそんな痛みをもろともせず、蒼炎を宿した瞳でラナンを睨みつけた。
リボンの向こうにあるはずの目と視線がかち合った気がした。ラナンは身を強張らせ、伊澄を見つめたまま動けないでいる。
不意にらぴかの手元から斧の重みが消えた。手元へと視線を向けると、ピンクの光を宿した斧に伊澄の蒼い炎が重なっていたのだ。
「地獄に落ちて貰う。もちろん一人でね。」
この場で一番の殺傷力の高いもの。それがらぴかの斧だった。伊澄の力はらぴかの斧に更なる力を与え、花の花粉に魅了されたらぴかを支える。氷の力と炎の力。反する二つが合わさって、白い花の動きを止める。
「いくよー!」
先程まで魅了をされていたらぴかは、斧を握りしめ足を踏み込んだ。らぴかの振りかぶった斧が、ラナンの右肩からその身を斜めに切り裂くと傷口から氷が張り巡らされて行く。
「そこでずっと自分が一番だと思っているがいい。」
砂煙が吹き荒れ、凍った白い花弁が舞う。身を凍らせたラナンへと伊澄は燃える瞳を向け、らぴかを手助けするべく指を動かした。
部屋中に轟音が響き渡る。らぴかの振りかぶった斧が床に着地をした音だ。これで一旦は良いだろう。ラナンの動きを封じた二人は、次の者へと場を明け渡す。
戦況を見守る伊澄は、此度の件を報告するべくスマホを取り出した。
クラッカーの音が弾けた。けれどもその音は、リリアーニャ・リアディオの兎耳には届かない。誕生日を祝う言葉も、純粋無垢に笑う声も、何もかも全部、聞こえない。この耳を支配するのは、脈打つ心臓の音と、それから綺麗に微笑む誰かの姿。
どこかスローモーションで落ちて行く紙吹雪の向こう側、頂の上に立ってこちらを見下ろすそれが“あの頃と全く同じ”に見えてしまった。世界がモノクロに変わる。外の世界から隔離されたこの場所は、ある意味では鳥籠のようだ。
――――ぷつん。
リリアーニャの中で、張り詰めた何かが切れた。
「ああ、こんなものはさっさと壊さないと。」
瞬きをすることも忘れた双眸から、光が失われる。
『あら?ねえ、あなたはなにを見ているの?』
少女の微睡む声すらも、今のリリアーニャには自分の思い通りにならないと気が済まない、傲慢でそれでいて美しい“姉”の声に聞こえていた。
「こんなの絶対に許さない。」
その場に立ちすくんだまま、面影を見つめるリリアーニャの片手には赤薔薇の斧が握られる。だらりと垂れたままの腕で、一歩、また一歩と影を引き連れて近付き、瞬間、面を外した兎が地を蹴り上げて飛びつく。
「おまえを殺すわ。」
影を纏う重い動き。けれども決して遅くはない。
「飾り付けもおまえも。何もかもめちゃくちゃに刻んでやる。」
低く、感情の乗らない声色が、ラナンに投げかけられた。靴を欲し、自らがお姫様だと傲慢に振舞う少女。電話での約束?どうせ碌な物じゃない。彼女だってそうだった。身丈よりも大きな斧を大きく振るい、床の白を、壁のリボンをずたずたに引き裂いて、誕生日をぶち壊してやった。
「美しい花には棘があるの。」
|黒薔薇の呪い《スペル・オブ・ローゼズ》。これだけ壊しても可愛らしい声で笑いながら、未だ頂から動こうとしないラナンへと、リリアーニャはとっておきを放った。彼女が白い花であるならば、こちらは黒い薔薇だ。
「おまえよりよっぽど美しくて行儀もいいの。蔓で縛って棘で刺して噛みついて。」
リリアーニャの声に、巨大な人喰い薔薇は花開く。ラナンの足元に棘を放ち、長い蔓で身を締め上げる。そこまですれば、大抵のやつは苦悶の声を漏らしてしまうというのに、人喰い薔薇に掴まれたままの少女は、あろうことか笑い声をあげた。
『……きれい、ね。でもわたしがいちばん。』
かわいい。
甘い囁きに触れ、人喰い薔薇は蔓を緩める。ラナンは頂の上から見るも無残な姿に変貌した布の花の上へと静かに着地をした。はらりと顔のリボンが落ちる。
「可愛いリボンが台無しね?」
『あなたの黒いリボンをいただくから平気よ?』
なおも余裕の表情を見せるラナンに、リリアーニャは間髪入れずに近付いた。闇雲に動き回っているわけではない、けれども過去の出来事が。あの日の私が立ち竦む。自らの下唇を噛み、リリアーニャは引きずる斧を両手で振り上げた。
|赤薔薇の呪縛《コール・ミー・ローズ》。皮肉にもこれは、“姉”を模倣して身に着けた√能力だ。
『赤い薔薇。それもわたしにちょうだい。』
リリアーニャの振り上げた斧を、ラナンはリボンの髪で奪い取ろうと頭を振る。嫌な予感が過った時、リリアーニャの視界に一匹のテディベアが映り込んだ。白馬の上に座るテディベアの片目は引きちぎられ、首から綿が飛び出ている。
いつかの誰かのようにぼろぼろに崩れ、そこに座っている。やけに喉が渇き、掌に汗が滲むようだ。それを好機と言わんばかりに、ラナンはリボンの髪で斧を掴む。
しかしその時、ラナンの身が凍り付く。同じようにラナンと対峙していた仲間が、彼女の身を凍らせたのだ。形勢逆転とはこのことだろう。
「ここでおまえを終わらせるわ。」
動きの止まったその隙に、リリアーニャは振り上げた斧をラナンの首へとあてがい、断頭台のギロチンのごとく一気に刃を横に落とした。ラナンの首からは真っ赤な薔薇が飛び散り、リリアーニャを赤い色で染め上げた。
斧を置いた時、白馬の上のテディベアと視線が絡み合う。赤いリボンのその子。間違いない。ずっとこちらを見ていたその子は、あの少年の物だ。
赤く染まってしまわぬようにと、自らの色を纏った手でそれを掴む。
「……この子はきちんと返してあげなくちゃ。」
ぼろぼろの身を大切に、そして強く抱きしめた。
クラッカーの音をものともせず、床に落ちて行く紙吹雪を視界に留める三人が居る。
「こんばんは、ようやく会えたね。君が今回の|怪異《主役》という訳だ。」
まずは偽蒼・紡。『都市伝説の語り手』という都市伝説が人の形を成したもの。ここで待ち受ける|怪異《主役》が一体どのような存在なのかを、ここに来るまでに情報の片鱗を得ては興味の赴くままに歩んだものだ。
「ふぅん……?思ったより犠牲者は多かったのだなぁ。」
そしてその右隣で、部屋の中央に築かれた犠牲者の山を見渡すナギ・オルファンジアは|屍の山《それ》を目の前にしても怯む様子はない。寧ろ、湧き上がる疑問に思考を割いていた。首の落ちた男に口から花を咲かせる女。その他にも、よくよく見れば子どもが多いように思う。折り重なるそれらを見据えたナギは、両腕を組みどこか難しい表情で屍の山を見つめ続ける。
紡の左隣では、万が一のことがあってはと身構える鵠・酉が、自らの足元の『スワンプ』へと手を伸ばしていた。少年のような外見に反して、中身は立派な大人だ。冷静に物事を見極めている最中なのだろう。
「でも、ここまでの誘導とか……そこにある|屍体《オブジェ》は悪くはないね。」
「男性は首を落とし、女性には白い花を咲かせるのは何故でしょう?可愛い何かを奪った跡なのかしら。子どもの姿も多いですね。」
「……自分より「かわいいもの」を消していっても、「それ」が在った事実は消えないんですよ。」
『ふふ、そうかしら?わたしがいちばんかわいいというのは、ここに残るわ。そしてここでは誰もがわたしに頭を下げるでしょう?』
椿の如く頭を落した男の姿勢がそれを物語る。ここで何があったのかは、死人に口なし。ラナン以外は既に物言わぬ屍だ。何があったのかをこの場で告げる者はいない。
ラナンは山から飛び降り、三人の前に立つ。絨毯代わりの白い花が、彼女の靴によって潰された。
「ああ、被害者はみんな君の可愛い我儘で死んでしまった。まさに都市伝説の見本みたいなお話だ。」
「ですが『可愛い』は主観に依る所が大きいのではなくて?他者の似合わぬ物で飾り立ててもねぇ……。」
「こちらは気に入ったけどね。君をモデルに俺が新しい都市伝説を書こう。」
「……新しい都市伝説ですか?」
酉の問いかけに、紡は頷きネタ帳を開く。
ラナンの顔で綺麗に結ばれたリボンが解けた。
『このリボンあのこよりもにあっているでしょう?』
蛇がとぐろを巻くように、解けた白いリボンが床の上で渦を巻いた。
「まだお話を続けたいところですが、そうもいかないか。」
指に挟んだ葉巻から煙を燻らせ、ナギはショコラの香りを周囲に漂わせる。
「皆様も宜しければ盾としてお使い下さい。」
吐き出した煙は、やがて琉金の形を取り、尾鰭を動かし紡と酉の周りを優雅に泳ぐ。
『かわいい子。その子もほしい。』
宙を泳ぐ琉金に目を付けたラナンは、とぐろを巻いたリボンを、花の敷き詰められた小さな手で引き上げ、ナギの琉金を真っ直ぐに追いかける。その隙を見て、酉は動いた。相手がナギと琉金を狙うのならば、その間に協力者を得ようという心算だ。
屍の山へと近寄り、その中から遺品らしき物を探す。ぬいぐるみ、リュック、指輪やリボン。様々な物がまだそこには残っていた。その中でも一番年季の入ったネックレスが酉の目には留まった。丸みを帯びた緑色の宝石が特徴的なそれは、血液を浴びて変色をしてしまっている。ネックレスを片手で握りしめ、酉は静かに囁く。
「あなたの終わりを、お教えください。」
酉は過去の所有者の記憶に触れた。交渉はスムーズに行われた。このネックレスの持ち主もラナンに騙されたようだ。どうやら若い女性のようで、ここに至るまでの経緯からなぜこうなってしまったのかを酉に告げる。
「……そうですか。分かりました。ありがとうございます。」
礼を告げると、足元から影が這い出る。女性の姿をしたその影は、ラナンへと掴みかかりそうな勢いで前のめりに身を屈ませた。それを片手で制止し、酉は他二人の様子を見守る。
「隙を見つけたら、合図をします。」
一方その頃。
琉金が欲しいと強請るリボンはナギを狙っていた。琉金以外にも、ナギには鈍色の蜥蜴である影業の『御門くん』もいるのだ。リボンの奥に隠れた目を光らせ、鞭のように地を打ち付けるリボンをナギは飛び退いて避ける。
『その子たち、ほしい。』
「困ったねぇ。」
不意打ちを頼んでいた『御門くん』まで狙われるのだ。しかし、困っていなさそうな口ぶりで、ナギは連装式の大型ガトリングガンであるシリンジシューターを構える。詰め込んだのは霊薬に毒薬、それから怪異の肉片。目的は毒で相手の体力を削るか、それとも麻痺で相手の動きを鈍らせるか。
それにしてもリボンが邪魔だ。地這い獣である無数の手足で這いずり回る怪異の『和邇くん』を呼び、リボンを払い除ける。注射器を打ち込む、派手な音が響いた。
リボンの隙間を縫い、極彩色の液体は真っ直ぐにラナンへと命中をする。白い身体がけばけばしい色へと変化した。なんとも目に悪く、混ざり合って可愛くない色合いだ。
『な、なにこれ……かわいくない……!』
両手に付着した色合いに頭を振ると、リボンは出鱈目に三人を狙い始める。
「たぶん、なんだけど君にとって想定外だったのは俺みたいな存在なんじゃない?√能力者とかそう言うの?」
壁際で隙を狙っていた紡がリボンを避けて前に出た。その向かいで酉も動く。
「あと俺が人間じゃ無かったのも誤算かな?」
不規則な動きを見せていたラナンのリボンが、紡の言葉に反応を示し、それぞれを巻きつけようと三方向に伸びる。紡を護る琉金がリボンを払い、ナギの前では和邇くんがリボンを掴む。酉の後ろで控える影人形は一歩を踏み出し、彼の足元で『スワンプ』がリボンを引き込む。
「さてと、どう語ろうか。推敲の時間だ……とっておきを語らないとね。」
ナギと酉がそれぞれの役目を担っていた最中、提案と修正を繰り返していた紡もまた、新しい都市伝説を完成させたようだ。ネタ帳を片手で開いたまま、もう片方の中指で眼鏡のブリッジを持ち上げた。|Polish《スイコウ》。
「俺は怪異を紡ぐ側。君にとっておきの都市伝説を語ってあげる。」
「ここです。」
紡の語りを合図に、酉の後ろに控えていた協力者がラナンのリボンに掴みかかった。拘束をされたラナンは手足をばたつかせ、脱出を試みるものの、彼女への執着を持つ影もナギの麻痺もそれを許さない。次第に痺れて行く身が、ラナンの自由を完全に奪ったことを自覚させた。
その間も紡は一歩一歩ラナンへと近付き、最後。完全に動きを止めた身体へ、とっておきの都市伝説を語り聞かせた。
「あの電話ボックスは趣深くて楽しめましたよ。」
「俺も気に入っている。」
「……精神干渉を受けても知りませんよ。」
三人は他の仲間によって既に赤く染まった花畑の中で沈むラナンを見下ろしていた。
「電話ボックス君〜遊びに来――。」
――――パン!
『ハッピーバースデー!』
「誕生日なの?飾り付けエグくない?」
一文字・伽藍は、ひらひらと頭上に落ちて来た紙吹雪を、片手で煩わし気に払い落とす。外の陰鬱な空気とは真反対とも言える内装に眉を顰めた。
やたらとメルヘンチックな壁、かわいらしいオルゴールの音色で彩られたかわいらしい空間。空飛ぶユニコーンも、白馬も、白いドレスのお姫様だって確かに可愛い。それは認める。伽藍自身も可愛い物は好きだからだ。
「これがアンタの言う遊びなワケ?」
まじまじと空間を見つめていた伽藍の目が、ある一点で止まる。可愛い空間に不釣り合いのホラー要素。白花のラナンの足元で折り重なった被害者たち。その中に、どこかで見た事のある黄色い帽子が見えたからだ。
『たのしくなりそうでしょう?』
王座から足音も無く飛び降りると、ふわりとスカートが空気を含んだ。ラナンは錆色に汚れた白い靴の先を、絨毯代わりの花で拭う。
一番になりたいと言う気持ちは分かる。しかし、これは論外だ。最初から同じ土俵に立つつもりもなかったが、話にならない。
「ないわー。ビジュ可愛くてもやってる事は不細工。努力の方向性、どうかと思うよ。」
『あら残念。いっしょに遊んでくれるとおもったのに。』
「アタシもそんなに暇じゃないんだよね。」
ブーツの先を二度ほど床に打ち付ける。
カウントダウンは三秒前。
「オッケーいいぜ、」
二秒前。
(クイックシルバー、念の為。|四散五裂《探しといて》。)
一秒前。
「アンタが主役だ。」
爪先を弾き、伽藍は屍の山へと走り出した。
「誕生日パーティーで殺される悲劇のヒロインにしてあげる。」
自らの横をすり抜け、青い稲妻のごとく駆け出した伽藍へと少女はすかさず掌を伸ばすも、その手は伽藍ではなく別の何かを掴んでいた。
「よし。ほら、|叶えて《遊ぼう》!」
刹那、ラナンの掌の中で閃光がほとばしる。赤い血の代わりに白い花弁を滴らせ、ラナンはリボンの隙間から、軽々と屍の山を越えて行く伽藍を睨みつけていた。今し方裂けた小さな掌を伽藍に向け、ラナンは零れ落ちる布製の白い花びらを放つ。
『わたしがお姫さ、ま……!』
腐敗した被害者たちの中から、見た事のある黄色い帽子を力任せに引き抜き、伽藍はすぐさま踵を返そうとしたがラナンの方が先だ。白い花弁は伽藍を囲い、メルヘンチックなこの場所を幻想的な空間へと変える。波打つ布の独特な動きで伽藍の視覚を惑わし、触れた箇所から擦り傷にも満たない僅かな痛みが伴う。
(花弁……?)
こんなもの、アイツの痛みに比べたらなんてことはない。それに実体があるのなら問題は無い。
「そう。お姫様。アンタが|主役《お姫様》なら、」
伽藍は口の端をつり上げて随分と薄汚れた黄色い帽子を被った。
「悪役はアタシね。」
布の花弁の動きが止まる。|念動力《ポルターガイスト》。伽藍が視線を逸らさないように、花弁もまた逸れない。花が舞うとはまさにこの事だ。意思を持って少女を傷つけようと不規則な動きで翻弄をし続ける。
常ならば。
「ついでに釘もあげちゃう。誕生日プレゼントだぞ♡」
『な、何を言っ……!』
鋭い痛みに声を荒げ、ラナンは身体から花ばかりを溢れさせる。誕生日ケーキには年の数ほど蝋燭を刺すんだから、主役であるラナンにも年の数ほど釘をプレゼントしよう。何歳だっけ?そんなことはどうでもいい。これはサプライズだ。白い花と共に踊る釘が、幾重にも重なってラナンの身体を貫いた。
「|受け取れよ《ハッピーバースデー》。」
傷口から花弁が噴き出すが、幻想的な風景にも興味は湧かない。ラナンの悲鳴を聞き流し、黄色い帽子の鍔を下げた。伽藍は来た時と同じようにスマホの画面を見つめる。
ああ、少年の名前を聞いておくんだった。
メリーゴーランドの傍では、白いリボンの巻き付けられた黄色いリュックが咲いていた。
また外れ。
部屋に入るなり、クラッカーの歓迎を受けた七・ザネリは、頭上に落ちた細長いテープそのままに双眸を細る。少女の足元で頭を落とした男。確かに首はないが、これは凄惨な犠牲者の成れの果てであり、ザネリが求めているものではない。舌打ちがやけに響く。盛大な溜息を吐き出し、漸く頭上のテープを片手で払った。
彼の後ろから顔を覗かせるルイ・ミサも、舞い散る紙吹雪を片手で避けながら隣に並んだ。
「ああ、此処にも俺の探す男はいない。」
屍の山の頂で二人を見下ろす少女が一人。軽やかな声で笑う。
『すてきでしょう?わたしが一番かわいいでしょう?今日は誕生日なの。プレゼントはもってきた?ない?そっちの子?』
花の敷き詰められた顔には目も口もない。もしあったのなら、ザネリとルイを交互に見つめているのだろう。
「悪趣味な女だ。」
「折角来てやったってのに、失礼な女だ。誰が一番だァ?」
未だそこに立つ少女を見上げていたザネリは、濃い隈の刻まれた目を向ける。
「俺の方がカワイイ。そうだろ?」
沈黙。
「……おい、同意しろ、ルイミサ。」
ラナンから隣へと視線を戻したザネリの視界には、温かい目を向けるルイがいた。
「……コホン。」
「|呪《イリュージョン》」
ザネリの一声で沈黙が破られる。ルイもその目を少女ラナンへと戻す。
(童話に出てくるあの魔女みたい。鏡よ、鏡……あの結末、どうなるんだっけ?)
鏡に問いかける継母、世界で一番美しいのは誰だと問いかけ続けた彼女のようだと、ルイは童話を脳裏に浮かべる。毒林檎の代わりに毒の花、鏡の代わりに屍たちだろうか。
「レディファーストだ。」
いけ、と言わんばかりにザネリは一歩、身を引く。
「今さら、紳士のふりをしても遅いぞ。」
ルイは、この場で戦う|√能力者《仲間》によって築かれた赤い薔薇の絨毯を踏み抜き、崩れかけの屍の山を駆け上がる。いつまでも王座に居座る我儘なお姫様を引きずり落とそう。
「奇遇だな。私も今日が誕生日だ。」
「どっちがお姫様になれるか決めようか?」
『させないわ。お姫様はわたしだもの。』
ルイが手を翳したのと同時。ラナンも両手を広げる。すると、どこからともなく甘い香りが漂い、ルイの鼻先を掠める。甘い香り。花の花粉だろう。危険を感じ取ったルイは咄嗟に服の袖で口元を覆い、一歩飛び退く。
屍の上に立つ女が二人。その座を譲らぬ姫と、それを奪う者。互いに睨み合い、揃って駆け出した。
上で攻防を繰り広げるルイとラナンを、下から眺める男が一人。メリーゴーランドの玩具の隣で、ザネリは懐から蠍を呼んでいた。
ラナンの視界には入らないそこで、蠍がゆらゆらと踊るように火を灯す。辺りに漂う甘い香りは、恐らくルイの身を制限する物だ。その証拠に、ルイの周囲が黄色い花粉で覆われ、心なしか動きが鈍り始めている。
「白いワンピースを汚してやろうな。」
巧妙に。そして執拗に。聞こえぬ声でザネリが呟いたその時、山の頂では変化が訪れた。
|命糸手繰り《カルマタグリ》。ラナンの胸から寿命を具現化した命糸を引き上げ、ルイは呼吸を整える。しかし、ラナンは自らの胸に繋がるそれを引き千切ろうと藻掻く。
彼女から命糸を引き出したものの、魔力を遮られてしまっては元も子もない。合わせて周囲に飛ぶ黄色い花粉が、ルイの動きを鈍らせている。
頭の中で次の策を練り出していたその時、二人の周囲を火が囲う。ラナンの背後、メリーゴーランド近くでこちらを見上げる猫背の男が見えた。
踊るように周囲を漂った火は、花粉を焼きながらルイの命糸へと細く絡みつく。火は明確にラナンを狙ってはいる。しかし、力を貸すようにルイの足へも纏わりつく。
「送り火なんぞ必要ない。お前をアンタレスの火の礎としよう」
下でザネリが声を上げた。蠍の火に囲われたそこは、最高の舞台だ。勢い良くザネリへと振り返ったラナンを見据え、ルイは片手を差し出す。まるでそれは、ダンスパーティーに誘う紳士のようだ。
「パーティーにダンスはつきものだろう?」
誰にも邪魔をされずに、二人っきりで踊り続けることが出来る。
「ヒヒ、共犯者殿。さ、姫さんに焼けた靴での踊り方を教えてやれ。」
「さあ、踊ろう。」
どちらの身が先に燃え尽きてしまうのか、見ものだろう。
命糸と繋がる片腕を引き、ラナンの幼い身体を抱き寄せたルイは、燃える靴でステップを踏む。焼かれた花粉が火の粉となり、二人の舞台を彩った。
ステップを踏む中で、命糸を繋いだ指でラナンを動かし、的確に周囲を舞う蠍の火へと誘導をする。つま先でステップ。命糸から伝わる火は、ラナンの身を包み込む。胸から脚、脚から靴へ。白い靴は次第に煤け、赤々とした火をともしたまま、ラナンはステップを踏み続ける。
「もっと、もっと。」
命の糸は次第に細まり、ルイに終わりを悟らせる。細く短く縮まった糸。花の敷き詰められた小さな掌に、自らの掌を重ねて踊るルイは、ぼんやりと童話の結末を思い出す。
(ああ、確か……魔女は死ぬまで踊らされるんだ。)
焼かれた靴を履き、火傷を負いながらも死ぬまで永遠に。
「願いを希うなら、相応の代償を覚悟しねえとなァ。」
二つの影が火を纏わせて踊り続けるのを、ザネリは下から眺めていた。飛び散る火の粉はザネリの元まで届かない。
「……ひひ、俺も同じか。」
煤だけが、はらはらと横顔を掠めて行った。
外から隔離された部屋へ、明日咲・理は足を踏み入れた。理もまた歓迎のクラッカーには見向きもせずに、フードの奥の瞳を忙しなく動かす。先程の子の亡骸はあるのだろうか。中央を陣取る屍の山や、周囲に倒れる亡骸たちを一つ一つ視線だけで確認をする。
右にはリボンを握りしめる女性の亡骸が。左には壁にもたれかかったまま、身体のあらゆる所から花を咲かせた男。瞳を動かした先、おもちゃの兵隊が収められた水玉の箱の傍らに、おさげの少女が転がっているのが視界に入る。
仲間が戦う最中、理は少女の元へと一目散に駆けて行く。兵隊に助けを求めたのか、少女の指は箱を掴んでいた。理は切れ長の目を細め、横たわる少女に自らのパーカーをかけ、ラナンに向き直る。
「悪いな、|悪役《お姫様》。もう|一人《俺》の悪役が来ちまった。」
『|プレゼント《かわいいもの》をくれるの?』
「さっき別の子にプレゼントをした。」
『どうして?わたしが一番なのに?』
理は静かに部屋の隅、屍の居ないその場所へと歩む。彼らはこれだけ傷ついたんだ。これ以上、その身も心も傷をつけることはない。
(それに――。)
首を落とした男。絶望の色を浮かべたままの女。メリーゴーランドの傍らには、遺品の数々が白いリボンと絡み合い、花を咲かせている。
(恐怖も、不要だ。)
『ねぇ、願いはなあに?叶えてあげるから、それを私にちょうだい!』
ラナンの顔を覆う白いリボンの一つが解け、鋭利な刃の如く理を一直線に狙う。
「なら、この遺体全てを俺にくれ。」
理の願い。それはここにいる全ての屍へ向けた物だった。脳裏に浮かぶ不安げな瞳。おさげを揺らして、隣を歩く小さな身体。花柄のテディベアを抱きしめ『気をつけてね。』と見送ってくれたその子との出来事を思い返す。
自らが望んでここに足を運んだ者が殆どだろう。しかし、誰もがこのような結末になることを、想像していなかったはずだ。ここにある全ての被害者を弔う。それが、自らの役目でありそして願いだ。
理がラナンのリボンを右の掌で掴むと、ラナンの動きが止まった。ルートブレイカー。理の√能力の一つだ。相手の能力を無効化するその力は、息絶えた彼らの身を護るための力。
不条理な白い花ではなく。安寧と安息を祈る花をそこに咲かせる為に。理は己の力を振りかざす。
指先で刀の柄を撫でる。
――――りん。
この場に不釣り合いな鈴の音――居合。我が刀は『花驟雨』花を散らす雨の名。
にわか雨の如く、理の刀から齎された斬撃が、ラナンの身を鈴の音一つで貫く。ラナンには、何が起こったのか分からなかった。
「なあ|principessa《姫さん》、貴女のやり方では、貴女の一番に望むものはきっと手に入らない」
理が貫いた背後で、白い花が噴き出す。
理は再びおもちゃの兵隊へと足を向ける。ラナンへはたったの一撃。それでよかった。理にはまだやることが残されて居たからだ。背後では、花を散らしたラナンが今度は火の粉の如く命を散らしている。そんな様を横に、パーカーで隠れた少女の顔をそっと覗き込む。枯れてしまった表情から感情を読み取ることは出来ないが、おもちゃに触れる事の出来なかった指。おもちゃ箱を掴む小さな指を、理の大きな手で包み込む。
「もう大丈夫だ。」
何も怖いことはない。理は静かに微笑んだ。
明け方の空の下、踊り疲れたラナンが灰になった時、この件は結びを迎える。
被害者である枯れた少女の頬に、理の髪から滴った雨粒が一滴、こぼれ落ちた。