建築迷宮メルヴェイユ
●ミステリー・ハウス・ナイト
黄昏を迎えた世界で、ひたひたと迫りくる怪異の気配。
ひとびとの抱える不安や倦怠は、いつしかよじれて合わさって、奇妙な建築物となって形を成した。まるで見えない「何か」から逃れるように、その建物はでたらめな増改築を繰りされ、それは持ち主が変わってからもずっと行われてきたのだ。
床がゆるやかに傾斜している所為で、途中で二階から三階に変わるフロア。
継ぎ接ぎの建造物は、礼拝堂があったかと思えば和室もあり、ぐねぐねと曲がりくねった廊下の先には、内装の同じ部屋が幾つも続いていたりする。
ああ、行き止まりでも大丈夫。額縁をずらせば、秘密の抜け道が顔を覗かせる。
だけど途中にある扉はドアノブのない一方通行で、中には開けたら真っ逆さま――なんて扉も混ざっているから気をつけて欲しい。
寝室へ向かうにはクローゼットを開いて。狭い階段を昇って屋根裏へ到着すれば、そこはガラスの天井越しに星空を望める大浴場が広がっている。
屋根の上には、天を目指すような螺旋階段。どこにも繋がらない階段の終点は、周囲の景色を見下ろせる絶好の展望台だ。
――熱に浮かされたように、絶えず造られ続ける奇妙なお屋敷。
そこには、まだ見ぬ部屋があるのかも知れない。
誰かに見つけて欲しい、と願うものが眠っているのかも知れない。
●星を詠む
謎めいた外星体同盟の刺客、サイコブレイドによる暗殺作戦がまたひとつ実行されようとしているらしい。AnkerもしくはAnkerに成りうるものを探知できる、という厄介な能力を前に、福来・ハルト(ふっくら・h05800)はぷくっと頬を膨らませた。
「普通は判別のしようがないんだけどね……Ankerさんは、日常生活を送っているところを襲撃されるみたいなんだ!」
場所は√汎神解剖機関。漠然とした不安、それに悲観がひとびとの心に影を落とし、怪異の息づかいをそこかしこに感じる黄昏の世界だ。
現場となるのは某所に建つ宿泊施設で、通称「迷宮ホテル」。その複雑かつ独特な構造は、過去の持ち主たちが増改築を繰り返した結果なのだという。
「ウィンチェスター・ミステリー・ハウスっていう建物があるんだけどね、丁度そんな感じの、いわくつきの幽霊屋敷みたいな雰囲気かな」
怪異から逃れるように。あるいは、怪異の目を眩ますように。
建物の内部はいびつに歪んで、通路や部屋の並びも無秩序だ。階段の先には何もなかったり、かと思えば、物置の扉の向こうに豪奢なホールが広がっていたりもする。
隠し部屋もあちこちにあって、それを探すのも人気だそうだ。もちろん安全な範囲内で、危険な場所は封鎖されているので心配ない。
「屋根裏部屋の大浴場や、螺旋階段の展望台。吹き抜けから見える階段はあっちこっちに伸びているし、布団を敷こうと襖を開ければそこはダイニングで、ちょっと夜食を食べてひと息しよう……なんてことも!」
ポン菓子があればいいな、なんてスズメの羽をぱたぱたさせてハルトが言う。
とまあ、そんな感じでさりげなく日常の風景に紛れ込み、いつでもサイコブレイド達の襲撃を迎え撃てるよう備えて欲しい。
もしかしたら、狙われるのは貴方の大切なAnkerかも知れないのだ――!
第1章 日常 『複雑構造宿泊施設の夜』
斜陽の射す深い森を抜け、ウィンディア親子が辿り着いたのは迷宮ホテル。
チェックインを済ませて宿泊する部屋に荷物を置くと、エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は窓から顔を出して感嘆の息を吐いた。
「へー、なんだか色々変なホテル……」
背伸びをしながら、建物のあちこちを興味深く見回す娘の姿を、シル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)は温かな眼差しで見守る。
普段は魔法を教える師匠と弟子の間柄だけれど、親子でゆったり過ごす今は、エアリィも年相応の無邪気さを覗かせて母親のシルに甘えてくる。
「そうだね。こんなに凝ったホテルは初めてだね」
「うん! お部屋に着くまでもすごかったしね」
ふたりの部屋は大木の上に建てられたツリーハウスのような建物で、ここへ来るまでには梯子を登ったり、屋根の上を歩いたりと色々あったのだ。
まるで√ドラゴンファンタジーのダンジョンのようで、建築した人はなかなか面白い感性の人なのかも、なんてシルは思う。
「ね、お母さん。せっかくだから探検に行こっ!」
同じようなことを考えたのか、弾んだ声でエアリィがそう提案すると、シルのほうもつい師匠の顔になって探索の手ほどきを行った。
「んー、そうだね。……じゃあ、まず目的を決めないとね」
「あ、それならお風呂さがそー♪」
ホテルのアメニティグッズはお風呂セットも一通り揃っていたので、すぐに探険を始められそうだ。そんな訳で、お揃いの外套を脱いで動きやすい服に着替えたふたりは、さっそくホテルに隠された温泉を探すことにした。
「ええと、ここを開けたらいきなり温泉っ! ……ってわけにはならないかぁ」
まずはツリーハウスの近く、渡り廊下の扉を開いたエアリィだったが、そこは外れ。めげずに今度は窓の外を覗いてみるものの、そこはスロープで中庭への抜け道になっているようだった。
「えーん、どこがどうつながっているのー!」
扉を見つけるたびに一喜一憂して、エアリィの表情がころころと変わる。そんな娘の姿を微笑ましく見守るシルだったが、大切なことを伝えておくのも忘れない。
「あ、エア。精霊さんに道を聞くのは禁止ね。こういうのは、探索する楽しみもあってだからね」
「……はーい、お母さん」
そこで精霊を召喚して情報を得ようとしていたエアリィが、悪戯を見咎められたように手を止めた。こういう所はまだまだ子どもで、だけどそれがまた可愛いのだ。
「まさか、この消火栓が扉とかないよね……あ、」
と、そこで何気なく少女が触れた消火栓が、軋んだ音を立ててゆっくりと開く。その先に見える暖簾と脱衣所に、親子は大きな瞳を見合わせて微笑んだ。
「ふふ、見つかったね。どんなことでも予想外の答えってあるからね」
探険のご褒美は、貸し切りの大浴場でのゆったりお風呂タイム。黄色いアヒルさんがぷかぷか浮かぶ湯舟にじっくり浸かれば、探索の疲れも癒されていく。
「やっぱり大きなお風呂はいいねー」
「はぁ、あったまるぅ~。ね、お母さん」
親子水入らずで寛ぎながら、手のひらでそっとお湯をすくう。夕食には何が出てくるのかな、なんて早くもエアリィは次のイベントに興味津々のようだ。
「……なんだか大変だったけど、楽しい探索だったね」
迷宮ホテルの一室で、不意に空気が下がったような――黄昏の闇が濃くなったような、何とも言えない気配が立ち込めた。
(……へえ)
透明な声は、塵のひとつさえ舞わすことはしない。オレンジ色の残照に、金の髪をかすかに浮かび上がらせながら、チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は宙をゆくような足どりで、|屋敷の壁をすり抜けた《・・・・・・・・・・》。
(少し気が引けるけど、“このまま”お邪魔しよう)
英国のとある街、朽ちた屋敷に住みつく幽霊である彼は、今後のためにと内部を見学させて貰うことにしたのだ。何せ幽霊好きで知られる母国のこと、|侵入者を撃退する《うちを盛り上げる》仕掛けにはこだわりたいところ。
(まずは階段を上って――うわ、)
霊体のまま上階を目指すチェスターだったが、途中で壁が立ちふさがり、階段はぶつりと途切れていた。まさかいきなり行き止まりに出くわすとは。
(まぁ次だ。……ここは、客室が並ぶフロアかな)
気を取り直して別の道を行けば、普通のホテルのような並びに出た。ボーイらしきスタッフが、チェスターのいる場所を振り返って怪訝そうな顔をしていたが、彼は自信に溢れた表情で堂々とドアをすり抜ける。
(おお)
中はまさかの談話室で、壁の書棚にはミステリー小説がぎっしりと並んでいた。
そこに、母国の有名な探偵小説シリーズを見つけて「ふふん」と誇らしい気持ちになっていたチェスターだが、ふと棚のひとつに違和感を覚えて立ち止まる。
(ここだけは日本の探偵モノが置いてあるね)
おもむろに念動力を放ってみると――ビンゴ! 書棚がくるりと回転して、秘密の通路が明らかになった。こういう隠し扉の先にあるのはレアな部屋だと決まっている。
期待に胸を弾ませつつチェスターが扉をくぐれば、途端に涼しげな風が頬を撫でて、遠くから虫の声が聞こえてきた。
(って――外!?)
せめて温泉には辿り着きたいところだったが、まぁこんな仕掛けを作るのもありかな、なんて幽霊の少年は思ったのだった。
何やら面白い宿があるそうだ、と馴染みの店主に誘われたディナア・リドフ(みにくいアヒルの子・h02014)は、件の屋敷のエントランスを興味津々に見つめる。
「入口も複数あるんですね、とても楽しそうです」
「……だねぇ。こりゃ、あれこれ探し回るのが楽しそうだ」
やって来た「迷宮ホテル」は、その名に違わぬ無秩序振りのようだった。支柱に刻まれているのは門番代わりのガーゴイルで、その間を悠然とした足どりで進む姜・雪麗(絢淡花・h01491)は、張り切って迷子になってやろうと口角を上げる。
「おや」
入ってすぐに、吹き抜けのテラスだ。ここは地階の筈なのに、いきなり上階に飛ばされた気がして面食らう。下に見えるホールは地下室のようだが、近くに階段がないので取り敢えず他の場所へ向かうことにする。
「これは……迷宮というにも足りないほど、ですね」
ディナアが控えめに微笑むと、夕陽を浴びた紫紺の髪が艶やかに揺れた。テラスの窓からは中庭にも出られるようで、興味を惹かれた雪麗が先へ進んでみれば、そこは生け垣の迷路になっていた。
(ですがこれは、探険し甲斐があるというもの)
中庭を通り抜けて、別の棟へ。今度はありえない場所に扉や窓が幾つも覗いている。
こういう装飾なのかも知れないが、なぜ壁の上にぽつんと扉があるのか――ディナアが考えても答えは出そうになかった。
「どれもこれもが不自然過ぎて、逆にわからないねぇ」
洒落た装飾の窓を開いた雪麗が、羊角をぶつけないよう気をつけながら中を覗く。凝った造りの窓だと言うのに、その先に広がるのは無機質な壁のみだ。
隠し通路がないか、こんこん叩いてみても変化はなく、ため息を吐いた彼女が振り向いたところで、じっと床を見つめるディナアの姿が目に入った。
「お、何かあったのかいディナア」
「はい、ここの床が、少し不自然なような……」
蜘蛛の巣みたいな模様を描く、陶器のフロアタイル――そのデザインの一部に、違和感がある。蜘蛛の巣というより、雪の結晶のような。
そこでディナアが床を叩けば、タイルが動いて隠し通路が覗いた。
「……下に続いていますね?」
そこから伸びるしっかりとした造りの梯子は、地下に向かって続いているようだ。
顔を見合わせた雪麗とディナアが思い切って穴に飛び込んでみると、降りていった先にはちいさな部屋があった。
「まあ……」
温かな照明に浮かび上がる、色とりどりのオーナメント。大きなツリーのてっぺんには星が煌めいていて、イミテーションの窓の向こうには雪景色の絵が描かれている。
「これは、……暖炉から出てきたってことかい」
かすかに屈んで進んできた通路を、雪麗が振り返って瞬きをした。一方のディナアは、クリスマスの光景に縁を感じたらしく、少し楽しそうに部屋を見回す。
「何せ私は、|雪娘《スネグーラチカ》ですから」
――外れに外れた反対の季節、6月の聖夜。
プレゼントの箱を模したクーラーボックスの中からシャンメリーを見つけた雪麗は、さっそくそれをテーブルのグラスに注いで、探険の成功をふたりで乾杯することにした。
「雪娘もいるってなれば、私が今日のサンタってところかね」
まるで鈴の音のように、グラスの触れ合う音が秘密の部屋に木霊した。
日常の裏側で、着々と進められていくAnker抹殺計画――。
妖怪探偵の玉響・刻(探偵志望の大正娘・h05240)としては、絶対に計画を阻止したいところであるが、それはそれとして。
「仕掛けが沢山のホテルですか……何だか、推理小説みたいですっ!」
そう、秘密の部屋や密室での事件はもちろんのこと、奇抜な構造を利用しての斬新なトリックは探偵ものの鉄板なのだ。犯人はサイコブレイド、あなたですね!
「――早速調査ですっ!」
桜色の髪を颯爽となびかせた刻は、まずホテルの通路に並んだ扉のひとつに目を向けた。いかにも何かありそうなマホガニー製の扉だが、開かない。
「鍵が掛かってる……? と、見せかけて実はそういう形の引き戸と見ましたっ」
押しても引いても動かない扉を前に、刻はすぐに真実を見抜いた。ドアの窪みに指を掛けて横にずらせば、ガラガラガラ――と和風な音を立てて扉がスライドする。
「先に何があるでしょうかっ、いざ! ――あう??」
そのまま颯爽と先へ進む刻だったが、直後にバシーンと痛そうな音が響いて思わず顔を抑えた。いや、痛そうではなく本当に痛い。見れば、昔あった部屋を塞いだのか、目の前に壁が立ちふさがっていた。
「ううっ、開けてすぐ行き止まりはずるいと思うんですけどっ!」
――そんな訳で、ちゃんと気をつけて調査を進める。前だけでなく足元にも注意を向けてみれば、床に隠された階段を発見して地下へ降りることが出来た。
「行きますっ!」
そうして進む内に、刻の推理はどんどん冴え渡っていったようだ。ダミーの扉に騙されず、次々に仕掛けを見つけて複雑なホテルを下へ上へと進んでいく。気づけば屋根の上に出て、薄闇の向こうに一番星が瞬いているのが見えた。
「折角ですし、ここまで来たら展望台からの風景を楽しみますねっ!」
螺旋階段をひと足飛びに上って、特等席へ。屋根裏ならぬ屋根上の散歩者となった刻の靴音が、軽やかに辺りに響いた。
|警視庁異能捜査官《カミガリ》の任務につき、ホテルで発生する事件の対処に向かうことになった瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)。まずは客に扮して宿泊する必要があったため、顔馴染みに支援を要請してエントランスで合流する。
「兎比良さん、お待たせしました」
フォーマルな黒のスーツを着こなした美女が、長い睫毛を伏せて優美に微笑む。
花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)――人間災厄に指定され、取引により怪異犯罪への対処を行う協力者だ。辺りにほのかに漂う、彼女のフリージアの香りにも眉ひとつ動かさず、兎比良は生真面目な顔で小鳥に向かって頭を下げた。
「今回はよろしくお願いします。貴女なら、こういった場所に溶け込むことも得意そうだと思いましたので」
一人で宿泊するよりも、カップルを装ったほうが自然だろうと判断してのことで、小鳥のほうはそういった事態に慣れているらしい。
頷いた彼女は、さりげなく兎比良に寄り添い腕を絡めてきたものの、彼のほうは気難しい表情のまま、無言でチェックインを済ませて部屋へと向かう。
(もう少し、楽しそうな顔をしないと怪しまれます)
(……私の顔が堅いのは生まれつきですので、お気になさらず)
小声で嗜める小鳥に対しても、兎比良は眼鏡のずれを直しながらさらりと答える。
着いた部屋にはヴィクトリア風の家具が置かれていて、火のない暖炉のマントルピースでチェス盤を見つけた小鳥が、兎比良に向き直って意味ありげに微笑んだ。
「せっかくです。1ゲームといきましょうか」
「……成程、チェスですか。私でよろしければ」
客に扮する以上は適当に時間を潰さなくてはいけなかったところなので、丁度良い。
互いに向き合ってソファーに座りながら、柱時計の音だけが聞こえる静かな部屋で、暫し戦術を競い合うことにする。先手は兎比良。ルールブックのような指し方しか出来ませんが、と最初に断った彼は基本に充実に、対する小鳥は序盤から攻めていくグレコ・カウンター・ギャンビットという珍しい手で打って出る。
(負けず嫌いなのか、勝負が好きなのか)
クイーンの力を頼みに、押して押して攻め立てていく小鳥。それでも聞きかじりの知識でキャスリングを狙っていた兎比良は、一瞬の隙を突いて小鳥のクイーンを落とすことに成功した。しかし、それも手の内だったとばかりに彼女は微笑む。
「ずっとそのビショップが邪魔だったんです」
突出したその駒を取ってしまえば、兎比良のキングは射線上だ。肉を切らせて骨を断つ、そんな小鳥の戦いぶりに、もはや彼の名誉を守る手段は投了のみ。
「……降参です」
潔く両手をあげた兎比良は傍らのクイーンに目を遣ると、真剣な顔のままぽつりと言った。
「どうやら――|女性《クイーン》の扱いは、私には難しすぎたようです」
「わ、面白そう! こっちの方から進も」
迷宮みたいなホテルの探険に乗り出そうと、野分・時雨(初嵐・h00536)が向かったフロアは、ひと際奇妙な構造をした区画のようだった。そこかしこに手を加えた跡があり、中には造りかけで放置したような、ぶつ切りの通路もあって行く手を阻む。
しかし、時雨の勢いは止まらない。弾む足どりは一時も止まることなく、延々と続く螺旋階段も数段飛ばしで駆け下りていく。その姿を手すり越しに見下ろす緇・カナト(hellhound・h02325)は、眼下の不可思議な眺めにふっと息を零した。
「……あぁ、ここからだと面白いことになってるなァ」
螺旋を描いて続く階段は、見る角度によっては同じ場所をぐるぐる回っているような錯覚に陥る。昇りか下りか分からないペンローズの階段をカナトが思い出していると、階下から時雨の呼ぶ声が響いてきた。どうやら無限階段という訳ではないようだ。
「折角なら、屋敷の罠全部発動させたい」
ややあって、ゆるりとした歩みで降りてきたカナトに向かって、手近な扉に手を掛けつつ時雨が言った。
「罠解除して行きたくなるのは分かるんだけど。……不発にさせて、建築者の悔しがる顔想像したりねぇ」
流石にダンジョンみたいな|罠《トラップ》はないだろうが、あちこちの不思議な構造に対する方針を巡って、ふたりの間で意見が割れる。
「……猪突猛進な時雨君とは、ちょっと趣味が合わないかもしれないけどね?」
「え、ぼくは発動させて遊びたい派なんですけど。なんか違うんだよなぁ」
見つけた扉を全部開いて寄り道したいという時雨に対し、カナトのほうは効率重視だ。それでも一番高い場所を目指すという目的は一致したので、適度に周囲の探索をしつつ上を目指す。
しかし、最初のうちは真っ直ぐだった廊下は、進むにつれてどんどん狭くなっていった。その後は何故か外に出てしまったり、庭園を歩いていると思えば屋根の上にいたりと不思議な道のりが続く。そうしていると、ふたりの前に螺旋の展望台が姿を現わした。
「随分高いところに来てたんですねぃ」
階段の天辺に腰かけた時雨が、足をぶらぶらさせて夜空を仰ぐ。カナトのほうもそよぐ風に身を委ね、無数の星の瞬きに見入っているようだった。
「良い眺めだし、一杯やりたくなるよね」
「ケド、流石にお酒は出てこないでしょー……っと、」
そこでカナトは仕事用に借りていた煙草のことに思い至って、時雨に軽く放って寄こす。久しぶりの煙草に目を輝かせた彼は、気が効きますねぃなんて言いながら早速手に取った。
「……減ってないじゃん。わんちゃん吸わない人?」
「吸いたい分にはご自由にどうぞー」
手をひらひらさせて答えるカナトに、では遠慮なくとライターを取り出す時雨。
“彼ら”の職業柄、臭いがつかない方が良さそうなものだが、そんなことを気にせず人妖の青年は煙草に火をつけた。向こうの嫌な顔を見たいので、煙をすぱすぱ吐き出し煙草をふかす。
「……うわ、煙を風下に向けてこないでよねェ」
風に乗った煙が灰色の髪にかかったところで、カナトはわざとらしく倒れ込んでみせた。
――と、意地悪はこれ位にしておいて。そこで時雨は吸うのを止めて、展望台からの景色を堪能することにした。酒はないけれど風情は良し。眺めも最高だ。
煙草の箱をカナトの傍にコトリと置いて、飄々とした口ぶりで彼は言う。
「一本でいーや。残りは貸しておいてあげる」
青白い月の光に照らされて、銀糸の縫い込まれた狩衣が音もなく揺れる。
折角なので、とホテルの散策を始めた氷薙月・静琉(想雪・h04167)であったが、その姿を見咎める者はいない。現世を彷徨う幽霊である彼を、生者は認識することが出来ないのだ。その流れるような漆黒の髪も、整っていながらどこか気怠げな相貌も――ただ静琉の通った路には、名残のように僅かな冷気が漂うのみ。
(ウィンチェスター・ハウス、だったか。実物に見える機会は無いと思っていたが)
気の向くままに歩みを進めながら、思いを巡らすのは名高い幽霊屋敷について。
亡くなった者たちの呪いから逃れる為、死ぬまで屋敷を増築しなければいけない――と言うのが、その奇妙な造りの謂れらしかった。
(……俺も一度、生を終えた身だが)
どこぞの奥方が霊媒師から告げられたそうだが、話を聞いても眉唾物だな、と静琉は息を吐く。命尽きる境遇を恨むならまだしも、武器を作った一族を呪うなど、責任転嫁をするにも飛躍し過ぎの感がある。
(まぁ、真偽はさて置くとして)
人口に膾炙したその逸話を彷彿とさせる建物を、こうして疑似体験出来るのだから悪くない。霊体の身であるものの、何処へ行き着くのかを愉しみにしながら、静琉はひとと同じようにゆっくりとホテル内を歩いていった。
(あれは――)
とは言え、宙に浮くことも造作ない。壁に設けられた高窓から、緑溢れる庭園に視線を向けた彼は、一先ずそこへ向かってみようと歩みを進めた。
しかし、どういう訳か中々辿り着かない。庭に向かうはずの廊下は途中で変な方向に曲がり、大きさがバラバラの階段を上ったり下りたりしているうち、気がつけば一周して元いた別の階へ着いていた。
(……成程、面白い)
呪いから逃れられるかはともかく、幽霊を迷わせるには充分だった。
交霊術を模した部屋のターンテーブルに彼が手を乗せれば、カタカタという音とともに辺りにかすかな鈴の音が響いた。
――月の光が照らす渡り廊下で、宙をゆく透明な魚たちの群れとすれ違う。
「迷宮ホテル」を彷徨う|見えない怪物《インビジブル》――なんて、何だかムードがあるなと思いながら、詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)は傍らの少女の手を握ってはぐれないように進む。
「迷宮、ね……何処へ行くにも迷子になってしまいそうね」
辺りをきょろきょろ見渡しているのは、イサの『かぞく』であるララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)で、目を離せばすぐちょこまかと歩き出すものだから、彼としてはしっかり見守りたいところだ。
「さっきは礼拝堂があったけど、この曲がり角を曲がれば……」
嫋やかな手を伸ばし、漆喰の壁の向こうをイサが覗いてみれば、そこは畳張りの部屋になっていた。間取りどころか世界観もごちゃ混ぜで、彼の精緻な貌がかすかに緩む。
「和室? 面白いね」
「……お前、こういう場所が好きなの?」
普段よりわくわくした様子のイサに、華色の瞳を瞬きさせてララが訊ねた。彼女のほうはダイニングに行きたかったらしく、当てが外れて若干不満げのようだ。火のない囲炉裏を見て溜息を零すと、繋いだ手にぎゅっと力を籠める。
「ララは夜のおやつを食べたいのよ。……でも、どうすれば辿り着けるのかわからないから」
お前を頼っているの、と可憐な唇が願いを囁くも、聖女の守護者はただ甘やかしたりはしなかった。彼女の興味を上手く惹いて、ホテルの探索に乗り気にさせる。
「夜食か……食い意地はってるな。それじゃ、辿り着けるように探検してみようか」
まだ誰にも見つかっていない隠し部屋に、そこにしかないご馳走とか――そうするうちにまんざらでもない表情になったララは、白虹の髪をひるがえしてイサの手を引いた。
「それなら付き合ってあげてもいいわ、隠し部屋のご馳走だなんて魅力的だもの」
その後ろで、彼が綺麗な笑みを深めたことに気づく由もなく。再び館を歩き回ることにしたふたりは、周囲を念入りに調べて秘密の部屋の手がかりを探す。
「あの額縁も怪しいな……スイッチが隠されていたりとか」
「あら、この壁の音が違うところ、爆破すると道が現れたりしない?」
時に調度品を手に取ったり、壁の不自然な空間を叩いて確かめたり。そんな風に相談しながらホテルを行ったり来たりしていると、ついに何かありそうな場所の見当がついた。
「ララ、下の方に扉とかない?」
「……抜け道かしら、みてみるわ」
壁をぐるっと回るようにして続く道は緩やかなスロープになっていて、ララの軽やかな足音がどんどん遠ざかっていく。どうやら下ではなく上に向かっているらしい。
イサも後に続いて上っていけば、やがて精緻な装飾のガーデンゲートが姿を現わし、その先には屋上庭園が広がっているのが見えた。
「気がついたら、随分上の方に来てたみたいだね。あれは展望台かな……」
月と星の輝きの下、天へ向かって伸びていく螺旋階段。遮るもののない頭上の空をゆったりと仰ぎながら、ララも暫し満天の星々を堪能することにした。
「迷子になるだけの迷宮は、煩わしいものだと思っていたけれど――」
「こういうのも悪くないだろ?」
楽しそうにイサが言う。蕩けるような笑みを浮かべた少女の近くで、透明な魚が一匹、光の鳥に変わって天に羽ばたいていく。
「……うん、悪くないわね」
(……僕のあんかーって誰だろ?)
Anker――錨、拠り所、√能力者の「欠落」を埋めてくれるという存在。
帰るべき場所のしるべとなってくれる、そーゆーヒトがいるのだとリカ・ルノヴァ(Bezaubert・h00753)は聞いたことがあった。自分にはあまりぴんと来ないけど、気づいてないだけでどこかにいるのかな。
(でも、)
歩きながら考える。サングラスをかけた悪い宇宙人のおじさん――サイコブレイドに襲われるのは、どこかの誰かのAnkerで、そこには“もしかしたら”Ankerになるかも知れないヒトやモノも含まれているのだ。だったら好き勝手させちゃいけない。
静まり返った廊下を進むリカだが、不思議なホテルの夜はちょっぴり怖い。灯りが揺れるのに合わせて、絨毯の影が不気味に蠢いていた。お守り代わりにぎゅっと鳥笛を握りしめると、リカはぎしぎし言う階段を一段ずつ上る。
(幽霊さん……怖いから出てきてほしくないな……)
時おりひやりとする空気は、たぶん気のせいだ。狭い階段の先には小さな扉があって、深呼吸をしたリカは思い切ってバーンッ、と部屋の中に踏み込んだ。
「きっとこの部屋に、たくさんのブンチョがいるはず――って、ひゃあ!」
直後の悲鳴は、嬉しさゆえのものだった。文鳥に魅入られたリカを待っていたかのように、その部屋には沢山のぬいぐるみがひしめいていたのだ。
「ブンチョはブンチョでもぬいだあ! かんわいい!」
屋根裏みたいなこぢんまりとした部屋は、巣箱を模しているらしい。鳥の巣を思わせるベッドの上に、ころころとしたぬい文鳥たちが寝転がっていた。抱き枕サイズの大きい子から、手乗りサイズの小さな子まで――さっそくクッションにダイブしたリカは、モフモフな彼らの姿をひとつずつ確かめていく。
「ブンチョだけじゃない! キンカにフクロー……、こっちはトンビーも!」
見ればベッドに埋もれるようにして、カルガモ親子のぬいぐるみも顔を覗かせていた。ふかふかの手触りを堪能しながら、心ゆくまで埋もれることにしたリカ。まさに楽園だ。
「大変……僕、癒され過ぎて苦しい! かわいー!」
夜の帳が一度下りてしまえば、ホテルに立ち込める不可思議な気配は濃密さを増した。アンティークな燭台を手に、ひと気のないフロアを散策するシン・クレスケンス(真理を探求する眼/|蒼焔の魔術師《ウィザード》・h03596)は、辺りの気配にも顔色ひとつ変えることなく、規則正しい靴音を響かせて廊下を進む。
「――|師匠《せんせい》、待ってください」
その後ろをついて行くのは、彼とそっくりな風貌をした弓月・慎哉(|蒼き業火《ブルーインフェルノ》・h01686)だった。知らない人が見れば双子の兄弟と思ったかもしれないが、彼らの正体は異世界同位体――同じ魂を持つ、別個の存在だ。
「おや、どうしました弓月君」
「近頃不穏な事件が多いですから、あまり方々出歩くのは」
歩きながらも言葉を交わす。ふたりとも仕立ての良いスーツを着こなしていて、物腰柔らかな雰囲気は共通していたが、シンの目元には怜悧な眼鏡の輝きが宿る。
「……ああ、弓月君は僕を心配してくれているのですね」
慎哉のAnkerであるシンは魔術の才に長け、師匠のような存在でもあった。そんな己の身を案じている弟子に微笑むと、彼は諭すように、穏やかな声で呟いた。
「√能力者では無いものの、僕とて|魔術師《ウィザード》。何かあっても弓月君が戦いやすいよう、自身に降りかかる火の粉を払うことくらいは出来ます」
「それでも――、」
|警視庁異能捜査官《カミガリ》である慎哉は難色を示すも、そこで思い直したように息を吐いた。そう、彼が|自身と良く似た《探究心旺盛な》性格であることは熟知している。Ankerが護るべきものなら、何かあったら自分が護れば良いのだ。
「それに、ただ護られてばかりではないですよ」
慎哉の考えを見抜いたように、シンはそう言うと暗がりの奥に灯りを向ける。
どうやら彼は、この場所に関して思うところがあるらしい。先ほどから何かに導かれるように、迷宮と化したホテルの中を確かな足どりで進んでいく。
(――まだ『あれ』を見つけていないので、参考になれば良いのですが)
何しろこの場所には、怪異の目を眩ます仕掛けがあるのだ。気づかれずに何かが眠っていてもおかしくない。木製の階段を覗き込むシンであったが、その先は上階には続いておらず天井で塞がれていた。代わりに近くの扉を開こうとすれば壁に埋まったダミーだ。
「成程、とても興味深い建造物ですね」
そうしていると、どこからか扉が軋むような音が響いてくる。塞がれた天井からは何かの足音。単なる家鳴りか、それとも騒霊の類だろうか。
「せっかく来たんですから、のんびり探索しましょう」
封鎖された廊下をそっと横切り、慎哉が壁に掛けられた絵画のひとつに手を伸ばした。廃墟の絵ばかりが並ぶ通路で、それだけが少し傾いていた気がしたのだ。
「あ、……壁が空洞になっています」
小窓のようになったそこから顔を覗かせると、直後ふわりと透明なインビジブルが眼の前を過ぎった。まるで熱帯魚のような、小さな魚の群れ。どうやら窓の向こうの小部屋から泳ぎ出てきたらしく、二人は静かに顔を見合わせる。
インビジブルを視認できる人間も異世界にはいるそうだが、シンもその才能を持っているらしい。青い瞳を瞬きさせて彼が灯りを翳せば、その先には黴と埃が積もった書斎が広がっていた。
――柱時計の針は、いつしか皆の寝静まる時刻を指していた。
秘密の探険をするには格好の時間で、翊・千羽(コントレイル・h00734)はのんびりと、ホテルのダイニングを目指して歩みを進める。照明の落ちた廊下には、時おり窓の外の月明かりを受けて、彼の白い姿がまぼろしのように過ぎる。
(……ふふ。可愛かった)
羽をぱたぱたさせて案内をしていた、ちっちゃい星詠みの姿を思い出す。夜食代わりのお菓子があると言っていたけれど、彼の言っていたポン菓子もあるだろうか。お土産に持って帰れたらいいな、なんて千羽が考えていると、行く手に扉が現れた。
「あ、あの部屋はどうだろう――、ん?」
ドアノブを回して、直後に首を傾げる。天井に椅子がくっついていた。すいと視線をずらして壁に目を遣れば、変な方向に階段が伸びている。
「あれ? ……あ、いてて」
出っ張りを避けつつ千羽が歩き出せば、数歩先でよろめいて膝をぶつけてしまった。
どうも四方が傾いているらしい。増改築を繰り返すうち、トリックアートみたいな部屋になってしまったようだ。身体を大きく曲げて続く扉をくぐると、今度は一本道の階段が延々と続いていた。
――目的の場所に辿り着くのは苦手だけれど、これなら大丈夫かな。
がんばろうと気合を入れ直してから、千羽は階段を上りはじめる。最初はおやつのことを考えてそわそわしながら、だけど思った以上に道のりは長く、次第にそわそわはよろよろに変わっていった。
(……この階段、何処まで続いてるんだろう)
上り続けているはずなのに、終わりが見えない。だけど、そうしている内にもお腹は空いてくる。
「どこだい、ポン菓子、お菓子……、まだ先があるのかな」
ビニールに入ったポン菓子の幻影がちらつき始めたところで、終点が見えてきた。
天井に設けられた窓を千羽が覗いてみれば、そこには真夜中にも関わらず一面の青い空が広がっている。
「わあ」
青空の描かれた部屋に続く窓だ。お腹は空いたけど綺麗な景色が見られて嬉しい、そんな風に思っていると、部屋の奥のほうから焼き菓子の香ばしいにおいが漂ってきた。
「……ここまで来たご褒美かな、うれしい」
第2章 集団戦 『ポルターガイスト現象』
――黄昏の世界の迷宮ホテルに、ゆっくりと闇がしのび寄る。
窓から射す月の光が、不意に翳った。雲が出てきたのかと外に目を向けるも、それと同時に窓のガラスがガタガタと震え始める。
(……?)
風ではない。そよともしない外の木々を確かめてから、薄暗い中ロビーに向かおうとしたところで――息を呑んだ。そこかしこで異様な気配がする。凍えるような冷気が吹きつけ、自身に憎悪の視線が幾つも向けられているのを感じる。
「!?」
直後にドン、と荒々しい音がホテルのあちこちで上がった。
見れば、頭上のシャンデリアが振り子のように揺れ、近くのクローゼットはこちらを押し潰そうとじりじり迫ってきていた。
どうやらホテルに置かれた家具たちが動き出したようだ。せわしなく開閉を繰り返す扉に加え、階段までもがこちらの行く手を阻もうと激しく波打っている。
――ポルターガイスト現象。その正体は無害な|見えない怪物《インビジブル》の悪戯であるが、邪悪なインビジブルの関わるそれは容易に人の命を奪うのだという。
外宇宙の刺客は彼らを利用し、Ankerたちを始末しようとしているらしい。
とは言え、ポルターガイスト達は出鱈目に暴れているだけだ。√能力者だろうがAnkerだろうが関係なく襲いかかってくるだろうし、これまでに迷宮ホテルの探索を行っていたのであれば、有利な場所で敵を迎え撃ったり、あるいは彼らを惑わすことも可能だろう。
長い夜になりそうだった。今は何時だろうと柱時計に目を向けるも、そこで大きく溜息を吐いて肩をすくめる。
――時計の針はぐるぐると回転し、出鱈目な時間を示し続けていた。
「――おや」
客室の照明が、不自然な明滅を始めたところで、瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)は静かに顔を上げた。
直後に響く荒々しい音。どうやらポルターガイスト現象が始まったらしい。様々な家具が宙を舞うなかで、大きなキャビネットがこちらに向かって倒れてくる。
それは、花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)が座っていたテーブルを――その上に置かれたチェス盤もろとも、勢い良くなぎ倒した。
「…………、」
ばらばらと飛んでいく|犠牲者《駒とボード》を呆然と、無言のまま見つめる小鳥。
時間潰しにふたりで始めたチェスだったが、あれからもう1ゲームと、気づけば何戦も興じてしまっていたのだった。何度目かの美しい勝利を目前にしながら、|御破算となった《ひっくり返った》ゲームの惨状に、小鳥は恨めしそうに兎比良へと目を向けた。
「不機嫌そうですね」
「ええ。……それはともかく、任務を遂行します」
床に転がったテーブルを退かしつつ、小鳥が拳銃を抜く。そうする間にもこちらへ襲いかかってくる家具のひとつへ、素早く|クイックドロウ《先制攻撃》を叩き込んだ。
(――!!)
空気が震え、|見えない怪物《インビジブル》が悲鳴をあげる。どうやら上手く仕留めることが出来たらしい。粉々になったデスクライトの残骸を確かめると、兎比良のほうも怪異の迎撃に移る。
「では、チェスの続きは夢の中でいかがでしょうか」
――口ずさむ物語は「|赤き王の夢《レッドゾーン》」。辺りの景色がたちまちチェス盤に変わっていけば、彼が物語の主人公となる。そのまま眼鏡に手をかけ、義眼のリミッターを解除、四方八方から襲いかかる敵を正確に捕捉していく。
(兎比良さんへの攻撃は、通さない)
先刻のチェスの勝負を思わせるように、小鳥は突出して前に出ていた。もっともっと破壊したい、という悪霊の叫びを受け止めるように、その身を以て盾となる。
否、盾というより|囮《デコイ》だろうか。|葬送花《フロワロ》を用いて手数の多い、派手な射撃を行う小鳥のほうに、敵は脅威を感じて群がり始めていた。
「成程、確かに目立つ|女王《クイーン》ばかりを狙っていると」
「……問題ありません。攻撃に集中してください」
グレコ・カウンター・ギャンビットを彷彿とさせる、小鳥の立ち回り。
紫煙を靡かせつつ、ポルターガイストの群れを翻弄する彼女の後方からは、兎比良の必中の弾丸が無慈悲に狙いをつけている。
「では、お言葉に甘えて遠慮なく」
――夢をみているのは誰か、敵は最後まで分からなかっただろう。
まさか、|女王《クイーン》の後ろに控えていた|歩兵《ポーン》に|邪魔《チェック》をされ、それどころか|昇格《プロモーション》を行えるほど、陣地の奥まで攻め入られていようとは。
(勉強になりましたよ、有難うございます)
しかし――と兎比良は、辺りに散乱した家具の山を見て溜息を吐く。この後の器物損壊等の報告書を思うと目眩がした。
己の義肢の具合を確かめつつ、怪我があるなら速やかに申告するように、と小鳥に念を押すが、どこか愉しそうな様子で彼女は囁いた。
「まだまだ夜は、これからですから」
真夜中の風が、不意に怖気を振るうような冷たさを帯びた。
しかし――玉響・刻(探偵志望の大正娘・h05240)は、遂にこの時が来たとばかりに、喜び勇んで腰の刀に手を掛けた。屋上の展望台に居たのが幸いして、こちらへ向かってくるポルターガイストの動きが手に取るように分かる。
「――始まりましたねっ!」
あちこちの窓から、宙を舞う家具たちが刻目掛けて突っ込んでくる。本番の襲撃はまだ先だが、まずは彼らの鎮圧を行わなければ――ブーツの踵を軽く鳴らすと、刻は螺旋階段を一気に飛び降りて、屋上の庭園に着地した。
平坦かつ広い場所、となれば此処が良さそうだ。丈の低い紫陽花の花壇の向こうから、さっそく第一波が襲いかかってくる。
「いざっ、尋常に勝負ですっ!」
ゆらゆら揺れるロッキングチェアが体当たりをするより早く、黒蝶を纏った刻が屋上を駆けた。淡く光る無数の蝶によって、彼女の速度は大幅に強化されている。
「――はっ!」
そこから繰り出す超速の居合は、敵の装甲すら貫通する必殺の閃刃だ。すれ違いざまに護刀を抜くと、蝶の羽ばたきは嵐となって辺りに吹き荒れた。
ロッキングチェアが横薙ぎに切断されると、直後に飛来したフロアランプは竹のように真っ二つになった。手数を増やすのは勿論のこと、小物の類は纏めて斬り捨てて敵の多さに対抗する。決して立ち止まったりしない。
「黒い胡蝶は死を告げる蝶、ですっ!」
速さを活かした戦いで攻め立てる刻に、ポルターガイストの麻痺も追いつけないようだった。集中するより先に、告死蝶が襲いかかってくるのだ。真鍮製のテーブルを鮮やかに両断し、刻がふと辺りを見回せば、屋上で動くものは見当たらなくなっていた。
辺りにはただ、アンティーク家具の残骸が散らばっているばかり。仕方がないこととは言え、段々と心配になってきた少女は、思わずこんな風に呟いてしまった。
「……家具壊したら弁償でしょうか?」
聖夜を模した部屋にたどり着き、ささやかな乾杯を交わした後。
暖炉を上がってホールに戻ってきたところで、冷たい空気がディナア・リドフ(みにくいアヒルの子・h02014)肌を刺した。冬の心地良い冷たさとは違う、厭な寒さだ。
辺りの闇が、光だけでなく熱まで奪っているような――途端に、甲高い音があちこちで聞こえてきて、姜・雪麗(絢淡花・h01491)の整った眉がかすかに動く。
「――おや、凝った演出を用意してくれるじゃないか」
首を巡らして辺りを見れば、宙に浮いた家具がふたりに向かって飛んで来ようとしていた。ひとりでに外れていく壁の絵を見て、ディナアのつぶらな瞳が瞬きを繰り返す。
「まあ。……どういう仕組みで動いているのでしょうか?」
「家鳴りとか、枕返しの類でも雇ってんのかねぇ」
冗談まじりに雪麗が答えるが、ディナアは「なるほど、そういう妖さんも」と納得したようだった。ともあれ、今回の騒ぎの主は邪悪なインビジブルのようで、頭上のシャンデリアにちらと目を遣った雪麗は、傍らの友人を促し安全な場所に向かう。
「物がある所はなるべく避けて行こうか。特に、上から降ってこられると大事だ」
ホールのような開けた場所は、頭上からの落下物が危ない。食器類の多いキッチンも避けたいところだ。その辺りの地図は、探険をして大体頭に入れてある。
「皿やらシャンデリアやらの割れ物は怖いからねぇ」
「そうですね、怖いですし危なそうです」
ふたりが頷く間にも、ドアの向こう側で皿が何枚も叩きつけられるような音がする。ここはパスだね、と他の扉を選んだ雪麗は、ドアノブを回してそっと中の様子を伺った。
「……寝室かね」
部屋には大きなベッドが置かれており、早速ガタガタ音を立てて暴れ始めていた。
サイズが大きいぶん宙に浮くまではいかないらしい。あれに当たると痛いだろうが、こちらの方が相手をし易いかも知れない。
(全部避けられる理由もなし、なら――)
妖獣の力を解き放った雪麗が、前へ出る。そこへポルターガイストによって動き出したベッドが、重量を活かした体当たりを仕掛けた。
(――今です)
直後、辺りにちらちらと風花を舞わせながら、雪麗の意図を察したディナアが|凍てつく檻《ザミルザーニイ》を発動する。吐く息さえ凍るほどの|雪娘《スネグーラチカ》の冷気は、瞬く間に地面に氷を張らせ――その銀色の床の上で、貪欲なる獣の怪力を用いた雪麗は、こちらへ突進してくるポルターガイストを、腕の一振りで押し飛ばしていた。
――清々しいまでの勢いで、氷の上を滑走していく大きなベッド。
行く手には開閉を繰り返す扉が待ち受けていたが、そこへ頭から突っ込んでいき派手な音を立てて沈黙する。この衝撃で本体のポルターガイストも消滅したらしい。
「……と、こんな感じで、他のを巻き込んで動き止めちまえばこっちのもんさ」
「まあ」
華奢な外見に見合わぬ豪快な一撃を見舞った雪麗に対し、ディナアがおっとりした声をあげた。扉の向こうにはまだ新手がいるようだが、大きなベッドがつっかえてこちらに来られないようだ。それを氷柱で大人しくさせてから、彼女たちは安全なルートを探して再びホテル内を進み始める。
「……全部相手してちゃキリがないからね」
「はい。最小限の動きにとどめて、速やかに……ですね」
書棚の隠し通路に面食らったりしつつも、チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)は幽霊に相応しいスタイルで、迷宮ホテルでの夜を愉しんでいた。
手を触れずに本を動かし、仕掛けを元どおりにしてから談話室へ――そうするなり彼の目に飛び込んできたのは、我が物顔で暴れるポルターガイストの群れ。
(……同族か)
金の瞳を細めて、ガタガタと音を立てて浮かび上がるソファを睨む。
そうしている間にも、壁の書棚からは何冊も本が抜け出してきて、チェスターを嘲笑うように宙をくるくると飛び回る。奴らの纏う霊気のせいか、部屋の空気は随分と下がっているようだ。
「やあ、いい夜だね――」
それでもチェスターは悠然と、尊大とも思える態度で悪霊たちに挨拶をする。
このような光景には慣れているのだ――彼の家が|そう《・・》だから。
(|こんな《ゴースト憑きな》ところまで、そっくりだ)
直後、臆する素振りを微塵も見せないチェスターに向かって、ポルターガイスト達が一斉に叫んだ。もっともっと破壊したい、そんな悪霊たちの声は衝撃波となり、彼を麻痺させて動けなくさせる筈――だった。しかし、
「……だから、読めるんだ。君たちがどんな手を使うか」
チェスターは辺りに漂うインビジブルに目を向けると、|選手交代《ゴーストダイブ》で立ち位置を入れ替える。たちまち霊気が膨れ上がって、まるで瞬間移動をしたかのように、彼は別の場所に姿を現わしていた。それだけではない。入れ替わったインビジブルは霊障と化して、触れたものにダメージを与え続けるのだ。
「俺はここ、しっかり狙いなよ」
四方八方から飛んでくる本を、そうして立て続けにダイブで躱していけば、辺りに次々と霊障が湧き起こってポルターガイストを相殺する。何せ|交代する選手《インビジブル》はどこにでもいるのだ。力を失った本がどさどさと床に落下していく。
業を煮やしたのか、両サイドから挟み撃ちしようとソファが迫って来たが、それもチェスターはギリギリまで引き付けて|選手交代《ゴーストダイブ》で躱した。
「――残念。俺はここだよ」
派手な音を立てて、正面衝突したソファたちに軽く声を掛ければ、最後の大物が控えていた。本棚を持ち上げようと集中しているポルターガイスト――そこへ肉薄して動きを止めれば、試合終了はすぐそこだった。
むう……、と愛らしい溜息を零し、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は近くの柱時計に目を遣った。結局、お菓子が置いてある部屋には辿り着けなかったものの、気づけばもう真夜中だ。一方の詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)は、次は何処へ行こうかと考えを巡らせ――瞬間、その精緻な貌を険しくさせた。
「……ララ、気をつけて」
咄嗟に彼女を背に庇ったところで、廊下のキャビネットがガタガタと動き出す。
(ふぅん……こいつらを使って、聖女サマを害そうってわけか)
ひとりでに捲れ上がるシルクのカーテンはお化けのようで、怪しく瞬きするウォールランプの灯りに、宙に浮く椅子たちが不気味に照らされていた。しかし、そんな邪悪なポルターガイストを目の前にしても、ララが余裕のある態度を崩すことはない。
「あら、家具がやんちゃし始める時間なのかしら?」
騎士が守ってくれると確信しているから、少女は悠然と微笑んで周囲の状況を観察する。こちらへ飛んできそうなものは――キャビネットの中にあるクリスタルのグラスだろう。それをそっと耳打ちすれば、すぐにイサが迎撃に移った。
「――随分と小癪な真似をしてくれるね」
ララに手出しはさせないと、張り巡らせるのは泡沫のバリア。周囲に舞うのは雨粒のような輝きで、イサが黒衣を優美にひるがえせば、漆黒の蛇腹剣が飛来するグラスの群れを次々になぎ払った。
「「!!!!」」
直後、悲鳴のような甲高い音が周囲に響き渡る。どうやら、本体であるポルターガイストも一緒に、粉々になって消滅したらしい。そんな中、敵の攻撃の切れ間を縫って、カーテンのお化けへと斬り込んでいくのはララだった。
(影踏みしましょ)
包み込むように広がるシルクの布を、金銀のカトラリーで切断し――串刺しにする。 途端に光の桜吹雪が周囲に舞って、ララの姿はまぼろしのように掻き消えた。
(ララは絶対傷つけさせない)
なおも飛んでくる邪魔なグラスには、すかさずイサが|鳴海ノ蝕《アビスバレット》を放って止めを刺す。海鳴りの侵蝕と同時、味方へもたらされるのは|海の女神《テティス》の加護で、ララの刃は飛来する丸テーブルを打ち返すように、そのまま見事に切断していた。
「お前の加護のおかげで、動きやすいわ」
「……“俺”の加護で?」
演技を止め、|護衛《シュバリエ》の物言いとなったイサがかすかに眉を上げる。嬉しいと感じたのだろう、直後に放たれたレーザーが敵を撃ち抜き、一瞬で蒸発させる。
まるで芸術品と見紛うような、|造られた人形《レプリノイド》の少年に護られながら、聖女の幼子はふと思う。パパも――いつもこうやって、ララを守ってくれていた。
(イサは、パパとは違うけど)
守って貰える、ということは悪くない気持ちなのだけど、でもそれだけじゃダメだ。
――背後から襲いかかる家具へ、素早く向き直って粉砕する。直後に踊るのは迦楼羅炎。
「安心しなさい、イサ。……お前の背中はララが守るわ」
「はは! 頼もしいな聖女サマ」
どっちが守られているんだか、と思わず呟くも、イサはララの|護衛《シュバリエ》なのだ。後れをとるわけにはいかない。
少女の白い素足がトン、とカーペットを蹴ると、嫋やかな少年の手はゆっくりと宙を踊り――敵へ速やかな死を与えるべく、漆黒の鞭を振り下ろしていた。
わずかに肌を粟立たせる程度だった冷気は、今や凍えるまでになっていた。
ポルターガイスト現象が始まったらしい。ホテルに飾られていた花瓶が、不思議な彫像が、まるで命を得たかのように次々と宙を舞う。憎悪の感情が辺りに吹き荒れる中、氷薙月・静琉(想雪・h04167)は凪いだ表情のまま、静かに悪霊たちと対峙していた。
生者に認識されることがないのは、彼も同じ。しかし、向こうは憑依した物体と完全に同化しているらしい。どんな姿形をしているのか、幽霊同士であっても分からなかった。
(成程、不気味だ)
厄介だが、やりようはあった。幸い、奴らの憎悪にあてられて、ホテルの従業員たちは動けなくなっているらしい。無用な混乱が起きることはなく、戦いを見咎められることもない――と、そこで彼が通路の向こうに目を遣ると、新手が呪詛を放つのが見えた。
(負の感情か。……どの程度耐えられるか)
霊的防護の心得はあるし、呪詛に多少なりとも強い自負もある。
それに、動けずとも意志までは止められまい。そのことを裏付けるように、静琉の意を汲んだ幽影が蛇のように蠢く。破壊の意志に晒されつつも、彼のほうへと押し寄せる悪霊の集団を、巧みに防いで憑いた物品を破壊していく。
「さて――今度は、此方の番だ」
わずかに生まれた隙を、静琉は見逃さなかった。膨大な呪力を行使することも躊躇わず、言の葉に乗せて辺りへ放つ。
《聲は闇 言は月》
霊力と神力を併用した|祷言淨咒《ジュゴンジョウジュ》は、辺りを忽ち月下の神域に変えた。
《……平伏せ。我が意志に背く事なかれ》
神域の主となった静琉が、雅扇を開いて舞うが如く腕を振るう。扇に描かれた白木蓮が、破魔の光に照らされて可憐な花を辺りに舞わせる。
同じ幽世の住人とあらば、同情の余地も無くはない。故に、一瞬で終わらせる。
「……苦しみ無く、逝くが良い」
月光が淡く一帯を包めば、周囲のポルターガイストは完全に浄化されていた。後に残るのは、ほのかな白檀の香りのみ。
(――二度と迷わんように、な)
お風呂に入って美味しいご飯を食べて、それから部屋へ戻ってゆっくりして――そうして夜も更けた頃、ベッドで寛ぐエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)の元に、家具たちの暴れるけたたましい音が響いてきた。
「……わぁ、なんだか賑やかになって来た?」
部屋でのんびりしていたとは言え戦いの準備はばっちりで、すぐに跳び起きたエアリィは精霊の剣を手に音の出処へと向かう。その後ろに続くシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)も、異常事態を前に動じていない様子だ。
「あらあら、また変なのがいっぱい出てきたね」
大精霊の外套を羽織り、ツリーハウスの渡り廊下へ出たところで、ポルターガイスト達と遭遇した。建物の窓から次々に、宙を浮く家具が現れて襲いかかってくる。しかし今いる場所は狭く、移動も限られているので迎撃には向かない。
「うーん、ここじゃ立ち回りしにくいし……」
「だったら、エア、あなたならどうする?」
大きな目を動かして辺りを見回すエアリィに、シルの落ち着いた声が問いかけを行う。こんな時でも彼女は師匠として、娘に教えを授けようとしているらしい。飛来してくる額縁を前に、シルは答えを待ちつつ静かに長杖を構える。
ややあってからエアリィは、自らの考えをはっきりと口にした。
「――うん、ここは逃げると見せかけて、立ち回りやすい場所に行こうっ!」
青色の髪を元気良く揺らすと、少女は一気に廊下を駆け出した。そうして母親を先導するように、確かな足どりで別の建物へ向かう。
(立ち回りやすい場所……どこかな、広場とか中庭とか)
走りながらも目的地に思いを巡らせる。温泉を見つけようと、自分であちこち探し回った経験が役に立った。精霊を使役する手間を省いて、立ち止まったりすることもなく、エアリィは勢いよくホテル内を駆けていく。
「ほら、エア。後ろから狙う敵もいるからね」
後ろから飛来する物体には、シルがそっと蒼翼砲の銃口を向けて撃退に当たる。流石に全方位に気を配るのは難しいだろうし、援護射撃くらいなら自分にも可能な筈だ。
「ここがいいかな、――よし、迎え撃つっ!」
中庭にたどり着き、敵を誘導したところでエアリィが詠唱を始める。両手には銃と剣。母親の教えを胸に六界の精霊達に働きかけて放つのは、複合属性の強力な魔力弾だ。
――狙うのは、敵が一杯集まっている中心点。向こうも詠唱の途中で、移動が制限されている中、先に詠唱を終えたエアリィが精霊銃を構えた。
「銃口に集いて――すべてを撃ち抜く力となれっ!!」
放たれる|六芒星精霊速射砲《ヘキサドライブ・ソニック・ブラスト》。直後、着弾地点を中心に、六属性の魔力が吹き荒れた。
敵を撃ち抜くだけではない。味方であるシルには、精霊の加護を与えるのだ。先ほどの一撃でポルターガイストのほとんどが消滅していたが、それでもわずかに残ったものが襲いかかってくる。しかし光翼の籠手を構えたシルは、強化された術式で難なくそれを受け流した。
「ほらほら、あたしはここだよっ! 狙ってきなさいっ!」
その間にもエアリィがポルターガイストに接近戦を挑み、確実に数を減らしていく。
――全てを倒すまで、そう時間はかからなかった。
辺りに漂っていた紫煙もどこかへ消えた頃、野分・時雨(初嵐・h00536)はゆっくりと立ち上がって軽く伸びをする。ひさびさに一服して大満足だった。
そろそろ仕事の頃合いだったが、気分も上々でやる気も出てきた――と思っていたら。
「……家具やらが相手ですかい」
怪しげなラップ音を響かせながら、屋上までやって来たポルターガイストの集団を見てつい時雨の口から本音が漏れた。重たそうなクローゼットなど、確かにぶつかると痛そうではあったのだが、彼の言いたいことを察したのか、緇・カナト(hellhound・h02325)がのほほんとした調子で言った。
「外星体同盟の刺客が現れるって話だっけねぇ」
こことは別の地球、悪の組織が跋扈する世界より。迷宮ホテルを舞台に、謎めいた宇宙人が侵略を開始する――とくれば、ひと昔前の雑誌にでも載っていそうな雰囲気なのに。
せめて宇宙人っぽい、3メートルくらいの目が光っている怪人でも出てきてくれれば良かったのに、と時雨は不満げな様子だ。萎える、と家具の群れに悪態を吐くが、√EDENから回収されたであろう|見えない怪物《インビジブル》は構わず襲ってくる。
「ま、それも全部壊して回れば済むコトだし……夜更かしがてら楽しむとするかなぁ」
カナトが言うには、これは騒音被害を気にしなくていい夜遊びなのだという。
遊びたい盛りの牛鬼クンにはピッタリだろう、なんて時雨のほうに向かって、意味ありげに呟きを漏らす。
「……ねェ、体力有り余ってそうな時雨君?」
「あー、体力はありあまっておりますとも!」
白い角を見せつける時雨が、手にした卒塔婆をぺちんと鳴らした。近所の住職の怒り顔が目に浮かんだが、さらっと流して|牛脊雨《ギュウセキウ》を呼ぶ。たちまち辺りに広がる雨雲が、ポルターガイストと融合してその動きを鈍らせていった。
「ホテル内濡らしてごめんなさ~い、……と」
そうして、鈍化していった家具から順に卒塔婆で殴る。悪いインビジブルにはお仕置きだ。おお、丁度いい具合にボールが飛んできた。ベールボールではなくバスケットのボールだけど、たぶんホテルの備品だろう。
「カナトさ~ん、野球しようぜ!」
サイズ大きめのボールを掴み上げた時雨が、卒塔婆のバットで豪快に打つ。夜になるほど気分がアガるし、夜更かしは得意なのだ。
「おぅ、お前ボールな」
一方で、詠唱を終えたカナトのほうは、ベラドンナの魔香を付与した手斧で迎え撃った。もし空振りをしても、辺りは魔香の力で幻影の花畑に変わり有利な状況に持ち込める。
そうして飛んで来たバスケットボールを、彼は打ち返す――のではなく、真っ二つに斬り落とした。薪割りの要領で。
「って、真っ二つにしちゃ野球じゃないじゃん!」
「……此れはボールとバットの野球と言うより、袋叩きとか集団ナントカに近くないかなぁ?」
ぺしゃんこになったボールからは、空気どころかポルターガイストの魂まで抜け出てしまったらしかった。
時雨のツッコミにもマイペースな返しを行うと、カナトは飛来する家具を斧で次々に叩き壊していく。ねぇ、と時雨の卒塔婆ノックを待ち受けつつ、彼は楽しそうに言った。
「野球じゃなくてさ、呼び方変える方がイイんじゃないかなー」
――真夜中の野球モドキごっこ。
額縁を退かして現れた通路に、弓月・慎哉(|蒼き業火《ブルーインフェルノ》・h01686)は慎重に足を踏み入れる。
「危険ですので、|師匠《せんせい》は退がっていてください」
念のため、背後のシン・クレスケンス(真理を探求する眼/蒼焔の|魔術師《ウィザード》・h03596)に声を掛けると、撃鉄を起こす音がかすかにした。自分も後に続くつもりで、いざとなったら身を守る用意がある、ということらしい。
(書斎……に、如何にもな感じの鎧まで)
隠し部屋には、まるで見張りのように古びた西洋甲冑が置かれていた。黴と埃の淀んだ空気のなか、ふたりは棚に並んだ本の背表紙をさっと追う。魔術関連の書物が目を惹いた。灯りのない部屋には妙な閉塞感が漂っていて、調査を行うシンが何かに気づきかけたところで、慎哉が鋭い声を上げる。
「――|師匠《せんせい》!」
咄嗟に彼を背に庇い、素早く床に身を屈めた瞬間、近くの棚から何冊もの本が飛来してきた。ポルターガイスト現象が始まったらしい。辞書ほどの書物だと殺傷力も凄まじく、すぐ近くの甲冑から武具を拝借した慎哉が、なおも飛んでくる本からシンを庇う。
(やって来た壁の通路は……危険ですね)
狭い部屋で戦うのは不利だったが、かと言って小窓から戻るのもリスクが大きい。怪異を恐れはしないものの、決して甘く見たり油断したりはしない――そこで暗がりに目を遣ったシンは、壁の近くで透明な魚が泳いでいるのに気づいて息を呑む。
(……あの熱帯魚は、先程出て来たインビジブル)
どこかへ行ったと思っていたら、再び戻ってきたのだろうか。
そこで彼は、壁紙が不自然に縒れている箇所を発見した。素早く剥がしてみれば隠し扉がある。妙な閉塞感の正体はこれだったようだ。
「弓月君、見つけましたよ」
落ち着いた声で弟子に合図を送ると、慎哉は動く甲冑と鍔迫り合いをしている最中だった。彼はそのままの体勢で、シンが見つけた扉に|霊震《サイコクエイク》を使う。
(扉は開いた、あとは――)
霊能震動波の矛先を、今度はポルターガイストにも向ける。凄まじい揺れによって、たちまちバラバラになる鎧。弾かれた剣は、上手い具合に壁へ刺さってくれた。そうしている内にポルターガイスト現象は治まり、辺りに静けさが戻ってくる。
「ここは……」
見つけた隠し扉の先には、種々雑多な品が収蔵されているようだった。
ふと、シンがそこで見つけたのは、蒼い海が封じられたようなキューブ。手に取ると不思議な感覚がした。確かめる術はないが、もしかしたらAnkerになり得る物品なのかも知れない。
「先程の小さなインビジブル達は、ここに取り込まれていたのですね」
ぽつりと彼が呟けば、蒼い輝きの向こうで、すいと透明な尾びれが宙を舞った。
第3章 ボス戦 『外星体『サイコブレイド』』
憎悪を撒き散らしていたポルターガイストの、最後の一体が消滅した。
寒々とした空気がふっと和らぐ。窓の向こうでは、星たちが優しい光を瞬かせていた。辺りは平穏を取り戻したかに思えたが――その時、広間の柱時計が、鐘を十三回鳴らして不意に沈黙した。
(――!?)
厭な予感がする。ホテルの出口、深い森に囲まれた門の近くで、先ほどの悪霊とは比べ物にならない程の殺気が高まっていく。
「……“欠落を埋める存在”は、襲撃を乗り越えたか」
目立たぬコートを羽織った、壮年の男性がそこに居た。只人ではない。身体から異形の触手を生やし、額に覗くのは第三の眼。
外星体同盟の刺客、サイコブレイド――幾星霜を生きた、極めて強力な王権執行者だというが、その態度にはどこか迷いが見える。非情に徹しようとしているのに、苦悶の表情を隠しきれていない。
――邪悪であろうとする、迷い、のようなものが見えた。
√能力者とAnker。彼らの姿が見えるたび、励ます声が聞こえてくるたび、サイコブレイドの苦悶は大きくなっていくようだった。
「が、『Anker抹殺計画』に変更はない。任務を遂行する」
それでも戦いを止める、という選択はないらしい。迷いの中にあるとはいえ、王権執行者のひとりに、油断は禁物だ。
彼が「赦されざる悪」として立ちはだかるつもりなら、こちらも堂々と、「護るべきもの」を守ってみせよう――。
※Anker救出により、サイコブレイドの戦闘力が低下しています。また、この戦闘でサイコブレイドがAnkerに手を出すことはありません。
暗がりの森のどこかで、カラスの鳴く声が聞こえた。夜明けには未だ遠く、そんな中でも姜・雪麗(絢淡花・h01491)の真白の髪は、艶々と妖美に輝いて侵略者を誘う。
(――噂には聞いてたが)
実際に見えるのは初めてで、さて、この男は――殺し屋か、それとも悪党か。妖とも違う異形は、空の向こうからやって来た「外星体」なのだと言うけれど。
「……使命に邁進する姿だけ見れば、|英雄《ヒーロー》なんて言ってやっても良さそうだけどねぇ」
そんな雪麗の言葉に、敵は痛みを覚えたかのように息を呑んだ。無言のまま佇む彼を前に、恭しく挨拶を行うのはディナア・リドフ(みにくいアヒルの子・h02014)。
「サイコブレイドさん、貴方様のことは存じ上げております」
感情を抑えたその声色は、喩えるのなら凍てついた花だ。有名人でいらっしゃいますものね、と慎ましやかに雪娘が続けると、辺りの空気がすっと冷えた。吐き出す息が白く凝り、そこにきらきらと光るものが混じる。
「貴方様を野放しにすれば、さらに奪われる命が増えるので――止めさせて頂きます」
決意とともに、ディナアが解き放つのは|凍てつく檻《ザミルザーニイ》。先刻、悪霊を撃退した時のようにサイコブレイドの足元が氷の地面と化し、更に動きを鈍らせるべく雪が纏わりつく。
「――雪麗さん、それに他の皆様も」
「あァ」
すぐに暗殺の体勢に移ろうとするサイコブレイドだが、こちらの方が早い。迷いのせいだろう。黒眼鏡の奥の表情は分からなかったが、額にある第三の眼が、真っ直ぐに飛び込んでくる雪麗を戸惑うように見つめていた。
「改心するなら、早いほうが楽なものだけど、さ」
呟くと同時、獣妖の怪力を宿した腕を振りかぶって、敵の獲物――サイコブレイド共々へし折ろうとする。瞬間、凄まじい音が響いて、敵の触手が幾つか千切れ飛んだ。
√能力者の探知を掻い潜ろうと、速度と戦闘力を犠牲にしたのが仇になったらしい。サイコブレイドが体勢を崩す。そんな中でもディナアの援護を受けながら、雪麗は目の前の敵を逃さないよう、確実に追い詰めにかかっていく。
「……ま、生き方の変え方なんざ百年がかりの大仕事だ」
白い歯牙をちらつかせ、意味ありげに舌なめずりをする彼女の正体は、饕餮――欲深さの象徴である獣妖だと言うけれど、その見目からは想像もつかなかった。
気配を断ったサイコブレイドは、なおも暗殺をこなそうと足掻いている。彼の能力を用いれば心理的な死角を突くことも可能だろうが、ここに来ても“迷い”があるらしい。
「やはり、命を奪うことは貴方様の意思ではないのです?」
戦いつつもディナアが問う。返事の代わりに、彼は鋭い氷柱を黙って受け止めた。不思議な色をした血が、流れる前にたちまち凍りつく。
(……いえ、今はただ止めることを考えましょう)
纏わりつく雪の欠片が、仲間たちへの目印になってくれるだろう。幸い、この場は上手く収めることが出来たようだが、あんなのとずっとやり合っていたのでは身体が何個あっても足りない――肩をすくめた雪麗は、思わずこんな風にぼやいていた。
「で、……今夜は泊まっていけるのかい」
任務は大詰めを迎えていた。|夏至の頃《ミッドサマー》に舞う、季節外れの雪の欠片を、瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)はただ静かに追いかける。
先行するのは花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)。こんな時だというのに、彼女は煙草を止める気はないらしい。夜明け前の暗がりに幽かな灯がちらついたと思ったら、甘い匂いがこちらにまで漂ってくる。
「彼は、なんだか複雑みたいですね」
標的――サイコブレイドと交戦を行う直前、不意に彼女が声を発した。
兎比良に向かって言ったのだろう。怪訝そうな表情を浮かべた彼に対し、小鳥は優美に微笑むと懐の拳銃に手を掛ける。
「“何か”を抱えたまま任務を遂行しようとする。|誰かさん《・・・・》みたいじゃありませんか?」
直後、兎比良の眉間の皺が深くなったのは、煙草のせいだけではない。しかし、彼女の言葉を否定することもなく、兎比良もまた銃を抜いた。
「ええ、……けれど私は、自分の選択を決して後悔しない」
そこには苦悶も迷いもないのだと、自らに言い聞かせるように。サイコブレイドに先制攻撃を行う小鳥に続いて、彼は「物語」を具現化させる。
『物騙――|十三番目の魔女への報復《スリーピング・スリーピース》』
残酷な御伽噺が語るのは、紬糸の牽制と鉄茨による捕縛だ。敵を視界外へ逃亡させないよう兎比良が拘束を行うなかで、小鳥は自らを囮に、サイコブレイドの攻撃を誘う。
「何かを背負うのは重いものです。それが命ならなおのこと」
「――ああ」
敵の圧力は先ほどとは比較にならなかった。的確に防御を行う必要があるが、相手もそれを察してなかなか隙を見せてくれない。生半可な気持ちでは、すぐに気取られてしまうだろう。こちらもダメージを負う覚悟で、小鳥は|死棘《スティンガー》での近接戦闘を挑む。
(苦にしない……だけでは、彼が心配するでしょうが)
やられてばかりではいられないのだ。向こうの攻撃の方が速かったが、ブレイドで部位を持っていかれることは避けられた。ぱっと辺りに血の華が咲くなかで、兎比良が何かを口にしようとする。
しかし、小鳥は不敵な笑みを浮かべると、そこで反撃の銃弾を叩き込んだ。
「問題ありません。それに――」
――戦場での命の気遣いは、戦士にとっては侮辱ですよ、と。
カウンターの|水棲種《ハイドラ》が発動すれば、先ほど小鳥が受けた傷は全て回復していた。戦いには覚悟が必要だと言わんばかりに、彼女は銃口から上がる煙にふっと息を吹きかける。
(……釘を差されましたか)
声を掛ける前だったので、刑法231条――侮辱罪は適用されずに済んだのが幸いだ。眼鏡の奥、義眼の能力で捕捉を続けながら、兎比良は慇懃に問いを投げかける。
「さて、戦場で気遣いは侮辱とのことですが……貴方はどう思われますか、サイコブレイドさん」
物語も終幕だ。紬糸と鉄茨の後に控えるのは、緑炎による強烈なとどめの一撃だった。
「随分と心身に深手を負っているようですし、"気遣い"して差し上げますよ」
ホテルの正面扉から、噴水のある庭を突っ切って戦場へ向かう。
紫紺の袴が鮮やかになびいた。正に一陣の風と化した玉響・刻(探偵志望の大正娘・h05240)は、いつでも刀を抜けるようにしながら、辺りの様子を慎重に窺う。
「凄い殺気、あの人がっ……!」
少女の瞳が見つめる先には、血に塗れた服で静かに立ち尽くす男が居た。彼が手にした刀――サイコブレイドには、何らかのエネルギーが蓄えられつつあるらしい。
いよいよ事件の首謀者との対決だ。相当な実力者であることは刻にも分かったが、何としても凶行を止め、彼に教えてやらねばならない。
「そう、今のあなたでは、目的を達することなどできないのですっ!」
淡く光る黒蝶がどこからか群れ集えば、それを纏った刻の速度が瞬時に増した。サイコブレイド目掛けて彼女が果敢に斬り込んでいくなかで、リカ・ルノヴァ(Bezaubert・h00753)も|死霊の小鳥《カワイコ》を召喚して援護を行う。
「あのね、どんな理由があっても、ひとを傷つけようなんて考えたらイケナイって……ママとパパが言ってたし、僕もその通りだと思う」
澄んだ青の瞳で、まっすぐにサイコブレイドを見つめながら思いをぶつける。そんな少女を励ますように、硝子細工を思わせる小鳥の群れが、夜明け前の空へ羽ばたいていった。
「だからおじさん! ちゃんとゴメンナサイして!」
瞬間――透き通った囀りが、ブレイドのひと振りで消し飛ばされる。敵が反撃に出たのだ。しかしその所為で、刻への対処が遅れたらしい。
「速さなら負けませんっ――!」
超速の横薙ぎが、チャージ途中の刀身を砕かんばかりの勢いで迫る。直後、甲高い音とともに辺りに閃光が弾けた。外宇宙の力が飛散し、敵の大技は不発に終わる。
リカの使役する死霊は減ったものの、未だその数は多い。何より彼らの想いが力をくれる――|リカ《ママ》のことが大好きで、守ってみせると言わんばかりに。再度構えを取るサイコブレイドだが、彼が迷っているのは明らかだった。
「そんな顔をするくらいなら、今すぐにでもこんなつまらないことは辞めたらいいのに」
――ふと、鳥たちの囀りのなかに、不遜な少年の囁きが混じる。
直後に銃声。ブレイドを手にした男が体勢を崩し、続く|霊弾《サイコバレット》によってその獲物までもが呪詛を受けていた。宙に浮かぶチェスター・ストックウェル(幽明・h07379)が、いつの間にか|自動拳銃《P232SL》を手に狙いをつけていたのだ。
「そしたらまた、自分のAnkerを探しに行けるだろ? ……って、俺が見えるんだ?」
と、仲間だと思ったのか、話をするチェスターの周りに小鳥たちが集まってきた。力を貸してくれるようだが、金色の髪にじゃれついてくるのが少しくすぐったい。
まぁ、可愛いけど――なんて軽く呟いて、幽霊少年は拳銃をくるりと回す。
「ま、退く気がないのなら、俺も|警視庁異能捜査官《カミガリ》としての職務を全うするだけ。……|√汎神解剖機関《ここ》はうちの管轄なんだよ」
霊障と|呪《まじない》で戦局を有利に持っていきながら、チェスターはサイコブレイドの間合いに入らないよう、遠距離からの射撃で攻め立てていく。ちまちま撃っていると思われようが、構うことはない。あの刃は、掠っただけでも痛そうだ。
(あのおじさんにも大好きな人、いるのかな……)
そんな中でも、リカの召喚した死霊たちが、もこもこのお団子みたいになって防御してくれるので、致命傷は避けられていた。鳥ちゃん可愛いよー、なんて少女が声を上げる近くでは、刻が必殺の機会を窺っている。
(僕の“あんかー”はやっぱり判らないけど、でも、僕の大好きな子たちならいるから)
その子たちを傷つけられたくないし、向こうが悪いことを止めないのなら、リカ達にだって考えはあるのだ。大好きの気持ちを胸に、サイコブレイドの凶刃をどうにか凌ぐ。
「幽霊に会うのは初めて? ……今の顔、悪くはなかったよ」
ふっと姿をくらまして、歪みの向こうからチェスターが声を響かせたところで、刻が踏み込んだ。|胡蝶乱舞《コチョウランブ》――そこから再度放つ、閃刃・告死蝶。
「迷いのある心で刃を振るったとて、何も成すことは出来ない……」
神速の居合は、今度は武器ではなく、サイコブレイド本体を正確に斬り裂いていた。
「それが、私の教えられた剣術ですっ!」
異形の触手が傷口から生えると、サイコブレイドの肉体は瞬く間に修復されていく。
――色々と悩みを抱えている人物のようだが、まだ戦うつもりらしい。幾度となく彼の起こす事件に遭遇し、その企みを阻止してきたシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)は、そっと横目で娘の様子を窺う。
(……悩み、そして迷い。戦う中では致命的な隙になるけど)
どうする? とシルが訊ねる前に、エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)の考えは纏まっていたようだ。Anker抹殺計画には結構お付き合いしているし、これが初めてと言う訳ではない。サイコブレイドに何があったのか、聞きたいところではあるけど――正直そんな余裕はないだろうと、エアリィにはちゃんと分かっていた。
「まぁ、迷っていてもかなり強いのは違いないから」
「そうだね。エア、格上相手に油断は禁物……しっかりやってきなさい」
いつものように送り出してくれる、シルの温かな声を背に受けて。素早く詠唱を開始したエアリィは六界の精霊たちの加護を得て、新たな力をその身に纏う。
「この力は――大切な人を守るために使うからっ!!
極彩色の煌めきに包まれるエアリィは、直後、三対の魔力の翼を広げて空へ羽ばたいていた。その光の残滓は、収束していき新たな武器――世界樹の双刃へ姿を変える。
「あたしの新しい力、しっかり味わってね♪」
いつの間にか少女は、新たな魔法を編み出していたらしい。しかし、可愛らしくポーズを決めてから、精霊の翼で宙を駆けていくエアリィを見守っているうちに、シルは妙な既視感に囚われてきた。
(……な、なんだか巷の魔法少女っぽいけど)
休日の朝などに、娘と見ていた気がしないでもないが、まぁ発想力は大切だよねと頷いておく。それはさておきAnkerとして見届ける立場にあるとは言え、いざとなった時の備えはしておこう。長杖を手に魔法を唱え、シルは幻影を生み出すと攻撃に備える。
そうしている間に、エアリィの方はサイコブレイドとの交戦に入ったようだ。速度を維持したまま、彼女は宙を滑るように上空からの攻撃を仕掛ける。
「いくよっ!」
両の手で、立て続けに世界樹の刃を振るう――華麗な舞いを思わせる連撃は、しかし敵の方がわずかに速かった。近接戦を見越していたのか、サイコブレイドの狙いすました一撃がエアリィを襲う。部位を持っていき、そのまま再行動をするつもりなのだろう。
(それでも……っ!)
致命箇所への防御は心がけているものの、果たして防ぎきれるかどうか。精霊の加護がオーラとなって立ち昇るなか、エアリィは歯を食いしばる。
――その、瞬間。シルの蒼翼砲から放たれたプリズムの光線が、サイコブレイドの刀身に立て続けに炸裂して、その軌跡を上手く逸らしていた。
「……大切な娘がピンチで、動かない親がいるとでも思っているの?」
落ち着いた声で、翼の意匠のライフルを構えたまま、シルはサイコブレイドに向き直る。自分はAnkerで、狙われているのだとも分かっている。例え太刀打ちできないほどの相手だとしても、それが動かない理由にはならない――決然とした態度で告げるシルに、サイコブレイドの表情が明らかに変わった。
「お前、は――お前“達”には、それ程の覚悟、が」
ヒーロー達の存在する世界で、『悪の組織』は大切なものを人質に取ることで人々の力を削ぐのだと言う。団結、結束、信頼、そんなひとの美点は時に弱みとなる。
「だけど、あたしは守る――そして、戦い続ける!」
シルに向けて大きく頷いたエアリィは、双刃を構えると再度サイコブレイドに向かって斬り込んでいく。何度でも、刃が届くまで、諦めたりはしない。
「守るために、負けたくないからっ!!」
騒霊騒ぎもようやく収まったかと思えば、まだ最後の悪戯が残っていたのか、アンティークな柱時計がけたたましい音を鳴らした。
今は真夜中の筈だが、鐘の音が妙にしつこい。十一、十二、十三回――、
「鐘鳴りすぎうるさ~い!」
屋上から引き上げてきた野分・時雨(初嵐・h00536)が思わずそう叫んだところ、時計はぴたりと沈黙した。が、そうなったらなったで静寂が耳に痛い。
「野球ごっこしてたら、夜でも明けちゃった……?」
「何これ、試合終了の音? まぁ、野球はぼくの勝ちで」
その時、階段をゆっくり降りてきた緇・カナト(hellhound・h02325)が、カーテン越しの窓に目を向けた。日の出には未だ早いらしい。まぁ、今まで闇夜の中、飛んでくるポルターガイストをばんばん叩き斬っていたのだが、打ち止めになったところで|噂の外星のヒト《サイコブレイド》がお出まし――ということか。
「あぁ、その合図かァ、……ってこんな御遊戯に勝ち負けとかナイでしょ」
納得した様子で、エントランスの扉を開くカナト。台詞の後半は時雨に向けてのものだが、彼はすでに悠々とした足どりで敵の元へと向かっていた。
やっぱり猪突猛進と言えばいいのか、バッテリー未満すぎて解散しなくちゃねェ、などと呟いてカナトもその後を追う。今度の遊び相手は外宇宙のイケオジだ。
「――さて、三つ目の方!」
ホテルの門の近くでは、時雨がさっそくサイコブレイドへの呼びかけを行っていた。戦いが進んで向こうは青息吐息のようだが、それを差し引いてもしんどそうだった。
「苦悶の表情。正しさと過ち。分別心に苛まれているのかな」
自縄自縛の苦しみはわかりますとも、と諭すように続ける時雨は、山寺での日々の賜物か、雲水の如く清々しい顔をしていた。
「苦しみはわかる。でも、ダメ」
「……って、随分あっさり切り捨てたねェ」
そこで追いついたカナトが、影業を這い上らせて詠唱を行う。綴られし記銘を遂行せよ――その言葉が終わるや否や、大鎌を模倣した黒い物質が彼の手に収まる。
「さて……得物で暗殺者対決でもして行くかい?」
何気なく呟いて黒鎌で空を薙げば、サイコブレイドの居る空間が一瞬で引き寄せられた。目の前に迫るブレイドと、嬉々として刃を交えるカナト。大剣vs大鎌のロマン武器対決は剣舞のように鮮やかで、高命中のサイコストライクを|執行・壱《エグゼキュターワン》の刃が、空間引き寄せの力とともに阻む。
「それじゃ隙を突いて……初めてなので。試し打ちさせてくださいませ!」
と、そんな丁々発止の合間から、時雨が√能力を発動させた。彼が援護してくれるなんて珍しい、とカナトが期待するなか、精神を集中する彼の指先が淡く光る。
移り気の花雨に御用心――そこから放たれたのは、|集真藍《ハイドランジア》の水霊弾。しかしその狙いは逸れて、戦うカナト達の足元に着弾して一気に弾けた。
「は? ……なんかズレた。脚狙ったんだけど」
萎えた。もうヤダ~、なんて声が直後に上がる。蒸発する汚染水によって辺りにダメージを与える能力とは言え、これはツッコむべきだろうかとカナトは悩む。
「一回ハズしたくらいで諦める根気の無さ……!」
なので、つい口に出してしまった。今度銃の撃ち方指導でもしてあげようか、と親切心で申し出てみるものの、時雨からは「いらない」と素っ気ない答えが返ってきた。
「そのまま撃ってきそうでイヤ。……あー、良い雨も降ってきたので、後はカナトさんに任せます」
恵みの雨は、|集真藍《ハイドランジア》による加護だ。戦闘力を強化して貰ったカナトはサイコブレイドと向き合うと、刃をぶつけ合いながらも自嘲気味に零していた。
「ヘタな鉄砲だって、数射ちゃ……其のうち当たるだろうにねぇ」
季節外れの雪が、どこからか舞い降ってきた気がして瞬きをする。
黎明のかすかな光に照らされて、そのひらひらとした白片は硝子のように煌めき、花びらのように辺りを優雅に舞う。それは泡沫の、儚くもうつくしき守護のヴェールだった。
(ララは俺の……標の星だ)
|護るべきもの《Anker》を護るため、詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)は刺客と向き合い、背後の存在を庇うように前へ出る。
「拠り所がどれだけ大切なものか、お前にもわかるんじゃないの?」
表情の窺えない相手を睨み、押し殺した声で告げる。辺りの泡沫が音もなく弾けた。漆黒の粒子が蛇腹の剣となって、イサの手に収まる。
「お前がサイコブレイドね。遥か遠い星から、お疲れ様」
麗しき|護衛《シュバリエ》に護られながら、無垢な声を発したのはララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)。それは天上から降り注ぐ光が、歌となって響いたかのようだったが――刹那、紅華の眸が妖しく細められると、少女の姿は忽ち魔性を帯びる。
「……でも帰りなさい。迷いがあるお前に負けるわけにはいかないわ」
指先に揺らめく、破邪の迦楼羅焔。童女が無邪気に戯れるように、ララはそれを軽く掌で弄ぶと、次の瞬間には窕の名を冠したカトラリーが握られていた。
「一緒に遊びましょう!」
金色の光が、流星の尾を引いてサイコブレイドの元へ突き進む――直後に火花。
未知の金属の刃が不可思議な音を響かせ、ララの攻撃を跳ね返したのだ。そこで、距離を詰められたのが幸いとばかりに、敵が反撃に打って出る。
迅い――が、ララにはイサがついている。レーザーによる牽制射撃で生まれた隙に、少女は素早く身を躱して、高命中の一撃から逃れていた。
「奪うことは許さない――俺は、ララの護衛だ」
自分はララを守るために生まれた人形なのだと、イサは躊躇いもなく言い切った。
それにこの聖女サマは、ただ守られているだけのヤワな存在ではないのだ。こうしている今も反撃の機会を逃さず、ララは花嵐の如き焔をサイコブレイドに放つ。
(イサは、決して人形なんかではないのだけど)
だけど、それが存在理由になるのだとすれば、何も言うまい。本当に可愛い子ね、とうっとりとした声でララが囁けば、迦楼羅焔が花の彩りを伴って辺りに弾けた。
「……いいわ、ララを守る栄誉をあげる」
弾いて、崩して、花の彩――|おはじき《ハナハジキ》の能力によって反転した事象が、一気にサイコブレイドに襲いかかる。それでも彼女の勢いは止まらない。繰り出すのは銀災のカトラリーで、その切っ先には破魔の焔が揺らめいていた。
「この世はララのもの。……ララのたからものを、お前に壊させはしないわ」
勿論、イサのことも傷つけさせない。誰かの道標を手にかける前にここで浄化する。
ああ――と、そんな勇ましい少女の姿を見つめながら、イサは大きく息を吐く。
(俺はララを守ってるように見えて……実は、ララに守られてるんだな)
この欠落が埋められるような感覚は、救われている、という言葉がしっくりくるような気がした。その思いをイサが自覚すれば、ララを守りたいという気持ちも強くなる。
(俺もララを守り――救いたい)
そのためなら、何だってするつもりだった。多分、サイコブレイドのほうも同じ気持ちで『赦されざる悪』を全うしようとしているのだろう。ならば――、
「――遅いよ」
聖女サマへ迫る危険は、全部自分が排除してみせる。
迫る刃を察知したイサが、|告海ノ花《アビスフルール》の力で跳躍した。瞬間、深海の魔物を思わせる漆黒の刃がサイコブレイドを薙ぎ払い、その肉体を見事に切断していたのだった。
いつ斃れてもおかしくないと言うのに、外星体の刺客はブレイドを構えて弓月・慎哉(|蒼き業火《ブルーインフェルノ》・h01686)に狙いを定めていた。暗殺の体勢に入った敵を油断なく見据えると、慎哉の全身から青い焔が立ちのぼる。
「彼――サイコブレイドにも、思うところがあるようですね」
王権執行者の迷い、というものも気になるところだが、今は|師匠《せんせい》――シン・クレスケンス(真理を探求する眼/蒼焔の|魔術師《ウィザード》・h03596)の安全が第一だ。鏡写しのような慎哉のAnkerは、彼にはない眼鏡を軽く押し上げると、静かに戦闘を見守ることにした。
(覚えの早い、優秀な弟子ですが……成長途上、と言ったところでしょうか)
|師匠《せんせい》は隠れていてください、と落ち着いた声で告げる姿も、ずいぶん様になっている。|警視庁異能捜査官《カミガリ》として場数も踏んでいるようだし、|蒼き焔《ブルーフレイム》の制御も問題ない。それでも、いざとなったら助け舟を出せるように、と考えてしまうのは師匠の性か。
(さて、弓月君はどうするか)
気配を消して襲いかかるサイコブレイドに対し、慎哉は異能逮捕術を用いて捕縛に出た。先ほどの書斎から持ってきたのだろう、インクを辺りに散らしてまずは目印にする。装備品ほどの効果は見込めないようだが、足跡を辿る助けにはなってくれそうだった。
「肉眼での探知なら――」
焔の色を宿したかのような、青い瞳で周囲を睨む。向こうは殺気すら完全に消しているが、|こちら《慎哉》を狙ってくるのは分かっているのだ。
木陰に向けて、牽制の青い焔を放つ。視界の端で、斑に染まったコートがちらついた。暗殺体勢により敵の速度が落ちているところへ、彼はすかさず飛びかかって格闘術での取り押さえに入る。
「逃がしません」
もみ合いになる内に、サイコブレイドの刃が喉元に迫った――が、慎哉は甲冑の盾を取り出すと、その一撃を上手く受け流す。随分と用意がいい。現場にある物を利用し、戦いを有利に進めていることをシンは評価し、陰ながら弟子に声援を送る。
(まだまだ、弓月君には伸び代がありますね)
窮地に陥っても冷静に、そして僅かに生まれた好機を逃さない。敵の集中が崩れた一瞬で、慎哉は素早く銃弾を叩き込んでいた。
「――!!」
超常現象阻害弾が標的の四肢を撃ち抜くと、再生も叶わぬままにサイコブレイドの肉体が塵と変わる。伸びた触手も、不可思議な色の血液も、纏う簡素な衣服も――全てが、まぼろしのように消滅していく。
彼の名の元になったサイコブレイドも、持ち主とともに姿を失っていた。
「……なかなか決め手に欠けていましたが、斃すことが出来たようです」
戦いが終わったことを確認した慎哉が、ゆっくりとシンの元へ戻ってくる。あたたかな眼差しで弟子を迎えた師匠は、そこで手にした|研究に有用な品《キューブ》へ視線を落とした。
「ああ、それは……書斎の隠し部屋にあったものですね」
「ええ。少し魔術的に解析したのですが、不思議なアイテムのひとつかも知れません」
迷宮ホテルに眠っていた物品は、果たして誰かのAnkerになり得るのだろうか。昔はもっと強い力があったとも、√能力に関わっていそうだとも推測を行うシンだが、詳しいことはこれからの調査次第になるだろう。
「……それでも、あなたの成長も確認出来ましたし、良い収穫でした」
そう、自分が手を貸さなくても、弟子は見事に外宇宙の刺客を撃退したのだ。
慎哉の頼もしい姿を見つめると、シンは穏やかに微笑む。その手の中で、蒼い海の色を湛えたキューブが、|驚異《メルヴェイユ》へと誘うようにきらりと輝いた。