シナリオ

穢れた皮革を脱ぎ捨てるがいい

#√汎神解剖機関 #クヴァリフの仔

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 #√汎神解剖機関
 #クヴァリフの仔

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●かわをはぐ
 それは美しき竪琴の音色である。それに乗せられる歌唱は、哀憐と愛情である。
 ああ、わたしのかわいい、かわいい、エウリュディケ! わたしが振り向いたばかりに。|禁忌《タブー》を犯したばかりに。
 それともあれは、禁断の恋だったのだろうか。
 それでもいい。
 ともあれ『仔』だけは、わたしのもとに残された――。

 ひとびとが聞いていた『音楽』を|乗っ取《ジャックす》る歌。こんな曲を聞いていただろうか。次へ、前へ。別の曲を選ぼうとしても動かない画面。そうしているうちに手が止まる――ハッキングされたスマートフォン。延々、竪琴の音色を奏でて……そのスマートフォンを手に、歩き出す少女。
 いかなきゃ。
 呼ばれてる。
 冥府の底に。
 歩く、歩く、どこへ? 自分でも理解していない。イヤホンから流れる竪琴の音色が導いている。歌が導いている。気付けば少女、『お屋敷』の眼の前に。
 鍵は開いている、ならば進めや進め。階段。廊下。あの部屋を目指せ。

 開け放たれた扉の先で。
「おかえり」
 笑う、女性とも男性ともつかぬ声と見目。

「けど、違ったね」
 簒奪者としての人間災厄は容易く。そう、容易く、ひとの命を奪う。

 インビジブルを奪い去る音色。あわれ肉塊、無数の手指にその生皮を剥がれ、誰とも分からぬ姿で横たわる事となった。
 八つ裂きが始まる。何処からともなく現れた女の腕は、肉を引き裂き骨を折り、からだを細切れにしていく――小さな肉片となったそれに群がるのは、ぬめぬめ、ぶよぶよ、触手状の怪異。

「さていつか、これらの皮も剥げば、よろしいかな。|新物質《ニューパワー》とやら……わたしも興味があるんだ」
 どこか楽しげに。何もわかっていない『クヴァリフの仔』、愛らしく。災厄の膝に乗せられ揺れている。物騒なことを言われているが、撫でられているので、ご機嫌である。
 揺れるそれが竪琴へと触手を伸ばし。弦を弾いて、少しだけ――音色を奏でてみせた。

 人間災厄『オルフェウス』。
 エウリュディケを探し、これで、何人目だろう。
 穢れた皮革を脱ぎ捨てるがいい――誰もかも、肉となってしまえば……腐敗していけば……彼女と変わらない。

●おかえり。
「『おかえり』諸君! どうかね首尾のほうは。アレだアレ、お元気に蠢く『クヴァリフの仔』の回収状況だ。もうミッチミチではないか、機関のほうが」
 鋭い爪がくるくる踊る。冗談交じりに発される世間話、ディー・コンセンテス・メルクリウス・アルケー・ディオスクロイ(辰砂の血液・h05644)、怪人は今日も上機嫌である。傍らにはカクテルが入っていたであろうグラス、機嫌の良さはそこからか。

「なあに今回も、人間災厄が『仔』に目をつけただけさ――慣れたものだろう? 諸君らにとっては」
 這いずり上がる水銀蛇を気にする様子はない。ぱさりとテーブルに置かれた紙束。詠んだ星、その内容が記されたそれを爪がとんとんと叩く。勢い余って多少、びりと破けてしまったが気にしない。

「名は『オルフェウス』――神話のそれの名を借り、竪琴と歌唱で人を狂わせる。どうやら『エウリュディケ』を探しているようだが、諸君、心当たりはあるかね?」
 当然、ないだろうが。意地悪にも聞いてみせた怪人、アッハッハと高笑い。

「お屋敷とやらに女性、それも美しいものばかりが招かれているようだ。もちろん、彼女らはエウリュディケではない――末路はお察しだ」
 溜息、椅子の背もたれに体を預ければ当然軋む椅子。
「オルフェウス。彼……いや……彼女かもしれないが。どうにも曖昧なものでね――それが狙う人々の共通点は、音楽を聞いていること、美しいことだ。現場となる屋敷は、普段は何の変哲もない貸しスタジオ。そしてその関係者も、オルフェウスの存在を知らない」
 すなわち、頼りになるのは己の足ということである――。

「――ともあれ、さあいざ行け諸君! わたくしは働かないぞ! アッハッハ!!」
 宣言。うねる水銀蛇が噛み付こうとするのを制して、彼はわらう、わらう。

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第1章 冒険 『事件を暴け』


 イヤホンから流れる音楽は、少女にしか届いていない。

 人混みに紛れる彼女。ゆっくりと、けれどしっかりと歩みを進めて、屋敷へと向かっていっている。
 他にも数人。似た雰囲気の女性が見受けられるが、彼女たちはどうか――。

 音楽、美しいこと、残るは何だろう。

 必要な事とはいえ、人混みから「|それ《彼女》」を探すのは、品定めをしているかのようだ。
 まるであの災厄のように。
ヴォルン・フェアウェル

 オルフェウス。
 |冥府に居るもの《エウリュディケ》をなぜ、現世で探しているのだろう。こんな場所、こんな時代で。ナンセンスな話である。
 むしろあれにお似合いなのは、|歌で殺す魔性《セイレーン》じゃないか。ヴォルン・フェアウェル(終わりの詩・h00582)は内心、『オルフェウス』と称されるその人間災厄をそのように評す。
 美貌だけではなく、彼を心の底から愛していなければならない。どこから発生したかも分からぬ、ひとを害する|化生《人間災厄》が|只人《人間》に愛されるなど、御伽噺のようなもの。幻想だ。

 ゆえに、夢は夢のまま。光なき光が辺りを照らし、ヴォルンが向かう先は『|屋敷《スタジオ》』だ。
 立ち止まれ、という暗示。
 無意識に立ち止まる人々の間を縫うように、話に聞いた特徴と合致する女性を探して歩く。ふと視界に見えた女性、スマートフォンを手に――だが画面を見ることなく。イヤホンをつけて、同じ方角へと向かっている。
 ヴォルンが歩み寄っていくが、一瞬立ち止まる周囲とは違い彼女はすたすたと、自分と同様、立ち止まることなく。

「――少し、いいかい?」
 声を掛けども、返答はない。美しい横顔に少しだけ気を取られながらも、その耳にかかった首掛けイヤホンのコードを引っ掛け、取り去ってやった。途端立ち止まる女性――不思議そうに、瞬き。彼女の瞼の裏には、何がうつっていたというのだろう。
「ああ、すみません、引っ掛けてしまったみたいで……」
「え、あぁ、こっちこそごめんなさい、よそ見してました……!」
 彼女の握るスマートフォン。画面に表示されているアプリ――本来ならばジャケット画像などが存在していたであろう四角いそこが、真っ黒になっている。それを認識した瞬間、次の曲へと切り替わるようにしてその『楽曲』は消えていった。
 周囲を見渡した女性、なぜこの道を歩いていたのか覚えていないのか。困惑した様子で「すみません」と一言、踵を返していった。

 ヴォルンはその足で、屋敷へと向かう。同じように狙われ、向かってくる女性がいれば、自分が先を往くことで対処ができる――。

 まずは一人。
 ――彼女は、エウリュディケではない。

クラウス・イーザリー

 エウリュディケ。
 オルフェウスの妻とされる。冥府下りの逸話は聞いたことがあれど、女性たちと『エウリュディケ』の共通点を見出せるかといえば否だ。
 考えていても仕方がないとクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は歩き出す。
 目標は、イヤホンをつけ『屋敷』の方へと向かおうとする女性。

「ごめん、少し良いかな」
 ぼんやりとした様子で先を行こうとする女性に声をかける。だが彼女は立ち止まらず。――聞こえていないわけではなさそうだ。
「あのっ」
 何度か声を張り上げてようやく立ち止まった彼女。首を傾げ、虚ろな目。明らかに様子がおかしい。『当たり』だ。彼女がこちらへの興味を失わないうちに、クラウスは言葉を続ける。
「この辺りで、音楽で人を誘き寄せる怪異が出るって情報を聞いたんだ。何か知らないかな」
 それは事実。通常なら「何を言っているのだ」と鼻で笑われてしまう言葉。だが眼前の彼女の反応はというと。

 微笑んで。
「聞いてみますか」
 ワイヤレスイヤホンの片方を外して、クラウスの手に|握らせてきた《・・・・・・》。
 不穏だ。だが受け入れないわけにはいかない。元からそのつもりだったのだ。ここで逃せば、次の機会は。

 そうして聞き取った『音』。
「――!」
 対策を施していた。だからこそ理解してしまった。正しく聞き取れた。
 悲鳴、絶叫、嘆き、喚いている――!
 竪琴の音色? 嘘吐きめ! これは『腸を引きずり出される女の声』だ!

 イヤホンを外し眉をひそめ、スマートフォンの画面を睨むクラウス。す、と自然に曲が切り替わり……別の音楽へと移る。それと同時、女性が「あれ」と声を上げた。
「あの……何してるんですか?」
 どうやら今までの自分の行動、その記憶が抜け落ちているようだった。
「落として行かれたから、渡そうと思って」
 差し出されたイヤホンを見て、女性は驚いた様子で頭を下げる。
「ありがとうございます! 全然気付かなかったぁ……!」
 ほっとした様子で微笑んで、もう一度頭を下げた彼女は、向かう方向を変え、別の道へ。

「……お気をつけて」
 そう声をかけながらも、クラウスは。
 先ほど聞いた『楽曲』の怖気に、背を撫でられる気がした。

神咲・七十

「うにゅ……綺麗な人で音楽を聴いている人ですか……どの人でしょうかね?」
 独り言か、それとも。神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)はきょろきょろと人混みを見渡しながら、すぐ側のキッチンカーで買ったクレープ、最後のひとくちを口の中に放り込む。
 オルフェウスの名を借り、エウリュディケを探しているなら「それらしい人」だろう。とはいえ、「それらしさ」についての心当たりはまだないわけだが。

「少し協力を仰いでみますか……」
 嫌がられないといいですが。人混みを避けた場所で発動される√能力。ため息を付いた|サティの落とし仔《グノシエンヌ》、こんなところに駆り出されるとは。七十の目的は分かっている。ならば『目』のひとつとして動くまでだ。天輪に変化した彼女、歩き出した七十の上でため息をつくように、鍵盤がひとつ押し込まれた。

「う〜ん、あの人ですかね?」
 ――小声で囁く七十。視線の先には、虚ろな目でどこかへ向かう少女の姿。イヤホンをつけ、誰かに肩がぶつかろうと気にせず歩いている。

「……既に影響を受けてそうですから、お願いしてもいいですか?」
 しっかり、手加減してくださいね。
 言われずとも、とばかりに。奏でられるは『第3番』。音に頭を開くがいい。洗脳を洗脳で上書きする音響波が、少女へと向けて放たれた。ぐわん、と彼女の体が揺れて、その場に崩れるように座り込む。

 頭を押さえて何事かと見回す少女へと駆け寄る七十。怪訝な視線を向けてくる周囲、その目を避けるようにして、少女を近くのベンチへと座らせた。
「だ、大丈夫です?」
「え……あ、はい。何……が、起きていたんでしょう……ちょっと、ぼんやりしてたみたいで……」
 困ったような表情でイヤホンを外す彼女。画面は既に、次の曲へと移り変わっている。災厄の影響下からは既に開放されているようだ。
 素直に応答する彼女。どこへ向かっていたかも、いつから歩いていたかも分からない様子で……少し、足を痛めている様子だ。

 ……こういう素直な子がお好みだと思いますが。
 交友は持ってもいいですけど、食べちゃ駄目ですよ? お仕事が終わるまでは。
 ――つまらなそうに、鍵盤が小さく音を奏でた。

虚峰・サリィ

「ガール達の危機とあれば、見過ごすわけにはいかないのよねぇ」
 それこそ、本当の『危機』である。彼女たちがこれから何をされるのか。たどり着いてしまったら、どうなるのか?
 先に示された星詠みの結果を見て、虚峰・サリィ(人間災厄『ウィッチ・ザ・ロマンシア』・h00411)が動かぬ理由は何ひとつとして無かった。

 改造スマホ『ハウリングバンシー』、アンプとなるそれへと接続されるエレキギター。『ホワイトスター・トップテン』!
 人混みの中でギターを構えた彼女、相応な衆目を集めながら、ゲリラ気味にライブを決行!
 本日のナンバーは『|赤唱・この恋文をあなたに捧げる《ソングアレッドラブレター》』! 貴方に贈る恋文一つ――ためらう気持ちははるかに多く。
「(許可なんて取ってないから、何か規則や法律に違反しそうだけど……)」
 職質からの連行など、喰らいたくはないが仕方が無し。
 サリィの歌唱に、|癒光波動《クリティカルセンテンス》に足を止める人々。美しく激しい音色が一角を包み込む。
「(まあ、今回は勘弁してちょうだいな)」
 ――赤心をもって綴るこの言の葉よ。どうか消えずに届いて欲しい――。

 双方、音楽の災厄。音圧としては圧倒的にサリィの勝利であるが、それでも足を止めないものがいる。ノイズキャンセリングが施されていてなお貫通する大音量、ブチ上げられた音と歓声を聞いても、ちっともこちらを見ない彼女。
 間違いない。手前味噌どころか。恋の歌に無反応、|ガール《少女》は異なる音楽を聞いている。

 無反応な少女を目で追いながら、一曲奏で終わったサリィ。聴衆へと丁寧に頭を下げ、ついでに投げ込まれた投げ銭もしまいこんで、足早にその場を立ち去り、彼女の後を追う。
 追いついた頃には、眼の前には――屋敷。少女の肩をぽんと叩いて、ついでに軽く引き寄せて、耳元で囁く。
「何を聞いてるの?」
「――えっ?」
 サリィの声に振り向いた彼女。周囲を見回して、困惑した様子を見せている。
「あの……ここ、どこですか?」
「どこかしらねぇ。でも、あなた、真っ直ぐここに歩いてきたのよ?」
 そう言われ、首を傾げる少女。自分がどうしてここに来たのか、必死になって思い出そうとしているようだが……。

「心当たりがないなら帰ったほうがいいわぁ。ここ……あんまり良くない所よ」
 ぴったりとカーテンの締め切られた屋敷。
 ――サリィの視線はずっと、災厄の潜む|そこ《屋敷》へと、注がれている――。

黒後家蜘蛛・やつで

 オルフェウスを夢見ているのに。こんな場所で、エウリュディケを探している。
 ここを冥府だと思っているのだろうか。『わたしが振り向いたばかりに』と云っているからには、多少の自覚くらいは持っていそうだが――残念な、あるいは幸運なことに、相手は人間災厄である。曖昧な方の頭の中は分かりません。が。

「(琴の音で恋人を呼び寄せようとするのは、あまり良い考えではありませんね)」
 伝承通りに、自分の足で迎えに行くべきだ。黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)は『オルフェウス』をそのように評した。
 正論である。彼、あるいは名を借りただけの彼女かもしれないが、自らの名と異なる行動をしている時点で、それは実に、『災厄らしい行動』だ。エウリュディケが何で、誰であるかを、本人は理解しているのだろうか。

 さて、見えざる恐怖はどこにでも。
 ありとあらゆるヒトの影。ふと視線を向けた鞄の中。服の隙間、そして襟。やつでの放った平面の蜘蛛たちが、静かに人混みの中、動く。
 街を歩きながら、次々に標的を変えて蠢いていく――目標はスマートフォン、あるいはイヤホンを耳につけたものだ――この人混みの中で、琴の音を聞く人はそうそう居ない。家でリラックスとして聞くことはあれど、このような状況で聞いているとなれば異常そのものである。あるいは、趣味が悪いか。

 目星さえつけてしまえば、彼女は簡単に見つかった。ヘッドホンをつけた女性の耳元から流れてくるのは、竪琴の音色だ。
 優しいようで、その実陰鬱な音。どうにも不思議な音色をしているが、これで間違いないだろう。

 そうっと。蜘蛛の糸で、彼女と自分の間に印をつける。こっそりとその後ろをつけていけば、たどり着くは屋敷の前――。錠の開いているゲートへ手をかけた彼女に、やつでが声を掛ける。
「そこ、立入禁止ですよ」
「……え」
 振り向く女性。視線はやや下へ。可愛らしいドレスに身を包んだ少女を見て、彼女はぱちりと瞬きをした。
「スタジオです。勝手に入っちゃだめらしいです」
 そう言われた彼女、ゲートからそっと手を離す。そして周囲を見回したあと、やつでと視線を合わせるようにして、かがみ込んだ。
「どうして、こんなところに?」
「お姉さんも同じだと思います。どうして、ここにいるんですか?」
 言葉を返され、困った様子で眉根を寄せる女性。覚えがないのなら、それは。

「ぼんやり、夢でも見ていたのです」
 そうだ。『オルフェウス』のいざないは、『夢』でしかない。

橘・明留

 やだな。
 脳裏に過るのは、そんな言葉だ。
 なんか、すごくやだ。
 勝手に呼び寄せ、勝手に期待外れとみなし、勝手に殺す。そして想い人に会えないという悲劇に酔い、被害者ぶる。『人から外れたもの』の思考だ。
 だからこその人間災厄。見境なくインビジブルを簒奪し喰らい、己の力とする。橘・明留(青天を乞う・h01198)は眉をひそめながらも、√能力を発動する。

「ねえ、きかせて」
 存在はいくらでも、|彼岸此岸《アチラコチラ》にいる。にんげんの姿を取り戻した男性のインビジブル、「どうしたんだい」と明留へと声をかけた。
「ここらへんで、変な行動をしてる女性を見なかった? 音楽を聞いて、同じ方向に歩いていくんだ」
 分かっているのはこのくらいではあるが。顎を揉む男性、しかしすぐに「ああ」と合点がいったか声を上げた。
「あの先に、大きな屋敷がある。今は……どうだろう。そこへ向かっているのかな、ひとの流れがおかしいんだ」
 指差す方角は確かに、『屋敷』の方向。ならば話は早い、すぐに向かっても問題ないだろう。
 自分では、女性に声をかけるのも、見つけるのも難しいし、怪しまれる可能性がある。
 ならばアプローチを変え、待ち伏せをしてみよう。インビジブルへ「ありがとう」と声をかけ、明留は屋敷へ足早に駆けていく。

 ――辿り着いた屋敷の前。ゲートの錠が壊され地面へと落ちている。それを見つけて、明留は小さく唇を噛んだ。誰かが先に入ってしまったのか。外から屋敷を観察していると、ふと背後から足音がすることに気がついた。
 ……歩いてくる女性は明らかに様子がおかしい。明留を無視し、ゲートへと手をかけようとしたところで明留は思い切って彼女へと声をかけた。

「あのっ! そこのスタジオ、使用中ですよ!」
 振り向いた彼女、首を傾げる。
「関係者です」
 明らかな嘘だ。それでも食い下がらないわけにはいかない。
「もう撮影、はじまってるみたいで……あの、何の音楽、聞いてるんですか? それ……」
 時間稼ぎのために指さしたイヤホン。そして、片耳ぶんを手渡され……耳に当てれば。

 狂気の声を、聞き取った。
 生半可な悲鳴ではないそれを、聞いてしまった。息を飲む明留、すぐにイヤホンを外す。
 そうして。
「……え? ここ、どこ……?」
 女性が周囲を見渡す。間違いない、あの災厄の影響を受けていたのだ。
「ここ、貸しスタジオだよ。関係者、じゃないですよね?」
「え……あ、うん。……あたし、何してたんだろ」
 頭痛がするのか、頭を抱える彼女。その様子を見つつ……屋敷と、あの『音』を思い出す。
 あれは……いったい、何だ……? 確かめなければならない。

マギー・ヤスラ
寧・ネコ

 運命の人を探し、誘い、そして殺す、災厄。以前にも似たような、大切な人を求めている相手がいる依頼を受けたことがある。あれもまた、竪琴だった。
 だがどうやら、今回はかなり性質が異なっていそうだ。どう解釈しても、話し合いが通じる相手ではない……。
 マギー・ヤスラ(葬送・h07070)の腕の中、抱えられた寧・ネコ(鎮魂・h07071)。小さく優しい歌声、ゆりかごのうたを聞きながら、その紫の瞳をすぅと細めた。

 女を呼び寄せ、気に喰わなければ贄として殺す。まるで最初から、求める者とは違うと分かっていながら呼び寄せているような。いかにも、化け物らしい化け物だ――ネコは前足を使い、くいと自分の顔を撫でた。
 魔性の竪琴よりもずっと心地の良いうたを聞き、すたりと地面へ降り立つネコ。トットット、と小さな足音をさせながら、女性を探しに歩き出すのを、マギーは小さく手を振って見送った。

 尾をゆらり揺らして、いくら猫の姿とはいえ目立たぬようにと。ネコは植え込みの中から行き交う人波を眺め、災厄の匂いを探す――目標としていた女性は、すぐに見つかった。スマートフォンを手に、しかし画面を見ることなく、ふらふら歩く女性の姿を。
 植え込みから出て、女性ににゃあ、と強めにご挨拶。僅かに立ち止まり、ネコに視線を向けた女性。だがいまいち焦点が合っていない――。
 足元でうろつき、進行をさりげなく妨害しながら。端から見れば、猫にじゃれられているだけの人間である。うらやましいと感じる者がいても、それは、まあ。かわいいですから。

「ネコ」
 小さく呼びかける声に、尻尾を立てて立ち止まるネコ。女性の視線が向かってくるマギーへと向いた。
「すみません。うちの飼い猫なの。……どこに、向かっていたの?」
 そう女性に声をかけると――彼女は、何も言わず。ただ、片耳のイヤホンを外し、マギーへと差し出した。
 ……警戒すべきだ。それでも、聞くべきだと、イヤホンを耳にかけるが。

 ――よく聞き取れない。否……『|聞いていい《・・・・・》歌じゃない』。
 ノイズの混ざった、ひとのこえ。女性のものと、竪琴らしき音と……。
 イヤホンを外すマギー。これは『真似をしていい』曲でも、ない。

 女性にイヤホンを返しながら、彼女は改めて問う。
「ねえ。どこに、行くつもりだったの?」
「……あ。えっと……あれ……?」
 もう一度そう聞けば――向かう先は、どこだったのか。女性は困惑している。催眠下にあった女性。だが今はすっかり、行先を忘れているようだった。曲を聞くのをやめたからだろう。

「今日は、道が混んでるから……気を付けて、帰ってね」
「……はい。ありがとう、ございます」
 まだややぼんやりとした様子だったが、彼女はきちんと帰路についてくれそうだ。ふうとひと息ついたマギー。足元で座っていたネコを抱えて、『スタジオ』の方へと歩き出す。

 にゃあ。囮になるのか、本気かと、ネコが鳴いて主張する。
 マギーは自分が美人であるとは思っていない。だがネコ|たち《・・》はその精神性こそが美しいと感じている。みてくれの美しさなら、その気になれば誰でも得られるのだから。
 その向こう見ずさと奉仕精神、吉と出るか、凶と出るか……。

 歌につられて、やってきたふりを。耳にかけたイヤホンからは、何も聞こえてこない。
 少し怖い。
「けど、わたしにはネコがいるものね」
 一緒にがんばろうね。頬を擦り寄せられたネコ、心配そうにマギーを見る。
 ……いざというときのために、爪を研いでおく必要がありそうだ。

雪月・らぴか

「おおお、まだまだクヴァリフの仔がでてくるんだね!」
 結構回収してると思うけど――結構? 雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)の回収率を考えれば、結構どころではない気がするのだが。
 機関がミチミチだとしても、他勢力や災厄の力になってしまうのなら、回収しない・放置するという選択肢はないのだ。今回もわりと数が居そうだし。どれだけ召喚されているのか考えるとめまいがするほど。今回もミッチミチのミチにする気概でも参りましょう。

「(音楽を聴いてる美しい女性っていうけど……美しいの基準なんか人それぞれじゃない?)」
 街を歩く女性を見ながら顎を揉むらぴか。「私基準で美しい人でいいのかな?」と考えるも、それは概ね当たっていたようで。イヤホンをした女性が、どこか虚ろな表情で歩いていくのを見かける。
「(よしっ! 予想的中~!)」
 ――女性の背後をつけていくらぴか。その間に、彼女の外見や持っているスマートフォンなどを観察する。サブスク系音楽アプリだろうか? ジャケットが真っ黒な曲を聞いている様子だ。
 綺麗な明るいアッシュブラウンの髪に、清楚な出で立ち――なるほど、あの災厄はこういう女性を好んでいるのだろうか? そんな風に感じながらも。女性が屋敷のゲートへとたどり着き、足を止めるのを見てらぴかも足を止めた。どうやら錠は壊されているらしい。開け放たれたゲート、そこへ入っていく女性……止めるべきだろうか? それとも、まだか。悩みながらも背後をつけて。
 彼女は扉を開けたままにして先へ、屋敷の中へと入っていく。そこへすかさず滑り込み、左拳に吹雪をまとわせながら構えるらぴか。目前、唐突に自分を守るかのように現れた彼女に足を止める女性。

「こらーっ! でてこーいっ! ここにいるのはわかってるんだぞーっ!」
 災厄に向けて声を張り上げてみるらぴか。返答は、ないが――。

「っ。あ。ぅ……!」
 背後にいた女性が、唸り声を上げてその場に崩れ落ちる。慌ててそれに駆け寄り、気を失ってしまったらしい彼女を介抱する。ひとまずはイヤホンを外して――スマートフォンの画面が、元の様子に戻っているのを確認しながら。らぴかは、屋敷の奥を睨めつけた。
 間違いない。この奥に「あれ」は居る。『クヴァリフの仔』とともに。

第2章 集団戦 『被害者』


「あぁ。侵入者だね」
 呟く声は中性的。膝の上に乗せていた『クヴァリフの仔』を床へと下ろし、『オルフェウス』はふうと息を吐く。
 血腥い部屋の中。肉片となったそれに群がるぶよぶよ、それを押しのけ、廊下へと出る。
「本当は、もっと呼んだはずだったんだけど……どうしてかな。どれもこれも、気配が違う」
 かつ、かつとヒールの音を響かせて――洋館のエントランス。その上階から、√能力者の姿を見つけた『オルフェウス』は、彼らへと声をかける。

「ようこそ諸君。お呼びじゃないのだけれど……どうして、ここに来たんだい?」
 手すりに肘をつき、頬杖。甘い声色で、どう答えられるか分かりきった質問を投げかけるその姿。首を傾げる|彼《彼女》は不機嫌そうに竪琴を構えて。

 爪弾く調べは。
 悲鳴である。

 竪琴から響くのはうつくしい音色ではない、女性の叫びだ。誰ともわからぬ声である、絶叫、嘆き、なにもかも、負の感情が詰め込まれたそれ――!

「冥府の底からこんばんは――エウリュディケの『なりそこない』でも、多少の邪魔はできるだろう?」
 床から蠢き立ち上がる影。天井から落下し、ぐしゃりと音を立てる影。あるいはどこからともなく現れる影。
 誰も彼も、女性の姿。真っ黒に塗りつぶされた彼女たちが、甲高い悲鳴を上げた。

「さあ。わたしとお話でもしながら、相手をしてやってくれ。退屈なんだ、わたしも、それらも」

 どこまでも――ああどこまでも、自分勝手な――!!
ヴォルン・フェアウェル

「いやあ、たいへんにいいご趣味をお持ちのミスター……いや、ミスかな?」
「どちらでもいいさ。君も、わたしの性になど興味がないだろう?」
 呻く『被害者』たちの向こう側、肘をついて観察に興ずる『オルフェウス』へと声を掛けるヴォルン・フェアウェル(終わりの詩・h00582)。
 君の無聊を慰める必要性はあまり感じないのだけれど。我々は|彼《彼女》の退屈しのぎのために呼ばれ、ここに居るわけではないのだから。

「せめてこの哀れな|被害者《ヒロイン》たちには、素敵な夢を見せてあげよう」
 ヴォルンの口から語られるは、存在しない|黄昏《マジックアワー》。天が晴れる、うつくしい夕暮れへと変化する。並ぶ玉座。朽ちて残骸となったそれ――。

「君たちを招待するよ」

 そこへ絶叫が響き渡る。片耳を塞ぐ『オルフェウス』。だがヴォルンはどうだ。強烈な音圧を受けてなお、狂気を『制している』彼にとってそれは子猫の威嚇か、それ以下か。
 グリモワールから放たれる魔力弾。撃ち抜かれた影がひとつ消える。次々と薄れ消えていくそれを見て、『オルフェウス』が再度竪琴を奏でた。じわり床から現れる少女の影――顔を真っ黒く塗りつぶされた彼女。『オルフェウス』によって塗りつぶされたのだろうか。だが彼女もまた、魔力により吹き飛ばされ、玉座へと叩きつけられた。

 ここには毒蛇など居ない。居るとするのなら、未だ階上で高みの見物を決め込んでいる『あれ』だ。
 もがき苦しむ現実のくびきから、離れて。
 幸福な夢を見るといい。
 彼女たちが最後にみるものは、薄汚れた地下室でも、カーテンを締め切られた部屋でもないのだ。

「オルフェウスを名乗るなら、もう少し英雄然としていたらどうだい?」
 |彼《彼女》の|有り様《ありよう》は、ひと山いくらの悪党でしかない。行動が「そう」である以上変わらぬ事実である。その自覚は多少なりとも持っているようだが。
 それを突きつけられてなお、だから何だというのだと、優美に目を細めるのだ。
「そうかな。英雄だろうと、最後には、八つ裂きにされて殺された。それがわたしだというのに?」
 くすくすと、ヴォルンへ『自ら』の最後を語るその声色は、なんとも楽しげで――見え透いた、こちらを苛立たせようとしている様相であった。

 存在しない胡蝶の|夢《あくむ》。黄昏の空は、晴れている。

橘・明留

「……なりそこないって、なんだよ」
 感情を剥き出しにした声。さながら牙を剥いた獣のように。
「お前が勝手に決めた基準で他人を失敗扱いするなよ……他人を盾にしてふんぞり返ってる、卑怯者のくせにッ!」
 橘・明留(青天を乞う・h01198)が吼える。おお怖い、などと肩をすくめてみせた『オルフェウス』、人を小馬鹿にしたような態度を崩すことはない。
「人間の尺度に合わせただけさ。これは違うあれも違う。『唯一無二』を求めるのなら……代替品では満足できない。そうだろう?」
 竪琴の音色――どこかで聞いたそれよりも、もっと悍ましい音と共に、澄み渡っていた空気が一気に淀む。湧いて出てくる女性たち。貌のないそれらが明留を見ている。見ているのだ。

 やるしか、ないのだ。眼の前の女性たちを、被害者をどうにかしなければ、この手は|彼《彼女》に届かない。
 ならばせめて、苦しまないように終わらせよう。もう二度と、眠りからさめないように。冥府の底から蘇らぬように――中央を、突っ切る!

 影が目を開く。開いた。ぽっかりと、黒い貌に目だけが浮かび上がったのだ。そうして。
『来るな』『来ないで』『嫌』『どうして!』
 叫ぶ声は様々だ。麻痺する体、すがりついて来る女性たち。明留の肌に爪が食い込む。引き裂こうと躍起になる。がり、ばり、とおそろしいまでの音が鳴っているが、それが明留の体を傷つけることは|まだ《・・》ない。
 瞬きの隙を。彼女たちは『同時に目を開けた』。ならば閉じるときも、同じように――!

 明留の体から、花弁が散る。……明留の血液と共に。青い橘の花が、散っていく。
 舞い散る無数の花弁。雨のように降り注ぐ。|非時青果《トキジクノアオ》。逃げたりしない。けして。ここで、終わらせなければならないから。――集まっていた『被害者』たちの体に、女性たちの影に、それがふわりと触れた。その途端、彼女たちの体が薄れて消えていく。

 もうちょっと早く辿り着けてたら、被害に遭う人は減ってたかもしれない。
 ――それとも、ずっと前から、ここで助けを求めていたのだろうか?
 そう思ったら逃げてなんてられないし。こんな痛み。大したことない。
 ――血を流せど、立ち続ける彼を見て、『オルフェウス』は目を見開いている。

「みんな苦しいよな」
 あわれみなどではない。彼女たちのかなしみと苦痛に寄り添う声だ。
「……間に合わなくて、こんなことしかできなくて、ごめん……」
 ぽたりと落ちていくのは、血液と、涙。

「気に入らないね……君も、八つ裂きになってしまえばよかったのに」
 ふん、と鼻を鳴らす災厄。睨む明留と、確と目が合った。

クラウス・イーザリー

「退屈なら、誰も巻き込まず一人で暇を潰してろ」
 唾棄すべきだ。否定しなければならない。今、ここで、そうしなければ。この気の高ぶりは収まらない。それを堪えながら、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)の強い視線に、やれやれと肩をすくめる『オルフェウス』。
「そうだね。それにも限界が来たから、わたしはあの『仔』たちを愛でているんだ」
 たとえここで怒りを露わにしようとも、悲劇の英雄を気取る|彼《彼女》にとっては言われ慣れた言葉か。まったくもって、人間災厄らしい所作である。

 武器を構え、被害者達の影に向き合うクラウス。溢れ出てくる『被害者』たち――いったい、どれだけ居るのだろう。数えるのも億劫になるほどに。『オルフェウス』がこの屋敷に隠れていることを、管理している者も知らなかったのだ。となれば相応、短期間に、これだけの被害者を――!
 ……言ったところで、通じる相手とは思えない。現実として、あの災厄はまだ笑っている。
 ならば、力ずくで終わらせるしかない。

「その様子だと、エウリュディケとやらは見付かっていないみたいだね」
 ――顕れるは、陽の鳥。陽光を纏う幻影が羽ばたき、被害者たちに火炎弾が降り注ぐ。幾つかの黒影は悲鳴と共に掻き消え、それでも残ったものの顔が――一瞬、照らされた。ああ、ひとだ。ひとの、女性の顔だ。
「ご覧の通り、全員『|彼女《エウリュディケ》』じゃないんだ」
 鼻で笑うように、『オルフェウス』が竪琴を爪弾く――挑発行為だ。それでも、止まるわけにはいかなかった。

 破壊された床板や、折れた手摺りなどがクラウスへ向けて放たれる。幸いにも木材が多い、自らも向かってくるそれらを燃やし尽くし炭へと変え、間に合わないと判断したものは寸での回避を選ぶ。断ち切る寸前、炎に照らされる女性たちの顔は、恐怖に満ちている。
「(助けられなくてごめん)」
 それでも、これが最善であるはずだ。こんな場所にとらわれているよりは、ずっと、ずっと――!

「血気盛んだね……そんなに気に入らないのかい? どうして?」
 飛び交う火炎弾、悲鳴、その中で唯一、平然としている『オルフェウス』。自分に降りかかる火の粉を文字通り、外套で払いながら。クラウスと『被害者』たちの戦闘を見て……笑っている。

マギー・ヤスラ
寧・ネコ

 被害者の数は相当である。先ほど助けた女性は、最初ではなかったのだ。
 絶望が満ちている、悲鳴と絶叫、嗚咽というかたちで、エントランスに。目一杯。数えてはならないほどのインビジブルが満ちている――。
 |酸鼻《さんび》を極めるありさま。その中で退屈を語り、竪琴の音色をもって、被害者たちを苦しめ、彼女らを操り続ける。やはり災厄は災厄。ヒトとは相容れない。許容してはならない。寧・ネコ(鎮魂・h07071)の毛が逆立つ。

 響き渡る悲鳴の中で、苦しげに眉根を寄せたマギー・ヤスラ(葬送・h07070)も同様。
 暇つぶしに戦うなど、戦わせるなど、言語道断。己が手を下さず、竪琴の音色とお喋りだけを響かせる『オルフェウス』に対し怒りを抱く。
「(このひとたちだってきっとそう、退屈なんてしてない……苦しんでる、痛がってる)」
 だから。この嗚咽は、止まらないのだ。『無い』顔を覆って泣く|女性《被害者》たちを放ってはおけない。

「……わたしはあなたとお話はしない」
 視線を向ける先の『オルフェウス』、肩をすくめて「ふられたね」と微笑んで。
「では、わたしが勝手にお喋りをしよう」
 弦を一本、爪弾いた。
 途端、苦しみ始めた『被害者』たち。――インビジブルの悪用にも程がある。己が手にかけた者たちを、どこまでも使い倒すような所業。インビジブルの集合体たる|同族《ネコ》としても許される事ではない。気分が悪くなる、という一言で済ませるにはもはや無理がある。

 絶叫のもと、放たれた音波攻撃がマギーとネコを襲う。傷つきながらも前を向き続ける彼女たちに対して、被害者たちの容赦はない。引き裂かれる皮膚と毛皮、それでも。
 ここで散るべきではないから。
 ――マギーの体を、皮膚を破り。白い花が咲き誇る。喉が裂けるほどの絶叫の中、それでも散らぬアザミの花が。

「正面から来るつもりかい?」
 眉をひそめるオルフェウス。背中から芽吹く蕾へと、とけるように包みこまれるネコ。マギーの美しさに目もくれぬ輩などろくなものではない、話を聞いてやるつもりもまったくない。
「そのネコ。大切なのだろう? 守りたいとは、思わないのかな」
「守りたいから――戦うの」
 当然、ネコもだが。
 何よりも、この|娘《こ》たちを楽にするため。新しい被害者を産まないため――。
 ネコとて、多少のリスクなどと受け入れたのだ。

 ――咲いた。
 真白な花で形作られたワンピース。踊るように、けれど|愛するもの《ネコ》を守るため、背を見せぬように。
 遠慮はいらない。|彼女ら《被害者》はもはや、『終わらせなければ救われない』のだから。

 マギーに触れられた側から、『影』が爆ぜた。白い花弁となり散って、その場に降り積もっていく。縋ってくるもの、喚くもの、それらに指先ひとつが触れるたび、花が咲いては散って。
「もうあなたたちが、絶望の悲鳴なんてあげなくていいようにするから……」
 どうか、安らかに。白く染まる床、ふわりとどこからか風が吹き、そうして、花弁は消えていく。

「――すばらしいじゃないか。まるで、ドリュアスのよう!」
 拍手、喝采。望んでもいない称賛が、上階から響き渡る。吹き抜けのエントランスに、ご機嫌に手を叩く音……。

黒後家蜘蛛・やつで

 なりそこない。『なりそこない』?
「つまりあなたは、その竪琴で呼び寄せた女性がエウリュディケに『なる』と、考えているのですか」
 黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)が問えど肩をすくめてみせる『オルフェウス』。
 |彼《彼女》が欲しがっているものが、自分と同じエウリュディケだとするのなら。それはすなわち、人間災厄『エウリュディケ』を求めている事となる。
「『クヴァリフの仔』に、そのような願望を現実にする力があると?」
 それとも、とうにエウリュディケを願うことにも飽きて、仔に血を捧げることを楽しんでいるのか。――違う、違うと駄々をこねる様は、まるでただの子供のようだ。

「さてね……。だからこそ、わたしはあれらの皮を剥いでやりたいんだ」
 だから、邪魔を、するな。そうと言わんばかりに襲いかかる被害者たち。災厄に呼び寄せられ操られ、悲惨な末路を辿った女性たち。
 だというのに冥府へ受け入れられることなく、この暗い屋敷の中に。こうしてみっちりと、詰め込まれてしまっている。蠱毒ならいくらかましだったかもしれない。生き残った一匹がいるのなら。だが、ここには、『壺に詰め込んだ張本人』たる災厄しかいないのだ。
 やつでが被害者たちの絶叫に顔を歪ませている間も――蜘蛛たちの糸を手繰る手は止まらない。張り巡らされた蜘蛛の糸。引っ掛けられたうつくしく細い、そのひとすじ。

「あなたがその目でなにを見ているのか、やつでは興味があります」
 ――やつでに触れようとした被害者の腕が、切り落とされた。崩れた重心、そのまま前のめり。ばつんばつんと体が細切れになり、そして影は消えていった。縋る腕も、逃げ惑う脚も、あっさりと。
 そうして目前、やつでが一本の蜘蛛の糸を引けば。

 ぱつん。

「……一息に殺せば痛みも一瞬です。人間は良いことを考えますね」
 首を落とされた被害者たちは、そのままかたちを無くして、消えていく――。

「成る程。ギロチン刑が流行った理由でもあるね、下手くそな死刑執行人の刃よりマシなのさ」
 災厄が拍手を送る。蜘蛛の糸を引いたやつでの真似をして、己の竪琴、その弦を一本、爪で弾いてみせた。

「――やつではこんなことを楽しいとは思いませんけれど」
 ふうん、と細められた災厄の眼差し。果たしてその意図は。

雪月・らぴか

「むむむ、女なのか男なのかよくわからないのがいる!」
「口から出てるよ」
 雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)の顔を無礼にも指差し、告げるは災厄。
 無問題である。事実であるし。ともあれ姿を見せた|彼《彼女》、人間災厄『オルフェウス』――「美しく、音楽を聞いている女性」ばかりを集めるまではいいとしよう。だが、狙いと違えば容赦なく殺す。それも凄惨に生皮を剥がれ八つ裂きにされ、『クヴァリフの仔』に喰らわせるなど――。

「人違いだったなら謝って帰してあげればいいのに!」
「謝るまでは、だいたいしているよ。でも、帰してわたしに得があるのかい?」
 ド正論をぶつけていくらぴかへ、手摺りに頬杖をつき、損得を語る様。それこそが人間災厄である証明だ。
 簒奪者なのだから、インビジブルを求めている。求めた結果、このように。ひとり一晩では喰らい尽くせぬほどのインビジブル――『被害者』たちを溜め込む結果となった。
 すべてを喰らい尽くさなかった理由は定かでないが、それにしたって、というところである。けれど例えばそう、そのインビジブルを『クヴァリフの仔』に与えようとしているのなら――。

 |屋敷《スタジオ》はもはやぼろぼろだ。故に、飛ばせるものはいくらでもある――剥がれた木板に割れた花瓶、ありとあらゆるものが、被害者たちの指差すほうへ。らぴかへと放たれる!
「もーっ! やっぱりお話通じない! お口閉じてなさーい!!」
「では代わりに、竪琴で」
 まったくどこかの『音楽の災厄』によく似ている。話の通じなさと言う点では同等だ!
 飛んでくる物品を切り裂き弾き落とすは、魔杖が変形した|両鎌氷刃《リョウレンヒョウジン》ブリザードスラッシャー! 両端の刃を用いて回転させ、らぴかは被害者たちを多く巻き込める位置へと飛び込んでいく!
 素早く懐に滑り込まれ、物を飛ばす間もなく切り裂かれ消えていく被害者たち。たとえ何かしらが飛んできたとしても、その反応速度をもって回避し、反撃の一振りで仕留め、その数を着実に減らしていく。
「おっとぉ!」
 飛んできた花瓶を避け、背後でかち割れる音を聞きながら、振り返ることなくオルフェウスを睨む。

「ああ、ひどいな。ぼろぼろじゃないか。居心地がよかったのに……」
 文句を言うのは、自身が操る被害者たちではなく、屋敷への破壊行為。竪琴の音色はやや適当、なんともつまらなそうに弾いている――。

虚峰・サリィ

「ハロー、|被害者達《ガールズ》。今……解放してあげるわぁ」
 こつり。足音を響かせ、戦場へと現れるは虚峰・サリィ(人間災厄『ウィッチ・ザ・ロマンシア』・h00411)。白いエレキギターを手に、その弦を爪弾き響かせる。ほぅ、と目を細める『オルフェウス』――しかし|彼《彼女》が口を出す前に、サリィはオルフェウスへと告げる。

「アンタの相手は後よ、オルフェウス」
 子守りでもしながら引っ込んでなさいな――と言ったところで、子守りと称しヒトを食らわせていた悍ましい災厄である。引っ込んでいくわけもなく、相も変わらずの高みの見物。

 この中に、恋する乙女がどれだけいたのか。これから恋するはずの乙女だっていたはずだ。それらをこのような無惨な姿に変貌させた――それを「ウィッチ・ザ・ロマンシア」が見逃し、許すはずはない。

「さ、ガールズ。貴女達に一曲贈らせてちょうだい」
 構えたホワイトスター・トップテン。奏でられるは、|恒陣・乙女を導く超三角《リードオブトライアングル》――乙女を導く一曲。恋という道へ送り出す歌は、今は葬送の歌となる。

 乙女よどうか夜空を見上げて。
 ……窓から見えるは暮れる空、輝きはじめた星々だ。音の波に苦悶の声を上げながらも、瓦礫と化した周囲の品々をサリィへ向けて放つ被害者。
 本物のライブでは、ステージ上に物を投げるのはご法度だ。しかし今は無礼講。恨みや無念のひとつやふたつ、受け止めてやるのもいい。……だが、その必要はなさそうだ。

 琴の音色で祝福を。――もちろん、あんな竪琴の音色なんかじゃない。
 被害者が放とうとした瓦礫が浮き上がる。暴風が周囲の品々を巻き上げ、被害者たちの攻撃手段を奪っていき――それでも、彼女の演奏は続いていく。

 白き翼の導きを。猛き翼の先触れを。
 ――そうして召喚されるは、猛禽の姿をした魔獣である。降り立ったその翼で被害者たちの体を打ちつけ、強靭な脚と嘴で戦場を蹂躙していく。

 貴女の道に、どうか加護よあれ。――次に生まれてきた時には……どうか貴女達に、祝福がありますように。
「ご清聴ありがとう、ガールズ」
 ――せめて、安らかな旅路を。

「お見事」
 ぱちぱち、拍手の音――竪琴を抱えたままの『オルフェウス』が拍手する。
「あんたからはきちんと、チケット代を貰わなきゃねぇ」
「もちろん……全身全霊で、支払わせて頂くよ」
 後払いで、ね。

神咲・七十

 このような状況でなければ、解釈違いだ、と怒鳴られていたかもしれない。
 音楽性の違いどころか、「存在」という観点では、時代すらも異なっているのだから。|サティの落とし仔《グノシエンヌ》がピアノの音色を響かせる。まるで文句を言うかのように、強く鍵盤を沈み込ませて。竪琴とピアノの共演、狂演。七十とグノシエンヌ自身が受けたダメージを『第7番』が即座に回復していく。

「(う~ん? そう感じるだけでしょうかね?)」
 何を考えているのだろうか。首を傾げる神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)。向かってくる恨みつらみの声をグノシエンヌが奏でる楽曲が相殺していく中で、じ、と『オルフェウス』へと視線を向けている。違和感があるのだ。その行動にも、言動にも、そして外見。

「この娘、似た雰囲気がするね。君のお気に入りかい?」
 こんな|男《女》にわざわざ返答していても埒が明かない。先人たちがそれを証明している。七十とグノシエンヌが同時にふん、と鼻で返事する。――げえっ、という顔をした災厄の欠片。片やにこにこ、狂食姫。

「早めに終わらせちゃいましょう」
 構えた二対の鎌を手に、被害者へと距離を詰める七十。自分が食らえば――それは隷属という新たな地獄の始まりを意味する。
 既にみな、この場にとらわれているというのに。それを災厄としての己の腹、その『なかみ』に納めるのは、あまりに非道な行いだ。気が引ける。だからこそ『穏便』に。
 大鎌『エルデ』が被害者たちの足元を掻っ攫い、バランスを崩した体を『アリル』が貫く。そのまま横薙ぎに振られる鎌は被害者の数体を巻き込み消えていく。
 影はもう随分、数を減らして――。

「思ったんですけど、貴方? 言動がちぐはぐですよね……」
「……何が言いたい?」
 操れる|被害者《インビジブル》が尽きたか。ただ竪琴を爪弾き鳴らす『オルフェウス』へと、大鎌を床に突き立てながら、声をかける七十。

「――まるで、オルフェウスとエウリュディケの、『両方』の言動が混ざり合っているみたいな」
 ……災厄は、目を細める。
「どうだろうね……それでも、わたしはわたし。『オルフェウス』だ……」
 手摺りにもたれ掛かるのを止めた|彼《彼女》、かつりとヒールの音を響かせて。

「それじゃあ、『この遊び』はおしまい。おいで……『次の遊び』をしようじゃないか」

第3章 ボス戦 『人間災厄『オルフェウス』』


 立ち去る『オルフェウス』の後を追い、階段を駆け上がり。開け放たれた扉、その中へと入っていった|彼《彼女》に続き、部屋へと踏み入った√能力者たち。

 どうして。

 それは√能力者のだれかの声だったかもしれない。あるいは……部屋の中に『居た』、誰かの声だったのかもしれない。
 まだ。まだだ。まだ、居たのだ。居る。倒れ伏している女性が数人――息はあるようだが、それもか細く、いつ絶えてもおかしくはないほどの。
 それの周囲に集まる『クヴァリフの仔』。今か今かと『給餌』を待っているかのようだった。

「代わりは見つからなかったさ。妥協に妥協、その末だ。……『とっておいて』、よかったね?」
 自分の唇に指先を当てて、愛らしく微笑む様。開け放たれたカーテンから通る風――。外から、羽ばたく音が聞こえる――窓を突っ切り屋内へと入り込んでくるは『セイレーン』、半人半鳥の彼女たちが絶叫を上げる。

「……さあ、わたしの歌を、曲を、聴いてもらおう」
 そこの『彼女』たちにもね。
マギー・ヤスラ
寧・ネコ

 ぎゃあぎゃあと喧しい声が室内に響いている。窓から侵入してきたセイレーン。人の顔を持つが人語を発さぬそれが叫び続けている。それでも、こちらに手出しをしてくるような事はせず、まるで様子見をするかのように、見開いた目をマギー・ヤスラ(葬送・h07070)へと向けている。
 それをも打ち消すかのような――否、聴覚でなく精神へと響き渡る竪琴の音色。弾かれる弦の音は、耳を塞げど脳へと届くのだろう。
 人間災厄『オルフェウス』。窓の外、鳴き続けるセイレーンを背に、優雅に竪琴を掻き鳴らしご機嫌である。

「やめて」
 彼女の声への応答はない。ただ優しい声で知らぬ歌を口ずさみ、音楽を奏で続ける――。
 マギーが手の中に握られていた『種』を、砕く。ぱきりと小さな音がして、ようやくオルフェウスの視線が音の方向――マギーへと向いた。
「まったくもって不愉快な歌ですね」
 抱えられていた腕からすたりと降りる寧・ネコ(鎮魂・h07071)。『ヒト』の姿を形作り、マギーへと目配せをする。こつんと床を突いた仕込み杖、演奏を邪魔する小さな音の数々に災厄がため息をついた。
「今回は|ヒト形態《こっち》でいいんですね、マギーさん?」
 ――わたしのかわりに、お願い。頷く彼女を見たネコが動く。それをオルフェウスが目を細め、視線で追う。

「あなたの奏でているのは音楽じゃない、ただの呪い」
 エウリュディケを探して、なんて。その行く末が、こんな結果?
「知っているさ。けれど、呪いと祝福は紙一重だろう? わたしと|彼女《・・》のように」
 お喋りな災厄、おはなしに夢中なご様子だ。着々と整えられる場に、歌を止めてでもマギーとネコへ応答する。その間も楽器の音自体は響いているが、人々を狂わせるほどのものではない。
 ただ――。
「……代わりだとか、妥協だとか――人間を馬鹿にしないで」
 まだあなたは、被害者面を続けるのね、と。
 吐き捨てるように告げるマギーへと、オルフェウスは首を傾げる。

「あなたのために生まれた命も、消費されていい命もない」
 はながさく。左手に。指先に、手の甲に、蔓が這う。増していく質量。その腕が、オルフェウスへと振るわれた。右腕を盾にし受け止めるも、重量と威力は十分だ。よろめきながらも堪えた|彼《彼女》、眉をひそめながらもふん、と鼻を鳴らす。
「普通の人間だってそうじゃないか。『消費されていい命』として生まれたものを、食べて生きてる」
「だとしても、あなたみたいに、食い荒らして良いって言い訳にはならないわ」
「あは、綺麗事だ」
 小さく笑ったオルフェウス――すう、と肺まで淀んだ空気を吸い込む。
 では。エウリュディケに捧ごうか。

 ――結ばれた切っ掛けは神々の|作為《せい》。冥府下りも神の|作為《せい》。あれが『ドリュアス』たちに許されようとも、|わたしたち《・・・・・》はけして、神々を許さない。

 怨嗟。怨嗟だ。これを|哀歌《エレゲイア》とするならば……『|彼女《エウリュディケ》』がかえってくるはずもない!
 それでも顕れるは、うつくしき女性である。ふわりと揺れる髪により顔の見えぬ女が、そうっと、やさしく……。
『きっと――迎えに、来てくれる』
 |その後《・・・》の事には、一言も触れずに。彼女は『オルフェウス』と同じ声で囁いた。
 倒れていた女性たちの眼が開いた。呻き丸まり、ひゅう、とか細い声を上げながら周囲を手で探るもの。己の喉を掻きむしり、爪の間に血肉が詰め込まれてなお、がりがりと掻き続けるもの――!

「これで神話の英雄を気取るとか……」
 勘弁してほしい。実に。
 ネコが『エウリュディケ』へと仕込み杖を振るう。霊力の込められた一撃、肩を打たれてなお、彼女は……笑っているようだった。
 『これ』を狙っても仕方がないか。手を伸ばしてくる『エウリュディケ』を退け、喉を掻き毟っている女性の首筋を加減しつつ軽く打つ。自死のための道具を探そうとする手、そこから届きそうなものを足で払い除けていく。
 不快な歌と共に踊る『エウリュディケ』。オルフェウスの奏でる竪琴に合わせ。時折|彼《彼女》と共に歌を口ずさみ――。

 持ち堪えるネコ、演奏を中断させるために災厄の腕を狙うマギー。途切れる歌、ふらりとめまいを起こすかのように、『エウリュディケ』の幻影が消えていく。

「大切な相手って、お互いに信じあえるもの」
 後方で頷くネコ。強い信頼、撚られた糸のように、生半可なことでは切れぬもの。
「……騙して誘い出すことしか知らないあなたは、ほんとうに、かわいそう」
 ――あわれみだ。憐憫だ。視線の先の災厄、す、と表情が歪む。
「かわいそう」
 復唱する、『オルフェウス』。
「そうかな。そうかもね……」
 それを、自分自身で理解できないことは、もっと、もっと……。

橘・明留

「……俺には、お前がわからない」
 理解できない、理解してはならない。外で叫び続けるセイレーンの喚き声に眉をひそめながら、「災厄」を睨む橘・明留(青天を乞う・h01198)。
「理解しなくていいさ」
 そう笑って。ひらり、どこかから飛んできた半透明の蝶が、オルフェウスの指先に止まり――|彼《彼女》は、それを何とも思わないような表情で握り潰した。
 淀む空間に満ちるかなしみ、怒り、憂い、なにもかもを生み出したその元凶……それがこのように笑っている事など、ひとつも理解したくはない。

「絶対に……絶対に、ここで止めてみせる!」
 ……相応、ダメージを受けている。頬から垂れる血を拭い、確りと前を向いた明留。なるべく女性たちを庇えるように前に出た彼へ、オルフェウスが語りかける。
「君って、よく猪突猛進だとか言われないかい?」
 返答などしても無駄だ。奏でる竪琴、響く音波。床から這いずり現れた無数の腕。――だがそれは、明留が守る女性たちではなく、明留自身を狙っている――!

「わたしは確かに言ったね。気に入らないって。八つ裂きに、なってしまえって!」
 高ぶった感情のままに叫ぶ声と共に、明留の足へと『|マイナス《狂女》』の爪が深く食い込む。既に明留が負っていた傷に指を突っ込み、肉を抉り、そのまま引き裂かんと下へ、力を込めていく――!
「っづ、ぅ……!」
 けれど痛みでは止まらない。否、止まれないのだ。真正面から受け止めた女の手指。その腕を掴み……引き剥がす!

 幻想抹消。ゆめの、おわり。影は花弁となって散っていく。
 手指は悲鳴を上げることもなく、祈るように組むこともなく、指先から散って、窓から吹く風に流された。
 ……眉根を寄せるオルフェウスの目前。気付けば迫る、不可視札。
「――!」
 避けきれない。咄嗟に|彼《彼女》は首を動かすも、そのエネルギー塊は耳と髪を切り裂き、壁へと突き刺さって消えていく。

「このひとたちも、バケモノの餌になんてさせないからな……!」
 からん、と|彼《彼女》のピアスが床へと落ちた。ぼろぼろの体で、まだ、眼の前に立ち続けている明留へ、災厄は不愉快そうに。
「……君、やっぱり気に入らないや」
「気に入られたくなんかない!」
 おまえみたいなやつなんかに、欠片も、気に入られてたまるものか。

黒後家蜘蛛・やつで

 人間災厄というならば、これは人間なのでしょう。
 黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)の思考。それは人間災厄『オルフェウス』という存在そのものを肯定する考え方ではない。
 やつでにとって、|彼《彼女》は研究対象である。簒奪者としての人間災厄。インビジブルを奪い取るために活動する|彼《彼女》と、簒奪を阻止しようと動いている人間や、人間災厄たちと、何が違うのか。

 √能力者のだれかをAnkerとする。その代償を払うことで得た、個としては圧倒的な能力――それを用いて行うのが、このような凶行。
 エウリュディケを探している。だが、適合しないのならば残忍に殺害し、そうしないとしてもこのように、まるで人質、肉盾のように扱ってみせる。行動原理はシンプルといえる。
 |彼《彼女》の能力そのものは、やつで自身も模倣できるだろう。
 だが、あれの「ものの見方」はどうだ。やつでの知る『人間』とは、致命的なまでに異なっている――。

「やつでは人の能力として、結びつきこそ優れている要素と考えます」
 細い蜘蛛の糸でも撚り合わせれば強くなる。ひとはそれを知っているからこそ、群れて行動するのです。
「だけどあなたにそれができるようには見えない」
 だって、全部、巣にくっつけているだけじゃないですか。くっつけて食べて、ゴミはぽいっと。
 それでは結びつきなど作れるわけはない。
「だから曲を聞かせて、皮を剥ぎ、自分と同じものを探すのですか?」
 同じものを――八つ裂きにされ、首を落とされても唄うものを。もちろん、現世でそんなものが見つかるわけはないのだが。だからこその『人間災厄』なのか。
「――どこまでを『同じ』とするか、にもよるかな」
 痛む腕を動かす『オルフェウス』を見て、やつでが身構える。セイレーンたちが唸り声を上げて翼を広げ、号令を待つかのように羽ばたいた。

「曖昧な返答ですね」
 やつでは、|群れ《クモ》は繭を編む。セイレーンたちの悲鳴のようなコーラスが始まる前に、女性たちをすっかり糸で包みこんでしまった。喰らうために保存するのではなく、守るための糸。これで彼女たちが負傷する心配はない。オルフェウスの歌声と共に襲い来るセイレーンを往なしながら――己の心を、糸で繋ぎ止め。|彼《彼女》の歌声を、リクエスト通りに聞く。
 誰もが嘆き、悲しみ、落涙した我が歌声よ。幾度でも歌おう、幾度。何百。何千。冥府の底に届くまで。
 喧しいコーラス、足で繭を引っ掻きまわしているが、その爪は届かない――。

「エウリュディケは見つかりましたか?」
 返答は、分かりきっている。
 否だ。

クラウス・イーザリー

 ひとびとを堕とし誘惑し操り、クヴァリフの仔まで己の手中に収めんとしている人間災厄。ある程度の対応は既に他の√能力者が行っている。
 あと一手。一手があれば、彼女たちをこの『最悪な手段』を使う災厄から守り、逃がすことができる。窓から侵入してくるセイレーンを見ながら、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は考えを巡らせる。
「聴いてやる義理は無いな」
「それでも聴かせてあげるよ。君だって……わたしの曲を聞いて、ここに来たのだから」
 爪で撫でるように弦を鳴らすオルフェウス。悲鳴、絶叫、嘆き、喚く音。一度、あの竪琴の音色を正しく認識してしまったがために。今のクラウスにとって、あの音色はまさしく、不愉快そのものである。

「君なら理解してくれるんじゃないかな。|あれ《・・》を聞いたのだろう? この世には望んでも手に入らないものがある。それでも、手を伸ばさずにはいられな――」
 語る、その言葉を遮るように。油断しきった、余裕綽々のその面へ――クラウスの放った予備動作の殆ど無い閃光と轟音が、部屋の中へと響き渡る!
 反応が明らかに遅れていた。セイレーンたちも同様だ。思わず目を閉じ、片耳を手で塞ぐオルフェウス。きぃんと強い耳鳴りがする中で、「煩いじゃないか!」と怒号が聞こえ。ぎゃあぎゃあとセイレーンたちが喚き散らしている。

 その隙にとクラウスは思い描く。自分の親友ならば。彼ならば、ここで、どうしただろうか、と。
 ――そしてそれは、「かたち」となって目前へと現れる。自分たちよりも圧倒的に巨大な鳥類。燃える体がクラウスを、女性たちを守るように立ちはだかっていた。
 その背に、陽に思うだけで、通じるもの。――閃光。不死鳥のような姿のそれが強烈な光を発し消え去っていく。眩む視界が元に戻った頃には、既に不死鳥の姿も、女性たちの姿も、そこにはなかった。

「ひどいな、不意打ちじゃあないか!」
 不機嫌に竪琴を鳴らしたオルフェウス。襲い来るセイレーンの足をスタンロッドで退け、オルフェウスへと距離を詰めるも、その間に入り込むはセイレーンだ。人だけでなく、己の呼び寄せた存在すらも盾として使ってみせる。唇を小さく噛み、全力で魔力を叩き込み撃ち落とし、再度距離を取った。

 救えなかった被害者達のようには、させない。痛むのか、耳を押さえているオルフェウスと、クラウスが睨み合う。

雪月・らぴか

「むむむ、まだまだ引き寄せられちゃった人がいたんだね……」
 もっとも、『オルフェウス』の企みは阻止された後。人質とされたひとびとは既に避難させられ、室内に残るは√能力とオルフェウス、そして騒がしいセイレーンのみだ。雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)は杖の先をオルフェウスへ向けながら、言葉を続ける。

「まあ、エウリュディケを言い訳に欲望のままにさらって殺したいだけっぽいし、止められるまでやり続けるよね」
 ――無言である。竪琴で悲しげな曲を奏で続けるその指先。
 言い返さないことは『肯定』に他ならず――ただし、止めろと言われても止まりはしないからこそ、|彼《彼女》はここにいるわけだが。
「そうだよね? 多分誰が来ても、違うって殺すだけだよね?」
 強く。じっと睨めばようやく、災厄はふうと息を吐いた。

「誰が来ても? ――この『仔』たちは、歓迎したさ」
 いつのまにか隅に集まり、ぷるぷる震える『クヴァリフの仔』。目標はオルフェウスの撃破だけではない、あれらの回収も含まれている。
「――流石にこれは放置できないね!」
 ササッとやっちゃおう! オルフェウスへと駆け出すらぴか、それを食い止めようと上体を持ち上げるセイレーンたちだが間に合わない。
 先手必勝、多く巻き込める範囲へと陣取り――その魔杖を爆鎚へと変化させ、床へと強く打ち付けた!
「なっ……!」

 巻き起こる氷雪と爆音、凍てつく翼に戸惑うセイレーン、耳を塞ぐオルフェウス。ついでに隅っこでぽいんと跳ねたクヴァリフの仔――敵であるとみなされていないぽよぽよ怪異、寒さでぶるぶる震えているが問題はない!
「ガンガンやっちゃうよーっ! どうせ煩いならこっちの騒音のほうがマシ!」
 再度叩きつけられた爆鎚、悲鳴を上げるセイレーンをよそに、オルフェウスがあからさまに嫌そうな顔をした。
「騒音とは失礼な……うつくしい音だろう?」
「ぜーんぜん!」
「あはは、一刀両断だ!」
 笑う|彼《彼女》だが、その視線はまったく笑っていない。乾いた笑みを浮かべながら、己の衣類についた氷を払う彼へと迫り爆鎚を振るうらぴか。直撃すればお察しだ。その攻撃をなんとか躱していくが、掠れば当然爆ぜて、氷雪が襲う――!
 ようやく戦線へと戻ったセイレーンたちがオルフェウスの盾になっていくが、負傷した体では耐えきれないか、数羽が落ちていく――。

虚峰・サリィ

「ハロー、|災厄《カラミティ》。趣味の悪いアンタの演奏も終わりの時間よぉ」
 虚峰・サリィ(人間災厄『ウィッチ・ザ・ロマンシア』・h00411)の挨拶は、いつだって優雅である。
 但し今回の災厄は、その挨拶にまともに答えさせたくない相手である。乙女の恋路を絶ってきたものだ。神話におけるオルペウス教、その教義においても、人間災厄『オルフェウス』は、サリィとは相容れぬ存在である――!

 ガール達の心配をせずとも良くなった今。容赦など必要あるものか!
 早々奏でられるは|重奏・十重二十重に歌え聖なる日1224《ヘヴィーゴスペルワントゥートゥーフォー》。さあ今回のナンバー、響き渡るは乙女への聖歌!
 掻き鳴らされるエレキギター、生まれていく光の弾丸。同じ弦楽器であるがまったく音質の違うそれにオルフェウスは目を細め、二度目の拍手を送っている。
「すばらしいね。音楽の災厄――君ならきっと相応に、ひとびとを恋に狂わせることができるだろうに」
「アンタみたいに『堕とす』のはごめんだわぁ。恋はもっと情熱的で、愛情がなくちゃ始まらないの」
 簒奪者からの称賛など。ふんと鼻で笑うサリィへと、セイレーンたちが襲いかかる。一体一体へと打ち出され押し返す光の弾丸、攻撃を反射させ、五度の目潰し、墜落を!

 それでもすり抜けてきたセイレーンの爪を結界が受け止める。そして、光弾が切れた瞬間。思い切り、セイレーンを|魔導弦《エレキギター》でぶん殴った!
 壁へと叩きつけられたセイレーン。自身を守る『盾』が無くなったことに、肩をすくめてみせるオルフェウス。そこへ襲いかかるは、暴力的なまでの音圧と光の弾丸!
 とはいえ相手も音楽の災厄だ。竪琴を構えいくらかを打ち消すも、その速度と圧にはついていけていない。

「妥協だとか代わりだとか、どこまでも無礼な奴。ガール達をまともに見てもいない」
 |彼《彼女》が探す『エウリュディケ』のことも、きっとそのような目で見ているのだ。そうでないのなら、このような凄惨な悲劇、起きるはずもなかった――!
「そんなクソッタレにふさわしい言葉があるわぁ」
 負傷は確かに重なっていき、光弾がオルフェウスの脇腹を抉り抜く。呻く|彼《彼女》へと、サリィは強かにサムズダウンを見せつけて。

「地獄に落ちろ」
 吐き捨てるかのような一言に、オルフェウスは。
「……お断りだな」
 冗談も、言えない様子だ。

神咲・七十

 喚くセイレーンを見ながら。美しき女性と鳥類の体、神話ではそれらを退けた張本人、その名を持つ人間災厄が呼び寄せるには、相応しくはあるが、致命的に噛み合わない。
「意見が行ったり来たりして、優柔不断かもですが……語り部の様な存在ですかね?」
 まさしく『オルフェウス』は本来、吟遊詩人である。語る言葉は騙る言葉、うつくしい言葉で着飾られた物語の数々、それを竪琴の音色に乗せてきたのである。音楽の災厄との縁を持つ神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)にとって、それは「新たな概念」に見えたのか。

「どうなるか分かってるのに、その物語をなぞる事をやめられない……」
 似てるようで、彼女とはまったく違う。さて、誰と比べたのやら。鍵盤の天輪がピアノの音色を奏ではじめた。
「君は随分と察しがよくて、いやになってしまうなあ」
 ゆったりと竪琴を弾きながら――疲弊している様子も隠すことなく。手慰みのように奏でられる音は変わらず、憂いを帯びている。

「申し訳ないですが、今回はオファーさせて貰いますね……あれも食べてみたいです♪」
 げえっ。――幻聴のような呻き声。それでも働けと言われれば働かねばならない。報酬の有無はともかく。追加として召喚されし|邪神の欠片《フリヴァく》は己が役割を確と理解しているようだが。

「では……一曲、聴いていってください♪」
 側に立つフリヴァくと共に、オルフェウスに向けて。伴奏はグノシエンヌの『第7番』――始まるはうつくしい歌唱、デュエットである。
 それに眉をひそめるオルフェウス。音楽の災厄として――何より、その意図に対して、|彼《彼女》は鼻を鳴らす。

「わたしにはエウリュディケしかいない――いないんだよ」
 ――狂気に待ちた|彼《彼女》が、洗脳に対する耐性を持っていないわけはなく。むしろ洗脳により屈服させる側なのだ。とはいえ効果がないわけではない。精神を確かに削り取る歌唱、耳を塞ぐようなものではないにしろ、オルフェウスにとっては忌々しいものか――!

「わたしの演奏に値札など、つけさせないさ」
 笑むオルフェウス、掻き鳴らす竪琴と共に現れるは『マイナス』――狂える女たちである。七十に縋りつき、その皮膚に爪を立て肉を抉ろうとする彼女たち。しかしその傷はすぐさま、ピアノの音色と共に縫い合わされるようにして塞がっていく。

「あの女性達も渡しませんよ。そも、貴女? の曲は、エウリュディケ以前に、『結ばれ続ける運命の相手』を引き寄せた事がないでしょうに」
 その歌声、ひとびとを魅了すれど、神話の彼は誰の誘いにも乗ることはなかった。広めるは悲しみの輪からの解脱。穢れた皮革を脱ぎ捨て――誰もかも肉となって……腐敗していけば……彼女と変わらない。輪廻転生から脱することが出来る――!

「今回は、私が貴方? の『マイナス』になります」
 私は……頭も残しませんよ。
「やれるものなら」
 笑む、オルフェウス。食らいつかれた右腕に目もくれず、竪琴の弦を器用にも、片手で弾いてみせた。
 ぶつり。関節から引きちぎられた右腕。『マイナス』の腕が、オルフェウスの腕を、肘の関節を引きちぎったのだ。まるで爬虫類の自切である。腕を犠牲に距離を取る|彼《彼女》――。

「求めて、求めて……ここで死んだとしても、わたしは冥府には迎え入れられることなく――他の場所で、蘇る」
 そうすればわたしは、また唄い、奏でることができるのだから!
 ――その瞳に宿るのは、唯、狂気。

ヴォルン・フェアウェル

「いやはや、またレディたちの陰に隠れるのかい? 紳士的じゃないなあ」
「紳士かどうかもわからないのに」
 くすくす笑う|彼女《彼》は、わざと『女性らしく』振る舞っている様子だ。もっとも、ヴォルン・フェアウェル(終わりの詩・h00582)には関係ないし興味もない。挑発にすらならないわけだが、オルフェウスは会話そのものを楽しんでいる――ここまで、ぼろぼろの姿にされようとも、だ。

「英雄殿はよほど僕らが怖いとみえる。さらにいえば|吝嗇家《りんしょくか》のようだ」
 不要物を護身用に|リサイクル《再利用》するとは。
 |彼《彼女》が今まで見せてきた能力は、神話において『オルフェウス』を苦しめたものばかり。そんな化生を模したものをわざわざ選ぶとは――。
「もしかして、マゾヒストなのかな?」
「だとしたら、随分と面白いね」
 皮肉に皮肉で返す様。残る数少ないセイレーンがぎゃあぎゃあと声を上げる。片手で抱えた竪琴、その弦を爪の先で一本弾く。それを合図に、狂気に満ちた悲鳴を上げながらセイレーンがヴォルンへと襲いかかっていく――が。

 ヴォルンの足元から這い上がる大百足――その群れが、セイレーンたちの足に絡みついた。反応速度が落ちているそれらが、今まで部屋に半ば詰め込まれるように群れていた彼女たちが、まともな抵抗をできるわけはない。
 悲鳴を上げようとして喉を噛み切られるもの、翼をばたつかせ絶叫するもの。しかしヴォルンにとっては、それは微風程度の声にしかならなかった。
「反応の鈍い羽虫なんて、いい餌だ」
 毒が回り――セイレーンが次々と昏倒していく。とらえられたが最後、逃れられない。悟ったオルフェウスが動く。

「狂わない、狂えないというのは、随分……気楽そうだね!」
 大百足を脚で蹴りつけ払いながら、ヴォルンへ向けて音響波を放つオルフェウス。
 だが、届かない。|彼《彼女》にとってヴォルンは相当に、相性の悪い相手。それだけだった。先の戦いで片腕を失った。抵抗は『出来る』が――分が悪い。悪い、のだ。

 ゆえに、|彼《彼女》は諦めた。足掻くのを止めた。
 途端足から這い上がり締め付ける大百足に捕らえられ。
「……狂気と恐怖を克服した気分はいかが?」
 指を食い荒らす|顎《あぎと》へ目もくれず。引きちぎられる生皮、食い込む牙。逃れようとも身じろぎすら出来ず、大百足に巻きつかれたまま――オルフェウスは、ヴォルンへ語りかけるも。彼は興味なさげに、肩をすくめた。

「君のご高説の通り――死に様くらいなら、お話に沿ってあげるよ」
 それは慈悲などではない。
「君の死を悼む島人は、どこにもいないだろうけどね」
 もちろんそこには、エウリュディケも存在しない。冥府になど行かせるものか。ここで絶えるのが、お似合いだ。

「……わたし自身が悼むとも」
 小さく答えたオルフェウス。そこには既に、竪琴の音色はなく――骨肉を引きちぎる音が響き。

 最後。部屋の中には何も知らぬ『クヴァリフの仔』が、隅で餌を待ち蠢くだけとなり。それを興味なさげに見る、ヴォルンの姿が残されることとなった――。

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