シナリオ

ねじ式ゴッデス・ムーン

#√ウォーゾーン

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 #√ウォーゾーン

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●針、歌声、歯車
 最早だれのための用も成さない|天蓋大聖堂《カテドラル》に、それでも日々は巡っている。昼と夜の取り分が、月の満ち欠けの変遷が、設計通りに正しく世界の摂理を映し続けているのか、判じる者が尽きたとしても。
 天を衝く支柱に支えられ、ドーム状に街を覆う夜の天幕に投影された満月が街を仄かに照らしていた。戦闘機械群に占拠されたのが既に一年も前のことだと言うのに、街路に風化の様子はない。ただヒトだけが忽然と消えてしまったかのような都市に戦闘の傷痕がほとんど見られないのは、かつて此処に住んでいた者に、簒奪者たちへ抗する力が足りなかったからだ。頑強な都市の防衛機能を活かし、研究特区として兵器開発者とその家族の住居となった街だった。だからこそ、制御機構を奪われた途端、あっさりと抗戦の手立ては失われた。
 放棄された都市はただ楚々とした顔で冴えた月の光を浴びている。限りある土地に犇めき合う住宅区と、ドームの中央に乱立する研究施設の高層ビル群。どれもがつるりと白い建材で作り付けられて美しい。その景色に、欠けも、罅も、汚れもない。その街で、軋んでいるのは音だけだ。

「おかえりなさい、遅かったね。少し根を詰めすぎじゃない? 入眠時間の記録が途絶えているよ」
 戸口を開けたアンドロイドが、案じるような柔らかな声で微笑んだ。限りある資源を研究に充てるため、この街に於いて道々の灯りは最低限に留められている。ヒトは暗闇で精神不安を覚える傾向にあるはずだからと、努めて明るいお喋りを続ける|ハウスキーピング・タイプ《家政型》の彼の前にはだれもいない。
「配給が少なくて、連日質素になってしまうけど、不足分は|粉体栄養食《サプリメント》で補ってるから。きみが金属の味がするから嫌だって言ってたやつ、昨日から食べてるスープに混ぜてたんだよ。知ってた?」
 悪戯っぽくウインクした青年が手品の種を明かすように小瓶を振る。ダイニング・テーブルの上に並べた皿を前に、どうぞ召し上がれと腕を広げる。瓶は割れ砕けて空っぽだとして、皿の上には泥を捏ねたものが並んでいたとして、彼が気付くことは二度とない。

 せっせと決められたルートを辿る配給用ドローンが、不意に互いを敵と誤認して打ち合った。街中を巡る警備型のベルセルクマシンが、生き残った一体を銃撃で撃ち落とし、要警戒の信号を仲間に飛ばした。だとしても、通信は届かない。発信側も受信側も壊れていては、正しい指示は伝わらない。
 いずれ、当の警備用機体は何事もなかったかのように歩き出す。ヒトの消えた都市で、今日も空っぽの生活が守られて在る。

●すべて終わったあとのこと
「敵にとっても味方にとっても今更の土地ではあるんだが、残った研究データの中に有用なものがあれば――とは前から言われていてな。何せ研究員それぞれが勝手に保管していた|記録《ノート》については互い共有されていなかった部分も多い。使えるかも分からねえ情報に割く手は、この|√《世界》じゃそう多くないんだろ」
 奪還の優先度としても低いまま長らく放置されていた都市を手中に取り戻すためにと√能力者を呼び寄せた五槌・惑(大火・h01780)も、√ウォーゾーンの暮らしにさほど明るいわけではない。中枢機能をハッキングによって眠らされたその街に、同じく情報を求めてか完全な支配を狙ってか、新たな敵が現れると星を詠んだだけのことだ。
 何より、他の都市にどうにか逃げ延びた住人たちからの希望でもある。他人の記した中途の研究データを正確に読み解き、望む形に叶えるなどそう簡単に出来ることではない。それでも、死した友人の、家族の遺したものを手に戻したいと。
「研究区の中央ビルが都市の防衛機構を制御していてな。どうやら、ここにネットワークに悪さする能力を持った|虫《バグ》が取り付いてる。すっかり倒して綺麗にしてやれば、技術者連中が外からアクセスしてデータを引き出す目はあるって話だ」
 敵に狂わされたまま、過去と変わらぬ街の平和を守ろうとするインフラ用ロボットたちは√能力者らを外敵と見なすだろう。彼らを倒し、隠密に掻い潜り、或いは巧く騙しながら住宅区を抜け、向かう先は研究区。ネットワークを操る半電子生命たちを一掃すれば、ひとまずの目的達成だ。増援がやって来るとなればその帰り道。
「住宅区も大抵の建物は研究員の居住設備だからな、道中、兵器の試作品や護身用の物品なんか見つければ、気にせず使って構わねえ」
 既にこの街を捨てて避難した、或いは亡くなった誰かの私的な生活の痕や物品を。偲ぶのならば、それも自由だ。アンタたちの望むようにすると良い。星詠みはあくまでも無感動に続けた。
「奪還叶ったところで、この街に人が戻って来る予定はない。設備の破損はさして気にするな。巻き込む人間もいねえんだから、派手にやって来い」
 どうせもう、全部壊れているんだから。

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第1章 冒険 『要塞化都市を攻略せよ』


 |天蓋大聖堂《カテドラル》の壁の一部分が人ひとり分のサイズに空間を開く。息を殺しながら滑り込むところまでは簡単だ。ドーナツ状に構成された都市は、中央に向かうにつれ建物の階層を増してゆく設計になっている。研究区へ向かうにあたって迷うと言うことはないだろう。
 路地を巡回するベルセルクマシンたちに出会ったなら、一も二もなく戦闘が始まると見て間違いない。外部との通信を|阻害《ジャミング》する影響で彼らの間の増援要請もまともに通じていないから、対峙した一体を倒せば突破は容易だ。いっそ陽動と割り切って、大勢呼び寄せるために大立ち回りを演じるのも悪くない。
 隠密に向かうのであれば宙を駆ける配給用ドローンに十分注意する必要がある。敵襲の際は牽制支援を行うために、簡単な銃火器が搭載されているからだ。時間の別なく、そこらの石やガラクタを生活必需品と誤認して運び続ける彼らは、おおよそ決まった道順をなぞっている。巧くタイミングを計ると良い。
 戦闘向きの機能を積んだものとの接触を避けたいならば、住宅内をドアからドアへ辿る手もあるだろう。虚空の主人の世話を焼き続けるアンドロイドたちに警戒をされれば、彼らとて武器を手に√能力者へ襲い掛かって来る。彼らこそ、倒してしまうには手が掛からないと考えたって構いはしない。
 軋む、音がする。どこかから響き、折り重なり合う機械都市の駆動音が、ひどく不安定なリズムで√能力者らの気を逸らせる。
星越・イサ
ボーア・シー

 出入口はボーア・シー(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)の背後で軽いエアー音をさせてすぐに閉じた。眩しくない程度に灰がかった白色の|天蓋大聖堂《カテドラル》内壁は振り向けば何とも滑らかに清潔で、既にその継ぎ目がどこかも分からない。ローカルに落として来たマップに座標情報を記録しておくのは念の為――と言うより、この世界に慣れ親しんだボーアにとっては特筆すべきでもない最低限の警戒だ。
「ボーアさん、こっちに。警備機体が来ます」
 先行して歩を進めていた星越・イサ(狂者の確信・h06387)が手招く家々の狭間の暗がりに、ふたり身を潜ませる。熱源感知も碌に出来なくなったらしい――もしくはただ住民が夜歩きを楽しんでいるとしか判断し得なかったらしいベルセルクマシンは、呆気ないほどにすんなりと侵入者を見逃して次の通りへ去って行った。
 暮らしの気配を残す町並みを、白亜の城砦と呼ぶのは聊か過分だ。墓標と名付ければヒトを本位にし過ぎている。どれほど機械が用途を果たし、ヒトの言葉を操ろうとも、どうしたってここは滅びている。まざまざと敗北を見せつけられるような光景に、それでもボーアの機械音声は淡々とした響きを保ち続ける。
「|こういった場所《廃墟都市》は√WZじゃ珍しくないですが、あまり気持ちのいい場所ではないですね」
 まあ、|同僚《イサ》は楽しそうでなによりですが――とはいちいち言わないでおいた。イサの円い紫のまなこが爛々と見つめる先に飛び交う配給用ドローンが、住宅の壁にぶつかってバランスを崩す。安定運用を求められるインフラ設備にはあり得ない動作。果たして彼らに何があったか。読み解くならば、イサにだって出来ることはある。やる気と共に引き攣るように吊り上がった唇の端をそのまま、少女は機械兵士に小声の内緒話を持ち掛けた。
「私、「壊れたもの」が見聞きする物事にも、物品から情報を引き出すことにも慣れ親しんでいますから。お役に立てると思います」
「それはどうも、頼もしい。数機ほど手元に置けるとより良いですか?」
「理想は。ただ、そのためだけに時間を使って発見のリスクを高めるのも不味いですね。道中で辿れそうなものがあれば……手隙の間に、出来る限り進めます」
 では、打ち合わせの通りに。
 なにかに急き立てられるように喋っていたイサが、その一言きりでぴたりと動きを止めた。まばたき、呼吸による体の上下動。ほとんど無風のこの閉ざされた空間では、銀色の毛先がそよぐことすらない。
 作り物の夜の底を見徹すべく視線を定める。無音で飛び交うドローンが、微かに零す軋みを聞く。使い得るすべての官能を以て世界へ没入すれば、徐々に|自分が薄れて《頭が澄んで》ゆく。イサは『イサ』でなくなって、宇宙より届き続けるノイズを掴んで束ねるための電波塔になる。
 やがて、イサの脳裏に、なにか昏い光がフラッシュする。どろりと淀んだ目付きのまま、導かれるように少女の白い指先が住宅のひとつを指差した。
「――あの家。じきに大型配給機が到着します」
「結構。急ぎましょうか」
 傍らで待つばかりだったボーアに、イサの内面で何が起こったかは分からない。それで構わない。|味方《同僚》が語る言葉なら、信じるに値する。それだけだ。

 踏み入った家の中に人影はなかった。正確には、人の形を伴ったうえで、動いている存在はなかった。一室の壁に作り付けられた充電用のポッドに入って目を閉じる少年型のアンドロイドは、恐らく夜間は眠る素振りをするようにと|既定《プログラム》されているから警戒する必要がない――人間用の子供部屋が他にもひとつあったから、そう予想が出来る。幼児の情緒教育のため、パーツを換装しながら子どもの発達段階に合わせた姿形で成長しているように見せかけ続ける、と言うアンドロイドの運用は一部で流行り続けている。『きょうだい』と同じ時間に寝る良い子でいましょうね、と言う躾だ。
「でもそれって、子どもが混乱しませんか」
「ですので賛否両論です。おおよそは成人段階程度で換装を止めて、以降は専属の家政型として運用し続けるのが主流なのでしょうが――いずれ、子ども一人にアンドロイドを一体宛てがえるだけの余裕がある、富裕層のライフハックですよ。この街に於いては研究の一環だったのかもしれませんがね」
「……それで、その元住民達はどうなってしまったのですか? 原因もなしに跡形も残さず消失することはないでしょう」
「さて。私が語れるのは一般的な知識だけですから」
「ふむ、もっと情報が必要ですね」
 認識障害を起こしているらしきロボット達に何があったか。ぺたぺたと充電ポッドを触り始めたイサを好きにさせた上で、ボーアはドローンを迎え入れるためのハッチが天井にあることを確かめる。イサの目にどれだけ珍しいものが並んでいるように映るとしても、ボーアには終わってしまっただけの景色だ。
 程よいサイズの段ボールは廊下の納屋に畳まれていたのを簡単に調達出来た。底をテープで心ばかり補強すれば強度は十分――組み上がった箱の前、ボーアはその両手で己の頭部に触れた。ぱちぱちと砂を落とすような軽い音の群れは、コード類を押さえていたラッチを機械制御で解除する音だ。
 ヒトの肢体へ繋げるにはあまりにバランスの悪い機械の頭を、捧げ持つように押し上げる。ボディと頭部が切り離される。ちょうど脊髄と同じだけの長さをしたケーブルがずるりと抜けた。丁寧に箱に収めた頭部の重量をドローンが不信がるならば、新型試作兵器だとでも|通信を送る《ハッキングする》としよう。イサの方は――有機物であることは誤魔化しようがないし、配給用の食料とするのが良いか。ボーアが端緒を開いたのち、彼女のテレパシーを叩き込む手もある。
「準備が終わりました。そちらはどうですか?」
「外傷や補修の痕は見られませんから、交戦はなかったんだと思います。恨みや後悔と言った念は残っていないように感じますが、アンドロイド本体にアクセスするにはやっぱりポッドが邪魔でして……」
「成程。お手伝いしましょう」
 段ボールの頭部の発声に応じて、ボーアの体が充電ポッドの操作盤へ触れるイサの傍へ向かう。エクステンド・ユーザーの登録を呼び出して見てみる限り、どうやら家族以外の誤操作を防ぐの生体認証プロテクトが随分と強固になっている。操作をボーアに譲ったイサが、恐縮するように時計を気にした。
「戦争し合って30年近く、はっきり言って人類は負け通しだ」
 なにか言おうかと思ったのは、焦らなくて良い、と雑談で場を和ますつもりだったからだ。反して、ボーアの機械音声は滑らかな人の発語にスイッチし、荒い苛立ちをその声音に乗せる。
 勝ちの目を見たことが一度だってあるか。その証拠が、街中に散らばる壊れた機械や介護ボットだろうが。目の前で眠るこのアンドロイドだって、瞼を開ければまた無益な暮らしを繰り返すだけだ。
「機械を敵にしといて利用しようって時点で敗勢なんだよ。体よく利用して勝とうなんてのが甘い話で――」
「ボーアさん?」
 イサが呼ぶ。一拍、まったくの無音が続く。
「……失礼、|やる気《狂気》に当てられたようです。真面目にやりますよ」
 ボーアが機械音声を取り戻すのとタイミングを同じくして、ドローンの到着を告げる電子音が家の中に響いた。

水垣・シズク
クラウス・イーザリー

 最小限の電力で済むよう、車両が通る必要のない細道は青白い|足元灯《フットライト》だけに絞られているから、ともすればその景色は街そのものが光を孕んでいるような神秘的なものに見える。この街の内実を知ったあとでは、魂の籠らない彫刻と同じだと分かっていたとしても。
 忍び入ったマンションの非常階段を隠密のうちに昇っていたクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が、三階分ほどの高さまで辿り着いたところで視界は十分に拓けてくれた。恐らくは補修の簡便さのため、住宅区の建物は往々にして背が低い。ひとまずは行く手をこの目で確認すべく息を潜めて暫時観察した街路には、前情報の通り、ロボットたちそれぞれが勝手な動きで行き交っていた。
 この分だと偵察用ドローンを放つのに苦労はなさそうだ。配給機が住宅に干渉しないよう保つ高度範囲と、ベルセルクマシンの光学センサーの境目を冷静に測りながら、一方でクラウスの心には僅か憐憫の情が霞める。――いいや、『憐れ』と呼ぶよりはもう少し内省的だ。たぶん、これは『悲しい』が近い。壊れた世界を正常だと認識して動き続ける機械達。けれど同時に、正常って何なんだろうな、とも思う。
「(どれだけ壊れていても、そこに住む人が正常だと思えば正常なんだろう)」
 この世界の元の支配者は人類だったのだと言う。突如侵攻を開始した戦闘機械群に簒奪された土地を、ヒトがまた奪い返した。クラウスが生まれる前の、歴史の話だ。
 街路をパトロールする警戒機体だってそうだ。元は敵だったベルセルクマシンは人類に鹵獲されたのちに友好人格AIを埋め込まれ、そしていま、再度クラウスの障害として立ちはだかっている。|√ウォーゾーン《戦地》ではいつだって、敵も味方も、命の価値も、毎日ひっくり返されてぐちゃぐちゃだ。
 クラウスが正常だと、保証してくれるものだって何もない。常には考えもしないことを思考するのは、此処があまりに寂しいせいだ。
「大丈夫。合っていますよ」
 ――マンション前の通りからクラウスを見上げた水垣・シズク(機々怪々を解く・h00589)が声を掛けたのは、彼が道順の正しさを案じるかのように見えたからだ。少年の視線が下を向く。味方の証明のつもりで出来得る限り懐っこい笑みを浮かべてみせるシズクの金の瞳が、撓められた形そのままに月の光を弾いた。
「研究特区の遺産だなんて素敵な話ですから。是非ご協力させてください」
「――ありがとう。余計な消耗を避けるために、出来るだけ戦いは避けたい。索敵情報の共有は可能かい?」
「お任せください。コードを教えて頂ければ簡易回線を開きますよ。数の利で押すのはそれなりに得意なつもりですから、極力は安全な道を探りながら行きましょう」
 そして、金のまなこを持つのは、シズクの足元に粛々と控えるドローンたちもそうだ。
 この暗さを見越して、展開するのは飛ばないタイプに絞っていた。視覚センサーにも音響センサーにもひっかかりにくいよう、機動性重視だ。クラウスが寄越した飛行型のドローンと、街を覆うジャミングに影響されない周波の回線を|調律《チューニング》するのにそう時間は掛からない。再度の礼を告げ、マンションの外廊下から跳んだクラウスは傍らの住宅の屋根を辿り、速やかにシズクの視界から消えて行く――もしかしたら見える範囲にいたのかもしれないけれど、どうやら彼にも単身で隠密に移るだけの術があるようだ。へえ、と感嘆の声を上げながら、けれどそこで切り替えた。仕掛けに興味は尽きないが、今夜のシズクの目当てはほかにある。
「(ネットワークに悪さする能力を持った|虫《バグ》、私が想定している物と同じであれば研究用に何匹か確保したいと思っていたんですよねー。渡りに船と言うやつです)」
 クリプトワーム『Cetus』。インビジブルエネルギーによって孵化し、急速に増殖成長する半電子生命。本能的に殖えることを目的として動くのか、なにか群体としての指向性があるのか、分からないことは多いが――生体と近しい特徴を持つ以上、シズクが研究テーマとする戦闘機械と怪異の融合体作出のための|橋渡し《ベクター》としては有用だ。
 クラウスにも敵の情報を共有すべきか、露払いを任せる形で先行させてしまった分、邪魔をしないように機を計った方が良いか。考え巡らせながら、シズクもまた夜闇へとその姿を隠した。

 探知妨害用の外套は、クラウスが戦場を駆けるにあたっては何よりの供だ。ジャミング機能をオンにしたドローンを自身に追従する形とするのは、敵の察知を阻むための二重警戒。シズクからの索敵情報を常に受信し続ける設定にした機体が、行く手の危険を察知する都度短い電子音を鳴らすから、その度に進む方向を変えて徐々に街の中心部へと距離を詰めてゆく。
 迂遠に進む分、きちんと区画整理された都市の構造を把握するにも役立った。どうやら住宅区と研究区の間には明確な区切りがある。物理的な壁があるわけではないが、担当範囲を分けたドローンが列を成して円状に配置されている一線があるのだ。
「(やむを得ないか)」
 引き抜くのは電磁ブレード。搭載された砲塔が歪んだまま修繕されていない一機を見定め、クラウスはドローンの直下へと駆けてゆく。外套一枚で見過ごしてくれるなら良かったが、案の定、高感度に設定されたセンサーでクラウスを捉えたドローンは、警戒音を発しながら侵入者へと体当たりを喰らわすべく降下した。
 クラウスの振り抜いた電磁ブレードの切っ先が、ドローンを掠める。
 ただそれだけで良い。打ち込まれた|外部電圧《パルス》に耐え切れず、搭載されたすべてのインジケータを無茶苦茶に光らせた機体は、瞬きののちにはぐしゃりと地に落ちた。
「あちらの通信はやはり途絶えているようです。増援の様子はありませんね」
「けれど、きっとここから先は警備も密になる」
「そのあたりはお任せください。多少見つかったとしても連携していないドローンや警備ロボなんてあんまり、ね」
 クラウスの拓いた道を追って来たシズクが密やかに声掛ける。彼の懸念を払拭するためのデモンストレーション――と言うつもりはないけれど、まさしく道行く先でうろつくベルセルクマシンの白い機体に、シズクの一瞥ひとつでドローンらが這い寄った。感知出来ない暗闇の地際から、煙のような暗い影が立ち上がって敵を覆う。立派な得物を構えも出来ないまま、阻害呪詛をその身に帯びた警備ロボットはすべての駆動を止めて沈黙する。
 いよいよ、ここから中心部に踏み入ってゆく。惜しむように、ふたり、街路から住宅の窓を見上げた。夜の窓の向こうに甲斐甲斐しく動く人影は何度となく視界の隅に入っていた。
「戦闘の気配に気付いたら外に出て来てしまうんだろうか。|人類《空の家》を守るために」
「……家の中の彼らは、放っておきましょう。感傷は無意味だって分かってるんですけどねー」
「――うん」
 互い同じ気持ちだろうと、わざわざ口にはしない。|機械達《彼ら》の生活を妨げたくないという気持ちをシズクが汲んでくれたのかもしれないと、クラウスが勝手に思う分には自由だ。そんなことをして、何か意味がある訳じゃないとしても。
「(ただの自己満足だって、わかってはいるんだけどね)」
 それでも心動いてしまうのは、クラウスがどうしようもなく人間だからだ。

結・惟人

 |天蓋大聖堂《カテドラル》に踏み入った結・惟人(桜竜・h06870)の頬を撫でる空気は、廃墟都市と呼ぶには澄み過ぎている。人類の放逐されたこの街が、一年の間、機械たちによっていかに丁寧に守られ、整えられて来たかの証左だ。
 遺されたものは大切だ。遺された機械が、遺された日々をただ愛おしんで暮らす都市の光景は、惟人にとっては随分と慕わしい。記憶を取り零して彷徨い続ける惟人に、もしもそういうものがあるのなら――きっと、喉から手が出る程欲しくなる。
「(いまは、望む人達の手に届くように尽力しよう)」
 この街に眠る遺産を、待つ人々の手の元に。惟人が関わる理由なら、その共感ひとつで十分だ。
 事前情報の通り、道々には各所から機械の駆動音が鳴り交わしていた。これから先に戦闘が見えているなら温存が良いだろう。闇のなか、仄灯りに照らされて白く浮かび上がる惟人の影が街路を駆ける。家々の軒に生まれたより濃い夜闇に身を潜め、哨戒機が通り過ぎたらまた別の門戸へ。短い移動を数度繰り返した先、換気のために開いたらしい窓の隙間を見つけるなり、惟人は窓枠を軽く跳び越えて屋内へと滑り込んだ。
 どうやら――寝室だ。無人なのは幸運だった。無作法のない客を装うために手早く襟元を整え、惟人は悠々と廊下への戸を開いた。建物の配置的に、この家の裏手に回ることが出来れば、大型のロボットたちが踏み入ることの出来ない路地へショートカットが叶う。
「わっ。お客様?」
 出来ることなら誰にも出会わないうちにと足早に進んでいた惟人の背後で、また別の部屋の扉が開く。追い付くように駆けて来る足音に振り向けば、慌てた表情をした青年型のアンドロイドが手にしているのは男性ものの清潔な寝間着だ。この家のあるじは風呂かシャワーの最中で、寝る前に少し空気の入れ替えを、と――そう言う『設定』なのだろうと、読み解くのは容易だ。
「こんにちは、お邪魔する。あなたのご主人とお茶をしに来たんだ。飲み物の用意をお願い出来るか」
「ええ? 旦那さまったら、そんなこと言っていませんでしたのに」
「余程忙しかったんだろう。約束の時間より早く来てしまった私にも非があるな。すまない」
「あっ、お客さまに謝って頂くことありません。客間の方にお茶を用意しますので、少々お待ちくださいね。その間に旦那さまのことどやしてきますから。人を招いておいて呑気に長風呂だなんて!」
 あちらの両開きの扉を入って頂ければソファがありますからね、と案内を言い置いて去って行くアンドロイドは急ぎ台所へ向かうようだった。先に話を聞いていなければまるで人間と変わらないその背中を見送って、客間に立ち入った惟人は応接セットを横目にさらに先の扉を開いた。見立ての限り、この家はそれなりの敷地がある。裏口なり、そこに面する窓なりがあるならもっと奥まった場所になるだろう。
「お客さま、どちらに?」
 ――幾つかの扉を辿った先、研究設備の配置場所として、電子ロックが掛かっている区画があるのが誤算だった。無理に押し通ることも出来るがどうするか、惟人が決断しかねるうちに、困惑した顔のアンドロイドが所在を失くしたティー・セットを手にしたまま声を掛ける。
「ああ。手洗いは何処だろうか。腰を落ち着ける前にと思ったんだが、迷ってしまって」
「それでしたらご案内します。あの――旦那さま、お客さまが来ましたよって言っても返事をしてくれないんです。どうしてでしょう?」
 まだ警戒には至らない疑念は、それでも、望ましくない結果を予感させた。
 ならば出来るだけ素早く、騒ぎになる前に。ふ、と惟人の身が沈む。腰を入れて鳩尾へと叩き込んだ拳がアンドロイドの全身を揺らし、元よりギリギリの状態で保っていただけの|心臓部《コア》に罅を入れる。
 どうして。零れるほどに見開かれたひとみで、地に伏したアンドロイドは惟人は見上げる。音なき声で愕然と問い掛ける。心も命も無いと分かっている。それでも、人のように振る舞われると――
「(いや、考えないようにしよう)」
 首を横に振って、惟人は壊れた機械に背を向けた。先に進まなくてはならない。ここが通れないなら、別の道を探すべきだ。
「おやすみ」
 ただ一言残して、その部屋の扉を閉めた。

ヨシマサ・リヴィングストン
無明・夜嵐

 赤錆色の眸へ薄く瞼を伏せ、ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)の聴覚は静寂の都市に軋む微音を探る。どこかで警備用ボットが舗装された白い路面を擦って歩くタイミングに呼吸を合わせ、うすぼんやりと歩行者の足元を照らす灯りのチラつきに瞬きを揃える。すれば、秒単位に整然と規則的であるべき街が、どれだけ『ズレ』ているのかよく分かる。ヨシマサの身体の上で再現される都市の|律動《リズム》は、今にも眠りに落ちようと舟を漕ぐ人間の寝息の如く有機的に不安定だ。
 集中のためのテクニック、なんて大層なものじゃない。ちょっとしたお遊びだ。初めて来て、そして二度とは来ないかもしれない場所を、味わい尽くしておこうかって思い付き。見上げる先、向かうべき研究区のビルの天辺が未だ遠くとも、ヨシマサの口元は笑みの形に緩んだままでいる。
「(ふふ~、お任せください。こういう都市での単身ジャンク漁りは得意……というよりもはや日課ですね)」
 空間を視線でなぞる。ひとまずは路地の突き当たりの住居の庭先まで飛び込めれば視界が拓けるだろう。走り出しのルート取りは完璧。さて、今日もいつもどおりやりましょう――
「ふはは! 聞きしに勝る終わりっぷりよのー、√ウォーゾーン」
「わっ」
 思ったところで横合いから突然大声が叩き付けられたもので、流石にびくりと肩が跳ねた。
 別にヨシマサだって、あとからやって来た無明・夜嵐(99歳児・h02147)の存在に気付いていなかったわけではない。ただ、響き渡った快活な笑い声と、朗々と語る幼い声音が、予想の数倍ぐらい大きかったからちょっとびっくりしただけだ。
 一方、街路の歩哨たちばかりを眺めやって堂々踏み入ったばかりの夜嵐からすれば、暗闇に紛れるヨシマサは予期せぬ存在だった。幼子の姿ではどうも威厳の足りない仕草で腕を組み、片眉を跳ね上げる。
「お主、駆けるつもりか?」
「そうですね~。このぐらい敵もまばらで通信も悪いとのことでしたら、まあ、そちらの方が楽かな~と」
「ならば疾く行け。巻き込まれんようにな――もう少しばかり道を空けてやる」
「ふふ。それはどうも、期待してるっす~」
 そんな風に送り出してくれる仲間がいるなら、ありがたく、気を取り直して。
 ――路地へと遠ざかってゆくヨシマサの姿が夜闇に溶け切るまでを見送って、夜嵐は金の竜眼をうっそりと細めた。すべてが壊れてなお、|幕引きが出来ない《スイッチを落とせない》ままでいる街がひとつ。神が見放した土地と譬えるならば、この|√《世界》がまさしくそうだ。
「(さりとて誰に見向きもされず、これまで此処が静寂を保てておったのは、この世界だと上等な末路なのかもしれん。機械共も既に居らぬ主人達の為に健気な事よな)」
 ならば一切合切、跡形も無く全てぶち壊す。
 隠密など考えすらしなかった。めいっぱいに両腕を広げた少女の口角が吊り上がる。透けるほど白い肌の皮下でぶくぶくとあぶくが爆ぜるよう、その輪郭が不気味に歪むのは、夜嵐の身の内で叩き起こされた|竜漿《竜の血》が暴れるからだ。じゅうぶんに焼けたホットケーキの片面のように、ふつふつと沸いた膚から黒い鱗が這い上がる。からだを覆い尽くそうとする鎧の侵食に負けじと、夜嵐の肉体は異常な速度で膨れ上がり――路も壁も薙ぎ倒して顕現した闇の邪龍は、|天蓋大聖堂《カテドラル》の骨組みさえ震わすような声で咆哮した。
「おお~……」
 ――機械兵士と龍の対峙する戦場なんて切り貼りの悪戯で作ったみたいな光景は、|探索用レギオン《スウォーム・シーカーVer.1.5.2》たちから送信されて来る多面的な映像の組み合わせにより、生垣に身を潜めるヨシマサの頭のなかで立体的な像を結んだ。ちょっと面白そうで困ってしまうけれど、観劇に浸っているわけにもいかない。
 探査用パッシブ形態を取ったレギオンたちは既に周囲へ散開し、|ヨシマサ《メインサーバ》に情報を送り続けている。どうやら警備機たちはそれぞれの担当区域が定められており、ある一定のラインを越えて研究区に近接するエリアから決して踏み出して来ない者がいるようだ。複数ポイントからの攻めに崩れない配置。都市防衛の構成としては悪くない。
 騒ぎに我関せずとある建物の前から微動だにしていない者もいる。恐らくはごく限られた敷地のためだけに用意されたセキュリティ・ボット――住宅区内だとしても、外敵対応の対地兵器なんかが作り付けられている可能性はかなり高い。予想される帰路の増援に際して、立ち寄ってみるかは状況次第だ。
 ぐい、と一度伸びをした。マップデータはそれなりに溜まって来ていた。あとは普段の勘を頼りに駆け抜けていくだけだ。背後で生み出され続けて行くスクラップのなかに混ざりたいわけではないし、邪龍の歩く地響きが近付く前に距離を取った方が良いだろう。
「(ふふ~、気の向いたときにこういうところをよくフラフラしてますけど、夜はより稼働音が大きく聞こえる気がします。なんでなんでしょうね?)」
 さわさわと肌を撫でられるような、擽ったい心地はなんだろう。走り出したヨシマサを捉える者はない。
 ――蹂躙者の嘶きが聞こえぬ者はないだろう。音を知らぬ者ならば、小山と聳えるその背を見るが良い。
「さあさ人の営みを護り続ける勇者共。|静寂《へいわ》を破りに邪龍が来たぞ!」
 夜嵐は繰り返し吠える。愛らしい少女の声に、洞窟を空っ風が吹き抜けていくようながらがらとした嗄れ声が綯い交ぜになる。押し寄せてくる機械たちを前に、闇色の竜は大きく胸を膨らませた。一拍の溜めののちに吐き出されたブレスは、夜より昏い夜色で機械兵を飲み込んでゆく。
 限りある弾薬を、まさしく今が死地だと撃ち掛けるベルセルクマシン。物音に集い、戦闘用にモードを切り替えた配給ドローン。そのすべて、闇と一塊に融けて紛れて潰えてゆく。捨て身で突撃して来る清掃用ボットどもを翼の一打ちでいなし、わははは、と夜嵐は笑う。
「よかろう! 最期の花火じゃ、全身全霊全戦力で抗って――眠るが良い」
 最早すべて終わったあとのこと。妾がその空虚なる永遠の|縛《にんむ》から解き放ってやる。
「(……などと、所詮は異世界人の感傷じゃな)」
 分かっている。駆ける背を送り出した|ヨシマサ《工兵》の表情から、この戦地の生き方を悟れるぐらいには、夜嵐だって喪われた時のなかを永く生きて来た。だとしても。だからこそ――だれにも顧みられず壊れ続ける機械たちになにかの意味を与えられるのは、部外者である己だろう。
 ――道路上にホバリングし続けていたドローンの一体をレギオンのレーザーが貫き、制空が空く。ダッシュの勢いそのまま、ヨシマサは傍らの住居の壁を蹴り付けて跳び上がる。此処の屋上縁に自律思考型の|固定砲台《タレット》があることは織り込み済みだ。二階建ての住居の外壁の僅かな取っ掛かりに指を掛けたまま、砲身の向き得ない下方よりプラグを突き刺し、|強制友好AIウイルス《ハッキング》を喰らわせればおしまい。
「よっ」
 体を屋上へ引き上げ、ふと振り向いた。遠く、闇を穿つ|夜嵐《邪龍》の吠え立てる声と共に、集う機械兵士たちが木っ端と散る。砕かれた外装の残骸が龍の羽搏きで生まれた風に乗り、月灯りの下できらきらと輝いている。
「(きれ~、かも)」
 この景色こそが√ウォーゾーンだ。生命にランクはない。等しく、有象無象に意味はない。異界からの介入者がいたところで、ヨシマサの生まれ育った此処は、変わりようがない。
 それに、安堵し、喜ぶ自分がいること。ちゃんと、気付いている。

斯波・紫遠

「(戦闘機械群が手を引いたのは人が居ないからか、はたまた此処の研究に旨味がなかったのか……)」
 考え巡らせながら、住宅の狭間に身を潜めた斯波・紫遠(くゆる・h03007)は端末に落としたマップをついと指先でスクロールする。ヒトが手を入れて整えたときの景色がありのまま守り続けられていると言うことは、こちらが攻め込むにあたって、近隣の|都市《コロニー》に過去共有された情報がそのまま役に立つと言うことだ。防衛としてはあまりに脆い。
 星詠みはこの場を残す意味などないと言うが、出来るだけ壊したくないな、と思う。紫遠が身を隠すために軒を借りた家のなか、窓越しに見える背中の形の影がゆったりと揺れるのは、きっと、ぐずる赤子を抱いてあやす揺り籠の動きを真似ているからだ。
 哨戒機の巡る隙を縫って路地を駆ける。次の機体の気配が感じればまた次の影溜まりに飛び込んでやり過ごす。着実に進んでゆく紫遠の手元で、操作もしないうちに端末の画面が点灯した。アシスタントAI『Iris』の声もまた、限界までボリュームが絞ってある。
『右手の家屋へ。電子ロックは私が開きます』
 どうして、なんてわざわざ訊かない。『Iris』は無意味なことをしないし、出来ないことも言わない。
 指示通りの建物の入り口へ紫遠が近付けばそれだけで、ごく軽い電子音がした。素早く引き開けた扉に身を滑り込ませてすぐさま閉じた紫遠には知覚出来ない壁一枚向こう、無人になった街路の上空を、ルートを外れた配給用ドローンがふらふらと過ぎて行った。
『あと数分もすれば動き易くなるでしょう』
 『Iris』の判断に頷いて、暫しの待機を決めた。逃げ込んだ住宅の主はどうやら片付けが出来ない――よく言うならば、自分なりの物の配置があるタイプなのだろう。ひどく雑然としたリビングのテーブルに、携行武器類の仕様書を山と積んだうえ、文鎮替わりの工具たち。一歩間違えれば書類の雪崩に巻き込まれて倒れてしまいそうな位置のコーヒー・マグにじゅうぶんな液体が満たされていることで、この家にも家政を取り仕切る者が残っていることが見て取れる。
「1年という時間では人が住んでいた痕跡は無くならないんだろうね。これはアンドロイドたちのお陰でなのかもしれないけれど」
 天に巡る陽月が作り物であると言うことを差し引いても、紙に劣化もない。床に埃ひとつ落ちていない。この人たちが無事だといいと、勝手に願う。ただ決められた毎日繰り返す機械たちによって、幸福な暮らしを祈られた人々が、その祈りの通り、健在でありますように。それでやっとこの街は少しぐらい救われる気がした。
『随分と殊勝な感想ですね』
「アリスさんが居るからかな、あんまり他人事な気がしないんだよ」
『あなたにとっては他人事でしょう』
「長い付き合いじゃない。アリスさんのことなら、僕のことだ」
『私がこの街の機械のように擦り切れ、彷徨い続ける時が来ると考えていらっしゃる? そうなるとすれば所持者の責任です。適切な廃棄方法を今のうちに別端末に入れておいてさしあげましょうか』
「そ、そう言う意味じゃなくて……」
 これが照れ隠しならば可愛らしいと評すべきなのかもしれないけれど、彼女に限って絶対そんなことはない。懲りたなら無駄なお喋りは止めなさい、の迂遠な表現だ。時間潰しに手探ったソファの上の試作品の中に、タブレットへ繋げそうな|電波増幅器《ブースター》を見つけて端子を確認する。レイン砲台の操作を『Iris』に預けることも多いが、指示のラグを多少減らす分には使えるだろう。
『そちらのスコープも恐らく有用です。私が中継して|煙雨《レイン砲台》とリンクさせれば照準の役に立つかと。どうされますか』
「僕は――……いいや」
 |AR《拡張現実》機能を備え付けたらしい片眼鏡を、ちらと見はすれど手には取らなかった。この空間に、『Iris』のためならいざ知らず、自分の利のために過度な手を加えることに気が進まなかったのが理由のひとつ。――どうやら物音に気付いてやって来たらしい女性型アンドロイドが紫遠の姿を見て目を見開いたのが、もうひとつ。
 即座に、紫遠はその手からナイフを放った。過たず、眼窩に深々と突き立ったその一筋の刃が、彼女の回路をショートさせる。
 おやすみ、今日までお疲れ様。

緇・カナト
花村・幸平

 放棄された研究都市。そんな触れ込みの内実、緇・カナト(hellhound・h02325)が見徹す仄白いばかりの住宅区からは分からない。いざ|研究区《目的地》まで辿り着き、コンソールに齧りついてみたところで、門外漢のカナトにはちらと読み解きも出来ないだろう。
 ――知は探求し、共有し、研磨され続けてこそ意味を成す。
 カナトたちがこの都市を奪還し、遺された|端書《ノート》にアクセスした研究者らは、きっと人類存続のためにとその叡智を情熱の火にくべるだろう。我らこそが継ぐ者と、友の影に誓うだろう。
 ――造られた道具は本来の用途通りに使われてこそ、存在の意義を為す。
 では、住宅区を彷徨うだけの壊れたロボット達は?
「(もう何の為に……も必要ないんだろうが)」
 道々を歩くベルセルクマシンたちの姿を遠く眺めた。哀れみや同情ではないし、ましてや怒りなんかではもっとない。この|√《世界》では、ヒトと機械の力の均衡は、振れ続けることこそが当然だ。ただ、心がひどく静かに冷える、この空虚な感覚は何だろうか。
「ふ~ん、捨てられた街かあ~。住むひとが居ない街の抜け殻、幽霊みたいなもんだね」
 街路を見定めるカナトの背から、ひょこと花村・幸平(フラットライン・h07197)の頭が飛び出す。僕とおんなじ、とまで後付けに笑い声で足してやれば、|黒服のおにいさん《カナト》にもそれがジョークだって伝わることだろう。まるで深刻な様子のない幸平へ肩を竦めたカナトは、コートの内ポケットから|暗器《ナイフ》を手に握り込んだ。
「ヒトの居なくなった廃墟の光景ってのも結構虚しく感じられるモンだな」
「ね。返事してくれるひとがいないと、僕のお喋りもそのうち参っちゃうよ。どれぐらい保つかって、試しにこう言うとこ放り込まれたらヤだろうな~」
 軽い調子を崩さないまま、幸平もまた銃を抜いた。意図はこれで互い十分伝わるはずだと、仲間意識に撓むひとみの虹彩が煙に巻かれるようにブレる。その色もかたちも分からなくなる一瞬。なにも確かでない幽霊のからだの証明は、他者の認知と、敵に刻む傷跡のうえにある。
「僕ってば一応戦うほうの刑事さんだからね」
 カナトをはじめ、他にも複数の人員が幸平と同様にこの街へ足を運ぶ姿はちゃんと認めていた。隠密班もそれなりにいるようだし、他の面子が街の中を行き来しやすいよう、危険な機体を排除しておいて悪いことはないだろう。少しぐらい騒ぎ立てて寄せ餌に徹するのもアリかもしれない。
「さて――昏い月夜に御用心、だ」
 先んじて動いたのはカナトだ。呟き落とした言葉に従い、微かな月の灯の下に生まれた青年の影がとぷりと沈む。たとえば湖沼のただ中へ、崖から零れた石が落ちたように、そこに波状の揺れが広がってゆく。カナトを象った影がそうしてねじれた渦の隙間から、次々に獣の四つ足が立ち上がり、白い都市の地を踏んだ。
 二十、三十と越えるまでに姿を重ねた影絵の狼が牙を連ねて控えるその群れの最前で、カナトは無言のままにその腕を持ち上げた。それが合図だ。掌が示す先、虚しく歩き交わすだけの警備ロボットへ、いっさんに|千疋狼《オクリオオカミ》どもが駆けてゆく。体の大きな一体が何よりはじめに首へ齧りつき、次いで仲間たちが人型を模したその四肢へ取り付いた。|警戒音《悲鳴》は上がらない。ならばいっそのことと、あるじの意図を汲んだ聡い獣は、捩じ切った頭部をわざと激しく音が鳴るよう地面に叩きつけた。
「(機械兵を相手にする機会もあまり無いしな)」
 このあと戦いが控えていると分かり切っているならば、肩慣らし代わりにでも狩って行こうか。
 陽動と割り切るならば話は簡単だ。次いでやって来た敵へナイフを翳し飛び掛かったカナトの動きに応えるよう、狼どもが口々に咆哮する。騒いで吠えて、敵を寄せろ。せいぜい大立ち回りと行こう。
「(ベルセルクマシンって霊力とか念力とか超能力とか使ってこないよね? じゃあ楽勝)」
 ――呼び声に誘われ、方々から集って来る敵の気配を感じながら、幸平の顔にさしたる危機感はない。相棒の|銃身《バレル》をそうっと撫でて、よろしく頼むよ、と内心に嘯いた。街路の真ん中に突っ立って待つばかりの姿はばかばかしくも見えるだろうか。それでも、これで構わない。
 射線を確保した警備兵たちは次々にその手の銃火を連射する。マズル・フラッシュが夜闇に明かり、狼影の群れへと弾幕を成す。獣が素早く身を翻して避けた、その銃弾は後ろへ控える幸平の体へと降り注ぎ――ただただ、背後の住宅の壁へと細かな穴を穿ってゆく。|幽霊の本性《置き去りの身の上》をすこしばかり意識すれば、物理攻撃など何の問題でもない。
「おわっ。あぶね~」
 なので、現状最も気を配るべきは、カナトの|√能力《千疋狼》の余波だ。ベルセルクマシンの一体へ飛び掛かろうとする狼の前を慌てて退いてたたらを踏む。
 何も向こうだってわざと幸平を巻き込むつもりなんかないだろうから、気を抜き過ぎないだけで十分だ。怪我をさせてしまった、ってワンちゃんたちがしょぼくれるのもなんだか心苦しいし。邪魔にならないよう、ゆっくりと歩き出す。
 ――機動を奪うために脚を折る。攻撃手段を減らすために腕を捥ぐ。カナトがわざわざ言葉で指示をしなくとも、視線ひとつでそれが群れの総意になる。遠く近くにと機械兵が姿を見せるたび、影の獣は駆けてゆく。索敵センサーなり、情報収集してるのはやはり頭部か? 数多くある程、より効率的なデータは取り易い。なら、出来得る限りの頭を潰す。
「(……まるで用済み共を壊しに来た気分だな)」
 獣の討ち漏らしたロボットの首へ、暗闇に潜んだカナトがナイフを突き入れる。敵の数が増えて来た方向へ狼どもを送り込む。その繰り返し。単純な|ゴミ処理《スクラップ》業だって、なにを考える気も失せるような戦場だった。
 ――一方で、見応えのある激戦区を遠ざかり、ゆうゆうぐるっと回り込んだ幸平の目当てはただ一機に定まっていた。ゴツい|通信機材《中継装備》背負ってる奴がいること、ちゃんと気付いてる。通信はほとんど死んでいるって話だけど、念には念を入れておこう。
 背後に忍び寄る|幸平《亡霊》に、その機体は気付かない。零距離の位置に銃口をひたと据えれば外しようもない。爆ぜた弾丸はいとも容易くベルセルクマシンの装甲を貫いた。
「(どこ撃てば綺麗なまま動作停止するかなんて知らないし。鉄屑になるまで撃つしかないね~)」
 一発当たったところで、痛覚なき機械の動きが鈍るはずもない。だから、|振り向かせない《何もさせない》のが肝要だ。繰り返し、繰り返し、ひとまずは可動部の関節を、次に内部の配置までロマンチックにヒトを模した可能性を考慮して|頭《脳》と|胸部《心臓》。足元に機体が倒れてなお幸平が撃ち込み続けていれば、いつしか戦線は押し上がり、ずいぶん近くにカナトの姿が見えた。
「こういうとこ、詳しくないけど。ネットワーク類が止まればなんもかんもお終いっぽいよな」
 機械を処理し続けるカナトへ、幸平の声はぼんやりとした響きを以て届いた。白い墓碑が並ぶような都市を仰いで、幽霊は目を細める。
「それでも昔住んでたひとらは戻ってこないもんかしら。観光とかにさ」
「――この世界の奴ら次第でしょ。ヒトって割と安直だし、|オレら《√能力者》が巧くやったって聞いて急にやる気出すかも」
「おっ。それいいね~。頑張んなきゃ」
 そしたら少しぐらい、さみしくなくなるだろうしさ。

千桜・コノハ
西織・初

「なんだか虚しいところだね」
 千桜・コノハ(宵桜・h00358)の落とした声に、反響して戻って来る音がないのもまたその質感を加速させた。夜間も機械たちに仕事をさせる都合上、|天蓋大聖堂《カテドラル》そのもの、さらには白い建材自体が雑音を響かせない素材になっているのかもしれなかった。
「捨てられた都市と言うのは、この世界には多いんだろう」
 音を操る西織・初(戦場に響く歌声・h00515)にとっては気にすべきところの多い戦場だ。|反響《エコー》を頼りに連撃を組もうとすると狙い通りに行かない可能性がある――せめても機械兵たちの駆動音を把握しようと耳を澄ましていたから、ぽつりと呟き落とされたコノハの声だって、仕方なしに聞こえてしまう。
「彼らは人間のために作られたのに、いらなくなったら風化するまで放置されるんだ。……人間って勝手だね」
「……奉仕する対象が誰もいないと知らないのは幸福なのか、どうなんだろうな」
 答えが出ないことだ。分かってる。知らず握り締めていた白い指を解いて、コノハは息を吐く。行くよ、と自分を取り戻すように落とされた少年の声に、初は深く頷くことで返した。
 コノハの周囲に血桜翅の蝶が沸き立つ。鱗粉の代わりに、零れる桜の春陽をぱらぱらと振り撒いて夜を踊る。初の髪を、虚空より生まれ出た小鳥の羽搏きが舞い上げる。軽やかに歌い交わす声が、無機質な|天蓋大聖堂《カテドラル》に生命の気配を帯びた微風を生む。
 ふたりが喚んだ無数の使い魔たちは、共通する言葉を持たないなりに互いの役目を承知しきって、翅と翼を擦れ合わせるように供だって街の方々へと散ってゆく。初が上に羽織った黒いフードを目元まで引き下げるのが、コノハへと隠密の積もりを伝える仕草だ。機械の探知能力に対して完璧な対策とは行かないだろうが、夜闇に紛れることで多少なりと|光学系カメラ《画像処理システム》は誤魔化せるだろう。
「なにか隠れる手立てはあるのか」
「生憎、僕はどうしても目立ってしまうからね。出来るだけ接触を避けられるように努めるので精一杯だ」
 口振りばかり冗談めかしたところで、肩を竦めるコノハの背に宿った翼を見れば初にだって道理も分かる。春宵に揺れる桜色を孕んだ両翼はいまも白く眠る街へと花片を落としていた。敵に|ヘンゼルとグレーテル《童話の真似事》をされては困ってしまうし、出来る限り最短の道を選ばなければならない――じきに、コノハの肩口へ、先行して機械兵の巡回ルートを探っていた蝶の一羽が戻って来る。
 一息もつかないうちに再度飛び立った蝶の軌跡を追い、すぐさまコノハは駆け出す。家々の戸口から戸口へ飛び行って身を潜め、立て看板の裏手に張り付いて街路をパトロールするドローンをやり過ごす。
「(機械に心はない。けれど心を持つ人間より純粋に見えるのは――どうしてだろうね)」
 定位置からちらとも動かずに不眠不休の警戒を続けるベルセルクマシンの視界を血桜蝶の翅で塞がせて前を擦り抜ければ、慌てて振り払おうとする動きがあまりにもヒトらしいから、余計に、そう思う。
 ――コノハに一拍遅れて、初もまた動き始めていた。蝶がしなやかで華奢な|少年《コノハ》の肢体を隠すに有用な物陰の多いルートを選ぶ一方で、小鳥の使い魔が案内するのは黒衣を身に纏った初が素早く移動可能な影溜まりの路地だ。多少の大回りをしながら、機械の死角を駆け、ときに|セイレーン《憑き物》の力で空を飛びながら進んでゆく。建材が反響を生まないと言うことは、互いの足音が余計な修飾なしに捉えられてしまうと言うことだ。機械兵の気配を感じるたびに音を消し、タイミングを計りながら路地を辿った。
 やがて、コノハと初の進む道が揃ってしばらく、住宅区のなかにあっては異質なまでに簡素な、直方体の建造物が現れた。武器庫のようなものだろうか。考えるうちにまた使い魔たちが機械の接近を告げるから、コノハは間も置かずに決断する。
「僕が見て来る。君はいまのうちに試しをしておいた方が良いんでしょう」
 鋭く言うコノハに、逸れて大丈夫か、と、訊くかどうか。逡巡する初の内心は、それが一切表情に出ない以上、コノハに知れたことではないが。
 見た目には細面の少年だとして、この場にいる限り戦う術はあるのだろう。侮りたいわけではない。悩むために使える時間はそう長くない。せめて、と初がコノハの傍らへ寄越したのは一匹の小鳥だ。
「俺のいる場所まで辿って来れる。移動に良い道があれば案内するよ」
「――期待しないでおくよ。ありがと」
 ひねくれた返事と共に、コノハの背中はどうやらそもそも鍵も掛けられていなかったらしい建物の中へと消えて行った。
 街路のベルセルクマシンへ向き直る。未だ、相手は初に気付いていない。感知されたのは使い魔の方だろう。銃口をあちこちへ向けて警戒態勢を解かないでいる機械兵の姿からは、奇妙なことに緊張感のようなものすら漂った。
「(こんな時でも街を維持させようとしているのか)」
 見事な心掛けだと、賞賛するのは皮肉が過ぎるけれど。
 コノハが探索を終えて外へ出てくるまでにこの辺り一帯はきれいにしておいてやった方が良いだろう。|指揮棒《タクト》を振るうが如く、初はその指先をついと動かした。影に身を潜めていた小鳥たちが、その口々に|囀り《音響弾》を生む。金属製の体を強く叩いて打ち砕くほどのことは望んじゃいない。混乱し、音の出所を探して彷徨い出した機械兵士を誘き寄せるように、小鳥を引き連れた初はまた次の道へと歩みを進めてゆく。

 コノハが踏み入った建物の中は案の定武器庫となっていた。鍵もなく開け放たれていたのは、外から敵襲があったら一も二もなく住民が此処に駆け込んで武装出来るように、と言う、この世界特有の事情からだろう。
 歩き回ってみれば、想像以上に生活感がある場所だった。ありていに言えば散らかっている。武器弾薬のたぐいが作り付けの棚に整然と並べられた部屋もあるにはあるが、その脇に幾つか構えられたテーブルセットの椅子は適当に引き摺り出されたまま。丸テーブルのうえ、『ご自由にどうぞ』のメモの貼り付けられた籠のなかに積まれた、栄養補給用らしい飴玉は味も多種多様だ。
 市民の憩いの場、と言うやつでもあったわけ。片付けもせずに放り出された様子から、この都市を放棄する|瞬間《とき》の訪れが突然だったことは想像に易い。ここまでまざまざと生活の痕が残っていると、工具箱の中身のレンチの柄にさえ、それを握る手の感触が思い描けるようで不思議だ。細工の途中で作業を放り出されたらしい|ブレード《短刀》も、少し寂しげにすら見える。
「(これだけ機械化されたものでも、ちゃんと人の想いが残っているんだ)」
 使えそうなものがあれば持って行こうかな、と。不意に思いついたのは単なる気まぐれ。だれかのために作られ、だれかのための役目を与えられるはずだったのに、それをまっとう出来ないまま彷徨い続ける彼らに、情のようなものが湧いたからかもしれない。
「(これってこの世界の刀かな?)」
 手に取ったブレードはコノハには見慣れないものだった。鞘もなく、磨き抜かれたと言う印象ではない、玩具のような――不思議に思いながらコノハが柄を握った瞬間、その刀身がスパークする。へえ、と思わず声が漏れた。掠りさえすれば戦闘機械群には大ダメージと言うわけだ。使い手の併せて微細に加工を変えるかのように、握りは滑らかに手に馴染んだ。
「僕が使って華々しく散らせてあげるよ。一度も使われずに錆になるよりずっといい」
 ――君に、伴を頼むよ。
 試しにとコノハが短刀を空中に薙ぐ。ぱちぱちと爆ぜる|閃光《フラッシュ》が燥ぐ笑い声にも聞こえた。

僥・楡

 見仰ぐ先の月に感じる違和感の正体を僥・楡(Ulmus・h01494)がはっきりと判じるまでしばらく掛かった。|天蓋大聖堂《カテドラル》に入る直前の荒涼とした景色を違わず覚えていたわけではないから、脳内限りの間違い探しだ。
 此処は月との距離が近過ぎる。ヒトの建造した天球は、勿論ヒトが手を入れられる高度にしかないのだから、そこに貼り付く月の映像が手の届く場所にあるのは当然の道理だ。一度ピンと来てしまえば、白い建物に白い身なりを融かすように忍びながら歩く楡について来る気のない月は、地上のすべてに興味を失ってそっぽを向くかのように感じられた。自らの手で捏ね上げて天に捧げた|女神《月》にも見放された都市に、ただ眠らぬ機械たちの気配だけが続いている。
「(もう思い出が増えることが無いなら、どんな形でも遺されたものは大事よね。その人がいた証だもの)」
 それは街を彷徨う機械にとってもそうなのだろうと、考えるのは情緒的過ぎるかもしれない。心を模した電気信号に従い、壊れてなおここに遺された生活の気配を守ろうと誓っているのだと、受け止めるのは夢を見過ぎなのかもしれない。
 けれど、心や想いってものの存在をだれも証明し切れてはいないんだから、勝手に考える分には良いんじゃないかな、とも思う。だってそっちの方が素敵だ。
「(虫に壊されるのも完全に取られちゃうのも、面白くないわよねぇ。分かるわ)」
 だからお手伝いといきましょう。遺されたデータも、かつて共に生きた|機械《アナタ》たちとの思い出を刻んだこの街も、請うひとびとの手に。
 街路を照らす月の光についと影が翳したことで、上空高くを巡回するドローンの接近を知る。センサーの感度が落ちているのか、それとも完全に壊れているのか、潜む楡を見咎めることなく繰り返し行き交うあの機体が此処を巡って来るのはこれで三度目だ。秒まで数えたわけではないが、やって来るまでの間隔はおおよそ同じ。西へ去って東から戻る様子、広大なドームの中を一周して来るには足りなさそうなとろとろとした速度から、この住宅区画のみを担当していると見てよさそうだ。
 |本命《研究区》に行って戻るための妨害は邪魔だけれど、無闇矢鱈に戦うのが目的ではない。ドローンが行き過ぎた瞬間を狙って慎重に足を運びながら、ベルセルクマシンが接近すれば無人の家の庭先に身を寄せて高塀に息を潜めた。重たい足音が遠ざかっていくのを聞き取って、また駆け出す。
 やがて大通りに行き当たって、不意に楡は足を止める。先程動きを測ったドローンが折り返していく姿を遠く見掛けたから、恐らくここから区画が変わるのだ。交差点を見張る形で設置された固定型の警備ボットが侵入者の気配に状態ランプを|赤色《警戒色》に変えた。躊躇う|暇《いとま》はない。
 冬青の眸がひたと一点を見据える。内から光を孕むようにさえざえとした輝きを帯びる。機械だらけのこの世界で、それでもインビジブルたちはあちこちに身を踊らせて、楡の助けになってくれる。
 警備ボットが短い溜めののちに照射したレーザーが無人の道路を焼いた。着弾地点をしばらく見つめたくだんの機体は、インジケータをグリーンに戻して常の仕事に戻ってゆく。
「アリガト。世話になるわね」
 交差点の対岸のインビジブルと位置を入れ替わりに現れた楡は、周囲に縺れる怪物たちへ明るい限りの笑みを浮かべた。
 あとは同じことの繰り返しだ。住宅区画も中心に近付けば警戒が厳重になるのだろうか。そしたらそれはそのときに。|機械《鬼》の気配を感じては足を止めて身を隠していれば、なんだか不思議と少し愉快な気分になってくる。子供の頃は弟とかくれんぼをよくやった。騒いじゃいけないって意識するからこそ、逆に笑いたくなったり、声を上げたりしたくなってしまうんだろうか。今更、思い出すと懐かしい。
「(あの子本当に下手だったのよねぇ。頭だけ隠して体が外に出てたり)」
 逆に鬼になれば、楡を見つけられなくて泣きじゃくって。それでもやりたがるんだからキリがなくて。
 きょうだいが下手だったのか、隠れるのも見つけるのも楡が得意過ぎたのか。今夜で少しは測れるだろう。

第2章 集団戦 『クリプトワーム『Cetus』』


 手を翳した先の|遺留記憶《サイコメトリ》に。住宅を辿る途中のメモ書きに。或いは、いまこうして踏み入れた研究区中央ビルのモニターへ、いたずらに明滅する映像に。映る光景を、見る者も、見ない者も、ただそれはこの世界の常だと、元より承知し切った者もいるだろう。

 事の起こりは宵の口だった。今日と同じ作り物の月が巡る、仕事終わりの人々が家路を辿る浅い夜。
 都市に張り巡らされた回線に数ミリ秒の|外部信号《パルス》が走った。ヒトのための街を維持するためと役目を与えられたロボットたちの挙動を、ほんの一瞬、『なにか』が奪った。
 その一瞬。警備ボットは街頭に銃を乱射し、研究設備に向かう配給ドローンは毒性の溶剤を地上へと投下する。介護用アンドロイドが、うたた寝に目を閉じる主人の首を過剰出力でへし折った。
 それで仕舞いだ。数秒の|災害《ハック》ののち、機械たちは我に返る。戦闘機械群にシステムを掌握されたのだと、他の世界よりよほど物分かりの良い人類たちが自分たちを置いて逃げ出してゆく背中を見る。
 人類に危害を加えることは出来ないと、この身にプログラムされている。絶対の道理だ。ならば、『この惨状を為したのは自分ではない』。『人類が逃げ出す間、自分が此処に残って時間を稼がなくては』。
 到って明確な演算によって機械兵が判断した段階で、既に侵攻は完遂されたようなものだった。

 ――ヒトが戻って来ないことを疑念視し始めた|アンドロイドたち《高品質AI》の認識能力にロックを掛けて。|回線から漏れていた《ローカルで動く》機体には、手ずから操るベルセルクマシンを向かわせて。最低限の労力で傷のない街を手に入れた侵略者が、今、√能力者たちの目の前にいる。
 五階建てのビル内のどこを見ても、うす青く発光する生命体で満たされていた。一階フロアを丸ごとぶち抜いた簡易工廠、化学・生物兵器研究用の実験室、街の警備システムの管制サーバ。そのすべてに、体液を啜り出そうとする大型の虫のように、クリプトワーム『Cetus』が貼り付いている。
 侵入者の気配を知った敵が、ギチギチと鳴き交わす。試作状態で置かれていた|ウォーゾーン《ロボット兵器》が搭乗者もないまま動き出す。戦闘本体は彼らに任せるつもりか、クリプトワームらは逃げの姿勢を見せた。半電子生命体の姿は、あたりの電子機器に沁み込むようにゆっくりと薄れて行こうとする。
 不意に、ロボットアームが√能力者らの手足を掴もうと動いた。ウォーゾーンの支援のつもりはあるだろうが――入って来たときから、妙な匂いがすることには全員が気付いていた。√能力者らの侵入を察して研究試薬をぶちまけたことによる毒性ガスだ。致死性のあるようなものではないが、戦闘が長期化すれば手足の痺れや眩暈と言った不調も出て来るだろう。
 クリプトワームが鳴く。遊びに燥ぎ、笑っているようにも聞こえる。
水垣・シズク
結・惟人

「あぁ、嫌な臭いだ」
 着衣の守りなく大気に晒された頬に、ピリピリと痺れが走る。溶剤混じりの甘い匂いが微かに漂って身の回りを取り巻いている。けれど、結・惟人(桜竜・h06870)に小さな苦言を零させたのは、何よりもこの拓けた工廠フロアに居着いたクリプトワームの気配だった。己に歯向かって倒れた機械から漏れる酸化した油を嗤い、ログから削除するのも容易だろう崩壊の日の記録を残したまま、惟人たちに見せつける。愚かな奴らを共に嘲ろうと誘うように。
「うーん、思った以上に悪質な生態してますねー」
 まぁそんなのを実験に使おうとしてる私も人の事言えませんけど。
 惟人の手前、後半ばかりは喉の奥に飲み込んで、水垣・シズク(機々怪々を解く・h00589)は眼鏡の奥の金眼を撓める。サンプリング頭数は期待通りか少し上になるだろう。上等だ。出来る限り破損の少ない状態で持ち返ることが出来るならもっと良い。
「早く終わらせないといけない。急ぎ本体へ向かうとしよう」
「承知しました。私はここで敵の捕捉を担いましょう。タイミングが来れば『此方』に引き摺り出しますので――道中お気を付けて」
 互い、目的がはっきりしているなら分担はスムーズだ。壁付けのメンテナンス・ハンガーから自ら身を起こし、クリプトワームの前に立ちはだかるよう位置取り始めたウォーゾーンらの元へ飛び込んでゆく惟人を見送ったシズクは、中空へ視線を浮かせて思考する。
「(さて、毒性ガスがちょっと厄介ですね。イォド達には効かないでしょうし、私も普通の人よか効きは悪いでしょうが……)」
 中空へ。浮いたはずの|視線《右目》が、どうして自分たちを『視』ていると感じるのか。
 遊び回るかのようだったクリプトワームのうち一匹それに気付いた。びくりと震えたはじめの一体からその震えは次々に周囲へ波及して、怯えと警戒を共有した群れは壁際に這った配線類に取り付き姿を薄れさせてゆく。
「(幸い一体一体は大したこと無さそうですし、焦らず駆除していきますかねー)」
 それでもシズクは変わらない。マイペースに考え巡らせる双眸から瞳孔が曇る。クレヨンで塗り潰すかのように、虹彩が平らかな金で均されてゆく。邪神『Cu-Uchil』のそのまなこ。|電子ジャミング《逃げの姿勢》を打つ敵たちがどれほど身を隠したところで意味はない。
 ――クリプトワームの残滓の元へ、惟人は駆ける。何よりも本命が完全に逃げ切る前にと思えば護衛兵らに構っている暇はないが、油断も出来ない。ウォーゾーンらの動きをせめても制御し易いよう、フロアの壁に半身を預けた大回りのルート取り。|体当たり《タックル》をかまして来た機体を惟人が直前で躱せば、操られた巨体は壁に正面衝突した。
 どうやらクリプトワームが憑くための機器類に傷を付けるのは多少なりと惜しいようだ。動き回る|対象《惟人》を狙撃するのが難しいにしても、面での一斉射撃で辺りの破損構わず制圧を、と言う選択を取らないのなら、ありがたく利用させて貰おう。惟人が不意に壁から横跳びに離れれば、跳ねる桜色の長髪の尾を追ってウォーゾーンらが勢いを増す。さらに横へ、時に後ろへ、惑わすように跳んで敵を誘い出した惟人は、最後に正面から吶喊して来る一機の肩口に脚を乗せ、|格闘者《エアガイツ》の身軽さに任せてほとんど天井まで踏み切った。足元で激しい音を立てて機械兵がぶつかり合うのを感じながら、着地点に構えたしつこい機体への脳天へ、落下の勢いそのまま踵落としを喰らわせる。
「本当の敵を倒すから、其処で寝ていてくれ」
 丁寧にトドメをさす時間はない。天からの一撃でバランスを崩したまま、アラートを吐き出し続けるウォーゾーンを置いて、また走る。
 ――シズクの頭には、元よりクリプトワームの情報が入っている。知った種からの|変異《ミューテーション》もないようだし、出来ることも大きくは外れないだろう。あらゆる電脳に潜む半電子生命体。電磁ジャミング中は『肉眼』でしか見えないこと。シズクは既に知っている。コンソールに齧りついてシステムを読み解くより、よほど楽の出来る方法があるのだと。
「(じゃ、問題ないですね)」
 どこを見ているとも分からなくなった異形の金眼は瞬きを知らない。女は邪神の巫女である。『視線』を司る神の、現世に於ける器である。
 |シズク《神の目》が『視た』。その事実の前に、世界は条理を変じる。クリプトワームが逃げ道として選んだ|ネットワーク《形なき概念》のなかに、シズクの『肉眼』が生まれ出る。青白い|虫《バグ》の姿をざらざらとしたノイズ混じりの視界のなかに捉えるたび、シズクの眼は命じつける。
 此処へ来い。神の許へ。
「あ、卵も回収しとかないとですねー」
 その権能で以て敵を次々に現実へと顕在化させてゆきながら、忘れてた、とばかりに呟くシズクの声はなんとも軽かった。
 ――惟人がウォーゾーンの壁を突破したのと同時にシズクの釣りは完遂された。陸に打ち上げられた魚のように倒れて回るクリプトワームが復活する暇を許さず、惟人は空いた胴へと身に滾る竜漿を籠めた蹴りを喰らわせた。まずは一体、力を失う。搦め手好きの敵のセオリーに漏れず、直接狙ってしまえば脆いものだ。
 とは言え、何せ数だけは居る。倒れた敵を次々に排除するうち、背後から飛び掛かって来る一体に気付いて咄嗟に身を翻した。隠れ場所を明かされた混乱から復帰し始めてギチギチと鳴くクリプトワームらに、惟人は一息の休息もなく拳を叩き込む。闇雲に暴れ回っているわけではない。そう見せるのが目的なだけだ。
「(コソコソするのが好きな相手だ。どうせ正面からやり合う気はないだろう)」
 群れで勝てれば勝ちなのだと割り切って戦う敵の本性は、惟人に既に透けている。力任せの裏拳の空振りの隙に、わざとバランスを崩してみせる。今が好機と潜んだ物陰から飛び出した強襲班の虫たちを、たたらを踏んで浮いたに見せかけた脚で強引に蹴り上げた。
 虫たちは鳴く。惟人には分からない言葉で警戒でもし合っているのか。この劣勢でなお、それは笑い声によく似た響きをしているように感じられた。
「随分と楽しそうだな」
 ――私は楽しくはないが、少しだけ興味がある。調子に乗っている奴が、思い通りにならなくなった瞬間、どう思うのか。

星越・イサ
ボーア・シー

「ハックを受けたときに敗北した? いいえ、もっと前」
 モニターにチラつく映像は星越・イサ(狂者の確信・h06387)にとっては二度目の光景だった。はじめは|ヒトを手に掛けたアンドロイドの《一人称》視点だったのが、俯瞰で見られるようになってより敗残のさまが克明になっただけだ。
「防衛システムを構築して|▓▓《安心》し、停滞を受け入れてしまった時点で機械に攻略を許すのは当然です。ましてや、この√で」
 淡々と語り落とすイサの託宣じみた声に応じて画面が薄れる。天井までにもへばり付いたクリプトワームどもが肯ずるように鳴いた。なんてありきたりな顛末。だからと言って、虫たちの手腕を素晴らしいと褒める気もないけれど。
 無作法に廊下を揺らす重量物の足音が建物じゅうに響いている。いずれこのラボにも押し入って来るだろうウォーゾーンの気配が作業の手を邪魔する前にと、トルソーのように放置された|作りかけ《半端物》のアンドロイド素体を頭部から伸び出たケーブルで強引に接続すれば、ボーア・シー(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)の身体の用意も無事に終わった。
「安心して備えが足りなかったのはそうでしょうね。耳の痛い話です。生の耳はありませんが」
 わざとらしく肩を竦める振りをしてみれば、家庭用らしい華奢な素体に対してボーアの頭部が重すぎて奇妙に軋む音がする。√ウォーゾーンの|今《リアル》を何より知るボーアがそうやって茶化すことを選ぶなら、イサがこれ以上の|苦言《ほんとう》を突き付けるのも無益だろう。なにせ、聞くべき者はもういない。
「……過ぎたことに思いを馳せても仕方ありません。依頼を遂行しましょう」
 短く息を吐いて、イサは映像記録から目を離す。こころを持たない相手を攻撃するのは不得意だ。ボーアの支援に徹するつもりと割り切ってしまえば、構えを取る必要もない。せめてもレーダー役は勤めよう。即席のボディでコンソールに手を触れだしたボーアの傍らに控えながら、わざと焦点をズラすように意識を広げた。
「冗談はさておき、苦手な部類の相手です」
「ご存知の通り、私も。ついでに言うと毒ガスも不得意です。直観でどうしようもないですから。なんとかしてください、ボーアさん」
「事前に素直な申告が出来て非常によろしいですね。そう言った基本が出来ずに命を落とす新兵は多い」
 ボーアの指先は動きを止めない。同様に、|素体《首から下》に収まり切らなかったケーブルも接続可能な端子を探り続ける。無数に電子データを簒奪し続けるクリプトワームの搦手に真正面から構ってやるのはとても自分たち向きじゃない。|電子戦《ハッキング》勝負は既に始まっている。
 ひとまずは優先的に掌握したビル内のマップデータに、√ウォーゾーンでは付き物の|大気組成計《生命維持システム》のモニタリング情報を重ね書きする。毒ガスまで撒く周到さは評価してやろうか、既に発生地点は生身の人間がまともに動ける状況ではなさそうだ。
「(自分はともかくイサが心配ですね)」
 空調の管理を取り戻し、フル稼働させたところで焼け石に水だろう。せめてもとケーブルのうち数本を作業台に向かわせた。|演算機能《リソース》の大部分をハッキングに割きながら、ほとんど手探りで引き出しの中をまさぐり、束ねたケーブルで工具を掴む。|ボーアが頂いた《この》アンドロイド素体のフェイス・パーツになるはずだったろう面をイサの顔の形に添うように切り落とし、目を覆う形でプラ板を、鼻と口を隠す形で手当たり次第のフィルターを固定する。
「即席ですがないよりはマシでしょう。どうぞ」
「ありがたいです。――もう来ますね」
 お手製ガスマスクの使用感をレビューする暇はない。イサの宣言と共にラボの扉が吹き飛んだ。咄嗟に展開したボーアのエネルギーバリアが爆ぜた破片を床に落とす。クリプトワームの救援要請を受けたウォーゾーンは、施設の破損をちらとも気にせず続けて銃を乱射した。
「(既にここに|虫《指令者》はいないと言うことですかね)」
 クリプトワームらが取り付く対象であるはずの電子機器を巻き込んでも構わないと言わんばかりの行動だ。ボーアがハッキングに手を割いているために幾らか出力の不安定が見られるエネルギーバリアの内側、イサは遥か遠景を見通すように意識を広げる。
 すべてを『視る』。遠視、透視、拡大視。十把一絡げに『視力』と呼ばれる能力によって得た景色を、整え上げて解析する。常人であれば即座に怯むであろう厖大な情報の渦だって、|外宇宙《世界》からのメッセージに日々身を浸すイサにとっては大したものじゃない。
 解析を終えれば、イサの元に残されたのはただひとつきりの確信だ。撃ち掛けられる銃弾の着弾位置を直感したのはただのオマケ。ついと|ボーアの背後《バリアの発生源》へ身を寄せて安全を確保したイサが囁く。
「敵は上へ。管制サーバの方へ向かって移動中です」
「成程。――分の悪い賭けですが、誘き寄せてやるとしましょうか」
 システムの奪還状況はまずまず。流石に、一年と掛けて数を殖やし、存分に根を張ったクリプトワーム相手にこの短時間で完璧に拮抗するのは難しい。それでも、僅かに穴を開けることが出来たのであれば、そこから突き崩す目があるはずだって、切れる手札を考えるのが戦場だ。
 画面から目を離さないまま、ボーアは作り付けの腕をガスマスクの工作で使った工具箱に突っ込んだ。ケーブルよりもヒトの手指が把持が強いと言うだけの理由だ。出来れば重量のある物――手繰り寄せたのは大型レンチだ。
 振り上げたレンチを、今まで触れて来なかったサブ・コンソールの|基盤《心臓》部分狙って振り下ろす。二度、三度と打ち付けながら、一方で移動を続けるクリプトワーム群へ、この部屋こそが管制サーバだと誤認させるためのダミー信号を送り付ける。
 行く手を誤ったクリプトワームがネットワークに近付いた瞬間、ボーアはすべての通信網を切断した。
「イサ、離れてください。出来るだけ遠くへ」
 ボーアの指示に、イサが頷く。ウォーゾーンの攻撃の隙を|未来視《第六感》に読み取り、巨体の傍を通り過ぎて部屋を出て行く細い背を見送るより先に――行き先のなくなったクリプトワームらは、最も手近な唯一の|機械《ボーア》に喰い付いた。
「(さて、これで入れ食いですね)」
 狙い通り。あとは仕上げだけ。
 ついにクリプトワーム本体にハッキングを仕掛け移動を禁ずれば、ボーアの回路そのものが彼らにとっての檻となる。エネルギーバリアももう不要だ。クリプトワーム自身が此処にいるなら、ウォーゾーンは最早ボーアを攻撃出来ない。
 随分と演算が重たくなった。脚を一歩前に出すにも途方もない時間が掛かっているように感じる、そうだ、この感覚の名前は『疲労』だったか。
 半電子生命体の群れを体の内側に抱いたまま。ウォーゾーンの前へふらふらと歩み出たボーアの身体は、カチリとスイッチの音をさせた瞬間、廊下までを揺らす大爆発を起こした。

花村・幸平
クラウス・イーザリー

「あ! 元凶見っけ」
 データサーバへ続く廊下へ踏み入った瞬間、電子制御された各部屋の認証パネルに取り付く虫を遠く見つけて声を上げた花村・幸平(フラットライン・h07197)の語調はどこまで行っても軽やかだ。話す相手がいたっていなくなってお喋りの口が減るなんてことはあまりないけれど、相手がいるとうれしい気持ちで話が出来るから悪いことない。
 住宅区の一暴れでも役立ってくれた愛銃を手元に遊ばせるまま、傍らの少年にきっと聞こえるよう、同時に、独り言だと断じてしまっても構わない程度の声量を測って言葉を繋ぐ。長らくの時をお喋り気質で過ごしていると、ひとの心情を多少なりと慮る姿勢も身に付いてくる。真摯な眼で敵を見据えるクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が捉えたいように捉えれば良い。緊張を解す冗談だって風に思っても、聞かない振りしても、どっちでも良い。
「月の夜はバケモンがうろつくって言うけどろくでもないな〜。てか、こいつら逃げてるね?」
「逃げるにしてもずいぶん動きが鈍い。実体が半端にある分、枷になっているんだろう」
 真実、身体の相を電脳世界の|データ《0と1》に換装出来るなら。或いは、クラウスと幸平の眼に映る姿が、現実に干渉するためだけに作り出された|補助端末《使い捨てのデバイス》と言うのなら。群れ成して逃げてゆく必要はない。物理的な攻撃が効くからこそ退いていくのだと、知ることが出来たならそれで十分、クラウスが追う理由になる。自分にも出来ることがあると分かったなら、しない理由がない。そう言う風に生きている。
「(こいつらを倒しても、失われたものが戻る訳じゃないんだよな……)」
 装着したガスマスクのベルトの締まりを最終確認しながら、クラウスはひたと青白く褪めた色をしたクリプトワームを見つめる。電子配線の端に取り付き、時間と共に薄れてゆこうとするつるりとした肌は、昆虫の外骨格と呼ぶより魚に近い印象を受けた。衝撃への耐性は恐らく然程強くない。
 クラウスが何を為そうと死者は帰ってこないし、都市は空っぽのまま、勝利と共にすべてが手に戻ることはない。それでも、遺されたものを未来に継ぐという願いは叶えたいと。そう、思う。
「やっちゃう? いいよ~、追い立ててあげる。たぶん得意だからさ。僕、物理的な障壁で困っちゃうタイプのお巡りさんでもないんだ」
「それならお願いするよ。邪魔をしそうな奴らは、俺が」
 足元が揺れる。二度、三度の衝撃のあと、天井に罅が入るさまを見上げたクラウスがレイン砲台を展開する。始まった|溜め《チャージ》の行く末を見ることなく、それじゃがんばろっか、と笑った幸平の身体の|なか《・・》を、天井から剥がれ落ちた建材の破片が通り過ぎた。
 廊下の壁に手を伸べる。霊的な|障壁《バリア》がないことを確認して、幸平の身体はその先へと沈んでいった。幽霊としての本性に身を委ねた幸平にとっては文字通り、あってないような障害だ。この場合『ない』のは幸平の方だけど。
「(大事なのは逃さずここで全部倒すことだからね)」
 クリプトワームがどの端末から姿を消していったのか、出来の良い目でバッチリ視認してる。逃がすはずがない。灯りの下に目を凝らしたとき、あの虫たちの滑らかな外殻は時折電流が走るかのような燐光を発していた。電子ロックに閉ざされた部屋へ容易に踏み入った幸平は、|幽霊《己》の存在を感知してくれないセンサーライトをよくできた子だって茶化した。ただ、その時を待つ。それほど微かだとしても、光りとモノがあればそこには絶対に影が生まれる。
 壁付けの|配線《ケーブル》の束の表層に、チカ、とクリプトワームの鰭が泳いだ。
 僅かなフラッシュに焼き付いた|幸平《幽霊》の影が、とたん、闇の中で膨張する。
 ――クラウスらがウォーゾーンの巨体の入り込めない階段を選んで下って行ったところで、敵は資材運搬用の大型エレベーターを行儀よく待つようなことをしない。この施設をどれほどクリプトワームらが丁重に扱うつもりか、測りかねていたから読みとしては五分だったが、予想しなかったわけではない。
 轟音と共に崩壊した天井を踏み砕いてウォーゾーンが落下して来たのは、クラウスを囲んで広がったレイン砲台が最高出力に届いたのとまったくの同時だ。
 落下片をステップで避けながら、粉塵の間隙を縫ってウォーゾーンへとレーザーを撃ち入れる。|アーマー《鎧》を突き通すべく細く収斂させた射撃は、今まさに振り上げられようとする巨体の肩を、肘を、次に膝をと、ヒトの形を成す以上動きの要となる関節部を正確無比に撃ち抜いた。混乱に乗じ、身を潜めていたクリプトワームらが這いずり出て来るのだって勿論想定内だ。一匹一匹、狙い撃つに余りある数の砲台は既に廊下に鏤め切っている。
 ウォーゾーンの動きが鈍ったのを悟ったか、閉ざされていた左右の扉が急ぎ開いた。部屋の天井に設置されていたレール移動式の工作用ロボットアームが、限界ギリギリまでケーブルを引き延ばし、壁際に背を預けたクラウスに奇襲を仕掛けんと鎌首を擡げる。
「(あれもこれも、数が多いと打てる手が多いんだな)」
 だとしても。質を伴わない数ならば、クラウスの敵ではない。
 ロボットアームがクラウスの腕を引っ掴む。戦力の頼りであるウォーゾーンの前へ差し出すつもりか――次の一手が打たれるより、クラウスがその無機質な腕へ空いた片手を翳す方が早い。ストライドスーツの掌に埋め込んだハッキング・ギミックが起動する。急速に指先の力を失ったロボットアームは既になんの脅威でもない。
 劣勢に追い込まつつあることを悟ったクリプトワームが、姿を隠したまま、今までになく不快な金属音で激しく鳴いた。はじめは一匹の。それが次々に波及し、誘い合い、聞く者の脳を揺らすほどの多層の響きへ殖え、廊下中に響き出す。クラウスの脳を叩き、意識の底を晦ませる。
 這いずるように動き始めたウォーゾーンが、立ち竦むクラウスを前に鉄塊の片腕を振り上げた。
 瞬間、今まさに振り落ろされんとするその鉄槌を、横合いからの射撃が叩く。
 その銃弾が鉄の鎧を打ち貫くことは出来ない。それで良い。一瞬の隙を生じさせることこそが目的だ。倒すべき敵はもうひとりいると、幸平が自身の存在を示すこと。壁から半身を這い出して射撃姿勢を取った幸平の足元から、影業が溢れ出る。ひと一人よりずっと大きな存在がそこに立ち上がったが如く幸平の輪郭を拡張し、|未完成の自律AI《置いてけぼりのウォーゾーン》に見せつける。敵性存在の正体を測りかねるウォーゾーンの頭部を、今度こそクラウスのレーザーが貫いた。
「助かった。ありがとう」
「どういたしまして~。まあ、二回目は期待しないでね。僕あんまり射撃上手くないのよ」
「逃げ隠れが巧い相手だと銃は難しい。ガスも撒かれているし、できるだけ早く片付けたいところだね」
「同感だ。ほら、宣言通り、ちゃんとお仕事してきたんだから」
 クリプトワームの金切り声に思わず幸平だけ出て来てしまったわけだけれど。見ててよ、とクラウスに笑いかける。振り向いた先を銃口で示せば、まさに幸平が現れたその壁に、影業はまだ染み付いている。
 膨れ上がった黒い影が、幸平の足元へ巻き取られてゆく。影の団塊に巻き込まれて藻掻くクリプトワームらが、雪崩のようにクラウスと幸平の目の前へ引き摺り出される。
「動かれると当たらないからさあ」
 足元へ蠢くクリプトワームは他のものと比べてまだ小さい。孵化したばかりの個体と言ったところだろうか。電脳に体を融かす術があるくせに、どうやら生態としての成長段階があるらしい。不思議なものだ。銃を握らない片手で掴んでも、温かいんだか冷たいんだかよく分からない感触も、これが幸平の常識外の存在であることを知らしめた。まあいいか。
「えいっ」
 景気づけの掛け声と共に、触れ合うほどの距離にひたと据えた銃のトリガーを引いた。撃てば倒せるのが、それで分かった。

ヨシマサ・リヴィングストン
斯波・紫遠

 √能力者の到着を悟るなり逃げを打った|クリプトワーム《事の元凶》を追って、ビルの階段を駆け上がる。微かな這いずる物音を聞き取った瞬間、ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)は躊躇なく音の出所である部屋の扉を体当たりしながらこじ開けた。
 飛び行った先、数十人はゆうに収容出来るサイズの部屋の三面には巨大なモニターが配備されている。恐らく|遠隔《リモート》での会議で使うのだろうそれら液晶や音響設備にクリプトワームが蠢きついていた。先んじて虫の前へ壁と立ち塞がっていたウォーゾーンは、チカチカと赤く輝く目で|闖入者《ヨシマサ》を見下ろす。
 自分たちの生存を第一に、迎撃に割く戦力と退路を確保する分をはっきり配分している。なかなかに賢しいものだ。これだけの群れが個体ごとに考えてこう言った統制のある動きは取れないだろう。|母《マザー》がいると考えるより、半電子生命体と言う身分を活かし、互いの情報を共有し合ってひとつの意思を為す群体として振る舞っている、と考えるのが妥当か。
「あれ、どこかからガスが漏れてますね」
 敵を観察するなか、鼻の奥へ届いた刺激臭に不意に気付く。√ウォーゾーンで生きるならば化学兵器への備えは当然だ。ずいぶん使い込んだ様子の防毒マスクを慣れた手つきで装着するヨシマサの横で、異邦人の斯波・紫遠(くゆる・h03007)が目を瞠る。
「何だアレ、初めて見た」
「厄介な|虫《バグ》が湧いてますね。さて、どう駆除しましょうか」
 クリプトワームに群がられながら、モニターは未だこの街の最後の日を繰り返し映し続けている。本能でのみ行動する生き物と比しては合理的で、知性がある故に残忍。いい趣味してんな、と半ば呆れるように零しながら刀を抜いた紫遠の横で、ヨシマサもまたレギオンを宙に浮かばせた。
「アレはほっとくと絶対増殖しますし、逃げ足もありそうですし~。となると、こっちも数ですかね」
 地に足つかない弛んだ声で、ヨシマサが語る言葉は半ば独り言だ。頭の片方を戦力分析に充てたままひとと話そうとすると、どうしても心地の良い会話のためのユーモアみたいなものを真っ先に切り捨てることになる。
 天井付近から部屋を俯瞰するレギオンたちに、|ヨシマサ《統括ユニット》から電子信号の|指示《オーダー》が走る。群れ飛ぶ機械たちのうち、大部分が一斉に内部の武器構造を剥き出しの|攻撃型《アクティブ・モード》に姿を変える。形態変化を敵性行動と捉えたウォーゾーンがすかさず銃を乱射するが、高機動のレギオンにそうそう当たるはずもない。応じて撃ち掛けられるレーザーに自身の外装を貫くほどの出力がないと判断し、ウォーゾーンはヨシマサの方へ視線を向けた。
 叩くなら本命。考えることはどちらも同じだ。機械の隙間に身を潜めてゆこうとするクリプトワームの行く手は、攻勢に向かう一団に身を隠した|探査型《パッシブ・モード》たちが追っている。虫たちの|脳神経回路《意思疎通手段》の隙に通信を紛れ込ませ、ヨシマサは既に次の一手を読んでいる。スラスター加速したウォーゾーンがこちらへ突っ込んで来るのとタイミングを合わせてぎゃらぎゃらと産声を上げたクリプトワームの幼生たちへと、|攻撃機《レギオンたち》は即座に対象を切り替えた。ヨシマサの身を守ることなど考えもせずに。
 ――目晦ましに殖え続けるクリプトワームの幼生を、ヨシマサのレギオンが片っ端から屠ってゆく。だとしても、増殖を完全に押し留めるにはまだ足りない。ならば、紫遠のやることはひとつだ。
 目指すのは短期決戦。無銘『香煙』の刃は直刃、刃紋は乱。しらじらと輝く人工灯の下、針のように鋭い青い火がその刀身を染め上げた。ヨシマサに向かって突撃するウォーゾーンと反航して、紫遠が身を滑らせる。広いと言えど所詮は屋内だ。壁役ひとり、すり抜けてしまえば目当ては目の前。
 クリプトワームらの群れの中心へ、全霊の力を籠めて紫遠が刀を振り落とす。|切れ味《当たり所》なんかこの際どうでもいい。纏う青焔は、狗神が紫遠に寄越した力の証だ。人外の膂力で以て叩き込まれた一撃が、虫に埋もれてほとんど見えなくなっていた音響機材を叩き割る。外れた、と敵が安堵する間もない。嵐が水面を巻き上げるかのように渦を巻いて湧き立った怨讐の炎が、周囲の幼生を巻き込んで冷たく燃え盛る。
 もう一撃。絶えるまで。振り上げながら、紫遠は懐の端末へ語り掛ける。
「アリスさん、牽制をお願い」
『承知しました。砲台を預かります』
 此方に直接攻撃を仕掛けて来ようとするウォーゾーンは、どうやら背後でヨシマサがうまく引き付けてくれている。これも役割分担だ。顔色の悪い彼のことが心配でないわけじゃないが、早く終わらせるための最善だと互い承知のうえで選んだんだから、躊躇いなく最高効率で事に当たるべきだ。
 アシスタントAI『Iris』の指揮下に入ったレイン砲台が起動する。ウォーゾーンがヨシマサとの攻防の隙を狙ってこちらに銃口を向けてくるなら、狙ってその腕を叩き、紫遠から弾道を逸らすように。出した指示が為されているか、わざわざ振り返って見る必要もない。『Iris』は出来たAIだ。仕事は必ず成し遂げる。だから、紫遠はただ無心に、目の前の虫を怨讐の炎のなかに塵と化すことに集中すればいい。
「(ウォーゾーンにハッキングも考えたけど、あの虫の支配下だろうから奪い返すのに時間かかりそう……それに、アクセスしてアリスさんに何かあったら嫌だしな)」
 仕事の腕を信頼している。その上で身を案じるのも、十分に同居し得る感情だ。
 ――紫遠を中心に広がる陽炎が、徐々にクリプトワームらの鳴き声を削ってゆく。ヨシマサの肉体についた耳と、探査型レギオンの収音データと、二重に確かめながらまたウォーゾーンが振り下ろした拳を間一髪に躱した。
「(とりあえず、こっちはボクが身体を張ってどうにかするしかないですね)」
 脳のリソースの半分以上はレギオンの操作に割いている。ヨシマサ本人が手を動かして反撃に転じることも不可能ではないが、身体の機動に充てられる演算能力が落ちた状態なりのリスクはある。マスクでいつもより少し視界も悪い。時に身を屈め、腕の下をダッシュで掻い潜るヨシマサに手を取られたウォーゾーンが、クリプトワームの近くへ戻れないでいること。それだけで十分だ。
「(機械はワームを駆除したあとになんとかすればいいだけの話ですしね~)」
 だから、ヨシマサとしてはこの戦況が続くことになんの不満もなかったが――予想外の声掛けが届く。
「ガスマスク、邪魔じゃないかい」
 問い掛けの形でありながら、ヨシマサが答える隙はなかった。なにか物を言おうと口を開いた瞬間、その音が形になるより先に、腹の底まで震わせるような爆音が部屋中に轟いたからだ。
 発破の煙が棚引いている。塵と化した建材の破片が煙に紛れて流れてゆく。住宅区の遠くまで見通せるほどにぽっかりと大きく開いた穴から流れ出た空気は、いずれ毒ガスも押し流していくだろう。今のところ目の前にいたクリプトワームを駆除しきった紫遠が、よく働いた刀の棟で自身の肩を軽く叩いた。本来はハッキング補助機として使うデバイスを、小型爆弾として炸裂させたわけだ。
「これで多少は戦いやすいでしょう。すぐに晴れるってわけじゃないけどさ」
「……ふふ~、思い切りよくやりますね。活用させて貰います~」
 笑い零しながら、ヨシマサは攻撃型のレギオンを夜闇のなかへと散開させた。紫遠の開けた風穴の向こう、遥か遠く、クリプトワームたちが対処のしようもない距離まで。
 隠れ潜んだ場所なら探査隊たちが教えてくれる。一斉掃射されたレーザー光が縦横無尽にビルの一室を貫き、真昼のような明るさを生んだ。

緇・カナト
千桜・コノハ

 敵が|機械《硬い》なら武器は自然と限られる。細かな暗器じゃ力不足だ。取り出した手斧の握りを確かめるために一度空へ振り下ろした緇・カナト(hellhound・h02325)は、目の前に立ちはだかるウォーゾーンを焦る様子もなく静かに見上げている。
「(機械の兵隊のお出まし……いや、元凶の寄生虫どもの巣穴と言ったところか)」
 どうやら兵器の内部基盤を扱うためのラボらしかった。鮨詰めに並んだ、時にカナトの身長をゆうに超える機械類の扱いは理解のしようもない。もう使う者もいなければ活用の方法もない上、|サーバ非接続《ローカル》の機器はクリプトワームにとってもそう美味い餌ではないのだろう。護衛のウォーゾーンは、自身の身体のサイズを思えば窮屈過ぎる室内へ入り込むため、なんの躊躇もなくそれらを蹴倒していた。
「毒ガスか」
 カナトからほんの一歩引いた千桜・コノハ(宵桜・h00358)がその秀眉を歪めながら口元を覆う。喉の奥をざらつかせるような不快感。どこを出所としてビル内へ広がろうとしているのかは分からない。分かったところで、既に大気中へ拡散を始めた毒を束ねて集めることは、少なくともコノハには不可能だ。
「(毒蛇や|三毒《煩悩》なら喰らってやるところだけど、生憎|普通《この世界》の毒は雛の僕には手に余るからね)」
 それにしても――随分耳障りな鳴き声だ。ウォーゾーンの背後で次第に気配を薄れさせてゆくクリプトワームらは文字通りの|バグ《害虫》なのだろう。人類を蚕食する異次元の侵略者。ただ互いの生存のために縄張りを競い合うだけの関係と言うのならここまで不愉快な気持ちにはならなかった。ヒトと言う種を嘲り笑うような悪辣な鳴き声が、彼らの侵略が本能的な捕食行動とは根本から異なるものだとコノハに悟らせる。
「最低限の労力で傷のない街を手に入れた――侵略者側としては楽な仕事だったんだろうが、高みの見物気取ってるのは気に食わんなァ。一匹残らず、逃さずに片付けてやろうか」
「うん。さっさと終わらせよう」
 ウォーゾーンは、自身が銃を構えながら立ちはだかることで威圧し、クリプトワームの逃げる時間を稼げるのであればそれでよいと言うつもりなのだろう、カナトとコノハに冷たい影を落としながらちらとも動く気配を見せない。――ならば、初めに仕掛けるのはカナトだ。
 一足に懐に跳び入る機動は巨体の相手にはないものだ。咄嗟に機械兵が振り下ろした銃身を手斧でカチ上げ、滑らすように間合いを詰めた末、その胴へ前蹴りを突き入れた。
「人間サマを舐めるなよ、と」
 ウォーゾーンがバランスを崩す。実際のところ、固い装甲には傷ひとつ入っていない。そう、倒し切れなくたって別に良い。本命は奥に隠れ潜む狡い虫なのだから。護衛役が傾いたその先に、クリプトワームの青白い背を視認する。回路の向こうへ逃げ行く卑怯者の尾を鋭い視線の先に捉え、カナトは精霊銃を抜き打ちに撃った。
 雷霆が奔る。機械と名の付くすべてを狂わせ逃げ込む先ひとつ残すなと、銃弾の軌跡から爆ぜた幾筋もの稲妻が部屋じゅうを蹂躙する。
「(仲間がいるなら一石二鳥だろうしなぁ)」
 幾度でも。幾度でも。銃撃は続く。雷を司る精霊の加護が尽きぬ限り、カナトの銃が鳴り止むことはない。
 ――『一石二鳥』の効果はコノハの視界にまず顕れた。己の肌に雷が纏わりつく。宵を沈めた春のひとみが瞬かれるうちに、ロボットアームがコノハを狙う。武器を抜く必要すらなかった。白い肌の表面にチカチカとフラッシュする雷撃が、コノハの意思とはまったく無関係にアームを撃って回路をショートさせるからだ。
「いいね、これ」
 褒め言葉はウォーゾーンが突撃する地響きに掻き消されてカナトには届かない。新しい仕立ての布地を確かめるよう腕を広げ、稲妻の輝きが全身を取り巻いているのを確認して、コノハはゆうゆうと戦場を歩いてゆく。流れ弾も、砕けた機械から弾けたネジやバネも、コノハの肌に傷一つつけられぬまま地に落ちる。
「君たちがやってるそれ……ハッキングっていうの? 近いこと、僕もできるんだよね」
 逃げ行くクリプトワームへ、そう、声を掛けた。触れられないほどの距離がある。それでも、微笑みのかたちに整えられた、まだ年若い少年特有の薄い唇から零れ落ちた声音は喧騒のなかでも確かに狙い定めて彼らへ届いた。
「あれ? もしかして逃げようとしてた? これから面白くなるんだからさ。君たちも参加していきなよ。愉しい|ショー《殺し合い》が始まるんだからさ」
 酷薄なまで美しく、少年は笑う。軽い足音が身を固めて息を潜めるクリプトワームの傍まで歩みを続ける。ヒトも虫も関係ない。春の宵の花溜まりを内に孕んだコノハのひとみ。意志あるものすべて、その魅了のゆらめきを前にひれ伏すほかを許されない。
 故に魔性。その指先が、震える敵の背筋を撫ぜる。身の近くに翼を寄せ、花降る檻に閉じ込めて、コノハ以外の声が聞こえないよう。僕の声を聞いてくれた君たちだけにお願いだって、囁くように語り掛ける。
「誰が一番優秀なのか……僕に見せてよ」
 ――僕の言うこと聴けるよね?
 覿面に効いたのは最後の一言だった。とたん、コノハの手元でクリプトワームの背が打ち震える。歓喜に奮い立った敵が嘶くように高く鳴いた。鳴き交わすだけだった口吻が大きく開く。そのあぎとが、今にも逃げおおせようとしたほかの一匹の背へ齧りつく。
 狂気は伝染する。魔性に魅入られたクリプトワームは次々に電子の海にダイブして、先行して逃げた仲間たちを無理矢理に引き立て、コノハの前へと引き摺り出した。
「おっかないことしてるなァ」
「一年もお客がいなくて暇になったんじゃない? 君の大暴れに触発されて盛り上がってるんだよ」
 くすくすとコノハの笑うさまはまさしく末恐ろしい。これならいっそ、でかいのも一所に纏めて追い込んでも良いか。ウォーゾーンとの攻防を繰り返しながら思考するカナトは、狂乱の有様となった虫たちの群れをちらと睥睨する。
「(……嗚呼、しかし気に食わないな)」
 劣勢と見るや我先にと逃げてゆく性根。逃げの姿勢を見せたところでほとぼり冷めた頃にまた戻ってきそうな辺りが、特に。
「立ち向かってくるようなら、狩り甲斐も未だあるだろうに」
 全てが小賢しい。害虫どもめ。
 ――苛立ち混じりで密度を上げたカナトの銃撃が、しかし狙いを過つことはない。コノハの開いた舞台の上、床を這いずるクリプトワームに撃ち込まれた弾丸が爆ぜる。半電子の生命を、二度と戻れぬように|処分して《ショートさせて》ゆく。
 最期の仕上げは念入りに。足元に打ち上げられて腹を見せた虫たちの姿をコノハが爪先で軽く叩けば、その身はぱっと桜の花弁へ散り消えた。
「僕がいればそこが常春。――機械の街にも桜は咲くんだよ」
 指示が途切れたことでふつと動きを止めたウォーゾーンの身体を花吹雪が取り巻く。迦楼羅の翼から零れた花片と混じり合って、無機質な室内がうす紅に染まってゆく。

僥・楡
無明・夜嵐
西織・初

「品の無い光よのう」
 半眼の無明・夜嵐(99歳児・h02147)がため息混じりに言い落とす。成果発表の準備でもしている途中に事が起こったのか、ホールにはウォーゾーンらがマネキンもかくやの状態で並んでいた。――当然、それらは侵入者の声と気配に応じて三々五々に起動する。悪しき敵を排除すべきと、従順に。
「機械の事はあまり詳しくないけれど、純粋さも考え物なのかしら」
 クリプトワームが鳴く声が、次第に館内放送用のスピーカーから溢れ出し、二重三重にとこちらを襲う。僥・楡(Ulmus・h01494)が頬に手を当てて首を傾げながら、その指先に呪具たる煙管を遊ばせる。
「機械ばかりの世界では驚異的だな」
 まるで狩りをする動物のように振る舞う虫を、有機的な生き物と捉えて良いのかどうか。淡々とコメントする西織・初(戦場に響く歌声・h00515)がエレキギターのネックを握る。
 夜嵐だけがただ無手だ。少女の身なりの通り、ふたりの裏に隠れて守られるつもりだろうと、傍目に見る者がいれば思うのだろう。けれど生憎実態はそうではない。盤面を金のひとみで睥睨し、語る夜嵐の態度は指揮官のように硬質だ。
「あれら、何かしらの能力を弄しておるな? 或いはそう言う生態か――四方八方無数おるにも関わらず、姿が明確に認識できるのは視界に捉えた奴らのみ」
 ウォーゾーンらが隊伍を組んで構えた壁の向こう、√能力者らの視界から逃れた瞬間、クリプトワームの群れははじめから存在しなかったかのように気配を消した。耳障りな鳴き声がふつりと途切れ、すべてがホログラムの幻惑だったとばかり。
「成程。そんな真似が出来るならば誰にも気づかれず都市の防衛機構を掌握する事も容易と。その上増えると来たものよ――駆除一直線じゃな」
「そうねえ。毒ガスはなるべく吸い込まないようにしながら、早くやっつけちゃいましょうか。アナタ、体が小さい分毒の回りも早いでしょうし、気を付けるのよ」
「妾もこの体の脆さぐらいは分かっておる。気遣いは感謝するが、心配無用じゃ」
「あら、そう?」
「そうだとも。お主らこそ、巻き込まれんように気を付けろよ」
 楡に向かってにやりと笑った夜嵐が、虚空に開いた|黒い渦《ブラックホール》へとその両手を沈めた。宝も武器も、一度夜嵐が手に下ならば邪龍の闇の眷属だ。引き摺り出されたのは、少女の身の丈にとても釣り合わない、二丁のサブマシンガン。
「――さあ、|乱射《ブッパ》の一択じゃ!」
 少女の指が容赦なく引鉄を引き切った。一続きに続く長い連射音が戦闘開始の合図だ。

 ウォーゾーンの外装を、もしくは大外れに外れた先の壁材を、夜嵐の連射する黒い弾丸が叩くたび、戦場には夜霧が沸き立った。はじめは低い位置に溜まるだけだったそれは、いつしか足元を満たし、徐々に√能力者の身体へ纏い始める。ウォーゾーンの認識が自分から外れて行ったことに気付いて、初は天井近くまで飛び上がる。
 霧の向こう、突然になりを潜めたクリプトワームが確かにまだそこに居着いていることを、感情の色のないひとみが見通した。研究資料展示のためと持ち込まれたのだろう可動式モニター機材のなかに、一年と前の街の様子が繰り返される。
「(だから人はいなかったのか)」
 そうなって仕舞えば、もう戻ってくることはない。この機械兵たちにもしも|自律型思考《心のようなもの》が備わっていたのなら、初たちを相手にまだ戦おうとするのはここに生きる人類を守りたいがためだろうか。引導を渡して――もう、休ませてやろう。
 クリプトワームへの攻撃に転じようと初がセイレーンの翼をはためかせた頭上の気配に、ついに一体が気付いた。天井を打ち貫くのも構わずに放たれる銃弾を急下降を伴う加速で躱し、崩れて落ちる建物の破片をオーラ防御で跳ね落とす。エレキギターを強く鳴らせば、音響弾の生んだ風に巻き込まれ、瓦礫はそのまま散弾の役割を為して地上の敵へ降り注ぐ。
「(見た目だけなら綺麗とも言えたでしょうに、悪知恵の随分回ることね)」
 白く場を霞ませる夜霧のなかに、楡の姿はよく馴染む。初の攪乱した戦場をそうっと忍び足で歩けば|ウォーゾーン《護衛》たちだってこちらに目を向けることはない。決して逃がさぬようひたと見据える先のクリプトワームはガラス質でありながら滑らかに挙動し、七色にその体表を艶めかせた。それが芸術品であったなら、素晴らしい造りと褒めて間違いなかったろうけれど。
「機械の中になんて入って、頑丈な外殻でも手に入れたつもり?」
 じゃあ、それを棺桶にしてあげなくっちゃいけないわね。
 笑みの形の唇で囁いた楡の声は、確かにクリプトワームの聴覚センサーに乗った。群れる虫の背がびくりと震えて警戒に首を擡げる。一拍遅れて|信号《オーダー》を受けたウォーゾーンのうち数体が素早くあるじの至近へ後退ろうとする。
 機械兵のその足元へ。煙管から伸び出た組紐が、狡猾な蛇の如くしなやかに巻き付いた。
 とたん、組紐が楡の方向へ巻き取られる。たたらを踏んだウォーゾーンを待ち構えるのは、霧に身を隠して構えた楡の正拳だ。思い切り殴り飛ばされた巨体はかるがると吹き飛んで、クリプトワームの潜む周辺機器を巻き込んで激しい破壊音を上げた。
 ――後衛から、滅多矢鱈にサブマシンガンの黒弾を乱射する夜嵐が高らかに哄笑する。これだけで済むものか。突如、少女の足元に落ちていた影が、熱された水面のようにぼこりと湧き立った。一度始まれば止まらない。ぼこぼこと幾度も湧いて爆ぜるを繰り返すそのあぶくは加速度的に大きさを増し、やがて夜嵐の体から完全に独立して動き出す。スライム状の怪物は、楡の攻撃によって宿る場を失くしたクリプトワームたちの身体を飲み込み、咀嚼し、さらにその体を膨れ上がらせてゆく。
「そうら、滅茶苦茶にしてやるがいい!」
 叫ぶように指示する喉が、毒の齎す痛みに掠れたとして、夜嵐は退く態度を微塵も見せずに笑い続ける。引鉄にかけた指一本動くなら、どうあれ相手の戦力は削れよう。徹底的に蹂躙してこその強者だ。弱ったところを見せて、敵を増長させるなど矜持が許さない。
 ついに己の呼気に混じる血の匂いに気付いた夜嵐の耳に、ハミングするような歌が届く。戦場にとても似合わない軽やかな鼻歌。噎せ返りそうになった一瞬の不快感を、清涼な響きが溶かし、ひ弱な身から押し流していく。
「大丈夫か」
「おおー……おお? お主やるのう」
 喉を押さえて調子を確認した夜嵐が振り仰げば、こちらを見下ろす初の姿がある。褒め言葉と、その潤った声を確認して、|時戻りの歌《癒しの響き》を奏でたセイレーン憑きは再度敵へと向き直った。
 ウォーゾーンの多くは無軌道に暴れる|スライム《怪物》を最たる脅威だと定めて銃を撃ち掛けている。盾役の欠けた射線へと、いまなら直撃が届くだろう。ギターとマスク型マイクのゲインを最大に。霧のなかの所在がバレたところで、一撃で済ませてしまえば反撃はない。音の歪みも構わずに歌った声が、衝撃波すら伴ってクリプトワームの群れを散らした。
「あら、素敵な歌声。アナタたちも、合唱してくれるぐらいの甲斐性があればまだ褒めるところがあったんだけど」
 わざとらしく頬に手をやって煽り立てる楡の言い種を音の波の中で聞いたかどうか、最早姿を隠す先もなくなったクリプトワームの怒りと恐慌の悲鳴は輪を掛けて増してゆく。換装パーツとして展示されていたウォーゾーン内蔵式のレーザーが、|電子制御《ハッキング》によって突然起動して楡へ銃口を据える――ひしゃげて倒れた展示用ラックを足場に高く跳べば、射撃の軌道は楡の影を貫くだけだ。山なりに跳んだ先、着地と同時にクリプトワームの身体を踏み潰す。ギ、と末期に喉の軋む、鳴き声まで可愛げが無い。
「駄目よそんなのじゃ、愛してあげられないわ。出直してきてちょうだい」
「おう、こう見えて妾も意外と面倒見良いからのー」
 燥ぐなら、互いに息の根止まるまで付き合ってやる。
 応じた夜嵐の手の先で、サブマシンガンは黒くフラッシュし続ける。すべてを滅し、終わるまで。

第3章 ボス戦 『アドニス・ウェルテル』


 決着の時は静かだった。研究区からクリプトワームを一掃しきったと言う、目に見えるあかしはない。管制サーバにアクセスし、システムに致命的なバグがないこと、取り戻した|探知《サーチ》機能で侵入者の気配がビル内にないことを確かめて、それで仕舞いだ。データを根こそぎ手元にバックアップするには処理速度も容量も足りず、細かな記録媒体をかき集めて持ち出すのは途方が無さすぎる。あとは夜が明けたあと、|技術者《本業》連中の仕事だろう。
 クリプトワームの侵食したあとを辿って逆順にプロトコルを再構築することで、住宅区の機械たちには緊急停止の信号を送ることが出来た。平穏と呼ぶにはあまりにさみしい、無音の都市を戻る√能力者らだけが月灯りの下で動く影絵になった。
 その頭上。|天蓋大聖堂《カテドラル》の天頂に罅を入れた唸るような爆発音を、聞かぬ者はいないだろう。
 ドームが揺れる。開いた風穴から爆炎が噴き下ろす。瓦礫が落ちて√能力者らを潰さんと迫る。驚く者、戸惑う者、身を守る者、武器を構える者――どんな個性にも意味はないと言いたげな、冷たい視線がこちらを見下ろしている。
「うまく避けたな。何人か潰れるかと期待したが」
 あくまでも淡々と、積み上がった瓦礫の最も高所へと天蓋から飛び降りた機械兵は言う。その両手に熱波を放つ|車輪《チャクラム》を。反りのない投剣を。体を鎧う|装甲《アーマー》を。全身を戦いのための装備で固め切った青年だった。
「虫の駆除を頼まれたが――思わぬ収穫だ」
 機械兵アドニス・ウェルテルに属する派閥はない。だれの敵でもなく、だれの味方でもない。請われればどこへなりと赴いた。戦地にこそ、己の求める相手がいると信じて。
 今夜もまた、傭兵仕事のひとつだった。無法に殖え、棲み付いたクリプトワームを排除してきてくれと。そちらを既に果たしてくれていると言うなら都合が良い。
「派閥争いに興味はない。|完全機械《インテグラル・アニムス》とやらにも。俺は、お前たち|√能力者《不滅の者》を殺すためだけにいる」
 温度のない声でアドニスは告げる。一方的な用件には問答の余地すらないと、|観測するうちに《量子的に》ブレた体を十二の写し身に分割し、敵の元へと走らせる。壊れて黙った警備ボットたちを蹴倒しながら。
 いいや、この世界の戦闘機械群たちからすれば、大義を捨てたアドニスだって壊れている。
 この街には、壊れた機械だけがいる。
 砕けた天蓋のうえに、ほんとうの月がぽっかりと浮かんでいる。映像として創られた月のそば、寄り添い合う双子のように、白い都市を見下ろしている。
結・惟人
花村・幸平

 瓦礫の城の上に立つアドニスが温度のない視線であたりを見渡すのは、|天蓋大聖堂《カテドラル》中に散った獲物の数を数えるためだ。その僅かな重心の移動にさえ耐えかねて、機械兵の足元からはパラパラと建材の屑が零れ落ちた。積み上げられた瓦礫の麓にいた花村・幸平(フラットライン・h07197)の爪先を|通り過ぎて《すり抜けて》ゆく様子もちゃんと観察しているあたり、素人ではなさそうだ。短剣の柄を指先で撫でて握りを確かめる仕草があまりにも『マジ』で、幸平は堪らず呆れた声を上げる。
「おいおい話くらい聞きなさいよ。友達いないでしょ、君。しかも「いらない」って言っちゃうタイプ」
「この世界に於いて必要な言葉ではない」
「うお~予想通り過ぎるし主語もでっかいし。お月様にだって友達がいるってのにさ~」
 幸平が大袈裟に首を逸らして見上げてみせた先に、白く照り映える双子の月が並んでいる。僅かに天蓋に貼り付いた方が大きいのが騙し絵みたいだ。ぜんぶ|月の悪戯《ルナティック》のせいだって呼んでしまうには、この街を支配する静けさはマナーが良すぎるけれど。
 まあ――戦わないってのは無理なんだろう。こっちが状況を整え切るまで、ちょっとだけ時間を稼ぐってのもだめっぽい。元々承知して来たことだけど。
「折角目的は果たせたんだ。私も含め、誰も殺させない」
 アドニスの体が滲むようにブレ、多重に存在を移ろわせ始めたのを視界に捉え、結・惟人(桜竜・h06870)が声を上げた。敵なら此方にもと、誘うように構えを取る。
「――やってみろ」
 ただ一言。応じた瞬間、アドニスは惟人へとその手の短剣を投擲した。夜闇の中に月灯りを弾き、白く輝くほどの一閃。|誘導の意図《ミスディレクション》が透けて見える――横に大きく跳んで避ければ、突如瓦礫の上から惟人の前へ位置を変えたアドニスが、先程地面に突き立ったはずの剣を斬り下ろす。元より身構えていたから反射的に体が動いた。得物を振るう腕ごと払い落としてやれば、その瞬間にはまた敵の姿は消えている。
 幸平と背中合わせに距離を詰める。惟人との攻防のうちに、既にアドニスの分身体はすっかり地上へと降りて来ていた。ふたりを取り囲むように、数えて十二人。ここに加えて、闇に隠れた本体がひとり。
「厄介だな。集中攻撃を狙われると対処も難しい」
「ね~。本体もやる気みたいだけど、面倒なのは分身の方だなあ。そっちから潰すか」
「気を付けて」
「安心してよ。僕、幽霊だもん。量子分解剣って言うけど量子すらないんじゃない?」
 けらけらと軽く笑い立てる幸平に、慢心のつもりはない。ただの慣れだ。自分でそこに在ろうとしない限り、なにものにも触れられず、なにものにも干渉し得ない己と言う存在に対しての慣れ。そう言う意味では、アドニスもお仲間だ。物理学と|精神論《エクトプラズム》を並べて評価することに相手がどう思うかは分からないけど、ほら、科学者って総じてロマンチストだし案外ノってくれるかも。
 惟人に背中を守って貰う必要はない。口で伝える以上に、行動で示した方が早い。ずいぶんな数がいるって言うのに、本体の性質を引き継いだのか指示に忠実なのか、分身体はそれぞれに遮蔽のある慎重な位置取りだ。幸平の手に遠距離武器があるのを知ったうえで侮らず、徐々に距離を詰めて一斉に襲い掛かる――ってあたりが狙いだろう。警戒してくれる分にはありがたい。生憎、幸平には十二人まとめて薙ぎ倒すような派手な技はないのだけれど。
「(「同時に」ってのが「何体同時に」かは分からないけど)」
 「二人以上」でいいなら僕ひとりでも多少勝ち目はある。多少ね。
 幸平の眼がまたたく。瞬間、その体は遠く離れた住宅の上に現れ出た。アドニスたちの視線はまだこちらに向いていない――判断を急がなくちゃならない。少し高さを上げた視界で下界を見渡す。ここには幸平に居場所を明け渡してくれるインビジブルがいっぱいいて、この手は銃を握っている。相手が駆け回っていない、今こそがチャンスだ。
 ぱち。またたく。住宅の壁の影からまさに飛び出ようとしたアドニスのひとりの傍ら、友人のような位置に現れて、微かながら驚く顔ににっこり微笑んだらもう一度。ぱち。残された場所で響く微かな霊障がその場の『彼』を包んで痺れさせたと同時、銃弾はまったく異なる場所の別個体を撃ち抜いた。
 ――銃声と共に、陣形が崩れたことに気付いた残りの分身体は動きを変えた。遮蔽から飛び出した敵たちの半分ずつが惟人と幸平に振り分けられる。
 それを許してやる必要がどこにある。
 惟人が躍り出る。月光の下、振り翳した手に罅割れるような光が走る。そこに並んだのは白く硬い花霞の鱗と、大振りの刃物より重たく鋭い獣の爪。真なる龍であった日の記憶が惟人の手の中から落ちて零れたとしても、その本能は間違いなく此処にある。
 こちらに向かって来ていた数体が攻撃に移るよりタイミングより早く、陣形の中央に駆け行った惟人は横薙ぎにその爪を振るった。アドニスらの腹を横並びに裂き、半円を描くように転じた体が向かう先の個体を蹴倒してさらに奥へ。
「誰も殺させない、と言った筈だ」
 幸平を狙おうとする敵のうちの一体の背へ追い付きざま、爪がその体へと突き入れられる。
 残ったアドニスらが惟人を振り向く。先に排除すべき敵をこちらと定めた相手を、惟人が指先で招く。物質を量子に分かつ剣。プログラムされたような連携を体捌きのみで躱しながら、努めて冷静に動きを観察する。どれ程の分身がいようと、自在に操れる武器があろうとも、一人であるのは変わらない。癖さえ覚えてしまえば、反撃に転じる目は必ずある。
 ――ただ一体。インビジブルとの入れ替わりを続けて戦場を巡っていた幸平の出現地点を追い続け、やって来たのはたったの一体だ。
「(戦場で実体化するほどおバカさんじゃないよ。退魔道具も外してるし~)」
 そんなにぎゅっと剣を握り締めて、何する気だろう。ついにお喋りでもしてくれる?
 いっそこっちから声を掛けようかと幸平が口を開いた瞬間、赤と青の対のひとみと、目が合った。声が途切れる。慢心をしていたつもりはない。ただの慣れ。なにものも、自分に干渉し得ない毎日への。
 左胸の|洞《うろ》に冷えた指先を差し入れられるような感覚だった。動きを止めた幸平に、アドニスが歩み寄る。その輪郭が揺らぐ。ゼリーのように崩れて、周囲に泳ぐインビジブルに似通ってゆく。ただそこに、赤と青の、対のひとみがある。幸平のからだごと飲み込もうと、空漠の虚無が迫って来る。
「かくれんぼはもう飽きたのだが」
 ――彼我の狭間に、割って入ったのは惟人が蹴りやった天蓋の礫だ。幸平に融合を仕掛けて来ようとしていた一体を目晦ましに、もうひとり、隠密に姿を隠した本体がいよいよ迫って来ていたらしいことに、その礫が爆ぜた位置で気付いた。奇襲の失敗を悟った本体はまた闇に忍んでしまったようで、分身体の方もさっさと場を退いている。
「大事ないか」
「ううう、ありがと~。なんか気持ち悪いや」
 ぐらぐらする感覚を払うように、再度銃を握り直して構えた。数はずいぶんと減っているはずだし、惟人と連携しながらせあれば分身体の一掃まではもう少しだろう。ないはずの臓器が収まるべき場所だって身に沁みて分かった。狙うべきは|脳《こころ》と|心臓《からだ》。不得意なりによく狙うとしよう。
 幸平が再開した射撃のなかを縫って、惟人はまた分身体たちへ喰って掛かる。出て来る気がないならそうしていろ。尖兵がいなくなれば、いずれ本体も姿を現すほかはなくなるのだから。
 戦地のほかに音はない。奪われたら虚しさだけが残る。ヒトも、機械も、なにも残されなかったこの街はひたすらに静かだ。惟人が勝ったところで、喜ぶ者も、悼む者もいない。この街はこれからも変わらず在り続けるのか。
「――如何にも出来ないのは歯痒いな」
 後は遺されたものが無事届くのを祈るだけ。空っぽの惟人に出来るのことはそれきり。小さく呟きながら、龍の爪で夜を裂いた。

星越・イサ
ボーア・シー

 工作用ケーブルが幾本も連なって地を這い、月灯りを忍びながら瓦礫の下をまさぐる。やがて見つけたベルセルクマシンを引き摺り、宙に吊り上げるさまは操り人形のそれに酷似している。
 揺れる金属質の爪先が地面に擦れる重たい音が尾を引いた。右肩から先は完全に|廃棄処理《プレス・スクラップ》が済んでいる。ここまで酷いと気兼ねない。横並びに倒れていた配給用ドローンの荷下ろし用アームで挿げ替えさせて貰うとしよう。内蔵式の銃火器類もこれだけ損傷していちゃ暴発の方が怖いから弾丸を落としておくことにする。半端に拉げてコード類が伸び切ってしまった頸部を群がるケーブルで捩じ切って、|径《サイズ》の合わないそこへ『自分』を無理矢理押し込めば一丁上がりだ。
「――全く自爆なんてするもんじゃねぇな! またボディの作り直しからだ、やってらんねぇぜ!」
 鹵獲した機体と|神経を繋ぐ《リンクする》瞬間の眩暈のような不快感を打ち払わんと、いがらっぽい|人間音声《自分の声》でボーア・シー(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)は叫ぶ。試しに左手の五指を、右手の四点アームを何度か握った。
「幸い|素材《ガラクタ》はそこら中にあるからいいがヨォ。正直俺、自分が人間でいいのか自信がなくなってきた」
「自己の存在と言うのは、自認がすべて、です。ボーアさんがそう思われたいなら、それでよいのでは」
「思いたくなくなったら?」
「次になりたいものを早いうちに見つけた方が、きっと安心出来ますね」
 遠く瓦礫の頂の上を拠点としたアドニスを見上げる星越・イサ(狂者の確信・h06387)のアドバイスは生返事のお手本のように、何の実感も籠っていない。音声機能の確認のためでしかない与太話だから、ボーアとしても別に構わない。
「んで、蟲退治の次はブリキ野郎で、お名前はウェルテルくんと……悩みが無さそうで羨ましいね」
「|恋う女性《ロッテ》をお探しの最中かもしれませんよ。私たちがそのように在って欲しいと願って『観測』した先にそう『成る』ことだってあるかもしれない。√ウォーゾーンの機械類が人類を超越した先を目指しているのは知るところでしたが、『在るべき』として設計された機械がその道を外れて行動して来る姿をこの都市でいざ目の当たりにして来ると、――」
 音声機能の確認のため。それだけのつもりだったのだけど。どうやら妙なスイッチが入ってしまったらしいイサの早口はそのうちに|話し相手《ボーア》の存在を無視した小声に収束してゆき、ほとんど無音に近い状態を数秒続けたのち、今度は遠く立つアドニスに投げ掛ける形に姿を変えた。
「聞こえますか……アドニスさん。観測のブレを利用するなんて面白い着眼点ですね。少し、私と、お話をしませんか」
「――、……」
 悲しいかな、反応はない。冷めた目でこちらを見下ろす敵の姿が、イサのリクエストに応えるようなタイミングで多重にブレてゆくのが強いて言えば反応か。本体のアドニスひとり残し、瓦礫の山から駆け出した十二の分身が手に手に短剣を握っているのを確かめて、イサはあっさりと声を上げるのを止めた。
「問答無用とは残念です」
「見逃してくれる様子もないし、相手せにゃならんか」
 傍らに退がってきたイサを出来立ての体の後ろに庇うように立ちながら、素早く辺りを見渡したボーアは|演算装置《自前の脳》で分身らの辿る軌道を計算する。AIに喰わせて考えさせるには情報が足りなさすぎる初見の敵相手には、結局は|経験則的な《ヒューリスティックな》判断が物を言う。
 故に、Project・Voreは真なる兵士の脳を必要とした。
「ボーアさん、強力な敵のようですが、私が観測でき理解可能な以上、対処も可能と思われます。ここは情報学的にアプローチを仕掛けてみましょう」
「作戦了解」
 ボーアの背中側で囁くイサを押し込むようにジリジリと下がった先には、ガレージ・スペースだったらしい壁の残骸が残っている。瓦礫が邪魔して分身たちが駆け入るには特定のルートを通る必要があり、守りに易い。そして何より、ほかの建物に比べて当たり所が悪かったのか特に大きく損壊していて、イサの攻撃の『材料』になりそうなものが多い。
 分身体たちがいよいよ接近してくる。ボーアが前線へと駆け出してゆく。その背をぼんやりと見送ってから、イサはワンピースの裾が汚れるのも構わずにオイル漏れを起こしたガレージの床へとしゃがみ込む。
 白い指先で、頑強なタイヤを作り付けたヴィークルに触れる。|天蓋大聖堂《カテドラル》外活動用なのだろう、崩落した天蓋の破片に叩き潰されて横転した機体は|√EDEN《故郷》では見たことのない構造をしていて、正確な名前はイサには分からない。
「だから、教えてください」
 あなたのこと。あなたと、|持ち主《オーナー》の、在り得たかもしれない未来のこと。イサの目の前でいままさに潰えたこの景色が、すべて逆転した輝かしい勝利の日。もっと残虐で巧妙なやり口の侵攻によって、|イサ《√能力者》たちが辿り着くことすら叶わず支配され続けるだけの絶望の日。なんでも、すべて。
 無辺に広がるもしもの運命を観測する。月の縁に照らされた夜の色をした、紫のひとみに未来の断片が焼き付いて、イサのなかを埋め尽くしてゆく。多量で無価値な破損情報。成らなかったいつかの話。
 ふ、と視線を持ち上げた。遠く、瓦礫に布陣したアドニスと、目が合った。無感動だったそのひとみが見開かれる。端から見たところで、だれもなにが起こったかは分からないだろう。サイコメトリを使って、イサのなかを満たした情報のくずを強制的に『流し込んだ』のだ。生体的なDDoS攻撃。
「(いくら身体が量子的にぶれようと頭脳は一つですからね)」
 ――なにが起こったかの『手段』は分からない。それでも、『結果』は明白だ。ボーアが引き付け、躱していた十二の分身体たちが、瞬間停電を喰らったかのようにびくりと震える。上々だ。
「正々堂々やれとは言わねぇが、数で押しといてシケた面すんなよ」
 ベルセルクマシンの素体から這い出たケーブルが、地面に崩れる機械たちに次々に接続する。コアの役割を与えた|廃棄品《ジャンク》は十二。そこらじゅうに砕けたインフラ機械たちの屑が、磁気に引き摺られるようにその十二の点へ寄り集まって、ボーアの似姿を構成する。アドニスを真似た短剣をめいめいに握りしめながら、敵の分身体へと一対一に駆けてゆく。
 がらくたを寄せ集めた『ボーアたち』が恐れ知らずに突撃し、敵へと剣を突き入れる。動きを鈍らせた『アドニスたち』が|本体《司令部》との接続がないまま応戦する。それでちょうど五分だった。
 ――ガレージの壁に背を預け、身を隠していたイサの目の前にひとつの気配が現れた。視線を受けた先、乱戦の様相を成した戦場の混乱に紛れて近付いたアドニスが、片手で頭を押さえながら、一歩、一歩とイサへ近付く。
「お前の能力だな」
 確認への応えは求められていなかった。すべてを量子まで砕く短剣が、イサの頭上へと振り上げられる。
 ふ、と息を吐いた。ボーアのような戦場の心得があるわけじゃない。タイミングと防御は第六感頼み――イサにはこの地点の『未来』が見えている。そのうちのひとつ。生存のヴィジョンを|情報屑《ノイズ・データ》から掬い上げて。避けるなら、身を低く下げた、右への踏み込み。アドニスの翳した刃を紙一重で避け、掌でその体に直接触れる。未だイサのなかに揺蕩っていた断片情報を叩き込む。
 アドニスが傾いだ。それでも完全な無力化には至らない。横合いから投擲されたナイフを、咄嗟にバックステップで躱すぐらいのことはしてみせる――勘が良い。そう、分身の持っていた量子分解剣だ。鎧に慢心してくれるなら多少なりとダメージが入ったのにな。相手の力量を測りながら、気さくに手を上げるような仕草をしたボーアは、その手にまだ残る短剣を示した。
「よう、若造! 弱い者虐めしてないで、兵隊同士ガチンコしようぜ」
「そうです、虐めないでください」
 さっさと|ボーアの後ろ《定位置》に戻ったイサが合いの手を入れても、アドニスは相変わらずツッコミひとつくれやしない。機械相手に愉快なやり取りを期待する方が無駄だって分かっていても、こりゃあちょっと虚しくなるな。
 アドニスがボーアの元へ駆け入る。剣と剣で打ち合うだけで蓄積していくダメージを感じながら、ボーアは明るい声音で語り掛け続ける。|諦めの悪さ《継戦能力》にゃ自信があるんだ。やろうぜ、どっちかが終わるまで。

クラウス・イーザリー
緇・カナト

「どうして俺達を殺したいんだ?」
 向き合う先の機械兵に、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は問い掛ける。答えてくれるとはあまり期待していなかった。クラウスだって、別に簒奪者を殺して回りたくて戦っている訳じゃない。生まれてから十九に長じるまで、身の回りには常に鉄火と焼ける血肉のにおいがついて回った。此処に立つことで、誰かを救うことが出来る。此処に立つことしか、誰かを救う術を知らない。それだけだ。避けられる戦いなら避けたい、けれど。
「正しくないからだ」
「正しい、と言うのは? 誰にとってのあるべき姿の話をしている?」
「すべて、破壊されるべきものでこの世界は出来ている。お前たち不滅の者だけが、その道理に反し続けようとする」
 アドニスはそれ以上を答えない。彼の中にもなにかの信念があるのだろう。それとも、かつてあった信念の、残骸だけがその胸の中に|破片《デブリ》となって積もっているのか。クラウスがまばたく都度、アドニスの姿が幻惑に揺れる。シュレーディンガー方程式に肖って、観測のたびに在り様を変える。
「(話が通じる相手じゃないか……)」
 幾重にも分かたれゆく青年の双眸の冷たさを逸らさず見つめながら、クラウスもまた、ずいぶんと高くなった|天蓋大聖堂《カテドラル》の空へレイン砲台を走らせてゆく。
 ――クリプトワームを倒したあと、残党の見回りにと遅くまで研究区に残っていた緇・カナト(hellhound・h02325)は自然と殿を務めることになった。データ面の専門家たちが回線上をクリーンアップしているのはそうそうに任せて、一個の生命体として電脳空間のすべてと接続を切り、索敵に引っ掛からないよう隠れ潜んでいるものがないか。ITには門外漢だとしても、生命奪うだけの行いならカナトだって手出しが出来る。
「(やれやれ、害虫退治って達成感あんまりナイんだよなぁ。的も小さいし、キレイに掃除しただけ良しとするかァ)」
 だから、クラウスとアドニスの問答を遠く耳にしたとき、微かに口元が緩んだのは間違いなく、不道徳な喜びによるものだ。倒し甲斐のある獲物は丁度イイ。黒衣を闇の中に紛れさせて瓦礫の影を辿り、|道中で見掛けた顔《クラウス》の傍へ現れ出る頃には敵の数は最早数えて|十二《ダース》にも届いていた。
「漁夫の利あたり狙いの闖入者かい?」
「虫退治に来たら、あちらにとっても望外の状況になったと言うところらしいよ。――|俺達《√能力者》を殺すことが目的。対話の余地は無さそうだ」
「悪くないねェ」
 分かりやすい相手。尚更イイ。外装の硬い機械を相手取るにあたって、今夜随分活躍してくれた手斧に、最後の一働きを頼むとしよう。分厚く、身幅を小さく、一点に力の集中させるために設計されたその刃から突如溢れるように湧き立った蒼焔が、カナトの前腕までを覆い尽くす。
「(十二個も分身して如何するのやら)」
 月灯りの白を地より侵して夜を蒼く染める、狼藉こそが狙いのひとつだ。カナトの手の内で焔はますます勢いを増し、渦を巻いて噴き上がる。
 見目にも派手な|溜め《チャージ》を、あちらだって放置しておくわけにはいかないだろう。誘われて、アドニスたちが動く。青灯りのなかを駆け入るヒト型機体の影はよく見えるが、流石に速い。カナトの動体視力で以てやっと捉え切れるかどうか。もっと引き付けたいところだったが――ふ、と息を吐いた一瞬ののち、カナトはその手斧を眼前に迫った一体へと叩き下ろした。
 悲鳴や、苦悶の声はない。機械の拉げる音。硬い手応え。その一拍あとを追って、蒼焔がカナトを爆心地に荒れ狂う。これで本体も分身も纏めて退治……とは、流石にいかないだろうと分かっている。
 焔のなか、こちらに迫っていたはずのアドニスはいつしか影を減らしている。判じるなり、カナトは爪先で地面を叩いた。蒼焔の灯りに四方を照らし尽くされ、カナトの直下に小ぢんまりと収まるほかなかった影業が、それを合図に体を伸ばす。指先で示すのみで、嗾ける先はひとまず最も近い個体へ。本体を探し出して足止めしてくれるなら一番イイが、きちんと匂いを嗅ぎ分けてくれることを祈ろう。
「オレはオレで働くとしようか」
 軽く嘯いて、得物を持つ手をスナップする。|音を殺して《隠密裏》にカナトの傍まで近寄って来たアドニスの首へ、ストン、とその刃が吸い込まれる。
 ――クラウスが走り出したのは、アドニスたちが一斉にカナトに飛び掛かったその瞬間。無言で提示されたタイミングを誤謬なく受け取り、最大限の有利を作ったはずだ。だが、どうやら分身たちはカナトの陽動に完全に煽られたわけではない。蒼焔の範囲へ駆け入る振りで身を転じ、クラウスを追って来たものが何体か。家々の影から飛び出ては短剣の一太刀を浴びせようと背を狙う波状攻撃を、スピードの緩急で躱し続ける。時に瓦礫の影に飛び入り、自身を狙ってコンビネーションを取る分身体を頭上のレーザーの束で撃ち貫く。
「(……同時に攻撃しないと通じないのなら、攻撃が分散するだけ威力が減退してしまうな)」
 厄介だ。けれど、個々が自己判断する精鋭兵であるアドニスたちを倒すために、十分に引き付けての面攻撃が最善であることは間違いない。遮蔽の影、息を大きく吸って、吐く。また駆ける。自身を囮にしたうえで、攻撃を見切り、振り向きざまの銃撃で連携のタイミングを崩させたのちの一斉射撃。クラウスの体力と気力が持つ限り、必ず勝機があるはずだ。
 ――蒼焔がちらちらと下火になった頃。カナトの足元へ影業がゆらりと凝り集まる。焔原に紛れ、敵を一所に集め、脚を引くように。端的な指示を受けた影の従者は再度その身を蒼のなかへ熔かしていった。
「さて、本体と分身と――どちらがより厄介ではあったのか」
 嘯きながら、カナトは歩く。影業に脚を取られた分身体たちが留まる一帯へ近付くなりその空間へ掌を翳し、|黎の禍い《ラグナロック》に終末の火を猛らせる。
 ふっと焔が燃え尽き切った果てに、残ったのはひとりきり。孤独な傭兵殿を屠る為、振り上げる手斧はただ純然たる凶器の色をしている。
「簡単には壊れてくれるなよ? 機械なんだから」
「殺してやるって一方的に言われて、大人しく出来る人間はそういないんだ」
 歩む先に希望の灯が見えずとも。進み続けるためには、生きてゆくしかないから。
 向き合うカナトと逆側。アドニスの背後から、自ら引き付けた分身体を倒し切ったクラウスが近付く。宙に控えるレイン砲台はすべての砲門をただひとりに据えている。スタンロッドを握り構えるクラウスを、ちらとアドニスが視線だけで振り向いた。やはり言葉はない。
 幾百のレーザーが掃射される。昼より明るく閃いたその瞬間、クラウスとカナトの得物がアドニスの体を強く叩いた。

斯波・紫遠
無明・夜嵐

「随分なご挨拶だな。依頼が遂行出来無いなら依頼人に報告して終わりだろうに」
 斯波・紫遠(くゆる・h03007)の前では既に|アドニスたち《分身体》が散開し始めている。瓦礫の遮蔽に身を潜め、地形の有利を取る時間を与えることになるとしても、問わないわけにはいかなかった。今の紫遠は探偵だからだ。探り、偵い、明かすものだからだ。
「何処の派閥でもない? 能力者に拘るのは何故? ――聞きたいことはあるけれど、キミは答えてくれるのかい?」
「お前たちに理解出来ることではない」
「勝手な話じゃないか。話せば分かるなんて言うつもりはないけどさ」
 腰に佩いたままの刀の柄へ手を添える。まだ抜きはしない。ただ、温度のない目をして、無防備なほど姿を晒したままの機械兵へと語り掛ける。
「不滅の者を滅する事こそ存在理由と?」
 腕組みついでの無明・夜嵐(99歳児・h02147)がアドニスに対して見せた呆れの顔は、紫遠の言葉よりずいぶんとあけすけだ。彼女の身体があと少し大きければ居丈高に見えたかもしれない仕草だった。敵は最早声での応じすらしない。紫遠へ返した言葉で十分だと、夜嵐に対しては視線を向けるだけ。呆れ返った素振りを大仰に見せつけてやってもなお、アドニスはつまらない顔を続けている。
「不毛よのー。も少し有意義な趣味を見つけた方が良かろうに……等と、云った所で栓も無かろうが」
 どれほどヒトらしく見えたところで、彼のなかに彼なりの行動原理があったところで、敵は機械だ。創られた通りに動くだけ。夜嵐が蹴散らして来た住宅街のインフラ機材たちとまったく同じ――寸分違わず精巧にヒトの器官を模した機械と生命の差はなんだ、なんてこと、夜嵐は考えない。今、必要な思考ではないからだ。
 一切合切、跡形も無く、全てをぶち壊す。ここに来るときに、もう決めた。
 |害虫駆除《クリプトワーム退治》に一役買ってくれたサブマシンガンは未だ夜嵐の手元にある。アドニスへ、ひたと据えられたその銃口が火を噴くのが契機だ。短剣を手にした分身体たちが一斉に躍り出る――すぐさま、夜嵐の背に紫遠が立った。
 銀刃が奔る。居合に抜かれた一太刀は敵の振り下ろしより速く空間を薙ぎ、その軌跡に白炎を描いた。間合いに収まったのは僅か数体。まだ浅い。アドニスの鎧に生まれたはずの傷痕が揺らぎながら復元していくのを視界の端に捉えた瞬間、紫遠は包囲を突っ切って駆け出した。合図は要らない。背後で夜嵐が同じように駆けてゆく足音を聞きながら、敵に背を向けずに済むよう、ある程度の地点で片足を軸に反転する。
「(力勝負は無理そうだからね)」
 数の利が向こうにあるなら、ヒットアンドアウェイに限る。相手の出方を見ながら隙を見つけていくほかはないだろう。一所に留まっている暇はない。時差を生みながら次々に跳び行ってくる分身体の斬撃を躱し、見切り、受け流し、紫遠は戦場を駆け巡る。
 ――一段高くの瓦礫にまで飛び乗った夜嵐は、そうして紫遠が引き付ける分身体たちとの攻防を遠くに見ながら、円いひとみを老獪に眇めた。
「(また随分と厄介な技を使うものよ)」
 十二体すべてが紫遠にかかずらってくれるわけではない。高所を取って銃弾をばら撒く夜嵐へ、ゆっくりと歩み寄って来ようとするひとりが恐らくは本体だ。その射線に自ら割って入った分身体が蜂の巣と砕け、また再生する。かと思えば、乱戦のていを為した中心地の騒ぎに足音を忍ばせ、物陰から接近した別の一体が死角から斬りかかる――すかさず乱射で応戦するが、キリがない。どれだけダメージを与えようと分身に肩代わりさせて即無傷、おまけにその分身も矢鱈と強いと来た。正に不毛の極みだ。
「ならばそうじゃなー。お主、|状態異常《デバフ》の類はどうじゃ?」
 ヒリついた戦場の気配に到底似つかわしくない軽やかさで、夜嵐はこちらを見据える|アドニス《本体》へと笑った。サブマシンガンの銃身を少女の掌が叩く。闇の精霊宿るこの得物の役目は、穴ぼこを開けるだけではない。
「(一瞬で構わぬ)」
 どれかが効けば良い。睡眠、麻痺――種々のまじないを籠めた銃弾がアドニスを襲う。敵を近付けないのが遠距離武器を扱うときの心得だ。虫退治で十分に体もこなれたスライムを嗾けながら、夜嵐は決して弾幕を切らさない。
 ――どうやら|仲間《夜嵐》が本体の足止めに掛かっていることが、競り合う短剣を払い落として後ろへ跳んだ紫遠の遠目にも分かった。なおも剣戟を捌きながら胸元の端末へと囁きかける。
「アリスさん、援護射撃を」
『引き続き、でよろしいのですか? わざわざ|機械の街《私の本領》にまで足を運んでおいて、使わないのも筋が良い判断とは思えませんが』
「まあ、彼も機械兵なら隙は作れるかもだけど……何を隠し持っているかわからないからね」
 アドニスたちの|集音性能《聴覚》がどれほどか分からないが、こうして近接戦を演じ続ける以上、会話を秘密には出来ない。『Iris』が操るレイン砲台が舞い上がり、紫遠の周囲にレーザーを撃ちかければ砕けた地面から粉塵が立ち上る。敵の視界がそうして妨げられる一瞬、ポケットに入れたままの端末の画面に指を伸ばし、素早く画面をタップすることで『Iris』への指示とした。バレない程度で良い。アドニスが機械の兵士であるならば、彼の|内心《思考》も分析・解析し得るものであるはずだ。
「(こんな絡まれ方して死ぬなんてまっぴら御免だし、持ち帰れる情報は多いに越したことはないしね)」
 ――急激に戦場の視界を悪くした砂埃は、夜嵐にとっても好機である。既に|裂け目《狭間》は見つけていた。あの、|砕けた天蓋《そら》に。笑みの形に撓んだ、金のひとみが頭上を見つめる。片手を突き上げ、掌を天へと翳す。
 濃い闇が、示す宙に渦を巻く。
 星よ此処へと、竜が呼ぶ。
 暗黒の流星群が天より地上へと降り注ぐ。星が爆ぜるたびに地面がめくれ上がって地鳴りがした。只人であればまともに立っていられなくなるほどの揺れのなか、ただ夜嵐は泰然と構えている。滅びの光景の中心に、湧き立つ衝撃に黒髪を遊ばせながら、少女が笑っている。この星は|天なる世界《他√》からの襲撃者だ。見事な連携攻撃とて、世界の壁を越えられなければ意味が無いだろう。
 アドニスたちはそれでもなお、打ち据えられるたびに復元する体で夜嵐に迫ろうとする――けれど。
「永遠に無傷を気取るが良い。だがその|技量《レベル》、後続の為にも悉く奪い取らせてもらうぞ」
 一度闇に照らされたなら、すべてが夜嵐の糧なのだから。
 ――分身体たちの動きが目に見えて鈍ってゆく。剣を握る腕が萎え、機動が落ちて動きを止める。であれば、最後に、最も精彩を保つ一体が『ホンモノ』だ。暗闇の満ちた夜から走り出た紫遠の一太刀が、ついにアドニス本人の体に突き立った。

西織・初
ヨシマサ・リヴィングストン

 天の頂から視線を下ろしてゆくにつれ、グラデーションがかって夜が融け、本来の壁材の色が見えて来る。微かな足元灯に照らされた|天蓋大聖堂《カテドラル》の内壁は灰がかって白い。投影された夜がこんなにも滑らかに本物らしく見えるのは、配線剥き出しの都市も多いなか、ここの施工がていねいだからだろう。
 ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)は別に建築の評論家ってわけじゃないけれど、これまでそれなりの数の戦闘機械都市を渡り歩いてきた身として、見た目の違いぐらいは分かる。一年の間、インフラロボットたちによってきちんと整備されて来たからこそこの都市の夜は曇らず美しい、と言うことぐらい。だから、住宅の上からのんびりと眺めていた帰り道の|夜空《天蓋》が派手な爆音と共に砕け落ちた時は、おっと、と流石に驚きの声を上げた。
 頭上から落ちて来る瓦礫を掻い潜るため、セイレーンの翼を広げた西織・初(戦場に響く歌声・h00515)がヨシマサのいる高度へと舞い上がる。表情を欠落した青年が見据える先には、着地点からそれなりの距離があるはずの此方を見逃さずに捉え、分身体を寄越すアドニスの姿がある。
「もうあとは帰るだけだと思っていたが、派手な客人が来るとはな」
「最後に乱入者ですか。まあそういうこともありますよね~」
 地上から、一足の跳躍で初まで届いた分身体が短剣を振り翳す。あえて正面から受けず、身を捩って躱すのは、横合いの建物を伝って忍んで来ていたもう一体がその掌で初の背に触れようとしていたことに気付いていたからだ。アドニスの輪郭がノイズがかるようにブレる。複数体の連携した近接攻撃に加えて、捨て身の融合による妨害。なかなかに厄介だ。
 敵が攻撃を透かした隙に、追撃を喰らわせるのはヨシマサの役目だ。抜き打ちの銃で一発――しかし、過たず額を貫いたはずの傷痕は煙に巻かれるように消えてしまう。ここに留まり続けても囲まれるだけだろう。ひょいと隣の住宅の屋根に飛び移り、駆け出したヨシマサのあとに初も続いた。
「どうもチマチマ攻撃しているようではあの機械にダメージは与えられないみたいっす」
「一斉攻撃が必要か」
「はい~。ボクの『群創機構爆撃Mk-IV』を使えば一定の範囲に同時攻撃を行うことが可能ですが……どうにかして効果の範囲内になんとかして囲い込む必要がありますね~。お得意ですか?」
 駆け、跳び、投げ掛けられる短剣を軽やかに躱しながらも、ヨシマサの声に焦りの色はない。手伝ってくれないかな、と同行者を伺う落ち着いた態度や装備から、|出身地《詳しそうな様子》は明白だ。初もまた飛翔の速度に緩急を加えて攻撃を回避しながら頷いた。
「有用な方法があるなら、協力は惜しまないつもりだ」
「ふふ~、頼もしいっす。ボクもボクなりに試してみますので~」
 だから、ここでいったんお別れ。合図もなく、ヨシマサと初は向かう先を変える。地上に飛び降りて闇に身を潜めたヨシマサは住宅区の一角へ、初はさらに高く舞い上がり、砕けた天蓋の風穴近くまで。
 ほんとうの空から風が吹き下ろしている。初の肌を薄く冷やす。ここまで高度を上げれば、戦場の様子はよく分かった。初の布陣に気付いたアドニスたちが屋根のある場所を辿り始めたとしても、|レゾナンスディーヴァ《歌うもの》の聴力は誤魔化せない。微かな物音と、そこに垣間見えた機械兵の姿に位置を確かめて、初は大きく息を吸った。
 さて、また響かせるとしよう。
「手数ではこちらも負けていないぞ」
 ギターを大きく掻き鳴らす。マスク型マイクを通して、歌う声が都市を揺らす。どんな遮蔽に隠れたとしても、音は衝撃となってアドニスたちへと襲い掛かる。こうすれば、あちらとしてもこのまま初を放置してはおけないだろう。出て来ると良い。
 ――街中に鳴り響く歌声に併せて適当なメロディを口遊みながら、やがて、ヨシマサは一棟の建物へ辿り着く。住宅の並びにあって異質な、四角い建物。行き掛けの探索でレギオンが見つけた防衛設備棟だ。
 電子ロックに|手持ちの端子を突き刺せば《ハッキングすれば》、入口は簡単に開く。操作権限も同様だ。コンソールを弄り回して、起動するのは数門の|機関銃《ガトリング》。屋根のハッチが開き、にゅっと伸び出たその砲門が街の各方位を見据えていることは、わざわざヨシマサがカメラを肉眼で確認しなくても、散らして来たレギオンからの共有で伝わる。照準も同様だ。
「(無事でよかった~。瓦礫の下敷きになりかねない位置でしたからね)」
 せっかくあるものなんだから、活躍して貰わなきゃ。にっこり笑ったヨシマサが一斉掃射の指示を出す。残弾管理の積もりもなく連射されるガトリングと、レギオンから放たれるビームが、分身体たちを追い立ててゆく。
 ――空に位置取る初へ凶刃が迫る。地上から鋭く飛んできた投剣の切っ先を、指向性を絞った音の壁で叩き落とす。見下ろす先にいる彼こそが本体なのだろうと分かるのは、次いで、淡々と問い掛ける声があるからだ。
「お前たちは、何故そうも存在したがる」
「何故と問うならこちらの台詞だろう。何故|√能力者《俺たち》を襲う?」
「それが、あるべき世界の形だからだ」
 初の応答に、アドニスの返事は噛み合わない。いいや、きっと、彼のなかでは合理の成った会話なのだろう。だからこそ、これ以上の問答に意味はない。
「お前の思い通りにさせる気はない。簡単に殺せるとは考えるなよ」
 すべての壊れた機械たちに、セイレーンの歌が降り注ぐ。眠るべき時を告げる滅びの歌が。
 ――さて、それではヨシマサも頃合いだ。防衛施設の中に居着いたまま、レギオンからの情報を元に戦地のマップを描き出し、分身体たちの外側から輪を狭めて追い立ててゆくよう、|攻撃機《シーカーズ・フレアVer.1.0.52》に指示を出す。
 ふと、窓の外を見た。送信されて来る映像を確認しながら戦闘指揮をするだけなら、目を瞑っていても良いぐらいだけど。白い都市がレギオンからのビームで明るくフラッシュするのが気になったから。
 絶えず連射されるガトリングの着弾地点で砕かれた床材の噴煙が上がる。アドニスたちの外装が吹き飛び、頽れてゆく。その向こうに、双子の月が静かに佇んでいる。
「(ああ、ちょっとだけ騒がしいけどこのぐらいならまだ静かな夜の範囲ですね)」
 まあ、大したことない。だってたかが殺し合いだ。戦争でも、虐殺でもない。
「ふふ~、やっぱりきれ~な夜空だな~。夜の散歩のいいとこですね~」
 心地よさげに囁くヨシマサの赤錆色の眼は、ゆったりと微笑んでいる。このどうしようもない世界を愛おしむように。

僥・楡

「やぁね随分なご挨拶だこと。折角静かに月でも眺められたかもしれないのに、風情がないわね」
 僥・楡(Ulmus・h01494)のうえに月光が射している。警備ボットを隠密に忍んだ楡を素知らぬ顔で見逃してくれた天蓋の月は、地上がこの通り荒れ切っても涙ひとつ零そうとせず美しいままそこに在る。アドニスの両手に回転する車輪が|領地《夜》を侵す炎を溢れさせ始めたところで、咎めもせずに。
「一方的に殺し合いだなんて、勝手な態度は嫌われてしまうわよ」
「自ら命を差し出すつもりがあると?」
「あら、急なお話。それがアナタの望みなら、残念だけど御免だわ」
「一方的とはそう言うことだ」
 言葉足らずの、会話とも言えない会話。こうべを垂れて首を断ち落とされる準備をするつもりにはとても見えない楡を前に、アドニスも侮る気はないと。そう言うやり取りだ。もうちょっと油断とか、慢心とか、してくれるならやりやすいのだけど――真面目なのっていろいろ損もするんじゃないかしら、なんて嘯いても当然返事はない。
「今からでも大人しく帰る気は……まぁ無理よねぇ」
 頬に手を添え、あからさまにため息を落としてみせる楡の視線の先で、車輪はただ回り続ける。そこに圧倒的な熱量が凝集していく。交渉どころか、これ以上の言葉を交わすつもりすらないのだろう。明確な構えもなくそこに立つアドニスが既に臨戦態勢であることに気付いて、楡は躊躇なく相手の間合いに跳び行った。
 殴り掛かる振りで固めた拳はフェイクだ。接敵の初手、崩れた天蓋によって生まれた砂埃を巻き上げた足払いが、最小限のバックステップで躱されることも織り込み済み。そこまで甘い相手だなんて思っていない。重心はひたすらに前へ、カウンターも恐れず至近の距離まで追いすがった楡は、ふ、とアドニスの眼前で微笑みかける。
「逃がさないわよ」
 本命はこちら。捨て鉢にも見えた楡の接近の影、地を這って広がっていた呪詛の組紐が一斉に宙へ踊り、廻る車輪を絡め取る。いよいよ白熱し切ったその|熱量《チャージ》を、多少でも押さえられるなら御の字だ。
 ――そして、|超新星爆発《スーパーノヴァ》の時が来る。
 アドニスの手元にひときわ眩い光が瞬いた瞬間、楡は組紐の続く煙管を我武者羅に振り上げた。車輪が爆心地となるならば、その爆風がせめても逸らせるよう。それでも、途方もない熱波が楡の肌を舐める。地面が捲り上げられ、千々に砕かれ、細かな礫となって吹き荒れる。
「(まぁ、無傷ってのは無理な話よね)」
 多少の痛みは我慢しよう。閃光に眩んだ視界が戻るのも待たず、楡は間髪入れずに荒れ狂う爆炎の嵐の中心へ踏み込んだ。拳を固め、振り抜く先に確かな手応えがある。ヒトの肌を模した手触りの下、金属の|骨組み《フレーム》が拉げて歪む感覚が。
「この場所で眠ってるものを取り戻したいって人たちがいるのだもの。あまり元気に燥ぐような戦いをされちゃ困るのよ」
 未だ、目の前は白いまま。僅かにヒトらしい輪郭が影となって動く、恐らくは、あれこそが敵だ。決して万全とは言えない状態で、全身に細かな傷を負いながら、それでも楡は泰然とした態度を崩さない。いつだって次の手は打てるのだと、拳を握って構えてみせる。
「その両手みたいに熱くなれなくてごめんなさいね」
 楡があり余る自信に満ちた笑みを差し向ける先で、アドニスは飽きもせず|車輪《チャクラム》の回転速度を上げた。いいわよ、何度だって。相手してあげる。

水垣・シズク
千桜・コノハ

「この僕を見下ろすとはいい度胸してるよね」
 √能力者らの攻勢に幾度も体力を削られ続けながら、アドニスはなおも|高所の有利《瓦礫の玉座》を保ち続ける。その表情に、苦痛や煩悶、ましてや戦いの楽しみなんて欠片もない。ただ己に規定された為すべきことを為すだけだと、自らを律したつまらない敵。
 千桜・コノハ(宵桜・h00358)の澄んだ声が、そんな機械兵へ断罪の判決を下すかの如く死んだ街へと響き渡る。|不滅の者《√能力者》の存在を決して許さぬと断言する、彼と世界にどんな因縁があるか。コノハの知ったことじゃない。ともすれば高飛車なほど傲慢に、少年はその翼をゆったりと開いた。
「僕とその他大勢を一緒にするなよ。不愉快だ」
 戦う理由はそれだけで十分。
 君に、僕という存在を刻んであげるよ。
 羽搏く迦楼羅の両翼の内側に宵天のグラデーションが咲く。双子月の灯りに照らされた冷たいほどに白い都市へ、ただ一点の彩りを生む。元よりコノハは逃げ隠れするつもりもない。今より先には滅びるだけのそのさめた目に、この色彩をようく刻んでおくと良い。
 アドニスからの応えはない。ただコノハを静かに見下ろすその体が滲むようにブレて、瓦礫の山の周囲にいつの間にか足をつけた分身体が駆け出した。問答の必要はない。あちらも、こちらも。
 ――さて、その様子に、距離を取って住宅の影に隠れた水垣・シズク(機々怪々を解く・h00589)は胸を撫で下ろす。見目に小さな子どもを前線で戦わせておいて、と言う気持ちがないわけではないが、何せ後方支援型の自分が一対一で相手取るには相性が悪すぎる。|味方《コノハ》がいてくれて本当によかった。彼がシズクの存在に気付いているかは分からないけれど。
「(サンプルも確保できたし、このままいい感じに帰れることを期待してたんですが、まぁ来ますよね)」
 ただただ順当に強い相手。死ぬほど苦手なタイプだ。比喩とかじゃなく。
 高所に布陣して場を見通すアドニスの目を忍ぶため、女性にしては高い上背を精一杯きゅうくつに縮める必要があった。白衣の背を粉塵で汚しながら壁沿いにしゃがみ込み、隠密を最たる使命として走らせ始めたドローンたちには行き掛けの探索時に記録した地形データを乗せている。万一見つかった時にも発信元のシズクが辿れないよう、万全のルート取りをしてくれるはずだ。何せ近接に自信がない。生身のシズクが、戦闘機械群の尖兵の一撃を喰らったら終わりと考えておいて悪いことはないだろう。
「(ですが、天蓋を壊して頂けたのは不幸中の幸いです。視線さえ通るのであれば攻撃自体はどうとでもなりますから)」
 呼吸が大気を揺らす振動すら警戒して口元を押さえながら、シズクは空を仰ぎ見る。割れた|天蓋《そら》から吹き下ろす外の微風がほんの少しだけ緊張を和らげてくれた。ドローンからの索敵情報を受け取って、脳内に戦況を描き出す。時はまだ。打てる最善の手を、最善のタイミングで。それまでは、月のねむりに揺蕩うように、待つだけだ。

 敵はコノハを囲い込むように布陣し、足を止めることなくその輪を詰めて来る。全員が同じ|頭《思考》を持つ故に、言葉や通信によるラグのない完璧な連携が可能となる。
 多対一に甘んじるつもりはなかった。コノハには、この戦いのために選び取った伴がいる。
「さて、出番だよ。君の晴れ舞台の準備が整ったからね」
 白く嫋やかな指先が鞘のない短刀に触れる。住宅区の侵入時、武器庫で出会った一振りの遺され物だ。語り掛ける声はゆったりと柔らかに。声のトーンに合わせてひとみが微笑みの形を成せば、コノハの視界は薄くヴェール掛かるように、宵桜の色の染まってゆく。
 そのうす暗がりのなか、あいまいに白く浮かぶ青年の人影こそが、この|短刀《ブレード》の持ち主だ。
「(この刀、もっと活躍させたかったよね? 君のやり残したこと――意思は僕が受け継ぐよ。だから力を貸して)」
 今まさにこの都市を奪い取ろうとしている奴らに。
 この刃で、引導を渡そうじゃないか。
 霞む白い影に声はない。コノハの前にだけ存在する、機械都市に重ね描かれた宵闇の世界のなか、その輪郭が手を伸べる。短刀を掲げ持つコノハの指へと、白霞の青年が触れる。
 瞬間、もう此処にいない誰かの姿はぱっと桜のように散り消えて、生命の白い|焔《ひ》となってコノハの体へ力を託した。
 神の雛が深く笑う。死した魂を慰撫する微笑とは違う、裁く者の圧倒的な威光で以て。短刀をよすがに溢れ返る魂の焔を束ね、コノハは天輪の瞳を開かせる。余すところなく世を治める神のひとみ。すべてを見通す|第三の目《サードアイ》。
 脅威の気配を察した|瓦礫の上《敵本人》から、即座に投剣が閃いた。もう遅い。分身に全部任せて高見の見物のつもりだったわけだよね、残念でした。
「僕には見えているよ。君の弱いところぜ~んぶねっ」
 力を籠めて振り抜くまでもない。軽い仕草で引き上げた短刀の刃の腹は、アドニスの剣をいとも容易く地へと弾き下ろした。
 ――そして、殺気を増した分身体たちが一斉にコノハへと飛び掛からんとした今こそ、シズクが動く。
「『Gotha ia ah-Cuuchil』!」
 高らかな呼び掛けがなにを意味するか、シズクの他に分かる者はいない。これは祝詞だ。神と語らうための、ヒトの理を外れた言葉だ。
 空に掛かる金環はふたつ。天蓋の内と外との双子月。その傍らの夜の天幕に、ナイフで刺したような|傷跡《・・》が入る。むずがるように幾度か震えたその裂傷が、ぱちり、|まばたく《・・・・》。
 目覚めの時だ。
 シズクが飛び跳ねるように立ち上がる。遮蔽としていた瓦礫のうえに脚を付け、見開いた金のまなこが戦場を鋭く見通す。宙の瞳はまばたきもせず分身体を射竦めるシズクの目と動きをまったく同じに揃え、どろりと天より溶け落ちてゆく金の視線の禍々しさを地上へと知らしめた。
 アドニスたちの動きが止まる。神の凝視を前にして、魂なき機械の体さえも痺れて鈍る。一、二、三――予想外の援護を柔軟に受け入れ、コノハは無様に身を晒した敵の数をカウントする。きっちり十二。ひとり足りない。
「隠れても無駄だよ」
 姿を隠そうと|気配《隙》は読める。残像に身を重ねて隠密姿勢を取っていたアドニス本人が鋭く投擲した短剣は、コノハの煌冠の瞳を前に、それ自体が光って所在を伝えるかのように露わだ――地面へとその凶刃を叩き落とすため、ついに引き抜かれた大太刀の名は『墨染』。魂を捕食する、神の霊剣だ。
「その剣破壊したらどうなるのかな? 試してみよっか」
 少年は酷薄に笑う。乾いた音を立てて地に落ちた対の投剣の片割れを、大太刀の強打が叩き折る。隠密体勢の要となっていたらしい得物をひとつ失うなり|指揮者《アドニス本体》は後ろへ大きく跳び、木偶の坊と化した分身体の影に紛れて消えてゆく。僕が自ら手を下してやったって言うのに。せめてもうちょっと焦ったりとか、文句言ったりとか、何か反応出来ないわけ?
「ぞろぞろと引き連れてさ。どんなに数が増えようと、僕には見えているよ」
 それなら。したくなるまで、無茶苦茶にしてあげるだけだけど。
 身の丈にとても見合わない大太刀を、コノハの片手が大きく振り回す。重心を低く構えた姿勢から旋回するように勢い付いた刀身が、間合いのうちで動きを封じられた分身体たちの胴を次々に斬り裂いてゆく。紙より容易く引き裂かれた鎧のくずが夜に散ると共に、飲む血もないはずの『墨染』が仄かにその色を暗くした――ような。
「(ふふ、機械にも魂はあるのかな)」
 明らかになるのは決着の時だろう。ほんの僅かの愉快さすら覚えながら、コノハはまた手首を返し、横一文字に敵を薙いだ。
 ――畳み掛けるなら一気呵成だ。自前の双眸と宙の瞳と、|同期《シンク》した二重の視覚情報を素早く演算し、シズクが次いで『視る』のはコノハの剣技から逃れる位置にいる分身体たち。
「(分散させるとさすがに火力は落ちますが……こちらもこれだけ人が居るわけですし、皆さんが狙いにくい奴だけ担当すれば問題ないでしょう)」
 念を籠めるのは眼窩の奥。視神経が辿って束ねられた先、脳の底がカッと白むような熱さを帯びる。ヒトの身には過ぎた力が、それでも今はシズクのものだ。
 宙の瞳から、灼ける熱線が降り注ぐ。掠めて触れたならそれで良い。敵たちの姿が次々に頽れる。生命あるかのように振る舞う機械が『在る』と言う、世界の理そのものを、神の条理が書き換えてゆく。初見殺し以外の何物でもないが――卑怯とは言わせない。
「あなたも似たような事やったんです、別に覚悟くらいできてますでしょう?」
 分身体たちがずいぶんと捌けてきれいになった戦場に、いつの間にかアドニス・ウェルテルは姿を晒して佇んでいた。その、冷たく燃える赤と青のひとみ。なにかをシズクに問い続けるかのような目。ひゃっと声でも上げたくなるが、ここは泰然と構えておくが吉だ。
 敵が多いのは仕方ないとして、それ以上には決してならない、と言う点ばかりはこちらの出方を決めるにあたって有用だ。十二の鏡像と一の実像。もしも繰り返し√能力を展開されたとして、コノハばかりにかかずらっているわけにはいかないと判断したアドニスはシズクの方へも手を割かざるを得なくないだろう。であればあちらはジリ貧だ。粘り勝ちの目は見えて来る。
「(こんだけやればあとは私の体力次第ですかねー、皆さんが分身を対処しきるまでもってくれれば良いんですが……)」
 あとはとにかく攻撃を受けずにやり過ごすこと。ヒュンと鋭いものが風を切る音に慌てて片足を上げれば、さっきまでシズクの足の甲があった場所に銀刃が突き立った。
 ――そして、灼熱の視線の雨の隙を縫い、残る分身体を砕き尽くしたコノハの大太刀がアドニスの背後へと迫る。あっちだってぼうっと受けてくれるわけじゃない。即座に体を転回し、大型の|車輪《チャクラム》で距離を取ろうとするのは、分身体を作り直して状況を立て直したいがためだろう。逃がすものか。飛んで、跳ねて、追い詰める剣戟は大振りで、小回りが利くわけじゃないけれど。
「逃げるなよ」
 コノハには、この夜限りの伴がいる。
 遺された|短刀《ブレード》を、ほとんど叩き付けるように投擲する先はアドニスの胸へ。プレートを重ねられた装甲のどこが継ぎ目で、どこが脆いか、コノハには既に分かってる。
 宙の瞳から注ぐ金の光線が、月灯りの白と織り合わさって都市を照らす。|急所《弱点》を刺し貫かれ、動きを止めた機械兵の目を覗き込むように顔を近付けたコノハの常春のひとみを、夜桜の髪を、その白皙の麗容を、きらきらと輝かせる。
 事切れる最期、アドニスの目に灼きついたのは、甘やかに微笑む迦楼羅の少年と――己の|生命《魂》で薄墨に染まった、大太刀の刀身だ。

 天蓋の元にすべての生命が潰えたとして、月は巡る。
 無情にも、無慈悲にも、地上の些事など素知らぬ顔で。

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