月下の帰り道
生きていればそれは嫌なことだってある。むしゃくしゃすることだってある。それが子供だって同じことだ。ゲームで失敗したとか、人のためと思ってやったことを怒られたとか。どうしてわかってくれないんだ! と大人ならビールを飲みながらくだを巻くかもしれない。子供ならどうするのか、コーラやラムネを飲んで暴れるのだろうか。まあ、そうすることもあるだろう。
ユウタがやったのは街外れの山にあった古びたかかしに跳び蹴りを入れたことだった。かかしだと思ったそれは古妖に睨みを効かせていたご神体で、古妖の封印が解かれてしまったことは予想外だったが。
「よくぞ僕の封印を解いてくれた。そこの童、お前の願いを叶えよう」
蘇った古妖、『冥紫紡』はそう尋ねたがユウタはびっくりしてそこから逃げ出すのが精一杯だった。
「やれやれ、僕はここにいる。気が変わったらおいで」
冥紫紡はそう言ってユウタを見送った。
それからしばらくして事件は起きた。眠りから覚めなくなる子供が出始めたのだ。朝起こしに行くと死んだようにすやすやと眠っている子供はどうしても起きない。どうも古妖の仕業らしい。町の人たちは色めきだっていた。町に住む腕利きの退魔師が古妖の元に向かったが町へと帰ることはなかった。
「僕がなんとかしないと」
ユウタは古妖を退治しに行くことを決意した。友達を集め、塩や役に立ちそうな道具を持ってみんなが寝静まった夜中に街外れの山に向かった。
「それはできない。僕は封印されるつもりはない。たとえ君の願いでもね」
もう一度封印されてくれと願ったユウタに冥紫紡はすげなく答えた。
「一緒に来た子達を僕にくれるなら考えてもいいけどね」
「それはできない。仲間を売ることはダメだ」
ユウタが精一杯強がると冥紫紡はにやりと笑った。手始めに仲間の一人を眠らせる。
「お前は逃げてこいつを倒す方法を考えろ!」
仲間の一人が冥紫紡に体当たりをする。冥紫紡の体がよろけた。ユウタと残った仲間は必死で逃げた。
「仲間思いのいい子だね。きっとすてきな思い出があるに違いない」
冥紫紡は楽しそうに笑った。
「古妖の封印が解かれて子供達が眠らされる事件が起きているの。場所は√妖怪百鬼夜行の小さな町。眠った子供は古妖の力で目覚めることはない。古妖の名前は『冥紫紡』、誰かの思い出を記憶玉にして奪う妖怪ね。思い出を奪われた人は眠ったまま起きなくなってしまう」
そこまで言って、ソーダ・イツキ(今はなき未来から・h07768)は一息入れた。一口水を飲むと続きを話し始める。
「事件はもう起きていて、何人もの子供が眠ったままになっているみたい。みんなには冥紫紡を退治してもらいたいの。冥紫紡が再封印されれば眠ってしまっている子供達も目を覚ますからね。それと、冥紫紡の封印を壊した人がいるの。ユウタくん、小学4年生の男の子ね。ユウタくんはむしゃくしゃして偶然冥紫紡の封印を解いちゃったみたい。最初怖がっていたユウタくんだけど友達と冥紫紡を退治しに行ったのよ。がんばったって褒めてあげたいけど相手は古妖だからね。友達は捕まったみたいだけどユウタくんは無事みたい。町に戻って残った最後の友達と作戦会議中みたいだからそこに行ってユウタくんを励まして力を貸してあげて欲しいの」
そこでイツキは真剣な顔をした。
「せっかく出した勇気だからね。その気持ちを大事にしてあげたい。たぶん、ユウタくんは一緒に冥紫紡を倒しに行きたいって言うと思う。一緒に連れて行ってあげてもらえないかな。できる限りでいいんだけど。何か出来たって思えたら、きっとこの先も勇気を持って生きられると思うから。そう言うわけで、よろしくお願いします」
イツキはそう言って頭を下げた。
夜の町には誰もいないわけではない。町のそこかしこからかすかに声が聞こえる。その中には子供が遊ぶ声もあった。人間というわけではない、妖怪の子供達だ。彼らは√能力者達が近づくと警戒して距離を置くだろう。ユウタを探すのに彼らの力を借りるのもいいかもしれない。もしくはそっとしておくのもいいだろう。
第1章 日常 『夜霧を彷徨う』

「あのイタズラ妖怪、どこに行ったのでしょうか」
織坐・実采(澄み切った白色・h07749)は少し大げさに困ったような顔をした。それはちょっとした演技だった。√能力者が近づけば、聡い子ども達は警戒するかもしれない。でも、だからこそその警戒心を利用できるのではないか、実采はそう考えたのだった。
「さて、次は誰を脅かしてやろうかね」
イタズラ妖怪役をする鳴不為・響鳴(天ヨリ降リテ・h01086)も少し芝居がかった仕草で話す。響鳴は屋根の上に乗りわざと目立つようにポーズを取るとさっと身を翻す。
「ふふふ、"みいこさん"と一緒にお仕事だなんて、嬉しゅうて頬が緩んでしまうわ。危ない役目はうちが全部やるからなぁ」
その声が聞こえると実采は複雑そうな顔をする。
「……鬱陶しい響鳴に協力を仰ぐなんて、不本意ですが。既に事が起きている今、手段は選べません」
その様子が気になったのか好奇心が強い子供の妖怪達が近づいてきた。
「ねえねえ、どうしたの? 人捜し? 飴をくれたら手伝うよ」
「チョコレートでも、饅頭でもいいよ。どんな悪いやつなの?」
実采はさも困った、と言う顔をする。
「隣町から逃げてきたイタズラ妖怪なのです。追うのを手伝ってくれますか? もちろん、お菓子くらいは差し上げます」
妖怪の子供達から歓声が上がる。響鳴の容姿を伝えると次々に目迎証言が出てくる。響鳴はうまくやっているようだった。
「次はあの家にイタズラをしようか」
響鳴は弧を描くように屋根の上を走ると次のターゲットを見定める振りをして立ち止まる。妖怪の子供達はその様子を実采に報告する。教えてもらった実采は子供達にお菓子を配っていた。
「そうそう、おねいちゃんが言ってた人間の子供も見つけたよ。ゴミ捨て場にいたんだ。粗大ゴミで何かを作ってるみたいだった」
ユウタの目撃情報だ。実采は話してくれた子供の頭を撫でる。子供はくすぐったそうに身をよじった。聞き耳を立ててそれを聞いていた響鳴が姿を現す。
「これからいいところなのよ。しっかり見ていってね」
大げさに手を振ると子供達を引き連れた実采が迫ってきた。
(ふふ。みいこさんに追われるなんて、夢みたいやね)
響鳴は気づかれないように幸せをかみしめる。くるりと振り返ってふわりと飛び上がる。もちろん、わざと捕まるためにゆっくりと逃げているのだ。
「捕まえましたよ」
実采に捕まったとき、響鳴は本心を隠せずに一瞬嬉しそうな顔をした。
「ああ、残念、捕まってしまったわ」
子供達がわいわい群がってきた。実采は子供達にお菓子をあげると、ユウタのいるゴミ捨て場に向かった。ユウタを見つけると2人は無事に協力をとりつけた。ユウタ達はびっくりしつつも頼もしそうな顔で実采と響鳴を見るのだった。
花園・樹(ペンを剣に持ち変えて・h02439)は小学校の先生だった。まじめで厳しそうな見た目だが生徒達には好かれている。それは半妖であるからと言うよりも樹の人柄がそうさせているのだろう。子供はそう言うことには鋭いものだ。樹のやさしさを感じてのことなのだろう。現に(今まさに担任をしているクラスは4年生。教え子達と姿が重なり胸が痛む)が今思っていることはこうだ。
(今まさに担任をしているクラスは4年生。教え子達と姿が重なり胸が痛む)
樹は顔を上げると街の様子を確認すると妖怪の子供達に向かって声をかけた。
「童が思い出盗られて目ぇ覚まさねぇって? 古妖・“冥紫紡”……あァ、どっかで聞いた名だなァ…。アイツ(腐れ縁)から聞いたっけか……? ちょっくら様子見にいってみっかねェ」
夜の町へと繰り出した狗枷・ほどろ(雲遊萍寄に揺蕩う獣・h06023)は別に一杯引っかけようと言うわけではなかった。不良警官ではあるがいつもサボっているわけでもない。耳を澄ますと子供達がひそひそ話す声が聞こえてきた。ほどろはそちらへとゆるりと向かうと暗がりに向かって声をかける。
「俺は“いぬのおまわりさん”っつーやつだ。これでも町の平和を守ってンだぜ?」
ビクビクしながら妖怪の子供達が出てきた。座敷童、河童、鎌鼬、みんな子供だが妖怪には違いが無い。
「ああ、居た。まァ、そう怖がンな。駄菓子でも食うか?」
ほどろがそう言って渡したラムネに子供達は嬉しそうに群がった。
「古妖の噂を知らねェか? そいつ倒そうっつー勇者がいるらしいじゃねぇか」
「でもさあ、封印を解いたのもそいつなんだぜ。自業自得ってヤツ」
猫又の子供が吐き捨てるように言う。
「そいつが古妖の封印解いたって? 自分のやったことに落とし前つけンだろ、立派じゃねぇか。力貸してやろうと思ってな。知ってたら連れてってくれや」
ほどろがそう言うと、たしかに、と納得した子供達はユウタの居場所を教えてくれた。
「先生なんて信用できねえんだよ。あれが正しい、これが間違ってるってことばっかり言ってさ、ちっとも俺達のことを見ちゃくれないんだ。人間じゃないんだ、一人ずつ違うんだよ」
子供の鬼がそう言った。社会ってのに溶け込めないやつらもいるの、俺達みたいに、と、いっぱしのストリートチルドレンのようなセリフだった。
「先生はみんな違うと思っているよ。そしてみんないいところがあるともね」
樹は子供達に真摯に根気強く向き合っていた。寂しいものが寂しいのは誰もが自分に向き合ってくれないから、ちゃんと自分の話を聞いてくれるものになら、心を開くものだろう。
「あんたは俺達をゴミくず扱いしないんだな。いいよ、話を聞いてやるよ、先生」
リーダーらしい狸の妖怪の子供が言った。
「先生はユウタ君達を助けたい、みんなを守りたい。先生は嘘をついたりしない…約束するよ」
「信じるよ。ストリートは厳しいんだ。それくらい見る目はある」
「それ、この前のアニメで言ってたヤツだろ?」
子河童がそう言うと狸は憤慨しつつもこう言った。
「いいだろう、そいつのところへ連れて行ってやる」
ゴミ捨て場に着くとユウタと友達は武器をつくっていた。棒の先にネットを張って、遠心力で何かを飛ばせる武器、スタッフスリングだった。
「ずいぶんやんちゃだな。うまく使えば人も殺せるヤツだぜ?」
ほどろがそう言うとユウタはびっくりして振り向いた。
「相手は古妖だからさ。できるだけ強い武器って思って考えた。ここになら電池とか、飛ばせそうなものもたくさんあるし」
「工夫と努力は買うが人間相手の武器が古妖に通用するかはわからないぜ。なに、心配すんな、俺が手伝ってやろう。こう見えておまわりさんだ」
「おまわりさんって言うよりはヤクザに見えるけど」
「そんだけ言えるなら立派なもんだ」
ほどろは豪快に笑った。
「ユウタ君…本当によく頑張ったね。お友達も…必ず助けるから」
樹がそう言うとユウタは涙を流した。
「ダメなんだよ。僕、逃げてばっかりで」
樹はユウタの肩に手をやる。
「それでも諦めていないだろう。十分立派だ。先生も力になるよ。一緒に古妖を倒して友達を助けよう」
ユウタはうん、うんと頷いた。
「あいつは町外れの山にいるんだ。一緒に来てくれるんだよね」
「もちろんだぜ」
「もちろんだ。…あぁでも、教師としては伝えておくべきかな。夜出歩くのは程々にね…」
ユウタははい、と小さな声で頷いた。
第2章 冒険 『月下奇譚』

月が出ていた。きれいな上弦の月だった。ユウタが連れてきたのは小さな池だった。水面には月が映っている。
「丑三つ時、この月に飛び込むと『冥紫紡』のいる場所に飛ぶことができるんだ。あいつはそこを月だって言ってたけどたぶん違うと思う。月の光で出来たなんか不思議な場所なんだ。そこで記憶玉にを再生して誰かの思い出を楽しんでるんだよ。悪いやつなのかはわからないけど、思い出は返してもらわないと」
丑三つ時までには少し時間があります。ユウタやその友達と話をしてもいいでしょう、冥紫紡を倒すための準備をするのもいいでしょう。ただただ月明かりの下、思うままに過ごすのもいいでしょう。
池に映っていたのはきれいな白い月だった。日も変わったころ、徐々に水面から光が漏れ出して来ているようだった。餅竪・れあぬ(とある豊饒の女神の使徒:餅・h00357)は水面へと術を通すと雲外鏡となってその先を見通そうとした。鏡にははじめなにも映らなかったものの、少しずつ術と妖力が浸透していったのか鏡には白い月に照らされた上下が反転した森が映る。
そこでは木々の枝から垂れ下がるように子供達が紫色の光にくるまれて眠っている。そこからさらに紫色をした大きな泡が伸び、その表面には子供達の記憶の光景がぼんやりと光を放ちながら映っていた。冥紫紡を退治しに行った腕利きと評判の退魔師の姿もある。
「見覚えがある子はいますの?」
れあぬがユウタに聞いた。
「タカシとケンがいる。最初にあいつを倒しに行ったときは2人に助けてもらったから。……今度は僕たちが助ける番だ。な、ハヤト」
ユウタがそう言うとただ一人残った友達のハヤトが頷いた。
「準備はしたからな。あの泡を割ったらきっと目が覚めると思うんだ」
「そうだね。あいつ、胸に手をやってあの泡を抜き出してたからな。元に戻せたらきっと」
そこまで話したところで冥紫紡がこちらを振り向いたような気がした。れあぬはさっと妖力を引き払うと何食わぬ顔で言った。
「助ける方法は見つけられているようですわね」
時間はさらに経ち、日も変わって少し経ったころ、ユウタ達はさすがに眠くなってきたのか目を擦っていた。池から漏れる光は徐々に強くなり、白い光に一筋、紫色が混じりはじめていた。
「上弦の月が映る池……、それが奴の住処への入り口、か。……随分洒落こんでンじゃねぇか、なんつーか、古妖ってやつは美学にうるせぇ奴が多いよなァ」
狗枷・ほどろ(雲遊萍寄に揺蕩う獣・h06023)は頭をかきながら呟いた。月に映る思い出、それが冥紫紡の持つ美意識によるものなのだろうか、たしかに気取っている。人から奪うわけでないのなら、風流な趣味とも言えそうだった。
池の前では花園・樹(ペンを剣に持ち変えて・h02439)がまじめな顔でユウタ達と話していた。
「この先、勿論彼らの身の安全を最優先に考えるけれど、念の為、みんなで約束や合言葉を決めておこうか。『必ず仲間と一緒に行動し突出しない』『この合言葉や仕草をしたら集合』…みたいやつだね」
「作戦って言うヤツだろ? ピンチの時や、チャンスの時にみんなでうまく動けるように決めておくヤツだ」
ハヤトが笑顔で言った。
「ハンドサインとかかけ声とか、いざって時に使うヤツだね」
ユウタも頷く。
「そうそう、ユウタくん達が危なくないように、そして捕まってお友達をうまく助けられるようにだ」
樹はユウタ達が不安に駆られないように穏やかな口調で話した。
「冥紫紡も、お前らみたいなきらっきら眩しい思い出は大好物だろうよ。今日のことも、忘れらンねぇ思い出になるようにしねぇとな。……勿論、良い意味で」
ほどろが樹とユウタ達のところにやって来て言う。そして懐からお菓子を取り出すとにやりと笑いながらユウタとハヤトに渡していく。
「さァて、菓子でも食いながら作戦会議といくか。腹が減っては、って言うだろう? 菓子とその思い出で奴を釣って、気ィ逸らすっつーのもアリじゃねぇか?」
「いいね! だまし討ちだね」
ユウタが言うとハヤトが窘める。
「おまえ、さっきも同じようにやられたじゃないか。策士策に溺れるって言うか、調子に乗ってまた失敗したら今度は誰があいつらを助けに行くんだよ」
「それはハヤトが……」
「俺は次の身代わりだ。お前がなんとかするんだぞ、ユウタ!」
そう言われてユウタは身震いした。硬くなっているユウタを見て樹は【白気】を使う。ユウタは落ち着いたのか少し顔色が良くなった。
「先生はね…今学校で君達と同い年の子達に勉強を教えているんだ。聞きたい事や分からない事は教えるし、なければ好きな事、友達の事…何を話してくれてもいい」
穏やかな顔で話す樹には人を安心させる空気があった。ユウタは笑顔を見せる。
「先生は僕の知ってる先生とちょっと違う。僕たちのことを信じてくれてる気がする。ええと、僕も先生を信じるよ。それじゃ、今日あったことを聞いて欲しいんだけど」
ユウタが良かれと思ってやったことが担任の先生の怒りを買い、怒られたことを話し始める。
「ちゃんと話を聞いてくれないんだよ。僕は教室に入ってきた虫を逃がしただけなのに。女子が泣いたからって僕のせいにして……。そりゃ悪かったとは思うけど、蜘蛛1匹でも、殺しちゃうのもかわいそうだと思ったんだよ」
「いいね、なかなかの不良警官ぶりだ。不法侵入を咎める前にやることはあるからな」
ほどろがユウタの背中を叩きながら言った。
「……お前が蜘蛛がいるって大騒ぎしたからだろ? こっそり逃がせば良かったのに」
「僕はハヤトみたいに要領が良くないの! 突然窓を開けたらビックリされると思って」
ユウタがむくれると樹が優しく言った。
「大丈夫、うまく行かないこともあるし誰にだって失敗はある。それに君達のフォローをするために先生はいるんだから」
「先生が担任だったら良かったのにな」
ユウタがそう言うとほどろは笑った。
「まァ、世の中ってのはそう言うもんだな。さて、そろそろか。この先は危険には変わりねぇ……無茶はするな。冷静に判断しろ。全員の約束だ。いいな? 逃げるのも隠れるのも手段のうちだからな」
ユウタとハヤトは力強く頷いた。樹も2人の目を見ながら言った。
「必ず…みんなで友達を助けて帰ろう」
第3章 ボス戦 『冥紫紡』

水面に映った月が紫の光を放つころ、ユウタと√能力者達は月に向かって飛び込んだ。上下が反転した不思議な空間がそこにはあった。背中を向けていた人物がゆっくりとこちらへと振り返る。ひっくり返った木の下で漂うように浮いていた『冥紫紡』はこちらに向き直ると笑顔を見せた。
「君達が次に僕に思い出をくれるんだね。ありがとう」
「違う! みんなの記憶とみんなを返してもらうんだ。僕がお前の封印を解いた責任を取る!」
ユウタがそう言うと冥紫紡は目を細める。
「ああ、澄んだ心だね。君の思いでを見るのが楽しみだ」
『冥紫紡』は余裕があるのかふわりと浮いたまま動かない。星空が足下に広がり足下には大きな月がある。足下から照らされた冥紫紡には長い影が伸び、木には紫の球体が実っている。
「ようこそ、記憶の幻灯が見える星空へ」
冥紫紡はニコリとして言った。
「君達の記憶も分けて貰えないかな?」
「ことわる。たとえ記憶を捕らえられたとしても、ボクの毒には勝てないだろうけどね」
シキ・イズモ(紫毒の鳥兜未遂・h00157)はそう言うとシリンジシューターで毒の詰まった注射器を撃ち出す。
「昔々あるところにと言うほどでもないけどね。小さな女の子がいました」
冥紫紡は記憶玉の中から一つを選ぶとその女の子の物語を語り始める。そして手にした紫の球体に念じると球体が破裂して注射器を撃ち落とした。そのままイズモに向かって幻憶玉を投げつける。
「厄介な能力ですが、無限には撃てないでしょう。焼き払います」
久遠・群炎(群青の炎術師・h01452)はそう言うとイズモに向かって飛ぶ幻憶玉に炎をぶつける。群炎の放った炎は幻憶玉を包み込むと跡形もなく燃やし尽くした。
「強い意志を感じるね。君の思い出も是非欲しいものだ。……その女の子は夏の暑い日に外に出かけると大雨に降られた」
再び冥紫紡が幻憶玉を投げる。幻憶玉は群炎に向かって飛ぶとそのまま破裂しようとする。
「アタシの前で誰かを傷つけることは許さないよ」
青空・レミーファ(ややこしい子・h00871)は呼び出していた少女分隊に声をかけると少女分隊達は一斉に銃を引き抜いて幻憶玉を撃ち落としていく。レミーファはその勢いで冥紫紡に向かって飛びかかると至近距離から銃弾を浴びせる。冥紫紡は幻憶玉を爆発させてそれを防ぐとレミーファに向かって投げつける。その爆発を浴びれば誰であれ疑心暗鬼に陥るところなのだが、イズモが撃ち出した注射器がそれを撃ち落とした。
「その女の子は雨を毒に変えたんだ」
イズモは受けた幻憶玉の能力を毒に変えて蓄えていたのだった。イズモが物語ると毒を含んだ雨が降り冥紫紡の体を焼く。そのまま毒を含んだ紫の球体を投げつけるが冥紫紡は顔を顰めながらも幻憶玉を投げつけてそれを相殺する。
「隙だらけです」
群炎の右目が燃えていた。炎がその視界を照らす。
「レミーファさん、今です」
群炎がそう言うと冥紫紡を取り囲んでいたレミーファと少女分隊が一斉に銃の引き金を引く。バラバラと音を立てて撃ち出される銃弾。冥紫紡は紫の光を壁のように張り巡らして攻撃を防ぐが間に合わない。壁をすり抜けた銃弾が冥紫紡の体を貫く。
「まだ話は終わりじゃないよ。その女の子は実は逃げてきていた」
冥紫紡が語りの続きを言うがそれよりも早く詠唱を終えた群炎が特大の炎を冥紫紡に撃ち込んだ。冥紫紡は防御壁を展開する間もなく炎に包まれる。
「最後まで聞くつもりはないんだ」
イズモはそう言うと至近距離から毒を含んだ手を冥紫紡に叩き込んだ。
「タカシとケンを返してもらうからな」
ユウタがそう言うとハヤトが突っ込んだ。
「それはそうだけど残りの人たちはいいのかよ」
「ええと、残りの人たちも返してもらう!」
ユウタはばつが悪そうに加えた。
「もう一つ方法があるだろう? 僕のコレクションに君達も加わるって言うのもいいんじゃないかな?」
「それはさせない。子供達は私が命にかけても守るからだ」
花園・樹(ペンを剣に持ち変えて・h02439)は冥紫紡の前に立つと決意を持って言い切る。
「そうかい? 君の記憶もなかなか良さそうだ」
「経験があるからこそ思い出が生まれる。形だけの記憶を集めて…君は満足かい?」
冥紫紡はおかしそうに笑った。
「記憶なんて幻みたいなもの。それが本当になったのかなんて、どうしてわかるんだい? この世界と同じ、月が下にあっても平気な顔をしていられるだろう?」
そこにやって来た狗枷・ほどろ(雲遊萍寄に揺蕩う獣・h06023)が声を上げる。
「なんだァ、天地がひっくり返ってやがる。地に足がつかねェんじゃ落ちつかねぇな…。ユウタ達は大丈夫か?」
ユウタとハヤトは持ってきたスタッフスリングに石をセットして冥紫紡に投げつけていた。冥紫紡はそれを易々と躱すとユウタの前までふわりと移動する。
「近づかないと僕には当たらないよ。君の勇気があるところがみたいね」
ユウタが拳を突き出すと同時に冥紫紡も幻憶玉を作り出す。体を張って割り込んだ樹がギリギリで幻憶玉を真っ二つにする。
「必死なんだね。うん、いいね」
「もちろんだ」
樹はユウタと冥紫紡の間に立つと悉平を使い霊犬の霊気を纏う。次に冥紫紡が動くならその速さで全ての攻撃を撃ち落とす覚悟だった。
「冥紫紡の奴、大層子どもらの思い出をお気に召してるようだなァ」
ほどろがまわりの木を見ていった。見るとスリングを担いだユウタが拾った電池を子供の記憶が閉じ込められた記憶玉に投げつけているところだった。冥紫紡はその様子を見て幻憶玉を飛ばす。
「野生の勘は鈍っちゃいねぇからなァ」
ほどろが飛んできた幻憶玉を次々に斬り落とす。樹はそれを見届けると白墨を記憶玉に向かって投げ込んだ。パチンと音がして玉が割れると中の記憶がどこへともなく飛んでいった。
「これ、タカシだな。隣町の悪ガキと喧嘩したときのヤツだ。あいつ、勇気あるよな」
ユウタがそう言う。樹は子供達自身で友達を助けたのを見届けると嬉しそうに微笑んだ。その間の冥紫紡の攻撃は樹が体を張って止めていた。
「私はどれだけでも身体をはるよ」
樹は痛む体に鞭を打ちながらそう言う。
「ユウタ達もここまで来る度胸のある奴らだ。ただじゃやられないだろうよ」
ほどろは冥紫紡の動きを観察している。癖があれば見抜き、隙があれば斬る。いざと言う時にはユウタ達を守る事も考えたがそれは樹の役割だろう。なら自分はトドメを狙えばいい、ほどろはそう考えていた。
「ケンのやつ、いきなり授業中にビスケットを取り出して食べ始めるんだからな。今もクッキーを出せば起きるんじゃないか? あいつ」
誰かの記憶玉、恐らくケンのものだろうを見ながらユウタがそう言った。
「あいつ、ビスケットの袋を叩いて粉々にして食べてたからな。これで数が増えたって言ってさ。数は増えたけど量は変わってないのにな」
ハヤトがその後を継ぐ。
「あの子の思い出を返してほしいのかな? でもそれはできない相談だね。夢の中でビスケットを渡すといいよ」
よそ見をしていると思った冥紫紡はゆっくり近づくと幻憶玉をいくつも作り出す。冥紫紡がにやりと笑ったその時、冥紫紡の顔にペンキが入った水風船が命中した。
「やったぜ! うまく行ったな」
「バカ、早く逃げろ!」
幻憶玉は消えずにユウタ達に向かって飛んでいた。
「31番」
樹が声を上げる。さっき決めた取り決めだ。
「ええと、3がしゃがめで」
ユウタ達が身を屈めるとその上を樹の達が通り過ぎる。近づいていた幻憶玉がバンバンと音を立てて破裂していった。
「1が先生の後ろに走れ」
ハヤトがそう言うと2人は樹の後ろに走り込んだ。
「よくやったぜユウタ!」
ほどろはそう言うと百世不磨の信仰で一気に冥紫紡に近づくと紫電の一閃で冥紫紡を真っ二つに斬り裂いた。冥紫紡は悔しそうな顔をすると祠の中に消えていった。
「しっかし、冥紫紡……とりまここで封印出来たとしても。懐古の耳にゃ入れといた方がいいかねぇ。完全にトドメ刺せンのは、多分彼奴だからなァ」
ほどろはなんとはなしに呟いた。
「先生、狗枷さん、ありがとう。2人のおかげでみんなを助けることができた。僕もなんとか責任が取れたかな」
ユウタが満面の笑みで言った。
「いや、これでプラスマイナス0だからな」
ハヤトが言うとユウタはええ! と言う顔をする。
「まあ、いいじゃねえか。いい方だけ数えてた方が得だぜ。なァ?」
ほどろが言うとユウタが頷く。
「おまわりさんにしては寛大なんだね」
「おう、俺は器が違うからな」
ほどろはカカッと笑う。
「ユウタくん、ハヤトくん、よく頑張ったね。先生は君達を誇りに思うよ」
樹がそう言うとユウタは少し涙ぐんで答える。
「うん、ありがとう。僕、ずっと怖くて。先生や狗枷さん、ハヤトがいたからがんばれた。一緒に来てくれて嬉しかった」
樹はユウタの背中をやさしく撫でた。
冥紫紡の作った空間を出ると、空は白みはじめていた。夢の時間はもう終わりのようだった。