シナリオ

祈響メメント

#√妖怪百鬼夜行

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 #√妖怪百鬼夜行

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 朝の空気は清らかで、境内に立つ榊の白衣を淡く照らしていた。
 白い息を小さく吐きながら、彼女は祈りの詞を静かに唱える。神楽鈴の音がかすかに風に乗り、境内の大樹がさらさらと枝を揺らした。

 榊は幼い頃から、この社の巫女として人々に愛されて育ってきた。泣き虫で体の弱かった榊を、村人たちは「神に選ばれた子」と呼び、皆で大切に守ってくれた。祭の時には一番美しい衣を着せてもらい、子供たちには「榊さまの笑顔は福を呼ぶ」と囁かれ、年寄りには「長生きできそうだ」と笑われた。

 榊自身も、その笑顔と祈りが誰かの心を和らげるならと、ただただ祈り続けてきた。花を愛し、鳥のさえずりに耳を傾け、境内の片隅で小さな苗を育てるのが、何よりの楽しみだった。人の願いを背負うことに迷いはなかった。むしろ、それが命の意味だと信じていた。

 しかし、その裏には小さな違和感があった。境内の奥で交わされる謎めいた話声、時折榊を見つめる人々の陰る瞳。夜更けに社の裏で見た、血の染みついた白布。
 「きっと、深い理由があるのでしょう」
 そう信じることで、榊は自分を保ってきた。

 ある夜、榊は眠れずに社殿の奥をそっと歩いていた。月明かりが差し込む回廊に、村の古老たちの声が流れる。
 「……これで封印も長らえるだろう」「あの子には悪いが、これが村のためだ」
 「神の血を捧げる儀式、今さら止められるわけがない」

 榊の足が震える。血の気が引き、全身が冷たくなった。

 ——神の血。捧げる。儀式。
 榊は自分が、ずっと信じてきた人々にとって「守るべき存在」ではなく、「使い捨ての贄」だったと悟る。

 「……うそ、でしょう……」
 声にならない声が、夜の静寂に溶けていく。

 これまでの笑顔も、やさしい言葉も、祭りの喜びも、全てが偽りだったのか。榊は膝をつき、震える手で口を覆った。
 「わたくしは……皆さまを……守りたかった、だけなのに……。生きて……皆さまと笑って……花を見たかったのに……どうして……どうしてこんなに、冷たいのでしょう……?」
 嗚咽が止めどなく溢れ、白い袖を濡らす。胸の奥が焼けるように痛む。それでも榊は、自分を責め続けた。
 「きっと……わたくしが……弱かったから……。もっと強くなれたら……皆さまに必要とされたはずなのに……」
 何度も、何度も心の中で繰り返し、涙を飲み込もうとしたが、止めることはできなかった。その嘆きに、古妖は応えた。

 
 白いもふもふがあなたの元に駆け寄ってくる。白くて小さな毛玉――、コロ・マルメール(吠えぬ番・h07384)は金色の瞳をあなたに向け、小さな口を開いた。

 「きいてきいて、たいへんなの! 今すぐ√妖怪百鬼夜行に行ってほしいんだ」
 コロの声は震えていたが、その瞳には揺るぎない光が宿っていた。

 「榊っておんなのこがね、いけにえにされちゃうんだけど……そこに古妖「紅涙」がきて、村の人をみんなころしちゃうかもしれないんだ。いけにえは、悪い事だけど…!でも、村の人もころされちゃいけない、よね?」

 コロは小さな前足をぎゅっと握るようにして、泣きそうな声を必死に押しとどめる。

 「だから……おねがい、みんな。両方とも、たすけてほしいんだ」

 村には何も知らない人々も居る。紅涙がどこまで彼女を苦しめた元凶を殺しまわるか――。それもわからない。
 彼女が助かって、村人が助かる――その後どうなるかも、まだわからない。彼女が再び生贄にされる可能性も0では無いだろうが――。
 今ここで、紅涙が来て人々を殺すのは回避しないといけないのだ。

「……みんななら、なんとなるって、ぼくはしんじてるからね!」
 

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第1章 冒険 『祭壇を破壊せよ』


 社殿の奥、封じられた間に白い光が揺らめく。
 中央には白装束をまとった榊が、細い肩を震わせながら座していた。周囲には村の古老や神職たちが集い、暗い瞳で榊を見つめている。

 「榊さま……どうか、村のために……」
 「これも皆の未来を守るため……ありがたく、引き受けてくだされ……」
 村人たちはそう声をかけるが、その顔には祈りというより、どこか遠い場所を見るような諦めが浮かんでいた。

 榊の周りには、古い封印の札、血を吸った真紅の絹布、削がれた鳥の羽、そして血染めの小刀が並べられている。蝋燭の灯は弱々しく、冷たい空気に震えながら燃えていた。

 彼女の白い袖は涙で濡れ、目は真っ赤に腫れている。それでも榊は、何度も胸に手を当て、小さく頷いていた。
 「……はい……皆さまが……笑顔でいられるなら……わたくしは……」
 声はかすれ、かろうじて人の言葉を保っている。

 神職の一人が、榊の肩に手を置く。
 「恐れるな、榊さま……あなたの犠牲は必ず報われる……村は、救われるのだ」
 その声は慰めのようでありながら、既に決定を告げる刃のように冷たかった。

 榊は視線を床に落とす。そこには、あの日子供たちと一緒に拾った小さな花のお守りが転がっている。細い指が震え、触れようとしたが、誰かがその手を制した。
 「もう、すべては定められているのだ……」
 誰かがそう呟き、榊の口に白い布を含ませる準備を始める。

 社殿の奥からは、低く湿った太鼓の音が響いてくる。外では、村の若者たちが舞を捧げ、子供たちが鈴を鳴らしている。その音は、祭の賑わいのようでありながら、どこか人の心を麻痺させるような不気味さを帯びていた。

 「榊さま……もうすぐです……どうか、そのまま……」
 声をかける老人の瞳には、感謝でも悲しみでもなく、ただ終わらせたいという切望だけがあった。

 榊の胸の奥で、かすかな声がまだ鳴り続ける。
 ――生きたい。
 ――もう一度、春の花を見たい。
 ――誰かに、もう一度だけ笑いかけてほしい。

 しかし、その声は蝋燭の火のように揺れ、今にも消え入りそうだった。
赤銅・雪瀾

 意味のある犠牲と、意味のない犠牲。その差って何かな、と背中のAnkerに問いかける。……うん、答えは求めてないよ。
 静かな境内に踏み込むと、白装束の榊が怯えた瞳でこちらを見上げた。
 「……どうして……来てしまったのですか……これで、村が、皆さまが救われるのに……」
 榊の声は細く震え、袖が涙で濡れていた。

 「やめてもらうよ、こんな儀式は」
 微笑を浮かべたまま、村人たちの間を進む。
 「なんだ貴様!」「これは村のためだ、出ていけ!」「榊さまの犠牲を無駄にする気か!」
 怒号が飛ぶ。誰も彼女の未来を見ていない。

 「村? 皆? その未来に彼女はいないってわけなの?」
 胸の奥で何かが軋む。自分より幼い子を犠牲にして、綺麗事を並べて、守ったつもりで――それで心は笑えるの?

 「本当に意味があるならさ、誰か一人でも笑ってごらんよ」
 誰一人、笑えない。誰もが沈黙して、ただ儀式の終わりを待っている。

 榊は泣きながら首を振った。
 「……わたくしは……これでいいのです……どうか、もうやめて……」
 だめだよ。そんな声は、もう届かない。

 「『皆』へ私が証明してあげる。封印されてるものを倒して、もう誰も犠牲なんていらないってことを」
 言葉の奥に混じる灯の優しさと、鬼の激昂。

 背中のユニットに手をかける。灯のままじゃ守れないなら、鬼にだってなるよ。
 赤銅・雪瀾、その赤い瞳に映るのは、一人の泣く少女と、守るべき未来だ。

橘・創哲

 夜気を割くように、黒髪の男がひとり歩み出る。
 橘・創哲、その瞳は焔のように赤く、社殿の静謐を嗤うような輝きを帯びていた。

 「やれやれ、またずいぶん陰気な舞台を用意してくれたな……」
 彼は薄笑みを浮かべ、静かに小道具――果実の形をした『ガラス細工』をそっと地に置く。月の光に淡く照り返り、それはまるで妖の果実のようにも見える。

 「さて、お客人方。そろそろ幕を上げようか」
 指先が弾けると同時、細工は妖しき光を放ち、《爆破》の音が夜を裂いた。社殿に集う村人たちは悲鳴を上げ、慌ただしく外へと駆け出す。

 「おっと、そっちだぜ! 外で事件だ、祭だ、愉快だなあ!」
 嘲るような声と共に、彼は社殿へ滑り込む。

 そこには、儀式に用いられる器具が無防備に並んでいた。
 「ほう……随分と古雅な趣だが、こんなものに縋るなど、実に無粋じゃないか?」
 笑みを深めると、その器具を抱え外へ飛び出し、再び果実の細工と共に大地へ放り投げる。爆ぜる音と閃光が社を覆い、夜の帳を染め上げた。

 「これがオレ流の『救済』だよ。命をつなぐに値せぬ儀式など、芸術としても価値はないだろう?」
 煙の中、赤い瞳が妖しく揺れる。村人たちの怯え、混乱、そのすべてが、彼にとっては一幅の絵のように見えるのだ。

 「さあ……まだ幕は開いたばかりだぜ?」

星宮・レオナ

 夜気を割るように、藍の瞳がまっすぐに煌めく。
「不意打ち……ごめんね、でもこれがボクのやり方だから!」
 榊の前に舞うように現れたレオナは、風を纏った弾丸を指先に生む。エレメンタルバレット『旋風破砕』――風の導きは、儚げな白装束を守る盾となり、花のお守りをそっと彼女の手へと運んだ。

「榊さん……これ、ちゃんと届いたよ」
 榊は目を見開き、震える指先でお守りを抱きしめる。

 儀式を知る大人たちが声を荒げる。
「何をする!」「これは村のためだ、余計な真似を!」
 でも、レオナは静かに首を振った。

「ボクにはわかるよ。みんな、本当はこんなこと望んでないんだ。これでしか守れないと諦めてるだけなんだよね?」
 透き通る声に、大人たちの表情が曇る。

「榊さんに向けた愛が、全部嘘だったなんて思わない。ボクの想像だけど……だから、教えてよ。本当はどう思っていたのか、彼女のことを」
 村人たちが押し黙る中、レオナは怪力を帯びた指先でそっと銃を撫でる。

「邪魔するなら、ちょっとだけ痛い目にあってもらうからね? これでも結構、怪力なんだ」
 その微笑みは、優しくも確かな刃を宿している。

 榊の瞳に涙が溢れる。
「わたくしは……生きたい、です……もう一度、花を……笑顔を……」
 その言葉にレオナは小さく笑った。

「ありがとう、教えてくれて。なら、その願いをボクが守るよ」
 風が踊る夜、白髪の少女の笑顔は夜空の月よりも澄んで輝いていた。

柏手・清音

 「所謂、土着、信仰、かしら、ね……」
 黒髪を揺らし、柏手・清音は淡々と社殿を見やる。薄い唇に浮かぶ笑みは、どこか諦観と優しさが混じる。

 「私は、ばくちの神以外は、信じていないのだけれど……でも、子どもが犠牲になるのは、いけないわ、ね」
 手の中で軽く賽を振ると、空気に微かに鈴の音が混じる。

 「とりあえず、『強制債権回収』で呼びつけた荒くれ者たちに、場を荒らして、もらいましょうか」
 淡い声は静かに響き、しかし確実に空気を乱す。
 社殿の奥でざわめきが走り、村人たちの視線が恐怖に染まる。

 「神聖な儀式、だったのなら……ごめんなさい、ね」
 冷たい瞳に小さく笑みを含ませると、榊が怯えたようにこちらを見た。

 「ところで、この子は……何に対する、生贄なのかしら? 自然現象? 実態のある、存在?」
 賽を軽やかに転がす。静かな音が、夜に溶けるように響く。

 「……実態があるのなら、殺すんだけれど、ね」
 白い装束の少女は小さく首を振り、声にならない声を漏らす。

 「あなたも、まだ子どもなんだから……言いたいことは、言いなさい、な」
 清音は歩み寄り、柔らかな声音でそっと榊に呼びかけた。
 「物分りが良すぎる女は……あまり、幸せには、なれないもの、よ」

 夜風がそっと吹き抜ける中、彼女の賽が再び静かに転がった。

クラウス・イーザリー

 (生贄、か……)
 踏み込む足音は静かだが、空気を裂くような緊張をまとっていた。
 「儀式中に申し訳ありませんが、ここに古妖が現れるという情報が入りました」
 社殿の奥へと進み出ると、村人たちのざわめきが一斉に広がる。彼の声は柔らかだが、言葉の端に揺るぎない重さがあった。

 「儀式を止めていただかないと、甚大な被害が出る可能性があります」
 どこか祈るような声で、クラウスは再度告げる。

 村人たちの目には恐怖と動揺、そして諦めが混じる。榊の顔は青ざめ、小さく震える指が膝の上で強く握られていた。
 (やめろと言うのは簡単だ。だが、それは部外者だから言えることだ……)
 生贄制度の是非を問う暇はない。今ここで村人全員を敵に回すことも望まない。

 「……どうか、ご決断を」
 彼の言葉に応えるように、誰かが小さくすすり泣き、誰かが視線を伏せた。

 しかし、もしも彼らが聞き入れぬなら、不死鳥の加護で封印の札を燃やし、儀式を中断せざるを得ない状況を作り出す覚悟はある。
 クラウスの背後に、薄紅の光を帯びた不死鳥の影が揺らめく。

 混乱の渦の中、クラウスは榊を見つめる。
 「君は、生きたい?」
 静かだが、芯を突く問いかけ。

 榊は涙に濡れた目を見開き、口を開きかける。その声はまだ震え、弱々しいが、彼女の中に残る最後の願いを探すようだった。

 (……この問いの先に、あの親友ならどうしただろう)
 思いを胸に秘め、青い瞳は夜の冷たさを映していた。

御子神・充

 閉ざされた集落の常識は、外から見れば歪でも、内側から変えるのは難しい。
 加えて、封印されている「怪異」は現実の脅威だ。だからこそ、僕たち外から来た余所者が手を差し伸べるしかないのだと、充は静かに考える。

 「さて、儀式の核になりそうな物は……」
 世界知識と情報収集を総動員し、社殿の奥をくまなく探す。古びた封印符、血染めの布、朽ちかけた神具。彼の目は、その中に潜む核を見逃さない。

 「見つけたよ。これを壊せば、きっと……」
 声を落とし、仲間へ念話で知らせる。

 もし村人が止めに来るなら、そのときは――
 「だるまさんが、ころんだ!」
 低く響く声に、村人たちがその場で硬直する。疲弊と共に体力が奪われる感覚。それでも、榊のためなら惜しくはない。

 榊が視界の隅で小さく震えている。
 (君に、ただ従順に死んでほしくなんてないよ)
 彼女に向けられた好意が、全部演技だったとは思わない。むしろ、その優しさが歪んだ形に変わっただけなのだろう。

 「榊さん、君はまだ生きられる。運命だと諦めるには、早すぎるよ」
 柔らかな声で、しかし芯の通った言葉を送る。

 運命に抗うのは怖い。けれど、彼は知っている。
 諦めることは簡単だが、諦めないことには未来があるということを。

 「だから……生きて、君自身の願いを探してほしいんだ」
 細めた黒い瞳に、静かな炎が宿っていた。

懐音・るい

 「生贄、かぁ……」
 月影の中で黒髪がゆらりと揺れる。契約した死霊を横目に見ながら、るいは小さく溜息をひとつ落とす。

 「他所のシキタリに口を出せるような立場じゃないけど、妖が出るなら、介入せざるを得ないわよね」
 指先でアンティークの指輪を弄び、遠くで震える榊を見つめる視線は静かだが、どこか柔らかい光を宿していた。

 「今回彼女が犠牲になって、それでまぁるく収まっても……また次に、同じ道を辿る人間が出るだけじゃない?」
 声は軽やかだが、空気は一瞬冷たく張り詰める。

 「いたちごっこみたいに、延々繰り返しても仕方ないでしょ?」
 死霊がふっと煙のように形を変え、儀式の周囲を漂う。その姿を無言で追い、るいは口を開く。

 「今までそれで回ってきたかもしれない。でもね、今回、私たちみたいな他者が介入したなら――これまでとは違うわ」
 その声は月光より静かで、どこか遠い夢のようだった。

 「そこが一つ、将来を変える分岐の可能性もあるのよ。……賭けてみる気は、ない?」
 視線は儀式の中心に立つ榊だけでなく、周りの村人たち全員に注がれていた。

 「それとも……ずっと、誰かを捧げ続けるのがいいって思ってる?」
 夜風が白装束を震わせ、榊の唇が小さく揺れる。

 るいの黒い瞳は、微笑むように細められていたが、その奥には鋭い問いが突き刺さっていた。

朝槻・玲瓏

 静かな足取りで、境内に降り立つ。
 「生贄、か……ずいぶんと古い選択だね」
 赤い瞳が夜の社殿を見据える。村人たちの怯えた視線も、榊の小さな震えも、その全てを静かに受け止める。

 「私たち余所者が口を挟む筋合いはない……それが礼儀というものだよ、だけど」
 左肩に走る古傷が冷たい夜気に疼く。視線の先、白装束の少女が俯き、祈るように震えている。

 「だけどね……君たちが未来に誇れる選択かい? 生贄を選び、命を差し出す未来を……」
 声は穏やかだが、どこかに鋭さが潜む。

 村人たちは押し黙り、誰も言葉を返さない。
 玲瓏はゆっくりと歩み寄り、周囲の空気を柔らかく、しかし確実に制圧していく。

 「怪異を封じる方法は他にもある……そうだね、多少血は流れるかもしれない。だが、それを背負う覚悟を決めるのは君たち自身だ」
 オーメンスフィアに手を添える。まるで血塗られた過去を撫でるように、優しい仕草で。

 榊に視線を向けると、彼女は恐る恐る顔を上げた。
 「君の願いは……本当にこれでいいのかい?」
 言葉は低く、しかし真摯に響く。

 「公序良俗に反する行動はしない。それが私の流儀だ。だが、必要なら最も殺傷力の高い方法を選ぶ。君たちの決意次第だよ」
 赤い瞳が、夜より深い光を放った。

 夜風が白装束を揺らす。静かで、けれど決して退かぬ強さが、そこにはあった。

ルクレツィア・サーゲイト

 「こういう因習って、まだ残ってるのね…」
 月明かりに茶色のくせっ毛が揺れ、青い瞳が鋭く細められる。儀式の場に踏み込み、ルクレツィアは村人たちに向き直った。

 「犠牲に対するリターンって、釣り合ってないと思わない? 私達の√でも、邪竜や悪神に捧げ物をするって話は稀に聞くけど…人の命一人分をかけるほどの価値なんてないわ!」
 言葉はカラッとしているが、その奥にある熱は強い。

 「仇成す神は抗い、討つ。私達はそうして『自由』を掴んできたのよ」
 村人たちが怯え、榊は震える瞳で彼女を見つめる。

 ルクレツィアはふっと笑い、榊に歩み寄る。
 「ねぇ、あなたはどうしたいの? 使命感とか宿命とか、そんな面倒なものじゃなくて…あなたの心の底からの“本音”を聞かせて欲しいな」
 村人たちはざわめき、視線を逸らす者もいる。

 榊の唇が震える。小さな声が、ようやく絞り出される。
 「……わたくしは……生きたい、です……」

 その瞬間、ルクレツィアの瞳が決意に満ちて輝く。
 「そう、それがあれば充分よ! なら、アタシが助ける!」
 覚醒した気配が滲み出し、竜漿の力が彼女の身体に脈打つ。

 「デイドリームジェネレーション――!」
 叫びと共に、記憶の世界から大英雄の影が顕現する。

 「さあ、祭壇なんて叩き壊してしまいなさい! あなたの“生きたい”を、アタシが護る!」
 夜空に響く一撃と共に、儀式の核が音を立てて崩れ落ちる。

 風が吹き抜け、白装束がふわりと揺れる中、ルクレツィアは勝ち誇るように笑った。
 「自由はね、自分で掴み取るものよ!」

第2章 ボス戦 『紅涙』


 夜風が震えるように吹き荒れ、境内の蝋燭が一つ、また一つと消えていく。
 「わたくしは……生きたい……!」
 榊が絞り出した言葉は、祈りのようであり、同時に呼び水のようでもあった。

 その瞬間、境内を満たす血のように紅い靄。月明かりは紅霧に溶け、辺りを不気味な影と化す。
 「花嫁の痛哭が『私』を呼ぶ。ああ……愛しき声だ」
 境内の奥、赤い影がゆっくりと形を成す。古妖・紅涙。怨嗟と悲哀を纏った鬼女が、ゆらりと榊へ近づく。

 「千切り捨てられた誓詞。裏切りへの憤り。全て、全てを『私』の痛哭として写し取ろう」
 村人たちが顔を青ざめさせ、恐慌に駆られて走り出す。
 老いた者は膝を折り、若い者はぶつかり合いながら社殿の外へ逃げ惑う。

 「力無き花嫁に代わり、『私』が復讐を請け負おう。如何なる√へも追い縋り、地の果てまでも決して逃さず……」
 紅涙の声は、狂気と愛惜が混ざり合ったような甘美さで、むしろ静かな優しさすら帯びている。

 「貴方なら『私』の行いを赦してくれよう? 『私』を否定したあの人とは違う。そうでない筈はない。そうでない筈がない」
 榊は怯えた瞳で後ずさり、震える手で必死に白装束を掴む。
 「……いけません……やめて……! わたくしは……そんなこと……望んでなど……!」
 弱い声が紅霧に飲まれ、かき消されていく。

 「さあ、愛しき花嫁。共に行こう。共に、この村を血溜まりに変えよう……」
 紅涙が伸ばす手は、まるで花嫁の頬を撫でる恋人のように優雅で、しかしその先には破滅しかない。

 混乱の叫び、鳴り響く太鼓、崩れ落ちる社殿の飾り物。
 村人の悲鳴と榊の泣き声が重なる中、紅涙の瞳は一際強い光を放つ。

 「誰がこの花嫁を止められるのでしょう? あなたたちなら、止められますか……?」
 静かな問いかけが夜を裂き、次の瞬間、決戦の幕が上がる。
赤銅・雪瀾

 阿鼻叫喚。夜風に混じる悲鳴と逃げ惑う足音に、雪瀾は静かに笑った。
 「ま、こうなってくれた方がやりやすいかな。仕事はしやすいよ」
 紅涙の呼んだ「血霧に霞む愛しき人」が襲いかかる。鋭い斬撃、鮮血の香り。

 「ワタシは赦さないよ。その涙が枯れ果てても、他人を利用する存在は絶対に」
 肉を裂かれる感覚。だが、痛みは恐怖ではなく、むしろ熱を呼ぶ燃料だ。

 「……やられたら、やり返す。ワタシはそういう主義なの」
 破壊された片腕を、肉が音を立てて再生する。タンタライズ・サイサリス――再生の反動を力に変え、跳躍。思い切り拳を叩きつけ、反撃の衝撃で敵を粉砕する。

 「踊れ、爆ぜろ!」
 血と肉片が宙を舞い、夜気に散る。

 自分の記憶に閉じこもり、痛みに耐える者もいる。未来を見据え、震える足で踏み出す者もいる。
 「私は、踏み出した子を応援するよ」
 榊の泣き顔が頭にちらつく。生きたいと願った、その言葉の尊さ。

 「ぼろぼろになってもいいよ。彼女が噛み締めた苦しみに比べれば、こんな痛み……なんでもない」
 紫の肌が裂け、血がにじむ。だが、その瞳に宿るのは光だけだ。

 「さあ、次はどこを壊して、どこを再生させようか」
 再生する肉体と共に、雪瀾の意志は冷たく研ぎ澄まされる。

 鬼としての本能と、灯としての優しさ。その二つを抱えたまま、彼女は夜を駆ける。

クラウス・イーザリー

「……彼女は、そんなこと望んでいないだろう」
 静かに告げると同時に、クラウスは榊と紅涙の間に割り込んだ。紅涙の伸ばした手を振り払い、その狂おしい紅い瞳を真っ直ぐに見据える。

 全部を壊すこともできる。だが、それはただ別の犠牲を作るだけだ。生贄を捧げる行為と何ら変わりはない。

「……俺が止める」
 一息で詰め寄り、紅涙の間近に踏み込む。村人たちが巻き込まれぬよう、動きを牽制しながら細やかに立ち回る。

 至近距離で閃火を発動。閃光が夜気を裂き、紅涙の動きを一瞬止める。
 連撃。火球の爆ぜる熱と、氷の鎖が紅涙の腕を絡め取る。すぐに高速詠唱、続けざまに属性攻撃の追撃を浴びせる。

「……ッ!」
 紅涙の千切の攻撃が鋭く迫る。だが、クラウスは無表情のまま盾を構え、霊的防護で受け止める。呪詛の気配には破魔で抗い、光が淡く滲んだ。

「村人が一人でも殺されれば……榊は、この先もずっと気に病むだろう」
 胸の奥で言葉が燃える。生きたいと願ったあの小さな声を、二度と曇らせたくはない。

 自らの血が、紅い床に滴る。それでも動きを止めない。むしろ、切り裂かれる痛みは彼をさらに研ぎ澄ます。

「生きたいと願った彼女の未来に……影を落とさせはしない」
 冷たくも優しい声が、夜に溶ける。

 繰り返す斬撃と爆ぜる火球、その中心にあるのは静かで折れない決意。
 無表情の中で確かに光る、青い瞳の強さが、紅涙を睨み続けていた。

星宮・レオナ

 夜気を切り裂く風の音。藍色の瞳が、紅い霧の向こうに震える榊を真っ直ぐ捉えた。
「……復讐に理解や赦しを望むなよ、紅涙。復讐は、自分の意思で自分のためにするもんだ」
 その声は低く、しかし確かな芯を帯びて響く。

 【リミッター解除】、そして改造された【肉体改造】の身体が瞬時に稼働限界を超える。足元の地面が砕けるほどの勢いで、レオナは紅涙へ向かって【ダッシュ】した。
 その動きはまるで閃光。
 【怪力】を込めた【不意打ち】の飛び蹴りを放ち、紅涙を榊から引き離す。接触した瞬間、【ジャンプ】で更に力を乗せ、【グラップル】の勢いで境内の端まで吹き飛ばした。

 『先陣ロマンチカ』の風が社殿に吹き込み、紅霧を吹き飛ばす。榊の周囲を守るようにレオナはすっと立ち、背中を見せる。

 「止められるか? じゃない、もう止まってるんだよ。榊さんの願いは復讐じゃない、村の人たち皆と笑顔で花を見る未来だ。その願いは、壊させない」
 振り返るその顔には、戦士の厳しさと少女の優しさが共にあった。

 「守るって約束したんだから……変身!」
 マグナドライバーを構え、ミスティカ・キーを装填。引き金を引けば、赤と白の装甲と仮面が彼女を包む。
 光と共に浮かぶ風の羽。

「UNLOCK! これで決めるよ――Full Charge!!」
 紅涙が瞑想に入ろうとする、その気配を感じ取るとすぐに【牽制射撃】を撃ち込み、間断なく距離を詰める。

 紅霧を切り裂く突進、彼女の装甲が夜に反射する光を弾くたび、背中で榊の震える気配を感じ取る。
 榊は言葉にならない声を上げ、掴むように胸元を握っていた。

「ボクが、ボクの選んだ未来を護る!」
 マグナドライバーの砲身が紅涙を射抜く刹那、全身を包む赤い光がさらに増幅される。

 そして――
「ファルコン・グランツァ!!」
 舞い散る光の羽が軌跡を描き、渾身の後ろ回し蹴りが紅涙の中心を貫く。
 その瞬間、受けたダメージが全て一気に反映され、レオナの体は大きく弾けるように後退する。

 しかし、彼女の瞳は曇らず、むしろより強く輝いていた。
「大丈夫……ボクはまだ、立てるよ」
 口元に小さな笑みを浮かべ、榊に振り返る。

「怖いよね。でも大丈夫。今度はボクが前に立つから」
 白い仮面の奥、藍色の瞳がまっすぐに優しさを宿していた。

朝槻・玲瓏

 紅霧が境内を覆い尽くす中、玲瓏は静かに歩を進めた。
「やれやれ……随分と賑やかだね」
 微笑む口元はいつも通り温厚で、しかし瞳の奥には冷ややかな光が宿っている。

 白装束の少女――榊の小さな体が、地面に崩れ落ちる。
「わたくしは……生きたい……でも、わたくしが生きると……皆さまが……」
 震える声が夜気に溶ける。

「君の願いは、ただ生きることだろう?」
 柔らかな声で、玲瓏は榊の前にそっと立つ。その動作は静かで、まるで舞うように滑らかだ。

「紅涙さん、君は哀しいね。痛みと愛が歪んで、復讐という名の狂気に堕ちてしまった」
 霧の向こうで紅涙が歪んだ笑みを浮かべる。
「『私』を否定するか……赦されぬ筈はない……!」
「残念ながら、私には赦す資格もなければ、断罪する権利もない。ただ――」

 玲瓏は指を鳴らし、懐から暗器を滑らせる。
「彼女の未来を奪わせはしないよ」
 その瞬間、空気が震える。

「飛影散華――さあ、こんなのはどうかな」
 暗器が紅霧を切り裂き、幾筋もの影が疾走する。半径内に走る刃の軌跡は、夜空に散る流星のように美しく、鋭い。

 紅涙が反撃に出る。無数の血の刃が玲瓏を貫こうと迫るが、彼は悠然と首を傾げる。
「残念、こちらだよ」
 瘴気転陣――インビジブルと位置を入れ替え、紅涙の攻撃を虚空へと誘導する。

 紅霧がさらに渦巻き、境内を侵食する。村人たちが泣き叫び、榊は震える体を支えきれず、泣き崩れる。
「……どうして……わたくしのせいで……」
 玲瓏は一歩、榊へ近づく。その視線は優しく、決して彼女を責めない。

「君は何も悪くない。君は生きていいんだよ」
 榊が顔を上げる。赤い瞳に、微かに光が灯る。

「自分の意思で未来を選ぶ、それが何よりも尊いことだ。だから、私は助ける。――それだけだよ」
 言葉の隙間に滲む、かすかな哀しみ。

 紅涙が怒りと悲嘆を込め、血霧を再び吹き荒らす。
 玲瓏は暗器を手に、静かに笑った。
「これ以上、彼女の未来を曇らせるわけにはいかない。来るなら……受けて立つよ」

 サングラス越しの赤い瞳の底に揺れる決意は、夜の闇よりも深く澄んでいた。

ルクレツィア・サーゲイト

「歪んだ形で具現化した心象……って所かしら? それでも私は彼女の側に立つわ!」
 青い瞳が鋭く輝き、リボルバー式の精霊銃が火花を散らす。

「ひょっとしたら、心のどこかに贄とされる事への憤りがあったのかもしれない。でもね、それを殊更に増幅されてアンタが好き勝手暴れる理由にされちゃ、たまらないわ!」

 銃撃で紅涙を牽制し、一瞬の隙を見逃さず踏み込む。
 斧槍を模した竜漿兵器で血刃を捌き、風を纏って懐へ潜る。

「闇へ帰って、そのまま二度と出てくるなッ!!」
 零距離、引き金が引かれると同時に『おしゃべりな精霊達の輪舞曲』が唸りをあげる。

 精霊の声が弾丸に宿り、紅涙を貫く銀の閃光となって降り注ぐ。
 紅涙が苦悶の声をあげ、血霧が軋むように揺れる。

「もし榊さんに触れようとしたら、その前にこの私がいるわよ!」
 決意に満ちた声が境内に響き渡る。

「あなたがどれだけ愛を叫ぼうが、その刃が人を傷つけるなら私は止めるわ!」
 銃身を再度構え、視線をまっすぐ紅涙へ突き刺す。
「アンタの舞台は、もう終わりよ! ――覚悟、決めなさい!」

 銀の弾丸が光を切り裂き、再び榊の未来を護る壁となるのだった。

懐音・るい

「あちらから来てくれるのは、探しに行く手間が省けたって意味ではアリだね」
 夜の境内に立ちながら、るいは軽く肩をすくめる。

「まぁ……村の人間がいなくなってから来てほしかったっていうのも、なくはないけど」
 黒髪が月光をかすかに反射し、揺れる瞳は冷静そのものだ。

 紅涙が蠢く血霧をまとい、榊と村人たちに視線を向ける。
「彼女にとっての対象へ手出しさせるわけにはいかないよね」
 るいはため息を一つ、そして村人たちに目をやる。

「まだこの場から動けていない住民、できる限り外へ逃がすよ」
 もし敵が手を伸ばそうとすれば、その瞬間――


 【時雨の沫】が夜空に光の矢を生み出し、紅涙の動きを妨げる。
 細かい光の矢が網のように編まれ、足止めと牽制を繰り返す。

「【幸運】と【時間稼ぎ】が、いいように作用してくれたら……いいんだけど」
 村人たちが震えながら逃げ出す隙を作り出すその姿は、どこか幻想的ですらある。

「そこの彼女も、村の人間も助けるっていうのが今回の依頼の条件だからさ。悪く思わないでよ」
 淡い微笑みと共に、るいの声は境内の混乱を切り裂く静かな光となった。

柏手・清音

「そうよね、生きたいわよ、ね」
 境内に鳴り響く悲鳴と血の匂いを前に、清音は静かに頷いた。

「それじゃあ、あなたも、彼らも、生きられるように。ひと勝負、行ってみましょうか」
 冷たい視線が紅涙を射抜く。

「怨嗟が煮詰まって、視野狭窄に、陥っているのかしら。まぁ、あまり話しても、仕方なさそうだし……片付けましょう」

 静かに笑みを浮かべ、清音は両目を黄金色に輝かせる。【全賭け】――視界が鮮烈に冴え、全身に稲妻のような感覚が走る。

「こっちのほうが、楽しい、わ」
 前のめりに踏み込み、圧倒的な速度で紅涙へと迫る。

「さてさて、どんな物体が飛んでくるのかしら、ね。まぁ、何であれ、私は運と、勘を信じて受ける、わ」
 紅涙が血霧を刃と変え、迫る刹那。清音は鋭い第六感と幸運を頼りに華麗に受け流し、その隙を突いて渾身の打撃を叩き込む。
「あなたの呪詛と、私の運……最後に勝つのは、どっちかしら、ね」
 黄金に輝く瞳は、情念に飲まれることなく静かに光を宿す。

「あなたの情念に、負けないくらいの、幸運が……あれば良い、わ」
 柔らかな声と共に、決定的な一撃が紅涙を貫き、夜の闇に清らかな決着の響きを残した。

第3章 日常 『宵闇涼しく、華恋な唄』


 夜風が境内を抜け、提灯の灯りを柔らかく揺らす。
 先ほどまで血と叫びが満ちていた場所とは思えないほど、宵闇には人々の賑わいと灯が溶け合っていた。

 村の人々は、それぞれに小さな罪を抱えていた。
「榊さま……本当に、すまなかった……」
「わしらが……わしらが弱かったばかりに……」
 縁日の屋台を支えながら、すれ違う大人たちは頭を下げ、榊に声をかけるたびに顔を伏せる。
 榊は一人一人に小さく頭を下げ、震える声で「……ありがとうございます」と返していた。

 藤色に朝顔の刺繍が施された浴衣。
 袖を握りしめる指はかすかに震えていたが、その目は確かに「生きたい」と願った証に、前を向いていた。

「お祭り……こんなに、賑やかで……」
 榊はそっと呟き、子どもたちが金魚すくいに夢中になる様子や、綿あめをほおばる少女の笑顔を見て、胸に熱いものを押し込める。

 村人たちもまた、榊の選んだ「生」を受け入れようとしていた。
 恐れや依存、迷信に縋る心を抱えながらも、それでも「これから」を共に生きると選んだ表情があった。

 空には花火がひらき、色とりどりの光が夜を割った。
 ぱちぱちと小さく弾ける音に、子どもが「すごい!」と目を輝かせ、大人たちの顔にもわずかな笑みが戻っていく。

 榊はふと立ち止まり、浴衣の裾をそっと持ち上げ、誰かの方へと振り返る。
「……わたくし、まだ震えてしまいますけれど……」
 声は小さく、それでも必死に絞り出すように続ける。
「ご一緒に……歩いて、くださいますか?」

 その頬に、ようやく浮かんだ小さな笑顔は、誰よりも尊く、誰よりも脆い。
 しかし、今この夜を照らす光とともにあるその微笑みは、確かに未来へ繋がっていた。

 ──この祭りの宵は、恐怖や罪悪感を乗り越え、新たな願いと再生を刻む始まりの夜。
 君たちもまた、それぞれの歩幅で、この華恋な唄を胸に進んでほしい。
クラウス・イーザリー

 夜の帳が落ちる頃、宵闇に包まれた村の広場には、灯篭と提灯が優しく灯り、露店の明かりが花のように咲いていた。榊の隣を歩くクラウスは、その光景を眺めながら、ぽつりと声を落とす。

「君は……この村と村人達のこと、好き?」

 榊は短く息を呑み、歩みを緩めた。祭囃子の音が遠くに流れる。あの日、命を差し出そうとした少女を、ただ見ていた村人たちの影が、どこかに重なる。

 けれど、榊は静かに微笑んだ。

「……好き。悲しいこともあったけど、それでも……私は、ここで生きていきたい」

 その言葉に、クラウスも小さく頷く。

「好きだと言えるのなら、きっとうまくいくよ。人は、好きなものを守ろうとするから」

 村人たちが少し離れた屋台の影から彼女の姿を見つめていた。怯えも、罪悪感もあった。けれど、謝罪と共に差し出された屋台の団子や金魚すくいの景品は、どれも小さな和解のしるしのようだった。

「未来が良いものになるように願っている。またお祭りを開くなら、その時は呼んでくれ」

 そう言ったクラウスの横顔は、仄かな提灯の光に照らされて、どこか柔らかかった。彼自身が希望を抱くことは難しくとも、願うことはできる。未来を信じる少女のそばで。

 榊が笑って頷いた時、空にひとひらの花火が咲いた。音のない願いが、静かに夜を彩っていた。

懐音・るい

 宵の帳が下り、提灯の光が川辺にゆらめく。祭囃子が風に乗って届く中、懐音・るいはゆったりと歩を進めていた。肩越しには、まだぎこちない笑みを浮かべる村人たちの姿。そして、その中心には榊の小さな背中。

 過去は消せない。赦すにも、時間がいる。でもそれでも、と、るいは思う。

「犠牲が出なかったのは、きっと良いスタートってことだよね」

 巡り歩く屋台の隅で、榊と静かに語らった。未来のこと。不安や後悔や、きっと訪れるだろう挫折のこと。

「でもね、そういうのも含めて“生きる”ってことだからさ。……あの時、って思う日が来るかもしれない。だけど、そんな日も、キミなら乗り越えられると思うの」

 榊の瞳が揺れる。その心に、どんな痛みがまだ残っているのか、るいには全部は分からない。でも――。

「私は長生きしてるわけじゃないけどさ。楽しいこともあるよ。キミは優しくて、ちゃんと強い人だから」

 風鈴の音がかすかに鳴った。川の水面に揺れる灯火のように、少女の心にも小さな希望の灯が灯ればと、るいは微笑んだ。

「どうか、自分の人生を楽しんでね。今度は、キミ自身の選んだ未来で」

 願いを込めて、るいは再び祭の喧騒の中へ歩き出した。

赤銅・雪瀾

 提灯の明かりがぼんやりと浮かぶ宵の縁日。少し照れたように笑って、雪瀾は榊に言葉を投げかけた。

「……ま、いんじゃない? 一件落着ってことでさ」

 本当は、こんな騒ぎの後にノコノコ顔を出すのもどうかとは思ったけれど。手を引かれて祭に誘われたら、断る理由も見つからなかった。

 榊が「生きたい」と言った。戦いの最中に震えながら、それでも諦めなかった。だから、自分も戦った。ただそれだけ。でも。

「そういう気持ちとか、言葉とか。……嬉しかったよ、私は」

 ヒーローみたいな活躍をした気はさらさらないけれど、それでも何かの役に立てたなら、それは少し誇らしい。だから。

「お礼とかいらないし、勲章とかもいらないけどさ。……お面くらい、もらっておこうかな」

 狐面を手にして、ふと思い出したように視線を向ける。榊の浴衣姿が目に入った瞬間、言葉がふと漏れる。

「……というか、ん。言いそびれてた。浴衣、似合ってるね。それに、なんていうか……憑き物が落ちたみたいだよ」

 くしゃりと笑う。きっとこれからまた、いろんなことがあるだろう。でも。

「また嫌なことがあったらさ、いつでも言って。きっと助けに来るよ、私は」

 だから、生きていて。君がそう願ってくれた未来のために。

ルクレツィア・サーゲイト

 焼きとうもろこしの香り、揺れる提灯の明かり。賑やかな夜の空気の中、ルクレツィアは榊と肩を並べて歩く。

「何だかさっきまでの殺伐とした雰囲気がウソみたいね」

 その言葉に、榊は少しだけ笑った。戸惑いながらも、確かに目の前の景色は、夢のように優しくて。

「……ほんとに、夢みたいです」

「でも、これは夢じゃない。あなたが『生きたい』って望んだ現実なのよ」

 ゆっくり歩きながら、ルクレツィアは空を見上げた。夜風がふたりの間をすり抜け、浴衣の裾を揺らす。

「だから、もう卑屈になることも、負い目を感じることもないわ。偶然、私たちが来ただけ。未来を掴んだのは、あなた自身よ」

「……そんな風に言ってもらえるなんて、思ってませんでした。村の人たちからも、あなたたちからも……」

「ねぇほら、縁日を吹き渡る夜風だってこんなにお祭りを謳歌してるわ!」

 ルクレツィアがそう言って笑うと、榊もつられるように小さく笑い返した。少しだけ肩の力が抜けたように見える。

「……生きてて、よかったです。ありがとうございます」

 震える声で、それでもしっかりと榊は言った。ルクレツィアは黙って、夜風の先へと視線を向けた。

「風は自由。過去も傷も、すべて抱えて歩いていくの。それでも、風はいつだって、あなたに吹いてくれるから」

 榊はそっと、自分の胸元に触れる。確かにそこに、心があることを確かめるように。

朝槻・玲瓏
エリーズ・シャティヨン

 夕暮れの茜が夜に溶け、川沿いの灯りがぽつぽつと輝き始める。人の波に彩られた縁日を、玲瓏とエリーズは肩を並べて歩いていた。

「……玲瓏、りんご飴、ある。買ってもいい?」

 そう言う彼女の声には、ほんの少し弾んだ色が混じる。玲瓏はふわりと微笑んで、優しく手を引いた。

「もちろんだよ、エリーズ。甘いの、好きだったよね」

 ふたりの手はしっかりと繋がれたまま。屋台の灯が映える飴玉を手に取るエリーズの瞳が、ほんのり赤く染まる。

「ねえ……榊、って人。あの人……笑ってた、少しだけ」

「ああ、榊さんには、色々なことがあった。でもきっと、今夜は――少しだけ、前を向けたんだと思うよ」

 玲瓏の言葉に、エリーズは小さく頷いた。彼女の視線の先、浴衣を着た榊が、村の子供と一緒に射的を覗き込んでいる。そこにあるのは、ほんの束の間でも確かに存在する“日常”だった。

「……榊。わたあめ、食べる?」

 突然声をかけたエリーズに、榊は目を瞬かせた。戸惑いながらも手を伸ばす彼女に、エリーズはくるりと棒を回して小さく差し出す。

「やさしい味、するの。ちょっとだけ、ね」

 榊は戸惑いながらも、微かに笑って一口。その顔に浮かぶ、泣きそうな、でも温かな笑みに、玲瓏もまた、そっと胸を撫で下ろした。

「……エリーズ、ありがとう。君がここに来てくれて、本当に良かった」

「……うん。玲瓏が、連れてきてくれたから」

 それだけ言うと、エリーズはりんご飴をかじった。甘くてちょっとだけ酸っぱくて、でもきっと、それも大切な思い出になる。

 花火が上がった。大きな音に子どもが歓声を上げ、大人たちも空を見上げる。玲瓏とエリーズも、ふと足を止めて空を仰いだ。

「きれい……」

「本当だね。夜空を飾る光って、どこか奇跡みたいだ。君と一緒に見られて、嬉しいよ」

 彼女の手を握りしめながら、玲瓏はそう告げる。エリーズは顔を上げたまま、そっとつぶやいた。

「……来てよかった、なの」

 その一言に、玲瓏は柔らかく微笑んだ。祭りの喧騒に混じる、誰かの笑い声。焼き菓子の匂い。夜風に吹かれながら、ふたりは少しだけ、歩幅を緩めた。

 途中で立ち寄った小さな屋台では、金魚すくいを眺めながら榊と三人、ひととき静かな会話を交わすこともあった。榊はまだどこかぎこちない様子だったけれど、ふたりの気遣いに何度も「ありがとう」と呟いた。
 きっと、今日のこの日が、彼女にとっても忘れがたい夜になる。願わくば、その笑顔が明日へと続きますように。

柏手・清音

 灯籠の明かりが揺れる裏通り。屋台の賑わいから外れたその路地には、不思議な静けさが漂っていた。

「……あら、あなたも、来たのね?」

 吸い寄せられるように足を踏み入れた榊を、柏手・清音は静かに迎え入れた。金魚すくいの袋を手にしたままの榊は、どこか戸惑い気味に視線を揺らす。

「ここ……賭場、ですか?」

「ふふ、まだ仮のものよ。けれど、こういう“場”は、心の節目を占うにはちょうどいい」

 清音がすっと手を伸ばすと、艶やかな賽がひとつ、掌に現れる。ひらり、ひらりと指の間で舞うそれに、榊は思わず目を奪われた。

「あなたの手の中にある、その金魚。命を救われた証、でしょう? ならば、それを賭けてみなさいな」

「え……」

「丁か、半か。どちらを選ぶ?」

 清音の声に導かれるように、榊は静かに口を開く。

「……丁、で」

 転がる賽の音。ぴたりと止まった面を見た清音は、唇の端をわずかに上げた。

「おめでとう。あなたの勝ちね。それじゃあ、これは賞品」

 差し出されたのは、小さな水琴鈴。榊が手に取ると、ちりり、と透き通った音が響いた。

「その音はね、迷った時に、あなたを呼び戻すわ。だから、忘れないで。これは、生きようと願ったあなたが、初めて“掴んだ運”」

 榊はきゅっと鈴を握りしめた。確かに感じる、小さな重みと音の温度。顔を上げると、清音はすでに背を向けていた。

「さぁ。若い人生を、楽しみなさいな」

 夜風が金魚の袋と鈴の音を揺らしていた。榊はしばらくその場に立ち尽くし、そしてゆっくりと歩き出す。手の中の鈴が、彼女の一歩を祝うように、再び静かに鳴った。

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