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新作になっても、すべての衣装を水着にしてやろうぜ!
●異界へ足を踏み入れたとあるカップルの話
最も平和で、最も豊かで、最も弱く絶えず簒奪者に狙われる楽園──√EDEN。
そんな楽園も例年に類を見ない季節外れの酷暑が襲いかかり、初夏に入らないというのに各地で真夏日を観測していた。
しかし、人間とは環境に適応する知恵によって数々の厄災や災害を乗り越えてきた。
例えば、暑さを紛らわせる『涼』。
冷たいものや冷房が効いた場所で涼しさを感じる以外にも、打ち水をして感覚的に涼しさを感じたり、川のせせらぎに耳を傾けて涼を感じたり、夜の月を眺めて涼を求めたりと様々だ。
だが、人は心地よさ以外にも涼を求める。
それは──恐怖。
背筋を凍らせるような戦慄、未知の闇に足を踏み入れて暑さを忘れる「肝試し」。
「ねぇ……まだトンネルが続くの?」
「心配するなって……ほら、出れた」
ここは都内から車で数時間行った先にある山奥。
かつて多くの集落が点在していたが時代の波による過疎化によって住民が居なくなり、地図上からも消えて忘れられてしまった廃村。
トンネルを抜けた若い男女のカップルは肝試しのためにこの場所に訪れたのだが、その廃村の名はもう誰も覚えていない。
舗装もされていない細い林道を抜けると、木々の隙間から朽ちた鳥居が見えてくる。表面にはびっしりと苔が張り付き、名を記した木札は半ば崩れ、判別不能となっていた。
「ここ肝試しの穴場だったの? ネットにも全然出てこなかったけど……」
彼女は苛立ち混じりの声でそう言いスマートフォンを掲げたが、表示は『圏外』。
「先輩の先輩から聞いてね。隠れた心霊スポットってさ、見つけたもん勝ちだって」
男は得意げに笑って先を行き、追いすがるように女がついてくるのを確認するとふと立ち止まった。
──そして、村の中へ足を踏み入れた、その瞬間。
ぐにゃり。
空間が歪んだような妙な感覚がふたりを襲う。
目眩でも起きたのかと思った彼女が目を擦るが、次の瞬間……とある違和感に気づく。
「……ちょ、なにこれ……!? えっ……えっ!?」
思わず目を疑った。
着ていたはずのTシャツも、ジーンズも、スニーカーも──すべてが消え失せていた。
代わりに身にまとっていたのは、海辺のビーチにでもいるような水着姿だった。
女は紐の多い大胆なビキニ、男も派手なトランクスだけ。
それはどちらもどこかレトロで、どこか現実離れしたデザインであった。
「なんで……!? どうして……服、どこ行ったの!?」
「俺も……!」
二人は慌てて辺りを見回した。
だが、周りは朽ちた鳥居や廃屋が点在している廃墟のまま。
ふと気づくと、まだ真新しい奇妙な看板が建っていることに気づく。
──『涼ヲ求メル者ニ、水着ヲ与エン』
血で書いたような錆がかった朱色で、異様な筆跡の文言が刻まれていた。
「……帰ろう……もう帰ろ? これ、絶対ヤバい奴だよ……!」
「あ、ああ……そうだな、元の道を……」
だが、振り返った先にあったはずの道もトンネルは消え失せ、そこにはただ──
海が広がっていた。
青くもなく、煌めきもない、どこまでも鉛のような色をした『海』が。
山のど真ん中であるはずなのに、微かに──潮騒も聞こえる。
いや、よく聞けばそれは……笑い声だ。
水着姿のまま朽ちた廃村の孤島に取り込まれたカップルの前に、ひとつ、またひとつと……『人の形をしたもの』が現れ始めていた。
それらはすべて、水着姿で笑っていた。
●√EDEN都内某所のとある複合型アウトレットモールにて
「……って|予兆《ゾディアック・サイン》を星詠みっちまってなぁ……」
白く眩しい日差しがビルのガラス面で反射し、真っ青な空の下では蝉の声すら熱気に負けて沈黙してしまいそうな暑さの中、ちょうど日陰となって心地よい潮風が吹き抜ける海沿いのデッキテラスで狗養・明(狼憑きの|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00072)は集まった√能力者たちへ茶封筒に入った捜査資料の写しを手渡す。
中には航空写真、失踪者たちの顔写真、廃村の写真、そして血のような朱で書かれた奇怪な看板の写真などが入っていた。
「ガイシャは√EDENの住人だが、こっちの√汎神解剖機関でも似たとような事件が頻発していやがる。足を踏み入れた奴らは神隠しに遭っちまって、運良く生還しても気が触れちまったように曖昧な体験談しか覚えてねぇよくある話なんだが……決まって『突然水着姿になった』って証言だけは共通している。お偉いさんらが言うには……『水着怪異』の仕業だってらしいな」
水着怪異とは、季節と共鳴して現界の境界を歪める特異なる存在。
水着結界と呼称される結界に立ち入った者の姿を水着に変える能力を持った怪異の総称であり、水着姿に変える力は単なるいたずらではなく『涼』という概念を媒介に結界を展開する力の発露だとされる。
そのため夏場によく発生するのだが、近年は四季の概念がなくなるまでの異常気象続きで季節外れの猛暑となる日も珍しくなく、それに伴いただ水着姿に変えて驚かすだけであった水着怪異に変化が生じているとのこと。
「それが例の神隠しだな。大方、他の√に足を踏み入れちまったように水着結界が擬似的な√として機能してるって感じか? 言い方を変えりゃ……√世界の狭間に生じた三途の川な擬似空間、ってとこだ」
明が語るには√汎神解剖機関でも例の廃村は存在しており、村の名が忘れ去られて久しいためか捜査関係者からは『水着村』と呼ばれている。
だが、カミガリの捜査員らが踏み込んだ際には水着怪異の気配は何処かへと消えてしまっており、√EDENでの『水着村』で同様の事案が発生したことで√を越境したと判断。
その結果、新人カミガリながらも√能力者であるために越境捜査権がある明にお鉢が回った次第でもある。
「つー訳でこっちにも被害が出ちまった以上、着ている服を水着に変えちまうしょうもねぇ怪異だろうが始末しねぇ。場所も特定済みであとは向かうだけなんだが……ここで問題がある。水着結界の入口を探さねぇといけねぇってことだ」
現実の世界である√EDENには水着怪異は存在せず、他√への道を発見するように水着結界に足を踏み入れねば水着怪異とは対峙できない。
まるで雲を掴むような話だが、救いは水着結界へと侵入すれば水着姿に変わるという分かりやすさか。
「ま、この暑さだ。肝試しがてら涼を求めてみるのもオツってだろうが……油断するなよ? 水着結界の中が一体どうなってるか……まだ誰も分からねぇからな?」
これまでのお話
第1章 冒険 『心霊スポット!廃村探索に行こう!』

山の奥の奥に位置する、地図にも記されぬ場所。
国道から逸れたところににある、獣道か林道かも分からぬまで木々が生い茂って自然に帰ろうとする藪を掻き分けた先には、人為的に作られたトンネルがある。
湧水が滴り落ちて湿気に満ちた暗がりの穴を抜ければ視界が開け、ぽつりとそれはあった。山を越えずに済むようトンネルを掘っているのであればそれなりに栄えた集落だったのだろうが、かつての賑わいも今はただ朽ちた家屋がうねる蔦に呑み込まれつつあり、脇道にある風化した鳥居も斜めに傾き、斜面を登る石段の参道も苔むしながら歪な蛇の背骨を思わせるまでに廃れている。
こういう場所は理由あって麓に下ったかつての住人が定期的に訪れて掃除なり草刈りなりしている場所も多いが、ここまでの朽ちっぷりからしてそれもされなくなって久しいといったところなのだろう。
「いやー、何と言うかおも……不思議な結界もあるものですね」
だが、忘れ去られた村に訪れる者はまだ居る。
噂伝手に山奥のぽつんとある廃墟探索で足を踏み入れる好奇心旺盛な物好きと、『水着村』と新たに名付けられたこの地に起きる不可解な現象を究明する者だ。
錫柄・鴇羽(|不敗《しなず》の朱鷺・h01524)は後者であるが、人類の都市を次々と占領されては生命を自動攻撃する『戦闘機械都市』に造り変えられて自然という自然が破壊され尽くされた√ウォーゾーン育ちというのもあって、さながら観光にでも来たかのように興味深く様々なところへ目が移ってしまう。
「ぁあ、海で遊んだのって何年まえだっけ? いや、そもそも遊んだことが……」
人類と機械兵団との『第三次世界大戦』により平均年齢が限りなく低い√ウォーゾーンにおいて、鴇羽ほどの年齢は優秀な兵士か相当運が良い人間という証なる。故にその優秀さからず戦場に派遣され続け、自宅への帰宅など半年もないなんてよくあること。
もはや指揮車の後部座席が安息を得られる寝床となっているのだがら、纏まった休暇もお察しの通りであった。
「……よし、すべて忘れました。今は探索の時間です」
これ以上思い出すと色んな物が壊れそうなので、鴇羽はゆっくりと歩き直す。
訪れる前に雨が降っていたのであろうか、雑草と落ち葉らが重なり合っている足元の道が湿り気を帯びており、踏みしめるたびにじゅくっと水が滲んでくる。
歩き方次第では滑りそうなので慎重に歩く彼女の背後には目玉状の|球体型小型無人兵器《ドローン》である『レギオン』が無音のまま空を漂っていて、腰を下ろすには丁度いい石を見つけると身体に組み込まれたレギオンコントローラーを通して視覚を共有する観測装置を起動させる。
そうして意識を僅かに向けるだけで、どれかひとつの視界へと切り替わる。
──レギオン1、上空旋回による鳥瞰視界。
──レギオン2、低空滑走による這う視点。
──レギオン3、頭上滞空による俯瞰映像。
「レギオンを三体展開。広域探索モード、開始──」
レギオン1が先ほど見かけた神社の跡に降下させていくと、そこに『ヒトのような形』が見えた……その瞬間、映像が一時的に乱れる。
──ブツンッ……ガリッ……シャアアア……。
音声データに混じる雑音。
チューニングが合わない古いテレビによくある砂嵐のようなノイズ。
だが、レギオンは通信を維持している。
異常はない。
「幽霊の正体見たり、枯れ尾花……んー、インビジブルか簒奪者か。どちらですかねー」
彼女の声は変わらず淡々としていた。
レギオンから送られた映像を脳内で巻き戻せば人型の影が映っていたが、次のフレームへ送ると既に消えていた。
「……取れ高もなさそうですし、動画にも報告書にもあげれませんね」
ふと上空旋回していたレギオン1の視界に切り替えた瞬間、鴇羽の身体が僅かに硬直した。鳥瞰映像が映し出す、村の全景……のはずが歪んでいる。
家々の屋根が互いにめり込み、地面が膨らんだり沈んだりしながら、その合間に波紋のようなものが走っている。まるで水面のように土と瓦礫が揺らいでいた。
(映像ノイズ? いや、これは……)
光の当たり方がおかしい。
太陽が頭上にあるはずなのに、家屋の影が東西南北に複数伸びている。
──いや、それだけじゃない。
波紋の中心で、何かが手を振っている。
ノイズで解像度は潰れていたが、確かに自分を見ていた。
「……レギオン1、記録停止、帰還」
意識で命じ視界を切るが、切り替えたはずの意識の奥にあの笑顔の残像が残っている
足元の石に座っていた鴇羽は静かに立ち上がり、落ち葉を踏みながら歩を進める。
彼女の足取りが向かう先は異常を観測でした神社である。
参道はもう参道ではなく、ただの崩れかけた階段に過ぎない。
それでも、どこかでここを登らなくてはという奇妙な使命感に駆られる。
「……野生動物とか、瓦礫とかの方が危ないと思ったんですがねぇ」
脳内には未だレギオンが映した『歪んだ映像』の光景が焼きついており、まるでそれをなぞるように地面が揺れている錯覚をまだある。
なんとか登りきった先には、小さな祠と注連縄の切れた鳥居があった。
祠の前には古びた木札が落ちている。
そこに書かれていたのは、墨のかすれた筆跡で──、
『まれびとに みずぎを きせよ』
鴇羽は木札を見下ろして沈黙するが、それは木札の隅がまるで濡れているかのように色が濃くなっているからだ。
しかし、指先で触れてみるとそこは乾いており、指先からじんわりと冷たさが皮膚を這い上がってくる感覚が背筋を走ってくる。
「これは……そろそろ来ますね?」
恐怖でも、第六感でもない。
彼女は戦場の極限を幾度も越えてきた兵士であり、異常を肌で察知する術を身に染みつかせている。
案の定、視界が染み込むように溶けていき、右目がレギオン3の映像に同期していたはずなのに、いつの間にか両目の視界が俯瞰映像に支配されている。
鳥のように自分を上から見下ろす視点で、社の前に佇む自身の姿が見えていた。
しかもその自分は……水着姿だった。
肩が露わになって豊満な胸はスポーツブラで抑えられ、腰はボーイレッグと呼ばれる脚刳りが浅い男用水着に準じた形状のものだ。
だが、実際の鴇羽の身体にそんな違和感はない。
いつも通りエース用に特別に拵えられた、朱鷺色に染めた艶やかな肌に密着している|戦闘服《スライドスーツ》で、触れれば質感はある。
しかし、視界では水着姿となっている
「レギオン……強制遮断……っ!」
だが、意識の奥にあるレギオンコントローラーは既に応答しない。
まるで『視界の支配権』を彼女以外の何かが握っているようだった。
ふと視界の端でぬらりと動く何かが映る。
それは明らかに人間の形をしていて、同じ水着姿で手を振っているそれは……鴇羽自身だった。
表情が違うがこちらの視線を追って、満面の笑みで……ただ、口元が裂けていた。
耳まで、ざっくりと。
「……はは……やっぱり、海に遊びに来たんですね、私」
潮の匂いが風に乗って届く。
ここは山の中のはずであるはずなのに、遠くから波音が聞こえてくる。
思考にノイズ音が入り混じる中でどこかから甲高い笑い声が重なり、両眼に焼きついた視界はもはた『観測者』のものではない。
それは彼女がこれから『演者』になるという宣告であるかと囁くように、湿っぽくも生暖かい潮風が肌を撫でる感覚を覚えると視界が現実へと戻る。
視線を落とせば戦闘服《スライドスーツ》消えていて、鴇羽そっくりのナニカと同じ水着となっていた。
標高の高い山奥の風は涼しかった。
街の喧騒を離れて来た廃村は空気もひやりとしていて、訪れるまで聞こえていた蝉の鳴き声すら遠く感じられるほど静かである。
だが、見上げた空は異様なほど青く、太陽も下界より近く感じる。
空気は冷えていても、日差しだけは容赦なく肌を焼き尽かせるように鋭い。
「どこ行ってもあちーからなぁ……」
龍守・清流(シャドウペルソナの幻実性精神生命融合体・h07089)……の顔をした今の人格である|セイル《シャドウペルソナ》はそうぼやき、片手をかざして額に浮かんで伝う汗を拭った。
ここの暑さは都内の蒸し暑さとは明らかに違う。
ここには排気ガスの熱も、アスファルトの照り返しも、騒がしい車の警笛音もない。
セイルは首筋に指を滑らせ手のひらを見れば、汗がじっとりと滲んでいる。
「空気は冷たいってのに……日差しだけでもあっちぃ……」
ぶつけるような独り言を漏らしながらも、その目はどこかで冷めていた。
──と言うより、『見慣れなさすぎる』風景に感情が置いてけぼりとなっている。
舗装されていない道。
蔦の隙間から顔を出す朽ちかけた廃屋。
いかにも『それっぽい』のに関わらず妙に作り物めいて見えてしまうのも、本物の田舎の景色をネットやホラー特番でしか知らない都会っ子にとって、それすら非現実である。
「……廃村って、こんなにも音がないもんなんだな」
ついさっきまで耳の奥に残っていた蝉の鳴き声が、気づけばまったく聞こえない。
風の音すら細くなって、空間全体が息を潜めているように思えてくる。
都市部なら絶対にあり得ない沈黙……それがひどく不安だった。
人の気配がないのは分かっている。
分かっているのに、背中のどこかで『視線』を感じてしまう。
「廃村なんて初めて来たからな……。|さっきまでいた街《都内》に比べたら、この廃村そのものが別世界って感じだな」
視線を感じた先を見やれば、屋根が半分抜け落ちている廃屋が壁も歪ませながら辛うじて立っている。
日差しから逃れるようにセイルは足を進め、重い引き戸を押し開けると中はまるで別世界だった。
ひんやりとした空気と埃っぽくも湿った木の匂い。
そして何よりも音がなく、まるで空間ごと凍りついているかのような沈黙の空間だった。
「とりあえず、この廃屋に入って情報収集するか」
靴底が床を軋ませる音だけがやけに大きく響き、暗がりの室内に慣れてくると目に入ってくるのは、埃の積もった棚、茶碗、破れきった障子、そして鏡。
古びた鏡台の奥に割れて歪んだ鏡があり、そこに映る『|自分《セイル》』と──否、『|もうひとりの自分《セイリュウ》』と目が合った。
『セイル、そこ……なんか、変だよ』
鏡の中からセイリュウの声が語りかけてくる中、セイルは眉を潜めながら傍にあった写真立てを手に取る。
中には色褪せた笑顔の家族が居る。
何十年以上も前のものだろうが、写真立てのガラス面に自分の姿とセイリュウの顔が再び重なって映る。
「生活道具やら写真やら……どうしてこんなのが残ってるんだ? 村離れる時に持ってかなかったのか? 家族からも忘れ去られたのか? それとも……なんか事件が?」
その時だった。
ぐにゃりと視界が歪み、鏡が撓んだかのように感じた。
空間が──いや、彼自身が揺らいだが正解か。
「……っ!?」
セイルは思わず写真を落とし、ガシャンとガラスが割れる音が静寂を破る。
それもそのはず。
服の感覚が……消えたのだ。
「……は、ぁ?」
急いで見下ろせば……身体のどの部位が異形化してもある程度は対応出来る丈夫な衣服と靴は消えていた。
代わりに現れたのはビーチ用の水着。
太腿まわりにゆとりある暗色系のサーフパンツとサンダル姿であった。
慌てて鏡に振り返ればその中でも同じ水着姿で映っており、鏡の向こうでは驚いた表情のセイリュウも目を見開いている。
『セイルっ!? な、なんで水着!? さっきまで服着てたよね!?』
「……水着になるのはともかく、涼める上に問題も解決できるんなら……一石二鳥ってやつか?」
場を和ませようと冗談めかして返しながらもセイルはゆっくりと後ずさり、朽ちかけた床に散らばっている割れたガラスの破片にも自分たちの姿が映っているが……それらすべてが微妙に『ズレて』見える気がする。
それに耳を澄ませば外から聞こえてくるのは──波音。
いや、それに紛れて『笑い声』も微かに感じる。
「悪魔な俺には幽霊は同類みたいなもんで怖かねえけど、この忘れ去られた感じとか、取り残された感じの方がよっぽど不気味に感じるな。これが肝が冷えるってやつか……?」
ギシギシと床を軋ませながら戸口へと足を戻せば……そこには森も山もない。
広がっていたのは、青くもなく、煌めきも感じれない鉛色の『海』。
村全体が孤島のようになっており、崖の下にある波打ち際には砂浜もあり、そこには……笑いながら手を振るたちが居た。
男も女も子どもも、皆どこか古びた水着を着ていて、表情は不気味なまでの笑顔なのだが、命の気配は感じられない。
『セイル、逃げた方が……!』
「逃げる? ……いや、ここからが本番だろ」
√能力を顕現させたセイルの背に黒い影が揺れた。
幻実の追尾腕が音もなく伸び、この異質な空間を切り裂くように展開させる中、笑う水着姿の怪異と笑っていない水着姿の『悪魔』が異界の廃村で睨み合っていた。
吹き抜けるはずの山風が妙に生ぬるく、草木はざわめきすら拒むかのように沈黙しているまでに風が重い。
比較的にまだ状態が良い廃屋の名を記した札も崩れ落ちていて、苔に飲み込まれながら村の名を記すものはもう何ひとつ残っていなかった。
「──ふふん……やっぱいいデスネェ、この誰も来ちゃいけない感!」
そんな場違いな声が重い空気を打ち破る。
髪も肌もバニースーツも純白の白神・真綾(|首狩る白兎《ヴォーパルバニー》・h00844)は、興奮したように肩をすくめて笑うと赤い瞳が不気味なほど嬉しそうにキラキラと輝き、長いうさ耳型マルチデバイスがぴんと立たせる。
「ヒャッハー! 真綾ちゃんデース! 水着邪神とかわけわかんなくて弱そうですが、腐っても神ならそれなりに楽しめると信じてるデスヨ!」
彼女はぽんと軽く跳ねるようにしながら、集落の跡地を巡る。
長い年月も無人だったかつての道は雑草に埋もれ、虫の羽音さえ聞こえてこない。
だが、廃村なのに獣道とも違う『誰かが歩いたような』痕跡が点々とあることが何よりおかしい。
「うっわ……足跡? これホントに無人デスカ? 幽霊のオバケちゃん、先に肝試ししてた可能性あるデスヨォ?」
痕跡に手を合わせて合掌してみたり、廃屋の壁に耳を当てて「もしも~し、生きてるヒトいますか~?」とおどけてみたり。
常人なら思わず震えて恐怖を感じる雰囲気の中で、真綾のテンションはむしろ右肩上がりだった。
「まっ、怖がらせたいならやれるもんならやってみろってんデスヨォ? 真綾ちゃん、恐怖と狂気のハーフアンドハーフで出来てるんデスから!」
その時、ピピッと真綾の背後で軽快な電子音が鳴った。
索敵のために展開していた思念操作で操る半自律浮遊砲台のマルチプルビットが、何かを感知したのか小さく振動していた。
「おやおや、ようやく反応アリデスネェ?」
パチンと指を鳴らすとビットらは光る羽虫のように辺りを巡り、村全体に網を張るように散開していく。
まるで蟻のように地を這い、空を舞い、どこかへ向かって誘われるように動きを変えながら飛んでいき……数機のビットがある地点で神隠しにあったかのように消えた。
「ここが入り口デスカネェ? まぁ、入れば分かりマスネー」
目を凝らせば確かに微かな違和感があり、眼の前にある空間が緩んでいるかのような感覚も覚える。
真綾は見えない空気の膜を破るように、県境線をピョンと跳んで越境するような仕草で異界へと滑り込んだ。
──ぐにゃり。
景色が歪み、村が傾き、空が揺れ、耳鳴りが走る。
真綾が立っていた場所は確かに地面だったはずなのに突然沈み込むような浮遊感に襲われ、村の音が一瞬だけ『水中』のように濁る。
重力の軸が微かに狂うような違和感の中、ぶわりと風が吹き抜けた
「……あン?」
微妙な違和感に気づいて視線を落とせば、そこにあったはずのバニースーツが影も形もなくなっている。
代わりに彼女が身に纏っていたのは……真っ白なワンピース水着。
それも胸元に大胆な鍵穴状の開口部が開いているキーホールと呼ばれる水着であり、そこから雪のような白くも柔らかい膨らみの谷間が覗いている。
「バニースーツから水着に変わっても、大した変化じゃねぇデスネェ……」
元々水着同然の姿であったので特にコレと言った感想もなく、拍子抜けしたと言えばそうなってしまう。
だがそんな期待ハズレも、すぐ隣でぬちゃりと言う水音が聞こえれば別だ。
気づけばこちら側の村から何かが這い出してきており、それは水着姿の者たち。
首が折れ曲がった者、腕が無い者、顔が笑ったまま裂けた者が……どこか時代遅れで異様に古臭い水着ばかり。
それでもどれもこれも虚ろな瞳で、真綾を『歓迎』しているようでもある。
「うっわ、めっちゃ笑ってるデスヨ!? ハッピービーチリゾートかよォ!」
常人なら凍りつく光景なのだろうが、真綾は待ってましたと言わんばかり狂ったように笑い出す。
「オッケーオッケー! 真綾ちゃん、今からお前らの夏を! メチャクチャにしに来たデース!!」
バッと腕を広げて空に指を差せば、この水着結界内に侵入して消えたマルチプルビットらが彼女の頭上で弾けるように光を撒き散らしながら旋回する。
それでも水着姿の『何か』たちは笑っていた。
「なに笑ってんデスカァ!? 真綾ちゃんの水着姿、サービスシーンだと思った? バーカ! このあと良い子には見せられねぇ地獄だヨォ!!」
瓦礫の隙間からさらに別の何からが現れるが、こちらは黒いタール状であって立ち上がるようにヒトガタになっていく。
果たしてコレらはかつての住民の成れ果てか、それとも足を踏み込んでこちらの住民となった迷い人の成れ果てか。
依然として正体を掴めないが、真綾は関係なく叫んだ。
「怖がらせたいならもっと頑張るデスヨォ!? 真綾ちゃん、恐怖とか刺激的なモノには慣れてるんデスヨ!! ──なんたって、自分が一番怖いから!!」
空気が震え、村が脈動する中でも関わらず、真綾は高らかに笑う。
結界そのものが真綾の狂気に飲まれかけつつあり、真っ白な水着の少女が狂気を振り撒きながら、恐怖の村を蹂躙していくかのように……。
「さーて、海開きデスヨ……水着邪神さん! 真綾ちゃんの夏、開☆幕デス!!」
孤島となった廃村に、灼熱の太陽よりも眩しく暑苦しい『狂笑』が響き渡った。
「……ここが『水着村』、だっけ」
額の汗を拭いながら、千葉・陽姫(『旋風』の復讐者《アベンジャー》・h00444)は立ち止まり、顔をしかめた。
今居る場所の標高は高い。
なのに空気は重く淀み、蒸し焼きにされるような暑さが肌に纏わりつく。
廃村を覆い尽くすように鬱蒼とした草木が陽の熱を閉じ込めて、逃げ場のないサウナの中を歩いているようだった。
「そりゃ夏は多少は慣れてるよ? 学生スポーツは、夏こそ盛んだし。でも、ここまで暑いと流石にキツいよ……」
喉の奥に溜まる熱気を舌で払いながら、息を吐く。
木陰に入っても風がない。
蝉すら鳴かず、むしろこの異様な静けさが肌の内側をひやりとさせる。
その横でミユファレナ・ロッシュアルム(ロッシュアルムの赤晶姫・h00346)が首にかけた小型扇風機を緩やかに回し、陽姫にも涼のお裾分けで時折風を向ける。
「この村には……物珍しさと物悲しさの両方を感じますね。人の手が離れてなお残る空気に、どこか『願い』のようなものが漂っている気がしますと言いますか……」
陽姫はその言葉に何とはなしに頷いた。
「そう、だね。誰もいないのに、見られてるような……妙な感じ、するし」
村は荒れていたが、よく見ると意外と整っている。
倒れた瓦や柱が端に寄せられ、歩きにくいはずの獣道も一部は踏み固められていた。
かつての住民が定期的にこの村に戻って維持していると言えばそれまでだが、侵食する緑の繁茂っぷりからしてその気配は感じられないのが不気味さを掻き立てる。
「……けど、さすがにこれは、ちょっと」
陽姫は再び顔をしかめた。
服の内側が汗で張り付き、風のない熱気が彼女の耐性の限界を試してくる。
「超常現象の耐性っていうのは私にはよくわかんないし、適度に休憩を挟んでいかないと……正直、頭がのぼせそう」
「私は……カミガリの協力員ですから、こうした気配には慣れています。でもこの村の空気は、いつもと少し違う気がします」
ふと、風が吹いた気がした。
視線を移せば、鬱蒼とした木々の先にぽっかりと穴が空いたような空間がある。
そこだけが妙に涼しげに見えた。
「……ねぇ、あそこ。なんか……風、通ってない?」
二人は自然と足を向ける。
じっとりとした空気にあてられた身体が無意識に涼を求め、吸い寄せられるように。
──そこにあったのは、小さな苔むした祠だった。
瓦屋根は朽ち落ち、柱にはびっしりと緑の苔と赤い藻が絡まっている。
それでも風化しかけた木札にかろうじて読み取れる文字があった。
「『水乃守』……これって水神の祠?」
陽姫が眉をひそめる。
この場所は標高が高く、川も山肌から流れる沢程度しかない。
となれば、ここで湧き水でも湧いているのだろうか。
「まだ奥の水盤……澄んでいます。まるで鏡のようですね」
ミユファレナがしゃがみ込んで水面を覗き込む。
その動作には一切の警戒がなく、まるでそこに敵意がないと感じているように。
「涼をとる概念が、衣装を水着に変える……それが本当なら、もしかすると元は『善意の術式』だったのかもしれません」
「……善意、ね。勝手に服変えるのが?」
陽姫は小さく鼻を鳴らしつつも、わずかに息を整える。
それでも確かにここだけは他より涼しかった。
ほんの少し涼しさを感じた気がして、陽姫もその背中を見守った──その時。
──ぴちょん。
水音でも風でもない。
音もなく死角から感じるのは……『視線』。
陽姫ははっとして、顔を横に滑らせた。
視界の端……祠の裏手に濡れた裸足の足跡が何時の間にか点々とある。
石畳の上にぽたぽたと水が滴ったような痕が奥へ続いていて、まだ乾いていない。
「……ミユファレナさん。これ、絶対変なのが始まる知らせだよ。肝試しって言っても限度ってあるから、一旦村から出て仕切り直そう」
「ふふ。まさか陽姫さんから一時撤退の提案が出るとは。でも……はい。私も正直、ここにはもう居たくありませんので」
「て言うかもう、ずっと誰かに背中を見られてる感じするんだよね。ぞわぞわする……。あと、念のために言っとくけど……水着になるなんて、ありえないからね? どんなに良いデザインでも、勝手に脱がされて着させられるだなんて」
「ふふふ……仮に言葉にできないデザインの水着姿になったりしたら、私でも恥ずかしいかもしれませんね? では、走って逃げましょう」
冗談めかした会話の裏で、ふたりの心にはひとつの共通した思いが芽生えていた。
涼しさが『妙に心地よかった』という、不可解な感覚。
それが術式の一環であったのだろうか。
元来た道を引き返そうと祠の空間から出ようと駆け出したその瞬間、ちゃぽんと祠の奥の水面が僅かに揺られながら風が吹き抜けた。
ぐにゃり。
空間がよじれるような違和感の後、風は止んだ。
ふたりの意識が強烈な目眩で視界が歪み切った頃には草葉のざわめきも消え、祠の水面も静けさを取り戻していた。
「……っ、なっ……なに、これ……え……っ!?
一瞬消えた意識が戻った陽姫の声が裏返るのも無理はない。
違和感に気づいて視線を落とせば、そこにあったのは自分が選んだ覚えのない……否、選ぶはずもない姿。
肩と鎖骨、さらには側面の肋骨に至るまで必要以上に肌を剥き出しているオフショルダー型のトップスビキニはまだ良いとして、それ以上に目を疑ったのはまるで紐のように極細のストリングが腰骨に引っかかっているだけたGストリング型ボトムビキニ。
ほとんど紐だけで繋がれたいれば布の面積などほぼ皆無であり、前側すら心許ないというのに後ろに至っては鍛え上げられて引き締まったヒップがまるごと露出という惨状だ
「なっ、なっ……なにこれ!? これ水着っていうか、ほぼ下着じゃない……!? 犯罪だってば、これ! どこ見てデザインしたの!? っていうか何勝手に脱がせて着せてんのよ!!」
どれだけ鍛えて引き締まった身体と精神であろうと、羞恥の感情は消えない。
特に陽姫のような育ちの良いお嬢様が集う女子学校育ちの上にストイックな性格にとって、破廉恥極まりない露出過多な格好は最大級の屈辱だった。
「いくら暑くても、こんなの涼しいどころか誰だって冷や汗が出るって……っ! 犯罪だってば、これ! 誰がデザインしたの!? っていうか、何勝手に脱がせて着せてんのよ!!」
顔を真っ赤にして慌てふためきながら、陽姫は思わずしゃがみ込んでしまう。
必死に前も後ろも手で隠そうとしているのであるが、紐しかないボトムは動くたびに危うくずり落ちそうで、もはや彼女にとって地獄絵図だった。
陽姫は理性と羞恥の間を必死に行き来していたが、その隣で固まっているミユファレナは顔を真っ赤にしている彼女と対象的に顔面蒼白させながら絶句している。
「……わ、私……ワタシも……っ!? これ……は……何……?」
白磁色の豊かな膨らみを支えるているのは貝殻型のブラトップ。
現代社会系√では奇抜な水着であるが、剣と魔法とラーメンの異世界ファンタジーな√ドラゴンファンタジーにおいて一般的な部類の水着である。
そこはまだ良いとして、問題は陽姫同様にボトム側にあり……こちらはタンガ型、所謂Tバック水着に入るものだ。
まるで海辺の神話から抜け出してきたかのようなデザイン……といえば聞こえは良いだろうば、こちらの問題もそのサイズである。
ボトムを形成するのは布ではなく小さな子安貝をビーズ状に繋いだ『だけ』のもので、必然的に隠される下腹部と臀部を覆う面積はタンガ並に少ない。
動けば子安貝の凸凹した感触が否応なく感じられ、おまけにトップスもほとんど飾りに近い2枚の小さな貝殻によって前と後ろ共々ギリギリ覆っているだけ。
しかも貝殻の形状的に深くもぴったりフィットしてしまっているせいで、かえって露出が強調されていた。
まさしく、あぶない水着と言っても差し支えないセクハラ装備以外の何物でもない。
「な、な、な、なぜお尻の布が無いんです……!? えっ、コレって……どこをどう見ても、ただの貝殻二枚水着じゃありませんかっ!!」
銀髪を揺らして白い羽根の翼で必死に隠そうとするが、当然ながら何処かを隠せば何処かが露わとなってしまうので完全に隠れきれていない。
腰のライン、脚線美、そして剥き出しの背面……それらすべてが、恥ずかしいほどに外気に晒されている。
腰をくねらせて隠そうとする姿は、かえってあられもない艶めきを帯びてしまう始末であった。
「こ、こんな……世の中には、言葉にできない水着もあるとは言いましたけど……これは……これは想定外ですっ! 陽姫さん、見ないでください……お願いですからっ!」
「見てないよっ!? 見せてるのそっちでしょっ! 善意の術式とか言ってたけど……どこの誰の善意よ……コレ……ッ!!」
羞恥に満ちた悲痛な叫びが山に木霊するが、返ってくるのは波音のような気配だけ。
どこか遠くで波音がして、潮騒のような、しかしどこか歪んだ耳の奥で反響するような音に誘われるように、村のあちこちの陰から水着姿の『ヒトの形』をしたモノたちが姿を現し始める。
どれもにやにや、にたにたと笑っているが、笑顔には人間らしい感情が欠けていた。
「こ、この格好で戦うの!? やだやだやだやだやだ!! パンチとかキックしたら絶対全部見えるやつじゃん!! 足上げらんないんだけど!?」
「わ、私も……! 重心がずれるたびに貝殻の位置が……ひゃっ!? ズレたズレるズレてるっ!?」
今この時ふたりに必要なのは、理性でも狂気に抗う正常心でもない。
いかなる羞恥にも屈しない──鋼の心だった。
標高の高い山中にぽっかりと空いた空白地帯。
時代の流れに取り残され、何時からか地図からも消されたその廃村にルナ・ルーナ・オルフェア・ノクス・エル・セレナータ・ユグドラシル(|星樹《ホシトキ》の言葉紡ぐ|妖精姫《ハイエルフ》・h02999)は足を踏み入れた。
「……やっと着いた。けど……うわ……なに、この空気……」
空気が重い。いや、暑さだけではない。
つばの広いウィザードハットを指で押さえながら、ルナは辺りを見回す。
濃密な湿気が肌を包み、尖った耳を澄ませば遠くで蝉が鳴いている……はずが、ここでは何も聞こえない。
音が死んでいる。
風も止まっている。
それでいて……なぜか背筋が汗ばむほどじっとりと熱い。
「やだな、なんか……涼しいどころか生温いって感じだよ」
ルナは村の外縁をゆっくりと歩き出し、木々の隙間から覗く朽ちた廃墟にはびっしりと苔が張り付き、表札は割れて名を喪っていた。
まるで『ここが何処か』を思い出させまいとしているかのようでもある。
「うぐっ……今思えばなんだか怪しげな依頼に巻き込まれてしまったけど……だ、大丈夫。ボクは日ごろの行いは悪くないからね。ヒドイ水着になんか、ならない、はずだよ……!」
まるで自分を安心させるように、思わず独り言が口から出てしまう。
本来なら、今日は行きつけの書店で開催されている『涼感ホラーまつり』の漫画フェアを目当てに仕入れに出る予定だった。
けれど、たまたま√能力者の集まりを見かけたが最後、「漫画で読んだみたいなホラー実地体験できるかも!?」という気の迷いで同行を決めてしまった。
今思えば軽率だったと、ルナは自省する。
「ボクも古代語の解釈間違える時もあるけど、こういう選択ミスの方が致命的かもしれなかったなぁ……。まぁ、ボクだって冒険者の端くれだし、ちょっとやそっとで驚いてられないよね!」
自らを鼓舞するように呟きながらルナは朽ちた家屋の軒先を覗き込む。
開け放たれたままの障子はすっかりとカビで黒ずみ、床板は腐って何かの重みでも乗れば抜けそうだった。
それでも奥に残されたちゃぶ台や茶器の断片は、つい最近まで『生活』があったかのような錯覚を与える。
「……でも、なんだろう……この違和感」
ルナの目にふと止まったのは、足元に転がっていた日焼け止めクリームのボトル。
別の廃屋の庭先には無造作に脱がれたままのビーチサンダルがあり、別の廃屋の奥の土間にはパラソルの骨組みらしきものまで転がっていた。
道にはまるで来訪者を誘うよう濡れたままの足跡のような泥染みが点在し、それを追えばぽつんと転んだビニールの浮き輪もある始末だ。
「……なるほど。本来ここにないはずの物がここにある、か」
ルナはしゃがみ込み、浮き輪に指先をかける。
陽射しと湿度が強すぎるせいか、浮き輪のビニールはべったりと貼り付くような熱を帯びており、それが妙な現実味を帯びている。
「この村の住人がこういうのを使っていたとは考えにくいよね。そもそも……海なんてないし、湖なんてものもない」
そう、ここは標高の高い山の中。
湿度は高いが水辺の気配など感じられず、潮の香りもしない。
なのに、水辺で着るはずの水着や道具が次々と見つかっている。
……いや、それだけではない。
(なーんかボクが入ってきた時から、妙に浮いている感じがしていたんだよね……)
視界の端、鬱蒼とした森の隙間から入り込む陽光が、まるで波打つ水面の反射のように揺らいで見えている。
(……これは、光じゃない。空間の歪み……かな?)
──がさり。
茂みの奥で何かが動いた物音に反応し、ルナは杖を握りながら振り返る。
獣の類であれば自身の魔力を発して戻って来る感知波で感じ取れるはずだったが、まるでそこには何も居なかったように反応はない。
「今の……気のせい、だったかな」
しかし、気のせいだと断じるにはあまりにも空気が濃すぎる。
それに揺れるような影を一瞬だが見た気がする。
それは少女のような、少年のような、小さな影。
肌は日焼けしたように褐色で、服は……いや、水着か。
くすんだ色でどこかレトロで、顔は見覚えがある気がして……。
「……そうだ。アレはボクの姿だ」
これは記憶や思い込みによる幻影ではないと、古代語魔術師としての直感が告げている。
不可解な現象の数々は結界の兆しであろう。
つまり、既に自分は何者かの領域に片足を踏み入れている……!
(精神結界防壁、起動……! ボクの魔力なら、簡易結界くらいは──)
思考を集中させようとしたその時、風が吹いた。
ありえない。
この村に入って以来、空気はずっと淀んでいたはず。
それなのに、今……首筋をひゅうっと抜けるような風が汗ばむ背中を撫であげ、髪を揺らし、ローブの裾をくすぐった。
──ぐにゃり。
空間が歪む中、精神結界防壁が効いているのがルナの意識は途切れなかった。
いや、簡易結界を中途半端に展開していたせいで感覚だけは残っていると言えばいいだろうか。
ばさりとルナの身を包んでいたローブがまるで誰かに引き剥がされたように翻り、空を舞っていく。
意識がそれに向かう中、彼女の足元にナニかが絡みつくような違和感を覚える。
視線を落とすと、自分の物とは違う『影』からにゅるりと黒い触手状の物体が這い上がって来ているではないか。
「な、なにこれ……いやっ、待って……っ!」」
ChatGPT:
続きの描写を以下にご用意しました。
触手による衣服の侵食と、水着への変化──そして怪異の正体が明らかになる流れです。
「な、なにこれ……いやっ、待って……っ!」
悲鳴混じりに身を捩るルナの身体を、にゅるにゅると這いまわる『ソレ』は、まるで生きているかのように布地を侵食して残った衣服を作り替えていく。
肩から滑り落ちた下着の布地が触手の滑りに合わせて一気に染まり、白い光沢を帯びた柔らかな質感に変質していく。
ぬめつく感触が胸元を包み込むように布が引き締まる感覚へと変わり、腰回りにはまるでスカートのようにふりふりとしたフリルが浮き上がる。
そうして、レースの縁取りとリボンの飾りが次々と形作られ……。
「ちょ、ちょっと!? これって完全に魔法少女系の……っ、なんでっ……!?」
ようやく身体の動きが自由になって完成したのは、どこか年代を感じさせるようなデザインのワンピース水着。
背中は完全に覆われたIバックスタイルで過度な露出こそないが……何故かその意匠は妙に凝っていて、漫画で読んだ『変身ヒロイン』的な既視感が拭えない。
所謂白スクを元にした淡い桜色のフリル、胸元には可愛らしい飾りめいたリボンもあしられており、実用的な水着と言うよりはキャラ物グッズの児童向け水着であろう。
「た、確かに……ヒドイ水着じゃないけど……!! 方向性が違うってばっ!!」
顔を真っ赤にしながらルナは身を縮こませるように叫ぶ中、空気がまた一段と冷たくなったかと思えば、カランとどこかで何かが落ちる音がする。
振り返った先にいたはずの、あの『笑っていた誰か』はもういない。
代わりにあるのは、地面を這うように蠢く水のように濡れた無数の『影』。
ぬめりを帯びた身体はうすく青白く光を反射し、その姿はまるで……。
「……魚……?」
最初は一匹だった。
ぬるりと地面を這って進む、どこか金魚めいた丸い目と、ゆらゆらとした尾。
だが、続いて次々と廃屋の陰や土間の奥から這い出てくる。
それらは一匹ずつ姿を変えながら、重なり合い、連なり──まるで群れを成すように、村の中心部へ向かって集まっていく。
──ひゅるっ。
その中の一匹がルナのほうを振り向くように泳いだ。
いや、泳いだと言うよりも空気の中を漂ったか。
足元から背後を撫でるように通り過ぎ、ルナの髪の先端が僅かに濡れたように揺れる。
「やっぱり、これ……ただの怪異じゃない……インビジブルだ……!」
今やそれらは完全に『人の形』をとっていたものから崩れ落ち、人間の皮を剥ぎ捨てたかのように歪みきった夏の記憶である水着という概念に取り憑き、誰かを巻き込み、そして再構成する。
(つまり──あの姿は、ボク自身だったかもしれないもの……)
思考を巡らせる一方で、身体は既に魔力を練り始めていた。
精神抵抗を強めて干渉を跳ね除け、脳裏で再構成される魔術式をルナは展開する。
「もう、しつこいんだから……! 言っとくけどボク、こう見えても本職は古代語魔術師だからねっ!」
帽子のつばを直し、ルナは一歩踏み出す。
魔法少女風の水着が肌にぴたりと密着し、妙に戦う覚悟を強制してくる。
「この水着結界、絶対に壊してやる……! そして、元の服に戻ってやるんだからっ!
ルナの怒りと羞恥、そして√能力者としての矜持が魔力となって煌めきを放つ。
群れを成す怪異たちの中央で、空間がふわりと波打った……。
第2章 集団戦 『暴走インビジブルの群れ』

ここは異界、水着結界の内部。
興味本位で水着村に迷い込んだ者たちが迷い込む先。
山奥の村に居たはずなのにどこからともなく吹き抜ける心地よい風には潮の匂いが感じられ、高台から見渡せば村は鉛色の海に囲まれた絶海の孤島と化していた。
元来た道を戻ろうとしても現実に帰ることは叶わず、何らかの偶然でしか帰還が叶わぬ異次元の孤島と言えよう。
現実の水着村と同じ廃屋が点在しており、この水着結界に住む住民は水着姿をしているが……彼らはけたけた、にたにたと結界に迷い込んできた者らを笑いながら出迎え、形が崩れると『魚』の群れとなって水ではなく空気を泳ぎ回る。
彼らの正体は……まるで海の底のような重苦しい空気と寒気を感じる空間に迷い込んだ者を喰らう存在──暴走インビジブルの群れ。
√EDENでよく見られる『忘れられた存在』であるが、彼らもこの水着結界に迷い込んだ被害者なのだろうが、水着怪異の影響を受けてかその存在は明らかに変質していた。
──ひゅるり。
一匹が牙を向くと水着姿となった√能力者の肌を掠め、また別の一匹が次々と襲いかかってくる。さながら空腹に耐えかねたピラニアらが、不運にも水の中に落ちた獲物に襲いかかるようでもあったが、水着という概念に取り憑き、誰かを巻き込み、そして再構成するように。
そうして水着結界に迷い込んだ哀れな被害者、もしくは興味本位で迷い込んだ者らを水着結界の中へと誘って餌食としてきたのだろう。
つまり、今まで見た姿はこの暴走したインビジブルに貪られた者らの在りし日の姿。
水着結界では『誰もが水着姿』である、という共通項がある。
それはこの異界において、存在を保つための唯一の『資格』。
やがて薄れて消えていくインビジブルも、水着結界の内部で存在するためには水着姿となり得なければならないのだろう。
ともなれば、仕方ないとも言えようが……邪悪なインビジブルへと変質している今、彼らはこの水着結界内の何処かに居るであろう『|水着怪異《簒奪者》』に協力する存在へと成り、現に迷い込んで失踪した者はどれだけ居ることか。
だが、水着怪異の気配はまだ何処にもない。
この水着結界を作り出している水着怪異を討ち果たせねばならない以上、まずは降りかかる火の粉を払わねばならないだろう。
一匹、また一匹と襲いかかる暴走インビジブルの群れを打ち払い、薄ら笑いを浮かべるこの世界そのものから水着怪異を引きずり上げるのだ。
景色が変わり、空気も変わった。
暗く鉛色の染まった空の下、空気が波のようにうねっている。
まるで見えない海流が陸地すらを呑み込もうとしているかのような重さの中、怪奇現象に見舞われて視界ジャックされたレギオンとの回線もようやく正常となる。
それが意味するのは、明確な世界の転換。
気づけば周囲は、鉛色の海に囲まれた絶海の廃村へと変貌していた。
「んー。まぁまぁの水着ですね。激しく動いてもこぼれ落ちそうに無いのがGoodですが……陸の孤島から海の孤島になってしまいました。そう言う事もありますよね」
曇天で肌寒くて海の色は鈍いのでバカンスには向きそうにありませんね、とぼそっと漏らせば、今まで自分の姿を象っていたヒトガタが崩れていく。
それらはさながら、空を泳ぐピラニアの群れ。
インビジブルらが水着怪異に侵されて暴走した末路であった。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
数々の不可解な視覚ノイズ、視界の乱れ、ノイズ音声――それらはすべてインビジブルたちが引き起こしていたものであったと分かれば、鴇羽にも冷静さが戻る。
しかしながら、着ていた|戦闘服《スライドスーツ》は今の自身は水着結界の影響下に置かれている身であるからか、スポーツブラ状のスイムブラとボーイレッグに変化したままだ。
機能も装甲も剥ぎ取られたインナーに近い露出であっても、この姿こそが異界における存在証明の手形として機能しているのであればそれで良い。
水着の違和感にはもう慣れた。慣れなければ、この異界では生きていけない。
そして、目玉状のドローン……レギオンたちが再浮上する。
「ここは水着村で一番見晴らしが良い場所ですが、障害物が朽ちた社だけでは心もとないですね。アウターコート、展開──」
鴇羽が手にしていたアタッシュケースは、一見すると無骨なマグネシウム合金製の旧時代さを感じさせる無骨で頑丈な外殻であった。
だが、見た目とは裏腹に中には√ウォーゾーンならではの最先端の機構が詰め込まれており、固定ロックを外してスイッチを押せばケースが自動で四方に割れていく。
──バシュッ! ガシャッ、ガンッ、ガチャン!
中から押し出されるのは、軽量さと強度を両立している折り畳まれた特殊金属板の束。
展開動作が始まると各板面はスライドと回転を繰り返し流ら形状を変えていき、構造材は即座に繋ぎ目を継ぎ合いながら地形に合わせて微調整しながら安定化されていく。
まるで3Dプリンターが一瞬で壁を印刷したかのようであるが、十分発達した科学は魔法と見分けがつかないとはよく言ったものだ。
そうして展開、完成したのは、腰高の遮蔽物程度だが現状では鴇羽自身が身を隠すには最上の|遮蔽板《コンパートメント》。
だが、アタッシュケースひとつではそれだけが限界であった。
空を泳ぐ暴走したインビジブルの群れが集合させて顔を描き出し、笑い声をあげたような音をあげながら一斉に襲い来る。
──ギュオォォォ……ッ!
第一陣であるインビジブルの群れが目の前で爆ぜ、鴇羽の視界を奪うかのように赤い霧で一面を染める。
これは『ポリューションレッド』と呼ばれる彼らの√能力であり、精神に直接食い込むような鼻を突く異臭は疑心暗鬼を生み出す瘴気そのもの。
「……そういうのは、もっと若い子にして頂きたいですね」
鴇羽の脳裏にかつて指揮した部隊の記憶がよぎるが、彼女の思考は濁らない。
数々の死線を潜り抜けてきた精神は容易には揺るぐはずもなく、戦場の狂気と比べれば怪異が齎す狂気など生易しいにもほどがある。
「レギオン、ターゲット補足。反撃開始──」
視界は赤く染めあげられ、第二陣はどこから襲ってくるかは視えない。
疑心暗鬼を生み出す瘴気は精神の奥底から過去の記憶や不安を引きずり出し、味方の背にすら疑いの刃を向けさせる。
この結界に取り込まれた者たちが次第に正気を失って発狂していったのも、全てはこの『ポリューションレッド』の仕業だったのだろう。
だが──、
「──感覚リンク完了。周囲索敵を開始……目標捕捉、各機ミサイル攻撃開始!」
現実と水着結界に繋がる空間の狭間では異常をきたしていた各レギオンは、今は正常に機能している。
これも今水着を着せられて環境に適応しているからかは定かではないが、√能力『|通常兵装チーム「A」《レギオンスウォーム》』を展開。
赤き瘴気の煙幕の中で蠢くインビジブルの群れを超感覚センサーがロックし、上空旋回中の『レギオン1』からミサイルが発射。
空中を裂いて疾走した飛翔体がインビジブルの群れを感知して起爆されれば、爆炎に巻かれながら歪んだ『ヒトの形』がぐにゃりと溶けていく。
間を置かずに『レギオン2』と『レギオン3』もレギオンミサイルを発射し、空中に幾何学模様な軌跡を描きながらインビジブルを追尾。
続けて爆ぜる爆煙でポリューションレッドを散らし、代わりに周囲を戦場の臭いへと置き換えていく。
しかし、群れは減らない。
空気から染み出るかのように個体が湧き続け、彼らは鴇羽を目指して遡上してくる。
「無限湧きですか……まぁ、ありがちな展開です。こうなれば……私ごと灼きますか」
鴇羽はそう呟き、先程の爆撃で生じた窪みに身を滑らせる。
同時にアウターコートは彼女の動きに合わせて再び形状を変化させ、覆い屋根状となって即席バンカーの役目を果たす防護壁を形成。
片目を閉じるとレギオン1の視界が脳内に表示され、鳥瞰視界の下で自分の周囲にターゲットサインが刻まれ、各レギオンも目標が同期されていく。
「……各機、迎撃継続。絨毯爆撃、開始!」
再びミサイルの雨が降り注ぎ、爆撃によって小高い丘全体が大きく振動する。
送られる映像で見えるのは、立ち昇る爆煙と飛び散る破片。
拡大されて映し出されるインビジブルの群れは姿を変えながら爆炎に呑まれ、悲痛な呻きを叫びながら灼熱の爆風に溶け落ちていく。
まだキィンと耳鳴りが残る中、レギオンたちの爆撃がぴたりと止まり、センサーにも新たな反応がない。
視界が再び上空からの俯瞰映像に切り替わり、鴇羽の脳内を焼き付けるように映し出されたのは……黒く焦げた丘。
崩れかけていた鳥居も祠も姿はなく、鬱蒼と茂っていた草木も熱で炭化している。
水着結界内で鏡写しとなっていた廃村の一角は一片の記憶も留めておらず、辺り一面が焦土と化していた。
あの異常な笑顔が崩れた瞬間、空気が一変した。
水着姿のまま嘲笑っていたモノたちが形を溶かし始め、黒いタール状となった皮膚がずるりと滑り落ち、骨が溶け、輪郭を失った身体がばしゃりと砕けるように崩壊し、地面に溜まった黒い水たまりが弾けるようにして現れたのは魚の群れ。
それらは地を這い空へ浮き、暴走インビジブルの群れと化して襲いかかってきた。
「おっとぉ……コレ、普通のインビジブルより|性質《タチ》悪いデスネ?」
ひゅるりと、鋭い風のような唸りとなったインビジブルの一体が真綾の肩を掠める。
その動きはまるで空腹に飢えたピラニア、あるいは水着姿の存在を水着結界内で存続し続けれる『資格』として取り込み、再構成しようとする飢えた亡者。
白い髪が風に舞いながら赤い瞳が戦慄の中で狂気を孕んだ笑顔で愉悦に震え、胸元のキーホールから雪肌の谷間を覗かせるワンピース水着の真綾が口角を吊り上げながら嗤い返す。
「あとは簒奪者を見つけ出して叩くだけデスガ、暴走したインビジブルの群れがうっぜぇデスネェ。さっさと一網打尽にしてやるデスヨ!」
真綾は両手を広げると、虚空に浮かぶ無数のマルチプルビットらがを一斉に制御信号が送られ、全砲門が開口して咆哮する。
「インビジブルはインビジブルらしく、大人しく漂ってろデース! |驟雨の輝蛇《スコールブライトバイパー》!!」」
次の瞬間、夜空にも似た暗さが広がる村の上空から光の雨が降り注いだ。
それはレーザー砲台による掃射で、まるで嵐の如き勢いで振り撒かれる熱線が空間ごとインビジブルが引き裂かれ、焼かれ、消され、叫び、崩壊していく。
だが……、
――ボムッ!
インビジブルの一体が砕けるようにして霧散した地点に赤黒い膨らみが生じたかと思うと、それが突如破裂した。
「これは……ポリューションレッド?」
重たいどす黒い煙が爆ぜ、周囲に赤い霧状の靄が広がる。
それは精神に触れる汚染。疑心、狂気、偽り、そして真実を暴く罠。
赤く染まる風が真綾の肌を撫でるが……、
「ヒャハハハッ! 狂わせたいならもっとがんばれデスヨォ!? 真綾ちゃん、そもそも正気じゃねぇデスから!!」
狂気には狂気で抗うとばかりに、真綾はそれを振り払うべくフォトンシザーズを展開。
光子の鎌が空を裂き、紅く染まる空気をも断つと、作戦変更とばかりに暴走したインビジブルの群れが再び重なり合い、ヒトガタの水着姿となる。
その笑みはどこか哀しみを湛えており、相手の戦意を削ぐ啜り泣きまで聞こえてくる。
「ハッ、同情誘うつもりデスカ? 無駄無駄無駄ァ! 纏めて焼き払って、水着結界内を地獄のリゾートにしてやるデース!」
初弾を撃ったことにより次弾をチャージしていたマルチプルビットが円を描くように再展開され、照準を再び合わせて第二射を照射。
再び周囲は白光で塗り潰され、水着結界内の空は一時的にだが青色を取り戻したかに見えたが……その光は希望でも救いなどではない。
寧ろ、異界を焼却して焼き尽くす破壊を齎す光の雨。
無数の暴走インビジブルの群れが断末魔をあげ、裂かれ、灼かれ、失われていく。
だがインビジブルの一部はなおも溶けるように形を変えながら、水着村を取り囲む鉛色の海へと逃げるように飛び込んでいった。
「……なァるほど。逃げるってコトは、そこに『親玉』が居るってコトデスネェ?」
狂気を孕んだ笑みを浮かべる真綾は赤い舌で舌なめずりをしながら、焼け焦げた地面を踏みしめて前進し始める。
「さぁ、次は……水着怪異、簒奪者デスカ?」
水音のような耳にこびりつく不快な笑い声の残響は焦げた空気によって静かに沈黙し、再び聞こえてくるのは潮風に乗った波音のみ。
この水着結界にはまだ『主』が居る。
水着を着せ、存在を塗り替え、そして忘れさせようとする水着怪異が。
だがらこそ、真綾はビーチを目指して真っ直ぐ進む。
恐怖を蹴散らす狂気のバニーガール――いや、『水着兎』が忌まわしきこの結界の支配者へと牙を剥こうとしていた。
じめじめとしていて陰気臭い廃墟特有の臭いが、砂の匂いに混じる磯の香へと変わる。
さっきまで山奥の廃村だった場所が、気づけば海に囲まれた孤島のように様変わりしていた。
──いや、変わったのではなく、最初からそうだったのかもしれない。
だが、この水着姿だけは現実に違和感として残っている。
「……無事に『水着結界』には入れたみてぇだな」
何時の間にか履かされたサンダルの足音が乾いた音を立てさせ、セイルは海の匂いと血のような不穏さを孕んだ空間を見回しながら小さく嘆息する。
「しっかしよ……水着怪異を倒してここから出た時、ちゃんと服戻んのか? 無難なサーフパンツだからって、このまま山を下るのは色々とキツいぜ……」
ここに自分の姿を映し出す鏡かそれに準ずるものがあれば、きっとセイリュウは呆れ顔となりながらも頷きながら何かしら言ってくれただろう。
きっと、『水着結界の話があるってことは、ここから脱出できた人が少なからず居るってこと……なんだよね? 水着姿のまま保護されたって話は無いようだし……結界の外に出れば元の姿に戻る……と思う、たぶん』なんて言ってくれたかもしれない。
そうなれば、「でも、いきなり水着になったのにはビビったけど……これで服のことなんか気にせずおもいっきし力使えるぜ」などと自分は答えていたかもしれない。
しかし、鋭く光る赤い瞳に映るのは、まるで潮が満ちるように迫りながら笑顔のまま崩れていく異様な水着姿の群れ。
その肉体は液体のようにほどけ、無数の黒い魚影が空中を泳ぐように飛び交い始めた。 かつて『人』だったものの残滓であり、水着姿が自己を存在させる証となる異界に取り込まれインビジブルが変異して暴走した末路が虚ろな眼で牙を剥き、襲いかかる。
「とりあえず、水着怪異の前にこいつらで準備運動でもするか」
既に水着結界に足を踏み込み、ヒトガタを模していたインビジブルの群体と鉢合わせしていた時から臨戦態勢となっていのが功を奏していた。
√能力『|幻変万華《カレイドスコープ》』によって褐色の素肌を晒している上半身に黒い影が絡みつかせ、一本、二本、三本と追尾能力を持つ|攻性幻実《腕》を生やした攻撃形態として形を変え、牙を剥き、獣のように幻想が具現する。
実体化した幻想が浮遊するように軽く地を蹴り、次の瞬間には空気を切り裂く軌跡が走った。
バンッ──!
伸びた追尾腕の一肢がインビジブルを安々と粉砕した。
破裂したそれは一瞬で霧散して廃油に似た黒い残滓を残したが、それで終わらない。
『トランススイム』……暴走したインビジブルの群れによる一斉突撃。
空間を埋め尽くすインビジブルの波が、セイルへと襲いかかる。
「チッ! 一気に来たかよ!」
単体ではさほど脅威でなくとも、数に押されれば不利は免れない。
回避より機動を優先したステップで宙を舞い、左右に展開した追尾腕が絶え間なく軌道を描きながら、水中の猛魚のように飛び回る相手を纏めて叩き落としていく。
「へっ、数任せだからか柔くなってるな!」
幻想が具現した意志の衝動そのもので、赤い瞳が暴走したインビジブルを捉えれば考えるよりも疾く追尾の腕がうねるように動き、一匹、また一匹と強襲する影を薙ぎ払う。
「逃げても避けても無駄だぜ! 俺の幻想からは逃げられねえぞ!」
仕留めるのは執拗に、だが一か所に固執しない。
数を減らすにはそれが最適解だと、セイルは無意識に追尾腕が波打つように撓らせながら四方八方から迫る敵に逆襲の嵐を浴びせ続ける。
そうすること数十秒後、遠く笑う水着たちの声がピタリと止まった気がした。
『……セイル、すご……』
襲いかかってきた暴走インビジブルらを殲滅し、汗を拭い呼吸を整えているとセイリュウの声が聞こえた。
赤い瞳の視線を足元に落とすと、どうやら暴走したインビジブルの群れを倒して出来たタール溜まりに自分たちの姿が映し出されていたようだ。
「いい運動になったぜ、肩慣らしはこんなもんでいっか」
ひと息ついたセイルは追尾の腕を引き戻しながら不敵に笑い、余裕っぷりをセイリュウへ見せびらかすかのように肩を回してみせる。
『でも……まだ来る。まだ、終わってないよ?』
「ああ、分かってるさ。さっきのはあくまで前座だろ? 水着怪異はこの結界のどこかに隠れてやがる。だったら……派手に暴れて引きずり出してやらねぇとな?」
セイルは唇を吊り上げ、不敵に笑う。
水着結界を支配する簒奪者を狩る幻想はまだ終わっていない。
一陣の風が吹き抜けると、うだるような湿度と暑さが嘘のように消えた。
だが、視えない門あるいは道を抜けた先は明らかに違っていた。
空気は澄んでいるのに、空は小寒い陽気の鈍色でどこか息苦しい。
火照った肌から汗がすっと引いていくが、代わりに冷えがじわじわと滲み込んでくる。
だが、決定的に違った点がある。
着ていたはずの服がなく、代わりに着せられたのは下だけが際どい水着であった。
「ホント、何なのコレ!? 水着どころか下着、いや下着より酷いし! こんなデザイン、動けないじゃん!」
オフショルダー型のトップスビキニはネックラインを大きく開いて肩を出しているが、ふくよかな膨らみの曲線は布地で隠されているのでまだ良い。
問題はその下で、紐のように極細のストリングが腰骨に引っかかっているだけたGストリング型ボトムビキニ。
まさに紐パンとしか形容できないまでに布地は最小限で、もはや隠すという概念を失っている。
「陽姫の方はまだマシ、かと。私のはもういっそ裸体の方がマシではありませんか、この水着……!? 特に下半身の方にはもはや悪意すら感じます……!」
ミユファレナの場合は貝殻ビキニ、それも下は一枚貝で隠すものではなく小さな貝を繋ぎ合わせたタンガ型。
殻の小ささと曲線の主張が誤魔化すことさえ許してくれておらず、陽姫同様に身体の底から込み上がる羞恥の熱で小寒さを感じれないほどであった。
──ここは『水着結界』。
衣服を着ることが存在の否定とされるこの結界内において、水着姿でいることがこの空間にいられる唯一の『証』なのだ。
その証拠に水着を隠せるような布切れを見つけても、指先が触れた瞬間に霧のように溶けてしまう。
羽織ろうとするものは露となって消えてしまう。
悪戯に自己の認識に逆らえば存在そのものが排斥されてしまうかもしれない。
結界内部に足を踏み入れた来訪者には選択の余地などは存在せず、水着怪異の意思も反映されずに水着姿となる……なるのだが、時にはトンデモナイ組み合わせが生じることもあるだろう。
現に陽姫とミユファレナは彼女たちにとって不運な組み合わせを引いてしまった。
一体全体何がどうなってこうなったと聞かれば、興味本位に水着結界へ足を踏み入れた時点でそうなることが運命だったとしか言えないのが正直なところです。ハイ。
「うわーん! こんなの|読モやってた幼馴染《ひーちゃん》だって、こんなの着たこと無いよ!?」
「そして、まさか身体を隠しながら戦うという想定はありませんでした。いえ、ここに居るのは陽姫さんと私のみなのが幸いだったでしょうか。まずは自分の格好に気を取られるよりも戦いに集中すべきでだと」
頭では理解している。
しているのだが、恥ずかしい。
現にこうして移動しているだけでも、仲間の√能力者にこの姿を見られたらと思うだけでも人生が終わると言っても過言ではない恐怖が脳裏を掠める中、がさっと草むらが揺れた。
「っ! 今、何か……ミユファレナさん……これ、どう考えても来るやつだよ!」
護衛役のアルバイトを買って出た身である陽姫が前へ出る。
タンガ型の貝殻ビキニで足を踏ん張る姿は心なしか危ういミユファレナを守る形で、油断するとずり落ちてしまいそうだからと若干及び腰気味である。
視線の先、草木が不自然なまでに大きく左右へ揺れる。
まるで何かが這い出てくるような気配が近くなり、草が爆ぜた。
「きゃ!?」
びしゃっと、水飛沫が跳ねるような音とともに何かが飛び出した。
サッカー少女として鍛えられた陽姫が反射的に飛び退いたが、脚を大きく開けば開くほど余計なところが揺れてズレそうになる。
まさに身動きが制限される中であっても初撃を躱してみせたが、次から次へと草むらからは暴走したインビジブルの群れが飛び出してくる。
その一体が目の前で爆ぜると赤き汚染の煙幕、『ポリューションレッド』が広がり、陽姫の中で芽生えつつある疑心暗鬼を否応なく増幅させようとしてくる。
「い、今の一撃で……ちょ、ズレて……ッ!! わ、わっ、ちょ、今、引っかけた!?」
インビジブルの体躯がすり抜けるように通過したその一瞬、陽姫のボトムの細い紐がわずかに緩んだ……気がする。
同じく彼女の肌を掠めただけであるのだが、彼らがどうにか腰骨に引っかかってるだけの紐を狙っている気もしてならない。
反射的に両手で腰を抑え、なんとか脱げない形で側面から突っ込んできた個体に蹴りを浴びせかける。
それもただの蹴りではなく、自身の√能力『|旋風の災禍《フクシュウノサイカ》』によって不可視の炎の旋風を伴う炎の蹴りである。
ポリューションレッドの汚染ごと暴走インビジブルらも焼き払われていくが、両手が腰を抑えているためかバランスが取り辛くて何時もよりキレがないのが正直なところだ。
「ちょっと!? 紐部分を集中的に狙ってきてるよね!?」
「……いえ、これは偶発的な接触ではなく、明らかに布地を狙っています。この結界自体が水着の認識に依存していて、それを失えば……」
「私たちは……存在できなくなる!? え、待って、それって脱げたら消滅ってこと!? 冗談でしょ! ねぇ!?」
自身たちは√能力者であり、√能力者は例え死んでも消滅してもAnkerが存在している限り、気づけばそこに戻っているものである。
ミユファレナの推測通りに露出=排斥であれば、水着結界や暴走したインビジブルに取り込まれることなく現実世界に生還して『やり直し』となろう。
だが、ここで奪われた服がその際に戻って来る保証などは何処にもない。
つまり、仮にポロリしたことで水着結界内で存在できなくなり、死亡した扱いで戻った先でその姿のままだったとしたら……。
「ヤダーーーーッ!」
ポリューションレッドにより疑心暗鬼の感情がさらに膨らんだ陽姫が絶叫する。
敗北あるいは自殺した先に待ち受けるのは『社会的な死』なのだから。
「なんなの、このルール!? バカじゃないの!? インビジブルが布切れに執着って、変態にもほどがあるってばぁぁっ!!」
涙目で叫ぶ陽姫だが足は止まらない。
自らに迫る触手のような空気の揺らぎを察して跳ねるように飛び退くと、ギリギリで回避しながら不可視の炎を暴走したインビジブルに容赦なく浴びせかる。
「だからこそ、試してみる価値はあります! 我、守護者として法を保たんがため、この地に砦よ在れ──『|戦砦現界《メモリア・フォートレス』!」
陽姫同様に動きが固くなってしまわざるを得ないミユファレナが詠唱を終えると、周囲は幻の要塞が築城される。
つまり、孤島状態の廃村である水着結界内に√能力で上書きした領域を作り出し、ダメ押しと言わんばかりに幻に手を加えて庇護者の姿を上手く隠す幻影を戦場に投影した。
早い話が明らかに光源を無視して不自然に発せられる『謎の光』によって水着結界に認知されないようにされているのだが、端から見ればそれはそれでどうなのだかであるがコンプラ面においても問題ないだろう、たぶん。
「防御および外観は私の方で補助しますので、速やかな殲滅をお願いします!!」
「こ、これはこれで恥ずかしい気もするけど……さっきよりは断然にマシ!!」
見えない、感じない、恥ずかしくないの三拍子で自由になった両手でバランスを取り、陽姫はゆやく万全の戦闘態勢を整えた。
ミユファレナの『戦砦現界』による幻の要塞が彼女たちの水着姿を一時的に結界の認知から隠すことで、動きの自由度が格段に上がったのだ。
陽姫は両腕で腰を抑える必要がなくなったことで『旋風の災禍』の威力を最大限に発揮させ、不条理な辱めに対する仕返しとばかりに不可視の炎が彼女の周囲で地を這う炎の竜巻となって暴走インビジブルの群れを空間ごと呑み込んでいく。
風圧と熱の波が重なって爆ぜ、次々と見えない赤熱の奔流に呑まれて断末魔すら上げられずに消滅していった。
「ふぅ、なんとか片付いたみただけど……それにしても、本当に。こんなの考えたヤツ、気が狂ってるとしかいいようがないよ……!」
「同感です……所で。これ、服は戻ってくるのかしら? お気に入りのドレスでしたが」
戦闘が終わって高揚が落ち着けば、残るのは再び込み上がる羞恥と現実である。
「ほら、普通こういうのって終わったら元に戻るんじゃないの? 親玉の水着怪異を倒せばきっと……」
「はぁ……であれば良いんですけが」
戦闘の余波ですっかり焼き焦げた水神を祀っていた祠を振り返るが、そこには水着怪異の気配はおろか暴走したインビジブルの存在も溶けきっている。
しかし、水着といえば海である。
周囲の木々も焼き払われたことで視界が開け、道を下っていけば浜に着くだろう
「……ねぇ、歩き難くない? すっごく歩き難いんだけど……」
「ええ……歩幅がこれ以上広がったら、色々と危険ですので……」
そこに水着怪異が在ることを願い、ふたりは互いに視線を逸らしつつも歩幅が自然と小さくなって脚を閉じ気味にしながら慎重に歩くしかなく……その足取りはぎこちなかった。
ひゅるり、ひゅるり。
正体を現した暴走したインビジブルの群れがルナの尖った耳先を掠め、。冷たい風切り音が空気を裂き、肌を、そして鼓膜を鋭く撫でる。
戦闘態勢となったルナの聴覚が否応なく冴えてくる中、潮騒しか聞こえなかった水着結界の何処から微かな叫び声が聞こえた。
「あの声は……」
どれも聞き覚えのある声で、水着村に足を踏み込んだ√能力者の仲間たちだ。
だが、その叫びは悲鳴に近く……恐怖ではなく『羞恥』に濡れていた。
「……えっ、嘘……うわぁ……」
戦闘の最中であるために途切れ途切れしか聞き取れなかったが、悲鳴の断片だけでも際どいと分かれば否応なく想像が掻き立てられてしまう。
「……はわっ!?」
やれ貝殻ビキニだの、紐パン同然のボトムだの。
もし自分が彼女たちの水着姿になっていたらと想像するだけでさえ、尖った耳全体が真っ赤に染め上がってしまう。
「アレヨリハマシダアレヨリハマシダアレヨリハマシダ……」
感情が制御不能になりそうな中、呪文を唱えるように妄想を振り払う。
ちらりと見下ろした自分の水着はワンピース型。
露出は抑えめ……だが、ぺたんとした胸元にはピンクのリボン、腰元にはふりふりのフリルで飾られている明らかな幼児向けデザイン。
齢90とは言え、見た目は未だ成長途上のハイエルフだからこそ、あまりにマッチしすぎているこのデザインはむしろ罪が深い。
けれど、あんな妙ちくりんな露出狂めいた水着よりは、圧倒的、圧倒的にマシ……!
「アレヨリハマシダアレヨリハマシダアレ……うわっ!?」
その瞬間、眼前で暴走インビジブルの一匹が爆ぜた。
邪念もとい羞恥を振り払うあまりに隙が生じ、赤き汚染──『ポリューションレッド』が視界を赤く染めていく。
「けほっ、けほっ……!」
肺を満たしたそれが、じわじわと意識を蝕んでいく。
なんとか吐き出そうと杖を支えとしながら激しく咳き込むが、羞恥と混ざった得体の知れない熱が身体の芯を焼き始めてくる。
(なん、だ……この囁きは……?)
――ぶひひ……似合ってるよ、ルナたーん。
――どうして隠すぶひ? ボクちんにもっと見せてぶひ。
――でも、ルナたんはこっちの水着がもっと似合うぶひ……♪
頭の奥に直接語りかけるような、粘ついた響き。
耳元で囁く脂っこい声は、まるで褒めそやすような調子であり、逆に全身の毛が逆立つほどの悪寒を呼ぶ起こしてくる。
見えた幻影は、豚のような影、脂肪に塗れた不快な笑顔。
どこかで見たような気がするが、思い出せない。
虫酸が走るので思い出したくもない。
(そっちの……ほうが、似合う……?)
丸っこく脂っこい幻影が勧めてくるのは、ルナがいずれ自身が成長する姿であると夢見るグラマー体型エルフに相応しい水着であった。
まだ成長しきらない身体には当然合わないはずなのだが、甘い囁きは思考を溶かしながら疑念を与えてくる。
(そもそもボクみたいな女の子らしい体型じゃない子が、かわいらしい水着を着てても仕方がないよね)
意識はさらに混濁していき、ここが現実なのか水着結界なのかさえも曖昧となる。
自分の身体もどんな体型だったのか分からなくなりつつあり、様々な体形に置き換わっていく感覚がルナが今着ている水着を否定してくる。
(かわいい水着をきてごめんなさいごめんなさい……今すぐ脱ぎます)
幻影がぶひぶひと喜悦の笑い声を漏らす中、ルナは謝罪しながら水着の肩紐に指を掛けようとしたその時……不思議なことが起こった。
水着結界に没収されていなかったアミュレットが、ルナの胸元で淡く輝く光を放ったのだ!
「……っ! ちょ……なにしてたの、ボク!?」
持ち主を護るアミュレットにより霧のように脳内に広がっていた囁きを断ち切り、赤黒く染まりかけていた意識が急激に透明度を取り戻していく。
すべては暴走したインビジブルによるものだと分かれば、杖を突き立てるように掲げて空へと向ける。
僅かにルナの声が震えていたのは怒りか羞恥か。
それともその両方であろうか。
「空に満ちる星明かり、終わりなき光の雨!」
曇天の空が裂け、まだ残滓となって漂う真紅の穢れを裂くように星が降る。
「降り注ぐ刃となりて敵を貫け──|星明かりの雨《スターライト・レイン》!!」
鋭い星輝の刃が赤い霞を引き裂き、暴走インビジブルの群れへと突き刺さる。
気のせいだろうか。
幻覚で見ていた身の毛がよだつぶひぶひと嗤っていた幻影に光の雨が降り注がれ、豚のような悲鳴をあげている気がする。
しかし、それも次々と襲いかかる鋭い星輝の刃によって掻き消され……周囲は再び静寂に包まれていた。
「……はぁっ、はぁっ……」
肩で息をしながら、ルナは杖を握り締めたまま膝をつく。
周りには暴走したインビジブルの群れの気配はなく、満ちていた笑い声も消えていた。
「こんな恥ずかしいだけのところなんて……さっさと片付けて、帰るんだ! 帰ったら……新刊の漫画をアイスを食べながらたくさん読んで、こんなの忘れてやる!!」
そう自分に言い聞かせ、奮い立たせ、水着邪神と思わしき強力な気配を感じ得た砂浜に駆け下りて行くのであった。
第3章 ボス戦 『水神』

──ひゅるり、ひゅるり。
上空を飛び交っていた暴走インビジブルの群れであったが、尽く√能力者によって駆逐され、実体化された身は冷ややかな空気に溶けていく。
残った群れも形勢が不利と判断すれば、逃げるように水着結界の内部で孤島となった水着村を囲む鉛色の海へと飛び込んで行った。
……その時、海面が爆ぜ、巨体が躍り出る。
それは巨大なクジラのような怪物だった。
暴走したインビジブルらは成す術もなく大きく開かれた鯨口に海水ごと呑み込まれてしまったが、インビジブルを糧とするのであればそれは簒奪者。
そして……この水着結界に棲まう存在であれば、それは紛れもなく水着怪異において他ならない。
──水着怪異の正体は『水神』。
いや、正確には"水神を騙る"強大な怪異か。
その名の通り水を操る能力を有し、気まぐれに水害やその逆で渇水を起こしては人間たちを苦しめ、その結果発生するインビジブルを喰らう存在。
遠い遠い昔、この村は危機に瀕した。
異常な暑さが続き、川の水は枯れ、雨も絶えた。
そんな年が何年も続けば作物が実らず、村人らは飢餓に苦しんでいたそんな時…『神』が訪れた。
雲を呼び、雨を降らせる、誰もが何よりも欲していた寄り神の『水神』だった。
願いを叶えた水神が去ろうとすると、村人らは水神にとある取引を持ちかけた。
この地に留まり水の恵みを与えてくれるのであれば……生贄を捧げる、と。
それを聞いた水神は笑い、願いは聞き届けれたが……水神は生贄を得て喜んだのではない。そうせざるを得ない村人らの姿を嗤ったのだ。
こうして渇水が続けば人身御供の因習があった水着村だが、その歴史も時代の流れによる過疎によって住民が去ったことで信仰も途絶えた……はずだった。
興味本位で朽ち行く廃村を訪れる者は後を絶えず、村に足を踏み込んだ者を自らの神域に招き入れ、狂わせたインビジブルに喰らわせ、それを自らが取り込むサイクルは現在も続いている。
そして今、新たな生贄は水着結界へと迷い込んだ√能力者という訳である。
だが、その循環も今や大きく狂った。
糧となる暴走したインビジブルらは尽く駆逐され、自らの神域を荒らす者らを廃するために暗き海より海神が姿を現したのだ。
√汎神解剖機関から√EDENに移る力があるのであれば、水神を取り逃がせば他の√にある水着村へと逃げるだろう。
──そうさせない。
この悍ましき水着結界を生み出す水着怪異を、今ここで討つのだ。
鉛色の海が逆巻き、空を覆うほどの巨体がその輪郭を晒す。
暴走したインビジブルを海水ごと啜り、潮を纏い、異界の海そのものと同化したような怪異が真綾を見下ろした。
それはまさしく水神──否、正体は水神を騙る怪異。
その眼は人を信仰の対象ではなく供物としてしか見ていない。
慈しみなどはなく、そこにあるのは循環と捕食の連鎖。
神域の中に築かれたこの水着結界は、飢えた偽神の胃袋そのものであった。
「ヒャッハー! ようやく大物の出番デスネェ!」
真綾は砂浜に押し寄せる鉛色の高波を前にしながら、歓喜の高笑いを上げた。
両手で握られたフォトンシザーズの刃は真夏の太陽の様に猛烈に輝き始め、白い髪が突風のような海風で荒れ狂いながらキーモッドの水着が潮に濡れて肌にぴたりと貼りつく。
だが、そんなことなど彼女には些事であり、脚元を掬う波に膝まで呑まれようとも構わず、寧ろその不安定さを笑い飛ばしながら突き進む。
「それにしても水着の元凶が鯨とか予想外デスネェ。人型でもないのに人を水着にして何が楽しいデス? 中身は人間だったりするデスカ? まぁ、なんにしてもヤルこと変わらねぇデスネェ」
その問いに応えるかのように水神の鯨口が開くが、出たのは言葉ではなく咆哮。
自らの神域を荒らす者への神罰とも言うべき『水神ノ呪殺』により大気はおろか水着村全体が震え、周囲を満たす海水さえも敵意に染まっていく。
海面が沸騰したように泡立った次の瞬間、空間ごと抉るかのような衝撃が放たれた。
それは水を操る権能により水を媒介にして暴威を示す√能力であり、鉛色の海水で満たされた砂浜の中から何かが飛び出してくる。
「おぉーっと! ハジマッたデスネェ!」
風が逆巻き波を持ち上げながら出たのは、無数の尖った骨片。
過去の供物たちの残滓が呼び起こされ、忘れられた残骸が怨念と呪詛を纏いながら真綾の白い肌を掠めて水着の縁を少し裂くが真綾は笑う。
「ヒューッ! 水着が裂けるサービスカットの発生デスけど、残念! 殺ルならサクッと殺ラねぇとデース!」
飛び交う骨片は海神のちからによって鋭さを増していたが、真綾は華麗に身を翻しながら骨の弾幕を滑るようにすり抜ける。
砕けた破片が頬を掠めて赤い線を引くも──狂気に満ちた笑みは崩れない。
それに呼応するかのにフォトンシザーズの輝きは旭光となり、√能力『|殲滅する白光蛇の牙《エリミネートバイパーズファング》』が顕現する。
「真綾ちゃん、本気殺すデース!」
フォトンシザーズを|超過機動状態《オーバードライブモード》に変形させると、粘度が高まる鉛色の海水から飛び出すように脱出する。
視線の先にあるのは、水神の鯨腹。
空中に展開していたビットを足場とすることで真綾の身体は踊るように宙を舞い、弾丸のように跳ね上がって高度を上げていく。
「サァサァ、解体ショーの始まりデース!」
叩き込まれるは、分厚いの皮膚をも容易く切り裂く一撃。
鯨腹に空いた傷口からは鉛色の海水とは別の異質な黒い液体が溢れ出すが、果たしてそれは喰らった魂たちの残滓か、水神の呪詛か、それともまだ捕食途中の何かなのか。
確かなのは致命には遠いものの、その巨躯に確実な傷を刻んだことを示す苦痛に満ちた咆哮が上げられたことだ。
「ヒャッヒャッヒャー! 3枚におろしてお刺身にしてやるデース! それともベーコンの方が良いデスカネェ?」
返り血のように黒い体液に塗れた水着を纏った白兎は狂気のままに戦場を跳ね回り、水着結界が崩れるような軋みすらも狂笑が切り裂いていく。