オープンキャンパスの偽学生
●√EDEN、とある地方の私立大学
夏ともなれば、オープンキャンパスの季節である。この地方私立大でも、その準備が進められていた。
さほど偏差値の高い学校ではなく、よくわからない横文字の学科が並んでもいるが、この地方の私大においては貴重な史学専攻があり、興味を持つ学生はそれなりに多い。
「先生。なんですか、この石ころ?」
いくつかある史学ゼミの一室。オープンキャンパスの準備に駆り出されている学生が、机の上に転がっている拳大の石塊を手に取った。
「あ、だめだめ。それ大切にしてるものなんだから」
「これが? そもそもなんで石が、地質学ゼミじゃなくてうちに? ……いやこれ、コンクリートか」
「そう。それ、ベルリンの壁。当時、土産物で売ってたんだよね」
などというやりとりが行われている一方で、√ウォーゾーンの戦闘機械による侵攻はすでに始まっていたのである。
揃いのセーラー服を来た一団、潜入工作特化機械『スワンプマン』どもがキャンパスの門をくぐる。人間に擬態するためか、それぞれの顔は少しずつ違う。
スワンプマンどもは√ウォーゾーンにとって有用ともなる人材を見つけて誘拐するため、キャンパスに潜入したのである。
これを指揮する調査機械兵『ニヒト』によれば、
「人間の心を研究すれば、√EDENへの侵攻はより容易になる。人類の歴史や文化に精通した人間やそれに関心を持つ者を拉致するんだ」
との目論見があった。
その意を受けたスワンプマンどもは互いに言葉を交わすこともなく……通信により意思の疎通は可能であるため……それぞれにキャンパスに散っていった。
●作戦会議室(ブリーフィングルーム)
「諸君、戦闘機械どもがオープンキャンパスに狙いをつけているようだ。どうやら、奴らにとって有益な人間を拉致して研究するつもりのようだな」
一同を前にした 綾咲・アンジェリカ(誇り高きWZ搭乗者・h02516)であったが、その表情には困惑が交じっている。
「残念ながら、敵の姿を完全に予知することが出来なかった。よって、諸君らの目で怪しい者を発見し、撃破してもらうしかない。これほど巧妙に潜り込んでいるのだから、まさか見た目でわかるほどあからさまな戦闘機械ではあるまいが」
すまない、とアンジェリカは頭を垂れる。
「それにしても、卑劣な戦闘機械どもだ。学問とは、人類がその叡智を積み上げてきたもの。今すぐに役に立つかどうかなどは、関係がない。一粒の土も逃さないからこそ山は高くなり、一滴の水も捨てないからこそ大河はできる。
それを奴らに奪われてなるものか! オープンキャンパスに潜入し、敵を発見、撃破してくれ。
さぁ、栄光ある戦いを始めようではないか!」
第1章 集団戦 『潜入工作特化機械『スワンプマン』』
オープンキャンパスはここを第一志望として定めた者から半ば冷やかしの者まで、多くの学生たちで賑わっていた。
そのなかに、胡乱な動きを見せる者がひとり。
「やほやほ~。ウチを受験するの~?」
女子学生に声をかけているのは、馬車屋・イタチ(偵察戦闘車両RCVの少女人形レプリノイドの素行不良個体・h02674)である。胡散臭いサングラスの奥から女子学生たちの顔を覗き込みつつ、
「え、てかさ~めっちゃカワイイじゃん~、どこ住み? SNSとかやってる?」
と、肩に手を回さんばかりにぐいぐいと迫る。
いちおう同性だから悲鳴までは上げないが、
「先輩としていろいろ教えたげるからさ~ちょっとこっち来ない~?」
「いえ、その、けっこうですから」
と、女子学生は冷ややかな表情のままそそくさと離れていった。そしてそのまま、受付のテントへと向かう。
「やば」
大学側に目をつけられるとまずい。イタチは肩をすくめながら、場所を変える。追ってくる大学側がいないと見るや、物味遊山気分で辺りを見て回った。
「イタチさん」
なんとかいうサークルが出している長机の前にいたシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)が、姿を認めて近づいてきた。その手には、パンフレットの他にノートやボールペンがある。
「ふふ。私も昔は、こんなふうにノベルティを集めては文具代を浮かせていたものです」
愉しげに笑っていたシンシアではあったが、
「あッ、私の学生時代の話はどうでもいいですね」
開放されている、食堂2階のオープンテラス。そこに至ったシンシアは気を取り直して、敵の捜索に意識を向ける。全身の竜漿を右目に集中させると、その目は激しく燃え上がった。
戦いなどとは無縁な学生たちなど、隙の塊と言ってもよい。しかし人々を拉致しようなどという戦闘機械どもならば、その隙は小さいはずではないか?
「それはありえるねぇ」
イタチがテラスの手すりに顎を預けてもたれかかっている間も、事前に招集していた『少女分隊』たちは視線の先で、さきほどのイタチと同じようにナンパ……もとい、潜入工作員の捜索にあたっている。ある者は声をかけ、ある者は少し離れて尾行し、ある者はさらに離れて周囲を警戒し……。
しばらくすると。
「ん?」
「えぇ」
イタチが身を起こし、シンシアも頷く。
その女子生徒は裏口の方に回って、校舎内に入ろうとしていた。シンシアには見覚えがある。先程、教授にずいぶんと熱心に質問をしていた高校生だ。
しかしその後ろから追っていくセーラー服の女子生徒がいたのである。
その動きはあまりに機敏で、隙がない。
「おっと、イタチさんたちはちゃんと見てたよ?」
「!」
振り返るセーラー服の女子生徒……いや、潜入工作特化機械『スワンプマン』。
敵はすぐさま銃を抜こうとしたが、
「騒ぎにしたくないのはお互い様でしょ~? 一緒にお茶でもどう~?」
と、あくまでイタチはにこやかな顔を向けるのだが。
当然というべきか、スワンプマンは応じることなく銃を向けてくる。
シンシアはその手をすかさず掴んで、引き倒そうとしたが。いかなる因果関係によるものか、その手はスルリと滑ってスワンプマンから離れた。
スワンプマンは跳び下がろうとするが、
「逃がしはしません!」
もう一方の手をすかさず伸ばしたシンシア。その手でセーラー服の襟を掴み、足を刈ってスワンプマンを地に打ち付けた。
「ぐ……!」
「大人しくしててねぇ!」
その頭に、イタチの『プラズマカッター』が振り下ろされた。
「オープンキャンパス……というのはよくわからんが。外部の者がある程度入り込んでも不審がられないものだ、というのは理解した」
辺りを見回しながら、ヘリヤ・ブラックダイヤ(元・壊滅の黒竜・h02493)は頷いた。その傍らを、薄汚れたクマの着ぐるみと褌一丁のマッチョが楽しげに談笑しながら通り過ぎていく。
「敵がこの機会を狙ったのは偶然ではないだろう。見かけぬ者がいても怪しまれない。
……お前のような」
「ボクがポンコツに見えているなら、それは願ったりだな」
オール・エフ(二分木憎悪・h07937)がわざとらしくぎこちない動きで右手を上げ、振り返る。その大真面目な、しかし滑稽な物言いに一夜塚・燐五姫(虚し世の龍夜叉姫・h01037)が思わず吹き出した。
「なにそれ」
「あえて、ということだ」
ベルセルクマシンであるオールは、その『融合装甲』を晒したままキャンパスを歩き回っていた。様々な存在が闊歩する√EDENとはいえ、それなりに目を引く。いちおう、人間のように偽装する事もできるのだが……。
「燐五姫。キミが人間を誘拐する任務を課せられた戦闘機械だったとして」
「うん」
「現場で、まるで人間に見えない偽装の下手な同類を見かけたら、どうする?」
「まぁ……近づきたくないかな?」
小首を傾げながらの返答に、オールはあからさまに肩を落とす。
「あるいは、万が一にも自分の邪魔にならないよう、始末するか」
腕を組み、「ふん」と鼻を鳴らすヘリヤ。するとオールは「得たり」とばかりに、満足げに頷いた。
「放置して万が一にも問題を起こされたら、拉致を狙うキミたちの任務は達成不可能になるだろう。完全機械へと至るために、不良品は取り除かれるべきでもある。
……と、いうわけで。ボクは精一杯ポンコツを演じてこよう」
「『狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり』とならんよう、気をつけるがいい」
「頑張ってね」
人混みに分け入っていくオールを、ヘリヤと燐五姫は見送る。
その燐五姫が、ため息をついた。
「人間らしく、ね……人間の心を研究すれば√EDENへの侵攻が容易になる、か。理屈は間違ってないよ~な。でも、ちょっとやり方が迂遠なよ~な?」
戦闘機械どもの考えることはわからない。ただ、「ママと見た昔のアニメの悪者って、こんなノリだったよね」とは思う。
それはさておき、任務ということを考えなければ周りは興味深いものばかりである。制服姿の燐五姫は、普通に歩いていればなんの違和感もない。
「これ、パピルスの?」
「お、わかるかい?」
初老の教授がパピルスの写真を手にして、燐五姫に笑顔を向けた。
さてはファラオの伝承か何かかと思った燐五姫であったが、教授はにやりと笑い、
「家計簿だよ。今日はパンを買っただとか、前より値上がりしただとか愚痴が書かれているんだ」
「ほう……人の子にも歴史あり、だな」
ヘリヤが感心したように頷く。
なにも彼女らは遊び歩いていたわけではない。燐五姫は構内の各所に『丑三つ時の藁人形』を放っていた。
「これは、人の身体を壊すためのもの。相手が人じゃなきゃ、異質な反応でわかると思うの」
「なるほどな」
ヘリヤも、目を細めて周囲の者には気取られぬよう、その実、鵜の目鷹の目で周囲を窺っていた。
「敵は見た目では判断できんが……目的が拉致となれば、他の者たちとはちがい、人を物色することになる。その行動は必ずや不審なはずだ」
ヘリヤは自らの竜漿を周囲を漂うインビジブルに分け与える。
「さて……これで喋れるか?」
インビジブルは小さなドラゴンの姿となり、見聞きしたものを教えてくれた。
ふたりは藁人形とドラゴンとを駆使しながら、構内を探っていく。
すると、サークル棟の奥まったところに向かう女子学生たちを捉えた。見学に来た学生たちが見に行くようなところではない。
「……ポンコツのふりも、役立ったということか」
ヘリヤが口の端を曲げた。
そのオールは、
「やぁ、キミもゼミの見学に来たのかい? 実はボクもなんだ……!」
「いやぁ、このサークルの活動はとても興味深いね!」
などと、数世代前の出来の悪いAIが喋っているようなわざとらしい台詞を吐きながら、誰彼構わず話しかけた。遠巻きにヒソヒソと噂されていることを感じたオールは「頃合いか」と、人気の少ないサークル棟の奥へと向かったのである。
「出来の悪いベルセルクマシン……ッ!」
潜入工作特化機械『スワンプマン』は擬態をかなぐり捨て、背後からオールに銃を突きつけた。
しかし、
「やっと現れたか」
オールは振り返りざま、相手に見えぬように手にしていた消防斧を、スワンプマンの頭に叩きつけた。
スワンプマンは驚きに目を見張ったまま、頭蓋を割られて崩れ落ちる。
「……ッ!」
他の機体が、油断ならぬ相手と見て取って警戒を強める。パッと散って、それぞれに銃を構えた。
だが、警戒すべき相手はオールだけではなかった。
ヘリヤは敵の背後から密かに近づいており、死角から一撃を放ったのである。魔導機巧剣『竜翼』は敵の肩口に深々と食い込み、スワンプマンはそのまま前に倒れ伏した。
スワンプマンどもは通信回線を使って意思疎通を行い、それぞれに散る。オールもヘリヤも眼の前の1体をそれぞれ屠ったが、その動きには先程まで見せていた工作員としての鋭さはどこにもなく、本当に、どこにでもいる女子学生のようであった。
サークル棟の裏を、怯えた様子で駆けていくスワンプマンども。いかなる探知もこれを捉えることは難しいが……。
「ヒメは、そんなことにごまかされないんだよね」
その目でしっかりと敵を捉え、待ち受けていたのは燐五姫であった。スワンプマンどもは俊敏さを失い、ただたじろぐだけである。
「切断、しちゃおうね」
円を描くように『テンペスト・スライサー』を振るえば、チェーンソー状の刃を持つ薙刀は唸りを上げて、スワンプマンどもの首を宙に舞わせた。
オープンキャンパスは大いに賑わっている。小ホールではゼミ生による紹介と魅力のアピールが行われているし、サークル棟の前では各サークルが早くも勧誘の構えを見せている。中庭には焼きそばだの綿あめだの、出店まで並んでいた。
その光景を目にしているだけに、
「無辜の人たちを攫うなんて許せない!」
と、マリー・コンラート(Whisperウィスパー・h00363)は憤っていた。
「そんな悪い奴ら、やっつけよう!」
「そうね。拉致だなんて、物騒だものね」
豊橋・瑞穂(DD.Ⅴ・h01833)もマリーに同意して、頷く。
「でも、向こうは学生に交じって潜り込んでるみたいよ。どうするの?」
「それはね、私に考えがあるんだけど……!」
小首を傾げる瑞穂に顔を近づけて、マリーが囁く。すると瑞穂は目を細めて、
「わかったわ。任せて」
と、微笑んだ。
ふたりが目をつけたのは、中庭の少し開けた場所である。ちょうど、南北東西方向に出店が並んでいる中央の広場にあたる。そこはパフォーマンスの場でもあるようで、ちょうどジャグリングをしている学生がいたのだが。
「ごめんなさい、ちょっと先にやらせてもらうわね?」
瑞穂は思念で浮遊砲台『“IBISアイビス”ICS-224』を操り、宙に浮かせた。道行く人々も出店の学生も、何ごとかとそれを見上げる。
「この歌で私の想い、全身全霊でみんなに届けるね!」
その上に、マリーが跳び乗る。パッと手のひらを天に突き上げると、仄かに切ないイントロが流れ出した。
さすが、というべきであろうか。その【歌唱】力、その【パフォーマンス】が、人々を【魅了】していく。皆が足を止め、それに聞き入り始めた。その手応えを感じたマリーは、さらに歌に力を込めていく。
ところが、だ。
「ちょっとちょっと、困りますよこんなの勝手に始められたら!」
「実行委員会」の腕章をつけた女子学生が走ってきた。しかし瑞穂はその前に行って、
「なにか問題でも?」
と、平然と応じる。
「ほら、ここにも『ネットアイドルによるパフォーマンスの予定』が、ちゃんと書かれてるじゃないですか」
「そんなはず……あれぇッ?」
実行委員が眼を丸くした。瑞穂が示した大学のホームページ、その行事予定の中には、しっかりとそれが書かれているではないか。
「えぇ? こんなの聞いてないけど……?」
首を傾げるのも当然である。それは、瑞穂がAI『"Seleneセレーネ"XERI-69』に命じて改竄させたものなのだから。IBISの誇る女性AIは、見事に仕事をやってくれた。
とはいえ、昔ながらに手書きで提出されている申請書と照らし合わせれば明らかになることではあるが……マリーの歌はすでに、サビに差し掛かっていた。
曲は明るく力強くテンポを上げていき、マリーの歌に観客の手拍子が重なっていく。
その観客たちの傍らには、勇気と活力を与え、心と心を繋ぐ光の粒子が現れていた。
「瑞穂、あそこッ!」
曲が終わると同時に、マリーが彼方を指差す。
「たとえ機械であることを忘れても、√能力者であることは誤魔化せないよね!」
瑞穂はマリーが指さした方向にすでに駆け出している。そこにはセーラー服を着た数人の女子学生……いや、潜入工作特化機械『スワンプマン』がこちらを窺っていた。
互いに一瞬だけ顔を見合わせたのは、向後の行動を通信し合ったのであろう。
しかしスワンプマンが散るよりも速く、瑞穂の影からは蒼白の仮面を持つ漆黒の大蛇が飛び出した。その双眸に見据えられた敵は……機械の体にも関わらず……身動きができなくなる。
「マリー!」
「任せて!」
マリーが『ブルームロッド』を振り抜いた。魔術師の使う優美な長杖だが、その一閃は長柄の得物にも匹敵する。側頭部を打たれたスワンプマンの首がネジ曲がり、へし折れた。
「きゃあああ! ……あれ?」
突然の惨劇に女子学生が悲鳴を上げたが、飛び散ったスワンプマンの赤い血は、やがて青く変色していったではないか。
「みんな、離れていて! 残らず仕留めるから!」
第2章 ボス戦 『調査機械兵『ニヒト』』
「……すべて見つかったのか、スワンプマンは」
サマーセーターを着た姿は、どこから見ても平凡な大学生に見える。調査機械兵『ニヒト』は「ため息をついて」、消え去った反応を確かめた。
「早すぎる」
いくらかの妨害を想定していなかったわけではないが、それにしても。まだ拉致すべき人間の選定さえ満足に終わっていない。
「人類の歴史を研究しているという男がいたな。せめてあの男だけでも拉致して……『ガーベッジ』どもに撤退を援護させよう」
わざわざ音声を発しているのは、それが人間の行う「独り言」を模しているからである。それが人間の心理にいかなる影響を与えるものなのか……。
ともあれ、行動を開始したニヒトであったが。
「独り言でぜんぶ言っちゃうの、ありますよね。私もよくやります」
はにかみながら笑ったシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)であったが、
「というか、そこまで人間再現してるのですね!」
と、目を丸くした。
「かえって弱点になっている気もしますが……」
「さぁねぇ。ま、機械兵団さんが色々なアプローチをしてるコト自体は面白いと思うけどね~」
馬車屋・イタチ(偵察戦闘車両RCVの少女人形レプリノイドの素行不良個体・h02674)は肩をすくめつつ、
「人間らしく見えるモノが『人間』だから、外側を取り繕えば実質的に哲学的ゾンビだし~?」
しかしそれを言い出したら、異形の者には事欠かない√EDENはなんなのだということにもなるが。
ともあれイタチは『偵察戦闘車両』のアクセルを全開、さすがに構内で時速100kmまでもは出せないにしても、調査機械兵『ニヒト』の行動を阻むべく突進する。
「敵兵は、ここで潰す!」
「いや、いずれにせよここで撃退するほかないのですが!」
シンシアも急いで車両に飛び乗った。偵察車両は慌てて避ける人々のど真ん中を突っ切っていく。
その頃、ゼミ教室が並ぶ一角において。
「教授」
あとは若い者……つまり学生たちに説明を任せて、休憩がてらゼミ室に戻ろうとした西洋史ゼミの教授に、ひとりの若者が声をかけていた。
「あぁ、なんだい? 表の方に行けば、うちのゼミの説明もやってるけれど……」
それに返事もせず、息がかかるほどの距離に一気に詰めてくる調査機械兵『ニヒト』。
「『我々』の研究のため、来てもらいましょうか」
そう言って、教授の襟首を掴み……。
「ざーんねん、お勉強の時間はもう終わりだよ」
ゼミ棟のベランダから身を乗り出していたのは、一夜塚・燐五姫(虚し世の龍夜叉姫・h01037)であった。
ニヒトが警戒して距離を開けると、その隙間に割り込むように燐五姫は飛び降りた。
「お、君はさっきの……」
「うん。危ないから、ヒメの後ろに隠れて、すぐに逃げてね」
そう言いつつ、ニヒトを睨みつける燐五姫。
「歴史は悪い奴らの玩具じゃないの。ヒメの世界でも、この世界でもね」
「興味があるなら、すこし話をしても……人間の業というなら、古代ローマにおける不倫問題とか……?」
「そういう次元の相手じゃないから! 教授ははやく逃げてってば!」
そそくさと逃げていく背中を見送り、
「とにかく、きみたちが機械化ナントカ帝国だかなんだかを作る前に、バラバラにしたげる!」
と、声を張り上げた。その全身を、オーラが包んでいく。
「ついてこれるものなら、やってごらんよ?」
「く……!」
それは大地を駆ける、凶暴な肉食恐竜のオーラであった。地上の王であったかつての勢いのままに、縦横無尽に走り回る。
「支援要請……!」
ニヒトが指定した地点を中心にして、天空からレーザーが降り注いだ。しかし燐五姫はその照準よりも速く駆け抜けながら、『テンペスト・スライサー』を構える。チェーンソー状となった刃が、唸りを上げた。
とはいえ、
「あっぶな」
かったのも、事実である。
「チンタラ追いかけてたら、迎えの配下とも合流しちゃうかも!」
時間はかけられない。キッと敵を見据えた燐五姫。
「これがママ直伝、『裂傷貫通斬り』だよッ!」
突進の勢いのまま、薙刀を突きこむ。刃は平凡な大学生を装ったサマーセーターを斬り裂きながら、その奥の外皮と装甲、そして内部機構を深々と抉った。
「邪魔されては……困るな」
再び掃射される無数のレーザー。
この騒ぎが学内の学生たちに伝わらぬはずもなく、野次馬根性で覗き込んできた学生もいたが、悲鳴を上げて慌てて逃げ出した。
ニヒトの目がそちらを向くが、そこにイタチの『偵察戦闘車両』が飛び込んできた。
「はいはい、どいてどいて~。周囲の被害を防ぐ、敵兵はここで潰す。どっちもやらなくちゃいけないのが大変だね~。
√EDENの子たちも平和ボケしてないで、ヤバかったら逃げる隠れるしてくれないと……イタチさんが体を張る羽目になるのさ~」
車体で敵の視線を遮るように駆け巡るイタチ。軽機関銃で銃弾を浴びせるが、
「戦闘態勢移行。その程度の火力で……」
『戦闘用特殊装甲』を纏ったニヒトに貫通弾を与えることはできていない。
「火力がないとか言ったぁッ?」
「イタチちゃん!」
ブチ切れるイタチ。そこに燐五姫が鋭く声を上げる。ニヒトが先ほどまでの数倍にもなる速さで飛び込んだかと思えば、拳による凄まじい一撃を叩きつけたのである。
車体が浮き、装甲を貫通する一撃を浴びた装甲車両であったが、かろうじてまだ、動く。
「へへッ……偵察屋は撃たれるのも仕事だよ……!」
ならばと敵は追い打ちをかけようとしたが。
そこにシンシアが飛び込んできた。
「ッ!」
敵はとっさにレーザーの雨を浴びせる。それを受けたシンシアは眉間に皺を寄せて痛みに耐えつつも、
「多少の被弾は、覚悟の上です!」
と、一気に間合いを詰めていく。大丈夫、オーラによる防御で致命傷は受けていない。
素早く視界内のインビジブルと位置を入れ替え、ニヒトの背後に回る。
「うッ!」
入れ替わったインビジブルはニヒトに纏わりつき、まるで感電したように激しい火花が散った。
「やぁッ!」
シンシアの繰り出した『レイピア』が、敵の肩を貫いた。サマーセーターが、みるみるうちに機械油で汚れていく。
またしても、敵のレーザーが浴びせられる。しかしそれは√能力者たちを狙ったものではなく、地面を穿ちおびただしい土煙が巻き上がったかと思えば……ニヒトの姿は、どこにもなかった。
「逃げたぁッ?」
「……逃げましたね」
「……人間の思考は、やはり解明の余地がある」
調査機械兵『ニヒト』は地面に機械油の跡を残しながら、構内を走っていた。まさかこれほどに迎撃の態勢を取っていたとは。急ぎガーベッジどもを突入させなければ……。
そう「思考」したときである。
頭上から聞こえてきた歌声。ニヒトは屋上を振り仰いだ。
そこは今日、開放されていないはずである。しかしマリー・コンラート(Whisperウィスパー・h00363)はそこに入り込んで、歌声を披露していた。
その技術にか、その美しさにか。理由は定かではないが、ニヒトはそれに関心を向けざるを得なかった。
「指揮官が来たのね」
豊橋・瑞穂(DD.Ⅴ・h01833)も、屋上からその姿を見下ろした。
相手は温厚そうな学生しか見えないが……。
「人に紛れるのに向いた姿だけど……もうずいぶん、わかりやすい姿になっているわね」
もはや人に偽装するための人工皮膚も、あちこちが剥がれている。正体は明らかであった。
「マリー、来るわ」
「よーし、いよいよ黒幕との対決だね!」
1曲を歌い終わり、天を仰いで余韻を残していたマリー。笑顔を見せながら敵を見下ろし、
「さぁ、来なさい!」
と、手を伸ばした。
これを排除せねば逃走は難しいと判断したか、ニヒトは跳躍して、軽々と2階のベランダに乗り移った。そこからさらに跳び、ついにはマリーの待つ屋上へと至る。
「邪魔をするというなら」
無造作に手を伸ばし、飛びかかってくるニヒト。その四肢からは高圧電流が放たれるとわかっている。マリーは自動小銃を構えつつ後ろに跳び下がってその手を避けつつ、
「瑞穂!」
と、声を張り上げた。
「えぇ」
すかさず『"Sunset"FT8-R』を抜いた瑞穂が引き金を引く。眩い閃光がニヒトを包み、さらに続けて弾丸は襲いかかる。
しかし、マリーには命中しなかったニヒトの手からは、『対知的生命体』思考阻害電波が放たれていたのである。
「くッ」
瑞穂の額に脂汗が浮かぶ。放たれた次弾は狙いをそれ、背後のコンクリートを穿っただけに終わった。
「戦闘態勢、移行」
ニヒトは瑞穂に狙いを定めて飛びかかってきたが、
「……予定は少し替わったけれど、やることに変わりはないわ。遥か遠く、星の海を覗きましょう?」
「当たりはしない」
ニヒトはとっさに首をねじって避けたが、半自律浮遊砲台から放たれたのは通常の砲弾ではない。着弾したところを中心にして時空間が断裂したのである。それは物理的なもののみならず、霊的・魔法的な繋がりさえ分かつものであった。
「どれほどに重く分厚い暗雲でも、この一振りが引き裂いてみせるわ」
「な……ッ!」
それに囚われ、バチバチと火花を散らすニヒト。
「さぁ、これで仕舞いよ。大人しく焼かれなさい」
瑞穂が振り返る。時空間の裂け目から溢れ出る、幾光年彼方に望む護霊がマリーを包んでいく。
瑞穂に笑みを向けながら、マリーは自動小銃『“Whisper” HK437』を構えてしっかりと腰を落とした。
引き金を引く。フルオートで放たれた弾丸は、すべてが鈍色に輝いている。それはいかなる装甲も魔法も燃やし尽くす焼夷弾である。
「この炎に巻かれて、特殊装甲ごと塵も残さず燃え尽きて!」
「お、おおおッ……!」
人間に擬態していた服も外皮も、『戦闘用特殊装甲』までもが焼き溶かされていく。それでもこの戦闘機械は活動を停止せず、ベランダの手すりに剥き出しの機械となった手をかけ、倒れなかった。
「西洋史学の、教授」
「あぁ、戦闘機械と戦っている子がいるんだよ!」
「えぇ、えぇ。あとはボクらに任せて」
オール・エフ(二分木憎悪・h07937)は彼の安全を確かめると、離れているように言い残して先を急いだ。
戦いはゼミ棟の屋上へと移行しており、オールは階段を3段飛ばしに駆け上がる。
「スワンプマンといい、敵の姿はまたしても人間そっくりか」
オールは偽装された人間の姿で、ため息をついた。人間の形をしたものを殴るのは、嫌な気分だ。
「これも友好強制AIの機能だというのなら……早急なアップデートが必要なんじゃないか?」
「かもしれんが……幸い、今日のところは憂鬱にならずに済みそうだぞ」
屋上へと扉を開いたヘリヤ・ブラックダイヤ(元・壊滅の黒竜・h02493)が、顎をしゃくった。
「人間の外見と遜色なかったようだが……今は、見る影もない」
そのとおり、炎に焼かれた調査機械兵『ニヒト』の姿を人間と見間違うものは、もはやいないであろう。服も皮膚も髪もすべて失い、敵は鋼の身体を露わにしていたのである。
「人に化ける怪物しかり、必要があるゆえそうしているのだろうが」
フッと、ヘリヤが笑う。
「人間の心か。そんなもの私もわからんし、当の人間だって説明できるものではないだろう」
「……それでも、やらなければ。√EDENを征服するために」
なかば焼け溶けた姿で、襲いかかってくるニヒト。ヘリヤは馬手に魔導機巧剣『竜翼』を、弓手に魔導機巧斧『竜吼』を構え、それを迎え撃った。
「少なくとも、そのやり方は間違えているだろうな。人の心が理解できるか否かではなく……私たちに知られたのが過ちだ!」
「敵の主武装は電撃だ、気を付けて!」
オールが声を張り上げ、消防斧を構える。
特定人物の拉致を目的として派遣された戦闘機械である。標的を生かしたまま捕らえるのに適しているのはガスか、あるいは電撃か。
屋外屋内を問わず使えるのは、電撃であろう。
「わかっている!」
応じたヘリヤであったが、「あえて」ニヒトの拳を、左右の得物を交差して受け止めた。凄まじい電流が襲いかかり、
「ぐ……ッ!」
ヘリヤは顔をしかめる。
「思考阻害電波とやらが発生する方が、厄介そうなのでな……!」
さらに繰り出される敵の拳を剣で払い、その肩口を狙って力任せに斧を叩きつけた。メキメキと鋼が歪み、腕は肩から斬り飛ばされる。
「まだ、まだだ。人の体の戦闘技巧、試してみるとしよう……!」
喰い込んだ斧を引き抜いて、さらに一撃。
とはいえ、
「あまり無茶はしないでほしいな」
割って入ったオールが、敵の蹴りを膝で受けた。電撃はそこからも放たれたが、オールの『融合装甲』には【電撃耐性】が備わっており、表層を滑った電流の何割かは地面へと流れていく。
「これは、なかなかキツイな」
その威力を味わったオールから、第三の腕が生まれて伸びる。それはニヒトの腕を機能ごと模したものである。
「ガ……ッ!」
お返しとばかりに、高圧電流がニヒトを襲った。あまりの高圧に腕は火花を散らして崩れていくが、オールは斧を振り上げている。
ヘリヤも大きく踏み込んで、剣を横一直線に薙いだ。
消防斧が戦闘機械の頭蓋を打ち砕き、剣の形をとった竜漿兵器は、胴を真ッ二つに斬り裂いた。
訪れた沈黙に、学内の者たちは事態が沈静化したことを悟ったのであろう。誰からともなしに、歓声が沸き上がった。
第3章 日常 『学園探訪』
「いぇーい一件落着ーッ!」
一夜塚・燐五姫(虚し世の龍夜叉姫・h01037)が歓声を上げながら両手を上げると、
「ほいほい~」
察した馬車屋・イタチ(偵察戦闘車両RCVの少女人形レプリノイドの素行不良個体・h02674)もそれに応じてハイタッチ。
「とはいえ、戦闘機械が他所の世界に迷惑をかけて申し訳ない~」
別にイタチのせいではないのだが。イタチは『マルチクラフトボックス』を開いて、調査機械兵『ニヒト』が放ったレーザーが命中したせいでねじ曲がった校舎のドアを解体し、再生し始めた。その手際たるや、瞬く間に金属の板がまっすぐに伸ばされて整形され、元のものと遜色ないほどである。
「イタチさんは武器が作れないんだよねぇ。作れるのは、生活に役立つモノだけなのさ~」
「この戦いも、やがて√EDENに住む者たちの記憶からは消えていくのかもしれん。
まぁ、戦闘の痕もあるゆえ、完全になかったことにはならないだろうが……」
ヘリヤ・ブラックダイヤ(元・壊滅の黒竜・h02493)はため息交じりに、辺りを見渡した。
「イタチさんが、痕も全部直してあげるよぉ」
「ねぇ、それよりもさ!
邪魔な奴らみーんな消したし、ちゃんとオープンキャンパスを楽しもうよ! ヒメも大学受験はだいぶ先だけど、歴史のお話ならちょっと自信あるんだ」
「ん、それはいいね~。√EDENの歴史がどうなってるかは知らないけど、イタチさんとしては学際的な領域に興味があるかも~?」
「でしょ? さ、行こう!」
「ふむ。では私は……」
「ここか」
それぞれに別れて興味のあるところを覗く√能力者たち。ヘリヤがやってきたソーシャルコミュニケーション学科、階段状の大教室には、かなりの人が集まっていた。
「……これまでの企業が一方的に情報を発信する形式から、消費者側も発信することで情報はさらに広がっていきます。特に発信力の大きい消費者によってブランドの魅力が語られれば拡散力は大きく……」
「インフルエンサーというやつか」
ヘリヤはいちいち頷きながら、教授の話を聞いている。いかにも新進気鋭の、短い顎髭を生やした若い男である。
「これがいわゆる『炎上』というもので……さて、他にはどういった例があるでしょう?」
見学者たちに問いかける教授。今時の若者にとって他人事ではないだけに、見学者たちは次々に挙手して意見を述べていく。
そこで、ヘリヤは首を傾げた。
「動物虐待がNGというのはわかるが……ダンジョン配信には、当てはまらんような気もするが」
「おや、君は冒険者? よかったら試しに、映像を見せてくれる?」
そう言われて配信用のカメラを接続したヘリヤ。
「以前見た、うさぎの島のうさぎを傷つけるようなものがいかんのは、わかるが……」
眉を寄せたヘリヤの(というより冒険者全般の)感覚はかなり麻痺しているが、考えてみれば、虐待ではないがけっこうグロ画像がある。特にヒューマノイドやかわいい系相手がキツいという意見も。
「冒険ジャンルが好きな人は気にしないだろうけどね。この『自分は好きじゃない』がわりと厄介で……」
「ふむ、久しぶりにダンジョン配信をしようと思っていたところだ……気に留めておこう」
そう言ってヘリヤは、教授に講義の続きを促した。
イタチと燐五姫が訪れたのは、西洋史ゼミの講義であった。古めかしい「歴史ある」校舎にある中教室である。
「こーんちはー。さっきは怖がらせちゃってごめんなさい。
ヒメ、古代の地中海世界が好きなんです。ローマとかエジプトとか、ギリシャとか!」
「ほう!」
教授の目がキラリと光る。
「イタチさんも~、例えば古代ローマにおける『記憶の破壊』とか、興味あるかも~?」
「ほうほうほう!」
ギラリと光る教授の目。その教授がふたりを最前列に座らせるなり、
「はいはいッ!」
燐五姫が勢いよく手を上げた。
「さっき逃げる前に言いかけてた話を聞いてもいいですか? ローマの不倫問題……」
「教授! 女の子にそんな話をしたんですかッ?」
女性の助手がじろりと睨む。
教授が首をすくめるのにも構わず燐五姫は。
「カエサルが元老院議員の奥さん寝取りまくってたって話は、ママから聞いたことあるんですけど」
「どんなママよ……ッ!」
額を押さえる助手。
教授の方は好奇心を露わにする若者が嬉しいらしく、
「カエサルはすごかったねぇ! 人妻も未亡人もお構いなし、相手の旦那にも自分の妻にも隠すことなく猛アタックだもの。それでも、その件で恨まれたりはしなかったともいうね。なにしろ、ずいぶんマメだったようだから。
ローマでも不倫がよしとされていたわけではもちろんないのだけれど、のちのキリスト教社会の倫理観とはずいぶん違っていて……」
と、止まらなくなる教授。燐五姫の方もフンフンと聞き入って、
「ヒメ、ちょっとコーフンしてきちゃった。あとでもっと勉強してみまーす!」
「興奮するな! 教授、ちょっといい加減に……!」
「そう? じゃあ次に『記憶の破壊』の話でもしてみようか」
あくまで学術的関心ということだろうか。助手の苦言を聞き流す教授。
「いわゆるダムナティオ・メモリアエとは、特定の人物に対しての記録を消し去るというもので、例えば彫像を破壊したり、硬貨から名を削ったり……その辺りは、もう知っているようだね?」
イタチは頷いて、
「歴史は『残す意図』で編纂するものだけ『消す意図』が挟まれることがあるでしょ~?
なかったことになる記録が、何故か他国の記録で残ったりとか……史学的には、どうアプローチするのかな~ッて!」
「実のところ、『完全に存在が消される』ことってそんなにないんだよねぇ。後の時代になるとそれなりに名誉が回復されて、彫像も作り直されてたりね。
あるいは、やっぱり誰かがどこかで書き残してたり。例えばローマを大秦国と呼んだ中国では、焚書されることになった書物を壁土の中に埋めて……」
3人は快い疲労感を感じながら広場に戻り、冷たい飲み物を手に学問の意義を語り合ったのであった。
「なにはともあれ、一件落着ね」
「ばっちり、戦闘機械群の悪巧みを挫けたね」
豊橋・瑞穂(DD.Ⅴ・h01833)とマリー・コンラート(Whisper・h00363)は互いに顔を見合わせて、笑顔を見せる。
「いろいろやってるみたいだけど、どうしよッか?」
辺りを見渡すマリー。屋台の焼きそばが発するソースの匂いは、たしかに魅力的ではあるが……。
「そうね、せっかくのオープンキャンパスなんだから、いろいろ見てから帰りましょうか」
死傷者は出なかったが、物的な被害までゼロというわけではない。お詫びというのはおかしいが、少しでも賑やかしになればと瑞穂は思案した。
「学科名からすると、文系に力を入れてる大学なのかしら……?」
パンフレットに目を通す瑞穂。歴史学やネットワークビジネスなどに興味がないわけではないが、
「せっかくマリーと来てるのだし、なにか音楽に関わるものが……そうだ」
緊急事態だからまじまじと見てはいなかったが、入口近くの看板に、雅楽や舞踊のサークルがイベントに登場すると書いていたような気がする。
「これね。マリー?」
確認をしてみると、ちょうどイベントホールでパフォーマンスが行われる頃合いのようだ。マリーの肩を叩き、声を掛ける。
「へぇ、雅楽に舞踊? うん、確かに普段はあまり触らないジャンルだから、気になるかも!
うんうん、一緒に行こう!」
瑞穂の手を引っ張るようにして、ホールへと急ぐマリー。幸いにまだ空席はあり、ふたりは腰を下ろした。
「謡物……『うたいもの』っていうのね」
瑞穂は入口でもらったパンフレットを熱心に読みいっている。平安時代に成立した、民謡などを取り入れたものらしい。
「あれ、琵琶だよね? あれは琴?」
「箏、ね」
指差すマリーに、瑞穂が答える。
それらの弦楽器のほか、笙篳、篥、龍笛といった管楽器が。それに笏拍子が揃っていた。
「……本格的ね。すごく熱心なサークルみたい」
瑞穂が嘆息するのとほとんど同時に、演奏が始まった。笏拍子を打ちながら独唱がはじまり、全員の斉唱が続く。催馬楽というらしい。
瑞穂はひとつひとつの演目についてパンフレットを読みふけり、一方でマリーは曲の合間にその説明を聞きながら、目を輝かせながら聞き入っていた。
「こんな感じなんだね……どれもこれも新鮮だなぁ!」
その指先がときおり空中で揺れているのは、このメロディーと音色がマリーの中で、様々なイメージを生み出しているからにちがいない。
浮かんで膨らんでくる、今までの自分にはなかった新しいイメージ。マリーの頬は紅潮し、目は爛々と輝いていた。
その横顔を、瑞穂は目を細めながら見つめる。
「ふぅ……楽しかった!」
演奏と舞踊が終わって席を立ったマリーが、大きく伸びをしながら笑顔を見せる。
「ねぇ、最初の曲だけど……!」
記憶も新鮮なうちに語りかけてくるマリーと、瑞穂は文化的背景などを語り合った。
「いいね! それもテーマとして、なにか出来ちゃいそう!」
気がつけばオープンキャンパスも終了の時刻が近づいており、中にはすでに撤収を始めている団体もある。
少し寂しくもなるその光景を見やりながらマリーは、
「今回は割り込みで歌っちゃったけど、次に来る時はそういうイベントか、ちゃんとお呼ばれするかで来て歌いたいなぁ。
今日より、もっともっと素敵な歌を披露して、みんなを楽しませてみせるよ!」
撤収する学生たちの中に、マリーの歌を聞いていた者がいたらしい。手を振ってくる彼らに、マリーは応えた。
「楽しみができたわね」
瑞穂が目を細める。人々が無事に過ごせて、楽しめて……、
「それがなによりよ」