舌の根が千切れる前に
●キャンセル界隈大賑わい
生きている事に吐き気がした――死ぬ事すらも出来ずに眩暈がした――だからこそ、僕は神様と謂うものに縋ってみようかと考えたんだ。神様に縋る事が出来たなら、神様に願う事が出来たなら、僕はきっと、弱虫な僕とやらを、欠片も残さずに滅ぼす事が出来る筈なんだ。その為にも、僕は『これ』を届けなくちゃならない。これを届けて、あの人に渡して――あの、綺麗な綺麗な、美しい女の人に渡して――僕をまっとうしなくちゃいけない。それが、僕に示された唯一なのだから、やるしかないんだ。……あの女の人の名前? わからない。わからないけれども、これを……神様の落胤を、お届けする事が、僕の救いとなるならば――この|舌《●》で誓う事にしよう。
ああ、それに、僕にはたくさんの、仲間達がいるんだ。
こわくなんてないし、すぐに終わるだろうから。
●塩だれにネギを添えておくと宜しい
「君達ぃ! ちょっと√汎神解剖機関で厄介な案件が見えてねぇ。自暴自棄になった人々が狂信者の如くに振る舞っているらしいのさ。彼等、彼女等は如何やら『クヴァリフの仔』を所有していて、それを如何やら怪異に渡そうとしているのさ。まあ、彼等彼女等に儀式をされては敵わないから、さっさと回収するのが吉だと思うぜ」
星詠み、暗明・一五六は普段の通りに、カラカラと、掌、笑ってみせた。
「ま、何にせよ、怪異絡みだって事には変わりない。クヴァリフの仔の回収ついでに叩いてくるのもひとつの手段さ。それと……口は禍の元らしいぜ。精々、奪われないように気を付け給え。アッハッハ!」
第1章 日常 『『生きるのツラたん』』

女神の肚より――女神の胎より、こぼれ落ちた肉の塊の蠕動については、最早、描写をする必要もないだろう。|新物質《ニューパワー》たる所以を秘めている肉の塊、黄昏色に対しての特効薬にもなり得るか。しかし、ああ、現状は人間的かな――人々の救いの糧として丁重に扱われていた。集っているのはある種の悟り、比較的若い男女の奈落であった。まるで、何者かの|科白《●●》こそ、正しいと。
もうマジ無理……クヴァリフの仔捧げヨ……。
ツラたん……いっそ死にたい……でも、死ぬのってこわい……。
絶望とは一種の感染症であった。所謂、希死念慮と謂うものが、この場には存在している。これを如何にかして留めるのが、これを如何にかして鎮めるのが、此度の君達のお仕事であろうか。まるで血に塗れた舌の如くに――傷の舐め合いをする。
この世は何処までも、彼方までも、地獄なのだ。
ならば、お先に、地獄へと身投げしたって同じ事だろう。
あの人のところに行かなくちゃ。あの女の人に、渡さなくちゃ。
贈り物をしたら、きっと、僕らは……幸せな最期を……。
怪異を解剖する為には、前提として、人体の仕組みについても把握しておかなければならない、人体を理解した後に怪異へと触れるのだ。そうでなければ|新物質《ニューパワー》には届かない。クヴァリフの仔の肉には如何様な効果が潜んでいる。
ある種の快楽であった。ある種の恍惚であった。
舌の上で踊っている種子については――オマエが説明すると宜しい。
高層ビルが横たわっているのだろうか。いいや、おそらく、倒れているのは彼等、彼女等自身で、高層ビルの方は見下ろすカタチとなっていた。いっそ、躊躇なく飛んでみたいと、いっそ、根拠なく溺れてみたいと、念に苛まれ続けていくサマは、嗚呼、オマエの姿見とも思えた。……理解は、痛いほどに、苦しいほどに、出来るのです。……だって……。こぼれそうになった『もの』を、吐き出してしまいそうになった『もの』を、無理やり押し込む。酸味の強さも苦味の凄まじさも、この臭気に比べたならば幾らかマシとも考えられたか。抱くようにして、潰すようにして、痕とやらを撫でてやった。これが傷なのであれば、舐め合いをする事くらいは赦してくれやしないか――少しだけ……楽になる事は……あるんです。
背中の押し方を見て覚えた。身をもって、覚えていた。
何者かに渡された、贈られた、ひとつの『叡智』の輪郭か。まるで詐欺師のように、まるで聖女のように、ニコニコと、魅力的なまでの笑み。……ええ、僕は薬剤師でも……あります、から……。酒を百薬の長とするならば、四之宮・榴、オマエが湛えている『それ』は千や万にも匹敵する。……僕と|一緒《●●》なら、皆様と一緒なら……怖くは、ありませんので……。ポスターなんぞは糞喰らえだ。破り捨てて、切り捨てて、何もかもを楽園へと誘う――これは、お裾分け、です。僕から……皆様に対しての……蜘蛛の糸のようなもの、です。糸の成分を気にしている場合ではない。手にしたのだ。手にしたのだから、やるしかない。……死ぬなら、気持ちよくなりましょう……ね?
憧れている盲目が、焦がれるほどの白痴が、倣うようにして、
蜂のように。
柔らかな世界に身投げをせよ、コンクリートなど、最早、時代遅れ。
今の流行りはお布団である。枕は低反発で、成程、快適だった。
ぴぃ、と、枕にされて、啼いたオコサマ。女神も吃驚な扱いである。
理由の有無など関係なかった。只、漠然とした「ツラたん」に擁されて、流れるように「死にたい」と心の底から感じただけの事。別に、誰かの所為でもなく、環境の所為でもない、最も厄介で、おそろしい希死念慮――。んにゅ……生きるのが辛い、ですか……。鬼灯・睡蓮の脳裡に浮かんできたのは過去の光景、ブラック会社も真っ蒼なブラック施設。収容されていた時に……ふみゃ……職員さんが、辛そうだったので……一緒に、お昼寝して……夢を見せたことがあったです。その夢の内容については、今は詳しく描写はしないが、現場に混乱を引き起こした事くらいは容易に想像できる。……生きているだけでも、十分、凄いことなのですが……。最初に考えるべきは『死』ではない。死よりも安らかな『休息』の二文字だ。人間災厄「白昼夢」は情けも容赦もなく、絶対的な眠気とやらを蔓延させる。欠伸と共にこぼれた「おやすみなさい」。最早、強烈なミントですら覚醒させられないほどの。
攻撃の技術を磨いたとしても、否定の仕方を学んだとしても、
幻想の力に対しては塵に同じか。
楽しい夢、綺麗だと思える夢、美味しいものを食べる夢……ポジティブな|夢《●》を見せる為ならば手段を選んでいる暇はない。ゆらゆらと、ふわふわと、催眠術の類が精神の安定化とやらを図っていく。夢を観れるということは、現実でも、何処ででも、生きてさえいれば、同じようなことができるのです……。用意してやった逃げ道へと、遠回りの道へと、希死念慮の群れを投下する。夢に、少し逃げるのは、耽るのは、悪いことじゃないのです。最期の前に、一歩、進む前に、一緒に眠って……。
枕元に置いてあったクヴァリフの仔、その啼き声すらも子守唄めいて。
与えてもらう? その代わりの贈り物?
無理無理、根こそぎ掻っ攫われるだけでしょ。
とろける黄金が如く。
粘つくように、こびりつくかのように、鋸に、憑かれて終ったのは数日前の出来事であったのか。まるで、唆されたのかと思うほどに、まるで、狂気をしているのかと自問自答するほどに、叩きつけた脳髄とやらの行方、嗚呼、未だに欠片としても解せないのだ。んー……何度も、何度も、死んだことのあるアタシからいうと、シンプルに、死ぬのは死ぬほど痛いし、苦しいわよ、当たり前だけど。仏のように横たわりたいと、解脱をしたいと宣っている時点で『それ』に到達する事は赦されない。臓腑をひり出すほどに恐ろしい沙汰とやらは中々に『ない』のだ。まぁ今生きてるの辛いと思うなら、だいたい、この先も変わんないでしょうからひとつの手かもしんないけど。否定はしないし、肯定もしない。アーシャ・ヴァリアントがしているのは、そう、只のおはなしの一種である。ただ、幸せな最期って、最期までやり尽くして、思い残すことがないなんて、極一部の人しか迎えられないと、アタシは思うけどね。……アンタらさ、それ、詐欺られてない? 甘い話にも綺麗な花にも、毒や棘があるってのはお決まりみたいなもんでしょ……? すん、と、クヴァリフの仔を囲んでいた連中が黙り込む。死ぬ勇気もなければ生きる気力もない、ならば、無理やりにでも起こしてやるのが慈悲だろうか。……あたしにかかれば、誰だって……。ドラゴンプロトコルの魅力を一番理解しているのは己だ。いや、一番は義妹に譲ってやるとよろしい。
たとえば、女王様の眼前、百合の花を彷彿とさせるフェロモン、情け容赦なく鼻腔を……空隙を……埋め尽くした。ほら、アタシが相手してあげるから、萎縮してないで、さっさと近づいてきなさい。我先にと駆け付けた男女問わず、さて、花の香りにやられた羽虫の末路や如何に――旨い話には裏があるのよ、よく分かったでしょ? え? 聞こえてない? そりゃそうよね。アタシが、ちょっと撫でてやったんだから。
撫でるほどの一撃だ。最早、一切合切が暗みの底へと。
塩にすべきかタレにすべきか。
迷っている暇があるならば、素早く、スライスされると好い。
――私達が、スライスされる、と。今回はそういう趣旨ですか。
脳天から爪先まで、何もかもの汚れ、いっそ来世まで持ち込んでキャンセルの極みとするが良い。幾らか神様仏様、慈しみの程度くらいは、与えてくださるのかもしれない。生のキャンセル、自死のキャンセル、いい感じです。その調子で、その状態で、決してキャンセルできない自我が存在することには自分でたどり着いてください。放任主義とでも謂うべきだろうか。きっとオマエは……星越・イサは、人間性の可能性と謂うものに、味を占められているのだ。「我思う、ゆえに我あり」近代哲学の原点です。ざわつく界隈、わいわいとしていた彼等彼女等も『狂気』の前では鼈か。正気のキャンセルと秩序のキャンセルは私もお手伝いしましょう。ひどく迷子をしているのではないか人間サマ、目を回すのはぐるぐるバットか、コーヒーカップに乗り込んだ際で十分とせよ。……え、そういう依頼ではない? 失礼しました。コホン……。改めてのキャンセル界隈、連中に面と向かえば宜しい。
生きていれば辛いのは当然。死んでしまえばお終いも当然。人それぞれに異なっていて、誰とも分かち合えないその辛さが――あなたを、人間を、作っていくのです。窮極的には、宇宙的には、人は皆孤独。ゆえに辛い、だからこそ――『おもしろい』とは思えませんか。もちろん、私はそう思っていますし、一度か二度、焼肉を囲んだ程度の仲間のために、命まで棄てるなんて、つまらないと……? 何か盛大に話がズレていないか。勘違いをしていないか。いや、きっと塩タンはネギとの相性抜群だし、ちょっとレアなあたりが美味しい。……ん? 焼肉……??? フレッシュなミートを育む為には新物質が必要だ。美味しくて、健やかに、実ってくれよ――何者かの舌の上で。
口腔、火傷に気を付けながらも、あつい、あつい、接吻を求むる。
……確信と謂うには不安定ですが、これは、怪異的です。
臓腑へと落ちていった肉の塊、流れていく赤と白の混沌、
目眩がするほどに、病みつきだ。
幾度となく繰り返した絶命については――歓喜によって引き起こされた惨事は――北條・春幸としては、日常の延長線上にすぎない。至高の塩加減にこそ狂気は秘められており、雀躍、舌が物理的に踊る有り様は何処か、幻想と怪奇すらも裸足でどん引く気配とも思えた。こんにちは。君達の事情は……君達の精神状態は、何となく把握してるよ。うんうん、分かるよ、辛いんだよね。ツラたん口走っている連中の真意など、成程、神意であっても解せはしないが、たとえ、死にたいと思っていたとしても腹は鳴る。でも、ちょっと待って。折角の出会いなんだし、最後の晩餐なんてどうかなあ。悪魔の囁きか、天使のお誘いか、何方にしても興味は『肉』のみに注がれ――まるで醤油の如くに滴ったのか。
君達の持ってるそのお肉、クヴァリフの仔、ちょっとだけ分けてもらえればいいんだ。捧げものを自分達で食べるなんて言語道断? いやいや、誰かに捧げるなら、味見をしておかないと怒られるかもよ。成程、一理ある。死にたい、辛いと騒いでいた彼等彼女等、捧げるのであれば心の底から、心の臓から、喜ばれるもので在るべきだと頷く。大丈夫。そんなに時間はかからないし、君達の最期を飾る『一皿』に相応しいものにしてみせるから。さあ、ぜひ一緒に! いつの間にやら借りていたレンタルキッチン、いいや、骨董品。この|幸運《●●》が齎す口福については――描写の必要もないほどに。
すぐ出来るというと……カルパッチョかな。合うワインも用意して。色とりどりだ。違う。最早、毒々しい卓上だ。もちろん、僕も一緒に頂くよ。そうだ。ついでに、他の料理も試したくならない? ごくん、と、誰かがカルパッチョを嚥下した。ああ、止まらない。止められない。海老の味噌のように濃厚で、それでいて、上品な甘み……。
……時間をかけても構わないなら、フルコースもできるよ。
食事キャンセルキャンセル界隈、頬をいっぱいに膨らませた。
フカフカとしたお布団に、フワフワとしたバンズに、今にも挟まれそうだった。ケチャップとマスタードの違いも判らぬ儘に、くぴぃ、ころころとした愛らしいものが転がっていった。まるでオムスビ、坂を駆け抜けていくかの如くにやってきたのは一ノ瀬・エミだ。バクバクとやかましい心臓に、ハアハアと騒がしい肺臓に、ほんの少しの休息とやら。……く。クピちゃん、急に飛び出して行っちゃって……どうしたのかな……。視線の先にはたくさんの『死にたがり』。彼等彼女等は幸いなことに『クピちゃん』には気づいておらず、面々、真っ暗い有り様であったのか。……あ、あれ……あそこにいるのって……? キャンセル界隈の真っ只中、掻き分けるようにして『いた』のは見知った人物。きょろきょろと、何かを探している様子だが――それは、おそらく、耳馴染みのある鳴き声に違いなかった。
ふーん、希死念慮……マキには縁のない話だとは思うけどなぁ~。笹森・マキの脳内、ぐるぐると巻かれているボロネーゼ。辛辣なまでの赤については、ぼんやり、美味しそうか。今回の依頼もけっこう、精神的に『くる』ものだと覚悟はしていたのだが、そんな事よりも気になる『音』。ん……? んん……? クピ! クピ! 足元で転がっていたのは――すぐさま彼方へと消えたのは――可愛い、可愛い、クヴァリフの仔。え……なんで。なんでクピちゃんがここにいんの!? マキさん! マキさん! なんでここに? 脳味噌を揺さぶるほどの衝撃だ。まさかのバッティング。運命の神様とやらにはひとつ、お叱りをやらねばならない。それはこっちのセリフだってば……。兎にも角にも『危機』である。もしも『クピちゃん』が連中に見つかったら――最悪を極めてしまう。は、はやく隠して隠して! エミちゃんにも、クピちゃんにも、何かあったらマキ、それこそ死んじゃうよぉ! ご、ごめんね……クピちゃんが飛び出していっちゃったから、つい……。トートバッグでのかくれんぼ。これが、吉と出るのか、凶と出るのか。
えっとね、見ての通り、マキは依頼で来てるんだよぉ。で、仔を捧げる人達を止めに来たんだけど……なんだか、想像していた以上に様子がおかしいね~……? 何が可笑しいのかと問われれば『よだれ』だ。まるで、雛のように、蛇のように、大きな口を開けている。……でね、エミちゃん、こっからの作戦なんだけどぉ~……あら。如何やら上司の妹さん、居ても立っても居られずに聞き込みを開始してしまっている。ま、まあ、役割分担は大事だし。マキは周囲の警戒を怠らず……。見守る母親のような表情か、成程、抱え込んだ卵は口よりも大きい。
誰も彼もが辛そうだ。「ツラたん」なんて、軽々しく口にしているが、その表情は絶望の二文字である。クヴァリフの仔の回収も、そうなんだけど……こんなになるまで……苦しみながら……。同じ穴の狢だと謂うのに天使、自分の事よりも他人の事だ。いきなり『生きて』なんて言葉をかけても火に油。もっと、辛い思いをさせてしまうから、せめて、今まで何があったのかお話を……。聞いたのがいけなかった。訊いたのが不運だったのだ。
彼等彼女等の背後には優しくて、大きな、怪異の影があった。彼等彼女等は救いの女神などと謳っていたけれども、そのように美人な怪異、如何にも嫌な予感がする。……え。今、なんて……舌で誓う……? あの……その人、もしかして……黒髪で……蝶の飾りを……。天啓は突如としてやってくる。邂逅の予感は、それこそ、最悪極めてやってくる。思考が停止をしてくれたのは一瞬だけ、最早、知らなかった頃には戻れない。
そんな……まさか、まさか……あの……?
だとしたら、これは、救いでもなんでもない。
どうしよう――頭の中、強烈なまでの、微笑み。絶望が女性のカタチとなって歩を進め、ゆっくりと、みんなの|伽藍洞《●●●》を指差すかの如く――嫌だ。嫌。なにもできない私に戻るのだけは、絶対に、でも……。
あれ……どうやって、息をするんだっけ……。
彼等彼女等と話していた上司の妹ちゃん、ちらりと、目をやったなら、様子がおかしい。俯いて、フラフラと、今にも倒れてしまいそうな。どしたの、エミちゃ……! 顔色が悪い。いいや、その程度の状態ではない。口を開けてはいるが、しようとしてはいるが、まったく呼吸が上手にできていない。エミちゃん。落ち着いて、息して……! 何度も、何度も、背中をさすった。さすっても、さすっても、治まりそうにはない。
だからこそ、此方が、落ち着いて。
大丈夫だよ、マキが……皆が、側にいるからね。
第2章 冒険 『狂気迷路』

グロテスク――二つの意味を、同時に、讃えてくれるとは、
実に容赦のない仕掛けであった。
迷路――カタコンベ――希死念慮の向かった先は、最果ては、如何やら|死体《●●》で出来たソレと謂えた。繋ぎとして使用された|肉《●》こそが怪異で、びちびちと、自身の役割とやらをまっとうしている。狂信者どもを追いかけていれば、ツラたんな連中を追いかけていれば、何れは、彼等彼女等の女神様とやらにも出会えるだろう。
しかし、気を付け給え。
最早、迷路とすらも謂えないカーペットの上だ。
見ているだけで、踏んでいるだけで、常人であれば、√能力者であっても、
――発狂の二文字に追いかけられる!
地下――谷底へと墜ちていくかの如くに――骨を投げ捨てたのは、
屍を喰らう獣だったのか。
巨大な、巨大な、蛆虫の中、溶かされる事も、吸収される事もなく、永久に、抱擁されているかのような感覚か。脇腹を出口と見定めるのはたいへん利口だろうが、しかし、己こそが変異のひとつなのだと、如何して解ろうとしない。ふにゃ……悪趣味、なのです……。いっそ三悪趣としてお迎えしてやれば良いのだろうが、残念ながら、其処まで正気を失くせるのであれば、とっくの昔にしていたと謂えよう。まぁ、僕が謂うのもアレですが……。荒々しくも、禍々しくも、視界いっぱいな蠢動。いや、目の玉を隠しているのだから威力とやらも半減であった。この程度、たとえ、視たところで……凝視したところで……。朝飯の代わりとして提供された化け物どもの卵、それに比べればまさしく鼈を捌くに等しい。
人の仔の夢、クヴァリフの仔のユリカゴ、そのくらいで在れば容易に再現が出来てしまう。しかし、耐えられるとは口にしても、流石に、お気に入りのパジャマを汚すワケにはいかないか。フワフワ、フワフワ、いつの日か出遭った『Y』の時のように、悠々と、宙を漂って行けばよろしい。……運任せかもしれないですが、ええ、時間をかければ目的地に、辿り着けるのが真実と……。さて、衝突しそうになったのはつなぎ用の怪異か。つんつんと、教えてくれたカダスとやらに、文字通り、天高く聳えるかのような感謝を――。
ふみ……念には念を、入れておきましょう……。
底が存在するのだと、そう、嗤ってくれるのなら、今すぐにでも底無しをせよ。夢のような微睡みが、駆けるかのような大欠伸が、さて、夢の階とやらを作り出してくれたのか。迷うぐらいなら、ぶつかるくらいなら、叩き壊せば良いでしょう……。
肉の道なのだ。腸のトンネルなのだ。
掘り進める事など……砕いていく事など……√能力者にとっては、
塵を掃くのに同じであった。
肉のヴェールを剥がしてやった。彼方、見えてきたのは舌の扉で在ろうか。べろりと、火傷をしたのかと心配になるほど、赤い、赤い……。あれ、返り血ね。まさか、返り血まで舐るなんて、意地汚いのか綺麗好きなのか、判断に困るわよ……。
薄切りにしたいのか、厚切りにしたいのか、決定権はオマエにあった。
それにしても薬味が無いのではないか。せめて、臭みは消してほしい。
差し掛かったY字の道、何処かの聖職者の『名前』ではなかったのか。いや、アーシャ・ヴァリアント。ドラゴンプロトコルであるオマエは、逐一、他人の名前など記憶しないであろうか。うへ……またキモイ迷路ねぇ……肉々しいのは、憎たらしいのは、この前の脳味噌騒ぎでお腹いっぱいなんだけど。物理的にも精神的にも、胃袋がはち切れんばかりのグロテスクだ。こんなの……まともに進む気も、まともに探索する気も起きないから、さっさとぶっ壊していくのが正解ね。大正解だ。観察する事、好奇心に突き動かされる事、この、人間的な本能こそが――本来の、地獄とやらへの入り口と謂えた。……しかし、もう、こうもグチョグチョだと足場に困るわね。触りたくない、踏みたくない、ならば、先客と同じように『する』と宜しい。素の状態で飛行が可能なのだから、ああ、羨ましいものである。
ド派手なパフォーマンスが齎すものは敵からの察知だろうか。或いは、敵が誘ってきているのだから、いっそ、乗ってやるのもひとつの手。は……! アタシを誘ってるのかしら。だったら、後悔させてやらないと気が済まないわね。それと、焼き肉をするなら肉に拘った方が良いわよ。流石に、これは、誰も食べたくないんじゃないかしら。
吹き上がる竜漿、その真ん中で肉たらしい壁を裂いていく。切断し、吹き飛ばし、轟々と焼き滅ぼしていくサマは爽快であった。美味しそうになって、帰ってくるんなら考えてやってもいいわ。荷馬車に乗る事もできない仔牛ども、もうたくさんだと嘆いていた。鮮度を命とするならば、愈々、容赦などしていられない。
濃密な……濃厚な……奇怪な気配。まるで、圧倒的な魅力とやらが、皮を装っているかの如くに。反芻しているのか、接吻しているのか。何故か、羨望の念とやらが――頭蓋を叩いて、喚いて。ヤカマシイ。
死屍累々、ハンバーグの真似事が大得意だと彼等は嗤った。
丁寧に、丁重に、扱われた死体など、最早、この場にはひとつもなかった。未曾有に、無量に、積み重なった死体たちが何者かの手によって加工され、掘り進められ、迷路とやらを形成しているのだろうか。……ある意味、見慣れた光景……? 地下墓地ではない。何方かと謂えば芸術的で、それこそ、グロテスクの文字が相応しい。……自分でも、似たような星詠みを……したことが、あるので……。結局のところはお友達なのだ。グロテスクと手を繋いでフォークダンス、いいや、楽しむべきは輪舞に違いない。……申し訳、ないのですが……輪舞の方はNGです……。何がNGなのかは兎も角として、嗚呼、足を踏まなければならない。もっと、直接的に描写をするならば肉々しさを足場とせねばならない。……気分的には、複雑です。これは『被害者』なのだ。たとえ、死体だけを拾ったのだとしても、被害者と称するのが適切と思えた。……少し、来るモノが……あります。些細な事を切っ掛けとして喪失するetc、如何して今更人間性とやらを大切にしなければいけない。吐き気の原因、不明の儘。テセウスの船を出すと良い。
……僕は、正気を……自分を、蔑ろにしている自覚は……あるのですが……。みっちりと敷き詰められたカーペット。その上を、一歩、一歩、確実に、踏みつけていく。見えない彼等の積み上げてきた知識を頼りに、嗚呼、誰かが大切にしていそうな|部位《●●》を優先する。……脳髄が、不要……そんな、小説を……片付けて、来ましたが……今回は、やけに、舌が足りていないです……。跫音を殺せ。されど遠慮なく。彼方に、或いは、壁の向こう側に、この事件の黒幕がいる事を信じて――まさか、僕は、お腹を……空かせて……?
手ぶらで帰るなんて勿体ない。一口くらいは包んでおくと宜しい。
抗う必要など、そもそも、有ったのだろうか。遭うべきところで遭うのだから、態々、さまよう所以など皆無であろうに。だからこその狂気、だからこその魔性、瘴気を孕んでいる道ではない道に、猫のように――未知の舌触りを求めて。
手ぶらだと謂うのなら結構、お代は今更、貰ったりはしない。
千切れそうなほどに美味なのだ。千切れるほどに寄越せと嗤う。
阿鼻地獄へと――叫喚へと――投げ込まれた脳髄は、果たして、己の罪業と再会する事が可能だろうか。網の上で踊っている憎たらしさに、肉の群れ、味わいを深める為に何を行う。……今日は一段とノイズが……不確定性が、酷いです……。訴えているのは頭痛だろうか、或いは、慣れ親しんだ眩暈であろうか。何方にしても星越・イサ、オマエの面構えとやらはいつにも増して嬉々である。能力の調子が……何もかもが『良すぎる』のかもしれませんが。さて、不意を打つ必要もないほどの馥郁さだ。並べられた皿の上、この牛タンはおそらく上等の中の上等に違いない。独りでにジュウジュウとやってくれたところも、まったく憎いか。……いけません。こうも、鼻腔を、脳髄を、擽られては、お腹が空いてしまいます……。ぐぅ、と、笑ってしまった胃袋に反応したのか、|幻影《にく》。長ったらしい部位とやらを、艶々とぶち撒けてくれた。……焼肉パーティの幻覚を、限りなく本物なこの道を、進むというのは……。あまりにも最悪――あまりにもナンセンス――ですが。狂気の道はむしろ本懐。いっそ壊してくれと願うほどには本物なのです。するりと、口腔へと飛び込んできたのはタン。いやいや、誰がどうして、ひどく深淵な接吻を欲しがっていたのだ。ぶちり、噛み潰す。苦虫よりも苦虫らしい『もの』を湛えて――薄ら笑みを浮かべるが儘に――只、歩む。主食を用意しなかったのがいけない。怪異はやはり怪異なのだ。
グロテスクだと自称するなら、芸術性を謳うというなら、
もう少しだけ、意識をしておいた方が、良いのでしょう。
仕留めなければならない。斃さなければならない。
たとえ、肺が破れそうになっても、しがみつくかの如くに。
肺臓が――精神が――過去と呼ばれる傷に苛まれ、根っこから腐れて終いそうな思いになった。それでも、一ノ瀬・エミが……天使が、呼吸の仕方を思い出した所以とやらは、嗚呼、ぬくもりと描写すべきか。さするだけでは、いけないと。撫でるだけでは、ダメなのだと。笹森・マキが包み込もうとしたが故である。……今にも、倒れそうだったから。思わずぎゅぅって抱きしめちゃったけど……。エミちゃんがこんなになるなんて、エミちゃんが抱え込もうとするなんて、よっぽどだね。そう考えてみたならば兄も妹もオマエも、全員が全員、似た者同士なのではないだろうか。支え合って生きていく今が大事だと、大切だと、理解してはいると謂うのに、いざ、実践となると難しい。マキさん……マキさん……ありがとう……やっと……息苦しく、なくなったよ……心配かけちゃってごめんね……。謝っている場合ではない。頭を下げている場合ではない。そう……っ……そうだ、早く……気付いた事を伝えないと……! 脳内、蔓延っているのは血塗れか、或いは、いつかのお手紙。羅列されている名前の|意味《●●》については、最早、説明の必要もなし。
マキさん……あの人達が、救いを求めている怪異は、虐殺事件の時の……先輩や友達を殺した……あの怪異だと思う。いいや、思うではない。これは『確信』だ。見て見ぬフリなど一切できない、蝶々の踊るサマであったのだ。特徴が一致してるし……間違いないよ……。呼吸をする。深呼吸をする。肺臓に、腸に、いっぱいの勇気を溜め込んで……蓄えて。あの怪異だったら、放っておけない。ここで引き返したりしたら、ここで、逃げたら、悲劇は止まらない。身体は正直だし、精神も同じく。怖くない筈が無いし、まだ、身体が震えている。パン、と、自分の頬を叩いて――じっと、じっと、真っ直ぐに。怖いなんて言ってられない。これ以上、あんな酷い事が起こらないように『する』んだ。私が止めないとダメなの!!! 強い、強い、覚悟である。覚悟をしてしまったのだから、如何して、誰かが止められる。
……そっか。理由を耳にしたならば納得するしかない。納得するしかないし、何より、その事件については『マキ』も知っている。その事でエミちゃんも、シュウヤさんも、心に深い傷を負った事も……怪異の所業だって、隅々まで、まったく記憶に新しい。……正直、引き返してほしい。引き返してほしいし、もし、出来るのなら、忘却だって視野に入れたい。だけれども……。この子は、エミちゃんは、それを望んでいないし、覚悟をしている。苦しみながらも、悩みながらも、決着をつけようと……その銃、ずっと持っていたんだね。
視線の先には『銃』があった。
覚悟の化身として――親友の、ユリカちゃんが残してくれた、銃で。
……私が、あの怪異にトドメを刺す。
だから、マキさん……お願い。私も一緒に連れて行って。
此処で頷かなければ、きっと、エミちゃんは一人で行ってしまう。ならば、笹森・マキ|も《●》覚悟をしなければならない。……分かった。ただ、ちょっとだけ待って。シュウヤさんに、これからの事をメッセージとして送っておく。……シュウヤさんも、エミちゃんと同じだから。あの怪異が現れた事を伝えておきたいの。
『依頼先で虐殺事件の怪異が現れた可能性大。
エミちゃんが怪異と決着をつける覚悟を決めました。
これから追跡を開始します』
位置情報も添えておいた。あとは、気付いてくれる事を祈っておけ。
よし……! 背中に天使を。肉のトンネルを翔けると良い。
しっかり掴まってて……!
第3章 ボス戦 『怪異『死の口づけ』』

濡れた烏が嗤っている。イチゴの匂いに釣られて、蠱惑的に。
今際の際――クヴァリフの仔を捧げようとしていた何者かは――妖艶な女性と、深い、深い、キスをしていた。君達はその場面に出くわしているのだが、しかし、羨望の念など、欠片として抱けないだろう。何故ならば、君達の精神に萌えているのは恐怖か、狂気だからだ。目の前で行われている『こと』は情念の確かめ合いではない。あれは……そう。怪異による――怪異『死の口づけ』による――百舌の早贄も吃驚な、捕食行為であったのだ。
ぶちりと、千切れる。舌の根が千切れたのだ。食い千切った『舌』を美味しそうに、旨そうに、みちみちと咀嚼していく。ごくんと、音がしたならば、次の獲物へと視線が踊った。ああ……よかった。まだ、あった。すぐ、なくなってしまうから、寂しいものなのよ。おかわりがほしいの。それに……あなた、ねえ。
翼をもいで、羽をもいで、逃げられないようにして。
今度こそ、欠片も残さずに食べてあげる……。
クヴァリフの仔の回収をするのは、仕事として、それ以上に。
怪異が捕食したがっているのは――天使であった。
爛れた精神の具現として舌の根を乾かす。
乾かす前に分け与えられた唾液は、さて、胃液の間違いではないのか。
濡れた烏は最早なく――剥き出しにされた凶暴性は――怪異に相応しいものであった。魑魅魍魎が道を譲ってしまうほどの魔性だ。それが、瘴気を放っている時点で、成程、常人であれば今頃インサニティにすら至れないほどか。ふにゅ……死にたがりの人を集めて、鬱々とした彼等彼女等を集めて、食事ですか……。食事ではあった。食事の類ではあったのだが、それ以上に、娯楽であった。人を誑かす事に愉悦を覚え、繰り返し、繰り返し、落としてきたのだ。まぁ、三大欲求のひとつではあるのですから、その衝動のままに動くのは、僕も同じではあります……。ですが、思いは全く違いますけど……。違っている、その差とやらは見ての通りだ。閻魔も嘆息するほどの冒涜である。……さて、そう簡単に喰われるつもりは、ないのです……。ゆらりと、禍々しいものが世界へと溶けるかの如くに。死の口づけは愈々なく、其処には、大罪の牙とやらが生えていた。
食欲にまで怠惰をさせたのならば、もう、ゴールは目の前だ。
抵抗しましょう……それとも、打ち倒してみせましょう、の、方が良いのでしょうか? 未だ、敵の力は不明の儘だが、不明の儘に正体を暴いてやるのも一興と思えた。カダス、力を貸してください……いつものように、協力して、この怪異を倒しますよ……。もっと味わいたいと宣うのであれば、嗚呼、もっと夢を見ていたいと返すべきか。夢の中で羽ばたいている、鳥なのか馬なのか解せぬ輩に――宙の飛び方を伝授してやれ。ええ、生命を喰らうのであれば、舌を貪るのであれば、逆に、啜られることも覚悟の上なのでしょう……?
翻弄し、蹂躙し、叩き潰す。
回り込み、嗤笑するかの如くに振る舞った|護霊《カダス》。
――生ける炎を外套として、嗚々、無気味さを灰とせよ。
深海を往く者への贈り物、盲目であるが故の敏感さ。
巨大な、巨大な、女王蟻――その、白色とした肌については――最早、亡者のような有り様であった。人を誑かす為に、人を、物理的にも喰う為に、只、学び続けてきた化け物は何処までも、何処までも、聖女のように嗤っていた。……死にたがりでも、アレは放置しては……いけないと、解ります。……だから、少しでも……死にたがりな僕にでも……出来る事を……。ああ、死にたがり。死にたがりは『死にたがり』でしかなく、真に一歩を踏み出す事など中々にできない。されど、√能力者な時点で『できる』ことは多くあり、それを蔑ろにする冒涜など、赦されていない。……たとえ、舌を持っていかれても……捕食をされたとしても……いえ……あのような、愛のない接吻なんて……誰が、受け入れる、ものですか……。相手を喜ばせる為だけに、態々、虎穴に入る必要などない。そして何より|簒奪者《●●●》にされるなんて――それこそ、死にたくなる沙汰か。
たとえば、人の肉。その味わいを教えてあげようなんて、錯乱するなど言語道断。それならば、嗚呼、怪異の肉を調理して猫鍋と見做した方が、遥かに『マシ』だと思われる。……其処までして……食べたい、もの、なのですか……? 純粋な疑問と共に散らかった羅鱶。臓腑を入れ替えていく所業に対して怪異の反応や如何に。ええ、食べたいものよ。食べたいものだけれど、あなたは、あまり、私の好みではなさそうね。途轍もなく失礼な事を謂われた気がした。気の所為なだけで、むしろ、それが真実なのだとしたら、確かめなくても良いのではないか。
せっかく用意してくれたのよ? 残したら勿体ないわ。
腹部へと、腸へと、投げ込まれたのは魔術師である。じわじわと這入り込んだ毒々しさが、腹痛、ひどいものを齎してくれた。……やっぱり、僕なんて……食べない方が、良いです。捕食者が捕食される光景、グロテスクがグロテスクを上書きする現実。仮に、狙われたとしても――口腔を沼として、只、反撃をせよ。
はじめに知識があり、その後、発揮へと至る。
妖怪百鬼夜行――ある|世界《√》の人類めいて――彼等彼女等は情念の化身であった。もしも、この狂気が紛い物だったのだとしても、彼等彼女等は盲目を貫いてくれたに違いない。ああ、芳醇。熟した肉の旨味とやらに如何か、執念深くいてくれないか。情熱的ねぇ、一つしかないものを捧げるのって……やっぱり詐欺だったと思うけど。おそらくは、詐欺師の方が幾らかマシであったのだ。詐欺師であれば精々、静電気ほどの痛みくらいしか『くれない』のだから。どう見ても幸せそうな最期じゃないし、むしろ、言った通り死ぬほど痛いじゃない、舌を食いちぎられるなんて。ああ、まったく。気の早い話だ。確かに人類、地獄に落ちる個体の方が多いけれども、生前、舌を抜かれるとは何事か。……そりゃすぐなくなるでしょうよ、どんな生物だって舌は一つしかないし、牛の舌とか希少部位って言われてるもんね。おお、二枚舌な妖怪。オマエの脳裡に浮かんだ例外は如何に。……例外は例外よ、それは、アンタも理解してるんでしょうけど。理解しているから、把握しているから、何だと謂うのか。痩せている女には肉を与えよ、摂理とも考えられた。
はぁ……? 何を口にしているのか。脳髄不要の続きでもしたがっているのか。確かに、羽根はあるけど。もがれるのも、抉られるのも、御免だわ。食べられたくもないし。ならば如何すべきかドラゴンプロトコル。必死に抗ってみせるのか。いいや、真逆だ。如何して、アタシが、必死にならなきゃなんないの。アンタみたいなヤバいのは、アンタみたいな※※※は、アタシが、骨も残さずこの世から消してあげる。殴ろうとしても、蹴ろうとしても、齧ろうとしても、何もかもはナンセンスだ。死の口づけが『見た』のは竜である。真なる竜の顎こそが――ピラミッドの頂に相応しい。大丈夫、アタシは舌だけなんてグルメじゃないから、丸ごと全部、いただきます。頭部から咀嚼してやった。硬くても、柔らかくても、腹に入れば同じだ。
いたぶる趣味はなく、只、臓腑の底へと。
インスタント・カメラの前、ガチガチに緊張していたのは随分昔の誰かさんであった。じわじわと抜き取られる精気の類は果たして、ああ、枕元でないのだから、牛を代わりに出来やしない。幾つかの無駄を、幾つかのナンセンスを、羅列してやったところでようやく、目と鼻の先の美女|だった《●●●》者に意識を向ける。とても物理的な、とても情熱的な「死の口づけ」だな。物語だと、怪奇譚だと、魂が抜かれるとかそういう情緒的なものだったりするのにね。あら……あなた、私には、あなたが『そういうの』を重視するようには見えないのだけれど。おぞましい化け物として、忌まわしい怪物として、振る舞ってくれたならば楽だったのに。食欲旺盛なグルメとやらは、食わず嫌いとやらは、人らしく嗤った。僕も、お喋りをしながら、怪異を食べるって事なら何度でも付き合ってあげるけど――苦い肝のような関係性なのだ。水と油なのだ。腹が空くほどには、似合わない。
勿体ない食べ方だねえ……。それに尽きる。それに『尽きて』しまった。まだ、お肉がいっぱい残ってるじゃないか。美味しそうな部位も、美味しそうに思えない部位も、いっぱい残ってる。人間精神が『残すな』と囁いて来たのか、或いは、別の衝動的なお話か。せめて一皿完食してからお代わりしてほしいな。……もしかして、あなた。美味しいご飯に殺されたって構わない、そう、考えているのかしら……? 私は、知ってるのよ。|ご飯《あなた》達が強者って事くらいは……。怪異が『獲物』に本気を出す。それほどに√能力者は厄介なのだ。……光栄だね。それじゃあ、そろそろ、腹の虫の機嫌が悪くなりそうだから……。
まるで『狩り』だ。三月の兎がライオンを喰い散らかそうとする、逆転だ。いや、違う。この兎はおそらく、散らかすつもりなど欠片となかったのだ。切り付けてやれ。千切ってやれ。的が大きければ大きいほどに――痺れるような味付けへと。思うように出来ないよね? それが、解剖される側の『味』だよ。ずるりと引き出された腸。僕はタンしか食べないとか、そんな選り好みしないからね。
青薔薇を飾ってやると宜しい。宝石のように、首飾りのように。
腸が仰天してしまった。ひっくり返るほどの喚きであった。
度し難くも呼び声――対処できない連中の叫び声が如く。
――塵のような音楽だ。音楽のような情報だ。
人肉トンネルの最果てで――フレッシュ迷路のゴール地点で――催されていたのは、吐き気を催す類の宴であった。宴の席には一人だけ、それ以外の悉くは皿の上だ。いいや、皿すらも一枚と無く、只、歓喜の底へと身投げする亡者どもが如くに。……なんという光景でしょうか。私が所望していたのは牛タンパーティであって、人タンパーティではありません。既に正気を失くしているのか、或いは、最初から最後まで持ち合わせていないのか。星越・イサの言の葉に、怪異、首を傾げる始末。馥郁たる花の香も、ああ、鼻腔を擽れそうにない現実。現実こそが幻想への第一歩で在るならば――場を整える為にも網目、用意をしてくれ。人類の未来と私の食欲に仇なす怪異は、その精神、炭火で焼き焦がされ、塩とレモンを振られた後――忘却の胃袋へ飲み込まれるのが、落ちていくのが、相応しいでしょう。……あなた。あなたは、そう……まるで、牡蠣じゃないの……。海のミルク、岩の隙間、潜んでいたものは、さて、毒々しくも蠱惑的な濃厚さか。……誰が海のミルクですか。私の舌はあげられませんし、中身もそうです。おいしいご飯を食べて、一片の正気を実感するための大切な『もの』ですから。……あなたに正気? ひどい冗談。冗談みたいな怪異だ。怪異ならば怪異らしく、演じてくれたならば良いものを……。邪悪な襞の蠢きであった。脳髄を舐るかのような過負荷であった。
いっそ蝉にでもなってくれ。
うるさい。何が五月蠅いのかと問われたならば、さて、彼方として描写が出来ない。怪異の頭の中に詰まっているもの。それが、珍味だったとしても、最早――犬も喰わない有り様と考えられよう。頭痛? 私が……? 怪異である私が……? 食欲が、涌かない……? 魅力的に思えてきた濡れ烏、その口から、喉の奥から、勿体なくも逆流して終えば――蛙のような鳴き声――困ります。それでは、殺し文句も効きません。
A piece of cake――とても簡単な事だと、途轍もなく容易な事だと、何者かが嘲笑った。最後まで、嗚呼、最後まで、残していた|人間《イチゴ》は|天使《イチゴ》となって、今、怪異の前に立っていた。ずるりと、でろりと、熱烈なキスを終えた『もの』が力なく落ちていく。味気のない肉への興味は消え去り、ああ、怪異、濡れた烏の食欲は一点に集中する事となった。……ああ、よかった。あなたを、待っていたの。あの時は、失礼な奴に、邪魔をされたけれども、今度こそ、あなたを……。ある種の寂しさが、ある種の感情が、怪異の『眼』に湛えられていた。……やっぱり、あの人だ。あの時、先輩も友達も食べた……あの怪異だ。心臓が痙攣している。脳髄も同じくだ。肺臓が喧しくなって、今すぐにでも、助けに――。足が止まった。恐怖から? 違う。約束をしたからだ。マキさんと、ワッフル君と、クピちゃんと……。『この先どんな酷い事を目撃しても飛び出したりしないって』
思いとどまってくれた。現状が、現実が、笹森・マキにとってどれだけ『おもたい』事であったのか計り知れない。前もって伝えておいてよかった。もしも、何もせず、挑みかかっていたならば今頃――いや。そんなことを考えている暇はない。タイミングが重要なのだ。お約束と、それと、如何やって倒すのか。走りながら、駆け抜けながら、方法とやらを反芻し合っていたのだ。後は……自分ができる精一杯を、それ以上を、やるとしますか。噛み砕くかの如くに、滑り込むかの如くに、シーズー、本来の大きさでの参戦となった。……そっか。わかったよ。私と、ワッフル君で『あれ』を仕掛けるからね。獣に跨ったオマエ、騎士の真似事でも『する』つもりか。勿論、それも間違いではない。引き付けろ。引き付けて、引き付けて、確実に――元々悪い顔色とやらを、蒼白に染めてやると宜しい。
ワッフル君……。主人を守る為に、主人の覚悟の為に、彼方へと向かって行った獣への感謝。それに応える為にも、それを完遂する為にも、一ノ瀬・エミ――天使は親友の形見を取り出し、構えてみせた。あの人……あの怪異……天使を……天使になった私を、食べたがっているんだよね……。呼吸は出来ているし、倒れる事はない。だけれども、嗚呼、恐怖とは、遅延性の眩暈が如くに膨らむものだ。いけない……微かに、手が……。震えている。おそれている。覚悟を決めたと謂うのに、覚悟を決めた筈なのに……。
この程度で、マキを如何にかできると、本当に思っているのかな。目と目が合った。その結果、怪異「死の口づけ」は天使の存在を見失った。怪異は目の前の餌が、只の肉が、何かしらを仕掛けた『こと』くらいは理解できていた。だからこその爪であった。しかし、仮に、何もかもを滅茶苦茶に増やしたところで――捕縛をされてしまえば、無意味と謂えよう。こっからはマキのターンだね。まあ、お姉さんに譲る気なんてサラサラないんだけど。爪が届いたとしても、牙が届いたとしても、全てを歪ませたならば問題はなし。毒を注がれたとしても微量であるならば、さて、耐える事だって可能だろうか。……ちょっとお姉さん? どこ見ようとしてるのかな。マキは、お姉さんの、敵だってこと分かってる……? 締め上げてやった。締め上げて、容赦なく見つめてやった。あなた……あなた、あの子を、あの天使を……美味しそうな……どこに、隠したの……。まだ、効いている。これなら……。震えている。何が震えている。ご到着の合図……。
人肉トンネルを無理やり、捻じるように走っているのは自動車。運転席に座っている男は――一ノ瀬・シュウヤは――傍らに|写真《●●》を置きながら、現状を反芻していく。マキからのメッセージ……妹の覚悟。一切合切を確認して、駆け付けてはみたが。……これは、ひどい有り様だな。死体である。いや、時々、生きていた。舌を食い千切られ、動けなくなり、死を待つばかりの最悪。ともかく、今、考えるべきは二人の事だ。メッセージを返して、己の到着を知らせるべきだ。ぴこん。小さな合図に反応してくれたのは大きな合図。光だ。光が雨となって、弾丸となって、一箇所へと降り注いでいる。……マキの……落涙か。急ごう、あの光の中に二人がいるはずだ。走れ、奔れ、たとえ、肺臓が破れたとしても。
此処まで派手に放ったのだ。此処まで派手に光らせたのだ。全身全霊で、命を懸けるかの如くに、落涙させたのだ。これで……シュウヤさん、気づいてくれるはず……。強烈な光に飲み込まれても尚、存在している『怪異』からの贈り物。……ねえ、あなた。そんなに消費しちゃって、大丈夫かしら。私はこの程度で倒せないし、この一撃のおかげで、解放されちゃったわけだけど……? 解放された。いいや、開放された。ふわりと漂ってくる花の香りとやらに、馥郁とやらに、ほんのり、眩暈を覚えたが。……マキはね、ここで、倒れるわけにも、眩むわけにも、いかないんだ、お姉さん。痛くても、苦しくても、マキは絶対に負けない……! そのつもりだ。しかし、馥郁を防ぐ事は非常に困難である。気が付いた瞬間には笹森・マキ、死の口づけに――自分から接近していたのか。え……?
魔の手が迫る――怪異の膂力の前では、たとえ、熟達とした√能力者であっても紙切れと同じか。ずるりと、ぐらりと、舌を引き摺り出されるかのような音――否。これは、口から耳まで、切り裂かれるかのような音。……え? 今度は怪異が驚く番だ。驚き、思考を停止させる番であった。間違いない……あの時の怪異だ。友人も、同僚も、喰い散らかして。癒えることのない傷痕を残していった、女だ。貴様……性懲りもなく、まだ、喰らう気か? 妹にも、部下にも、決して、触れさせない……。間に合った。一ノ瀬・シュウヤの|解剖《●●》は、まさしく化け物に相応しい。その忌々しい舌も切り落としてやる。有言実行。引っ張ってやった。引っ張って、根元から落としてやった。閻魔の化身として踊るが良い。あー……うん。良いとこ、持ってかれちゃった。……漫才をしている暇はないぞ、マキ。
シュウ兄が駆けつけてくれた。まるで、いつかの、紳士の腕が如くに。ダメだ。こんな事じゃダメだ。止まって……止まって……! ふわりと、抱きつくかのような、ぬくもり。何かの気配がやってきて、そのまま、震えとやらを無くしてくれた。もしかして……天使になった時、夢の中で見守ってくれた……。人は支え合ってようやく、人として生きていける。ありがとう。心の底からの『ありがとう』。あとは、やるだけ。大丈夫、今の私なら、私達なら――どんな困難を前にしても、勇気を、出せる筈だから。ざくりと、マキさんが袈裟をしてくれた。合図だ。事前に決めていた、何もかもを片付ける為の、親指の……。
これで終わりだよ、食い意地の張ったお姉さん。
舌はもう、ない。無いのだが、怪異の感情はなんとなく読み取れた。
……もう二度と、出てくんな。
あの銃は――ユリカ君の。一ノ瀬・シュウヤが目にしたのは妹の『親友』の形見である。ユリカ君は……エミが、怪異と仲良くしていても、ずっと友達でいてくれた子だったな。狙い易いように、トドメを刺し易いように、逃さないように、死の口づけの『脚』も解剖した。力は尽くした。この瞬間を見届ける事こそが『兄』としての役目である。
――頭部。
狙いを付けた。
狙いを付けて――撃ち抜いて――全てが終わった。
倒れている。斃れている。怪異の亡骸が、横たわっている。
おかしいな……あの時も、今までも……ずっと……こんな事、なかったのに。
たくさんの思いが滝のように溢れてくる。溢れてきたものを受け止める水槽なんてない。止まらない。涙が、声が、止められない。潰れたイチゴのように。
――舌の根が千切れる前に。