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祈りの天花
祈りの花が夏の夜空に咲いた。
打ち上げ花火を目指すように海上に広がる灯籠は、まるで水面に浮かぶ星々にも似ていた。
とある地方都市の街角。
掲示板に貼られた張り紙を見た女性はああ、もうそんな季節なのねと呟いた。
其れは8月半ばのお盆の時期にこの街で行われる大きな夜祭のポスターだ。
川辺で灯籠を流して灯籠が向かう先――海辺の臨海公園にて花火を眺める。
この街ではすっかりと夏の風物詩とされている祭り。
女性が越してきて最初の年に見た時はその美しさに心を奪われて以降、毎年繰り返し見ているのにその美しさは一切色褪せない。
|√汎神解剖機関《黄昏を迎えた世界》の中でも、綺麗なものは等しく美しく感じられるのは素敵なことだ。
祭りの日の予定はいれちゃってなかったかしら――そう思いながら、女性は掲示板を後にした。
生暖かな潮風が夏の香りを連れてくる。
今年も、この街に祈りの花という名の花火が咲く。
●夏の宵、祈りの花
「元々は昔あった怪異による災害を弔うためのお祭りだったそうです」
史記守・陽 (黎明・h04400)は集まった√能力者達に語りかけるとプロジェクターに写真を何枚か映し出す。
√汎神解剖機関のとある海辺の地方都市にて祭りが開かれる。
川辺で灯籠を流しその先の海辺で花火を打ち上げるというものだ。
日本で花火が夏に行われるようになったのは江戸時代だと言われている。
当時の江戸や関西では疫病や飢饉により多数の死者が出ていた。その犠牲者達を弔うために打ち上げられたのが花火。
以降も夏の風物詩とされるようになったのは、日本の蒸し暑い気候が関係している。
夜風にあたりながら花火を眺めて夕涼みの文化として都合がよく定着したのだろう。
「もっとも、此れは√EDENでの話だから√汎神解剖機関ではどうかわからないんですが」
陽は補足するように付け足してから更に話を進める。
「元々は慰霊のためのお祭りで、今も慰霊行事である灯籠流しや花火はあるのですが普通のお祭りとして過ごしていただいて大丈夫ですよ」
かつては慰霊の意味合いがあった祭りも時代が経るにつれて、その都市の風物詩として一般的な夏祭りと変わらないようになった。
実際灯籠を流す川辺から花火会場となる臨海公園まで向かう通り道は屋台が立ち並び賑やかな様相を呈している。
大通りにある商店のいくつかは祭りにあわせて店を開いており、店こだわりのハンドメイドアクセサリーや和雑貨、天然石等を購入することもできる。
祭りを楽しみながら花火会場となる臨海公園に辿り着けば、待つのは会場に広がる無数の灯籠。そして、夏の夜空に咲く色とりどりの花火。
「何故こんなお祭りを紹介したのかなんですけど――皆さんは、とても強い力を持っています。ですが、それって想いがあってこそだと思うんです」
√能力者は死なない。|心の拠り所《Anker》が存在する限り、どのような死を迎えたとて黄泉還ることができる。
即ち、根源にあるのは心の力だ。どのような感情であれ、|心《想い》の灯火が消えぬ限りは強くあれる。
ゆえに、想い出や今ある絆を振り返る機会も必要なのではないか。
「これは俺が勝手に考えていることですしそうじゃない方だっているとは思います。ですので忘れていただいて全然大丈夫ですので。ただ、そんな感じでどうかなって思ったんです」
勿論、普通に祭りを楽しんでもいいですよ。どう過ごすかは皆さん次第ですから。
それでは、いってらっしゃいと陽は話を締めた。
第1章 日常 『葬儀や鎮魂が行われている場』

静かに流る夜川に浮かぶ灯火は誰かの祈り。灯る光の数だけ想いと物語が籠められている。
かつては大規模な怪異災害の犠牲者を慰めるために始まった祭り。
だが、今は怪異によるものかも関係なく彼岸へ渡った誰かを想うための祭りへと時間の流れとともに変化している。
川に灯籠を浮かべ誰かに思いを馳せるのも、灯籠を眺めながら川辺を散策するのも良いだろう。
夏の夜は始まったばかりなのだから。