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しあわせな怪物

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鮫咬・レケ

 ――某月某日。
 不動産王で知られる〓〓〓〓氏が、海で遺体となって発見されました。
 氏の死体には不審な点が多く見受けられ、自殺と他殺、双方の疑いから捜査が進められる模様です。
 しかし、遺体は海洋生物による咬傷などによる損傷が激しく……。



 わたしは幸福を感じたことがないのです。

 わたしは、とても裕福な資産家の家に生まれました。
 そして生後半年ほどで、身代金目当てに誘拐されました。
 当時はメディアも大狂乱で私の行方、安否を騒いだそうです。
 彼らの何人が私の生存を願ってくれていたのかは解りません――概ね、どちらでも構わないのでしょう。
 赤ん坊の生死より、警察の手腕、犯人の手腕といったものの方が関心を引くのは今も昔も変わりないでしょうから。
 さて、この通り、赤子は生還しました。メディアも喜んで取材に来ましたよ。
 全身火傷を負って、指の半分を失った悲愴な状態と知るや否や、尻尾を巻いて逃げていきましたが――。
 いえ、下世話なメディアはしつこく残りましたか。
 これが酷く母親を不快にさせまして。
 ――さて、資産家であったのは父なのですが……この父がセレブリティに物言わせ娶った美しい女が母でした。
 美貌で幸福を射止めた母は、その勲章であったはずの私を厭いました。
 なにせ、赤ん坊の愛らしさは失われた、手の掛かる怪物です。
 日頃は包帯でぐるぐる巻きにされておりましたから、すっかりミイラだ蓑虫だという悪態で名前を呼ばれなくなりましたとも。
 もっとも、わたしは世に名を轟かせる、奇跡の子供です。
 げすなメディアが目を光らせている以上、表だって虐げることは出来ず、母はわたしを無視することで、精神の安定を図っておりました。
 やがて父と母の間に、新しい子供ができました。
 わたしの妹となる、それはそれは美しい女の子でした。
 彼女は両親の――いいえ、母の愛を一身に受けて、やさしく、気弱な、よくいる可憐な女児に育ちました。
 いつでも女児の人形を携えて、お姉さん……お母さんぶるような、そういう普通の子です。おそろしい容貌の兄にさえ、やさしく接することができる慈しみ深い娘でした。
 不具となったわたしですが、頭の中身はそれなりで、父にしてみれば資産を相続させて問題ないと安心しきった様子でした。
 まあ、到底外で働いて……というのは難しい身体ですから、やむを得ぬ話でしょう。
 しかし、母とわたしの仲は、拗れるばかりです。
 成長していくことで、母の無関心、或いは憎悪を、しっかり認識できてしまい――同時に美しい母に愛される妹と見比べ、ひどく自分が無価値であるように感じてしまうのです。
 母の憎悪は、私の憎悪に火を点け……その炎が向かう先は、母の愛する妹でした。
 妹が日頃、人形を大事に抱きしめているのは、己を愛してくれる母を投影するがためです。母の真似をしているのです。
 だから、わたしは妹の人形を焼き捨てました。
 妹は泣きはらしました。母も怒り狂いました。けれど、父の取りなしによって、その悲しみも怒りも、私を襲うことはなく――妹には、|新しい人形が与えられました《・・・・・・・・・・・・・》。
 嘻。わたしは投げ遣りな気持ちになって――気付けば、妹を絞め殺しておりました。
 リボンを結んであげる、といって。
 サテン地の、ピンク色をした――妹お気に入りで括り、憎悪の儘に力を籠めました。
 その後の事は想像に容易いでしょう。
 妹は事故で亡くなったとされ、恐慌状態に陥った母は逃げ出し、父も憔悴のまま早世しました。
 わたしは何もしていません……信じる信じないは、ご自由にどうぞ。
 果たして十代の後半に、わたしは親の財産をすべて継いだのです。
 それからずっと、ずっと、何かを求めるように、わたしは様々なものに手を伸ばして来ました。
 何処まで資産が増やせるかと事業を展開したり。それを元手にギャンブルに赴いたり。
 前人未踏の山奥へ、危険生物を捕獲しにいくなんてこともしましたね。
 こんな面相の男ですから、大体の人間はわたしに怯みますが、友人も恋人にも困った事は無いのです。それが腹の底から信用に足る相手か、という問題はさておき……。
 名前を聞けば、ああ、あの奇跡の子かという者もいて――“幸運にあやかりたい”といって話がうまくいくこともあります。
 つまり共に危険な事を成し遂げてくれる友人は多い。
 そして危険な事は、大きなビジネスとなります。
 法に触れるもの……違法なギャンブル、取引――行き着く果ては、殺人クラブ。
 如何に富をもつ者といえど、一番自由がきかないのは、ひとの命です。
 これをどうにでも捻じ伏せることに快楽を――幸福を感じる者は、とても多いようですね。
 皮肉なことに。
 誘拐犯による残虐な仕打ちから生還したわたしが、人を傷つけて金を作っているのです。
 わたしは何時も、哀れな人々に尋ねます。

 ――わたしは幸福か、不幸か、と。

 わたしは生まれてこの方、幸せを感じたことも、不幸せを感じたこともないのです。
 確かに、母を憎みました。妹を憎みました。きっと父のことも疎んだでしょう。
 けれどわたしは捨てられることもなく、豊かに暮らし、一生を楽に生きられるよう慈しまれた。
 どんな悪事も、わたしは巧く成し遂げて、今日もこうして平穏に眠れる。
 そんなわたしが、不幸ということはあるのでしょうか?
 アンコウのような目に合う浮浪少女に比べたら、遙かに幸福であるはずです。

 ――しかし、ミダリ様。
 幸運を授けるというあなたは、本物なのか。
 試させてください。ええ、そのために、この斬頭台を用意したのです。
 あなたの力が本物ならば、こんなものは試練にもならないはず。

「いいよ~、しあわせになぁれ」

 ふわっと笑ったミダリ様に……優しく抱きしめられて――頭をゆっくり撫でられる。
 たったそれだけの幸福。胸の奥から湧き出す、叫びたいほどの感情。
 膨れ上がる言葉にならぬ熱情に、これが幸福か、と震えました。
 その瞬間、断頭台が砕け散り、重い刃はわたしを避けて……鼻先に落下しました。
 ミダリ様は「あっぶね~」と戯けて、心底おかしそうに笑っていました。
 その眩しい笑顔は幸福の象徴のようで……信心を持たぬわたしでも、傅きたくなる衝動に駆られたのでした。



「つかれた~!」
 施しを終えたミダリ様が、大の字でごろんごろんと転がる。
 気の済んだところを見極め、水を差しだし……問いかける。
「退屈しのぎになりましたか?」
 一気に水を飲み干したミダリ様は、ん~、と唸る。
「にんげんってめんどうだな~」
 しあわせに、りゆうなんている?
 首を傾げる姿は、心から不思議がっているというよりも、面白がっている。
「幸せであることを体系的に識りたい人間というのは、多いですよ――概ね、|幸福な者《・・・・》に」
「ふ~ん?」
 コップを袖越しに両手で掴むミダリ様は、ピンと来ていない様子だ。
 その時、テレビからあの男の末路が報じられた――暫くはメディアの格好のネタだろうな。
 ……ミダリ様は、何も気付かず、おかわり、とコップを差し出してくる。
「ミダリ様は興味ないでしょうが……どうやら、あの男、自ら重りを括り付け、鮫を集めた海に飛び込んだそうです」
 そう報告すると、その透き通った瞳をぱちぱちと瞬かせ、歯を見せ、笑った。
「あはは、きっとしあわせにしねたろ~」

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