躍れキムラヌート
●長い物を破り捨てよ
何――これは――此方としても、想定外な出来事だな。
羅紗の魔術塔――羅紗の魔術士達が、汎神解剖機関――否、√能力者達に絆された。その情報をいち早く入手した男は……連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』はより、此方側が『不利』になるだろう予測を即座に認識した。視察団連中に『教育』を施したばかりだと謂うのに、立て続けに面倒事がやってくると、流石の紳士も頭痛にやられる。
――すぐに対策を、対応をしなければ、羅紗魔術士を引き連れた彼等に、何もかもを潰されかねない。此処は私が個人で汎神解剖機関に潜入し、羅紗魔術は勿論、彼等の|√能力《ちから》の解析をせねば。無辜の民衆の『教育』の為にも、ついでに、保護されているだろう『クヴァリフの仔』も奪い返さなければ――いや。今まで、私は彼等に敗北を重ねてきた。これは|羅紗の魔術士《かのじょ》と同じような、木乃伊になる一歩なのでは。
ならば――対策の|対策《●●》をするのが、正解だろう。
今回は――今までの数倍――いや、未曾有の量の怪異で――挑戦するとしようか。
●交流会
「やあやあ、君達ぃ! 羅紗の皆とは仲良くやってるかね? 今回は、羅紗魔術士を歓迎すると同時に『学会』を開く事になったのさ。嗚呼、√汎神解剖機関ではお馴染みの『あれ』だねぇ。それに『魔術知識』も加えた、大規模なイベントになると謂っておこう!」
星詠みである昏明・一五六はノリノリだ。自身の頭部を――魔導書を――ひとつ、発表してみたいと宣っている。誰か止めろ。
「まあ、君達ならわかると思うが。今回のイベントで使われる施設には『クヴァリフの仔』が保護されていてね。つまりは、狂信者どもに狙われる可能性が高いってことさ。勿論、あの|紳士《●●》だって釣れるかもしれない」
「羅紗魔術士と交流しながら『狂信者』や『簒奪者』の気配を感じ取って、それを撃退する。言葉にしたら簡単だろうけど、骨が折れるだろうぜ。まあ、せいぜい、頑張ってくれ給えよ。アッハッハ!」
第1章 日常 『汎神解剖機関定例、公開学会』

√汎神解剖機関――とある収容施設――多目的ホールにて、最早、お馴染みとなった『公開学会』をやる事となった。今回の公開学会では『羅紗魔術士』の皆を招き、親睦を深めると共にお互いの『知識』を披露し合う場となっている。事前に聞かされていた通り、あなたは――自分の研究を発表してもいいし、誰かの発表を聞いてもいい。それに加えて、羅紗魔術士との交流を望んでもいい。あなたが羅紗魔術士なのであれば、羅紗魔術を皆に教えてもいい。ただし、気を付け給え。この会場内には既に『施設内部で保護しているクヴァリフの仔』を狙う、狂信者か、簒奪者が紛れ込んでいるとの情報だ。
見つけておいた場合、後々、有利に動けるだろうか。
羅紗魔術における他者の記憶の摘出、その保持について――舞台上で行われている|発表《●●》を横目に、白衣姿の女は――黒髪で色白な学生は、随分と、思案している様子であった。周囲の人々は|発表《●●》に夢中になっており、成程、研究者、或いは魔術士としての狂いとやらを存分に発揮しているようだ。……あの|ツンデレ魔術士《アマランス・フューリー》(諸説あり)が、仲間になるなんて……世の中、何が起こるかわかんないもんねぇ。まぁ、アタシ的にはどっちでもいいけど。確かに、アーシャ・ヴァリアント、義妹大好きなオマエにとっては関係のない沙汰なのかもしれない。しかし、如何して、このような|発表《●●》とやらに意識を割かれてしまうのだろうか。わからない。わからないが、何か、大事なものを落としている気が――しない。する筈がない。きっと、これは集中し過ぎた結果の疲弊なのだ。んで……? 学会ねぇ。興味『ない』けど、あのジジイとその手先が紛れ込んでるなら放っておくわけにはいかないわね。そういえば『女神との取っ組み合い』については結構、評判が良かったらしいが、それをネタにするとしても『√能力者』だとバレてしまうリスクの方が高いか。高かろうと、低かろうと、アタシのやることは変わんないっての。……おっと。「ここからじゃ、見づらいわね」眼鏡を取り出してつけておくと宜しい。これで、より、大人しそうな三つ編み娘に近づいた。
羅紗に他者の記憶を編んでやることで、もし仮に、その他者が記憶を喪失したとしても、もう一度戻す事が出来れば――云々――。へえ、そういう使い方も出来そうっちゃ、出来そうね。理論上は……? アーシャ・ヴァリアント、会場をぐるりとしたところで何を見つけたのか。あの展示……怪しいわ。小さな展示ブース。其処には『シュレディンガーの猫の剝製』と記されていた。あのジジイ、怪異を宿しすぎて脳味噌まで毒されてんじゃないの。ズカズカと、展示ブースの方へと歩を進める。……やあ、君。私の展示ブースに来てくれて嬉しいよ。これは、ちょっとした『お遊び』みたいなものでね……。
せいぜい付き合ってやるから、話してみなさい。
最初に思い出したのは――夢と現の狭間にて――ぐるぐる、羅紗を遊ばせている彼女の姿か。すっかり、千鳥足になってしまった彼女のお顔、覗き込んでみたならば、嗚呼、ひどく忙しない双眸の|振盪《ふる》え。ふにゃ……アマランスさん達が……羅紗魔術士の皆さんが、改めて仲間になったのは、良いことですね……。平和こそが、平穏こそが、知的生命体の本当の|楽園《EDEN》なのであれば――それこそ、一緒に昼寝をする時間こそが至高、至福なのかもしれない。そっちの方が、楽しいですし……それに、良い抱き枕ですからね、アマランスさん。この一言を耳にした者の、果たして、何名がオマエを目の敵とするのか。刹那にして大罪が降って来そうな――つまりは、嫉妬の気配である。幸運は誰の味方なのか。少なくとも、簒奪者側にはついていない。
ご迷惑でなければ、また、お昼寝したいところですが……。彼女は絆されたのだ。絆されたのであれば、成程、待つのが正解なのかもしれない。それは、さておき……あの時の紳士が、また、来るのですね……。何もかもは可能性の話だ。星詠みの力はおそらく安定性に欠けているようで、総ては√能力者の動き次第と謂えよう。ふにゅ……少し、お手伝いしましょうか……。人間災厄が『このような場所』にいる。その時点で学会している場合ではないのかもしれないが。其処はオマエ、ちゃんと少年をしているので問題はなさそうだ。
加えてお得意の|催眠術《●●●》である。話を聞いてくれる相手が目と鼻の先、それが、どれほど、研究者にとって嬉しい事か。僕自身は……発表できる内容がないので……ここは、聞き専を貫くとしましょう……。ああ、この展示はね。怪異の跳躍力を比べてみたものさ。勿論、翅や、翼を持つものは省いている。それとね、ひとつだけ、特別なものがあるんだ。特別……ですか……? ああ。噂で聞いた『人型の怪異』でね。これが、驚く事にぶっちぎり一番を取ってくれたのさ。おそらく、紳士だろう。紳士が『ここら』で発見されている。この時点で、より、確信とやらが深まるというもの。夢の中に誘導は……ここでやると……混乱を招く事に、なりそうです……。ですので、今回はひとつひとつ、積み重ねていくカタチで……。そうそう、君。もっと面白いものがあるんだ。その人型の怪異が『幼生』を落としてくれたのさ。ちょっと、見ていかないかい?
怪異の幼生が身に着けていたのは『何かの毛』であった。
あなたは、これを『犬』みたいだと思ってもいい。
灯台下暗し――或いは、木を隠すには。
昨日、間食に選んだのはもっちり系のドーナツらしい。
正気と狂気の狭間――インサニティへと片足を突っ込んだ――にて、堂々と、成果を発表するサマは、ある意味では健全なのかもしれない。同士、同胞、同じ釜の飯を食ってきた彼等だけの『会』なのだから、成程、一般とやらには開かれていないか。真っ当な……まぁ、少なくとも。敵に該当しない方々の学会に……展示に、口を挟む気も無いのですが。紛れている者が居るのなら……狂信者や、簒奪者が居るのなら、巧く利用するとしましょう。最後の一言がオマエの、ディラン・ヴァルフリートの、正体なのかもしれないが。それを態々、何者かに暴かせてやる所以こそ無きに等しい。一歩、一歩、舞台の上に進めたならば、果たして何を取り出そうと謂うのか。会場に集まっていた研究者も、羅紗魔術士も、これには仰天。織物を倣った有り様はまさしく――本物と瓜二つであった。
再現された羅紗に――文字列に――意味を問うてやったならば、知るべきは何者かの脳内であれ。好き好んで記憶を筒抜けにされたいと思う方も、少ないでしょうが……。ぐるり、改めたとして『希望者』はなし。それは仕方が無いのだが、如何だろう。暴かれたくない企てを秘めている何者か、現役の簒奪者、狂信者の気配はない……? いや……まさか、暴かれるのを前提に、動いている……? 可能性は高い。……羅紗魔術士の皆さん。シチリアでの決死戦で、この羅紗に写し取った過去の塔主の記憶も、寄贈を証明します。ざわつく会場。垂涎ものだ。あの戦いまで遮断されていた本島の資料――極めて貴重なのだから、是非、我が手に――。そこでオマエ、ようやく『ピクリともしない』人物の影。聴衆、その先頭。ひどく見慣れた男の姿があった。……炙り出す必要はない。騒ぎを起こすには、まだ、早いということだ。……あなたは……折角です。助手をしていただけますか?
それは困るな。いや、昨日、何を食べたのかくらいは、
教えてあげようか。
解放されたのは知識なのか、絶望なのか。何方にしても『この記憶』はおぞましい。今まで『遊んできた』者達の混沌。未曾有の海を流れるプールと定めたならば、プカプカ、浮き輪に掴まると良い。手も足も出ないねぇ。なら、別のものを出すのは如何かなぁ。切望したのだ。渇望したのだ。あとは、渇いていくのを、見ているだけ。
紳士的に『やる』べきだ。荒れ狂う時間を引き摺ってやると良い。
匙で掬ったスパイスが救いの真似事をして幾つか。救いの内の幾つが真っ逆さま、底無しとやら、落ちて消えたのか。見るのも、聞くのも、触れるのも、オマエにとっては狩りのようなものだが、しかし、与え方に関しては拘りがあった。ふぅん、なんだか面白そうじゃん? 俺は、発表するものは『ない』から、話を聞く方にしようかなぁ! 決め台詞を丸ごと搬入したかのような有り様だ。なんと言っても折角集めた知識を、愉しみを、みすみす誰かに与えたくないしぃ! それに、人間災厄ってバレたら、それはそれで面倒じゃん。この場で最も怪しいのはオマエだ。だからこそ、本物がボロを出してくれる可能性だって高まる筈。やっぱり情報を収集してからだよねぇ。しっかり、耳の穴お掃除してから聞くよォ。伊達に長生きはしていない。怠惰に日々を過ごしてなどいない。一秒一秒が記憶なのだから、成程、編む事に果てはなきと謂うべきか。ついでに何かものにできる知識があれば……? うーん。今のところ、知らないのはないかなぁ。まあ、とりあえず、片っ端から貰って行こうかねぇ。俺も羅紗の使い手、もちろん、自重はしないつもりだねぇ。何かが起きれば右掌、名無しとして揮うつもりだった。まぁ何も無いのが一番だけどぉ! そんな訳ないからねぇ。暗殺者として場を改めるといい。たとえば、舞台上、登っているのは……。なんだか、見慣れた男が居るようだねぇ。今のところ、仕掛けるつもりはなさそうだけどぉ! 怪しいものは仕留めよ。仕留めるにしても――さて、騒ぎの種を作るのが狙いか。
犬も喰わない状況だ。
師の教えを忘れてはならない。
神出鬼没――紳士の特徴を一言で表すならば――である。より、表現方法を深くするのであれば|神出鬼没《インビジブル》か。不可視であり、不可侵、そのような言葉が血肉を得ていると謂うのに、嗚呼、おぞましい事。紳士の方からは積極的に侵してくるのだ。見ようとしてくるのだ。……また、ですか……忙しないです、Mr.……先輩ほどでは、ないですが。溜息と共に何か、大切なものがこぼれたのか。四之宮・榴はいつも通りの展開とやらに辟易、覚えているらしい。……取り敢えず、新しい力と謂うのは……置いておいて。……ええ、まだ……? 場内はひどく賑やかだ。こうも賑やかだと、最早、漏れ出す結果は必至と謂えよう。たとえば、あそこでお話をしているのは羅紗魔術士ではないだろうか。……これは……もう……既に……ご存知だとして、行動した方が、いいですね……。いよいよ、オマエの出番だ。羅紗魔術士と交代して舞台上へと身投げするといい。ぺらり、緊張はなかった。この程度のお勤め、いつもの眩暈に比べれば余裕も余裕と考えられよう。えっと……今から『|インビジブル《霊体》が齎す精神への影響について』……の、発表を……行いたいと、思います……。出だしは宜しい。掴みもバッチリだ。羅紗魔術士も研究者も、傾聴、オマエの声だけが響いている。……そろそろ、索敵した方が……良さそうです。
言の葉を手繰りながらも、思考を巡らせながらも、展開、|半身《レギオン》の群れが会場内へ。不審な人を見かけたらタブレット、メモをしつつのご歓談か。……皆様にも、あとで……? 刹那、視界に這入り込んできたのは|彼《●》である。|半身《レギオン》からの情報だろうか。違う。最前列、椅子に腰かけているのだ。
……Mr.……。発表に夢中だったらしい。その研究、君以外の誰かの……。随分と人を擽るのが、地雷を撫で回すのがお上手な男だ。揺さぶりをかけてくるなんて、これだから困るのだ。……やめて、ください……そのような、ことは……。キムラヌートよりも嗤ってくれた。この場で争う事だけは避けなければならない。
焼き立ての芋を冷たくするかのような発想だ。青天の霹靂――いや、考えてみたならば、それは必然だったのかもしれない。ぱくりと、ちめたいアイスとホクホクお芋を齧りながら、笹森・マキは星詠みからのお話も反芻してみせた。むぐむぐ、ごくん、学会で一悶着ありそうなのかぁ。食べ終えたものをしっかりと会場外のゴミ箱に捨てたのなら、もう少し、話の先とやらを皺くちゃにする。……あの紳士ってワード出てきちゃったからなぁ~っ……。それって、やっぱり、あの紳士ですよね~。勿論、あの紳士だ。体内で怪異を飼っているあの紳士さんだ。というわけで、本当は、教えたくないんだけど。ほうれんそうは基本だからね~。うん、シュウヤさん。大丈夫? ゴミ箱へと消えて行った紙カップ、その行方を追うかのようにして一ノ瀬・シュウヤは目頭を押さえた。……マキ、伝えてくれたこと、感謝する。あの男は……リンドー・スミスは、絶対に、逃してはならない人物だからな……ああ、頭が痛い。ズキズキ、ヤカマシイのは脳髄の表面なのか奥側なのか。とはいえ、そんな些細にやられている場合ではない。……とりあえず、マキ、連絡はしておいてくれ。はいはい~、機関の職員の人達には厳重警戒の旨、エミちゃんにはリツ君を看ててね~ってメッセージ、送っておきますね。これで準備は万全だ。いざ会場内部へと、歩を進めると良い。
ステージの上、√能力者や研究者、最近、仲間になったと噂の羅紗魔術士達が、様々な沙汰に励んでいる。今は如何やら『記憶』に関する発表が行われているらしい。参加者の中に不審な人物はいないか。ぐるり、探してみたところで見つからない。……発表している間は、下手には動いてくれないか。或いは、既に別のところに行ってしまったのか。……今のところそれらしい人影はなし。引き続き……? 発表を聞いている人々、その最前列。馴染みのある気配とやらが刹那、脳漿を掻き乱した。まさか……灯台をひっくり返せと、そう、謂いたいのか……? リンドー・スミスは前に店員を装っていたことがある。シュレディンガー鍋の味の良し悪し、今は置いておくとして。怪しさまでは隠せてないと、エミとリツは言っていた……。きな臭い展示物。あるにはあるが、如何やら、無人らしい。……クヴァリフ器官を人間以外の動物に使用した場合の反応……? 嫌な予感がするな。
ステージや展示ブース、それ以外、休憩スペースなどが広がっていた。さてと……。上司は学会に参加して不審人物を探すらしい。それなら、マキも周囲の警備をしておかねばだ~。おっ、怪異肉の試食やってんね。マキにもひとつくださいな。ひょい、と、口腔の中へ。暴れ狂う肉汁は果たして、どのような獣の欠片であったのか。もむもむ……げぇ……も、もうちょっと下処理した方が良いよぉ~……。ああ、申し訳ない。何せ、捌いたばかりでね。それで……君の上司はかなり、疲れているようだが。……マジかぁ。
非常口はちゃんと使えそうだ。
そして、数秒後、大活躍してくれるに違いない。
第2章 集団戦 『生物兵器『クヴァリフの猟犬』』

クヴァリフ器官を人間以外の動物に使用した場合の反応――強靭な肉体を得る代わりに理性を失った――暴れ狂う彼等を捕縛し、無数の薬物で快楽を覚えさせ――文字通り、死を恐れぬ|犬《けもの》とする――そのようなことが、ある展示に記されていた。
研究者の名前は不明だが、それを今、実際に『やって』みせたのが紳士である。まったく、君達は本当に嗅ぎ付けるのが早い。狂信者? ああ、彼等なら今頃、良い子にしている筈だ。実験も兼ねて――『クヴァリフの猟犬』の実戦投入としようか。私は彼等に任せて『クヴァリフの仔』を奪い返しに向かうとしよう。ああ、そうだ。
羅紗魔術とやら、ほんの少しだけれども、見せてくれたことに感謝する。
リンドー・スミスを追うよりも前に『クヴァリフの猟犬』だ。
非戦闘員が避難する時間を稼がなければならない。
不意打ち――未曾有の正体――と、描写をするには些か、雑なようにも思えたのだが|紳士《それ》の横紙破りは覿面であった。獣どもの雄叫びが、盲目どもの咆哮が、羅紗魔術士達含むその他大勢とやらに大打撃を与えたのだ。影から影へと転移するサマはまさしく猟犬であり、久しく見なかったティンダロスの住民を彷彿とさせた。ふにゅ……面倒ではありますが、被害を出す訳にもいかないのです……。怪我程度であれば――治療が可能な程度に抑え込めれば――問題は無いのだが。あの獣の群れはおそらく、鏖以外の術を知らないご様子だ。アマランスさんの知り合いたちを死なせるのは、不本意なので……。羅紗魔術士は前提として√能力者だ。だからといって、最悪、死んでも戻ってくるなどと、考えてやる必要もない。駆け抜けるは、時の夢……。ある種の兄弟のようなものだ。ある種の血筋のようなものだ。まるで、知っているかのように、犬の行方を把握すると宜しい。
クヴァリフ器官で作られた|合金爪《エモノ》の鋭利さ、それに加えての闇からの奇襲。慣れていない者からすれば致命的になり得るものだが、其処は鬼灯・睡蓮。泡沫の如くに手中へと収めてやると宜しいか。ふにゅ……なかなか、素早いですが……おっきな鼠たちに比べれば……幾らか、読み易い……です。飼い犬に手を噛まれる。その程度のダメージであれば……実際は、防護で殆ど喰らってないのだが……問題なく。むしろ、捕まえたのだと誇らしく思うべきだ。その脳天に霊力を叩きつけてやれ。一体、一体と、確実に処理をしてやれば何れ――家畜のようにおとなしくなる筈だ。……本当は、避ける事もできたのですが……。オマエの背後。すっかり腰が抜けている研究者さん一人。……大丈夫、です。僕が……僕たちが、どうにか、しますので……安全なところへ……。
催眠術での誘導、今こそ、災厄として振る舞うべきだ。
夢の中にこそ楽園は広がっている。
襲撃の二文字、耳にしたのであれば、いつかのシュールを思い出す。
アトラクションと狗、対して、差など『ない』。
重要なのは『それ』がオマエを『歓喜』させるのか、否かである。
祝福が咲いたと謂うのなら――呪いを喰ったと謂うのなら――好奇心旺盛なオマエ、スパイスの限りを尽くしてみたいと、只、笑う。笑い方ひとつを取っても色とりどりで、まるで、乱れ狂った桜花が如くに。あらァ? 面白そうな展示があると思ったら……。紳士はまったく紳士的ではなく、人間災厄はまったく人間的だ。こうも脳髄を擽られてしまっては、臓腑、期待感でドクドクと歌うのか。ざぁんねん、戦わないといけないなら、戦うとしようかなぁ。唱えるべきは罪であろうか。或いは、罰であろうか。何方にしても、次、咲いてくれたのは真っ黒い椿だ。これを綺麗とするのか、恐ろしいとするのか、人であれば考えも分かれてくれる筈だが、相手は隅々まで犬と謂えよう。あの研究ちょっと持ち帰りたいよねぇ、楽しそうだもの。知識として――玩具として貰っておこうかなぁ。余所を見ている場合ではない。しかし、嗚呼、この詠唱の短さは、流石は√能力者と謂ったところか。
犬も歩けば災厄に当たる。棒でないのが大災厄、哀れ、奴隷は何者と接触をしたのか。まぁ、ねぇ? これでも暗殺で食っていけるくらいには、色々とやってきたんだよォ。不意を打つのは難しいかもしれないけどぉ。俺を『不意打つ』のも至難の業だねぇ。目隠しをしている連中相手に使うべきは|反射《●●》か。穿とうとしたのだ、穿たれたって文句など言えまい。そろそろ、こっちを使おうかなぁ? 握り締め、叩きつけてやった動物注意。そうとも、動物が注意をすべきだったのだ、最早、手遅れ。
――何処を掘ったとしても虚無が出てくるだけ。
さっさと倒してお楽しみに向かいたいところだよねぇ! 今回はどんなのを見せてくれるのか、どんなのを晒してくれるのか、楽しみだよォ! 逃がしはしない。たとえ、此方が追われる側だったとしても、楽しそうなものを逃すつもりはない。
漿液を被っても、嗚々、気にならないほどの失墜だ。
人間の頭の中――知的生命体の精神の底――その一切合切を理解する事など、宇宙よりも、深海よりも、困難か。そもそも、自分の事すらも満足に解せないのだ。そんな状態で、果たして、他人の心など暴ける筈がない。いや、羅紗の使い方次第ではむしろ、他者の精神の方が楽なのではなかろうか。……なんて……モノを……。兵器だ。それも、只の兵器ではない。クヴァリフ器官と犬を合成した、一種の|生物兵器《キメラ》だ。……こんなモノで、このようなモノで、本当に、弱者を救う気が……あるのでしょうか……? わからない。今回の騒動で余計に【彼】の意図が、真意がわからなくなった。……やっぱり、Mr.も所詮……力こそ全て……なのでしょうか。少しでも、期待をしてしまった、僕が……。力がなければ何も出来ない。力があったとしても難しい。その事に関しては『煙』で理解できたのかもしれないが、だとしても、この急襲は――簒奪の一歩手前は――あまりにも、非人道的だ。……羅紗魔術士の、皆様……彼等、彼女等の、在り方の所為で……僕は、淡いものを……? 脳内、ぐるぐると忙しなく。女神様の加護を身に宿した獣ども、連中も『犠牲者』なのではないかと確信に至る――やる、しか……やるしか、ない……。
世界が歪んでいるのか、人間が歪んでいるのか、何方にしても|拒絶《●●》、インビジブルの群れを放出した。ああ、取り替え子も吃驚な入れ替わりではないか。不可視と可視の狭間、反復横跳び――溺れるほどに愛されているが故の――散布と考えられた。……もう、僕は……容赦も、慈悲も、するつもりは……ありません。たとえ、どのような理由が、あったとしても……僕は……覚悟を……。ドロドロと、ぐちゅぐちゅと、獣の出血は治まらない。この複合毒の威力については見ての通りで――度し難いほどの包囲である。どうして血統を重視しようとするのか。進化を促しているのか。
毒に侵されても尚、失血に晒されても尚、動き始める個体あり。しかし、嗚呼、泥濘とされた彼等の動きは亀に等しく。深海の|餌食《●●》とされるのみ。……せめて、向こうで、安らかに……。殴打してやれ。撲殺してやれ。
――漆黒なのか、血色なのか。
所謂、物質主義だ。義妹の事を愛してやまないオマエ、何に釣られて目玉を動かす。餌を釣り下げられた馬のように、人参、駆けても駆けてもありつけない。
肺臓が痛みを訴えたとしても、片腹痛いと振り払ってやれ。
蛇蝎と謂うには些か雑で、犬猿と言うにもテキトウであった。きっと、この研究を行ってきた人物はひどく集中力に欠けていて、いや、むしろ、その逆であったのかもしれない。兎にも角にも猟犬どもに囲まれている。研究者や羅紗魔術士たち、戦闘経験のあまり『ない』面々の避難は如何にか出来るかもしれないが、さて、オマエは紳士を追わなければならない。趣味悪いわねえっ、そういうのは死刑者とかで実験しなさいよね、人間なんて大概余ってるでしょ。随分と本音が漏れていないかアーシャ・ヴァリアント。欠片と残っていない記憶の所為で、如何にも、人間とやらへの当たりが強くなっていた。いや、この世界なら……√汎神解剖機関なら、そうでもないのかしら、まぁ、どっちにしても、犬っころはご愁傷様ね。処分にすらもされていない、慈しみすらも受けていない、可哀想な彼等に何をすべきか。ええ……とっとと楽にしてあげるわ。何処が増えようと、何が蠢こうと、結局のところ……震動とやらには敵わない。再生? してもいいけど、余計に苦しむだけだっての。最早、犬は犬でしかなくなった。お座りではなく伏せ、そのまま臥せってくれたなら、ヨシ、だ。
ペースト状の餌に憧れていた。
うーん……。脳味噌シェイクも裸足で逃げ出す有り様だ。爆ぜた柘榴の絨毯に、嗚呼、鼻が捻じ曲がってしまいそう。破裂、粉砕したことで、かなり、全体的にグロいことになったわ……。恨むなら、怨むなら、研究者とあの爺さんを恨んどいて。絨毯を横目に歩を進める。さて、どこぞの紳士は施設の奥か。まぁ、今から追っかけて爺さんはぶっ飛ばしてやるから、あんまり、向こうで吼えんじゃないわよ。んじゃね。
塵芥にしてやれば良かったのだ。
鳥葬も出来ないくらいに、細かく、細かく。
屠るべきは竜なのか、或いは、人だったものか。
坐した魔王の雀躍に勇者、如何様な反応をしてくれたのか。文字通りに、顔を真っ赤にしてくれたなら、魔王も、より嬉々と手を叩いたに違いない。臓腑へと落ちていった刺激物は、さて、ザラメの気分を台無しにしてしまったのか。かつて、米国のハロウィンには……ゴーストペッパーを使ったドーナツが出たとか……。口に含んだ瞬間に大惨事だ。甘いと思い込んでいたが故の大火傷。悶え苦しむほどのおそろしさか。……閑話休題。狂信者は――イレギュラーは処理済み、と。でしたら、話もやることも単純明快で、結構なことです。犬に与えるべきは骨なのか肉なのか。投げようとした骨の中身はすっからかんで、嗚呼、正気ではないが故の喰いつきか。……良いでしょう。幸運ではなく不幸な棒であったのだと、後悔を、させてあげましょう……。ショウ・タイムとしての異形化。最早、オマエの腕はオマエの『もの』ではなく。分裂し、伸長し……只、獲物を狩る為だけの怪物とされた。
命中させるつもりはない。むしろ、命中させない方が、有利な盤面とやらを作り出せる。もちろん、複数体を巻き込んでの一撃だが――見よ、掌握された不可視どもの統率とやらを。ええ……悪くはないと思います。どうやら、彼等は『部位を増やしてくれる』様子です。的が大きくなるのなら、それはそれで好都合でしょう……。研究者たちや羅紗魔術士たち、彼等彼女等の避難については如何か。命中『しない』に含まれてしまったなら成功率、がくんと、落ちてしまうのではないか。仮に、そうなったとしても……差し引きはゼロです。攻撃は最大のなんとやら。フォローしながらの殲滅など赤子の手を捻るよりも、だ。
群がる連中に向けて――スッ転んだ連中に向けて――自在であり無尽を押し付けてやれ。転倒に転倒を重ねたのだから、あとは串に刺してやるだけか。禍根を残さないよう、手早く片付けて――あの男を追うとしましょう。
断界――羅紗への悪影響は無に等しく。
阿吽、ふたつに勝るものなし。
此処に天使が存在していたならば、さて、眩暈を隠せなかっただろうか。クヴァリフ器官を移植され、快楽の虜となった生物兵器など――それこそ、奴隷――命令ひとつしか聞けない、盲目と考えられた。そう、奴隷である。この二文字を思い浮かべたのは、成程、此処にはいない天使だけにあらず。嗚呼、笹森・マキにとっても結構な地雷と謂えた。……あ。思い出したのは……浮かべてしまったのは、いつかの、女の子。ぶんぶんと頭を振りながら口腔、不味さとやらに救われたのか。ま……まだ口の中が~って、なってたら、もむもむしてたら、わんこ出てきたぁ……! なんつーもん作ってんの、あのおじさん……ヤヴァヤヴァだ……。繕う事には成功したが、装う事には成功したが、それよりも研究者さん達その他を避難誘導しなければならない。はいは~い! 皆さん、こっちに注目~っ! 非常口はこっちですよぉ~~。予め、避難経路を確保できていたのは幸運か。慌てず騒がず速やかに。急いで、急いで、口にしながらも冷静さを忘れずに。あ~! そっちは非常口じゃないですよぉ~! 魔障壁で強制的に押し出してやれ。がうがう、やかましい御犬サマは如何やら、あんまり賢くはないらしい。早く! 早く~! 今の内に逃げて逃げて~!! 思っていた以上に時間は掛からなかった。その所以は、オマエの迅速さは勿論のこと、上司の貢献とやらも大きい。と、とにかく、魔障壁が消えないように、頑張るぞ……!
マキ……流石だな。現場慣れしている。しかし、あの男……何か仕掛けてくるとは思っていたが、こう来たか。薬漬けの生物兵器とは厄介な……冒涜的なものを……。部下の適切な行動により避難誘導はうまく行きそうだ。上司として、ひとりの職員として、連中の好きにさせてはならない。……魔障壁の数は十分だ。あとは、マキへと攻撃が届かないように……俺が、援護するのが最善か。きついとは思うが、マキ、頼んだぞ。ぬぞり、視界の先、犬が影へと潜り込んだ。……魔障壁を抜けるには至らないが、それでも、不意打ちをしてくるのは面倒だな……。最悪の場合、リンドー・スミスを取り逃がす事になる。それだけは絶対に避けたいところだ。影に向かって放たれたドローンの一撃。中途半端に潜った数匹が、ひくひく、後ろ足を痙攣させている。さて……折角、尻を隠さずに、留まってくれたんだ。機動力を裂くという意味でも……。鋭利さに衰えなし、犬の肉の味に関してはノーコメントだ。
ぐ、ぐぁ~~……このわんこってさ~……。壁へ、壁へと激突してくる猟犬ども。足を失くしても尚、吶喊してくる執念とやらは、最早、脱帽の領域である。理性吹っ飛んじゃってるから、壁があってもお構いなしだよね。ガァー! って、ゴッ!!! って、来ちゃうよね。でもでも、シュウヤさんが動きづらくしてくれたから、マズいってほどではなさそぉ。仕掛けるならば今だ。最後の一匹に向かって|銃剣《えもの》を構えよ。刺突だ。避難も完了し、猟犬はなし、メインディッシュを求めよ。
第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』

君達は本当に――個人的な意見にはなるのだが――とことん『やってくれる』ものだ。羅紗の魔術士……彼女へのアプローチもそうだが、自分達の『やりたい』事に対しての妥協が一切ない。いや、褒めているのだ。私は、君達の事を『強者』として認めてはいたのだが、まさか、此処までの『強者』とは想定していなかったのだよ。
クヴァリフの猟犬を、生物兵器を倒し、避難を完遂した君達はリンドー・スミスに追いついた。しかし、彼は既に『クヴァリフの仔』を回収しており、身体の中、怪異どもと一緒に|蒐集《●●》している様子だ。リンドー・スミスを倒し、内側から引き摺り出さねばならない。怪異解剖士が居れば楽なのかもしれないが、それでも。
人類は人類の為に『理解』すべきだ。愚かな行為をしてきた我々だが、その、愚かな行為こそが『次の段階』への一歩なのかもしれない。私は『私』の弱さを見つめる事にしたのだ。その為にも、君達には付き合ってもらおう。何、心配する必要はない。私と君達の『争い』はお遊戯のようなものなのだから。
――その意味は君達、羅紗魔術士との争いで、知っている筈だ。
駆け抜けるは、時の夢……。
今回ばかりは、僕も、死に物狂いを演じるのです。
脳髄の中心部――精神の最奥――墓場まで持っていくつもりだった正体も、最早、暴かれて久しい。発かれるつもりも、暴かれるつもりも、欠片としてなかったと謂うのに、両者、考察をするのがお得意だと思えた。……さて、前回も確か遊ばれてだったのです。ええ、ええ、あの時は起きる必要は――目を開ける必要は、無いと思っていたのですが。もう、終いだ。鶏と卵の違いとやらに、差とやらに、困惑している暇はない。人類への理解、僕にとって理解する必要もない――つまりは、オマエは『オマエ』の事を唯我独尊だと、謳っているのか。或いは、己こそが舞台装置なのだと、機械仕掛けの神の化身なのだと覚悟しているのか。眠る者に、夢見る人に、それを与える。僕が僕であるが故に、それ以上の理解は不要でしょう。化け物だ。化け物と化け物の水の掛け合いだ。オマエが用意したのは冷や水で、嗚呼、まるで裏切り者の地獄のように赫々としている。どう見繕っても僕は人間災厄、人類に仇なす存在に変わりありません。……開き直りかね。いや、それとも、ようやく『自分』を出す気になったと謂うのか。前回とは――今までとは、比べ物にならないほどの、夥しい、怪異。跳躍する紳士のサマは――蟻とも土竜とも腐乱死体とも、成人男性とも違っていたのか。
結局のところは押し付け合いだ。己の『やりたい』を相手に押し付ける、我儘とやらを競い合う戦なのだ。知っての通り、これは、戦争ではない。戦争にすらもなれない、決死にもなれない、只のお遊戯なのだ。リンドー・スミス、言の葉に反していつになく本気らしい。撹乱の為に――混乱の為に、蠢き回る|護霊《カダス》を蠅のように扱ってみせた。だが、それ故に『秒ほどの隙』を晒す破目になったのだろう。ああ、君も、随分と執念深い|少年《おとこ》のようだ。着地を狩る事に躊躇はない。たとえ、自身が負傷をするとしても、幸運を引っ掴む為に――肉を切らせて骨を焼け。骨を焼いたならば生命、泥のように啜ってやれ。
……見つけたのです。
クヴァリフの仔の|ひとつ《●●●》だ。
如何やら紳士、一匹だけでは肚を満たせないらしい。
口腔、広がった蛸の味。
醤油が無いと厳しいか。
隠し味を隠し味にしない事、この台無しな具合と謂うものも、中々に、悪くはないのではなかろうか。いや、オマエは、本質的には『悪』なのだが、その真、お子様のような無邪気も兼ね備えている。お遊びお遊戯、なるほどねェ。なんにせよ、やることは変わらないし、貴方も如何やら同類らしい。面白そうな物は“とって”面白くないものは捨てるだけ。物で在れ者で在れ、オマエにとっては玩具のひとつか。まるで、団子状の肉を転がしてやるかのような――混沌、天地をひっくり返すかの如くに。まあ、でも、今回はいつになく本気の様子だし、俺もちょっと真剣にやろうかなぁって。さて、どんなお味かな? 部位ごとに、怪異ごとに多種多様な味を湛えている。ならばソースも、ならばスパイスも、相応な数を用意しなければ勿体ないのか。……絶望を与えると言っていたが、如何やら、今回の君は|私《●》と同じく、舞台に立ってくれているらしい。なかなか、嬉しい事だとは、私は思うのだがね。跳躍したリンドー・スミス――怪異を身に宿したおぞましきフリークス――どの|線《●》を狙ってやれば、するりと解体が出来るだろうか。ふふ、調理の楽しみは後に取っておくとも。俺は、貴方の歪んだ顔や、頭を抱えているところが見たいんだぁ! それなら、少し前に来るべきだったね。今の私は頗る、健康体だよ。
不意打ちをする気は失せた。返り討ちに遭う可能性が『一』でも有るならば、より、確実性とやらに身を振るしかない。まあ、俺の正体なんかよりも、クヴァリフの仔の摘出の方が楽しいものだよねぇ。だって、ほら、貴方が……そんなにも、物質主義をしているからぁ! ずるり。こぼれたのは臓腑なのか、断面晒した顔なのか。まったく……珍味の方が好きなのか、君は……。ぼこりと、舌の奥側から這い出てきたオコサマ。いやいや、グロテスクなのは結構なことだけど、そこまで隠そうとするなんてねぇ! これには脱帽さぁ! 回復はさせない。再生を赦してはならない。丁寧に、一枚一枚、削いでやると宜しい。
ハイパーボリア、世界の終わりすらも、橋のように。
解放された瞬間こそが――自由の二文字を味わう刹那こそが――最悪、投身とやらへの第一歩なのだとリンドー・スミスは理解をしていた。ゆらりと、ぬぞりと、まるで、瓜二つな存在が姿見を介せずに、只、干渉してくるとは想定外だったのである。いや、この出会いは一種の運命であり――偶然とも手を取り合った――賽子の結果とも考えられた。お初にお目にかかります、リンドー・スミス。私はマレーネ。マレーネ・ヴァルハイト……羅紗の魔術塔は崩れ去りましたが、世界を救済するという志は……犠牲を強いるという一点を除いて……消えておりません。ギラギラと、まるで『トラペゾヘドロン』を彷彿とさせる紫の輝きは『人間らしさ』と『魔女らしさ』の同居とやらを赦していた。何……君と私が初対面だと……? リンドー・スミスの疑問は数秒後、納得がいく程度には消化された。成程、確かに……「あの時はすれ違いだった」かな。随分と典型的な、否、天啓的な文句ではある。しかし、この|紡毛《●●》の柔らかさについては……羅紗魔術士も把握できていた。ええ、もしかしたら、そういう事も『あった』のかもしれません。ですが、貴方が簒奪したクヴァリフの仔、もらい受けましょう。敵同士だ。羅紗の魔術塔と連邦怪異収容局は『仲良し』ではない。その関係性の延長線上だと思えば、幾らか健全とも謂えるほどか。
引き換えに――と、いう訳ではありませんが――羅紗魔術士として、御伽使いとして、私の秘蔵の内の『ひとつ』、お目にかけましょう。ああ、いっそ、ひと思いに食い殺してくれたならば楽だったのだ。ああ、いっそ、奴隷にしてくれた方が、愉しかったのかもしれない。七つの呪いを受けても正気は保てましょう? 予想をしていた通りだ。仮に、枷をされたとしても、紳士は|紳士《●●》を辞めるつもりなどない。これは……私を、莫迦にしているのか。それとも、莫迦にしたいのか。何方にせよ、私を狂わせたいのであれば……「前の君の方が良かったな」リンドー・スミスの挑発、かつての『私』であれば如何様に反応をしたのか。しかし、今の『マレーネ・ヴァルハイト』は一人の怪異蒐集家である。
虫の声で在ろうとも、闇の囁きで在ろうとも、それが『怪異』の範疇であれば、より、好機とやらに擽られる。貴方の肚を捌くことくらい、容易なのですから。もう少し、収容する場所を考えておいた方が良いですよ? ずるりと、引き摺り出した『仔』の産声。怠惰な蟾蜍よりかは尋常と思えた。こればかりは嘗てとあまり変わりませんね……貴方達に独占させる訳にはまいりませんので……。
まったく、これでは、あの魔術士と同じではないか。
……何百、何千と敗北して、貴方はそれを貫けますか?
アバドーンも遁走するほど、荒々しく。
お前、お姉ちゃんを莫迦にしたな。
歯車と呼ばれる連中は――潤滑油と称される彼等、彼女等は――日々を怠惰に生きている。それを『よし』とするのが弱者の証明であり、しかし、それらこそ、種の為に守らねばならない一部分か。彼等、彼女等の日々とやらをリンドー・スミスは知っており、故にこそ、先の発言に至ったのか。やりたい事に妥協しないのなんてあったりまえでしょうが。そもそも、それをアンタが言ってる時点で滅茶苦茶なのよ。アンタだって同じ穴の狢じゃない。アーシャ・ヴァリアントは嘘を吐かない。嘘を吐く必要など何処にも無いのだ。アタシは|義妹《サーシャ》と仲良く過ごすためならなんだってするわよ。もしかしたら、道端の石ころに蹴躓いて、転ぶ可能性があるなら、その石ころを先んじて排除するくらい。たとえ相手が強大な怪異であれ、厄介な簒奪者であれ、神は義妹なのだから躊躇はなく。ちなみに、爺さんとか|√EDEN《アタシ達の世界》にちょっかいかけてくる連中はその石ころね。……ははは……面白い冗句だ。君は如何やら、悪い冗談を口にする術を根こそぎ奪われているらしい。私が『簒奪者』などと……これでは、宣言も出来ないではないか。踊れ、躍れ、キムラヌート。物質が輝きを放つからこそ、この世の地獄は止められない。
はーん、ナニ? いい歳こいて自分探しでも始めたの? やれやれ、自分探しが必要なのは君の方だ。まさか、今更、年齢に関しては、私は何も言うまい。舞台上で右往左往しているのはお互い様だと紳士は嗤う。まるで、いつかの『邪悪』のように、命を数え始めたのか。お遊戯ね。ま、どっちも本当に死なない戦いなんて、確かにゲームみたいなもんだけど。そういう事なら付き合ってあげようじゃない。お代は……言わなくても、わかるでしょ。増やそうと伸ばそうと蠢かせようと、その程度の『数』では不利を覆す事など出来ない。竜が『竜』たる所以を――能力者が能力者たる所以を、連撃で以て教えてやると宜しい。私に『教育』を施すとは……君は何処までも『君ではない』らしい。はん、せいぜい吼えてなさい。お目当ての代物回収ついでに、全身くまなく見聞きすると良いわ。普通、自分の中身を直接確認するなんて、不可能でしょう。好きなだけ、飽きるまで、覗くと良いわ、感謝してよね。全ては『片付いて』いた。……君、それは最早、違う番組ではないか。リンドー・スミスが見上げた先。其処には――巨大な、巨大な、|竜姫機神《ドラゴニック・ゴッド》が聳えていた。機械仕掛けの神だと……? デウス・エクス・マキナだと? 芸のない……。
アンタが本気っていうならアタシも本気を見せてあげるわっ。
頭に|超《スーパー》を冠してやったならば、さて、乗り込んでいるのは誰だろうか。コックピットからの|気配《●●》に、紳士、溜息を吐く他にない。君は……苦労をしているようだ。弱者を姉に持つと、本当に……。地雷を踏み抜いた。文字通りに、逆鱗に触れた。燃やせ、燃やせ、燃やし尽くせ。プラズマとした末路とやらは……。
中身を残してくれやしない。
技巧と怪力の合わせ技だ。刻めば刻むほどに、斬り甲斐が溢れる。
バベルの塔を崩したのは――魔術の塔を砕いたのは――果たして、神の采配であったのか。情け容赦なく雷鳴、怒りとやらを落としたのは神の|感情《●●》による沙汰でしかない。異物の混入を赦さないのは人であれ何であれ、まったくが、同じなのかもしれない。感心と謂えば……貴方の勤勉も、諦めの悪さも、大概ですね。準備も、完遂も、楽ではないでしょう。いずれ、その動機の出所も伺いたいものですが……。まっすぐにリンドー・スミスを、怪異の主を、見定めてやったオマエ。ディラン・ヴァルフリートの双眸は何処までも|魔皇《ダイモーン=スルタン》めいていた。君は、苦労をした者が|栄光《●●》を掴むのを見た事はないのか? 私は、ある意味では、男の子の『まま』なのかもしれない。興味深い返答だ。成程、男の子。弱者を守るのが英雄の条件なのであれば間違いではないか。気になりますが、今、敵として相対する以上は……そのように。日に照らされた羽虫の数々は手数とやらに注目したのか。ぎょろりと嗤う複眼、何処からの出現なのかも曖昧な儘に。
破滅とやらに変質し、歪曲とやらに豹変し、紳士の『もてなし』を受け流していく。捌きに捌いた先に裁き、その手の内には死後の首輪が在ったのか。……ワイルドハント。あなたのような人物には、かなりの、脅威に映るのではないでしょうか。何度目かの|裏切り者の地獄《コキュートス》――怪異と謂えども所詮は物理的。リンドー・スミスに収容されているのだから、それは猫のようなものだ。あなたは、最早、案山子の役割すらも熟せません。おとなしく、希望を捨て去る事こそ、得策かと。ふふふ……ははは……君はその『目』をしている方がお似合いだ。剣と魔法を愉しむのは結構だが、其方も中々、男の子をしている……! 蹂躙された『魔』の霧散、削がれに削がれた怪異の壁は――愈々、情報とやらを晒してくれたのか。そこです……あなた、想像していたよりも、深いのですね。臓物の長さについては尋常の人ですらなく。引き摺り出した腸の何処か。仔の姿形を捉え、捕らえる事に成功した。次の段階……ですか。期待していますよ。ええ、本当に。
私が挑戦する側なのはいつもの事だが、
君を相手にしていると、より、痛いほどに。
空へ、宙へ、跳躍に餓えた――飛翔に渇いた――イカロスの戯言について、リンドー・スミスは深く理解をしていた。無茶をしたならば、無理をしたならば、人間、何れ代償を払わなければならないと。ならば、代償を踏み倒す事が可能なのだと『した』場合、神にすらも届くのではないかと。薄らぼんやり思考をしてみる。……成程、想定外と謂うものは、異常と謂うものは『よき隣人』なのかもしれない。紳士が捉えたのは『蒼』であった。紳士が触れたのは『空』であった。そうして、宙の如くに出現した|野良災厄《もの》は――お散歩をするのが大好きだった。やれ、旅路の途中に気紛れ起こさば。興味深き蠢きを持つ一個の物が居た。いや、興味深き者、一個に|否《あらず》。面白き哉、複数だ。魅せてほしき哉、見せてくれるかな。……まったく。私は、確かに『旅行好き』だが、君のような『もの』に導かれるつもりはないのだよ。何方かと謂えば、私がエスコートをすべきだろう? 攻撃したのではない。奔ったのだ。駆けて、抜けて、その程度の事だったのだが――裏切り者の地獄が生温いほどに、|大嵐《ハストゥール》めいて、おぞましい。
面白き哉、面白き哉、旧き存在が如く、頑健と見た。ごろごろと、紳士の腸から樽のような怪異が転がり落ちる。湯たんぽの代わりか、或いは、盾の代わりか。何方にしても紳士、焦りながらも言の葉を返す。本当に……人間とつかない災厄は……鬱陶しい。君には『対処不能』の冠が相応しいと思うのだがね。しかし、私は蠅ではないのだが……。鉛玉を放つなど人間的な。此処は、やはり『樽』を得物としてぶん投げてやると宜しい。玩具だ、玩具だ、旅路の途中、混沌の如くに、無聊を慰めるのに丁度よき。まったく……君のしている事は子供と同じだ。クヴァリフの仔と同じなのだ。故にこそ、人類にとっての最悪となり得る。リンドー・スミスは耐えていた、耐え、忍び、己の精神だけは手放さないと、嗤ってみせた。沈黙したのは白であろうか。燃えるほどに冷たいのは|足《●》であろうか。
燃えよ、燃えよ、|黒い木《ブラックウッド》。
旅は楽しきや?
少なくともリンドー・スミス、彼の最奥は人に近い。随分と見つめてくれるものだ。私はこれでも『高いところ』の経験は人一倍でね……。良い、良い、その精神性。人間をしている、人間を……。叩きつけてやった領域|外《●》。いいや、埒外。
其処に復讐心など在りはしない。
第六感が冴えていたのだ。
簒奪者に一定の思考を求める事こそ愚かなのではなかろうか。簒奪者に正気を求める事こそ虚しいものではなかろうか。頭蓋を開いたとしても、脳髄を掬ってやったとしても、それが救いになる事など絶対に――いや、中には例外もいるのだが――ない。……何故、こんな事を……? 力が無ければ何も出来ない。それは確かに『そう』なのだろう。簒奪者の言の葉の中で唯一、四之宮・榴が頷けるところだ。……それは、解るのですが……此れが、貴方様の出した、結論……なの、ですか? 叫ぶ寸前だった。否、叫んでいたのかもしれない。まるで、怪物が人間を疑っているかのような。人ではないのに、人でなしと罵っているかのような。君は……何処までも、人間の弱さを抱えているようだ。違うな。君は、自分を『弱い人間のままにしたい』のか? 突き付けられた、叩き付けられた、這入り込んできた紳士の本音。成程、オマエと紳士、√能力者と簒奪者。心の底から犬猿の所以、遂に暴かれた。……つらい、かなしい……其れが、弱き心根かも、しれません……。でも……。神に捧げているのか。男に捧げているのか。糸を切るかのように。Mr.………嗚呼……何故、僕は信じて、いたのでしょうか……。馬鹿げている。莫迦にされている。結局のところ『僕』は鬼ごっこが下手糞なあの時と変わらないのだ。十分だろう、四之宮・榴。君は私と敵対をしているのだ。まさか、その程度の事も忘れているのか?
犬だ。犬の怪異が、奴隷が、簒奪者の内側より|貌《●》を出した。獲物を求めてさまよう餓鬼の如く、泥のような唾液を分泌している。君が最も嫌悪しそうな攻撃で、君の|能力《●●》を発動してもらおうか。最大限の『いやがらせ』だ。紳士の二文字は刹那息絶え、蘇生されるのを待っているかのように。……いい加減、決着をつけたい……ところですが。決着はない。これは簒奪者の言の葉の通りにお遊びなのだ。戦ではない。殺し合いではない。全てが全て、|新物質《ニューパワー》を賭けているだけの、嗤笑なのだ。……せめて、早めに、終わらせましょう……。回転を続ける愚者のイメージ。果たして、誰の象徴なのか。
毒が巡る。魔障のように。
貫いて、オコサマの影をユリカゴへ。
――唾液の滝へと飛び込む必要はない。
未熟だったのか、完熟だったのか、何方にしても落果をしたのだから、市場には出せない。皮が破けてしまったのか、肉がこぼれてしまったのか、いや、いっそジャムにでもして終えば――並べる事くらいは問題ないだろうか。たとえ、嘘を吐いたのだとしても、たとえ、罪を犯したのだとしても、文句のない代物であれば――誰も彼もが納得するのか。兎も角、止められたのだ。止められたとしても、止まらない事は|相手《●●》も承知していたに違いない。まるで連鎖だ。連鎖するかのような『類友』だ。赫夜・リツとまったく頑固な仲間たちは日々忙しなく動いている。熱は下がったし、急いで向かわないと……。シュレディンガーの鍋の中身が毒だとしたら素早く処理しなければならない。蓋を開けた瞬間に全てが台無しになってしまうのだから。紳士的に、律儀に、待つ必要が何処にある。
前提として『クヴァリフの仔』は|新物質《ニューパワー》である。正確に謂うのであれば『その可能性を秘めている』なのだが、最早、先の犬を見たのならば頷く以外にない。あのような怪異を、あのような劇物を、体内に収容しても尚、正気を維持できているのは、紳士が尋常ならざる精神の持ち主であるということか。う、ぁ……も、もぉ~。スミスおじさん、クヴァリフの仔を身体の中に入れちゃったのぉ? ちょ、ほんと……何してんの~。笹森・マキの脳内でブクブクと膨れ上がっていたのは『おバカさん』たちの姿形。リンドー・スミスが頭を抱えるほどに無鉄砲だった視察団の皆様方だ。君、私を彼等と同じにしては困る。いや、彼等のおかげで収容が出来たのだと感謝しても良いのかもしれないが……。リンドー・スミスは解剖士としての技術も習得しているのだろうか。まるで、隣にいるプロのような眼光で、ぎろりと、此方を睨めつけてくる。って……そうだよね。おじさん、元から怪異を蒐集してたんだった。人質ではなく怪質、加えて、仔の『力』まで揮えるのであれば脅威度は格段に上がっていく。……これは……シュウヤさんと一緒で、正解だったかも。マキの腕じゃ、無傷で摘出するなんてかなり難しそうだからなぁ。マキ……こっちを頼ってくれるのは嬉しいが、俺はそこまで強くは……。謙遜も時と場合によっては嫌味となり得る。リンドー・スミスは嗤笑ではなく、称賛として、真顔とやらを作ってみせた。
さっきマキが考えていたのと、俺の考えは『おなじ』なのかもしれない。あの男は視察団の連中とは違って、全てを理解して『これ』をやり通してみせた。妥協はしない。妥協の欠片も感じられない。リンドー・スミス、俺も、お前も、結局のところ、似た者同士ではあるということか。ようやく、認める段階となった。これを『次の段階』へと進めるというのも『肯定』できそうだ。しかし、あの生物兵器を例に出すなら、躊躇のないやり方には賛同しかねる。なあ、自我を失うものばかり生み出しても、その先にあるのは衰退……破滅ではないのか。問いかけには答えなければならない。リンドー・スミスは、成程、ある種の信仰で以てこの場に起立していた。私は、人類の為であれば、人類を棄てる事だって構わないと思っている。もっとも、この思いすらも――今の私の思いでしかないのだが。目眩がした。暴力的なまでの|天邪鬼《トリックスター》だ。……リンドー・スミス。やはり、お前にクヴァリフの仔を渡すわけにはいかない。ここでお前を倒し、体内にいる仔を取り除く……。メスの投擲を合図としてお遊戯は幕を開けた。蠢く触腕を玉座として男は何処までも跳躍するのか。
やらせないよ――笹森・マキは留まった。あの『おじさん』は暗殺者の得意に気付いている。速攻を仕掛けたところで完璧に対応されるのがオチだ。それなら……! 跳躍に合わせての空中移動。先制のアドバンテージとやらを|翻弄《●●》へと昇華させていく。ほう……私の怪異たちの『壁』を抉じ開けるのではなく、捌いていくとは。上司の技を倣っているのか? 良い二人組ではないか……。クヴァリフの仔が見えた。手を伸ばそうとした瞬間に『仔』の防衛本能が働く。えっ……? クピちゃんを見ていた影響だろうか。一瞬、ほんの一瞬だけ、隙を晒して――? 不意に、視界が真っ赤に染まった。咄嗟に銃剣を揮おうとしたところで気が付く。……うわッ……赤いのが来た!? 残光、其処に存在していたのは人間災厄「ルベル」。異形の腕が啜っていたのは瓶の中の鉄味であった。
そのまま、リンドー・スミスを殴り飛ばす!
何故……? 一ノ瀬・シュウヤは彼を見ていた。まるで、爆弾を抱えて突っ込んできた『生物』を見るかのように。熱があるんじゃなかったのか、下がっていろ。ちょっと、ちょっと! ギリギリ止まれたから良かったけど、諸共殺りそうになったでしょ! びっくりさせないでよぉ……。てんてこ舞いだ。ループを続けているアトラクションめいていて、如何にも、酩酊するかのような不安定さか。熱なら下がりましたよ。というか、マキさん……気付いてくれてよかった……。それより……。殴り飛ばした相手は既に立っていた。……君は、あの決死戦を生き残ったようだ。こういう強い人間が増えてくれたら好いのだけれど……いや。君は如何やら、人間災厄として『進化』しているのかもしれない。嬉しくはない。リンドー・スミスに褒められるなど、まるで自分が彼のようではないか。
久しぶりですね、スミスさん。いきなりで申し訳ないとは思ったんですけど……。構わないといった様子だ。リンドー・スミスの肉体は再生と破壊を反芻しており、今更、殴られた程度では――超加速の一撃だったとしても――砕かれない。リツ君、あのおじさん、身体の中にクヴァリフの仔入れてるよ。ひどく困難な状況ではないか。戦闘と同時に摘出を行う。何方かを失すれば、この依頼はおしまいとなる。……ああ、なるほど。このまま、帰すわけにはいきませんね……。刻印は赫く、獣のように、いいや、獣だ。最早、獣としか言いようがない。まさか、ハヌマーンの突撃を受け止められる者など在る筈がない! ははは……! 素晴らしい。私は君と、|天使《かのじょ》の事を買ってるのだよ。再び露出したクヴァリフの仔。防衛本能めいた触手部分を暗殺者、寸前のところまで切除していく。開いた。拓いた。あとは|達人《かれ》の出番である。……気がかりな事はあった。あの瓶だ。だが、今は、この『瞬間』に集中しよう。ぼとり、クヴァリフの仔が自由となった。
断頭については描写の必要もないだろう。
あなたとはいつか『決着』をつける日が来そうですよね。
それまでに、僕はどうなっているか分かりませんが……。
もし、その時が来たら、覚悟しておきます。違いますね。
――覚悟してください。
ああ、待っている。待っているとも、私は……!
キムラヌートは終わらない。
嗤ったとしても、躍ったとしても、これは児戯に過ぎないのだ。