シナリオ

終演アクアリウム

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●あえぐ
 泡。

 ごぼり、ぶくり、がぼ、喉から奇妙な音が続いている。それが肺腑から泡を吐き出している音だと気づいたのは、水を飲んでからだった。
 空気を求めて喉を掻き、水面を求めて手を伸ばす。足りない。脚に纏わりついてくる腕が、浮き上がることを許してくれない。
 ぐ、ぎゅ、呼吸とも悲鳴とも呼べないものが口から溢れる。溢れて、こぼれて――。

「――きゃははっ、ようやく静かになったわ!」
 ……水中で動かなくなった『それ』を背に。キュイキュイ鳴くイルカのような声ではしゃぐ、黒と赤、華やかなドレスの少女。くるくるステップを踏んで、最期にぶくりと上がった泡を見てごきげんに。彼女は水槽へと手を伸ばした。
 分厚いアクリルに手をつけて。沈んでくる、物言わぬ|それ《死体》を見て、指を唇に当て。

「うるさすぎるのは嫌よ。静かすぎるのも嫌。どっちにしても|雑音《ノイズ》まみれのくせして。バカみたい♥」
 にんまり笑む顔がアクリルに反射する。――その少女の背後に。身動ぎひとつせず、瞬きと呼吸だけを繰り返す女性が、ひとり壁に背を預け、座り込んでいる。くるりと踵を返した少女、彼女の側に歩み寄り立ち、その顔を覗き込む。どこも見てはいない空虚な眼差し――彼女の頬を掴んで、無理矢理に視線を合わせ。

「静かね。とっても」

 ――その日、ある水族館から、ありとあらゆる生命の音が消えた。

 原因不明、生物の大量死。職員一名が水槽内で遺体となって発見。また、職員一名が行方不明となっており――。

●ごきげんよう。
「『ごきげんよう』、皆様。夜遅くに失礼」
 丁寧に一礼をしてみせるのは、輝く海洋生物のインビジブルに囲まれたデッドライト・シリル・クールベ(窓・h08786)。深夜、ひとびとが寝静まる頃――とある水族館の前にて、船霊は立っている。

「水族館での一幕。閉館時間を過ぎた深夜、職員二名と館内ほぼ全ての生物が死滅する――そのような」
 顎に指を当て目を細める|彼《彼女》。僅かだが、風が荒れている。塩の匂い――海浜公園の中にある、海に程近いその水族館。これから悲劇が起きる前兆か、それとも、目の前の災厄の権能か。ともあれ。

「自分たちが、先手を。館内は暗く、殆ど灯りがありません。足元にはご注意を。……首謀者をどう探すかは、お任せしますが」
 ふわふわと漂ってくる海月を手のひらに乗せて、そして、握るように。切り裂かれるも、分裂するインビジブル――きらきら。

「ご注意ください。くれぐれも、お静かに。――『あれら』も、それを望んでいます」
 瞬く黒が振り返る。見える長い階段の先に……水族館が、海が、待っている。

「どうか、『開演』に間に合いますように。よい航海を」

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第1章 冒険 『暗中模索』


 潮の匂いがする夜風を避けるように、館内へと足を踏み入れる。閉館時間を過ぎたアクアリウムは異様に静かだ。
 非常灯などの最低限の灯りだけが目立ち、他の光源は殆ど無い。

 星詠み曰く、事件が起こるのは館内の大水槽。灯りさえ用意できれば、順路に沿って様子を窺うことも容易いだろう。

 歩くついで、夜の海洋生物たちを観察するのも良いかもしれない。普段は賑やかなタッチプール、海月の水槽群、深海魚の水槽。どの場所も今は、黙している。
マギー・ヤスラ
寧・ネコ

 とりたてて、海の生き物が好きというわけではない。だからといって意味もなく――いや――簒奪者曰く、『喧しいから殺す』などと。かわいそう、という言葉で収まるのならよかったが。生き物は生きている限り、大なり小なり喧しいのだ。それは生活音や日常で出す音だけではない。呼吸音であったり、それこそ心音であったり、生きている限り、音と命は切っても切り離せぬ存在だ。

 マギー・ヤスラ(葬送・h07070)と、彼女に抱えられた寧・ネコ(鎮魂・h07071)は静かな館内に耳をすましながら、軽く周囲を見回す。
 ――入って早々に見えるは古代から生きる巨大なサメの標本であった。それを横目に先に進めば、水族館の近海の生物が展示されている。

 静寂。水の音だけが響く中、彼女の歌は、ゆりかごのうたは館内に反響するように、小さくともよく響いた。ネコへと送られる祝福の歌。唇から紡がれる優しい声、揺籃、たゆたう水のように響く歌。
「……いってらっしゃい」
 マギーの腕から降りたネコ、静かな足音を立てながら先へと、トットッ、と軽い足音を立てながら早足で歩いていく。鼻をひくひく、細かな匂いを――潮や水の匂いではないものを探るため、逃さぬようにひくつかせながら。消灯された館内、暗い足元を照らすスマートフォンのライト。魚たちを驚かせないよう、光量を絞ったそれが床を照らす。

 ……身勝手で理不尽な簒奪者よりも、獣のほうが合理的だ。いや、獣ではないからこそ、非合理的な――己の欲求を「より深く」満たすための手段を取るのかもしれない。ネコは先を歩きながら、周囲の水槽に泳ぐ魚を見て思う。
「(|勿体ない《美味しそうな》ことこの上ない)」
 ――ふと、巨大なクエと目があった。あれもさばいてしまえば美味しい美味しいさかなであるが。どうせ殺すのならば、食ってやったほうがずっと善いはずだ……。

「ネコ、美味しそうなおさかながいるかもしれないけど、依頼が終わるまで我慢、ね?」
 その視線に気づいたか、遠くから聞こえてきたマギーの声。小さなけものの唇をちろっと舐める舌。歩くのを再開する。いや。別に。
「(腹が減っているわけではないぞ、マギー)」
 無言の抗議はちらりと振り返って、尻尾を振ることで。ああ、そうか、終わらせた後には、美味しいさかなが待っているかもしれない。

 ――この水族館が好きなひと。維持するために頑張っているひと。これから起きる――「はずだった」悲劇を考え、マギーは目を細める。人々に愛された末が、この『美しい世界』だ。そう、水槽に敷かれているこの砂ひとつぶにすら、誰かの思いが詰まっている。ネコの姿を見失わぬように歩きながら、薄っすらと明かりが灯っている水槽と中で泳ぐ魚たちを見る。
「……静かね」
 まるで、海の底にいるみたい。もちろん、海底に沈んだことはないし、溺れてしまいそうでいやだけれど。
 だって、泳げないのだから、|底《・》に辿り着いてしまったら、|そこ《・・》から浮き上がれる気がしないのだ。ほんのりと香る、雨とは違う水の匂いと音――。

 ふん。ネコの鼻が鳴る。――捕らえた。
 人々のものに混ざる、異なる匂い。それはどこか……石粉や、ビニールなどを含む、人のものとは異なる匂いだ。そう、まるで『おもちゃ』や『人形』のような匂い。……向かう先は、大水槽だ。
 にゃあ、と鳴いたネコ。察したマギーが歩く速度を早める。
 ネコは彼女に速度を合わせながらも、先を急ぐ。夜目が利く彼のあとを追い、一人と一匹の足音が館内に響く。

クラウス・イーザリー

 レギオンの駆動音。散開するそれらの行方は、順路を逆走するもの、沿うもの、上空から探るもの。
 暗視ゴーグルを着用し、前を見るクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)。水の音とその反響だけが聞こえてくる館内。
 水族館自体、殆ど来たことがない。それはクラウスの出身もあってのことだろうか。ともあれ夜の水族館となれば尚更。
 近年であれば、連休等のタイミングで夜間にイベントとして営業することはあっても、それはこのような無人の世界とは程遠く。
 ――今は、だあれもいない。非常灯等の最低限の明かりだけが、『ここは人類の生活圏である』と証明しているかのようで。その僅かな光を受けてきらり、ぎんいろの鱗が輝いた。
 綺麗だ、と、ゴーグル越しでも見える魚体を見て思う。その視界を横切っていく魚群、薄っすらとした輪郭のインビジブルたち――この世のものではないような光景であった。

 しかしそれも、簒奪者が動き出せば失われてしまう光景。ありとあらゆる命は死に絶え、ここを泳ぐインビジブルたちも同様、『|それ《・・》』の養分となり消えていくことだろう。
 それを阻止するために、今、自分はここにいる。口を結び、己の目と、レギオンたちの反応を窺いながら歩みを進める。
 トンネル水槽を通れば、水底のような波紋が足元に映る。暗闇にふと映える鮮やかな水の反射と蒼。物言わぬ魚たちはクラウスの様子を気にすることなく、自由に……そう。自由に泳いで、ぐるりと頭上を魚影が過ぎ去った。

 ……少し先を進ませていたレギオンが感知したのは、人の気配。人間か、先行している√能力者か、それとも災厄か。ともあれ放って置くわけにはいかない。クラウスは歩く速度を早めて進む。
 できれば次は、明るい光の中で。賑やかさという波に揉まれながら、館内を見回りたい、なんて。
 ――耳元で、小さなビープ音が響く。他のレギオンからの反応。――館内にいるはずの人間よりも、『人型』が多いようだ。

澪崎・遼馬

「職員だけでなく、飼育されている生き物までか」
 踏み入れた暗色。非常口の灯り、わずかな水槽の灯りに照らされる、黒。くらやみに紛れる鴉が一羽。独言は小さく、僅かな憂鬱を孕んでいる。潮の匂い、人の消えた水族館、僅かな水の音だけがそこにある。
「徹底的というべきか、潔癖というべきか」
 さながら職業病、犯人はいかなる人物か。声や音を嫌っていると思われるそれが、どのように動くのか――。

 昼間の明るく、あるいは魅惑的な雰囲気の光源で照らされた館内とは異なる状態となったアクアリウム。どこか生ぬるい空気と湿気を感じながら、澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)は周囲の様子を窺いつつ、念の為と光源を消し、足音すら立てぬように先へと進む。呼吸は浅く、鼓動が耳の奥で鳴るような感覚がした。
 暗い方が、暗色に沈むこの空間のほうが、都合が良い――。闇夜に溶け込む遼馬の姿。ちらりと、明るさを保たれている水槽の前をその影が遮った。
 漂う湿気は、まるで生き物の吐息のように肌にまとわりつく。水槽の奥から、誰かがこちらを見ているような錯覚。魚の目か、それとも。

 せせらぎのような水の音に誤魔化されていようとも、今は魚類という生物の気配に満ち溢れていようとも、標的の行動パターンはある程度把握していた。彼女が予知にあるような『子供のような性質』ならば、どのような行動を取るのか。
 本来清掃された後であろうはずの水槽、そのアクリルに残された手形、小さいそれは少女のもの。中央の大水槽へと向かう足跡に混ざるは、人のものと異なる匂い。僅かに残るそれを追いながら、遼馬は先へと進んでいく。

 透明な存在が、インビジブルが遼馬に寄り添うように泳いでいく。そのまま、水槽を突っ切っていくそれら。
 ――水槽、水葬。
 視界に過った水に満たされた箱の中、この中が、死体だけになれば。
「(この水槽が棺桶のようにも思えるな)」
 水槽の中にみちりと。四肢を絡ませて水底に沈むひとの死体、水面に浮かぶ魚群。棺と呼ぶには狭すぎるそれに、ぎっしりと詰められるべきものではないものが詰められたそれに、海藻が絡みついて――浮かんでこない。ただ水を吸った肌が、ぶくぶくと膨れ上がり、海水を濁らせるのだろう。
 おぞましい想像をしてしまい、遼馬はその思考を追い出すように頭を振った。
 だがそれでも、大水槽へと繋がる順路を歩きながら、想像する。これが開館中の出来事であれば、どれだけの人間が『そのように』なったのだろう。じっとりと湿り気が増す館内。今なら間に合うというのならば、手を打つべきだ。

「(急がねばな……)」
 星詠みの予知、そして自身の想像を現実にしないために。遼馬は足早に、順路を進んでいく。
 気配が色濃くなっていく。この足跡は、気配は、楽しげに進んでいるのだ。まるで本当に水族館を心の底から楽しむかのように。
 跳ねる足跡、水槽を見て回るそれ。その先で彼女が何を起こそうとしているかなど、察せぬほどの、無邪気さで――。

第2章 冒険 『狂気迷路』


 辿り着くは外洋大水槽。揺蕩う水面の反射が床に落ちている。海底の静けさを演じるように、暗がりを照らしている。
 温暖な海を再現した水槽の中で優雅に泳ぐ巨大な鮫、イワシの魚群、底を這うように泳ぐ魚たち。それはまるで、そう――普段通りの光景であった。

 ふと見れば、通常ならば照明が落とされているであろう場所に、灯りが燈されている。燈されて、燈されて、燈され――先が、見えない。
 踏み込めば見えるはからっぽの水槽。がらくたが詰まった水槽。人形の詰められた、靴が、スマートフォンが、食器が。
 ……各々の水槽に水や魚の代わりに、奇妙なものが詰め込まれていた。
 そこは本来の順路にはない通路。本来の展示物などでは決してない。ぢり、と思考が焼けるように、プラスチックが燃えるような匂いがして。
 ゆめのような、悪夢のような光景が広がっていた。

 ――遠くから小さな声が聞こえる。楽しげにはしゃぐ子供のような声。水音すら無くなった通路によく通る声が反響する。
 右を見ても左を見ても、同じような通路が続いている。もはや『少女』の痕跡はぐちゃぐちゃだ。そのわらう声だけが、彼女の居場所を示している。
 気が狂う前に、前へ進むべきだ。――狂いたいというのなら、留まるべきだ。
クラウス・イーザリー

「(気持ち悪い……)」
 左右、前後の間隔が曖昧になる。まるでゆめのなか、悪夢の中、誰もいない水族館、異様なものが詰められた水槽群。遠くから響くは少女の楽しげな笑い声だけ――。
 クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は唇をきゅ、と結びながら、目前に広がる異様な光景を目の当たりにする。

 精神を蝕む、すり減らしていく、それも急速に。ただ自らの弱みを知っているからこそ、頼れる「よすが」があることが救いだった。
 作り上げた魔符を握り、静かな狂気に満ちた順路を進む。
 ちらりと見た水槽、赤ん坊の人形の右手だけが詰め込まれていた。また別の水槽が視界に入る。ぎちぎちに詰め込まれているのはパッチワークのクマ。行き止まりには、海棲生物の骨格標本や、壁一面が水母の水槽となった空間が見えた。
 だがその奥、暗がりからの視線。何者でもない、まるで無機物かのような――。

「……っ」
 眉をひそめて歩くクラウス。少女の声を追う。こっちにおいでとばかりにわらう声を追う。自らのこころが壊れぬように、奮い立たせて歩みを進める。
 ――ぢり、と、符の端が焦げ始めた。
 まだ抵抗できている、そのはずだ。だというのに、なぜこんなにも頭が揺さぶられるような、ぐらぐらと不安定になるような錯覚があるのか。

 狂いたいのか。
 狂ってはいけない理由がある。
 狂いたい。いっそ。
 狂ってはいけない。呑まれてはならない。背後に巨大な鯨の幻影が迫っているような、大口を開けてそのままばくりと飲み込まれてしまいそうになる、そんな錯覚――。

 だが、助けなければならない者たちがいる。焼け落ちかけている符はまだ縁として機能してくれている。握りしめた手の痛みも、焼ける感覚も、それらすべてが『己』という存在を証明している――。
 それが正気であるかは、クラウスにはわからない。ただ先へ進むには、それは十分な苦痛だ。苦痛を覚えている、正気だ、ならば……ならば、このまま先へ、走るまでだ。

 助けなければ。無事に帰らなければ。

 狂ってしまう前に。

澪崎・遼馬

 異物。
 みちり詰め込まれているのは烏の羽か。僅かにきらりと緑に紫、光を反射する一枚一枚の羽。突如として現れた『順路』と思わしき水槽の並ぶ通路。遠くから響くのは幼い笑い声――反響。耳から脳へと抜けて、染みる。人がすれ違うには十分な横幅を持つ通路。先は見えるが、その先の先まで不気味な水槽ばかりのこの光景、一体誰が想像できようか。まるで|悪夢《ゆめ》ではないか。
 ……カタカタ音がすると思えば水槽の中、ひっくり返った四足で歩く動物の人形がぽつり、水のない砂の中でもがいていた。

「……これは、長居すれば精神に障るか」
 ある程度は見慣れた――見慣れてしまったような景色だ。たとえば銃声。たとえば怒声。たとえば、警報音。それらストレスに晒され続けた人間がどうなるか――通常の人間よりもずっと、それらに耐え得る能力を持つ√能力者であっても、この異常に接し続けることは好ましくない。
 異形が詰め込られた水槽を見て眉をひそめながらも、澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)は密かな声を頼りに駆け抜ける。丁字路に差し掛かれば耳を澄ませ、標的へ向けて直走る。

 ――脇に見えた、広い水槽の中にヒトガタが見えた。踊るように、恍惚と、何かをとらえて食らっているように見えた。それの下半身はああ、まるでさかなのようで。
 人が人魚の肉を喰らえば不死になるのなら、人魚が人を喰らえば何になるのか? |否《いや》、ただの食事程度にしかならないか。
 ただ、あんなものに出会していれば、相応の時間を食ったことだろう。アクリル越しなら問題はない、これは幻影だ、幻覚だ――それでも。微笑う『| 《声》』が、こちらを見た。

 咄嗟の発砲だ。遼馬の的確な射撃が人魚の額を撃ち抜く。破れた水槽から溢れ出す海水と、泡となり消えていく人魚。被害者の姿はそこにはなく。
 遼馬はいつの間にか荒くなっていた呼吸を整え、銃声でやや鈍った耳を軽く叩いて、再度働かせる。
 声は近い。近くなる。――こちらに、近づいてきている。

 遠くに見えていた灯りが、通路が圧縮されるかのように距離が縮み。すぐそこまで、迫っていた。体感ではない、これは『干渉』だ。この『順路』を作り上げたものが。遼馬を、よんでいる。
 一歩踏み出した。それだけで、何十メートルをも進んだかのように視界に移る風景が変わる。

「やあだ、うるさいじゃない」
 不機嫌そうな声が、館内に響いた。
 ――海洋生物たちのためのショープールに、『それ』は居た。蒼の中、灯りを受けて黒と赤のドレスが踊る。潮風を受けた髪がなびき、それを邪魔くさそうに顔から避けてみせる、少女。

「こんばんは、はじめまして、うるさいお客様」
 他人を嘲るように微笑う少女は丁寧に、そしてわざとらしいカーテシーをひとつ。
「間に合ってよかったーなんて、思ってる?」
 ショープールの奥に――本来なら、イルカが乗り上げてみせたり、アシカが輪投げをしている愉快な光景が見えるはずのそこ。倒れているのは、男女二人の従業員。

「あそびましょ」
 遼馬への敵意が突き刺さる。己の『静寂』を壊された。八つ当たりでしかない感情を持った、視線である。

第3章 ボス戦 『『囀る沈黙』レティセンス』


「ちゃんと見てくれなかったの? せっかく中身、いっぱい詰めておいたのに」
 子供のように頬を膨らませ、少女はショープールの前に立ち笑っている。本来この場に居るであろうイルカ達の姿はない――否。ここはおそらく、現実から『切り取られたまま』なのだ。
 生物のいない水槽の並んでいたあの順路と共に。本来広がっているはずの空間ではない場所。プールの奥、ステージの上には倒れている二人の従業員。
 まるで海と繋がって見えるかのような光景の中、波の音ひとつしないことが、ここが現実ではない証明だった。

「ねえ、その|雑音《ノイズ》、うるさいのよ」
 だからこそ、少女は呟く。その耳は確かに聞き取る。心音を。吐息を。生きている限り発し続ける音を。

「黙らせてあげるわ。……踊りましょう、気に入らない侵入者さんたち♥️きゃははっ!」
 囀る沈黙、影が伸びる。
 ――真の意味で、彼女を黙らせなければならない。
 開演の時間だ。
クラウス・イーザリー

 生命の音。
 ただ呼吸をしている。ただ瞬きをしている。そのひとつひとつの動作、ほんの僅かな音が伴う。肺腑が膨らみ喉を鳴らし、脈打つ心臓、血流の音――。

「黙るのはお前だよ」
 呟くクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)。
 それら生命活動の音はきっと、目の前の少女には存在しないのだろう。あるいは自分が発していても、自分だけを特別視しているのだろう。
 囀る沈黙レティセンス。生命の証明を拒み、ひとを『ひと』ではないものへと変え、己の手中におさめ、『おままごと』のために使おうとしている。
 ――彼らを、一般人たちを黙らせる訳にはいかない。

「やぁだ♥️そっくりそのままお返しするわ!」
 甲高い少女の笑い声。――紫電が走る。急速に接近してきたクラウス、彼か作り上げた槍状の魔力兵装をひらり躱して、ご機嫌にくるりと回る。その足を掬うように振られた切先も軽々ステップで避けてみせた。
 しかしそこをレイン砲台のレーザーが襲う。身を翻すレティセンスだが、流石に避けきれはしないか、ぢりと肌を掠めて焼けていく。

「一番静かだと思ってたのに、ずいぶんと派手なことするのね?」
 踊るかのように――否、これはもはや、ひとつの演目だ。ならば彼女はどのような『役』をつとめるというのか。それはもちろん。

「きっと、トゲがお似合いだわ!」
 きゃはは! 甲高い声と共に、彼女の影が大きく伸びた。伸びて、それが黒い茨の触手へと変わる。
 茨姫――さあ、今度はクラウスが踊る番だ。茨を槍で切り捨てながら、付かず離れずの距離を保つ。無尽蔵とはいかないらしい攻撃の合間を縫って、レティセンスへと迫っていく――その頬を、茨が掻いた。
 一瞬、そう一瞬だ。思考が、動きが止まった。だがそれをばちりと、頬に刻まれた傷を『焼き綴じる』ようにして雷が走る。

 意思も言葉も失くし。何も考えなくなったら。
「(きっと楽だろうな)」
 きっと、幸福だ。そうなれたらいい。そうなってはいけない。揺れる天秤。それでも肉体は『生存』を求める。

「きゃあっ!?」
 ――敵対者への攻撃が止まったのはたった一秒ほどのことだ。槍の射程に迫ったレティセンスの脚を、太腿を切先が丁寧に撫でていく。切り裂かれ、血液の代わりに散るのはベラドンナの花――。

「何よっ、何よ……! くっだらない! たかが人間数人と、喋りもしない動物だけなのよ!」
 それを天秤に乗せること自体が、間違いだったのだが、彼女にはどれだけ時間をかけようと、理解できないことだろう。
 人々を守る。それは虚無の幸福、それへの憧れに蓋をするには十分な意志、使命感である。
 恨めしげに睨みつけてくるレティセンス。己の茨を蠢かせ、下唇を噛んでいる彼女に。
「どちらかが倒れるまで、踊るよ」
 クラウスは小さく呟き、確かな意志を持ち、少女を睨む。構えた槍の射程から、彼女は大きく飛び退いて離れた。

夜白・青

「暗く静かなのも悪くはないけれど、それを押し付けるのはよくないねい」
 いつの間にか。自身の空間に、『静かではないだれか』の侵入を許した。レティセンスが視線を向けた先、ショープールの観覧席へと座り。彼女の繰り広げる踊りを見ていた、夜白・青(語り騙りの社神・h01020)は、その目を細めながら、ゆったりと立ち上がる。
 袖を正し、扇子を広げて口元を隠す龍へと、レティセンスは忌々しげに眉をひそめた。
「じゃあ、もう少し雑音を立てるとしようかねい」

 語れ。
 少女が動こうとする前に、青の唇が動いた。ぱっと自身を照らす灯りに思わず目を伏せ、手で光を遮るレティセンス。少女の作り上げようとした茨が、影が、四方、八方、様々な角度から照らされる光により掻き消える。

 気づけば彼女は正しく『舞台の上』。演者を照らす光は、レティセンスの語りを今か今かと待つように輝き続ける。――ライトの熱に歯噛みをしながら、彼女は声を張り上げる。
「あなたもおしゃべりさんね? ふざけないでッ!」
 全力で、影が生まれるように大きく動き、自身に落ちる影をなんとか生み出し、それを用いた茨を放つレティセンス。
「主役が私なのは認めるわ、だって私は! 私だけが、声も、心も、すべて持っていて良い子なんだから!」
「……演者は違っても、ショーをする場所だからねい」
 随分と自信過剰なものだ。苦笑する青に放たれた茨は細くか弱いもので、祓魔の力が込められた扇子の風ひとつで揺らぐような有り様である。

 語る言葉も、騙る意思も、沈黙すれば人形と同じ。青にとって、否、ヒトにとってそれは『死』と同等だ。だが彼女にとっては――。
「なんで! 人間だって|獲物《剥製》を集めて飾るでしょ? それの何がいけないの!!」
 人間と動物の区別が、いまいちついていない。すべて黙した、それでもイキモノだったとわかるもの。彼女が求めているのはそんな『人形』たちだった。
 ショープールの奥で倒れ伏している彼らも、彼女にとっては狩猟の獲物に過ぎない。
 ただヒトを狩る理由が、『雑音を放つから』であり……例えるならば、自分の畑を荒らした獣を剥製にするような、そんな所業。

「実に、自分勝手な生き方だねい」
 弾き返した茨を切断し、新たに生まれてくるそれらも容易く、光により届く前に掻き消え。地団駄を踏む彼女の様子。強力なスポットライトは熱によって、じわじわとレティセンスの体力を奪っていく。

「主役に与えられる光の強さは、お気に召したかねい」
「――ッ、い、らないッ! こんなの、いらない!」
 吐き捨てるレティセンス、汗だくになった頬を袖で拭う。――まだ、戦意も敵意も失せはしない。

澪崎・遼馬

 怒りを湛えている。
 あまりにも強い視線に、レティセンスは少し――ほんの少しだけ、少女らしくたじろいだ。ショープールの舞台へと歩み上がってきた黒。澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)の姿を見て――そして、その心の内を。無表情、虚無の下に押し殺されたどす黒い怒りを、自分への殺意を、|囀る沈黙《・・・・》は手に取るように感じ取ったのだ。
 人の声も、心の声も、感情も。生命の在り方を|雑音《ノイズ》と断じる彼女にとって、あまりにもな重圧であった。
 彼から感じ取れることは。『|自分《レティセンス》の殺し方』。葬る為の最適解。その実行。手段。

「なに……よ、あなた……どうして、そんなに煩いの!?」
 発露したのは、恐怖であった。ヒステリックに叫ぶ少女に対して、遼馬は静かに――そう。表面上は、静かに、応える。
「同感だな。貴様の耳障りな笑い声にも飽きてきたところだ」
 構えるは二丁拳銃。導く先は当然、苦しみ生きる此岸でも、極楽浄土たる彼岸でもない。

「いい加減静かにさせよう」
 狙いすまされ打ち出された弾丸、咄嗟に生み出した茨の触手がそれをなんとか弾くが断裂する。まともに喰らえばどうなるか察したレティセンスが、悔しそうに顔を歪め、自身を守るように茨の檻を形作る。
 茨の檻から放たれる触手の群れを躱し、その根本を狙って撃ち抜いていく遼馬の弾丸。魔弾の射手も顔負けか。一発も外すことなく、檻を構成する茨は数を減らしていく――。

「嫌! 嫌よッ、煩い、うるさいっ!」
 響く銃声に耳を塞ぎ、感じ取ってしまう殺意に震える彼女が出来ることは、もはや防戦である。撤退は許されない――否、撤退しようとも、この恐怖から逃れることは。
 この死神から逃れることは、そもそも出来はしない。

「私は汝に告げよう」
 告げずとも理解しているだろうが。
「汝の全ての問い、全ての希望、全ての願いに対して」
 茨の触手の攻撃が途切れた。駆け出し、至近距離に迫る遼馬の目を、視た。
「私はこう告げよう」
 葬絶臨命魔銃。爆ぜるように溢れた羽毛、腕を覆う羽根、腕を侵食する|金属《魔銃》。向けられた銃口に怯えるように厚く重ねられた茨は、意味を持たなかった。

「|二度とない《ネバーモア》」
 至近距離。発砲音が、少女の悲鳴をかき消した。

 茨の檻が、触手が消えていく。腹に空いた大穴を、まるで守るように、たいせつなものを抱きしめるかのように抱いた少女は、ふらふらと遼馬から逃げるように後ずさっていく。ベラドンナの花びらが落ちていく。血液の代わりに、はらり、はらりと彼女の足元へと積み重なっていく――。
 ああ、おしまいだ。腕を下ろし、彼女の有り様を眺める遼馬へ、レティセンスは視線を向けようとしない。みてしまうから。感じ取ってしまうから――。
「……いや……いやよ……うるさい……煩いッ……」
 だから、顔を両手で覆って、涙をぼろぼろと零しながらのふらつく足取りは。

「あ」
 ――足を、滑らせた。プールの縁から落ちた彼女。浮かんでくる花びらと共に、こぽりと泡が立ち。ぱちりと弾けて……舞台の上は、静寂に包まれた。

 波は満ちて――引いていく。万雷の喝采の代わりに、静かなる波の音が、帰ってきた。
 舞台の幕引きはあっけなく。ぱしゃりとショープールで水音を立てたのはイルカだろうか。レティセンスにより、すり替えられるように生み出された空間は元に戻ったようだ。
 遼馬は取り残された職員たちの側に寄り、彼らの安否を確認する。どうやら二人とも、深い眠りについているだけのようだ――軽く肩を揺すってみたが、起きることはない。しかし、正常と呼べる範囲内だろう。

 これにて、終演。
 願わくは――この演目は、『二度とない』ように。
 その祈りは確と、届くだろう。

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