緋幽楼 ~狐狸夢中~
『一緒に緋幽楼に行こう! そ、そのデートで!』
朝から天気のいい日だった。
空気はすこし冷たいけれど、それがちょうどいい。澄んだ青空が地平線にまで広がってどこまでも続いている絶好のお出かけ日和。
炯々と燃ゆる彼岸花の小路をふたり並んで歩くのはちょっとどきどきする。
どこか落ち着かないのは、ちらちらと窺うような視線を投げてくる逢坂・吉祥のせいにするには他責すぎるかもしれない。なぜなら酒木・安寿は自分自身も雲の上を渡るようなふわふわした心地を抱えているからだ。
(一回目よりはスムーズに返事が出来たはず)
デートは初めてではない。
海やプール、夏のお出かけというものは魅力的で一種の憧れのようなものであったけれど、ふたりは人妖。頭上には大きな耳があって、尻からはふさりとしたふかふか尻尾が生えている。耳はともかくとして尻尾が水を吸うと重くて大変だし、何より暑さは気力を削いでしまう。
ふたりとも涼しくなった今が、ようやくの活動時期なのだった。
「噂に違わず彼岸花が綺麗なとこやんねぇ」
木々の枝葉が幾らか落されたことにより、美しい幾何学模様の光が射しこむ赤い彼岸花を見渡し、安寿は狐尻尾を大きく揺らす。
「うん。……あの、さ」
「どないしたん?」
あっちへこっちへ視線が忙しい吉祥の顔を覗き込むと、眦の周りがほんのりと赤くなるのが分かり、安寿はぱちぱち瞬き。
「浴衣、とっても似合ってる、ね」
千歳飴、ロリポップ、林檎飴、カラフルなキャンディが散らばった黄色い浴衣。同系色で締められた帯の上に重ねた帯揚げもキャンディの包みになっていて可愛らしい。
「うちは可愛いてお気に入りやけど、子供っぽくないやろか? ダリアの浴衣にするかも悩んだけど……ほらうちは駄菓子屋やし飴ちゃんがええかなって」
なんだか言い訳のようになってしまった気がして、すこし後ろめたくなる。だって本当に可愛い浴衣だと思っているから、仕立ててくれた人に悪い気がしたのだ。
そんな思いを見透かしたのか。
「可愛いよ。安寿のためにあるんだって、思えるくらい」
それはたぶん、いま一番ほしい言葉だった。
〇
辿り着いた緋幽楼は大きく、赤く、そして高かった。
ふたりは首裏を痛めてしまいそうなくらい天を仰ぎ、地面を踏ん張る尻尾で何とか自重を支えている。
彼岸花には曼珠沙華、狐花、死人花、地獄花など指折り数えはじめるとまずこれだけの不吉な別名がある。どれも良い意味合いでは決してない。
ゆえにか。
「わあ……」
目を奪われたように立ち止まり、一面の赤い絨毯のような彼岸花を見て感嘆するほど、彼はこの花が好きだったろうかと不思議に思う。
内心首を傾げて傍らを見たとき。
「安寿ちゃんの色が沢山!」
「へ? うちの色……?」
振り返った金色の眼差しと目が合って、ぱっと頬が熱くなる。まるで火でも咲いたみたいだ。
咲いた赤、紅、朱。
「俺にとってはこの色は安寿ちゃんの色なんだよ。だから俺は好きだな」
たしかに安寿の毛色はこれらによく似た鮮やかな朱色だけれど、だからこの色が好きだとそうも臆面もなく言われてしまうと、さすがに照れてしまう。
「そ、そんなんええから、はよお茶しよう!」
表情がバレぬように少し俯き、髪で熱い頬を隠しながら、安寿は吉祥の手を引っ張った。
〇
ふたりが選んだのは三階。
丸窓が地上を切り取り、吊り下げられた和紙のランプシェードがひとつ頭上から光を落とすノスタルジックな和風階。ふたりはまず顔を並べて少し高くなった位置から彼岸花を見下ろした。それにある程度満足すると、今度はメニューと睨めっこ。
「どれも美味しそうやし選べへんわ〜」
頁を行ったり来たりして悩む安寿の姿に、思わず微笑みが零れ落ちてしまう。こうやって悩むのもきっと楽しくて、同じくらい大切な時間だと思うのだ。
「安寿ちゃんの食べたいものが決まるまで待ってるよ」
やさしい言葉がやってきて、安寿はふと思い出す。
(……吉祥くんて、うちがメニューで悩んでても絶対急かしたりしいへんのよなー)
何を考えているのかわざわざ訊ねたことはない。それを聞くのは野暮な気がしたし、彼がそういうひとなのだと分かることだけでも僥倖と言えよう。決められぬ己の性分に辛抱強く付き合ってくれる者なぞ貴重であるし、もし無理をしているなら一言声をかけるが、今のところそんな素振りは一切ない。
いい男なのだなぁと思うと、すこし胸がくすぐったくなった。だってこの優しさをひとり占めしているのだから。
林檎がごろごろとたっぷりと詰まったパイは甘酸っぱくって、焼きたての生地がサクサクほろほろで食感が楽しい。安寿が焼きたてアップルパイに舌鼓を打つ傍ら、吉祥は甘さ控えめなぶんクリームがたっぷりと搾られたモンブランを頬張っていた。一緒に頼んだカフェ・オ・レを一口含むと、まるでモンブランフレーバーを飲んだみたいに口の中が秋で賑やかになる。
「美味しいね」
にこにこ笑う吉祥の言葉に、甘く煮詰めた林檎を舌の上で味わっていた安寿も同じくらいの笑顔でうんうん頷く。
紅茶で口の中をさっぱりさせた安寿は、ふと白くて大きなお皿に盛りつけられたモンブランへ視線を落とす。まるで模様を描くように折り重なる細いマロンクリームに、フォークをすんなりと受け入れてしまうふかふかスポンジ。
くす、と密やかな笑いが聞こえた気がして金色を見ると、なんだかおかしそうに双眸を細くしている吉祥と目が合った。口元に丸めた手を添えて、笑いを堪えているような柔らかな空気がこそばゆい。
「食べたかったんでしょ? 一口あげる」
そう言って、吉祥は皿に取り分けてくれた。
(なんでわかったんやろな?)
そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。
安寿は自分の頬を擦った。
〇
きっと、会話は昔からなにも変わらないのだと思う。幼馴染だから、ある日とつぜんがらりと変わる――なんてこと、きっとない。ない方が良いとすら思う。でも好きな人との会話はやっぱりどきどきして、目が合う度に胸が痛いくらい弾むようだった。
「これ、吉祥くんに」
帰り際、渡されたのは彼岸花のバッグチャームだった。
チェーンで長さを調整できるタイプのもので、彼が好きだと言った朱色の彼岸花が一輪、狐のシルエットをしたメタルフレームと寄り添っている。
「うちに似てるていっぱい言うてくれたしね。うちの代わりやと思って持っとって」
つんと顎をそっぽに向けているのに、ちらちらと視線を寄こして様子を窺う照れた姿が可愛らしくて、胸が摘ままれたみたいにぎゅうっと苦しくなる。
こんなの嬉しいに決まってる。
照れた姿も、どこか素直じゃない言葉も、乱れてもいない髪を指先でいじる仕草も全部が可愛くて、そして何よりも愛おしい。
「ありがとう、最高のデートだったよ!」
想像よりずっと嬉しそうに破顔する吉祥の表情に、ほっと安堵の吐息が零れてしまう。その笑顔を見ていたら気恥ずかしさもすこしやわらぐようで、
「……うん、うちもめっちゃ楽しかった♪」
だから、気持ちを伝えることが出来た。
こんな風に自分を素直にしてくれるのも、きっと――。
「あ、そうだ。実はこれ……」
それは、一輪の彼岸花が咲くつまみ細工の髪飾り。揺れるたびちりんと鳴るちいさな鈴がひとつ添えてある。
その音色は、これから彼女の歩みを華やかに彩ってくれそうな予感がした。