シナリオ

分かたれた記憶、それに気づかずとも銀狼は走る

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マルザウアーン・ノーンテッレト

 ――そのダンジョンでの依頼は、確かに中級程度の冒険者なら何の苦労もなく達成できるもののはずだった――。
 触手の先に備わった鎌状の鋭い爪が回復担当の仲間を切り裂く。
「――!」
 仲間の名前を叫ぶも、それに応える声はない。
 どうする、と震える手で|竜漿兵器《ブラッドウェポン》を握るものの、手の汗と仲間から飛び散った血でグリップが滑り、安定して掴むことができない。
――なんだこいつは。
 若い銀色の獣人――マルザウアーン・ノーンテッレト(銀の星・h08719)はガチガチと奥歯を鳴らしながら一歩後ずさる。
 今回の依頼は簡単なもののはずだった。
 ダンジョンを根城にしているモンスターを蹴散らし、モンスターたちが集めたアイテムを回収するだけ、ただそれだけだったのに――。
 目の前のモンスター一匹に、仲間たちはあっという間に切り裂かれてしまった。
――なんだこいつは。
 マルザウアーンは再び自問する。
 こんなモンスター、見たことがない。観測されたモンスターはデータとして収集され、冒険者たちの間で共有されている。
 だが、今、マルザウアーンの目の前にいるモンスターは見たことも、データベースに収集すらされていないものだった。
 植物のようで、蔓のような触手の先には鎌のような鋭い爪が生えている。この触手が厄介で、仲間たちを死角から切り刻んでしまった。
 まだ駆け出しの冒険者であるマルザウアーンが生き残っているのは奇跡に近い。本来なら真っ先にモンスターの餌食になっているだろうところを生き延びたのは、異変を察知したリーダーが彼を庇ったからだ。その結果、リーダーが真っ先に脱落するという事態に陥り、パーティーはその時点で壊滅も同然の状態になってしまったが。
 いつもなら仮にリーダーが傷を負ったとしてもそれでパーティーが壊滅するようなことはない。しかし、今回、このモンスターは完全にパーティーの死角から襲い掛かってきた。
 リーダーを屠った後は姿を隠す必要がないとばかりに現れたが、それは慢心でもなんでもなく、明らかにパーティーの技量を上回るパワーで圧倒できるからだった。
 リーダーの次には|盾役《タンク》が、続いて|斥候役《スカウト》が、そして今|回復役《ヒーラー》が倒され、残されたのは|戦士役《アタッカー》のマルザウアーンのみ。
――どうして、どうして、どうして――!
 マルザウアーンの脳裏を一つの記憶が蘇る。
 燃え盛る村、逃げ惑う住人、焼け落ちた家に押しつぶされ身動きが取れない弟――。
 そうだ、|あの時《・・・》も自分は誰一人守れなかった、とマルザウアーンは絶望する。
 ダンジョンから溢れたモンスターに村が襲われ、マルザウアーンを除く全ての住人が惨たらしく殺された。あの時飛び散った家族の血の温かさは今でも覚えている。
 マルザウアーンも震える手で剣を取り、モンスターと果敢に戦ったが誰も守ることができなかった。モンスターの爪に何度も引き裂かれたマルザウアーンだったが、首を引き裂かれても、腕を食いちぎられても、家族や村人とは違って即座に再生し、戦えとばかりに彼を駆り立てる。
 それが√能力の目覚めだと知ったのはかなり後のことだ。再生した手足はインビジブルを無意識のうちに吸収して行われていたもの。
 だが、そんなことを知らないマルザウアーンは訳も分からず戦い続け――やがて村を襲ったモンスターの討伐に訪れたとあるパーティーに保護された。
 はじめはモンスターとの区別がつけられず暴れていたマルザウアーンをパーティー全員が優しく受け止め、マルザウアーンは正気を取り戻した。
 その際にマルザウアーンも自分を鍛えてほしいと同行を求め、パーティーに受け入れられ、今に至る――が。
「俺は――また誰も……!」
 マルザウアーンが震える手で武器――村で手にした剣ではなく、自分用に誂えた銀狼の籠手を握り直し、モンスターを睨みつける。
「お前が――お前さえいなければッ!」
 鋭い爪を持った触手がマルザウアーンに襲い掛かる。
 それを短いステップで躱そうとしたところを別の触手が後ろから襲い掛かる。
「――ッ!」
 あわや、貫かれるところをすんでのところで回避し、マルザウアーンは一歩後ずさった。
――勝てない。
 今の自分ではどうあがいても勝てない。しかし、ここで逃げ出すわけにはいかない。
 仲間を目の前で殺されて、逃げるなど――。
――逃げろッ!
 声が、聴こえた気がした。
 すぐそこで倒れているリーダーが、叫んだ気がした。
 気が付けば、マルザウアーンはモンスターに背を向け、走り出していた。
 駄目だ、戻らなければ、という思いも絶望に塗りつぶされ、ただ言われたままに走る。
 走って、走って、走って――。
 ダンジョン内をひときわ大きな咆哮が駆け抜けた。
 切なく、絶望に満ちた、しかしそれを聞いているのはダンジョンに住み着くモンスターのみ。
 モンスターたちは知らない。
 たった一人生き延びて逃げ出した獣人が生きているのか、死んでいるのか。
 それを知る必要はない。
 モンスターに必要なのはただ生きるという本能だけなのだから。

◆◇◆  ◆◇◆

「よう、気が付いたか」
 その声に、マルザウアーンが目を開ける。
 白い光が目を灼き、マルザウアーンが唸りながら目を細めると隣でくつくつと笑う声が響く。
「……誰」
 光に目を慣らし、身体を起こしてゆっくりと声の方向に視線を投げると、そこに一人の男が座っていた。
「うーん、誰と訊かれたら答えないといけないが、誰と訊くからにはお前さんも誰か名乗らなきゃならんぞ?」
 そこにいたのは黒いスーツを着た男。室内なのにサングラスをかけ、表情は分からない。
「まぁ、そうさな。俺の名は――だ。|警視庁異能捜査官《カミガリ》の一人だ」
 ――おかしい。目の前の男は確かに名乗ったはずなのに名前が記憶から抜け落ちている。
 そこでマルザウアーンはこれは夢だ、と気が付いた。
 これは夢だ。|警視庁異能捜査官《カミガリ》の"亥-09"に保護されたときの記憶を再生しているだけだ。
 だが、夢だと分かってもマルザウアーンはこの記憶に干渉することはできない。自分の記憶であったとしても、改竄することは許されない。
「オレは……マルザウアーン・ノーンテッレト……」
 夢の中の|マルザウアーン《じぶん》はベッドの薄い掛布団を握りしめてそう名乗る。
 |警視庁異能捜査官《カミガリ》に保護されたきっかけは――と、マルザウアーンは記憶の糸を辿る。
 あの、得体のしれないモンスターから逃げ出した後、マルザウアーンの心は二度も大切な人を守れなかったという記憶に引き裂かれ、自我を失った。
 繰り返し押し寄せるフラッシュバック、自分だけ生き残ってしまったという罪の意識、大切な人は皆死んでしまう、という思いは若いマルザウアーンの自我を奪うには十分すぎた。
 押し潰され、引き裂かれ、自我を失ったマルザウアーンは暴走したように暴れ、モンスターのように道行く人々を襲い、そしてモンスターとして討伐された。
 だが、√能力者であるが故に死ぬことができなかったマルザウアーンはそこで正気を取り戻したもののふらふらと別の√へ転がり落ち、そのまま√ドラゴンファンタジーに戻ることなく彷徨い続けていた。
 戻ったところで自分は他人を傷つけた罪人だ、それに大切な人がいない√ドラゴンファンタジーに戻ったところでできることは何もない。
 あのモンスターに復讐を果たせればいいのだろうが、今のマルザウアーンにはそこまでの力があるとは思えなかった。あの時、戦えたのは仲間がいたからだ。仲間がいない今、何の力もない自分には何もできるはずがない。
「マルザウアーン……いい名じゃねえか。見た目、獣人がここにいるってことは――どっかの√から転がり込んだ√能力者ってところか?」
「√能力者?」
 聞きなれない単語にマルザウアーンが首をかしげる。
「あー……√能力者をご存じない? なりたてほやほやなのか、それとも無自覚なのか……。まぁいいや、√能力者ってのはな――」
 男の説明をぼんやりと聞きながら、マルザウアーンは今まで自分が死ねなかった理由、戦えて来た理由をようやく理解した。
 自分が√能力者という事実がいまだに信じられないが、事実は事実なので受け入れていくしかない。
 しかし、それはそれで後悔がマルザウアーンの胸を締め付ける。
 √能力者故の不死が身についているのなら、あの時、あのモンスターを相手に戦い続けていればいつかは勝てたのではないか――と。
 逃げてしまったことで、完全に仲間を無駄死にさせてしまった。そもそも、自分が不死だと知っていればリーダーは自分を庇わず、命を落とすこともなかったのではないか。
 そう思ったところで、マルザウアーンは違和感に気付いた。
――リーダーって……誰だ?
 記憶の断片が脳裏をよぎったようだが、細かいことが思い出せない。
 それどころか、何故自分がここにいて、ボロボロの状態で保護されているのか、理解できない。
 どこから来たのか、何があったのか、思い出そうとするが何も思い出せない。
 思い出せるのは自分の名前と――生きていくのに必要最低限の知識だけ。
 そうだ、とこの「夢」を観測するマルザウアーンも思い出す。
 今の自分には記憶がない。何者かがごっそり奪ってしまったかのようにほぼすべての記憶が抜け落ちている。
「……うぅ……」
 握りしめた掛布団に水滴が落ち、染みを作る。
「オレが……俺が何も知らなかったばかりに――ッ」
「その様子だと、色々大変なことがあったようだな。まぁ、それでもお前さんは生きてるだけで儲けもんだ。生きてりゃ、いつかは挽回できる。それでいいんじゃねえか?」
 そう言い、男が立ち上がる。
「ま、ここは警視庁の施設だから変な奴が来ることもねえし、お前さんはしばらく休んでな。落ち着いたころにまた来る」
 男の気配が動き、そのまま部屋の中から消える。
「……オレは……」
 どうすればいい、とマルザウアーンは自問した。
 記憶はない。だが、どうやら自分は√能力者というものに目覚めていて、その結果生きていることだけは理解できた。
 理解できたが、何故涙が出るのか、何故心の奥から罪の意識が沸き上がってくるのかが分からない。
 これから、どう生きればいい。
 √能力というものがあるのならそれを活かせれば生きていく上の糧は得られそうではある。
 自分を保護してくれた男――と、彼が属する|警視庁異能捜査官《カミガリ》の、"亥-09"のお世話になることができれば自分の力を活かせそうな気がする。
 まだ|警視庁異能捜査官《カミガリ》がどのようなものかははっきりと分かっていなかったが、男の雰囲気でなんとなく分かる。
 あれは真っ当な組織ではない。いや、表立って活動できるような組織ではない。
 それなら記憶はないが戦う力のある自分は適任ではないか――そう、考えていた。
――そうだな、あの時のオレはそう思ったんだよな。
 俯瞰するマルザウアーンが苦笑する。
――そう、この出会いがあったから、オレは――。

「オレを仲間に入れてください!」
 マルザウアーンが√汎神解剖機関に迷い込み、"亥-09"の男に保護されて数日。
 体力が回復したマルザウアーンは男に――いや、共に見舞いに来た"亥-09"の面々にそう頼み込んでいた。
「――って言ってますけど、どうするっすかー?」
 "亥-09"の一人、少しチャラそうな青年が男にそう声をかける。
「んー……まぁ、いいんじゃないか?」
「あっさりィ!」
 チャラ男が声を上げるが、男はそれを意に介さずマルザウアーンを見る。
「いいのか?」
「オレ、きっとあんたたちとならうまくやっていけると思うんです! オレを強くしてください!」
「ってもあんた、もうかなり強そうに見えるけどなァ……」
「お前さんは黙ってろ」
 ごん、とチャラ男の頭に拳が落とされる。
「ってぇ!」
「まあ、お前さんが望むならいいんじゃないか? どうせ|警視庁異能捜査官《カミガリ》はいつも人手不足だ。その辺の人材をホイホイ引き込むこともできないし、√能力者が仲間になりたいなら願ったり叶ったりだよ」
「ありがとうございます!」
 マルザウアーンがベッドの上で土下座する勢いで頭を下げる。
「……が、いいんだな? これからかなりヤバいもんも見ることになるし、お前さんも大変な目に遭うことになる。それでもいいなら――うちは歓迎するぞ」
 そう言い、男はマルザウアーンに右手を差し出した。
「よろしくな。お前さんみたいな元気な奴は大好きだぜ」
「ウッス!」
 男の右手をしっかり握り返し、マルザウアーンも大きく頷く。
 男が言う通り、これから大変なことが怒るだろう、とはマルザウアーンも分かっていた。だが、だからといって逃げるわけにはいかない。
 必要なのは自分の力を活かし、もっと強くし、目の前で「誰も喪わない」ように守ること。
「……?」
 ふと、自分の中で浮かんだ言葉に、マルザウアーンは一瞬硬直した。
――「誰も喪わない」……?
 まるで、記憶を失う前の自分は目の前で誰かを失ったことがあるかのような感覚。
 保護されてしばらく経つが、マルザウアーンの記憶は全く戻っていない。
 それでも、時折感じる既視感のようなものは確かにあった。
 保護される前――√汎神解剖機関に転がり込む前の自分は一体何をしていたのだろうか。
 動けるようになってから、"亥-09"の面々と少しだけ手合わせして、自分に戦闘能力があるのは分かっている。ただ、何故戦うための力があるのかは分からなかった。
 戦う力があるということは元いた√でもそういったことに明け暮れていたのだろう、とは想像がつく。
 ということは、その間に目の前で誰かを失ったのだろうか――そう思った時、マルザウアーンの胸がつきん、と痛んだ。
「ん? どうした?」
 マルザウアーンが一瞬硬直したことで、男が不思議そうに首をかしげる。
「いや、何でもないッス」
 慌ててマルザウアーンが平静を取り繕う。
 あの胸の痛みはなんだ。まるで、新しい生活を送ろうとする自分に対して警告するような、責めるような、そんな痛み。
――罪悪感? まさか。
 罪悪感、自分の中に浮かび上がった言葉に、マルザウアーンは愕然とする。
 そんなものを感じるほど、記憶を失う前の自分は罪深いことをしたのか。
 嘘だ、そんなはずがない、と自分に言い聞かせようにも、それを否定する要素はどこにもない。むしろ、実際に仲間を見殺しにしたのではないか――そんな恐怖が浮かび上がる。
――お前はまた裏切るのか。
 そんな声が聞こえた気がして、マルザウアーンは気づかれないように首を振った。
 だめだ、こんなことを考えていてはいけない。過去に何があったとしても、過去は過去だ。未来を見て進まなければいけない。
 そう言い聞かせるものの、マルザウアーンの胸の裡はちくりちくりと棘が刺さる。
 お前は忘れているかもしれないが、「オレ」は憶えているぞと言わんばかりの痛みに、マルザウアーンは不安を覚えるしかなかった。
「――じゃ、そろそろ行きますか。予約の時間ももうすぐだしな」
「……予約?」
 男の言葉にマルザウアーンが首をかしげる。
「ああ、お前さんもう元気だから退院してもいいし、だったらまずうまい飯を食って英気を養わんとなってな」
 男がそう言っている間に他のメンバーがてきぱきと荷物をまとめ、あとはマルザウアーンが着替えるのみとなっている。
「じゃ、俺たちは部屋の外で待ってるから着替えてくれ。服も装備も洗濯済みだからさっぱりしてるぞ」
 お前、血まみれで倒れてたからな、と言う男に、マルザウアーンはもう一度首をかしげるしかできなかった。
 そうしている間に男たちは部屋を出て、マルザウアーンは綺麗に洗濯されたシャツとパンツ、そしてコートを身に着ける。
 急いで着替え、部屋の外に出ると男がニッと笑った。
「いい面してんじゃねーか。じゃ、行きますかね」
 男の案内で廊下を進み、外に出る。
「――ッ」
 外に出た瞬間、眩しい光にマルザウアーンは思わず目元に手をかざした。
 時間は昼、銀狼の獣人で、基本的に夜行性のマルザウアーンには眩しい時間帯。
 マルザウアーンのその様子に、先に立って歩こうとしていた男は足を止めた。
「ん、眩しいのか?」
「ん――ちょっと、眩し……」
 マルザウアーンの反応に、男は「そうか」と呟いた。
「じゃあ、これでも着けとけ」
 男が自然な動作で自分のサングラスを外し、マルザウアーンに手渡す。
「これならかなり眩しさを抑えられるはずだ。ヤバいものと戦う奴は目が命だからな。ま、見えずとも視えるならその限りではないが」
「あ、ありがとうっす」
 サングラスを受け取り、マルザウアーンはそれを装着する。
 すると眩しい太陽光が嘘のように治まり、マルザウアーンの視界を確保する。
「すごいっすね、これ」
「だろ? 大切に使えよ」
「了解っす!」
 男の気遣いが嬉しく、マルザウアーンは銀色の尻尾をぶんぶんと振る。
「じゃ、行きますかね――」
 その言葉と共に、一同は目的地に向かって歩き出した。

「さてと、マルザウアーンの退院祝いだ、じゃんじゃん食ってくれ!」
「いえー!!!!」
 男の音頭に、チャラ男が酒の入ったグラスを掲げて歓声を上げる。
 マルザウアーンが保護されていた|警視庁異能捜査官《カミガリ》の保護施設を出た一同が真っ先に向かったのは一軒の焼き肉屋だった。
 看板には「国産和牛食べ放題!」と書かれており、マルザウアーンは金額も見ていたが√汎神解剖機関では高いのか安いのか全く想像がつかない。
 しかし、男が「俺の奢りだ!」と宣言し、全員が浮かれているところを見るとそこまで高額ではないのか――と考え、マルザウアーンは箸を手に取った。
「ほら、食い盛りはどんどん食え!」
 男がマルザウアーンの皿に焼けた肉をどんどん置いていく。
「あーっ、俺にも分けてくださいよ!」
 チャラ男が負けじと焼けた肉を自分の皿に取り分け、他の面々も男がマルザウアーンに取り分ける前に、と肉を取る。
「お前ら、野菜も食え!」
「それ、マルザウアーンにも言うッス!」
 そんなやり取りが展開される中、マルザウアーンは自分の皿に盛られた焼肉を見る。
 国産和牛――と言われてもピンと来なかったが、"亥-09"の面々が喜んでいるところを見るとそれなりにいい肉のようである。
 実際、焼けた肉を見ると赤身の隙間から溶けた脂が滲み出し、照明の光を受けてキラキラと輝いている。
 記憶はないが、ここまで輝く焼いた肉をマルザウアーンは見たことがなかった。
 焼けた肉のいい香りが鼻孔をくすぐり、マルザウアーンは他の面々がするように箸で肉をつまみ、隣の皿に入れられた焼肉のたれを少し付けて口に運ぶ。
「――ッ!」
 口の中でとろける赤身肉。少しピリッとしたたれが肉の甘みを引き立て、噛むほどに肉汁が溢れてくる。
 噛めばすぐに肉は消えていき、マルザウアーンは無言で焼肉を貪り始めた。
「おー、いい食いっぷり!」
 マルザウアーンの食いっぷりに、チャラ男が嬉しそうに笑って肉を食べる。
「やっぱここの肉はうまいんだよなー! 食べ放題なのに高くなくて、いくらでも食える感じがいいッス!」
「だろー? やっぱ獣人、それも狼っぽい奴なら肉だと思ってな? どうだ?」
 男の問いかけに、マルザウアーンは必死に頷いた。
 この肉はおいしい。今までも肉は食べてきたはずだが、そのどれよりもおいしい気がする。
 流石国産和牛、この√ではこんなおいしいものが食べられるのかと肉を貪るマルザウアーンを、男は満足げに頷いた。
「ほら、これも食え。うまいぞ」
 ちょうどいいタイミングでテーブルに運ばれた料理を、男が勧める。
 見ると、それは石の鉢に入った白米と肉、数種類の野菜だった。
「石焼きビビンバだ」
「美味そうっすね!」
 見たことのない料理。だが、漂う香りは明らかにおいしいよ、と囁きかけてくる。
 スプーンを手に取り、マルザウアーンが夢中で石焼きビビンバを口に運ぶ。
「熱いっす! でもうまいッ!」
 あっという間に石焼きビビンバを平らげ、肉を食べるマルザウアーンを、男はにこにこしながら眺めていた。

◆◇◆  ◆◇◆

 その「獣」はは確かに一匹の狼――だった。
 だが、外見が狼に酷似しているだけで、細部は全く違う。
 毛並みと思われるものはガリガリに痩せた人の腕や脚のようなもので構築されており、周囲を血煙のような赤黒い靄が取り囲んでいる。
 背から赤黒い巨大な人の腕が伸び、胴体には巨大な目玉――と思われたが、無数の目玉によって構築された眼球がこちらを睨んでいる。
 一言で言えば「悍ましい」だった。
 いや、その一言で済ませるにはあまりにも悍ましかった。
 狼のような「獣」と対峙し、マルザウアーンは不思議な感情が自分の裡を走り回っていることに気が付いた。
 悍ましいのは確かだ。「獣」に対し、怒りや憎しみといった感情もある。
 だが、それ以上に――何故か、その「獣」が必要だ、と感じていた。
 その「獣」――|警視庁異能捜査官《カミガリ》がいくらかの被害を受けて設定した呼称「血の盟約」はマルザウアーンの目の前で仲間を貪り、次の瞬間、その仲間が使っていた技で攻撃してきた。資料にあった「捕食した対象の能力をコピーする」という特徴は確かにある。
 「血の盟約」とはよく言ったものだ。捕食した対象の能力をコピーするとは、まるで捕食者と被害者の間で盟約が結ばれたようだ。
 そんな「|獣《血の盟約》」と戦ううち、マルザウアーンは√能力者としての能力――√転移の暴走に√を転移した。
 たどり着いたのは最後の楽園とも言われる√EDEN。
 気が付けば「|獣《血の盟約》」は姿を消していた。
 どこに行ったかは分からない。だが、資料では「|獣《血の盟約》」も元は別の√――√ドラゴンファンタジーから転移してきたらしいと記載されていたため、マルザウアーンの転移につられて転移してしまったのかもしれない。
「どこに――」
 そう呟くマルザウアーンの胸の奥はズキズキと痛んでいた。
 傷の痛みではない。傷など、負ったところですぐに回復する。
 この痛みは心の痛みだ――目の前で仲間が貪り食われた、という。
 |まただ《・・・》とマルザウアーンが低く呻く。
 |また《・・》、守れなかった。|また《・・》目の前で仲間を失ってしまった。
 そう考え、マルザウアーンははっとする。
 |また《・・》なのだ。失われたはずのマルザウアーンの記憶が、何度もそう訴えかけてくる。
 一体、いつ、どこで、誰を失ったのだ。
 思い出せない仲間に、マルザウアーンは愕然とする。
 自分は何を忘れている。あの「|獣《血の盟約》」に何を求めている。
 漠然とだが、マルザウアーンは気づいていた。
 「|獣《血の盟約》」に対し、必要だと思う自分の感情に。「|獣《血の盟約》」が何かを知っている、という本能にも似た囁きに。
 今、「|獣《血の盟約》」は目の前にいない。
 どこかのルートに転移したのか――そう考え、マルザウアーンはその可能性を否定する。
 「|獣《血の盟約》」は√EDENにいる。何故かそう確信する。
 心の奥がざわめき、「|獣《血の盟約》」を探せ、とマルザウアーンを駆り立てる。
 もう一度「|獣《血の盟約》」と対峙したい。「|獣《血の盟約》」と戦うことで、何かを思い出せるかもしれない。
 そんな確証はどこにもなかったが、マルザウアーンはただただもう一度対峙したい、と思っていた。
 √EDENは他のルートと同じく広大な√だった。
 だが、いつかは見つけ出す、そう自分に近い、マルザウアーンは歩き出した。
 "亥-09"にいる間に、マルザウアーンは多数の√のことや√能力者、√転移のことなど様々な知識を教え込まれた。
 だから、√EDENもすぐに慣れるはず。
 暫くは√EDENで生きて、「|獣《血の盟約》」を見つけ出して、仲間の仇を討つ。その上で自分の記憶のヒントがないか探し出す。
 そう誓ったマルザウアーンは銀狼の籠手を外して背負い、歩き出した。
 まずは√EDENがどのような√なのか、実際に見て回りたい。
 復讐のために生きるのはしんどいだけだ、と男に言われていたから。それと、マルザウアーン自身ももう少し生きることを楽しんでもいい、と思えるようになったから。
 √EDENは数多くの簒奪者に狙われているという。
 それなら自分の√能力を活かしつつ、情報を集めていこう。
 大変なことがあった後なのに、マルザウアーンの尻尾は楽しそうに揺れていた。
 この状況を、どこか楽しんでいた。

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