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月にわかれうた

#√妖怪百鬼夜行 #断章執筆中 #金曜には断章投下します、ゆっくりお待ちください

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 #√妖怪百鬼夜行
 #断章執筆中
 #金曜には断章投下します、ゆっくりお待ちください

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●誰そ彼時の|誘《いざな》い
 ただそこに居てくれるだけで良かった。
 貴方の歌や声、その微笑みに……何度も元気を貰っていたから。
 一部のファンのように本気で恋してるわけでもない。
 それでもあの月のように、いつもそこにいて欲しかった。
 ——ただ、それだけだったのに。

「嘘でしょ……こ、こんなことが……こんなことが、許されていいの……?」
 涙と共にぽろぽろと。彼女の唇から漏れ出たのは悲嘆か、それとも。
『嗚呼……貴方の悲しみが、憤りが伝わってくる。私はそれを全て肯定しよう……』
「え……?」
 そんな女の痛哭に呼び寄せられた影が誘う。——復讐を、と。

●推し活、それは生き甲斐
「集まってくれて、ありがとう、ね。……古妖【紅涙】が、ここ√妖怪百鬼夜行に現れると、星が告げた、よ」
『ぷいっきゅ!』
 とある妖怪横丁のはずれ、古書店の奥座敷にて。
 星詠み内容を話し始めた坂堂・一の肩で、チンチラ型精霊が元気に相槌を打った。どうも少年の手伝いをするつもりらしく、机に降りてくるとスケッチブックをいそいそ立てて待機している。
「ありがとう、ぷいぷい。それじゃあまず……今回紅涙が接触したのは、明美さんという女性、だよ」
 ぺらり、スケブが一枚捲られる。そこにはややふっくらとした中年女性の似顔絵と名前が描かれていた。『明美さん(52)』……おい待て年齢はやめて差し上げろ。
 重要な情報? ならば仕方なし。

 少年の言によると明美は|夜のカフェー《キャバクラ》で働く女給で、昔は人気女給だった彼女も女盛りをとうに過ぎ、雑用や裏方へ回されることが多かったらしい。それを屈辱に思いながらも、彼女が辞めずにいられたのは——。
「推しの存在があったから、なんだ」
 また一枚、精霊の小さな手がスケブを捲った。
 今度は若い男性の似顔絵でやたらキラキラしている……名前は『月形まもる』、職業は歌手。なるほどこれが明美さんの推し。
「彼が駆け出しの頃、明美さんの勤めるカフェーで歌ったことがあって、その時に、ね。ちょうど裏方仕事が多くなりだして、ささくれ立ってた明美さんの心を、癒したっていうか……浄化した感じ、かな? 尊い、って」
 そんな出会いがあって『推しを多くの人に知ってもらいたい、彼の歌を全国のお茶の間に流したい』という希望を持った彼女は、それはもう精力的に推し活に励んだそうだ。
 レコードやCDといった曲の媒体を複数買い求め、あらゆるグッズも全て押さえ。時には女給仲間に配布し、地方ステヱジにだって赴いて。
 そうやって長年応援し続けたある日。
「ファンクラブの会報に、『まもる、故郷で凱旋ステヱジ決定! 重大発表も有り、ついに全国デビューか?』の文字と、当日スタッフ募集の項目があるのを見た明美さんは、一大決心したんだ」
 ——全国という舞台に立つ推しに相応しい清い心でいなければ、と。
 手始めに夜のカフェーに退職届を出し、当日スタッフ募集の面接を受けて。
 これからは推しに清いお金で貢いでいこう、彼があの月のように輝いてる限り私は頑張れる……そう思って参加した当日の朝。
 出演者と全スタッフの打ち合わせで知った事実に、彼女は理解が追い付かなかった。
「マネージャーさんと結婚するから、これが引退ステヱジのつもりだって。だから故郷でサプライズ発表企画、だそうだよ」
 ……うわぁ、と誰かの口から漏れた感想が全てだろう。ファンに応援される身として一番やってはならない結婚・引退発表の見本を、彼はやってしまったのだ。
「明美さん、お仕事辞めて今は求職中で……もう後がないのに希望まで奪われた、って。裏切られた気持ちになっちゃったん、だろうね」
 そこに紅涙が接触し、復讐のためにステヱジを襲撃した……それが事件の顛末だ。

「そんなわけで、皆には明美さんと紅涙が接触する前に、彼女が復讐を考えないよう働きかけてほしいん、だ。ただ……直接訴えかけるのは、あまりお勧めしない、かな」
 ぷいぷい、と声をかけると精霊がまた一枚スケブを捲る。
 そこには怒った顔の明美さん(52)の他に涙目の……これは、紅涙……?
『何よどうせ同情したフリで何か買わせようってんでしょ私は詳しいのよ』
『いいわよね美人は、私だって若い頃は』
『まさか泣いてるの? これだから若い子は、泣けばいいと思ってるでしょ』
 以上が明美さんの周りに書き込まれた台詞である。
「ええと……難しいお年頃の女性って、とても繊細、だよね」
 言葉を濁してはいるが、これが年齢公開の理由だろう。通称『おばちゃん人の話聞かない問題』だ……ネガってるせいで僻みまで上乗せされている。無敵か。
「紅涙も、明美さんを説得するのに苦労した、みたい。だから、これ使お?」
 そう言って少年が取り出したのは月の形をした一筆箋。
「ステヱジが行われる町は、月が綺麗に見えると評判の地域で、毎年十五夜から十三夜までお月見祭りが行われてるそう、だよ。これは、そのお祭りの企画の一つ。『あなたの【好き】を語ろう』っていう、多分ステヱジを意識したテーマなんだろう、ね」
 夕刻時、明美さんはステヱジ前の掲示板にこれを貼る作業をしているそうだ。
「素直に受け取れない時でも、思いを籠めた『好き』を間接的に見れば、明美さんも楽しかった推し活を思い出せると思うん、だ」
 そうして復讐を拒絶した彼女を紅涙から守ってあげて、と少年は締めくくった。

 お祭りでは『ハイカラお月見グルメ』も企画されており、人間・妖怪問わず様々な料理人が腕を振るった屋台も並んでいる。夕刻まではゆっくり屋台を見て回るのも良いだろう。
 また、夜は夜で赤提灯の屋台や足湯のコーナーも追加されるとのこと。ほんのり冷える秋の夜長、温もりながら月見を楽しむのも乙なものだ。何せ十三夜の月は十五夜に次いで美しいとされているのだから。
「それじゃあ、気を付けて。いってらっしゃい」
『ぷーいっ!』
 いつの間にか肩に戻った精霊と共に、少年は手を振り能力者達を見送ったのだった。
これまでのお話

第2章 ボス戦 『紅涙』


●月にわかれうた

 秋はつるべ落とし。
 一気に傾く夕陽が長い影を講堂に落とし込む中、一人作業に勤しむ女性がいた。
「……♪忘れないで いつもそばにいるよ 嬉しいときも 悲しいときも」
 月を象った一筆箋を一つ一つ、ステージ正面の壁に掛けられた掲示板へと貼っていくその女性——明美の口から零れるのは、彼女が推し活を始める切っ掛けとなった歌で。
「♪忘れないで いつも見守ってるよ 夜空に浮かぶあの月のように……」 
 明美以外誰もいない講堂で、歌声だけが寂しく響いている。
 ……いや、もう|一体《ひとり》。
 長い影がゆらゆらと揺れ、長い黒髪の古妖【紅涙】がぬるりとそこから現れる。

『嗚呼……貴方の悲しみが、憤りが伝わってくる。私はそれを全て肯定しよう』
「ビッ……クリした。ここはまだ一般の人は入れないはずよ、貴方どこから……」
 突如かけられた声に驚きながらも、明美はスタッフとして退去させるべく振り向いて……その血に染まった花嫁衣装に。流す血涙に。般若の面持つ鬼女の姿に息を呑む。
『愛する者に全てを捧げ、裏切られた悲しき貴方に代わり。私が復讐を請け負おう』
「裏切り……復讐……」
『職を失ってまで彼を支えようとした貴方。そこへ何の前触れもなく切り出された|別れ《引退》に、こんなことが許されていいのか……そう思うのも当然の帰結』
 それまで抱いていた感情を言い当てられ、動揺した明美は視線から逃げるよう俯く。
『悲しき女性よ、復讐を。貴方なら私の行いを赦してくれるだろう』

「……確かに私は裏切られた。あの発表の仕方は最悪だったわ、けれどね」
 震える声でそう言いながら、明美はゆっくり掲示板へと振り返る。そこにあるのは祭りの一般客が書いた『好きについての思い』たち。
「不思議よね……最初は『【好き】を語るぅ? 私の好きは今日突然終わりを告げられましたが何か?』なんて思いながら貼ってたコレが、大事なことを思い出させてくれたの」
 まもるの歌に元気を。彼の微笑みに安心を。
 いつも何かを貰っていた、いつだって明美を幸せにしてくれたことを。
 自作のファンサうちわを掲げると、嬉しそうに笑みを返してもらった時の気持ちを。
 あの推し活中の胸の高鳴りを、世界が煌めいて見えたあの日々を、復讐には不要と切り捨てるにはあまりにも大きすぎて——。
「今でもあのサプライズは許せないわ。それでも推しが幸せであることを願って最後の瞬間まで推す……それが私の|月《推し》に捧げる別れ歌よ!」
 力強く、推しの声量にも負けぬほど声を張り上げて。
 紅涙の誘いを拒むよう、明美は毅然とした態度で古妖へと向き直った。

『嗚呼、嗚呼、貴方も私を否定するのか……! ならば私もお前を否定しよう、お前を裏切る者と共に血霧の中へと消えゆくがいい!!』

 射干玉の髪を掻き毟るように後退りながら鬼女が咆哮する。
 明美の元へと駆けつける能力者たちの足音を伴奏代わりにして——。

**********

●マスターより
 時刻はステヱジ準備前、講堂内に人が来ることも障害物もありません。また、講堂は妖怪同士で喧嘩してもある程度は耐える造りになっています。
 戦闘は紅涙から明美を庇うように能力者が割って入ったところから描写開始です。
 紅涙は明美を狙っていますが、邪魔だと判断すれば能力者を攻撃対象にするでしょう。なお、明美は邪魔にならないよう隅で震えていると思われます。ほっといて大丈夫。

 もはや紅涙に会話は成立しません、哀しき付喪崩れに引導を渡してやってください。
古衛・早希


「……あらあら。否定されたからといって、短絡的に攻撃するのは良くないですよ」
 そこへ柔和な声と共にひょっこりと現れたのは、淡紅藤色のストールがお洒落な老婦人だった。
 眼鏡をかけた品の良いその女性、名を|古衛《ふるえ》・|早希《さき》(重甲老兵・h00480)という。たまたま月を愛でにこの祭りに来ていたところ、不穏な気配を感じてここへやってきたのだ。
 早希は何が起きたのかを察すると、そっと明美を庇うよう背後へ隠して。
「あなたが夏至頃から色んな√世界を騒がせている子ですね? いけませんよ、こんな若い子の命を断とうだなんて……」
「わ、若……っ!?」
 明美(52)を『若い子』呼ばわりする早希に、当の明美本人も目を剝いた。だが早希は来月で101歳。彼女からすれば、明美もまだまだ『酸いも甘いも嚙み分けられる年齢』ではないということだろう。
「ふふふ。ここはこのお婆ちゃんがなんとかしましょうね」
 後ろを振り返りお茶目にウインクすると、早希はスッと腕を伸ばしてポーズを決め。

 ——変身っ!

 早希の体から眩い光が放出され、紅涙の視界を白く染めていく。
 光が集束したその先には——対怪人装甲兵器である『重甲』を纏い、可愛いらしいハートが描かれたヒーローマスクで武装した早希の姿があった。
『あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!! おのれ、邪魔をするな!!』
 未だ完全には戻らぬ視界の中、紅涙が髪を振り乱し早希を狙った。
 しかし怨嗟を込めた花嫁道具をどれだけ投擲されようが、早希は最小限の動きで躱していく……衰えを感じていても流石はベテラン、安定感すら感じさせた。
「おやまあ。遠距離攻撃は数を撃てばいいってもんじゃありませんよ? こうやって……」
 そう言って彼女は幾つもの『ヘビー・ブラスター・キャノン』を召喚すると、紅涙の足元へ集中砲火して牽制する。
「相手の出鼻を挫く使い方も出来るんですよ。ね?」
 早希の言葉通り、紅涙はそれまでの勢いを削がれたらしく少し距離を取った。その様子に一つ頷くと、振り返らぬまま彼女は講堂入口へと手を挙げて。
「それじゃ、後は若い子にお任せしましょうか……お願いね?」
 マスクの下でそう笑いながら、早希はかけつけた人物を穏やかな声で招き入れたのだった。

小明見・結


『何故だ……何故、お前たちは私を否定する!! 私はただ、花嫁の痛哭を……!!』
 夕暮れの講堂で鬼女が叫ぶ。
 裏切った男が憎い。
 花嫁を守れぬ周囲の人間が憎い。
 |貴方《・・》の代弁者である自分を裏切った|お前《・・》が憎い、と。

「精霊さん、お願い。行って!」
 その叫喚を断ち切るかのように、凛とした声が夕暮れの講堂内に響いた。それと同時、美しい浅緑の精霊が紅涙のその血のように赤い瞳めがけ強襲する!
『ええい、忌々しい羽虫めが!!』
 だが苛立たし気に袖で振り払う紅涙を傷つけるには至らず、精霊は袖から逃れ戻ってくる。
(「それでいいわ。明美さんから注意を逸らすのが目的だもの」)
 そうは思うもののこちらを睨みつける鬼女の迫力に、小明見・結は退がりそうになる足を必死に踏ん張り続けていた。
 本当は怖いだろう、恐ろしいだろう。結は元々ただの女子高生だったのだ。
 傷つくのは怖い。自分が他人を傷つけるのも怖い。それが普通だ。
 力を得たとてその意識が簡単に変わるわけではない。
 それでも——。

「ねぇ、紅涙さん。どうか、ここで大人しく退いてもらえないかしら」
『……?』
 まっすぐ目を見ながらそう話す結に、紅涙は訝しげに眉を顰める。
「明美さんはあなたを否定したわけじゃないわ。彼女は彼女なりに別れに向き合った、ただそれだけのこと。悲しみがなくなったわけじゃないだろうけれど、それでも進むべき道を決めた……復讐なんて方法を選ばずに」
 結の言葉に堪え切れなくなったのだろうか。後方から小さな嗚咽音が聞こえてきて……今すぐ背中を擦ってあげたい気持ちを抑え、結は思いを届け続けた。
「だから紅涙さん、あなたが為すべきことなんて何もない。彼女の気持ちに寄り添うなら、ここで……」
『花嫁は笑んでいた』
 突如。
 結の言葉を遮るように、紅涙がこてりと首を直角に傾けながら嗤う。
『もうすぐ愛しい方の元へ嫁ぐのだと。幾つもの山を越え、花嫁道中は続いていた』
 紅涙は語り続ける、遠い遠い昔の花嫁との記憶を。
 全てが満ち足りていた幸せの断片を。

 今までの会話を無視したような脈絡のなさに、結は悲しげに下唇を嚙み締めるしかなかった。
 ——嗚呼、この付喪崩れはとうに歪んでいたのだ!

 ざわり、ざわりと影が蠢く。
 その影に一瞬見えた花嫁行列に能力発動の前兆を感じ、結は戦う覚悟を決める。
「戦いたくなんてないけれど、守るためなら迷ってなんかいられない!」
 傷つくのは怖い、自分が誰かを傷つけるのも怖い。
 それでも力があるのに守れないことのほうが、結には余程恐ろしい!
「精霊さん、思いっきりやって!」
 結が風の精霊の力を解放すると、紅涙の足元からヒュルル……と風の音がして。
 瞬きのうちにゴゥッと激しい竜巻が鬼女を中心に発生した。
 手加減のないそれは範囲内の全てを飲み込んでいく。
 紅涙も、嫁入り道具も、——悲しみも狂気もすべて。
(「力尽くになってしまったのは悲しいけれど、これ以上傷つけさせないために全力を尽くすわ」)
『ぐ……あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!! 風を、この風を止めろぉおおおお!!』
 風が巻き上げた花嫁道具が、そのまま紅涙を傷つける刃となり血飛沫をあげていく。

 それはまるで狂い堕ち、守るべき女性たちを手にかけてきた紅涙自身を暗喩するかのようだった。

オフィーリア・ヴェルデ
クレス・ギルバート


『——|永遠《とわ》の愛の契りは果たされず』
 一歩。
『誓詞は無残にも千切り捨てられ』
 また一歩と。
『悲劇のなか血霧に塗れた、哀しくも愛しい花嫁たち』
 じわり、じわりと紅涙が明美へと近付いてくる。
 その鬼女の見開いた紅瞳は、氾濫しそうなほどの狂気を宿していた。
『花嫁が私の行いを赦さぬ筈はない。赦さぬ筈がない』
 口に銜えた懐剣をその手に持ち替えて、紅涙が更に詰め寄ろうとしたその時。

「おっと、そうはいくかよ」
「折角立ち直り掛けてる明美さんを害するのは絶対許さないんだからっ」
 そこに呼吸をぴったり合わせ、明美の前に躍り出る二人の冒険者の姿があった。
「古妖に啖呵を切る声、格好良かったぜ。こっから先は俺達に任せてくれ」
 皎月の如き白外套を翻し、クレス・ギルバートは明美へと短く告げ。
 オフィーリア・ヴェルデもまた空翔ける翼持つ靴を鳴らし、その隣りへ並ぶと。
(「明美さんへの攻撃を邪魔する存在だとアピールしなくちゃ!」)
 そう意気込んだ勢いのまま、両手を上げて威嚇する羆のポーズ!!
『……いや、何をしている?』
「私たちを狙うように威嚇してるのよ、ガオー!」
 流石の紅涙も困惑しきった声を上げるが、彼女は至って真面目であった。
「それに、紅涙さんってこの前行ったお化け屋敷のお化けに似てるわ。だからかしら、1度経験してるから怖くないの。本当よ?」
「あー、あれか。でもお化け役のお姉さんよりは怖いと思うぜ?」
 そんな軽口を叩く間に二人は明美をそっと後方へと逃がしており。それを目で追いながらも、立ち塞がる男女へ鬼女は殺意を言の葉に乗せる。
『私が請け負わねば、誰が果たしてくれようか。邪魔をするなら容赦せぬ』

 ——さぁ、哀しき付喪崩れに引導を。


「サポートは任せて!」
 クレスが抜刀し構えると同時、オフィーリアがスゥッと呼吸を整え。
「響け、心の調べ」
 ——貴方の刃が、その心根と同じく真っ直ぐ敵に届きますように。悪しき敵の凶刃から軽やかに逃れられますように。
 揺るぎなく狂いなく、クレスが彼らしく戦えるように導く旋律となれと願い込め。
 オフィーリアという花は|響き合う五線譜《イル・ペンタグラマ・ケ・ウニシェ》を歌い紡ぐ。
『聞くに堪えぬ……耳障りなその音、元から断ってくれよう」
 先程の羆のポーズが効いたわけではないだろうが、紅涙はまずはオフィーリアへと跳躍し、その喉を引き裂こうと爪を光らせる。
「させるか、よ!」
 ガギィッ!! と音を立て、クレスの刀が真っ向からそれを受け止めた。
 鍔迫り合いにも似た拮抗の後、互いに弾きあい距離を取って。再び迫り来る紅涙目掛け、|背《せな》に響く花の祷り歌を乗せ上段から斬りつける。
『っ!! おのれ!』
 秋の夜に冴え冴えと輝く繊月の軌跡を描く一閃に、紅涙の肩からパッと鮮血が飛び散った。
 だがその痛みに顔を顰めながらも、紅涙はなおオフィーリアを凝視し。
『……あの時もそうであった』
「え?」
『花嫁を守るはずの男衆の少なさに|父様《ととさま》は早く気付くべきだった』
 ゆらゆらと。
 目を伏せ瞑想を始める紅涙の傍らに、血霧に霞む花嫁衣裳の女の姿が蜃気楼のように映し出される。それを何らかの術だと気付いたオフィーリアはディヴァインブレイドを動かして。
「クレス、あれを止めて!」
「分かった!」
 祈り込めたディヴァインブレイドが足を払えば、避けた先をクレスの刃が追い。
 阿吽の呼吸で繰り広げられる集中攻撃に瞑想を中断させられ、苛立たしげに紅涙が歯噛みする。
 そうして二人を睨めつけていた瞳が、やがて懐かしそうに細められると。
『お前たちを見ているとあの日を思い出す……』
 紅涙は再び語りだす、自身が見てきた幸せな頃の断片を。
『あれは美しい月の夜だった。筒井筒とも称されるほど、仲の良い男女がいた。生まれた時から共にいた二人は……』
 筒井筒。
 古い物語の題材の一つであり、互いに惹かれ合う幼馴染の男女の話である。恐らく紅涙は二人の様子から関係性を感じ取ったのだろう。クレスもオフィーリアも『幼馴染』という言葉に思わず続きを聞いてしまい——そうして術は完成する。
『……筒井筒の二人とは比べるべくもない。哀れ花嫁は嫁ぐことなく、峠の花嫁道中は虚しくも血に染まったのだ!!』

 世界が赤く染まっていく——静かな講堂は虚無の峠道に、黄昏時は紅い月夜にと。
(「一つ防いで油断しちまった……!」)
 先程よりも紅涙の妖力が増しているのが感じ取れる。そのことにクレスは思わず舌打ちした。
『さぁ、花嫁の無念を私が晴らそう』
 うっとりと、恍惚とした表情で嗤う花嫁衣裳の鬼女……その攻撃は熾烈を極め、爪や懐剣が届く限りは全て的確に急所を狙われた。
 そして狙われたのはクレスだけではない。
 防戦一方となったクレスの隙を突き、紅涙はオフィーリアへもその凶刃を向けて。
「リア!!」
 迫る刃に追い縋るよう、必死に庇おうとする幼馴染を視界に入れながらも、オフィーリアはそれに微笑んでみせた。
(「私が大丈夫って所をみせないと、大切な人が集中して戦えないもの。……っ! もしかしてこれが『推し活』という物なのかしら」)
 いつも守ってくれる貴方。そんな貴方が傷つくのは嫌だと何度告げただろう。きっと自分が庇えば彼の矜持を傷つける。ならばせめて、自分はもう戦えるのだと示したい——!
 そんな強い思いでディヴァインブレイドを操り、紅涙の懐剣をギャリリリ……ッと音を立て弾き返した幼馴染を、クレスは刹那、驚愕の表情で見つめ。
『馬鹿な……っ!!』
 弾かれ体勢を崩した紅涙の呻きに、彼女がくれたこの機を逃さぬよう一度納刀し。
「——悉く、灼き尽くせ」
 白光する刃に赫灼たる焔を燈し、電光石火の早業で幾度も居合を放てば、その軌跡に猛り爆ぜ咲く朱き熱の花が花開く——鬼女の怨嗟を灼き祓わんと。
『おのれおのれぇえええ!! お前たちもいつか裏切るだろう、愛しいものを!! ……嗚呼、嗚呼、口惜しい……』
「……ヒトが言う愛って感情は分からねぇけど、大切なものと別たれる痛みは識っている」
 赫く燃え盛る焔の中、鬼女は怨嗟の声と共に手を伸ばす。
 そこに救いがあるかのように。
「だからこそ、復讐を咲かせない為に……紅涙、お前は此処で散り逝け」

 音を立て、焔の渦が更に勢いを増して紅涙を吞み込んでいく。
 悲憤も狂気も何もかも、花嫁の全てを供にして。

 そうして世界が夕暮れの講堂に戻る頃。
 哀しき付喪崩れは灰燼に帰したのだった——。