新春歳賀厄落とし
古来より炎とは神聖なもの。闇を払う光と、悪しき者を近付けぬ熱、邪を焼き払うその様に、人々は何かを見出すのだろう。
お堂の中心に組まれた木枠が赤々と燃え盛り、僧侶達の読経が低く反響する。その神聖な力を求め、人々は目を閉じ、手を合わせながら、自分の願いとともに厄や不安が燃え尽きるよう祈りを捧げる。
所謂護摩を用いた厄除けの祈祷。このお寺では伝統的に行われているその儀式に、何か『別の者』が混ざり込んでいた。
祈りを捧げる参拝客も、経を唱える僧侶達も、ありえない視線を感じ取ってはいたが、√EDEN特有の忘れさせる力によって、それを意識することは出来ないで居る。四方八方から注がれる異常な視線、そこにやがて、噛み合わされる牙の軋みと、巨大な腕の気配が加わって。
眼球が、牙持つ口腔が、その巨大な五指が、彼等を絡め、掴み取る――。
●厄
「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いしますね!!」
星詠みである漆乃刃・千鳥(暗黒レジ打ち・h00324)が、一同に向けて元気良く頭を下げる。新年早々すいませんね! などと言って差し出してきたのは、√EDENのとある地方に建った寺院の資料だ。もしかすると聞いたことがある者も居るかもしれない、そこは厄除けや厄落とし、お祓いの類が有名なお寺である。
「今回事件が起きるのはこちらのお寺です。原因は、√汎神解剖機関からやってきた怪異のようなのですが……」
厄落とし等を申し込んだ人は護摩堂に案内され、まとめてお祓いをしてもらえるのだが、その際にいつの間にか参加者の内数名が居なくなっている、という事件が発生する。どうやら護摩行の最中を狙って、怪異が参加者の内数人を連れ去ってしまうようだ。
「怪異による儀式の類でしょうか? 原理はわかりませんが、これによって怪異が自己強化をするか、インビジブルを集めるか……その辺りの効果が期待できるのでしょう」
とはいえ、一般人が犠牲になるその行く末を、黙って見ているわけにはいかない。こうして予知できた以上、事前に阻止してやる必要があるだろう。
「そこで、皆さんにはこちらのお寺に行って、実際に厄落としの祈祷を受けてきてもらいたいのです!」
そうすれば、恐らくはお祓いの終盤辺りで問題の怪異が現われるはず。そこで被害者が出る前に撃破し、人々を救ってほしい、と彼は言う。
「ということで、まずは一般の参拝客の方々に混じってお祓いの申し込みをしてきてください」
申し込み用紙に名前と、お祓いしてほしい内容を書いて、初穂料を払う。手順的にはその程度である。
「実際お祓いが始まるまでに時間はありますので、出店を回ってきてもいいですし、まだの方は初詣をしてきてもいいですよ! おみくじとかもありますし!!」
あとはお祓いの最初の組に参加し、お祓いしてもらいながら怪異の訪れを待つ。そして敵が現われたら、それを迎え撃つ――という流れになるだろうか。
「護摩堂での戦闘になるかと思われますが、確実に他のお客さんやお寺の方も居合わせることになります。戦闘の際には注意してくださいね」
事前にお寺の人達に説明する、一般市民を避難させる、などの対策も思い付くが、それでは怪異の起こそうとしている『儀式』が成立せず、怪異が現われぬまま別の場所に移動してしまうだろう。そうなれば追跡することは難しいため、早期に元凶を取り除くにはここで倒すのが最適、と判断せざるをえないのだ。
「少々難しい状況にはなりますが……皆さんならばうまく対処できると信じています!」
そうして大体の説明が終わったところで、「そういえば」と千鳥が続ける。
「怪異が出ちゃってる時点で眉唾と言えばその通りなのですが、ここのお祓いは『効く』と評判です。人間災厄さんとか妖怪さんとか、あと僕のような幽霊さんは気構えをして向かってくださいね」
どっちかというと落とされる『厄』側でしょう? 僕達って。
冗談めかしてそう言ってから、千鳥は一同を送り出した。
「それでは、がんばってきてくださーい!」
第1章 日常 『新年のお詣り』

●
厄落としがよく効く、そんな評判によるものだろうか、こちらの寺院には参拝客も多く、建物もどこか厳めしい。けれどその手の厳かな様子は、日向・菊(ひなたのきみへ・h04393)からすれば馴染みが薄いもので。
「仕事じゃなきゃぜってー来ねえ、こーゆーとこ」
お祈りとか意味ねえし。そんないつもの悪態に、日向・リコ(くらがりからきみに・h04392)が頷いて返す。
「どーした? やけに静かだな」
「いや……」
気もそぞろなのは護摩の炎を思ってのことだろうか。『化けている』ことを菊に対して黙っているリコからすると、祓いの火の熱と眩しさに居心地の悪さを感じてしまう。けれどそんな様子など気にもしていない様子で、菊はずんずんと屋台の並ぶ通りへと歩いていった。
「いーね、美味そうなもんいっぱいあんじゃん」
菊に従って付いてきたリコだが、いくつもの屋台から届く香り、混然一体となったそれに戸惑い、辺りをきょろきょろと見回している。その様子を気に入ったように、菊は笑みを浮かべて。
「まずは肉だな。食うだろ?」
「ん? 食いもん食えんの? 食う」
二つ返事で頷いたリコに、まずは牛タン串を買い与える。
「うまくね? ひひ、いーよな」
次にいちご飴、カリカリした食感と甘味を楽しんだら、今度は甘酒を。
「いける? くせー? ひひ、おもろ」
わかったようなわからないような、新しい感覚に戸惑うリコの反応が楽しいようで、菊は次々と屋台の料理を用意していく。それぞれ一口くらいしか食べない菊に対して、リコは自分ばかりが食べている状態を少し気にしてはいたが、菊の楽し気な様子に、「うめえよ」と応じることにした。
「菊はこういうの好きなんじゃねえの」
「わたあめ? すげー久々に食うわ」
ふと目に付いたそれを選んで、リコはそれを菊に渡す。あまり食べられない、そんな様子の菊にとっても、その軽やかな甘味ならば難なくいけるだろう。
「うわ、すげー砂糖、ふふ、あめー!」
うん、あめーよなーと頷き、「いっぱい食ってくれ」とリコが勧める。
「じゃあ、どーすっかなあ」
さあ、次は何を食べようか。そうして先の屋台に何があるか視線を巡らせていた菊に、リコが狐の仮面を被せる。お礼か何か……という意図を一々確認することもなく、菊は笑った。
「コレくれんの? ど? 似合う?」
「……似合うよ」
「ひひ、もっと褒めろ!」
屈託のない――少なくともリコにはそう見える笑顔に、彼もまた笑みを浮かべる。菊が楽しそうにしている、その隣にずっと居れたら良い、そんな願いを胸にして。
●
事件の資料を再度見直し、静寂・恭兵(花守り・h00274)が嘆息する。正月を迎えたばかりの√EDEN、楽園に侵攻するその存在は。
「年明け早々から、|√汎神解剖機関《うち》の怪異か」
「ああ。寺を……其の上、敢えて祈祷中を狙うとは」
そうなれば一般人も巻き込まれる。対応は免れまい。厄介な話だ、アダン・ベルゼビュート(魔蠅を統べる覇王・h02258)の言に、恭兵はまったく同意だとばかりに頷いた。
「ならば、仕事をしないとだなぁ」
結局それは避けられない。先程の深い嘆息は恐らくそのためだったのだろう。
「……まあ、良い」
そうして愚痴をこぼし合っていても仕方がない、切り替えるように、アダンは顔を上げた。
「今は只、心置きなく此の時を――同盟者たるお前と楽しもうではないか」
おお、と感心するような驚いたような声を上げて、恭兵が応じる。
「アダンはこう言う露店やテキ屋みたいなのが並んでるところにくるのは初めてか? なんならお前はそちらを楽しんでも……」
「何を言う静寂よ、一先ずは参拝を! そして然る後にお御籤を引くぞ!!」
気を遣った恭兵の言葉を一喝、アダンが指し示したのは並んだ屋台の遥か先、このお寺の本堂だ。
「俺様は斯様な場所に来たのは初めてだが、此処に来たのならば、定番は其れなのであろう?」
「そうかなら一緒におみくじを引いてみるか……まぁ、新年恒例の運試しってやつだ」
参拝を終えたところで、二人は共に御神籤を引く。小さく折られた紙を解いて、まずは各々自分の結果を確認した。
「……ほう」
「なるほどな」
反応もまたそれぞれ、ざっと見てお目当ての部分を読み込んだところで。
「さて、静寂よ。お前は何を祈り、此のお御籤を引いたのだ?」
急にどうした、と片眉を上げる恭兵に、アダンは続ける。
「折角の機会だからな。同盟者の事を知るには丁度良い」
御神籤ってそういうものだったか? 若干疑問には思うものの、恭平は自分の引いたそれを示して見せた。『末吉』と微妙な結果の書かれたその中でも、彼が気にしていたのは特に『待ち人』の項だ。
「ふむ、『自身から向かうべし』?」
「微妙だろう。こちらから向かうならそれは待ち人と言えるのか?」
何とも言えない表情を浮かべた恭兵は、続けてアダンへと話を振る。
「で、覇王様の今年の運勢はいかがなもの――ん、なんだか嬉しそうだな? くじ運でもよかったのか?」
「ああ、悪くない結果だったとも」
ゆるく首を傾げた恭兵に、「当然だろう」と言わんばかりにアダンが結果を示す。そこには『大吉』の二文字があった。
――同盟者たる静寂との縁が切れぬよう、そう願って引いたことは、胸に仕舞ったままに。
「さすがだな」
賞賛の声に対し、アダンは「そうだろう」と誇らしげな調子で返した。
●
屋台の立ち並ぶ賑やかな参道、そしてその先に立つお寺まで、神鳥・アイカ(邪霊を殴り祓う系・h01875)はその視線を巡らせる。
「√が違えば色々違うところが多々在るけど……寺院仏閣の雰囲気はそう違いは無いね」
見慣れたものからそう外れてはいない、そんな光景に頷いてから、彼女は傍らの五ツ花・ウツギ(遊び遊ばれ世は情け・h01352)へと話を振った。
「ねぇ姐さん? ボクの格好変じゃないかな?」
「大丈夫、ちゃんとサマになってるさ」
むしろ、この時期ならそっちの方が相応しいまである。普段はどちらかと言えば洋装のアイカではあるが、今日の出で立ちは雪のように白い晴れ着だ。
「こうキチンと髪を結って貰ったり、着付けして貰うこと殆ど無いから、なんかこうむず痒くて……」
知り合いに見られたら果たして何と言われるか、そう縮こまりそうになる背を叩いて、胸を張るようにウツギが促す。今回のアイカの着付けは彼女によるもの、着ているものも、元はウツギのタンスから出てきたものだ。
「こういうのは慣れさね。あたしだってモガっぽいのを着ると背中が冷えて感じたものさ」
自分で着られるようになれば十分、きっとその頃には違和感なんて消えているだろうと太鼓判を押す彼女に、アイカは「そういうものか」と淑女らしく立ち振る舞いに気を付ける。
「あっ、甘酒売ってる!」
早速淑女らしさがどこかに行ってしまった気がするが、それはそれで愉快なものだと笑みを含んで、ウツギは頷いて返した。
「ちょっとちょっとだけ買って良い? イイよね?」
「買ってきな。あたしの分も頼むよ」
お代はあとで渡すよ、と告げてアイカを見送り、ウツギは改めて辺りを見回す。
「……さて、人に惹かれて妙な空気を受けてるモノもありそうだ、ちょいと探って間引いとくかね」
そう呟くと、こちらはこちらで用事を済ませるべく歩きだした。
無事二人分の甘酒を購入したアイカは、両手でそのぬくもりを感じつつ、一口啜る。独特の風味と熱がじんわりと身体に染み込む、その感覚を味わいながら、賑わいの中を行く。少しばかり顔を上げれば正月の参拝客達の様子もよくわかる。それぞれに事情を抱えているのかもしれないが、今日の彼等はみんな幸せそうで――それこそ、これから怪異が現われるなんて予想だにしていないだろう。
「こんなに平和そうなのに……」
「事件ってのは起きる時は起きる、今回は特にね」
いつの間に後ろに居たの? と背筋を跳ねさせつつ、アイカはウツギの分の甘酒を渡す。
「体は温まったかい?」
笑みを浮かべた彼女の問いに元気よく応じて、アイカはこれから向かう先、戦場となる祈祷の場を見据えた。
「――ちゃんと守らないとね」
この平和を、人々の幸せを護るために。
●
「明けましておめでとう! 鳰さん」
「明けましておめでとうございます」
今年も宜しくお願いしますね、ということで速やかに初詣、参拝を済ませた天神・リゼ(|Pualani《プアラニ》・h02997)と香柄・鳰(玉緒御前・h00313)は、互いに顔を見合わせる。
「この後は……ふふ、リゼさんはお分かりですよね?」
「もちろんですとも、鳰さん! 新年からこんなに楽園が広がっているわ!」
元気よく応じたリゼが指さす先は、当然ながらこのお寺の参道だ。そこには、出店の数々が立ち並んでおり――そう、二人の目的はこの出店巡りである。
「ふふ、鳰さんには珍しい物ばかりかな?」
彼女の出身地、√ウォーゾーンではこのような景色は見られないだろう、ぼんやりとした鳰の視界にも、それは眩しいほどに色鮮やかで。
「リゼさんはこう言うお店、お詳しいかしら。お薦めがあれば教えて頂けます?」
「よーし、任せて! この現役JKがオススメ教えてあげる♪」
「現役じぇーけー……!」
何と心強い言葉だろう。高揚気味に先導するリゼに従って、鳰は屋台通りへと踏み込んでいった。
最初に向かったのはソースの香りの漂う一帯、そこにはたこ焼き屋お好み焼きの屋台が並んでいる。
「腹が減っては戦はできぬ! まずはこのラインナップで主食をキープ!」
「ふむ……食料調達において納得の手順です」
捉え方が若干ズレているようにも聞こえるが、その辺りを気にした様子もなく、リゼはたこ焼きを購入した。
「あっつあつだから気をつけて食べてね」
はい♪と爪楊枝で刺したたこ焼きを差し出すと、「タコヤキって丸いのね……!」とか謎の驚愕を覚えていた鳰が、恐る恐る口を開ける。
「……!! 美味しいです!」
「よかった! お祭りにきたら必ず食べたくなるのよね……」
気に入ってくれたようで何より、とリゼもたこ焼きを口にする。こういう屋台特有の濃い味付けに感じ入っていると、鳰がその袖を引いた。
「ちなみに、オコノミヤキというものは……?」
「あ、そっちも食べてみる?」
何事も挑戦、というか興味と食欲の赴くまま、二人は追加の注文を味わっていく。ボリュームのあるそれらに続いては甘いもの、などと食べ歩きを楽しんでいったところで、鳰がふと屋台の一つに目を止める。
「あら? あれは何でしょう」
「ん? ……うん! あれはお面だね」
屋台の中でも一際多彩で、色とりどりの粒が踊っているように見えたそれは、狐や火男、テレビ番組のキャラクターの顔が数々並んだお面の屋台だった。
「お祭りならではの動物とキャラクターのラインナップが目を引くよね」
成程、とその正体に納得した鳰は、続けて提案をひとつ。
「記念の品に如何でしょう?」
「わぁっ、記念? いいね! 記念大好きなお年頃なので喜んで!」
冗談めかしてそう答えて、リゼは並んだそれらの中から一つを選び取った。
「それじゃあ、私は~……白狐の面にしよっかな! 目許に紅を引いてお洒落!」
「白狐の面、素敵ね。お顔もとってもうつくしいわ」
お面に指先を滑らせ、形を確認しながら鳰が言う。白く滑らかなものから、色鮮やかで複雑なもの、いくつか撫でたところで、鳰の手に取ったのは。
「私はこのアヒルチャンにします」
「お面のアヒルってこう……この独特な雰囲気が愛着湧くわよね」
「わかりますか?」
丸いシルエットと虚ろに開く嘴が愛らしいの――その感性は二人の間で無事共有できたらしい。
腹ごしらえと食の楽しみ、そしてお土産まで制覇して、十分楽しんだ二人は、そろそろ時間が近付いていることに気付く。
これまでのところ、こちらに向けられた敵意も、探るような気配も感じなかった。やはり全ては祈祷と共に始まるのだろう。
「さて、この後は厄落としの祈祷も行きませんとね」
「ええ、ちゃんとお正月の内に祈祷してもらわないと! 今年一年も楽しく満喫するためにっ」
よく効くと評判の厄落としの祈祷、それに惹かれてきたのだと周囲に示しつつ、鳰とリゼは本堂の脇に建った、件の護摩堂へと向かっていった。
●一時の休息
「効くお祓い、か」
件のお寺の評判を聞いて、青桐・畢(|D.E.P.A.S.《デパス》の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00459)がそう呟く。職業柄、その手の『祓い』が必要そうなモノ――何だったらヒトもそれなりに見てきているが、さすがに自身はその対象外だろう。多分、きっと。いや心臓止まったりしないよね?
申込書には一応、『この一年の厄を祓って貰う』という形で記載している。厄関係で困っていることに嘘はない、が、本当に祓われるとそれはそれで困るような。色々と悩ましい事情にこめかみを押さえつつ、畢はとりあえずお参りを済ませておくことにした。
今回の仕事の場はこの寺院だ、お膝元で仕事をするのだから、『巧くいきますように』と願を掛けておくに越したことはないだろう。
「……ああ、でも討伐対象も此処に出るんだよな」
この状態で御加護は期待できるのだろうか? 考えれば考えるほど怪しくなってくる。これでおみくじを引いて大凶でも出た日には本当に仕事どころではなくなりそうだ。おみくじと書かれた幟から目を逸らした畢は、そのまま出店の方へと向かっていった。こういう場合、まずは英気を養うに限る。
「甘酒で身体を温めて、それからお団子かな?」
カップに注がれた甘酒をそっと口に運んで、優しい甘さと生姜の香りがじんわりと染み込むのを味わう。昔ながらのそれらは元より、最近の出店へと目を向ければ、時代の流れとでも言うべきか、オシャレになったそれらが映る。
「この苺飴とか、ファンシーで可愛い……」
似合うとか似合わないとかは勝手に思わせておけば良い、気の向くままに甘いもの、美味しいものを楽しんで――。
「――ああ、そろそろ時間か」
柔らかくとけた心を素早く切り替えて、畢は祈祷の場、そして戦いの場となるであろう護摩堂へと向かった。
●安全祈願
厄払い、シンプルにそう題された申込書を前髪の奥から覗いて、ジャン・ローデンバーグ(裸の王冠・h02072)は溜息をひとつ。新年の厄払いで厄が来た、というのは悪い冗談のように思える。正月らしい、せっかくのオゴソカな雰囲気、それにに水を差すとはブスイな奴だ
とはいえ、まずやっつけるべきは目の前の書類だ。手に取ったペンをすらすらと走らせて、本名を記載。祈祷内容という項目に少々悩んだけれど、最初に思い付いたものをそのまま書き込むことにした。
この間入れてもらった旅のキャラバン、その旅路の安全祈願して。
「皆の旅が安全無事でありますように……と」
気の良い彼等の顔を思い浮かべてそう呟き――ふと力を抜くような笑みが零れる。
|取り替え子《チェンジリング》、その出自を思えば自然とそうなるというもの。この祈りを真に叶えたいのなら、不幸を呼び込む可能性のある自分は、片道くらいで別れるのがきっと良い。
自分なりの納得と、諦めに似た悲しみと、それらが少しずつ混ざった感情を胸に押し込んで。
「じゃあ、これで宜しく」
申込書を提出して、案内に従い護摩堂へ。この間の雨の日に初詣は済ませたが、あの社にはさすがにこんな建物は無かった。興味の赴くままに周囲を見回しつつ、他のお祓いを受ける人達の後をついていく。席、というか座り位置はある程度自由らしい、少しだけ考えた後、ジャンは後方――極力全体を見渡せる場を選んだ。
ほどなく護摩の祈祷が始まる。読経と共に、火の中に投じられた護摩木が燃え上がり、明るい橙色の光が薄暗い堂内を照らし出す。
――なるほど、良い雰囲気だ。たとえ、このあと起きる事が分かっていても。
そんなことを思いながら、ジャンは『それ』が現われるのを、神経を研ぎ澄まし、待ち構えた。
●色とりどり
護摩の申し込みを終えて参道の方へと引き返せば、通り沿いにいくつもの屋台が軒を連ねているのが見える。先日訪れた場所、√妖怪百鬼夜行でもそんな光景は見られたが、それに比べるとどこか色彩の主張が強く、色鮮やかに感じられた。
「わあ……!」
秘かに感嘆の息を吐いて、月夜見・洸惺(北極星・h00065)は並んだ屋台の方へと向かう。事件を控えた現状、あまり気は抜けないが……普段あまり来ない√EDENの世界、その屋台巡りとなれば、興味を持つなと言うのが無理な話で。美味しそうな匂いにつられるように、歩く端から順に『商品』を眺めていく。
林檎飴や甘酒、この辺りは√妖怪百鬼夜行でも定番だが、見覚えのない名称を掲げた屋台も散見される。
「たい焼きパフェやタンフルって何だろう?」
興味の向くまま屋台を覗けば、たい焼きパフェはもはや名前通りの品物だと判明した。一方のタンフルはと言えば。
「いちご飴とどう違うのかな……?」
串に刺さったイチゴを飴でコーティングした……まあ、やっていることは大体一緒だ。ただイチゴをお団子のようにいくつも刺したり、他の果物を混ぜて色鮮やかにしたりといった見た目の差は確かにある。それから隣の屋台で見つけた綿飴も、洸惺の知る真っ白なものではなく、さらにお花みたいに形を整えられており――。
「カラフルですごく可愛い……!」
全体的に見ていて楽しめるものが多い。姉さんが言っていた「映え」というのはこういう食べ物を指すのだろうか。何となくその感じは納得できたが、次に気になるのはやはり味の方。
「折角だから、色々買ってみようかな……?」
途中気になったものを買い求めて、洸惺はしばし食べ歩きを楽しんだ。
●事前調査
「厄落とし、やったことないな」
ほぼほぼ馴染みのない申込書を手にして、見上・游(|D.E.P.A.S.《デパス》の護霊「佐保姫」・h01537)が小さくそう口にする。そもそもこの手のものを信じたことがない。未来は自分の選択でしか作れない、というのが彼女の実感であり――そう、神様だか仏様だか、そういったものが見ていてくれるなら、自分はここには居なかっただろう。とはいえ寺の関係者の前でわざわざそれを口にする必要もない、と呑み込んで、彼女は粛々と手続きを終えた。
時間になったらこちらに集まってください、という説明を大人しく聞いてから、游はその場を離れ、こっそりと護摩堂の裏手に回った。
最初に考えたのは、途中で見えた屋台のこと。
「終わったら何買おうかな……」
タコ焼き、お好み焼き……好みの屋台物をいくつか思い浮かべて迷っていた彼女だが、結局面倒になったので全部おみやげに買って帰ることに決める。ただ、それも飽くまで事が済んでからだ。今は唯一買っておいたりんご飴を味わいつつ、周囲を探る。
楽しみを後回しにしたのは、限られた時間で少しでも情報を集めておくため。『Tricyrtis』、√能力で付近のインビジブルを生前の姿へと変える。
秘めた意志をここに、というほど大げさなものではないが、游は早速聞き込みを開始した。
「事件の情報は……まあ、無いよね」
予知された事態は『これから』起こるのだから当然として、得られそうなのは護摩堂の情報だろうか。
申し込みをした客だけが入れる護摩堂は、厄落としの有名なお寺だけあってそれなりに広く作られている。中央の護摩壇で祈祷が行われ、厄落としや祈願を申し込んだ参拝客達は、その周囲を囲むように座ることになるようだ。出入り口は入場用の手前側と、退場してお札を配るための奥側の二カ所。一般人の避難誘導を行うなら、そこを使うのが手堅いだろう。
「隠れる場所はさすがにない、と」
事前に得られる情報はそれくらいか、場の構造を頭の中で描いている内に、祈祷のための呼び出しがかかる。りんご飴の残りを噛み砕いて、游は戦場となるそこへと向かっていった。
●旅路に願いを
「新年のアレソレは毎年行っているつもりだけれど……」
厳かな雰囲気の護摩堂を前に、ネモス・ククヴァヤ(梟・h00627)は「うーん」と小さく唸る。これまで新年を迎えてきた中で、厄除けの類は経験したことがあっただろうか。
「年を取ると記憶が曖昧になっていけないねえ」
まあ、経験の有無はとりあえず置いておこう、重要なのはこれから先だ。様々な世界を渡り歩く旅人を自負する彼女としては、旅路の厄払い祈願を頼むのはごく当然のこと、恙なく申し込みを終えたネモスは、開始時間を待って案内に従い、他の人々と共に護摩堂へと踏み込んだ。
お堂の中、護摩壇を中心としたその部屋は思ったよりも広い。とはいえ一般人を含めた状態で戦闘を行うとなると、話は別だろう。そんな見立てが済んだ頃に、護摩壇の前に立った僧が、経を上げ始めた。
護摩木の燃える音を聞きながら、ネモスは自然と手を合わせ、これからのことへと思索を巡らせる。
――ククヴァヤの子は流浪の民。様々な世界を見て、感じて、記録し、後の世に遺す。それは果ての無い旅路だけど、どうか今年も良いものに出会えますように。
まあ、旅路において楽しい事も辛い事もやってきたとて、最終的には笑って過ごしていそうな気がするけれど。
頭の中で描いた想定がそこに至ると、思わずくすりと笑みが零れる。周囲で手を合わせていた他の参拝客が訝し気な表情を浮かべるが。
「これからの未来を考えていたのさ」
誤魔化すようにそう呟いて、ネモスはもう一度目を閉じた。
香木が焚かれた甘く落ち着いた香りに、薪が燃える香ばしい匂いが混ざる。
――この祈祷が何事もなく終われば、今度こそちゃんと笑えたのだけど。
●
「厄払いかぁ……そう言えば今まで受けたことはなかったね」
人間災厄、星村・サツキ(厄災の|月《セレネ》・h00014)はお祓いの申込書を手に取って、そんなことを呟く。災厄ではあれど学生であることに変わりはない、少々違和感はあるかもしれないけれど……。
「そうだね、ちょうど受験も控えていることだし」
ここは合格祈願の一環ということで良いだろう。嘘ではあるまい、とすらすら申込書を記載したそこで。
「うちなあ、今日はデトックスしに来たんよ」
「……うん?」
隣で手続きをしていた春原・騙名(人妖「旅猫」の御伽使い・h02434)の声を聴いて、思わず首を傾げた。
「御伽話や怪談話、集めに集める日々過ごしたら、そりゃあ悪いもんも色々憑いてくるさかい、たまにこうしてお祓いするようしとんのよ」
なるほど、厄を落とすことは体に溜まった毒素を流し去ることと同義だ、と言えなくもない。……言えなくもないか? 本当に?
「でも君、その姿からすると人妖の類だよね?」
「ああ、妖怪やからまぁ厄落としされると痛いんやけど、ほら、人の足つぼマッサージとかサウナみたいなもんやろ?」
わかるようなわからないような。曖昧な相槌を打つサツキに構わず、話し好きなのか騙名はすらすらと語ってみせる。
「痛気持ちいい感じがクセになるんよ。ババ臭い笑わんといてな?」
「言わないけれども……」
それはそれで新しい見地のような気もする。まあ何にせよ目的は変わらない、とサツキは思考を切り替えた。
無事に人々を守りきれたなら、この厄除けは成功だ。
申し込みを終えてしばし、護摩堂の中へと案内された二人は、他のお祓いを申し込んだ参拝客達と共に護摩壇を囲んで座る。程なく、僧の祈祷が始まった。
清浄な空間に炎が焚べられ、お経を読む声が厳かに響く。パチパチと静寂を破る火の音、細く伸びる煙、それぞれ単独ではなく、渾然一体となった護摩の効果によるものか、破邪の力と思われるそれがサツキを苛む。
――なるほど、効くとは聞いていたけれど。ここで騒いでは星詠みの見た『予知』から外れてしまうかもしれない。何食わぬ顔で目を閉じて、サツキは目立たぬように耳を澄ませた。
「あ~、僧侶さんホンマ上手いねぇ、名うての人とお見受けするわ。お年玉追加であげよか?」
そこで聞こえたその声に、一瞬片眉が跳ねる。去年13階段でテケやんと追いかけっこしたり、合わせ鏡から出てきたヒトとハイタッチしたんがあかんかったんかなあ。そう呟いた騙名は、焚火にあたるようにして、最前列で掌を炎に向けていた。騙名にすれば『丁度よく刺激的』なのだろう、サツキは耳を澄ませ、我が身で感じるそれに集中する。常人と違い、それを感じ取れる身であればこそ、周囲の変化にも素早く気付けるはず。
そんな彼女の見立て通り、『空気が変わった』ことをサツキは敏感に察知した。
「……ああ」
そういえば怪異が出るんやっけ? 騙名もまた気付き、二人は共にそれを感じ取る。
何者かの視線、気配、そして歯ぎしりにも似たその音を。
●
申込用紙には政府機関の職員として派遣される際の偽名を記入、奉納金も添えた。しかしその次、。御払いして欲しい内容を書くところで夜縹・熾火(|精神汚染源《Walker》・h00245)の手が止まる。
災厄がお祓いとはこれ如何に。厄除け厄落としの類を書くのも悪い冗談のような気がして、熾火は『八方塞がり除け』と記入した。まぁ、仕事柄様々な√も含めていろんな場所に向かうので、この辺りが最適だろう。手続きを終えればとりあえずは手が空く、予知された祈祷の開始まではまだ時間があるが。
「……さてと、ただ黙って待つのは得意じゃないからね」
まだ事件が起きていない以上選択肢は限られるが、事前に出来ることはしておこうと、熾火は行動を開始した。
「このお寺にはどのような神仏を祀っているのかな?」
まずはお寺の関係者に話を聞く。祓ってもらう側も、どんな存在に頼んでいるか、力を借りようとしているかを知っておいた方が、より願う力に身が入るだろう……とまで言えば断られるはずもなく、僧の一人は快く時間を割いて、寺の成り立ちから護摩が有名になるに至るまで、丁寧に説明してくれた。
色々と参考にはなったが、そこから何かを見出す前にお祓いの開始時刻がやってくる。他の参拝客、そして√能力者等と共に護摩堂に案内され、護摩壇を囲む形で座ったところで、熾火は√能力を発動した。
『闇夜煌々』、目立たぬよう召喚した闇の尖兵を周辺の人物の影に潜ませ、周囲を索敵させる。勿論敵自身の影に潜伏させることができればそれが最善なのだが、現れる前の段階ではこれが限界だ。
お祓いを受ける体で、他の者に倣って手を合わせ瞑目する。それでも彼女に代わって『目』となった彼等を通し、気配を探る。
日常とは思えない変化、異変の発生、そして何よりも敵の影。それらを最速で発見し、すぐさま対応できるように、感覚を研ぎ澄ましていく。
僧の読経が低く響いている中、火に投じられた護摩木がパチパチと音を立て、大きくなった炎の明かりが周囲の影を色濃くする。
ほどなく、それは始まった。
第2章 集団戦 『さまよう眼球』

●迫る視線
広く作られた護摩堂の中心、僧の座る護摩壇に火が焚かれ、燃え盛る炎の熱と光が、参拝客達に混ざった√能力者達を照らし出す。闇を払う清浄な光、悪しき者を近付けぬ熱、けれどそれらにも関わらず、『怪異』はそこに現れた。
はじめは視線、無言で形のないそれが、沸き立つ闇と同時にやってくる。次に軋む音、恐らくは無数に並んだ鋭い歯によるものだろう、それが擦れる不快な音が響き始める。
そうして次の瞬間には、眼光と、牙を剥いた巨大な口が、祈りを捧げる誰かを丸呑みにしてしまうだろう。だがその視線が『品定め』を始めるそのタイミングで、注意深く周囲を探っていた√能力者達は、敵の存在を感知した。
準備を整えていた者は即座に、そして遅れた者もすぐに状況を把握できるだろう。護摩堂の出入り口は手前に一つ、奥に一つ。周囲には敵と、まだ異変に気付いていない一般人達。この状況下で、無数に湧く謎の怪異を打ち払わなければならない。
さあ、行動を起こす時だ。
●
僧の読み上げるお経の合間に、火に焚べられた護摩木の爆ぜるパチパチという音色が響く。祈祷の合間に手を握って、開いて、サツキは自分の体の動きを確認していた。これを電気マッサージとかの類と受け取るのは少々難しいが、立ち回るのに大きな影響はなさそうだ。
そうしている内に怪異の視線が、歯軋りが、その気配を現わして、熾火がそっと目を開いた。
「――ようやく姿を現したか。待ってたよ」
こんなもの出ないに越した事はないけれど、待ち構えていたのもまた事実。待望の敵の登場に、彼女は事前に潜ませていた『闇の尖兵』達を目覚めさせる。
「キミ等にくれてやる物は何一つとして無い、と言いたいところだけどね。今回は代わりにとびっきりのプレゼントがあるんだよ」
受け取ってくれるかな? 彼女の合図に応じて、影の中に潜伏していたそれが飛び出し、空中に生じた眼球の目の前で自爆、身を以てその視界を塞いだ。文字通り眼球を直撃した攻撃に、空中に生じた口の一つが苦悶の悲鳴を上げて――これが、この戦いの口火となった。
お祓いの最中に突如起きた爆発、そして空中に浮かぶ怪異の眼球と牙。忘れさせる力の影響を受けた一般人達に、それらがどう見えたのかは定かでないが、彼等の間にも確実に混乱が生じていた。
「少し語ろか、護摩堂の話」
一方の騙名は、ペースを崩す様子もなく。
「清めの火ぃ焚く護摩堂やけど、お焚き上げだけなら屋外でも十分やよね。それやのに、なんでわざわざお堂の中でやるか知ってはる?」
火中から出たり寄ってきたもんを、部屋に閉じ込め逃がさんためや。そう続けながら、琥珀色の瞳で怪異達の居所をできる限り把握。そしてできるだけ多くを巻き込む形で『御伽』を語り、形にする。
「――怪異は皆、閉じ込められて、月星の光しか見れへんよ」
作り上げた『匣』が敵を囲み、その動きを阻害した。
「へえ、この建物はそういう意味があったんだね」
「まあ今の講釈は|騙り《ウソ》やけども」
えっ。感心したようなサツキにしれっとそんな返しをしながら、騙名は混乱する一般人達に逃げ道を示す。
「皆々様方、火事や! 火事や! さっさと逃げや!」
彼女の居る辺りからなら、護摩堂の奥に逃げた方が近いか、そう判断して避難を促す内に、空中に浮かぶ眼球や口は徐々にその数を増やし始めた。
「思ったより数が多いね」
闇の尖兵達に指示を飛ばして各々対応させつつ、熾火は護摩堂全体の様子を把握するよう努める。ただ瞼を閉じて、開ける――元々そこに居たとでも言うような仕草で移動するこの怪異は、全体数を掴むのも困難だ。単騎での殲滅という選択肢は早々に捨てて、彼女もまたその行動を阻害する方向に動いた。
「そっちには行かせないよ」
『Multi Lines of Defense』、√能力によって次々と隔壁が生じ、敵と避難者達の間を切り取り、隔てる。開けた空間で襲撃から逃れるのは難しいが、避難経路をこの形で確保してしまえば、少なくとも側面からの奇襲は防げるだろう。
「壁に隠れながら外へ逃げるんだ、いいね?」
「手ぇ繋いで順番に出てな」
逃げ惑う彼等に道を示して、彼女等は避難者の殿に立つ形になる。
「学生さんもこの辺で逃げとく?」
「大丈夫だよ、ボクには頼もしい|護霊《あいぼう》がいるからね」
そうだよハティ、もちろんキミのことだとも。自己主張する月霊にそう応じて、サツキは一般人を追おうとする怪異へと攻撃を仕掛ける。食欲のままに歯を剥き、目を血走らせたそれに、飛び掛かったハティの牙が突き刺さり、引き裂く。食事を邪魔された怒りか、襲撃者への畏怖か、一体の雄叫びにも似た声に、周辺の眼球達が赤く輝き出した。
咆哮に続いて浮かび上がる無数の牙の生えた口、その不吉な様子に最後尾の避難者達が足を竦ませてしまう。そこに襲い掛かる牙の一つを、熾火は直接殴りつけることで黙らせた。半ば茫然としている一般人を、彼女はその手で立たせて。
「飛び出してくる奴や追いかけてくる奴等はこうやって殴り飛ばしてあげるからさ。ほら、走って」
振り向かないようにと諭して、次に迫る敵へと向かう。迫り来る増援には、側面からハティが喰らい付き、地へと引きずり下ろした。
「お前たちにとっては他愛のない食事なのかもしれないけれどね……」
残念、ここで食べられるものは何もないよ。追撃を断ったサツキは、歯軋りの音と、血走った眼、それが自分の方を向くのを察して。
「……あぁ、|災厄《ボク》なら食べれるものなら食べてごらんよ? そのかわり、腹を壊しても知らない―それ以上だとしても責任は取れないけどね」
誘うように敵に言う。挑発に乗った敵達を連れて、サツキは避難民への後続を断つべく反対方向へと駆けた。ハティと共に攻撃を凌ぎ、敵が固まったところに。
「いい感じに纏まったんやないの?」
「まとめて薙ぎ払っておこうか」
妖力によって変化した騙名の巨大狐尾が、熾火の剣閃から生じた衝撃波が、拘束した敵を一息に打ち払った。
大漁の敵を撃破したことで襲撃の波が一旦止まり、サツキが嘆息する。
「そっちは大丈夫だったかな。怪我人は居ない?」
「ああ、向こうは問題ないよ」
一般の人々の無事を問うサツキの声に、熾火が応じる。逃げる際に転んだとか、それくらいは居るかもしれないけれど、『食い千切られた』とか『丸呑みされた』とかそういった被害は未然に防ぐことができた。
その答えに安堵の息を吐いて、サツキはハティを呼び戻す。ここに居合わせたのが災厄と災厄と妖なのは妙な気分だが、まあ善かろうが悪かろうが欠けることなく戦えるのならそれに越したことはないだろう。
他の√能力者達の活躍もあり、怪異の数は残り僅か。だが事態がこれで終息するわけではないことを、彼女等はよく知っている。
癒しを齎す月光、サツキの命によってハティが『ムーンライト』で一行を回復する。体勢を再度整えて、三人は次の展開に備えた。
●
「……おや、悪い子が忍び込んでいるね」
察知したそれに、ネモスが小さく呟く。
獲物を狙う捕食者の気配。それは√EDENを出入りする√能力者であれば、少なからず感じたことがあるだろう。貪欲な熱のこもった視線、涎の滴るような熱い吐息。今回現れた怪異は、それらをそのまま肥大化したような存在だった。
空中に浮かんだ巨大な瞳と、無数の牙を生やした口、畢もまた中々にホラーなそれを視認する。忘れさせる力のためだろう、一般人達がそれに気付いていないのは幸か不幸か。甘味でエネルギーも摂取したし、と顔を上げた畢は、そのまま真っ直ぐに敵を見据える。『見えてるぞ』、そう主張するようにしながら√能力を発動、一般人に喰らい付こうとする敵へと霊震を放ち、その動きを制止した。
同時に、宙に生じた火の玉がひとつ敵陣の前に飛び、激しい光を放ちながら燃え尽きる。
「駄目だよ、此処に居る人達は君の為の捧げものじゃないからね」
『ウィザード・フレイム』、詠唱によって生み出したそれを目くらましに使ったネモスが言う。「ひとまず退散してくれないかな」と言葉は続くが、さすがにそうはならないだろう。震動と発光による怒り、驚き、苦悶の声が複数の口から漏れるに至り、ようやく一般人達も異常に気付く。立ち上がる者、固まる者、反応はそれぞれだが……。
「本番……だけども、厄介だな」
ジャンがそう零したように、このままパニックになり、ばらばらに動かれては守ることもできなくなる。同様に考えた游は、そこで咄嗟に声を上げた。
「皆、こっちへ!」
そうして示したのは、参拝者達が護摩堂に入るのに使った手前側の出入り口。幸いにも、奥側は奥側で別の√能力者達が避難誘導に当たっている。一人で全てをカバーするのは難しいが、仲間が居るのなら話は別だ。――誰にも怪我をさせない、そんな彼女の願いも、十分実現可能なはず。
それには避難誘導を行い、守護するだけではなく、敵を引き付ける囮もいればより確実だろう。
「そっちは任せて良い?」
「ああ――」
咄嗟に任せるようにと応じた畢とネモスが、先程の攻撃で混乱状態にある敵陣へと向かう。そして游自身は逃げる人々の盾となるために、二人とは逆の方向へ。
「この中で民を助けるのも王様の責務って奴か……」
お祓いが始まる際に手前側を選んで座っていたジャンは、自然と避難する人々の先頭に立つことになる。
「まあ、暴れるターンは後に残しといてやるよ」
彼等が惑わぬよう先導し、振り返ると、丁度二人が目の眩んだ相手を挑発するところだった。
「これはすごい、おっかないくらい真っ赤な牙だな!」
大げさにそう言ってみせる畢に続いて、ネモスが声を張る。まだ視界不良が続いているなら、音を頼りに狙いを定めるはず。
「――鬼さん、狙うならぼくにしておきなさい」
「俺は美味しくないよ。筋張ってるし」
そちらが先程攻撃を仕掛けた二人だということもわかっているのか、彷徨う眼球達は怒りと食欲に牙を剥いて、彼等に向かって襲い掛かった。
「……やっぱりこうなるか」
畢が零したように、この役回りは最も危険度が高い。暴食の欲望に任せて高速で迫る牙から、畢はとっさに身を躱す。先程からの霊震が効いているのだろう、敵の攻撃は正確性を欠いている。強いて問題を上げるとするなら、高速でランダム性の混じった動作をされるとこちらも動きが読みづらい、という点だが。
それもこの眼前まで迫られれば関係無い、目の前で閉じた牙に肝を冷やしながらも、畢は拳銃の一発で敵の眼球を撃ち抜いた。
一方のネモスにもまた別の、目くらましを逃れた個体が転移するという√能力を駆使して迫る。付近を漂っていたインビジブルを材料に、一気に近付いてきた相手に対して、ぎりぎりで詠唱を間に合わせた魔術の炎が宙を舞う。開かれた口、無数の牙が並んだ凶悪なそれに飛び込んだ火の玉は、攻撃をはね返すように爆ぜて、敵個体を吹き飛ばした。
駆け抜ける風、目玉を潰され落ちる肉塊、だがその先には、さらに多数の敵集団が控えている。
「……まだまだたくさん居るみたいだね」
「虚弱の身には少しばかりきつい仕事だな……」
ネモスが魔術書のページを捲り、畢がそちらに迫ろうとした赤い眼球を右手で掴む。『すべて平等に』、√能力によって暴食化を解除され、戸惑うように動きを止めた敵に再度拳銃を突き付けた。
銃撃、排莢、装弾。戦乙女の名を冠するそれが真価を発揮する合間にも、新たな敵はやってくる。厳しい状況ではあるが、こちらの身よりも今は人々の安全を。抵抗という形で誘うようにして、二人はそのまま出入り口から敵を引き離していった。
「この子を先に通してあげて!」
敵が手薄になった出入り口側、転んで親とはぐれてしまった子供の手を引いて、游は同じ√能力者のジャンへと引き渡す。
「慌てないでいいよ、ちゃんと守るから」
「ああ、任せろ。擦り傷以上はできないさ」
さあ、こっちだ。――王に運んでもらえるなんて幸運な奴らだな。そんなことを言いながら人々を先導する彼を見送って、游は御霊、佐保姫を召喚した。囮を務めた味方のおかげで数が減っているとはいえ、こちらに襲い掛かってくる敵は決してゼロではない。振り返り、敵の様子を視界に捉えた游は、敵集団の中で赤く染まる個体に着目する。暴食に身を任せた高速移動、だがその巨大な目玉のおかげで、狙う方向には粗方予測がついていた。
「……力をかして」
彼女の呼びかけに応えて、佐保姫は青いアネモネの花弁を周囲に舞わせる。一瞬の後、刃となったその花弁が渦を巻いたそこに、彷徨う眼球が飛び込んで来た。
無数の斬撃に敵の悲鳴が響く。迎撃成功、一般人への攻撃妨害を優先しつつ、游は敵の数をさらに減らすべく攻撃を仕掛けていった。
花の嵐で敵を追い詰める一方、人々には癒しを齎す新緑の風を。そうして彼女等が護衛を務める内に、ジャンは手前側の一般人達を護摩堂の外へ避難させることに成功する。幸いと言うべきか、宣言通り彼等に大きな怪我は見受けられない。
――ありがとう、お兄ちゃん。手を引いてきた子供のお礼を聞きながら、無事合流できた両親に彼を預けて。
「おまえら、もう護摩堂の方には近寄んない方がいい。さっきの『火事』見たろ?」
忘れさせる力、それによって彼等の記憶は、最終的にその辺りに落ち着くだろう。先回りしてその道を整えたジャンは、彼等が去っていくのを見送ってから護摩堂に戻る。未だ敵の残る戦場、そこで襲い来る眼球の一つに、ジャンは√能力を備えた右手を向けた。
『ルートブレイカー』、赤く染まった敵の動きが一瞬で止まるが、それだけで敵が仕留められたわけではない。追撃を、と思ったところで、その眼球は赤い炎に包まれた。
驚いた様子のジャンと目が合って、炎の操り手――ここまで囮を務めていたネモスが微笑む。どうやら舞台は整った、そう判断した彼女は、詠唱を止めぬままに。
「やっぱ厄はちゃんと落としておいた方がいいかもな……」
霊震で相手の動きを押し留めた畢の声に頷いて、炎をまとめて召喚した。
「さあ、厄と共に消えておしまい」
「――あいつらもこれで浄化されてくれればいいんだけど」
燃え盛る炎が敵の数を大きく減らす。他の√能力者達の活躍、避難誘導もあって、敵集団は無事に片付きつつあった。
●
凝視する視線と噛み合わされる牙の音、現れた怪異の気配は|警視庁異能捜査官《カミガリ》である恭兵とアダンからすれば馴染みのもの。特に動じることもなく、二人は素早く状況を確認する。一般人は未だ脅威の訪れに気付いておらず、厄払いの読経は続き、一般の参拝客達もそれぞれ神妙にしている。
「この状況で堂々とやろうと言うのだから呆れる……」
最初にそんな感想が浮かぶが、恭兵は自らそれを訂正した。人を食らうこの怪異からしてみれば、人間側の事情など知ったことではないだろう。それを受けて、アダンもまた小さく呟く。
「むしろ怪異共にとっては、絶好の狩場だろうな」
大人しく居並ぶ人々はまさに餌、といった風情だ。皮肉な状況であると同時に、こちらからすれば難儀な戦場である。
「静寂、我が同盟者よ。手狭な場所での戦闘は――」
「ああ、俺の方が動きやすいだろう」
皆まで言うなとアダンの見立てを肯定し、恭兵が立ち上がる。怪異を待ち構えていた他の√能力者達が対応をはじめ、俄かに響き渡る戦闘音の中、アダンもそれに続いた。
「仕掛けるぞ、異論は無いな?」
「ん、まかされた」
アダンの声に頷いて、恭兵が煙草に火を付ける。
「護摩堂内は『禁煙』だろうが、今回ばかりは少し許してくれよ……」
そんな言葉と共に吐き出される紫煙、それを確認することなく、アダンは先行して一般人を庇う位置へと飛び込んだ。他の√能力者の避難誘導のおかげか、逃げ惑う人の流れも比較的整然としている。それでもなお横合いから襲い掛かる牙に、アダンはその右手を掲げて。
「俺様の前でそのような真似は――!」
決して許さぬ。暴走するように眼を赤く血走らせ、牙を剥いたそれに掌で触れる。『ルートブレイカー』、アダンの√能力によって強制的に鎮静化させられた個体の動きが鈍る。それでも目の前にいるアダンの右手に、その牙が突き立てられるが。
「……まったく」
次の瞬間走った剣閃、恭兵が鞘から抜き放った宝刀の刃が、動きを鈍らせた敵を両断した。一瞬で刀を鞘に納めた恭兵は、目を丸くしている一般人に気付き、懐から警察手帳を取り出す。
「まぁ、そう言うことなんで大丈夫ですよ」
速やかに避難を促せば、食事を邪魔した二人に対して、周囲の怪異達がその眼をぎらつかせる。迫る攻撃の気配に、二人は同時に、逆方向へと跳んだ。
一体を恭兵の刃が一閃し、強酸の吐息を吐きかけようとした反対側の一体は、アダンがその右手で口を塞ぐ。強制無効化から逃れようとした眼球だが、その視界はすぐさま色濃い紫煙で遮られた。纏った煙で姿を眩ませた恭兵の刃が、正に目にも止まらぬ速さでその個体を斬り裂いた。
「アダン……お前は傷が痛くないのはわかるが……嫌いなんだろう? 仙丹」
「静寂よ……あの不味さは既に覚悟の上だ」
また飲む気か? という恭兵に、アダンは堂々と応じる。
「俺様は覇王である。無辜の民が傷付かずに済むのであれば、たかが右腕一本、安い代償だとも!
「……無茶はするなよ」
そんな言葉を交わしながら、二人は息の合った連携で敵を仕留めていった。
●
蠢く肉塊と欲深な吐息、この場で聞くにはあまりにも異質なその気配を、二人は同時に察知した。
「姐さん」
「ああ、行っといで」
共に戦うのはこれで何度目になるのか、阿吽の呼吸で意思を交わして、アイカは素早く袖を振り抜く。厄落としを受けるに際して座ったままの状態ではあるが、そんなものは彼女にとって支障にはならない。ただ一点、今日はウツギから借りた着物であることが頭の隅に引っかかっていたが……まあ、『思う存分』というレベルから一段落として、飽くまで動きはお淑やかにと努めれば。
岩飛流『小鳥遊』、高速で振り抜いた手刀は風を起こし、アイカの目の前の敵を打ち据える。動きの止まったそこにさらなる連撃が見舞われて、手始めとばかりにその数体をまとめて薙ぎ払った。
「独壇場だね」
感嘆交じりにふと溜息を吐いて、駆け出したアイカにウツギが続く。荒事に関してそこまで出張る必要はない。飽くまで先に立つのはアイカに任せ、ウツギは一歩後ろから状況把握に努めることにする。
逃げ惑う一般人、他の√能力者達が避難誘導に当たる中、アイカは避難経路の確保に走る。まとめて敵を薙ぐ範囲攻撃、その中から√能力で逃れた敵が何体か。怒り狂ったように眼を赤く染め、牙を剥いたそれに、ウツギは素早く手を伸ばした。
「大人しくしてな」
右の掌で触れたことで√能力が発動、荒ぶる赤い輝きが消失し、敵の動きが大きく鈍る。やることはそれだけ、すぐさま次の狙いへと視線を移すのと同じタイミングで、アイカの手刀が沈静化した敵を叩き落した。
「後はこっちか……いくらなんでもこの姿は酷だね」
敵の√能力で目玉の化け物と化したインビジブルを元の姿に戻しつつ、ウツギはアイカの仕留め損ねた者を狙っていく。……まあ、あの調子ではそうそう取りこぼしなどなさそうだが。
「――神仏の前でカタギに手を出すなっての」
避難していく一般人達、それに襲い掛かろうとした眼球に、アイカのさらなる一撃が決まる。慣れぬ服装ではあるけれど、徐々にその動きも様になってきてはいるようだ。
「この怪異とやら、ウチらの所の妖怪達に比べて聞く耳が無いタイプかね」
叩き伏せられていく怪異の様を見下ろして、ウツギが呟く。敵の動きを見るに、食欲のようなものはあるようだが、そこには理性や思考、自我の類は感じられない。
「ウォーゾーンとかのに似てるのかも知らんね?」
単一の目的だけで機械的に動いている所は確かに近いか。続く輩も似た傾向かもしれないと先を見据えつつ、ウツギは敵を打ち払うアイカの援護に回った。
●
祈祷の合間に聞こえる牙の軋み、眼球の蠢く僅かな音、それを捉えた鳰が傍らへと口を開く
「お仕事の時間のようね、リゼさん」
「ええ――」
食い散らかす人間を品定めする怪異、清き時間を阻む妖しの音。同じそれを聞いたリゼもまた、朗らかに頷いて返した。
「サクッと祓ってあげよっか」
他の能力者達によるものであろう爆発に旋風、それらに比べて極めて静かに、鳰の投じた短刀が、一般人に襲い掛かろうとしていた眼球に突き刺さった。今にも獲物に食らいつくところだった牙だらけの口が、けたたましい悲鳴を上げる。突然の事態に一般人達も混乱しているようだが、それを鎮めるかのように、鈴の音がひとつ彼等の元に届いていた。
対象の動きを縛るそれが、敵の声を押し留めたその一瞬の静寂に。
「皆さん、良くないモノを祓いますので避難下さいますか?」
大丈夫、我々が間に合ったのも此方のお導きでしょう。そんな風に人々を落ち着かせて、鳰は護摩堂の入り口を示す。そちらでは他の√能力者達も避難誘導に当たっている。そんな彼等に累が及ばないよう、素早く太刀を抜いた鳰は、斬り払うのではなく貫く形で牙持つ口を縫い留めた。
目を白黒させていた一般人達、忘れさせる力の影響下にある人々も、さすがにこの期に及んでは護摩堂の異常を察し、急いで避難を開始した。
「鳰さんかっこいーっ♪」
ここまでの鳰の振る舞いに黄色い声を上げていたリゼだが、勿論仕事の方も忘れていない。もうちょっと見惚れていたい思いを堪えて、花と再生を司る護霊を召喚する。
「――咲き誇れ」
紡がれるは『深淵の棘歌』、荘重な歌声に乗せた霊力が、黒薔薇として顕現、怪異なる者達を捕らえて絞める。
天国の花を冠する護霊の歌は、重くとも神聖さを宿す清き音色。華やかで凛としたそれを耳にして、鳰が僅かに微笑む。召喚された神々しい護霊も合わせて、その様はきっとこの場によく馴染むことだろう。惜しむらくはしっかりとそれを見られないことだが――。
「リゼさん、向こう側に追い詰めましょう」
どちらにせよ、まずは戦場に目を遣るのが先決か。
絡め取られ動きの鈍った者を、逃げ惑う人の合間を縫うような突きで仕留め、鳰は敵集団を壁際へと誘導する。旋律から織り成すオーラで以て人々を守っていたリゼも、それに応じて黒薔薇を咲き乱れさせて。
避難する人々に、害たる怪異が向かわぬように。言葉にせずとも通じ合ったその狙い通り、二人は敵を追い詰め、殲滅していった。
第3章 ボス戦 『神隠し』

●手を引く怪異
無事に一般人の避難も終わり、護摩堂は俄かに広くなったように感じられる。厳かなその広間にはいくつもの戦闘痕が残り、燃え残った護摩の火が赤々と周囲を照らす。焔によって揺らめく影の合間、そこに何かの気配を感じて√能力者達は咄嗟にその場を跳び退いた。
傍らを通り過ぎたのは、白い土気色の『てのひら』。虚空から現れた巨大な手がその五指を伸ばし、あなたを掠めて行き過ぎる。恐らくは狙ったのとは別のモノ、生き残りの眼球を捉えたその指は、対象をその手の内へと握り込んだ。
『……?』
疑問を覚えた、そんな身じろぎを見せた指が開かれると、先程の眼球は跡形もなく消え去っていた。
潰れた、消滅した、転移した、もしくは連れていかれた。いずれの表現が正しいのかは分からないが、あの手に捕まれるのはまずい。そう察した一同の元に、声が届く。
『こわがらないで、あなたもつれていってあげる』
炎が照らす堂の中心、その上に、巫女の服を着た少女が浮かんでいた。
虚ろな瞳が一同を見下ろし、その口の端が仄かに笑む。
『かみさまがよんでるわ。さあ、いっしょにいきましょう?』
誘う言葉と共に、小さなその手が差しのべられて。そして同時に、虚空から現れた巨大な腕が、何本も、何本も。道連れを求めるように、その掌を差し出した。
●
「これは所謂『手の目』という奴かい」
敵の掌がその力を発揮するのを眼にして、ウツギが言う。√妖怪百鬼夜行に照らし合わせるなら、確かにそれが近いだろうか。しかしまあ、相手の言をそのまま受け取るなら、『かみさま』だったか?
「神さんなら大人しく神棚で大人しくしてればいいものを、そんなに手が寂しいのかね」
手を引くような、誘うようなその仕草、当然それに応じてやるつもりはないが。
「姐さん……!」
咄嗟にフォローに入ろうと動くアイカの姿を視界の端で捉え、ウツギはその手に糸を繰る。味方に協力し、援護する為の一手、「大物相手ではあるが、それでも任せた」というその場面で、アイカは着物の裾をを踏んで盛大にすっ転んだ。
「あぐっ……痛たッッッ……」
「……」
「姐さんごめん、もう脱ぐ~ッ!」
「ああ、そうしとくれ。服は気にしなさんな、いつかはほつれるものだしね」
なんなら直したり仕立て直せばいい。一瞬止まってしまった手をもう一度動かしている内に、アイカは蹴り上げた畳を盾にし、素早く着物の帯を解く。タンクトップとスパッツ、ラフだが動きやすい姿になったところで、畳を思い切り蹴り付けた。
吹っ飛んだそれが、アイカを狙っていた手にぶつかって、その動きを留める。ようやく自由に動けそうだと、アイカは深く息を吐いた。
「それじゃぁ……行ってきます!!」
駆け出した彼女に「はいよ」と軽く返して、ウツギは手にした糸、『不思議なあやとり』をその場に広げる。アイカをはじめ、味方の√能力者に繋いだそれを通して、彼女は自分の見たそれを伝え始めた。
「もうちょっと頭を下げた方がいいね」
「はーい」
姿勢を低くし駆けるアイカは、続けて飛んでくるウツギの情報を加味し、敵の無数の腕の合間をあっという間にすり抜ける。敵の動きを見切り、捌き、迫り行く。彼女等を脅威と見た怪異は、彼女の疾走と、ウツギの繋いだ糸を阻むように指を伸ばすが。
「残念だが、あんたにゃこの紐は取れないだろうよ」
ウツギの手で操られた糸は、自在にその身を蠢かせるようにして、指の間をするりと抜けてしまう。
「手慰みにご執心で、手の使い方は学んでこなかったのかい?」
手繰るのはあんたの専売特許じゃないからね。彼女の言の通りに、敵はウツギも、その糸さえも捕らえられぬまま。
「そもそもわたしに絡んでいる暇はあるのかい?」
背後から迫る別の腕を破壊の炎で迎撃しながら、彼女は言う。その視線の先では、アイカが敵の眼前に迫っていた。
「――型無き型、魅せてあげるよ」
敵の動きを見切り、紙一重で躱した彼女は、逆に敵の腕によってできた死角を縫い、仕掛ける。
岩飛流『空ノ理』。流れるような連撃と共に敵の懐に切り込んで、破魔の力を宿した拳で打ち上げるようにしてさらなる連撃を。華麗な攻撃が、怪異の身を揺るがした。
成果は上々、かなりの『痛い目』を見たであろうそれに、ウツギはふと笑みを浮かべる。
「ま、これに懲りたら心を入れ替えて来ることだね」
●
かみさまがよんでいる。怪異の口にしたそれを、アダンが一笑に付す。
「フハハハハッ! 全く、怪異が何を宣うかと思えば」
「……ようは人攫いの怪異だろう」
この類の手合いに慣れた彼等にしてみれば、まともに取り合うだけ無駄だとわかっているのだろう、恭兵の側の対応も同様だった。
「だが静寂よ、彼奴の手に掴まれれば『かみさま』とやらに会えるらしいが?」
「攫われる気も誰かを攫わせる気もない。さっさとご退場願おうか?」
粛々と手を下す、両者ともにそう判断しながらも、少しばかり足並みに乱れが生じる。
「……ん? 静寂、何かあったのか?」
「いや……」
逡巡するような間が少し。だが共に戦う相棒には伝えておくべきだろうと、恭兵が口を開いた。
「これはただの俺の弱さではあるんだが――」
あの少女型の怪異と戦うのは気が引ける。だが同時に、少女の形をとっている事に憤りも感じている。両側の作用を加味して、つまるところは……差し引きゼロでいつも通りか?
「……ほう」
驚くほど歯切れの悪い説明、何かしら理由があるのだろうとは察するが、戦闘は既に始まっている。とにかくその情報を受け入れた上で、アダンは他の√能力者達と戦う敵の方を向き直った。詳しく聞くべきタイミングは、少なくとも今ではない。
「静寂、挟撃するぞ」
「了解だ」
素早く意を通じ、自らの存在を主張するように、アダンは敵の前へと歩み出た。
「貴様が怪異である以上、駆逐対象に他ならぬ! ──故に!今から貴様の臓物を穿ってくれよう!」
高らかに、宣言するは『覇王の言霊』。防具を捨てた彼に向かって虚空から伸びる手が殺到するが、彼の纏った黒い炎がその接近を阻む。掴みかかる細かな手を焼き潰し、なおも前進するアダン。脅威を感じたのか、怪異が次にはなったのは、一際巨大な『手』を使った虫を叩き潰すような一撃。
護摩堂の床に叩きつけた彼を、掌が包み込むように動くが、その直前にアダンの拳がそれを弾いた。指の合間を縫うように、真っ直ぐに伸びたアダンの影、それは彼の宣言通り、敵の胴を貫いた。そして。
「花嵐……」
その隙に、背後に忍び寄っていた恭兵が銃撃を仕掛ける。
意図したわけではないだろうが、この位置からなら少女の顔は見なくて済む。少しはマシだと言ってもいいか――とにかく、アダンの作ってくれたこの機を無駄にするわけにはいかないだろう。無数の手を攻撃に回したことで、防御の薄くなったそこを突き、牽制の射撃から即座に数珠を用いて敵の動きを拘束する。
『花嵐連撃』。続けて恭兵が周囲に放った死霊達に攻撃を命じると、彼等は影に縫い留められた少女へ、次々と喰らい付いていった。
●
白い土気色の『てのひら』、虚空から現れた巨大な手が、残っていた眼球の一つを握り込む。するとそれは、拳の中で跡形もなく消え去ってしまった。
「神隠し……なるほど」
敵の攻撃による影響を目にしてリゼが頷く。確かに、怪異の駆使するあの手はそれらしい事象を引き起こせるだけの力を持っているようだ。最大限注意すべき、という冷静な判断とは裏腹に、リゼの口元には笑みが浮かんでいた。
「――ふふ」
あれが神隠しだというのなら、神様は随分気紛れで、悪戯が好きらしい。それも、こんな良き日に神隠しを起こそうとするなんて。
「まぁ、私は……神様なんてこれっぽっちも信じてないけど!」
「あら奇遇ですね、リゼさん」
彼女の言に鳰も応じる。
「私も実は、神仏って其処まで信じてはおりませんで」
「あら? それなら2人して不敬同士?」
祈祷のための護摩堂で言うには相応しくないかもしれないけれど。そんな風に悪戯っぽく言う鳰に、こちらも冗談めかしてリゼが返す。彼女の場合、実際のところは信じていないというよりも、いっそ憎んでいたりさえするのだが。
当然ながら、「ホントはここいるのには相応しくもない」なんて思いもある。それでも――。
「まあ、こういう場所は己へ問うたり誓う場所でもあるから、特に忌避はないのですけれど……」
鳰の言うように、自身へ誓いを立てる切欠となるのなら、きっとこういう所は必要なのだろう。そう結論付ければ、ようやく戦うに足る言い分も見えてくる。
「理不尽に人攫いをする神の遣いは追い払ってあげよう♪」
「ええ、少なくともあの方の仰る『かみさま』の傍にいくのはお断りね」
いつの間にやら彷徨う眼球達は姿を消して、護摩堂内には最後に現れた怪異によるものであろう、無数の『かみのて』が現れている。一般人の避難も済み、どこか広く見える護摩堂の中で、燃え残った炎の作る影が踊る。そんな中、√能力者達と刃を交える怪異に向けて、鳰は太刀を構えた。
「私には仕えると決めた方が別に居りますので、あなたは独りでお還りなさい」
仕掛けの先手を打ったのはリゼの側、霊力を帯びた手を「パンッ」と身体の前で打ち鳴らして。
「――踊れ。気高く美しい金花達」
『Lavi Osmanthus.』、霊力によって顕現した金木犀が、彼女の元に咲き乱れる。
「甘き金木犀の香で彼の者を抱き、敵を切り刻みなさい」
その声に応じて霊力を纏った花弁が舞う。此処にあるのは祝福だけでいい、彼女の思いを乗せた金色の花は、敵の伸ばした『かみのて』を迎え撃つ。
「祝福には何が必要だと思う? ――貴方が掴もうとしている花達よ!」
気高き花達が人々を救う御力となる。刃と化したそれが、迫り来る敵の手をまとめて切り裂いた。
嵐のようなそれが行き過ぎて、残ったわずかな風が鼻孔をくすぐる。
「これは金木犀? なんて胸のすくような心地よい香りでしょう」
まるで心に力が漲るよう。それに背を押されるようにして、鳰はりんと鈴を鳴らす。その反響からわかるのは、周囲に蠢く無数の腕、驚異的なその数だ。しかしリゼの放った金木犀、頼もしいお花の力で打撃を受けていることも読み取れる。
「あとは、鳰さんの最大火力でぶった切っちゃってよ♪」
「あら、そう言われては頑張らない訳にはいきませんね!」
軽口混じりのやりとりが緊張をほぐし、足取りを軽くする。古龍の力をその身に宿した鳰は、最初の一閃でリゼに向かって伸びた腕を斬り落とした。
「『かみさま』には習いませんでしたか。女性に無断で触れてはいけませんよ、とね」
そして、そのまま前へと踏み込む。無数の手がこちらを狙うというのなら、捕まらぬようさらに速く動き、攻撃を与えるのみ。向上させた速度を最大限に生かし、護摩堂の中を駆けた鳰は、包囲そのものを切り拓くようにして突き進み、怪異の巫女姿をした少女部分を真っ直ぐに貫いた。
確たるダメージを刻まれ、少女の像が滲むように揺れる。しかし、『かみのて』は、なおも道連れを求めるように蠢き続けた。
●
「おやおや、なんて素敵なお誘い……」
共に来るようにと呼び掛ける怪異に対して、ネモスは冗談めかした形で言葉を返す。
此処がダンスホールのように煌びやかな場所であれば、揚々と手を取っていたのかもしれない。大げさな調子でそう言って、彼女はこう結論付けた。
「残念ながらぼくは能力者で君は倒すべき敵だ。"かみさま"の生贄なんて死んでも嫌だねえ」
相手がどの程度本気なのかはわからないが、ネモスの言う結論は変わらない。
「終わったかい?」
一方のこちらは誘いの言葉を拒絶……するまでもなく、最初から馴れ合うつもりもなかった様子の熾火が問う。
「護るべき人達も居なくなった事だし、ここからは思う存分、暴れる事が出来るね」
僧も参拝客もまとめて脱出に成功した後、消え残りの炎だけが、揺れる影と共に広々とした護摩堂を照らし出している。早速とばかりに重火器を持ち出した熾火は、問答無用で巫女姿の少女に向かって弾薬をぶちまけ始めた。弾幕展開から即応式のグレネードで爆炎を送り、無数の腕へ、巫女姿のそれへと次々に攻撃を仕掛ける。
「いやあ、こちらも中々だ」
激しい攻勢に苦笑いしつつ、ネモスはオーラを纏ったフクロウのに似た護霊を呼び出し、大暴れに巻き込まれないようにと一時距離を取った。あまりこの場所を破壊したくない……という面もあったが、こうなってくると気にする意味はあまりないのかもしれない。
機関砲の音色に続いて、放り投げられた焼夷グレネードは、しかし敵の掌に包まれる形で消えてなくなる。それを見た熾火は、そこで敵の言葉を思い出したように。
「神が呼んでいる、だったかな」
それは果たしてどういう意味か、まさか本当に手の中に神が住まっているのか? 興味の赴くままにグレネードをいくらか放ってやり、掌に握らせることで反応を窺う。もっとも、爆発の気配も敵が動揺した様子も、傍から見た限りでは全くなかったのだが。
「なんだ、つまらないな」
その神様とやらが居るとして、少なくともここから攻撃を加えることはできないらしい。短くそう呟いたところで、熾火は敵の動きを阻害する飽和射撃に攻撃方法を切り替えていった。絶え間ない連続攻撃に対し、敵は虚空から伸びる巨腕で文字通りの壁を作ることで対応を始めるが。
「隠れるのならもっとうまくやらないと、すぐに見つかってしまうよ?」
羽持つ護霊と一緒に飛来したネモスはそう告げると、素早く護霊を飛び込ませる。彼女の試みたのはただの攻撃ではなく、護霊による敵への融合。巫女姿の少女に溶け込むように護霊がその姿を消すと、怪異の動きが一気に鈍る。
「鬼さん、捕まえた。……さあ、悪戯好きな悪い手にはお仕置きを与えようじゃないか」
行動力を奪うことで反撃と、逃げるという選択肢を削ることに成功。すると、機を見た熾火がここぞとばかりに飛び込んできていた。
「細工は流々仕上げを御覧じろ……なんてね」
目前に放り投げられたグレネードが爆ぜて、その爆煙の張れぬうちから接近、降りやまぬ驟雨の如き連撃が、神隠しの怪異へと突き立てられた。
●
「神様が呼んでる、ね」
敵の口にした言葉を、サツキがもう一度繰り返す。そのまま鵜呑みにするのなら、あの巫女姿の少女とは別に何かが居る……ということになる。何やら背景を含めた意味がありそうで、サツキとしても興味が無いわけではない、けれど。
「……ふふ、残念。知らない|相手《ひと》には付いて行っちゃいけないんだ」
ここでそれを深掘りしたところで真相が見えてくるようなことはないだろう。そう判断した彼女は冗談めかして誘いを断る。これで素直に諦めて帰ってくれれば話は早いが、敵が選んだのは勿論『実力行使』だ。
「やれやれ、目の次は掌か……」
虚空から前触れもなく現れる敵、という意味では先程も見たような光景だ。嘆息しつつ、畢は空いた弾倉に弾を込め直す。こちらを捕まえようと伸ばされた腕に銃撃を加え、次いで巫女の姿をしたそれにも発砲、現れた巨大な『かみのて』が銃弾から少女を守るのを確認する。
「一応、あれが本体ってことで良いのか……?」
確証はないが、現状ではそう判断するしかないだろう。味方と情報を共有しつつ、畢とサツキは敵を撹乱するべく、逆方向へと駆けた。
「ハティ、頼んだよ」
サツキの護霊もそれに加わり、五指に捕まれぬよう応戦していく。
僧と参拝客、一般人の逃げのびた護摩堂は、先程よりも戦場としては相応しい場所になっただろうか。ようやく盤面は整った――と見て取り、ジャンは戦いのための√能力を発動する。
「ちょびっと本気出してやるか……さて兵達、今日も働いて貰うぜ」
救った民からの感謝の言葉もあってやる気は十分、王の勅命により目覚めた英霊達が、戦場にずらりと並ぶ。チェスの駒を思わせるジャンの兵達は全部で12体、飛車角落ちの駒数だが、対する相手は無数の腕。
「丁度良いハンデだな」
「ほんとに? 引く手数多で困っとらん?」
軽口混じりの調子で言って、そこに騙名も進んで手を貸す。
「|上手《かみのて》相手なら下手から行こか」
では演劇の時間のはじまりはじまり。お題目は、かの有名な千夜一夜の物語。
神の手攫うがヒトやモノなら、人の手浚うはカネや|ホシ《宝石》。かつて居ったわ盗賊団。
賢しき青年アリババくるより前は、その手で黄金集めに集めて手慰み。
「――はてさて、勝つのはどちらの強欲?」
語りに合わせて召喚されたのは、逸話にもある盗賊達と、小型の精霊。チェスとは全く異質とはいえ、これで頭数は十分だろう。
「単体攻撃には頭数、集団戦術と参ろか」
「それにしたってこの数は……」
「手に余るやろか?」
「……いや」
決してそんなことはない。そう宣言し、ジャンは自分の手番だとばかりに兵隊達へ指令を送る。何はともあれポーンを前へ、敵の進行を抑えるようにしながら、前線を上げていった。
「これだけ居れば敵の狙いも甘くなる……か?」
「助かるね、側面からも狙い放題だ」
展開された多数の駒に紛れるようにして、畢とサツキも隙を窺い仕掛けていく。とはいえ決定的な打撃を与えるほどには踏み込めず、現状の主役は多数対多数の集団戦だ。チェスの盤面を眺めるように、ジョンが戦場を見渡す。部下を指揮しての戦いともなれば、当然個人で戦うよりも即応能力が落ちてしまう。となれば、大事なのは先読み。敵の思考を読み切るか……それとも、誘導するか。
「悪いが信仰するカミサマが違うようだ、一昨日来て貰おう。ビショップ、前へ!」
前進する隊列から一人の兵が変則的に動き、壁が一部薄くなった……ように、相手には見えているだろう。
「人と神、果たしてどっちが強欲やろか?」
呼応するように動いた騙名の盗賊達が追い詰めるように攻め立てると、『神隠し』を中心として現れる掌は、ついにそれへと食い付いた。
「……そろそろだと思ってた」
敵を十分に誘いこんだところで重鎧の騎士が中央へ。詰めへと向かうはずの起点は、しかし敵の√能力によって炎に包まれる。虚空から生じた一際巨大な腕が、未だ燃え立つ護摩の薪を投げつけたのだ。掌を焦がしながらの反撃と共に小さな腕が無数に生じ、ナイトを拘束した。
足の止まったそれに代わり、敵の眼前に切り込んだ畢が引き金を引く。銃弾が少女の額を貫く。だが血やそれに類するものが飛び散ることもなく、額に黒い穴を空けたまま怪異は腕を伸ばした。
畢もまた捕まり、引き裂かれ連れていかれる――が、その前に。
「――食い千切ってやれ」
動けない畢に代わり、彼に憑いていた黒い靄、死霊達が溢れ出し、貪欲なかみのて達へと喰らい付いた。|気儘な支配者《フレンドリィ・ゴースト》達は怪異をも喰らい、畢の傷を癒していく。
その間に側面から走り込んだハティが、味方を拘束する腕を中心に攻撃を仕掛け、噛み千切る形で解放する。さらに、傷付いた仲間には癒しの月光を降り注がせて。
「こういう時は助け合いってね」
「人と神を比べて落とすつもりやったけど、厄とか霊とかはどうなんやろなあ」
拘束されていたジャンのナイトが、悪霊たちを伴う畢が自由を取り戻し、騙名の盗賊達も、僅かな生き残りを結集している。
「……チェックメイトだ。悪いな、初心者をボコっちまって」
「ま、これにて語りは終わりとしよか」
未だ生じる『かみのて』を蹂躙する勢いで攻め立て、√能力者達の刃が、ついに怪異にとどめを刺した。巫女姿の少女が消え去ると共に、虚空から現れていた腕は全てが引っ込み、静寂が訪れる。
「やった……みたいだな」
敵が帰ってくる様子が無いのを見て取り、ジャンが嘆息する。彼にとっては初仕事ではあったが、結果としては大した怪我人もおらず、上々の結果と見てもいいだろう。
「しかしまあ、派手にやったものだね」
色々と範囲攻撃をぶん回した戦闘のおかげで、護摩堂の様子は見る影もない。周囲を見回していたサツキは、『月の揺籠』を駆使して周囲の負傷と破壊痕の修復を開始した。忘れようとする力が、一般人達にどういうストーリーを描かせるのかはわからないが。
「ここがこれからも、役目を続けられるように……ってね」
とにかく、この騒ぎもすぐに忘れられ、日常が戻ってくることだろう。
「厄を落とすどころか取り込んでばかりだったな……」
「待っとったらもう一回厄落とししてもらえるかも知れへんよ」
「……まぁ、祓われるのは勘弁だけどね」
サツキの修復効果によって、炎の残滓も輝き、消える。√能力者達の活躍によって、新しい年は平穏と共に迎えられた。