はるひめの受難
八曲署『捜査三課』には、毎日のように新しい事件が舞い込んでくる。
――簒奪者による連続女性誘拐事件。企業レセプションから結婚式の披露宴まで、簒奪者があらゆるパーティーに出没する。巧みな話術で気に入った女性を誑かし、拐かしているというのだ。
彼は√能力で人々の認識を歪め、関係者として参加しているらしい。女性たちの安否は現状不明。最終目標は簒奪者の逮捕だ。
「……と、いうわけで」
モコ・ブラウン(化けモグラ・h00344)は衣装箱をテーブルに置いた。全身鏡と化粧道具の準備も完璧。署内の一室はちょっとしたお着替えルームと化している。
「ドレスアップターイム! モグ!」
ハイテンションに言い放つモコの視線の先には、表情を引き攣らせた|史記守《しきもり》・|陽《はる》(黎明・h04400)の姿があった。
「……解せない……」
陽が頭を抱えるしかない理由。それは簒奪者を逮捕するための作戦内容に関係する。目標を引き付けるためには囮が必要だ。その重要な役に彼が選ばれた。
なぜ自分なのか。陽は理解できないでいる。そしてもっと理解できないのは、周囲の人間が疑問を1ミリも抱かない現状であった。
「相手は気に入った女性のみを狙うモグ。つまりシキくんの出番モグ!」
モコの澄んだ眼差しが陽へと注がれる。曇りひとつない綺麗な瞳が、今は陽を困惑の大海原へと叩き落とす。
「つまりの意味がわかりません俺男ですよ? 身長だって180近くありますしそれなりに筋肉も……」
「大丈夫、シキくんの可愛さなら多少違和感があっても問題なしモグ! ふわふわで可愛いドレスを着てたらバレるわけがないモグよね!」
勢いと謎の説得力で押し切られそうだ。陽は必死に流れに逆らおうとする。
「いや、ふわふわのドレスで体格誤魔化せばいいとかじゃなくてですね……だって気に入った女性に声をかけるんでしょう? その敵。他にも女性がいるだろうし、女装した男なんか無理でしょ」
別の作戦か相応しい人に任せられないか。抵抗を続ける陽に、モコはそれならと提案する。
「そんなに嫌なのモグ? それじゃあモグがやるモグ? 潜入捜査は慣れてるし、それでもいいモグけど」
モグは可愛いシキくんが見たいモグけど。密かに思いつつも譲歩した。モコに他意はなかったのだが、彼女の言葉は陽の心に深々と突き刺さる。
「うぐっ……そ、それは……モコさんを囮にするのも嫌です……」
モコが簒奪者に口説かれている所など、たとえ作戦であっても見たくない。
(モコさんを囮にするくらいならやっぱり俺が……でも、女装……女装かぁ……)
男としての尊厳が危うい。以前も依頼で女装したが、今回はさらに多くの尊厳を失ってしまう気がする。だが時間は待ってくれない。
「どうするのモグ?」
モコはじいっと陽を見つめ、彼の決断を待っていた。
陽は苦悩しながらも決意する。モコさんを囮にするくらいなら、男としての尊厳を失っても構わない。俺の価値なんて安いものだ。これ以上被害が出るのも見過ごせない。罪なき女性が簒奪者の牙に掛かる前に止めなければ。
「あーもう! わかりましたよ! やるだけやってみます。あーもうこうなったらどうにでもなれ!」
衣装が入った箱を掴んだ。がばっと開いて――直後、ピシリと硬直する。てっきり前の衣装と同じ物を着るのだろうと思っていた。しかし、箱の中には見覚えのないドレスが収められている。
ゴージャスなフリルをふんだんにあしらったロココ調ドレスだ。淡い水色と白を基調としており、豪華さの中に清純さを感じさせる。造花をあしらったボンネットも標準装備。陽の意識が遠退く。
「今回潜入するパーティーは舞踏会らしいモグ。前の衣装でも良かったモグけど、せっかくだから新しいのを持ってきたモグ!」
あまりの衝撃に、陽は悟りの境地を開き始めた。既に女装済なのだから、何を着たって同じなのではないか? メイク道具を構えたモコは満面の笑顔だ。
「安心してモグ。モグがシキくんを、世界で一番可愛いお姫様にしてあげるのモグ!」
きらきら、わくわく。楽しげな空気が陽にまで伝わってくる。このような表情を見せられては、陽もすべてを受け入れるしかない。
(まぁいいか。モコさんが楽しそうなら……)
陽は心に刻む。俺の犠牲でモコさんを守れるなら、彼女の笑顔を守れるならば、それ以上のことはないと。彼は彼自身が思っている以上にモコに弱かった。
かくして『はるひめ』は誕生する。実際、身長が高く体格も細身とはいえ男性だ。しかし、その全てを覆い隠してしまうほどの可愛らしさが備わっている。身に纏う雰囲気は、まさに深窓の令嬢。モコによるメイクも合わさって更に磨き上げられている。
「完璧モグ! これで簒奪者もイチコロモグね!」
モコの大絶賛に、陽は頬を真っ赤に染めた。
「うぅ……やっぱり恥ずかしい」
服の前をきゅっと掴んで眉を寄せる。その仕草をモコは温かな眼差しで眺めた。
(恥じらってる所も含めて可愛さが増してるのモグけど……言わない方がいいモグね)
事前情報によると、今回のターゲットは清楚で初心な子がタイプらしい。陽には今のまま、自然体でいてもらおう。
「現場に向かうモグよ。モグはパーティーのスタッフに化けてサポートするモグ」
移動用の車は用意してある。現地に到着しだい作戦開始だ。モコの支援を無駄にするわけにはいかない。しっかりしなければと、陽は己を鼓舞した。
「よろしくお願いします。俺も頑張って目標の気を惹きますね」
内容がどうあれ、重要な任務であることに変わりない。完璧に囮役をこなしてみせると陽は意気込んだ。
車を走らせ、二人は都内の高級住宅街へと向かった。特殊なツテで手に入れた招待状を警備員に見せて門を通過する。壮麗なフランス式庭園を抜ければ、視界に入るのは宮殿のような豪邸だ。何でも有名な建築家がデザインしたらしい。
通信機と盗聴器を隠し持ち、陽とモコはパーティー会場へと潜入する。行動は別行動だ。陽は客として振る舞い、モコはスタッフのフリをしながら周囲を警戒する。
楽団がワルツを奏でる。ピアノとヴァイオリンの美しい音色が耳に届くが、今の陽に音楽を楽しむ余裕はない。
(一度やけっぱちになって受け入れたはいいものの……やっぱりこんな格好……しかもモコさんの前でなんて。もう、お婿にいけない……)
それに頑張るとは言ったが、具体的にどうすればよいのか。
陽はソファに座り、客が踊るダンスフロアを眺めている。これではただ其処にいるだけで何もしていない。緊張で手に汗が滲んだ。
幸い簒奪者の外見情報は事前に得ている。彼が現れてから行動を起こせばよいのかもしれないが、無関係な一般人から変に思われないだろうか。
だが、舞踏会で自然に振る舞う方法など陽は知らない。急な依頼だったこともあり、指導を受けている余裕もなかった。おまけに女装していることが周囲に知られたら、注目の的になってしまうのではないか。それこそ公開処刑だ。
『シキくん、そっちの状況はどうモグ?』
イヤリングに仕込んだ通信機からモコの声がした。陽は小声で返す。
「ターゲットの姿は見えないです。……あの……俺、このまま座ってるだけで大丈夫なんでしょうか?」
不安が声に滲み出てしまった。一方で、彼とは逆にモコはゆったりと構えている。ドリンクウェイターとして飲み物を運ぶフリをしながら、陽の周辺をさりげなく巡回していた。
「そのままで大丈夫モグよ」
むしろ何もしない方がいい。複数の客の視線が陽に向いていることに、モコは気付いていた。
(すっごく綺麗だから、みんなシキくんを気にしているのモグね。本人は気付いてないみたいモグけど)
話し掛ける素振りを見せる男性客には、モグラ部隊を隠密状態で向かわせた。死角から服にワインを掛けたり悪戯をして、ひたすらに妨害だ。
(悪いモグけど、シキくんには触らせないモグよ)
はるひめにくっ付く悪い虫は、簒奪者だけで十分なのである。無関係の人間に絡まれると作戦に支障が出るため、モコの行動は的確な支援だ。
ふと、誰かが近付いてくる気配がした。モコは自然な動作で視線を向ける。
「そこの君。グラスを2ついただけるかな?」
目の前にすらりと背の高い青年が立っている。エメラルドを閉じ込めた双眸を細め、彼は柔らかに微笑んだ。肩まで伸ばしたハニーブロンドの髪は艶やかに揺れ、肌は雪のように白い。人形のように整った顔立ちの男だ。
モコは営業スマイルを浮かべ、男にグラスを差し出した。グラスの中にはノンアルコールカクテルの定番、シャーリー・テンプルが注がれている。
「こちらをどうぞ。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
「ありがとう」
青年はグラスを受け取り歩き出す。その行先をモコは密かに見つめ、通信機にそっと囁く。
「……シキくん、ターゲットがそっちに行くモグ」
グラスを渡したあの青年だ。通信を受け取った陽も、青年の存在に気付く。
「あれが……」
今回の作戦の目標――|取り替え子《チェンジリング》の簒奪者。資料によると、青年の名は『カリオン・ストレイン』。漆黒のテールコートに身を包み、首元を飾るアスコットタイには、瞳と同じ色の宝石が輝いている。彼が傍を通る度、女性たちが彼へと熱い視線を送った。
(いかにも女性を惑わせそうな感じだ。ああいう人を美形って言うんだろうな)
青年はゆったりとした足取りでフロアを進む。彼は真っ直ぐに、陽が座るソファへと近付いてきた。陽はそこでようやく気付く。
(え……もしかして、俺を見てる?)
ただ近くを通過するだけと思っていた。だが、明らかに青年の視線は陽を向いている。彼は陽の正面に立ち、眩し過ぎるほどの笑みを湛えた。
「こんにちは。宮殿の庭に咲く白百合のように美しいお嬢さん」
遥か遠く、鐘の音が聞こえる。背筋のあたりがスッと冷える感覚に、陽は息を呑んだ。
(うわ……)
今時こんなにもコッテコテな口説き文句を放つ人がいるのか。彼ほどの美形に言われたら、大半の女性は落ちるのか? 自分は男だから、薄寒く感じるだけなのだろうか。様々な疑問が渦を巻く中、陽は青年を見上げた。
(目論み通り敵は俺に声をかけてきた……なんで???)
悪食にも程があるのではないか。しっかり相手を見て選んでいるのだろうか。陽の困惑など知る由もなく、青年は柔らかに双眸を細める
「隣に座ってもよろしいでしょうか」
陽は口を開きかけて、咄嗟に口を噤んだ。
(喋ったら男ってバレるかも……)
喋るのを躊躇っていると、青年が控えめに問う。
「あぁ……突然話し掛けたから、驚かせてしまったかな?」
申し訳なさそうに言う青年に、陽は首を横に振ってみせた。実際驚いたわけではない。どう振る舞うべきか悩んでいるだけだ。青年は安堵の息をつき、隣に腰を下ろした。よろしければこちらをどうぞと、グラスをテーブルに置く。
陽はちら、とグラスに視線を落とす。赤とオレンジのグラデーションが美しいドリンクだ。どう見ても甘そうなので、陽は極力飲まないことにした。
「僕はカリオンと申します。君の名前を教えてくれませんか?」
青年が名を聞いてくる。流石に喋らなければ怪しまれる。陽は必死に言い訳を考えて、言葉を捻り出した。
「えっと……陽です。その、つい最近まで風邪を引いていて、声が戻っていなくて」
名乗った直後に後悔する。潜入捜査で本名を名乗る奴がいるか。だが悔やんだところで後の祭りである。
「ハル……素敵な名前ですね。病み上がりなのに、無理にお話させてしまって申し訳ありません」
幸い青年は陽の言葉に疑いを持っていないようだ。
(シキくん、ナイス誤魔化しモグ)
モコは二人を監視し続けている。陽は上手くやっているというのが彼女の評価だ。潜入捜査において、ランダムな行動を取る相手がいる環境ではアドリブ力が求められる。現状、陽は相手の反応に合わせて適切な言動を選べている。
(それにしても二人とも顔がいいから絵になるモグね。相手が簒奪者ってのが良くないモグけど)
青年はあらゆる話術を総動員し、陽を口説き続けているようだ。しかし、陽は押しても靡かない。演技は一切していないのに、その姿は『淑やかなお嬢様』だ。
何も頑なに拒否しているわけではない。どう反応するのが正解か、陽自身も分かっていないのだ。
(だけどこれでいいのモグ。シキくんの初心感と演技抜きで距離を置くような態度が、あの簒奪者とっては癖に刺さりまくりなはずモグ!)
難攻不落な砦ほど落としたくなるものだ。そのうち焦れた青年が、陽を会場から連れ出そうとするだろう。その後こそが逮捕のチャンスだ。
(空間転移の能力持ちか、会場に拠点と繋がる通路があるのか……どちらかモグな?)
転移で連れ去られたとしても、衣装に仕込んだ発信機での追跡が可能である。精神干渉系の√能力への対抗策も万全だ。あのドレスには、精神抵抗や狂気耐性をがっつり盛り込んである。
陽は精神攻撃に弱い傾向がある。依頼での死亡報告と、敵の傾向から導き出した評価だ。
(能力的には問題ないどころか優れてるモグけど、勿体ないモグね……絶対あの月代とかいう変態のせいモグな)
陽が攫われた時のことを思い出してイラッとするが、すぐに思考を任務に戻す。モコは陽とターゲットの動向に注視した。
煮え切らない態度ばかりの陽に、青年は次の一手に出る。
「……ハルさん、顔色が優れないようですね」
「え、そうですか?」
確かに慣れない女装で精神的疲労が凄まじい。顔に出てしまっていただろうか。
(やっぱり俺には難しいんじゃ……)
このままでは青年が諦めて、別の女性に行ってしまうのではないか。それだけはいけない。何とか引き留めなければ。陽は焦る。彼は自分がいかに効果的にターゲットを惹き付けているのかを自覚していなかった。
(どうしよう、色目を使って彼を……色目ってどうやって使うの?)
ぐるぐると混乱する陽を青年はじっと見つめる。青年はエメラルドの瞳をやんわりと窄め、おもむろに陽の手を取った。気遣うような声色で彼は紡ぐ。
「このような場所はあまり慣れていないのでしょうか。よろしければ、もっと静かな場所に移動しませんか?」
陽はハッとした。青年の言葉を聞いて、モコとの会話を思い出したからだ。陽をパーティーから連れ出した後が逮捕のチャンス。会場に向かう間の車内で話した事だ。
「静かな場所なんてあるんですか?」
純粋に気になった。宮殿はどこも賑やかに見える。青年はニコリと笑みを深めた。
「部屋を取ってあります。これでも貴賓客なのですよ」
……陽は脳内に自分の物ではない『力』と『音』を感じる。例えるならば、教会に響く組み鐘の音色だ。光で満たし漂白するような、清らかな音色だ。思えば彼と話し始めた時から、うっすらと聞こえ続けていた。
精神に影響を及ぼす√能力を使われている。だが陽の思考は正常だ。衣装に盛り込まれた加護が彼を守ってくれているのだろう。
(知り合ったばかりで個室に招くとか大胆だなぁ……能力を使ってるからなんだろうけど)
手口はわかった。会話の中で発した『声』に√能力を宿し、相手の精神を支配した上で連れ去っていたのだ。陽に効いていないことに気付かないのは、効きに個人差があるのだろうか。
(とにかく今は能力が効いたと思わせないと)
陽は渾身の演技をしようと決意する。つまり精神支配され魅了されたフリだ。
「……わかりました。部屋まで連れていってください」
至極真面目な表情で言い放つ。……彼に演技は難しいようだ。盗聴器で会話を聞いているモコも、必死な陽を固唾を飲みながら見守る。
(格好以外は普段どおりのシキくんモグね。相手はどう出るモグ?)
青年はソファから立ち上がった。陽は緊張に表情を引き締めて、青年の様子を窺う。青年は笑みを崩さぬまま、陽の腕を優しく引いた。
「それでは向かいましょうか」
どうやら上手く欺けたらしい。騙したというよりほぼ素で接しているだけなのだが、結果オーライだ。モコも心の中で親指をぐっと立てた。
(シキくん、グッジョブモグ! さあ、尾行開始モグね)
陽と青年は賑わうパーティーを抜け出した。長い廊下を歩きながら、陽は周囲へと視線を巡らせる。中庭の傍を通り掛かれば、生垣の陰にぴょこんとモグラの頭が出て、すぐに引っ込んだ。
(あ……モコさんのモグラ部隊だ)
彼女も密かに尾行しているに違いない。モコを信じ、陽は青年と共に廊下を進んだ。しだいに人通りが少なくなる。パーティーの賑わいすら遠く、白に薔薇の金細工が施された扉の前で足を止めた。
「こちらの部屋です。どうぞ中へお入りください」
青年が扉を開けて中に入るよう促す。入った瞬間に襲われる可能性もある。陽は警戒しながらも部屋へと足を踏み入れた。室内をくるりと見渡す。
(……見た目は普通の部屋に見えるけど……)
ソファに、ティーセットや茶菓子が置かれたテーブル。奥には天蓋付きのベッドもある。隣にも部屋があるようだが、扉が閉じられているため何の部屋かは不明だ。
「疲れたでしょう。こちらでお休みになってください」
青年はソファを指し示す。一般客を巻き込む心配はない。今すぐ拘束してしまおうか。一瞬考えるが、モコの合図を待つべきだと思い直す。陽は青年に従うことにした。
青年はティーバッグをカップに入れ、保温ポットから湯を注いだ。
「こちらをどうぞ、僕が気に入っている茶葉なんです。落ち着きますよ……即席で申し訳ないのですが。お菓子もありますので遠慮せずに食べてください」
テーブルに置かれたティースタンドには、マカロンやマドレーヌといった焼き菓子が並べられている。何か仕込まれているかもしれないし、下手に口にするのは危険だ。
「甘い物は苦手なので、紅茶だけ頂きますね」
甘味は理由を付けて断った。実際、甘い物が苦手だ。事実なので演じる必要もない。紅茶については理由が思い付かず断りそびれてしまう。
(……飲むフリでもしておこうかな)
ティーカップにそっと口を付けた。青年の絡み付くような視線を感じる。居心地が悪くなり、陽はカップから唇を離した。
「えっと、どうされました?」
カップをテーブルに置き、訝しげに青年を見つめる。陽の行動に不自然さは無い。しかし、青年はそれに酷く驚いたようであった。
「……あぁ、どうして気付かなかったんだろう」
陽は青年の瞳の奥に鋭い光を捉える。
(まずい、√能力者だって気付かれた……!?)
むしろ男だと気付かれたか。どちらにせよ良くない。大人しく振る舞うのは止めて、問答無用で逮捕するべきか。陽が右掌に炎を纏わせようとした瞬間、青年は感極まったように声を上げた。
「僕の力で靡かない人は初めてだ! きっと運命に違いありません!」
明るく鮮やかな緑の瞳を輝かせる青年に、陽は一瞬だけ思考が停止する。
「は、はい……?」
「ハルさん、貴女は美しく気高い女性だ! 僕は感動しましたっ!」
言っている意味が分からない。理解が追い付かず、陽の頭の中には宇宙が広がった。一般人はともかく、相手が√能力者であれば能力が効かないこともある。青年は自分以外の√能力者に会ったことがないのか? 知識として持っていて当然と思っていただけに、陽は戸惑いを禁じ得ない。
(こ、この人……思考回路が普通の人とは違うのかな……)
世間ではそういった類の人間は『馬鹿』や『世間知らず』、百歩譲っても『変態』と呼ばれている。
「寝言は寝て言えモグ」
それはあまりにも突然に。空間を突き抜けて、|電撃手錠鎖鞭《スタン・チェイン》が青年の頭に直撃した。
「がふっ!?」
青年は吹っ飛ぶ。あまりの衝撃に、ぶつかったベッドの柱がポッキリと折れ曲がった。頭が弱くとも体は丈夫なのか。強烈な奇襲を受けてもなお、青年はむくりと起き上がる。
「なッ、君は確か……」
穴を開けた空間から飛び出し、モコは警察手帳を見せ付けた。
「警察モグ! キミの悪事はすべてお見通しモグよ!」
「警察……!?」
怒りとまでは行かないが、イラッとする。それがモコの青年に対する所感だ。道端で変な生き物を見つけた時の感情にも似ていた。
「連続女性誘拐犯『カリオン・ストレイン』! 逮捕するモグ―!」
ともあれ一般人を巻き込まない場所まで追い詰めたからには逮捕するのみ。じりじりと迫るモコに、青年は焦りを滲ませた。
「くっ……警察の介入なんて聞いてない! ハルさん一緒に逃げよう!?」
なぜか青年は陽を巻き込もうとする。当然陽は首を横に振り、隠し持っていた警察手帳を取り出した。
「お断りします。俺も刑事ですし」
「えっ!?」
「それとまだ勘違いしてるみたいですけど、俺男ですよ?」
もう隠す必要もあるまいと陽は己の正体を明かす。ここまでバレないものなのかという驚きもあるが、正直今は呆れの方が強い。青年は一瞬ぽかんとした後、目を真ん丸に見開いた。
「……ええぇっ!?」
美青年が台無しだ。顔は良くても、それ以外が非常に残念らしい。怖い警察官に囲まれて、青年は借りてきたチワワのようにぷるぷると震えている。彼の様子に、モコが訝しげに眉を寄せた。
「こいつ……もしかして戦闘能力があんまりないタイプの簒奪者モグか?」
女性を口説いて攫う以外に何もできないのか。そのように軟弱な簒奪者がいるものか? 疑問を抱くモコに、陽も首を傾げる。
「どうなんでしょう……でも、油断はできません。早く逮捕しちゃいましょう」
この調子なら、ふわふわのスカートの下に隠し持った払暁を抜く必要もなさそうだが。青年はブツブツと独り言を言っていたが、ふいに覚悟を決めたように顔を上げる。
その瞳は光を当てたエメラルドのように燦然と輝いていた。無駄に綺麗な瞳に、確と陽を捉えている。青年は何らかの√能力を発動させ、瞬く間に陽の目前へと肉薄する。
(攻撃!?)
ずっと青年を見ていたのに、動きを目で追えなかった。|プロジェクトカリギュラ《移動速度4倍》にも似た能力に陽は身構える。
「シキくん!」
モコが陽を守ろうと青年に攻撃しようとする。次の瞬間に青年が言い放った言葉は、二人を凍り付かせた。
「確かに平均女性より体格が良いとは思っていましたが! この際男でも構わない! ハルさんっ僕と結婚を前提にお付き合いを」
「お断りします」
ルートブレイカーを発動させた陽の拳が、間近に迫った青年の顔にめり込んだ。
……普段の陽は刀で斬ることはあっても、拳を直接相手の顔にぶち込むような戦い方はしない。インファイターのようなムーブを決めてしまったのは、刀では殺傷能力があまりにも高過ぎるためだ。そして何よりも、青年の顔があまりにも近過ぎたせいである。
フィジカルつよつよプリンセスの鉄拳を真っ向から受け止めて、青年は再び吹き飛んだ。床にべしゃっと落下し、見事なまでにノックアウト。
「きゅぅ……」
情けない声に√能力を宿せるはずもない。目をぐるぐると回しながら、彼はすっかり伸び上がってしまった。
気絶した青年を、モコが見下ろす。その瞳にはドン引きの色が見えた。
「……この簒奪者、一体何なのモグ……?」
「もしかしたら、『節操』を欠落したがために犯罪行為に走ってしまったのかもしれませんね」
陽は青年を殴った拳を衣装で拭う。まるで汚い物に触れた時のような反応だ。青年に手錠を嵌めながら、モコは陽に視線を送る。
「見掛け倒しというか、残念な簒奪者だったモグね」
実に残念であった。今まで星詠みに予知されたことがないにしても、追い詰められた後の反応がポンコツだった。そして何より頭の中がピンク色であった。陽は冬空のように冷めた瞳で青年を見下ろしている。
「署に連行したら、誘拐した女性について吐いてもらいましょう。この人に攫われた女性たちが可哀想です」
人は時にそれを『ゴミを見るような目』とも表現する。
「……よっぽど気持ちが悪かったのモグね」
陽はこくりと頷いてみせた。そして、同時に思うのだ。本当に、モコさんに囮になってもらわなくて良かったと。
モコが囮になった場合、青年が同じ反応をするかどうかは不明だ。しかし、陽にとって受け入れがたい状況になっていた事は間違いない。
(モコさんを守るためなら、女装だって何だってしてやります……!)
陽の尊厳は、陽にとって紙切れ同然の存在となりつつある。否、自己愛の欠落を思えば、当然の帰結だったのかもしれない。
……後日取り調べの結果、誘拐された女性は彼の拠点に監禁されていることが判明した。命に別状はなく、洗脳を解けば精神状態も戻せる状態であったとか。救われた女性を思えば、討ち捨てられた陽の尊厳も報われることであろう。