その猫の歩むところ 第二話:心地よく地獄めいた場所
●序幕
一九三×年。√妖怪百鬼夜行。
二棟のビルヂングに挟まれた路地裏に二人の男がいた。
初冬だというのに、一人は上半身を露出している。派手な刺青が広範囲に施されているが、背中の部分は見えない。
彼は地に横たわっているのだから。
大の字の姿勢を取っているが、自分の意思でそうしているわけではないだろう。両手首にそれぞれ縄が結びつけられており、その二本の縄は横にピンと張られて、ビルヂングの壁の排水管に引っかけられる形で折れ曲がり、両足首に繋がれている。
もう一人の男は普通に立っていたが、その身なりは普通ではなかった。ゆったりとした外套を纏い、黒い目出し帽で顔を覆い隠し、右手に短剣を持っている。鉤爪のように湾曲した刃の短剣だ。
目出し帽の男は腰を屈めると、刺青の男に顔を近付け、なにごとかを囁いた。
それに応じるかのように刺青の男が声を発したが――
「う゛え゛! う゛あ゛あ゛あ゛っ!」
――言葉になっていない。
なるわけがない。
猿轡を噛まされているのだから。
「……」
目出し帽の男は無言で頷いた。
そして、刺青の男の喉笛に短剣の切っ先を突き入れ、下腹部に向かって一直線に走らせた。
|〈魚〉《インビジブル》の群れが目蓋のない目で見守る中、刺青の男は苦悶の果てに絶命した。
目出し帽の男は、革の手袋に包まれた指先で死体の血を掬い取り、ビルヂングの壁に一文を記した。
『我ガ餌食ハ奸物ノミ』
●第一幕
「特高課特捜班でーす。通りまーす」
制服警官が張り巡らせた結界用の縄を跨ぎ超えて、被毛たっぷりの二本の尻尾を有したメインクーンの猫又――|柳沢《やなぎさわ》・キャラメルは路地裏の奥へと進んだ。
その後に続く者たちも特捜班のメンバーだ。矢立の付喪神の|源間《げんま》、河童の|伊庭《いば》、九尾狐の|深俣《ふかまた》、人に化けたモンゴリアンデスワームのダッタ、そして、班長である|件《くだん》の|白澤《しらさわ》・|慧雄《けいゆう》。
空気を読むということを知らない深俣は赤絨毯を歩くスタアさながらに笑顔を振りまいているが、他の面々の表情は厳しい。彼らにとって……いや、警察全体にとって、この事件現場は不名誉なものだった。自分たちが無力であることの証拠だった。
発見された死体は、世直し妖怪の被害者と目されているのだから。
世直し妖怪による犯行はこれで五件目。『|八百万朝報《やおよろずちょうほう》』を始めとするマスコミは今まで以上にセンセーショナルに報じ、世直し妖怪を義賊を見做している市民たちは大いに盛り上がり、そして、無能な警察の無能振りを嗤うことだろう。
(だが、六件目はないぞ。絶対に捕まえてやる)
そう誓いながら、力強い足取りで歩いていたキャラメルだが――
「帰れ」
――ハンチングを被った中年の男が行く手を塞いだ。短躯ながらも体格はがっしりしており、目つきが非情に鋭い。
××県警察部(現在で言う県警本部)刑事課の|花村《はなむら》・|平次《へいじ》である。
刑事課に限らず、他の部署と特捜班との間に摩擦が生じるのは珍しいことではない。摩擦の原因は様々だ。縄張りの主張、信条の相違、派閥の踏み絵、エリヰトへの妬み、妖怪に対する憎悪や恐怖……などなど。この花村も過去に何度か挑発的な態度を取ってきた。しかし、ここまで苛烈な言葉をぶつけてきたのは初めてだ。
「なんやて?」
伊庭がキャラメルを押しのけて前に進み、嘴でつつかんばかりに花村に顔を近付けた。
「よぉ聞こえんかったなー。もっかい言うてくれへん?」
「帰れ」
「さいでっか。ほな、さいならー……って、帰るわけないやろ、ボケッ! さっさと|退《ど》けや!」
「これはおまえらの|事件《ヤマ》じゃない」
「おぉン?!?」
怒りに目を剥く伊庭。
しかし、その嘴から罵声が飛び出る先に白澤が口を開いた。
「俺たちの事件かどうか決めるのは俺たち自身だ」
穏やかでありながらも、抗い難い力を有した声。
花村は鋭い目を更に鋭いものに変えて、白澤を睨みつけたが――
「……」
――なにも言わずに道を開けた。
「けっ!」
と、吐き捨てて、伊庭が花村の横を通り過ぎた。
キャラメルたちも後に続き、死体と対面した。
そして、花村の言葉が正しかったことを知った。
「あははー。確かに俺たちの事件じゃないね」
深俣が笑った。
今までの被害者がそうであったように、その死体も喉元から下腹部にかけて一条の傷が走っていた。傍の壁に『我ガ餌食ハ奸物ノミ』という血文字が残されているという点も同じ。
しかし、他に共通項はなかった。無惨に抉られた臓物が死体の傷口から露出しているが、世直し妖怪はそんな真似はしない。腹腔がほぼ|空《から》になるまで臓物を貪り食らうのが奴の手口なのだ。
「世直し野郎、今回はめっちゃ食い残してるやん。健康のために減量でも始めたんかな?」
伊庭が軽口を叩くと、花村がすかさず否定した。
「違う。これは雑な模倣犯の仕業だ」
「んなこたぁ、判っとるわ! 刑事課のアホは諧謔っちゅうもんが理解できへんのか!」
「つまらん諧謔を弄している暇があったら、さっさと世直し妖怪を捕まえろ。特捜班がいつまでたっても事件を解決できないから、模倣犯なんぞが現れるんだ」
「なんやと、ゴルァーッ!?」
殴りかからんばかりに息巻く伊庭であったが――
「落ち着いてください」
――キャラメルが押し止めた。この手の役割はいつも彼に振られる。ダッタは無視を決め込み、源間は〈魚〉と交信し、深俣はにこにこと笑うばかり。
「ハナさんも自重してくださいよぉ」
刑事課の若者が花村の袖を引っ張った。彼もまた短気な先輩の制止役ばかり任されているのかもしれない。キャラメルはシンパシーを覚えずにはいられなかった。
「まあ、とにかく――」
臼を挽く音を思わせる声でダッタが言った。
「――世直し妖怪の仕業ではないと考えてよさそうだな」
「『我ガ餌食ハ奸物ノミ』の筆跡も違いますね」
鼻息を荒くしている伊庭を押し止め続けながら、キャラメルは壁の血文字に目を向けた。
「随分とヘタクソな字だ。人のことは言えないけど……」
「本家に劣るのは字だけじゃないらしい」
と、源間が言った。
「今回の犯人は〈魚〉を始末する術を知らないようだ」
「え? じゃあ、ここいらに漂っている〈魚〉たちは……」
宙を泳ぐ〈魚〉たちをキャラメルは見回した。
「うむ」
源間も同じように〈魚〉たちを見回した。
「こいつらは犯人の姿を見ている」
●第二幕
××県警察部の第二会議室。
特捜班の実質的な執務室となっているその場所で、キャラメルたちは円卓を囲んでいた。
「犯人は目出し帽で顔を隠していた。大きめの服を着込んでいたので、痩せているのか太っているのか中肉なのかは判らないが、かなり上背があることだけは間違いない」
〈魚〉たちから聞き出した情報を源間が皆に伝えた。
「でも、背格好は当てにならないよね。|化術《ばけじゅつ》でいくらでも変えられるんだから。こんな具合にさ」
深俣が自身の姿をキャラメルのそれに変化させた。瓜二つである。ただし、尻尾の数は九本。
本体よりも尻尾のほうが目立つその姿に吹き出しそうになったキャラメルだが、なんとか堪えて意見を述べた。
「化術が使えるのなら、わざわざ顔を隠したりしないでしょう」
「甘い、甘い。『この犯人は化術が使えない』という間違った認識を与えるため、あえて顔を隠しているのかもしれないよ。実際、俺が誰かを|殺《や》るとしたら、他者に化けた上で顔を隠すね」
「少し気になることがある。〈魚〉たちが言うには――」
と、源間がマイペースで報告を続けた。
「――ガイシャに手をかける前、犯人は小声でなにかを語って聞かせていたそうだ」
「そんなもん、気にするほどのことやないやろ」
伊庭は興味なさげな顔をしていた。
「『くたばれ』だの『ざまあみろ』だの『地獄に落ちろ』だのといった悪態をついただけやって」
「悪態じゃなくて質問だったとは考えられませんか?」
耳をピンと立てて、キャラメルがそう言った。
「実は殺人はついでのことで、本当の目的はガイシャからなにかを聞き出すことだったのかもしれません」
「アホか! なんか喋らせるのが目的やったとしたら、相手に猿轡を噛ませるわけないやろ!」
「あ? そういえば、そうでしたね……」
しょんぼりと耳を伏せるキャラメル。
しかし、すぐに気を取り直し、源間に続いて報告を始めた。
「ガイシャの身元が判明しました……というか、最初から判明してました。|御手洗《みたらい》・|桃太郎《ももたろう》。人間。二十八歳。小規模な回漕問屋の主です」
「ん? ミタライモモタロー?」
伊庭が目を瞬かせた。
「なんか聞き覚えがあるわ」
「名前だけじゃなくて、顔にも見覚えがあるはずですよ」
「あっ!? 思い出したー! こいつ、勅使河原のところの番頭やんけ!」
|勅使河原《てしがわら》・|鉄蔵《てつぞう》は、世直し妖怪による三人目の被害者である。回漕問屋を営みつつ、裏では様々な悪事を重ねていたという。
勅使河原が殺害されたのは半月ほど前。その際、特捜班は番頭の御手洗を重要参考人として事情聴取したが、有益な情報は得られなかったし、怪しい点も見つからなかった。
「勅使河原の死後、その表の事業も裏の稼業も御手洗が引き継ぎました。しかし、勅使河原の後釜を狙っていた部下は他にもいたので、色々とゴタゴタがあったようです。私見ですが、今回の事件もそのゴタゴタ絡みという線が濃いですね」
「ふむ」
と、白澤が頷いた。
「では、あとは刑事課に任せて、俺たちは世直し妖怪の捜査に戻ろう」
「はいっ!」
凛然たる声で答えるキャラメル。
しかし、他の四人は無反応。白澤の話が終わっていないと思っているのだろう。
実際、終わっていなかった。
「ネコよ。おまえは刑事課に出向し、御手洗殺しの捜査に協力しろ」
「……え? 今、刑事課に任せるって言ったじゃないですかー!?」
「任せるが、丸投げはしない。ガイシャが世直し妖怪の事件の関係者となれば、新たな情報が出てくる可能性もあるし、特捜班を嫌ってる刑事課の連中がその情報を隠匿する可能性もある。だから、協力者という名の監視者が必要なんだ」
「どうして、俺なんですか? 下っ端だからですか?」
「いや、消去法だ。主力たる源間を外すわけにはいかない。ダッタは人間たちに恐れられている。深俣は協調性皆無。伊庭は論外。となれば、おまえしかいないだろう」
「論外とか、聞き捨てなりませんわー!」
伊庭が飛び跳ねるように立ち上がり、白澤に詰め寄った。
「ネコなんかよりもワイのほうが有能ですやーん!」
「じゃあ、ネコの代わりにおまえが行くか?」
「……」
伊庭は返事をする代わりに回れ右して、今度はキャラメルに近付いた。
「頑張ってこい! 揉まれてこい! 一回りも二回りも大きくなって帰ってくるんやぞー!」
そして、おどろおどろしい声で付け加えた。
「エエか? あの花村とかいうボケには絶対に舐められんなよ?」
●第三幕
翌日。
キャラメルは乗合バスに揺られていた。
座席はいくつも空いているが、吊り革を握って立っている。『そこで立ってろ』と厳命されたからだ。
すぐ傍の座席でふんぞり返っている花村に。
ここまでの展開は疾風怒濤であった。朝一番に刑事課に顔を出したところ、花村にいきなり『刑事課に来ている間は俺と組むんだ』と言われ、引きずられるようにして警察署の前のバス亭まで連れていかれ、蹴り飛ばされるようにしてバスに乗せられた。伊庭が知ったら、『初日から舐められっぱなしやないかーい!』と激怒するだろう。
三箇所目のバス停を過ぎた時、キャラメルは思い切って花村に尋ねた。
「あの……いったい、どこに行くんですか?」
「これがなんだか判るか?」
答えの代わりに質問が返ってきた。
『これ』とは、花村が手にしている種類の束だ。席に座った時からずっと彼は『これ』に目を通していた。車酔いしない体質らしい。
「なにかの資料ですか?」
「そう。世直し妖怪の三件目の事件――勅使河原殺しの重要参考人の資料だ。おまえのところのクソ班長が貸してくれた」
「班長が?」
「おまえみたいなクソ猫を寄越してきたのは有り難迷惑だが、この資料のほうは普通に有り難い。できれば、普段からこんな具合に気を使ってほしいもんだな」
「言っておきますが、特捜班は情報の秘匿も独占もしてませんよ。手続きを踏んで申請していただければ、いくらでも提供します」
さも心外といった顔をするキャラメル。
だが、その顔を花村は見ていない。鋭い眼差しは書類に向けられている。
「勅使河原の回漕問屋の構成員は本人を含めて十四人だった。うち一人が番頭の御手洗だから、生き残っているのは十二人。まずはそいつらに当たってみる。俺とおまえが当たる相手は|小寺《こてら》・|勘六《かんろく》と|灰郎《はいろう》だ。これから行く場所に小寺がいる」
小寺は釣り針の付喪神。二十七歳。勅使河原の乾分の中では古株だが、重用はされていなかったらしい。
灰郎(姓はない)は人妖の|野馬《のうま》。十九歳。一年ほど前に勅使河原の元に転がり込んだ新参である。
勅使河原が殺害された際、両者ともに事情聴取を受けている。聴取を担当したのは深俣とダッタだ。御手洗の時と同様、有益な情報は得られず、怪しい点も見つからなかった。
「小寺の聴取録について、ちょっと気になることがあるんだが――」
花村が書類の表面を指で弾いた。
「――種族欄の横に『種族詐称の疑いあり』と書いてある。これはどういう意味だ?」
「自身の本体である釣り針を小寺は携帯していたんですが、その扱い方がちょっとぞんざいに見えたそうです」
「なぜ、種族を偽る必要がある?」
「……さあ?」
「ふん!」
花村は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、資料から目を離してキャラメルを見上げた。
「考えてみれば、小寺に限ったことじゃないよな。妖怪どもは化けるのが得意なんだから。おまえだって、猫又かどうか知れたもんじゃない」
「花村さんは妖怪がお嫌いのようですね」
「嫌いだ。大嫌いだ。だから、妖怪しか所属できない特高も嫌いだ」
花村の視線はキャラメルの腰の辺りに下がった。ベルトに吊るされた特高サーベルを睨みつけているのだ。
「けっ! エリヰト専用のヤットーをこれ見よがしにチャラつかせやがって……」
「これ見よがしという意図があるなら、抜き身で持ち歩いてますよ」
悪態に冗談を返した後、キャラメルは問いかけた。
「妖怪が嫌いなくせして、どうして俺と組んだんですか?」
「組みたくて組んだわけじゃない。あのクソ班長が資料を渡すついでに頼みやがったんだよ。『うちの青二才を教育してやってくれ』ってな」
「……え?」
当惑の声が出た直後、バスが停止した。
◆
運輸の主力の座が鉄道や自動車に移って久しいが、××県の県都最大の河川港である|鷺尾《さぎお》港はいまだに盛況であり、ひっきりなしに回漕船が行き来している。
その区画にある倉庫街。赤煉瓦で作られた年季の入った貸倉庫の前で、キャラメルと花村は小寺と対峙していた。
「ようするに、おまえにはアリバイがないってことだな」
花村が確認すると、釣り針の付喪神を自称する男は慌てて首を左右に振った。
「いやいや! ないわけじゃねえ。|鴨野《かもの》通りで飲み屋をハシゴしてたからな。店の|者《もん》なり他の客なりが俺のことを覚えてるかもしれねえよ」
「店の名前をすべて言え。ハシゴした順にな」
「めんどくせえなぁ、もう……」
こぼしつつも、小寺は店名を挙げ始めた。
その様子をじっと見つめるキャラメル。
小寺は長身だった。キャラメルに勝るとも劣らない。だが、屈強というわけではない。手足はそれこそ釣り針のように細く、顔は青白い。膨張に至る前の水死体を思わせる。
小寺が店名を挙げ終えたところで、花村はまた確認した。
「この貸倉庫の名義はおまえだな?」
「そうだよ。もとは大将のものだったんだが、世直し妖怪に殺されちまった後になんやかやがあって、俺の手に渡ったんだ。黒寄りの灰色な渡り方だったけども、そこんところは見逃してくれや。どうせ、そういうのはおまえらの管轄じゃねえんだろう?」
『大将』というのは、勅使河原のことだろう。
「つまり、勅使河原が世直し妖怪に殺されたことによって、おまえは一国一城の主になれたわけだ。世直し妖怪サマサマだな」
「バカ言っちゃいけねえ。こんなボロ倉庫、一国でも一城でもねえわ。大将の下にいた時のほうがなんぼか楽だったよ」
「御手洗はそうでもなかったようだな」
「ああ。大将が死んで一番得をしたのは御手洗だろうな。噂によると、大将が築いた販路を利用して黒豆の密売を始めるつもりだったらしいぜ」
「……黒豆?」
と、キャラメルが聞き返した。
「サツのくせに知らねえのかよ? ここいらの裏社会だけで通じる隠語だ。銃のことを『豆』と呼ぶんだが、人間界で仕入れた最新型は『黒豆』ってんだ。ボーチャードみてえな時代遅れの代物じゃないから、高く売れるらしい」
語っている小寺も聞いているキャラメルもこの時点では知るわけもない(知ったとしても信じないだろう)が、『時代遅れの代物』のボーチャードピストルは百年弱後の√妖怪百鬼夜行でも現役であり続けている。
「うーん」
キャラメルは首を傾げて唸った。
「銃なんかに需要があるとは思えないけどな。ギャング物のキネマみたいにそこいらじゅうでドンパチが繰り広げられているわけじゃあるまいし……」
「俺の話を聞いてなかったのか? 『大将が築いた販路を利用して』って言っただろうがよ。つまり、今は亡き大将の手で既に需要の礎は作られているってことさ。もしかしたら、おまえらの身近にも需要があるかもなぁ」
「なにが言いたい?」
キャラメルは小寺を睨みつけた。猫特有の縦長の瞳孔が静かな怒りによって膨らんでいる。
「おっと! そんなに怖い顔すんなって。冗談だ、冗談。だけども、大将が死んで御手洗が得をしたってことだけは本当だ。案外、御手洗が世直し妖怪を雇って、大将を始末したのかもしれねえぜ」
「そして、おまえが世直し妖怪を真似て、御手洗を始末したのかもしれないな」
と、花村が揺さぶりをかけた。
しかし、小寺は動じる様子を見せず――
「そんなわけねえだろ。くひひひひっ!」
――不愉快な声で笑ってみせた。
◆
「小寺は……クロですかね?」
「クロとは断定できないが、容疑者目録の一番上に置いといていいだろうな」
乗合バスの中。往路の時と同じく、キャラメルは立ち、花村は座っている。
「確固たるアリバイ、なし。ガイシャへの悪感情、あり。警察への態度、最悪。今すぐにでもしょっぴきたいところですが、どうにも決定打に欠けますね」
「小寺が本当にクロだとしたら、いずれ自分で決定打を出すだろうよ」
「どういう意味ですか?」
「奴はバカだ」
と、花村は静かに断じた。そう、静かに。その声には、小寺というチンピラに対する侮蔑も嫌悪も含まれていない。公平かつ冷徹な教師のように正当な評価を下しただけ。
「相手を見下し、調子に乗って、訊かれてもいないことをベラベラと喋り散らす……ああいう手合いは、ちょっと突っつかれただけでボロを出してしまうもんだ。突っつかれる前に自滅することもある」
「自滅するまで待つ構えですか?」
「いや、まずは鴨野通りで奴のアリバイを確認する。そこでシロと出なければ、徹底的に突っついてやろう」
「だけど――」
キャラメルは表情を曇らせた。
「――小寺のほうも嫌な突っつきかたをしてきましたよね」
「なんのことだ?」
「俺たちの身近に黒豆の需要があるとかいう話ですよ。あれってつまり、警察関係者が密輸品の銃を購入しているってことですよね」
「べつに珍しい話でもない。おまえんとこのクソ河童だって、官給品じゃない鉄砲を何丁もぶら下げてるだろう」
「伊庭先輩は銃の取引なんかしてませんよ。押収品を私物化しているだけです」
「どのみち、違法じゃねえか」
「どのみち、違法ですよねー」
虚無的な表情で頷いた後、キャラメルは改めて尋ねた。
「なぜ、警察関係者が密輸品の銃器を購入しているんですか?」
「買い手は警察に限ったことじゃないし、商品も鉄砲に限ったことじゃない。他の地方はどうだか知らないが、この県都ではいろんな奴がいろんな物を人間界からの密輸で賄っているんだ。|百鬼夜行《デモクラシィ》からこっち、時代の流れは早く激しくなり、人口も増える一方だが、生産力がそれに追いつけずにいるからな。まあ、必要悪ってやつだ」
「『必要』の字は不要ですね。ただの『悪』じゃないですか」
「そういう考え方をする警察官は今や絶滅危惧種だな」
目つきの鋭さだけはそのままに花村は嘆かわしげな顔をした。
彼もまた絶滅危惧種なのだろう。
「いつの頃からか『警官』と『汚職警官』はほぼ同義語になっちまった。清濁併せ呑む振りして濁った水だけをガブガブ呑みまくり、上司にへつらい、悪人と|遊牝《つる》み、弱者を見捨て、名刺代わりに賄賂をやり取りして……そんな輩ばっかりが幅を利かせてやがる」
「『そんな輩』の中に有能な人材がいたりするのがまた厄介なんですよね」
「まったくだ。聞いたところによると、汚職警官の中でもとくに能力が優れた奴は、誰かから賄賂を受け取ることで奇妙な技が使えるらしい。世も末だぜ」
√能力『贈賄コンビネーション』のことを言っているのだろう。
花村はキャラメルをギロリとねめつけた。
「おまえも絶滅危惧種のクソ真面目警官とはいえ、特捜のエリヰト妖怪サマなんだから、その賄賂の技を使えるんじゃないか?」
「使えたとしても、使う機会がありませんよ。俺なんかに賄賂を渡すようなバカがいると思いますか?」
「……思わん」
呟くように答えて、花村は手元の書類に視線を落とした。
そこに記されているのは灰郎の資料。
往路の車中では『灰郎に当たる』と言ったが、灰郎と直に話すわけではない。そもそも、話すことができない。御手洗が殺害される数日前から行方不明になっているからだ。現段階では事件性の有無は判らない。
「勅使河原の死後、灰郎は御手洗の下で働いていたようです。もっとも、ただの雑用係であり、御手洗の事業に深く関わっていたわけではなさそうですね」
「種族欄に『人妖の野馬』とあるが、このノウマってのはなんだ?」
「俺もよく知りません。単眼だとか、馬だか狼の姿をしているとか、いろんな説があるようですが……」
「しかし、普通の人間にしか見えないぞ。目は二つあるし、馬の要素も狼の要素もないじゃないか」
書類には灰郎の写真も添付されていた。勅使河原殺しの事件の聴取の際に撮られたものである。花村が言う通り、そこに映っているのはごく普通の人間の青年だった。しかし、化術を使用していないかどうかを厳重にチェックした上で撮影されたので、それが本当の姿であるはずだ。
「妖怪的な特徴の少ない人妖なのかもしれませんね」
「ふむ。まあ、見た目はどうであれ、妖怪だってことは間違いないだろうな。|あの村《﹅﹅﹅》の生まれなんだから」
灰郎の聴取録の出生地欄に記されている地名は、このバスの行き先のそれと同じだった。
|神追《かむお》村。
旧称はカムヲの里。
●第四幕
「はいはいはい」
十徳ともガウンとも知れぬ珍妙な衣服を着た大柄な天狗が何度も頷いた。顔が上下するのに合わせて長い鼻が跳ねる様は滑稽だが、妙な迫力がある。
「確かに灰郎はこのカムヲの……もとい、神追村の生まれですよ」
天狗の名は|黛《まゆずみ》・|紋左衛門《もんざえもん》。神追村の村長である。
彼の前にはキャラメルと花村がいた。この客間に至るまでの道程は実に複雑怪奇なものだった。なぜなら、村長宅が奇妙建築だから。廊下を曲がった回数は十を超えているし、案内してくれた使用人でさえ、何度か道に迷いかけた。
「灰郎に家族はいないそうですね?」
籐椅子に座布団を張り付けたようなソファーの座り心地の悪さに閉口しつつ、キャラメルは確認した。
「はいはいはい」
村長はまた何度も頷いた。
「灰郎の両親はね、あいつが生まれてすぐに亡くなったんですわ。だもんで、村の衆が全員で灰郎の面倒を見とったんですよ。しかし、五年ほど前、後足で砂をかけるようにして村を出ていってしまいました」
「五年前というと……灰郎が十四くらいの頃ですね」
「はいはいはい。以来、灰郎が帰ってきたことはありません。便りを寄越したこともありません。なにやら、町のほうで愚連隊まがいのことをしとると風の噂で聞いたことはありますが……」
「これが現在の灰郎の姿です」
キャラメルはポケットから灰郎の写真を取り出し、雲形定規のような形のテーブルの上に置いた。
「もし、奴が神追村に姿を現したら、警察に連絡してください」
「はいはいはい」
鼻でぶんぶんと風を切りながら、村長は写真を手に取った。
そして、不安げに尋ねた。
「しかし……灰郎はいったいなにをしでかしたんですか?」
「なにかしでかしたと決まったわけではありません」
キャラメルはそう答えることしかできなかった。
◆
村長宅を辞して(外に出るのもまた一苦労だった)、村で唯一のバス停へと向かう途中――
「胡散臭い村だ。気に食わないぜ」
――村長とは一切口をきかなかった花村が久々に言葉を発した。
「はあ? どこが胡散臭いっていうんですか?」
と、否定的な調子で問いかけたキャラメルであったが、彼もまた神追村に対して警戒心のようなものを抱いていた。いつぞやの白澤の言動を覚えているからだ。白澤は強い調子で義子に言った。『とにかく、あの村には近付くな』と……。
とはいえ、キャラメルの警戒心はそれほど大きなものではない。実際に訪れてみて判ったことだが、神追村はとても気持ちのいい場所だった。道行く村人(すべて妖怪だ)たちは皆、余所者である二人の刑事に不審の目も向けず、無礼な言葉も投げず、にっこりと笑いかけてくる。
しかし、花村は誰にも笑顔を返さなかった。
「逆にどこが胡散臭くないってんだよ? この村は妖怪が多すぎる。人間の数はたったの三人。しかも、そいつらは数年前に駐在所に赴任した警官とその家族だから、いずれまた別の土地へと移るだろう」
「地方の集落ではよくある話でしょう」
「確かによくある話だが、この村の場合は極端すぎる。『住人』という言葉を『根を下ろして暮らしている者』と定義するなら、ここには人間の住人は一人もいないってことだ」
「でも、閉鎖的とか排他的とかいった印象は受けませんよ。いい|妖怪《ひと》ばかりじゃないですか」
キャラメルがそう言ってる間にも、頭の大きな幽鬼のような妖怪が傍を通りかかり、笑顔で二人に会釈した。
キャラメルも笑顔を返したが、花村は仏頂面だ。その妖怪が遠くに離れるまで待ってから、苦々しげな声を出した。
「閉鎖的でも排他的でもないから、逆に怪しいんだろうが。外向けの良い顔を繕っているとしか思えん」
「ハナさんって、ひねくれてますよねえ」
「刑事という稼業はひねくれ者にしか務まらないんだよ。あと、俺を『ハナさん』と呼ぶな。二度と呼ぶな。そう呼んでいいのは人間だけだ」
「はいはい。以後、気をつけまーす」
花村が向けてくる悪意をキャラメルは軽く受け流した。意地の悪い者の相手をするのは慣れている。主に伊庭のおかげだ。
「この村が胡散臭いかどうかはさておき、今回の事件と無関係ということだけは間違いないでしょうね。灰郎はずっと帰ってきてないんですから」
「そもそも、御手洗殺しに灰郎が関わっているかどうかも判らないしな。とはいえ、あの村長が本当のことを語っているとは限らないぞ。実は裏で灰郎を匿っているかもしれない」
「村全体だけじゃなくて、村長個人のことも胡散臭いと思ってるんですか?」
「胡散臭いどころじゃない。事前に役所で調べたが、村長は二百歳を超えている」
「それがどうしました?」
「判らんのか? |百鬼夜行《デモクラシィ》が起きる前――人間が妖怪の餌でしかなかった時代を奴は百何十年も生きてきたってことだよ」
「……」
「人間界でのほほんと暮らしていた子猫ちゃんにはピンと来ないだろうが、この世界はかつて地獄だったんだ。そして、『かつて』というのは遠い昔のことじゃない。いいか? 年寄りの妖怪を見たら、人間の肉の味を覚えた狂獣だと思え。殺しの快感を知った兇賊だと思え」
会話はそこで途切れた。
重苦しい空気の中、無言で歩き続ける二人。
しかし、数メートルと進まぬうちにその空気は――
「キャラァーッ!」
――後方から飛んできた陽気な声によって雲散霧消した。
振り返る間もあらばこそ、二人の間を一陣の風が吹き抜けた。
いや、それは風ではなく、赤い自転車だった。
駆っているのは白澤の義子にして郵便配達員のアラタだ。
「よっと!」
アラタは自転車を横滑りさせて、二人の前方で急停止した。
そして、改めてキャラメルを見やった。
「やっぱり、キャラだー。特徴てんこもりの後ろ姿だから、一目で判ったよ。あれ? ハナさんまでいるじゃない」
「よお」
と、花村が片手を上げて挨拶した。仏頂面は崩していないが、声は僅かに明るくなっている。
「なんで、ハナさんとキャラが一緒に歩いてんの?」
「おまえのクソ親父のクソ特捜班がこのクソ猫を押しつけてきたんだよ」
「まぁーた憎まれ口を叩いちゃって。あいかわらずだねえ」
ぽかんとした顔で二人のやり取りを聞いていたキャラメルだが、そこで我に返り、アラタに問いかけた。
「おまえ……花村さんと知り合いだったのか?」
「うん。郵便屋さんの顔の広さに震撼せよー」
「震撼した、震撼した。その顔の広さに頼らせてもらおうかな。ちょっと、これを見てくれ」
キャラメルが取り出したのは灰郎の写真だ。
「この界隈でこいつを見かけたことはあるか?」
「んー?」
アラタは自転車に跨がったままの状態で地面を何度か蹴り、キャラメルまでの距離を縮めて、写真を覗き込んだ。
「いや、この界隈どころか、町のほうでも見かけたことはないなあ」
「そうか。もし、どこかで見かけたら、俺か花村さんに教えてくれ」
アラタに写真を見せたのは念のためであり、なにも期待はしていない。そもそも、花村と違って、キャラメルは村長の言葉を疑ってはいなかった。
「ところで――」
キャラメルは話題を変えた。それに合わせて、目つきも変えた。おっとり系の兄を見守るしっかり系の弟の目つき。
「――なぜ、おまえはここにいるんだ? 『神追村には近付くな』と班長に言われただろう?」
「この地区の担当者がまた病欠しちゃったから、代わってあげたんだよ。父ちゃんには黙っててね? ね? ね? ねー?」
拝むように両手を合わせ、上目遣いで見上げるアラタ。キャラメルとしては苦笑するしかない。
だが、花村は笑わなかった。
「おまえのクソ親父の言うとおりだ。この村には近付かないほうがいい」
「どうして? ここに住んでいるのは、気の良い妖怪ばっかりなのにー」
「気の良い奴だと思わせるのが妖怪どもの手なんだよ。無邪気に信用していると、手痛い目にあうぞ」
「ハナさんってば、本当に妖怪が嫌いなんだね。この分だと、キャラへの風当たりもキツそう」
「ああ、キツいよ」
苦笑を浮かべたまま、キャラメルは頷いた。
「とはいえ、伊庭先輩の嫌味に比べれば、そよ風みたいなものさ」
「キャラが猫又だから、手加減してくれているのかもしれないよ。ハナさん、こう見えて猫が大好きだしね」
「よ、余計なことを言ってんじゃねえよっ!」
花村が顔を真っ赤にして怒鳴り散らすと、アラタは子供のようにけらけらと笑った。
●第五幕
翌日。
キャラメルと花村は小寺の貸倉庫にまた訪れていた。
倉庫正面の大きな引き戸は半分ほど開かれている。二人は顔を見合わせて小さく頷き合った後、その中に足を踏み入れた。
「また来たのかよ……」
積み上げられた木箱の前で帳面になにかをしたためていた小寺が二人のほうを向き、露骨に顔をしかめた。
「ああ、また来たよ」
花村はずかずかと歩を進め、小寺のすぐ前で立ち止まった。
「随分と沢山の荷物を預かってるな」
「おかげさんでね。言っとくが、中身は密輸品でも禁制品でもないぜ。なんなら、一つ一つ開けて確かめてみるか?」
「令状がないから、次の機会にしておこう」
「じゃあ、なにしに来たんだよ?」
「色々と聞きたいことがある。昨夜、おまえの挙げた飲み屋をすべて回ってみたが、アリバイが確認できなかったんでな」
小寺とやり取りしている花村をその場に残し、キャラメルは倉庫の奥へと進んだ。
木箱の山は倉庫内の左右に三つずつ設けられていた。三つの山の間には狭い空間があり、倉庫を貫く太い道の両側からそれぞれ二本の支道が伸びているような形になっている。
四本の支道や木箱の陰に人が隠れていないかどうかを確認しながら、キャラメルは倉庫の突き当たりまで行き、そこで振り返った。花村と話し続けている小寺の後ろ姿をじっと見入る。人の有無をチェックしたのも、こうして小寺の背後を取ったのも、荒事を予期してのことではない。刑事の習性のようなもの。
裏社会の住人である小寺も同じような習性を持ち合わせているはずだが、無防備に背中をさらしている。その後ろ姿からは余裕が感じられた。おまえなんて、いつでも殺せるぜ――そんな余裕だ。
キャラメルはゆっくりと前進した。足音を殺している(猫ゆえに静かに歩くのは得意だ)が、不意打ちを企んでいるわけではない。ただ、確かめたくなったのだ。尊大な余裕に見合うだけの力を小寺が持っているのかどうか。
サーベルの間合いに達したところで足を止めた。
小寺は無反応。隙だらけに見えるが、隙がないようにも思える。
その背中に斬りつける様をキャラメルはイメージしてみた。
途端に全身の毛が逆立った。
隙だらけに見えた/隙がないように思えた小寺の背中から殺気が伝わってきたのだ。
キャラメルのほうは殺気を発したつもりはないし、実際にサーベルを抜いたわけでもない。相手に斬りつける動作を思い描いただけ。だが、小寺はそれを感知したらしい。背中に目でも付いているかのように。
あるいは、キャラメルの心を読んだかのように。
突然、キャラメルの脳裏で伊庭の言葉が閃いた。
『アホか! なんか喋らせるのが目的やったとしたら、相手に猿轡を噛ませるわけないやろ!』
そして、短い名前が思い浮かんだ。
有名な妖怪の名前だ。
「花村さん!」
キャラメルは思わず叫んだ。
「そいつはサトリです!」
◆
キャラメルが小寺の正体に気付いた瞬間、小寺もまた正体に気付かれたことに気付いた。他者の心を読めるサトリならば、当然のこと。
「そいつはサトリです!」
と、キャラメルが警告を発する半秒前に小寺は行動を起こしていた。
帳面を手放し、空いた右手を懐中に突っ込み、すぐにまた外に出す。
鉤爪型の短剣とともに。
そう、御手洗の体を引き裂いた凶器とともに。
その数挙動に要した時間は一秒にも満たない。床に帳面が落ちると同時に短剣の刃が一閃した。
だが、花村は無傷。瞬時に飛び退り、紙一重で躱している。突然の出来事に混乱しながらも、身体が危機に反応したらしい。伊達に場数は踏んでいない。
花村は相手と同じように懐中から武器を取り出した。『時代遅れの代物』呼ばわりされたボーチャードピストルだ。
小寺は拳銃の出現に怯むことなく踏み込み、花村の右手首の辺りに斬撃を見舞った。
「……っ!?」
花村の口から苦鳴が漏れ、右前腕部で鮮血が散り、ボーチャードピストルが床に落ちた。
小寺は更に踏み込み、花村の喉を斬り裂こうとした……が、できなかった。サーベルを手にしたキャラメルが背後から襲ってきたからだ。
独楽のように旋回してサーベルを躱しつつ、キャラメルの横をすり抜け、背後を取り返す。
キャラメルもまた素早く反応し、振り向きざまにサーベルを払った。
その横薙ぎの一太刀を小寺は短剣で受け流した。いとも簡単に。
間髪容れず、キャラメルがまた斬りつけてきた。
今度も簡単に受け流すことができた。
サーベルは止まらない。切っ先が突き出された。
受け流すまでもなかった。軽く身を捻るだけで躱せた。
「なかなか鋭い太刀筋じゃねえか」
間断なく襲い来る白刃を悠々と受け流し、あるいは躱しながら、小寺はキャラメルに語りかけた。
「だけども、サトリの俺には通じねえよ。どんな攻撃だろうと、先読みできるんだからな」
「今、俺が考えてることも――」
キャラメルはサーベルを繰り出すのをやめると、後退して距離を取った。
「――お見通しなんだろうな」
「もちろん。悪くねえ手だが、必勝法には程遠いぜ」
「必敗でなければ、それで充分さ」
キャラメルはサーベルを左手だけに持ち替えたかと思うと、いきなり地面に伏せた。
右手を伸ばし、新たな武器を掴む。
花村が落としたボーチャードピストルだ。
そして、銃声が轟いた。
続けざまに七回。
●第六幕
マズルフラッシュが明滅する光景をキャラメルは見ることができなかった。
目を閉じて発砲したからだ。
薬莢が床に落ちる音と銃声の残響が消えぬうちに目を開けた。
硝煙に霞む視界に小寺の姿はない。ボーチャードピストルが火を噴く直前に横っ飛びして、木箱の山と山の間にある支道に退避したらしい。
「このヘタクソが!」
花村がキャラメルを罵った。ネクタイを解き、右前腕の傷口を左手だけで器用に縛りながら。
「これだけの近距離で七発もブッ放しときながら、なんで一発も当たらねえんだよ!?」
「いやいや」
と、支道の奥から小寺の声が聞こえた。
「さっきも言ったが、今のは悪くねえ手だったぜ。狙いをさだめると、心を読まれて弾道を予想されちまう。だから、あえて目を閉じて、ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるとばかりに連射したんだろう? サトリとの戦い方ってものを心得てるじゃねえか。だけども、どんな撃ち方をしようと、俺には絶対に当たらねえよ。なぜだか判るか?」
「|後《ご》の|先《せん》ってやつだろ」
吐き捨てるような調子でキャラメルは言った。
「御名答。相手が『撃つ』と決めた瞬間に俺はそれを悟ることができる。そして、相手が引き金を引くより先に動くこともできる。『撃つ』と決めた瞬間から引き金を引くまでの間は一秒にも満たねえが、俺にとっては百分の一秒でも長すぎるくらいだ。機を掴めれば、余裕で躱せるぜ」
「夜郎自大もいいところだ」
そう返したキャラメルであったが、小寺の発言が思い上がりでも虚勢でもないことはよく判っていた。このサトリの反射神経が並外れていることは、サーベルの連続攻撃のいなし方からも明らかだ。『デッドマンズ・チョイス』に相当する√能力を用いて一時的に身体を強化しているのかもしれない。
(ダメだ……勝ち筋が見えない……)
心の中で思わず弱音を吐いた直後、しくじりに気付いた。この弱音も小寺には筒抜けだ。
「くひひっ!」
せせら笑いが支道から流れてきた。
(……くそっ!)
悔しげに犬歯を剥き出しながら、キャラメルは左手のサーベルを杖にして、ゆっくりと立ち上がった。その間、右手に構えたボーチャードピストルはずっと支道の入り口に向けている。
「『残弾は何発だっけ? 伊庭先輩が偉そうに語る鉄砲の蘊蓄をもう少し真面目に聞いておけばよかった』と思ってるな?」
小寺がまた心を読んだ。
「伊庭先輩とやらに代わって教えてやるが、残弾は一発だけだ。まあ、一発だろうと百発だろうと同じことだがよ。当たりゃしねえんだからな」
「……」
キャラメルはなにも言い返さず、花村へと目をやった。
右手の痛みが激しいのか、花村の顔は脂汗にまみれている。だが、その目から鋭さは失われていない。
「キャラメルよ」
妖怪嫌いのベテラン刑事は臨時の相棒の名を初めて呼んだ。
「俺の言ったとおりだろう? やはり、奴はバカだ。悪事が露見したわけでもないのに、いきなり斬りかかってきやがったんだからな。罪を自白したも同然だ」
「まったくもって、そのとおり!」
と、自嘲めいた口調で小寺は認めた。
「ホント、自分のバカさ加減が嫌になるぜ」
「改めて確認させてもらうが、おまえが御手洗を殺したんだな?」
花村が尋ねると――
「そうさ」
――小寺はまた認めた。
「奴から黒豆の商売を奪うためにな」
「ただそれだけの理由で殺したのか?」
「殺すには充分な理由だ。逆の立場だったなら、御手洗も俺を殺そうとしていたはずさ」
「この倉庫にある木箱の中身は、御手洗が生前に仕入れていた|鉄砲《黒豆》なんだな?」
「そのとおり。別の倉庫に隠されていたんだが、その場所を御手洗から聞き出したんだ。文字通り、|腹を割って《﹅﹅﹅﹅﹅》話し合ってなあ。くひひひひっ!」
「なぜ、わざわざ拷問めいたやり方で殺したんだ? サトリの力を上手く使えば、もっと綺麗な手段で情報を得ることもできたはずだぞ」
「世直し妖怪の仕業に見せかけるためだよ」
「浅知恵だな」
「浅知恵なもんか。正確に言うと、『世直し妖怪の仕業』じゃなくて『世直し妖怪の仕業に見せかけようとしている人間の仕業』に見せかけることが狙いだったんだよ。俺は御手洗と繋がりがあるから、どうしたって容疑者の一人と見做されちまう。だけども、犯人が人間となれば、容疑から外れるってわけさ」
「やっぱり、浅知恵だ」
と、花村は断言した。
「おまえのやったことはすべて無駄だった。現にこうして俺たちに追いつめられている」
「抜かせ。追いつめられているのは――」
支道の奥から小寺が姿を現した。
堂々と胸を張って。
『撃ってみろ』と言わんばかりに。
「――おまえらのほうだろうがよ」
「黙れ」
キャラメルが銃口を小寺の鳩尾に向けた。無駄な行為だと知りながら。
「いや、黙るな。もう一つだけ教えてくれ」
花村が新たな武器を取り出した。折り畳み式の小さなフォールディングナイフ『|備後守《びんごのかみ》』だ。様々な局面で役立つ便利な逸品である。問題は『様々な局面』の中に戦闘が含まれていないこと。
「行方知れずの灰郎もおまえが殺したのか?」
「いや、なにもしてねえよ。そもそも、あいつを殺す理由がねえわな。くひひひひっ!」
小寺は意味もなく笑った。あるいは、本人にしか判らない意味があるのか? それは実に憎たらしい笑顔だったが、どこかぎこちないものに見えた。
「さーて、お喋りはもういいだろう」
小寺は腰をやや沈めて身構えた。
「このあたりでケリをつけようぜ」
「おう。やってやるよ」
花村が左手のナイフを頭上に掲げた。
そして、キャラメルの名を再び呼んだ。
「おい、キャラメル。三段構えの攻撃でいくぞ」
「三段構え?」
「心が読めようと、反射神経がズバ抜けていようと、一度に複数の攻撃に対応するのは難儀なはずだ。俺がナイフを投げるのに合わせて、おまえは鉄砲をブッ放せ。そして、すかさず突進してサーベルの一撃を食らわせるんだ」
「くひひっ!」
小寺がまた笑った。今度のそれはぎこちなく見えない。心からの嘲り。
「なぁーにが三段構えだ! それこそ、浅知恵じゃねえかよぉ!」
不本意ではあるが、キャラメルも小寺と同意見だった。スピードが強化されたサトリ相手に三段構えの連係攻撃ごときが通用するとは思えない。しかも、実質的には二段構えだ。花村の小さなナイフなど、小寺にとっては驚異にならないだろう(利き手でないほうの手で投げるとなれば、まっすぐ飛ぶかどうかも怪しい)。
キャラメルの不安をよそに花村は声を励ました。
「いいか? 撃つ時や斬る時に『撃つ』とか『斬る』とか思うんじゃないぞ。攻撃を先読みされてしまうからな。心を空っぽにして、なにも意識せず、機械のように自動的に動くんだ」
今更といった感のあるアドバイスだが、当人の顔は真剣そのもの。ブルース・リーが存在する時代だったなら、彼の名言(「考えるな。感じるんだ」)を引き合いに出していたかもしれない。
「『撃つ』と意識せずに撃てるわけないでしょう……」
しょんぼりと耳を伏せるキャラメル。ダニエル・ウェグナーが存在する時代だったなら、彼の実験(「白熊のことは考えるな」)を引き合いに出していたかもしれない。
「大丈夫だ」
と、花村は言い切った。ナイフを持った左手を後方にしならせながら。
「俺にいい考えがある」
「……はぁ?」
小寺が眉をひそめた。花村の心を読んだが、『いい考え』とやらが理解できなかったらしい。あるいは、理解できても対抗策が思い浮かばなかったのか。
「よく聞け、キャラメル。おまえに――」
花村はナイフを投擲した。
同時に叫んだ。
「――その鉄砲をくれてやる!」
大音声に銃声が重なった。
キャラメルが発砲したのだ。しかし、『撃つ』と意識して撃ったわけではない。花村の忠告通り、『機械のように自動的に』に動いた。動いてしまった。
意図も予想もしていなかった自分の行動に驚きながらも、キャラメルは即座にボーチャードピストルを投げ捨て、サーベルを両手で構え直し、走り出した。
ナイフが飛ぶ。
銃弾が飛ぶ。
キャラメルが走る。
『浅知恵』と評された三段構えの攻撃。
小寺は花村のナイフを躱さなかった。躱すまでもなかった。見当違いの方向に飛んでいったからだ。
しかし、弾丸を躱すことはできなかった。『撃つ』という意識を経ずに発射されたため、反応が遅れたのである。
右の太股に命中。
体勢が崩れた。
そこにキャラメルが斬りかかった。『斬る』と意識した上での行動なので、小寺はそれを察知できた……が、躱せなかった。右足に銃弾を受けたせいで動きが鈍くなっている。
選ばれた者だけが所持できるサーベルが小寺の左肩に振り下ろされ、斜めに走り、右腰から抜けた。
◆
「誓って言いますが、致命傷を負わせるつもりはなかったんですよ」
キャラメルは力なく肩を落とし、足下を見下ろしていた。
袈裟斬りにされた小寺の死体が足下に転がっている。
「でも、こいつが中途半端な避け方をしたもんだから、こっちの狙いも逸れてしまって……」
「判ってるよ。そんなに気に病むな」
と、花村が言った。
「生け捕りにできなかったのは確かに残念だが……まあ、事件解決ってことでいいだろう。こいつの自供は俺たちがしっかり聞いたし、悪事の証拠もここに山と詰まれているんだからな」
コツコツという音が倉庫内に小さく響いた。『悪事の証拠』であるところの木箱を拳で軽く叩いたのだ。
「それにな。仮に生け捕りにできたとしても――」
またもや音が響いた。今度はコツコツといったレベルではない。力を込めて拳をぶつける音。
「――小寺は収監先で殺されていただろうよ。警察の上層部の息のかかった誰かの手にかかってな」
「え?」
キャラメルは目を丸くした。虚を衝かれた子猫のような顔。
「どうして、上層部が小寺を殺すんですか?」
「隠しておきたいことがあるからさ。べつに上層部だけじゃない。中層部にも下層部にも、叩くと埃が出る輩は五万といる。そんな連中からすれば、心を読める妖怪は爆弾か劇薬みたいなもんだ。小寺という単体の存在だけでも厄介だが、敵対派閥が小寺を取り込んだ日にゃあ、更に危険度が増す。生かしておく理由は一つもない」
小寺自身もそのことはよく判っていただろう。だから、サトリであることを隠して生きてきたのかもしれない。だから、サトリだとバレた瞬間に襲いかかってきたのかもしれない。
「……」
キャラメルは足下の死体に視線を戻した。
天井を見上げる青白い顔は、大往生を遂げた者のそれのように安らかだ。憎悪も哀切も無念も感じられない。死の直前、なんらかの悟りを得たのだろうか?
「しっかし、今回の捜査は高くついたぜ。汚職とは無縁の人生をずっと送ってきたのに――」
語調を冗談めいたものに変えて、花村は腰を屈めた。
「――贈賄の罪を犯しちまった」
左手で拾い上げたのは、キャラメルに贈った|賄賂《ボーチャードピストル》だ。
そう、キャラメルが意識せずに発砲できたのは、√能力『贈賄コンビネーション』が発動したからだった。
「これでハナさんも汚職警官の仲間入りですね」
キャラメルもまた語調を緩めて、花村に向かってニヤリと笑った。
すると、花村は同じようにニヤリと笑ってみせた。
「おまえも収賄罪を犯したんだから、偉そうなことを言える立場じゃないぞ」
だが、次の瞬間にはしかめ面になっていた。
「あと、俺を『ハナさん』と呼ぶな。二度と呼ぶな。そう呼んでいいのは人間だけだ」
●終幕
「たった二日で解決するとは……見直したぞ」
「うむ。よくやった。だが、犯人を殺してしまったのは失点だな」
「大量の密輸銃器を押収したんだから、失点分はチャラってことでいいじゃない」
短い出向を終えて第二会議室に帰ってきたキャラメルをダッタと源間と深俣が出迎え、労い、褒め称えてくれた。
「伊庭の反応が楽しみだな」
外出中の同僚の名を源間が口にした。ポーカーフェイスが常の彼としては珍しく、ニヤニヤと笑っている。
「きっと、こんな感じだと思う」
そう言うなり、深俣が顔だけを伊庭に変化させて――
「二日もかかったんかーい! なっさけないのう! 俺やったら、半日で解決しとるわー!」
――高クオリティーの物真似を披露した。
室内が爆笑に包まれた。
◆
その日の午後、神追村に続く林道で首吊り死体が発見された。
アラタだった。