はじめに、九つの呪いありき
●ヨトゥンの嘆き
酷い吹雪の日であった。
「どうか……、どうか娘をお救いください……!」
冒険者の集う拠点のひとつ、『吼え猛る銀獅子亭』の扉から転がり込むように駆け込んできた男の姿を、エル・ネモフィラ(蒼星・h07450)は視界の端に留めていた。
「そうは言うけどね、ノルマンの旦那。旦那の頼みったって教会絡みじゃうちの手には負えねえよ。……気の毒とは思うがね」
「……ああ、そんな」
職人然とした男だ。幾度かのやり取りを交わしたあとに肩を落として店を後にする背中を見過ごす訳にはいかないと、エルは直ぐ様『店主、お勘定を』と急いた所作で以って立ち上がった。それとほぼ同時、全く同じ声が直ぐ近くのテーブルから聞こえたものだから、少女はぱちりと目を瞬かせることとなる。
とぼとぼと雪道を歩く男には直ぐに追い付くことが出来た。
エルの後を追うように駆けて来たシスティア・エレノイア(幻月・h10223)はよろけた男の背を支えると、話だけでも聞かせてはくれないかと叶う限り柔らかな声で問う。
「よそ者である俺ならば、話し易いのではないかと思ってね」
「……一体何があったの?」
きっと火急の話なのだろうと問いを重ねれば、男は涙ながらに喉を引き攣らせる。顔を見合わせたエルとシスティアは、一先ず雪が凌げる所へと男を優しく促すのだった。
男――名を、ハンス・ノルマンと云った――は街の靴職人であると自らを語った。
聞けば、この街でひとが消える事象はこれがはじめてではないのだと言う。ハンスの娘以外にも何人もが忽然と姿を消したまま帰ってこない、それも若い娘ばかりが消えていくともなれば年頃の娘を持つ父親が娘を気遣うのは至極当然のこと。恐れていた悪夢が現実となってしまったことを嘆かぬ訳がない。
「……娘さんたちは、攫われている?」
「そう考えるのが妥当だろうな」
神隠しの類であるならばそれこそ対象は無差別に選ばれるのではないだろうか。ところが攫われる娘たちには共通点があり、それが先ほどハンスが口にしていた教会なる存在と結びついていくのだ。
「ちょっとした……祝福を授けてくれるんだそうです」
「祝福?」
それは降って湧いた奇跡。
生まれ持ったものだけでは得られなかった充足感を与えてくれる『かみさま』なる存在は、この街の娘であれば誰もが知る幸運の運び手のようなものであるらしい。けれど――あくまでそれはきれいなものだけで飾り立てた上澄みに過ぎない。
「ふたつよりも多くの祝福を求めるには、莫大な献金を要するのです。……一度甘い蜜の味を知ってしまった娘らは、手軽な奇跡を忘れられない。その結果、どうなると思いますか」
働ける年齢の娘であればまだいいだろう。けれど、そうではなかったら? もし、悪意による誰かがその無限にも等しい欲を連鎖として利用しているのだとしたら?
「……穏やかな話じゃないな」
低く喉を鳴らしたシスティアが眉根を寄せる。その傍らで、エルもまた少女らの持て余された青い衝動を思い描けぬ己の未熟を憂うように目を伏せた。
「娘は……娘は、家の金に手をつけてしまったんです。あんなものを信奉する前は、明るい良い子だったのに……。……いえ、いいえ……! それでも、アニタは私の可愛い娘です。どんなことをしたとしても、大切な私の宝に違いない……!」
ハンスの言葉に嘘はない。なればこそ、この街に巣食う得体の知れない『なにか』を根源から断たねばならぬと、システィアとエルは顔を見合わせながら頷いた。
「……ここは共闘といかないか?」
「同じことを言おうとしていたよ。……私はエル、この剣を暫しキミに預けよう」
「俺の名はシスティア。よろしく頼む、エル」
突如として姿を消した娘たちの安否を、彼女らを拐かした何者かの正体を知るために。そしてノルマン嬢を救うため。張り巡らされた蜘蛛の糸を辿るべくして、先ずはと互いの名を交わし合うのだった。
●ボルソルンの姫君
「わたくしどもにお任せください。ご令嬢の瘴気は神が祓ってくださいます」
「ああ……助かるよ。悪魔祓いなど人智の範疇外。……私にはお嬢様を救って差し上げられない」
司教と思しき男は『少ないですが』と金貨の詰まった袋を掴ませれば直ぐに話を聞く姿勢を取ってくれた。一瞬緊張が走ったが、その後の話はとんとん拍子に進んでくれたことに『少年従者』は安堵の息を吐く。
「神は必ず貴女に慈悲を与えて下さるでしょう」
「……、……」
年若い神父たちに両脇を固められた宵の空のいろに身を包んだ『悪魔憑きの令嬢』は何も喋らない。噛み締めた奥歯が軋む音を立てながら、その拘束を振り払うように暴れようとする素振りを見せる。
これより遥か遠く。東の森の奥深くに住まうと云う巨人族の令嬢であると、従者である翼耳の少年は自分たちの身の上を語って聞かせた。曰く、或る日を境に言葉を失くし、以来屋敷に関わるものの全てに不幸が降り掛かり続けているのだと。娘たちに奇跡を齎してくれると云う神の噂を聞き藁にも縋る思いでこの場にやって来たのだと――憔悴した様子の中でも翳らぬ美貌を憂いに震わせ、常よりも低めた中性的な声音は心地よく神父たちの耳殻へと落ちていった。
祈祷は一般人の立ち入りを禁じていると。告げられた言葉に頷いて、少年は外で待たせて貰う旨を伝えた。外は寒い。吹雪も酷いのだから礼拝堂で待たれては、と。うわべだけの厚意は丁寧に辞退して、少年は胸に手を当て深く頭を下げて呟いた。
「『システィア様』。再びお会いする時には、どうか――貴女の笑顔を見ることが出来ますよう」
ましろに身を包んだエルはこの雪の街によく馴染んだ。
少しばかり胸が苦しいが、全力でコルセットを締め付けられたシスティアはおそらくもっとつらい思いをしている筈。深窓の令嬢として振る舞うのなら華奢なエルの方が説得力を持たせることが出来たであろうが、ふたりは敢えてそうしなかった。
「……男二人がかりで拘束するとはね」
未知の巨人族の力を恐れたか。あのまま教会の中で待っていれば自分も口封じの為に拘束されていた可能性も拭えない。戻った時に自分たちがどうなるか、実質連中に捕らえられてしまったシスティアの身を案じるならばことは早急に済ませた方がいい。事前に調べておいた裏口から敷地内に侵入したエルは降り積もる雪の中に未だ新しい血痕を見付け目を瞠る。
「――……!」
降り頻る雪の礫に消されてしまう前にとその痕跡を追えば、寒さと失血で力尽きたのであろう少女が倒れていることに気付く。翼のようにケープを翻し少女を助け起こせば、か細いものではあったが彼女にまだ息があることを知り、エルは急いで彼女の身体を手近にあった納屋へと運び込んだ。
「……ぁ、あ……、」
「大丈夫。私はキミを脅かさない。……何があったの?」
しろくなった唇がうわごとのように繰り返す言葉に、エルは己の体から血の気が引いていくのを確かに感じた。
――片足を失った少女は『新しい脚』を無理矢理繋げられ、それを、拒んだと言うのだ。
一方、その頃。
懺悔室と呼ぶには随分粗末な、まるで牢獄の如き石造りの部屋に押し込められていたシスティアは『出ろ』と温度のない言葉を浴びせられ、言われるままに暗がりの螺旋階段を怯える生娘のようにおどおどとした足取りでゆっくりと進んでいた。
「(教会の地下に、このような大掛かりなものがあるとは……)」
まるで深淵へと潜って行くようだ。それに――酷く饐えた臭いがする。
鉄錆と腐乱臭。階段を降りて行くほど強まっていくその臭いは、死臭と呼ぶに相応しい嫌なものだった。物理的に人を何人も消すなどと碌な手段を取ってはいないだろうとは思っていたが、考え得る中での『最悪』の可能性を幾つも浮かべ、システィアはヴェールの下で眉根を寄せながら己を先導する神父に従った。
「全く、年頃の娘と云うものは実に御し易いものです。あまく、容易く、純粋で愚かだ。目先の希望へ直ぐに飛び付き、その先の事など考えもしない。……貴女も、そうでしょう?」
「……!!」
地獄が、広がっていた。
逆さ吊りにされた少女の眼球はあらぬ方向を向き、血の涙を流しながら言葉に満たぬ呻き声を溢している。粘質の黒い汁を垂らしながら救いを求めるように伸ばす四肢は、汚泥の鱗に覆われた蛇のかたちをしていた。
生きたまま引き裂かれた少女の姿があった。拷問とも呼べる仕打ちに耐え切れず、命を落とした少女の骸が、あった。今まさにシスティアが運ばれていく祭壇と銘打たれた寝台には、最早誰のものなのか分からない、混じり合った夥しい血痕が残されていた。
これが、奇跡の対価。
甘い少女たちの幻想を利用した、黒魔術の実験棟であった。
「なに、恐れることはありません。巨人族を扱うのは初めてのことですが……貴女はよき素材と成り得ましょう――、……ッ!?」
一陣の風が昏い部屋の中を駆け抜ける。それは翼を失ったましろの一閃。少女から齎された願いを胸に駆け抜けたエルの刃が伸ばされた司祭の左手を断ち切ったのだと、誰がはじめに気付いただろうか。
「待たせたね、システィア。証拠も掴んだよ」
「おかえり、従者くん。収穫は……上等。では、ひと暴れしようか」
澄んだ氷の如き刃を閃かせ、舞い降りたエルの姿に応じるように身を起こしたシスティアは最早偽る必要はなしと具現化させた大剣を手に低く姿勢を取り、鮮血を噴き上らせながら此方を凝視する司教を見下ろした。
「命を弄んで楽しかったか? これ以上の悪逆が罷り通ると思うなよ」
「もう、お芝居はおわり。……彼女たちの為にも、ここで、キミ達の悪夢を断つ」
剣戟の音が交差する。
合成獣のなれ果てを手繰る偽りの神の御使を完全に弾圧したエルとシスティアは未だ息のある少女たちを救い出し、その中にノルマンの娘が居たことに安堵の息を吐くのだった。