シナリオ

Sí Bheag, Sí Mhór

#√ドラゴンファンタジー

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●今は遠き楽園の扉
 大地は冬の寒さに凍てつき地は霜で覆われている。
 春告には未だ遠く、視界はしろく烟るよう。

 ああ、けれど心配なさらないで、迷える子。
 ここは常若の国。帰り方を忘れてしまった人々がやがて行き着く妖精郷。
 四季の花を咲かせましょう。歓喜の歌をうたいましょう。手と手を取って踊りましょう。ここではおそろしいことなど、なにひとつ起こらないのだから。

●妖精のチョコレート
「みなさんは、妖精郷という場所をご存知でしょうか?」
 緊張も露わに姿勢を正しながら、ぎこちなく口を開いたトゥバ・コルヌコピア(凱風・h09459)は集まったEDENたちを仰ぎながらそれぞれの言葉を受けて何度か頷きを返しながらその殆どが『絵物語の存在である』という認識を把握した上で微笑んだ。
「ティル・ナ・ノーグ。常若の国とも呼ばれる妖精の国が俺たちの世界……ドラゴンファンタジーと呼ばれる√に存在するんです」
 それは常春の理想郷。争いもなく、外敵もなく――ひとによっては少し物足りなく感じてしまうくらいに平和な楽園が広がっているのだと、トゥバは記憶の中の光景を思い出しながらあたたかな陽だまりを脳裏に浮かべ目を細めた。
「彼らは永遠とも呼べる時を妖精たちだけで面白おかしく過ごしているのですが、中にはにんげんと関わることを好む存在もいるんです」
 かわりものの幾らかの妖精たちは、そうして時々人里に降りていっては人間たちの目紛しい営みを学んで、或いは面白がって妖精郷から動かない仲間たちに楽しそうな催しを『真似してみよう』と持ちかけることがあるのだと云う。
「もうすぐバレンタインデー。彼らはこの日のために妖精郷でカカオの木を育ててチョコレートを作っているんですよ。そうして気まぐれに人々を招いては、お店やさんごっこをして遊ぶのが楽しみなんだそうです」
 にんげんのショコラティエに恋をしたリャナン・シーが持ち帰ってきたカカオとショコラが、妖精たちの最近のおきにいり。常若の土で育てたカカオは人里で育ったものよりも香り高く、出来上がったショコラの芳醇な味わいはひとくち頬張っただけで恋に落ちてしまうような錯覚を抱くほどにあまく、あまく蕩けていく。美食家たちの間では値段がつけられないほどの贅沢な甘露として知られているのだとか。
「俺は何度か氏族の皆とお招きされたことがあるのですが……ほんとうに。ほんとうに! おいしいチョコレートだったので。ぜひ、皆さんにも食べていただきたいなと思って、……お声掛け、しました!」
 甘党のあなたには是非、シンプルなミルクチョコレートを。チョコレート好きなあなたには、妖精郷に実る果実とプラリネを合わせた甘みと酸味の調和がうつくしい逸品を。あまいものがすこし苦手なあなたは、ビターベースのチョコレートにソルトナッツやスパイスを効かせた力強い味わいを試してみて。妖精たちは皆食いしんぼうだから、味の好みを伝えればあなたにぴったりのチョコレートを持ってきてくれるはず。
「お金は必要ありません。代わりにあなたのせかいのものを、なにかひとつ渡してあげてください」
 彼らは金銭を必要としないし要求しない。代わりに欲しがるものは『あなたのせかいのもの、なにかひとつ』。これは貴重なものでなくとも構わないらしく、木の実や硝子玉ひとつでも彼らは世界でひとつの宝石を手にしたかのように飛び上がって喜んでくれるのだとか。
 贈り物に。自分へのごほうびに。年に一度しか味わえない、とびっきりのチョコレートはいかがでしょうか、と。トゥバは淡く笑んだあとに戸惑いがちにその表情を少しだけ翳らせた。
「それから、その……」
 どうかしたのかと問われれば、竜は視線を泳がせたのちに意を決したように口を開く。常春の妖精郷に、ひとつの災厄が降り掛かろうとしているのだと云うことを皆に確りと伝えるために。
「ここからは、俺が視た星の……起こり得るかもしれない、未来の話です」

●ディナス・エムリスの渇望
 ――足りない。足りない。
 ちからが。血が。いのちが。
 記憶が、想いが、願いが、誇りが、何もかも。

 朧げな輪郭を揺らし、ごぼりと湧き上がった影が意思を持つかたちとなる。
 それは記憶の集合体。嘗て竜であったものたちの残滓の寄せ集めだった。

 足りない。足りない。足りない足りない。
 もっと。もっと、もっともっと、記憶を集めなければ。
 ちからを取り戻さなくては。
 『あなた』に、この姿を、思い出してもらわなくては――。

 現れ出づる真竜の影法師が花々を不確かな爪牙で持って薙ぎ払い、逃げ惑う妖精たちを掴み上げ、泣き叫ばれることなどお構いなしにちいさなからだを躊躇なく丸呑みにしていく。無差別かつ無尽蔵なその暴虐は動くものが尽きるまで決して止まることはない。
 ――完全なるものとなったこの姿を、他でもない『あなた』に、見て欲しいから。

 これなる存在が妖精たちの住処に目を付けたのは偶然が呼んだ不幸であった。
「『ドラゴンズメモリー』。……俺たちドラゴンプロトコルが、真竜だった頃の記憶の欠片たちだと言われています」
 思うことがない訳ではない。けれど、常若の楽園に近付く死の概念は直ぐ側まで迫ってきている。この脅威を疾く退けねば、ティル・ナ・ノーグは永久に閉ざされた死の荒野と化してしまうから。どうか力を貸してほしいと、トゥバは仲間たちへの揺るぎない信頼を瞳に乗せて深く頭を下げるのだった。

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第1章 日常 『妖精の国を見て回ろう』


●リャナン・シーの恋煩い
 ほとんどのゲールの詩人はリャナン・シーの恋人だった。
 けれど彼女は幾千ものあいの詩に目を向けることはなく、冴えないひとりのショコラティエにありふれた恋をした。

 どうしてかしら。
 あたしが生涯愛したどんなひとより、あなたはみすぼらしい男だったわ。
 だけど、ああ――あなたがチョコレートに込めた|あい《詩》は、どんな歌よりもこの胸を震わせたの。

 ただひとつの『あい』を見付けたリャナン・シーはもういのちを奪えない。
 妖精郷へ彼女が持ち帰ったのはひとつぶのチョコレート。ひばりのうたよりもあまく、花の蜜よりもとろけるその甘露は直ぐに妖精たちの誰もが虜になった。

 常若の国へ訪れることがかなったのなら。どうぞあなたも、ツリーハウスのちいさな扉を叩いてみて。大切なひとへの想いの架け橋に。或いは、自分だけのとびっきりのごほうびに。|リャナン・シー《妖精の恋人》のチョコレートは、あなたたちの胸を等しく満たしてくれる筈だから。
ノーチェ・ノクトスピカ

●星彩のつばさ
「ふふっ。わくわくする! 君もそうでしょう? デネブ」
 これが友の知る、自分の知らないせかい。常春の空気を吸い込んだノーチェ・ノクトスピカ(Nachtsängerin・h06452)は寄り添う星花蝶を手指に遊ばせながら胸の奥底から湧き上がってくる好奇心をそのままに妖精郷の花絨毯の上を弾むように歩み始めた。
「こんにちは。こんにちは!」
 ひらひらとデネブのように翅をはためかせながら舞うちいさな妖精たちに笑顔で挨拶をすれば皆が自分を歓迎してくれることが嬉しくて。上向いたこころは自然とうたになって、ノーチェの唇から溢れていくものだから――。
『あら。小夜啼鳥がいらっしゃったのかと思ったら』
『ようこそ。ようこそ、『外のひと』!』
 歌声を聞き付けた小妖精たちがツリーハウスから顔を出す。どうぞ、どうぞわたしたちのおみせへ、と。招く声に驚いたのはほんの一瞬。
 妖精たちはとっても『うわさ好き』。風に乗った歌声の主がどんなひとなのか、ひとめ見たくて堪らなくなったのだと聞けばちょっぴり照れてしまうけれど、差し出された綺羅星のようにうつくしいチョコレートたちを見れば思わず『わぁ』と感嘆を上げてしまう。
「妖精のチョコレート屋さん、僕にもひとつ下さいな!」
 木苺の砂糖漬けを閉じ込めたチョコレートはひとあし早い春の味わい。色違いのものはそれぞれ甘さと苦味を変えた一品だから最後まで飽きずに召し上がって、と。差し出された小箱を手にノーチェは花のかんばせを綻ばせた。
「あっ、お代……! そうだ、僕の羽根はどう?」
『まあ』『まあ』『『とってもすてき!』』
 顔を見合わせた双子のシルフは宵の星空を宿したような羽根を受け取ると、宝物にそうするようにやさしく細くちいさな腕で包み込む。喜んでもらえたことに安堵していたら、チョコレートの箱にひらりとデネブが舞い降りたものだから思わずくすりと笑ってしまって。
「おや、味見かな? ふふ! 美味しい?」
 僕も早速いただきます、と。ひとくち頬張った少年の瞳に、ちかりと星あかりが歓喜を告げるように瞬いた。

戀ヶ仲・くるり
夕星・ツィリ

●あなたいろをみつけに
 ちいさなツリーハウスの中に、はなやぐ声がぱっと広がる。『外からのお客さま』の喜ぶ様子に長耳の妖精は嬉しげに少女たち――夕星・ツィリ(星想・h08667)と戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)を見詰めていた。
「すごい! すごいよ! チョコがたくさんある!」
「わ〜! 妖精さんのチョコ〜! おとぎばなしの世界〜!」
 妖精郷のカカオから作られた本格派のチョコレート。妖精たちが手掛けた特別な甘露は忘れられない一粒になるに違いない。『どんなチョコと出会えるかわくわくするね!』とツィリが小首を傾げれば、何処かおずおずと遠慮がちだったくるりの頬にもぽっとはなのいろが乗る。
「なに選ぼうね、どうしようね! チョコいっぱいで……目が回っちゃうくらい!」
 ないしょばなしをするのにだって、どうしたって声音が弾んでしまう。擽るようなくるりの声にくすくすとツィリが笑うけれど、それだってよろこびから生まれるものだと分かるから少女たちに浮かぶのは『わくわく』と『そわそわ』ばかり。
「えっと甘いのもビターも酸味も捨て難いから、おすすめ全部持ってきてください……!」
「……ツィリちゃん、富豪ムーヴ!?」
 行列の出来るショコラトリーではとてもできないこと。『端から端まで全部ください』と思い切ってよくばりさんな言葉を口にすれば、当然くるりは驚いてしまうけれど――長耳の少女のかたちをした妖精は嫌な顔ひとつせずに返事をしてくれるものだから、『ゆめが叶っちゃった!』とツィリは声を弾ませる。
『|おめかし《飾り付け》はしていく?』
 カウンターの下に隠れていた小妖精たちが、長耳の妖精の号令に合わせてえっさほいさとツリーハウス中のチョコレートを集めていく中、齎された問いかけに少女たちは目を瞬かせた。
「これ、飾り付け出来るんですか?」
「えっ、その場で!?」
 妖精郷にはふしぎがいっぱい。魔法と神秘に満ち溢れたこの場所ではおかしなことこそ『まこと』なのかもしれない――それならと先にそうっと手を挙げたのはくるりの方だった。
「じゃあ……星空の中で、お魚さんがおどってるみたいな飾り、とか……」
 こん、こん。軽くノックの所作をひとつ。
 ぱっと弾けたひかりにびっくりしてしまうけれど、それも一瞬。星に見立てたショコラを覆うは砂糖細工の星の海。チョコレートと金平糖の惑星を渡るちいさなさかなたちが収まった愛らしい化粧箱を手渡されれば、ほわぁ、と感嘆の息を溢したくるりは宝物のように小箱を抱いてツィリを仰ぐ。
「えへへへ、ツィリちゃん概念チョコだぁ!」
「成程概念チョコ……! じゃあ私も! 宝石のトパーズとシトリンをイメージした飾りをお願いします!」
 花の蜜のようなこがねいろ。頑張り屋さんで友達思いな、あなたに似合いの幸福のイエロー。抱えきれないほどのチョコレートの箱に囲まれながら、ツィリはにこりと笑みを深めた。
「私のきらきらくるりちゃん概念です!」
「……えっ、私!? 私のイメージで宝石!?」
 それはあんまりきれいで、まぶしくて。手に取ることを躊躇いそうになってしまうけれど、その笑顔が、『すき』のきもちがあんまりにも真っ直ぐだから、くるりもそれを跳ねつけたりしない。
「て、照れちゃう……でも、ありがとう、キレイだねぇ」

 なないろの貝殻に、ぽにょぽにょ元気なぬいぐるみマスコット。
 チョコレートの対価に手渡されたそれらをいたく気に入ったのか、ちいさな子どものように手放しで喜びの声を上げる妖精たちの姿にツィリとくるりは顔を見合わせ笑い合うのだった。

緇・カナト
トゥルエノ・トニトルス

●ポケットのわすれもの
「主〜! 妖精郷に訪れることが出来るらしいぞ……!」
「へぇ」
 気のない返事だ。だけれど、緇・カナト(hellhound・h02325)の視線がトゥルエノ・トニトルス (coup de foudre・h06535)をしっかりと捉えてくれているから、それが彼なりの興味と関心であることが分かる。
「妖精郷なんてのが在るんだなァ」
 御伽噺の住人が当たり前のように闊歩しており、自分たちだけの楽園を構築しているとは――さすがはドラゴンファンタジー。なんでもありか、と頷いたカナトの姿にトゥルエノは笑みを深めながら主を先導するように歩き出す。
「世間はバレンタインの時節である! 妖精達のチョコのお店を楽しまなければ損だろう?」
「……バレンタインは関係あるのか?」
 お前が食べたかっただけなんじゃないの、なんて言葉は聞かないふり。上機嫌に歩調を弾ませるトゥルエノの姿に、カナトは軽く肩を竦めながらもその後をゆっくりと追い掛けるのだった。

 ――それが、数刻前の出来事。

「チョコは普通に食べるけども、そんなに甘党でも無いんだよなぁ」
「主も色々と食べてみれば思いがけずに口に合うような甘味も見つかるかもしれないしな〜なぁなぁ」
 大小様々なツリーハウスの『お店やさんごっこ』を眺めているだけでも物珍しくて充分に満足できそうなものではあるが、ここまで来た手前トゥルエノはそれでは満足しないだろう。今もきゃんきゃんと声を立てる雷精の様子に露骨に両耳を塞いで『あ〜〜』と遮って見せれば、目に見えてしょんぼりと眉を下げるものだから思わず噴き出してしまう。
「はいはい、トールはチョコ買いに行くんでショ」
「……うむ、うむ! わたしは果実とプラリネの組み合わせとやらが気になるぞ〜」
 直ぐに舵を切り直したトゥルエノにまた笑いそうになってしまうけれど、今度こそ拗ねてしまいそうだからカナトはそれ以上の意地悪を飲み込んで目についたツリーハウスの扉を潜った。
「ベリー系とかナッツの入ってるヤツだったら、まぁ買っても良いような気もしないような……」
 店番をしていた|森の妖精《レーシィ》が、カナトの言葉を聞いてにょきりとその背を物理的に伸ばす。からだを自由に伸縮出来るらしい器用な様子に目を瞠り、その手の中に一粒のチョコレートがあることを知れば『味見をどうぞ』と言いたいのであろうことを理解する。
「……ん、これウマいな」
 ビターチョコレートに覆われたソルトナッツはかりりとした食感が楽しい。甘すぎないその味わいは食べ易く、酒精との相性も良さそうだ。
「む、そちらも美味しそうだな。わたしもひとつ食べてみよう〜っと」
 カナトの視界の外で既に幾つか味見をしていたトゥルエノが両手に抱えた小箱の数を見て少しだけ面食らう。妖精たちほど食いしん坊と云う訳でもないのだから程々にしておけば良かろうに。いや、それほど彼はこの時間を楽しんでいるのならばそれは野暮か。
「さて、代金がわりの何かだったか。そんなに面白味のあるモノあったかな……」
 ポケットの中を漁れば、こつん、とゆびさきに触れたちいさな駄菓子の存在を思い出してカナトはそれをそのまま妖精に差し出した。真ん中に穴が空いたラムネ菓子の楽しみ方を説明してやれば、見よう見まねで息を吹き込んだ妖精はそれを気に入ったのか、ぴゅう、と音を鳴らすことで快を示す。
「わたしからはこれを。金木犀の琥珀糖は如何だろうかな?」
 常春の理想郷に仄かな秋風を思わせる香りを添えて。満足げにからだに茂る枝葉を揺らした妖精のすがたを見詰め、トゥルエノは満足げに目を細めるとたくさんのチョコレートたちを大切に抱え直し主を仰いだ。

ルミオール・フェルセレグ

●菫のひとしずく
 その存在の名は知れど、あくまでも御伽噺の中だけの存在だと思っていた。だからこそ、今こうして常若の花園に足を踏み入れている現実がゆめのように感じられてしまって、ルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)の口元には知らず笑みのかたちが浮かぶ。四季折々の花に溢れた妖精郷はまさに楽園と呼ぶのに相応しく、其処彼処から漂ってくるあまい香りにどうしたって誘われてしまう。
『そんなに素敵な世界のこと。どうして教えてくれなかったの』
 なんて、大切なあのひとが拗ねてしまわないように。この場所でこの瞬間にしか手に入れることが出来ないとびきりの甘露をたくさん買っていこうとツリーハウスのひとつに足を踏み入れたなら。そこには麻のシーツを被った『なにか』がもぞもぞと棚の前で蠢いていたものだからルミオールは目を瞬かせてしまう。
「……ええと、こんにちは?」
 『ひゃあ』と飛び上がったのは恥ずかしがり屋の小妖精。曰く、『お店やさんごっこ』は一緒に楽しみたいけれど、にんげんの前にすがたをあらわすのはむつかしい。だからこうしてシーツを被って目を合わせないようにしているのだと――なんとも微笑ましい理由に目を細めたルミオールは、それならと棚の前で殊更に困ったような声を上げてみせた。
「ああ、大切なひとに贈り物をしたいな。ミルクと、あとは果実とプラリネのチョコレート。そんな都合のいいものが、何処かにないだろうか」
 独り言のように呟いて見せればもぞもぞとシーツの塊が動く気配がしたから。そっと視線だけで振り返れば、カウンター代わりの丸テーブルの上にちょこんと置かれたすみれいろの小箱をみとめ、今度こそ青年はくすくすと声を立てて笑ってしまった。
「お代はこれでどうだろう?」
 テーブルの対面に乗せたのは色とりどりの鉱石たち。この世界のものではあるけれど、それは『とつくに』のものであって妖精郷のものではないから。物陰から聞こえてきたありがとうと言うちいさな声に、ルミオールは『こちらこそ』と笑みを深めて積み重ねられた小箱たちを大切に持ち上げた。

時月・零
欺三・夕蓮

●花唇に甘露を
「零様はいつもわたくしを色鮮やかな世界へ誘ってくださるのです」
 風に遊ぶ花弁のように、ふわり、ゆらりと尾鰭が揺らぐ。宙を泳ぐ欺三・夕蓮 (泥中の蓮華・h00360)が悪戯好きの風精たちに攫われてしまわぬようにと、そのほそい手を導きながら時月・零(影牙・h05243)は咲き群れる花々をゆっくりと仰いだ。
「此の地はお前のように華やかだな」
「……ふふ。故にわたくしを彩るのは貴方様なのですわ」
 此度訪れた妖精郷――てぃるな、のーぐ、なる世界も実に美しく。
 どんな花よりもあまく綻ぶ夕蓮の姿にほんの少しだけ目を瞠った零は、直ぐに常の調子を取り戻すと『それは、大袈裟じゃないか?』と軽く息を吐いて見せるけれど、夕蓮はころころと可笑しげに咲うばかり。
「此処の妖精達が作るチョコレートが大変美味だそうだ。食べてみないか」
「ええ、勿論。妖精が作るちょこれいとだなんて、心が躍りますわ」
 恋を司る妖精をも虜にした『あい』の甘露。それはどんなに素敵なものでしょう、なんて。ツリーハウスの扉をそっと潜れば、外のにんげんたちを心待ちにしていたのであろう水乙女がぱしゃりとてのひらを重ね合わせながら『いらっしゃい』と慣れない言葉を口にするのに夕蓮はやわらかく双眸を細めた。
「夕蓮はどんな味が好みだろうか。俺は……少し凝った物が食べてみたい」
 漠然とした注文ではあるが。頼めるかと問うてみれば、朧げだった水の輪郭をひとのかたちにしっかりと寄せ集めた水精はこくこくと嬉しげに何度も頷く。成る程、店に依るかもしれないがそれは彼女の得意な分野であるらしい。
「零様は凝った味がお好みなのですね。……わたくしは、甘いものがよいですわ」
 代わりに、と言って渡すにしても洒落たものは思いつかなかったから。色のついた硝子玉を差し出せば、わぁ、と上がった歓声に零は内心安堵する。
「では、わたくしはこれを」
 夕蓮が差し出したのは、彼女を彼女たらしめんとする|鎖された花の妓楼《水槽》の断片。絢爛なる尾鰭を飾る鈴をひとつ。りん、と涼やかに鳴る音色はうつくしき少女の枷。けれど種族を隔てた水精のこころはしっかりと掴めたようで、幼子のようにはしゃぎながら手首に飾る所作にくすりと笑みを溢せば、いろを持たぬ水乙女の頭からぽんと勢いよく湯気が上がったのは――もしかしたら、照れているのかもしれない。

 程なくして運ばれてきたのは、翡翠と金糸雀いろの小箱に彩られた花模様のチョコレート。一粒口に運べば鼻腔に抜ける花の香りに驚くけれど、閉じ込められた野苺のガナッシュの仄かな酸味が後味を軽やかにしてくれるから、くどくは感じられなかった。
「……美味いな。其方はどうだ、夕蓮」
 見れば、少女は包装も愛らしい小箱を翳して眺め見るばかりでいつまでも頬張る様子がないから。どうかしたのかと問おうとするよりも早く、悪戯に微笑んだ夕蓮は次には薄く唇をひらいてその先を強請った。
「零様。わたくしに、食べさせてくださいまし」
 渡されたチョコレートと艶やかに咲う人魚を交互に見遣る。甘える雛鳥のような仕草を無碍にする理由も特には浮かばなかったから、零は手袋に覆われぬゆびさきで摘み上げたチョコレートを夕蓮の口元へ寄せる。
「――ほら、」
 そっと押し込んでやれば、ちいさな唇が甘露を満足げに食むのを見送って。指に残るあまい残滓を何ともなしに舐め取れば、それは酷く――嗚呼、彼女曰く『世界で一番甘い味』と名付けるのに相応しい、どんな酒精よりも酩酊させる甘美な毒に違いないのだろう。

鴛海・ラズリ
兎沢・深琴

●はないろ、蕩ける恋のいろ
 ゆめみたことは確かにあった。
 絵物語を捲れば、そこには妖精たちの楽園があって――御伽噺の中のものだと、鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)も兎沢・深琴(星華夢想・h00008)も思っていた。
「実在、するのね」
「憧れの妖精さんのチョコレートが頂けるなんてっ……深琴、見て」
 綿毛を傘にしてはるかぜの中を泳ぐ小妖精たちの姿は無邪気で愛らしい。ふわふわと宙を舞う彼らを嬉しげに見つめるラズリの姿が微笑ましくて、深琴もほんの僅かだけ表情を和らげる。
「楽しそうね」
「うん、とっても」
 私たちだって負けないくらいに楽しいの、なんて意気込むラズリに頷きを返すと、少女たちはすこしだけ緊張に強張る手でツリーハウスの扉を開いた。
『あっ』『お客さまだ!』
 同時に声を上げたのは店番をしていたでこぼこ背丈の妖精たち。
 曰く、おちびの方が材料あつめをして、のっぽの方がチョコレートをこさえているのだとか。こんにちはと挨拶をすれば妖精たちはくしゃりと破顔しながらどんな味が好みなのかを聞いてくるから、ラズリと深琴は顔を見合わせて鏡合わせの仕草で瞬いた。
「深琴は甘いものは好き?」
「ええ。甘い物は好きよ」
 だから、心配しないで大丈夫。言外に含まれたこころごと抱けばラズリはこくりと頷いて、こちらを楽しそうに窺う妖精たちへ、棚いっぱいに積まれたチョコレートたちを仰ぎながら『ねがいごと』を口にする。甘さと酸味。香ばしさと甘さ。それぞれの願いを聞き届けたふたりの妖精が積み上げられたチョコレートの小箱の中からとっておきを選んでくれる。どこか戯けた仕草が可愛らしくて、つい目元が緩んでしまうのを感じながら――不意に、つん、と軽く袖が引かれる感触に気が付いて深琴は傍らを振り返る。
「深琴、深琴」
 見ればラズリが遠慮がちに袖を遠慮がちに摘んでいたから。どうしたのと問えば、少女はもじもじと落ち着かない様子で恐る恐る友を見上げた。
「ちょこ、良かったら分けっこしてもいい……?」
 降って湧いた愛らしいお願いに、深琴はやわらかに目を細めながら安心させるように頷いて見せる。
「もちろん。丁度同じ事を思っていたのよ」
 甘酸っぱい果実も、かりりと香ばしい飴がけのナッツも、はんぶんこ。
 ふたりで分かち合えば、きっと何倍にもしあわせは膨らんでいくはずだから。

 お代に、とラズリがおちびに差し出したのはチョコレートをモチーフにしたお洋服でおめかしした白兎のぬいぐるみ。
「手作りのお返しなの」
「さすが仕立て屋さん、お手製のぬいぐるみ素敵ね。私からはこれを」
 深琴がのっぽに差し出したのは、紅石英をあしらった薔薇のブローチ。それぞれの好みにぴったり合致したらしく、きゃあきゃあと歓声を上げて喜ぶでこぼこ妖精たちの姿に少女らはそれぞれに浮かべられる笑みのかたちを乗せてよかったと頷き合う。
「……あとね、深琴にも!」
「え、私にも?」
 思いがけないさいわいに、深琴はぱちりとばらいろの瞳を瞬かせて手渡されたぬいぐるみを覗き込む。ルビー色の白兎の足元には薔薇の刺繍が施されていて、甘やかな彩りが愛らしい。
「一緒にお出かけ記念と甘い日の贈り物ですっ」
「ありがとう大事にするわ。早速この子に名前をつけてあげなくちゃ……ねぇ、お礼にチョコを贈らせて」
 果実以外ではどんな味が好き? 分かち合ったチョコレートの他にも、いろいろ、たくさん。あなたの『好き』を教えてと、深琴が紡ぐ言葉たちにラズリは頬を皐月のはなのいろに染めながら、『あのね』ととっておきの笑顔と共に唇を開いた。

燦爛堂・あまね

●きみに『あい』を
 戯れるように咲き綻ぶハートイーズが、あたたかな風に揺れている。
 周囲からふわふわと漂うあまい香りに誘われて、燦爛堂・あまね(絢爛燦然世界・h06890)は妖精郷の花畑を進み、あかい屋根が目を惹くツリーハウスのひとつの扉をそうっと開いた。
『こんにちは、外のヒト』
「まあ。こんにちは、楽園の方」
 ちいさな翅を持つ妖精たちを自らの枝葉で休ませていたのは、樹木のからだを持つ古き妖精のひとはしら。さやさやと葉を揺らせば、ぱちりと小妖精たちが『お客さまだ!』と一斉に目を覚ますからあまねは目を丸くしてしまうけれど、直ぐに楽しみの方が勝つ。
『外のヒトは、何がすき?』
「そうですねえ、ほっぺが落ちそうなくらい甘いものが好みです!」
 折角ならこの地で採れた果実を合わせたものがいい。ドライフルーツの食感や風味を楽しめるものがいいと告げれば、樹霊から飛び立った小妖精たちが店中のチョコレートの小箱をああでもない、こうでもない、と探し始める。
 程なくして差し出されたのは砂糖細工のミモザをあしらったおひさまいろのチョコレート。味見もどうぞと差し出されたひとつぶを頬張れば――、
「……、……。……?!」
 噛めばほろりとショコラがほどけて、次にはぎゅっと甘みを濃縮させたベリーの果肉の芳醇な香りがあふれて、あふれて。ぴん、とけものの耳と尾っぽが立つ。
「とっても、とってもあまくて美味しい……っ!」
 ぼわりと膨らんだあまねの毛並みをみとめ、妖精たちは楽しそうな声を上げて笑った。

 見合う対価にと差し出したのは花の意匠を施したカメオのブローチ。こがねいろの台座に嵌め込まれたひとつぶは、ちいさな絵画のよう。樹霊の表情の変化は分かりづらかったが、ぽ、ぽぽぽ、と幾つも咲いた頭の花がきっと彼のよろこびを表している。
 美味しいチョコレートのお返しに、愛を籠めて。
 齎された互いのあいのかたちは、種を違えどもきっと届いている。

大海原・藍生

●きみが描いたせかい
 エルフのように限りなくヒトに近いものも居れば、樹木の精のように見慣れない、風変わりな姿をしているものまでさまざまだ。小妖精専用のようなちいさな店は見目にも愛らしく、大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)の好奇心をいたく擽った。
 自分はうたのちからで妖精や精霊たちを呼ぶことが出来る。けれど、実際のところ藍生にもその正体はよくわからない。√を越えてきたのか、大自然のエネルギーがかたちをとったものなのか――御伽噺で操ることが出来る小妖精だって元はと言えばインビジブルだし、まだまだ疑問は尽きないけれど。
「どっちにしても、この国の妖精さんとも同じ『命』。仲良くなれたら良いな」
 彼らは手を差し伸べてくれるだろうか。いいや、自分から取りに行ったっていい。今日という日が齎してくれた『さいわい』を喜びながら、藍生は窓越しに目が合った妖精が手招きをする姿をみとめてツリーハウスの扉を開いた。

 常若の国の土で育ったカカオ。それは野菜や果物が土壌を変えれば味やかたちを変えるように、きっとこの場所でしか食べられない特別なものに違いない。
「ええと、ミルクチョコをください」
 奇を衒わずに、ただ、純粋な甘露を。告げられたねがいに頷きを返した花精たちはとっておきのチョコレートが詰まった小箱をわっせわっせと運び出す。目の前で広がる光景は非現実的で、それが藍生の『わくわく』を刺激して自然と顔には笑みが浮かぶ。
「俺の世界のものをひとつ。これはこことは別の、|外の楽園《√EDEN》の紙とインクで描かれた絵です」
『わぁ』『わぁ!』『わたしたちだ!』
 ひとりが感嘆を上げれば、連鎖するように花精たちから一斉によろこびの声が上がる。幼さ故の拙さこそあれど、そこに込められた想いに貴賤などありはしない。
「俺が妖精さんを描きました、よかったら」
 齎された一枚の絵を大切に掲げながら妖精たちは何度も感謝の言葉を口にして藍生の周囲を飛び回るのが少しこそばゆい。少年は眩しげに目を細め、安堵の息と共に妖精のチョコレートを手にするのだった。

システィア・エレノイア
クラウス・イーザリー

●しあわせのかたち
 四季の花が褪せる事なく満開のころを迎えたままのせかい。
 あたたかな風は未だ厳しい寒さの続く日々を忘れさせてくれる。妖精たちの楽園はシスティア・エレノイア(幻月・h10223)は頭の中で描いた天国の朧げな輪郭を浮き上がらせ、ただこの光景を眺めるだけでも来ることが出来て良かったと感じることができた。
「みんなあったかいひと達だね」
「ああ。陽気で素敵な方々だよね」
 どこか夢に揺蕩っているかのような心地だった。
 沢山の事件に関われば関わるほど、人々の冷たい悪意に晒される機会はどうしたって増えていく。それが敵対する存在であるならばまだ耐えることが出来るが――救出対象から向けられる拒絶は、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)の心臓を直接じくじくと少しずつ蝕んでいく。誤魔化しながら生きていくには、余りに戦火に侵食された人々の理不尽な感情の発露は無慈悲で残酷だ。
 けれどこの世界にはそれがない。
 思い思いに過ごす妖精たちの間にはあらそいがなく、ただ自由で、奔放で、それなのに衝突しない。楽しそうな声が彼方此方から上がるのがなんだか擽ったく感じてしまって、クラウスは『すごく安心するよ』と淡く綻んだ。

「店主さん。この枝を差し上げるので、あなたが特に気に入っているお味のチョコレートを譲って頂けないだろうか?」
「俺からはこれを。ここの花々みたいに、あたたかみはないかもしれないけれど」
 カーテンに覆われたカウンターから、にゅっと獣の鼻先が覗く。おおかみのそれを思わせる黒い鼻がすんすんとにおいを確認して――次にはもじゃもじゃの毛に覆われた腕がふたりが差し出したヤドリギの枝と機械仕掛けの花をさらっていった。
「……。……持っていかれちゃった」
「店主さん? ……わっ」
 にゅっ。
 とん、とん。
 もう一度出てきたもじゃもじゃの腕が、飴細工のかすみ草をあしらったチョコレートの小箱をふたつ置く。
 返事はない。が、もしかしなくてもこれはきっと取引の成立なのだろうと。顔を見合わせたシスティアとクラウスは堪らずふっと何方からともなく笑みを溢した。
「ありがとう、戴きます。……花畑を眺めながら食べてもいいかな?」
 にゅっ。
 そこで漸く顔を見せてくれたのは、歳をとった|妖精たちの番犬《クー・シー》だった。返事の代わりににかりと牙を見せて笑う姿はちょっとばかしおっかない様相ではあったけれど、照れ屋なのであろう彼が顔を覗かせてくれただけで嬉しくて。ありがとうと言葉を返せば、けものの顔は直ぐにカーテンの奥に引っ込んでしまった。

 花の絨毯の上に腰を下ろし、改めてチョコレートの小箱を開く。
「はんぶんこ、嬉しい」
「うん」
 飴細工が乗った特に美味しい部分はクラウスに。ぱきりと割ったチョコレートを分かち合えば、喜びも増していくよう。ひとくち頬張ればどんな甘露よりも蕩ける甘美な味わいにクラウスのかんばせが見る間に笑みに彩られるから、システィアも続いて口に運べばぴんと月狼の耳が立つ。
「ん、美味しい」
 うつくしい花々に、互いの想いのように甘やかなチョコレート。あっという間に口の中から消えてしまうのは、傍らの温もりのせいだろうか、それとも。
「……来て、よかったな」
 酩酊してしまいそうなほどの幸福に満たされながら、クラウスはあまく目を細めてシスティアの肩に頭を寄せて春のあたたかさに身を委ねた。

天ヶ瀬・勇希
楪葉・望々

●『こい』のあじ
「のの! 早く、早くっ!」
 胸の鼓動に合わせて、からだが一緒に動くようだった。
 天ヶ瀬・勇希(エレメンタルジュエル・アクセプター・h01364)は花畑を弾むように駆けていきそうになるけれど――いけない、いけない。楪葉・望々(ノット・アローン・h03556)が転んでしまったら大変だと思い至れば、急にブレーキをかけるものだから。
「勇希、まって……、……わぷっ」
 追いついた望々が背中にぶつかる感触に声を上げて笑いながら、勇希は少女のちいさなてのひらを取って先よりも緩めた歩調で歩き出す。望々だって楽しみにしているのはほんとうだから、自然とふたりの歩みはすこしだけ急いたものになった。
「めちゃくちゃ美味いチョコ、楽しみだな!」
「うん。とってもおいしいチョコレート、楽しみ」
 恋がどんな味かは上手に思い描けないけれど。でも、それでも。繋いだてのひらが熱く感じてそわりとちょっぴりだけ胸が疼いてしまう気がするのは。御伽噺のせかいのようなこの花園が、こんなにも芳しいから?
「あのお花いっぱいのツリーハウスに、行ってみない?」
「賛成っ! 早く食べたい!」
 名のつけられないむずむずとした予感めいたものはきっと、チョコレートが楽しみでしかたないから。勇希も同じだったらいいな、なんて。望々ははにかみながら店の扉へそろりと手をかけた。

 春の花で埋め尽くされた店の主は花編みの少女のかたちをしていた。ふたりの姿をみとめれば、ぽぽぽ、と根を張る足元から花を更に咲かせていくその姿に目を丸くしながらも、少年少女たちはぺこりと一緒に頭を下げるとそれぞれの挨拶を口にした。
「妖精さん、わたしたち、チョコをもらいにきたの」
「へへ、お店屋さんごっこならこっちはしっかりお客にならないとな。チョコくださいっ!」
 お代だってきちんと用意してきた。すこし背伸びしてカウンターにふたりが並べたのはてのひらサイズの紙片たち。花精にはそれが何なのかわからなかったのか、興味深げに少年少女らの手元を覗き込んで『かっこういいねえ』とヒトの言葉を口にしてくれた。
「集めてるヒーローのカード持ってきた! かっこいいだろ!」
「わたしはね、これ。すごくレアらしい妖怪めんこ」
 妖力の籠ったメンコも、ホログラムの厚紙に印刷されたカードたちも。印刷技術で人間たちより大きく劣る妖精たちにはとても珍しく映るようで、見る間に花の面影が笑みのかたちに彩られていく。棘のない蔓薔薇がひとつ、ふたつと小箱を手繰り寄せれば、それらは直ぐに勇希と望々のてのひらのなかへと収められた。
 どうやら取引成立ということらしい。やったね、と顔を見合わせれば擽ったさが胸の奥から少しずつ湧いてくる。
「ねえ、勇希。恋に落ちてしまうみたいなあまさって、どんな味だろうね」
 望々のチョコレートはミルクたっぷりのあまい、あまい、手毬型のトリュフチョコレート。金箔でおめかししたとびっきりを摘み上げ、あーん、と告げれば一才の躊躇なく勇希はそれを頬張った。
「わ、すごい美味い! 恋に落ちる味……は、俺もよくわかんない!」
 でも。望々と食べると普段のおやつだってひとりで食べるよりもずっと美味しく感じる。そんなささやかな『トクベツ』に、今は名前をつけることはできないけれど。
「ほら、のの。あーん!」
 キャラメルに包まれたアーモンドが香ばしいチョコレート。粉砂糖でお化粧したそのすがたは、彼らが思い描くしらゆきのいろに違いない。鏡合わせの仕草で差し出されたそれを、少女もぱくりと受け止める。
「……ん、あまくて、おいしい」
 ほわり。満面の笑みとはいかないけれど、あまく顔を綻ばせた望々が喜んでくれていることが勇希にも十分伝わってくる。だから、嬉しくて堪らない筈なのに――すこしだけ緊張してしまったのは、一体どうしてなんだろう?

夜白・青

●むかし、むかしのものがたり
 妖精たちは話のネタにはしているけれど、こうして本物と出会うのははじめてのこと。それも、ひとり、ふたり――視界の中に、こんなにたくさん!
「(……記憶がないから、たぶん、だけれど)」
 ほんの僅かに目を眇めた夜白・青(語り騙りの社神・h01020)はかぶりを振って一瞬の憂いを拭い去る。そんな青に気付いた妖精たちはトタトタと軽い足音を立てながら『竜のヒト!』『竜のヒト!』と躊躇なく近寄ってくるから、すこしだけ面食らってしまう。
「オレのこと、怖くねいのかい?」
 からだのちいさなホビットたちは顔を一度見合わせるけれど。直ぐに満面の笑みを浮かべて『ぜーんぜん!』と声を揃えて口にする。青は今度こそぱちりと瞬くと彼らと目線を合わせるべくして軽く身を屈めた。
『竜のヒトと、妖精はなかよし!』
『ぼく/わたしたちは、竜のヒトがすき! ニンゲンも、面白いからすき!』
 だから、どうぞ、どうぞ。ぼくたち、わたしたちのお店にいらして、と。紅葉のようなてのひらがいくつも青の背を押そうと群がってくるものだから、ふは、と吐息を溢して笑いながら青はホビットたちのちいさなツリーハウスをそうっと覗き込んだ。
「あまーいのをひとつ。妖精さんたちがつくる、ベーシックなものをいただきたいねい」
 青が全身を入れるには少々難があったから、持ってきてもらうことにした。お代にと差し出したのは自身が作った鱗を模した緑の組紐飾り。四葉のクローバーにも似ているだろうと告げれば四方八方から歓喜の声が上がるから、擽ったいような気持ちが湧き上がってくるのを止められない。
『『あまいものひとつ、あなたに、あげる!』』
 にんげんが食べやすいサイズに作った、彼らには少々大きな小箱。中には、幸運のあおいとりを模ったミルクチョコレートがたくさん詰め込まれていた。

 『あい』と優しさに満ちた楽園の花園。ここは、平和でいいところだ。
 だからこそ、この無邪気な彼らを守らなければと。青は胸の中で静かに決意を固めるのだった。

エレノール・ムーンレイカー
ミモザ・ブルーミン

●いたずら好きのリュタン
 ティル・ナ・ノーグ。常春の楽園。
 エレノール・ムーンレイカー(蒼月の守護者・h05517)にとっては御伽噺の中の存在だけれど、彼女とて妖精族に名を連ねるものであることには違いない。その証拠に、妖精郷の住人たちは驚くくらいに好意的ですれ違うたびに『こんにちは、月に佇むヒト』と声を掛けてくる。
「あははっ! 妖精って、そういうものだよ」
「ふふ。そうかもしれませんね」
 ここはミモザ・ブルーミン(明朗快活な花妖精・h05534)の住むエルフィオールとは異なる妖精の国。出立しようとするエレノールにおねだりをしてこうして荷物に紛れてついて来たのだけれど――彼方此方から漂うあまい花とチョコレートの香りに我慢できなくなって、とうとう飛び出してきてしまった。
「ミモザ?」
「ねえ、エレノール! あのお店からすごくいい匂いがするよっ。行こう行こう♪」
 もちろん、この妖精たちの理想郷に迫る脅威を退けるためのお手伝いだってするつもりだけれど。同胞たちが作り上げたとびっきりのチョコレートだって見過ごせないからと、ミモザはエレノールの腕にぎゅっとしがみつきながらお願いお願いと口にするから、思わず笑みが溢れてしまう。
「あの店がいいんですか? ……ではあちらでチョコをいただきましょうか」
「うん!」

 差し出されたのは果実の瑞々しさを前面に押し出したフリュイ・ショコラ。マンダリンにフレーズ、水蜜桃に香り高いキルシュ。一粒ごとに異なる味わいをすこしだけビターなチョコレートでコーティングしたとっておき。
「ふむ、これがリャナン・シーのチョコレート……。一口、いただきましょう」
「これが噂のチョコかぁ。うんうん! いっただきまーす♪」
 ひとくちぱくりと頬張れば、じゅわりと広がる果実の甘酸っぱさと滑らかな舌触りに驚いて顔を見合わせてしまう。
「――! すっごい美味しい!」
 それでいて、口の中には嫌な後味が残ることはなくて。ほんとうに蕩けてすっと消えてしまって、あとにはあまい香りの余韻が口内をいっぱいに満たす。
「人生で食べたチョコの中でも指折りの美味しさだよ!」
「――これは名に恥じない美味しさですね! これに匹敵するチョコは、そうそうないと思いますよ!」
 ついついたくさん食べてしまいそうになるけれど、いけない、いけない。ちゃんと持ち帰る分もとっておかなければと。ここまでにしましょうね、と制するエレノールの声に手を伸ばしかけたミモザは『はぁい』と唇を尖らせた。
「いやあ、このチョコが食べられただけでも、ここに来た甲斐があったよ♪」
 店番の妖精はねこのように目を細めながらその様子を嬉しそうに見詰めている。見目は年若いように見えるけれど、もしかしたらエレノールやミモザよりもうんと長い年月を生きているのかも、しれない。
「そう、お代お代! ……これでいいかな?」
 それは異なる妖精の国で咲いた花でつくられたハーバリウム。見慣れぬ色彩は妖精のみどりのひとみを輝かせ、それが快を示すものであると知る。
「わたしからは、これを。わたしが調合したポーションです」
 効果は飲んでみてからのお楽しみ。もちろん、口にせず飾ってその煌めきを楽しむままでいたっていいと。差し出された小瓶を受け取れば、笑みを浮かべた少年は『ありがとう』と素直な言葉を口にした。

 ふだんは悪戯をしてばかりの少年のかたちをした妖精は、彼女らが『びっくり』するような辛いチョコレートを忍ばせることだって出来たけれど、そうしなかった。
 ――睦まじいふたりのよろこぶ顔のほうが、いまは悪戯よりもずっと喜ばしいもののように感じられたから。

シルヴァ・ベル
八乙女・美代

●押し花とチョコレート
 今日は商いごとはおやすみ。
 いつも頑張る自分たちへのご褒美を求めてやってきた八乙女・美代(美意識の歪み・h07193)とシルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)は上機嫌に花が咲き綻ぶ妖精郷の中心で宝探しに勤しんでいた。
 お目当ては他でもない、『ティル・ナ・ノーグでいっとう甘いチョコレート』!
 自分たちの足で一軒一軒探すのも趣があって良いが、ここはおしゃべり好きの彼らに直接聞くのがよいでしょうと。シルヴァの提案に快諾を示した美代はこうして妖精たちが集まるところに足を運んだのだが――まあ、彼らのよくよく喋ること!
「いやぁ楽しみねェ、どんなものが出てくるかしら?」
「……わたくしは、ええ、もちろん楽しみです」
 すこしだけ言葉を濁したシルヴァの様子を、上機嫌な美代は特に追求しない。
 もしかしたら、いたずら好きな妖精による極端な結果が齎されることををほんの少しだけ危惧したのだけれど。美代はそんな遊び心ごと楽しんでいそうに見えるから、『怖いもの見たさ』での希望でもあっただなんてことは内緒にしておこう。

 妖精たちの提案のなかでいちばん多く票を集めたのは花守りの妖精が住むツリーハウスのひとつであった。花の蜜あつめを生業とする彼/彼女たちはあまいものに目がなく、リャナン・シーが持ち帰ったチョコレートにいちばん強く興味を示したのだと言う。
「アタシはチョコレートなら何でも好きだけど、今回は甘ァいミルクチョコレートの気分なの」 
 疲れている時に食べるあまいあまいチョコレートは何にも変え難いごほうびになる。『だから、一番甘いのを見繕って下さる?』と小首を傾げれば、翅を震わせた妖精たちはあれでもない、これでもない、と積み上げられた小箱を一斉に探し始めた。
 妖精郷には様々な妖精が暮らしていることが聞き込みの際によく分かったが、彼らの種はシルヴァとよく似ており、ちがいは翅の種類だけ。蜜蜂の翅を持つ彼らは働き者で、程なくして運ばれて来た花を模ったチョコレートたちにはそれぞれかたちどおりの花の蜜が使われているのだと口々に囀るものだから、美代は思わずくすりと笑みを溢した。
「お代はこちらをお持ちしたの。ほら、妖精に服飾品は贈られないでしょう?」
 妖精郷では関係のない慣習かもしれないけれど――きっと、これが相応しい。
 シルヴァが差し出したのは花守の精にぴったりなおおきさの、ちいさなちいさな、たくさんの靴たち。シルヴァにとって手に入れにくいものでもあるからきっと重宝するだろうと。お洒落なもの、実用的なものまで様々な靴を詰め込んだ箱を開いてみせれば、わぁ、と幾つも歓声が上がるのにほっと安堵の息を吐く。
「アタシからはこれ。うちの商品、化粧品よ」
 自分にとって一番馴染みがあるものが良い。折角なら使って貰えるものを、と選んだとびっきりを。身体のちいさな妖精たちが扱えるような大きさのものもあるからと差し出せば、とりわけ少女のかたちをした妖精たちの瞳がきらきらと輝いていく。
『ありがとう』『ありがとう、とつくにのヒト!』
 花粉や花弁でその身を彩る妖精たちにとっては未知のもの。だけれど、『愛らしくありたい』という願いはきっと共通のもので、美代やシルヴァが齎してくれたお代は彼/彼女らをたいそう喜ばせた。

 どうぞ召しませ、どんな毒よりも甘美な花蜜を。
 あなたたちが齎してくれた『さいわい』のぶん、わたしたちも同じくらいの『あい』と『よろこび』を返しましょう。

フラヴン・オディール

●糸紡ぎ、ゆめ紡ぎ
 絹糸を括ったような花々が絨毯のように咲き乱れていた。あまい、あまい花の香りに満ちた空気を臓腑に満たし、フラヴン・オディール(記録β・h10175)は常春の陽気にそうと目を細めた。
 妖精たちが自分たちを招いてくれた、今日という日を自分も目一杯に楽しもう。誰かに贈るのもいいけれど――内緒にしてしまいたいくらいに甘美な味わいだと言うのなら、自分だけのご褒美にだってきっと相応しいだろう。
「妖精のチョコレート、どんなものなんだろうな」
 立ち並ぶツリーハウスを眺め見るだけでも心が上向いて行くのが分かる。折角ならばいっとう大きな店にしてみようかと樹木と一体化した『樹のおうち』へ歩み寄り、期待を込めながらフラヴンは店の扉に手を掛けた。

「こんにちは」
 そっと声を掛ければ、むにゅむにゅと何事か寝言を溢していたいねむり妖精のつぶらな瞳がぱちりと開く。羊によく似たすがたをしたそれは、揺り椅子からゆっくり身体を起こすとフラヴンから数拍遅れて『こんにちはぁ』と間延びした声を響かせた。来客はつまりチョコレートを欲するひとの訪れであると理解しているのか、嬉しそうにはにかむ眠りの精はもたついた所作で以ってこの店でいちばんのとっておきを包んでくれた。
「ありがとう。僕は旅人だ、旅の先で見つけたこのボタンをあげる」
 小瓶に詰められた色とりどりの釦は可愛いお針子から貰った思い出のかけらたち。誰かに渡してと言われていたから、きっと今この瞬間に丁度良い。
『わぁ。わぁ、きれいねえ』
 ぱちり、ぱちりと緩慢に瞬く様は、ちいさな黒いひとみにたくさんのいろを焼き付けているようにも見えた。それが眠りの精なりのいっぱいの喜びであると知れば、知らずフラヴンの目元も緩む。
「よかった。……これが妖精のチョコレート」
 『あい』よりもあまく、『こい』よりも蕩けるとびきりのチョコレートに想いを馳せれば、それを口にする『いつか』がもっと特別なものになる。今すぐに食べてしまうのもいいけれど、もうすこしだけここに置いておこうと、フラヴンは懐に小箱をそっと忍ばせた。

八卜・邏傳

●ポップ・ロック・キャンディ
 胸に湧き上がる好奇心に到底嘘なんかつけやしなくって。八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)がツリーハウスのひとつに顔をひょこりと覗かせたなら、直ぐに来客に気付いた長耳の妖精は『中へいらして』と手招いてくれた。
「俺甘いのも甘くないのも好きでさ。んー、特に少ぉし一癖ある味とか結構好きなんけど、そゆチョコちゃんあればおすすめ教えて欲しいな♡」
 シンプルなミルクチョコレートも勿論美味しいけれど、折角の特別なチョコレートならばすこし変わり種がいい。そんなものはある? と小首を傾いで見せたなら、すこしだけ考える所作を挟んだ妖精の少女は並んだ小箱の中からひとつを選び取ると邏傳の目前に差し出してくれた。
 食べてみて、と促す言葉にひとつぶ運んで見れば――、
「――んわぁ、パチパチ!」
 シナモンにスターアニス。クローブ、カルダモン、黒胡椒のぴりりとしたアクセントを乗せたレモン・コーラのチョコレート。砕いたポップ・キャンディが口の中でぱちぱちと弾ける食感が何度でも驚かせてくれるから、なるほどこれは随分刺激的。もうひとつ、と手を伸ばしそうになるのを一生懸命抑え込みながら、邏傳は未だ飴が弾けた余韻を口の中に残しながら『これちょーだい!』と満面の笑みと共に頷いた。
「よかったら俺のコレと交換して貰えねかな? じゃん☆」
 取り出したるはなないろのインクペン。彼らの文明水準で言えばそれは魔法の品と呼ぶに相応しい逸品で、かち、かち、と色を切り替えるたび少女はわあ、わあ、と感嘆の声を上げながら喜んでくれる。反応の良さに笑みを深めながら邏傳は特製のペンを少女のてのひらに託し、ひそりと声を落としながら『ないしょばなし』を持ちかけた。
「あとね、よかったら妖精ちゃんの恋のお話聞かせて欲しーな♡」
『まあ、よくばりさん。でも……いいの?』

 私たち妖精族の恋は。とっても『きまぐれ』で刺激的なのよ、と。
 にんまりと目を細める長耳の妖精が急に大人びて見えたものだから、邏傳はぱちりと大きく目を瞬かせた。

レア・ハレクラニ

●おもいでを、きみに
「素敵な予感がするのはレアだけじゃないですよね!?」
 妖精たちのチョコレートなんてぜったいぜったい、見過ごせない。意気込むレア・ハレクラニ(悠久の旅人・h02060)を妖精たちはあたたかく迎えてくれた。
 あまい匂いに誘われるままツリーハウスが並ぶ木々の間を散策すれば、いまこの瞬間にチョコレートをこさえている小人たちの工房を見つけて、わぁ、と感嘆を上げたレアはこっそり『おゆるし』を得てスマートフォンをいそいそと取り出した。カカオ豆を擦り潰す工程ひとつとっても、ちいさなからだの妖精にはおおしごと。でも、歌いながらあまい香りに包まれておしごとをする彼らはとても楽しそうでそれがまた微笑ましい。
「……は!? これ、レアも毎日頑張っているご褒美のチョコを買ってもいいのでは??!!」
 この妖精郷に招かれたということはそう、彼らが一生懸命こさえたチョコレートを食べる権利がレアにももちろんあるということ。そうと分かれば工房の先にくっついたお店のほうに行かねばと、駆け込んできた少女のすがたをみとめた小妖精たちは諸手を挙げて『さっきの『かめら』の子だ』『いらっしゃい!』と口々に歓迎の言葉を口にした。
「レアは、甘いのが好きです!」
 それならこれはと。いくつも並べられて行くのは野いちごや杏、桃の砂糖漬けに色とりどりのチョコレートでおめかししたショコラ・オ・フリュイ。がまんできずに一粒頬張れば、じゅわ、と染み入る糖蜜のような甘さとほのかな酸味が口いっぱいに広がって。美味しいと思わず溢せば、妖精たちの顔にも満面の笑みが咲く。

「あっ! もちろん、レアからもお返しがあるのです! キラキラは好きですか!?」
 海を思わせるようなホタルガラス。きらり、きらりと角度によって色を変えるひかりを見上げ、きゃあきゃあと歓声を上げて喜ぶ妖精たちがレアの手に幾つも『これもあげる』とチョコレートを積みはじめるものだからすこしだけびっくりしてしまうけれど――当分おやつには困らないかも知れないと、少女は両手いっぱいの小箱を抱え満面の笑みを咲かせるのだった。

ジル・ノクタルジア

●きまぐれ花模様
 己が拠点にしているところの近くにも妖精たちは存在するけれど、ジル・ノクタルジア(真昼の星あかり・h11537)の知る花精たちはこの妖精郷に住まうものたちのような特殊な風習に馴染みはない。
「妖精のチョコレートか、楽しそうだね」
 だから、うちの|花精《こ》たちにプレゼントしたら喜んでくれるかもしれない。
 ナッツミルクや蜂蜜を用いたものであれば、チョコレートを食べたことのない花精にとってもやさしいものになるだろう。自分が口にするものを選ぶならば、ミルクをたっぷり使ったものも悪くない。
 それに、かれらが一体どんな『お店やさん』を営んでいるのか興味がある。おばけキノコをくり抜いて作った小妖精用のちいさなお店から、巨木そのものを家にしたおおきな店まで。個性豊かな様を眺めみながら、ジルは薄氷の瞳を細め絨毯のように咲き群れる花々を傷付けぬように足を運んだ。

『いらっしゃい、『とつくに』の同胞さま!』
 ジルの長耳を同族のそれと知れば、ぴんと尖った耳を跳ねさせた妖精族の娘は諸手を挙げて歓迎してくれるから。ジルも挨拶をすれば、娘はふくふくと頬を緩ませながら『きてくれてありがとう』とわらってくれた。
「此処とは違う妖精の森の……チョコレートに馴染みのない妖精たちに、ぜひ自信のあるチョコレートを布教するつもりで選んでほしいな!」
 なんてね、と。荷が重くなりすぎないようにぱちりと片目を閉じて見せれば、きょとんと目を丸くした長耳の娘の頬が高揚とやる気にあかく染まっていくのに今度はジルが驚いてしまう。
『ええ、ええ。私たちがはじめて口にしたときのよろこびを伝えられるような、とっておきにしましょう!』
「それと、僕にもおすすめをひとつお願いしたいな」
 出来るなら、これもぜひおすすめを、と言えばすぐさま『もちろん!』と元気のいい返事が返ってくるのが心地いい。味の好みはあるかしらと、小箱をいくつも抱えながらカウンター代わりにしているらしいテーブルに次々乗せて行くのを横目に、ジルはううん、と軽く首を捻って逡巡を挟んで見せる。
「紅茶よりはコーヒー党かな。だからそれに合うようなものがいいな」
 多少嵩張るようなものでも、逆に一粒にぎゅぎゅっと詰めたようなものでもどちらでも構わない。君が思うとっておきをと願えば、忙しなく走り回っていた娘はやがて幾つかの小箱を示してくれた。
『花精の子たちにはこれを』
 朝採れの花蜜だけであまさをつけた、花束のチョコレート。舌触りのいい滑らかな食感と馴染み深い甘味はきっとちがう森の妖精たちの心も掴んでくれる。必要な分だけ持っていってね、と笑う姿に頷けば、次には濃紺の小箱に包まれたすこしだけ厳かな佇まいのものを差し出してくる。どうやらこちらが自分に向けたものであるらしい。
『どうぞ、常若の国で過ごす今日が豊かなものでありますように!』
 キャラメリゼで仕上げた様々なナッツを閉じ込めた、軽やかな歯触りが心地のいいビターチョコレート。こころをほどくあたたかなカフェオレにも、きりりと目が醒めるようなブラックコーヒーにも、きっと丁度いい。両手が埋まるほどのチョコレートたちが並んだテーブルを前に、ジルは娘へと対価となるものを差し出した。
「ありがとう。皆で楽しむよ」
 星あかりを宿したランタンを、君に。
 やってくる夜が、どうか――この地に住まうすべての妖精にとって、おそろしいものにならぬようにと、願いを込めて。

番田・陽葉

●すくすくと伸びゆくもの
 彼方此方で咲く蕩けた笑顔が、この地のさいわいを象徴しているかのよう。
「ここが妖精郷だべか、綺麗なとこだべ」
 ふかふかの毛に覆われた手足を懸命に動かしながら、番田・陽葉(熊猫おばちゃんデカ・h10140)は常春の陽気を受けて眩しげに目を細めた。
 ふつうの動物であればチョコレートの中にある成分を分解出来なかったり、あるいはそれ自体が毒になってしまうこともあろうけれど――幸か不幸か、能力者として覚醒した今の陽葉は何を食べたってへっちゃらだ。
「それに妖精さんが作ったチョコならきっと不思議なチョコだべ」
 まだ食べたことのない、あまく、あまく。ゆめのようにとろけるチョコレート。楽しみだべと顔を緩ませながら、陽葉はひときわ大きな巨木の『うろ』をそのままお店にした『おおきなからだのひとむけ』のツリーハウスへ顔を覗かせた。
「よーし、ごめんください」
『あら。わあ! すてきな模様のくまさん』
 この妖精郷を囲む森には陽葉の同胞はいないらしい。『パンダっていうんだべ』と告げたなら、丁度陽葉の三分の一ほどの背丈の小柄な妖精たちは口々に『パンダさん』『すてきねえ』と手放しで褒めてくれるのが、なんだか子どもたちの歓声を思い出させるからちょっぴり擽ったくて懐かしい。
「物々交換するべさ。わだすは甘いミルクたっぷりのチョコが欲しいべ」
 昔は食べることがなかったもの。いまは食べられるものの中でも、とびきり驚いた甘いという感動を大切にしたいから。彼らが扱うものの中でも、特に際立つものがいい。子どもがよろこぶ味であるならば尚のこと。
 陽葉のおねがいを聞き届ければ、妖精たちは手分けして並べた小箱たちを探し出す。その間に風呂敷包みに大切に仕舞って持って来たお代金がわりを並べれば、見慣れぬ東洋の植物たちに妖精たちの瞳は直ぐに釘付けになった。
「わだすが持ってるのはタケノコに笹の葉っぱ。甘いのが良ければ笹団子もあるべ」
『格好いい!』『パンダさんのたべもの?』
「そうだぁ、妖精さんたちにはち〜っとエグみが強いかもしれねぇから。タケノコが良ければアク抜きの方法も教えるべ」
 妖精たちはみんなみんなあまいものがすき。だから、半分は笹団子を所望したけれど、珍しいもの好きの幾人かはタケノコを欲しがった。そのかわりにと齎されたチョコレートの小箱たちは、ひい、ふう――たくさん!
 その中でもいちばんおおきな箱を手に、陽葉はほう、と感嘆の息を吐く。食べてみてと促される幾つもの声に、ぱくりと一粒頬張ったなら。
「ん〜〜!」
 口の中で体温と共に緩やかにとろけていく至福の甘露。花蜜の雫で甘味を付けたチョコレートはほのかに花の余韻を残し、鼻腔に抜ける華やかな香りが心地いい。ひとつ食べればすぐに次が欲しくなって、はむはむと続けてひとつ、もうひとつと頬張って、はたと気付く。
「あわわ! これ以上はダメだべ。我慢、我慢……」
 みんなが夢中になって食べすぎてしまうのもよくわかる。一度この味を知ってしまったら、止まらなくなってしまうことだって。だけれど、これは大切なお土産も兼ねているのだからと陽葉はいそいそと菜の花いろの小箱たちを仕舞い込んでいく。もし他にも食べてみたかったらいろんなお店を回ってみてと、妖精たちが告げる声に陽葉は『ありがとうだべ』と笑みを返した。

 このミルクチョコレートは大切なあの子へのお土産に。
 名も知らぬ黄色い、愛らしい花を模ったとびきり綺麗なチョコレートは――自分のちいさな世界を懸命に守ろうとしてくれた、あの人のお墓にお供えしよう。

ラデュレ・ディア
ラナ・ラングドシャ

●オーレ・ルゲイエと陽気なピクシー
 そわそわと、わくわくと、胸の奥底から湧き上がってくる気持ちと、花と、土の瑞々しさを湛えた空気のあまい春の息吹を感じながらラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)とラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)は咲き群れる花たちに導かれるように歩調を弾ませていた。
「此処が常春の楽園、ティル・ナ・ノーグ……! あたたかくて心地が良いのです」
「てぃるにゃ、のーぐ……? 難しい名前だけど、すごく心地のいい場所だね!」
 この花のベッドの上でころんと丸くなったならさぞかし気持ちが良いだろう。お昼寝していっちゃだめかなぁ、なんて。思わずこぼれたラナの言葉に『チョコレートが待っていますよ』と告げれば、ぴんと立ったねこのみみと尾っぽが言葉よりも雄弁にこのさきへの楽しみを告げてくれるから、そんな友のすがたが愛らしくてラデュレはくすりと笑みを溢した。
「――……」
 何故か。
 どうしてかこの気候が懐かしいと思えるのは、己が『いつか』甘受していたような気がするからだろうか。それとも。
「ラーレ? どうしたの?」
「! なんでもございませんよ、ラナ」
「……そぉ?」
 あと、数歩。ほんの数歩進んでいたら、その輪郭に触れていたかもしれない。けれどそれを大切な友人を置いてまで深追いしようとは思わなかった。だから、にこりと笑みを深めて見せればラナもそれ以上の詮索をせずに『なにかあったらいつでも言ってねっ』と両手をぐっと握り込んで無償の友愛を差し伸べてくれることがただありがたかった。
「さあ、チョコレートをいただきにまいりましょう。とても美味しいのだと伺っておりますから……!」
「ふふ。ちょこ、たのしみだなぁ……!」
 御伽噺の中の世界に迷い込んでしまったかのようなちいさなツリーハウスたち。どのお店から入ろうかと迷う時間さえ楽しくて。少女たちは声を弾ませながら、そうっとあかく塗られた木の扉を三度ノックした。

 うとうとと。うつらうつらと船を漕ぐ、小柄な老人の姿があった。
 腰に下げたミルクの瓶と、杖代わりに支えにしている二本の傘が特徴的な、奇妙な妖精だ。声を掛けても目覚める様子が無かったから、どうしたものかと首を傾げたのも束の間。老人のローブのフードからひょこりと顔を出した小妖精がひらひらと翅を震わせながら『いらっしゃい!』と声を掛けてくれたことにラナとラデュレは顔を見合わせ安堵の息を吐いた。
『おじいちゃん、夜にならないと起きないの。ごめんね!』
「そうだったのですね、お邪魔にならないといいのですが……!」
 うるさくなってはいないかしらと。恐る恐るに問えば、小妖精は笑って『ひとの子の笑い声が大好きだから大丈夫』と告げてくれた。なんだかその習性さえ可愛らしく思えてしまって、知らず顔が緩んでしまう。
「お代金の代わりの『ひとつ』、でしたね」
「お金じゃなくて物と交換って新鮮! ボクはね、じゃじゃーん!」
 ラナが掲げて見せたのはピンクのリボン。|仔猫ちゃん《ルル》とおそろいのとっておき。リボンの真ん中に寄せるは、|スプリング・エフェメラル《可憐な春の妖精》の名を冠したちちいさいけれど愛らしい花だった。
「わたくしからは、此方を」
 文字を必要としない絵本。それは言葉がなくとも通じ合える絵物語。ちいさいからだでそれらを受け取った小妖精は、ぱっとまるで春を咲かせたかのように頬を染めて歓喜の声を上げるから。自分たちが持って来たお代金が彼女を喜ばせるものであったことが嬉しくて、少女たちの目もあまく細まって行く。
 好きなものを好きなだけ選んでね、と嬉しそうに絵本を捲り始める妖精の声に頷いて、ラデュレもラナも店内にいっぱいに飾られたチョコレートたちに向き直る。たくさんあって目が回ってしまいそうなくらいだけれど――、
「わぁっ。ラーレは四葉のチョコにしたの? にゃは! ボクの誕生日にくれた|鍵《キーロッド》と一緒だ!」
 あれから四葉のクローバーは、ラナにとってもとくべつなものになった。だから、彼女がそのモチーフを選んだこと、それだけで嬉しくって耳がひこひこと上機嫌に動いてしまう。
「ラナ、ラーレからはこれをお贈りいたします」
「……エッ!? ボクにくれるの?」
 四葉のかたちのチョコレート。ミルクとホワイトを交互に置いて仕立てた至福の甘露。それは幸運の象徴で、一枚一枚に特別な意味が込められている。だから。だから、お誕生日のお祝いに重ねて、あなたに贈りたいと思った。
「ラーレの大切なお友だちで、『大好き』なあなたへ。受け取ってくださいますか?」
 大切な友達で、大好き。そんなの。そんなにもうれしいことを言ってもらえて、断れるひとが何処にいようか!
「うん! もちろん! ラーレの気持ちも、チョコもすごく嬉しい! ありがとう!」
 差し出された小箱をぎゅっと抱きしめて。ラナは満面の笑みを咲かせて飛び上がらんばかりの勢いで喜ぶから、ラデュレも嬉しくなって笑みを深めるばかり。食べるのが勿体ないと溢しながらも、このあたたかな想いに応えるためのとびっきりが欲しいと思うから。だから。
「えへへ。ボクもラーレがだーーいすき!!」
 差し出されたのは紫の薔薇を模したチョコレート。永遠の愛をうたう、あまやかな花弁で彩られた甘露をそっと受け取れば、ラデュレの頬もほのかにばらいろに染まって行く。
「貰ってくれる? ……ちょっと重いかな?」
「まあ、紫の薔薇……! とても、とても嬉しいのですよ」
 記憶を失くして彷徨い、行き先もしるべさえもなかったラデュレを包み込んでくれる、彼女こそがひだまりに違いなかった。あたたかくて、いとおしくて、うれしくて。手折らぬようにそっと両の手で薔薇を包み込んだラデュレの姿に、ラナはよかった、と上機嫌に長い尾っぽを揺らして応えた。
「これからも一緒に、旅を続けてまいりましょうね」
「うん! これからもずっと一緒!」

 『よろしくね、ラーレ!』と。軽やかに響いた少女たちの互いを慕うことのはたちを、居眠り妖精と花妖精は眩しげに目を細めながら聞き入っていた。

祭那・ラムネ

●あなたの『すき』をおしえて
 ドラゴンズメモリー。真竜たちが失くしてしまった記憶の残滓、その集合体。今を生きる彼らは一体、何を胸に抱いているのだろう。悔恨だろうか。それとも、憤り?
 無意識に胸元のあおい輝石に手が伸びたのは、安っぽい憐憫じゃない。
 守らなければと思った。
 敬愛する彼のことも、誇りも、何もかもを。

 ほころんだ花々の上を牡丹雪のようなちいさな蝶が風に送られて翅をゆらめくように踊らせている。春の陽気はぽかぽかと胸の奥までをもあたためてくれるような気がして、自然とこころも上向いて行くようだ。
「わー……すげえ。カエルムさん、見える?」
 胸にさげた輝石を掲げ、祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)はやわらかい花の香りに目を細めながらぐるりと周囲を見渡した。妖精郷だなんて御伽噺の中の存在が、いまこうして目の前に広がっているのはどこか不思議な心地がして。旅を、自由を愛した彼がこの地に踏み込んだことはあるのだろうかと想像を巡らせるだけでも楽しかった。
「――……」
 すこしだけ。すこしだけ、ちくりと胸が痛みを覚えたのは妖精たちが作り出した至高の甘露と自分が作ったチョコレートがどうしても見劣りしてしまうような気がしたから。夢の中でしか会えない彼にも勿論日頃の感謝と親愛を込めてチョコレートを用意した。それからまだ眠ることが出来ていないから渡すことは叶っていないけれど、どうしても不安になってしまう。優しい彼は笑って『嬉しいよ』と言ってくれるだろうけれど――気を遣わせて『言わせる』ことには抵抗があった。それ故に迷ってしまう。
「……買っていこうかな。カエルムさんと、……あの子に」
 妖精郷までの道を示してくれた少年もまた、妖精たちのチョコレートがとてもおいしいのだということを伝えてくれたことを覚えている。だから、自分の作ったチョコレートが上手に渡せなかったとしても、おみやげを買っていけばどちらかは渡せると思うから。ラムネはよし、と己を奮い立たせるとちいさなツリーハウスの扉をそっと開いた。

「(……カエルムさんはどんなチョコが好きなんだろ)」
 己は彼を頼るばかりで、彼の好きなものを何も知らない。
 苦手なものはあるのだろうか。特に好んだ食べ物は、なんだろうか。
 ただ好きだという気持ちだけしか持ち合わせていないような気がして、それがいやにさみしくて。渡せないままでいるチョコレートが酷くちっぽけなもののように思えてしまって。俯きかけたその顔を、じっと覗き込む気配があって慌ててラムネは一歩後退ってしまう。
「わっ、」
『わあ。あなた『輝石もち』なのね。旅するヒト、なにをおさがし?』
 苔の塊のような、全身をみどりの毛で覆った奇妙なすがたをした妖精であった。
 ラムネの背丈の半分ほどのおおきさのそれは、ラムネが驚いた様子にゆさゆさと身体を揺らして面白がった。顔らしきものがないからその表情は伺えなかったが、笑っているような吐息が微かに漏れているのがわかる。だから、恐らく歓迎を示してくれているのだろう。
「君は、……この石を知っているのか?」
『もちろん! 大事な『オトクイサマ』っていうんでしょう。彼はそらをあいしたのかしら。きれいねえ』
 曰く。自分たち妖精族は『竜のヒト』とはとっても仲良しであるからして、世界中を旅する角の氏族のことは毎年のようにお迎えしているのだと言う。この妖精が彼らの、あるいは人間の個体差を識別できているかは若干怪しいものがあったが――それでも、彼の断片を知るひとなのであると知れば、ラムネは自然と前のめりになりながら『なら、』と声を上擦らせた。
「もし、良かったら。彼がここに来た時の思い出を、鮮やかに蘇らせてくれるようなチョコが欲しいんだ」
 そんな都合のいいものがあるだろうかと。恐る恐るに問えば、みどりのかたまりはざわざわと全身の被毛を震わせながらラムネのチョコレート選びを手伝ってくれた。
『竜のヒトたちはながい旅をするから、あま〜いものがスキって言ってたよ』
 厳しい寒さを、続く野営を乗り越えられるような。とびっきり甘くて、瞬発的なエネルギーを与えてくれるチョコレートはとても優れた携行品に違いなかった。ラムネが敬愛する彼も、星を詠んだ少年も、きっと漏れなく好むであろうと。告げられれば己の選択も間違ってはいない気がしたから。
「ありがとう。……俺からは、これ」
 対価として差し出したのは、ちいさなてのひらサイズのハーバリウム。
 自分が作ったものだから、気に入ってもらえるかどうかはわからないけれど、と。微笑み掛ければみどりの妖精はぷかぷかとあぶくが弾けるような不思議な音を立てて笑った。どうやら気に入ってくれたらしい。

 チョコレートを渡すためにも。
 彼らが愛したこのやさしい常若の国を護る為にも。
「頑張らないとな」
 店を後にしたラムネは妖精郷を覆うみどりの森を目指して確かな一歩を踏み出した。

第2章 冒険 『妖精の森』


●レプラコーンの足音
『森の外へさがしもの?』
『まあ。まあ。それって、あぶないわ』『あぶないよ!』
 妖精たちは口々に『お作法どおりに歩かないのは危険だ』と言う。
 妖精郷がこれまで外敵のいない平和な楽園であったのは、常若の国を囲む森そのものがダンジョンであり、広大な迷いの森であるその地は正攻法で挑んでもとても踏破できるものではなかったから。
 魔物の類が居るわけではなく――多くはちょっぴりひねくれものの妖精たちが寝床にしている場所。いのちの危険こそないが、彼らのきまぐれがひとたび悪い方に傾いてしまえば『もとどおり』のすがたで人里に帰れる保証が出来ないからなのだと。EDENたちにチョコレートを渡し終えた妖精たちはウンウンと頷き顔を見合わせた。

『それなら――わたしたち/ぼくたちが、手伝ってあげる!』

 森の奥へ。誰も足を踏み入れたことのない、ずっと、ずっと深いところへ。
 妖精のしるべを頼りに、EDENたちは道なき道を慎重に歩み始めた。

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 第二章『妖精の森』
 ティル・ナ・ノーグを囲む妖精の森を進みましょう。
 花々が咲くみどりの迷宮を、皆さんにチョコレートを譲ってくれた妖精たちがそれぞれ道案内をしてくれるので迷うことはありません。周囲に多少気を配っていればそこまでの脅威はないでしょう。この森の最奥に、竜の残滓が待っているはずです。

 ――ああ、けれど。大きな音はどうか立てないで!
 妖精郷で暮らす妖精たちのよりも、この森に眠る妖精たちはより『妖精らしい』妖精たちです。お気をつけて!

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ルミオール・フェルセレグ

●ニーヴのかくれんぼ
 麻布を被った妖精はルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)の道案内を買って出てくれた。顔のところだけいそいではさみでシーツに穴をあけてフード状にしてみせたなら、この先の森の様子も見渡せるということが言いたいのかもしれない。健気な姿にくすりと微笑むと、どうぞ、とルミオールはそのちいさな身体を傷付けぬように優しくてのひらを差し伸べた。
「俺はね、ルミオール。恥ずかしがり屋さんな可愛いきみは、何て呼べば良いだろう?」
 てのひらから腕。腕から肩へとよじ登ってきた小妖精がやっと見せてくれた顔はむくむくの毛で覆われていた。ねこの大昔の先祖がこんな姿をしているだろうか。家猫よりもだいぶ野生の面影を残したその妖精は、恐る恐るに口を開くと『ニーヴ』とちいさく己の名を告げてくれた。

 木々のざわめきも少しだけ冷たい冬の気配を残した空気も、神秘的でうつくしいものに違いないのにどこか恐ろしく感じてしまう。それはまるで人間であるルミオールにもここが妖精郷の外であることを知らしめているかのよう。
「(でも、同時に……)」
 道なき道を進めば進むほどに強まっていく瘴気はきっと、悍ましい竜の残滓の気配。ひとたび気まぐれな妖精たちを起こして騒ぎになってしまえば、かの存在を妖精郷のより近くに引き寄せてしまうことは避けられない。それだけは絶対に阻止しなければ――そう思った時に、ふと気付く。
「……大丈夫」
 肩の上に乗ったまま道を示してくれていた小妖精が震えている。無理もない。常春の楽園の外から滅多に出ることのない彼らにとって、この濃い瘴気は毒とも呼べるほどのものに違いないから。それでもルミオールのそばを離れずにいてくれるちいさなくろい鼻先を指の背でそっと擽ってやれば、ねこのかたちに似た小妖精はもにゅもにゅと髭を動かしながらも安堵したように目を細めてくれた。
「何があってもちゃんと守るからね」
 きみのことも、きみたちの世界も。決して傷付けさせはしないと、ルミオールは確かな決意を抱き森の更なる奥深くへと足を進めた。

番田・陽葉

●陽葉と7人の小人たち
「(わだすは声が大きいからここは気をつけなきゃなんねえべ)」
 しずかに、しずかに。
 そろり、そろり。のそり、のそりとみどりの絨毯の上を慎重に四つ足で歩む番田・陽葉(熊猫おばちゃんデカ・h10140)を先導するように妖精たちは『こっち、こっち』と草むらの合間合間を選ぶように歩いてくれる。
「大きな音がダメなら大きな声もきっとダメだべな」
『しー、だよ!』
 内緒話をするように声をひそめれば、妖精たちも一緒になってこしょこしょとちいさなおしゃべりをしてくれるからちょっぴり擽ったい。曰く、森に住まう妖精は自分たちよりももっともっと気まぐれで。ひとたび機嫌を損ねてしまえば魔物に襲われるよりもやっかいなことになるのは明白であるらしい。
 そんな彼らも動物とは仲良くやっているようだから陽葉なら或いは友好を結べるかもしれないが――『気に入られすぎる』ことも問題で、下手をすれば永遠にこの森から出られないようにされてしまうと言うのだから、何ともぞっとしない話だ。
「妖精ちゃんにも色々あるんだべな。今のわだすは人畜……妖畜無害のパンダだべ」
 もどかしいけれどゆっくり一歩ずつ。この森さ通してけろ、とちいさく零せば道案内を買って出てくれた妖精たちが笑み掛けながら頷いてくれる。彼らがこの短い旅路を楽しんでくれているならほんの少しだけ肩の力が抜けるよう。なの、だけれど。
「〜〜っ!?」
 ぶらん。
 天より落ちてきたしろいひかりの糸はなんだろうか、と陽葉が何ともなしに見上げたその先に。都会の街では到底お目にかかれないようなとんでもない大きさの蜘蛛が挨拶するように垂れ下がって降りてくるものだから、慌てて口を押さえて悲鳴を喉の奥へ押し込んだ。
「(いや、蜘蛛さんに悪気はないべさ。悲鳴なんて上げたら可哀想だべ)」
 そう思い直して息を吸おうとした瞬間に込み上げてくるくしゃみの気配に、陽葉は今度こそぼわぼわと全身の毛を逆立てながらちいさく蹲るのだった。

『パンダさん、だいじょうぶ?』
「うぅ〜〜! 静かにすんのも楽じゃねぇべ」

システィア・エレノイア
クラウス・イーザリー

●ハルピュイアのうた
 こんなにもうつくしい場所を悲しみや苦しみに染めたくはない。
 視線を交わし頷き合ったシスティア・エレノイア(幻月・h10223)とクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は先ほどチョコレートを交換したばかりの妖精の元へ再び訪れていた。
「先ほどはありがとう、店主さん。折り入って頼みがあり、戻ってきたんだ」
「チョコレート、美味しかったです。ありがとう」
 にゅっ。
 じまんのチョコレートに不備があったのだろうかと不安げな様子で覗いたけものの鼻先が、ふたりの言葉を聞いて僅かに傾いだ。美味しかったのなら何よりだけれど、一体何が起こったのだろうと。そう言いたげな妖精の様子に、話を聞いてくれる姿勢ではあることに安堵したシスティアは自分たちがこの地に赴いたもう一つの理由を正直に語って聞かせた。
「あなたの助けが必要なんだ。……お願い出来ないだろうか?」
「俺からもお願いします」
 この場所を。あたたかなひとときをくれたあなたたちを守りたいからと。クラウスも言葉を重ねれば、ひすひすと空気が漏れるような鼻声が数度響いて、――数分。
 のそのそと遠慮がちに姿を現してくれた老犬のすがたをした妖精は先ほどとは違い、森を歩くための外套に着替えていた。それは恐らく助力をしてくれることへの意思表示で。迷いながら、悩みながら、あちこちに視線を泳がせながらもなんとかこくりと頷いてくれたから。
「全て終わったら、同行のお礼に山羊のミルクを妖精郷との境に届けるよ」
 返事の代わりに短い唸り声が返ってくる。きっとそれは彼なりの是に違いない。
 恥ずかしがり屋な彼にとって相当な勇気を要したであろう確かな想いに応えるためにも、二人は『ありがとう』と手放しの感謝を述べて導き手の妖精に恭しく頭を下げた。

 妖精のことはよく知らない。
 彼らはクラウスにとっては御伽噺の存在と呼ぶほうが理解しやすくて、その御伽噺にだって多く触れてきたわけではないものだから。見目も愛らしい彼らが齎す悪戯や遊びなんてきっと他愛ない、可愛らしいものばかりなような気がして――『こっちにおいでよ』と囁く声に、つい手を振り返してしまいそうになるけれど。
「クラウス」
「えっ?」
 強く手を引かれる感覚に驚いて、振り向けば自分が老犬の妖精とは違う方向に歩み出していたことに気付いてざっと血の気が引いていく。慌ててふるふるとかぶりを振れば、声を顰めてシスティアが『しい、』と人差し指を立てて見せるのに合わせて肺が呼吸の仕方を思い出すのを感じてクラウスはそっと安堵の息を吐いた。
「……ティアが一緒でよかった」
 強く繋いでくれる手を握り返せば、頼もしい力と手の温もりが自分を現実に繋ぎ止めてくれているのだと確かに感じることが出来るから。だから、ありがとう、と微笑めばシスティアも柔らかな笑みを返してくれることが嬉しい。
「気をつけて。見た目は可愛いかもしれないけれど」
 彼らはひとならざるもの。人智を超越した存在に他ならないのだから。
 あまく響く妖鳥や妖精たちの歌声を遮るように、ちりん、と鳴らした老犬のベルの音に導かれながら、システィアはクラウスの手を引いたまま淡いひかりに照らされた木々の合間を慎重に進んでいく。

 この森の奥深く。誰も足を運んだことのない禁足地に、『それ』は居る。
 道案内を請け負ってくれた勇気ある妖精に報いるためにも、今は惑わされる訳にはいかないからと。決意を強く固め直し、ふたりは何時でも戦うことが出来るようにとより強固な意思を持って歩みを重ねた。

シルヴァ・ベル
八乙女・美代

●ユーの木陰
 葉を揺らす風は優しく、鳥の声が遠く聞こえる。
 いきものの息遣いは感じられるうつくしい光景に違いないのに、どこか静かで、奇妙な森だった。
「フフ、みんなも一緒に来てくれて嬉しいわ〜」
『うれしい?』『うれしい!』
 ひらひらと舞う翅が、ひい、ふう、み、おまけにもうひとつ。麝香揚羽に姿を変えた八乙女・美代(美意識の歪み・h07193)が笑った気配をしっかり感じ取ってくれたのか、花守りの妖精たちも声をひそめてくすくすと笑い合う。
「あなたがたが案内してくださるのなら安心です。ご協力、ほんとうに助かるわ」
 これだけ広大な花の森を往くのならば、植生に詳しい彼らの協力は命綱といっても過言ではない。それに――シルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)は妖精という生き物の根底にある無邪気な残酷さを同族であるが故に痛いほど理解している。
『森にいるのは、ふるい妖精!』
『わたしたちはとつくにのヒトがスキだけど、あの子たちはもっとよくばり』
「ええ。存じております」
 悪戯好きで気まぐれで。その気になればまるで幼子が蟻や羽虫を弄ぶようにいのちを転がすおそろしいもの。とはいえ、妖精郷に住まう花守りの妖精たちは『そとの森』に住まう妖精たちともある程度交流があるのだと言うから頼もしい限りだ。もしも出会ってしまったとしても、少なくともすぐさまとんでもない悪戯を仕掛けてくることはないだろうとお墨付きを貰えば多少は安心できる。
 それでも念には念を押して、シルヴァはよりちいさな小妖精に姿を見る間に変じさせる。そうして、よっつのちいさな翅をもつものたちはすこしの遠回りを交えながら森の中を『お作法通りに』丁寧に進んでいた。
「原初の妖精、ね。少し出会ってみたい気持ちが無い訳ではないけれど」
「もう、美代様ったら。本当に危険なんですからね」
 冗談とも本気ともつかぬ言葉にシルヴァが唇を尖らせたなら、黒い翅を震わせながら美代は風が囁くほどのちいさな笑い声を溢して『嘘嘘』と小首を傾げる代わりにシルヴァの周りをくるりと飛んで見せた。
「こういう存在は不必要に接触するべきではないって分かってるわ」
 ひとならざるものの多くは気まぐれで奔放だ。
 そのくせ人一倍強いこだわりや執着があって――総じて『嫌われても、好かれても碌なことにはならない』と相場が決まっていることを、美代もよくよく分かっている。
「彼らの領域を通るのですから騒がしくしてはいけない、道理です」
 おしゃべりはひそひそとちいさく、枝葉のざわめきに紛れるくらいに。眠る彼らを起こさぬように、静かに、そっと。シルヴァも美代もちいさく、足音を立てることもありはしない。森の中でも目立ちにくく、妖精たちととても親和性の高い姿を取っている。お昼寝の真っ最中である彼らを刺激することはまずないだろう。
「ふふ」
 ふと。微かに美代が笑った気配がして、シルヴァと花精たちがくるりと振り返る。 
「こうやってひそひそお話をするのも何か楽しいわねぇ」
 ――なんて。流石に呑気すぎるかしら?
 今彼がヒトガタを取っていたら仕草までもが容易に想像出来るその姿に、ふ、とシルヴァも思わず笑みを溢した。
『ないしょ、ないしょ』
「ええ、ないしょ。それでもお喋りは、このままひそひそ話でいたしましょうね」

 イチイの木をぐるりと三度、円を描きながら進んで。
 描き紡ぐは再生と永劫。
 授けた枝葉はひとつずつ――きっと、あなたを守る杖となるでしょう。

フラヴン・オディール

●ファーの残火
「お作法通りに歩かないと危険、か」
 色々な世界を旅してきたが、歩み方に作法がある森というのはあまり聞いたことがない。フラヴン・オディール(記録β・h10175)は僅かに小首を傾げるも、傍らをてちてちとみじかい後ろ足だけで一生懸命二足歩行で歩くねぼすけ羊がそう言うのであればそれに倣おうとゆっくりとした歩調でその後を追いかけていた。
『たびびとさん、ついてきてねえ』
「ああ。もし僕の歩幅があなたよりも大き過ぎたら教えて」
 こういったものは現地の者の言うことを聞くに越したことはない。それがひとならざるものの領域であるならばなおのこと。まだまだ眠たいだろうに道案内を買って出てくれた眠りの精がこんなに頑張ってくれているのだから、素直にそれに従おうと目を細めていたら。袖を軽く引く気配に気がついて、フラヴンは僅かに身を屈めて眠りの精と視線を合わせた。
「どうかした?」
『これねえ、もっててねえ』
「…………枝?」
 針葉樹の類の乾燥した枝切れだった。
 渡してくれた一本のそれは果たして一体何の意味があるのやら。問えば、それは彼らに伝わる『おまじない』のひとつであるらしい。ひねくれものたちはそれを焚いた煙を好まないから、もし出会ってしまったらそれに火を灯してほしい――とのことだった。
「そう。僕を守ってくれるんだね、ありがとう」
 こうした力添えをひねくれものたちの同族である彼から齎されれば安心感も増そうというもの。もしものときの交渉は任せてもよかったけれど、これがあるならばその必要もないかもしれない。
『えへへえ』
 のんびり屋でねぼすけの彼は、もしかしたら面と向かってお礼を言われる機会があまりないのかもしれない。照れくさそうに、ちょっぴりだけ誇らしそうにもこもこの毛並みを弄りながら歩く姿に微笑みながら、フラヴンは森の更なる奥へと慎重に進んでいった。

 あと少し。もう少しで――この森に巣食う深淵に、手が届く。

エレノール・ムーンレイカー
ミモザ・ブルーミン

●ハシバミの根
 そりゃあ、自分たち妖精は概ねいたずら好きだけれど。元通りの姿で帰れる保証がないのはすこしやり過ぎだと、ミモザ・ブルーミン(明朗快活な花妖精・h05534)は唇を尖らせて心外そうに翅を震わせた。
「そうですね。紅茶の香りを変えたり、靴の中に花びらを入れたりするくらいでしょうか?」
「うっ! どうしてそれを……、……流石にあたしでもあそこまではやらないよ」
 くすりと微笑んだエレノール・ムーンレイカー(蒼月の守護者・h05517)の言葉に『ばれてたの?』と声をひそめれば、笑みが代わりに返ってくるのがちょっぴり気恥ずかしい。
「んー、機会があればここの妖精たちともお話してみたいけど……それは今回の目的ではないからね」
 『妖精族』という大きな区分でとらえれば、ミモザやエレノールも彼らと同族に違いない。話をしようと思えば聞いてはくれるかもしれないけれど――古き妖精たちの気まぐれがどう働くかわからない。この先のことを考えればその好奇心には今は蓋をしよう。
「さ、行こっか。……あれ?」
 ふと。ミモザが振り返ったその先、エレノールの傍らに先ほどの少年が居ることに気がついて。どうしたのと首を傾いで見せれば、少年のかたちをした妖精は『みちあんないしてあげる』と朗らかに笑った。
「――あら、妖精さんが道案内を買って出て下さるのですか?」
 こくり。
 この迷いの森を案内なしで踏破しようとするのはあぶないからと。大切な客人であるあなたたちに、この森をキライになって欲しくはないからと頷いてくれるから。エレノールもその厚意に目を細め、ありがとうございます、と頭を下げて広がる森を静かに仰いだ。
「よろしくお願いいたします。あとは……森の妖精への対策、ですか」
 からだのちいさなミモザは良いだろう。森を歩くことに慣れている妖精も、古き妖精を怒らせない作法を知っているから大丈夫。けれど、自分はどうだろうか。気付かれたら面倒なことになるのは必須。お昼寝中であるらしい彼らを起こさぬように、移動の際に少しでも物音を立てぬようにする為には――。
「……流転せし万象を捉え、変化の力を示したまえ!」
 ひかりは集いてちからとなる。ぽん、と軽い音と共にすがたかたちを変えたエレノールは、ちょうどミモザと同じほどの大きさの小妖精へと変じていた。ひらりと翅を揺らすその姿に、わぁ、と側にいたミモザと妖精それぞれからちいさな感嘆の声が上がる。
「お、エレノールも妖精に変身するんだ」
「ええ。これなら羽音以外の物音は殆ど立てずに済みます」
 物理的に小さくなれば気付かれにくくもなろう。音をひそめ、警戒は怠らずに。静かに、静かに森を進もう。妖精の軽やかな歩調に合わせ、エレノールとミモザはそっと、ひかりの軌跡を描きながら木々の合間を縫うように森の奥深くへと潜っていく。
「いやあ、普段大きさに無茶苦茶差があるからこうやって同じような大きさで飛んでるのって何か新鮮だね」
「ふふ。ミモザは普段、こんなふうに世界が見えているんですね」
 緊張感は残したまま。だけど、降って湧いた偶然によるよろこびは共有したいから。ひそひそと近い目線で内緒話をするのがなんだか擽ったくて笑みが溢れてしまう。
「そうだ。どうせだし、ティル・ナ・ノーグの色々なお話を聞きたいな」
 もちろん、ひっそりとね。なんて。片目をぱちりと瞑って見せれば、先ゆく妖精はぱっとそのかんばせに喜色を咲かせて嬉しそうに頷いてくれた。

緇・カナト
トゥルエノ・トニトルス

●オルダーのささやき
「それでは最奥を目指して、妖精の森を進もうではないか……!」
 主が疲れた時のために雷獣の背も用意しておこうと意気込むトゥルエノ・トニトルス (coup de foudre・h06535)を軽くあしらう緇・カナト(hellhound・h02325)のいつもの様子を気にした風もなく、黒麒麟の姿をとったトゥルエノはここまでついてきてくれた森の妖精へ首を軽く寄せて感謝を示した。
「案内役の妖精サンだか、君もよろしく頼むよ」
 店番をしていたときはツリーハウスとほぼ一体化していたみどりいろのもじゃもじゃは、今はカナトよりもすこしちいさい子どもほどの大きさに収まっている。木々に親しく、必要に応じて伸び縮み出来るのであろう彼、或いは彼女はこの妖精郷の中でも森歩きに最も適した存在と呼べるだろう。カナトの言葉にゆさゆさと身体を震わせるその姿は、何処かちいさなけものにも似ていた。
「森の最奥に竜の残滓が居るって話だったか」
 妖精郷といい、すごくダンジョン気分を味わってるような心地がする。これがゲームであるならば選択肢のひとつふたつ目の前に現れてくるのだろうかなんて。すこしだけ気が逸れかけたカナトを呼び戻すように、トゥルエノは力強く頷いて見せた。
「うむ! 妖精の道案内もあるならば迷う事もなし、一種のピクニック気分になれそうだなぁ」
 手伝ってくれると言うこの妖精はカナトとトゥルエノが渡した『お礼の品』がいたく気に入ったらしい。それならば、こちらも美味しかったチョコレートや琥珀糖のことをもっともっと教えようとちいさくひそめた声が弾み過ぎないように気をつけながら、トゥルエノは慣れた様子で枝葉を踏みしめぬよう軽やかに大地の上を滑るように進んでいく。
「(とてつもなくファンタジーな光景だなぁ)」
 黒麒麟と森の妖精が近くを歩いている森の中。おおよそ現実の光景とは思えぬその様子に、気付かれぬよう微かに笑みの吐息を溢したカナトは緩やかに森を仰いだ。
 枝葉をさやさやと揺らす風の声と、微かな鳥の囀りしか響かない森は一見平穏そうに見えるけれど――この先に災厄が今まさに目覚めようとしているのは間違いない。
「……そろそろ主も飽きてきた頃だろうか!」
「ん? ああ……退屈と言ってしまえばまぁそうなんだケド」
 今の所特に何かが起きる訳でもない。迷う訳ではなく、既に道案内はあって。平穏な森歩きなど機会も無さそうなカナトを振り返ってトゥルエノが歩み寄れば、『いいって』と身体を押し返されてしまうものだからけものの耳が僅かに垂れてしまう。
「そういえば美味いチョコ……バレンタインの催しは楽しんでそうだったな」
 彼らは『お返しの日』を知っているだろうか。ホワイトデーの名に因んで、白いものを飾るのもいいだろうと。カナトが告げれば、妖精はみどりのからだにぽん、と一輪の花を咲かせてよろこびを示すから。どうやら知らなかったのであろうその日のかんたんな人間界での習わしを告げてやれば、何故かトゥルエノの方がおおきな喜びを示すのを胡乱に目を細めながら軽く見やった。
「常春の理想郷が変わらずに在るのが良いか、妖精たちが変化を求めれば変わるのもまた、世の流れだろうしなぁ」
「時間や季節が巡れば多少の変化が生まれることだってあるだろう」
 せいぜい奪われる事のないように、この後の仕事も上手く熟しておくさ、と。何となしに零してくれた言葉は彼なりの厚意に違いない。主の平和主義な側面を知れたと、にんまりと笑みを浮かべるトゥルエノの傍ら、カナトは面倒くさそうに肩を竦めるのだった。

「ところでそろそろ背に乗らないか?」
「はいはい。乗ってたらまともに戦えないでショ」

レア・ハレクラニ

●『なかよし』のかたち
 妖精の森とは一体どんなところなのだろう。どんな景色が広がっているのだろう?
「ここもリポート必須なのです! ……スマホ、大丈夫です?」
 音に気をつければだいじょうぶだよ、と。案内役を申し出てくれた小妖精たちに笑みを返し、レア・ハレクラニ(悠久の旅人・h02060)は意気揚々とスマートフォンの端末を掲げて森の景色を切り取っていく。
「お作法って、どんな決まりがあるです? レア、ちゃんとお作法守れているです?」
 それらは人間界のマナーと言うよりは魔術的な手順を踏む段取りに近しく、この森全体を包む不可思議な魔法のちからに寄り添うためのものであるらしい。シラカバの木は三度ノックして、根っこは決して踏まないように。それがこの周辺に住まう妖精たちが好む音でもあるからと――森の案内という名の解説をしてもらいながら、レアは森の奥へ奥へと進んでいく。
「ここに住んでいる妖精さんたちは皆さんとはまた違うんですね……」
 妖精郷にはどちらかと言えば親しみやすい性格や外見を持つものが多かった。けれど、原初の妖精に近しい古きものたちはもっと野生みがある個体が多く、気性もより伝承通りの『妖精らしい』ものばかりなのだと言う。
「レア、仲良くなれないのでしょうか?」
『あはは! もちろんなれるよ。でもね、妖精ってとっても『よくばり』なの』
 というのは、つまり。それこそ彼らにとって『都合のいいかたち』に変えられて、永遠にこの森に縛り止められてしまう危険を孕んでいるということ。栗鼠や小鳥に変えられて自由を奪われた人間が何人いただろう、なんて聞いてしまえば目を丸くしてしまう。
「キラキラ硝子のお裾分けしたかったです……!」
『ふふっ。それならね』
 彼らに直接見つからないように。けれど、森を歩かせてくれてありがとうと伝えることは出来るから。
 妖精の示してくれたちいさな木のうろにそっと置いておけば、彼らにだって想いは伝わる。小妖精と内緒話を交わしながら、レアは『みなさんにも!』と両のてのひらに乗せたきらきらの硝子たちを掲げて見せた。

祭那・ラムネ

●まつぼっくりのペフコ
 木々がひとつずつ個性が違うように、歩き方ひとつにも『お作法』があるのだと彼らは言った。神秘に満ちた広大なみどりの迷路をただがむしゃらに歩むだけでは日が暮れてしまう。だから道案内をして貰えるのならそれはとても助かると、祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)は傍らを一生懸命みじかい足で弾むように進むみどりの精に感謝を告げて微笑み掛けた。
「俺、方向音痴だから……すぐに迷っちまって。良ければ、君の名前を教えてくれないかな」
『ペフコ。ペフコよ、にんげんさん』
「ありがとう。俺はラムネだよ、ペフコ。覚えてくれたら嬉しい」
 にんげんの個体差はわからないかもしれないけれど、仲良くなれたらもっと嬉しいからと。告げればペフコと名乗った妖精はゆさゆさと頷く代わりに体を揺すりながらラムネの名前を幾度か繰り返した。
 見れば見るほど彼、或いは彼女はひとのかたちというよりも樹木に近しいもののように見えた。指と思しきものはないし、細かい作業が必要な時は枝葉を自ら伸ばしてものを摘んだりするから不便はないのだと妖精はみどりの被毛を膨らませながら語って聞かせてくれた。観察していて分かったが、多分これは彼の『うれしい』ときの反応なのだろう。
 声をひそめながら静かに、静かに。
 そうしてただ言葉を交わしながら歩むだけならばそう恐ろしい森には感じられなかったのだけれど――不意に、ぐにゃりと視界が歪んだような気がして。そもそも今、自分はどうしてこの森に足を踏み入れたのだったか。
 いや、それよりも。
 『自分は一体、誰だったのか』、それさえも曖昧になってきて。ただ、楽しそうな笑い声がする方へと足を進め掛けて――止まる。
「……カエルムさん?」
 つん、と背後から誰かに袖を引かれたような気がして振り返るけれど、姿は見えない。その代わりにやわらかい風が優しくラムネの髪を、頬を撫でていくから。
 ああ、自分はその優しい気配を知っている。
 間違えよう筈もないと名を口にして、気付く。何時の間にか隣を歩いていた筈のみどりの妖精からは逆方向へ自分が歩み出していたことを知り、慌ててラムネは踵を返して立ち止まってくれた彼の元へと小走りに駆け戻った。
「ごめん、ペフコ」
『だいじょうぶ? そう、あなた、おみみがいいのね』
 妖精たちはみんな噂好き。
 だから、微睡の中でも風に乗って運ばれてきた『とつくに』のヒトたちのことは彼らの耳に入っている筈で。あなたが聞いた笑い声はきっと彼らが面白がっているものだろうと、告げられる言葉にラムネはしゅんと眉を下げながら『心配させてごめん』ともう一度告げれば、みどりの精はゆるゆるとあたまと思しき部分を振って謝る必要はないのだと言うことを伝えてくれた。
「(……カエルムさん、きっと助けてくれたんだよな)」
 気遣わしげにラムネを覗き込む妖精に応えてラムネはばつが悪そうに頭を掻きながら『ありがとう』と口にする。それはもちろん彼に対しての言葉でもあったし、助けてくれたのであろう『隣人』へ届けたい言葉でもあった。

 ――また、彼に頼ってしまった。 

 言いようのない罪悪感と焦燥が胸に渦巻いて、あふれてしまいそうになる。
「(ほんとに俺、……もっとちゃんとしないと)」
 自分は彼の旅路の相棒でもある。彼がこの旅を『良い旅だった』と思えるように、誇って貰えるように。胸を張って笑えるようにしたい。助けられるばかりじゃなくて、彼に相応しい自分でありたいから。こんなんじゃ駄目だ、とかぶりを振ると、ラムネはぱしぱしと己の頬を叩いた。
『ラムネさん、おててつなぎましょ』
 ぬ、と差し出されたのは指のないみどりのもふもふの腕。
 多分、腕と手なのだろう。
「え? あ……、……はは、ありがと。そうだな、ペフコも一緒だもんな」
 あなたが『わたしたち』の声を聴きやすい体質だと言うのなら、お作法にただ則るばかりでは足りないから。どうぞ自分をしるべにつかってと、みどりの妖精が差し出した手を取れば、ほのあたたかい、おひさまをいっぱいに浴びた芝生のような感触が擽ったくて思わず笑みが溢れてしまう。

 結局、道中で幾度も意識を持っていかれそうになってしまってその度に穏やかな風が助けてくれたのだけれど――幸い、みどりの妖精がしっかりと捕まえていてくれたから。なんとかラムネは自我を保ったまま『妖精たちのおさそい』に攫われないまま森の深淵へと歩を進めることが出来た。
「……俺、カエルムさんとペフコがいなかったら、今頃妖精たちの悪戯で猫か何かになっていたのかなあ……?」
『ふふふ! 竜のヒト、きっとあなたがとても大切なのね』
 みどりの精は未だこの先に潜む脅威を知らない。せめても、怖い思いをさせないように今度は俺が守らなければと。ラムネは決意も新たに更なる一歩を踏み出すのだった。

夜白・青

●いのちは静寂に満ちて
 あおい翅を揺らして舞う蝶が木漏れ日を受けてきらきらとひかっていた。
 きれいな森だと、そう思う。
 ここが人の手が介入していない禁足地であるということも頷けようもの。だからこそ、うっかり見惚れて少しでも道を外してしまえば大変なことになることは間違いないと、夜白・青(語り騙りの社神・h01020)は気を引き締めながらもここまで着いてきてくれたホビットたちにやわらかく笑み掛けた。
「案内してくれてありがとうねい。とても助かるよう」
『うれしい?』『うれしい?』
『ぼくたち/わたしたちも、竜のヒトと歩けて、たのしい!』
 気のいい彼らは妖精たちの中でも特に陽気な性質であるらしい。青がひとつ語りかけるたび、十の言葉が返ってくるほど。もちろん、古き妖精たちを起こしてしまってはたいへんだから、その声はひそひそとちいさなものに抑えられているけれど。
 折角道中を共にするのだから、彼らを怖がらせてしまうよりも楽しい思い出にしてほしいから。先ほどたくさんもらったばかりのチョコレートをお裾分けすれば、ちいさなてのひらが幾つも伸びてきて――『おいしい』を分かち合えば、自然とこころも弾むよう。
「おいしいねい」
『うん!』『じまんのチョコレート!』
 からだのおおきな青が通れるような道を選びながら歩いてくれるホビットたちに感謝を告げながら、ふと。『森の奥には何があるのかねい』と問い掛ければ、妖精たちはぱちりと目を瞬かせて顔を見合わせた。
『『しじまの泉』があるんだよ』
『たくさんのいのちが生まれて、眠る場所!』
 彼らに明確な寿命はない。だから『死』の概念がにんげんよりもずっとぼんやりとしていて――ちからを使い果たした妖精たちはその泉で眠り、やがてまた目覚めを迎えるのだと言う。もしかしたらその生命力こそが竜の残滓を喚んだちからなのかもしれない。
「もし怖いのが出てきたら、安全な場所に離れておくんだよう?」
 荒事は自分の仕事だ。決して皆を傷つけることはするまいと気遣う言葉に頷いて、妖精たちはいのちが満ちる泉へと青を誘った。

八卜・邏傳

●ひだまりのララノア
「とってもおいしくって楽しくって美味ーなステキチョコちゃんありがとおね! 幸せな余韻ー♡」
 なるべく落ちた枝葉を踏んで音を立てたりしないように。抜き足差し足、しのびあし。慎重に歩みながら、八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)は長耳の少女に導かれるままに迷いの森を進んでいた。
「して。あぶないん? お作法?? うーん。俺そゆの苦手でさ」
 だから彼女の申し出はとてもありがたいものだったし、まだ話もしたりなかったから。『よろしゅね♡』と小首を傾いで見せれば少女はくすくすと笑いながら『あなた、『私たち』に好かれそうね』と悪戯に目を細めた。
「そいえば! 俺は八卜 邏傳いうんよ。妖精ちゃんは何ち呼ばれちょるん? 何歳? 好きな食べ物は?? なーんて☆」
 歳の頃は邏傳とそう変わらないように見えるけれど、実際のところはどうなのだろう。ひとつ気になればあれもこれもと欲張りになって、つい矢継ぎ早になってしまった。ぱちりと少女は大きくこがねいろの瞳を瞬かせるけれど決して厭うてはいないようで。すぐにふ、と吐息で笑えば『ララノア』と答えを返してくれた。
『年は数えたことがないからわからないわ。でも、ニンゲンよりはうんと長く生きているかしら』
「えー! ……とと、静かにしてなきゃだっけ」
 大きな声が出そうになって慌てて自分の口をてのひらで覆えば、その仕草が可笑しかったのかララノアと名乗った少女はころころと可笑しげにお腹を抑えてちいさな声で笑う。気のいい彼女に聞きたいことは山ほどあるし、興味は尽きないけれど。おしゃべりに夢中になってはぐれてしまわないようにしなければと、邏傳は顔を引き締めてみるけれど、それだって長くは続かない。
「あのお花かぁわい。何ち花だろ? あっちは美味しそー♡」
『気をつけてね。あまい香りのものほど、毒を持っていたりすることだってあるんだから』
 それに。あんまり寄り道をしていたら、ねぼすけさんたちを起こしてしまうかも――なんて。少女の無邪気な微笑みに、邏傳はぴゃっと慌てて姿勢を正すのだった。

兎沢・深琴
鴛海・ラズリ

●でこぼこのベラとニディ
 気まぐれでいたずら好き。それが妖精が無邪気であるが故に持つもう一つの側面だった。今、こうして自分たちを先導して歩いてくれているおちびとのっぽの妖精たちからは純粋な好意ばかりを感じるけれど――あくまでそれはにんげんの物差しにしか過ぎないのだろうと、兎沢・深琴(星華夢想・h00008)は鬱蒼とした森を歩きながら肌でそれを感じていた。
「妖精さんたち道案内よろしくね」
「ご案内有難うなの、妖精さんたち!」
 迷いの森の名に相応しい広大なみどりの迷宮は道標がなくては迷子になってしまいそうだからと。鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)と深琴の声に振り返った妖精たちは嬉しそうに笑みを浮かべながら『ぼうけんごっこ!』と声を揃えて枝葉で出来たトンネルを躊躇なく潜っていく。この森の奥深くに脅威が眠っていることなどまるで知らない様子の彼らはきっと、道案内さえも遊びの延長のつもりなのだろう。
「良い妖精さんも悪戯好きな妖精さんも、住処は大事なものだと思うから……守ってあげられたら、いいな」
「ええ、そうね。あの子たちにも怖い思いはさせられないわ」
 妖精たちの足取りから外れないように、けれど慎重に。静かな場所ではちいさな物音でも響いてしまうから、落ちている小枝や木の実を踏んでしまわないように。
「しーっ、だね……!」
 歩幅も歩調もゆっくりと。お昼寝の真っ最中である古き妖精たちを刺激しないようにと声をひそめたラズリのちいさな囁きに、深琴も頷き指を立てて『しい、』と微かな吐息でいらえた。
「足元に気をつけてね。ラズリさんは怖くないの?」
 舗装された歩道と違って道なき道を歩くのはそれだけで体力を持っていかれてしまう。それが物音を立てないように気を配っているならなおのこと。古き妖精の『個性的な歓迎』にラズリが怯えてはいないだろうかと深琴が傍らを振り仰いだ、そんな時だった。
「うん、怖くないよ。だいじょ――、ぶっっ」
 ころん。
 急に視界からラズリが消えるものだから、目を丸くしてしまう。
「って、大丈夫、立てる?」
「言われた側から……! はっこれは妖精さんの悪戯じゃないよね」
 転んでしまった少女を気遣うように慌てて膝を折れば、いたた、と起き上がったラズリは自分の身に起こった出来事を徐々に把握出来てきたのかその白磁の頬に朱をのぼらせてしゅんと俯いた。
「私の不注意……! はずかしい……!」
 服についた落ち葉を軽く払ってやりながら、大丈夫よ、と深琴は微笑む。ただでさえ緊張している時間が長く続いているのだから、足を不意に取られてしまうことだって何もおかしくはないのだと。言葉を重ねればラズリは長耳を垂らしながらもこくんと頷きを返してくれた。
「怪我は……うん、ないようね、よかった」
 ありがとう、と返したラズリを助け起こせば、いつの間にか自分たちが随分森の奥深くへ潜り込んでいたことを知る。先ほどまでは小鳥たちの囀りが遠く聞こえていたのだけれど今はそれさえもありはしない。
 奇妙な静寂だった。
 それがどこか恐ろしさを感じさせるのは古き妖精たちの言い伝えを耳にしたからだろうか、それとも。
「みこと、……手繋いでも良い?」
 そうしてくれたならはぐれる心配もないし、きっと、もっと怖くなくなるからと。そっと顔を覗き込んできたラズリのいじらしいおねだりに、ぱちりと瞬く。けれど直ぐに深琴のかんばせにはよろこびのいろが乗って。返事の代わりにやさしく取られたてのひらに、ラズリの頬にもぱっと春が色付いた。
 怖さが完全に消えたわけではない。
 それでも大丈夫だと思えるのは――きっと、あなたとふたりだから。

ラナ・ラングドシャ
ラデュレ・ディア

●朝露のロージィ
『おじいちゃんはまだ夢の中だから、自分だけついていくことをゆるしてね』
 そう笑って、少女のかたちをした小妖精は薄羽を震わせながら先導してくれるから。ラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)とラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)はこの先に広がる『ふしぎ』にあふれたみどりの迷路を前に、頼もしい案内役が出来たことを知る。
「まあ、道しるべをいただけるのですか?」
「にゃは! 助かるよ〜、ありがとう!」
 それぞれの感謝の言葉をのぼらせながら森の中へとふたり連れ立って歩き出す。
 ロージィと名乗った妖精曰く、彼女とって森は楽しい遊び場のひとつであるからして。ひねくれものたちとも上手くやっていると言うのだから、こんなにも道案内に適した妖精は妖精郷でもそう多くないだろう。
「とても頼もしいです……! 是非、よろしくお願いいたします」
「うんうん。さすがに野生の勘! って感じで進んでいい場所じゃなさそうだし……!」
 今日もラデュレのそばにはラナが居てくれている。けれど、この道なき道を辿る途方も無い試練はひとりきりでは迷子になってしまいそうだから。よかったですね、と微笑む友のすがたにラナは少しだけそわそわと視線を泳がせた。
「妖精さんについていけば大丈夫だと思うけど……」
 きょろきょろ。そわそわ。
 落ち着かない素振りのラナを見上げ、きょとんと目を丸くしたラデュレの手をそっと取る。どうかなさいましたか、とやさしく問いかける声に、ぶわっと尾っぽの毛を膨らませながらラナはふるふるとかぶりを振ってみせた。
「こ、怖いとかじゃないよ!?」
「ふふ。ええ、ラーレを守ってくださっているのですね。ありがとう、ラナ」
 未踏の地を歩むのは期待と緊張を感じることだから。だから、恥ずかしいことなんて何も無い。すべてを口にせずとも自分のこころを汲み取ってくれたのであろう友のやさしさを感じながら、ラナは『えへへ』とすこしだけ照れたようにはにかんだ。

 お作法通りにゆっくりと。足音を立てないように、そろり、そろり。
「よくこうやって静かに近付いて、驚かせるのが好きだったんだよね……♪」
 『まあ、ラナったら』なんて。内緒話のように囁き合うのが擽ったくて、嬉しい。いつの間にか不安は和らいで、あとにはわくわくとした冒険心ばかりが残った。周囲を見渡す余裕が出てくれば、空気こそ違えどそこは妖精郷と確かに地続きであろうことを感じさせる花々に満ちたうつくしい森なのだと云うことに気付く。
「ラナにははじめてお話をいたしますね。わたくしは、よく様々な物語の夢を見るのですよ」
 そうして、そこでも何時ものように迷ってしまう。
 幻想的な光景は、ラデュレが夢に見る|物語《せかい》たちの何れにも当てはまらない。それをそのまま口にすれば、ラナはぱちりと目を瞬かせた後に『いいなぁ〜!』と声を弾ませた。
「それってすごく、ろまんちく……♪ ふふ、夢の中でも迷子になるってことは。もしかしたらラーレにとって『迷子になる』ってなにか特別な意味があったりして……!」
「……迷うことが、特別?」
 それは考えたことのない視点だった。
 答えを、出口を、正解を求めて彷徨うばかりでは見付けられなかったことのはに、ラデュレは己の胸をそっと抑えるけれど――道なき道を遮る枝葉をそうっと除けた瞬間にぱっと広がる空間が見えて、思わず息を呑んでしまう。
「「――あ!」」
 もしかしたら。遠くに見えるあの泉こそが森の最奥なのかもしれない。
「ラーレ、行ってみよう!」
「はい……!」
 答えは未だ出なくとも、すこし。ほんの少しだけ、ひかりが見えたような気がして。
 大好きな友に手を引かれながら、ラデュレは密やかに笑みを浮かべて急く気持ちのままに駆け出した。

天ヶ瀬・勇希
楪葉・望々

●花編みのベラ
「なんか悪いな、でも力になってくれて嬉しい!」
「妖精さん、道案内ありがとう」
 みどりとともにある、名をベラと名乗った彼女は果たして店から出ることは出来るのだろうかと心配もしたけれど。器用に根っこを這わせながらツリーハウスから出てきてくれたすがたをみとめ、天ヶ瀬・勇希(エレメンタルジュエル・アクセプター・h01364)と楪葉・望々(ノット・アローン・h03556)はわあ、と感嘆を上げながら感謝の言葉を口にした。
「チョコも、とってもおいしかった。ね、勇希」
 にこりと淡い笑みを浮かべる望々に頷き、勇希も満面の笑みを浮かべて『うんっ』と喜色も露わに是を唱える。
「すっげーおいしかった! ののと一緒に食べられてよかった!」
 おいしいをはんぶんこ。きみとだから、きっともっと、ずっと。
 少年少女らのよろこびはしっかり花編みの妖精にも伝わっているのか、彼女はにこにこと笑みを深めたまま改めて道案内を申し出てくれるから。勇希も望々も自分たちよりもうんと背の高い彼女を見上げて『おねがいします』とふたりそろって今一度ぺこりと頭を下げるのだった。

 はじめはどきどき。あぶない森だと聞いていたから、そろり、そろりと慎重に進んでいく。
 四季の花々に彩られた森の中は妖精たちがねぐらにしているのも頷けるくらいにやわらかな空気に満ちていた。『悪戯好きのひねくれもの』なんて、チョコレートを交換してくれた彼女を見ているととても想像出来やしないが。ひとたび隙を見せれば足を掬われてしまうあやうさを秘めているのだと聞けば、決して油断出来る場所ではないことには違いない。ああ、けれど。
「のの、すげー綺麗だなっ」
「うん、お花やみどりがとてもきれいだよね」
 顔を近付けあって声をひそめれば、こしょこしょと耳殻を擽る互いの声がこそばゆくて何方からともなくくすくすと笑みが溢れてしまう。
「あ、ここ足元危ないな。のの、手繋ごうぜ」
 当たり前みたいに差し出されるてのひらに、何の疑問も抱かずに自分のてのひらを重ねればちょっぴりだけ怖かった胸のそわそわもおさまるよう。代わりに込み上げてくるのは安心するきもちと、チョコレートみたいにあまくてうれしい、あたたかなよろこびばかり。
「ありがとう」
「へへっ。ののの手ってあったかくて、繋ぐといつも勇気が湧いてくるんだ」
 とくり。
 齎された言葉はまっすぐで、いつも通りのものなのに。ほんのすこしだけ胸の鼓動が早まったのは、緊張しているせい? 重なったてのひらをきゅっと握り返せば勇希が嬉しそうに笑ってくれるから。望々も淡く口元を綻ばせながら、ただうつくしいみどりの迷路を花の導き手に誘われるまま進んでいく。
「なあ、ベラ! よかったら妖精郷のこと、もっと知りたいな!」
 物静かな花精が紡ぐ妖精たちの日々のくらしの在り方に、望々も勇希も瞳をきらきらと輝かせながらもっと、もっとと寝物語をねだる子どものように次をせがんだ。
 チョコレートを買っただけの自分たちを心配してくれた優しい妖精。彼女らが大切にしているものを、妖精たちが愛するせかいを、もっと知りたい。知れた分だけ、もっと、もっと気持ちは強くなるから。
「俺たちで守ってやらないとな!」
「うん、守りたい」
 もちろん、道案内をしてくれた花編みの少女の無事だって。
 想いを確かめ合うようにつないだてのひらの熱が、きっとこの先に待つ脅威を前にしたとしても自分たちの存在を確かに繋ぎ止めてくれるはず。勇希と望々は視線を重ねて頷き合うと、いばらのアーチを潜り抜け――そうして、至る。
 静寂に満ちた、深く、何処までも澄んだ、数多のいのちが眠る泉のもとへ。

大海原・藍生

●お針子のポピー
「ここがティル・ナ・ノーグと人間界を繋ぐみどりの迷宮……」
 あおく澄んだ透明なにおいが満ちている。
 臓腑いっぱいに深く空気を満たして、大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)はぐるりと改めて森の中を仰ぎ見た。道案内を申し出てくれた花精のひとりは、藍生が呼び出した小妖精たちに興味津々の様子で、さっそく仲良くなってくれた姿を見れば思わず笑みが溢れてしまう。
「(常若の国ってどんな住み心地なのかな)」
 愛らしいその仕草も年頃の少女のように無邪気だけれど、なるほど。彼らにとって生きた年月は大した問題にはならないのかもしれない。妖精たちは自由奔放で、時間の概念さえも曖昧な妖精たちは老いを知らぬものも多いと言う。肉体の衰えを感じないのは良いかも知れないけれど、歳を取っても成長できないのはすこしさみしいことかもしれないな、なんて。口にはしないまま藍生は足音を立てないよう慎重な足取りで以って森の中を進んでいく。
「それに、真竜であったものの存在……」
 思い浮かべるは嘗て『そう』であった友人たち。そして、星を詠んでくれた少年のの面影だった。彼らの無念や未練から生まれた存在であるならば、打ち倒してしまったらどうなってしまうのだろう。皆を傷付けることにならないだろうか、だけど、倒さなければ多くの妖精たちが犠牲になってしまう。
「うう、迷わない迷わないぞ! 色々な意味で!」
 ふるふると邪念を払うようにかぶりを振れば、心配した妖精たちが『だいじょうぶ?』と藍生の顔を覗き込んでくれるから。困ったようにへにゃりと眉を下げて笑えば近寄ってきた花精は『おまじない』と花を一輪分けてくれた。
「……ありがとうございます」
 迷いは晴れない。
 だけど、彼女がくれた一輪のヒナゲシは十分に守る理由に足り得るから。
 きっと守ってみせますと。頷いた藍生の決意に満ちた眼差しを見つめ、花精はにこりと笑みを深めて森の最奥へと続くみどりのトンネルを指し示した。

ノーチェ・ノクトスピカ

●うたうたいのティリーとミリー
 古き妖精たちの寝床。一体どんな世界が広がっているのだろうと、ノーチェ・ノクトスピカ(Nachtsängerin・h06452)はどきどきと高鳴る胸の鼓動をそのままに双子のシルフとデネブがひらひらと宙を舞う様子を仰いだ。
「デネブも楽しみ? 僕もどきどきする。……双子のシルフ、君たちが案内をしてくれるの?」
『ええ、もちろん』『森はとっても広いのだもの!』
 いたずらものが通せんぼをしてくるのは勿論だけれど、道を知らぬままに踏破出来るにんげんは今までひとりも居やしなかった。たいせつなお客さまを蛙やネズミに変えてしまったら大変と囀るすがたに、ノーチェはぱちりと目を瞬かせてそれでも踊る気持ちを落ち着けるために深く澄んだ空気を吸い込んだ。
「ありがとう! 助かるよ!」
 まさに冒険だと笑いながら、妖精たちに導かれながらみどりの迷宮へと一歩踏みだす。が、徐々に獣道さえなくなってくれば思うように進めない。ざわざわと囁き合う木々に帽子や翼が引っ掛かりそうになるけれど、シルフたちが丁寧にそれを外してくれるから怖くはなかった。
「ふたりはすごいなぁ、すいすい進んでいくや」
 宙を泳ぐように風と踊るシルフたちはくすくすと笑いながら『私たちの生まれた森だもの』と語り聞かせてくれた。はじめて歩く深い森の中、浮き立つこころは思わずうたを紡ぎそうになってしまうけれど――ねぼすけさんたちを起こさないように、静かに、静かにしなければ。

 |『レグルスと 戯れて』《「しし座の戯」》

 星の旋律は子守唄にも似て。微かに紡がれたその歌声に寄り添うように、シルフたちが呼び起こした風がノーチェの歌声を優しく森の奥へと運んでいく。彼女たちも一緒に歌ってくれていることが分かるから、嬉しくなってどうしたって足取りは軽くなる。
「森の外の妖精ともお友達になれたらいいのに」
 思わず溢れた心からのねがいに顔を見合わせたシルフたちはそれを否定することなく『ありがとう』と口にして、ノーチェのゆびさきをそっと取ると深い感謝を伝えるように目を伏せて微笑み返した。

燦爛堂・あまね

●止まり木のフォルン
 古き樹霊はツリーハウスから動くことが出来ないことを詫びると、自分の枝をぱきりと折って燦爛堂・あまね(絢爛燦然世界・h06890)に渡してくれた。何の変哲もない枝のように見えるけれど、代わりについてきてくれた小妖精曰く『おじいの枝は『ツウコウショウ』になるよ!』とのことで。なるほど、目には見えない生命力の残滓を妖精たちは過敏に感じ取るのかもしれない。
「そんな大切なものを、良いのでしょうか」
『あなたのことがすきになったからだよ』
「まあ。ふふっ、それはよかったです」
 ひとつ断りを入れたあと。つい、と描いたひかりの軌跡から生まれた楝色の蝶が小妖精を守るように羽を震わせる。あまね本人が気付けなくとも、些細な変化を彼らが報せてくれるのだと告げれば、蜻蛉の翅を持つ妖精は『すごいねえ』と手放しで褒めてくれるものだからすこしだけ気恥ずかしい。
 尻尾が余計に梢を揺らしてしまわないように。ぎゅっとやわらかな毛並みに覆われたそれを抱き込みながら、あまねは小妖精のしるべに従いながら森の中を慎重に、古き妖精たちの寝床を騒がしくしないように歩を進めるのだけれど。

 ぱきっ。

 小枝を踏み締めた乾いた音がいやに響く。
「(ひゃぁあ……!)」
 ざっと血の気が引いて、全身の毛が逆立つような心地がした。
 慌ててぎゅぎゅっとおてんばな尾っぽを捕まえながらも息を殺せば、あとにはただただ風の囁きばかりが広がっていたから。小妖精と顔を見合わせたあまねは、ほう、と安堵の息を吐き出して困ったように眉を下げて笑った。
「より気を引き締めていかねばなりませんね……!」
 てのひらの中に握り込んだ枝葉からはあたたかな気配が伝わってくる。もしかしたら、妖精郷でお留守番をしてくれている樹霊が助けてくれたのかも、と。あまねは胸の内で感謝を唱えながら森の更なる奥深くへと足を踏み入れた。

 ――みどりが開けたその先にはぞっとするほどの静寂が満ちていた。
 楝色の蝶が報せる危機をどこか遠くに感じながら。あまねは泉のほとりに蠢く影を、確かにその目でとらえることになる。

第3章 ボス戦 『ドラゴンズメモリー』


●失われしマビノギオン
 木々の開けたその先に。迷いの森の最奥に、ぽっかりと木々が開けた場所があった。清冽なる泉の澄んだ水盤に降り注ぐ木漏れ日が鱗のようにきらきらと輝いて、そのうつくしさに息を呑む音さえ響いてしまうほどの静寂に包まれた場所だった。
 妖精たちはこの場所を『しじまの泉』と呼ぶ。
 たくさんのいのちが生まれ、ちからを使い果たしたその時に眠りにつくための水のゆりかご。いつか再び目覚めるときまで、清浄なる生命に満ちたこの場所で過ごすのだと。すべての妖精たちが大切に守ってきたその場所に、『それ』は居た。

 木々を、大地を震わせながら響き渡るそれは慟哭であった。
 悲嘆。悲憤。或いは無念。いや――それらの全てであったのだろうか。

 朧げな輪郭を揺らし、ごぼりと湧き上がった影が意思を持つかたちとなる。
 それは記憶の集合体。嘗て竜であったものたちの残滓の寄せ集め。昏い瞳にひかりは宿らず、伽藍堂の魂は最も近くに存在したEDENたちを見とめるとその全てを喰らい尽くさんとゆっくりと顎門を開いた。

 忘れないで。思い出して。
 どうか、名前を呼んで――大切な■■■。

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 第三章『ドラゴンズメモリー』
 妖精の森の最奥。しじまの泉にていのちを喰らう真竜の影法師との戦闘になります。場は開けており、遮蔽物や障害物はありません。みなさんが持てる全力で以ってこれなる存在を打ち倒しましょう。
 ここまで案内してくれた妖精たちは突如として現れた侵略者のすがたに怯えきっています。ドラゴンズメモリーはより弱く魔力の純度の高い妖精を優先して喰らおうとするので、守ってあげましょう。怖がっていたとしてもここまで信頼を築いた皆さんの言うことを妖精たちは素直に聞いてくれるため、守りながら戦うことに関して大きな障害はありません。

 『あなた』がもし、嘗て真竜である存在であったなら。
 『あなた』の記憶の中にもし、真竜の姿が存在するのなら。

 ドラゴンズメモリーはあなたの記憶のかけらを再現してそのすがたかたちを模倣します。これによる戦闘能力の変化はありませんが、竜の残滓はなにかをあなたに訴え掛けるように慟哭を上げ続けています。
 記憶の中の姿に指定がある、或いは『この敵に特別な思い入れがある』場合はプレイングにその旨を書き添えて頂けましたら幸いです。

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シルヴァ・ベル
八乙女・美代

●嘆きの影
 木々が、風が、震える水面が――森が、いのちが泣いている。
 それは憎悪に非ず。邪竜の記憶を継げば斯く在り、優しき竜の思いを継げば斯く在らんとする影法師なのだと、シルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)はほんの少しだけちくりと傷んだ胸を目を眇めることでやり過ごす。
「誰でもあるし、誰でもない……なるほど、個を持たないというのは悲しいものね」
 あらゆる竜の記憶のかけらを伽藍堂の胸に抱いたもの。誰が為に慟哭を上げるのか、それさえも最早思い出せないのだろうかと。今一度ひとのかたちを取った八乙女・美代(美意識の歪み・h07193)はシルヴァと妖精たちを守るようにその背でちいさきものたちを庇うように立つ。
「……すこし可哀想」
 此処にいる『あの子』自身はからっぽで、何も持たない。でなければこの咆哮がこんなにも虚しく響きはしないだろうと。俯きかけたシルヴァを励ますように、美代はぱちりと片目を瞑って見せた。
「妖精のみんなのこと、お願いね」
 まるでちょっとそこまで散歩にでも出掛けるかのように気安く、軽やかに。長い四肢を踊らせた美代を見つめ、ふ、と微かにシルヴァは微笑む。彼の存在を不憫に思うことと、同族たちを守らなければならない使命は同時に持っていたっていい。ちいさな胸に誓いを宿し、可憐な小妖精はその姿を|大巨人《スプリガン》へと変じさせていく。その変貌ぶりを見上げた妖精たちは、ぱちりと目を瞬かせると『守り人さん!』『守り人さんだ!』と口々に声を上げるから。なるほど、どうやらシルヴァの今の姿は彼らにとっても『妖精の守護者』と云う認識をして貰える存在であるらしい。
「皆様、わたくしの後ろへ。嵐が過ぎ去るまで、花の影に隠れていてくださいませ」
 大きな守護者たちが自分たちを守ってくれていることを妖精たちも即座に理解することが出来た。だからこそ、翅を震わせた小妖精たちは言いつけを守って花の群生地に潜もうとするけれど、それを許さぬとばかりに長い頸を擡げた影の竜が炎の息吹を繰り出さんと顎門を開くから。
「駄目よ。彼らはアナタにはあげられないわ」
 たん、と地を蹴ったのは一瞬。息を吐く暇もなく距離を詰めた美代が絡めとったのは、あかく染まった手指が齎したものであったのか。
 否。それは美毒の刃。真紅に輝く致死の毒。
 夜闇を裂くように躍る刃が記憶の残滓を巻き上がった鎌鼬の如く幾重にも斬り刻んでいく。果たしてこの個体に痛覚が存在するかは定かではなかったけれど、どぼりと傷口から溢れた闇は恐らく何時か、何処かで失われてしまった誰かの記憶の断片に違いない。
 悲痛な竜の咆哮は記憶が零れ落ちることへの恐怖だったのかもしれない。少なくとも、その様子は『完全なる邪悪』のようには思えなかった。だから。
「美代様、お願い。これ以上苦しませないよう終わらせてあげましょう」
 暴れ狂う竜の残滓が美代を薙ぎ払わんとするよりも早く、妖精たちを逃し終えたシルヴァの巨躯がドラゴンズメモリーの曖昧な輪郭を掴んで抑え込む。影の尾を、シルヴァの身体を足場に、トン、トン、と軽やかに駆け上がった美代の刃が逆光を受けてぎらりと光る。
「ええ。この美しい森を荒らしたくないしね」
 本当は圧し潰す方が得意なのだけれど――此度はその役割を|妖精たちの守護者《スプリガン》たるシルヴァへ任せよう。

 その歪みを、嘆きを止める、その為に。
 美代は再び紅き剃刀を奔らせ、森を侵食せんとする歪な闇を深々と斬り裂いた。

システィア・エレノイア
クラウス・イーザリー

●祈りは何処へ
 ほかの世界で生きてきたクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は真竜と云う存在を殆ど知り得ない。けれど、胸が張り裂けんばかりの慟哭を解さないほど心を殺してきた訳ではない。
「……それでも、妖精たちにとって大切な場所を奪われたままにはできない」
「ああ」
 短くいらえたシスティア・エレノイア(幻月・h10223)にとって、この森は自らの生きてきた世界と確かに地続きのもの。己の内には大なり小なり竜漿が流れている筈で――だからこそ、目前の存在すべてを否定出来はしなかった。
「店主さん、いや……クー・シーさん。巻き込んでしまって申し訳ない」
 振り向いたその先で、老いた|犬の妖精《クー・シー》が震えている。無理も無い、元より人前にすがたを表すこと事態が彼にとっては大きな一歩に違いなくて。今まさにいのちを脅かされそうになっているともなれば尚のこと。だからこそ絶対に守らねばならないと、システィアとクラウスは視線を交わし頷き合った。
「……俺達は影を鎮めて必ずあなたを郷へ帰します」
「絶対に守ります。俺の後ろに、隠れていてください」
 フードの下に隠れた目元から表情は窺えない。噛み合わない歯がかちかちと音を鳴らしていて、彼の恐怖を物語っていたけれど。それでも、老いた妖精はふたりを置いて逃げ出すことはしなかった。
「眠り生まれる同胞達がこの地にいるのならば。恐れず、影の嘆きが伝播しないよう祈っていてほしい」
 それは確かな信頼のかたち。歩んだ時間は短いものではあったけれど、彼なりにふたりの矜持を守ろうという想いのあらわれなのかもしれない。けものの鼻先がちいさく頷いたことを知れば、ふ、と微かに目を細めながらシスティアはクラウスに妖精と背中を託し長柄の斧を手繰り寄せた。

 銃火器を手繰るばかりではない。幾度も繰り返される戦いの中でクラウスが見出した新たなちからの発露は、この世界で当たり前のように行使される『魔法』と呼ばれる奇跡のかたちだった。
「日輪よ、集いて来たれ。……どうか、守る為の力を」
 唱え慣れない口上とて、発しさえすればそれは意味を成す。
 陽を纏う金烏の翼がひかりを宿さぬ竜の残滓の瞳を照らせば、ぐらりと体を揺らがせ眩さに身悶えた記憶の残滓は苦悶の声を上げるから。その痛ましさに僅か眉を顰めるけれど、クラウスが祈りの言葉を止めることはない。

 オォオ――――……ン!

 地を揺るがすようなその声は、酷く悲痛な叫びであった。
「ティア!」
 開かれた顎門から繰り出されるは光の奔流。暴走した竜の息吹は木々を、肉を、骨を抉るちからとなって無遠慮にシスティアを襲うけれど――秩序なき攻撃を真正面から喰らってやるほどの無様は見せまい。
「……クラウス、信じてくれ!」
 詠唱を止めるな、と彼は言う。
 抉られた肩口を厭うことなく、月のけものは疾駆する。
 この力は奪うためではなく、守るために。クラウスの想いに応じるように、駆け抜けたシスティアの戦斧が轟と風を断ちながら振り下ろされるのを誰が止められただろうか。
「おやすみ、記憶の欠片たち」
「……あなたの嘆きを、忘れないよ」
 この泉は妖精たちのもの。だから、此処には居られない。
 どうか。どうか、願わくばその眠りが孤独ではないように。ただ安らかであるようにと願いを込めた斬撃が、影の大腿と思しき塊を強く強く打ち据えた。

ルミオール・フェルセレグ

●ペンタスの亡霊
 ルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)の記憶の中にある彼女とそれは余りに瓜二つであった。うつくしいライラックの真竜。あの日自分を生かしてくれた気高き竜が、そこにいた。
 見紛う筈がない。
 忘れる筈がない。
 わかってはいたつもりだった。けれど、己の記憶から『彼女』が掬い上げられた事実にほんの少しだけ安堵してしまうのは――、
「……嫌だな、俺に斬らせないでよ」
 ルミオールは苦く笑う。
 あの竜は本物ではない。それでも、記憶の残滓が模倣した面影は憎らしい程彼女によく似ていた。

 肩口に乗っていたちいさな妖精が震えている。無理も無い、彼にとって竜は親しき隣人であって、こんな風にいのちを脅かすものでは決してなかったからだ。
「大丈夫だよ、ニーヴ」
 だから、安心させるように。殊更にやわらかな声で以って、ルミオールはちいさな妖精に微笑み掛けた。叶うなら、背に捕まるか隠れていてと囁けば目に涙をいっぱいに溜めたねこのかたちは器用に身を縮ませるとルミオールの肩から背へと滑り降りていく。
「この美しい場所に相応しくないあれは俺たちがやっつけて、君が選んでくれたチョコレートも持って帰るから」
 だから、安心して。
 そう告げた声に応えるかのように精一杯にぎゅっとしがみつく気配を感じれば、よし、と目を細め頷きルミオールは冴えた刃を携え地を蹴った。

 光り輝く無数の花弁が、頬を、腕を、腿を無慈悲に裂いていく。この影法師は魔法さえも模倣するのかとルミオールは僅かに眉を顰める。記憶通りであるならばきっと爪も牙も痛いけれど、少し気分が良くないだけで迷いも躊躇も、勿論恐怖だってありはしない。本物の彼女であるならば、こんな風に見境なくいのちを喰らおうとする筈がないと分かっているから。
「何より、お前がどういう存在であれ。彼女の姿を取って良いはずがないからね」
 ――聞け、星々の声を。
 刺し貫くは星環の理。星々の祝福を受けたルミオールの剣が、ライラックの幻影をひと突きに穿ち抜いた。

フラヴン・オディール

●観測者
 この身に宿るは己が記憶よりも『そうでない』ものの方が多い。悠久なる時を生きるフラヴン・オディール(記録β・h10175)にとってそれらは記憶と言うよりも『記録』と呼ぶべきものたちなのかも知れない。
 多くの出会いがあった。
 数えきれないほどの別れがあった。
 ヒトであれ、モノであれ。その全てを覚えている訳ではない。そもそもこの姿を取るようになってから、どのくらいの時が経過したことさえも忘れてしまった――だからだろうか。目前の竜の残滓が模倣したものが、面影さえも判別できない光であったのは。
『ひゃああ』
 目を灼くほどの眩さに眠りの精が縮こまる気配を感じた。目視出来なかったのは、あまりにも光が強すぎたから。それ故に、フラヴンはここまで道案内をしてくれた妖精を庇うように一歩前へと歩み出る。
「下がっていて。大丈夫、あなたを傷付けることはさせない」
 でも、とちいさく言い募る声がする。もしかしたら彼なりにフラヴンを守りたかったのかもしれないけれど、これより先はEDENの領域だ。カツンと打ち鳴らしたステッキの音を切っ掛けに、身を竦ませていた妖精は転がるように茂みの中へ潜り込んでいった。草を掻き分けるがさごそと落ち着かない音にほのかな笑みを敷きながら、フラヴンは掲げたてのひらの上に炎の術式を編み上げていく。
「僕も竜だった時もあるかもしれない」
 ヒトの身体よりも力強くて、便利だった。
 朧げな記憶。曖昧な境界線。それらを手繰り寄せながら思い描くは雄大なる空の記録。術を組む間は無防備になるその体を喰らわんと光が頸を擡げる中でも、フラヴンは胸に残る懐かしい光景を何時ぶりかに浮かべて微笑んでいた。
「あなたはどうだったのだろう」
 今はただ嘆きの声しか上げることのない記憶の残滓には明確な感情の発露がある。だからこそフラヴンは問いを止めない。
「その身体は気に入っていたか?」
 開かれた顎門のその奥へ、喉奥目掛けて放たれた炎が弾けるように竜を灼く。その刹那、脳に直接流れ込んできたのは――嘆きばかりではない。紛れも無い、『■』のかたちであった。

番田・陽葉

●ひとかけらの勇気
 全身の毛がぶわりと逆立つ感覚を番田・陽葉(熊猫おばちゃんデカ・h10140)は思考の片隅に覚えていた。
「(これが畏怖? ってやつなんだべか……)」
 得体の知れない脅威への本能的な恐怖。それと同時に『かみさま』のような存在感さえ感じられるよう。
 これが竜。これが、御伽噺の食物連鎖に於ける頂点に立つもの。影法師とはいえこんなものと相対して、ましてや戦うなんて。以前の陽葉であれば考える必要さえなかった生命の危機に、知らず一歩だけ後退ってしまうけれど。
『パンダさん』『にげて……!』
 自分よりも遥かにちいさな妖精が、陽葉を守るように立ち塞がろうとしてくれている。それは確かな親愛のかたちで、彼らにとって最大限の勇気であったのだろう。
「……うう〜! わだすが怖がってる場合じゃねぇべ」
 何のために自分はここまでやってきたのか。
 何のために、自分は戦うことを選んだのか。
 己の『はじまり』を胸に、立ち上がった陽葉はがう、と威嚇するように竜の残滓に向かって一度吼え立てた。怖いけれど、恐れ多いとさえ思ってしまうけれど――それでも、守りたいものがある。だから。
「悪いけどあんたにはこっから出ていってもらうべ!」
 一度だけくるりと振り返ると陽葉は妖精たちを木々の方へと促した。不安気に言い募ろうとする勇気あるちいさな隣人たちへ、にこりと笑って見せながら。
「妖精ちゃんたちは危ねぇから隠れてるんだべよ?」
 ここは彼らの大切な場所。悪意のあるなしに関わらず、それを害するのであれば取り戻さなければ。
 陽葉は妖精たちの安否を確認すると同時に大きく地を蹴った。
 低く、低く身を構え――からだがおおきな分動きが鈍い影法師の死角に喰い下がらんと、更に、更に加速していく。
「おりゃー! 喰らうべさー!!」
 竜の残滓がこちらを捉えるよりも早く、振り上げられた中華鍋がその影のからだを強く打ち据える。ぐらりと揺らいだ巨体がどお、と地鳴りと共に倒れるのを、陽葉は決して見逃しはしなかった。

ラナ・ラングドシャ
ラデュレ・ディア

●追憶の鏡
 そんなことがあるはずがない。
 そんなことが、あっていいはずがない。
「……!」
 目前に佇むは太陽の被毛を抱いた竜のすがた。あたたかで眩いその輪郭は紛れもなくラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)の胸の中に大切に秘められていたものだった。
「どうしてボクじゃないキミがその姿を……それは……それは、」
 ボクと|大切な人《あの人》しか知らないはずの姿なのに。どうして。
「……ラナ?」
 友の動揺を感じ取りラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)は案ずるように振り返ろうとするけれど、大気を、地を震わせるように響き渡った慟哭がそれを許してはくれなかった。
「…………え?」
 泉へと視線を向けたラデュレは我が目を疑いぱちりと大きく瞬いた。
 目を瞠るほどの鮮やかないろ。ひとの面影は持ち得ないのに、何処か見知ったすがたを想起させる。それは輝石の角を持つもの。四季を、さいわいを運ぶものたちのすがたに違いなかった。――けれど、どうして? 妖精郷の森に彼らが、彼が居る筈がない。ラナには違う姿が見えているのだろうか。それならば、もしかして――。
「(わたくしの記憶を、映しているのですか)」
 嘆きの声が脳を揺さぶる。心までもを軋ませるような悲痛な叫びは、一体誰のためのものなのか。
 知りたい、知りたくない。
 思い出したい、思い出したくない。
 『思い出して』と頭の中で幾重にも声が反響するのを、ラデュレは必死にかぶりを振って振り払う。
「ボクはアイツと戦ってくる! ラーレは妖精さんを安全な場所へ!」
 混濁する思考の中、あの姿で襲われてはまずいと弾かれたように動き出したのはラナの方だった。
「……もし落ち着いたら、ちょっとだけ助けて欲しいな……!」
 それはラナの精一杯の勇気。
 大切な記憶を踏み躙ることはさせまいと鏡合わせのすがたに変じた友の声にはっと顔を上げたラデュレは強く頷き、怯え竦む小妖精を招いてその身が脅威に曝されぬようにと揺れる花々の中へと導いていく。
「避難でしたら、お任せください……! ロージィさま、こちらへ!」
 戦うちからを持たない妖精の少女はふたりを案じるように声を上げかけるけれど、己の声そのものが竜の気を惹いてしまうことを分かっている。花の中に身を隠した妖精が『無事でいて』と口の動きだけで告げるのに微笑んで、ラデュレはましろの|指揮棒《タクト》を手に竜の残滓を押し留めるラナの元へと駆け出していく。
「どうかお力添えを……! ラナ!」
 躊躇はある。けれど、これ程までの慟哭を響かせる彼の存在の嘆きを止めてあげたいとも思うから。奏者を導くように|指揮棒《タクト》を掲げたラデュレの声に応じて現れたうさぎの兵士たちが竜の息吹を押し留めていくのを、ラナも確かに感じていた。

 ――この姿は、自分がただの猫であった頃に『あの人』が描いてくれた絵から生まれたものだ。

 おひさまいろの毛並み。ふわふわなからだ。
 もしもそんな竜がいて、その背に乗って空を飛べたらどんなにか幸せだろうと夢みがちに語って聞かせてくれた、大切な記憶だった。
「キミの気持ち、届いてるよ。ボクと同じ」
 多分、きっと、寂しいんだよね。
 だから、こんなにも悲しい声で泣いているんだよね。
「大丈夫だよ」
 怖がらないで。もう、泣かなくてもいいんだよ。
 大きくあたたかな翼がぎゅっと竜の残滓を包み込む。あたたかな記憶と想いに触れ、ほんの僅かだけ竜の嘆きの声が止まったことに、ラナはひだまりに微睡むように優しく微笑んだ。

大海原・藍生

●うつくしきもの
 もとより竜であったとされる彼らは、一体どうして『ひと』のかたちになったのだろう。何らかの理由で人間の姿に堕ちたと言われる竜たちの中には勿論望んでひとの身に変じたものも居るだろうが、多くは望まぬ変貌を遂げた姿なのだと知れば大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)の胸にはすこしだけちくりと針が刺さったかのような痛みが残る。
「(いずれにせよ、自分が自分だったもとの形を失ったら、さみしいのかもな)」
 あるべき姿を失ってしまうことは、きっと悲しいことなのだろう。
 自分には彼ら、彼女らの真竜としての姿を想像することしか出来ない。多くのにんげんがそう在ることしか出来ないことをすこしだけ歯痒く思うけれど、藍生が脳裏に浮かべたすがたをそのまま模倣する竜のすがたはうつくしいものだった。
「いつも優しくて、強い能力者さんな皆さんだったら……きっと眼がきれいなはずなんだ!」
 竜の残滓は見上げるほどに大きくて、五感すべてを支配していくこの感情はきっと畏怖と呼ぶべきもの。それでも――それでも、自身が思い描いた『彼ら』を否定したくなかったから、藍生は真っ直ぐに空想の面影と対峙すると雷霆の槌を構え直してここまで道案内をしてくれた妖精を守るように立ち塞がった。
「妖精さん、隠れていてください!」
 大気を震わす慟哭に怯え固まっていた花精が藍生の声に顔を上げる。こくりと頷く姿を見止めて駆け出すとほぼ同時、猛然と牙を立て骨ごと噛み砕かんとする顎門を弾き飛ばし、藍生はその身に魔力を蓄積させていく。
「――もう、迷わない!」
 ばちん、と大きく迸ったのは蒼き雷の奔流。その眩い一瞬のひかりに目を灼かれ、苦悶の声を上げて竜の影法師が怯んだのを藍生が見逃すことはない。
 これは誰かを守るための力。
 誰かの願いを、祈りを、後押しするための力。
 大地に巨躯を捩じ伏せんと振り下ろされた雷神の怒りが轟音と共に炸裂する。宙を裂かんばかりの雷光が、刹那、しじまの泉を満たした。

鴛海・ラズリ
兎沢・深琴

●星々の子守唄
 水面に映る己の姿が哀しかった。
 水面を乱している歪な己もまた、――哀しかった。

 嘆きの声がしじまの泉に木霊する。身体が引き千切られるかのような悲痛な響きも、喉を引き裂くかのような慟哭も。まるで彼の存在が全身を大いに震わせてわんわんと泣いているようだと、鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)は僅かに眉を下げながらその姿を真っ直ぐに見つめていた。
「さみしい姿、ね」
「どの様な存在であれ、悲しみの声を聴くのは心が痛むわ」
 たとえそれがいのちを脅かすものだったのだとしても、その悲しみには理由があるに違いないから。ラズリの憂いに兎沢・深琴(星華夢想・h00008)はちいさく応える。
「でもね、何をしても良いかは別の話」
 幼い子どもに言い聞かせるような声だった。
 ひとの身である己にもこの静謐な空気は侵し難い領域であろうことを否応にも感じさせる。妖精たちが口にする通りの場所であるならば、ここは生命が廻るやさしい揺籠に違いないのだから。
「此処が血で汚されることは許されないの」
「そう。妖精たちの大切な場所を踏み荒らしてはだめ」
 身を寄せ合って怯える妖精たちを守るべくしてやわらかに笑み掛けながら少女たちは一歩前へと進み出る。その眼差しに決意のひかりを宿して、深琴は傍らに寄り添ってくれる友へとねがいのことばを口にした。
「ラズリさん力を貸して頂戴。一緒に妖精さんの大事な場所を守りましょう」
 それは確かな信頼のかたち。守り合うことへのゆるしを希う言の葉に耳を震わせたラズリも胸に宿した燈りと深琴を信じて深く頷く。
「うん、深琴……! まもろう、妖精たちの安寧のために」
 己が胸に手を当てながら意識を遠きそらへと集中させていく。未だ明るい天穹の彼方に、この声が届くように。祈るように紡がれたあまやかな音色は風に乗って、遠く、何処までも遠くへ溶けていく。
「力を貸して、星々よ――」
 悠久のそらより、届け。
 降り注いだ綺羅星の輝きより現れ出づるは十二の星霊獣。あぶくと共に弾けた|ピスケス《魚座》が齎すは竜の残滓が繰り出す炎の吐息から深琴とでこぼこ妖精たちを守るための守護の|水膜《シャボン》。
「皆に手を出したら、私……怒っちゃうの」
 その言葉に応えるために。心強い援護を得たことを知れば深琴は更に一歩を踏み出して乾いた音を立てながら魔導書をぱたりと開く。
「どうか皆を守る力を……」
 紅ならば鮮血よりも此方の方がこの場に相応しい。
 次々に捲れていく頁から巻き上がるは鮮烈なる紅き星薔薇の花弁たち。花雨はやがて嵐となってドラゴンズメモリーの巨躯を押し留めるほどの紅の奔流へと変じ、その苛烈さを増していく。
 眠る生命には祈りを。生まれてくる命には祝福を。そして――、
「それらを奪う者には終焉を」
 紡がれた深琴の声に重なるように、風を切って躍り出るは星羅の鬣を蓄えた勇猛なる|レグルス《獅子座》。紅き花弁に奮い立つかの如き猛攻が、鋭い星獣の牙が悲しき竜の喉笛に喰らい付いた。
「ラズリさんにも妖精さんにも貴方の攻撃は届かせないわ」
 真実の声や竜の残滓の真意までは汲み取れずとも、みちを示すことは出来る。その嘆きが、祈りが、願いが――どうか、やさしい眠りへと、いのちの果てへと辿り着くまで、何度でも。何度でも、私たちはうたい続ける。
「「おやすみなさい」」

 少女たちが紡いだ星彩が竜の残滓を包み込む。
 微睡の中で見たゆめは、なつかしい、澄んだ夜のにおいがした。

天ヶ瀬・勇希
楪葉・望々

●刻む心音
 ことばを忘れてしまうほどの悲しみはいったいどれほどのものなのだろうと、楪葉・望々(ノット・アローン・h03556)はきゅっと胸元で手を握りながら影法師の竜を見上げた。
「でもね、いのちを喰らわせるわけにはいかないの」
 なにも知らずとも自分たちを好いてくれたというだけでここまで一緒に来てくれたみどりの妖精やこの森を守るのはもちろんだけれど。その澱みも、張り裂けそうな胸のいたみも、救ってあげたいと思うから。
「勇希」
 だから、望々はヒーローの名前を呼ぶ。
 ううん。ほんとうは声を上げなくたって、彼が誰かのなみだを放っておくことなんてありはしない。
「任せろ!」
 そこにかなしみがあるのなら、天ヶ瀬・勇希(エレメンタルジュエル・アクセプター・h01364)はその嘆きを拭うために何度だって手を差し伸べてくれることを、望々は確かに知っている。
「のの、ベラのこと任せたぞ! 大丈夫、みんなもこの泉も、必ず守るから!」
 燃え上がった炎が勇希の身体を包み込む。守るための意志を胸に、希望を抱いて変ずるは白き|英雄《ヒーロー》の姿。切り裂いた炎が吸い込まれるかのように勇希のジュエルブレイドがあかき熱を宿すのを見つめ、望々もその信頼に応えるようにこくりと頷く。
「ベラ、わたしの後ろにかくれていて」
 でも、と。枝葉を伸ばした妖精はきっと、幼いひとの子である勇希と望々を精一杯守ろうとしてくれているのだろう。だからこそ、望々はそっとやさしいみどりの腕にてのひらを添えて淡く微笑んだ。
「勇希はとっても頼もしいヒーローだから、大丈夫だよ」
 信じて、と囁く声は何処までもやわらかい。
 いのちを投げ出してまで子どもたちを守ろうとする庇護のみどりは望々の言葉を信じてくれたのか、不安げに瞳を揺らしながら、それでもちいさく頷いてくれた。

「(とはいえ、でっかいな……攻撃届くかな!?)」
 記憶の集合体とはいえ、相手は竜のかたちを模倣するもの。真正面から無策に突き進めば容易く骨を噛み砕かれてしまうに違いないからと、滅茶苦茶な軌道で繰り出されるひかりの息吹を剣で弾きながら勇希は着実にドラゴンズメモリーとの距離を少しずつ詰めていく。
「なあ、模倣して、おまえは何になりたいんだ?」
 竜の残滓は答えない。ただ、なにかに訴えかけるように泣き続けるだけ。
 ひとたび暴走させられてしまえば望々もベラも守ることは難しくなる。だからこそ、普段の何倍にも慎重に勇希は確実に竜の死角を取るべくして地を蹴り続けた。
「俺はドラゴンのことよくわかんねぇけど、でも妖精達の世界をめちゃくちゃにしていいわけがないよな!」
 背面を、取った。
 その瞬間にふ、と身体が軽くなったように感じたのは、きっと気のせいじゃない。
「――お願い、どうか」
 それは望々の切なるねがい。勇希を、自分を。妖精たちを、森を守るため――そして、数多の記憶にも、祝福を。
「ぶつけたいほどの気持ちがあるなら、俺が受け止めるからさ!」
 少女の祈りに応えた神聖竜の加護が勇希の足を助けてくれるから。ちいさなヒーローのあかき一閃が、とうとう竜の残滓を捉えてその巨躯を大きく切り裂いた。

「のの、大丈夫だったか? よかった!」
 守ってくれてありがとな、と。晴れ渡るそらのように快活な笑顔に、とくり、とくりと胸が早鐘を打つのを感じていた。チョコレートみたいなあまい心地にいまはまだ名前を付けられないけれど、それでも彼を誇らしく思う気持ちはうそじゃない。
「ね、ベラ。勇希はとってもかっこいいヒーローなの」
 望々のあまい胸の鼓動をこっそりと隠すように。ベラと呼ばれたみどりの妖精ははるのいろを咲かせ、勇気ある少年少女たちを讃えるようにさやさやと静かに枝葉を揺らした。

エレノール・ムーンレイカー
ミモザ・ブルーミン

●『ひかりあれ』
 怒濤のような嘆きが地を、大気を震わせている。
 森に反響して駆け回るのは、悲嘆、無念、あるいは絶望。それらが全て綯い交ぜになったかのような、膿んだ傷口を抉られるかのような、悲しい声であった。
「うわ、なにこれ……」
 魂の奥底までも届くような響きだった。びりびりと髪の一本一本や皮膚までもを震わすような慟哭にミモザ・ブルーミン(明朗快活な花妖精・h05534)は半ば強制的に植え付けられた恐怖の念をふるふるとかぶりを振って何とか胸の奥深くへと押し込める。
「最早、かの竜は全てを飲み込む厄災みたいなものになり果てています。何とかして鎮めないといけません!」
 もとの大きさまで姿を戻したエレノール・ムーンレイカー(蒼月の守護者・h05517)は妖精たちにとって最も大切な場所であろうこの泉まで導いてくれた妖精を庇うように一歩前へと進み出る。その背を仰ぎ、恐怖にとらわれているばかりではいられないとミモザも翅を震わせながら怯える少年の顔をそっと覗き込んだ。
「……ねえ、君、震えてるの? まあ、無理もないよね、こんなのが出てきちゃったら」
『竜のヒトたちは、みんなやさしいはずなんだ。それなのに、あんなに泣いて……、……ぼく、こわいよ』
 外敵の存在を知ることのない妖精にとって、それも隣人だと思っていた『竜のヒト』に酷似した存在が狂乱する様はどれほどにおそろしいか。それでも直ぐ様踵を返して逃げ出したりしないのは少年にとってはエレノールとミモザも愛すべき隣人であったが故のもの。
「大丈夫。あたしだって怖いけど、きっと君を守ってみせるよ。だから――」
 はるのいろを、燦々と輝く太陽のいろを抱いた少女はもう迷わない。ここまで共に歩んできた少年を守るために、同胞たちの妖精郷を守るために。そして、傍らを共にする彼女の助けとなるために。
「エレノール、あたしに精霊を降ろして!」
 弾かれたように振り返ったエレノールと視線が交差したのは一瞬のこと。ふ、と微かにエレノールが笑ったように見えたのは、きっと彼女なりの信頼のかたち。
「――わかりました。ミモザ、今回も手を貸してもらいますよ!」

 我が魔力と契約を以って命ずる。
 舞えよ風。翻りて来たれ――流転の運び手よ!

 風は集いて満ちていく。ミモザのちいさなからだを包み込むように不可視の衣が纏わる感覚を覚えれば、彼女は最早『ただの妖精』ではなくなる。己の身が更に軽くなったことを感じれば、精霊とひとつになったミモザは旋風のように宙を舞った。
「よし、これならあたしも戦える!」
「ミモザは彼の保護と援護を。わたしは竜を何とかします!」
 しゃらん、と軽やかな音を立てて抜き放たれた賢帝の剣と共に、エレノールは速度を増しながら影法師の懐へと一気に距離を詰めていく。見上げるほどの巨躯はそこまで素早くはないものの、その体躯に見合った質量を伴う攻撃を喰らうのは得策ではない。振り上げられた丸太の如き尾が地を抉り取りながら叩き付けられる様に、背に冷たい汗が伝う感触だけがいやに生々しく感じられた。
「(なんて重い一撃……! けれど、わたしを狙ってくれるのなら僥倖と言えましょう)」
 刃の手応えは攻撃に反してそう重くない。それは、これなる存在が不確かなものであるものの証左。自らに害をなすものとして確りと認識しているのか、竜の残滓は踊る花弁の如く軽やかに地を蹴り跳躍するエレノールをよくよく狙ってくれた。時折視界の端に留まるミモザや少年を捕らえんと身を捩るけれど、防御と支援に重きを置いたミモザを捕まえるには至れない。
「だめだめ、あたしのこともこの子のこともあげたりしない。こう見えても逃げ足は自信あるのよ!」
 少年はミモザの言うことをよく聞いた。なるべく枝葉の入り組んだ所へ身を隠そうとしてくれるから、これならばエレノールに加護を受け渡すことに専念することが出来る。
「精霊よ、力を貸して。……エレノール、やっちゃえ!」
 風の精霊を宿した少女の援護が、この身を、脚を何処までも軽くしてくれるから。暴虐なる爪牙が此方を引き裂かんとしてもある程度受け流せる程度の余裕がエレノールには残っていた。
「いくらかつて偉大だったとしても、過去の亡霊の残りかすが、今ある命を脅かすなんて許せないんだから!」
 ミモザの声を、エレノールは意識の外で微かに聞いていた。
 大きく顎門を開いた竜の残滓の喉奥から、膨大な熱と光が集中しているのが分かる。勝負はきっと一瞬。だからこそ、注意を全力で此方に向け続けなければならない。
「――真竜の記憶よ。せめてその苦しみから解放して差し上げます」
 ひかりが満ちる。強く、強く吹いた風がほんの少しだけ竜の魔法の軌道を逸らす。ミモザが生み出してくれたそのほんの僅かな隙を突いて、エレノールが宙空へと撃ち出し弾けさせたのは幾百もの裁きの光。
「だから……安らかに眠ってください!」
 降り注ぐは慈悲の雨。
 無数のひかりの雨は浄化の矢となって、竜の残滓を悉く穿ち貫いていった。

八卜・邏傳

●憎悪を裂くもの
 見覚えのある姿だった。
 それは水面に映った姿によく似ていて――だからだろうか? 本能的に目を背けてしまいそうになってしまうのは。
「でも。だからこそお片付けしねぇとね」
 あれはいつかの『だれか』の姿。それが分かっているからこそ、八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)は薄く、苦く唇の端を持ち上げて笑う。
「にしても。そんな可愛くない姿なっちゃって! もしかして俺も、て誘っちょる〜? やーだぴょん♡」

 忘れないで。思い出して。

 胸の奥底を無遠慮に掻き乱す慟哭をものともせずに、邏傳は不敵な笑みを浮かべたまま妖精の少女を背に庇い立ち、はっきりと否を告げて真っ直ぐに記憶を模倣する竜の残滓を見上げた。
「……なーんて冗談はさておき☆ 俺はそんな姿にならねよ」
 折角仲良くしてくれた長耳の妖精に嫌われたくはない。何より『あの姿』になってしまったら、それこそ目の前の影法師と共に周囲のすべてを滅茶苦茶に破壊しかねないから。だからこそ、『この姿』のままであれなる存在を打ち倒さなければならない。
『怒れる竜に触れてはだめよ……! あなたも引き裂かれてしまうわ』
 畏怖を感じる掠れた声だった。それは彼女の長いいのちの中で見知ってきた記憶の断片なのかもしれない。自分もおそろしいに違いないだろうにそれでも邏傳を気遣い『逃げましょう』と告げてくれる想いを無碍にしたくはない。
「だーいじょーぶ♡ 俺、これでもちょっち強いんよ。ララノアちゃんにはぜったい手だしさせないからねー」
 出来るだけ離れて。だけど、君の気配が消えないくらいのところに隠れていて、と。差し伸べたてのひらからふわりと浮き上がった水膜は邏傳特製の守護のあぶく。
『でも……いやよ、折角友達になれたのに……!』
「えー、嬉し♡ じゃあ、アイツやっつけたらもっともっとおしゃべりしよ!」
 弾けることなくやさしく身体を包み込んでくれるそのまもりを感じ取ってなお、ララノアは言い募ろうとするけれど。それが邏傳の妨げになることも理解しているのか、僅かな逡巡を見せたのちに『無事でいて』と祈りの言葉を告げて少女は躊躇いながらも木々の中へと姿を紛れさせてくれた。
「大丈夫。とばっちりなんて受けさせねよ」
 アレがこれ以上何かを傷付けることなど許せる筈がない。燃え滾る爪が己の心に反応して荒ぶりそうになるのを抑えながら、邏傳は痛みを堪えるように目を眇めた。

「さーて! その姿であるち事は、壊されることをご所望?」
 俺は忘れたのに。
 ソレが、『俺が』。『だいすき』の『たいせつ』をたくさん壊して、たくさん、たくさん壊して嗤うものの姿であると邏傳は痛いほど知っている。だからこそ許せない。『ソレ』を模倣することを、許容することなど出来はしない。
「そな可愛くね奴なんざ到底愛でるに値しねぇってぇね!」
 あかく。あかく、燃え上がるは赫焉の炎。この腕は目前の竜が自分だと云う肯定でもあり、否定の表れでもある断罪の赫。
 思い出して、とそれは言う。存在の証明を問い続けている。その姿は哀れでもあり、悪寒がするほどに憎らしいいじらしさを湛えているけれど。
「悪いね! そのツラ見たくねぇんだ」
 記憶の本体である邏傳ごと喰らわんとする顎門が破滅の息吹を繰り出すよりも早く、風よりも速く。真正面から猛然と飛び込んだ邏傳の赤く燃える爪が竜の頸を捕らえて強く、強く大地へと捩じ伏せた。

 ――今はまだ、受け入れてやれない。
 風に乗った微かなその声を、少女の長耳だけが拾い上げていた。

祭那・ラムネ

●『わすれないで』
 陽光に輝く蒼銀の鱗に、蒼穹に愛された二本の角。悠久のそらを思わす巨大な翼が大きくはためく。澄んだあおい瞳にひかりこそ宿さないけれど――それは紛れもなく己が敬愛してやまない『彼』のいろだった。
 知っている。忘れるものか。
 祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)の瞳に映るその姿は。
「……カエルムさん」
 彼のすがたと鏡合わせの竜が、そこにいた。
 怒りはない。恐れもない、怯むことなどあろうものか。胸元のあおい輝石を握り締め、ラムネはただ真っ直ぐに彼を模倣する竜の残滓と向き合っていた。
 分かっている。本人ではないのだということも、彼が今は己と共に在るのだということも。けれど、たとえ今は夢の中でしか逢えない存在だとしても、この目で見て、触れた彼の姿を見紛うことなどありはしない。
 勇壮で、猛々しくて、どこまでも強くうつくしいその竜がラムネの記憶を映して泣いている。妖精たちの為にも本当はきっと打ち倒さなければ、祓わなくてはならない脅威なのだとも分かっている。
「(……けどさ、……でも)」
 少し悲しくて、割り切れない。
 たった一歩を詰めることさえも迷ってしまう。その躊躇こそ未だ明確な敵に対して非情になりきれない己の甘さの証明に違いなかった。だけど、それでも。それでもいい。迷いもいたみも、全部全部横に退けて。ただ、彼を抱きしめたいと思ってしまった。
『竜のヒト、ないているの?』
 嘆きの声を、みどりの妖精も確かに聞いていた。
 その声にほんの僅かだけれど意識を引き戻したラムネは繋いだままだったペフコの手を確かめるように握り返して困ったように眉を下げる。怖がっているだろうか。表情の機微を汲み取ることはとても難しかったけれど、この無邪気で穏やかな妖精が傷つくことがあってはならないとも思うから。だから、自分の動揺が伝わらないように。つとめて声音を穏やかに保ったまま、ラムネは傍らの妖精にそっと微笑み掛けた。
「ペフコ、ごめんな。怖い思いさせて。でも……、……俺、あのひとの涙を拭ってあげたいんだ」
 ひとならざる妖精にこの想いは伝わるだろうか。友とみとめたにんげんがひとつひとつ大切に言葉を紡ぐ様を、みどりのかたまりは身体を揺すりながらゆっくりと咀嚼しているようだった。
『きっと、さみしいのね』
 しじまの泉はひとりで過ごすには、とても、とても静かなところだから。
 かさりと音を立てて繋いだてのひらと腕同士が離れる。行ってくるという言葉の代わりに、一度だけ。ほんの僅かな間だけ抱擁を交わしたふたりに、多くの言葉はきっと必要なかった。
「俺。……また、遊びに来てもいい?」
 安心させたかったのは本当。だけど、自分自身も何処かで、彼、ないし彼女にゆるしてほしかったのかもしれない。ラムネが紡いだちいさなねがいに、ぷかぷかと音を立てて笑うペフコはすぐに快諾を示してくれるから。なんだか自分まで涙が溢れてしまいそうになって、離れ際にもう一度みどりのふかふかをぎゅっと抱き締める。
『もちろん。竜のヒトも、きっとよろこぶわ』
 あなたと、あなた。
 あおい輝石とラムネを指したのちに、みどりの妖精はラムネの邪魔にならないように、身を潜めるために茂みの中へと潜っていくことに安堵する。
 『また』の約束を確かなものとするために。彼の涙を止めるために。ラムネは今一度雄大なる竜の姿をその目に宿しゆっくりと歩き始めた。

 武器は構えぬまま。携える必要さえない。
 残酷なまでにうつくしいあおいろが吐き出されようと、その奔流さえあるがままにそらへと溶かしながら。ラムネは一歩、また一歩とドラゴンズメモリーのもとへと歩み寄っていく。
「大丈夫だよ」
 あなたはなにを恐れているのだろう。
 あなたは、どんなにか孤独だったのだろう。
 それがラムネの記憶を模倣したものなのか、それとも本当に『彼』の断片であるかはこの目で見ただけでは判断できない。それでも彼はこんな風に、自然を、誰かを傷付けるような存在ではないと分かっているからこそ、迷わない。
「大丈夫」
 振り下ろされる爪がこの身を傷付けようと、あかい血潮が溢れようとも構わない。帰り道を無くした迷い子にそうするようにラムネはそっと手を伸ばして、身を投げ出して――伸ばしたてのひらが竜の面影に、触れる。
 この光は彼を傷付けるものではなく、彼を天へと送る為のものでありますようにと願いながら。自らが手にする彼のかけらと、天を冠する竜と鼓動をひとつに重ねて。共鳴するあおいひかりが、刹那、静謐なる泉を満たした。
「俺は覚えてるから。……だから、ゆっくりおやすみ」

 竜の翼は空に。竜の息吹は風に、――どうか。

 願いを胸に。祈りは内なる魂へと。
 触れたてのひらの先で竜の残滓の瞳にほんの僅かなひかりが宿ったように見えたのは、きっと、気のせいじゃない。

ノーチェ・ノクトスピカ

●『おもいだして』
「わ! 着いた……此処が、しじまの泉――、……!」
 ヒイラギのトンネルを潜り抜けたその先にぽっかりと広がる出口を見つけてノーチェ・ノクトスピカ(Nachtsängerin・h06452)は走り出す。すべてを包み込むような静謐なあおの空間の只中に――ああ、探すまでもない。澱む闇が、今なお嘆きの声を響かせる竜の残滓が涙を滂沱の如く流し続けているではないか。
「大丈夫だよ、ティリー、ミリー」
 それは圧倒的な姿だった。本来であれば冒険譚のなかに出てくる彼の存在は胸ときめかすものの象徴であったに違いないけれど、『立ち向かうべき敵』であるのならば話は大きく変わってくる。
『でも、でも』『食べられてしまうわ、宵の小鳥さん』
 本能的な恐怖に足が竦む。
 それでも、彼女らもこの身を案じる言葉を掛けてくれるから、ノーチェは自分のやるべきことを見失わずに居ることが出来た。知らず震えそうになってしまう身体を叱咤しながら、双子のシルフを庇うように立って微笑んで見せる。
「ありがとう。……でも任せて。僕が、守るからね!」
 誓うように、自身を奮い立たせるよう大切に言葉を紡ぐ。ノーチェを友とみとめてくれた妖精たちは恐怖の只中にあってもその言葉を信じてこくりと頷いてくれた。
 守られるばかりの自分ではいたくない。もう、守れないのは嫌だから。少年は星紡ぎのタクトを掲げ、大きく息を吸い込んだ。

 これは君に、君たちに捧げる愛のうた。

 紡がれる星の旋律が、綺羅星のあまい歌声がしじまの泉に満ち満ちる。双子のシルフが招いた風が、その音色を何処までも遠くへ運んでくれる。
 拒むように振り上げられた前脚が、鋭い爪が、ノーチェの歌声に反応してびくりとその動きを止めるから。この歌声が確かに竜の残滓にも届いているのだと分かるから、ノーチェは尚も懸命に歌を紡ぎ続ける。

『|アストライアーの 慈愛を《「てんびん座の星宴」》』

 ノーチェ自身に真竜と出会った記憶はない。『己が何者であったのか』ということさえ定かではなかった。だから、もしかしたら。もしかして、何時か、何処かで出会ったことがあるかもしれない『君』の声がこんなにも悲しい響きで以って胸に響くのは、この胸が伽藍堂であるが故のものなのかもしれない。だからこそ、悶えるように身を捩りながら慟哭の声を上げ続ける竜の残滓たちを眠らせるように、ひとときでもその魂が安らかなものであるようにとノーチェは歌に更なる力を込めていく。
「(忘れてしまってごめんなさい)」
 忘れないでと訴える声が胸に突き刺さる。思い出してと叫ぶ声が胸の痛みとなって走り抜けていくのを感じる。泣けど泣けども泣ききれない悲しみは胸の奥底に昏い遣る瀬なさをひたひたと募らせていく。
 僕は忘れてしまった。『君』を。
 忘却の白の上に、僕は『僕』を塗り重ねて彩っている。

『|アルリシャに 結ばれて《「うお座の慈愛」》』

 でも。それでも、それでも僕は、僕であることが嬉しくて、楽しい。
 冒険をして。人と出会って、友達ができて。それが嬉しい。忘れられたら、かなしいと思う。だから。
「(だからね。きっと絶対、思い出してみせる)」 
 星が幾分と近くに見える。無数の煌めくひかりが、泉に覆い被さるように降り注いでいく。なかぞらに垂れたアンドロメダが、竜の嘆きを、混濁を洗い流すかのように一層強く輝きを放った。

 追憶の君へ、僕はこの歌を捧ぐ。
 何時か何処かで聞いたことのある、涙が溢れそうなほどにやさしいこの歌を。僕の知らないこの歌を、君に――。

夜白・青
グリマリング・イエロー

●『なまえをよんで、たいせつな――』
 かすかなひかりがあった。
 迷い込んだひかりは己の意思を持たず、他のインビジブルと同様に遍在するもののひとつであった。けれど今。己が魂の残滓と共鳴する錨との結びつきが、ひかりをグリマリング・イエロー(夜白・青のAnkerのインビジブル・h03419)たらしめた。
 淡い黄金の輝きに明確な意志はない。それでもひかりは漠然とした予感めいた何かを感じ取って、蒼穹と太陽を背に巨大な鰭を翼のように大きく広げて飛来する。

 戦いがそこにはあった。
 慟哭の声が、悲願が。■■が、そこには満ちていた。

 わすれないでと竜は泣く。思い出してと、竜が叫ぶ。
 魂の奥底までもを揺るがすその声に、夜白・青(語り騙りの社神・h01020)の脳裏には幾つもの光景が過っていた。だのに、その全ては靄がかっていて『そのとき、■■と一緒にいたのか』が思い出せない。
「妖精さんたち、隠れているんだよう」
 己は竜だ。それは確かだった。
 だからこそ目の前の竜の残滓から目が離せない。妖精たちを脅かす脅威からこの泉を取り戻すべく戦わなければならないとも理解している。それなのに。この胸を満たすどうしようもない衝動は一体何だというのだろうか?
「大丈夫。皆んなのことも、妖精さんたちのだいじなこの泉も必ず守るからねい」
 トモダチが食べられちゃうなんて、そんなのいやだと。ちいさなからだで必死に己を守ろうとする妖精たちをひとりとて失う訳にはいかないから、勇敢なその姿にありがとうと告げながら、優しく妖精たちを茂みの中へと促していく。心を決めて振り返ると泉の中心へ、竜の残滓へと青は正面から相対した。
 迷いは晴れない。けれど、己には戦う理由がある。
 ああ、けれど、何故だろうか。絞り出されるように響くその声は、酷く懐かしいもののように感じられた。

『■、てっきり翼は■■かと思ったよ。アンタ、名前は――』

 ドラゴンズメモリーが慟哭を上げるたび、青は『ここではない、いつか、どこか』の光景を過らせていた。
 声がする。声が、己の裡から響いている。
 わすれないでと。思い出してと、この胸を揺さぶり、震わせている。
 泣き出したいほどに懐かしいその声に応じたい。だからこそ、青は嘗ての姿を今一度取り戻さんとその身に宿すありったけの竜漿を捧げて天高く轟く声を上げた。その声は、ああ――確かにグリマリング・イエローのもとにも届いていたのだ。

 知性は失えども覚えている。
 彼が大切な、放っておけない友人だったということを。そして、自分が肉のからだを持っていた頃は■■だったということを。だからこそ今、かすかなひかりは意思を持って妖精たちを庇うように鰭を広げてしじまの泉へと舞い降りた。

 青冴えた銀の鱗を煌めかせ、真竜の姿を取り戻した青は自らの身を盾にしてドラゴンズメモリーの攻撃を阻んだ。数多の竜の記憶を融合した彼の存在が如何に強大であろうとも、真竜の姿と成ったこの身に傷など付けられようがない。けれど、妖精たちが大切に育んできたいのちのゆりかごであるこの泉を穢すことはしたくない。それ故に青は竜の残滓の攻撃を受け続け、消耗戦へ持ち込ませるわけにはいかないと攻め手に転じようとした次の瞬間。慟哭を響かせながら形作られていく黄金の輪郭に、急激にひとつの光景が呼び起こされるのを感じて青は大きく息を呑んだ。

 暗い夜空に煌々と輝く、黄金の月だ。
 静かで、穏やかで、しかし誇り高く揺るぎない色。あの瞬間に覚えた喜びを、叫び出したいほどの歓喜を忘れるはずがない。忘却の彼方に沈み砕けた記憶。幾千、幾万もの断片の中で、あの黄金の輝きだけが今なお魂に刻まれていた。

「ああ――、」
 映し出されたその姿は黄金のうつくしき竜。完璧に思い出せずとも見間違えるはずもない、大切な友の姿。そして――今までそらを見上げれば何時も居たグリマリング・イエローの中に、確かなその残滓を感じ取ることが出来る。出来た。
 だから、だから、青は懸命に手を伸ばす。
「……、……ずっと、そばにいてくれたんだねい」
 これは誰もが願う再会の物語。
 他の誰のためでもない。『■■』だけに贈る、ひかりの軌跡の物語。
 御伽語り・黄泉平坂――生前の姿と知性を得ることが出来るその力に呼応して、かすかなひかりは急速に己が何者であったかを思い出す。そうして青も、ひかりが『彼』であったことを確信する。それだけで、ただそれだけで、勇気が胸の奥底からとめどなく湧いてくるようだった。
「名前を呼ぶね、大切な……『ヒア』。それが、あんたの名前だよう」
 真名を口にしたその瞬間、びくり、と竜の残滓が大きく震えて動きを止めた。
 それは嘆きだったのだろうか。
 いや、戦慄くような口元から絞り出される声は、涙は、歓喜からくるものだったに違いない。どうしてか今は、確かにそう感じることが出来た。
『……そう、思い出したねい』
 声の出し方はあっているだろうか。もう随分久しく自我を持つことはなかったからあまり自信はなかったけれど。それでも今この瞬間、名を、自身を思い出させてくれた友の親愛に応えたい。だからこそ黄金の竜は妖精たちを、森を庇うように立ち上がると大きく翼を広げて本来の声をしじまの泉に響かせる。その背中を押すように。『あなた』が、迷わないように。
『さ、誰かのために戦える友よ。妖精さんたちはこっちに任せてドーンとやってしまうといいねい!』
 半透明のからだでは盾には不足かもしれないが、その輝きは生前から衰えることはない。幸い大きくなった身体は目眩しくらいにはなるだろうからと『ヒア』は笑う。
 あの日、あのときの光景を。どうして今まで忘れてしまっていたのだろう?
 視界いっぱいに広がるあおいろを。はじめて共に翔けたそらのいろを。傍らを游いでくれた友の姿を――やっと。やっと、今この瞬間に思い出すことが出来た。
 懐かしいその声に。本当に涙が出てしまいそうな気さえして、それらをぐっと飲み込みながら銀の竜はこくりとちいさく、けれど確かに頷き記憶の残滓たちへと今一度向き直った。
「ありがとう、ドラゴンズメモリー」
 憐憫でも慈悲でもない。
 これは、友の記憶を引き寄せてくれた感謝の気持ち。
「いちばん大切なことを、思い出せたよう」
 正しき姿を、声を認識したドラゴンズメモリーは動かない。それは己を突き動かす目的を果たしたもののあるべき姿だったのかもしれない。
 どうか、どうか。その身に宿した記憶の断片たちが正しきところへ届くようにと願いを込めて、青は灼熱のブレスで以って影の全てを灼き尽くす。
『――――、』
 泡沫の夢が醒めるかのように、影法師はひかりの中へと溶けていく。あぶくが弾けるような音を立てながら消えゆく竜の残滓たちが、最後に微かに。ほんの微かに、わらっていたような気がした。

 しじまの泉がもとの静謐なる空気を取り戻す。巡り、廻るすべてのいのちを抱くように、清らかなる風が優しく吹いていくのを感じる。
 ここに、ドラゴンズメモリーは完全に滅ぼされた。
 取り戻した記憶は決して消えない。もう、誰にも奪わせない。胸に満ちる黄金のひかりに、青は眩しげに目を細めながら傍らの友を仰いだ。

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