ラブのラブソング~呪物を添えて~
冬の乾いた空は月も隠れて暗く、けれども地上はそんな闇を感じさせないほどに眩いネオンに包まれる。
ギラつく光は人々の網膜を通じて脳に隠された欲望を引きずり出すため、一層その原色を高めて競うように瞬いていた。
アルコールと化粧と香水に、湿った臭い――日本の繁華街の何処にでも漂う臭いと猥雑な光に包まれ、しかしそのどれにも一切後ろ髪を引かれることもなく、ふらふらと彷徨い歩く青年が一人。
「綺麗だ」
見惚れるような美少年――ラブ・バレンタインは、ネオンの海の中を泳ぐ。
純粋無垢という言葉に手足が生えて服を着て歩いたような、文字通り天使めいた彼は、勿論こんな盛り場に用はない。いつものように趣味の散歩を楽しんでいたら、何をどう間違ったのかこういう場所へ迷い込んだ。ただそれだけである。
幸い、呼び込みの類は彼を相手にしなかった。顔立ちから同業者だと早合点して対象外にするか、明らかに浮ついた空気を察して客の見込みはなさそうだと諦めたか、あるいは声をかけようとして見惚れたかのどれか。
ただ、何事にも例外はある。
「ちょっと~、そこの君!」
「む?」
自分のことかとラブが考えた時には、彼は既に囲まれていた。数は3、服装はパーカーとセットアップとストリート系。染めて傷んだ髪とピアスに趣味の悪いアクセサリ……つまりは明らかなチンピラだ。
「こんなとこで何してんの? 一人?」
「じゃあ折角だし休憩しない?」
本気なのかからかってるのか、ヘラヘラと冷笑的に弛んだ顔からは分からない。だがどちらにせよ、大抵の人間ならどうやり過ごすか頭を悩ませる局面である。
(「休憩? 疲れておるのかな。それであれば、介抱してあげたほうがいいのであろうか」)
だがラブは違った。箱入り育ちの世間知らずなのでからかいの機微すら分からず、言われたことをそのまま受け取ってしまう。相手が本気ならなお悪い!
「よく分からぬが、吾輩に出来ることなら――」
さして考えもせず即答しようとした、その時!
「おや、こんなところにいたんだネ」
ラブには聞き覚えのある声が間に割り込み、声の作った隙間へするりと腕は差し込まれる。
「探すのに苦労したよ。何? お友達?」
ジロリと、自然だが有無を言わせぬ一瞥が帽子の下から野郎どもへ向けられた。
「「「ひい! な、なんでもないでぇす!」」」
ラブが呆気に取られている間に、彼らは急に青ざめ蜘蛛の子を散らすように退散していく。
「あっ、そんな顔色で彷徨いたら……」
「それはコッチの台詞なんだけど」
反射的に後を追おうとするラブの正面に、|秋津洲《あきつしま》・|釦《ぼたん》が割り込みブロックした。
二人は顔見知りである。
そして語るほどの事情はなく、それゆえ釦はラブが迷い人であることを察した。
(「これ、ほっといたらまた変なのに連れてかれそうだな」)
完全に別の用件だったが、知り合いを放っておけるほど厭世的でもない。
「彼らは大丈夫であろうか?」
「アー……元気になったんだよ、うん」
「? 釦くんが言うならば間違いないか。それなら何より」
などと安心している様子がなおさら不安を煽る。他に選択肢はなかった。
「ところでさ、ちょっと手が要るんだけど……手伝ってくれない?」
釦はあのチンピラどもがやったように、瞬くネオンの一つを親指で指し示した。
それは、まるで中世のヨーロッパから転移してきたような立派なお城だった。
●
「おお……これが、ラブホテル」
「静かにしてネお願いだから」
部屋へ向かうエレベーターの中、釦は密かに頭を抱えた。
彼の用とはつまり、この盛り場にあるラブホテルの調査とお祓いだ。曰く、部屋の一つに女の幽霊が出るらしい。
外をほっつき歩くよりは中のほうが、という咄嗟の考えで同行させたものの、入って早々ラブの反応がおかしい。スーパーカー見た子供みたいに目ェキラキラさせてんだもん。
ポーン。少し揺れてエレベータの扉が開き、二人は静かな廊下へ。
「……一応聞いておくけど、ラブクンはラブホのこと知ってるの?」
「吾輩と似てる名前の施設ということしか知らないのだよ。だから一度来てみたかったんだ」
当然その役割も何も知らないわけだ。釦はもう一度頭を抱えた。
「ホテルというだけあって部屋が沢山あるのだな。あのマーライオンのような飾りはなんなのであろうか?」
「ホント静かにしてね」
別の面倒が立ち上がっている……!
釦は目的の部屋を見つけると、依頼主から渡された合鍵で中へ。
「おや? こんなところに洗面台が?」
玄関を抜けていきなり鏡張りの洗面台が現れたことに、何も知らないラブは首を傾げる。分かりきっていた反応をスルーし、さらに奥へ足を踏み入れる釦。
「ワァ……」
そんな彼でも、その先に待っていた光景には思わず声を漏らしてしまった。
まず、壁という壁が鏡張りである。
おまけにそのうちの一つはマジックミラーらしく、部屋に面した浴室と脱衣所を覗き込めるようになっていた。
そして無駄に広い部屋の中央に鎮座するのは……そう、昭和のラブホの定番、巨大回転ベッド!
「こんな大きなベッドは見たことがないのである」
「あ」
釦が止めるよりも先に、脇をすり抜けたラブが円形のベッドへダイブした。ぼふんとやけに強靭なスプリングが体重を受け止め、反発でいやにデカい枕が軽く跳ねる。天井付近からは鹿なのか熊なのかよくわからない妙な動物の顔が飛び出し、机の上には年代物のテレビのリモコン。恐ろしいことに今日日配信サービスを一切予約していないようで、それ系のチャンネルしか並んでいない。
「これ凄いなァ、今どき残ってるんだねこういうの」
俗に言う昭和レトロ志向のなんちゃって系とは違う、本物の"生き残り"の臭いを感じる。いや別に釦もラブホとか詳しいわけじゃねえんだけど。
「釦くん、ベッドに何やら機械が備え付けられているのである」
一方、無邪気って言葉がこれほど似合うこともないだろうラブはというと、備え付けのパネルをポチポチ勝手にいじっていた。
「ちょっとラブクン、勝手に触ったら」
ヴィイイイ。ムードもクソもねえ駆動音を立て、おもむろに回りだすベッド。
「おおお? ベッドが、回っておる……」
しかも何故か床に備え付けられた照明がムーディなピンク色の光を投げかける。ご丁寧に天井に備え付けられたシャンデリアも色を変えラブを照らしていた。まるで水族館ではしゃぐ子供だ。そしてゆっくり回転する。悪夢かな?
「ラブクン、そのへんがお祓いする場所だから一旦離れてネ」
「そうであったか。おや? 何やら透明な筒みたいなものが片隅に設置されているのである」
「それはエアシューターって言って、スタッフと顔を合わせず……いやそうじゃなくてね」
「釦くん、こっちになにやらカラフルな物が沢山入った棚が」
「それはホント触ったらダメだよ」
「え? いやしかし」
「全部呪物だからだめ。見るのも」
「そうか。釦くんが言うならそうなのであろうな」
ラブが素直なのが幸いした。いやこの状況自体がラブのせいではないだろうか?
「……さて、それじゃ気を取り直して」
釦はベッドの回転と照明を消すと、改めて寝具周りを調べる。
「確か女性の幽霊が現れるのであったか。見当はついているのかな?」
「なんでも"枕で顔を隠してる"らしいんだよネ」
「それにしても部屋中鏡だらけで、起きてすぐに髪を整えられそうで便利である」
「微妙に間違ってないこと言うの逆に厄介だな……」
言いつつ調査を進める釦だが、肝心の寝具周りから感じるのは残穢だけだ。
幽霊の目撃情報はこの部屋に限られている。となればなんらかの理由――たとえば|最中《・・》にポックリ逝ったとか――でこの場に染み付いた地縛霊の類であろう。
「知らないものが沢山あるなぁ。床に照明があると寝ぼけて足を踏み外す心配もなさそうだ」
一方、ラブはあらゆるギミックを性善説で解釈している。キョロキョロウロウロと見るもの全てが珍しそうにベッドの周りを探っていた。
「ウーン、何かしら残留思念が定着した物があるはずなんだけどネ」
「枕というのはどういうものであろうか?」
「こうフリフリしててサテン生地のらしいんだけど」
「ではこんな感じのとか?」
釦が振り返ると、ラブはそのものずばりの枕を両手で抱え、何故か鼻から下を枕で隠していた。枕にはドデカく「YES」のアルファベットがプリントされている。言うまでもないが他意は皆無だ。
「それやめてね」
速攻で取り上げる。見た目にそぐわぬずしりとした重さ。慣れ親しんだ気配だ。
「ン?」
「ベッドの隙間にあったのだ。なにやら異様な気配を感じたのでこれかと思ったのであるが」
「ン??」
釦はもう一度枕を見た。なんかこう黒ずんだ感じのオーラがオオオオ……って古印体で呻きめいたものを挙げ、ピンク色の照明の中に消えていった。
「浄化されてるーッ!?」
今日イチのデケぇ声だった。
「結局、あれでよかったのだろうか?」
首を傾げるラブをよそに、釦は任務完了の報告書をエアシューターに放り込んだ。
「アー……お手柄だよラブクン。うん」
どうも美少年オーラという名の聖なる力で触った瞬間にお祓いされたらしい。呪物の|回収《おうりょう》は失敗したが、仕事自体はコンプリートだ。
「ところで一つ約束してほしいことがあるんだけど」
「なんであろうか?」
「今日ここに二人で来たことはあまり言わないでね」
「? それは分かったが……あっ」
ラブははにかむように微笑んだ。
「では、つまりは二人の秘密、ということだね」
キラキラと変なエフェクトが散り、コマの周り(?)に花が咲く。
「…………そうだネ」
釦のなんとも言えない表情に、ラブはまた首を傾げるのであった。