√白玉面『合縁奇縁に袖振り合う』
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弥久院。
それは√妖怪百鬼夜行にて歴史深く続く名家である。
|曠日弥久《こうじつびきゅう》、と揶揄するのならば、それは言の葉を放った者の無知浅慮であると却って笑われることであっただろう。
それほどに弥久院は永く続く九尾狐の家系であった。
本日は正月元日。
であるのならば、本家筋に挨拶に参るのが筋というものである。
しかして、永きに渡る家柄というのならば、枝葉、根に連なる者たちの数とは膨大なものである。
まさしく九尾の、と示す通りの行列。
誰もが元日の挨拶をと求めるのは弥久院本家の者たちにであった。
御歴々に並ぶは、ただそこに佇むだけでも空気を変えるほどの力を持った九尾の妖たち。
その中でも白き髪を揺らして佇む一人が弥久院・佳宵(人妖「九尾狐」の不思議古書店店主・h02333)であった。
「あれがそうなのか?」
親戚の一人が佳宵を見て嘯く。
それはあまりにも不躾な問いかけであった。
だが、それも無理なからぬことであった。
彼の中にある過去の佳宵の印象とは大分異なっていたからだ。
「そのとおりだ。彼処に御わすのは、弥久院本家の跡取りであられる所の佳宵である」
「ははぁ。なるほど。まあ立派になって」
「言葉が過ぎるぞ」
「いや大したもんだな、と思っただけだよ。昔は……」
親戚の男の言葉に他の親戚たちは、肝を冷やしたようだったが、男は佳宵が幼き頃を思い出していた――。
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弥久院・佳宵は、恐らく長く生きられぬだろう、というのが本家の者たちの共通の見解であった。
弥久院は武家。
言わずとも武士たる役目を負うところである。
故に代々連なってきたものたちは戦役においても、武功を立て勲を示す者たちばかりであった。
誰もが屈強であった。
しかし、佳宵は色白な肌を持ち、むしろ青白いとさえ思えた。
加えて常に床に臥せっており、中々年頃の少年たちのように外で遊び回るやんちゃ一つ行えない有り様だった。
体が弱いのだ。
武家の家系にあって、極めて稀な脆弱さ。
家の者は誰もが哀れんだ。
もしも、彼がこの家に生まれなかったのならば、また違った生き方もあったかもしれない。だが、この武家というあり方を持つ家においては、そうした生き方は許されぬものであった。
父母ですら、不憫に思うところであった。
「なんだ、今日も遊ばないのか」
嘗ての親戚の男……佳宵と年の頃が近かった少年は、そう言って彼を誂うようだった。
「外は面白いぜ。今日もさ」
「そうなのですね」
佳宵は、飽きもせずに少年の話を聞いては一つ頷いていた。
少年は得意になって話を盛ってしまうところがあったが、それも些細なことだ。
いつか少年は佳宵を外に連れ出そうと思っていた。
なぜなら、幼い時分において外とは異界と変わらぬ。不思議なことが多く起こり得るし、それは見るもの全てが新鮮な幼い瞳には鮮烈に輝いているように思えたからだ。
言葉で語るより、書物で知るよりずっと良いものだと少年は疑っていなかった。
それに、と思う。
病弱なのはきっと魔に憑かれているからかもしれぬと、女でもないのに常に被衣を被っているのが不憫に思えたのだ。
実際、佳宵は不便でもなんでもないと思っていたかもしれないが、少年にはそう思えて仕方なかったのだ。
そう思ったのは、きっと彼なりの善意であったのかもしれないが、根底にあるのは己が彼よりも上だと思いたいという感情故であった。
「こんなことがあってさ」
「あんなところに行ったんだ」
「そんな事も見たことがないのか」
「いつか連れて行ってやるよ」
はじめは善意であっても、幼い心というのは残酷なことを容易く行えるものである。それは悪性でもなんでもない。
ただの反射だ。
自然な成り行きであった。
誰かを傷つけることも、傷つけられることも、個と個とがある限り当然起こり得る摩擦でしかない。
それを飲み込めるだけの器が幼い頃にはないだけ。
けれど、佳宵は違うようだった。すべて飲み込んだ上で笑っていた。
取るに足らないことだと言わんばかりだった。
そんな彼のことが少年は気に入っていたのだ。考えてみればいびつな関係である。
だが、そんな関係もすぐに覆ることになる。
一族の長老が長旅である遍路より本家に何年ぶりかに戻ったとの報があった。
佳宵の父母は一度長老に彼が魔に取り憑かれているのではないか、未知なる呪いに侵されているのではないか診て欲しいと懇願したのだ。
「お発目にかかります、佳宵にございます」
床にふせっていたとは思えぬ礼儀作法をもって佳宵は長老を出迎え、床にあることを詫びた。
その所作は美しいものであったし、到底病に侵されているようでもなかった。
しかし、厳然たる事実として彼の体は、屈強さとは程遠いものだった。
「ふむ」
変わり者である、という噂が立っていた長老は、床に座す佳宵を前にして瞼の下がった眼を見開く。
彼の視界にあったのは天を仰ぐほどに立ち上る力の奔流であった。
弥久、長く久しくと名を冠するのと同じように佳宵の力は膨大であったし、強大であった。
長老である彼をして、このような力を持つ者は初めてであった。
「これは、歴代当主でもなかなか……否、我らが始祖にすら並ぶかもしれぬ」
「長老、それでは一体何故」
「簡単な話である。佳宵の体の弱さは、未だ体躯が器として完成しておらぬからよ。器に受け止めきれぬ力が、幼き体躯を害しているのだ」
これを、と長老は『封力環』と呼ばれる呪具の一つを与え給うた。
それは使用者の力を制御する術具である。
佳宵の力が強大過ぎるが故に体躯を害すのならば、溢れる力を押さえればいい。
幼いが故に力の抑え方に加減が効かぬのだ。
誰に教わるでもなく、強大過ぎる力を発揮して他者をいたずらに気づけぬようにとして我が身を削るのは、彼の生来の優しさ故であったことだろう。
だが、それも終わりを告げる。
「あの子は、どうしているでしょうか」
呪具によって快方に向かった佳宵は、とんと姿を見せることのなくなった少年のことを思う。
勝手に来て、勝手に来なくなる。
子どもとは勝手なものであると父母や親戚は言うが、果たしてそうなのだろうかと佳宵は思う。
もしかしたら、いたずらに己の言動や行動が彼を傷つけたのかも知れない。
気の所為であればいい。
一族の中でも浮いていた己を気にかけてくれていた少年の優しさは、どうしようもない力の奔流を抑え込むことしかできず、ふせっていた己の心の支えの一つであったのだ。
「約束したように、共に遊ぶことができたのならばよかったのだけれど――」
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佳宵は声変わりしても耳に残る声に面を上げた。
正月元旦の親戚一族による挨拶まわり。
長々と続く、慣例行事を仕方ないと割り切っていても時折億劫さが顔を出す。
このような時間があるのならば、己が店で古書の頁を捲っていたい。
が、そうも行かぬのが名家の生まれ。
割り切るしかないと思っていた所に、幼き日のいつかに聞いた声色を見たのだ。
「よう、何年ぶりかは忘れちまったが、遊びに行こうぜ」
「お前っ、何を無礼なっ!」
響く声に佳宵は慇懃たる態度を僅かに綻ばせる。
図体ばかり大きくなっても、心根は変わらぬのだな、と。
いつかの少年と交わした約束は、再び結ばれる。
そう、解かれたのならまた結べいい。
縁とはそういうものだ――。