突破せよ! 恋の迷宮!?
「ぱんぱかぱーん!パンドラが来ましたよ!」
パンドラ・パンデモニウム(希望という名の災厄、災厄という名の希望・h00179)はおしとやかな外見とは裏腹に、賑々しく√能力者たちに向かって呼び掛けた。
「新たなゾディアック・サインが見えました! それはダンジョン、それも……ダンジョンボスはアンドロスフィンクスのようです! ギリシアの英雄オイディプスさんとは私もかつて知り合いでしたが、彼の逸話に現れるものとは少し形状が異なるようですね。でも、難しい質問を投げかけてくるのは同じみたいです」
困難な謎を投げてくる恐るべき怪物スフィンクス! √能力者たちはダンジョンを踏破し、この怪物を倒さねばならない。さもなければ迷宮は無限に増殖していってしまうのだ。
そしてスフィンクスが投げかけて来るその謎とは!
「……まあその、なんというかですね。私が星で詠んだ通りのことを、今幻影で映し出しますので、皆さんご自分で見ていただいた方が早いかなって……」
パンドラは困ったような表情を浮かべると、宙に幻影を映し出した。パンドラは幻影使いであるのだ。それによれば……。
ほわんほわんほわん……(幻影開始のSE)
「ふふふ……現れたましたね√能力者。さあ、私の深き問いに答えてみせなさい。さもなくばこの付近を滅ぼしてしまいますよ?」
蜘蛛脚を備えた恐ろしい姿の怪物、アンドロスフィンクスはギラギラと輝く瞳で能力者たちを睨みつけるであろう。その唇から漏れた問いとは!
「どうやったら恋人ができるのでしょうか!?」
……なんて?
「恋人ってどうやったらできるのです!? もうすぐバレンタイン、私だっていつまでも独り身で過ごしたくはないのです! さあ答えなさい、っていうか教えてください! 相手は彼氏でも彼女でも構いません、何なら機械とかでも全然いいですから、恋人を作る方法を! 思いつかなければ、あなたたちのコイバナを聞かせるのです! そこからヒントをつかみますから!」
めっちゃ必死であった。何なら半泣きであった。
っていうかそんなことのために侵略してくるんじゃねえ。
「そんなこととは何です! この間のクリスマスだって結局私は一人だったのです! もう一人は嫌あああ!! 今度のバレンタインも一人のようなら、こんな世界滅んでしまえばいいのですー!!」
ダメだこいつ早く何とかしないと。
ほわんほわんほわん……(幻影復帰SE)
「……という相手みたいです……」
パンドラは、はあ、と疲れたように息をついて能力者たちを見つめた。見つめられても能力者たちも困るが、パンドラとしても困られても困るのである。だって何とかしないといけないし。
「……ほっとくわけにもいきませんので、なんとかこのスフィンクスをやっつけてください。その際、スフィンクス自身も言っていたように、恋人の作り方とか、皆さん自身に彼氏彼女がいるならそのコイバナとかを話すと、スフィンクスはそっちに気を取られえて大きな隙ができるはずです」
パンドラは迷宮へとつながるルート入り口を指し示すと、心配そうに眉を顰める。
「ダンジョン入口フロアにも恐るべき呪いが掛かっているようです。それは……皆さんの理想の恋人の幻!」
な、なんだってー! どこまで恋にこだわるのかこのスフィンクス!
「もちろん幻だとはわかっているはずですが、分かっていても引っかかってしまいたい! そんな理想の恋人像のようです。どうか惑わされることなく心を強く持って突破してください!」
第1章 冒険 『モンスターの呪い』

√能力者たちはダンジョンの最初のフロアに到達した。
おお、そこに現れたものは!
見目麗しい絶世の美女、あるいは輝くような美青年。
もしくは雪のように儚い美少年か、華のように艶やかな美少女。
あるいはいつも喧嘩ばかりしてるけど実は気になるアイツ……さもなくばカッコいいメカかもしれないし、もふもふなケモかもしれない! 性癖は自由だ!
とにかく、各√能力者たちの理想的な恋人の幻影だった。
もちろん幻影である。あるが! でも理想的なのである!
幻影は呼び掛けてくる、ここでいつまでも楽しく二人で睦み合いましょうと。
ダンジョン攻略はおろか、現実社会への帰還さえ難しくなるかもしれない危険な罠だ。何とか突破しなければならない!
能力者の皆さんは「どんな理想の恋人か」、そして「その幻の誘いをどのように突破していくか」を検討していただきたい!
「恋人を作る方法でしたら、一計存じております」
|南天・莉々《なあま・りり》(人間災厄「エイシェト」・h04821)は得たりとばかりに頷いた。なにせ莉々は男性も好きだし女性も好き、愛に男女の区別なくその尊さに差異もなし、さあみんな仲良く愛し合いましょう! 愛はいろんな人を救います、主に私を! みたいな女性であるがゆえに。
「ふふふ、この私にお任せあれ。きっと解決に導きましょう!」
その真紅の瞳は燃え上がるような情熱に、というかむしろ欲望に輝き煌めいていた! その頃、何か知らないが、ラスボスのアンドロスフィンクスはなんか良くない予感に身を震わせていたという!
「さて、それはともかくとして……第一フロアは私の理想の恋人が現れるというのですね。うふふ、うふふふふふふ……」
艶めく美しい唇から思わず溢れそうになった涎を莉々は悩まし気な舌で舐めとる。その挙措は妖しくも蠱惑的、見るだけで性別を問わず魅了されてしまいそうな扇情的な光景であった。
だが。
「そこなる乙女よ、美醜は神の与えたもうた賜りものにて、いたずらに軽視するべきものにはあらねど、無為なる欲望に任せるべきものでもない。ひたすらに祈り、そして身を慎むべきであろう」
謹厳実直なる声音と共にふわりと清楚なローブを翻し、現れた人影。白銀の長い美髯と風にそよぐ長髪に風格と威厳を纏わせ、過ごしてきた永い年月を物語る深いしわが刻まれた面貌には規律正しき厳めしさと深く柔らかな慈愛を共に備えた、生ける伝説とも神話とも例えられそうな、その姿こそは。
おお、まさしく──莉々の理想とも呼べる聖人賢者そのものであった! これこそが迷宮が見せる恐るべき幻影なのだ!
……っていうか老け専かー! 莉々そっち系だったかー!
「なんですかいいじゃありませんか老け専でも。といいますか、別にご老体なこと自体によくじょう……好ましいというだけではなく、それだけの永い年月を、禁欲と自律自制、そして清らかな信仰に身をやつしてきた強い意志と理性と聖なる心の持ち主をぐっちょんぐっちょんに堕としたい! もしくはビショビショのトロトロのアヘアへに堕とされたい! そんなキュンキュンな乙女心なのです!」
乙女心とは一体。ニホンゴ・スゴイ・ムズカシイネ。
「ああ、正邪さま。じゃなくて聖者さま。どうぞ物陰からで構いませんので私の懺悔を聞いていただけませんか……そよそよ」
そう殊勝気に語りながら、莉々はそっと√能力を発動する。その恐るべき効力とは……!
「私、どうしても不道徳な行為の誘惑に負けてしまうのです。自分でもわかっているのですが、これは不道徳……あまりにも不道徳……なんて不道徳……不道徳いいよね……いい……ああもっと不道徳したい……ああん災厄いっぱい出ちゃうっ❤ そんな感じになってしまうのです」
何を言っているのかよくわからないが言いたいことはとてもよくわかる! すなわちこれが莉々の能力『|悪しき果実《アイノカジツ》』! 彼女から放たれるかぐわしき芳香は、不道徳な行為に対する抵抗力を1/10にしてしまうのだ! このままでは聖者さまが危ない!
……しかし。
「案ずることはない、乙女よ。なぜなら、そなたは不道徳な行為を不道徳と認識できている。真に不道徳なものは不道徳な行為を不道徳とさえ思わぬもの。すなわちそなたはまだ正しき道へ戻れるということだ。勇気をもって正道へ立ち戻りなさい」
「ずっきゅうぅぅぅぅんん!! ああんっすっごぉぉい災厄ぅぅぅぅっ!!!!」
その慈愛に溢れた聖者の言葉に思わずたまらず莉々は不道徳極まり災厄頂点! ハートマークを巻き散らしながらのけぞり痙攣!
聖者の道徳心はたとえ1/10にされようともなお有り余るほどだったのだ。一方、優しい言葉に感じてしまう、これほど不道徳なことがあろうか。そう、莉々の能力は莉々自身の不道徳な行為に対する抵抗をも減衰させるのだ! もともとそんなものなかったんじゃね? 的なことはともかく!
「どうしたのだ、乙女よ」
「い、いいえ聖者さま。お言葉に従い、私は『道に戻り』ます。お導きありがとうございました……!」
ぜえはあと荒い息の中に余韻に浸りながら、莉々はがくがくと震える膝で先へと進む。
「あまりにも名残惜しいですが、ここで襲ってしまっては、かえって逆に私の自分の理想の方ではなくなってしまいますものね……ああでもめっちゃ災厄でした……どこかで思い切り災厄災厄したいですね……!」
災厄が先走り……迸りそうな莉々の先に待つものには恐るべき運命が待ち受けている……かもしれない……。
「理想の恋人……うふふ、久しく触れてない話題だねぇ」
|六合・真理《りくごう・まり》(ゆるふわ系森ガール仙人・h02163)は、柔らかな表情に微笑とも苦笑とも受け取れるような笑みを浮かべた。
外見こそはお嬢様然とした優雅な物腰の妙齢の美少女に見える真理。本来なら華やかな恋に憧れるもっとも適齢の年頃に見えるだろう。そんな彼女の艶めいた唇から漏れるにはあまりにも不似合いな言葉と、知らぬ者には聞こえたかもしれぬ。
……だが。
真理は薄く瞳を閉じる。
その瞼の裏に朧気に映し出されたのは、不器用だが素朴な手だっただろうか。
その手に輝くものが、彼が身を粉にして手にした輝く珠玉であったのか、それとも野に咲く可憐な花で編み上げた花冠であったのか。
「もう……思い出せないねぇ」
小さく真理は吐息を漏らす。そよ風の中にさえ消えて散るような細い息を。
そのはずだ、あの手が差し伸べられたのは、太陽と月が数え切れぬほど昇り沈んだその彼方。鮮やかな色彩も枯れ果てた、薄墨色の記憶のさらに奥深くでしかないのだから。
「少々面白いねぇ。わしにもそんな時期があったということ自体が、ふふ」
真理は静かに唇に柔らかい曲線を浮かべた。
そう、昔だ。まだ真理が神仙としてあるより前の、人であった時代のことなのかもしれぬほどの。
それは過去という名ではなく、もはや歴史という名で呼ばれるのが相応しいほどの時の果てにある。だがそこには、おそらく一時期、共に過ごした誰かがいたのだろう。連れ合いとして、家族として。子がいたかもしれぬ、孫やそれ以上の子孫がいたかもしれぬ。
そして──その暖かさは天地の悪意か人の愚かさによって消し去られたのかも、しれぬ。
「だがもはや、懐かしいとさえ思えない、か。良いさ、それもわしの選んだ道だからねぇ」
真理はそっと瞼を開き、前を見つめる。
過去ではなく、後ろではなく、前を。
そこに静かに現れたのは、甘く蕩けるような「理想」ではなかった。
「……一手、所望」
波ひとつない深い湖水のような瞳と、古木のような飄然とした佇まい。その挙措は自然にして流れるように、力みも無駄な華美もない。
その「理想」の相手を瞳に映した時、初めて真理の貌に満面の笑みが浮かんだ。
「おお、その姿を見ただけで十分。分かるねえ、お前さんが人生のすべてを武にかけ打ち込んできたことが。……わしと同じにねぇ」
真理と相手は相互に手を包み礼を示すと静寂の中に対峙した。
世界は今完成する、ただ二人のみ、──存在のすべてを武に打ち込み捧げ尽くしてきた二人のみが残ることによって。
時が止まったような瞬間が極まった時、二人の拳士は同時に炸裂する! 踏み込んだ脚が大地を震わせると同時に繰り出した拳はプランク秒の狂いもなく、完全な威力を載せて大気を破砕しあう!
打ちこんだ拳を寸毫の間尺で捌いた二人はその勢いを借り円弧を描いて腕を打ち回し、体を廻して脚を放つ。
決して派手で華やかな必殺技の打ち合いなどではない、花拳繍腿などこの二人の間には無用の長物。ただひたすらに長い年月の果てに練り上げられた功のみが雌雄を決するのだ。
そしてそれこそが、理想。
真理にとっての至福にして至極の瞬間。
(……ああ、結局のところ)
「思い」はしない、純粋な武そのものの一部と化した今の真理に何かを「思う」間などはない。それでも、彼女の無意識は、おそらくそう感じていた。
(今のわしに「強さ」以外は無いのだねぇ……)
とん、と軽やかに、入る。
勁が。
真理の放った、勁が。
「理想」の放つ一撃を|剄打・雲散霧消《ルートブレイカー》で撃ち砕いたまま、みぞおち深くを貫いて。
「……見事」
「理想」は一言だけ発し、霧のように消え果てた。
彼が散り際に浮かべた表情は称賛か、満足か、それとも悔しみであっただろうか。
「わしの「理想」であるのなら。……満足はしてほしくはないねぇ」
真理はつぶやく。満足することは立派ではない、少なくとも武においては。停滞することだ。そこにとどまってしまうことだ。たとえ敗れようと地に這おうと、停滞は武の理想ではない。真理の理想ではない。
ゆえに、彼はおそらく、歯ぎしりし、目を血走らせ、悔しさに満ちて消えていったに違いない。
「……わしもかくありたいものだねぇ」
誰もいない地に再び拱手の礼を示し、真理は静かに第一フロアを後にした。
……その歩む先は、迷宮ごときではなく、はるか果てない武の荒野。
「落ち着け、落ち着こう私。まず私は……」
と、燃えるような真紅の髪を靡かせた少女は。その宝石のような澄んだ青い瞳を閉じ、考える。
「こう、右からぎゅーんって来て」
と、左を向く。
「で、次に左にギャキィ!って曲がって」
と、右を向く。
「で、もっかい右に曲がって左に折れて、そして真っ直ぐ飛んできたんだよね」
左見て右見てなんかグルグルって腕を回し、少女は納得したように頷く。
「どこも間違ってないよ!」
間違いしかないよ!?
「うわーん、それなのに、……此処はどこだー!!!!!!」
少女──赤峰・寿々華(人妖「鬼人」の煉鉄の|格闘者《エアガイツ》・h01276)の悲痛な叫びが迷宮第一フロアに哀れに木霊して消えていったのだった。
そう、寿々華のその恐るべき特性は……究極的絶対超絶激烈無双ウルトラ方向音痴!
曲がり角、一歩向こうは別ルート。
そんなこの√EDENにおいてよくもまあ今まで無事に済んできたものであると感心するほどだ。それはおそらく!
「……なんか知らんうちに迷い込んでたけど……まあでも、来れたんなら帰れるっしょ、いつかは」
……このテキトーぶりによるところが大きいに違いなかった!
「さてと、でもここは……えーと、何々、……『理想の恋人が現れる迷宮』??」
寿々華は眉根を寄せて、眼前にデカデカと大書された迷宮の看板に見入る。何と親切なことか、この迷宮にはちゃんと名前が書いてあるのだ!
「いや理想ってもねえ……? うーん、私まだそういうのあんま分からないから……」
純情素朴な寿々華にとって、まだ恋など、どこか遥か彼方にある別世界のようなもの。自分自身のこととして認識するにはまだ早い。
だが。
「おはよう、ママ」
「おはよう、パパ」
「今日も世界一きれいだね、ママ」
「あなたこそ今日も宇宙一素敵だわ、パパ」
「あはは、まったくママには参るなあ。ギュっとしちゃうぞ?」
「うふふ、本当にパパは甘えん坊さんなんだから」
突如現れた何か年齢の割には妙に若々しく生気に満ちて見える二人の男女がなんかちょっとアレな寸劇を開始したのだ! その姿に寿々華は顎をがくんと落とし目玉をひん剥く!
「パっ……パパとママぁ!!??」
おお、然り、それこそまさに寿々華の両親! そう、理想の恋人が現れるとは言ったが……それは別に当事者の理想とは限らない! 『本人が理想にしている恋人同士の幻』であっても構わないのだ! 日本語って便利だね!!
「いや確かに……うちの両親は私の理想の夫婦なんだけど……くっ、あの万年新婚デレデレイチャラブ夫婦を四六時中身近で見てるの恥ずかしいからEDENに来たっていうのに!」
幸せなのはわかっている、微笑ましいのもわかっている、でも思春期の少女にとってはやっぱりちょっと刺激が強すぎ照れまくる。そんな夫婦が寿々華の両親であったのだ。
寿々華の煩悶にも構わず、夫婦の幻影はイチャラブを決断的に続行する!
「じゃあママ、残念だけど僕は行かなければいけない。ああ、二人を引き裂くこの残酷な運命が恨めしい!」
「力を落とさないでパパ、いつまでも、私は必ずあなたを待ち続けます、たとえどんな嵐が来ようとも……!」
「いやパパがお仕事に行くだけでしょー!!」
思わずツッコむ寿々華をよそに幻影は続ける!
「じゃあさよならのキスを……」
「ええ、行ってらっしゃい……」
ばたん。赤面し目を逸らす寿々華の前で長いキスを交わし、パパは仕事に出かけ……。
「あっごめん忘れ物! かばんを忘れちゃったよ!」
「うふふ、パパったらうっかりさん。じゃあ、改めて行ってらっしゃいのキスを……」
そしてもう一回出かけ……。
「あっごめん忘れ物! 財布を忘れちゃったよ!」
「うふふ、パパったらうっかりさん。じゃあ、改めて行ってらっしゃいのキスを……」
「いや絶対わざと忘れ物してるよね!? わざと何回も戻ってきてキスしてるよね!?」
実際さ、リアルガチでこれを毎朝繰り返された私の身にもなってほしいんだ。と後に寿々華は切ない顔つきで語る。
「あっごめん忘れ物!」
「うふふ、パパったらうっかりさん。……今度は何を忘れたの?」
きょとん、と小首を傾げるママの瞳を、パパはダンディに見つめ返す。
「フッ……ママの愛しさに、『我を忘れた』のさ」
「いやーんパパったら-!!!」
「うわああああん!!!! ねえわかるでしょ!? 好きだけど! 私パパとママ好きだけど! でもどっか行きたくなるこの気持ちわかるでしょー!!!!???」
頭を抱えて涙ぐみ絶叫する寿々華の声には、きっと誰しもうんうんと優しい瞳で同意するに違いなかった……。
「さあ、そんなに落ち込まないで、お嬢さん。僕たちも同じようになればいいのさ」
そんな寿々華に声を掛けてきたのは、どこかパパに面影の似た爽やかイケメン! これも迷宮の作り出した幻影だ!しかし!
「いやああああ! 万年イチャラブ新婚夫婦はいやあああああ!!!!!!」
半分トラウマになっていたような寿々華は、ただひたすら空飛ぶ箒をかっ飛ばして逃げ出すのだった。
「ひひひ……これは嬉しいねぇ……」
異様なまでに煌めき輝く黄金の瞳で、男は嗤う。いや、彼以外のものであれば嗤ったと表現できるような表情を作る。その唇の端からは尖った犬歯が覗き、その妙な白さを誇示するかのようだ。……あたかも、歯を食事に使用することがないかのような白さを。
|秋津洲・釦《あきつしま・ぼたん》(血塗れトンボ・h02208)の名を、人は様々な感情を込め口にする。声を潜めて。
ある者は口に出せぬ秘められた願いを叶えてくれる頼れる男と言い、またある者は、けれど彼に関わり身を亡ぼしたものを何人も知ると語るだろう。
そしてそのいずれもある程度正しく、それと同じように少しずつ間違ってもいる。
釦は骨董店主、ただの──骨董店主。そう当たり障りなく評しておくのが、おそらく最も本人の認識に沿うだろう。
そんな釦が飄然と長い影を引き、うつろい揺らぐ迷宮に足を踏み入れたのは何ゆえか。『恋の迷宮』──そんな夢と希望と青春に輝く場所に。一見、釦とは縁遠そうなその場所に。
いや、だからこそだ。『恋』ほどに、人の深い──欲望と情念が渦巻くものがあろうか。
ならばそこは紛れもない、釦の「商売」に相応しき地に他ならない。
「ひひ、僕はこれでも浪漫が好きでねぇ、いいじゃないかい身を焦がすような熱い恋。憧れるねえ。それに、何より」
釦は唇に軽佻浮薄な曲線を浮かべ、繰り返す。
「そう、嬉しいねえ。普段人の欲望を叶える仕事をしている立場からすると、これは……自分の欲望を解放する貴重なチャンスじゃないか」
釦は待つ。
夢と理想を叶える迷宮の中で。
彼の理想の恋人の姿を──そして。
その黄金の瞳が歓喜に煌めくときが来る。
「こいつは……美しい……」
目を細めた釦の視線の先に現れたものは、美。そう、美の化身だ。この世のものならぬ均整と、想像を絶した艶めく体。揺れる曲線はあたかも世界の理の果てから来たかのように。
それは──。
化け物だった。
膨れ上がるもの。
のたうち回るもの。
ぬめり滴り落ち続けるもの。
いかなる形容がそれには似合うだろうか。ああ、不可能だ。それは、そのすべてであり、それ以上の、……いやそれ以下のものであったのだから。
それは鮮血の紅だった。
それははじけ飛ぶ瞬間と寸前を永遠に繰り返す風船だった。
それは数え切れぬ触手と触腕を、この世界のすべての物理法則に従わぬ軌道で揺らめかせ続けるものだった。
ゆえにそれは化け物であり、そして。
「なんて……美しいんだろうねぇ」
釦が溢れる欲情に舌なめずりをこらえられないほどの、美の結晶だった。
うすぼんやりと灯る紅い光が化け物の中から漏れる。その光に照らされ、映し出された釦の影は。その影が綴るものは──おお。なんたることか。
釦もまた、人知と人理を超えた触手の怪物であったのだ!
「ひひひ……さあ、愛し合おうじゃないか、美しいもの」
釦はためらうことなく化け物に歩み寄る。化け物の触手が蠢き雨のように降り注ぐのは、抱擁と言えるものであるのだろうか。口づけと例えられるものであるのだろうか。それが釦の体を引き裂き刺し貫くものであっても。人外のものであるのならばそれは愛の表現であったのだろうか。
「そう、文字通り……『身を焦がす恋』。これこそ僕の憧れたもの。なんて素晴らしい……!」
狂的な笑みを浮かべながら、釦は謳う。
「|ステワ・ルトゥ《カゾク》!!」
その声は闇の中に木霊して、赤くゆらめく脳漿のようで、猛り脈打つケダモノの内臓のようなモノを呼び覚ます。釦に絡みつく化け物の触手の上から、そのモノはさらに覆いかぶさり、抱きしめ返す。時空さえ超え果てた摂理としての抱擁を与える。
それは──吸血だった。
膨れ上がり続ける化け物の、そのすべての血を一滴までも吸い尽くす略奪であり蹂躙であり征服であり破壊であり、そして。
そして、愛だった。
まぎれもない、釦の愛だったのだ。
化け物はのたうつ、それは悲鳴か、それとも歓喜か。釦の呼び出した|同胞《はらから》に食われ尽くし吸い尽くされる、その喜びを訴える麗しき歌声であったのか。
「……ふむ。幻覚だからか、腹が膨れた気はしないねぇ……」
雲散霧消した幻を目を細めて見つめながら、ぼそりと呟く釦は、けれど。
その顔に、明らかに満足げな微笑を浮かべていたのだった。
まるで、……人間のような笑みを。
「考えませんよ。考えませんって」
|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)はひたむきにひたすらに頑張るのだ。
ここは恋の迷宮第一フロア。
訪れたものの「理想の恋人」の幻影が現れる恐るべき甘い罠にして蕩ける蜜の味の沼。そして、人によっては阿鼻叫喚の大地獄!
「考えません。まさかにぼくの理想の恋人が慈雨さんとか……いやいやいや! ないですねぃ!」
なんといっても無意識の理想、ゆえに自分ではわからぬこともある。それこそ恋の恋たる所以、人の心の摩訶不思議にして奇々怪々。ああ踏み分け入ったる迷い道、恋の雨さんさと降りかかり、その身を覆う傘もなし。
だからこそ、意識せぬようにと頑張りながら、それでももしかしたらと時雨は思ってしまうのだ。
その相手が──姉のようにも思う家主であるかもしれないと。
そんなことになった暁には、どんな顔して帰ればいいものか、明日からどんな態度で接していいものか。「ぼく、慈雨さんが理想の恋人でした」。そんな言葉を聞いてきょとんと小首をかしげる、よくわかっていない慈雨の顔つきまでもありありと想像できてしまうがゆえに、そんな最悪の結果だけは避けたいと、願う時雨のいじらしさ。
「うう、そんなことになったら最悪すぎる。身内に恋って。ぼく家出しますよほんと。しかし……ごねてても仕方ありませんね。そうはならない! と! 信じます!」
ぐっと拳を握り気合を入れて、時雨は改めて迷宮に対峙する。お仕事であるからには全力全開、一歩も逃げずに立ち向かうのが時雨の時雨たる所以であれば!
「オラ! どんな幻影でもかかってこいや! でもなるべく慈雨さん以外でお願いします!」
おお見事、その時雨の願いはかなえられた。薄紅色の朧の影、漂う靄の向こうから、現れ出でたる幻の、その姿こそは──なんたることか、最悪の想像を超えた最悪以上、いやさ、むしろそれは災厄の名が相応しい。
「死にたいんですが」
秒でバキバキ折れた時雨にいったい何があったのか!
「…………ぼく、この手が理想ってことで? ほんとに? ちょっとぼくの無意識出て来い、あいつより先にまずぼくの無意識をやっつける! ああああああ、認めませんよそんなん、認められるかああ!」
頭を抱えて呻く時雨に、幻影はしゃなりとその流れるような肢体で歩み寄る。夜より深い射干玉の髪が風にそよいで興趣を誘い、透けるような白い肌は新雪のように鮮やかに柔らかに艶めいて。
そんな幻影は笑うのだ。あくまでも優艶に、それでいて──突っ伏す時雨の姿が愉しくてたまらぬと心地よさげに。そんな嘲笑さえも一枚絵にならずにはいられない、なんたる美麗な底意地の悪さか、何たる優雅な性格の歪みか。
「あああその声で笑うな! その顔で笑うな! うう、『本人』がいなくて良かった。一生弄り言いふらされる汚名を着せられるか、もしくはとことん強請られていたことでしょう……」
時雨は一瞬で100年経過したような憔悴した顔つきでゆらりと立ち上がる。まさかに自分の理想の相手が。そう、……理想の恋人が。その相手であったとは。
「見てられないんで始末します。さらば一生の恥。だいぶ癪ですが。喧嘩は特にお好みでしょう。君が──」
時雨は血走った眼で、相手を睨みつける。自分の理想の相手に、巡り巡って百万の道の迷子になった己の感情の嵐をぶつけなければならぬと拳を握る。なぜならそうでもしなければ。
「……『彼』の写しなら」
自分の中の知りもせず知りたくもなかった情念を認めなければならないのだから。
いや、そうだろうか、本当に?
本当は知りたかったのではないだろうか? 認めたかったのではないだろうか? これほどまでに強く思っていることを、いつかは認めたかったのではないのだろうか?
そんな言葉を幻影は揶揄うように擽るように投げかける。ああ悔しいことに、口惜しいことに、それは多分真実なのだ。
「いつぞやの願い、全力で叶えてあげますとも。以前のように容赦はしません。──そこに直れ後輩。根性叩き直してやる」
泣いて怒って拳で語る。そんな想いとてあるものと訳知り顔に頷くものもあるだろう。それも青春、善哉善哉。
かくして時雨は先へと進む。たぶん進んだと言えるのだろう、己の中の届かぬ想いを抱えて背負って力にして。でもちょっぴり納得いかなげな顔をしたままで。
「ちょっぴりどころじゃないですねぃ!!」
「理想の恋人の幻……へえ」
アドリアン・ラモート(ひきこもりの吸血鬼・h02500)は興味深げに真紅の瞳を煌めかせた。基本的にがっつりインドア派の引きこもり、日がな一日ダルげに過ごし、ほとんど自分の部屋から出ることさえないアドリアンだが、それはそれとしてやはり、他人に興味がないわけでもない。ましてやそれが、自分の理想の姿であるとするならばなおさらだ。
「それは確かに……楽しみだな。いったいどんな幻が出てくるんだろう?」
絵画か彫刻のように整っているが普段は無気力感漂う表情に、今だけはちょっとだけ生気を漲らせ、アドリアンは迷宮の奥を見つめる。
しかし、それこそが迷宮の罠ではないか。もしガチに理想の恋人が現れた場合、迷宮の思惑通り、ここで足止めされてしまうかもしれない! なんといってもアドリアンはバリバリの現役引きこもりなのだ、理想の相手に、ここで一緒にいつまでも過ごしましょう、などと言われてしまったら素直にうなずいてしまうのでは!? 何気にアドリアンの、そして世界のピンチだ!
そんな世界の危機などどこ吹く風、待ち受けるアドリアンの前に、揺らめくようなオーロラの幕が浮かび上がる。その向こうから軽やかに歩を進めてきたものは。
「あ、アドリアンさん! こんなところで会えるなんて嬉しいです。今、なんとなくですけど、あなたのことを考えてたんですよ。……どうして、でしょうね、ふふっ」
それは明るく微笑みを浮かべる爽やかな物腰の少女だった。
華美過ぎぬものの上品な仕立ての服がよく似合う淑やかさと親しげな微笑みが相反せず調和している。風にそよぐ長い髪は光の糸を束ねたかのように透き通り輝いて、すらりと伸びた肢体は美しく引き締まり、伸びやかな瑞々しさを感じさせて躍動していた。
「ねえアドリアンさん、せっかく会えたんですし、どこか面白い所に行きませんか? アドリアンさん物知りだし、私あなたとお話するの好きなんです、うふふっ」
ふわりと春のそよ風のように、しなやかな細い腕をアドリアンの腕に自然に搦めて少女は微笑みを投げかける。大胆な行為でありながら、けれどそんな自分の姿に少しだけ恥じらいもあるかのように、白い頬がわずかに赤く染まっていた。
……うわー、MSも書いててちょっと恥ずかしくなるほどの、それはまさに理想の恋人の姿だ!
まるでギャルゲの世界、それも2000年代あたりのオーソドックス系ギャルゲからそのまま抜け出てきたかのような、ザッツヒロインオブヒロイン! そんな感じの少女であった!
……けれど。
「……がっかりだな。期待しすぎたみたいだ」
アドリアンはつまらなそうに息を付く。先ほどまではほんの少し輝いていたはずの瞳がまたどんよりと曇っていた。
おお、何故か。その姿はまさにアドリアンの無意識が願った理想の恋人の姿であったはずでは!?
「確かに理想のステータスの恋人っぽい幻だけど、……所詮ただの幻だね、沸き立たないんだよ」
アドリアンは愕然とした姿の幻影を前に、うんざりと横を向く。
「……心を掻き立てるような衝動が、──血の衝動が、まったく、ね」
それこそが決定的な欠如にして不足。
アドリアンの唇の端には煌めく鋭い牙が覗く。
左様、彼は吸血鬼であったのだ。……ゆえに。
鮮血の香り、脈動する血潮の息吹、命の鼓動。それこそを、アドリアンは求めていたのだ。
幻影が決して再現できぬ──血と命そのものを。
「そ、そんな……!」
我を忘れて立ちすくむ幻影の少女相手に、アドリアンの手が閃く。その手にいつしか握られていたのは漆黒のナイフ。深き闇の底、影から作り出された兇刃だ。
そのナイフが無造作に幻影の首をかき斬ろうとした時……!
「ま、待ってください! これならいかがですか!?」
幻影は叫ぶと瞬時に靄の中に身を包み、そして再度姿を現した。
おお、それこそは!
「……な、なんだって……!」
さしものアドリアンも一瞬たじろがざるを得ない。なぜならそれは! 幻影が再度見せた、その姿こそは!
「お布団だー!!」
そう、お布団であった!!
なんだそれと言ってはならぬ、引きこもりのアドリアンにとって、お布団こそが唯一無二絶対真実の恋人そのものであったのだ! だってステシにもそう書いてあるし!
その見るからにわかるふかふか具合。柔らかく温かく、ぬくぬくとのんびりと、何の喧噪もない夢の世界へ優しく誘ってくれそうな、まさに理想的なお布団!
「さあこちらへいらっしゃい……|お布団《わたし》の中でいつまでもぬくもりましょう……」
お布団の幻影が誘い掛ける。シュールとかいうな。アドリアンならずとも、どんな人でもふらふらと誘いに乗ってしまいそうな、魅惑的にして蠱惑的な語り掛けだ。
「|Zwillingssturm Noir《ツヴィリングストゥルム・ノワール》」
「アバーッ!!??」
だがしかし!
アドリアンはあまりにもあっさりとそのお布団を切り裂いて捨てたのだ。
「ば、馬鹿な……引きこもりはお布団の誘惑に勝てないはず……」
消えながら信じられないようにこぼすお布団の幻影に、アドリアンはぼそっと吐き捨てる。
「いや、お前、うちのお布団じゃないし。布団とか枕が変わると眠れないんだよ。妙に高級そうなのもかえって寝付けないしさ」
「そんなー!!??」
かくして幻影は、引きこもりの恐るべき引きこもり力の前に、はかなく消え去ったのだった……。
第2章 ボス戦 『バニエル・クロノジャッカー』

「さすがね、√能力者。あの恐ろしい第1フロアを突破してくるなんて」
次のフロアに進んだ能力者たちを待ち受けていたのはバニエル・クロノジャッカー。
彼女は鋭い瞳に燃え上がるような闘志を漲らせて能力者たちを睨みつけてくる。
「けれど、この先に進ませるわけにはいかないわ。だって……」
と、彼女はキュッと艶めく唇を引き締めて、呻くように言う。
「あなたたちがアンドロスフィンクスちゃんに会ったら、恋人の作り方を教える気でしょう! そんなこと許さないわ! スフィンクスちゃんは……スフィンクスちゃんは……」
なんか変な雰囲気になってきたんですけど? と能力者たちが顔をしかめた時、爆発するようにバニエルは叫んだ。
「私が先に好きになったんだからー!!!」
……なんて?
「|W《私が》|S《先に》|S《好きになった》のよー! だけど彼女にはこの苦しく切ない胸の内を明かすことはできない……断られたらどうしよう……そう思って枕を濡らす夜が幾年幾星霜……でもいいの、お友達のままでも、彼女の側にいられるのなら。だって彼女モテないし」
好きだって割には何気に酷いことを言っているような気がする。
「でもそんなところにあなたたちが現れて、彼女にアドバイスをしたりしたら台無しよ!彼女に恋人ができたらどう責任を取ってくれるの! どうしてもこの先に進ませるわけにはいかないわ!」
なんかもう勝手に二人でやってくれって気がしなくもないが、そういうわけにもいかない。ダンジョンボスを放置したままでは世界が侵食されてしまうという設定を忘れてはならないのだ。
正直めんどくさいなこの子ら! と思いつつ、能力者たちは戦闘を開始する!
「いやー、第一フロアは難敵だった……」
アドリアン・ラモート(ひきこもりの吸血鬼・h02500)はしみじみと述解する。
なにせ、敵が──お布団。そう、お布団であったのだから。
「まさかお布団が出てくるなんて斜め上過ぎて予想外だったよ……で」
ジト目でアドリアンは目の和えの相手に視線を向ける。
「……第二フロアの敵がコレ?」
「コレ言うな! 何よ、私が相手じゃ文句でもあるって言うの!?」
ぷんすかぴーと頭から湯気を出し目を怒らせるその相手こそ、恐るべき悪の√能力者、バニエル・クロノジャッカーだ!
「いや悪くはないけどさ。珍しいから。うん、実際に見るのは初めてだよ」
「フッ、なかなか素直じゃない。私みたいな超絶可愛らしい女の子を見るのは初めてですって? まあそれほどでもあるけどね! なかなかよくわかってるじゃない! そう、この私の溢れる魅力を……」
「いやぁほんとに、見るのは初めてだよ……『負けヒロイン』を」
「ぐはあああああっ!!!!」
アドリアンがボソッとかましたいきなりの|致命打撃《クリティカル》にバニエルは血反吐を吐きもんどりうって半死半生!! 戦闘開始前にこれはすでに勝負あったか!
「ま、負けてないもん! バニエルまだ負けてないもん!」
涙目になりながらフラフラと立ち上がろうとするバニエルを、アドリアンは生暖かい目で見つめる。
「そうだね、負けてないね。……だってそもそも勝負しようって勇気さえないんだからな」
「アバーッ!!!????」
「あ、リングにさえ上がってないわけだから、君はそもそも『ヒロイン』ですらないわけか。ごめんごめん、ただの『負けキャラ』だったね」
「グワーッ!!!???」
おお何たる冷徹無慈悲にして冷酷無惨なる追撃か! バニエルは再び大地に転がりまわって気息奄々、完全に虫の息だ!
そんなバニエルがぶすぶすと煙を上げて黒焦げになっている姿(イメージです)を淡々と見下ろしながら、アドリアンはつぶやく。
「|WSS《私が先に好きになったのに》か、うんうん分かるよ分かる。僕はまったく経験したことないけど、小説や漫画、映像作品なんかでいっぱい見たからね、共感だけは出来るよ。好きな人に他の恋人出来るのは嫌だよね。……たとえそれが、自分に度胸と勇気と決断力がなくてずるずると現状維持に甘んじた結果のなし崩しの自業自得だとしてもさ」
「うわあああん! √能力者がいじめるうううう!!」
とうとう泣き出しちゃったよバニエル。このまま追い詰めればもう言葉だけで勝てるんじゃね?
おおだがどうしたことか、アドリアンもそれ以上の追求を手控えるようだ。何故か!
「……うっ、なにげにちょっと……僕自身にもブーメランな気がしてきた……」
そう、アドリアンは引きこもり! 君だって現状維持に甘んじてるじゃん? と言われればあながち否定はできないかもしれないのだ!
「……こほん、ということでだね。ここは平和的解決と行こうじゃないか。ここを通してくれればさ、君の願いを叶えてあげられるかもしれないよ」
「えっ、それはどういう……?」
涙にぬれた瞳を上げて尋ねるバニエルに、アドリアンはにこっと輝くように白い歯を見せて(牙だけど)天使のような微笑みを見せる。まるで彼の背後から春の温かい陽光が降り注いで来るかのようだ。
「協力してあげるよ。つまり……君っていう素敵な相手が居る事をスフィンクスちゃんに伝えて、両想いになれるようにさ」
「え。ええええええ!!!????」
「きっと大丈夫さ。うん、君はそんなに魅力的なんだし」
「え、えへへへ。でもぉ、ちょっと恥ずかしいしぃ……。ほんとに?ほんとに協力してくれる?」
何か若干キモい感じにクネクネと身をよじらせ、頬を染めて上目遣いに照れた様子のバニエルに、アドリアンは柔らかく優しく頷くと。
「『暗黒よ、双嵐の刃を形作れ。その黒き力の前にすべてが沈黙する――|Zwillingssturm Noir《ツヴィリングストゥルム・ノワール》』」
瞬斬!
漆黒の影の刃が旋風のように翻り、虚空ごとあまりにも容易くバニエルを斬り裂いていた!
そう、アドリアンがそんな優しい王子様みたいに接するとかどう考えたっておかしかったのである!
「ぐええええ!!!??? う、嘘つきィィィ!!!???」
悲鳴を上げて消えていくバニエルに、心外なという顔つきでアドリアンは告げる。
「フッ……一番の嘘つきは君さ。『友達でもいい』なんて嘘を、自分自身にずっとついていたんだからね……うわあ僕カッコいいな」
ビシッと決めたアドリアンは、足取りも軽く迷宮最奥部へと向かうのだった。
もしその場に誰かが居合わせたなら、珍しい姿を見ることになっただろう。
……|六合・真理《りくごう・まり》(ゆるふわ系森ガール仙人・h02163)が面食らっている、という姿を。
常に飄々とした態度を崩さず春風駘蕩にして泰然自若な真理が、大きな瞳をぱちくりと瞬かせ、半ば相手に気圧されているような光景はなかなか見られるものではない。
それは──バニエル・クロノジャッカーの血を吐くような慟哭めいた魂の叫びによるものであった!
迷宮の第二フロアに待ち受ける恐るべき悪の√能力者、邪悪なる簒奪者にして戦乱を引き起こすもの。……だと思って来てみれば。
「好きな人に恋人ができるなんてやだ! だからここから先には行かせない!」
……なんてキャラだった日には、それは真理だってナニソレと言わざるを得ないというものであった。
「……あぁ、そういえば、ぱんどらのお嬢ちゃんもそんなことを言ってたねぇ。……ありゃぁそういう事かい?」
そう、星詠みパンドラの説明は、浮世離れした真理にとっては、今ひとつピンと来ていなかったのだ! 仕方あるまい、真理は見た目は可愛らしい絶世の美少女だが、実際は記憶さえ定かではないほどの遥かな年月を過ごしてきた神仙のおばあちゃんなのだから。ゲーム機を全部「ふぁみこん」とか言っちゃう系なのだから。いやファミコンさえ知らないかもしれないが。
だが、これだけ熱弁されれば、そんな真理でも理解せざるを得ない。これは……恋のお話だったのだ!(今更) だったら最初からそう言ってくれれば真理だってちゃんとわかったのである。コイバナとか難しい言葉を使わずに! えっ難しいかな? とか言わないこと!
「なるほどねぇ、お前さんの言い分は理解したよ」
うんうん、と頷きながら真理はバニエルに対峙する。
「わかってくれたの? じゃあ、ここから先へは行かないでくれるわね?」
ぱあっと表情を明るくするバニエルに、真理はにっこりと微笑んで、答える。
「いや、一向に押し通るがの?」
「なんで―!? わかってくれたんじゃなかったの!?」
おお、虚を見せて相手を惑わし実を付くのはまさに武術の真髄たる呼吸だ! 百戦に錬磨された真理の絶妙なるタイミングずらしに、バニエルは顎をがくんと落として絶叫する。
「うむ、分かったよ。分かった上で、『すひんくす』のお嬢ちゃんに手を貸そうかねぇ」
「なんでよぉ!?」
半泣きで抗議するバニエルに、真理は凍てつくほどに冷ややかな視線を向けた。
「……何でって? ……お前さんのしみったれた恋慕よりも、手段を選ばず我武者羅に突き進む『すひんくす』のお嬢ちゃんの方が遥かに上等だからだよぉ」
然り。同じところにとどまってうじうじと悩み続け、未来に向かう勇気のないバニエルの想いよりも、やり方は間違っているかもしれないが、とにかく前へ進もうとしているスフィンクスの姿の方がまだしも評価できようというものだ。
「『|唐棣《とうてい》の華、偏として其れ反せり。あに爾を思わざらんや。室是れ遠ければなり。子曰わく、未だ之を思わざるなり。それ何の遠きことか之れ有らん』」
「……は?」
いきなり訳の分からないことを言い出した真理にバニエルは目を点にする。
「論語さねぇ。『あなたを想うけれどあまりにも遠いから会いに行けない』という詩に対して孔子は言ったのさ、『いや本当に好きなら距離など関係なく会いに行くじゃろ』とねぇ。お前さんも同じさ、本当に好きなら打ち明けているはず、それができないなら本当に好きとは言えんねぇ」
「う、うぐぅぅぅぅぅ!!!」
まさに正鵠を射ること急所を打ち抜く鋭い拳の如し! 真理の容赦ない言葉にバニエルは顔を真っ赤にして歯噛みし、じたばたしながら自棄になって打ちかかってきた!
「うわあああん! 恋する乙女アタックを喰らえー!!! ばにえるキーックっ!!!」
強化スーツを着装し、閃光のごとき速さと嵐のような凄絶さをもって一筋の矢そのものと化したバニエルがまっしぐらに真理へとその闘志を向ける!
その姿にしかし真理は一切動じることなく、むしろ静かな笑みすらも浮かべていた。
「そのくらい思い切った方がまだしもマシさねぇ。ま、それはそれとして……先達の務め、その性根を叩き直してあげるよぉ」
大地を踏みしめる脚は山のごとく、引き絞った腕は弓のごとく、練り上げた勁は全身を周天し、拳の一点から──爆裂する!
「『|剄打・雲散霧消《ルートブレイカー》』──!」
豪爆!!
真理の放った一撃は相手のキックを真正面から迎撃し、その威力すら飲み込みカウンターとなってバニエルを撃ち抜いた!
「うっきゃああああああ!!!!????」
キラーンと星になって遥か彼方に飛んでいくバニエルを見ながら、真理はやれやれと首を振る。
「昔っから言うだろう? 『人の恋路を邪魔する奴は、正拳に殴られて死んじまえ』ってねぇ」
……馬では?
「そうだっけ? まあどっちでもいいさねぇ、ふふふ」
「キミのココロの隙間、お埋めしようかな。ほーっほっほ……げほんごほん。この笑い方は難しいか」
なんか一行目からいきなり危ないことを言い出したのは|秋津洲・釦《あきつしま・ぼたん》(血塗れトンボ・h02208)。
人気のない静かなバーカウンターの片隅で、カランコロン、とグラスの中で氷が揺れる音が響いてくるような雰囲気の中、釦はしみじみと相手の話を聞いていた。
なんかよくわからないが、迷宮の一室にそんな場所もあったのである。人を惑わせるための場所なのだから、何でもあるのだろう。きっと。たぶん。
「うう、は、話を聞いてくれるの?」
もう目の淵を赤くして半分酔っていそうなその相手、バニエル・クロノジャッカーはとろんとした目で、すがるように釦を見た。本来は恐るべき悪の√能力者、世界の脅威であるのだが、今のバニエルは恋に悩むあまりに逆ギレした、別の意味で恐ろしい相手なのだ。
そのバニエルの姿に、ふと釦は考える。どたぷんとしたダイナマイトのボディラインは十分に成熟しているものの、大きな瞳にはまだあどけなさが残るようにも見えるのだが……。
「……ところで、ちなみに君何歳? 大人でいいのかい?」
「何歳って言われても、私未来人だから……この時代だと年齢マイナス以下?」
「……迷うなこれ! とりあえず飲んでるのはお酒じゃないし、行動がアレなのは雰囲気に酔ってるだけ、ってことでよろしくお願いするよ! 大事なとこだからこれ!」
「??? よくわかんないけど分かったわ。……それで!」
ドン、とバニエルはカウンターに勢いよくグラスを叩きつける。
「話を聞いてくれるのね!?」
「もちろんだよ。……ほんとに酔ってない?」
「酔ってないわ! もし私が酔っているとすれば! スフィンクスちゃんの可愛さに酔いしれたのよ!」
「誰が上手いことを言えと……。で、彼女のどんなところが好きー?」
「そんなの無理よ、言い切れないわ! 恥ずかしいし!」
顔を覆ってしまったバニエルに釦は肩を竦める。
「そうか、聞けないかー。残念だねぇ」
「でも言いたいわ! 誰にも言えないんだもの! 聞いて!」
「ほんとにめんどくさいな君! で?」
でへへ、と照れながら、バニエルは唇を開く……。
「あの神秘的でノーブルな雰囲気のくせになぞなぞが好きとかいうああざといあどけなさとかいいわよねすらりと伸びた脚も魅力的だわ蜘蛛だけどそんなの多様性の時代では些細なことよね慎ましいたおやかさを漂わせていつつキラキラしたアクセが好きな女の子らしさも似合ったりしてもうどうしようって感じだわなんといってもあの夢見るような瞳の儚さとか世界に響き渡るわよねそれからそれから」
「うんうん、そうだよねえ。わかるわかるー。さすがー。すごーい」
釦はグラスを傾けつつのんびりと頷いて見せる。だって彼はとっくに耳栓を装備していたから。第1フロアで幻とはいえ極上の美味を堪能した今の釦は上機嫌、耳栓越しのこの程度のノイズなら、むしろ小気味いい喧噪のように聞こえるというものだ。
(まるで生の映画を見ているようなものだよな……)
存分にバニエルに喋り倒させたところで、釦はおもむろに口を開く。
「じゃあ応援するから、頑張って告ってみたらどうかな?」
「え、ええっ!? 本当に!?」
「本当本当。だって君ら二人でほっとくと二人してめんどくさ……こほん。僕は人のココロの隙間を埋めるのが仕事だからね」
「で、でもぉ……私繊細だから……!」
「繊細かぁ……繊細ねえ……」
釦は、今滔々と大河の流れるがごとくに雄弁を奮った相手のことを考える。
「だからとてもそんな大胆なことできないわ……!」
「大胆なことができないかぁ……」
釦は、今目の前にいる、ほとんどすっぽんぽんと言ってもいい姿の相手を考える。
「まあ……根拠はないけど、君ならできるんじゃないかな、そう思う、うん」
「そ、そうかしら……でもやっぱり……」
まだ思案顔のバニエルに、釦は一つの提案をした。
「じゃあここでいったん死んでみるのはどうかな」
「……は?」
「君もルート能力者なら、一度死んでも生き返るだろう。そして、一度死んだならもう怖いものなんかない! そういう思いきりができるんじゃないかな」
「そうかな……そうかも……」
何となく丸め込まれた感のあるバニエルに、釦は√能力を奮うのだった。
「舞えまたは霧散しろ『|橙色渦虫《トウショクカチュウ》』」
その宣告と同時に群れなす『肉喰みトンボ』が群れをなしてバニエルに襲い掛かる!
「あれっこれ痛い奴じゃないの!? ちょっとぉ! 死ぬのはいいけど痛くないやつにして!? うきゃーっ!?」
「恋って……痛いものだからねえ」
「誰が上手いことを言えとぉ!? きゃーっ!!??」
「……いや、好きなら告白すればいいじゃん」
うんざりした顔で、赤峰・寿々華(人妖「鬼人」の煉鉄の|格闘者《エアガイツ》・h01276)は重い吐息をつく。まさか、第二フロアに待ち受ける邪悪な√能力者、世界を混乱と破壊に導く恐るべき簒奪者が……実は恋に悩む逆ギレ乙女であったとは。
「多様性の時代なんだし、そういう恋もアリでしょ、さっさと言っちゃいなよ」
「きがるにいってくれるなあ」
どこかの青タヌキのようにふくれっ面をして、その相手、バニエル・クロノジャッカーは寿々華を睨みつけた。
「それができれば苦労はしないのよ! あなた恋をしたことないでしょう! 本当の恋って言うのはね、苦しくて切なくて悲しくて……」
「うちのパパとママの話する? 一目でお互いピンと来て秒で同時に告ったって話なんだけど。秒で。なんなら物理法則越えてプランク秒未満で」
「………」
「んで、そのあとずーっとラブラブでイチャイチャな話する? ベタベタでアツアツの永久機関がエネルギー保存の法則無視して永遠に続いてる話する? ……√能力者の私が言うのもなんだけど、うちのパパとママってどうなってるんだろうね?」
「…………知らないわよおおおお、うわあああん、恋愛強者なんて大嫌いよー! この恋愛格差社会の不均衡是正を求めるわー!! 万国の恋愛弱者よ団結せよ―!!!」
半泣きのバニエルがぶんぶんと手を振り回しながら抗議する姿に、寿々華は柔らかなポニーテールを揺らして、やれやれと首を振る。
「とにかくここは通してもらうから」
「絶対に許さないわよ! スフィンクスちゃんに恋人を作ろうだなんて……!」
「違うわ! 普通に倒しに行くんだよ! その子はダンジョンボスなんだから、倒さないとこっちの世界が迷惑なの!」
「……なんですって?」
その言葉を聞いた瞬間、すっとバニエルの表情が変わる。
これまでのポンコツでトンチキな態度から、狡猾で残忍な簒奪者としての姿に。膨れ上がる闘志は恐るべき殺意をもって揺らめく青白い炎のようにさえ感じられる。
「……スフィンクスちゃんに恋人ができるのは許せないけど、あの子をいじめるのはもっと許さないわ。√能力者、ここで始末してあげる」
「へえ……いいじゃない」
その豹変に、しかし寿々華は心得たりとばかりにニヤリと片頬に笑みを浮かべた。
「多少は骨があったようだね。そういうの、嫌いじゃないな。じゃ、思いきり……ぶつかり合おうか!」
「……あ、でも……あなたたちにスフィンクスちゃんがいじめられたところで私が慰めてあげるのもいいかも……彼女の涙をぬぐってあげる私……二人の距離が近くなって……ハァハァ」
「……いやそこでブレるなよぉ!! せっかく頑張ってシリアスになりかけたんだからさぁ!!」
頑張れ苦労人寿々華!
もうどうにでもなーれとばかりに疾風を纏って突進する彼女に、妄想に耽っていたバニエルもさすがに慌てて迎撃態勢を取る。
本人がポンコツとはいえ、バニエルが身に纏うスーツによる近接攻撃は決して侮ることはできぬ! ただでさえその威力は増大しているうえに、仮にその攻撃を回避できたとしても周辺の状況は確率変動空間と化してしまうという、隙を生じぬ二段構えなのだ!
どうするか、寿々華!
「簡単さ。|回避しなければいい《・・・・・・・・・》」
繰り出してくるバニエルの拳に向かって寿々華の手腕が閃くとき──
おお、流水のように涼風のように、バニエルの拳は軽やかに舞った寿々華の腕に流されていた!
すなわち、バニエルの拳は「当たった」といえるのである、寿々華の腕に。たとえそれが完全に勢いを殺され、流されて、何のダメージを与えなかったとしても、「当たった」効果自体は発生する。ゆえに、──確率変動空間は発生しない!
さらにバニエルは攻撃を流されたことで大きく態勢を崩し、前へとつんのめる。
「打ち砕く!──『|模倣:煉鉄拳《レンテツケン》』ッ!!」
裂帛の気勢と共に、寿々華の徹甲の拳が爆発するような威力をもって、容赦なくバニエルのみぞおちに叩き込まれた! いかなる特殊スーツの防御といえども、その装甲を貫いて内部まで衝撃を爆裂させる寿々華の攻撃を防ぐことはかなわぬ!
「ぐはあああああっ!!!!」
血反吐を吐いて吹き飛ぶバニエルに、寿々華はつぶやくのだった。
「最初の拳の勢いはなかなか良かったよ。変な小手先の技に頼らないで、ただ真っ直ぐ攻撃すればよかったのにな。……私はよく知らないけどさ、たぶん──恋も、そんなもんなんだと思うよ」
「見守る愛! なんて感動的なのでしょう!」
「え? そ、そう?」
|南天・莉々《なあま・りり》(人間災厄「エイシェト」・h04821)が感動したように口にした言葉に、相手は嬉しいような、けれどどこか少し戸惑ったような表情を浮かべた。
その相手とは、恐るべき悪の√能力者にして世界を破滅に導く簒奪者、バニエル・クロノジャッカー! 彼女が秘めたその野望とは! ……好きなひとに恋人を作ってほしくない! という恐怖のたくらみであった!
けれど莉々にとっては一向にかまわない!
「遠くから見つめ続け、心に秘めた愛もまた一つの愛。よくわかります。奥ゆかしい貞淑な想いの形。美しいですね」
奥ゆかしく貞淑。なおバニエルのアレな格好は見なかったこととする。
「え、えへへ。そうかな、それほどでもあるけど!」
照れたバニエルに莉々は続けた。
「それに、女の子同士の愛でもいいではありませんか。昔は禁断とか言われましたが、今となっては特に特別視するほどのこともないでしょう。大いに応援したいですね、ええ」
「ほ、ほんと!? ほんとに応援してくれる!?」
「いえ別に」
「またそのパターンか―い!!!」
バニエルは海老反るほどにのけぞるナイスリアクション! そんな姿に、莉々は気の毒そうな視線を向ける。
「ごめんなさいね。今日の我々は言うなればクラスの地味子ちゃんにファッションを教えて前髪を上げたり眼鏡をコンタクトにさせに来た側」
「なんて?」
「ですから、クラスの地味子ちゃんに軽くナチュラルメイクとか、あとは姿勢ですね、前かがみになったりせず背筋を伸ばして歩くだけでもかなり印象が違ってくるものですから。そして声のトーンと話し方、これも大事です。発声練習も念入りに、あめんぼあかいなあいうえおー!」
「いやそうじゃなくて、何を言いたいのかわからないわ!? あとアメンボは赤くないわ!?」
「そう、確かにアメンボは赤くありません。ではなぜ『赤い』というのでしょうか。それには、こんな話があるのです……」
「ええっ、何か深い理由が!?」
思わず身を乗り出すバニエル。危ない、それは莉々の罠だ!
「あるところに、『オタクで冴えないアイツの良さを分かってるのは私だけよね、ふふん』そんなことを思いつつ今日もその人をからかっている一人の少女がいたといいます……」
「あっヤバいわ! それ一行目から明らかにかませ臭がプンプンする奴だわ!?」
おおなんということか、読者諸氏はお気づきであろうか、既に、あまりにも自然に莉々の√能力が発動していることを! これぞ『|悪しき予言《アイノモノガタリ》』──語ったストーリーの中を支配する恐るべき力だ!
しかしバニエルはそれに気づかぬまま、話にぐいぐいと引き込まれてしまった! まさに莉々の恐るべき人間災厄としてのトーク力を示すものである!
「けれどそこに、オタクに優しいギャルが現れます。小悪魔系の魅力のギャルが」
「ええっ、そんなもの都市伝説ではなかったの!?」
「いえ、いたのです。気が付けばギャルとアイツは急接近。『今やってるあの映画見た?』『まだだけど』『ふーん、あれ何言ってもネタバレになっちゃうから見ないと話できないんだよねー、ね、一緒に行こう?』そんな会話が交わされるほどに」
「妙にリアルだわ!?」
「少女はなんとかしないと、と焦るばかり、けれどギャルとアイツの仲はどんどん進展していき、ついに意を決して告白しようとするのですが」
「が、頑張るのよ少女―!」
「アイツの方から夕方の屋上に呼び出され、『実は俺、ギャルと付き合うことになったんだ。今まで君に世話ばかり焼いてもらってごめんな。感謝してるよ。だから、君に一番最初に報告したかったんだ』そんなことを笑顔で言われてしまい……」
「か、悲しい! 哀しすぎるわー!!!!」
「涙をこらえ、お祝いを言う少女。その帰り道、夕日に染まった景色の中、池の上をアメンボが一匹歩いていました。泳ぐでもなく潜るでもない、水の上を歩くという中途半端な姿は、まるで自分の中途半端な態度のようで、少女は……赤い夕陽の中で赤く染まったアメンボをいつまでも見つめ続けるのでした……」
「何て辛いお話なの! 『あめんぼあかいなあいうえお』にそんな秘話があったなんて!」
「いえ全部嘘ですが」
「またそのパターンかーい!!!!」
ノックアウト!
完全に物語に引き込まれていたバニエルは、物語の中に仕込まれていた魔法に、気づかぬうちにしっかりと叩きのめされ、戦闘不能となってしまっていたのだ! ぐったりと倒れ伏したバニエルを尻目に、莉々は迷宮最深部へと向かう。
「では先へ進ませていただきます。……まあそれはさておき、見守る愛もいいですが、やっぱり早めに告白した方がいいと思いますよ、アメンボが赤くならないうちにね、ふふっ」
危ない! いきなり|愛禍咲・雛菜《あかさか・ひなな》(ふつうの女の子・h03075)がピンチだ!
「くっ、恋バナシウムが低下してるじゃない! ぴこーんぴこーんぴこん-ん!」
「……えっ何なのその何か点滅しているかのようなそのSEというか声……?」
しかし当然、眼前の敵である恐るべき悪の√能力者、バニエル・クロノジャッカーには何のことかわかっていないぞ! だが雛菜は負けじとさらに声を張り上げる!
「ぴこーんぴこーんぴこーん!! ゲンカイザー0の女子力エネルギー恋バナシウムは恋を否定する空間では急激に消耗しちゃう! 恋バナシウムが残り少なくなると胸のラブリータイマーが点滅をはじめるのよ!」
「胸の……? えっあなた別に胸には何も……?」
「ぴこぉーんぴこぉーんぴこぉーん!!!! そういうのは心の目で見て心の耳で聞くものなの! あると思えばある! 聞こえると思えば聞こえる!」
「わけわからないわ!? っていうか勝手に現れて勝手に苦しみ始められてもどうしたらいいのよ!?」
「ばにえるんのばかー!!」
どげし!!
凄まじい勢いで虚空を引き裂き風をつんざいた鉄拳がバニエルをブチのめす!
「アバーッ!? えっ今何で私殴られたの!? っていうかなんで急に愛称で呼ばれてるの!?」
迷宮の床にめり込むほどぶん殴られたバニエルは思わず頬を抑えて涙目だ! おお、しかし、ふるふると拳をわななかせる雛菜の姿を見たものはだれしも気づくであろう。泣いている……雛菜の拳が慟哭していると!
「わたしは自分のためだけに苦しんでいるんじゃないの。世界中すべての恋をあきらめようとしている女子のために哭くのよ。そう、あなたのためにもね、ばにえるん! だってそれが、上でも下でもない真ん中、つまり普通のおんなのこである雛菜の務めだから!」
「普通!? どこが!? 『普通』って概念に深々と謝ってあげて!?」
「そういうことで!」
聞いちゃいねえ雛菜は凛然たるポーズと共にビシッとバニエルを指さし、強い決意に満ちた瞳で断言する。
「世界中の恋する乙女の味方、誰が呼んだか原色戦隊「ゲンカイザー0」参上! ときめくキミのハートにラヴあーんどデストロイっ!」
どどーん! その瞬間、雛菜の背後でピンク色の炎が、あたかも火薬を使いすぎたため地形を変えてしまい地元の人に怒られそうな勢いで轟然と爆裂する! そう、その有様は無数の地雷が一斉に暴発したかのようだ!
「きゃーっ!? 何これぇ!?」
世界が純白に染まるかと思えるほどに眩い光で視界を焼きつつ、ぎゅんぎゅんと舞い上がり飽和攻撃のように飛んでくる火花の弾幕に、バニエルはすでにパニック状態!
──おお、だが、誰が知ろう。これこそが、雛菜の恐るべき√能力……『|自由恋愛地雷原《サークラティックフィールド》』の発動に他ならぬことを!
「落ち着いてちょぉっと考えてみよっか、ばにえるん」
「落ち着けなくさせているのはあなたなんだけど!?」
「あなたが恋愛戦に出ないのは勝手よ、でもそうなった場合、ドフリーになるのは誰だと思う? スフィンクスちゃんよ! このままじゃ……いいえ、もしかしたら今この瞬間にも彼女にコイビトができちゃってる可能性だってあるじゃない!」
「うっ! そ、そう言われると……!」
思わず口ごもり、目を泳がせてしまうバニエルはすでに雛菜の、いや、ゲンカイザー0の術中に嵌っている!
そう、雛菜の能力は『状態異常【ズッキュン】に対する抵抗力を10分の1にする』というものなのだ。ズッキュンこそはあらゆる存在の自律心を喪失させメロメロ化させて幸福という名の降伏に導く大いなる力! ちなみにこの力は術者自身にも効力を及ぼすため、雛菜本人も今は常軌を逸したグルグル目状態だ! 普段とあまり変わらないかもしれないが!
「ほぉら病む病むして来た、乙女の戦場はいつだってゲンカイギリギリまったなしっ! ためらった方が負けなんだよ! 後悔なんていつだってできる、でも行動できるのは今しかない! だったらやるしかないじゃない!」
「な……何だか……そんな気になってきたような……」
「その意気よ! さあこのままスフィンクスちゃんのトコロに殴り込み! あとは野となれ山となっちゃえってね! あははは!!」
「あははははは! いや笑い事じゃなくないかしら!?」
抗議しつつ勢いに呑まれたバニエルは雛菜に連れられ迷宮の奥へと消えていく。
ああ、だが、バニエルは知るすべもない。
雛菜のその能力は──『恋愛トラブル誘発粒子』を散布するものであり。つまり……絶対になんか騒動が起きるものであることを。
「まあいいよね。多少のトラブルがあった方が思い出になるもん!」
こえー雛菜こえー!! まさにラブあんどデストロイ!
第3章 ボス戦 『『アンドロスフィンクス』』

「ふふふ……現れたましたね√能力者。さあ、私の深き問いに答えてみせなさい。さもなくばこの付近を滅ぼしてしまいますよ?」
星詠みパンドラの予知したとおり、迷宮最深部に到着した√能力者たちを待ち受けていたのは恐るべきアンドロスフィンクスだ!
「どうやったら恋人ができるのでしょうか!?」
そしてやっぱり予知通りに質問してくるのだった!
わかっていたとはいえ、ほんとにめんどくせえ敵である!
「恋人ってどうやったらできるのです!? もうすぐバレンタイン、私だっていつまでも独り身で過ごしたくはないのです! さあ答えなさい、っていうか教えてください! 相手は彼氏でも彼女でも構いません、何なら機械とかでも全然いいですから、恋人を作る方法を! 思いつかなければ、あなたたちのコイバナを聞かせるのです! そこからヒントをつかみますから! この間のクリスマスだって結局私は一人だったのです! もう一人は嫌あああ!! 今度のバレンタインも一人のようなら、こんな世界滅んでしまえばいいのですー!!」
ということでアンドロスフィンクスを何とかしなければならない。
パンドラの予知したように、恋人ができる方法、またはコイバナを語って聞かせれば隙ができるだろう。
……しかし、もうひとつ、パンドラも予知できなかった意外な展開が。
「……で、なぜあなたがここにいるのです、バニエル」
「え、えっとぉ……」
なんと、第二フロアの番人、バニエル・クロノジャッカーが能力者たちと一緒に来ているのだ!
第二フロアでバニエルに対し、もうスフィンクスに告っちまえよという能力者が多かったことからこの分岐となったのである。MSも割とびっくりしている!
√能力者たちは、もし望むなら、陽動や牽制などにバニエルの力を借りることもできる。荒れ狂うスフィンクスをまずは鎮めないと告白することもできないことから、バニエルはこの場だけは一時的に協力してくれるだろう。
無論、バニエルの存在は無視して、自分の力だけで戦ってもよい。その場合はバニエルは手出ししない。
「天が呼ぶ地が呼ぶラブを呼ぶ! 恋っていいよねとわたしを呼ぶっ☆」
「何ですってっ、あなたは!?」
高い崖の上、吹きすさぶ風に髪を靡かせ、すっくと立った人影に、アンドロスフィンクスは思わず瞠目する! っていうかなぜ迷宮の中に崖があるのか!
「そんなことわたしが知るかだよ! 乙女の戦場はいつだってゲンカイギリギリまったなし! 原色戦隊「ゲンカイザー0」! キミのハートにラヴあーんどデストロイっ!!」
とうっ! と崖の上から華々しくジャンプしたその少女、|愛禍咲・雛菜《あかさか・ひなな》(ふつうの女の子・h03075)の全身に、あたかも電気人間のごとき火花が走る! これこそ無敵の恋愛戦士、ゲンカイザー0の美麗にして勇壮なる姿! そして息を吸うように自然に放出される√能力、脅威なる『|自由恋愛地雷原《サークラティックフィールド》』の発動だ!
雛菜はそのままくるっと虚空でキレのいい回転! 1カメ2カメ3カメ! そしてビシッと見事なるスーパーヒーロー着地を決めた!
その鮮やかなる登場に、恐るべき簒奪者たるアンドロスフィンクスも思わずたじろがずにはいられない。いやまあスフィンクスならずとも割と引きそうな登場ではあるが、それはそれである!
「くっ、現れましたね√能力者! 私の大いなる計画、その名も今年こそ恋人作って寂しくないバレンタインを過ごそう過ごしたいいや過ごして見せますプロジェクトの邪魔をしようというのですね!」
「いや別に」
「そう別に……えっなんて?」
「むしろ全然応援しちゃう。ゲンカイザー0はいつだって恋する乙女の強い味方なんだよ! ドキドキハートを感じちゃったら胸の超恋愛ダイナモが大回転! チャージラブによる100倍のパワーが出せちゃうんだから!」
「……何を言っているのかよくわかりませんが、私の邪魔をする気はないのですね?」
スフィンクスはその整った顔を思わずしかめて聞き返す。しかし雛菜は平然と、影でもじもじしているもう一人に手招きした。
「もちろんよ! ……さぁばにえるん、場は温めておいたよ! これからはあなたが主役! 恋のウルトラサイクロンを決めるんだよ!」
「よくわからないけどそれ決めちゃいけないやつじゃない!? あっしまったつい反応を……」
思わずツッコんでしまったことで出てこざるを得なくなったその相手こそ、第二フロアの番人であったバニエル・クロノジャッカーであった。そんなバニエルに対し、スフィンクスは厳しい視線を向ける。
「バニエル、なぜあなたがここにいるのです?」
「えっと、そ、それはね……」
「教えてあげるよスフィンクスちゃん!」
口ごもるバニエルに、すかさず救いの手を差し伸べる雛菜! ゲンカイザー0はすべての恋する乙女の味方なのだ!
「それはっ! ばにえるんがあなたのことをす……」
「うわーわーわーわー! いきなり爆弾放り込もうとしないでよー!? 言うならせめて自分で言うからー!」
天地がひっくり返るレベルで慌てふためき、手をバタバタと振って雛菜の言葉を遮るバニエル。そう、雛菜は確かに恋する乙女の味方である。しかし、敵にすると恐ろしいが味方にするとめんどくさいと言われるタイプの味方であった! これぞ『恋愛トラブル誘発粒子』をばらまくという世にも恐ろしい雛菜の√能力の効力である!
「フッ、言ったねばにえるん? さあそれじゃ張り切って行ってみよう!さもないと今度こそわたしが言っちゃうよ? いいのかな? 一世一代の告白を他人に取られちゃっても、い・い・の・か・な・あ?」
「くっ、なんて巧妙な罠なの!」
おそるべきゲンカイザーの戦略の前に巧みに追い込まれるバニエル! そして、何が何やらわからないまま、きょとんとした顔のままのアンドロスフィンクス! 何だろうこの光景。
だがここぞとばかりに雛菜は畳みかける!
「恋の罠には嵌ってナンボっていうでしょ! 大丈夫っ! スフィンクスちゃん今寂しいから! 耐性よわよわだから!」
「よくわかりませんが私何やらディスられていますか!?」
「ディスってない! 押してるの! そう、恋はねぇ、押してぇ! 押してっ! 押し切ったほうがぁ……勝つんだよぉ!!」
よくわからないバクアゲ状態の雛菜にプレッシャーをかけられ、ついにバニエルは唇を開く!
「ス、スフィンクスちゃん! わ、私……私ね!」
いうのか! ついに告るのかバニエル!
「わた……わた……わ……WSS―!!!」
「……は?」
「WSS-!!! きゃーっきゃーっついに言っちゃったー!」
「いえ……意味がわかりませんが?」
おお、|WSS《私が先に好きになったのに》!!それはまさにギャル系のバニエルにとってははっきりとした告白ではあったが、同時に、スフィンクスにとっては別界隈の略語であり──まったく通じなかったのだ! 何たる悲劇か!
「あーもうばにえるんのおばかー! それにスフィンクスちゃんも鈍すぎ―! 二人してちょっと頭冷やしなさーい!」
さすがに恋する乙女の味方たるゲンカイザーも若干切れ気味にゲンカイブレードで二人まとめてブッ飛ばしたのだった。
「なんでー!?」「何が起きたのですー!?」
キラーンと飛んでいく二人を見送りながら雛菜はつぶやく。
「まあ、ばにえるんがしっかり言葉にしたことはすごい前進よね。あとは何とかなるでしょう。うん、ゲンカイザー0は今日も恋する乙女を救っちゃった☆」
「なんかいろいろあり過ぎて、殺意マシマシで攻撃する気にもなれませんね……」
|南天・莉々《なあま・りり》(人間災厄「エイシェト」・h04821)は眼前で威圧感たっぷりに咆哮するアンドロスフィンクスを眺めつつ、細い肩をすくめる。そう、迷宮に響き渡る恐るべき簒奪者にして魔獣たるスフィンクスの吠え声、それは!
「恋人ぉぉぉぉぉ! バレンタインまでに恋人作るんですぅぅぅぅっ!! もう一人は嫌あああ!! バレンタイン前にチョコレートを一杯買い貯めておいて当日が近づいてきた華やかで幸せでラブい雰囲気のときにはなるべく近寄らないようにするような哀しい日々はもう嫌なのですぅぅぅぅ!!」
……なんというか、そんな悲しくも切なく、思わず全米も熱い涙を催さずにはいられないような咆哮であった。
「……まあ気持ちはわからなくもないですが、っていうかそんな切実だったのですね……」
莉々はため息をつき、傍らで目をうるうるとさせている第二フロアの番人、バニエル・クロノジャッカーに声を掛ける。
「ではバニエルさん、私が√能力の発動準備をしている間、スフィンクスさんを引き付けておいてください」
「う、うん、わかったわ! スフィンクスちゃん泣かないで! 今年もバレンタイン本番が過ぎて安売りされたときにムキになって買い過ぎたチョコの焼け食い付き合いうから!」
「あなたも大概何やってるんですか……」
軽い頭痛を抑えながら莉々は√能力を発動!
「実験開始です──『|哀れな人々《ステゴマ》』」
その言葉の響きと共に、霞のようにぼやけた虚空の中から揺らめくように現れたのは……おお、オレンジ色の作業服に身を包んだ、謎めいた表情の不気味なるものたちだ! その顔つきはあたかも凶悪犯罪でも為してきたかのような兇悪さに満ちていながらも、その目付きだけはどんよりと淀み、泥人形のように生気がない。まるで記憶消去かそれとも思考操作か、何かしらの人道に反したあくらつな恐るべき生態改造をされたかのようだ!
「えー何のことですか―私ぜんぜんわかりませーん」
莉々もわからないらしい! セリフが全部棒読みなのが気になるが!
「まあそれはさておきですね、ここに採れたての実験体……こほん、素材を用意させていただきました。さあ、選り取り見取り、お好きなお相手をお選びくださいな」
言い換えた結果もっとひでえことになっている気がしなくもないが、とにかくにっこりと微笑む莉々にスフィンクスは戸惑う。
「……お相手とはどういう意味です?」
「恋人さんですよ。『誰でもいいから』って言ってたじゃないですか。まあ、簡単なのは人間関係を孤立させて依存させるのが手っ取り早いのですが……だからと言って近隣の村から人をさらえば禍根が残るでしょうし。……そこで今回ご紹介したいのが、こちらのDクラス職員の皆さんです!」
莉々はさっと手を広げ、芝居がかってアピールを示す。おお、どこからか軽快なBGMと華やかなスポットライトが!
「なんと、こちら人間関係どころか社会からも完全に孤立しております! 使いたい放題やり放題! しかもなんと、今ならサービスでもう一人追加!」
「ええっ、じゃあ二人も提供してくれるんですかあ?」
何かのアシスタントのごとく傍らで驚いてみせるバニエルに対し、莉々はわざとらしく指を振る。
「いいえ、今ご連絡をいただければそのさらに6倍! なんと計12人の職員さんをご提供です!」
「ええッ12人も! でもお高いんでしょう?」
「もちろん無料!っていうかむしろ熨斗を付けて差し上げます!」
……人権ってさ。
「何言ってるのかわかりませんが、さすがに……私はその中からは選ばない、絶対に」
「どっかの頑固な食通みたいな言葉を! だって誰でもいいって言ってたじゃないですか」
断固拒否したアンドロスフィンクスに、莉々は頬を膨らませて文句をつけるが、スフィンクスは腰に手を当てて言い返す。
「誰でもと言う言葉はその概念の中に、自律した人格が備わっていることを前提に内包しているのです! 実験材料みたいな相手を押し付けられても、ただのお人形遊びではありませんか!」
正論。ってかド正論。
むむー、と莉々は唸ると、はあ、と吐息をついて、
──しゅるり、と衣服を脱ぎ棄てた。
「……はい?」
思わず目が点になるスフィンクスを、莉々は妖艶にして耽美な流し目で見つめ、甘い吐息を吹きかけながら細い指を差し伸べる。
「……じゃあ、いっそ私でも構いませんよ?」
「ちょっとぉ!? 話が違うわ!?」
急展開する事態に慌てたのはスフィンクスというよりむしろバニエルだ! まあそりゃそうである、彼女は自分の告白に協力してもらえると思って莉々に力を貸してきたのだから。
だが莉々は慌てず動じず、もう片方のしなやかな手を優艶にバニテルへ差し伸べて。
「もちろん、あなたもご一緒でもいいんですよ、ふふ……お二人とも本当に……美味しそうですものね……」
あっこれやべー奴だ。
そして逃げらんない奴だ。
そうスフィンクスとバニエルが理解したのは同時であり、そして既に遅い。
「うふふふふふふふふ…………さあ年齢制限しましょう……!」
「「きゃぁーっ!!!!???? 年齢制限って何―!!!!!?????」」
妖しい笑い声と二つの悲鳴が迷宮の奥に木霊していったが、その先を知る者はいない……。
だって年齢制限だから。
「なるほどね、あれがアンドロスフィンクスか……気のせいか、なんかずいぶん前から知ってたような気がするけどねえ」
|秋津洲・釦《あきつしま・ぼたん》(血塗れトンボ・h02208)は、迷宮の最深部に位置取る恐るべき簒奪者にしてダンジョンボスの姿を、やれやれといった目で流し見る。
会うのは初めてだが、なにしろ、スフィンクスのことは散々飽きるほど聞かされてきたのだ……隣にいる第2フロアの番人、バニエル・クロノジャッカーに。別に聞きたくもないけどそれはもう嫌というほどに滔々と延々と。
「ふわあ……改めて見るとほんとにスフィンクスちゃんマジヤバイわ……どのくらいヤバいかって言うと(スイッチON)」
「いや待てコラまたあれを繰り返そうとするんじゃねえ(強制シャットダウン)」
実物のスフィンクスに見とれまた再び懸河のごとき大演説を再開しようとしたバニエルを釦はうんざりした顔でドツキ気味に制すると、しかし、一転、人の悪い絵緒を唇の端に浮かべた。
「しかし、この機会もまあ丁度いいんじゃないか。そのまま告白しちまぇよ……!」
バニエルを軽く小突いた釦だったが、バニエルは茹で蛸のように顔を真っ赤に染め上げ、頭のてっぺんから湯気が出るほどに慌てふためいた。
「ななななな何言ってるの!? っていうかそれができるくらいなら最初っからこんなに苦労してないもん!」
「いつどこでどのくらい君が苦労したもんだか知りたいんだがね……」
そんな二人を、迷宮の奥からアンドロスフィンクスは激怒に目を血走らせて凝視する。
「バニエル! なぜ√能力者と一緒にいるのです! 戦いに敗れるのは仕方ないとしても、そのまま敵の捕虜になるなど恥と思いなさい!」
「ほ、捕虜になんかなってないよスフィンクスちゃん! 私が捕虜になったのはスフィンクスちゃんにだけ……そう、恋という虜にね!」
「……だからなんで君はその口説き文句を床に向かってしか喋れないのかねぇ」
釦は自分の影に隠れ、小さくうずくまってぼそぼそと床に向かいささやいているバニエルに軽く頭痛を覚えつつも、精神を集中する。己の中に潜む神秘の泉から奇跡の水脈を導き出すために。
「まあ、ここまで来たなら手伝ってあげるかね……『|武装化記憶《サイコメトリック・ジオキシス》』」
青白い光を放ち釦の体内から放たれた波動は、物品に宿る記憶の亡霊を呼び覚ます。今釦が手にしているそれこそは!
「さっき使った耳栓にもう一度役に立ってもらうとするか」
耳栓! まさに第二フロアにおいてバニエルの尽きることなき熱い想いの独白を釦が延々聞かされていた時に付けていた、あの耳栓だ!
すなわち耳栓に宿るのはバニエルのスフィンクスへの想いを凝縮した無限演説。それをこの場で解放すれば、バニエル自身が口にできない秘めごとも自動的に迷宮中に響き渡る勢いで迸るというわけだ。
「さあ耳栓に宿る亡霊、バニエルの想いを告げてあげるといい」
『そう、スフィンクスちゃん……スフィンクスちゃんの……』
「えええちょっと!? 何勝手に人の心を解放しようと!?」
いきなり聞こえてきた自分の声に慌てふためくバニエルだがもう遅い! 耳栓の亡霊はついにその言葉を口にしたのだ!
『スフィンクスちゃんのバカああああ!!!』
「「「……えっ」」」
そりゃあバニエルもスフィンクスも、そして釦も異口同音にぽかんと口を開けて「えっ」としかいえないというものだ。だが亡霊はそんな彼らにかまわず再生を続行する!
『スフィンクスちゃんのバカ! 私が……私がこんなに……(むにゃむにゃむにゃ)なのに全然わかってくれないおバカああああ!!!!』
「バニエル……あなたは私のただ一人の友だと思っていましたがまさかそんなに馬鹿馬鹿と影で言っていたというのですか……もうダメです鬱です死にます簒奪者は死ねないのでしたおのれ世界滅べ」
「違っ……いやそうなんだけど違くて! その馬鹿ぁっていうのはそういう意味の馬鹿じゃなくて! むにゃむにゃの部分が本音なんだよ!? 小声だったから聞こえないだけで……」
ヒステリックにわめくスフィンクスと泣きそうになりながら言い訳するバニエル、そしてそれをのんびりと眺める釦。何が何やらもう手が付けられない。いったいなぜこんなことになってしまったんだ。
「ああそうだった……僕のこの√能力の効果は」
釦は天を仰ぎ、うんうん、と深く納得したのだった。
「『記憶の因縁の相手に3倍のダメージを与える』だったねえ。うん、確かに効果ばっちりだ。3倍どころじゃない気もするけどねえ」
「わあああん、感心するなああ!!??」
涙目で怒鳴るバニエルに、しかし。
釦はニヤリと笑って告げたのだった。
「いいかい、スフィンクスは今、君に嫌われていた、と思ってショックを受けたんだよ。ってことは、つまりさ……あとは自分で考えるといい、くくく。……まあ誤解を解くのは大変そうだけどね」
「うわああああん! どうして、どうしてみんな私の邪魔をするのですううううう!!!???」
あーあ、アンドロスフィンクスちゃん泣いちゃった。
「私はただ素敵な恋人とイチャイチャしたりキャッキャウフフしたりベタベタしたりおてて繋いでランランランしたりそれからあんなことやこんなことをしたいだけなのにそれさえも許されないというのですか! 二人の世界のためにたくさんのインビジブルを集めていい感じになりたいだけだというのに!」
「……いやそれがいけないんじゃないかな……最後のがさ」
アドリアン・ラモート(ひきこもりの吸血鬼・h02500)は、泣き言を並べるスフィンクスに、やれやれといった態で頭を振る。
「インビジブルを集めるためにこっちの世界に暴れこんだりせず、おとなしく自分の世界に引きこもってれば、誰も邪魔しないと思うのにさ。いいよ、引きこもりって。自分だけの閉じた世界がそこで完結している……何も足さず何も引かず、ただあるがままにあるがゆえに永遠で完成された停滞の世界……なんて素晴らしいんだ引きこもり……さあ君もコモラーになろう……」
なんかヤバい方向にうっとりとし始めたアドリアン! こっちはこっちで変なことになりかけているが、誰かこれを止めてくれる人はいないのか!
いた! アドリアンと共にこの迷宮に訪れていた同行者がいたのだ!
彼ならば、──そう、純朴にして素直なその少年、|玖老勢・冬瑪《くろぜ・とうま》(榊鬼・h00101)ならば、アドリアンもスフィンクスも止めてくれるに違いない!
「まあ……田舎にいつまでもいる俺も、少し広い意味ではある種の引きこもりなのかなあ。田舎は確かに少し不便だけどさ、でも田舎だっていいもんなんだ。大自然に抱かれてのんびりと時間が過ぎ、ゆっくりと季節が巡る……顔見知りのご近所さんたちと、ほのぼのとした気心の知れたお付き合い……古来からの慣習に身を委ねて祖先のはるか遠い想いと一つになる……なんて素晴らしいんだ田舎……さあ君も田舎ストになろう……」
だめだ! 冬馬も冬馬でなんかこじらせてた!
「え、やですけど」
だがそんなアドリアンと冬馬の誘いを、何たることかスフィンクスは一刀両断の勢いでブッちぎる。
「私は素敵なパートナーとときめきのイチャイチャタイムを過ごしたいのです。一人だけの狭い空間に引きこもってるなんて寂しい青春過ぎますわ。それに私はおシャレでいい感じのハイセンスなデートをしたいのです。田舎とか野暮で退屈ですわ」
ぷっちーん。
おお、言ってはならぬことを言ってしまったスフィンクスに、アドリアンと冬馬、キレた!
「……ふふふふふ。そうか、引きこもりの良さが理解できないような奴にはちょっと『わからせて』あげないとなあ……メスガキわからせは美学だからねえ……」
「奇遇だねアドリアンさん。俺も今そう思ってたところだ! そりゃ田舎は田舎で田舎だけど! でも田舎だからこそ田舎は田舎なんだよ!」
なんかよくわからないが冬馬の想いはとてもよく伝わる気がする! 一方アドリアンの想いはあんまりわかってはいけない気がする!
ともあれ、かくしてここに、ダンジョンボスたるアンドロスフィンクスと二人の√能力者との凄まじくも壮絶な戦いの火ぶたが切って落とされたのだ!
「私のまだ見ぬ恋の邪魔をするなら容赦しません!」
スフィンクスの備える凶猛なる蜘蛛脚が唸り風を斬り裂き、虚空を引き裂いてアドリアンと冬馬に襲い掛かる。その凄絶な攻撃は、命中すれば巨岩も粉砕し微塵と化すであろう! いかに為すか、アドリアン、冬馬!
「恋に狂うスフィンクスの弱点はすでに把握済みだよ。そう……『恋人の作り方、とっておきの方法があるから教えてあげるよ』!!」
「ええっ、何ですって!?」
「ええっ、何だって!?」
星詠みで予知されていたように、恋人の作り方を示せばスフィンクスには隙ができる! ついでに冬馬にも隙ができた! いやナンデ。
「……君がそこで引っかかっちゃだめじゃん冬馬」
「だってうちは過疎地域だから! 恋人の作り方があれば俺も聞きたいくらいだ! みんなみんな、田舎は嫌だって! 田舎から離れられん俺はどうすればいいじゃんね!!」
血を吐くような慟哭に満ちた叫びに全田舎の皆さんが泣いた。冬馬も苦労していたんだね……。
「……君の悲しみは取り合えずおいといて、さあスフィンクス! 恋人を作る方法を聞きたくないかい!?」
「き、聞きたいですわ!」
「聞きたいよ!」
「だから君が引っかかるなって冬馬!」
無限ループになりそうな流れをアドリアンは無理やり修正する!
「恋人の作り方、それは……」
と、アドリアンは傍らにずっと控えていたもう一人をずいと引きずり出す。それこそは第2フロアの番人であったバニエル・クロノジャッカーだ。
「え、ま、待って、いきなり紹介してくれちゃうの? だって私まだ心の準備がいやあん」
なんか変にクネクネしているバニエルをアドリアンはむんずとひっ掴むと。
「『当たって砕けろ』だぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
おお、力の限り思いきりぶん投げたのだ!!
「ちょ、なんでぇぇぇ!!!!????」
流星のように光の軌跡を引いて飛んでいくバニエルは狙い過たず、天をも崩し大地も覆さんばかりの勢いで……アンドロスフィンクスに頭から激突した!
「アバーッ!!??」「グワーッ!!??」
ビッグバンの再来かと思えるほどの衝撃と火花が舞い散り、簒奪者二人はまとめて吹っ飛ぶ!
「ドーンと突っ込んでいけばその勢いと情熱で相手はイチコロってわけさ!」
イチコロだけどイチコロの意味が違う気がする!
「なるほど、当たって砕けろ、か。目の前を|魚《気になるひと》が泳いでいるのに、釣り糸を垂らさないのは機会の逸失だ。うん、機を見て一気呵成に行くのは狩りの基本! さすがだねアドリアンさん! さすアド!」
なんか納得してるそこのもう一人もそれでいいのかな!
「じゃあお待ちかねのわからせタイムだ。引きこもりの良さを知るといいよ!!」
「田舎の良さもだ! それとバニエルさんの想い、頭かち割ってよく聞くじゃんねぇ!!」
アドリアンの漆黒の刃が禍々しく光り、同時に冬馬の背後に真紅の神々しき姿が陽炎のように揺らめき立つ。黒と赤の共演は天地を引き裂く絶対の威力の顕現だ!
「暗黒よ、双嵐の刃を形作れ。その黒き力の前にすべてが沈黙する――『Zwillingssturm Noir!』」
「神々の 御渡る道に あやをはり 錦をしきて 御座としようじる…! 『|善鬼神降臨・花祭《フユノハナ》』!!」
二人の口訣が一つとなって、暗黒の刃が翻り世界を瞬斬すると同時に、降臨した朱く善なる最高位の鬼神が鉄槌を下す! 引きこもりと田舎を馬鹿にしたアンドロスフィンクスにお仕置きするために!
「きゃーっ!? うう、ごめんなさいバニエル、なぜかあなたまで巻き込んでしまった気がします……」
「いいのよスフィンクスちゃん、あなたと一緒なら……」
美しく花散るように輝きが舞う中、深く見つめ合いながらスフィンクスとバニエルは共に光となって消えていったのだった。
「……まあ簒奪者は何度でも生き返るんだけど、これでスフィンクスも、多少は気も落ちつくといいね、アドリアンさん」
「うん、それにさ。──「二人で一緒に死んだ」って、結構エモい体験になりそうじゃない? あの二人にとってはさ」
「おお、なるほど! さすがアドリアンさん、引きこもりだけあって、他人にはいいシチュエーションを設定するのは得意なんだ! すごいね引きこもりって!!」
「うぐ……あははは……うう、悪意のない言葉がつらい……」
がっくりと肩を落とし、アドリアンは言い知れぬ疲労に背を曲げる。
「はぁ……なんだか凄く疲れた。依頼は無事解決できたはずなのに、なんだろうこの虚無虚無感。……僕にも恋人出来る日は来るんだろうか……」
「えっ、画面の中以外で?」
「言い方ぁ!!」
「……深き問い?」
「そうです、私の深き問い! それは!」
「いや繰り返さんでいいです」
|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)は、質問を重ねようとするダンジョンボス、恐るべき脅威の簒奪者たるアンドロスフィンクスにひらひらと手を振って、容赦なくその言葉を遮った。
「だって、すげぇ……浅いもん」
「ナンオラ―!? 私の深淵にして根源的なる魂の叫びたるこの問いを馬鹿にするというのですか!? 恋人ですよ!? 恋人欲しいっていうこの熱く激しいパトスに満たされた問いが浅いというのですかー!!」
一言の元に切り捨てられて涙目になり詰め寄るスフィンクスに、時雨はわかってませんねぃという顔で応える。
「いやまあそりゃね。人生の伴侶、苦労も楽しみも分かち合い乗り越えていく魂の片割れ、孤独を埋め合い幸福を共にするただ一人の連れ合いをどう見出すかってのはある意味哲学ですが。……あんたのそれはただ世間一般が浮ついてるイベント時にイチャつける相手が欲しいってだけじゃないですかね。そりゃ浅いわっていう」
「うっ……か、語るじゃないですか。そういうあなた自身はさぞかし百戦錬磨の恋の達人なのでしょうねぇ!?」
「……言うてぼくも恋人なんざいたことありませんが」
「ダメじゃんですわ!?」
「えー、いないからこそ語れるんですよ、わかんないかな。──ほんとに恋人がいたら恋についてなんて語れるわけないでしょ」
なんか妙に含みのある、それこそ深そうな言葉を時雨は淡々と吐く! そのセリフが果たして相手を煙に巻いているだけなのか、それとも一抹の真実を含むものなのかは彼のみぞ知るというところだ。スフィンクスも思わず、えっそう言われたらそういうもんなのでしょうか……そうかも……と言う気にならざるを得ない!
「まあそれはそれとしてですね。ほら……『そう思いつつ意外と身近にいた~』ってオチあるじゃないですか。それでどうです? 良いでしょ? 笑えるしね。笑えねえよ。いや嗤いましょう。嗤わないとやってらんねえよこれ」
「……なんか変な実感がこもっていませんか?」
途中からどこに向かってるのかわらなくなってきた時雨のなんか翳りに満ちた言葉に若干引くアンドロスフィンクス。だって時雨の口元はにっこりしてるけど目笑ってないもん。
「こもってませんよ実感もありません。まったくありませんとも。で、スフィンクスさんもいるんじゃないですかね、そういう、『身近にいる誰かさん』が」
「えっ、私に? ……そんな相手などは……え、でも……いえそんなはずは。私のような陰キャと『彼女』のようなパリピの陽キャではあまりにも界隈が違いますし……」
「……オラァ隙ありですねぃ!!」
虚実一閃! 一瞬考え込み、『誰か』のことを脳裏に思い浮かべてしまったアンドロスフィンクスの僅かな隙を見逃すことなく、時雨の手にした卒塔婆が風を斬り裂いて唸りを上げた!
ナムアミダブツ! ブッダも涅槃寂静から飛び起きるほどのその勢いは、慌てて迎撃しようとしたスフィンクスの蜘蛛脚さえも粉砕して、スフィンクスの脳天に天罰覿面炸裂する!
「グワーッ!?」
「しゃああ煩悩退散! 退散しろ! 退散するんですよ! どっか行け煩悩!!!」
誰に対して叫んでいるのかわからないが血走ったような目つきの時雨はめったやたらに卒塔婆をぶん回し雨あられと轟爆重爆大爆殺だ! あたかも大太鼓の乱れ打ちかのような爆裂する打撃の嵐の前に、スフィンクスはすでに虫の息! 蜘蛛だけど!
「……ここがタイミングでしょう、ほら」
とっくに折れて棒きれと化した卒塔婆を両手に持ってなおも振り回しながら、時雨はそっと背後に目配せを送る。呆然と成り行きを見守っていた第2フロアの番人、バニエル・クロノジャッカーに。
一瞬ぽかんとしたバニエルは、すぐに時雨の意図を悟って、ぱあっと顔を輝かせる。そうか、時雨は自分のイベントのためにあえてシチュエーションを作ってくれたのだ、と!
「え? え、あ、ああそっか。ええと……こうよね?」
意気軒高に颯爽とバニエルは卒塔婆を振りかざす時雨の前に進み出て、大きく手を広げ、目を潤ませるようなフリをしつつスフィンクスを庇おうとする!
「『やめて! 殴るなら、スフィンクスちゃんの代わりに私を殴って!』……きゃーすごーい、私ヒロインみたい!」
「じゃあ遠慮なく」
「……あれぇー!?」
「オラァァ『禍祓大しばき』ぃぃぃぃ!!!」
おお、微塵も容赦なく寸毫も酌量なく、轟然と大地ごと叩き割るごとき威力で振るわれ続けた(元)卒塔婆に、スフィンクスとバニエルはまとめてボコられ倒したのだった。まあもともと二人ともEDENのインビジブルを奪いに来た簒奪者だからね、しょうがないね!
「思ってたんと違うわ―!?」
「身代わりイベントは実際に殴られてナンボでしょ。こうやって一緒にボコられることが尊いんですよ、絆が深まるんですよ。恋ってそういうもんじゃないですか。……まあぼくも恋人いたことなんてないんですけどねぃ」
「……全く残念だよ、すひんくすのお嬢ちゃん」
飄然と歩みを進める|六合・真理《りくごう・まり》(ゆるふわ系森ガール仙人・h02163)の姿を見たものはそのほとんどが彼女を可憐にして無垢な少女と思うだろう。その清楚な容姿の影に隠された超絶の体捌きに気づく心得あるものは多くはあるまい。
そう、真理の歩みには──上下にほとんどブレがないということに気づくものは。
あたかも滑るように、真理は歩を進める。地を蹴る反動で足を動かす常人とは異なり、真理は「膝を抜く」と称される歩法、重心移動のみで進んでいくのだ。彼女の纏うクラシカルなドレスは、その足さばきを相手の視線から隠すための武道着に類したものであるとは誰が知ろうか。
だがさすがに、アンドロスフィンクスは警戒の態勢を取る、もとよりスフィンクスに卓越した武術の心得があるというわけではないが、その本能が悟り、危険を知らせたのだ。ダンジョンボスとしての本能が、真理の脅威を知らしめたのだ。
「お前さんは多少マシな部類かと思うとったがねぇ。その我武者羅な欲望を悪いものとは思わんかったよ。だがねえ」
真理は冷ややかな視線を眼前の異形に浴びせる。
「……『誰でもいい』なんて言ってる内は、お前さんには何したって恋人なんて無理だよ」
「なんですって!? 利いた風なことを!!」
きっと睨みつけるアンドロスフィンクスに、真理は淡々と告げる。その声の色に途方もなく遥かな年月の重みを載せて。
「これでもわしは色んな人間の人生を見てきた、見送ってきた。……誰もが、とは言わんが、生涯を共にした伴侶ってのは男も女も変わりゃしない。──『あの人こそ』『あの人だけ』と言ってたもんさ」
瞼の裏にほんの微かによぎる朧な姿を、真理はことさらに追うでもなく、かといって払いのけることもせずに、自然に受け入れる。その幻は真理の人生を形作ってきたものであり、今の真理の礎でもあるのだから。
「お前さんの求めるのも、そういう相手じゃないのかい? その時だけで良いってんならそのあたりの石っころでも抱えて言ってりゃ良い。『これが私の恋人です』ってねぇ」
急所を穿つ指弾のごとき痛烈な真理の言葉に、スフィンクスは気圧されたじろぎながらも言葉を返す。
「石ころは抱きしめてもくれませんし愛をささやいてもくれませんわ。そんな簡単な違いもお分かりではないのかしら?」
「自分に都合のいいことをしゃべらせ、自分に都合よく抱かせるだけが望みなら大して変わらんさねえ。それはお人形遊びさ。今のお前さんは『人』を求めちゃいない。だが、恋ってのは『人』を相手にするもんさね」
そこまで口にして、真理はくすっと微笑む。
「……いやわしとしたことが、この年になって、こんなにも熱く恋を語るとはね。年甲斐もなく若やいだ気になってしもうたねえ、ふふふ」
ふう、と細く長く調息して、真理はゆるゆると水の流れるがごとく風のそよぐがごとくに拳を構える。
「だがそろそろ仕舞にしようかね。わしは結局、舌ではなく拳で語る方が得手の不器用ものだからねえ」
「孤独の辛さを知らぬ√能力者、私の恋の邪魔をするものは誰であろうと容赦はしません」
スフィンクスの言葉に真理は薄く笑む。悠久の時を、そう、もはや大地と天空しか知己のなくなったほどの歳月を流れ流れてきた自分が、よもや孤独を知らぬと言われるとは。
だが言葉は尽きた、今は二人の間に、ただ大気がひび割れるような鋭い戦意が凝結しているのみ。
スフィンクスの攻撃はその異形の身体能力に任せた単純な「暴」であり、鍛え上げ研ぎ澄ませた「武」ではない。単純であるがゆえにその破壊力は恐ろしいとはいえ、正面からの激突であれば、真理ほどの武人ならばいくらでも対処のしようはあるだろう。
──だが。
おお、スフィンクスもまた√能力者、ゆえに使うのだ、禁断の能力を!
「『答えなさい、我が問いに──』!!」
張り上げたスフィンクスの玲瓏の美声が虚空に満ちる。対象者の動きを完全に封じる、それは恐るべき効果を有する能力! 動きを止められてはさすがに真理といえどもなすすべなく切り刻まれるのみではないのか!
……しかし。
ふわり、と。
風に舞う。
それは、真理の纏っていたショールだ。
あまりにもたおやかに、はにかむように。優しく柔らかく、ショールは天に広がって。そこで……動きを止めた、天に張り付けられたがごとくに。
なぜならば、スフィンクスが『見た』からだ。ショールを。舞い上がって|真理の姿を覆い隠したショール《・・・・・・・・・・・・・・》を、真理の代わりに、見てしまったのだ。
その能力はスフィンクスの視界にある者のみが対象。ゆえに──真理には届かぬ!
「我が六合以て、六極微塵と散るが良い。──『|絶招・六合収斂塵芥崩拳《ゼッショウ・リクゴウシュウレンジンカイホウケン》』」
ショールの奥から静かにつぶやく声が聞こえた時。スフィンクスは自らの逃れられぬ破滅を悟ったのだった……。
──そして。
「……やはりあなたは……孤独を知らぬもの……そのあなたが私の辛い恋を否定するのはずるいというものです……」
「お前さんがさっき言った時は意味がわからなかったが、今はわかったよ」
深々と拳に打ち抜かれ大地に倒れ伏したスフィンクスに、真理は言葉を掛ける。
「わしには『武』があった。何時も永遠に共にいた。ゆえに……わしは確かに孤独ではなかったのかもしれんねぇ。だが、……お前さんにもいたはずだよ。いつも一緒にいてくれた、気心の知れた仲の、誰かさんがね。前だけ見ず、時には振り返ってみれば、それに気づけたはずなのさ」
「恋人が欲しい? ならいい方法があるよ」
赤峰・寿々華(人妖「鬼人」の煉鉄の|格闘者《エアガイツ》・h01276)が真面目な顔で言いだした言葉に、命御灸の最深部に陣取るダンジョンボス、恐るべき簒奪者たるアンドロスフィンクスはぱあっと顔を輝かせた。
「ええっ、なんですってそれは本当ですか!? ちょ、ちょっと待ってくださいませ、今メモを取りますから、あとICレコーダーで録音とあと動画も撮っておきましょう……さあどうぞ!」
「……気合入ってんなぁ……えっとね、それは」
「それは!?」
「それは」
「それはっ!!??」
「まずは水35L、炭素20kg、アンモニア4L、石灰……」
「なるほどメモメモ! 水を35…………いやそれ人体錬成ですわー!!!!!」
メモ帳とICレコーダーをがっしゃんと地面に叩きつけ、涙目になってスフィンクスは蜘蛛脚を振り上げる! 傲然と大気を斬り裂き、風を舞いて悲しみと怒りの重爆が唸りを上げた!
天が落ちてくるほどの勢いで振り下ろされる蜘蛛脚を、寿々華は慌てて卒塔婆を振り上げ打ち払う。豪快な卒塔婆の一閃と蜘蛛脚の一撃が宙空でぶつかり合い、迷宮の壁にひびを入れ天井を崩しかけるほどの凄まじい衝撃が走った。
「あはは、ごめんごめん、冗談! 半分冗談!」
「半分本気ですの!?」
「一応確かめてみたかったんだ、『恋人を作る方法』っていうスフィンクスちゃんの言い方は間違いじゃないのかな? ってさ。恋人はモノみたいに『作る』ものじゃないんじゃないかな。『出会う』もの、そして『伝える』ものじゃないかな……と思う……私のパパとママを見てると」
寿々華の言葉は急所を穿つかのように的を射ていた。スフィンクスも、うっ、と言葉に詰まり、猛攻の矛を一時収める。
「御両親……あなたは確か第1フロアでも第2フロアでもご両親のことを口にしていましたわね」
「うん。一応言っとくけど、ちゃんと尊敬もしてるんだよ親のことは。人としての在り方とか戦う者としての強さとかさ……アテられっぱなしってもほんとだけど」
こほん、と咳払いし、寿々華は改めて唇を開く。
「ママの場合は好きになってからめちゃめちゃ猛アタックしてパパを振り向かせたんだって。デート行ったり贈り物したり。贈り物も相手が使いやすそうな物を吟味したとか。ママ曰く一年がかりの長期戦だったらしいよ」
思わず身を乗り出し、スフィンクスは先ほど投げ捨てたメモ帳を拾い直しすと猛烈な勢いで書きこみを始めた!
「きゃーん! なんと情熱的で激しく熱く憧れるお話でしょう! ああっ私もそんな激しい恋をしてみたい! そんな身も心も捧げつくし相手の方のことで頭がいっぱいになるようなドラマティックかつエキセントリックでダイナミックな恋を!!」
「ダイナミックは違わないかな……いやまあ、憧れは憧れだけど……」
スフィンクスの爆発的なテンアゲと食いつきの良さに寿々華の方が若干ドン引く! しかし、ふとスフィンクスはメモを取る手を止めて首を捻った。
「……でも、ですわ、それは『素敵な人に出会ってからの話』としては参考になりますが、素敵な人にまだ出会えない場合はどうすればいいのです?」
「出会いかー、うん、それについてはママの友達の話があってね。戦場を共に駆ける仲間との友情が恋に育った、つってたね」
むむー、と少し寂しげな表情を浮かべ考え込むスフィンクス。
「仲間ですか……しかし陰キャの私にはそんな人もあまりいませんし……」
ちょんちょん、ちょんちょん。
そんな時、寿々華の服の裾をちょちょいと引っ張るものがある。
「……えっとぉ、それって、もしかしてなんだけど……」
振り向く寿々華の目に映るのは、この名にいたもう一人。──すなわち、第2フロアの番人、バニエル・クロノジャッカーだ。
「戦場を一緒に駆ける仲間って、つまりその……」
気恥ずかしそうに上目遣いで尋ねるバニエルに、寿々華はにこっと唇に笑みを浮かべると、再びスフィンクスに対し話を始める。
「また別の人は良く一緒に話したりしてるうちにだんだんと、というパターンなんだってさ。……いつも! お話しているうちに! 一緒にー!」
最後の方はなぜか妙に大きな声で一言一言区切るように告げる寿々華。あたかも、スフィンクス以外の誰かさんに伝えているかのようだ! 彼女の背後でその一言一言にびくりと体を震わせている誰かさんに!
「一緒にお話ですか……」
だが寿々華の不審な言動に気づかず、スフィンクスはまたもがっかりとしたように肩を落とす。
「私にはやっぱりそんな相手はあまりいませんわ……やはりどう考えても私は詰んでいる状態……人生終わった……もうこんな世界は滅んでしまえ……」
「わー待って待って! つまり! 何が言いたいかというと……」
どんよりと陰鬱にドツボに嵌りかけたスフィンクスを慌てて押しとどめた寿々華は、最後とばかりに大きく声を張り上げた。
「ずっと一緒の時間を過ごすのと、気持ちはちゃんと伝えるのが大事! ってことなんだよ!! わかった? ……つーわけで頑張れバニエルちゃん!!」
「わーっやっぱりそういう流れになるの!?」
「ええっバニエルがなぜここに!?」
テンパった二重唱が迷宮の中に響き渡る!
寿々華にぐいと腕を掴まれて引きずり出され、ドンと背中を押されたバニエルはふらふらとよろけてスフィンクスの元へと歩み寄ったバニエルは、ふるふると震える拳をキュッと握りしめ、潤んだ瞳で相手を見つめる。
「スフィンクスちゃん! わ、私ね!」
「ば、バニエル!? どうしたのです……その決意に満ちた情熱的なまなざしは……」
「わたし!」
「は、はい!?」
「わたしっ!!!」
「はいっ……!!!」
「…………やっぱり恥ずかしくて言えないいいいっ!!」
「こぉのポンコツどもがぁ――――!!!!!」
またしても顔を伏せ逃げようとしたバニエルとスフィンクスの頭をひっつかみ、怒髪天を突いた寿々華の凄まじいツッコミが激烈なるヘッドバットとなって火を噴いた!
これぞおそるべき彼女の√能力『|シンプルなただの頭突き《スズチャンインパクト》』に他ならない!
「いったぁーーーー! 何よぉ、スフィンクスちゃんに好きだって言えなかったくらいで……はっ!」
でっけえコブを抑え涙目になりつつ文句を言いかけたバニエルははっと口を抑える!
だが既に遅い、眼前のスフィンクスははっきりとバニエルの言葉を……告白を聞いていたのだ! 何ともしまらない告白だが、しかし明確な意志として!
「えっ……え? 好き……私をですか? バニエルが!?」
はあ、とうんざりしたため息をつきつつ、寿々華は苦笑いを浮かべてバニエルの肩をドンと突き、スフィンクスの胸元へと押しやった。
「ここまで気持ち垂れ流されていて、今まで気づかなかったスフィンクスちゃんも相当なもんだと思うよ……まあつまり、そゆことなんだってさ」
「まさか……だって、バニエルのような可愛くてキュートで魅力的な子が、まさか私なんかを」
「ス、スフィンクスちゃんだってめちゃくちゃ美人で可愛いし! ちょっとポンコツなのも守ってあげたいし!」
「バニエル……」「スフィンクスちゃん……」
熱く潤んで見つめ合う瞳と瞳。二つのシルエットはやがて一つに重なって……。
「ええいそこまでそこまで! こっちは独り身だってのに目の毒だよ! っていうかなんだよ両片想いだったんじゃん!」
と、寿々華は二人を無理やり引き離す。なんだか悲しい目で。大丈夫、君にもきっといつかいい人が現れるさ!
「私は今んとこそういうのに興味ないし! ほんとだし! ……ごほん、それはさておき、これでスフィンクスちゃんはこっちの世界にはもういる意味なくなったわけだよね」
「そうですね。青い鳥は身近にいてくれた……そういうことだったのですね」
スフィンクスはキュッとバニエルの手を握り締め、二人で頷く。
「……借りができましたね、√能力者。世話を焼いていただいたついでと言っては何ですが、私がこのままここにいると自動的に世界を侵食してしまいますので……」
「わかった、バニエルちゃんもいいよね?」
「私はスフィンクスちゃんといっしょならそれでいいの」
目を合わせ頷きあったスフィンクスとバニエル目掛け、寿々華は大きく卒塔婆を振りかぶる。
「はいじゃあいつまでもお幸せに……逝ってらっしゃーい!!!」
全身全霊を込めてシバキ倒した卒塔婆の一撃に、スフィンクスとバニエルは幸せそうに抱きしめ合いながら消えていったのだった。
いずれ彼女たちは再生するだろうが、今の記憶は残るはずだ。お互いの想いを伝え。確かめあった記憶が間違いなく。
世界を巻き込みかけた大騒ぎの落着に若干苦笑を浮かべつつ、寿々華は凝った肩をごきごきと廻し、消えていくダンジョンの中から顔を覗かせた月を見る。
「……やれやれ、でも、世界に愛が増えるのは、ま、いいことだよね。……私も、久しぶりにパパとママのとこ、帰ってみようかな」