シナリオ

仇花

#√仙術サイバー

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 #√仙術サイバー

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●Accident
 そろそろ桃の花が咲く頃だ。
 吹き過ぎる風が生温くなったことに気が付いて、真っ先に想ったのは愛らしい花だった。桃の果実も、もうずいぶんと口にしていない。ここにあるのは陽の目から逃れるように栽培された、限りなく近い「ナニか」くらい。
 |鬼城《ゴーストタウン》。
 大気中のインビジブルが尽きる度に新たな都市を積み上げるこの|積層都市《せきそうとし》で、力に敵わず振り落とされた弱者と貧困にあえぐ者だけが住まう最下層をそう呼ぶ。
 富裕層のみが存在を許される七層ほどではないが、同じ下層の|無法地帯《スラム》や鬼城も差に違いはあれど活気と活力だけはあった。無気力に生きている者も在るが、野望を腹の底に抱える者が泥を啜りながらも上を目指し、見返すこともまた珍しくない。
 強き者が全てを得る。力さえあればいい。それがどのように危険な思想、手段であっても許される。ここは、そういう場所だ。
「|師夫《シーフー》、おなかすいた」
 裾を引いた子はまだ五つにも満たない幼子で、鬼城がこの世の全て。生まれながらにして武強主義を強いられた憐れな子ども。
(――強い|憐愍《れんびん》は、侮辱にも成りえるだろうか)
 日毎増す想いに比例して子どもはどんどん成長し、自我が確立されていく中でこの世の在り方と不条理を知ってゆく。
「やぁ、もうお昼だ。露店で何か買って帰ろうか」
「わぁい」
 あたたかい血が巡る、ふくふくとした小さな手を繋いで歩き出す。
 ――貴方の手、やさしくてすきよ。
 この指先を、手のひらを、右手を、肩から削ぎ落して仙術義体を繋げばもっと上層に行けたのかもしれない。
(君が好きだと言ってくれたこの手を失うことが、怖い。そうと聞いたなら君は泣くのだろうか、怒るのだろうか)
 もう逢えぬ人を想い、幾星霜と空に尋ねて思案しても答えは見つからないまま。
 ならばせめて見捨てられた幼い子どもたちの側に在り、見守るくらいの役は担いたい。たとえ敗北者の末路だと指を差されたとしても、未来ある者たちの道行きだけは照らしてあげたかった。

●Caution
「新たな世界への道が繋がりましたね。√仙術サイバーというそうですよ」
 眠たそうにもちゃもちゃ口を動かしているこぱんだ妖怪を胸に抱きかかえた物部・真宵(憂宵・h02423)が眦をやわらげて微笑んだ。
「早速なのですが、皆さんには√仙術サイバーの|鬼城《ゴーストタウン》に向かってほしいのです」
 √仙術サイバーは、謎の自然現象である|雷素崩壊《らいそほうかい》により不安定になった電気エネルギーの代わりに仙術を使用したことから仙術機械文明が始まったのだそうだ。
「仙術は√能力の一種です。そのため使用者が強いほど効果が増大する。文明の発展にはより強い者が多く在らねばならない」
 武強主義はそのようにして生まれた。
「わたしには中々厳しい世界のようにも思えます……ですが、この世界のひとたちは純粋に強くなりたいがために仙術義体で肉体を改造する方も多いとか」
 しかし、必ずしも皆がそうであるとは限らない。
 鬼城のとある一角に二親のいない幼子たちを匿い、育て、生活している小規模な居住区がある。今回真宵が予知したのは子どもたちの多いその区画をキョンシーが襲っている場面であった。
「目的地がここであるのか、あるいは通り道であったのか。理由までは判明できませんでした」
 申し訳なさそうに低頭した真宵は、痛みを耐えるようにわずかに眉根を寄せ、こぱんだをぎゅうっと抱きしめる。
「ただ、死体に意思があるとも思えませんから人為的な可能性があります」
 皆には鬼城で襲われそうになっている子どもたちを救出したのち、裏で糸を引く黒幕を倒してほしいのだ。
「どのような生き方を強いられる世界であれ、幼い子どもたちを見捨てることはできません。もちろん、その子どもたちの傍にいてくれる人々も、です」
 ようやく肩の力を抜いた真宵は、口元に淡い笑みを乗せる。
「新√がどのような場所であったのか。ぜひお話を聞かせてくださいね。お帰りを、お待ちしております」
 必ず無事に帰ってくると、そう信じている真宵の言葉に背中を押され、新たな世界へ渡る一歩を今踏み出した。

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第1章 集団戦 『キョンシー』


 それはまるで下手な積み木のようだった。
 一見すれば高層のようにも見えるだろうが、無理やり上に上にと階を増やしていったせいで面積は合っておらず|撓《たわ》んでいるようにも、沈んでいるようにも見える不安定さが蔓延っている。
 かつて人々が電気を使用して生活をしていたその名残り、打ち捨てられた人々が暴走サイボーグや反政府テロリスト、そして妖魔どもから身を隠すように息を殺して生きる箱庭、|鬼城《ゴーストタウン》。
 露店で買い集めた食材と少しのジャンクフードを抱えて、子どもたちが待つ居住区に戻るその道すがら。
「|師夫《シーフー》、あれなぁに?」
「んー? なんだい?」
 ちいさな人差しゆびが指し示すのは、これから帰ろうとしている居住区の方であった。せめて陽の光くらいはいつでも浴びることができるようにと、棟と棟に挟まれたせまい空間を庭として利用している。その辺り。
 それは、地面を引きずるほどの長い髪を蓄えていた。風に煽られてひらひらと靡く黄色い札には、まるで血文字のように何がしかが書き綴られている。
 |それ《・・》が振り返った。
 一糸纏わぬ豊満な肉体より先に目に着いたのは、両手に握られた武骨なライフル銃、そして額に貼られた「勅令」の文字。
(キョンシーか!)
 荷物をその場に投げ捨て子どもを抱きかかえる。今しがた抜けてきたばかりの通路に身を隠そうとするも、奥の暗がりからひとり、ふたり。新たなキョンシーが姿を現した。
 あちらこちらから、散り散りになって庭で遊んでいた子どもたちの泣き声が上がり、高いだけの建物に反響して緊迫感を加速させる。その子どもらを必死に呼び集めたり、キョンシーの意識を子どもたちから自分に向けさせようとする仲間たちの声も聞こえるが、ここは鬼城。最下層に住まう者たちがキョンシーの群れに勝てるはずもない。
(一体どうすれば……)
 キョンシーたちが、ゆらり動き出す。
 それらは明確に自分たちを狙っていた。
瀬条・兎比良
鳴瀬・桜

 ――泣き声が聞こえる。
 反響する幼き声がひどく胸に沁みて瀬条・兎比良(善き歩行者・h01749)は唇を噛んだ。たとえ武強主義が根付いた世界であろうと、一般市民の被害を見過ごすことなど出来るはずがない。
 あらかじめ地元軍警には話を通しておいた。それは社会的信用を得て警察身分を少しでも優位に利用するためだったが、犬でも追い払うように片手ひとつでいなされたのには、さすがに厭きれを感じる。
「まるで自分の仕事が減るとでも言いたげでしたね」
 治安維持という大義名分を振りかざして、掃除をさせているつもりなのかもしれない。
「武強主義がこの場において法であり秩序ならば、それに従うまでです。異論はありませんね」
「ま、良いんじゃね? 今回は邪魔してこねーみたいだしサ」
 それはあわい花の色を纏っていた。
 桃の花によく似た、けれどもっとあわくて、儚い色。埃でくすんだ空を束の間うつくしく染めあげる桜吹雪を引き連れた鳴瀬・桜(豪音繚乱・h08324)は、兎比良の肩に片手を置いて笑みを向けたのち、物陰から飛び出し庭へと一気に駆ける。
 瓦礫を、崩れたベンチを、明かりの灯らぬ街灯を、踏んで蹴って軽い身のこなしで、子を抱きしめ自らの肉を盾にしようとしている|師父《シーフー》と思しき男性の眼前に身を捻じ込んで。そうして不意を突かれた死体共ににやり笑いかける。
「自分だけでも生き延びるのが大変なこの|世界《ルート》で良く大事なモンを守ったな、後は俺達に任せな」
 吹雪いた花びらは視線をひとからげにして桜に搔き集めた。
「ガキ共の未来に悪戯する|キョンシー《悪いコ》たちにゃお仕置きが必要だよなァ」
 桜は派手な喧嘩が好きな性分だ。ゆえにこの展開は楽しい限り。死体共の狙いはどうあれ、ここで暴れ肉を砕いたとて武強主義がこの世の理ならば文句が言えるはずもない。
 自身に注目を集めた桜が背に庇うふたりに避難を促しながら、兎比良は「赤き王の夢」を展開。兎比良の足元からひび割れたコンクリートが正方形に切り取られ、くるりとひっくり返りチェス盤に変じてゆく。己のフィールドを得た兎比良は、ホルダーから引き抜いた略式允許拳銃の銃口を至近のキョンシーに突き付け、すぐさま発砲。
 乾いた音が数発。残響が消えるより早く、必中の弾丸を喰らったキョンシーの胸部へ桜は拳を振り抜いた。死体の口から放たれるのは鼓膜を刺すほどの鋭い断末魔の叫び。
 眼前で喰らった桜は、天地が逆転しても狼狽えず、なんなら空中散歩でもするかのように歩いて見せたりして。
「丈夫で硬い指輪を嵌めてるンはファッションのためだけじゃないんだぜ?」
 今しがた殴りつけたほうの拳の五指をゆっくり開き、陽の光をちかちか照り返すシルバーを見せびらかすように翳して笑う。
「せーちゃん、俺の背中より後ろはゼンブ頼んだワ!」
「……なんですかその奇妙な呼び名は」
 しかし桜は返事も聞かずに、強く空中を蹴り上げ二撃目を叩き込んだ。豊満な身体に風穴が空くほどの威力に、一体が沈む。
「ともかく、後方支援はお任せください。桜さんは全力で掃討をお願いします」
「あいよー。りょーかい」
「聞こえてるじゃないですか」
 のらりくらり、けれど喧嘩さながらの拳を振るう様を見て吐息を零した兎比良はメガネを押し上げると、レンズ越し義眼の視力でステップを踏む一体に目をつけた。
 一定の距離を刻むキョンシーは、ただ無意味に飛び跳ねているだけかと思いきや。桜の死角に回り込むなり慣れた手つきでライフル銃を構えてみせた。その一瞬の動きを見切り、兎比良はすかさず放った弾丸で銃口を弾き、その軌道をずらすと攻撃を阻止。
 頼もしい|銃撃《サポート》が付いているから、桜は安心して全力の拳を振るうことができるというもの。
「さーて、次はどいつだ?」
 桜の花びらがひとひら、伏した死体の上に降り積もる。ふたたび眠る命への餞のように。

鴉丸・雷雨
七々手・七々口

 営みの一切を感じさせない瓦礫の山はずいぶんと埃っぽい。気配は絶えているように見えるのに、しかし窺うような視線が日の当たらぬ影の奥から、濃い|間隙《かんげき》から寄越されるのを、七々手・七々口(堕落魔猫と七本の魔手・h00560)は感じている。
「ほーん、ここがそうか。けっこう面白そうな場所やねぇ」
 すん、と鼻を慣らしたその足取りは物見遊山かと思うほどに軽やかだ。あとで探検しに行くのも楽しかろうと、ちょいと視線があちこち飛んでいる。
「その前に、強欲。よろー」
 七々口が魔手の一本を呼ぶと、それは呼応するかの如くあるいは己を誇示するように揺らめいた。
 強欲な魔手は自身の能力を用いてどこぞから五十羽近い鴉の群れを喚ぶと、すぐさま二手に分かれさせる。一方は地上に蠢く死体共に、もう一方はそれらに襲われそうになっている子どもの元へ。
 まず攻撃班である鴉たちは、最も子どもに迫っていた先頭のキョンシーに向かって権能を使用。何重にも重ねられた札の下にあるであろう口を黄金に変換しようと狙いを定める。うまく攻撃が命中したのか七々口の目には明らかになっていないが、口のあたりを掻くような仕草をしたのを見ればおおよそ検討はつく。
 その隙に、救出班は死体共の前で羽を広げ、子どもの姿を一瞬だけ隠すように視界を遮った。そのまま、まるで攫うかのように身体を持ち上げると、割れた窓から建物に侵入して屋内に逃がしてやる。
 七々口はその姿を確認してから、さきほど鴉たちの攻撃を喰らった個体に向かい、魔手たちを振り下ろす。固く握りしめた魔手の拳が頭上にめり込み、足がコンクリートに埋まって膝から崩れ落ちる。元は死体だ、そう大した強度ではないのか。
「ふぅん?」
 拍子抜けだと言わんばかりに小首を傾げた、そのとき。
 鼓膜を劈くような悲鳴が天まで登る。脳髄を引きずり出されるような痛みを覚え、咄嗟に耳を抑えた七々口は、しかしぐるんと反転した世界に鴉の攻撃が的確ではなかったことを知る。寸前で魔手を足場にしたので例え天地が逆になろうと、空に落っこちることはない。
 魔手には遠慮なくぶん投げてもらい、七々口はあっちへこっちへ、どんなに地面の位置が変わろうと軽い身のこなしでとんとん移動。
「まったく、子供は宝って言うのにねぇ。ね、強欲?」
 敵なら別だけど。
「――うん?」
 魔手のベンチに腰掛けて、さぁてどうしようかと思案したとき、キン、と風を切る音を聞いた。耳を欹て気配がする方を仰げば、その時にはもう地上へ降りている。
「間に合ったみてーだな」
 真白の長い髪、胸に十字架を戴く修道女のような出で立ちは、しかし四肢に至るまでが武骨な、それは全身を義体化したサイボーグであった。
 子を抱いた|師父《シーフー》を背に庇うように着地した鴉丸・雷雨(髑髏鴉・h07883)は、その無事を知ると、空中に居る七々口へ赤い視線を持ち上げる。
「鴉丸・雷雨、鏢局『新星』の黑星鏢師だ。援護する」
 返事は聞かないまま、雷雨は電磁物理刀を抜き、その切っ先をキョンシーへと真っ直ぐ突き付けた。命を刈り取る得物がぎらりと光る。
 腰をすこし落として構えを取った雷雨は、師父が抱き上げている、頬を涙で濡らした子どもに視線を巡らせると、
「お前もお前を守ってる人も大丈夫だ。すぐ済むから、怖かったら目ェつむってな」
 言葉がよく伝わるようにゆっくりと呼びかけ、ほんのすこし眦をやわらげてみせた。こくん、と頷いたのを見た雷雨は「いいこだ」言ってから、前へと向き直りその目付きを鋭く研ぎ澄ます。
「――どっからでも来な。墓の下に叩き返してやるぜ」
 ほんの少しでも見誤ればうまくかみ合わないだろう。間合いを正し、調整し、キョンシーステップで迫りくる死体に向かい刀を振り上げた。
 まずすでに負傷していた個体の右腕へと電磁物理刀をあらん限り振り下ろす。右腕を切断、そのまま零距離射撃でもう片方の肩を撃ち抜く。反動でよろけた上体に再び電磁物理刀を下から上へと切り上げる。腕が飛ぶ。
 鈍く重たい音と、乾いた音が連続する。キョンシーはくるくる、ひらり。ひび割れたコンクリートの上をまるで踊るようによろけて得物が持てぬ死体は成す術もない。
「もう一度寝ちまいな」
 二度と目覚めるなよ。
 額を一発の弾丸が貫いた。

クレス・ギルバート

(子を狙う様な輩に好き勝手させるかよ)
 救いの手を誰も差し伸べぬのであれば、勝手にしてやる。クレス・ギルバート(晧霄・h01091)は、こそりと窺い見る気配に鋭い一瞥をくれながらも、転んで逃げ遅れてしまった女の子の元へと身を捻じ込んだ。
(何より、温もりを失いたくない。――師夫の想いを護る為にもな)
 真白のローブを広げ、その背に女の子を秘すと、死体が構えているライフル銃が目標を見失ってわずかに惑う。
「怖かっただろ、もう大丈夫だ。あいつらは俺がやっつけてやる」
 金彩のうつくしい白と青を基調とした出で立ち、やわらかな言葉の節々から伝わるあたたかく力強い思いに女の子がぱちりと瞬き。
「ありがとう……っ」
「ああ。ひとりで走れるか?」
「うんっ」
 駆け出すのを見届けてからクレスは鯉口を切ると、己を中心とした広範囲のインビジブルたちを搔き集めて皓き氷花を創造。冱てる氷雪を刀に纏わせたのち、退避する少女に向かって動き出したキョンシーの頸を狙い、強く踏み込みながら一撃を揮う。
 大気ごと冱てつかせるかの如し氷雪が死体の頸を薙いだ。すぱりと切れた黒髪が、まるで血だまりのようにその足元に広がって己の行く手を遮る。クレスはそのまま氷刃を翻すと目にも止まらぬ素早さで幾筋も斬撃を奔らせてゆく。
 明確に命を削ぐ物は隙がなく、またクレスの視線からも逃れられない。射線を遮られ剣戟に圧倒されている間に、もう幼き少女はとうに失せている。獲物をむざむざ逃したキョンシーはライフル銃の引き金から指を離すと、まるで己の拳にするように、クレスの頭上へとそれを振り下ろした。
 武骨な得物は頭蓋を叩き割る勢いだ。しかしクレスはあえて避けず、構えた刀で受け止め、それをいなした。渾身の力が横へと流れてゆき、予想外のことで死体の上体までもが揺らめく。その空いた腹に叩き込まれるのは返す刀の熾烈な一閃。呻くことすら許されず、風穴を開けられた死体は沈黙する。
「武強主義ってのも悪かねぇけど、強さってのは腕っぷしだけじゃねぇだろ」
 死体を通り越したその言は、姿を見せず|間隙《かんげき》から盗み見る者たちへ向けられていた。

システィア・エレノイア
クラウス・イーザリー

 きっと、ここだけは無垢な笑顔が絶えなかったのだろう。
 子どもたちのために作られたと見える遊具を視界の端におさめながら、システィア・エレノイア(幻月・h10223)は竜漿の魔力を大剣へ錬成していた。
(子供達の朗らかな笑顔は奪わせない)
 逃げてきた女の子の存在に、別方向から庭を攻めていた死体のひとりが気が付いたようだった。銃口が持ち上がるより早く、自身の巨躯で壁を作り子どもを遮る。
 いくら武強主義の世とはいえ、さらには弱いからと見放されるのが常とはいっても、この場で起こる光景を幼い記憶に焼き付けたくはない。
「伏せて目を閉じて」
 ベンチの下に隠れるようにやさしく囁いたシスティアの視線は、死体にのみ向けられている。振り返りもせずに告げられた一言に大人しく頷いた女の子は「ありがとう」「きをつけてね」幼いながらもシスティアを慮る言葉を残して隠れてみせた。
 先に飛び出していったシスティアに追い付いたクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は敵と少女の位置、距離、間合いを一瞬で把握すると、まずシスティアを支援するべく紅蓮の魔弾を撃ち込んだ。
「させないよ」
 乾いた音が攻撃態勢に入る死体の気を引くだけでなく、地中から暴かれた身を焦がす火炎となって喰らい尽くす。
(未来ある子供の命が喪われるなんてこと、あってはならない。俺達で止めるんだ)
 クラウスの炎はシスティアの魔力を活性化させ、振り上げられたライフル銃を腕ごと容易く斬り落とすに至った。獲物を握り締めたまま飛んでいく腕を追うように頤が持ち上がる。その隙にシスティアは死体の腹を蹴飛ばして後方の死体共にぶつけた。
「もう大丈夫だよ。そのまま目を閉じていて」
 ベンチの下で丸くなる女の子の背に触れ「決して開けてはいけないよ」と言い添えるクラウスに、彼女は素直に二度、三度頷く。
 何かあってからでは遅い。なるべくこの場から離れないように、それでもクラウスは共に戦うシスティアを支援するために、引き抜いた拳銃で牽制射撃を数発。死体共の足止めを狙う。
 両手両足を揃えて飛び跳ねるさまは、まさしくキョンシーだ。いつ銃口から弾丸が撃ち出されてもおかしくはない緊迫感に、意識を尖らせる。
 援護を受けるシスティアは、的確に一体ずつ仕留めることを意識していた。もしまだ息があるようならばそれは追わずに、クラウスの高速詠唱が紡ぎ出す魔法でとどめを刺してもらうことで戦闘を分散すれば視野を広く保てた。安心して任せられるのは、心から信頼できるAnkerだから。
「ティア、右!」
「わかった」
 鋭く飛んできた言葉を飲み込むより体が勝手に動いている。
 死角に回り込んできたキョンシーを、その方を見ずにまず大剣を振り抜き薙いだ。真っ直ぐ水平に寄越された一閃は死体を腹から裂いてふたつに分かつ。
 崩れ落ちた生々しい音を踏みつける、波のように押し寄せる死体共を厚く練り上げた魔力防御で防いで弾く。
「絶対に、この子には触れさせない」
 至近で見据えるクラウスは、銃口を眉間に突き付けられても決して退かない。目を逸らさない。
 なぜなら。
「指一本、触れさせない」
 子どもにも、クラウスにも。
 システィアの大剣が、キョンシーの背後から躯体を叩き斬った。

白露・花宵
天使・夜宵

 すでに硝煙は上がっている。
 天使・夜宵(残煙・h06264)は咥えていた煙草を離すと、曇った空に向けて紫煙を吐いた。ずいぶんときな臭い。どうせ碌なものではないのだろうと、勘が訴える。
「……さて、と。アレを片付けりゃ良いんだろ」
 首を曲げるのは、まるで肩慣らしだと言わんばかり。
「花宵、ガキの方は任せたぞ」
 気怠い一瞥を落とした夜宵は、声をかけたくせに白露・花宵(白煙の帳・h06257)の返事も待たずに飛び出していった。
「はいはい。まったく……なんであんたはそう口が悪いのかねぇ」
 突然どこからか姿を現した見慣れぬ二人組に、身を寄せ合うふたりの子どもたちはぱちぱち瞬きを繰り返す。だぁれ? わかんない。ひそひそ声が囁き合う。
「ほら、ちびちゃんたち。こっちにおいで」
 ほの白い頬をやさしく緩める、どこか浮世離れしたうつくしい女性。ぽかんと口を開けたままの子の、その純真さに思わず笑みが零れてしまう。やさしく育てられているのだと、分かったから。
「なぁんにも怖がることなんかないさ。あたしと、あの顔の怖いおじちゃんが守ってやるから」
 やさしさを込めながら、花宵は|蜜煙《煙管》に寄せた唇から、ふぅっと白煙を宙へ惑わせた。燻る白寂は、やがてふたりをあわく包む守りとなり、花宵はそんな子らを両腕に抱きしめる。
(うん。防御力は高まってるけど、重ねてエネルギーバリアもかけておこうかね)
 幼い熱のなんと愛しきことか。この熱が奪われるなど、あってはならない。
 白寂の香りに気付いた夜宵は|――《無名》に手を添え、真っ直ぐキョンシー共を見やった。図体のでかい男がひとり、眼前に現れれば多少は狼狽えるらしい。強く踏み出した一歩に、その太刀の切っ先が誰に向くのか沈黙がよぎる。
 間合いを見定めつつ|左眼《義眼》に意識を集中させる矢庭に夜宵の眼が激しく燃え上がる。揺らめく炎越し、まるでスローモーションに再生されているかの如し動きに口端にほんの微かな笑みを刷くも。
(ガキを狙う理由は何だ? ただ弱いだけって理由なら、胸糞悪い)
 まだ戦う術を得ていない様子の子どもたち。時代の残骸にごみのように打ち捨てられた命を、どのように扱おうというのか。想像もしたくない。
 動き出した一体が、黒い髪を靡かせ飛び掛かってくる。その銃口から弾丸を放てばまだ勝機はあったかもしれないと思えるほど力任せの乱暴な近接攻撃は、しかし義肢が軋むほど、なるほど威力が強い。振り抜いたままの、防御すら取れぬ肩口に刃を叩き込み、得物を落とす。すぱりと切れた肉から見えるものから視線を逸らし、今度は脇から飛び込んできたもう一体へ返す刀で斬り伏せる。
 断末魔の叫びが鼓膜から滑り込み、重力を操った。とっさに街灯に着地した夜宵は、己の体重で折れたそれを蹴とばし、更に次の街灯を足場にして死体に迫る。
「どこに行っても、やる事が変わらねぇのは楽だな。力で勝てばいいんなら、尚のこと分かりやすくていい」
 襲い掛かってくるなら、それをぶちのめせばいいのは話が早い。武強主義、つまり言ってしまえば負けたほうが悪いのだから。地に伏したキョンシーがどれだけ足掻こうと弱いお前が悪いのだと、それで終わる。
 ――なんだか活き活きしてやしないかい?
 相棒の背中がどうにも楽し気に見えて微苦笑を漏らした花宵は、すり抜けた来た個体に気付くと葉を入れ替えた蜜煙から毒を吹きかけ、麻痺で動きが鈍った隙に珠弾きの角で殴りつけた。
「わぁ、おねえちゃんつよいねぇ」
「いたそう……」
 ぱちぱちと上がる拍手に眦を和らげた花宵は、その頭を撫でてやる。
「……ほら、大丈夫だっだろう?」
「うん!」
 背中から聞こえてくる朗らかな声。首だけで振り返りその安全を改めて視認した夜宵は、しかし花宵から飛んできたきつい視線に内心たじろぐ。
「楽ならもうちっと気遣いってもんを学びな。子供らが怖がるじゃないか」
 もっともな意見に、たまらず眉間に皺を寄せるも、なんとかちいさく溜息をつくことで夜宵は耐える。
「……ぐっ、うるせぇよ。今更、直せるもんでもねぇんだから諦めろ」
「いつまでもその言い訳が通用すると思うんじゃないよ」
「わーってるよ」
「かかあ天下?」
「違う!」
 やっぱり、どうにもやりづらい。さっさとこの場から退避させよう。夜宵は子を抱きしめる花宵ごと抱えて戦線を離れた。これは子どもを逃がすためだと、言い訳しながら。

時月・零
篭宮・咲或

「弱者は淘汰される世界、か」
 蠢く死体共からぐんぐんと距離を離して退避する能力者たち。その腕に抱かれた幼き命を視認した時月・零(影牙・h05243)は偏光レンズの下に秘した金眼をわずかに細めた。
「其れもまた自然の摂理ではあるが、罪なき人を守るのは俺達の仕事でもある。――用意は良いか」
 腰に提げた|朔斬《日本刀》に手を添えながら視線を巡らせて窺う傍らの篭宮・咲或(Digitalis・h09298)は、わずかに笑んでいる。
「ん。準備おっけー、鬼退治行くとしますか」
 返答にひとつ頷き、影は地を駆った。
 中天に差し掛かる陽を遮るのは、ぽぉんと跳ね上がる真白のふわふわ。きゃぅんと愛らしい鳴き声を上げて綿胞子のように舞ったかと思うと、それは大胆にキョンシーの群れに一直線。その姿を見送りながら己の影に棲まう深潭の狼を呼び出し、とろけあい混じり、ひとつに成る零が死体の意識が逸れるその瞬間を狙っている。
 わたあめをけしかけると同時に咲或は誰に宛てるでもなく、季節外れの花のように心のままに言の葉を語りはじめていた。滔々と紡がれる言葉のひとつひとつが、身の裡から絢爛な花で抱くような錯覚を寄こすほどの花園に世界を塗り替えていく。
『強者が全て』
(力が指標になるの単純で明確で分かりやすくて好きよ。でも残念なことにカミガリ的には放置もできないの)
 死角から現れたふたりと一匹に虚を突かれたキョンシー共へ、咲或を手を叩く。
「鬼さんこ~ちら」
 ひらり、鮮烈なまでに赤い羽織をはためかせ、咲或は廃墟のベランダから地上へ降りた。
 視線が一斉に上向く。
 その瞬間。
 ぐん、と強い力が一方向へとかけられた。キョンシーが引き寄せられていると自覚したときには、すでに黒冥の術中。空間ごと刈り取られた死体の腹に真っ直ぐ刃が奔る。たっぷりとした厚い髪すらをも容易く薙いだその一閃、真っ二つに割れた肉が、白いチョークで落書きされた地面に崩れ落ちる。
「――今の内に逃げて隠れろ」
 目にも止まらぬ速さの居合で斬り伏せられた死体に驚く間もなく、その奥の手製ブランコにしがみついていた子どもに影から声がかかる。
「こっちだ! おいで!」
 建物から呼ばう大人たちの声に、膝をがくがくと震わせて漸う立ち上がった男の子は、ロボットめいた動きでくるりと方向転換、それから一歩踏み出して。
「おおかみさん、ありがとう」
「ん」
 ぺこりと頭を下げて、走っていった。
「狼さん、だって」
 幽かに届いた幼い言葉に口端をゆるめた咲或。
 それまで静かにくゆらせていた|煙草《金花ノ章》の煙で、後を追う者の足止めを狙う。後ろを振り返って、やさしい狼さんの頭部が弾け飛んでいることなぞ知らないままでいられるように。
 それは、たしかに死角であった。
 零自身も子どもらの気配を辿り、警戒を怠らなかった。もし爪先が少しでも子どもらに向くのであれば、影を伸ばし下肢を捉えて行く手を遮った上で刃を眉間に突き立てる。
 しかし、静かに背後に迫りその引き金を己に向けて引く分には構いやしなかった。
 なぜならば。
「影は何度でも生まれ出づる」
 光が濃ければ濃いほどに、影は濃密になる。
 己の放った弾丸が頭を飛ばしたはず。それにもかかわらず弾けた影は宙で蠢き、吸い寄せられるようにゆるり集まり、また獣のそれへ。
 己を撃ち抜いた死体の胸部へ刃を突き立てると、後方に密集するキョンシーたちの方へと蹴り飛ばす。
「そっちに行く許可出した覚えないけど」
 そのまま零の影が身動きが取れぬように捕縛したのを見て、咲或は美しい輝きの刺を一発。捕らえる縄が刃に変じ、死体を断つ獲物になったならば、あとはこれらを掃討するだけだ。
「弱者は強者に狩られる――そうだろう?」
 断末魔の叫びを上げて重力を操られても、その声音に変化はない。
 至近から睥睨する零の言葉に五指が動かない。見れば腕は、切り落とされていた。
「弱者を淘汰する悪い鬼の退治完了~。そのうち本命が登場なんて事もあるのかしら」
「今回淘汰されたのは鬼の方、ということだな。しかし今回の鬼自身に意思があるとは思えん……さて、どうなるか」
 ふたりの声がどこか遠い。
 その言葉の意味を知ることなく、死体はふたたび永遠の眠りについていく。

花園・樹

(もし私が√EDENではなく、ここのような別の√に迷い込んでいたら……)
 今のような穏やかな学校生活は、なかったのかもしれない。
 恐怖を引き摺る幼き残響に耳を欹てながら、花園・樹(ペンを剣に持ち変えて・h02439)は爪が掌に食い込むほどつよく拳を握り締めている。
 理由も分からずに、ただ弱者というだけで大きな力にねじ伏せられる未来が自分にもあったはずなのだ。
 ひとりで懸命に走る子どもが、迎えに来た男性の腕のなかに飛び込むのを見て安堵の吐息をこぼした樹は、死体共を見据えて眉間に深く皺を寄せている傍らのイヌガミの背を優しく撫でたあと、
「だからこそこんな状況、見過ごすわけにはいかないよ……!」
 銃口が持ち上がるより先に、真白の獣を奔らせた。
 引き金に指がかかる。弾丸が放たれるより先に射線に飛び込んだイヌガミが咆えて威嚇、すぐさま振り払った尾で銃身をずらす。次いだ樹はふたりへの進路を塞ぐ形で狼牙を抜き、構えた。
「ここから先へは行かせない」
 大口真神の霊気を宿す太刀。御霊を纏いて邪悪なるものを斬り伏せんとする明確な意思に、キョンシーはたたらを踏む。しかし、邪魔立てする者は力で退かせばいい。引き金から指を離し、大きく後ろへと振り上げられたライフル銃。およそ死人が持つ力とは思えぬ剛力が樹に向かって振り下ろされた。
 まだ退避しきれていない子どもの口から、思わず零れた悲鳴。樹のことを心配してくれているのだ。
 ほんのわずか、口端に幽かに笑みを浮かべた樹は、しかし迫る武骨なそれを避けず右腕を持ち上げる。片腕一本で受け止めるには重すぎる一撃かと思われたのだが。
「これが、あの子に向かなくて本当に良かった」
 掌に触れたライフル銃が、やわらかにいなされる。あらん限りの力は流され、キョンシーの上体が前へと大きく傾いたところへ、イヌガミが背を踏みつけ追い打ちをかけた。その空いた無防備な懐に狼牙の一閃を真っ直ぐに。
 薙ぎ払われた死体が吹っ飛び、天を仰ぐように倒れ込む。ひく、と下肢が痙攣して、立ち上がろうとするのをイヌガミが牙で砕けばもう立てはしまい。
「さぁ今のうちに奥へ。大丈夫、あの怖いひとたちを通さないから」
 絶対に。
 眦をやわらかに下げた樹は、ひだまりのようなやさしさで子どもへ、そしてそのちいさき命を必死に抱きしめる彼へと、呼びかけた。
(√や考え方は違っても……『子供達を助けたい』という思いは同じだから)

李・劉
夜鷹・芥

 天へと昇れば本当のさいわいが待っているのだろうか。
 塵埃に恐怖と死の香りが交じりて満ちるザラついた空気を肺に取り込んだ李・劉(ヴァニタスの匣・h00998)の目には、虚栄を積み上げただけのがらくたにしか見えなかった。
 此の√ではどんな匣に触れる事ができるだろう。
(息を殺して命が生きる箱庭にそそらぬわけがない)
 ふぅ、と甘い吐息に煙が揺らぐ。
「力を欲し、力が凡ての分かり易く、弱き者には救いがない箱庭だ」
 苦虫を噛み潰したような言。すいと傍らへ視線を巡らせれば、羽虫の如く湧いてくる死体共を睥睨した黒狐が唸っていた。
「……反吐が出るな」
 懐かしいなどと耽るにはあまりにも多くのものを失った。それでもこの現実から目を逸らしてはならない。夜鷹・芥(stray・h00864)は劉を窺い、ひと吸いした煙草からくゆる煙が死体と瓦礫の裏で頭を抱えて丸くなる幼き子どもたちの間に揺蕩うのを目にした瞬間、その場から掻き消えた。
 ヴェールのように満たされた淡紫煙は熱を感知していたキョンシーの認識を阻害する。くるりと爪先が明後日の方を向き、いややはりこっちだったはずだとくるくる、うろうろ。惑う意識が子どもらから逸れ、銃口が下りる。その隙に芥が子どもらの前へ庇い立つ一方、劉はその身に寄り添うように降り立った。
「う、わ」
「だれ……?」
 すとん、と音もなく静かに、まるで羽でも落ちてきたかのような軽やかさで眼前に現れた劉に、ふたりの子どもは目をぱちくり。それに、師父より大きな体躯の芥の背中を見てまたぱちくり。
「你好、可愛い子らよ。よく頑張って逃げてきた、偉かったネ」
 見知らぬお兄さんに何故だか褒められたふたりは、きょとんとして、それからお互いを見合う。怖いひとじゃないみたい。強張っていた細い肩が次第にほどけていくのを見て、劉はにっこり笑う。
「ああ。よく此処まで頑張ってくれた、その辺の武侠より余程お前たちは強い」
 首だけで振り返った芥が、胸のあたりをトンと叩いて、心を示す。その仕草を真似するように、自分の胸に手を置く子どもたち。なるほど、たしかに無垢で純真だ。だからこそ、この有りかたには尚のこと不愉快さが際立つ。
「あれはなぁに?」
「ふふ、あの煙が不思議? あれは君達を守る魔法……此処で待っておいで」
 それぞれの頭の上にぽんとやさしく手を置いた劉は、吸い口を唇に寄せてウインクをひとつ。
「怖い夢は私が全て食べてあげる」
「もう少しだけ力を合わせて耐えられるか? 後は、俺達に任せてくれ」
 劉と芥の顔を交互に見た子どもたちはゆっくりと頷いてから、お互いの身体を抱き合うようにぴたりとくっついて、瓦礫に成りきるように丸くなる。
「――劉」
「隙を作るヨ。その後の事は……いいネ? 芥くん」
 返事の代わりに黒狐は瞳を細めた。
 ゆめが微笑い、死体に向かって奔る。
「――往きは酔い良い」
 詠うように紡がれた術式。その足許に広がる影業から無数の黒彼岸花が咲き乱れるさまは、まるで漸う解き放たれた獣のよう。群れる死体に食らいつかんばかりに迫る黒い毒蔦が、豊満な肉体をぎちりと締め上げるように拘束する。
 痛みからか、あるいは反撃か。何重にも重ねられた札の下に秘された口から鼓膜を劈くほどの断末魔の悲鳴が放たれた。あまりの鋭さに――否、醜さに劉の視線がすぅと冷たくなる。
 ――しかし。
 至近で叫びを喰らった芥は、身が反転しながらも崩れた塀を蹴って|頭上《・・》へ跳躍。腰のホルスターから引き抜いたリボルバー式拳銃を、その眉間に突き付ける矢庭に引き金を引く。
 頭蓋を貫通した弾丸がその背後、褪せたコンクリートを弾いてどこぞへ消えていった。漆黒に蠢く彼岸花の園に己が纏う闇を保護色として身を隠し、両手両足を揃えたステップを刻む死体に一気に近付く。懐に潜り込めば最後、気が付いた時にはもう銃口が顎下に、ひたと触れていた。
「此れは償いだ。過去の自分が見て見ぬふりをしたことへの」
 言葉の意味を死体は解せない。だが決別の引き金がふたたびの生を分かつ一発になったのは事実である。
(此の√は彼と縁があるよう。普段より感情が滲むその姿を、今は只……見守ろうカ)
 仰向けに伏した物言わぬ肉塊、返り血とも呼べぬ液体を手の甲で拭うその背中を、劉はただじっと見つめていた。

ガザミ・ロクモン

(かつての故郷も、こんな理不尽さに満ちていたのでしょうか)
 強大な妖力と、その凄まじい凶暴性を衝動のままに揮い、悪徳と殺戮の限りを尽くしてきた妖怪共が住んでいた世界、√妖怪百鬼夜行。未だ人を喰らい続ける古妖は在れど、伝承に残る記録を見ていれば今の故郷は本当に平和になったとガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)は痛感する。
 しかし、√仙術サイバーでは容易く命が利用され、奪われ、零れ落ちてゆく今なお続く現実なのだ。子供たちに手を出すというのであれば黙ってはいられない。
 静かな怒りが身を裡から焦がす熾火となって身体を突き動かす。素早い走りで死体共の眼前に立ち塞がったガザミは、壁を作るように隠神ノロシと白毛赤目な鎌鼬三姉妹を喚び出した。
「ここから先は僕たちが相手になります」
 一陣の風の如し速さで現れたガザミに死体共の意識がひとからげに集まるのが分かり、背に庇った子どもの口から、ちいさな安堵が漏れるのを幽かに聞いた。
「ゆっくりで大丈夫ですから、あちらの建物のほうへ逃げてください」
 すでに避難が成っているお友達が、そして仲間がいると聞き、子どもの瞳に光が灯る。よろよろと震えるちいさな足で立ち上がり、しっかりと大地を踏んで逃げてゆく幼き背中を見送って、それから――。
「鬼さんこちら」
 軽快に手を叩き、死体共の視線を一身に絡めて離さない。決してその銃口があのちいさな背中に向かぬよう、じりじりと一定の間合いを保ったままゆっくりと視界の端から途切れるように位置をずらす。
 三姉妹の細く長い尾が目の前でちらちらなびくのに焦れたのか、一体が地を駆って突っ込んできた。ガザミがすぐさま大雑把な動きを見切る傍ら、三姉妹の尾が連続でライフルの銃身を弾き飛ばし、死角から身を潜り込ませたノロシの躯体が死体の背を突き飛ばす矢庭に空いた腹へと重い一撃で穿つ。
 反動で後ろへよろけた死体が喉を震わせたかと思うと、大きく口を開け、空に響くような断末魔の叫びを放った。びりびりと肌を刺すような鋭さに一瞬目を眇めたガザミの身体が、くるりと反転。
「やりづらいですね……」
 とっさに跳ね上がって来たノロシに足場となってもらい着地した彼は、鎖と水で腕を覆う巨大な鎧型祭壇から魚群を喚びだした。
「食べやすい大きさに整えてあげてください」
 飢餓の封印を解かれた群れ、そして飢えた三姉妹とノロシが、ゆっくりと死体に近付いてゆく。狂宴を許され、にんまりと笑う獣に死体は抗うことはできない。腕がすぱりと、落ちていたから。
 塵に帰ってゆく己の欠片を、キョンシーはただ茫然と見ていることしかできない。悲鳴すら上げられぬ、あっという間の出来事であった。

永雲・以早道
ノキエス・オーロラ

 ――もし、あとほんのすこしだけ勇気があったら。
(今とは違う未来があったかもしれないって、俺も思うことがある)
 永雲・以早道(明日に手を伸ばす・h00788)は自分の手のひらを見つめ、掬えたかもしれない何かを想う。もし向こう見ずで無謀だったなら、助けられた命もあるのではないだろうか。
(子供の頃の話だから、そんな大げさじゃないかもしれないけど。小さい後悔の一つくらいはなかったかもしれない)
 一瞬一瞬を全力で駆けてきた。けれど後になってもっとうまくやれたのではないか、もっといい方法があったのではないか。そんなことばかり考える。それでも直面したときは自分が後悔をしない道を選んできたつもりだ。
「まだまだ勇気なんて足りないけど、示せるものがあるはず」
「私の求めている物を濁らせるわけにはいけません。√能力者ではありませんが、共に行かせていただきます……!」
 独語にも似た以早道の言に頷きを返し、隣に肩を並べたノキエス・オーロラ(まだ気づこうとしない、己の欲する空を持つナイチンゲール・h10118)。その表情はまだ乏しくあっても、その意思は固く強いようだった。
 ふたりは頷き合い、界を渡ったその先、塵埃と硝煙が立ち込める地へと飛び出してゆく。
 真っ先に子どもたちの元へと駆けた以早道を援護するべく、蝶のような翼を広げたノキエスは上空から重力屈折電波を撃ちだした。屈折せし重力の光は、密集していた死体共に対して「空を下」と指定、思い切り天へと吹き飛ばす。
 とつぜん怖いキョンシーたちが一斉に空へと浮かび上がったのを目にして、身を寄せ合っていた子どもたちは目を丸く、ぽかんと口を開けて固まった。怖いものが、ちょっとだけ怖くなくなった。以早道はその様子にすこし安堵して、けれどすぐ表情を引き締める。
 子どもらを守るためならば、己の体を張ることも厭わない。振り絞られたなけなしの勇気は、以早道だけでなく子どもら全てに勇気を与え、その幼い体をたちまち元気にする。これで走って逃げられそうだ。
 上空からその様子を視認したノキエスは空を泳ぐように飛翔、未だ無防備な死体へと追撃を繰り出してゆく。ガラスのように透き通ったレイピアの切っ先が胸部を真っ直ぐ穿ち、キョンシーを容赦なく大胆に切り刻んだ。血とも呼べぬ体液が、花のように散るのがすこし煩わしい。
 矢庭にぎらりと陽光を照り返すライフル銃がノキエスに向かって振りかぶられた。横っ面を狙われるも、ノキエスはそれを第六感で回避。空中を蹴って一回転したノキエスは死体を己から引きはがすために方向を弄り、無人の家屋を狙い肉体を壁に叩きつけた。そこから更に一閃。断たれた肉が落ちて、死体が沈黙する。
「……? なにか、違和感が……」
 到着する寸前、他の能力者たちとの戦闘が垣間見えた。いま無意識に最適を選んで使用した能力をキョンシー共も使用していた気がする。
(先程、私が放ったのって……彼らと同じ……能力? いや、違う……そんなはずは……)
 胸のあたりがざわつく。
(まだ、認めたくない。認める勇気なんて、ないのに……)
 落ちてきたキョンシーがライフル銃で殴りつけてこようとするのを交わし、斬り伏せ、子どもたちを退避させていた以早道は、様子の変わったノキエスに気付き、その名をやさしく呼ばう。
「本当は勇気なんてなくても、体が動けば、心が動けばいいんだと思う」
 ゆっくりと紡がれる言葉が、砂に水が染み込むようなゆるやかさで、じわじわとノキエスの内側にひろがってゆく。
「大丈夫。君の信じるように」
 力強い笑みだった。
 真っ直ぐに向けられた眼差しは以早道のあたたかな心がいっぱいに注がれているようで。
「……私の、信じるように……? 私の……信じる……もの……」
 ノキエスは胸に手を置いて、考えてみる。
 そうすれば、何かが見つかりそうな、そんな気がしたから。

キュロス・ラビュリントス
アダルヘルム・エーレンライヒ

 何を思っているのだろう。
 夕焼けの色をした瞳がじぃっと思案するように、ここではないどこかを見つめている。だがそれも、奇妙なステップを踏む死体の群れに邪魔されてしまった。
「……これがキョンシーっすか。動きが独特っすね」
「弱者を狙って何が楽しいのか、俺には理解できんが……ま、死体どもには何を言っても無駄か」
 √ドラゴンファンタジーでも類を見ない不思議な生態にキュロス・ラビュリントス(雷蹄の銃斧士・h08660)が片眉を吊り上げる隣では、悪趣味な話があったものだとアダルヘルム・エーレンライヒ(余花を夢む・h05820)が厭きれの吐息をひとつ零している。
 両手両足を揃え、ぴょんぴょんと規則正しいリズムを刻むのはどうにもふざけているようにしか見えなくて。その手に武骨なライフル銃を引っ提げているのだから、なおさらだった。
 だがあの銃は確実に幼い身体を、いとも容易く破壊してしまうだろう。たった一発さえ危うい。
「跳躍の癖、視界の狭さ、銃の扱い……全部、興味深いっす」
 キュロスはミノタウロスの仮面型防具を装着しながらも、至近に迫るそれらから決して視線を外さない。いっそ異常なほどに研ぎ澄まされてゆく集中力がキュロスの身を弾いた。地を駆る。
 一方のアダルヘルムは周囲の状況を一瞥で把握。ここはキュロスに攻撃を頼むほうが得策と見て、子どもたちを退避させる仲間たちへの進路をふさぐように、あるいはその大きな身体で全て受け止めてみせるといった気概でドラゴンさえも叩き斬ってしまえる無骨で巨大な大剣型竜漿兵器を引き抜き、構えた。
「済まない、攻撃面はキュロス殿に甘える形になってしまうが……頼りにさせて貰っているぞ」
「子供たちの保護は任せるっす。信じてるっすよ!」
 威嚇射撃を物ともせず弾き返すアダルヘルムに一言いいおいてから、キュロスは一般人の気配が固まりはじめた保護地点から引き離そうと、まずはあれらをおびき寄せることにした。
 |雷蹄の庭師《ニワちゃん》がしゅばばと取り出した金タライを間近にあった街灯へ叩きつけると、ぐわわんと激しく煩い爆音が空の下に響き渡る。死体共はその大きな音に意識を奪われ、だが数人の死体は視界の端から外れていく背中に気が付いたようだった。
 爪先が向く。歩き出した死体が銃口を持ち上げながら狙いを定めもせずに引き金を引こうとした。すかさず射線に飛び込み、自身の身体を盾として庇ったのはアダルヘルムだ。眼光鋭く至近から見下ろされ、キョンシーがほんの一瞬身を引いた。道を外れそうになった個体たちにむけて、空中に光の軌跡を刻む紅色に輝く蝶々を召喚。夢のような羽搏きが辺り一帯に広がり、束の間静止させるに至った。
「のろまどもの相手をする程暇ではなくてな!」
 だが美しき光景もそこまで。
 蝶の奥から振り払われた一薙ぎが足元を掻く。一閃は速く、瞬きすら追い付かない速度で先頭の一体を後方へ吹き飛ばすと、そのまま後ろに居た者たちをひとからげにした。ドミノ倒しの要領で団子になってごろごろ倒れ込むキョンシーたちに、アダルヘルムはすこし満足気。
「耳を塞げ! すぐ終わるっす!」
 矢のように飛んできた一声に、およそ反射とも呼べる速さでアダルヘルムがTyrantを地面に突き立て、よく音を拾う耳を押さえた。その仕草を視認してからキュロスは不滅の空箱で作った音響弾を死体共の群れにぶん投げれば、強烈な閃光と共に弾けた爆音が鼓膜から脳を刺す。
 ぐらぐらと身を傾がせてたたらを踏むキョンシー、なおもそのライフル銃が持ち上がろうとするのは果たして本人の意思なのか――。
 そんなことを考える間もなく、動きが鈍ったのならばとキュロスは|電磁崩壊弾《エレクトロ・バースト》を射出。強力な磁場で視界に在るキョンシー共を吸い寄せ、意思なき癖に二度と未来ある幼き命を狙わぬように、まとめて沈める。
 溺れもがく死体共の苦しみが伝わってくるようだ。ひとつ、またひとつと肉塊に崩れて数を減らしていくさまにアダルヘルムは口端にあわく笑みを刷いた。
「ふは、キュロス殿は豪快に攻撃されているようだな。頼もしい限りだ」
 ならば自分も子どもらと、それを守る者たちのために力を揮おう。這う這うの体で逃げ出そうとする死体の背中に、アダルヘルムは刃を突きたてた。

ララ・キルシュネーテ

 切望と希望と、虚栄を積み上げた瓦礫は歪に撓んでいるようにも、崩れ落ちてゆくさなかにも見える。
 そこかしこに白いチョークで落書きがしてあった。マルとバツ。お花。雲と太陽。それから、にこにこと笑った顔。ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は愛らしい落書きにそっと指先を添えると花眸をやわらかに細める。
 きっと、この世界において説得力など皆無かもしれない。
 けれどララは想うのだ。
「強さとは武力だけではないのよ」
 だからこそ、幼い命をひしと抱きしめて離さない男性――|師夫《シーフー》は、誰よりもつよい心を持っているのだ、と。
 張り付くような喉の渇きを覚えても、呼吸を掠れさせながら懸命に駆けてきた男の前にララは姿を現す。
「誰にも選べぬ道を選ぶ強さ。弱きを憐れみ救うつよさ――気に入ったわ」
 可惜夜の翼が広がり、やさしき風を生んだ。
 やわらかく、あたたかな一陣に頬を撫でられた師父と子がララを見つける。
「ララはそんなお前を尊敬する。温もりあるその身を、大切にね」
 とん、と軽く地を蹴って、ふたりを飛び越えたその先で。
 子どもの遊び相手にしてはずいぶんとつまらないものが蠢いている。突き付けられた銃口の数をひとつ、ふたつ。みっつ数えて飽きたララは、つんと顎を持ち上げる。
「あら。こんなに可愛い子達を襲うなんていけない子達ね」
 夢を広げるように美しい髪をふわり靡かせて。とつぜん現れた童女を置いて行っていいものかと困惑しているやさしさに笑みをひとつ。
「お前の事、気に入ったからお手伝いしてあげる。師夫は子供達をしっかりみていることね」
 返事は要らない。そうと決めたらララは、好きにするから。
「キョンシー、ララと花一匁しましょ」
 とん、とん。羽の一枚が落ちてきたかと思うほど軽やかに、そうとは悟られないほどのさり気なさで死体共の視線からふたりを庇い遮るララ。
 華奢な躯体が駆けた――そう思ったときには、すでにララの姿はない。あるのはひとひら残した破魔光の桜一華。
 破魔の迦楼羅焔纏わせたナイフが熱をくべることも忘れた心臓を|神聖攻撃《切り裂く》。開かれた唇の隙間から悲鳴が漏れた。それは大気を裂くほどの苛烈さを極め、ララの耳を不快にさせる。
「歌うような叫び声ね――五月蝿い」
 遍く一切衆生を灼き祓う桜禍の迦楼羅焔で、己の上下があべこべになっても構わず、視界に映る限り、そこに在る限り焼却し尽くし、総て切り祓う。目覚めてしまったのが運の尽き。ここでは負けるそっちが悪いのでしょう?
 ――けれど。
「桜の下に骸の灰を弔うように、お前は静かに眠っていなさい」
 だからもう目覚めてはだめよ。
 ララは弄ばれた死体を浄化するように、燃ゆる焔を決して緩めなかった。

祭那・ラムネ
破場・美禰子

 ――なんて悲しい|彩《いろ》をしているのだろう。
 くすんだ瓦礫が積み重なる|鬼城《ゴーストタウン》も、塵埃に覆われた遠い空も、それから悲鳴を上げる子どもたちの表情も、その全てが祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)の瞳には褪せて映り、反響が空しく届く。
 ラムネも親から捨てられた孤児である。
(孤児院では長兄役でもあって、大事な弟妹たちがいる身だから全然他人事に思えない)
 もし世界が違っていたとしても、きっとラムネは彼と同じことをしただろう。
 胸にしがみつく子を必死に抱きかかえ、能力者たちの指示に従い駆ける大きな背中。それでも子どもを安心させようと、浮かべる表情はやさしくて、あたたかい。
『大丈夫だよ』
 風に乗って聞こえてきた声を、ラムネはまもりたいと思った。
(護るよ、必ず。その想いごと)
 たとえ褪せた小さな箱庭でも、きっとあの子どもたちにとってここは楽しい遊び場なのだ。数々の手製遊具を視界の端におさめながらラムネは走る。
 ――そんな一方。
 若い青年がひとり、こちらに向かってくる気配に気が付いた破場・美禰子(駄菓子屋BAR店主・h00437)は、増援に安堵の吐息を口端から滲ませながら、背に庇っていた|師父《シーフー》と、彼に抱っこしてもらっている子どもらの方を振り返り、目尻の皺を深く刻んで微笑みかけた。
「師夫サン、だったかね? アンタ」
「は、はい」
「よく頑張ッた……と、言いたい所だがもうひと踏ん張りといこうか」
 明らかに己より年嵩の女性に励まされてしまい師父はたじろぐ。これではまるで、彼女が自分たちを守ってくれるかのようではないか。
「貴女は、一体……?」
「アタシは通りすがりの駄菓子屋ババァだよ。つまりは子供の味方ッてこと」
「駄菓子屋さん? だったら……」
「細かい話は後、先ずはアンタとアタシらで守り抜こうや。――その手でね」
 ぴしゃりと、けれどやさしさを与える力強い言葉と笑みに促され、口を噤んだ師父は大きく頷いた。腕の中に居る子どもが師父と、それから美禰子を交互に見る。
「おばあちゃんが戦うの?」
「あァ、そうだよ。怖かったら目を瞑っといで」
「うん。……おばあちゃんがんばってね」
 もみじのような小さな手が美禰子に向かってひらひら揺れる。なんて愛らしくてかわいい手だろうか。美禰子は眦を柔和に下げると、いっとうやさしく微笑んだ。
「やァ、こりャいいモンもらっちまったねェ。おかげで頑張れそうだ」
 破顔した美禰子は「さァ、行った!」師父の背中をトンと押し、それから集まって来た死体共に向き合った。それまで右手に握ったままの煙管の吸い口に唇を寄せ、呑んだ煙をこれ見よがしにくゆらせて、冷たく睥睨する。
「子供が子供らしく生きている場所に押し入ろうたァ頂けないね」
 返事の代わりに銃口を向けられ、なんて品のない仕草だと美禰子はフンと鼻を鳴らす。だが、ずいぶんとその数は減っているようだった。これまで能力者たちが削ってくれたのだろう。残滓すら残さず消えていくのは行儀がいい。
「でも、無抵抗の子らを狙うのは頂けないねェ!」
 死角から飛び込んできた銃口の突きを煙管でいなす傍ら、帯に差し込んでいたちいさなソフトビニール人形をぽぉんと宙へ放り投げる。
「さァ出番だよ! イイとこ見せておくれ、蓄光怪人バーニングロウ」
 呼び声に応じたソフトビニール人形は空中で一回転、瞬く間にぐんぐんと大きくなっていき、地面にその足がつく頃には美禰子と同等の大きさに変じている。ずぅんと地を鳴らしてゆったりと背筋を伸ばすさまは、見る者によっては目を輝かせただろう。
 眼前に居る死体共を敵と見なした瞬間、キャノン砲が火を噴いた。
「う、わっ。すごいな」
 駆け付けたラムネは、視界の真横を一直線に突き抜けていく太い光炎の柱を見送りながら美禰子と一瞬だけ視線を交差。彼女が頷いたのを見、爪先はそのまま逃げ遅れた子が隠れる滑り台のほうへ。
「ちゃんと隠れててえらいな。それに頭も守ってて、すごいぞ」
 ラムネはやさしく声をかけながら、影の中で身を寄せ合う子どもたちひとりひとりの顔を見て微笑んだ。ほ、と安堵の吐息が漏れたのも束の間。その空いた背中に迫るライフル銃の気配に、子どもたちが一気に青ざめる。
 しかし。
 ラムネは掌に喚び出した白焔の長槍を翻し、振り向きざま死体の胸部、その中央を貫いた。陽の下に崩れ落ちるキョンシーを見て「わっ」と子どもたちから歓声が上がり、ラムネのほうこそホッとする。
(でも、あまり怖がらせたくないな……)
 血腥い所は見せたくない。けれど、どうしたって目に映ってしまうものはあるだろう。避難先の建物から大人たちがこちらを窺っているのが分かり、敵視を誘う蠱惑的な香りを纏いながらラムネは思案する。どうすれば、子どもたちの心の傷にならずに済むか。
 美禰子の元には蓄光怪人がいて、襲い掛かる敵を物ともせずに攻撃を庇い受けている。ならばそれに乗じて、すこしパフォーマンスを織り交ぜてみよう。たとえばそう、ヒーローショーみたいな。

 師父たちが居る方向は美禰子と蓄光怪人が進路を塞ぐ形で阻止していた。ライフル銃を振りかぶって力任せに抜けようとする死体には怪人が盾となり、銃口を上に向けて発砲を空振りに。
「やァやァ、ビックリしたね。もう大丈夫だ!」
 乾いた音が連続し、激しく打ち付ける鈍い音に足が竦んだのか、スプリング遊具にしがみついて蹲っている残りの子どもたち。その背中をやさしく叩いて勇気の熱を送る美禰子は「こっちだよ」手を引いて巻き上がる粉塵に身を隠すようにしてその場から退避。
「後はこのババァ達に任せておきな。あっちにアンタの師父や友達が待ってるからね、アンタの顔を見せて安心させてやんな」
「おばあちゃんは?」
「あぶないよ、おばあちゃんもにげようよ」
(――嗚呼、全く。なんていい子たちなんだろうねェ)
 美禰子はにんまりと唇に大きく弧を描くと、ふたりの子どもの頭にそれぞれ両手を乗せて、ぐりぐり撫でる。
「ババァは強いんだよ、アタシがここまで生きてンのがその証拠さ」
 美禰子の背後で怖ろしい声が上がった。ひい、と身を抱き合った子どもから、すいと視線を後ろへ滑らせる矢庭に美禰子の身体がぐるんとひっくり返る。
「おばあちゃん!」
「だァいじょうぶさ。ちょっと空が地面になっただけさね」
「なんでぇ?」
「さァ、なんでだろうねェ」
 軽口を叩きながら美禰子は「さァお行き」「お友達が待ってるよ」にっこり笑って紫煙をくゆらせ、その視界を遮ってやる。子どもたちからも、死体共の目からも。
 飛んできた怪人を足場にして、上下反転をやり過ごした美禰子は遠のく足音を耳にしながら怪人の肩をぽんと叩く。
「アンタは何度やられても立ち上がるのが持ち味だ、頼りにしてるよ」
 そのとき、滑り台の暗がりからふたつの影が飛び出していくのが見えた。
 逃げる子を背に庇い、死体共の視線を一身に引き受けているのはラムネだ。振り上げられたライフル銃。まるで棍棒のようにめちゃくちゃに振りかぶって殴打しようとする乱暴な一撃を、空いた無防備な右掌が受け止めた。決してその武骨な得物が血を流させないように、そしてこの大切な庭を傷付けたりなんかしないように。
「おにいちゃん!」
「大丈夫、兄ちゃんがついてるから。そのまま皆のところにがんばって走るんだ、転ばないように気をつけろよ」
 無力化されたことに、一寸の戸惑いを見せた死体を白焔で穿ち、遠くへ弾き飛ばしながら、子どもたちを見送って。
「ほら、怪人さんも頑張ってくれてるから」
 残り少ない死体たちをひとからげにして抱き込む蓄光怪人バーニングロウが親指を立てた。振り返らないその大きな背中と、やさしいラムネと強い美禰子に励まされた子どもたちは、駆ける途中で互いを見つけて合流。もうバラバラにならないようにと手を繋いで、自分たちを迎えに来た師父たちの胸に飛び込んで行った。
「こンな所で小さな子らを育てる――並大抵の苦労じゃァないだろうね」
 怪人と融合して藻掻く指先が美禰子を掴もうとする。だがそれをラムネの白焔が払い、押しのけた。
「アタシは子供の味方だが、子供を守る大人の味方でもあるンだわ」
「大人たちがいるから、子どもが安心して生きられるんだ」
 この世界が助けないというならば、自分が手を差し伸べてやろう。
 その手のひらのあたたかさを誰よりも知っているふたりは、ぐずぐずに溶け、朽ちてゆく死体が再びの塵になって消えてゆくその瞬間が訪れるまで、決して目を逸らさなかった。

第2章 日常 『露店を巡ろう』


 全員、揃っている。
 そうと分かるなり、足裏から全身の力が抜けて身体が萎んでいくような安堵感に包まれた。子どもも、大人も、駆け付けてくれた者たちも誰一人として欠けていない。ピンと張り詰めていた緊張の糸がようやく撓んだ瞬間だった。
「この度は何とお礼を言っていいのか……子どもたちのために戦ってくださり、本当にありがとうございます」
 代表して深く頭を下げたのは|師父《シーフー》と呼び慕われている例の男性である。眦を下げるようにして笑う面差しは慈愛に満ちているのがよく伝わってくるようで、子どもたちにぎゅうぎゅうに抱きつかれている光景が実に微笑ましい。
 案内された居住区はジャンク品やがらくたを搔き集めたように乱雑で一見してまとまりがない廃墟のようだが、安全だと分かるとあちらこちらのシャッターが開いて飲食店の料理人たちが竈に火を入れ、空を覆うように渡された電飾が申し訳ていどの灯りを零す。
 暗い路地からひょこりと顔を出して手招きしているのは、黒いフードを鼻先まで被ってチェシャ猫のように口を三日月にして笑う商人で、Ⅴ層から持ち込んだという武器や装備品などを取り扱う露店の主。
「もしお腹が空いているのであれば、お好きな店で自由にお食事していってください。話は通してありますので」
 日中にも関わらず、翳りの中に在るような薄暗さは否めないが、子どもたちが駆け回っている姿があるだけで、たとえ|鬼城《ゴーストタウン》と呼ばれていても明るい場所のように思えるから不思議だった。
 飲食店は定番の飲茶と点心が一番人気。ぷりぷりの海老が入った小籠包や蒸し焼売、味付けをした肉入りのちまきに、魚のすり身を団子にして甘辛いソースを絡めた魚蛋河、それから魚の皮をパリパリに揚げた炸魚皮も食べる手が止められなくなる美味しさだ。
 他にも大きな海老が入ったワンタン麺や、じっくりことこと煮込まれた牛バラ肉のラーメン、撈麵で一番人気と言っても過言ではないジャージャー麺などもある。
 甘いものが食べたいならパイ生地とクッキー生地が選べるカスタードクリームがぎっしりのエッグタルトや、ぷるぷるのミルクプリンが気軽に食べられるのでおすすめ。あずきやタピオカ、フルーツをトッピングできるので子どもたちも大好きのデザート。もちろん他にもスイーツはあるのでじっくり選んで大丈夫。

 一方で、妖しく明滅するランプが天井から夥しくも吊り下げられ、その幽かな光を瞬き返すアジアン雑貨の店がある。
 蓮の花をモチーフとした硝子皿やグラスは今咲いたばかりかと見紛うほどに美しく、葉っぱやお花、猫やパンダの形をした豆皿なんかもあって、どれもかわいらしい。
 また特に目を引くのは細かな刺繍がほどこされたインドリボン。スパンコールが縫い付けられた金糸のゴージャスな物から、淡く儚い色合いをしたやさしい花柄まで千差万別。量り売りしているのはもちろん、すでに縫い付けてポーチやシュシュにしたものから、アクセントに使用されたブラウスやスカート、パーカーなどもある。
 別の店ではこぱんだ三兄弟が店を切り盛りするパンダ雑貨店も楽しいところだと子どもたちのおすすめだ。もちろん右を見ても左を見てもパンダだらけ。上には空飛ぶパンダぬいぐるみが吊り下げられ、下には四肢を広げて寝転ぶ姿のパンダカーペットが敷かれている。
 大中小特大パンダのマスコットやぬいぐるみにキーホルダー。プリントされたトートバッグにパンダの耳と手足がついたリュックもある。今は春仕様ということで、桃色パンダのグッズも並んでいて、華やかで実に愛らしい。
 チェシャ猫商人は路地に入った先、突き当りの扉を開けた薄暗い地下に店を持っている。
 仙術サイバーでよく使用される鏢や偃月刀はもちろん、扇や槍、鋼糸といった暗器、それからサブマシンガンや拳銃などの重火器類も揃っていて、それらがコレクションのように壁に掛けられ販売されている様子。
「師父が世話になったからね」
 チェシャ猫商人は好きな物を持っていくと良いとにんまり笑ってから、しぃ、と人差し指を唇に押し当てた。
「ひひひ。でも此処で余計な詮索は禁止だよ」
 子どもたちを怖がらせたくないからね。
 食料も、雑貨も、武器も。その全てがどうやらこの鬼城で賄っているものではないことだけは、何となく理解できた。そして、駆け回る子どもたちを誰も彼もがやさしく見守っている大人たちの眼差しにも、もう気が付いている。

 子どもたちはご飯を食べたり、こぱんだとじゃれついたり、師父に遊んでとせがんでいたり、あちこちで過ごしている様子。ついさきほど怖い思いをしたというのに、これが日々の常であるせいか、あるいは皆のおかげで心の傷にならずに済んだのかもしれない。
 もし気が向いたなら声をかけてみるのもいいだろう。外の世界を知らない無垢な心は、きっときらきら輝いてあなたたちの話を聞いてくれるはずだから。
鴉丸・雷雨

 武装を解き、身なりを整えた鴉丸・雷雨のあとを、幾人かの子どもたちが追いかけている。真白の髪がよく映える、黒を基調としたそれは雷雨の旅装だったが礼装でもある一張羅。漆黒のコートを翻して歩くさまは堂々としていて、実にかっこいい。
 仙術義体とは異なる自身の姿に関心を示す子どもたちの目がきらきら輝いているのが、なんだかこそばゆかった。
「これおいしいよ! えびぷりぷり小籠包!」
「こっちも食べていきなよ! 蒸したてだから美味いよ!」
 さてどんな物があるのかと雷雨がひょこりと顔を覗かせると、店の従業員やあとを付いてくる子どもたちが色々勧めてくれるので、歓待を受ける立場も手伝ってか断り切れずに全て頷き受け取っていれば、片腕があっという間に点心をいっぱいに詰めた袋や蒸籠で埋まってしまった。
 落っこちないようにしっかりと抱きしめて、その重みにどれほどの感謝が込められているのかを実感する。
「ああ、ありがとう。……いいのか、こんなに?」
「足りないくらいだよ。本当に、ありがとうね」
 まだ若そうなのに、化粧っ気のない女性が笑い皺を深くして荷物のてっぺんにエッグタルトをひとつ乗せてくれた。
 持ち帰るには少々多すぎる。雷雨は店先のテーブルを借りることにして、お昼がまだだと言う子どもたちと一緒にお行儀よく、そして手を止めることなく気持ちのいい食べっぷりで完食。
「あっちにはね、雑貨屋さんがあるよ!」
「案内してくれるか?」
「うん!」
 教えてもらったのはパンダ三兄弟が経営する可愛らしいお店。
(いいなぁ、これ)
 どこを見てもパンダだらけ。旅稼業でなければ箸置きやパン皿といった日用品を躊躇いなく手に取るのだが、きっとこれらをゆっくりと楽しむ時間を己は持てないかもしれない。そう思うと雷雨の心にブレーキがかかる。
 断腸の思いで選んだのは、ころころしたパンダの髪留め。留めるとこぱんだがぎゅっと抱き着いている風に見えるちいさなマスコット付き。
「案内してくれてありがとうな」
 子どもたちの頭を軽く撫でた雷雨は、喧騒からしばし離れるように屋上へ上がると、エナドリで一服。
(久々の人に自慢できる仕事だな)
 フェイスガードに隠れた口元は、達成感が齎す笑みが広がっていた。

システィア・エレノイア
クラウス・イーザリー

 にんまりと三日月のように唇を吊り上げて笑う不気味な男が路地裏の|昏《くら》がりから手招きしている。
 あまりに不審で、ちょっと時が止まってしまい、システィア・エレノイアは傍らのクラウス・イーザリーへ視線をやった。
「行ってみる?」
 目配せし合ったふたりはすこし思案したものの、危険な目には合わぬだろうと見て頷き合う。
「行ってみよう!」
 妖しさ満点。でもどこか秘密基地に乗り込むみたいなわくわくした気持ちで、ふたりは積み上がる廃墟に細く切り取られた空、張り巡らされた古いケーブル、乱雑に放置された過去の遺物を横目に路地を往く。
「おや。来なすったか」
 ひひひ、と不気味な笑い声をもらしたチェシャ猫は「こっちだよ」おいでおいでと扉の奥へとふたりを手招いた。店内は薄暗く、そこに何かあると解っていても判別が難しいくらいだった。蛍光色の明かりがふんわり呼吸のように明滅している。
 チェシャ猫商人が紐を引くと、壁に掛けられていた布が上がり、その奥から妖しい光を照り返す武器の数々がずらり。
「さ、好きな物を持っていくといい」
 システィアとクラウスは感謝の言葉を揃えると、まずその見慣れぬ武器たちをゆっくり見渡して感嘆した。
「すごい、珍しいものばかりだ……」
 元学徒動員兵の傭兵であったクラウスだからこそわかる、質の違い。様相すら随分と雰囲気が異なり、こちらはデザイン性に富んでいる。「すごいの?」とシスティアの囁きに呆然と頷くクラウス。
「では、お言葉に甘えて……」
 システィアも気になる拳銃を手に取り、意匠はもちろんだがグリップの握り心地、重量、取り扱いの違いや性能などを商人に教えてもらいながら選り分けてゆく。
 聞けば教えてくれることもあるらしいが、それでもこれら武器の出所には決して触れなかった。
(こういう店は俺の√にもあるし、商人なりの都合があることも知っているから)
 今回の依頼は、あくまでも襲われている子どもたちを救うこと。そしてその元凶がのちに現れるならばそれを叩くこと。
 鏢を指先で感じながら物思いに耽っていると、システィアがさっそく武器を選んだようだった。
 ずいぶんと悩んでいる様子だったが、システィアが選んだのはガス圧作動方式の大型自動拳銃。身長百九十をゆうに超える鍛え抜かれたシスティアの腕力や握力であれば軽々使いこなせるだろう。自信ゆえに選んだ威力はきっと今後の戦いで役立つはずだ。
「ティア、銃にしたんだ!」
「うん、憧れてたんだ」
 まさかこのような形で武器と邂逅できるとは思いもせず、システィアの胸はすこしどきどきしている。でも慣れぬ武器は扱いも難しい。後日クラウスに訓練してもらわなくては。そうと聞いたクラウスの表情に笑みが広がった。
「任せて。銃なら俺が教えてあげられる。いつでも聞いて」
 力強く頷いてくれたのがうれしくて、耳がぴこりと揺れる。
「クラウスは何にしたの?」
 手慰みのように指先で弄っているそれを見ようと背を丸くして手元を覗き込む。
「俺はこれ。……できること、もっと増やしたいんだ」
 欲しいのは投擲用の暗器だった。
 銃を扱うことが多く、もしそれを封じられるような場所で戦いを強いられてしまったとき、どうしたって取れる行動が狭まってしまう。そんな時に遠距離攻撃を行うための手段が欲しかったのだ。
「鏢やカードも気になったんだけどね。棒手裏剣にするよ」
「シンプルでかっこいいね」
 どんな時でも顔をあげて戦う彼が、なんだか眩しい。
 出来ることをひとつでも多く増やそうとする健気な姿勢に、システィアの顔がゆるり綻んでゆく。
「守るための力は幾らあってもいいからね」
 これを、必ずものにする。
 そうして、この手でひとつでも多くの命を救うのだ。
 並々ならぬ思いを気取ったか、カウンターに頬杖を突いていたチェシャ猫商人は「いいねぇ、若いねぇ」一体幾つなのかとツッコミたくなるひとりごとを零してうんうん頷いていた。

天使・夜宵
白露・花宵

「物騒な中でも、意外と街は賑やかなんだな」
 束の間の脅威が去れば帰ってくる活気と喧騒に、ほんのわずかに目を瞠った天使・夜宵は独語のようにぽつりと零す。それを拾い上げるのはもちろん白露・花宵だ。
「そうさねぇ。住人の逞しさもあるだろうけど、子供らのお陰じゃないかい?」
 眦をやわらげた眼差しが追いかけるのは、通りを駆け抜けていく子どもたちの背中。まるで人混みを縫うように走る危なっかしさも、今は大人たちをさぞ安心させることだろう。
 とは言え、次にいつ脅威が襲ってくるか分からない。なぜ死体共がこの場に現れたのかその理由が判明しない限りは、たとえ新しい世界の様子に驚きを覚えたとて警戒を怠る訳にはいかなかった。
「まぁ、せっかくだし見て歩くか。ここにしかないものもありそうだしな」
「おや、珍しい。でもいいね、楽しそうだ」
 夜宵は煙草を取り出そうとして――やめた。せめて、視界に入り込むうろちょろ駆け回る子どもたちの前でだけは吸わない方がいい気がして。そんな夜宵を横目に見上げて笑みを深めた花宵は、夜宵の肘辺りをぽんと叩くと「行こうか」ゆるり歩き出す。
 その実、夜宵が気になっているのは武器であった。
 この√仙術サイバーにはエンジン動力がついた偃月刀や宝石を先端に付けた棍棒など中々珍しい武器が揃っている。中国製の半自動式拳銃は手に馴染みやすいがわざわざここで買うことも無い。それならばAI制御による射線補正と自動射撃を行うM17拳銃のほうが珍しいし取り回しも良い。
「もうひとつくらい、何か持っとくか――オススメはあるか?」
 M17を掌で転がしながら視線を巡らせるもあまりにも種類が多く、そのひとつひとつの仔細を調べていては時間が足りない。店主に声をかけると、夜宵の居住まいをざっと見て、顎を撫でたあと。
「鋼糸なんてどうだい? 見たところ刀を扱うようだし、その銃も持っていくなら暗器がひとつくらいあったほうが便利だと思うよ。これなら派手な音も立たないしね。その義手に仕込むことも出来るんじゃないかい?」
 なるほど、と口の中で零した夜宵はM17と鋼糸を頂いていくことにした。粗末な茶色い紙袋を受け取った夜宵は妙に静かな花宵のほうをようやく振り返る。
「花宵は、何か気になるものあったか?」
「……ん? いや、あたしは武器はいいよ」
 てっきり何か気になるものがあって悩んでいるのかと思えば、花宵は武器よりもアジアン雑貨のほうに興味があるらしい。通りを挟んだ向かいの店は何やらお香のかおりがふんわり揺蕩っていて華やかだ。
「揃いで買わないかい?」
 外から射し込む光を透いたグラスは蓮の花が描かれていて、桃色に色付いた花びらは今にも水面に零れ落ちそうな儚さがある。酒を注げば綺麗だろうな、と思っていたのだ。
「悪くない」
 色気のないぶっきらぼうな返事。でも今さら花宵がそんな些末なことを気にすることもなく、蓮の花が絵付けされたグラスをふたつレジに持っていく。
 その華奢な背中を見送る夜宵は煙草を咥えようとして、思い出したように手をポケットに突っ込んだ。落ち着きがないのは煙草が吸えぬことへの不満ではない。「お揃い」という言葉が持つほんとうの意味を、今の夜宵はじゅうぶんに知ってしまったから。お揃いはライターで慣れたつもりだったのだが、わからないものだ。
 掌におさめたオイルライターを握りこみ、騒がしい心地を持て余していると何やら感じる無垢な視線。
「ん?」
「おや」
 ちょうどそこへ花宵が戻って来た。どうやら彼女も己に向けられる視線に気が付いたらしい。ふたりで辿れば、そこにいるのは今は灯らぬ電光看板の影からひょこりと顔を半分だけ出してこちらを窺う幼い子どもたち。
 ふ、とやさしく吐息した花宵は「おいでおいで」と手招きすると、パッと顔を明るくさせた子らが駆け寄ってくる。
「このインドリボンが気になるんだけどねぇ。お前さん達のお勧めを教えてくれるかい?」
 籐で編んだ籠におさめられた煌びやかなそれを手のひらで掬うように広げると、三人の女の子たちは息ぴったりにひとつのリボンを指差した。
 どうやら一番人気のものらしく、落ち着いたブルーグレーのチュールレースにはベージュカラーの大小の花と葉の刺繍が施されており、端ライン入り。金糸も織り込んでいるので角度を変えるときらきら瞬くのが美しい。
「ふふ、ありがとう。お礼になんか甘いもんでも食べようか?」
「わぁ、いいの?」
「やったー!」
 そばで静かに様子を見守っていた夜宵は「甘いもの」と聞いてぴくりと身動ぎ。眉間に深い皺が刻まれる気配を察した花宵が悪戯っぽく視線をやれば、夜宵は目玉をぐるりと天へとめぐらせてガシガシ髪を掻き、
「……俺は甘いもん以外でな」
 絞りだすように一言。
 無邪気な歓声に吐息をひとつ付いた夜宵は「おすすめはあっち」と店に連れられて行く花宵と子どもらを見守るように最後尾を歩いていたのだが。
「絶っ対ぇ、甘いだろ。そこはよ」
 カスタードクリームたっぷりのエッグタルトの看板を見上げて、ひとり項垂れていたとか。

瀬条・兎比良
鳴瀬・桜

 とつぜんの沸いたような活気と感謝のもてなしを浴びた瀬条・兎比良は少々肩身が狭い思いを覚えていた。恐縮していると言ってもいい。
「人々を護るのは私の職務ですから、どうぞお構いなく」
 せっせと調理する料理人や店内をちょこまか動き回る従業員たちにそろりと声をかけてみるものの、すでに幾らかは出来上がっており、ほかほかと湯気が立ち昇っている。ここで固辞しすぎるのも失礼になるかと思い、また好意を無碍にしてしまうのもとくに気が引ける。
「色々と準備いただいたようですね……少しいただきましょうか」
 決めてしまえば気が楽だ。
 兎比良は傍らに居る鳴瀬・桜へ視線をやると、彼は自分とは違って美味そうな香りに笑みを浮かべている。|準備運動《戦闘》が適度に腹を空かせているのかもしれなかった。
「ンな畏まって礼をされる程でもねェけどな、俺は俺で暴れられて愉しかったしサ」
 というのは桜の言だ。
 何度も頭を下げて礼を口にする師父の肩に手を置いて、サングラスを少し下にずらしてニィっと陽気な笑みを向けると、分かりやすい彼の本心に安心したのか、やさしいあの人はつられたように笑っていた。
 食事を頂けるというのであれば喜んで腹におさめよう。死体共を操っていた黒幕と相対する前の|休憩時間《インターバル》、腹が空いては何とやら。
「私は点心を少しだけにしておきます、桜さんは何を召し上がりますか?」
「俺は海老ワンタンメン食べてぇなァ。さっきから超良い匂いしてる」
 すんすんと鼻を鳴らすとカウンター奥に居る料理人が「兄ちゃんいい鼻してんねぇ」嬉しそうに破顔して手招き。カウンターに肩を並べて腰掛けたふたりは、桜はぷりぷりの海老ワンタンメンを、兎比良は蒸籠にちょこんと並んだ一口サイズの小龍包、シュウマイ、海老蒸し餃子を。
「せーちゃん点心ちょっとで足りるンか? 身体に似合わず小食じゃん」
 その小ささは、おそらくは様々な種類が食べられるようにと工夫されているのだろう。ちゅるりと麺を吸い込んだ桜は、彼が頬張る点心のあまりの少なさにぱちぱち瞬き。
「腹八分目というでしょう。食べ過ぎても支障をきたしますよ」
「腹八分目にもなんねェよ? それ」
 自分と大差ない身長の兎比良がちんまりした点心を行儀よく口に運んでいく姿を見て「そんなもんかねェ?」天井を見上げた桜は、しかしのど越しのよいつるつるぷりぷりの海老ワンタンと、旨味の広がるスープが美味しくってあっという間にぺろりと完食。
「綺麗に食べてくれてありがとうね」
 食器を下げる女性店員にうれしそうに笑いかけられて、ふたりは「ごちそうさまでした」と揃って低頭。
「そうだ、これ。この辺りの通貨は分からねェんだ」
 桜は自身の指に嵌めていた|宝石《石》のついた指輪を一つ抜き、カウンターにことりと差し出した。それを見て料理人たちは仰天している。
「いや、いいんだよ! これは助けてもらった礼なんだから!」
「もしおチビたちに今後何かありゃ、これを使えばいい」
 子どもたちのことを出されてしまうと、躊躇いも生じる。それでもやはり、感謝のもてなしにこのように価値のありそうな指輪を戴くのはやはり気が引けてしまい――。
「じゃ、ごちそーさん!」
「また騒ぎが起こるかもしれませんが、私たちが対処いたしますのでご安心ください」
 ふたりはまごついているのをいいことに、ささっと店を出る。すると、表に出たとき、ちょうど子どもたちを連れた師父と出くわした。
「あ、さっきのお兄ちゃんたちだ!」
 わーっと群がってくる子どもたちを見て、その頭に大きな手のひらを宛がいぐりぐりと撫でる桜は、腹ごなしにちょっとした運動を思いつく。
「手加減ナシだぜおチビたち!」
 桜が提案したのは鬼ごっこ。それも、全力の。
 子どもたちもお昼を食べ終わたばかりなのかとっても元気。路地を抜けた先の開けたちいさな空間ではしゃぎまわる桜と子どもたちを、兎比良と師父が少し離れた場所で見守っている。
「子ども達は、日常の象徴ですね。|師父《あなた》が命がけで護ろうとした事、理解できます」
 目元をやわらかに下げた彼は、思い付いた風に問う。
「あなたはあちらに交じらないのですか?」
「……私は子どもの相手は、その、あまり……。苦手ではありません、怖がらせてしまいますから」
「んなことおチビたちは気にしてネェよ。なぁ?」
 眼鏡のブリッジを押し上げ気まずそうにぽつりと零した兎比良の言葉を拾ったのか、くるくる駆け回る桜から大きな呼び声が飛んでくる。その方を見て、吐息をひとつ零した兎比良。
「|能力《これ》の影でご容赦ください」
 するりと現れたのはロストチャイルドの影。九体のそれらは子どもたちに交じってぴょんぴょこ飛んだり跳ねたりして場を盛り上げてくれている様子。
「なんかせーちゃんの|能力《影》も鬼ごっこに参加してる気がすっけど……まァいいか纏めてあそンでやんよ」
「では、お任せしますよ」
 あんなに子どもたちに懐かれている彼なら、遊び相手をじゅうにぶんにこなしてくれるだろう。今は、気を張り詰めていた大人たちを休ませた方がいいだろうから。

七々手・七々口

「よっしゃ、酒探しに行くか。あと煙草吸っても良い場所も」
 一仕事終えたならば、くいっと一杯傾けたいところ。七々手・七々口は足取り軽やかに通りに面した店を品定め。店構えはどこも古めかしいものの、そういう場所にこそ√仙術サイバーならではの面白そうな酒がありそうな予感。
 とは言え、子どもたちが走り回る明るい通りよりも、路地を一本入って複雑に入り組んだ裏通りのほうがどうやら酒屋が多い様子。
「楽しみやねぇ」
 現地の人間におすすめしてもらった路地裏に潜り込んだ七々口の足取りはるんるん軽やか。
 話を聞くついでに手に入れた酒の肴は|烤麸《カオフー》と木耳、ピーナッツを醤油で甘辛く味付けした四季烤麸、塩と胡麻油で和えた叩ききゅうり、大量の赤唐辛子に花椒が鶏肉に絡むピリ辛の辣子鶏。どれも酒がすすむと評判だ。
「邪魔するよー」
 薄暗い店内には縁起の良さそうな赤いラベルの瓶や、ころんと太った壺のようなもの、透き通った黄色が美しい金木犀を漬け込んだ桂花陳酒、それにもちろん白酒や紹興酒まで揃っている。
 大きな酒瓶を丸ごと買い求めたいところだが、それを嗜むには時間が足りぬ。ひとまず今楽しめる分だけ譲ってもらった七々口は屋上に出ると、くたびれた安楽椅子に腰掛けて、前後に揺らめきながら舐めるように酒を呑む。
 |高粱《カオリャン》と呼ばれるモロコシや|黍《きび》といった穀物が使用される白酒は口当たりはまろやか、香りが濃厚で甘みが長く残るため脂っこい四季烤麸や辣子鶏によく合った。
「ふむふむ、なるほどねぇ。お土産にもっと買っとくかな?」
 そういえば。魔手たちには何も買わなかったな、とふと思い出す。「まぁええか」なんて開き直って二杯目を開けようとしたとき、それまで後ろでそわそわしていた魔手たちが、もう我慢ならないとばかりに七々口の首根っこをむんずと掴む。
「――待て、オレを引き摺りながら好き勝手にどっか行こうとするんじゃないよ。魔手達」
 けれど、みんなそれぞれ何かしらの強い情念を抱えているものだから、七々口ばっかり美味しい思いをしているのがなんだか楽しくないみたい。
「わかったわかった、これ飲んだら行くって」
 のちに。子どもたちの間で、大きなたくさんの手に引きずられる七々口が面白おかしく語られたとか。

ノキエス・オーロラ
永雲・以早道
アダルヘルム・エーレンライヒ

 赤、青、黄色、緑に紫、それから――白と黒。
 いつだってノキエス・オーロラの目を奪うのは世界に溢れる「色」だった。
 アジアン雑貨のお店は歩くのがやっとなくらい|色《物》で埋め尽くされていて、ノキエスはそれを|毀《こわ》してしまわないように、胸の前で両手をぎゅうっと握り締めて身を小さくして見て回った。
 光を透いた硝子皿、きらきらちかちか金糸が瞬くインドリボン。ああ、世界はなんて眩しいのだろう。
 ひとつの決心を抱いたノキエスは、店員に声をかける。
「……あの、彩墨と筆って、ありますか……?」

 ふわふわ、もくもく。
 いい匂いがする白い湯気は、あちらこちらに立ち昇り、思い切り動いてお腹が空いた永雲・以早道を誘惑する。
「おいしそうな匂いだなあ」
 そばを、二、三人の子どもたちが駆け抜けていった。ちいさな背中は軒を連ねる屋台を背伸びして覗き込み、店主に何やら楽しそうに話しかけている。
(そうだ! せっかくだし助けた子達と何か食べよう)
 子どもたちの背後に立った以早道は、屋台で売られているのが鶏肉を丸まる一枚揚げた大きくてスパイシーな|鶏排《ジーパイ》であることに気が付いた。それを幾つか入手し、隣の屋台で蒸籠五段にも及ぶ包子を受け取ると「わあ」「すごーい」きらきら目を光らせている子どもたちに呼びかける。
「お友達を呼んでおいで。みんなで一緒に食べよう」
 一緒に食べたらきっとおいしいから。

 上には空飛ぶヒーローパンダ、下にはねむねむ大の字ころりんパンダ。右には仰向けになって笹をはむはむする怠惰パンダ、左にはお互いをぎゅっと抱きしめ合ういちゃいちゃパンダ。
 どこを見てもパンダだらけの雑貨店をうろうろしているのはアダルヘルム・エーレンライヒ。
(個人的な趣味ではないぞ、決して)
 これは、そう。子どもたちがおすすめしてくれたから。ならば行かねば失礼というもの。幼き好意を無碍にするわけにもいくまい。
 自分と同じくらいの大きさをした巨大パンダぬいぐるみを抱っこして楽しそうな子どもたちを見て、アダルヘルムは眦をやわらかに細めている。
 ふわふわもこもこの寝そべりパンダ抱き枕と、パンダのお顔もふもふポシェット、それから「わーい」とはしゃぐように四肢を広げたこぱんだが刺繍されたハンドタオルをおすすめしてもらったので、それを土産用に手に入れたアダルヘルムは、お礼としてぬいぐるみを買ってあげることにしたのだ。
「おにいちゃんありがとう!」
 破顔するような表情を見ていると、師父たちが命懸けでこの子たちを守ろうとする気持ちが痛いくらいに分かって、命がひとつも欠けることなくここに在れる事実に、安堵するばかりだ。
 お喋りをしながら通りを歩いていると、店先に並べられたテーブルに何やら人だかりが出来ていることに、気が付いた。輪の中心にはノキエスが居る。
 不思議に思い子どもたちを伴って近付いてみると、ちょうど奥から以早道もやって来るところであった。合流したふたりは、互いが手にしているものを見比べて笑いあったあと、揃って輪の中心を覗き込む。
 それは、絵であった。
 透明な硯に|磨《す》られた墨は鮮烈なまでに鮮やかな色をしており、紙に乗せるとそのまま映したかのような彩が広がり芽吹く。
 黙々と筆を進めるノキエスの紙には|磨《す》られたそのままの色で空や花が描かれているのに対して、子どもたちのそれは色が重なり合って自由奔放。でもどちらも正解で、不正解なんて存在しない。
「……やっとわかったよ。ワタシが求めていたものは……鮮やかな色、だった」
 眦に珠のように盛り上がった冷却水が頬を伝い、ノキエスが咲かせた花の上に落ちて、じゅわりと花びらを滲ませる。
「本当は、√能力はとっくに持っていた。だけど、透明から濁ることを恐れて……それなのに、自由意志を捨てきることが、できなくて」
 声が震える。
「そっか、もう……戻ることは、できないんだ」
 筆を置いて、なんとか呼気を整えようとするノキエスの傍らに寄り添うように立った以早道は、滲んだ花びらが、それでも美しいまま咲き綻んでいる絵を見つめている。
「そうだね、生きていくのってちょっとずつ色がついていくことかも。でもそれは大事なものが増えていくって事だと思う」
 頤が持ち上がった。
 そろりと視線を上向けたノキエスが、太陽を背負った以早道を眩しそうに仰ぐ。それから、以早道の隣に肩を並べたアダルヘルムが、買ってもらった鶏排を美味しそうに頬張る子どもたちや、パンダのぬいぐるみをお友達に貸してあげている仲の良い姿、それから思い思いに白を埋め尽くすように絵筆を走らせるお絵かきの様子を見渡して、ノキエスに視線を留めた。
「……上手くは言えないが。油彩画は描けば描く程パレットが濁る。俺は濁ったあの色が好きでな」
 もちろん淡くて美しい名画も多い。
 けれど。
「ほら、色を重ねた分だけ成長した証みたいじゃないか」
「成、長……?」
 ほとりと首を傾げた視線に、双眸をやさしく細めて頷く。
「ま、気に入らない色になったら白で塗り潰しちまえ。そしたら何度も描けるぞ」
「自分の『色』が見つかるといいね。大丈夫、きっときれいな色だよ」
「……ありがとう、2人とも」
 自覚してしまえば、なぜだかスッと胸が軽くなったような気がした。それにふたりの言葉も水が染み込んでくるように広がって、それはやさしくてあたたかい温度をしていると思う。
「それならワタシは……描いてみたい。ワタシの|欠落《白く濁ったキャンパス》を埋める……ワタシの色を……描いていきたい……!」
 だからまずは、この白い紙を自分の色に染めてみよう。誰に言われるでもなく自由を描く子どもたちと一緒に。
「……ふふっ、みんな、もっと描いてみよう!」
「わたしも描きたい!」
「もちろん! 一緒に描こう」
 明るくなった表情に、ホッと安堵の吐息を揃えたアダルヘルムと以早道。さてこのままお絵かきを楽しんでも良いのだが――。
「ほら、ぼんやりしているとパンダ軍団が折角の鶏排や包子を食べてしまうぞー?」
 遊びに夢中でお昼ご飯を後回しにしている子どもたちに、パペットやぬいぐるみを使ってアダルヘルムが掻き立てると、きゃあきゃあと賑やかな声が通りを跳ね返る。ぬいぐるみ劇を披露してくれたおかげで、以早道が買って来てくれた鶏排や包子は子どもたちに満遍なく渡った様子。
「永雲殿よ、心遣いに感謝を。俺も有り難く頂くよ」
「アダルヘルムこそ。それにしてもそのパンダ、かわいいなぁ。どこで買ったの?」
「あちらにな、パンダ三兄弟が営む雑貨店があったのだ。暇が出来たら覗いてみるといい」
 でも今は、子どもたちと――白いキャンバスを自分色に染めるノキエスを見守ろう。きっとまた、束の間とはいえ平穏は訪れるはずだから。

夕星・ツィリ

 あつあつ餃子にほかほか包子、つるつるワンタンとぷりぷりエビチリ。卵が濃厚なカスタードクリームたっぷりのエッグタルトは、焼きたてさくさくのパイ生地がこんがりしていて良い匂い。
「美味しそうなものがたくさん! 私のお腹がフードファイターだったら、全部食べられたのに……!」
 珍しい屋台が軒を連ねる通りをてくてく歩く夕星・ツィリは、自身の薄いお腹に手のひらを宛がい、なんだかちょっぴり残念そう。
 お腹の容量には限りがあるから、自分が食べられるだけの量にしなくては。相談しながらピックアップしたのは、初チャレンジのジャージャー麺。それから小籠包と蒸し焼売をちょっとだけ。
 カウンターの背の高い椅子にちんまりとおさまったツィリは、白くて大きな皿に盛りつけられたジャージャー麺を前に両手を合わせていただきます。
 細かく切った豚ひき肉をたけのこと一緒に|甜麺醤《テンメンジャン》で煮詰めた肉みそをたっぷりかけた汁なし麺。細切りにされたきゅうりがしゃきしゃきしていて食感も楽しく、ちょっと辛いけれど食べる手が止まらない。
(甘い物は別腹というけれど余裕はあったほうがいいもんね)
 念のために小盛りにしてもらったのだが、おかげで肉汁たっぷりの小籠包と蒸し焼売も美味しく頂けて大満足。
 まだまだ余裕のあるお腹はスイーツを求めてエッグタルトのお店に一直線。なんとパイ生地とクッキー生地の二種類あるらしくて、これが多いにツィリを悩ませる。
「迷うくらいなら、いっそ!」
 パイもクッキーも食べちゃえばいい!
 こんなときのためにお食事は軽くに抑えていたのだから。
「デザートのためのお腹に余裕を残しておいて良かった!」
 口いっぱいに広がるカスタードは、甜麺醤の辛さを吹き飛ばすくらい甘くてなめらかでとっても美味しい。さくさくほろりなパイ生地も、ざくざくとした食感が楽しいクッキー生地も二度ツィリを新鮮に喜ばせる。
 お腹いっぱい、食に満足したツィリが向かうのはたくさんの物で溢れた雑貨店。なんだか妖しい雰囲気にどきどきしてしまうけれど、蓮の花が儚く描かれた皿や、揃いのグラスを手に取ったその瞳は負けないくらいきらきらだ。
「猫ちゃんの小さいお皿もある!」
 次にいつ会えるか分からないから。ツィリはすきっと真っ直ぐなコリンズグラスと、蓮と猫ちゃんのお皿を購入。
「グラスは今年の夏に大活躍してくれそう!」
 夏の陽射しを透くグラスはきっと眩しいのだろうな。宝物を胸に抱きしめるように買い物袋を抱えたツィリは、今年の夏が楽しくなる予感がして、待ち遠しさに胸を躍らせるのだった。

花園・樹

 正直なところ、心苦しい気持ちがある。
 けれど、今は背に腹は代えられない。花園・樹は白気を用いて|鬼城《ゴーストタウン》に広がり渡る安心感や信頼感を増幅させると、転んで擦りむいた傷や、戦闘の余波を受けて壊れたものを修復してまわっていた。強制的に思いを膨らませるのは、やはり抵抗がある。
 けれど、樹が顔を出すと鬼城の人々は彼を笑顔で歓迎してくれた。それにひどく安堵してしまい、肩の力が漸う抜けていく。
 歓待の場を設けてくれた師父に改めて礼を告げれば、相好を崩したやさしい笑みが返ってきて。そんな表情や、子どもたちに慕われている姿を見ていると、かつて自身が世話になった孤児院の院長先生が重なって見えてしまい、胸が熱くなる。
 師父よりも上背のある樹を、子どもたちがこそりと盗み見ていた。しゃがみ込んで目線を等しくして、やわらかに微笑みかけると、どうやら頭上の耳が気になる様子。
「わんわん……?」
 双眸を細めるようにして頷いた樹は、師父を見上げて「すこし時間を頂いても?」問いかけた。
 はなから知らないのと、少しだけ知っているのとでは随分ちがう。
 樹は集まってきた子どもたちに、拾った石を飴玉に見立てて全員で同じ数だけ分けるにはどうすればいいのか、そんな簡単な算数を教えてあげることにした。中には理解している子もいたので、そんな子どもたちには地面を黒板代わりにした○✕ゲームや、大きな円をチョークで描いてけんけんぱの遊びを。
 様子が気になり、どんどん集まってくる子どもたち。賑やかになってゆく様子には樹も師父もたまらず笑顔がこぼれる。いや、きっと笑顔はずっと咲いていて、綻んだまま。
(この√……ましてや下層となれば学校なんてないかもしれないし、そもそも不要だと思われるかもしれない)
 師父が何も言わないやさしさに甘えて、樹は「もっと教えて」とどんどん吸収していく子どもらの期待に応えてゆく。
(それでも未来を作り、変えていくのは……たとえ√が違っても子供達だと信じたいから)
 向上心が、探求心が、そして知識欲があるならばそれを支えたい。たとえ束の間の時間だとしても、この経験がいつかどこかで役立つ日が来ますようにと、樹はそう願わずにはいられない。
「みんなよく頑張ったね。いっぱい勉強して遊んだからお腹が空いたんじゃないかな?」
「すいたー!」
「じゃあスイーツのお店に行こうか。どこがおすすめか私に教えてくれるかな?」
 こう見えて甘いものには目がないんだ、なんて悪戯っぽく微笑むと、自分たちにも教えてあげられるものがあるんだって分かった子どもたちが我先にと手をあげてぴょんぴょん跳ねる。
 その光景を、師父はなんだか泣きそうな笑みを浮かべて眩しそうに見守っていた。

篭宮・咲或
時月・零

 束の間の休息。
 一先ずの脅威が過ぎ去ったとはいえ、死体共を操っていた黒幕がいつ現れるとも分らぬし、それに腹が膨れすぎては肝心なときに動けなくなってしまう。ゆえに時月・零はちんまりした小籠包とクッキー生地のエッグタルトをひとつ頂くことにした。
「腹が減っては戦はできぬっていうしねぇ」
 屋台から戻って来た篭宮・咲或はごきげんだ。
 しっかりちゃっかり甘味を手に入れている零を見て双眸を猫のように細めて笑うと、その隣に腰かける。とうてい椅子とは呼べない、瓦礫に布を敷いただけの粗末なものであったけれど、端切れを繋いだクッションなどが幾つか転がっており、憩いの場である様子が窺える。
「お前は何を頼んだ?」
「俺は炸魚皮ってのにした~」
 茶色い紙袋を左右に振ってにんまり笑った咲或は、揚げたてを貰って来たのかよい香りを立ち昇らせている。
「酒に合いそうじゃない?」
 |鰈《カレイ》の皮を剥ぎ、薄く衣をつけてカリカリに揚げたという炸魚皮。塩が振られておりパリパリした食感がくせになる一品だ。
「酒に……確かに合いそうだな」
 よほど美味しいのか、大きな炸魚皮があっという間に咲或の口に消えてゆく。
 その様子に吐息をついた零は、蒸籠のふたを開け小籠包をひとつ摘まむとレンゲに乗せて、皮をすこし破いてスープを移す。そして琥珀色のスープを味わってから小籠包をぱくり。齧ると口の中に広がる旨味は、零に舌鼓を打たせるほど。スープを移しても噛む度に広がる鶏ガラの出汁はこれだけで主役になりうる美味さだ。
(こういう場所で食べる飯は案外美味い)
 黙々と箸を進める零の隣。
「やっぱりこれツマミに最適。あ~酒欲しい。何処かに売ってないかしら」
 聞こえてきた言葉は、それまでほんのりと機嫌が良かった零の目元を険しくさせた。
「……お前の酒は信用出来ん」
「俺の酒への信頼が0……我慢しまぁす……代わりにミルクティー飲んどこ」
 そんなつもりはなくとも、ぎろりとした視線に射抜かれて、しょぼぼんと肩を落とす咲或であった。
 腹ごしらえを終えたふたりは、チェシャ猫商人が居る地下へと足を運ぶことにした。√仙術サイバーへの道は繋がったばかりでまだこの√の武器には馴染みがなく、敵がどういった武器を用いて戦うかも不明な点が多い。
「職業柄武器があって困ることはないしね」
「ああ。色々見て回りたい」
「良いものあったら俺も買っとこうかな」
 リサーチついでに運命に出会えたら儲けもの。頂けるというのであれば、詮索せずにありがたく頂戴して、武器を己のものにしたい。
「さぁどうぞ。ゆっくり――なんて時間があるか分からないけど、好きに見ておくれ」
 カウンターに肘を突いてにこにこ笑うチェシャ猫に軽く頷きを返した零は、コレクションのようにずらりと壁に飾り付けられたそれらを見渡して。さてどれから仔細を窺おうかと思っていた、そのとき。
「鏢っていうの? これ」
 横から話しかけられ、意識が逸れる。
 見やれば、白い手のひらの上に何重にも巻かれた縄が乗っている。だがよく見れば、その先端には照明を妖しく照り返す小型の刃物が括りつけられていて、蓮の花の意匠が施してあった。どうやらものによって意匠が異なるようだ。
「飛び道具……その類持ってなかったからいいかも」
「確かに。縄付きの物は他の投擲武器と比較して、手繰る事も可能で何かと使えそうだ」
 接近した際の戦い用に咲或が気になっているのは扇と重火器。絵付けされた華やかな扇は開けば美術品のようではあるが、かなり重い。どうやら骨が鉄で出来ているらしい。
「材質は色々種類あるよぉ」
 時おりチェシャ猫からアドバイスと補足が飛んでくる。
 商人から視線を剥がした零は、先の戦いを思い出していた。
「お前は……扇はよく似合いそうだな。先程ランチャーも使っていたし、かなり扱う武器は手広いんだな」
「武器はさ、色々使えると戦闘が楽しいでしょ?」
「そういうものか?」
「そういうもの。鏢とーこっちの扇頂戴」
「はいよ。そっちのお兄さんはどれがいいんだい?」
 水を向けられた零は、一本も狂いなく綺麗に束ねられた鋼糸を手に取った。夜の闇を紡いだように漆黒のそれは、光を返さない。
「上手く扱えれば戦術の幅が広がりそうだが」
「戦闘の他に足止めにも使えそうじゃない? 使い方工夫したら足場にもできそう」
「足場か……なるほど、そうだな」
 闇夜に紛れれば視認できない極細糸は敵の首を取るのも、捕らえるのも有効に違いない。だがこれを足場にすることが出来れば禍を狩る手段がひとつ増えたということ。
「此れを貰うとしよう」
「あいよ。なぁにすぐ慣れるさ。トレーニングする|相手《敵》は、ごまんといるだろう?」
 ひひひ。昏がりの奥でチェシャ猫が嗤っている。

クレス・ギルバート

 子どもたちの笑い声は風に乗って通りを過ぎゆき、空虚な過去の遺物に反響して|鬼城《ゴーストタウン》に明るさを灯す。
 良い場所だ、とクレス・ギルバートは思う。
(きっとこの地に生きる人々が、大切に慈しんできたんだろう)
 たとえどんなに苦渋を舐めるような過酷な環境下だとしても、子どもたちが笑えるひとときがあること、そしてそんな子どもたちを守ろうと思える心を持つ者がいること。それらが共存している姿を見ていると、胸にあたたかな気持ちが広がってゆく。
 立ち並ぶ店も雑多でありながらそれぞれが賑わいを見せていて、目が幾つあっても足りないくらい。どの層も活気があるとは聞いてはいたけれど、これほどとは。
 興味深そうに周囲へ視線を巡らせていたとき、クレスのやわらかな菫色の眸が見つけたのは髪留めを扱う店。まるで吸い寄せられるように入店したクレスは、硝子のショーケースに展示するかのごとく飾られた簪に気が付いた。
 それは淡く煌めいた睡蓮だった。たった今咲き綻んだというように花びらを広げた儚い姿を手に取ると、淡金の髪を風に遊ばせる幼馴染の姿が脳裏を過ぎる。
「玻璃の花飾りはあいつによく似合うだろうな」
 ここには居ないぽやぽやした彼女の笑みを想像すると、思わず柔く笑ってしまう。もうこれしかないとばかりに簪を包んでもらったクレスは、再び通りに戻って往来の活気に目を眇めながら散策を再開。
 すると、先ほどの戦闘で自身が助けた女の子がビールケースの上に座って飲み物をこくこく飲んでいる姿を見つけた。爪先がそちらを向く。
「怪我はないか?」
 目線を合わせるように屈んで笑いかけると、女の子はストローから口を離し「あ」といった風に目を真ん丸させる。
「さっきのお兄ちゃんだ!」
「よく頑張ったな、信じてくれてありがと」
 へへ、と照れ臭そうにふにゃりとした笑みを広げる女の子は、なんだか恥ずかしくなってきたのか小さくなってもじもじしている。
「お兄ちゃんは、おうじさまなの?」
「ん……うん?」
「やっぱりそうなんだ!」
「あ、いや。今のはそういう意味じゃなくて……」
「なになにー?」
 どこに隠れていたのかと思うくらい、あちらこちらの隙間からニュっと子どもたちの顔が現れる。あっという間に幼い子たちに周囲を固められたクレスは驚きつつも、このまま子どもたちの相手をしてあげるのもいい機会だと、みなを仲良く座らせて冒険譚を語ってみることにした。
 それは宝の眠る遺跡の最奥にいる竜との戦い。どきどきはらはらするお話の次は、壁も柱も全て甘いお菓子の迷宮。
 未知の世界はなんだかきらきらしていて、とっても眩しいみたい。心躍るような冒険譚に聞き入る子どもたちの明るい表情が、どうか一秒でも長く続くことをクレスは願わずにはいられなかった。

祭那・ラムネ

(……よかった。子どもたちも、この人たちも無事で)
 喜びを分かち合う|鬼城《ゴーストタウン》の人々の姿を目にしていると、間に合った事実が込み上げてくるように思い、祭那・ラムネは心から安堵した。
 もちろん、黒幕の正体を突き止めることが出来ていない以上、まだ気を抜ける状態ではない。それでも今は、元気な笑顔をただ共に喜びたいと思う。
 無我夢中だった。とにかく「助けなくては」「護らなくては」という思いが己の身体を衝動のままに突き動かしていたので、緊張の糸が切れるとふいに訪れた束の間の休息をどう使えば良いのか、普段はどうしていのかなどが分からなくなってしまった。
「……そうだ」
 |鬼城《ゴーストタウン》の街並みは、お世辞にも綺麗とは言えない。おそらく放置されて長い時を経た建物も部屋も多くあるのだろう。
 人の気配がするところは、手を加えている様子が見受けられるが、それでも資材や人手が必要になるものだ。そういった修理や補強、それこそ男手が必要なことなど、困っていることなどがないか聞いてみてもいいかもしれない。
 閃きを実行しようと、さっそく鬼城の大人たちに声をかけに行こうと歩き出したとき。
「あ。さっきのおにいちゃんだ」
 ちょうど、建物の影から飛び出してきた子どもたちと遭遇、それがラムネが助け出した子だと気付いてパッと笑顔が咲く。
「大丈夫? 怪我はなかったか?」
 しゃがんで目線を等しくすると、子どもたちは「うん!」と大きく頷いてピースサイン。
「案内を頼めないかな」
「あんない?」
「どこにー?」
「困ってるひと、知らないか? 例えば建物を修理したいとか、家の屋根を補強したいとか。あとはそうだな……店の手伝いを探してるとか。猫探しだって何でもやるよ」
 ラムネの言葉に顔を見合わせる子どもたち。
 額を突き合わせて相談している姿は大真面目だけれど可愛くて、ついつい笑みが零れてしまう。しゃがんだままにこにこ待っていると、子どもたちが振り返って通りの方を指差した。
「師父があまもりするって言ってた」
「こぱんださんたちは、てんじょうのかざりつけがたいへんだって」
「なるほど。じゃあまずは……雨漏りの修理からかな。師父のところに連れて行ってくれるか?」
「いいよー」
「こっちー」
 駆けだした子どもたちのあとを、ゆるやかな歩幅で追いかける。時おりあっちはエッグタルトのお店、あっちの路地の奥は猫のたまり場など教えてくれるものだから一向に目的地につかないけれど、まるで探検のように楽しくて。
 それに。
「……ご飯のすげえ良い匂いがする」
 美味しそうな匂いに誘惑されそうになるけれど、ラムネはぐぐっと我慢。お手伝いのお礼にごちそうしてもらうのだが、そうとはまだ知らないお人よしで世話焼きの青年なのだった。

月守・結逢

(へぇ、子供が元気で何よりだ)
 通りを風のように駆け抜けていく後ろ姿や、屋台脇のビールケースにちょこんと座って点心を頬張っている姿を見渡して双眸を眇めた月守・結逢(サムサラ・h06501)は、ふと目に留まった子らに近付いてゆく。
「――美味しそうな物を食べてるね?」
 ニッと笑顔を浮かべると、子どもたちもつられたのか、にこっと可愛らしい笑みが返ってくる。
「いいね~♪ エッグタルトにミルクプリン。君らはプリンが好き? よければ一緒に食べない? 好きなの教えてよ」
「あずきいっぱいのせるのがいいよ!」
「マンゴーもおいしいよ!」
 カルガモの親子のように連れ立って歩く結逢と子どもたちを見て、通りすがった人々がくすくす笑っている。店の中に入っても結逢の周りを取り囲んで、一生懸命教えてくれるものだから、あれもこれもと選んでいたらミルクプリンはまるでプリンアラモードのような豪華さに。
 甘さ控えめに煮詰められたあずきに、噛むたびに果汁が溢れる濃厚なマンゴー。食感が楽しいタピオカや舌触りのよいなめらかな生クリーム。それからフルーツをたっぷりと。
「ん、美味い! こりゃ、皆が好きなのも頷ける。好きなの教えてくれてサンキュ♪」
「へへへ」
「たまにしか食べられないんだー」
 サングラス下の双眸が、そろりと細くなる。その意味を深く考えるより結逢は幼い者たちとのお喋りを楽しむことにした。詮索しないほうが、時にはいい事だってある。
 次いで結逢が訪れたのは路地裏地下にあるチェシャ猫商人の武器屋。
「お~♪ 良い物が揃ってる」
「お眼鏡にかなうものがあるかな。ひひひ」
「ちょっと見させてもらうよ」
「どうぞごゆっくり」
 薄暗い店内、幽かな灯りをわずかに反射するのは黒々とした銃身の拳銃、ぎらりと鋭い瞬きを返すのは雷鳴刀。清めた古銭を束ねた銭剣など、これまで目にすることがなかった得物たち。
 そんな中で結逢が心惹かれたのは長い柄の先に刃を取り付けた偃月刀と仙術合金製の極細糸の鋼糸である。
「気に入ったかい? 慣れは必要だが、扱えるようになると楽しいよ、きっと」
「こんな上等な物をもらっていいの?」
 まだ誰の手にも触れていないのが分かる。大盤振る舞いな心意気に素直に乗ることにした結逢は、ありがたく頂戴することに。
「勿論、礼に見合った働きはする。気に入った所は守る主義でね。君が商いで守る場所を、ボクにも守らせてよ」
 柄を握り締め、天を貫くような勇ましい偃月刀を見上げながら寄越された言葉に、チェシャ猫が笑う。
「期待してるよ。でも無理はしないことだね。恩人だが、客人でもあるんだから」
 結逢とチェシャ猫はニィっと唇を三日月のようにして笑い合った。

雨夜・氷月
ララ・キルシュネーテ

「ねえ、ララ。ちょっとワルそうなトコ行かない?」
 それまで一体どこに居たのやら。猫のようにふらりと姿を現した雨夜・氷月(壊月・h00493)が、にんまり笑って|ララ・キルシュネーテ《小さなオトモダチ》を誘う。
「わるそうなところ?」
 それは一体どんなところなのだろう。ララはきょとんと氷月を仰ぐ。
「ララはこんなにいい子なのに」
「んは、イイコでいるには多少ワルイコトも知っとかないとね」
「面白いわね。ララもわるいこになるわ」
 爪先が向くのは、先ほど妖しいフードを被った男が顔を覗かせていた路地のほう。空虚な過去の遺物に細く切り取られた空、張り巡らされたコードの下を足取り軽く、ふたりは進む。光の届かない地下へと深く下りて行くと、そこには数え切れないほどの武器の数々がお出迎え。
「武器のお店?」
 ちょっと意外だったララはぱちぱち瞬き。
「んっふふ、こういう武器屋って雰囲気あるよね」
「おや、いらっしゃい」
 カウンター奥で新聞を広げていたチェシャ猫は氷月を見て、それからちんまりしたララを見る。少し首を傾げて思案している風であったのだが、師父から話を聞いていたのだろう。色んなひともいるもんだと、カウンターに肘を突く。
 なおもふしぎそうにあちらこちらを見渡しているばかりのララに、今度が氷月が瞬く番。
「あれ? ララはあんまりこういうの馴染み無いの?」
「ララの武器は――光の鳥が変じる窕のナイフと、桜水晶鳥が変じる銀災のフォーク」
 それから、雛女を祝する聖天の光焔である迦楼羅焔。およそこの地下に眠る武器たちとは無縁も無縁。この先もきっと交わることのない衆生を救う穢れのない光。ゆえに、氷月が示すような武器は使ったことがないし、触れたことすらなかった。
「ま、確かに暗い場所で取り扱う武器は、ララが扱うの感じのは無いかも。何か気になるのはある?」
「この変わった形の刀とか。ひょう? というのかしら尖ったやつも面白いわ。これは、氷月に似合いそうよね」
「そ? 俺に似合うかな?」
 黒々とした縄の先端に、意匠が施された小型の刃物が括りつけられている。手に取ってみると刃物は少し重く、ゆえに遠心力でよく飛びそうだと想像が容易い。
 縄を短く持って氷月はくるくると鏢を振り回しながら、空いた片手で壁にコレクションのように掛けられた重火器を示す。
「アレはサブマシンガンで連射出来るタイプだね。ワルイヤツを蜂の巣にするの」
「さぶましんがん、というのは穴ぼこだらけに出来るの? 楽しそうね。ララにもぶっぱなせるものなのかしら?」
「ララが扱えるヤツあるかな?」
 このちんまりしたお嬢さん、意外と物騒だなぁというチェシャ猫の心中はいざ知らず。
「この辺の武器で何か氷月、何かやってみて頂戴」
 なんか始まった。
 そう思うチェシャ猫だが恩人に文句を言えるはずもなく「物は壊さないでおくれよー」と、言い添えることしか出来ずにいる。でもにんまり笑った口元は相変わらずで、チェシャ猫自身もちょっと楽しんでいるのが窺えた。
 ララからのリクエストを受け、ほんのわずかに考える仕草をみせた氷月は、ジュラルミンケースに納められた暗器のひとつ針を手に取ると、ララによく見えるように仄かな照明に翳して全体図を覚えさせる。
「コレは暗器で、隠しといてこっそり刺すんだ」
 長い指先がなめらかな動きで針を手のひらに包み隠した。瞬きもせず、じぃっとその手元を見つめる花眸ににんまり笑みを刷いた氷月は、反対の手でララの肩をとんとん叩く。
 反射で振り返ったララがその方を見たとき、眼前に先ほど見た針が。
「あら、針。気が付かなかったわ」
 氷月の指先から針を抜き取り、しげしげ見つめる迦楼羅天の|雛女《ひめ》。
「これも武器なの? 予防注射かと思ったわ」
「針先に仕込めば色々ね」
 毒を塗れば容易く皮膚の下に致死を潜り込ませることができるだろう。触れただけでも猛毒のそれ。気付いた時にはもう地獄に堕ちているかもしれない。
「ヒトの武器は興味深いわね」
「でしょ? ねーねー、もっとなにかないのー?」
「あるけど……お兄さんたち武器が欲しいの? 武器で遊びたいの?」
 ついに突っ込まれてしまった二人はきょとんと顔を見合わせると、薄暗さを纏ってにやぁっと不気味な笑みを浮かべるものだから、チェシャ猫商人を大いに怖がらせるのだった。

夜鷹・芥
李・劉

 ほう、と感嘆の吐息が思わずこぼれてしまう。
 李・劉は儚く咲いた菫のような瞳に映る鬼城の活気に瞬いていた。もっと過酷を強いられているものだと思っていたから、なおさらに。
「此方の√も心惹かれる店が数多あるネ! 飲食、雑貨……チェシャ猫商人くんの店も気になる!」
「お、劉も気になるか?」
 同道していた夜鷹・芥も、ちょうどチェシャ猫が消えて行った路地に意識が向いていたところ。
 けれど、覗いてしまえば時間が溶けてしまいそうなのが分かり切っているので、また後でと一旦堪えることにしたふたりは、束の間の休息はまず腹ごしらえをすることに。
「腹も少し減ったしな」
「甘味は是非チェックしたいネ!」
 師父の言葉に存分に甘えるつもりの劉の様子に芥がちいさく笑う。
 通りは蒸籠で蒸したほかほか点心の香りや、豊かな茶葉の香り、甘辛く煮付けた醤油の香りなどで満ち満ちていて、匂いを嗅ぐだけで腹の虫が騒ぎ出す。
 芥は角煮がゴロゴロと入ったちまきと、ふっくら大きな肉まん、それから琥珀色のスープが美しい小籠包を頂くことに。
 店先に並べられたテーブル席でどんどんぺろりと平らげていく姿に、通りすがった子どもたちが目を真ん丸にして、ぽかんと見上げている。
「ん。食べるか?」
「……いいの?」
「ありがとー」
 もみじみたいな小さな手がふわふわの肉まんを持っているのは、何だか幼さを強調するようで微笑ましい。目元をやさしくやわらげている芥の向かいでは、お上品に焼売を口に運ぶ劉がいて。
「たんとお食べ」
 蒸籠ごと差し出してにっこり微笑む。
「小籠包はスープが熱いからネ、気を付けるんだヨ?」
「師父このあいだ、ぼーっとしててやけどしてた」
「おや、それは災難だ」
 一緒になってくすくす笑えるのがうれしいのか、子どもたちはずぅっとにこにこ顔。この笑顔がいつまでも、すこしでも長く在れればいいのに。
 劉がそんなことを思ったとき。
「劉も食う?」
 呼びかけられ意識が持ち上がる。芥が手にしているのは大きなふわふわの肉まんで、劉が何がしかを口にするより早く、彼は手に持っていたそれをぱかりと半分こ。
「お、半分くれるのかい?」
 差し出された半月肉まんを見て、にこっと微笑した劉の言葉に「あ」と内心呟いた芥が、気まずそうにすこし俯いた。
「悪い、つい癖で」
「ふふ。構わないヨ。半分こは仲良し証♪」
 へんに弄るような彼ではないから、ほっと安堵の吐息を零した芥はずいぶんと身体に染み付いてしまったのだな、と己の手のひらをしばらく見つめていた。
 食事を終えたあとは、もちろんデザート。
「お待ちかねのミルクプリン!」
 河岸を変えたふたりが足を運んだのはスイーツのお店。
 真っ白つやつやぷるぷるのミルクプリンにうきうきが止まらない劉の横顔を見た芥は「へえ」関心を示す。
「意外と甘味の方を好むんだなあ」
「ふふっ、私は甘党なのだヨ★」
 子どものようにはしゃぐ様子の劉がなんだか新鮮で、芥は無意識に目口を綻ばせた。
「流石、お前も同業なだけある。――ミルクプリン、トッピングはどうする?」
「トッピングかぁ。小豆をたんと小豆ミルクにするか、タピオカフルーツも捨てがたい」
 メニューにサンプルが載っているのだが、白いミルクプリンが隠れるほど盛り付けられたあずきや、飾り切りされたフルーツが装飾のように美しく盛り付けられているのを見ていれば、どれも魅力的で美味しそうに見える。
 まさかスイーツのお店でこんなにも唸ることになってしまうとは。
 劉のおすすめを食べるつもりであった芥は、思わぬ伏兵の登場に含み笑い。常に謎めいた言動でひとの心を惑わすような男が、こんなに可愛らしいスイーツに誘惑されているのだから、分からないものだ。
 よぅし、と意を決した劉が芥を振り返る。
「二種にして食べ比べ如何?」
「ん、じゃあ二種でいこう」
 あれもこれも味わうのは、なんだか罪の味にも似ていて、ひどく舌を喜ばせるものだった。
 そうしてふたりは、お待ちかねのチェシャ猫商人の武器屋へ。
 店主のイチ押しだという鏢には蓮の花が彫られた意匠付きのもの、涯てより雷を喚べる刀、まるで天から落とされた蜘蛛の糸のように真白の鋼糸。ジュラルミンケースにぎっしり詰まった暗器や、重火器の類に目を輝かせるふたりを見てチェシャ猫がくつくつ笑っている。
「オトコノコだねぇ」
「本当に貰ってもいいのかい?」
「もちろんさ。具合が違うものもあるからね、手に馴染んだのを持っていくといい」
 そう言われてしまうと、ふたりは武器の前からしばらく離れられなかった。
 お腹もいっぱい。新たな武器も発見。束の間の休息がまさかの大収穫。
 これで終わり? なんてことはない。明るい地上に出たふたりを待ち構えていたのは、ふわふわころころキュートなパンダ。
 うっかり目が合ってしまった桃色パンダは、後日事務所にちょこんとお座りして「何しに行ったの?」なんて揶揄われるのだが、今からそんなやりとりをちょっと想像できてしまう芥なのだった。
 きっと可愛い好きの子らが喜ぶだろうと、劉もお店にお迎えしたくてパンダを数匹お持ち帰り。まるまるころりん、きっと愛らしい看板になってくれるはず。
 足取り軽やかに、ふたりの店巡りはまだまだ続く。

破場・美禰子

(ちびっこ達が気負わずに保護者に抱きつけに行ける。その光景を見れりゃ、このババアにゃ十分なご褒美なンだけどなァ)
 ひとり背におぶさって、手を繋いでくるくる子どもたちと一緒に回っている|師父《シーフー》の姿を遠巻きに眺める破場・美禰子の表情は柔らかい。皆が無事で再会できた、ほんとうの笑顔を見ることができた。それが何よりの報酬だ。これ以上に何を望むというのだろうか。
 ――しかし。
「もてなしに遠慮は野暮、有難くご馳走になろうか」
 歓待の意を示してくれるというのであれば、素直に受け取るのも人間関係に於いて大事なこと。手招く|鬼城《ゴーストタウン》の呼び声に応じた美禰子は、間口の大きな飲食店に顔を出すと、壁に張り出された写真付きのメニューを仰ぎながら注文する。
「ワンタン麺と、子供達に人気のおやつをひとつお願い出来るかね?」
「子どもたちにかい? そうだねぇ……」
 慣れた様子でワンタン麺をささっと一杯作り上げた料理人は、カウンター席に浅く腰掛けた美禰子の前にどんぶりを置くと、従業員と思しき若い女性を使いに走らせた。
「悪いね。もしかしてここには無かったかい?」
「ああ、気にしないでくれ。ミルクプリンを扱ってる向こうの店で……ちょうどフルーツが入ってね」
 甘くとろけるようなマンゴーとあずきをたっぷり乗せたミルクプリンが子どもたちに人気だという。少し言葉を濁したあたり、やはり鬼城ではフルーツは常日頃いつでも食べられるものではないのだろう。
 それでもミルクプリンは手軽に食べられる子どもたちのおやつ。
「……あァ美味しいね、いい仕事だ」
 つるりとなめらかな食感、舌に触れるとじんわり広がるやさしい甘さに目元を和らげた美禰子は、子どもたちがこの味に慣れ親しむのも分かる気がして、良いことを知れたとばかりに微笑んだ。
「心づくしの料理を頂いた後はお返しをしないとね」
 それじゃあべこべだよと笑う料理人ににやっと笑ってみせた美禰子は、通りに出るとお昼ご飯を食べ終わった子どもたちを搔き集めた。
 美禰子はそれまでずっと携えていたビニール袋からゴム鉄砲やメンコ、輪ゴムでプロペラが回る仕組みの組み立て飛行機を取り出すと、ずらりと並べて子どもたちを大いに湧かせてみせた。
 通りの少し先。本来ならば、建物と建物の間に生まれたただの空間、言うなればデッドスペースに美禰子は駄菓子売り場――つまりは自分の店を建築していた。本当は店に連れてきたっていいのだが、店には駄菓子もある。
(アタシらは常に此処にいる訳じゃァない)
 一度味を覚えてしまうと、返って辛い思いをするかもしれない。与えたあと、どういう心境の変化が訪れるのか。それは長年生きてきた美禰子にだって予測不可能だし、なにより責任が持てない。
(一回こっきりで終わるのよりゃ、長く遊べてその気になりゃ此処にあるモノでも作れる方が子供の笑顔に紐づくンじゃァないかとね)
 そう、美禰子は思うのだ。
 できるだけ複雑ではない玩具を用意した。仕組みも単純だから子どもたちも自然と見て覚えるだろう。大人たちの手が離せないときに、ちゃんと自分ひとりでも、友達と一緒に遊んで待っていることが出来ればいい。
「さ! 気になる子供はおいで。やり方も教えよう。友達と競って遊ぶといい」
 パン、と両手を叩いて子どもたちの意識を向けさせる。
 はじめて見る物体にしきりに首を傾げるさまが、なんだか看板猫が音を拾っている仕草にも似ていて思わず笑みが零れてしまう。
「ババァも勝負は受けるが手加減しないよ! 普段から歴々のクソガキ達に揉まれてるアタシは強いからね。全力でかかってきな」
 すさまじい気迫に顔を見合わせた子どもたち。
 けれど鬼城に住んでいるからなのか、あるいはそういう大人たちをたくさん見てきたからなのか。全く怯むことなくメンコやゴム鉄砲を手に老体だろうと構わず突撃していく――。
 みーんな、返り討ちに遭って美禰子の圧勝だったけれど。
「まーけーたー」
「おばあちゃんつよーい」
 それでも子どもたちは楽しくて、楽しくて。いつまでも咲いた笑顔が枯れることはなく。有り余るパワーにいい加減疲れてきてしまった「B BA」の店主を、それはそれは振り回したそうな。

キュロス・ラビュリントス
ガザミ・ロクモン

 陽の光から遁れるように地下に広がる薄暗い店内は、仄かな灯りが呼気のリズムで明滅している。キュロス・ラビュリントスは合流したガザミ・ロクモンと共にチェシャ猫商人の武器屋へと訪れていた。
 仙術サイバーならではの雑貨も興味を惹かれるが、やはり冒険者としての需要を思えば武器を|識《し》りたいし、市場の動向もしっかりと仕入れるのは今後の商売を見据えてのこと。満足する頃には商人が少しぐったりしていたが、知りたいことは大体得られたので満足するキュロスであった。
 地上に出ると光が瞼の裏を刺すほどに眩しくて、歩みが止まる。
 風に乗って運ばれてくるのは、子どもたちの笑い声。先ほどとは打って変わった楽し気な様子に、キュロスは眦をやわらげた。
「ここは温かくていい場所っすね。ずっと変わらないでいてほしいっす」
 死体共を操っていた黒幕の正体は未だ不明だが、それもいずれ分かるのだろう。それまでは、たとえ束の間でも安寧を生きてほしい。
「……おっと、仕事に夢中で食事を忘れてたっす。ごめんっす!」
「では、通りを少し歩いてみましょうか。色々種類もあるようですし」
 笑みを刷いたガザミが歩き出したときだった。
 ちょうど、通りの脇道から数人の子どもたちが飛び出してきて、ふたりを見つけると目を輝かせて「あ」立ち止まる。
「皆さん、上手に逃げられましたね。無事な姿を見られてホッとしました」
 子どもたちの前にしゃがみ込んだガザミは、そのちいさな頭に手のひらを乗せるとやさしく撫でた。子どもたちは照れ臭そうにはにかんでいるが、嫌ではないのかおとなしい。
 ほわほわ花でも咲いたような微笑ましい空間に突如響くお腹の音。
「お恥ずかしい」
 眦をほんのりと赤くしたガザミがコホンと咳払い。どうやら緊張が解けたせいか、身体が空腹を訴えてきた様子。
「おなかすいてるの?」
「じゃあおみせに、つれていってあげるー」
「ありがとうございます」
「よろしくっすよー」
 とてとて走る子どもたちのあとをゆっくり追いかける。
 通りは元気な声と、美味い飯の匂いと、それから不思議な活気で溢れていた。
 決して綺麗な建物ではないし年季を感じるものばかり。それでも工夫して生活していることがあちこち窺えて、何より人々の底力を感じさせた。鬼城の全域がこうではないのだろうが、子どもたちが笑える場所が少なくともここには一つ存在する。その事実があれば、今は十分な気がした。
 辿り着いた先の露店では海老入りの熱々小籠包、|鰈《カレイ》の皮を剥いで薄く衣をつけカリカリに揚げた香ばしい炸魚皮。それからゴロゴロと肉の入ったちまきと、じっくりと煮込まれた牛バラ肉の乗ったラーメンなど、心惹かれるままに注文するガザミに、子どもたちはぽかんとしている。
「いっぱいたべるねぇ」
 口に合うといいねーなんて、誰の真似をしているのやら挨拶を残して颯爽と遊びに行ってしまった子どもたちに手を振り見送ったガザミは、椅子に腰をかけてもずっと露店とスマホを交互に睨めっこしているキュロスを見て、小さく笑みを零す。
 どうやら相場把握のために、目についた価格を片っ端から記録しているらしい。仕事熱心なキュロスのために、小籠包と炸魚皮を取り分けた皿を押し出すと、視界に滑り込んできたものを目にしてようやく我に返ったようだった。
「自分、動いてないと落ち着かない性分なんすよ。普通に引くっすよね、はっはっはっ」
「相場の把握ですか……商人のお仕事は大変ですね」
「理解のあるガザミさんには感謝しかないっす。拝んでおくっす」
 そんな必要はないのに。ガザミは双眸を細くするように微笑んだ。
「でも、お陰で素敵な掘り出し物を見つけました。ありがとうございます」
 ガザミは先ほど、武器屋でずらりと展示された威圧すら寄越す重々しい武器たちの中から、一振りの偃月刀と出会った。自然と指先が柄に伸び、触れたのは、まるでこの刀に呼ばれたかのようで運命を感じさせるもので。きっとこれ以上にないとのだとガザミは直感したのだ。
 安物に紛れ、錆びついた黒塗りの刃は、陽の光を浴びて複雑な艶を反射するどこか烏の羽のような美しさがあった。見つめていると、出会った頃の『あの人』の寂しげな背中が重なって見えてしまい、キュロスが止めるのも構わず半ば強引に貰ってきた。
 チェシャ猫商人はふしぎそうにしていたけれど、本人が望むのであれば構わないと言った具合で「ほんとにそれだけでいいのかい?」と、心配する始末。
「ガザミさん、それ拝借するっす」
 パリパリ音を立てて炸魚皮を噛み砕いたキュロスは、ごくんと嚥下すると丁寧な手つきで偃月刀を両手に受け取り、陽を浴びてすこし鈍い光を返す刃に目を眇める。
「さっきは一芝居打たせてもらったんっす。直るとわかって出し惜しむ店主は多いっすから」
 幸いチェシャ猫商人は気にした風もなく、在庫が減るならそれに越したことはない様子で、ふたりに協力的だったのが幸いした。
「ガザミさんが諦めなかったのは、よっぽど気に入った証拠っすね」
 ならばいつまでも、どんな時だって折れない相棒にしてあげたい。
「さあ、お任せあれ。錆びついた偃月刀をカラフルスライムたちで包み込み、新品同様に修理してみせるっす!」
 キュロスは|粘着工房《アトリエ・ガム》を発動。三秒詠唱する毎にカラフルでガムのような弾力を持つスライムたちがぽんぽん生まれては、偃月刀にぴったりくっついてその全体をどんどん見る間に覆っていく。
「壊れしを癒やし仇なすを塞げ」
 キン、と硝子を爪弾くような音を聞いた。
 ガザミが再び触れたとき、黒い刃に陽を背負う三足烏の刻印が鮮明に浮かび上がっていて、その堂々たる姿にはスライムたちもどこか満足気にぷにぷに弾んで嬉しそう。
「ありがとうございます。この子の名は……『暁鴉』です」
 天に突き上げると陽射しを裂いた暁鴉が、想いに共鳴するように二度瞬いた。

第3章 ボス戦 『妖魔公女『冥鈴・ガルガンチュア』』


「――ずいぶんと、楽しそうだな」
 褪せたコンクリートを舐めるように、うねる影が過ぎっていった。
 天から落ちてきた声音はひどく落ち着いていて、ただ事実だけを述べただけ。そこに何の感情も乗せられてはいないのに、喉元に抜き身の刃を添えられたような殺気を放っている。黒幕が姿を現したのだと解するのに、そう時は要らなかった。
 それは乱雑に積み重なった廃墟の天辺に居た。
 下界を見下ろす神のような冷徹の眼差しで地上を覗き見て、能力者たちを窺っている。ゆらり、ふらりと長い尾が獲物を探すように振れていた。
「ふむ。あの数を制したか……やはり所詮は死体か」
 眠りについた貴人を掘り起こし符術で操る死者への冒涜を、女は吐息交じりに小さく零す。まるで行った実験の一つの結果として見ているような無関心さ、あるいは命を軽視した残忍な言葉に空気が張り詰めたように息苦しくなる。
「よかろう。では妾が直々に相手をしよう。待っているのも暇なのだ」
 右手に握った武骨な剣を突き立てた女――妖魔公女『冥鈴・ガルガンチュア』は、血で染まったように真っ赤な双眸をわずかに細めて口端に笑みを刷いた。
「ここまで上がってこい。それくらいは待ってやろう。――やさしいだろう? 妾は」
 くつりくつりと底知れぬ気を纏った妖魔が笑っている。

 ガルガンチュアがいるのは廃墟の屋上。
 幸いにして建物同士の距離が近いため、万が一飛び越えるようなことになっても能力者であればひと飛びで移ることができるだろう。
 鬼城の人々は指示を出さずとも建物内に逃げシャッターを下ろして隠れる手筈になっているので心配の必要はなさそうだった。
「まさか妖魔公女が出てくるなんて……。あれは東京Ⅶ最大のマフィア『ガルガンチュア商会』の当主なのです」
 最後まで能力者たちの傍に残ったのは、師父であった。
「自ら常に最前線での抗争を好む戦闘異常者だとか……恐らくは我々を使い捨ての人間として狙っていたのでしょう」
 捕らえられた人間がどのような扱いを受けるのか、想像に難くない。はじめに狙われていたのが子どもであったことを考えると、最悪のことばかりが浮かんでしまう。
「我々のことは、もう大丈夫です」
 だから、どうか。
「皆さん、お気をつけて」
 何も力添えをできないことを苦悶に滲ませながら師父は深く頭を下げると、戦いに向かう皆をそう見送った。
鴉丸・雷雨

 くすんだ空を背負い鬼城を睥睨する妖魔公女を認めた鴉丸・雷雨の表情は人工視覚ユニットに覆われて窺い知れない。呼気のひとつすら隠してしまうフェイスガードはどこか近寄りがたさを醸し出している。
「ずいぶんご馳走してもらったからな。その分は働くさ」
 それなのに、白髪の隙間から覗く赤い花のような右目が穏やかに緩められたと分かったは、きっと師父だけではなかっただろう。
 言外の苦悶を読んだ雷雨は安心させるようにゆっくり頷いてみせると、低頭を背に怪力を込めた脚で地面を蹴り上げ空に向かって跳躍。瞬きの間に天辺に登り詰めたサイボーグは、妖魔公女の眼前に片手を突いて軽々着地。
「自分で現場に出張るのは感心だが、残念ながら敵同士なんでな。やらせてもらうぜ」
 静かに上体を起こして立ち上がる雷雨を目にし、妖魔公女のどろりとした双眸がわずかに笑む。
「ほう? そのパーツ、面白いな。|√仙術サイバー《ここ》のものとはずいぶんと違って見える」
「調べてみたいか? ――じゃあオレを|バラ《殺》してみるんだな」
 高周波振動システムと電磁射出機構による強化を施された|電磁物理刀《マゴロクE》をずらりと抜いた雷雨は、切っ先を天に突きあげた八相の構えを取る。
「アンタが妖刀の類か単なる“なまくら”か……試験開始ってところだ」
「良かろう」
 言うが早いか雷雨と冥鈴・ガルガンチュアは互いに向かって駆け出した。
 先手を取ったガルガンチュアは義手で握りしめた七星剣を振り上げると、一切の躊躇いなく雷雨の頭上目掛けて振り下ろす。初撃を刀身で何とか受け止めたものの、空いた腹に振り払われた尾が命中。臓腑を突き上げるような痛みを噛み砕くように何とか耐えた雷雨の呼気が整う間もなく二撃目が寄こされる。
 獲物を欲している。
 血に飢えているのだこの女も、剣も。
 瞬きすらも追いつかない、目まぐるしく叩き込まれる素早い連撃を雷雨は耐えた。一瞬の隙が見つかる、そのときまで。
(――見えた)
 雲間から射しこんだ陽射しを反射する七星剣が僅かに逸れる。それは自身の尾を傷付けぬために空間を確保した無意識の反応。外へと逃がされる七星剣を切っ先で突いて弾き飛ばした雷雨は、とても負傷しているとは思えぬ速度で空間を裂くように一閃を引く。鈍色の軌跡を赤い視線がなぞるように辿っていったその一瞬を狙い、|電磁物理刀《マゴロクE》をガルガンチュアの胸部に突き立てた。頬を掠めていった赤い血液を一瞥し、そのまま押し込むように50口径のスマートガンの銃口を腹に押し当て一発、身が傾ぐより早く更に返す刀で斬撃を叩き込む。
「どうだ? オレを|バラ《殺》せそうか?」
 雷雨の赤い瞳がにやりと笑った。

システィア・エレノイア
クラウス・イーザリー

 耳を劈くような剣戟が路地に降りしきり響き渡っている。
 前触れのない突然のお出まし、予想外の大物の登場は一瞬で鬼城を緊迫に塗りこめてしまったけれど、地上へ降りてこないのであれば好都合。周囲を気にせず戦えるのは自分たちにとっても優位であるし、なにより子どもたちを巻き込む心配がないのがさいわいであった。
「戦いに満足したら、帰ってくれると思う?」
「それで帰ってくれたらありがたいんだけどね……」
 システィア・エレノイアの問いに軽口を返すクラウス・イーザリー。ふたりはどちらからともなく苦笑を浮かべると屋上を目指して駆けだした。
 建物から建物へ、パルクールのような身軽さで天辺に登り詰めたふたりは、長い尾をゆらゆらと振って待ち構える妖魔公女を真正面から認めて、そうとは知られぬよう息を呑む。
 血の花が咲いた瓦礫の上、冥鈴・ガルガンチュアが赤く塗れた瞳で笑っていた。
「待っていてくれてありがとう。その優しさは強者の余裕かな」
「あなたが来るとは驚いたよ。……優しくされると不安になるなぁ」
 紅いネックレスを胸に抱き心臓の欠片と融合するクラウスを横目に、システィアが微苦笑を浮かべて言葉を繋ぐ。
「そう。やさしさを享受してばかりでは、いずれ己の足場を失うのだ」
 此処はそういう場所なのだと言外に突き付けられた気がして、システィアは心の中で吐息する。
「二対一でも余裕だろう? 手合わせ願うよ」
 戦斧へと形を変えた詠唱錬成剣を持ち上げて戦いの意思を突きつければ、赤い眼差しは喜んだ。燃え尽きた灰のような髪色に染まったクラウスも頭上に生えた幻影の狼耳をピンと立て、手のひらに宿らせた魔法を翳して向き合うと、
「さあ、行くよ」
 早速の高速詠唱。
 |relier《ルリエ》を使用したことにより、いまのクラウスには空間引き寄せ能力があった。ゆえに女性らしいなよやかな躯体をまるで抱き寄せるように己のほうへと近付けると、勝手に動く奇妙な気配に抵抗を示したガルガンチュアが防御の姿勢を取る前に蒼天から雷を落とす。
 身を内から灼くような熱さに顔を顰めたガルガンチュアの動きが鈍る。それでもしっかりと握り締められた七星剣が自分に――システィアに向かわぬよう、地から突き上げる氷柱や隕石のように火球を降らせて息つく暇を与えない。
 始まった力比べは鼓膜を刺すような苛烈さを極めていた。
 ガルガンチュアが何がしかの動きを取ろうとすれば、システィアは放った黄金の蝶をその身に纏わせ阻害した。ちらちらと煌めく鱗粉を零しながら群れる蝶に短く舌打ちしたガルガンチュアは、黄金の奥から己を見据えるシスティアに向かい左手の羅盤を振り払う。蝶を突き破り湾曲を描いた羅盤に視線を取られたその隙を突くように、長い尾が振られて巨躯を打とうとする。
「……させない」
 構えた戦斧で羅盤を弾き、無防備な死角から潜り込んできた尾を切りつける。反動で躯体が後方へ逸れたのを見て、すかさず地を蹴り駆けたクラウスが体内の魔力を槍の形に錬成させると、今度はこちらが死角へ一撃を穿つ。しかしその攻撃を見切ったガルガンチュア。取り戻した羅盤をその顔面に叩き込もうと、至近で交える視線がにやりと笑う。その眼差しにクラウスもまた、笑みを持って返す。
「本命は、こっち」
 瞬間、鋭い痛みが走り口から短く呼気が漏れた。
 激痛を辿ると尻尾が瓦礫に縫われたように槍で留められており、一瞬の判断で羅盤で横っ面を弾き飛ばそうとした矢庭に、視界の端からぬるりと姿を現した|Slay Wolf《影狼》が肩口に牙を突き立てるものだから、たまらない。
「――なるほど。よく連携が取れている」
 飛びついてきた獣を羅盤で振り払い、尾を持ち上げて自ら引き抜いた槍をクラウスに突き返しながらガルガンチュアは喉の奥でくつりと笑った。
「強者が弱者を踏み躙るのが当然なら、こちらも力で対抗するしかない。わかりやすくていいね」
「どんな莫迦にでも伝わるのは至極楽だ。この世界は生きやすいぞ?」
 ちらと下方を見遣った嘲笑の視線に、ふたりは目をわずかに細めると、妖魔公女に向かって己が持ちうる全てを叩きつける。その姿はまるで、彼女の言葉を否定するかのようだった。

ノキエス・オーロラ
アダルヘルム・エーレンライヒ
永雲・以早道
キュロス・ラビュリントス

「とんでもない上客が現れたっすね。暴力でよければ望み通り売ってやるっす!」
 力で捩じ伏せてしまって構わないのであれば、これ以上に分かりやすいことはない。負けても咆えることすら許されないのは妖魔公女とて同じであろう。
 しなやかな身体をほぐすようにアキレス腱を伸ばしていたキュロス・ラビュリントスは持ち前の身体能力を生かして二棟の外壁を交互に蹴り上げ最短ルートで屋上へと駆けあがってゆく。
「自ら常に最前線での抗争を好む戦闘異常者、とな。ふは、気が合いそうじゃねェか!」
 あとは黒幕を叩くだけならば丁度良い。キュロスの後に続くアダルヘルム・エーレンライヒの赤瞳は、久々に暴れることが出来そうな予感に胸を躍らせ喜色に光っていた。
「子供たちも、この場所も……絶対に商会には渡さないっすよ!」
「ああ、無論この場所も子供達も護り通すさ」
 冥鈴・ガルガンチュアの真正面に立ちはだかり、堂々とした立ち居振る舞いで戦いに臨む意思を見せつけるキュロスと、その傍らに添うアダルヘルムの言葉が聞こえてきて、ノキエス・オーロラはふと描かれた自由を思い出していた。
 視線を持ち上げると雲間から射しこむ光の帯が、淡く揺らめきながら鬼城に降り注いでいる。
「空……心……。……あの子たちは……鮮やか空を持っている。死人たちだって……それを、お前は……!」
 決して手の届かぬ遥かなる空を、それでも子どもたちは色鮮やかな美しさを宿したまま心に灯していた。それはきっと、永遠の眠りを暴かれた貴人も同じだったはず。
 身を内から沸騰させるような熱い奔流がノキエスに襲い掛かってひどく苦しい。人とは、斯様な波を乗り越えて、あるいは攫われて、掬われて、それでもなんとか生きているのだ。
 ずいぶんと今日一日で様々な表情を見せるようになったノキエスを盗み見ていた永雲・以早道は表情をやさしく和らげていた。
「空はどこにでもあるよね。それをきれいだって感じられるのはその人の心にきれいがあるから。そう言う心は好きだな」
 思うがままに色を広げていた子どもたちが、これからも選べる色が鮮やかであってほしい。その色が滲まぬように、くすんでしまわぬように戦うというならば、以早道はそれを助けたいと思った。
 ノキエスと共に崩れた瓦礫や窓枠を足場にして漸う駆け上がった以早道は、屋上に辿り着くなりその勢いのまま太刀を抜刀、待ち構えていたガルガンチュアの真横から体当たりするように一太刀浴びせてみせた。
 よろめきつつも尾で自重を支えたガルガンチュアの赤く濡れた瞳がゆっくりと四人に巡らされる。眼前に陣取り太刀を振り払い牽制する以早道、その背後で。
「ッ!? 胸が、痛い」
 とつぜんの刺されたような鋭い痛みに驚いたノキエスが躯体を固くさせたとき、頭の中で声が響いた。
 |インビジブル融合外装《ヴィヴィドゥス》の囁きに導かれるように胸の装甲を剥がしてみると、胸部に内蔵されていたバッテリーがヴィヴィドゥスとさらに融合して動力炉型アクセプターに変じているではないか。それも、とつぜん掌に現れた虹のインク瓶を装填すると、塗料の衝撃破とともに装甲の破片が機械筆に、そしてマントは虹色に光を帯び放つ。
 この瞬間、ノキエスは世界中のどんな色よりも鮮やかで美しい色を手にしていた。
「飛べる?」
「……うん、飛べるよ! アイツの描く醜い空、ワタシが全部塗りつぶしてやるッ!」
「ふは、ノキエス殿よ。俺や俺の武器を踏み台にしても構わんぞー?」
 以早道の問いに笑顔を浮かべたノキエスは「ありがとう!」すらりと抜かれたアダルヘルムの大剣を足場にして空へと飛翔。視界に映るインビジブルを利用して、噴射する塗料で虹を描きながら舞う姿に三人から笑みが零れる。
「ずいぶんと変わったなりをしている」
 ふむ、と思案するように首を傾げたガルガンチュアは、視線のみでノキエスを追いかけると、空を舞う鳥を落とすような仕草で手にしていた羅盤を振り払った。弾丸のように空気を裂いて真っ直ぐに飛ぶ羅盤、それに気を取られていると地を蹴り上げて天に飛び上がったガルガンチュアが頭上に振り上げた尾でノキエスを叩き落とそうとした。
「させないっす」
 跳ねたキュロスが双方の間に割って入り、斧の刃で羅盤を弾き返し、そのまま翻しながらも尾を受け止めた。重たい一撃は柄を握る両手の五指を痺れさせる。
「あんたが優しいなら、少しは隙を見せるっす!」
「ははっ。隙だらけの敵を倒して楽しいか?」
 返す刀の要領で尾を振り払いキュロスとの距離を取るガルガンチュアは、くるくるとフリスビーのように弧を描いて戻って来た羅盤を片手で受け止め、口端に笑みを乗せる。
「でもあんたのやってることは、同じことっすよ」
 死体共を使い最も無力な子どもたちを狙っていた。
 射抜くような眼差しを受けた妖魔公女の双眸が、にんまりと細くしなる。もう言葉も寄越さないガルガンチュアに眉間に小さく皺を寄せたキュロスは、思考を高速に巡らせて三人の動きを先読みする。最も適したポイントを見出すと敵が次の行動に入るより早く|電磁崩壊弾《エレクトロ・バースト》を撃ち込み、妖魔の身体を強力な磁場を利用して縫いとめる。
 だがその磁場は攻撃速度と移動速度が大幅に上昇する支援でもあった。
 ガルガンチュアの尾が再び首を擡げ、打とうとするのを以早道が受け止めている隙に、キュロスの弾丸で加速を得たノキエスが|機械筆《CORDA》で貫くように背後から奇襲。肉を打つ感触を得て、その赤い眼差しが振り返るより素早く離脱すれば、羅盤の振り払いすらもう届かない。
「敵の領域だって、ワタシの塗料で塗りつぶしちゃえ!」
 実に活き活きとした姿にほんのすこし目を丸くしたアダルヘルムは、それがノキエス自身の心境の変化であり、仲間がいてくれる心強さも影響しているのだろうなと淡く笑む。
「然し、キュロス殿の援護は矢張り頼もしいな」
「そう言って貰えると嬉しいっす」
 そうして、アダルヘルムはキュロス越し、なおもガルガンチュアと適度な間合いを保っている以早道と視線を交差させる。どちらからともなく頷き合えば、先に動いたのは以早道であった。
 太刀を引っ提げたまま駆けた以早道。まるで猪が突っ込んでくるような強引さでやって来るものだから、ガルガンチュアは厭きれたように首を傾げている。だが、揺れる前髪の下から真っ直ぐに射抜く眼差しは強く、その視線に小さく息を呑んだガルガンチュアが反射で防御の構えを取ろうとするも、一瞬遅い。
 捨て身とも思える一撃が懐にねじ込まれた。尾を振り払い、空いた脇腹を太刀が滑る。舞う鮮血に舌打ちしたガルガンチュアの意識は、もう完全に自分へ注がれていた。
 振り上げられた羅盤が以早道の顔面目掛けて振り下ろされた。だが以早道は怯まない。それが世界が真っ白になってしまう痛みであったとしても構わず、下段から一気に太刀を振り上げ妖魔を斬った。反撃が命中すると以早道が受けた傷が瞬く間に癒えていく。
「能力か……」
 その瞬間。
 背筋も凍るような殺気が死角から這い、肌を舐めた。ぞ、と怖気を覚えて視線を横へと走らせると、自身の大剣を真紅に輝かせたアダルヘルムが思いがけず至近に居て、息を呑む。
 衝撃は、束の間ガルガンチュアの呼気を止めさせた。
 はく、と酸素を吸い込む矢庭に二撃目がもう振り下ろされている。骨身を砕くような重たい猛攻はいっそ野蛮であった。苛烈を極めて血の花が咲く。
 ガルガンチュアは義手に提げていた七星剣を下から掬い上げるように斬り上げた。躱そうとすればその方から尾を振って七星剣に首を当てるようにぶとうとする。
「みすみす隙を晒すつもりはねェよ!」
 ――それに。
「お膳立てされたままなのは趣味じゃなくてな」
 強化された移動速度を利用して連撃から逃れたアダルヘルムは、なおも振りかぶられる七星剣を大剣で抑え込む。ちかちかと星が散るように火花が膚を掠めていった。
「お前の相手は俺だぞ。傷も血も上等だ」
 どろりと傷口から流れ溢れる血を気にも止めず、激痛を容易く手懐ける様に妖魔の表情がゆるりと笑む。
「中々見所がある」
「生憎と誘いにはならないぞ」
「だろうな」
 乾いた音が立ち、ふたりの間を氷の礫が奔ってゆく。ガルガンチュアはその冷たい軌跡を己への牽制を知り、即座にアダルヘルムから飛び退いたのだが、その動きを見切っていたキュロスは既に二発目を撃ち込んでいた。
「仲間に向けられた牙は、全部まとめて凍らせて止めてやるっす!」
 息つく暇のない制圧射撃に、どんどん四人から距離を取るガルガンチュア。
「そういえば、ひとり足りないな」
「ここだよ!」
 それは、先ほど見た姿ではなかった。
 飛翔を続けていたノキエスはすでにインビジブル化しており、すっかりと姿かたちを変えていた。その様に目を丸くしたガルガンチュアにノキエスは真っ直ぐ急降下。手にした筆を大きく振りかぶって――叩き潰す。
 色が弾ける。
 赤、青、黄色、緑に紫。
 世界がノキエスの思う色に染まっていく。塗り替わっていく。
「あはは! なんて素敵な色なんだろう! みんな、本当にありがとう!」
 陽射しを浴びた虹色が、晴れ渡った笑顔を照らしていた。

花園・樹
七々手・七々口

「どうか気をつけて」
 自分たちを心配する師父達を逃してから天辺を目指して駆ける花園・樹の後ろ姿を、ちらと見送ったのは七々手・七々口だった。
「上がるのもめんどーだなぁ。美味いもん食って飲んで良い気分だし」
 ゆぅらゆぅらと七本の魔手が揺れている。
 美味い飯を食い、酒も飲んで気分は上々。でもあれをどうにかしない限りは後味がちょっぴり悪くなってしまうかも。
「はぁ……あんましやりたかねーけど、動くよりはましか」
 はじめて使ったときの、あの痛みを未だ憶えている。ゆえにかあまり気が進まないのだが、今の魔手たちであれば、自分があのむやみやたらと積み重ねられた空虚の天辺に行かなくて済むだろうという思いの方が勝ってしまった。
「我が身を門とし、来たれ破滅よ。魔神手達ー、さくっと殺ってくれるとありがたいかもー」
 |魔神の滅拳《ハンズ・オブ・ルイン》。
 それは七々口の七本の魔手達が五百メートルまで巨大化する弩級の能力。月のように輝く魔神手たちが鬼城の底より天を目指して、うぞうぞ這い上がってゆく。いっそこちらのほうがホラーでは? なんて思いがよぎったけれど、クッションが敷かれた簡易椅子にごろんと座りこむ七々口は「ま、なんとかなるっしょー」「がんばー、魔神手達ー」なんてどこか他人事。
 ぞうぞう這い上がってゆく魔神手が樹を追い越していった。びくりと肩を跳ねさせた樹は、一瞬だけぽかんとしたけれど、きっと何がしかの能力なのだと判断。上を目指す。
(戦闘異常者……か)
 人の好みにどうこう言うつもりはない、が。他人を巻き込むなら話は別だ。
 手すりやベランダに放置された室外機を蹴って跳躍、壁を走り、空中移動も駆使して辿り着いた屋上はすでに戦闘の跡で血腥い。
 妖魔公女はすでに魔神手たちと交戦中であったが、新たに姿を見せた樹を見遣ると、これの主が樹だと判断したのかすぐさま標的を変え引っ提げた七星剣で斬りかかって来た。
「危ないな」
 武骨な刃が頭上から矢庭に振り下ろされる。大気すら両断する重たい一撃が身に降りかかるより早く、樹は傍らに喚び出したイヌガミによる遠吠えで牽制、それに呼応した狗神達の群れが冥鈴・ガルガンチュアの四方八方から飛び掛かり、身を拘束する。
「ずいぶんと手懐けたものだ。ただの狗ではないな」
「ご明察。でも、己の意思に反した変化は、やはり許されざることだと思うよ」
「ああ、死体共のことを言っているのか?」
 く、と喉の奥で笑っている。妖魔の口からさらなる侮辱がまろびでる前に、樹は破魔の力を込めた狼牙の斬撃を浴びせかけ七星剣を弾き返し、空いた隙を狙うように振り払われた尾を衝撃波で吹き飛ばした。
 そのとき、ふたりに濃い影が落ちた。
 無視するなーとばかりに蠢く七本の魔神手達は、獲物である妖魔公女に向かい、まるで虫でも叩き潰すようにバチンと地面に押し潰す。
 しかし。
 ずん、と鈍い音と共に掌が跳ね上がり、下から現れたのは七星剣を突き立て起き上がるガルガンチュア。
「なるほど、重いな」
 押し上げられた勢いのまま斬りつけられた魔神手がびくびくうねる。だがまだ一本、残りは六本。ゆえに傷付いた魔神手が在れば、残りの魔神手が仕返しだ報復だ腹いせだとばかりに殴る、叩き潰す、握り締めるの猛連撃。
「なんか楽しくなっちゃってるー?」
 下でごろごろしながら、ちびちびと残っていた酒を呑む七々口が怪獣合戦を見物しながら時々野次を飛ばす。あれほどでかい物と戦っていれば次第に疲れも見えてくるはず。
「ま、体力を無駄に消費してくださいなー」
 もし災厄が降ってくるならいつでも逃げられるように野生の感を働かせている七々口を、シャッターの隙間から盗み見ている鬼城の人々は「妙な猫もいるものだ」と大いに首を傾げていたとか、いないとか。
 大きな魔神手たちは樹にとっても障害物にも成りえたが、動きのパターンが見えてくると良い目くらましになった。
 永遠にも思える連撃なぞ許すわけがない。神経を研ぎ澄まし、第六感を駆使してガルガンチュアの呼気、視線の動き、そして七星剣の軌道を見切り最小限で攻撃を押さえた樹は、オーラ防御を突き破りそうなほどの苛烈な斬撃を内心で認めながらも、未知なる能力を有しているであろう敵をつぶさに観察する。
「なぜ邪魔をする? 見たところこの世界の者ではないであろう?」
「そうだね。こちらの|世界《√》の価値観にそぐわないのは分かっているけれど」
 脳裏に蘇る笑顔は鬼城の子どもたち、それを見守る大人たち。
 そして、自身が過ごした大切な場所。
「だからといって人々を……子供達を捨て駒にするような選択を許容できるほど私は寛大じゃないんだ。ここは絶対に通さないよ……!」
 太刀から霊気が立ち昇る。
 それは樹の想いに呼応するかのように膨らんで、光を透いた狼牙はどこまでも美しく――そして、ただひたすらの邪悪を討たんと煌めいていた。
 狼が駆ける。
 この手は、剣は、牙は子どもたちを護るためにある。たとえ見知らぬ世界の者たちであっても、子どもの命は等しくあるべきだから。樹は渾身をその一太刀に込めて妖魔に叩き込んだ。

ララ・キルシュネーテ
雨夜・氷月

 春のやわらかな風が|塵埃《じんあい》交じる鉄錆の匂いを運んでくる。
「あらあら、随分とわるいこがきたわね」
「マフィアで戦闘異常者だって」
 密やかな笑い声は明確に妖魔へと向けられていた。
 ふたつの視線を背に受けて、冥鈴・ガルガンチュアはすこしほつれた髪を赤く染まった指先で耳に掛けながら、ゆっくり振り返る。
「なんだかすごーく楽しく遊んでくれそうだね、ララ」
「楽しく愉しく遊んでもらいましょうね、氷月」
 果たして妖魔公女が見つけたのは、|銀災と窕《ナイフとフォーク》を構えて笑うララ・キルシュネーテと、遊びにきたよーなんて調子でひらりと手を振る雨夜・氷月のにこやかな姿。
 ふたりともガルガンチュアだけを一心に、揺れる髪のひと房の動きすら見逃さないといった注視。軽口を叩けども、しかしその一切に隙は伺えない。膚を舐めていくひりりと緊迫した空気は、ふたりの実力を如実に示していた。
「弱い仔から狙うだなんて。効率的ではあるかもしれないけれど、卑怯ね。ララは好きではないのよ」
「卑怯は時に手段だ。鬼城の者とてそれを理解して、利用しているだろう」
「お前たちが、そうしたのよ」
 妖魔が喉の奥で小さく笑ったのを聞いた。
「ほら、|戦お《遊ぼ》うよ」
 それまでふたりの会話を黙って聞いていた氷月は、妖魔が義手に握り締めた七星剣を持ち上げる仕草に気付き、月光を纏わせた銀片を引っ提げ地を駆った。
 破壊の跡を容易く駆ける身はしなやかな獣のようであり、背に遊ばせた髪が靡くさまなぞ廻る月の軌跡のようである。瞬きの間に至近に潜り込んできた月光は、瞼の裏を突くほど眩くて寸の間、睫毛を伏せてしまう。
「こういうのはお好み?」
 眼窩、その奥の脳髄まで融かすような鋭い幻光に息を詰めたガルガンチュアの身体を斬り裂くように、銀片が笑い声と共に躍っている。
 最後のひと振りを七星剣の刃で受け止めたガルガンチュアは、そのまま振り払う仕草で氷月を薙いだ。避けようとする方から尾の不意打ちを突き上げ、続けざま再度の七星剣が振り下ろされる。壁に押し込まれていく氷月は連撃を銀片に受け止め、いなしながら、三度目の刃が振り下ろされた瞬間、それを足場にして身を翻すように逃れた。
「おままごと、しましょ。揺れていようが関係ないわ――此処は、ララの楽土よ」
 標的を失ったガルガンチュアが振り返るより早く、ララの宣言が耳に届く。
 赤く塗れた瞳が華奢な躯体を認めたとき、辺りは塵埃と空虚の積み上がる鬼城から遍く奇跡と救い齎す迦楼羅の神域、桜獄樂土に変わっていた。
「ほう……見事なものだな」
 口端から滲む血を手の甲で拭ったガルガンチュアは、笑みと共に寄越された浄化の迦楼羅焔を真正面から受け止めた。だが、瞬時に変じた世界を破壊するように呼気すらままならぬ震動――仙術衝撃波が放たれる。
 ぐらぐらと揺れる世界の中で、それでもふたりは笑っている。
 その笑みごと焼き尽くしてしまえばいい。焔が足りなければ裂いてみせる。ララがさらなる焔を注ぎながら銀災と窕を握る五指に力を込めたとき、氷月の足元から伸びた影がララを誘った。昏く蠢く影が、焔からゆっくりと歩いてくる妖魔を足元から這うように絡め取り、踵が鳴らして呼ばわれた雨花幻が、ふらり蒼い炎の花びらを散らしながらガルガンチュアの周囲を舞って酸素を奪うように燃やしていく。
「ああ、なんと鬱陶しい」
 悪戯に戯れる蒼い紫陽花のそれを、七星剣で払いのける仕草。その死角から懐に飛び込んで行ったララは破魔の神聖で無防備な躯体を容赦なく切り裂いた。噴き出した血が炎と共に散って瞬く間に蒸発する様は、散る花より呆気なく、そして無情な光景であった。
「お前の影はヤンチャね、氷月。……それが頼もしいのだけど」
「んっふふ、お褒めに預かり光栄だね」
 会話を邪魔するように振り下ろされた七星剣を、
「同じ手にはのらないわ」
 ララは見切り、的確に躱す。
「氷月、楽しんでる?」
「ちゃあんと楽しんでるよ!」
 己を挟んで交わされる言葉にガルガンチュアは双眸を細くした。まるで手応えのない様子に厭いているのかもしれなかった。あるいは、上手くいかないことに焦れているのかもしれない。
「さっきのマシンガン、持ってくればよかったかしら。少し、ぶっぱなしてみたかったのよね」
「マシンガンかー、確かにぶっ放したら爽快カモ。でも今は持ち合わせがないから、俺らの|刃《ナイフ》で斬って遊ぼ」
「いいわね。そうしましょ」
「まるで悪ガキだな、お前たちは」
 吐息交じりに零れた言。
 それでも命を狩らんと振り上げられた剣を、氷月は幻影を操り空振りさせる。すかりと空を切った反動でたたらを踏んだガルガンチュアの横顔にあっかんべー。視線のみでこちらを見遣ったガルガンチュアが、ようやく苛立ったように舌打ちした。
「コレじゃどっちがワルイコかわからないね!」
 全くだ。
 ガルガンチュアが呆れたように吐息した。

夜鷹・芥
李・劉

「愉しんでいるネ、公女様」
「高見の見物から上がって来いとは。流石の良いご身分だな、公女ってやつは」
 李・劉と夜鷹・芥が目配せして「お望み通りに」と昏く笑う背中を心配そうに見ている眼差しがひとつ。辿るように振り返る表情は、今しがた浮かべていたはずの剣呑な色をわずかに潜めていた。
「……師父殿、頭を上げて。君が見守っている姿が十分我らの力になる」
「ああ。子供達の傍にいてやってくれ。それは、アンタにしか頼めないから」
 向けられた言葉に瞠目して噛み締めるように受け止めた師父は、ゆっくりと力強く頷いた。今度はふたりがその背中を見送って、霞んだ空のした待ち受ける妖魔へと視線を仰ぐ。
「劉、行こうぜ」
「それでは参ろうか」
 不安を和らげる事しかできないが、例えひと時でもこの鬼城に平穏を届ける為に。
「……花を伝っておゆき、芥くん」
 ゆるやかに頷いた劉は、ふとその爪先を浮かせるより先に唇を開いた。
「――此の世は苦痛に満ちるばかり。見えぬ硝子の檻が平穏を鎖すように、苦痛に伏す者を誰かが嘲笑う。赦シハシナイ」
 芥の返事を聞くより早く劉が紡ぎ語るのは、嘗て、命を無情に摘まれた者の嘆きが、復讐の花となって咲く匣語。褪せたコンクリートの細い亀裂から茎が伸び蕾が開いて芽吹くは黒百合の花。それは天に|坐《ましま》す日輪に焦がれるように伸びてゆき、芥を導く架け橋となった。
 廃墟への途を辿るように駆け、飛び上がる様は獲物を狙う獣のそれである。
 匣の影――昏き底よりぞうぞうと蠢き這う黒百合が天辺に待ち受けた妖魔公女の真正面から視界を奪うように、目を潰すように飛び掛かる。この世の昏がりを搔き集めたような澱に呑まれた冥鈴・ガルガンチュアは、手にした羅盤と尾でうねりを裂こうとするも、その一切が己の意思とは別に、否、意思を無視して微動だにしない。
 視線を落とし見やれば、細い手首と尾に蔦が絡まり黒百合が嘲笑うかのように咲いている。視認した瞬間、身を内側から汚されるような違和を覚えて、黒百合を蔦ごと義手で掴み引き千切るも、呪詛が己の命に滲む方が早かった。
「妙な真似をする」
 ガルガンチュアは赤く濡れた瞳に嫌悪を宿して小さく牙を見せた。カッ、と龍が咆えるように吐き出された呼気は、瞬く間に世界を揺るがす震動を放つ。
 花の持ち主である劉と、澱の暗がりに隠れていた芥をひとからげにした仙術衝撃波は世界が割れる音を鼓膜に突き立てながら、ふたりの呼吸と自由を奪う。
 足の爪先から脳を揺さぶられるような激しい震動を噛み殺すように、漆黒に己の影を重ね息を詰めていた芥は、それでもなお妖魔の躯体が完全なる自由を得ていないことに気が付くと、落ちた己の影を足の爪先で軽くノックする。呼ばわれた影はしゅるりと浮世に立ち上がり、しなやかな体躯を有した黒幻影の狐。
 大きな口を開けて牙見せる狐獣は、妖魔が命を殺めた分だけ咲きこぼれる黒百合に未だ捕らわれたままの妖魔の喉元へと喰らい付いた。
「汚らわしい。この畜生風情が」
 狐獣の頭部へと羅盤を振り下ろし殴打したガルガンチュアは、しかし全く手応えのなさに瞠目する。
「……何処を見ている?」
 意地悪く嗤うような芥の言が思いがけず至近から聞こえて短く息を呑む。己に寄こされる殺気に気付き、ガルガンチュアが背後を振り返ると、花影の太刀がすでに頭上へと振り上げられており、命を狩る輪郭が日輪になぞられるさまをガルガンチュアは魅入るように瞠目していた。
 すぐに意識を引き戻し、振り下ろされた刃を尾でいなす。
 ふん、と鼻で一笑したガルガンチュアは芥から十分な間合いを取りつつも、警戒ゆえにか視線を一瞬たりとも離さない。
「どうだい? 我らの夢幻は」
 視界の端から聞こえてきた言葉。
 睨み合っていた芥から一瞬だけ脇へと滑らせると、花の群れ、黒百合を纏いて死の香りがする男がひとり。僅かに首を傾げる姿は幽玄で、人を惑わせる眼差しが淡く笑っている。
「良い|匣庭《悪夢》だ。ほら、君の胸に……刃が咲く」
 まばたいて、それから寄越された言を一瞬で察した妖魔が芥を見る。だがそこにいたはずの男はおらず、次いで訪れたのは視界を真っ赤に染めるほど鋭く痺れるような痛み。
 視線を落とすと、ゆらり霧散する影の奥から刃が姿を現した。柄を握り締めた芥は肉を貫く感触にひどく満足そうに満月の双眸を細めている。引き抜こうとしても許さず、痛みをまだ覚えさせるように深く押し込む。
「お前が殺めた命の分だけ花は咲くんだと」
「此処に在る苦の念をも拾い、力無き者の代行者の如く、ネ」
「そんな|花《命》に足をすくわれるんじゃ、世話ないな」
 妖魔は喉の奥で唸った。

天使・夜宵
白露・花宵

「ああ、お優しくて涙が出ちまいそうだよ」
 しどけなく羽織ったそれを肩に引き上げながら、天をちらりと見遣る白露・花宵の|顔《かんばせ》に浮かぶのは冷笑であった。
 蜜煙を銜え、火皿の煙草に火を灯しながら、高みの見物を気取る妖魔公女の許へと、さぁどうやって上がろうかと思案していればとつぜんの浮遊感。
 視界がぐるりと反転して、腹部に感じる圧迫と熱。嗅ぎなれた香りを辿れば澄ました横顔が間近で空を仰いでいる。
 すれ違うのもやっとな路地、つまりは建物同士の距離が近いということ。階段を駆け上っていくよりはさっさと飛び越えて登ったほうがずっと早いと天使・夜宵は、そう判断した。ゆえに花宵の身体を俵抱きしたのだが、彼女はそれがご不満の様子。
「あんた……あたしは、荷物じゃないんだけどねぇ」
 厭きれたように吐息したのも知らんふり。まさかさっきの仕返しかい? なんて思った矢先。
「この方が早いだろ。舌、噛むなよ」
 言いおいて、室外機を踏み台にして二階へと飛び上がった夜宵は、二階三階に掲げられた電光看板を足場にして一息で屋上まで駆け上がる。
「さて、さっさと倒すぞ」
 ぶっきらぼうだが花宵を下ろす仕草はひどくやさしく、丁寧だ。
 だが同じ指先が握りしめる妖刀『|――《無名》』をすらり抜く眼差しは凍てついていた。妖魔公女『冥鈴・ガルガンチュア』がふたりを認めて、それまで手慰みのように掌で弄んでいた羅盤を水平に構えるのと同時に夜宵は地を駆った。
 瞬きの間に奔る一閃が羅盤を持つガルガンチュアの手ごと胸部を斬り裂いた。だがガルガンチュアは怯まず間合いに飛び込んできた夜宵の顔面に羅盤を振り下ろし、死角の脇腹から抉るように鋭い角度で尾を突き上げる。返す刀で羅盤を防ぎ、盾に変形させたカードで尾を弾き返すと赤く塗れた双眸がすぅと細められる。ぐ、と体重をかけ割ってみせようとしたが瞬時に鉄壁だと悟れば、無駄に長引かせることはなく飛び退き間合いを取る。
「高みの見物ばかりで飽きてんなら、俺が相手になってやる」
「威勢の良いことだ」
 ふたりの会話を耳にしながら白煙を深く吸い込んでいた花宵は、悠然としていながらも、そのどろりと甘い蜜色に絡め取るが如く双方の動きをつぶさに観察していた。
 他ならぬ夜宵が動きやすいように、毒をたっぷり含んだ煙を吹いて妖魔の一挙一動を一々牽制すれば、焦れたように意識が己に向かう。だが実体化した白煙が尾を踏ん付けるように捕縛すれば、それも叶わない。舌打ちが零れるのを拾い上げた花宵は首を擡げるように七星剣の切っ先が起き上がるのを見た。
 刃が振り下ろされる気配を察した花宵は即座に盾にした珠弾きにエネルギーバリアを重ねると、下手に動くと返って危ないと判断し苛烈に降ってくる連撃を何とか凌ぐ。
 更なる刃がなよやかな躯体目掛けて振り下ろされる、その一瞬。身を捻じ込むように|――《無名》で斬りかかった夜宵が七星剣を突き上げ、空いた胴へと拳銃《義焔》の零距離射撃を炸裂。身の内で破裂する弾丸の衝撃から逃がれるように、花宵の腰を抱き寄せると同時に瓦礫を持ち上げ遮蔽にして身を隠せば、龍の咆哮のような唸り声が地を這った。
「いろんなとこで色んな敵と戦ったが……テメェらのやり方は一番胸糞悪い」
「こう見えてねぇ。子供らを狙ったこと……あたしは、怒ってるんだ」
 ゆらり、塵埃の奥で蠢く妖魔を見遣る夜宵の眉間には深い嫌悪の皺が刻まれていて、その傍らに寄り添い立つ花宵は、ふっと幽かに淡く微笑んでいるのに、隠しきれない侮蔑が眼差しに滲んでいた。
 分かりやすく弱者を狙うような奴に容赦は必要はない。夜宵はガルガンチュアの意識を翻弄するように目まぐるしく壁や瓦礫、敵の武器すら利用して俊敏に駆り|――《無名》で斬り伏せては死角から撃ち込んだ義焔で確実に妖魔の身体を削り取っていく。
「ほら、敵は一人じゃないよ」
 ふらりと煙と共に現れた花の気配。
 ガルガンチュアが声のした方を振り返ったとき、渾身の力をもって振り下ろされた珠弾き――その角が頭部に命中。
「痛いだろう?」
 頭を押さえて喉の奥で呻く妖魔が、すこしだけ悪戯がバレた悪ガキのように見えてしまう。だが同情の余地などないために、ふたつの宵は更に攻撃を重ねていく――。

「さて、ようやく|元締め《ホシ》のご登場ですね」
 レンズ越しに天を射抜く瀬条・兎比良の眼差しは冷徹だった。
 傲慢な|加害者《クズ》の口上に興味はない。姿を見せたのならば、あれを速やかに処理――対処するだけだ。そんな兎比良とは対照的に八重歯を覗かせて喜色を浮かべているのは鳴瀬・桜である。
「相手が戦闘異常者の可愛い子チャンとか上等ジャン! どっちが喧嘩が|上手《うまい》か一緒に遊ぼうや」
 おーい、なんて下からにこにこ呼びかけて、つんとそっぽを向かれても意に介さない。そんなやりとりに吐息を零した兎比良は眼鏡を押し上げると、義肢に仕込んだ|規矩準縄機構《マクガフィン》からワイヤーを射出。屋上の縁に引っ掛かったそれを何度か引っ張って強度を確かめたならば、
「桜さん、どうぞ後れを取らないように」
 そのままワイヤーを巻き取り、一気に空へと飛び上がっていく。
「ちょい待ち! せーちゃん追いてかンでよ!」
 桜がとっさに背中に呼びかける頃には、兎比良の姿はもう屋上にあった。
「つか飛ぶなら俺も一緒に連れてってくれて良くね!?」
 室外機を踏み、飛んで手すりに掴まり身体を振って隣のビルへ。ベランダ伝いに軽々飛んでいく姿はまるでパルクールのよう。上背のあるがっしりとした桜の身体を受け止める柵や手すりが時々軋むのが別の緊張感を生んでいるように思われたが、聞かないふり。
 怯むことなく真正面から見据える兎比良と、その傍らにすこし遅れて登場した桜が並ぶのを、冥鈴・ガルガンチュアは足の爪先から頭のてっぺんまで値踏みするような赤い視線でなぞっている。
「ここはどうにも空気が悪いですね」
「……ほう?」
 わざとらしく鼻と口を左手で覆った兎比良の仕草に、ガルガンチュアの眼差しがすぅと細くなった。そんな視線を気にも留めず、兎比良は外した左手を天に向けるように手のひらを上にして広げれば、咲いたのは淡いピンクに染まった花びらが繊細な撫子の花。
 するすると伸びた撫子の根が得物に絡みつき落ち着いたのを見ていれば、無防備を晒していると思ったか己へと迫る命刈り取る七星剣。その軌道を義眼の視力でなぞるように追いかける。
 水平に振り払われた刃が肉に到達するより、あるいは得物で受け止めいなすよりも回避することに専念したほうが得策と一瞬で判断したのが幸いしたらしい。尾が瓦礫を持ち上げた――そうと分かった矢庭に次に寄こされるものなど分かり切っている。いとも容易く振り下ろされる怪力を伴った連撃を兎比良は見切り、その場から掻き消えた。
 意識が完全に兎比良に傾いているのが分かり、桜は己の身の内から放出するような桜色の炎を拳に纏わせると、それをガルガンチュアに向けて撃ち込んだ。空気が破裂するような乾いた音と共に横っ面に飛んできた牽制攻撃に、くにゃりと蛇のように身をしならせて間合いを取るガルガンチュア。獲物を逃した七星剣が血を求めて、今度は桜に向かう。桜は再びの桜炎を巻き上げ、春霞のごとくゆらゆら揺れる炎の奥より射出した春色の鎖で腕を絡め取り、斬り上げの一撃を阻止。
 刃を握る腕を封じられたガルガンチュアは、ならば尾を使って瓦礫を弾き桜を狙うが、今度は己から剥がれた意識を利用して死角に居た兎比良が早撃ちで妖魔が自重を支えるアキレス腱を穿った。
「フィニッシュは任せました。"桜"ではありませんが、我慢なさってください」
 さらには撫子の花で得た強化を桜へと委ねる。
 匂い起こしそうなほどのあわやかな花の祝福を得た桜は、それを五指の内に握り締め、身を傾がせたガルガンチュアの躯体目掛けて渾身の拳を振り抜いた。目にも止まらぬ素早い振り。だがなおもそれについてくる七星剣を盾にした防御の動きは流石と言えよう。しかし二連の花を宿した桜の拳は武骨な刃ごと華奢な妖魔の腹を深く潜ったのだ。呼気すら止める一発に、赤く塗れた双眸が瞠目する。
「やっぱ喧嘩つったらこうだよなァ!」
 至近で交えた視線には、やはり喜色ばかりが浮かんでいる。
 あわく美しい瞳に映り込んだ妖魔の顔は対照的なほどに憎々しく歪んでいた。
瀬条・兎比良
鳴瀬・桜

「さて、ようやく|元締め《ホシ》のご登場ですね」
 レンズ越しに天を射抜く瀬条・兎比良の眼差しは冷徹だった。
 傲慢な|加害者《クズ》の口上に興味はない。姿を見せたのならば、あれを速やかに処理――対処するだけだ。そんな兎比良とは対照的に八重歯を覗かせて喜色を浮かべているのは鳴瀬・桜である。
「相手が戦闘異常者の可愛い子チャンとか上等ジャン! どっちが喧嘩が|上手《うまい》か一緒に遊ぼうや」
 おーい、なんて下からにこにこ呼びかけて、つんとそっぽを向かれても意に介さない。そんなやりとりに吐息を零した兎比良は眼鏡を押し上げると、義肢に仕込んだ|規矩準縄機構《マクガフィン》からワイヤーを射出。屋上の縁に引っ掛かったそれを何度か引っ張って強度を確かめたならば、
「桜さん、どうぞ後れを取らないように」
 そのままワイヤーを巻き取り、一気に空へと飛び上がっていく。
「ちょい待ち! せーちゃん追いてかンでよ!」
 桜がとっさに背中に呼びかける頃には、兎比良の姿はもう屋上にあった。
「つか飛ぶなら俺も一緒に連れてってくれて良くね!?」
 室外機を踏み、飛んで手すりに掴まり身体を振って隣のビルへ。ベランダ伝いに軽々飛んでいく姿はまるでパルクールのよう。上背のあるがっしりとした桜の身体を受け止める柵や手すりが時々軋むのが別の緊張感を生んでいるように思われたが、聞かないふり。
 怯むことなく真正面から見据える兎比良と、その傍らにすこし遅れて登場した桜が並ぶのを、冥鈴・ガルガンチュアは足の爪先から頭のてっぺんまで値踏みするような赤い視線でなぞっている。
「ここはどうにも空気が悪いですね」
「……ほう?」
 わざとらしく鼻と口を左手で覆った兎比良の仕草に、ガルガンチュアの眼差しがすぅと細くなった。そんな視線を気にも留めず、兎比良は外した左手を天に向けるように手のひらを上にして広げれば、咲いたのは淡いピンクに染まった花びらが繊細な撫子の花。
 するすると伸びた撫子の根が得物に絡みつき落ち着いたのを見ていれば、無防備を晒していると思ったか己へと迫る命刈り取る七星剣。その軌道を義眼の視力でなぞるように追いかける。
 水平に振り払われた刃が肉に到達するより、あるいは得物で受け止めいなすよりも回避することに専念したほうが得策と一瞬で判断したのが幸いしたらしい。尾が瓦礫を持ち上げた――そうと分かった矢庭に次に寄こされるものなど分かり切っている。いとも容易く振り下ろされる怪力を伴った連撃を兎比良は見切り、その場から掻き消えた。
 意識が完全に兎比良に傾いているのが分かり、桜は己の身の内から放出するような桜色の炎を拳に纏わせると、それをガルガンチュアに向けて撃ち込んだ。空気が破裂するような乾いた音と共に横っ面に飛んできた牽制攻撃に、くにゃりと蛇のように身をしならせて間合いを取るガルガンチュア。獲物を逃した七星剣が血を求めて、今度は桜に向かう。桜は再びの桜炎を巻き上げ、春霞のごとくゆらゆら揺れる炎の奥より射出した春色の鎖で腕を絡め取り、斬り上げの一撃を阻止。
 刃を握る腕を封じられたガルガンチュアは、ならば尾を使って瓦礫を弾き桜を狙うが、今度は己から剥がれた意識を利用して死角に居た兎比良が早撃ちで妖魔が自重を支えるアキレス腱を穿った。
「フィニッシュは任せました。"桜"ではありませんが、我慢なさってください」
 さらには撫子の花で得た強化を桜へと委ねる。
 匂い起こしそうなほどのあわやかな花の祝福を得た桜は、それを五指の内に握り締め、身を傾がせたガルガンチュアの躯体目掛けて渾身の拳を振り抜いた。目にも止まらぬ素早い振り。だがなおもそれについてくる七星剣を盾にした防御の動きは流石と言えよう。しかし二連の花を宿した桜の拳は武骨な刃ごと華奢な妖魔の腹を深く潜ったのだ。呼気すら止める一発に、赤く塗れた双眸が瞠目する。
「やっぱ喧嘩つったらこうだよなァ!」
 至近で交えた視線には、やはり喜色ばかりが浮かんでいる。
 あわく美しい瞳に映り込んだ妖魔の顔は対照的なほどに憎々しく歪んでいた。

篭宮・咲或
時月・零

「本命探しに行く手間が省けたことを喜ぶべきか、それとも平穏無事に終わらなかったことを嘆くべきか……」
 はらはらと舞い上がっては降りそそぐ塵埃の雨を仰ぎながら篭宮・咲或は肩を落としている。鬼城の人々がむやみやたらと傷付かないで済むならそれに越したことはないのかもしれないが。
 隣で先ほど手に入れたばかりの鋼糸の感触を確かめていた時月・零は、ふと鋭い眼差しを持ち上げると、共に戦場に立つ咲或の横顔を窺った。
「咲或、行けるな」
「勿論」
 同僚の言葉には短く、これ以上にない言葉を以て返し武器を構えれば、零の影より現われ出づるは深潭の狼。攻撃を指示された獣は喉を鳴らして牙を向き、こちらをからかうようにうねる尾の持ち主を威嚇する。
「いざ――」
 朔斬を構え踏み込んだ零とほぼ同時に咲或は荊花属性の弾丸を射出。鋭い花弁と棘が迫るそれに並走するのは、使い魔のわたあめだ。ふわふわの白いそれは空に跳ねると妖魔の意識を翻弄するように、ぽいんぽいんと壁や瓦礫を跳ねて飛び回る。
 わたあめの影からぬるりと飛び掛かって来た棘は冥鈴・ガルガンチュアがとっさに構えた腕に刺し入り、じゅわりと溶けだす毒巡らせる侵食咲。反射と思える素早さで羅盤を振り払い棘を一掃するもすでに遅く、尻尾を振り払うときには花散る香りで強化された零の抜き身の刃が躯体へと潜り込んでいた。
 かふ、と吐血した。赤い血が花のように褪せたコンクリートを彩って、妖魔自身がそれを踏みにじる。じわじわと身を内から毒してゆく浸食を覚えつつも、それを吐き出す術はなく。
「小賢しい真似をする」
 ならば妖魔がすることはひとつだけ、己の持ちうる全てをふたりに叩きつけるのみ。
 大地を割らんとする気迫と共に振り払われた七星剣が大気ごと裂いて迫るのを、朔斬で受け止めいなす零。流れた反動で身を傾がせれば空いた腹へと刃を滑らせた。
 前線の同僚と共にがんばるわたあめの姿に小さく笑んだ咲或は、後方から狐火のランチャーを放ち妖魔の意識が少しでも攪乱できるように、そしてなによりも零が動きやすくなるようにフォロー。
(万が一のためにも、ね)
 ふと、あれに近付かれたときのためにと思い、洛陽の煙草を取り出し吸う。くゆる紫煙がふわりと視界の端に映ったのだろう。煙草を呑む姿に首を傾げたガルガンチュア。
「ずいぶんと余裕があるのだな」
 びたん、とコンクリートを打った尾が瓦礫を払いのけ、それは咲或目掛けて一直線。あわや大惨事に咲或はちょいと目を丸くしてからがら回避。
「そういうお前こそ。余所見する余裕があるとは、俺もまだまだだな」
 妖魔の視線が己から剥がれたのを見た零は、殺気を放ち妖魔の背中から総身を包む。ともすれば己の存在を誇示するようにも見える仕草に、視線のみで振り返り零を視認したガルガンチュアは喉奥でくつりと笑った。
「やっぱり最初の雑兵みたいに簡単にはいかないかぁ。自ら前線にでくるだけはあるわ」
 どう見ても負傷しているのにその俊敏さ、攻撃の苛烈さ重さ、なにより殺意が全く衰えていない。むしろ際立つようにすら思えて咲或の口から残念そうな言が零れ落ちてゆく。
「違いないな、抗争を好むだけあって慣れが見える」
 どれほどの死線を潜って来たのか、妖魔の実力を思わせる手練は然しもの零ですら厳しさを感じられた。それならばと狼に融合を命ずると、地から這うような昏がりにゆっくりと呑まれてゆくガルガンチュアが影に七星剣を突き立てた。だが、なおも止まらない狼の口が妖魔を頭からぱくりと丸呑みにする。
 その間、闇に紛れさせていた闇糸を、昏い狼の腹の中にいる妖魔公女の四肢目掛けて放てば、闇の奥から笑い声がひとつ。
「手段が多いのは良いことだな」
「――自由にはさせん」
 影の涯てより抜け出ようとする妖魔の脚を地に縫いとめるように縛り上げると、
「ぎちぎちに縛っておいてね一」
 場にそぐわぬほど明るい咲或の声。
「分かっている」
 軽口に応えるように零は己の身の内に巡る総ての力を光を返さぬ漆黒の糸に流し込み、動きが完全に止まった瞬間を見計らい。
「デカいの一プレゼントしたげるね」
 咲或もまた渾身の一撃を頭上から叩き込む。己の呼吸すら一拍喪うほどの反動に眦を辛そうに歪めたのも一瞬。すぐに浮かぶのは常と変わらぬ淡い笑み。
「最後は零~お願いしまーす」
 肯いた零は闇に抱かれたまま咆哮すら許されぬ縛りの中より睨めつける妖魔に向かい、己の手足ほどに使い慣れた朔斬を首元に当て、薙いだ。
「俺達を善と言うつもりも無いが。――罪無き者へ手を出した、其の報いは当然だな」
「未だ、終わりだと思うな――」
 闇と血に濡れた妖魔が、嗤っている。

月守・結逢
破場・美禰子

「公女サンだかマフィアだか知らないがマナーがなってないねェ。老人に段差上らせるンじゃァないよ」
 二十階はゆうに超えるであろうビルを見上げて破場・美禰子は唇をひん曲げた。これから階段を登っていくとなるとかなりの重労働だ。想像するだけでいやになる。
(だがまァ美味しいモン頂いて子供達と遊んで身体も温まった所だ)
 |若人《我儘》に付き合ってやるのも悪かないか。ずいぶんと上から目線なお子様を見上げてフンと鼻を鳴らした美禰子は、妖魔公女が待ち受ける天を目指して階段を駆け上っていく。
 ちらと、視界の端でそんな背中を見つけた月守・結逢はサングラスに秘した双眸をちいさく瞠っていた。元気なおばあさんがいるなぁ、なんて。
 それにしても。
「はは、随分お優しくて余裕なんだね? 公女サマは」
 結逢は先ほど貰った鋼糸を|裂宵《れっしょう》と名付けた。伸ばした銀糸を屋上の縁から半分ほど顔を出した瓦礫に巻き付けると、固く絡まったのを確かめてから空へと一気に飛びあがる。
 妖魔公女の周囲には、すでに戦いの跡があちらこちらに散らばって埃と鉄錆のような臭いが充満していた。
「戦うのがお好きなようで? なら、ボクとも当然遊んでおくれよ」
 彼の世と此の世の淡いを揺らめくような、透き通った気配のする結逢の言葉を背に投げ掛けられた冥鈴・ガルガンチュアは、口端から滲む血を手の甲で拭いながら振り返った。
「おぉ、怖い。まるですでに何人か食べたような顔付きだ」
「鬱陶しい小蠅と畜生が多くてな――今、それが増えたばかりのところだ」
「大変だねぇ」なんて嘯いた結逢は、持ち上げられた七星剣の切っ先が己に向かうのを見て、背に担いでいた|奏葬《棺桶》を自身の眼前に突き出し、振り下ろされた一撃を受け止めた。厚い棺越しに伝わる衝撃は、結逢のしろい指先を一瞬で痺れさせる。束の間感覚すら奪うような、瞬きも許されないのではと思う気迫に、面白くなってきたとばかりに双眸が笑む。
「ねえ、見える?」
 振り下ろしからの斬り上げ攻撃を凌いだ際、ガルガンチュアに囁くように結逢は問いかけた。すぅと両目を細くしたガルガンチュアは結逢越しの褪せて血濡れたコンクリートを、それから一瞬だけ視線を外して左右へ振る。
 だが、銀色は塵埃に紛れ、さらには太陽が雲に隠れてしまったがために命を絡め取るものが潜んでいることなど気が付かなかったようだ。
『――逃げられないよ』
 くん、と手首を手前に捻り、魔力を込めた糸を爪弾くと、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた裂宵がきりきりと鳴いた。しかしその音色は鼓膜を劈き脳髄すらも揺らすほどの音響弾となりて妖魔の動きを、ぴたりと止めるに至ったのだ。
「……煩いな」
 片耳を押さえて眉間に深い皺を寄せるその隙に、糸を手繰って妖魔の躯体を絡め取る。体勢が崩れれば良し。一瞬でも隙は隙。結逢は月と逆十字を刻んだ|奏葬《棺桶》を己の手足のように自在に操り、にんまりと変わらずの笑みを携えたまま頭部へと振り下ろした――。

 鈍く重たい音が聞こえた。
 最後の一段を上り切った美禰子は、両膝に手を突いてぜぇぜぇと荒く呼吸を繰り返したものの、直ぐしゃきっと背筋を伸ばして額の汗を拭う。
「やっとこ上れたね! 町内会のラジオ体操に毎日参加しててよかったよ」
 この健脚には子どもたちだってついてはこれまい。己をそう鼓舞しながら取り出したのはS&W『M37』、これを子どもたちが居る前で使うようなことにならなくて、本当に良かった。
 呼気を整え終えた美禰子は暗がりが覗く銃口を、舞う塵埃の奥に居る妖魔公女にぴたりと向けると、撃鉄を起こしすぐさま引き金を数度引く。乾いた破裂音と共に寄越された連続射撃に結逢から意識を剥がされたガルガンチュアはその牽制元を確かめるべく視線を逸らす。その矢庭に結逢はガルガンチュアへと強撃をお見舞いするものだから、たまらず舌打ちが溢れてしまう。
 だがこれで終いではない。
 美禰子は続けざま実体化させた紫煙をガルガンチュアに纏わせて身体の自由を奪うと、さらに片手で開けた瓶より色彩の鮮やかなスライムを投げつける。
「大盤振る舞いさ! 力比べなんざババァがやる筈ないだろ」
 ねっとりとしたスライムがガルガンチュアの五指を、あるいは喉元を狙って這ってくる。まるで意思があるのかと思う気味の悪さに、ガルガンチュアは七星剣で払いのけようとするも、刃にすら絡みついてくるからたまったものではなかった。それでも膂力を生かした一薙ぎがスライム共々美禰子に斬りかかる。
 振り払われた七星剣、死角から突き上げられる尾の不意打ち、さらなる刃の振り下ろしは息つく暇もない。だがオーラ防御で凌ぎ耐えた美禰子に傷はない。長年の感を生かしてガルガンチュアの間合いを適宜見切れたのは、紫煙とスライムがよい働きをしてくれた証拠。
 満足のいく動きが出来なかったと見て、不満げな顔に満足そうに笑う美禰子。
 しかし。
「コレだけは覚えておきな」
 ゆっくりと近付いてくる美禰子に赤く濡れた瞳が、じろりと睨めつける。浅く吐いた呼気がほつれた自身の髪を揺らしていた。
「喧嘩好きの大人がドンパチやろうが好きにしたら良いンだが、子供に手ェ出そうッてならババァが黙ッちゃないよ」
 突き付けられた銃口。闇を塗り込んだように真っ暗な穴が己を見つめ、狙っている。
「こんな風にね」
 ――パンッ。
 血の花が、空に咲いた。
「かぁっこいい。――中々愉しい時間だったよ」
 結逢も「最後にきっつーいのプレゼント★」なんて笑いながら溜めた力を一気に放出するように棺を叩きつけた。

祭那・ラムネ

 風が吹いた。
 乾いた空気を掻き混ぜるような強い風だった。ざらざらした空気を吹き過ぎる一陣が祭那・ラムネの前髪をさらい、その下に秘されていた強い眼差しを暴く。
 ――色んな人の死を見てきた。
(だから死者を冒涜するような行為を許せない――なんて、そんなものは俺の独りよがりな考えに過ぎない)
 自分の価値観が胸の|裡《うち》に怒りの炎を灯すように、|あれ《・・》にもこれまでの生で培ってきた価値観があるのだろう。ただ、それだけのことだ。
 子どもたちが安全な場所に隠れてから物音ひとつ立てず息を殺す利口な気配が分かり、ラムネの顔にやわらかい微笑みが浮かぶ。だが、霞んだ空を仰ぐ矢庭に眼差しは研いだように鋭くなり、唇を引き結び敵を真っ直ぐに見据える横顔は武人のそれであった。
「誰も彼女に奪わせはしない。この槍が、俺が、必ず阻んでみせる」
 白焔の長槍を握り締めたラムネは、鬼城に翳りを落とす悪を討つ為に空へと駆けた。壁を交互に小刻みに蹴って上へ上へ。時おり顔を覗かせる室外機に手を突き身体をバネのように跳ねさせ一直線。これしきのこと、ラムネにとっては準備運動にすらならなかった。
 揺らめく白焔を携え眼前に現れた男の眼差しを受け止めた妖魔は「ほう」感心したふうに双眸を細めると、ゆらり尾をくねらせながらラムネを見遣る。
 交錯する視線はぱちぱちと互いの感情がぶつかり合って火花が散りそうなほどに熱い。それなのに眼窩にはめこんだ青と赤ふたつの瞳には感情の色がなく、光すら灯っていないような冷たさを思わせる。
 どちらからともなく駆けだした矢庭に、キンと耳朶を掠めていったのは刃と穂先がかち合う鈍くも重たい闘いの合図。尾で脇腹から抉り込む胴体を狙った振り払いを鉄壁で受け止めたラムネは、それを見越した頭上からの七星剣の振り下ろしに対し即座にオーラを張る。淡い光を透いた壁がひび割れるのを見て冥鈴・ガルガンチュアは再度の尾で脆くなった箇所を重ねて突く。
 だがラムネは手にした|アルカンシェル《白焔の長槍》を大きく後方へ退くと、一息のままに妖魔の心臓目掛けて突き上げた。繰り出された穂先が七星剣を握る左腕を撫でる。ガルガンチュアは己の胸部を狙った一撃を、食らいながらも滑らせた七星剣でいなし上へと跳ねさせた。頬を掠め、血が舞う。
 己の頬に赤い花が咲いたのも厭わぬのは、妖魔公女にも目的があるように、ラムネにも己がどれほど血濡れようと、己の魂が|毀《こわ》れても身体が動く限り成し遂げたい目的があるから。
 ――鬼城の人達を護りたい。
 だから譲る気なんて、一切ない。
 一歩も退く姿勢を見せないラムネの強い覚悟は眼差しからだけでなく、呼気や槍からも伝わってくるようで。言葉なく己に向かってくるラムネをガルガンチュアは面白そうに、だが認めたように、彼女もまた言葉なく臨んでいるのが窺えた。
 強い思いはあれど、熱くなりすぎて状況が見えていない、などということはなく。ラムネの青い視線は常に戦場の、そしてガルガンチュアの攻撃をなぞるように追いかけ把握する。
 その時ふと、ガルガンチュアが七星剣をコンクリートに突き立てた。戦いを放棄したわけではない。その一突きが足場を揺らす仙術衝撃波となり、ラムネのみを狙った震動を呼び起こしたのだ。ぐらぐらと世界が命を得て起き出したかと思う強い揺れ、その激しさにラムネが慣れるまでの一瞬を突いたガルガンチュアの七星剣が喉元を裂こうと振り払われた。
 寸前で張ったオーラを七星剣が弾く。安堵の息を突く暇もなく、ラムネは|彼方《アイリス》を起動。すでに掌にある天槍アルカンシェルは、ラムネの想いに応えるように、あるいは魂の断片を晴れ渡らせるように輝き、翳りの元凶である妖魔、その喉元に突き返す。
 それまで言葉もなかったのは、必要がないからだ。
 この女に伝えたいことは、ただのひとつだけ。これだけでいいから。
「退け」
 繰り出された槍は一度、二度、三度――突くたびにラムネの魂を削り取ってゆく。だが瞬く間にそれは癒え、ガルガンチュアを無尽蔵に貫くことが出来た。
 |夜は眠らない《ミーティアー》――。
 呼気すらをも奪っていく苛烈な槍の雨を浴びた妖魔は、出会えた強敵に小さく笑った――気がした。

クレス・ギルバート

「――悪い、未だなんだ」
 静けさがしばらく続いたので気になったのだろう。扉を細く開けて通りを覗き込む師父と目が合って、クレス・ギルバートは微苦笑を携えて小さく呼びかけた。
「す、すみません……」
「いや。……荒事は得意だからな、俺に任せてあともう少しだけ隠れててくれないか? きっと呼びに来るから、それまで子供達の傍にいてやってくれ」
 奥の暗がりに子どもたちの姿が見えないのは、もっと奥の安全な場所に避難しているからだろう。それが窺えてクレスもほっとする。
「それに、その温かな手を待っているはずだ」
 やさしく告げたクレスは外側から扉を閉めると、天辺に居る妖魔を仰ぐ。
「綺麗なお姉さんは嫌いじゃねぇけど、子供を拐かすような厄なる花は灼き祓わねぇとな」
 それに、殺気も薄くなってきたように思う。案外その時は近いのかもしれない。あるいは――。
 クレスは路地裏に入ると、乱雑に積み重ねられたビールケースや電光看板、ベランダや雨樋など指に引っ掛けられるものは全て掴んで、高い跳躍力を利用するための足場にして、ぐんぐんと空へと上っていく。近付けば近付くほど乾いた空気に鉄錆の臭いが交じっていた。
 天辺の屋上に辿り着いたとき、噎せ返るような血の臭いが辺りに充満していて、クレスは思わず顔を顰めてしまった。
 傷だらけにも関わらずぴんと背筋を伸ばして立ち、一切の無様な姿を晒していない凛とした横顔は美しい。が。尾がしきりに右へ左へ揺れているのは隠しきれない怒りと苛立ちを表しているのだろう。妖魔公女の視線と絡み合えば、薄く嗤ってやった。
「待たせて悪かったな。礼にこれをくれてやるぜ!」
 言い終えぬうちにクレスは皎刃の一閃を振り下ろす。妖魔公女『冥鈴・ガルガンチュア』の躯体を縦に真っ二つに叩き斬ってやろうとすれば、それを許さぬ妖魔が牙を剥くように咆えた。
 咆哮は無数の天雷を喚び降ろすクレスの足場をぐらぐらと激しく揺らす震動――|妖震《ゴーストクエイク》。立っていることも、呼吸すら難しい過酷な世界の揺れが二重、三重に視軸をずらして視認を困難にさせる。だが同時に戦場に響く天地を劈く音は妖魔の鼓膜を鋭く刺していた。顔をわずかに歪めた表情に効果を知る。爆ぜる雷吼がガルガンチュアが本来やりたかったであろう攻撃を阻害していることに手応えを感じ、クレスの唇がにやりと笑んだ。
 驟雨のごとく降る霆く閃耀のなかをクレスとガルガンチュアが烈しく斬り結べば、互いの朱の花が頬に咲く。
 ――痛いな。
 眼差しすら肉を穿つほどに鋭く、殺気は更にであった。身を内から貫き破裂しそうな激痛を飲み下し、一切の怯みを見せぬクレスは剣戟を重ねてゆく。
「あんたみたいなのが居ると此処に生きる皆……あの子達が楽しく笑えねぇだろ」
「そんなに大事か? いつ朽ちるとも分らぬ己の身すら守れぬ矮小な命が」
「だから、だよ。お姉さんには悪ぃけど、退場願うぜ」
 なおも続く妖震は瞬きすらむずかしい。厄介ではあったが、それを言い訳にしたくはない。至近から己を――己のみと対峙する妖魔に、クレスはこの激しさの中でも刀は振るえるのだと示すように切っ先を水平に薙いだ。
 一閃の軌跡より生まれるのは戦場を無尽に翔ける颶風。例えこの切っ先がその心臓に届かなくとも皎き斬風にて断つ。気概を胸に斬撃を幾重にも幾筋も奔らせて、苛烈な太刀筋を以て迫りくるガルガンチュアを圧してゆく。
 揺れがおさまった――そうと思えば次が襲ってくる。厭らしいやり口に舌打ちしてしまいそうになるのを堪え、奥歯を噛み締めたクレスはそんな一瞬の隙を突くようにひと飛びでこちらに迫った妖魔に気付くと即座に納刀。振りかぶられたその刃を居合の構えで迎え討つ。
「防ぐか」
「残念って顔だな」
 喉奥で小さく笑ったクレスは、受け止めた七星剣を食らい押し上げるような暁を思わせる焔を刀身に纏わせた。それは、鞘奔る皎刃と共に咲きたる赫焉の焔。
 変わった気配を察し身をぐるりと半回転させて振り払われた斬撃を、鋭く弾き返す。クレスはその勢いのまま、否勢いすらも利用して切っ先を翻すと妖魔の胸部に一息に、そして深く、深く穿ち貫いた。
 はく、と唇が震えて、言葉に満たぬ音がまろび出る。
 自分に覆いかぶさるように至近で交えた視線。赤い瞳に映る自分は、笑んでいなかった。
「あんたの昏い悪意が幾度咲こうが、決して実を結ぶことはねぇよ」
 ぐ、と体重を乗せて妖魔を更に刺す。刀身から伝わってくる幽かな呼気は、激しく揺れたあと、徐々に小さくなっていく。
 一気に引き抜くと、妖魔の身体はコンクリートの上に崩れ落ちる。口から溢れ出る血液が喉を詰まらせ、ごぼごぼと苦し気に鳴って、血だまりの中で痛みと屈辱に塗れた妖魔は太陽を背にしたクレスを眩し気に仰いでいる。
「ただ、仇花として散れ」
「なん、と……無礼な……」
 妖魔公女『冥鈴・ガルガンチュア』が絞り出した言葉はそのまま血の中に沈み、残滓すら許されず塵埃に攫われるように消えて行った。

 最後を見届けたクレスは天を仰いで深く息を吐き出すと、ずいぶんと汚れてしまった身なりに微苦笑をひとつ。さて、鬼城の人々に勝利を届けねば――そう思い地上を覗き込んだ時。
「なんだ、咲いてるじゃないか」
 細く入り組んだ路地。その先に広がる小さな空き地にピンク色のあわやかな桃の花が芽吹いていた。春の訪れを報せるように。

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