音を楽しんで
●√マスクド・ヒーロー、とある廃倉庫
「歌いたいか?」
ドロッサス・タウラスが、顔を覗き込むようにして少女に問いかけた。
病院着の少女、|光崎《こうさき》・|安和《あんな》は胸の中心をうがたれたようになって、固まってしまう。
「歌いたいのだろう?」
ドロッサス・タウラスの言葉が、安和の、諦めたはずの、もう叶わないはずの願いをなぞる。
たまらず、安和はすがるような眼差しで何度も首を縦に振った。
安和が何か訴えようと、口をパクパクさせても、何の声も出ない。
「ならばこのカードを授けよう。みな、お前の歌を聞く――命尽きるまで、な」
ドロッサス・タウラスは二枚のカードを差し出した。
流れる水の、アクエリアスのカード。
流れる音の、オルフェウスのカード。
震える手を伸ばし、安和が、カードを手に取った。
●√EDENの生放送、あるいはアーカイブにて
「√能力者の諸君よ。√マスクド・ヒーローにて、シデレウスカードの事件が起こるようだ」
黒を基調にした上等な部屋を背景に、星詠みの少年、|治部《はるべ》・|亞比栖《あびす》は単刀直入に切りこんだ。
亞比栖の生放送チャンネルは、ゾディアック・サインを知るひとつの情報源として√能力者たちに活用されている。この動画の内容は信用していい。
「此度のカードの持ち主は、病気で声が出のうなった11歳の少女、|光崎《こうさき》・|安和《あんな》だ。歌を歌いたい。その思いをドロッサス・タウラスに利用されている」
安和はシデレウスカードにより、『アクエリアスオルフェウス』という怪人と化す。
オルフェウスはギリシャ神話の有名な竪琴奏者であり、セイレーンと歌合戦をしたとも伝えられる歌の名手だ。
「安和は一般の人々を、彼女のアジトに誘い込んでいる。歌えるようになった彼女の歌には、催眠効果があるらしく、被害者は浮かされたようにアジトへ向かい、誰一人として帰ってきていない」
もちろん、広くばら撒かれたような歌では、√能力者が催眠にかかることはないだろう。
「被害者の催眠を解いてもよいのだが、ここはひとつ、アジトへの案内役になってもらうとしよう。ただ、被害者には、周囲が見えのうなるようでな。それこそ赤信号も、川も、何もかも気にせず進み続ける」
実際、そのせいで起こった事故も少なくない。
アジトに案内してもらうには、被害者を危険から守り、無事に送り届ける必要があるだろう。
「アジトでは、安和が人々に歌を聞かせている。人々の半ばは危険な状態だ。事故に遭いて、それでも体を引きずってアジトへ来た者もいる。数日、飲まず食わず、寝ることもなく歌を聞いている者もいる。一刻も早く安和を止めねばならぬ」
だが……、と亞比栖は語気を弱めた。
「安和もまた、音楽に手を伸ばした者の一人。その歌を、確かに攻撃として、諸君に向けてはくるだろう。それも、歌いたいがためなのだ。ゆえに……どうか、音楽の楽しさをこそ、安和に伝えてやってほしい」
一緒に歌ってもいい。もちろん歌でなくてもいい。
音楽とは、楽しいものなのだ。
そう安和に伝えることが、安和への一番の説得になるだろう。
「説得ができれば、安和から、黒幕たるドロッサス・タウラスの居場所を聞くことが叶う。彼女を利用したドロッサス・タウラスを、きっちりと倒してもらいたい」
まとめよう、と亞比栖が姿勢を正す。
まず、安和のアジトへと向かう一般人を、様々な危険から守り、アジトにたどり着く必要があるだろう。
アジトでは安和、もとい怪人『アクエリアスオルフェウス』との戦闘になる。アクエリアスオルフェウスは歌で攻撃を仕掛けてくるが、その攻撃に対処しながら、音楽は楽しいのだと安和に伝えてやってほしい。
安和の説得が成功すれば、安和はドロッサス・タウラスの居場所を教えてくれる。安和の歌への気持ちをもてあそんだ、ドロッサス・タウラスを完膚なきまでに叩きのめしてもらいたい。
「病気により声が出ぬようになった安和の思いは、察するに余りある。その思いを、どうか、誤った道より救ってやっておくれ」
そう言って亞比栖は、祈るように胸に手を置き、深く頭を下げるのだった。
第1章 冒険 『尾行――悪のアジトを探せ』
美しい歌が聞こえてくる。うっとりするような歌だ。
しかし同時に、聞いてほしい聞いてほしいと、思いを押しつけてくるようにも感じるだろう。
その歌の思いに飲まれた一般人は、浮かされたようにふらりと歩きだす。√能力者ならば飲まれることはないだろうが。
星詠みによれば、一般人は怪人のアジトへと向かうはずだ。
だが――パパパー!! 鋭いクラクションが鳴る。トラックの前に一般人が飛び出した!
それだけではない。この先、いくつもの危険が待ち構えている。
一般人を守りきり、無事に怪人のアジトへとたどり着こう!
歌を歌いたい。自分の歌を聞いてほしい。
そう願う少女には見えていないのだ。人々が、一体どんな目に遭っているかが。
聞こえてくる歌は美しい。だが。
「他者を魅了する歌。まあ、センスは悪くないわね。でも、合格点はあげられないわ」
高所からひらりと身を躍らせれば、長い金の髪がたなびいた。
カツッと銀鋼の靴を鳴らし着地する、紅い瞳の彼女こそ、チェルシー・ハートサイス(強者たれ・h08836)。強きを求める孤高の吸血鬼である。
また一般人の男性が一人、歌の思いに飲まれ、ふらりと歩きだす。
まったく、とチェルシーは独り言ちた。
「感情の発露を優先しすぎて、御しきれていないわね。魅了も、歌も。強弱、緩急があってこそでしょう?」
くすり、と小さく笑う。それだけで並みの者は魅了されてしまいそうだが、彼女の力はこんなものではない。
チェルシーが、自らの手に掴んできた力は、こんなものではないのだ。
ゆえに。
「でも、少しだけ……興味がわいたわ」
チェルシーはふわりと浮いた。お気に入りの赤と黒のドレスも、ふわりとたわむ。
歌を掴もうとする、安和の意志。それだけは賞賛すべきものだ。たとえ、方法が誤っていようと、掴んだものが幻であろうと。
意志そのものに価値がある。
チェルシーは、その意志ゆえに強くあり、ゆえに此度の少女の意志にも興味がわいた。
ふらふらと歩いていく男性に向けて、ついと指を上へ。すると男性もまた、ふわりと浮く。
男性が体を向ける方向へと移動させてやりながら、伴走するようにチェルシーも飛翔する。
これで途中にある障害物は障害ではなくなった。チェルシーにとっては、何の造作もないことだ。
しばらく飛んでいけば、景色はどんどんとひと気のないほうへ。
と、男性が空中でわたわたし始める。
「方向が定まらない、ということは、|ここ《・・》ね」
チェルシーは男性とともに高度を下げる。裏路地に、カツッと降り立った。
すると男性は、地下への階段をくだっていく。その先にあるのは――壊れた看板に『ライブハウス』と書いてあるのが見て取れた。
「音響にこだわりがあるのか、ただドロッサス・タウラスに指示されたのか……」
この歌を聞く限り、おそらく後者だろう。歌も思いも、御しきれていないのだから。
それはそれ。
チェルシーはそっとささやく。
「ごきげんよう」
そのささやきこそが、√能力【|深紅の瞳《ブラッドアイズ》】。男性の、魅了に対する抵抗を10分の1にする。
男性の体が傾いた。安和の歌の魅了に、さらに深く飲まれたのだ。その男性の手を、チェルシーがぐっと掴む。
そのままダンスを踊るように引き寄せ、目と目を合わせた。
紅い魔眼が、男性の精神をぐわり! と圧倒する。
「安全に帰りなさい」
「は……はいぃッ!」
チェルシーが手を離してやれば、男性はすっかりのぼせた様子で、もと来たほうへと帰り始めた。
より強く、より精密に、魅了を上書きしてやったのだ。こんな不特定多数にかけている魅了に、チェルシーの力が劣るわけがない。
チェルシー自身の魅了への抵抗力も10分の1になっているが、それでこの歌にチェルシーまでもが魅了されるかといえば。
否。
チェルシーはカツリと歩きだす。孤高の精神は、なんぴとたりとも侵せない。
そうしてチェルシーは、さながら歌うように紡ぐのだ。
「さあ、見届けましょう。哀れな|怪物《セイレーン》の末路を」
物陰に身を隠しながら、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は思う。
(人の気持ちを利用するような事件は、やっぱり嫌だな……)
それはどんな√でも起こり得て、それでいて人の心に傷を残してしまう。
歌が聞こえてきた。美しいけれど、身勝手で……必死な歌だ。安和にとっては、思いの限りを懸けているのだから。
(できるだけ穏便な形で止めたいけど)
一般人の男性が、歌の思いに飲まれてふらりと歩きだす。
(まずはアジトに辿り着かないことには何もできないな)
もう男性には何も見えていないだろう。
そう判断し、クラウスは姿を晒した。黒い髪に、よくありそうな無難な服、そして静かに灯る青い瞳。
男性の傍まで駆け寄ると、クラウスはスッと目を閉じる。9体のドローンたちと感覚を繋げ、同期させる。クラウスの√能力【|機械仕掛けの瞳《オートマタ》】だ。
10cmのドローンたちが飛び立ち、クラウスの指示で男性が歩む先へと向かっていく。
ドローン9体と、自分自身の感覚のすべてが頭に流れ込んでくる。
外から見れば、男性の傍をただ歩いているだけに見えるかもしれない。だがクラウスの脳は、すでにオーバーワークだ。
1体が、危なそうな信号を見つける。すぐさまハッキングを仕掛け、青信号の時間を延ばした。もちろんその指示も、頭に負担をかける。
同時に別の1体が、先に川を発見した。数体をそちらに向かわせ、硬度と弾力を変更する。
やってきた男性がドローンを踏んだ瞬間、びょんと男性を跳ね上げた。びょん、びょんと連続ジャンプで運び、クラウスもすぐそのあとを、ジャンプしてついていく。
最後にクラウスが男性をキャッチして、着地。男性をおろすと、また彼とともに歩きだす。
ここまでで、頭にはずいぶんな負担がかかっていた。
キーーン……耳鳴りと頭痛に襲われたのが、隙になった。
工事現場へと入っていく男性。その上から、ショベルカーのヘッドが迫る!
「すみませんっ!」
ドローンをすべて急行させ、硬度を増してガンッ! とヘッドを受け止める。
その衝突、9つの感覚が脳と目を揺すった。
「ぐっ……」
だが、だが挫けてなどいられない。
男性はまだ歩き続けているのだ。
「お邪魔してすみませんっ」
工事の人たちに頭を下げて、その場を抜ければ、ひと気のない裏路地へと入っていく。
ショベルと衝突した感覚が残り、目がチカチカするが、9体の視界を借りて歩き続け――
男性が、ぴたりと歩みを止めた。
そして方向を変えると、地下へと続く階段をくだっていく。その上には、『ライブハウス』と書かれた壊れた看板がかかっていた。
「ここ、だな」
クラウスはドローンを帰還させる。
ふっと気が緩んだのか、先ほどより強い頭痛が襲った。
だが。
クラウスは痛みの中でも、先を見据える。
あの男性を、同じような被害者たちを、そして何より怪人と化してしまった安和を、この悲劇から助けるために。
五線譜の頁に、黒いインクがぼたり、ぼたりと落ちる。
インクは滲み広がり、そのふちが青い悲しみ色を呈する。
ぼたり。
それは涙のようだ、とふと思った。
五線譜に増えていくインクの音符たちは、
美しく、心を魅了する旋律を紡いでいく。
まるで糸が連なり、布を紡いでいくように。
きっとこの頁が完成したとき、青き歌は人を殺めるだろう。
終止線を、五線譜に書き込まなければならない。
🖊~~~~~~~~~~~
「美しい歌……」
金の瞳を一度閉じる。
美しいが必死な、押しつけるような――あるいは、縋るような歌だ。
「痛みから生まれた歌が、誰かを傷つけてしまうなんて……悲しいことです」
己の心を確かめるように言い、目を開ける。
「危険な方へは、行かせないようにしなければ」
長い黒髪をたなびかせ、歩みだす少女は、名を神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)といった。
御伽話を伝承し、それらを羅紗に織り紡ぐ語り部の一人。
境華は、その引き継いだ物語のひとつを呼び起こす。
「物語は我が手に──蓮華の子が携えし綾よ。その仙の舞、いま一時だけ我が背より現れ、敵を縛したまえ」
ぶわり。境華の背後の空間から、五本の霊布が現れた。境華の√能力【|御伽「天を綾なす宝帯」《コンテンリョウ》】である。
本当はもっとたくさん出せるのだが、あまりたくさん出すと絡まってしまうから……。
それに。
五本が相応しいと思った。それは血の通う人の手のようであり、楽譜のようでもある。
一般人の女性が、歌に飲まれてふらり、ふらりと歩いていく。
境華はその後ろについて、尾行を開始した。
赤信号の交差点に入ろうとすれば、包むように女性の侵入を阻み。
川に突っ込もうとすれば、霊布を足場として橋をかけ。
危険を回避するように、そっと彼女に力添えをしていく。
(大体の方向が分かれば掴んで移動させてしまっても良いですが、あまり気は進みませんね……)
そう思いながら、前方の安全を確かめ、気配を殺し、ついていく。
意志に反し無理やり移動させる、ということは、安和のしていることそのものだ。
もし自分が安和と同じことをするならば、自分に安和を止める役になる資格はないだろう。
それに。
(……想いは、本来、誰かに押しつけるものではないはずです)
だから、時間がかかっても、いくら大変でも、境華は押しつけない。
そうしてたどり着いた先は――
「ライブ、ハウス」
壊れた看板にそう書いてあった。
女性は、地下へ続く階段をくだっていく。
安和に近づいた分、よりぴりぴりと肌に響く、青色をした音。それを感じながら、境華もまた女性のあとを追うのであった。
【続く】
もし、自分のしたいことが全く出来なかったら……。
水藍・徨(夢現の境界・h01327)は、古びた自由帳をぎゅっとした。
自由帳の中は、自由だ。希望の名を持つ国の存亡をかけた戦いも、笑い合う三人のちょっとした日常も、自由に描くことができる。
それが、もし、できなくなるとしたら。
できなくなったとして、もし、再びその自由を手に入れられるとしたら。
……手を伸ばすだろう。
そして、僕の理想の世界を害したものを消すだろう。
――フードをきゅっと深くする。
今は、安和だ。
彼女もまた手を伸ばし、自分の世界を描いている。
(……そう思うと、安和という人の気持ちも、少し分かる気がします)
ただ違うのは、彼女が掴んだものが、本当の自由ではないということ。
彼女の描く理想が、彼女自身を|██《苦し》めていること。
……よく分からない。分からないが、別の、本当の自由があるのだと思う。
彼女が大切に抱えているのは、自由帳ではなくて、ドロッサス・タウラスに掴まされた悲劇の脚本なのだ。
そこへ、歌が聞こえてきた。美しいが、どこか|██《苦し》そうな歌。
その歌に飲まれて、一人の一般女性がふらりと歩きだす。
(今は……一般人を助けないといけません、よね)
女性はふらふらと、赤信号の交差点へと突っ込んでいく。
衝突までの時間を、創らなければ。
「キア、手伝って」
呼びかけに応じ、琥珀色の精霊が現れた。蒼の文字盤を携えた時空の守り人、|κυανός《キアノス》。
|κυανός《キアノス》がキチキチとトラックの時間を遅らせる。
「僕の理想、僕の想いを形へ。希望の世界をここに──」
ぷよん!
そこに巨大なスライムクッションが現れた。
徨は人間災厄「想像の創造《ディミウルグ》」。想像したスライムクッションを、√能力【|_ἐλπίς《エルピス》】により創造したのだ。
トラックがぷよっと受け止められ、無事に停止する。
その前を、女性が歩いていった。
徨もまた、ぺこっと頭を下げながら女性のあとをついていく。
クッションが消え、残されたトラックのあんちゃんは、
「な、なんだったんだぁ?」
ただ目をぱちくりとさせるのであった。
向かう先でも、女性は周囲を気にせずに歩いていく。
工事現場にも、川にも突っ込もうとしたが、そのたびに徨は【|_ἐλπίς《エルピス》】によって空間を書き換え、道を創る。
「本当に、そのまま進んで行ってますね……間一髪、でしょうか」
女性はひと気のないほうへと向かい、いったん動きを止める。と思うと方向を変え、地下へと続く階段をくだっていった。その上には、『ライブハウス』と書いてある壊れた看板がかかっている。
(僕は、音楽に詳しくないです。でも……)
聞こえてくる歌。この先は、いわばドロッサス・タウラスによって作られた、支配の国。
(何故でしょう、反発したくなります)
ならば今の徨は、理想と自由を求める一人の|抵抗軍《レジスタンス》、といえるのかもしれない。
「大好きな歌が歌えなくなって、安和ちゃんきっとすごく悲しかったよね」
星詠みの話を聞いて、真白・璃亜(風花の冒険者・h09056)は眉尻を下げる。
「そんな時にもう一度歌える、なんて言われたら絶対に歌いたくなっちゃうよ……」
その安和の気持ちに、ドロッサス・タウラスはつけ込んだのだ。
そして、彼女に、人を傷つける哀しい歌を掴ませた。
「音楽は楽しむ物だって大切なお友達に教えて貰ったよ!」
思い出すのは、あの春のステージ。キラキラ輝くみんなの瞳。
「今ならまだ、間違えちゃっただけで取り返しがつくはずだから、これ以上被害者が出ないうちに急いで止めに行かなくちゃ!」
そう言って、璃亜は街へと駆けだしていく。どこに行くかはよく分かっていないけど何とかなるなるー!
「みんな集合!」
璃亜が呼べば、璃亜と同じ容姿の|少女人形《レプリノイド》たちが12体現れた。
通称、璃亜小隊。璃亜の√能力【|少女分隊《レプリノイド・スクワッド》】によって、連携が可能なのである。
「よーっし、歌に引き寄せられている人を見つけるよ!」
「「「おーっ」」」
どこかマイペースな掛け声とともに、璃亜小隊が散っていく。
璃亜ももちろん、元気いっぱい全力全開だ!
と、そんな璃亜に歌が聞こえてきた。美しく、でもどこかつらそうな……
その歌を聞いた一般女性が、ふらりと歩き始める。
「こっ、この歌だよ! 集合、みんな集合~っ!」
璃亜は小隊に呼びかけつつ、女性を追いかける。
次々に集まってくる|子《素体》たちが、先にある危ない物をひょいひょいと避けてくれる。
だが、工事現場へ女性が突っ込んでいくではないか! 工事現場は移動させられないよね!?
「わーっ! そっちはダメなんだよー!」
慌てて璃亜が女性の身体をくるーっと回して方向転換、なんとか事なきを得た。
ピン――
「あっ、そっちもダメ……!」
勘が走り、とっさに璃亜が女性の手をきゅっと取って止めると、
ごあ!!
目の前を大きなトラックが通っていった。危機一髪だ。
「ほっ……。あっとと、進んでもらわなきゃいけないんだよ!」
手を離せば、女性はまたふらふらと歩いていく。
そうしてだんだんと、ひと気のないほうへ、ひと気のないほうへ。
相変わらず璃亜小隊のみんなで、先の危険を避けていきながら、ついていくことしばらく。
女性が、ぴたりと歩みを止めた。と思うと、方向を変え、地下へと階段をくだっていく。その上には、『ライブハウス』と書かれた壊れた看板がかかっていた。
「ライブハウス……。ステージがあって、お客さんがいて、ってところだよね」
同じだ。
あの春のステージと。
違うのは、聞こえてくる歌がなんだか苦しそうに聞こえる……ということ。
「せっかくのステージなんだもん。みんなが楽しいステージがいいよね!」
楽しむのは璃亜の得意分野だ。
璃亜は笑顔をさらにニカッと|強くする《・・・・》と、ライブハウスへタタタッと駆け下りていくのであった。
第2章 冒険 『シデレウスカードの所有者を追え』
ライブハウスのステージで、怪人は歌う。
竪琴のような翼がふたつ。共鳴により、歌を増幅させているようだ。
『歌姫』とでもいいたいのだろうか、ティアラをつけ、豪奢なドレスに身を包んでいる。
あとはまるきり、11歳の安和の姿であった。黒い瞳に、黒いボブカットの髪。
ライブハウスに響く歌に、意識のある被害者たちは無我夢中だ。
中には、倒れている者もいる。寝食を取らずにいるため、あるいは事故に遭ったために、体力がもたなかったのだ。
このまま安和が歌い続ければ、倒れている者から命を落としていくだろう。
ドロッサス・タウラスが言っていたとおりに。
『みな、お前の歌を聞く――命尽きるまで、な』
怪人『アクエリアスオルフェウス』、いや。安和の歌は、美しく、哀しい。
嬉しいのだ。
失った歌を再び得たことが。みなが聞いてくれることが。
怖ろしいのだ。
失った声を再び失うことが。そして、現実を直視することが。
だから必死で歌う。
本当は、分かっている。
シデレウスカードに手を伸ばすとき、彼女の手は震えていた。
まだ幼い安和へ。
伝えてあげてほしい、音楽とは楽しむものなのだと。
彼女が音楽を大切に思うとき、きっと、こんな哀しい歌は安和自らが止めてくれるはずだ。
■MSより
怪人『アクエリアスオルフェウス』は以下の√能力を使用します。
POWなどの能力値には対応していません。プレイングに指定があればそれを、指定がなければMSが選んだ√能力を使います。
●みんな助けて
「【美しく哀しい歌】」を歌う。歌声をリアルタイムで聞いた全ての非√能力者の傍らに【歌い手の敵を襲えと唆す歌い手の幻影】が出現し、成功率が1%以上ある全ての行動の成功率が100%になる。
●びりびりするよ
【美しく哀しい歌】を放ち、半径レベルm内の指定した全対象にのみ、最大で震度7相当の震動を与え続ける(生物、非生物問わず/震度は対象ごとに変更可能)。
●こっち来ないで
視界内の全ての敵に、防御不能の【美しく哀しい歌】を放つ。命中した対象はレベル秒間、発動者が指定した方向が「下」になる(対象毎に異なる方向を指定可能)。
「みんな、助けて……!」
アクエリアスオルフェウスが、美しく、哀しい歌を響かせる。
すると人々の傍らに彼女の幻影が現れ、人々を唆し始めた。
「倒せ……」「倒せ……」「「「邪魔者を倒せ!!!」」」
「物語は我が手に──」
神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は、動じることなく詠唱を紡ぐ。
「忘れ流る水音よ、痛みを深く沈めたまえ」
ザァッと、水の広がる感覚がした。見えぬまでも、これこそが√能力【|御伽「忘れ流る水溪」《レーテー》】の水流。
だが。
歌こそまた、流れなのだ。
歌と|忘却の川《レーテー》の流れがぶつかり、渦巻き、濁流を生む。
人々の意識は混濁した。
100%成功するはずだった人々の襲撃が、隙だらけのものへと変わる。
怪人の歌は響き続ける。悲しき青を描き続ける。
境華の言葉は、この濁流を超えていかなければならない。
「……あなたの歌は、美しいのでしょう。でも、見てください」
見ない。
怪人の歌は響き続ける。
人々が襲い来るのを、境華は最小限の抵抗で受け流し、前を、彼女を見つめて進んでいく。
「これは……あなたの歌を“聞いている”と言えるのでしょうか」
境華はふっと沈み、腕をかいくぐる。
「楽しんでいるように、見えますか」
そっと手を添え、優しくいなす。
「歌を喜ぶというのは……こういうことなのでしょうか」
怪人の歌が、より強く響く。
レーテーを否定するかのように。
境華の言葉は、歌の奥にはまだ届かない。
だがまだ。
まだだ。
「貴女が本当に好きだった歌は、音楽は、誰かを苦しめるためのものではなかったはずです」
人々の突進の上を、境華はひらりと身を回して跳び越える。
その動きに、アクエリアスオルフェウスがこちらを見た。
目が、合う。
「聞いてほしいという願いは」
境華は目を合わせ続ける。
周囲の人々が境華を掴み、アクエリアスオルフェウスから引き離そうと無茶苦茶に引っ張った。
その濁流の中、境華は踏ん張り、目を合わせ続ける。
怪人の歌の奥底にある、音楽への愛情に、血の通った「言葉」という手を伸ばす。めいっぱい。めいっぱい。
「聞いてほしいという願いは……押し付けるためではなく、ともに楽しむためのものではないのですか」
ぼろっ。
アクエリアスオルフェウスの双眸から、涙が落ちた。
そのまま、堰を切ったように涙が流れ、頬を伝っていく。
怪人の歌は響き続ける。
境華は人々にもみくちゃにされ、引きずられ、後退を余儀なくされた。
だが。
言葉は届いたのだ。そして、新たな流れを生んだ。
境華の言葉は、レーテーの先に、確かにひとつのアレーテイア〔ギリシャ語。レーテーの否定形であり、真実の意〕を描きだしたのだ。
【続く】
🖊~~~~~~~~~~~
物事は曖昧で掴めない。
そのふわふわに形を与えるのが、言葉だ。
言葉は掴むことができ、扱うことができる。
一方で。
言葉にした途端、曖昧は切り捨てられてしまう。
あの青とその青は違うのに、同じ「青」になってしまう。
流れをすくおうとして、手の上に残るものが言葉だ。
流れのほとんどを、言葉では扱うことができない。
ならば、わたしは言葉ではない方法を探すべきだろうか。
それは、違う。
わたしは信じている。
言葉には、言葉だけが持ちえる力があるのだ、と。
(哀しいな……)
美しいけれど、哀しい歌。
クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は胸を痛めながらも、そこに別のものも見いだしていた。
(安和は、本当はこれがいけないことだとわかっているんだね)
ならば、きっと自分で手放すこともできるはずだ。
「あたしから歌を奪いに来たの!? みんな、助けて……!」
アクエリアスオルフェウスが、歌を強めた。
すると人々の傍らに彼女の幻影が現れ、人々を唆す。
「助けて……」「助けて……」「「「あいつを倒せ!!!」」」
「お願い、水精」
クラウスは精霊燈火――蒼い涙型のランタンを掲げる。
その中にいる、水のように透き通った蛇型の水精が、優しい【|水精の子守唄《ララバイ》】を歌い始めた。
すると精霊燈火から、すべての一般人にむけて、癒しの水泡が放たれる。
「少し眠っていて」
「あ……」
水泡が当たると、人々はその泡に包まれ、眠りへと落ちていく。
ライブハウスの喧騒が消えた。
アクエリアスオルフェウスもまた、歌を止める。歌ったとて、誰にも聞いてもらえないのだから。
そんな彼女に、クラウスは向き直った。
「ね。また歌えて嬉しい?」
「嬉しいわ」
「俺には、そうは見えないよ。君の歌、すごく悲しく聞こえてしまうんだ」
「…………」
否定もできずに、押し黙るアクエリアスオルフェウス。
クラウスはそっと水精に目配せをする。
水精は、にこりと優しく笑った。そしてまた、【|水精の子守唄《ララバイ》】を歌いだす。
「音楽は楽しいものなんだって、思い出して」
クラウスもまた、水精とともに歌いだした。
その歌を聞くや、アクエリアスオルフェウスがキリキリと、目を見開いていく。
昔は、ああ、本当にずっと昔のことのよう。ああして、友達と、笑って……歌って……。
――あたしの声が出なくなった!!
「ね、安和。一緒に歌おう」
「あああああああああああああああああ!!!!」
「ぐっ……!」
アクエリアスオルフェウスの絶叫に、水泡が次々と割れていく。
そして。
「いっつああああ!?!!」「ギャアアアアア!!!」「ああ゛ッ、あああああ!!!」
起きた人々の絶叫が重なっていく。
彼らが正気に返り、本来の痛みを取り戻したのだ。
どたばたとのたうち回る彼らを見て、怪人は顔を真っ青にする。
「あ……あ…… ♪あああ~~~~~~!」
アクエリアスオルフェウスが、再び歌いだす。
ぴたり。止む絶叫。そしてみなが、彼女の歌に心酔し、痛みを忘れて聞き入る。
「安和!」
クラウスが叫べば、怪人はぎゅっと目を閉じた。歌を、催眠の歌を歌い続ける。
気持ちは痛いほどに分かる。あの惨状を、止められるなら止めたい、彼女は今そのために歌っているのだ。
(でも、じゃあどうすれば……)
と。
コツコツと、水精が精霊燈火をノックした。
見れば、水精はクラウスに、また優しく笑ってみせる。
「……そう、だね。俺が怖い顔をしてちゃいけないな。ありがとう」
水精は楽しそうに歌いだした。怪人の歌を。
クラウスも続けて、たどたどしいながらも、優しく歌を重ねる。
そうして責めずに歌ってくれるから。
アクエリアスオルフェウスは、そろそろと目を開く。
怯えきった瞳。彼女の顔は、血の気が引いたままだ。
優しい子なのだな、とクラウスは思う。
彼女のために歌おう。彼女がその目を開いてくれたように、心もまた、開いてくれるよう。
燦然と輝くティアラに、豪奢なドレス。怪人の美しい歌が響く。
「……僕には、音楽の良い悪いは、よく分かりません。ですが……」
水藍・徨(夢現の境界・h01327)は、その美しい世界に反旗を翻す。
「この事態を引き起こしてしまっている。だから……歌うのを、やめないといけないと思います」
怪人アクエリアスオルフェウスが、キリキリと目をつり上げ、歌をわっと強めた。
人々の傍に現れる、怪人の幻影。幻影は人々に囁く。
「倒せ……」「倒せ……」「「「あいつを倒せ!!!」」」
唆された人々は、一斉に徨へと襲いかかってくる。
「……すみません、邪魔を、しないでください」
ぷるるんっ
ライブハウス中に、巨大なスライムクッションがいくつも現れた。徨の√能力、想像を創造する【|_ἐλπίς《エルピス》】が発動したのだ。
人々はスライムクッションに捕らわれ、身動きが取れない。
「僕の理想、僕の想いを形へ。希望の世界をここに──」
徨はさらに、想像を走らせる。
するとそこに、|理想の世界《エルピス》から少女魔術師が創造された。サラリと揺れる深緑の髪、元気に輝く灰桜の瞳。
タクトを持ち、風と音を操る彼女は、ワン・ツー・スリーとタクトを振った。
ふわっとスライムが風に浮き、人々の足がタン! と床を打つ。アクエリアスオルフェウスの歌に合わせて。
タン! タン! タタン!
リズムが生まれる。歌と合わさる。
ぷよんっ
「うわっ!」「ぴゃっ」「あお!?」
スライムに跳ね上げられた人々の声が、おもしろおかしい合いの手になる。
少女魔術師は、タクトをくるくる。
ライブハウスに放置されていた楽器や、イスやテーブルが浮かび、こんっとぶつかって様々な音を奏でていく。怪人の歌を、鮮やかに彩る。
怪人は――目を見開いていた。心が、震える。
それこそが風の力なのだ。音の力なのだ。
スライムが流れるように、風によって上へと運ばれる。人々が順に床に足をつく。
タタタダダダダダダ!!
サビに向けて盛り上げ、少女魔術師はタンッと宙を蹴った。
徨が自由帳をきゅっと抱き、控えめに口を開く。
「楽しいことは、一人だと寂しいと思う、ので……誰かと一緒に楽しめると、良いと思います」
少女魔術師がステージの怪人に手を伸ばす。いっぱいの笑顔とともに。
怪人は思わず、手を取っていた。
ぐいっと引っ張られ、怪人もまた風に乗って宙へと浮かぶ。
怪人の歌に乗せて、くるり、くるり、二人の少女が舞う。
魔術師の少女が、頭の上で手を打って拍手を誘えば、人々がリズムを打ち始める。
その拍手に乗って歌うのが、どうにもこうにも楽しくって、怪人アクエリアスオルフェウス――安和に、花が咲くように笑顔が浮かぶ。
ライブハウス中にのびのびと響き渡る、安和の歌。
二人の少女の目が合った。
二人の目は、ともに語っていた。楽しい!
安和がラストの長音を伸ばす。美しいビブラートが広がる。
少女魔術師がぐるんぐるんとタクトを振って、もっともっとと拍手を誘う。どんどん盛り上がる、ライブハウスの万雷の拍手。満ち満ちる、音、音、音。
そして、そして!
満を持して、ピシっとタクトを回し、少女魔術師が歌を締めくくった。
余韻が、波紋のように、音もなく胸に押し寄せる。
――終わった。
終わった、のだ。怪人の歌が。
倒れていく人々を、スライムクッションが受け止める。
人々の中心へ、二人の少女がふわりと降り立った。
怪人は、乱れた息をしながら、信じられないという顔をしていた。
パチパチパチパチ!
そんな彼女へ、少女魔術師が拍手を贈る。ありがとう、楽しかったです! そう伝わってくる、めいっぱいに。
「あ……あ……、……ああああああああああああッ!!!」
怪人が膝を折り、泣き始めた。顔を覆って、肩を揺すって、泣きじゃくる。
――もう、彼女は大丈夫だろう。彼女は、支配から解放されたのだ。
だが。
静かに安和を見おろしながら、徨は唇をきゅっと結ぶ。
まだだ。この支配の国には、王が残っている。
自由を、勝ち取らなければならない。
今まさに、|抵抗軍《レジスタンス》の少女魔術師が、安和の自由を勝ち取ったように。
泣きじゃくる怪人アクエリアスオルフェウス――いや、幼い少女、安和。
自分がしてしまったことへの罪悪感と、これから再び声を失うことへの恐怖に、次から次へと涙が溢れてくる。
(安和ちゃん、辛そうなんだよ……)
そんな彼女を見て真白・璃亜(風花の冒険者・h09056)も、しゅんとしてしまう。
(美しい声で歌えても楽しくなかったら苦しいもんね……。何とかして笑顔に出来ないかな?)
そんなとき、思い出したのは彼の言葉だ。
『もう音を外してよいぞ』
そして彼は言ったではないか。璃亜が楽しめば、きっとみんな楽しんでくれると!
音は外したっていい。
それに、歌でなくたっていい。璃亜はカバンからひとつの鈴を取りだした。半円状の持ち手に、五つの鈴がついている形状のものを。
この鈴だって、春のステージの手拍子だって、一緒にみんなで音楽をしていたのだ。だから。
シャン!
璃亜は、元気に鈴を鳴らす。
シャン シャン シャン シャン
安和が、何の音かと顔を上げた。
「♪春風に~」
璃亜は歌いだす。それは安和も知っている、流行りの歌だ。
さあ、一緒に!
そんなふうに璃亜が笑顔を向けるから、安和もそろそろと、誘われるように歌いだした。璃亜に、ハモるようにして。
「♪視界ひらけー ̄ ̄」
璃亜がときどき音を外す。でも璃亜は、元気いっぱいで楽しそうだ。
思わずくすっと笑って、安和は同じだけ音を外して、調子っぱずれのハーモニーを一緒に響かせる。
さあ、ここからが一番の盛り上がり、サビだ!
シャンシャンシャシャン!
鈴を打って盛り上げて、二人は同じタイミングで息を吸う。
「「♪新たな春の始まり~」」
息が合う。歌が、ハーモニーが重なる。
鈴と同じリズムを、安和も手で打つ。二人とも体を上下させて、全身でこの音楽を楽しんで。ブレスが、音が、そして二人の笑顔が、キラキラと輝きを放つ。
その先でついに迎える、最後の一節。
「「♪――未来へ!!」」
1オクターブ違いの|同じ音《ユニゾン》で、二人とも、ぐっと拳を突き上げていた。
それがあんまり嬉しくって。璃亜は満面の笑顔を浮かべたまま、拳を安和に近づける。
安和もまた同じ笑顔で、拳同士をこつんっと合わせてくれた。
「……ありがとう。あたし、もう……こんなカードに頼らなくても、大丈夫」
安和の前に、ふっと二枚のカードが浮かんだ。
流れる水の、アクエリアスのカード。
流れる音の、オルフェウスのカード。
その二枚が、キラキラと浄化されるように消えていく。
ティアラもドレスも消えていく。病院着へと戻っていく。
安和の声も、消えて、なくなっていく。
ふとまた泣きそうになった安和に、スッと何かが差し出された。
「安和ちゃん。これあげるね」
それは、璃亜が使っていた鈴。
璃亜は笑顔で、言葉を続ける。
「……私が一番最初に音楽に参加したとき、歌じゃなくってこれで演奏に参加したんだ。とっても嬉しくてね! 同じタイプを探して買っちゃった」
その大切な鈴を、璃亜は安和にあげると言うのだ。
「音って色々あるんだよ」
安和はこくこくと頷く。璃亜たちがそう教えてくれたから。
「自分の好きな楽器に心を吹き込んで一緒に奏でる事だって『安和ちゃんの声』なんじゃないかなぁって、私は思うよ」
安和もまた、今は素直に、そう思えた。
だから璃亜の鈴を、両手で大切に大切に受け取った。
安和はにこっと笑い返して、『ありがとう』と口を動かす。
そして病院着のポケットから、メモとシャーペンを出して、何か書きつけていく。
それをひょいと、璃亜へと見せるのだ。
『また、あたしと音楽してほしいな』
ダメ? ダメ? 安和の目が語っている。期待と未来とを、その瞳に映して。
「もっ……もちろんなんだよーーーー!!」
思わず璃亜は、安和をぎゅっと抱きしめていた。
二人の笑顔が重なる。まるでハーモニーが重なり、ともに響き合うように。
第3章 ボス戦 『『ドロッサス・タウラス』』
安和は、シデレウスカードを自ら手放した。
被害者たちは誰も命を落としていない。すぐに√能力者の病院に運ばれ、全員が完治することだろう。
安和はもう、話すこともできない。だが、音楽の本当の楽しさを教えてくれたあなたたちに、筆談と絵とで一生懸命教えてくれた。
ドロッサス・タウラスの居場所を。
「なんだ、使えんかったのかあのガキは」
廃倉庫に着いたあなたたちに、悠々と振り向いたのは、星界の力を操るゾーク12神が一柱――ドロッサス・タウラスだ。
神聖に守られた堅固な肉体と、星界の力を集めた金棒を持つ、牛頭の怪人である。
「まあよい、汝らなど物の数ではない。次は如何な者にカードを渡すとしようか」
ドロッサス・タウラスは、確かに強い。
それだけに、√能力者を舐めきっている。
もうあなたたちに興味のない様子で、次の被害者のことを考えているようだ。
シデレウスカード事件の被害者を、安和のような悲しい思いをする者を、もう増やしてはならない。
ここできっちり叩きのめし、ドロッサス・タウラスに思い知らせてやろう。力無き人々を守る力が、神の一柱をも超えるのだということを!
(彼女は己の未来を選んだようね)
人の手を借りたとはいえ、自らの意志を通し、欲しいものを掴み取った。
それは賞賛に値する。チェルシー・ハートサイス(強者たれ・h08836)はそう考えるのだ。
チェルシー自身が介入するかは少し悩んだが……
(音楽を前に、わたくしが出来るのは踊ることのみ。下手に力を込めすぎれば、彼女に不可逆の傷を生む可能性もあったし)
強者ゆえの悩みである。
だがあの少女については、ほかの√能力者たちがよくやってくれた。
「何より」
カツッと銀鋼の靴が響く。
「本命はお前だもの」
チェルシーに“お前”などと呼ばれ、カチンときたプライドの高い敵がこちらを向いた。
鎧のような体。雄牛をかたどった頭。
「ドロッサス・タウラス、神とやら」
チェルシーがその名を呼ぶ。
神と言われ、ドロッサス・タウラスは一転して、機嫌よくぶしゅーっと鼻息を吹いた。
「ほう、神を崇める心はあるようだな」
だが、続くチェルシーの言葉に、言葉を失うことになる。
「手加減してあげるから、全力で来るといいわ」
「なっ……!?」
ドロッサス・タウラスは、わなわなと目を見開いていく。
目の前の少女は、武器も何も持っていない。ドレスからは華奢な手足が伸びている。
そんな、ただのガキが、『手加減してあげるから』だとぉ……!?
「ば……、ば、馬鹿にするでないぞぉぉッッ!!」
怒りに任せ、ドロッサス・タウラスがチェルシーに突撃してくる。
まるで闘牛のよう、とチェルシーはふっと笑った。
それがさらにドロッサス・タウラスの癇に障る。
「潰れよ! タウラスクラッシャーー!!」
星界の力に満ちた堅固な腕を組み、ごうと細い少女へ振り下ろす。
少女は一瞬でミンチに――ならなかった。
「|Un《アン》」
チェルシーは最小限の動きで受け流す。
ドオオオオオン!!!
腕が地面を叩くと、途端に周囲が一等星の輝きに包まれた。
「|Deux《ドゥー》」
凛とした声とともに、周囲の輝きがごあっと炎上する。
すべてを消し去る幻の炎によって。
「なんッ……!?」
ドロッサス・タウラスの視界が暗転した。
それはそうだ、一等星の輝きに対応するため、瞳孔を絞りきっていたのだから。
光が焼滅した今、ドロッサス・タウラスには何も見えない。
一方チェルシーはというと。
砕かれた地面を蹴り、高く高く跳躍していた。
そして衣服の隙間に忍ばせた深淵から、スルッと取りだしたのは――
|金色《こんじき》の大鎌。血を喰らうといわれる、一族の家宝『ハートサイス』。
宙に金の円弧が浮かぶ様は、まるで夜の女王、月のよう。
「|Trois《トロワ》!」
大鎌の重量とともに、視界の戻らないドロッサス・タウラスに斬りつける!
ザンッッ!!
「ンモ゛オオオオオッ!!?」
縦に大きく斬り裂かれ、ドロッサス・タウラスが悲鳴を上げる。
その声には大きな困惑が宿っていた。ドロッサス・タウラスには星界の守護があるはずなのに!
だが√能力【|血喰らい大鎌《ブラッドイーター》】の前では、星といえどただの星屑になり果てるのみ。
チェルシーは、哀れな雄牛に教えてやるのだ。
「堅固であろうと、それ以上の力で叩き斬ればいいだけ。そんなことも分からないのかしら?」
「ばッ……、馬鹿にするでないと言ったであろうが!!」
ドロッサス・タウラスが滅茶苦茶に金棒を振るう。
「|Un《アン》、|Deux《ドゥー》、|Trois《トロワ》」
そんな大ぶりな攻撃など、当たるはずもない。
|円舞曲《ワルツ》のリズムとステップで、チェルシーは優雅に避ける。
「チェええええッッ!!」
ようやく視力が戻ってきたドロッサス・タウラスが、チェルシーに金棒を突きこんだ。
「|Un《アン》」
チェルシーは後ろへステップ。
「|Deux《ドゥー》」
ハートサイスをぐんっと回し、
「|Trois《トロワ》」
ガアンッ!!
金棒をハートサイスで打ち上げる。
「ぐうう!! この我に力で勝てると思うでなああい!!」
逆に力をこめ、ドロッサス・タウラスは金棒を振り下ろした。
「術中よ、神サマ?」
「な!!?」
つまり。
先ほどは金棒をわざと上に弾いたのだ。上げれば、下ろしてくるであろうと。
そんな、読むにも値しない軌道を、
「|Un《アン》」
チェルシーはただの1ステップで避ける。
ダアアアンッ!!
地面を打ち据えたドロッサス・タウラスは、即座に金棒を手放した。
そのまま後方へ下がらんとするが、もう遅い。
「|Deux《ドゥー》」
チェルシーが華麗にターン。
ただのターンではない。大鎌の重量に、回転の勢いを乗せる。
ごうっ!
ドロッサス・タウラスが再び目を見開いた。
「|Trois《トロワ》!!」
ザンンッッ!!
「ンモ゛オオオオオオオッッ!!!」
ハートサイスが横一文字に閃く。
十字架の如き大傷を刻まれたドロッサス・タウラスは、どぉんと倒れ込む。
強い。
そして、ドロッサス・タウラスの胸に浮かんだもうひとつの感情は――美しい、だった。
「まるで磔刑の罪人ね」
チェルシーがくすりと笑う。その唇に、人を魅了する妖艶を浮かべて。
「ドロッサス・タウラス、お前の罪を教えてあげる」
大鎌を深淵へと戻し、チェルシーは長い金の髪をサラリと梳いた。
美しき、孤高の強者。
チェルシー・ハートサイスは、自らが地に沈めた神の一柱へと、毅然と言い放つのであった。
「弱い、ということよ」
「ふむ、次は如何な者がよいかな」
余裕な様子で考え込むドロッサス・タウラスに、温度のない声が飛ぶ。
「次のことを考えている場合? 危機感が足りないんじゃないかな」
そんな煽りとともに、幾本のレーザーがチュンと線を描く。
「むう!?」
ドロッサス・タウラスが金棒でレーザーを弾いたときには、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)が肉迫していた。
クラウスは極限まで高めた集中力によって、移動速度が3倍に。そして、
「閃!」
魔力兵装の刀による2倍攻撃、『一閃』が使用可能となっていた。クラウスの√能力【|月下氷雪《ゲッカヒョウセツ》】である。
ひらめいた刀は、易々と神聖防御を斬り裂いた。
「ぐッ!? 装甲無視か!」
そう、『一閃』は装甲を貫通する。いくらドロッサス・タウラスが堅固だろうと、【|月下氷雪《ゲッカヒョウセツ》】の前では無意味。
――だと、思われた。
「これ以上、我が玉体を傷つけることあたわず!! ンモオオオオオ!!」
ドロッサス・タウラスが吼え、金属の牡牛へと変貌する。
その体は星界の力に満ち満ちていた。
だがクラウスは怯まない。
思念でレイン砲台を操作し、射撃しながら3倍の速度でかき乱す。
そもそも、普段温厚なクラウスは、相手を煽ったりなどしない。
だが、安和の心を利用したドロッサス・タウラス相手に、黙ってなどいられなかったのだ。
レインが牡牛の体にビシビシと当たる。が、傷がひとつもついていない。
「ブハハハハハ!! 神聖なる我が玉体は無敵、無敵である!!」
しかしクラウスは感じ取っていた。レインが当たるたびに、その神聖が削れていることに。
ならば。
「閃!」
斬りつける。やはり傷痕はない。だが神聖は、確かに削れていた。
だったら斬り続けるまでだ。あいつの神聖が尽きるまで。
「ちょこまかと……ブモオオオオオオ!!」
牡牛が、輝く星炎ブレスを吐く。広い。逃げ場がない。
クラウスが魔力の盾を錬成し、魔力防御を重ねた。星炎が盾に当たってふた手に分かれる。
それでも、ごう、ごうと押されていく。何より熱い……!
クラウスは、その場にしっかと踏ん張る。
だが。
そのために、有利を取っていた3倍の移動能力が封じられた。
突然、目の前に牡牛!!
ドゴアッッ!!
「くあっ……!」
炎の中からの突進に、軽々と宙に舞うクラウス。
着地をさらに狙おうと牡牛が駆けだすも、レインの掃射で足止めされた。
ドシャ……
思念をレイン操作に割いたせいで、クラウスは体を打ちながら地に落ちる。しかしすぐに立ち、盾を構える。
足を止める必要などないと気づいた牡牛が、再び突進してきたからだ。
ガアアン!!
牡牛の角と、魔力の盾が激突する。
(強い……っ)
強大な相手とは分かっていた。だが、これほどとは。
それでも。それでも。
(食らいつく……!)
奥歯を食いしばる。砂と血の味。
盾が、じりと角を押した。じり、じり、牡牛が少しずつ後退させられていく。
「なん、だと……?」
「人の心を弄ぶ奴は大嫌いだ」
クラウスの青い瞳が、冷たい光を放つ。まるで月下の氷雪のように。
「例えどれだけ強い力を持つ相手だろうと」
「ぐ、ぐう……ッ」
「許す気も退く気も無い!」
ガンッ!!
角を弾き上げた。
あれほど願っていた声を手放して、ここを教えてくれた安和のためにも、負けることなどできない!
「閃ッ!」
牡牛の鼻頭に『一閃』。
体中の筋肉が軋み、激痛が走る。
だが、安和の心の傷のほうが、きっと、ずっとずっと痛かった……!
再び『一閃』!
ザンッ!
「効かぬ効かぬううーーーー!!」
崩れた姿勢からの牡牛の突進を、クラウスは転がって回避する。
そしてよろけながらも、立ち上がる。視界が揺れる。もう限界なのだ、体のありとあらゆるものが。
それは相手とて同じ。
こちらに向き直る牡牛も、ふらついていた。星界の神聖もあとわずか。
あと一撃で、決する。
ピン――
クラウスは精神を鎮めた。冷静に、冷徹に、極限まで張りつめる。
牡牛の口に、星炎が渦巻く。熱く熱く、その温度を高めていく。
「ハッ!」
「ブモオオオオオオ!!」
クラウスが駆けだす。
星炎ブレスが、まるで生き物のようにうねって襲い来る。
その炎を、刀が裂いた。
だが両側から炎がクラウスを巻く。皮膚を焼き、意識を飛ばさんとする。
「ああああああああッ!!」
クラウスが叫ぶ。魔力を! ありったけこめて!!
「閃!!!」
ザンッッ!!
蒼いひらめきに、赤が散った。
「ンモ゛オオオオオオオオッッ!!!」
神聖が枯渇し、ドロッサス・タウラスの無敵が解除されたのだ。
どおおおん……
牡牛が、倒れる。
クラウスもまた、受け身も取れずに倒れ込んだ。魔力兵装が消える。
薄れゆく意識の中、クラウスは――小さく、口ずさんだ。
それは、水精のララバイ。
思うのは、音楽が大好きな彼女のことだ。声を失うと分かって、それでもカードを自ら手放した少女へ。
彼女が、暗い夜を越え、いつか太陽を迎えられるように。
祈りを乗せたララバイは、小さく、だが確かに戦場に響くのであった。
「こんにちは! あなたが今回の黒幕さんだよね?」
真白・璃亜(風花の冒険者・h09056)が明るく、ドロッサス・タウラスに話しかけた。
ドロッサス・タウラスのほうは怪訝な顔で、どすり、どすりと璃亜に向き直る。
「何だ汝は?」
「あなたのおかげで素敵なお友達に出会えて、大切な約束も出来たんだ」
「ふん、神への感謝か。受け取っておいてやろう」
上機嫌に、ドロッサス・タウラスは大きく鼻息を吹く。
「……だけど」
「ん?」
続く璃亜の言葉に、ドロッサス・タウラスが片眉をつり上げた。
「傷付いてる人の心を利用するのは、やっぱり許せないなぁって。悲しんでる人達の気持ちをこれ以上利用させる訳にはいかないから、あなたを止めに来たんだよ!」
「な、ん、だ、とぉ~~~~?」
上機嫌から一転、ドロッサス・タウラスの顔がぐつぐつと赤く染まっていく。
「不敬! 不敬だ! 神に弓引くこと、とくと後悔するがよい!!」
ドロッサス・タウラスが吼え、星界金棒をぶんと振り上げた。
そして怒りに任せて突進してくる。
「♪春風に~」
歌だ。
璃亜が歌いだした。璃亜の新しい√能力【|心晴れる雪解けの歌《スプリング・ソング》】である。
「ふざけるでない!!」
「ッ!」
金棒の一撃を、璃亜は第六感を頼りに避ける。
ドオオン!!
ただの一振りが、地面に穴を開けた。
「しっ、♪視界ひらけ~!」
「まだ我を愚弄するか! ぐちゃぐちゃに潰してやろう!!」
ごうん!
迫る金棒をふたたび、みたび第六感でかわす。
ドオオン!! ガアアン!!
(こ、これ、ちょっと難しいかも!?)
歌は、心だ。
そしてまた、第六感も心を使うものなのだ。歌を、楽しみきれない……!
それでも歌い続ける璃亜に、ついにドロッサス・タウラスがキレた。
「ンモオオオオオオオ!!」
星界の力が金棒に集まる。金棒が光を放つ。
あれを食らったら、いや、ダメージは√能力の効果で持ち越しなのだが、ただではすまないと璃亜の第六感が告げる。
「喰らえ!! ドロッサス・スマッシュ!!」
どぉぉぉん!!
「! おあっと!?」
後ろへ回避しようとした璃亜が、びょおおんと高く飛び上がった。
ドロッサス・スマッシュが璃亜の乗っていた板を叩き、シーソーのように璃亜が跳ね上げられたのだ。
同時に布やら埃やらが舞う。
「ブモ゛ッ!!?」
璃亜は、遠方にストっと着地した。
「ら、ラッキーだったけど……歌うのって難しいよー!?」
そんなことを言っている間にも、ドロッサス・タウラスが布を払い、金棒を構え直す。
「この神を相手に、歌など歌って戦えると思うでない!」
突進してくるドロッサス・タウラス。そして、
「わーー!」
璃亜は、逃げだした。
「ブモ!? ま、待てええい!」
「どうしようどうしよう!? アビィーーっ!」
思わず璃亜が相方の名前を呼んだとき、ふと、彼の言葉を思いだす。
『音を取ろう取ろうとして、カチコチに集中した歌なぞ、楽しかろうか?』
ハッとした。
今、歌うのが難しいのは、リズムを保とう保とうとしているから……かも?
璃亜の歌とドロッサス・タウラスの攻撃は、リズムが違う。だから、歌の変なところで回避をしなければならないのだ。
『もう音を外してよいぞ』
なら。
リズムだって、外していい、ってことだよね。
『なればあとは楽しんでゆこう!』
そう。
楽しむことが、大事なんだ。
――いける!
璃亜は逃げるのをやめて、くるっとドロッサス・タウラスに向き直った。
「♪春風に~」
そしてまた歌いだす。【|心晴れる雪解けの歌《スプリング・ソング》】を。
「その歌をやめよ!」
ぶん! ぶん!
金棒が振るわれる、そのリズムに合わせて、
「♪視! 界、ひ! らけ~」
ひらりひらりと璃亜が避けていく。
歌のリズムなんてもう、めちゃくちゃだ。だが。
今、璃亜は、まさに。
(ドロッサス・タウラスと音楽してるーー!)
音も外していい。
リズムも外していい。
だったらきっと、何を外したっていいはずだ。音を楽しむ心があれば!
ドロッサス・タウラスの攻撃に合わせ、歌い、避ける璃亜は、まるで二人でダンスを踊っているかのよう。
ああ、これが――『音楽』ってことなんだよ!!
「♪新たな春の始まり~!」
広大な音楽の自由が、璃亜の目の前にひらけた。
それを映しだす璃亜の目は、驚きと喜びにキラキラと輝いていた。
思えば、アビィは璃亜や客に『合わせて』くれていた。
あんまり技術がすごかったから、それに気づけずにいたけれど。
でもようやく分かった。ドロッサス・タウラスと、音楽をして。
一番大事なこと。
誰かと一緒に音楽をするのは、最高に、最高に楽しいってこと!
その気持ちいっぱいに、璃亜は最後の拳を突きだす。
「♪――未来へ!!」
「ブッ……ブモオオオオオオ!!」
ドロッサス・タウラスが怒声を上げた。
そしてまた、金棒に星界の力を集め始める。また、あの攻撃が来る!
「楽しかったけど、あなたのことは止めないとね」
璃亜の周囲に、次々と氷の花が咲いた。それは恐怖と後悔に泣いていた、けれど、ついには笑って鈴を受け取ってくれた、あの子のために。
「ドロッサス・スマーーッシュ!!!」
「あんまり、人間の強さを侮らない方が――良いんだよ!」
氷の花弁が花吹雪となり、ごうとドロッサス・タウラスへと飛んでいく。
その威力、18倍!!
「|あの子《安和ちゃん》はカードの力が無くたって、希望を持って前に進む力を持ってるんだからーーっ!!」
「ンモ゛オオオオオオオッッ!!?」
花吹雪にふっ飛ばされたドロッサス・タウラスが、どぉぉんと地に打ちつけられた。
動かない。気絶したようだ。
「…………」
音楽の終わりはいつも、寂しくて、名残惜しい。
でも。
だからまた音楽をしたくなるんだ、と思う。
その結論にうんうん頷いて、璃亜はスマホを取りだす。
いそいそと連絡する先は、相方であり、音楽を教えてくれたあの人だ。
出てくれた!
「アビィ! あのねあのね、聞いてほしいんだよーっ!」
璃亜は前のめりになって、興奮ぎみに話しだす。
自分が見つけた、あの広大な自由のことを。そして、『音を楽しむ』、ということを。
「あなたにとっての」
「うん?」
唐突な声に、ドロッサス・タウラスが振り向く。
そこには、白いフードに白い髪の少年、水藍・徨(夢現の境界・h01327)がいた。
「あなたにとっての安和は、何ですか」
「不躾だな。まあよい。あの人間か? ただの手段だ、我が理想のためのな」
「……ただの手段」
そう聞くと、徨の自由帳を持つ手が無性に震える。
|█《怒》り。
……それが何かは分からないけれど。
「このままにしてはおけません」
それだけは、確かだ。
「キア、手伝って」
「神に歯向かう気か……? なんたる、なんたる不敬! 不敬である!」
ドロッサス・タウラスが真っ赤になって叫んだ。
怒りに任せ、金棒を振り上げて突進してくる。
そこへ、時空精霊|κυανός《キアノス》が現れた。ドロッサス・タウラスの時をキチキチと遅らせる。
「僕の理想、僕の想いを形へ。希望の世界をここに──」
|κυανός《キアノス》が創ったその時間。徨が、√能力【|_ἐλπίς《エルピス》】を発動させた。
壊れた棚、木材、金属支柱、瓦礫。
廃倉庫という物語にありそうな物が、徨の想像から創造され、ドロッサス・タウラスへと襲いかかる。
「むう!? むむうう!?」
ドロッサス・タウラスからすれば、急に現れた物たちが高速で襲いかかってきたのだ。
時に弾き、時にガンと当たって。
だが、弾切れなのか、物たちの急襲がぴたりとやんだ。
「ブモ? ブハハハハハ!! 所詮は有象無象! ならば、この神の技を喰らうがよい!」
今が好機とみたドロッサス・タウラスが、金棒に星界の力をまとわせていく。
輝くばかりの凄まじい力が、ごうと振り上げられた。
「ドロッサス・スマーーッシュ!!」
「今だ……!」
「何ィ!?」
全方向から、ドロッサス・タウラスに向けて飛んでくる物、物、物。
弾切れだったのではない。
大技を誘うための、|虚構《フィクション》。
「ぐぅぅッ!」
ドロッサス・タウラスは、必殺のスマッシュをこんな物たちに使わざるをえない。
バキバキと物を薙ぎ払ったあと、ごきんと嫌な音がした。
必殺技の代償に、腕が折れたのだ。
「……どうですか?」
「何……?」
「"今まで出来たことが出来なくなる"……安和の痛みの再現です。彼女の痛み、分かりましたか」
「ん、だ、とぉぉ~~~? 神に対してなんとふてぶてしい! 有象無象の痛みと、我が痛みが等しいなど、思い上がりも甚だしい!!」
「……分からないのなら」
徨が顔を上げた。
金色の瞳が、フードの影から無機質に光る。
「僕はあなたがここにいてはいけないと、否定する!」
ごう!
空間に広がるのは、存在を否定する物語。
だが相手はドロッサス・タウラス、神の一柱だ。
「小癪な……! ブモオオオオオオ!!」
ドロッサス・タウラスが吼え、金属の牡牛へと変形した。
「っ……」
徨は感じる。否定の物語が、否定されたのだと。
「ブハハハハハ! 我が玉体は無敵である! 否定さることあたわず!!」
「……なら、何度も否定する。キア」
呼ばれた|κυανός《キアノス》は、その能力の限りを解放した。
ピタッ
ドロッサス・タウラスが、止まる。
「君の物語は、僕の手のうちに──」
徨が√能力【|Διχοστασία《ディコスタスィア》】を発動させた。
徨の手には、万年筆|Φαντασία《ファンタシア》が握られていた。それが、『存在に介入し調和を掻き乱す筆』へと変わる。
筆につけるのは、『不和の洋墨』。
洋墨で、徨は描く。ザッ。
「必要ない」
描く。ザッ。
「必要ない」
訂正線を、バッテンを、いや、もうぐちゃぐちゃに消し去るように。
「人を脅かす存在は、いてはいけないんです。だから、ここから……消えてください」
牡牛が真っ黒に塗り潰された。
時が再び、動きだす。
「ン゛!? ン゛モ゛オオオオオオオオ!!!」
ドロッサス・タウラスが、不和の洋墨に侵される。
だが、今は無敵状態だ。体へのダメージはすべて、星界の力が肩代わりする。
その星界の力も、見る間に尽きて、ドロッサス・タウラスはどぉぉんと倒れ、気絶した。
存在が消えるまでには、至らなかったが。
「……しぶといですね」
そう呟いた徨の顔は、誰が知るでもないが、あの彼にそっくりであった。
希望の国。支配の王に反旗を翻す、|抵抗軍《レジスタンス》の青年に。
「さて、次は如何な者にするか」
「……もう次の涙は許しません」
「む?」
思案していたドロッサス・タウラスは、かけられた声に振り向く。
そこに立っていたのは、大正風の和装に身を包んだ少女、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)であった。
境華は、御伽書架「夕霧」――腰に下げた小さな書庫から一冊の本を取り、開く。
「誰かの願いを、これ以上踏みにじらせはしません」
本から、そして、帯にした御伽羅紗「宵」から、光が放たれる。
「あなたの物語は、ここで閉じさせて頂きます。光裂く槍よ、我が歩みにその矛を一時宿したまえ」
カッ
「ブモッ!?」
視界を埋めた光が、境華の右手に収束し、五尖槍を形作った。
これこそ境華の√能力【|御伽骸装「光裂く戦槍」《ルー》】。
光の神ルーは、クアルンゲの牛捕りにおいて、五尖槍を携えたと伝えられる。まるで、血の通った人の手のような、五つの先を持つこの槍を。
「……ガキが、神聖を持つだと……?」
ドロッサス・タウラスの人を舐めきった顔が、スッと鎮まった。
彼もまた、神。
ただのガキであれば、本気を出すこともなかったであろう。
だが、相手が神となれば、話は別だ。
「――失礼をした、神よ。我が全力でお相手しよう。アクチュアル・タウラス!!」
ドロッサス・タウラスが吼え、星の光に包まれる。
そうして光の中からぬぅっと現れたのは、輝く大きな牡牛だ。
牡牛は、厳かに口を開く。
「我が名はドロッサス・タウラス、星界を司る神が一柱である。汝を我に並ぶ者と認め、力の限りを尽くすことを誓おう!」
星界の力が、物理的な圧となって境華へと押し寄せる。
「!! |光の神《ルー》よ!」
ごあっ
光が光を押し返す。
ドロッサス・タウラスが、力強く地を蹴った。
境華もまた、タッと駆けだす。
今ここに、神々の戦いの頁が開けたのである。
「ブモオオオオオ!!」
ドロッサス・タウラスが、星炎のブレスを吐きつける。
「ハッ!」
境華は槍でブレスを薙ぎ払うも、すぐ目前に、牡牛!!
ドロッサス・タウラスの突進に、とっさに境華は槍を投擲した。
「ブモッ!」
ドロッサス・タウラスが鼻で槍を弾いた隙に、境華は体を転げて横へ。
境華が立っていた場所を、牡牛が凄まじい勢いで蹂躙していった。
「それで終わり……ではなかろうな」
油断なく、こちらを向くドロッサス・タウラス。
今や、いつもの隙は一分もない。槍による傷もない。神の神たる、完全で、完璧な姿だ。
そんな神へと、臆することなく境華は向かい立つ。
「もちろんです。ルーはクアルンゲの牛捕りにおいて、五尖槍だけではなく、|叉分かれの投げ槍《フォガ・フォガブラギ》も使ったと伝えられます」
境華の手に、槍がもう一本形作られた。
まるで牛の角のように、叉が分かれた槍だ。
そしてまた、境華は気づいていた。ドロッサス・タウラスの体に満ちる、星界の力が減じていることに。
今のドロッサス・タウラスは、確かに無敵なのであろう。それは、星界の力が、ダメージを肩代わりしているからにすぎない。
「いくら神でも、限界はあるはずです。シッ!」
境華は踏み込み、正面からぶんと槍を投擲した。
迫る槍を、ドロッサス・タウラスはやはり鼻で払う。
星界の力が、減じた。
「同じ言葉を返してやろう。いくら|神《ルー》でも、限界があるはずであろう?」
「いいえ」
凛と、境華が答えた。
「何?」
「この手に槍が尽きても、終わりではありません。物語は……読み返すことができるのです」
本が、羅紗が光を放つ。右手に五尖槍、左手に叉分かれの投げ槍が、再び形作られた。
「……ブハハハハ!! よかろう。理解した。その物語を、想像を、すなわち――汝の精神を焼き尽くせばよいのであろう!」
「!」
あまりにも、的確であった。
舐めていたのは境華のほうだったかもしれない。神は、易々とすべてを視通す。
「ンモオオオオオオオ!!」
ドロッサス・タウラスの口に、星炎が渦巻く。
ブレスは、放ってこない。
どんどん、どんどんと口の中で密度を、温度を高めていく。
――まずい。
そう直感した境華が、駆けだして槍を振るう。
「ハッ! タッ! ハアッ!」
二本の槍が舞い、次々と斬りつけるも、ダメージにならない。星炎の高まりは止められない。
バキッ!
無敵の体に負け、五尖槍が折れた。
「くっ……」
投げ槍を投げつけながら、境華は距離を取る。牡牛に槍が当たるが、やはりダメージにはならない。
「ここまでだ、|光の神《ルー》よ。光は、我が手にあると知れぇいッッ!!」
一度息を大きく吸った牡牛が、ついに、極限まで高めた星炎を噴き出した。
ごああああああ!!
凄まじい炎が、空間を舐め尽くしながら迫ってくる!
「光裂く槍よ……!」
境華の呼びかけに応じ、周囲にある物体たちが光を放ち始める。
これはつまり、比喩表現だ。
金属支柱や、床の尖った破片、長い鎖は、まるで槍ではないか。
そう、槍であるのだ!
「穿て、槍よ!」
光る槍たちが炎へ飛び、どかどかと殺到する。
ゴウッ!!
それらが燃え落ち、だがまだ、まだまだ新たな槍が殺到し続ける。
光と光のぶつかり合い――には、ならなかった。
少しずつ、槍の弾幕が炎に押されていく……!
「うぅ……っ」
炎が迫る。熱い。汗が噴き出す。どんどんと迫りくる炎の壁。
とうとう境華が、押し、切られた!
「キャアアアアアアアッッ!」
一面の炎に巻かれ、焼かれ、すべての感覚がぐちゃぐちゃに塗り潰される。
「……ブハ、ブハハハハハ。思い、知ったか、我が、光を……!」
一方のドロッサス・タウラスは、その四つ足をガクガクと震わせていた。
もはや、星界の力もわずか。
だが最後に立っていた者が、勝者なのだ。
「……牛捕りの……」
「ブモ……?」
「……牛捕りの戦を照らした光は、奪う者でなく、守られる側へ届くべきもの……」
「まだ諦めぬというのか……!」
膝を立て、足をつき、ボロボロの境華もまた、立ち上がる。
戦いはまだ終わってなどいない。
「だが|光の神《ルー》よ。汝の手の内はすべて知れた。もはや我に届くことあたわず!」
「物語は、知るばかりではありません」
「なん、だとぉ……?」
境華は、両手を前に突きだした。
何かを形作らんとする、血の通ったこの両の手を。
「物語は――描くことができます。ルーは牛捕りに、五尖槍と投げ槍を持ち込みました。ですが、さらにもう一本、かの神は呼びだすことができるのです」
あり得たかもしれない|二次創作《ものがたり》。
境華はそれを、鮮明に思い描いていく。
ルーの所持する名槍中の名槍、|アッサルの槍《ゲイ・アッサル》は、ある呪文で手の内に召喚が可能なのだ。
ならば、牛捕りにだとて召喚できるはず! 境華は信じ、叫ぶ!
「『アスィヴァル』!!」
カアッ!!
「ぐううっ!?」
光が、満ちる。守るべきクー・フーリン、そして、守るべきあの少女を照らす光が。
境華の手に、輝くアッサルの槍が顕現した。
アッサルの槍にはまた、もうひとつの能力がある。ある呪文によって、必中となるのだ。
境華は助走をつけ、神槍を大きく大きく振り上げた。
「今ここに、物語を描きだせ――『イヴァル』!!」
ブン!!
「ブッ、ブモオオオオオオ!!」
ドロッサス・タウラスが星炎を吐く。
勢いよく投擲されたアッサルの槍は、必中!
星炎が自らふたつに割れる、モーセの海割りのように。
「なんッ……ン゛モ゛オオオオオオオ!!」
メッキのごとき無敵を貫き、神槍が、ドロッサス・タウラスに深々と突き立った。
まるで長い角を生やした一角獣座。
深く、その命を穿たれた神は、体を保つことができず、ハラハラと崩れていく。
「み、見事なり。名を、聞こう、強き者、よ」
「……神隠祇・境華と申します、神よ」
「神隠祇・境華。その、名。わす、れ、ぬぞ……」
ハラリ……
恨みとも賞賛とも取れる言葉を残し、星界の神ドロッサス・タウラスは、崩れ去っていくのであった。
――勝った。境華の、そして、√能力者たちの勝利だ!
「! ……」
思わずシェイクスピアを引用しかけて、境華はくっと口をつぐむ。
先ほど、自分で言ったばかりではないか。
物語は描くことができる、と。この物語は、そういう物語だ。
ならば、締めの一文は、境華自らが描くのが相応しいだろう。
「……え、っと。事件が、解決してよかった、です」
自分で言っておきながら、本当に面白みのない締めだなぁと、思わず苦笑してしまう境華なのであった。
でも。
それが、シェイクスピアでも、誰でもない、境華自身の言葉。
境華の物語はきっとこうして、ひとつずつ、境華の言葉で紡がれていくのだ。
まるで糸が連なり、布を紡ぐように。
まるで音が連なり、歌を紡ぐように。未来へと、【続く】――
とはいえ、この物語はこれでおしまい。
【めでたし、めでたし】