シナリオ

ふるこぉす

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「――ぶちゅぶちゅ、ぐちょぐちょ」
 足元で鳴る音に合わせて、舌足らずな声がする。
「――ぐちゃぐちゃ、ねちゃねちゃ」
 散乱した肉片、飛び散った奇形。命だったものと、生まれるべきでなかった怪異がともに等しく撒き散らされた地面を、蹴り上げる小さな足。
「ねぇ、もう飽きちゃったよぉ。みーんなおんなじ『たべごこち』だもん」
 拗ねるような声で言う。
 記憶の中から朧げに聞こえる声。自分の名前を呼びながら、好き嫌いを咎める台詞。それが誰のものだっただろうか、覚えていないし、わざわざ思い出さない。

「――うん、うん」
 だって今少年に聞こえるのは、もっと耳心地が良くて、甘く優しい声だけ。
「えっ、そうなのぉ?! 『ごちそう』、『ごちそう』があるんだね!」
 目を輝かせる。想像する。
 産まれたて卵のオムレツ、じぶんで捏ねたハンバーグ。
 ■■■の肉詰め、■■の■■■■、■■■を■■した■■。
 止まらない想像に、涎がひとすじ。
「わかった! じゃあ、しゅっぱぁーつ!」
 無邪気に踏み出した一歩目で、|耳だけを抉られた《・・・・・・・・》死骸の頭蓋を踏み潰し。
 少年の背後に浮かび嗤うは、溶けた死にてどす黒く染まった|邪悪な怪物《インビジブル》。
 ソレは、少年に囁き続ける。

 育て、穢せ、総てを喰らえ、と。


「空腹が罪とは。嗚呼、悲劇ですね」
 暗がりよりぬらりと現れた紫水・日日日は呟き。そして星より下された予知を√能力者たちに告げた。

 √汎神解剖機関。そのとある県境にかつてあった廃村にて、封印された怪異、仮称『にんぎょうぶ』が目を醒ます。廃村の為住人はおらず、本来ならば情報封鎖の必要もないため、かの世界の機関の力だけで鎮圧、確保が行われる――はずだった。
 ここで現れるのが予定外の闖入者、『偏食家』色城・フユト。人と怪異のみしか喰らえぬ性質から、各地で無軌道に犠牲者を発生されている存在。
 現在この廃村は夥しい怪異の群れに支配されている。復活した『にんぎょうぶ』の影響によるものだと思われるが、このままいくと現地へ回収に赴いた汎神解剖機関諸共、集まった怪異を喰らいながら突き進み、なんと復活したという『にんぎょうぶ』を食べてしまう。
 しかし拾い食いが祟り、|食あたり《・・・・》を起したフユトは暴走。喰らってきた怪異を吐き戻し、併せて只ならざる気配へと結集した怪異も含め、そのまま山から麓へ大量の怪異と共に雪崩となって下山、数千人はくだらない犠牲者を生むという。
 到底、放置はできない。

「そこで皆様には現場に向かっていただき、偏食家の『ごちそう』を先んじて片付けていだきたいのです」
 ……敵が現れる前に、先んじんて復活する怪異を確保する。
 そのついでに集まった怪異を打ち滅ぼし、偏食家がありつく分を綺麗に片付けてしまおう、という算段である。
 話にまとめてしまえば簡単に聞こえるが、内容は戦いに次ぐ戦い。更にそののちには飢えた敵を相手にする。なかなかに『重い』|内容《メニュー》となるだろう。

「ですが、頼れるのは皆様だけなのです」
 日日日は、静かに手を合わせる。
 祈る様に。或いは、綴じるように。
 皿の四時にナイフとフォークを置かせなくてはならない。
 取り返しのつかないものが、彼の皿に載る前に。

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第1章 集団戦 『疑似餌』


●『前菜』

 三寒四温。
 春の気配が近づき日暮れが段々と遅くなり始めた日頃。空を染める臙脂が、廃村の村々を怪し気な色に染めていた。
 人の気配は一つもない。なのに伸びていく軒の影や、ひょうと吹く生温い風は『なにかいるのでは』という予感だけを与えてくるだろう。

「こんにちは!」
 怪異『にんぎょうぶ』が復活するとされる、廃村最奥の井戸を目指し向かう道すがら、廃校と思しき蔦に塗れた大きな建物を目前にした十字路。辻の真ん中に、一人の少女が立っているではないか。
 人好きする様な明るい笑顔。黒いセーラー服。
「こんにちは!」
 廃村には住人は一人として残っていないはずだ。いや、|間違いない《・・・・・》。
 今なお、人の気配は一つもない。ならば『それ』は。

「こんにちは!」「こんにちは!」「こんにちは!」「こんにちは!」
 続々と、廃屋から、曲がり角から、家々の入り組んだ裏路地から。下手糞な人形遊びのようなかくついた動きで、ぞろぞろとまろびだす老若男女の人型擬き。
 その背で蠢くぶよりとした奇怪な肉の塊こそが、本体。
 首を傾げ、張り付けたような笑顔ばかりを浮かべさせ。『疑似餌』にうわ言を語らせながら、新たな客人を自らの腹の中へ出迎えんとする怪異ども。

 姑息な嘘は、出される前から暴かれているのだ。
 |肩慣らし《オードブル》には、ちょうどいいだろう。
屍累・廻


「はい、こんにちは」
 欺くための虚ろな言葉に対して、敢えてにこやかに。
 微笑みすら浮かべながら応答する|屍累《シルイ》・|廻《メグル》(全てを見通す眼・h06317)は、穏やかな表情の奥で無数の思考を同時に巡らせるだろう。
 特異視覚捜査研究所、通称『特視研』。大学の卒業後に所属することになった組織においての初仕事。千里を見通すが如きその眼に映った悲劇の前触れ、見過ごすことなどできるだろうか? ――否である。
 同時に、怪異を蒐集せんとする彼の知識欲を刺激した未知なる怪異『にんぎょうぶ』。その仔細が何れ訪れるのであろう何某かの腹の中で溶かされてしまうのは忍びない。|見《しり》たい、|採取《しり》たい、|記録し《しり》たい。貪欲な前頭葉が、今なお声高に叫び続けている。

 絶えず回転し続ける脳、同時に、時もまた進む。
 笑顔での応答と警戒心の無い態度。それを疑似餌を操る醜怪な触手は騙されていると、早合点した。即座に自身の操る疑似餌を不格好な姿勢のまま、強引に投げつけるかの如く廻へぶつけようとするだろう。
 ぐしゃり。
 人体を破壊したいのならば人体で事足りる。
 ……本来ならば、だが。
 疑似餌がニヤケ顔で首を持ち上げれば、その視線の先に在るのは、顔の無い真っ白なトルソー。
「おやおや、余所見はいけませんね」
 微笑みながら廻の手にした怪異犇めく禍の坩堝、パンドラの匣より此度取り出されし|禁忌召喚《カイキゲンショウ》は、意趣返しのように人形を模した怪異たちであった。
 深夜に踊るマネキン。髪の伸びる日本人形。七つの怪談に挙がる人体模型。嘗てコネチカット州に在ったという死霊人形まで。
 古今東西逸話の残る人形たちは、揃った動きで出来損ないの『疑似餌』をそれぞれの思うままに薙ぎ倒していく。
「いたい」「やめて」「いたいことをしないで」
 たどたどしい言葉で上げる悲鳴など、怪異は意にも介さない。人型の背に張り付く肉の塊を、伸びた髪が引きずり出し、踊るマネキンが足蹴にし、動く人体模型が組みつき締めあげ、死霊人形が|異常な重力《ポルターガイスト》で浮かせた瓦礫で磨り潰す。

「前菜にしては、少々物足りませんね」
 ぎこちない人形と彼の怪異、どちらが勝ったか。結果は言うまでもない。
 善良な心根の人間であれば、ともすれば躊躇しただろう。だが、騙しの一芸も効く相手と効かない相手がいる。
 ――怪異ならば、悲鳴を嬉々として上げさせる。
 ――仮に人間相手だったとして。
 はなから『もてなし』を識っていた相手に、サプライズなど無意味だろう。
 無論それは、彼の背後から五体があらぬ方向へ捻じ曲がった人体を擲つ悪足掻きも含めて、だ。

 後ろ手に『疑似餌』の根が巣食っていた頭蓋を9mm弾で撃ち抜いた廻は、割れた器の奥で哀れな程小さな核が赤くもない血を垂れ流す姿になど、一瞥もくれず。
「さて、先を急ぎますので」
 歩を進める、使命と探求心に導かれる方へ。

飛越・紋次郎
ゼロ・ロストブルー


 某県と某県の県境に跨る■■山、名前も間もなく消えゆく廃村。
 二人の記者が取材に訪れた先で見たものは、身の毛もよだつ恐怖であった――。

「な~んて、書き出しはどうかな?」
 どこか大袈裟に、冗談めかした口振りで語る|飛越《ひごし》・|紋次郎《もんじろう》(月刊『Rリープ』編集長・h06616)。彼は洒落た帽子にスーツに革靴という格好でありながら、道の荒い廃村の中をゆうゆうと闊歩する。
 その背を追うのは、ゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)。月刊『Rリープ』のエースだと太鼓判を押されるルポライターである彼は、突然の招集命令に少しばかりの違和感を感じていた。
(珍しいな、編集長の言葉が強かったのは)
 買い物の最中突如受けた連絡。普段であれば過労を咎めることも多い彼が、まさかこのような形で急な呼び出しを寄越すとは、と。
 同時にそれに納得できる要素もある。
 異能を失い保護されて数年。然しゼロにとっては今が最も『あの頃』に近いだろう。多数の世界を渡り歩くその体質が幸か不幸か功を奏し、戦士としての切れ味は日増しに研ぎ澄まされてゆく。
 そんな彼の直感が告げるのだ。鼻につく、邪気を。

「さて……色城、だったっけ。面倒見てた子たち? その彼の報告がちらほらあってね」
 切り出すのは、紋次郎。さも偶然この暇な山歩きの中で思い出しました、そんな風を装い語り出せば、ゼロはすぐさま応答するだろう。
「――はい、フユトは少しの間ですが面倒を見ていました」
 そして、すぐさま二の句が継がれることだろう。
「あいつがフユトと対峙するその時まで、俺が何度でも止めます」
 紋次郎は、そうかそうか、と相槌を打ちながら。油絵具を乱雑に塗り固めた赤黒い空に、息を吐き出した。
(兄弟のどっちかなんて話も、していないのにねぇ)
 敢えて『子たち』と暈した。確かお兄さんの方は自分の|古巣《・・》にいる、報告といえど武名や勇名といった活躍の方かもしれないのに。
 ――勘の鋭さか。いや、或いは少し明け透けか? たは、と乾いた笑みを溢す。
 星詠みの予知が関知するだけでも。多数の事件が起きている。白日に晒されていないものも、決して少なくないのだろう。受ける報告の中に並んだ犠牲者の存在をわざわざ言う必要もないかと呑み込んだが、同時に。
 淀みなく発されたゼロの台詞が持つ危うさに、重苦しいものを感じざるを得なかった。


「!」
 先に気付いたのはゼロ。
 壁に凭れた、かくつく危うい動きの人型。片腕が捥がれ、痛みに顔をゆがめたその姿は痛々しく、同情を誘う。
「たすけて」
 おや、と紋次郎が前に出るより先に。

「フ、ッ!」
 祈り、薙ぎ払われる双斧の一撃。夕景に沈んでいく影を切り裂く蒼い奇跡は躊躇いなく人体を模した『疑似餌』を薙ぎ払い、胴と腰とを泣き別れにするだろう。
 ――予想外の反応。予想外の膂力。
 巻き込まれた|一般人《・・・》であろうと傷ついたふりで引き寄せんとした怪異は予想外の一撃に目を剥くだろう。だが同時に――傷ついたのはあくまで『疑似餌』。本体は人型を隠れ蓑に攻撃を仕掛けんと触手を構えたところで。
「……浅いな」
 ぼそ、と呟いた言葉と共に。
 流れるように振り上げられた右腕の斧が、薪を割るかの如く本体も、人型も、纏めて真っ二つに裂いた。酷くこびり付く粘り気の強い赤とは言い難い色味の体液が。
 びしゃんと。
 地面に、壁に、そして、ゼロに撥ねる。

「おぉーいゼロくん、ひとまずボクの護衛よろしく頼むねぇ」
 声を上げ、帽子を目深に被った紋次郎の気配が空間に溶け込む。|濃霧《フォグ》に呑まれたかの如く、彼の行方を見失った。sそれで折角物陰に潜んでいたというのに、と。隠した帽子の奥で溜息をもらす。
(やっぱりねぇ。奴さんらは『目』が効かないらしい)
 肉眼以外のあらゆる探知から逃れ、嗅覚・聴覚・カメラ・魔術等、条理を超えた怪異共の持ち得る第六感やら何某器官があろうとも、『そこには誰もいなかった』としか言えない|異能《ちから》。
 ぎこちないなりに人型の首を振って目で敵を探す演技を徹底しているが、それはあくまで『疑似餌』。本体は背中に蠢くぶよぶよとした触手。ならば、あの触手なりの索敵法があるのだろう。
 敵を探すにもあの身体に張り付いたままということは、離れようにも離れられない理由もあると見ていい。とすればかなり隙は突きやすいはずだ。
 ――さて、と。ゼロの方へと紋次郎が視線を戻せば。
 表情が、引き攣るだろう。

 先制攻撃と潜伏、それらを全く同じタイミングで行う敵。一撃目を捌いた瞬間それを理解したゼロは、疑似餌の背後に隠れ核を移動させる敵に対しては、無視を決め込んだ。
 優先して倒すのは後方の敵。投擲すれば人型も触手も纏めてぶち抜く貫通力を駆使し、隠れる前に潰す。手が空いたのを好機とみて不意の一撃を繰り出そうとすれば。
「捕まえた」
 尋常ならざる反射神経と第六感。敵の隙を見抜ける経験は、翻って自分の隙を客観視できる粋にある。ならば突かれる隙を態と晒してやれば、敵はまんまとそこに乗る。
 たどたどしい言葉ではなく『ギィィ』とか『ビジィ』のような虫の断末魔が如き悲鳴を上げるのを異にも介さず、|引き抜いた《・・・・・》疑似餌を踏み潰した。
 そうして瞬く間に、並み居る敵を無感動に鏖殺してゆけば、無数の『疑似餌』、いや、餌だけでなくそれを翳す怪異ごと。ぶつ切りになった亡骸の頂上で。深い息を吐き出すと共に濡れた前髪を後ろにかきあげる、ゼロ・ロストブルーだけが残る。
 血のような夕景を背景に、一塊の影として浮かび上がるその姿は――見ていて、痛々しいほどに、強い。

(ゼロくん、そうじゃないんだ)
 力を取り戻す、という彼の言葉は報告書に載ったものか。或いは彼から直接耳にしたものか。彼の生真面目さをよく知るからこそ、闘争の中で磨かれていくたびに削られて行く心の痛みに鈍くなっているのではないかと。杞憂だとしても、そう思わざるを得ずに。
 それでも紋次郎は被った帽子のつばを持ち上げれば、にこやかにゼロに近付く。
 ……戦う者として連れ立つ者ではなく。ただ、日常へと繋ぐ者として。

「お疲れさまだ、ゼロくん。だが悪いねぇ。もう少し、付き合ってくれるかい?」

四十万・白灯


「はは、威勢のいい|餌《・》だなあ」
 青年はわらった。
 不格好な動き。壊れた蓄音機みたいな声。涙ぐましく自分を騙そうとしてくる『疑似餌』の群れ。雨後の筍、それにしてはいやにぶよりとしているが、と。
 |四十万《しじま》・|白灯《はくと》(影踏・h12220)は目を細める。
「いじめないで」「いじめないで」
 うら若き少女を模した『疑似餌』たちが嘯く。吊り下げられた人型の塊に痛覚など存在しようはずもないのに、苦痛に喘ぎ痛みに苦悶する表情を模すのだけは厭に上手い。その訳など、態々探る必要もないだろう。
 白灯は手を広げた。何も持っていませんよ、とでも示すように。
 同時に指先が触れるのは傾き茂る蔦の主柱にしかなっていない、街灯。素朴な角材に電球をつけただけの簡素なそれは、けれど確かに嘗てあった村の夜にか細いを照らしていたモノだった。

 無防備な、その隙へ。
 しなる鞭の如き触手が迫る。細身な身体を折り砕かんと、殺意が風を切り迫る寸前。
 ――ばちゃん。
 落果が打ち所悪く潰れる水音。肉が爆ぜて、飛び散る音色。けれどそれは青年ではなく、迫る触手が奏でていた。
「あはは、単純だなあ」
 晒した隙に馬鹿正直に攻撃を合わせた触手を纏めて叩き潰していたのは、巨大な鎚。絡め取ったのは肉と記憶。潰した肉から引き摺りだした思い出の都合のいい部分は彼が啜り、それ以外は槌頭が巻き込んだ全てと平等に|掻き混ぜる《・・・・・》。
 消化されず身にも成れず、ただ吐き戻されるというではないか。
「それじゃあ、きみらも浮かばれないだろう?」
 ならば、代わりにいただこう。ただし底なしとはいえ多少は味も選り好みをする。けれどただ放り捨てるなんてことはしない。
 鋭いしなりではなく、軌道の先にある空気すら拉げさせる鈍重なぶぉう、という音が迫り、通過した空間に哀れ巻き込まれた『疑似餌』は粉々に砕け、その中に潜んでいた矮小な核は引き裂かれる。
 見ていてあげるよ、出ておいで。
 最後のひとかけらになるまで、ちゃんと|見て《・・》いてあげるから。
 どこか慈悲深くも見える微笑のままに重量のある武器を巨鎚を薙ぐ白灯。軽やかに、淀みなく。振るわれる死は洞のように次々と断末魔の間もなく群れを呑み込んでゆく。
 中には命からがら逃げだす幸運な触手もいた。だが、そもそも宿のようにも使っていた人体からでさえ隠し切れず溢れていた肥え太った身体が、そう簡単に身軽になるはずもなく。逃げ果せようと身を捩らせた本体の触手は地面に撒かれた撒き菱、『|八《はのじ》』に刺されて動きが鈍る。『ギィ』だの『ヂィ』だの、苦し気な音で鳴けば。

 穏やかな笑顔が、ただ待ち構えるばかり。
 ばん、と。強かに戸を閉ざすようにして。
 降り注いだ|鎚頭《おもいで》が、蠢く疑似餌の命を終わらせるのだった。


 ――地面を擦り歩いた『疑似餌』から、この土地に渦巻く呪力の形質や濃淡から、詳細に封印された怪異の位置は大まかに特定できた。
 この場に残るのは、渇いた土に混ぜて耕してしまったことで靴裏に絡みつく、生臭い肉の欠片だけ。
 ぞろぞろと、湧いて出てきたものたちは、最早影も形もない。

「……焦らされてるみたいで好きじゃないんだよなあ、オードブルって」
 拍子抜けだ。そんな退屈そうな一言だけが、山間の廃村その一角に僅かに落ちて。

 そこには、もう『何も』いなかった。

斯波・紫遠


 狭い山村だ。戦いが起これば地が揺れ、木々の葉が擦れる。
 既に始まっていると、そう直感すると共に。咥えた熱が唇に近付いてくるのを感じ、携帯灰皿に名残を押し込む。|斯波《しば》・|紫遠《しおん》(くゆる・h03007)は山並みの奥をぼんやりと眺めながら、呟いた。
「『彼』とは、何かと縁があるね」
 知り合いの血縁者である、その面影を思い出す。
 ――柔らかい目元、走る列車。記憶を回顧するとき先ず懐かしいと思ってしまうのは歳のせいか、それとも蓋をしていたことを思い出したからなのか。

 どちらであっても、構わない。今自分がするべきことは。
「先の怪異を何とかしないと、ね」
 ぞろぞろと。こちらの方にも徒党を組んで現る『疑似餌』の群れ。動きは不格好、台詞は単調。観察すればその正体は簡単に見抜ける。
 とはいえそれらは√能力者の視点だ。一般人ならば、遭難先でこれら怪異に出会ったとしたら。きっと、吊り下げられた|餌《・》を手に取ってしまいかねない。
 ここが人里離れた山の中、人の寄り付かぬ廃村であることが不幸中の幸いか。

 そんな他所事を考えていれば、三方向より迫る死の影。しなる触手は地を這い、背の伸びている雑草の合間からその骨を砕かんとするだろう。
 ――それが、彼の身体を捉えることはなかったのだが。
「おっと」
 そんな軽い調子で、腰に提げた太刀を抜き放ち。来る触手を刀身で流せば、繊細な日本刀を折られないよう体と踏む足で地面に衝撃を逃がしつつ、触手が離れる寸前僅かに刃を逸らすことで薄皮へと滑らせ、代償による『疑似餌』の破壊だけでなく、触手本体にもダメージを与え動きを鈍らす。
「――僕も痛いのは嫌だからね」
 その隙へ、目を細めて。
「君達には、天気雨に降られてもらおうか」
 パチン、と。指を鳴らせば。
 薄曇りの空から注ぐ夕立が、怪異の身体を穿つ。細く薄紫の輝き放つ光の粒は、疑似餌の脳天、こぼれ出た触手を諸共貫き、無警戒に取り囲んでしまえばいいという短慮を根こそぎ刈り取るだろう。
 決戦気象兵器「レイン」。レインメーカーたる彼の愛用する武器であり、敵戦力の多寡に関わらず圧倒的な戦果を叩き出す十八番。
『――周囲の敵性反応全てに命中。他愛もありませんね』
 淡々と語る人工音声、その正体は彼の端末に搭載された人工知能『Iris』。高精度な分析能力と気象兵器をはじめとするハイテクな装備を活用した戦闘補助。最上の性能を以て紫遠を支援する彼女が下した予報に、一切の死角はない。

 交錯は一回のみ。先手後手とが一周しただけでついた決着。
 泥に沈んだ亡骸の群れを見れば、人型は本体である触手の死に応ずるように黒ずみ、腐食してぐずぐずと原形をとどめず崩れ去るだろう。
 ……俯いた彼が溢したのは、悪態か。舌打ちか。それとも憐憫だろうか。
 戦いが、終わり。止んだ雨の名残ではない。何か別の鼻を掠める臭いにはたと顔をあげた紫遠が走りだせば、もう、そこに振り返ってみるべきものなど、何も残ってはいなかった。

 ぶら下げられた『疑似餌』は根から断たれ。
 |前菜《オードブル》は、空になる。

第2章 集団戦 『集蛞蝓』


●『魚料理』
 廃村の中でも最奥に位置する、嘗ては栄えた名家であったのだろう石垣と、大きな門。屋敷だった一角は今や朽ち果て、踏み込むのすら危うい。
 しかし、庭園として広くとられた空間。
 中央にどんと掘られた、巨大な池。
 雨水が溜まっているのか。或いは何かしらの油が浮いているのか。てらてらと光る水面は手入れを施す主人が喪われた館の哀惜を象徴するかのような――。

 ――違う。

 臭いだ。
 潮の臭い。海から遠く離れた山の街で、そこは厭に、磯臭い。
 それに浮かび上がった色彩の正体も、油などではない。ただ光沢のある表面が「そう」見えたに過ぎない。EDENの気配を感じたのか、|池が持ち上がる《・・・・・・・》。
 みちみち、びちびち。跳ね、絡み。徒党を組みながら歩み出たのは、五体を全長が赤ん坊の胴にも匹敵する巨大な蛞蝓が模す、異形。
 名を『集蛞蝓』。
 見れば湧き出した池の中には水が残っておらず、その中央には苔むす巨大な岩と、必死に撒かれた注連縄がある。怪異『にんぎょうぶ』は、そこにいる。

 ――回収まで、あとわずか。
 残念ながら、間近の人魚の肉は到底食えた代物ではないが。
 |魚料理《ポアソン》替わりには、丁度いいだろう。

 付記・蛞蝓は陸貝の一種であり、下処理が極めて面倒だが十二分に食用が可能。
 近しい生態を持つこの怪異もまた、美味である。
屍累・廻
北條・春幸


 封印された岩。周囲に漂う|磯臭さ《・・・》。そして、蛞蝓の怪物たち。
(少々、『下拵え』には手を焼きそうですね)
 考え込む様に。四面体の隅に指を伝わせながら、|屍累《シルイ》・|廻《メグル》(h06317)は頭を掻いた。
 蠢く怪異の群れは見るからにグロテスク。だが然し、美味珍味であると知られるものであるならば、と廻の脳裏には覚えのある友人の顔が浮かぶことだろう。手土産に|人魚の肉《にんぎょうぶ》、とはいかないが。目の前のこれらは持って帰る価値があるかもしれない。
「あまり粗末にはしたくないですね、友人の為にも」
「おやそうなのかい? なら君の分は残しておかないと」
「ええ、それにできる限り鮮度のいい状態が望ましい」
「素晴らしい心構えだ。よぅし、僕も張り切らなければならないなぁ」

 ――違和感。

「………………うん?」
「おや、どうしたのかな?」
 隣を見れば、思い浮かべたかの|友人《・・》が、そこにいた。何故か狸耳の美女の姿で。
 |北條《ホウジョウ》・|春幸《ハルユキ》(汎神解剖機関 食用部・h01096)。その肩書が関する通り、怪異食研究の第一人者出ると同時に、他でもない廻が思い浮かべた友人そのひとである。
 事件発生から数刻、自身の研究対象の一つである『集蛞蝓』大量発生の報を聞きつけた彼は、交通の便には頼れぬ山中を探索するため、自身の能力を用いた。
 |模倣術の狸姫《モホウジュツノタヌキヒメ》。特訓により会得した化け術を用いて、彼は今のみ『彼女』となり、そして四足の狸に変じここまで走ってきたのである。なにしろ、野山を駆けるなら獣の足に勝るものはない。
 既に、煮ても焼いても食えない疑似餌は片付いている。
 そのうえ匂いを辿る最中、何人かの知り合いのものも感じ取った。
 となれば、道に迷うなんてこともない。

 ニコニコ顔の春幸を前に、これは流石に|予想外《視ていない》とばかりに肩を竦める廻。然し、これは嬉しい誤算というものだろう。
「今日は少し『控えて』おきたかったのです。助かりますよ」
「そういうことならば後日ご馳走しようじゃないか、処理は任せておくれ!」

 さて、眼前にて団結する二人組に、えもいえぬ恐怖を覚えた蛞蝓たちは、一致団結徒党を組んで脅威を殺しにかかる。
 だが残念ながら、阿吽の呼吸は乱せない。
 池から立ち上がった蛞蝓を襲う波濤は、|禁忌ノ幻麟《パンドラデモクラシー》。匣からあふれ出る怪異たちは殴打攻撃を主とする怪異たち。絡み形を成す蛞蝓たちを引き剥がし、吹き飛ばし散らすことで結合をほどきつつ、飛翔するドローン、飛霄ノ麒麟は力を籠めて触手を放とうとするものを先んじて潰す。
 廻の周囲は全て間合い。では、離れればどうなるか?
 勿論そちらは春幸の管轄。化け術で以て再演するは、眼前で用いられる廻の異能。
 残念ながら彼の手持ちに怪異を呼び出す匣はないが、代わりにばさりと巻いたクヴァリフエプロンからは無数の触手がお出迎え。蛞蝓が触手の仁義なき抗争にかまけていれば、|呪滅回転砲《カース・ガトリング・アビス》が打ち出す注射針に装填された専用のシリンジが、呪術的処理によって動きを麻痺させ蛞蝓を無力化。即座に触手が回収して真空パウチの中に収めてゆくだろう。

 蛞蝓は、恐れる。
 何しろ二人は、|笑っている《・・・・・》のだから。

 廻は言った。今日は抑えないといけないと。
 何しろ少食だ。だからこの後に控える|主菜《メインディッシュ》を堪能するために、ここで腹を満たして終わるわけにはいかない。
 目の前、もう目の前だ。求めた知識、新たなる未知、それがもう手の届くところにある。土に汚れた注連縄に苔むした岩肌が、今の彼には煙を閉じ込めたクローシュ同然。|知識欲《くうふく》は最高潮。これが楽しみでないことがあろうか!
 春幸は言った。後日、ご馳走しようじゃないかと。
 彼の脳裏にあるのは敵存在への脅威などではない。目の前のものたちを食材として、どう調理するかという展望だけだ。
 バターガーリックやアヒージョは鉄板だ。細かく刻んでハーブやマヨネーズと和えて寿司ネタもいいな。炊き込みご飯も美味しいだろう。貝柱みたいに一度乾燥させて旨味を凝縮出来るかも。干し蛞蝓はどんな出汁が出るだろう? 可能性は無限大。
 何より、食事は『誰と』食べるかも大切なのだ。招いた友人たちが美味しそうに食べてくれる姿を想像したら。それはもう、|料理人《けんきゅうしゃ》としてこれ以上の喜びがあろうか!

 笑う、笑う、笑う。逃げ場は、ない。
 『集蛞蝓』たちは、天敵になすすべなく狩られてゆく――。

ゼロ・ロストブルー
飛越・紋次郎


 邪気と潮の臭いが満ち満ちる、胸焼けしそうな現場へと乗り込んだ記者二人。人を模した怪異を乗り越え、ついに噂が眠る怪し気な屋敷の廃墟で見たものとは――。

 なんて、見出しの文章を考えるよりも先に蠢く蛞蝓たちは蠢く触手を伸ばすだろう。獅子に追い立てられた鹿たちが、川に飛び込む様にして。追い立てられた蛞蝓たちは一刻も早くこの場から逃れようとしている。
 祈りの最中に飛来した尋常ならざる威力のそれを、両手の斧で辛うじて受け止めながら、びりびりと痺れる指先を震わせながら眼鏡のブリッジを押し上げるゼロ・ロストブルー(h00991)は、息を吐く。
(食用、か)
 遠く、声が聞こえる。
 同時に想像する。そういった、食を以て彼を押し留める術がもう少し早くあれば、と。
「いや」
 詮無き思考だと、彼は頭を振るだろう。
 ――人の味を覚えてしまったのならば、もう手立てはない。怪異と関わらぬ獣ですらそうなのだ。となれば、それが異能者ならば。
 やらねばならない。そうだ、もう一度、自分は|やった《・・・》。
 その時が来るまで、俺が。

「まぁまぁ、落ち着き給えよゼロ君」
 その肩を強く引き留める、指輪の嵌った老練な手。はっと振り返れば、温厚な恵比須顔ながら少しだけ眉を下げた、|飛越《ひごし》・|紋次郎《もんじろう》(h06616)がそこにはいるだろう。
 彼がゼロの戦いぶりを見たのは一度二度ではない。だが、今のゼロが振るうそれは半ば狂気の粋だ。それが決して己の満足の為ではないところが、より痛ましい。きっと彼はそれを苦だとすら、思っていないことも。
「今回はボクも微力ながらサポートさせてもらおうじゃないか。戦えはしないが、背中はドンと任せてくれたまえよ」
 前には立てないが、それでも今の彼に必要なのは背を押すことではなく離れずついておくことだ。部下の無茶は放置せず、かといって手綱を離しはすまい。これもまた、一つ大人の責任というやつだ。
「いやーにしても、食用とはいえ手間とビジュアルがなんともだねぇ……いけない、エスカルゴ思い出しちゃったよ」
 緊張には緩和を。一つ小粋なジョークとばかりに、彼は笑うのだった。

 紋次郎の気遣いを悟り、ゼロは少しだけ、肩に入った力を抜くだろう。
「……わかりました」
 これまで明確に『手伝う』とは言ってこない、寧ろ戦うとは口が裂けても言わなかった飛越・紋次郎という男がだ。しかし、今は深堀りはすまい。何しろ|上司《かれ》のお陰で、覚悟という石炭をくべ続けられた|部下《じぶん》は、少し息を入れられたのだ。
 やるべきことは変わらないまでも、いくらか視界は晴れる。
「なら終わった後に店を探しましょうか。|弟子《あいつ》とだと中々食べられないんですよ、エスカルゴ」
「え、え? 本気かい? ゼロくぅん?」

 声を置き去りに、目を閉じ、祈りを捧げ――駆け出す。
 直後その足元を狙い放たれた、一等激しい胎動の後繰り出される貪欲なる触手が、空を切る。狙いは正確、ならば逆にこちらがそこから外れればよい。そのまま、足元の悪い地面であることなど忘れる様な深く、重い踏み込みの後。
 蒼が、薙ぐ。
 一等深まり赤々とした夕によって深紫にも見紛う刀身の輝きがぬたり輝く粘液まみれの蛞蝓へと当たれば、刃筋に当たったものは両断し、その周りのものも模す人型を保てず崩れ落ちる。
 刃を滑らす粘液もろとも本体を叩き斬る剛腕と鋭刃は見事なものだが、一方でそれは全滅には向かないということでもある。
 上半身と下半身が分かたれようが、蛞蝓たちは意に介さない。むしろ別たれた切れ間から、二重の触手で以てゼロを狙うことだろう。
 が。
「さて、ちょっとばかり『落ちて』もらおうか」
 指先が持ち上げられれば、蛞蝓たちは姿勢を崩す。
 |取り違えた境界線《カオスボーダー》。霊の波動に呑まれたならば、落ち行く先はゼロの懐。防ぐことすら叶わぬ効能は、意のままに重力が作用する方向を指定できるという慮外の力。
 空に落とすことも可能と言えば可能。しかしながら、『見えなくなる』ことが必ずしも『倒す』こととイコールではない。記者は実際に目にしたものを文字に起こさなくてはならないのだ。少なくとも自分の誌に乗せる以上、宇宙を漂い増殖しているかもしれないおばけサイズの蛞蝓の群れを『解決済、以降害なし』と判子は押せない。
 もう一つ、あるとすれば。

「それじゃあ頼むよ、ゼロくん」
「ええ――お任せを!」
 部下を信じてやらないで、何が上司か。
 そして当然その信頼に応えてこその、部下というものだろう。
 眼鏡越しにぎらりと輝く|翠玉《エメラルド》色が、自分へと迫る塊を、捉えた。
 風の如き早業は寧ろ弟子が得手とする。ならば、真似させてもらおうか。
 ぐぉん、と振りまわす両手。薙ぎ払いの要領で起こすつむじ風が如き上昇気流にふわりと浮いたその土手っ腹にそのまま斧を投げ放てば、水気のある蛞蝓の身体は|切れる《・・・》のではなくあまりの衝撃に|弾ける《・・・》。

 そして、嵐の後に降り注ぐのは、ねばつく体液。
 ――これが本物の蛞蝓なら笑えないが。既に本体が息絶えたゆえか、呪的な蛞蝓のお陰か。気色が悪いだけで済むだろう。
(いや、どうやら連中も弱ってたらしい)
 蛞蝓に磯臭さ、どうも妙な取り合わせだと思っていた紋次郎は納得する。
 件の怪異は、|人魚の肉《にんぎょうぶ》を食えなかったのだ。何しろ塩は蛞蝓には大敵。だから、行く当てもなく集まるだけであったのだろう、
 こうなると話に聞いていたものは案外無事に手に入るかもしれないと、顎を掻く紋次郎の横で。何より心配なのは隣の彼だ。
 眼差しは未だ鋭く。然しどこか悲しげですらあるその面持ち。せめて一声かけてやらねば、としたのと同時。

「フユト――あんな『岩』を食べようとするほど飢えているのか――」

 どこか沈痛な面持ちですっとぼけた事を言うゼロに、紋次郎は気が抜けて思わず吹き出すのだった。

四十万・白灯
斯波・紫遠


 そろりと物陰から覗き込み。|四十万《しじま》・|白灯《はくと》(h12220)は機を見計らう。
 あっちに、|厨师傅《コックさん》がいたのかあ、いいなあ。
 口には出さずぼんやりと。そうして様子を見ていると。
「おや、どうしたのかな」
 不意に駆けられる声にびくりとすれば、そこに立っていたのは同じ戦場に踏み込んていたEDENのひとり、|斯波《しば》・|紫遠《しおん》(h03007)。驚かせるつもりじゃなかったんだ、と困った顔で謝罪すると紫遠の方から一つ共闘でもと持ち掛けようとしたところで。

「――本当に、活きがいいみたいだ」
 是非どころか問いを貰うより先に、白灯の手首が絡め取られる。見れば二人を追い込む様にしてぞろぞろと、蛞蝓の群れが徒党を組んで這い出してきていた。随分池から離れているというのに現れてきたのは、それほど殺意に満ちているのか。或いは強い警戒心からの臆病さなのか。
 慌て柄に手を掛けた紫遠を制するように微笑みを浮かべた白灯は口の中で諳んじる。
 見縊るなよ、と。
 ぐぁんと引き寄せられた蛞蝓の群れは、自分たちを捕食しようとするものどもが放ったエプロンからの触手を模して、束になって彼を引き摺り倒そうとするだろう。だが、それより先に。
 『がぶり』。粘液を滴らせるその身に齧りつけば、ぶりと弾む肉質がそのまま歯を押しやろうとする。尚も深く深く歯を立て、犬歯で食い千切ってやれば、蛞蝓の群れは諸共バラけてのたうち回る。模した一斉攻撃の余波が、人型を模したすべてに跳ね返ったのである。
 線虫も棲めぬ怪異の肉。呪詛や何やら混ざっているが、それらも蛞蝓らの|攻撃《・・》と考えれば、帰ってのたうつ蛞蝓の動きが激しくなるばかり。『脳ある鬣犬は牙を隠す』、然し底無しの彼が隠した牙は、自分に降り掛かる因果を被捕食者に押し付ける。だって仕方がないだろう?
 弱肉強食は、世の習いなのだから。

 さて仲間が目の前で踊り食いの憂き目にあった『集蛞蝓』たちが仲間の姿に怯え竦んでいると。
 差す夕日に深まる影の内からフッと浮かび上がる鬼火に見惚れた刹那、垂れる粘液が『じぅ』と急速に熱された異音と共に消し飛ばさ、一つの群れその悉くが臓腑を撒き散らしながらこんがりと焼き上がる。
 余所見はよくないな、肩に讐の陽炎浮かぶ刀身を置き、紫遠は呟く。
 身を灼き苛むこの炎、幾度となく苦しめられてきたそれではあるが、ようよう制御も思うが儘にいくようになってきた。
 前回の前菜が今回は|魚料理《・・・》とは大きく出たものだが、抵抗は随分と必死だ。素材をどう生かすかはこっち次第ということなのだろう。
 個人的な話で言えば、生魚より火を通した方が好みだ。食中りの話も聞いたし、他人事でもない。――とはいえこの場で焼いたものを、自分で食べようとは残念ながら思えない。一度美食を味わってしまうと、そこからそうでないものへ中々食指が伸びないとはよく言ったものだ。見れば遠くでものすごい勢いで集めている見知った顔が一つ。となれば後日、改めて機会が設けられるのだろう、と。
 しかしそんな本職とは到底比べられないが、どうやら隣でお腹を空かせている人がいるようだ。その上無駄に焼くだけ焼いて、捨て置くとなると|食材《・・》を無駄に舌とも思われかねない。
 となれば少し腕を振るうのも、悪くないだろう。
 
「おーい、こっちもどうだい?」
 気さくにそう呼び掛けながら。手にした刃へ神経を注ぐ。乱れの波紋に伝うが如く、白き陽炎が立ち上る。震える蛞蝓の集いへとその切っ先を走らせれば、断つべきを断ち、燃やすべきを燃やす。衣服を汚す粘液も、蒸発させてしまえばなんのことはない。
「わぁ、まるで|食べ放題《ブッフェ》ですね?」
「はは、男の手料理でお恥ずかしい限りだよ」
 こんがりと焼き上がった蛞蝓は苦み腥みが残る内臓を取り去り、口に残る粘液は綺麗に落ちている。身は縮んだがかえって特徴的な食感は増し、陸|貝《・》の名に相応しい味わいになるだろう。
 作る者、食べる者。突如始まるバーベキュー。蛞蝓たちは芯まで震えるだろうが、残念ながら底無しの青年を前に『お残し』がでるはずもなく。震えた蛞蝓を温めるように、恩讐の炎は余すことなく燃え広がってゆく。
 攻撃的だったのか、臆病だったのか。どちらにせよ蛞蝓たちが迂闊に踏んだその尾の先には、燃ゆる狗神と底無しの洞が揃っていたのである。
 残念ながら、ここから逃れる術はない。
 意気揚々と脚を伸ばしたその先で、戦いを挑んだ 『集蛞蝓』たちは全滅となった。

花園・樹


 封印された怪異、仮称『にんぎょうぶ』。
 その近辺である池周辺の 『集蛞蝓』は全滅した。
 一方で、発生した『集蛞蝓』の中には余りの完璧な戦いぶりにおそれをなして、早々に逃げの一手をうったものたちも少なくなかった。
 池の中から身を捩り、食えもしない磯臭い肉の塊から離れ、先程まで戦場となっていた村々の合間を固まって逃げる異形たち。

 突如。
 逃走中でも律義に人型を保っていた頭部が、正確に撃ち抜かれた。
 弾は、白く細い円筒体。砕け地面に転がるそれは、貝殻を失った陸の貝たる蛞蝓に向けて、海の貝を砕いて作る|石灰石《炭酸カルシウム》でできているというのはなんとも皮肉。
 本質は群体とはいえ死角からの一撃に大きくバランスを崩せば、直後撒き散らされた大粒の蛞蝓たちにも続々と命中する白墨。胴の中腹、膨れた身体を射貫き地面に撒き散らされる臓腑と粘液。
 ――狙撃手は、深く息を吐いた。
 |花園《はなぞの》・|樹《たつき》(ペンを剣に持ち変えて・h02439)。彼もまた、報を聞き付け足を運んだ一人である。
 小学校の教師として教鞭をとる彼にとって、チョークというのは些か扱いづらい仕事道具だ。湿気ると折れやすくなり、近年では教育現場に電子機器が用いられるようにもなった。飛散する粉などが電子機器に悪影響を及ぼすおそれのあるコレは、なんなら徐々に姿を消しつつある。
 しかしながら。こうして投擲するには実に都合がいい。
 威力の調整が容易。使い捨てても問題ない環境にやさしい製品なら使えばこうして自然の中で使っても然程問題ない。何より距離を離して攻撃できる。
「さあ、『指導』の時間だ」
 彼が護るべき生徒はいない。これから執行されるのは、|脅威苦的指導《キョウイクテキシドウ》。投げ放たれる白が邪気に塗れた蛞蝓たちへ次々と|バツ《・・》を叩き込む。抵抗のため放たれる粘液は、彼が手にした太刀によって切り払われ、身を守るねばつく身体から潤いが消えれば、より深々と円筒体が突き刺さる。

 逃走していた怪異は決して多くはない。然程時間もかからず、樹によって敗残蛞蝓は全て地面に散った染みと化すだろう。


 息を吐き、血振り代わりに太刀を手首で返し、布で拭いながら。樹は考え込む。
「――それにしても『空腹が罪』、か」
 教師として、生徒たちの成長の為に食事は残さず、栄養を考えて摂るようにという食育も日ごろから行っている事だろう。それを想えば、わざと飢えさせるというのは少々酷にも思えてしまう。
 感傷が過ぎるだろうか。此度現れる少年の満腹を叶えたとしたら、犠牲が生まれてしまうことは、既に幾つもの事件記録からわかりきっているのに。

「!」
 そんな、思考の隙を突き。
 亡骸の中で機を窺った最後の一匹が、悩むその横顔に鋭く最後の一滴を放つ。
 耳が捉えるも手にした刃は鞘に収まりかかっていた。
 すんでのところで横から飛び出したイヌガミが、その一匹を咬み殺し、これでもって漸く――|魚料理《ポワソン》は品切れとなった。

 胸を撫でおろし、自身を守ってくれた彼を撫でてやろうとした直後。
「う゛、」
 狩った獲物を誇るかのようにイヌガミがその場に落とした蛞蝓を見た樹は、固まった。
 怪異食が体質的な問題で受け付けない彼にとって、些か刺激の強い|後味《・・》となったようだ。

第3章 ボス戦 『『偏食家』色城・フユト』



 EDENたちの活躍によって、この山林の中で朽ち行く廃村に、あるべき静寂が取り戻された。
 池の水底だったのだろう泥濘に佇む、張り付く注連縄を退かし、岩を裏返して見れば。
 中から現る、黒塗りの甕。むっと立ち込める、潮の臭い。
 蓋を開けば、|満杯《みっしり》と。甕の中で蠕動しながらピンク色に輝く塊が出迎えるだろう。これこそ、復活した怪異・仮称『にんぎょうぶ』に間違いない。
 ようよう見れば透き通った身質は魚のようで潤うさまは上等な霜降りにも見紛う。そうともこれを食えば正しく不老不変の身体が手に入る。飢えもなく苦もなき姿無窮の生新たなる命へと成り代わるそうだ咀嚼し呑み込み嚥下するただそれだけでいいのだ頬張るだけでいい一口だただの一口で全てが叶うだから食えばいい食えばいい食えば食えば食え食え喰え喰え喰え喰え喰え――。
 と。
 眩暈を起こしそうな精神干渉。放つ磯臭さを浴びれば浴びる程、胸焼けしそうな甕の中身に蓋をしたのと、同時だろう。

●『来客』
「おなか、すいた」
 一つの腹の音が、ぐぅ。
 振り返れば一人の少年が。両手でお腹を擦りながら、君達の前に立つだろう。
 迷子だろうか。遭難したのだろうか。緩い垂れ目は悲し気により下がり、胡乱な眼差しは痛々しい。
 |君達《EDEN》でなければ、そう思うだろう。

「おなか、すいた」
 感じる――何を?
 食欲――誰の?

 少年の目。どろぉりと濁り切った少年の目がきみたちを見つめる眼差しの中にある強烈な『欲』。君達を人として、同じ存在として一切認識していない。五体の毛先指先に至るその全てが新鮮な|食材《・・》としか見えていない、飢餓によって剥き出しとなった攻撃性、その思考と嗜好。
 それを煽るように、理解不能な言語で囁くは、少年の背後で黒々と浮き上がる影にも見えたモノ。直視すれば理解できるだろう。多様な魚種の頭部がミキサーにかけられたような。ドス黒い情念と悪意に満ちた邪悪な|透明な怪物《インビジブル》の坩堝。
「たべる、たべるよ、ぜんぶたべる。のこさない」
 『偏食家』色城・フユトは、ただ、獣のように。僅かに開いた口内からだばりと涎を垂らして、|食器《カトラリー》を構えた。

 ――他人の皿に手を伸ばすどころか、その指を齧る|来客《ゲスト》に、お帰り頂く。
 骨の折れる|片付け《デザート》だ。
屍累・廻
北條・春幸


 甕の中に納まった肉塊。磯臭さと浴びせかけられる脳が溶ける程の思考汚染。鼻が曲がり、目を背けたくなるそれを、然し絶えず観察するふたりがいた。

「齧っても問題ない所とか無いかなあ」
 興味津々、垂れそうな涎を飲み下す。決して洗脳に屈したわけではなく、純然たる別種の欲求――食欲によってそう問うのは、|北條《ホウジョウ》・|春幸《ハルユキ》(h01096)。はずれの無い食材は既に必要十分確保した。となれば噂に聞く新たなる|怪異《あじ》、是非とも試してみたいと。
 期待の籠った眼差しを受け、自身はピンク色のソレを一匙掬い取って強く、深く観察する|屍累《シルイ》・|廻《メグル》(h06317)は首を振るだろう。仄聞奇譚、その全てを識りうる眼差し。その解析力を活用すれば纏わりつく狂気で人を侵す呪詛を潜り抜けることは叶うだろう。だが。
「すぐには、難しいですね」
 思考を淀ませる霧の奥にはさらに不可思議が詰まっている。動物性にも植物性にも見える桃色の塊は、ようとして成分の実態が掴み切れない。
 知識に飢える彼にしてみれば実に『歯応え』があると言えるだろうが。
 然し、そうも言っていられない。
「まずは、そこの|欠食児童《デザート》を片付けてから、かな」
「そうですね」
 怪異の匂いを嗅ぎつける春幸の嗅覚。千里を超えて万里も見通す廻の観察眼。
 胡乱な足取りの到来を予測するなど、造作もない。


 垂れた眦、深い紫の瞳。
 友人の面影がある少年は、然し肉食獣の如く。深く沈めた姿勢から手にしたカトラリーを突き出した。
「いただき、まぁす!」
 舌足らずなだけでなく待ちきれないとばかりに舌をまろび出した表情で繰り出すナイフ。その|挨拶《・・》も、果たして誰に仕込まれたものか。或いは最早擬音としてしか、認識していないのか。
 どちらにせよ、先にその刃先が捉えるのは血飛沫く生肉の感触。細腕に刺さったカトラリーが掬い取る一切れが、少年の空きっ腹に収まった直後。
「うん、|君《・》も中々いいお味だよ――なんてね」
 にこやかに。自らの一片を裂かれているにも関わらず、淀みの一つもない笑みのまま。春幸の口角からも流れる一筋の赤。
 怪異解剖執刀術。奇しくも、同質の能力を以てして、春幸が企てるのは千日手。
 空腹に苛まれながら振るわれる無茶苦茶な断ち筋のナイフ捌き。ステーキを切るにも相応しいやり方があるというものだが、鬼気迫る姿は気圧されかねないものである。
 だが、偏食家のそんな様子も全く意に介さぬように。自身が先手で切られた個所と全く同じ部位を喰らい、欠損を補いながら死闘を演じ続ける。
 ……『恐怖』の欠落のみならず。友人と奇縁を有する敵を抑え込んで見せるという使命に加え、今まさに自身の背後で待つ新たなる新味への期待感。
 さらには、抱えている蛞蝓たちの調理。そしていずれ開く宴も待っている。
 死を厭い、明日を迎える願いがある今、フユト少年との応酬はさながらちょっとしたじゃれ合いのようなものに過ぎない。

 一方で、偏食家にとってはフラストレーションがたまることだろう。
 食べている。味はわかる。肉の味、人の味。愛してやまないはずなのに。
 感じるのはさらなる飢え。納まるたびに自分の同じ場所が傷つき、それを癒すために力を使ってまた同じ場所を狙って食べる羽目になる。
 それに春幸の味わいは、まるで、自分の指を咬んでいるときのような味がする。|ひと《・・》の味は少ないのに、自分と同じ|もの《・・》を食べているせいなのか。
 どちらにせよ――空腹は神経を苛立たせ、苛立ちは癇癪となって現れる。
「う、ぅぅうう!!」
 浮かび上がるは、屋敷の残骸。廃屋として朽ちかけていた木材の中でも、一際鋭利で鈍重な屋台骨。重量のあるそれらを槍の如くに叩きつけようとするだろう。
 しかし、その屋台骨が、手を滑らせるかのようにつるりと落ちれば。
 命中するのは偏食家の方。正確に言えば彼に命中したのは一部に過ぎないが、むしろ甚大に被害を受けたのはその背後で犇めく魚群のほう。
「随分と、勘がいい」
 不服気に。或いは愉し気に。
 廻は後方で、甕を抱えながら呟く。注がれる視線で矢の如く突き刺す、好奇と興味の欲望と、それに相反する背筋が凍り付くまでの冷徹な分析。物理的な刃で切った張ったをしていたというのに、目線だけで自分が解剖されていくかのような錯覚に偏食家はえもいえぬ寒気を感じるだろう。
 |禁忌の眼《カイキノマナザシ》。人間災厄としての性質を以て、行うは観察。目と目が合えば動かせない程の執拗な目線。更にそれだけにとどまらず、対象に向けて放つ周囲の中で最も殺傷力の高い物体による攻撃も脅威の一つではあるが、とはいえ殺傷力など副次的なものだ。
 真の目的は、攻撃を少しでも受けた対象に対して付与される、金縛り。対象の動きを制限することでより正確かつ明確な観察を行え、その結果から弾き出された敵の嫌う行動、弱点や隙に更なる追加攻撃を行うというループすら可能。
 ――しかし、今回彼が選んだのは別の手段。
「う、うぅっ!」
 少年の掌に空く孔。直径一センチメートルにも満たないながら的確な射撃によって作られた傷によって、カトラリーを握る手が緩む。
 直後大きく踏み込んだ春幸のメスが切り裂いたのは、片耳。
 それだけではない。彼の食指の先にあるのは、偏食家の背後で囁く邪悪な魚群だ。

 廻の観察で、明確になったこと。
 ――偏食家の少年が持つ食性に関しては否定のしようがない。しかし。それを助長せんと悪意を以て誘導させるべく寄生する真なる邪悪は、|誰《なに》か。皿を選び運んで口元に運ぶものを先に削れば、彼は迷い、よりスムーズに解決に向かうだろう、と。
 その提案は春幸にとっても都合が良かった。残念ながら「にんぎょうぶ」のお預けをくらい、|魚の口《・・・》になっている今、目の前に現れた魚群は渡りに船。
 とはいえ、それらは到底彼の舌を満足させるようなものではなかったのだが。

 二人の思惑は、一つ。
 次へ、バトンを繋ぐため。
 デザートは、まだ終わらない。

花園・樹
斯波・紫遠


 幼げな目元に涙を浮かべ、地面に伏し、膝を汚しながら。少年は呻く。痛み、空腹、思い通りにいかないくるしさに。

 その姿を、倒すべき敵として向き合わなくてはいけない|花園《はなぞの》・|樹《たつき》(h02439)の心中を耐えがたい痛みが襲う。
 彼は、教職に就いている。子供好きだからこそ、剣よりもペンを手にした。そしてその子供たちを守るべく、もう一方の手に剣を携える覚悟を決めた。
 簒奪者、怪異――貪欲にして卑劣なるものの中には悪意を以てその姿を模すものも決して少なくない。だが、今倒れ込む偏食家は、そう言った欺瞞によって形作られたものではない。惨劇の呼び水となる恐るべき存在であるとはいえ、刃を向ける心苦しさは、拭えない。
 だが、それでも。
 見知った顔、話に聞く因縁。何より、大人として――逃れられぬ選択という場面から目を背ける姿は、見せたい背中とは言えないから。
「ちゃんと、向き合わないとね」
 呟く彼の足元を通った白い犬の神は、その脛へ寄り添うように身を寄せ温めながら、ぐぅるる、と喉を鳴らした。

 そんな樹の背中を叩き、合流するもう一人の姿。
 |斯波《しば》・|紫遠《しおん》(h03007)は目を細める。食欲に呑まれ事件を起こした過去の事例。その時にはなかったはずのモノにこそ目を向けた。
 少年の背後で未だ渦巻く邪悪なインビジブルの群れ。絶えず耳障りな呻きは呪詛の如く垂れ流され、絶えず偏食家に喰らえと囁き続けているのだろう。怨嗟に満ちたあの存在は、果たして無垢なる少年を狂わせた元凶なのか、或いは彼自身が胃袋に収めた命より生じた宿業なのか――。
 恩讐を背負う身として、同情なのか親近感なのか、曖昧なものが生まれそうにはなったが、そこはそれ。
 今、彼の信頼するアシスタントは友人たちに貸し出され、敵の手の届かないところに避難しつつ解析の手伝いを行っている。つまり、いつものような支援は受けられない。
「心配はいらないかな、頼れる友人もいることだしね」
 どこか冗談めかして言いつつ、刀を抜き放つ。

 二人の志は、同じであった。


「う、ぁぁァッ!」
 満ちていく力。飢餓は不調ともなり、同時に自らの潜在した凶暴性を増幅させる結果にもつながる。振りかざす刃は荒々しく、筋だろうが骨だろうが切り裂かんばかりに冴えわたる。ナイフが獲物に定めたのは、大きくて、食べ応えありそうなオオカミの肉。
「いた、だき、まァ――」
「すまない」
 狂気に呑まれかけた只中でも、欠かさぬ挨拶。然しそれは途中で遮られた。
 行儀悪く突っ込んできたその寸前、攻撃が命中する半歩前。肉薄の瞬間に一瞬だけ早く迫ることで相手の狙いを逸らし、同時に確実に命中する形で先制を取る。
 |影狼《カゲロウ》――迅速なる一撃は、誰にも影を踏ませない。
 鳩尾へ、収めた刀の柄を突き出すようにして殴打を与え呼吸を乱し、降り降ろさんとした腕を外へ逸らしながら|食器《ぶき》を奪い取らんとする樹。然し、固く握られたそれを手元から奪い取ることは難しいだろう。
「たべ、させてよぉ!」
 ぶおんとフォークが彼の顔目掛けて降り降ろされるが、それが捉えるのは霞だけ。
 浅紫の交じる霧は突如としてもうもうと立ち込め、周囲の気配と景色を濁らせる。きかない視界と鼻。うう、うう、と困惑とじれったさに忙しなく動き回る中で――ちらと見えた気配を、ぶら下げられたニンジンばりに追いかけることになるだろう。
 だが、迷いの霧の中でいくら追いかけても、その尾を掴むことすらできない。
 確かにいるはずなのに、届かない。苛立ち交じりに手元のナイフやフォークをぶつけんとして見ても、途切れぬどころか増すばかりの上に漂う霧を吸い込もうとして見ても、|実体《カタチ》のない霞みで腹が膨れることはない。
「キミの境遇は友人からきいているよ」
 頬張ることのできないものの代わりに絶えず響くのは、鼓膜を揺らす声。
 稀有な体質、けれどそれ以上の感想は持てない、そんな独白じみた、言ってしまえば突き放すような内容。
「けど、キミのことを心から心配している人たちがいるんだ」
 あくまで自分は|拒絶《アイイレナイ》。けど受け止めてくれる人がいるんだと、声を大にするだろう。
 霧が、晴れる。寂れた廃村から切り離され、形作られる寂し気な荒野。その中心となるのは、紫遠だ。
 落ち着くための孤独。視界を奪い、運動で空腹を紛らわせ、言葉を紡ぐ。霧は樹が攻撃の後に距離を離すために纏うた魔力の霧への援護も兼ねていた。

「う、ぁ」
 一時の正気。だがそれがかえって――フユトを、惑わせた。
 黒々と蠢く淵みの如き洞から響く無数の怨嗟と悪意の囁きによるものか、或いは自身の中より生じるものか。淡雪色の髪を振り乱し、かき乱し、耳を塞ぐ。
「たべる、たべる、たべる、ぼくは、食べる。だっておなかが空いたから。だってとっても美味しかったから。だって、だってそうじゃ、なきゃ……」
 まずい、そう思い投げ放つ紫遠の投げナイフは突如フユトに命中し、柔げな掌を貫いた。だが偏食家が胡乱気な眼差しでそれを引き抜けば、今度は反転して紫遠へと襲い掛かるだろう。手入れを欠かさぬ鋭き刃は、まさしくこの場で最も攻撃力が高いものなのだから――。
「フ――、ンッ!」
 虚空よりずらりと姿を現す、切っ先。磨き抜かれた神なる霊気揺らめく刀身が、紫遠へととんぼ返りした殺意を地面へと弾き飛ばす。隠していた姿を再び見せた樹は、眉を顰めた。言葉は通じる、だがそれが寧ろ少年の中にあった澱を避け、その奥にあるもっと昏いものに当たってしまった、と。
「ごめん、迂闊だった」
「いえ――この少年と話すべき人が、きっと来てくれます」
 だから、今は、荒れ狂うあの嵐を収めねばならない。二人は、再び武器を構えた。

 再び散らす、レイン砲台『煙雨』より照射、というより散布する霧状のレーザー。敵の狙いを計算、予知して使うというよりも、寧ろ目晦ましのそれに合わせ、二人は乾いた大地を駆け抜ける。
「ぼくはたべる、たべる――!」
 同じ言葉を繰り返し、血の滲む掌で益々強く握りしめたカトラリーを振るい、僅かに視界の端で捉えた影を、突く。突き刺しその肉を、腹に収めることでこの喧しい頭の中も心の裡も、静かにさせるために。
「……すまない」
 二度目の、謝罪。
 霧の中で躍った影は、『イヌガミ』。樹に従う動物神。その顎でがっちりと、ナイフとフォークを噛みついてその動きを止めた。そのまま樹はためらうことなく、その牙を突き刺す――少年の背後にある、どす黒い群れの只中へと。
 神経が結びついているかの如く、耳障りな絶叫と少年の悲鳴とが混ざりあう。
 追い打ちの如く、満ちていた霧状のレーザーは一斉に闇を払うべく殺到し、影を千々に切り刻むだろう。

 これからきっと訪れる人の声を届けるため、邪魔な外野を静かにさせる。
 再びバトンは繋がった。
 終わりは、近い。

飛越・紋次郎
ゼロ・ロストブルー


「随分と――皆さんにも、ご迷惑をかけてしまったな」
 独り言つ、ゼロ・ロストブルー(h00991)。見知った顔ぶれが少なくないこの場所、目的はそれぞれ異なるのだろうがそれでも今、彼らに噛みつかんとする敵の姿に、複雑な感情が渦巻くだろう。
 |元《・》保護者としての情や胸の痛み。一方で、冷静な戦士としての部分はもう手遅れであることを悟っている。過去会った時と少々様子が異なるようにはうかがえるが、彼の視界に|それ《・・》は映らない。
 一方で、彼の背後で帽子を僅かに持ち上げ眉を顰める|飛越《ひごし》・|紋次郎《もんじろう》(h06616)。ゼロと異なり視界に捉えられたものだけに限らず、彼は全身でひしひしと感じていた。これは、良くないと。
 偏食家、そんな異名で以て語られる襲撃者の少年の様子も。その背後で頭を振り乱し狂う|透明な怪物《インビジブル》とは名ばかりのどす黒いさまも。寄り添う愛犬ですら、愛嬌のあるふくふくとした毛を逆立て唸り、吠えるほどに。

「おなか、すいたぁ――」
 幼い、声。直後、振り下ろされるフォーク。
「く、ッ」
 息を呑む、ゼロ。目の前ににまで迫った黄金色の三叉越しに、乱れた髪の奥でどろりと溶けた深い菫色。最早その中に自分が映っているのかさえ定かではない。
 だが、それでも。
「お、おォォッ!」
 腕が圧し折れそうになる常軌を逸した膂力を押し返し、よたよたと距離を離す偏食家の前で、ゼロ・ロストブルーは祈る。
 慰めを、慈悲を。成すべきことを成す、その力と覚悟を。
 そして背後から、紋次郎も構えを取るった。親指と人差し指を立てて先端を重ね合わせ生まれる長方形。カメラのフレーム、絵画の額縁、世界を区切り収める枠。
 『|不意に開く窓《オフガードフレーム》』。今の彼の在り様を表す力。
「僕が目になろうじゃないか、ゼロくん。遠慮せず、やりたまえ」
「編集長――ありがとうございます」
 観測者というと少し無味乾燥だ。むしろ、紋次郎はこのような言い方を好むだろう。
 迷いながらも足掻き、道を往く人々を、見守る者だと。

 目を開くと同時に、走り出すゼロ。強く踏み込んだ地面が抉れ、疾走と共に地面を近くを通る斧の刃が背を伸ばし始めた雑草を巻き込み音も無く刈り取るだろう。
「おなか、すい、たぁ」
 か細い声が続く。ただじっと立っている事すら覚束ないというのに、繰り出す攻撃は埒外の速度と威力で繰り出される。掠るだけでも致命傷、もろに喰らえば即死。どころか外れてしまえばこちらにも飢餓を伝播させるというおまけつき。
 最大限の警戒を以て、五感から第六感に至るまで神経を張り巡らせるゼロ。そして同時に紋次郎は後方から敵と味方の隙をつぶさに観察し続け、指示を飛ばすだろう。
 右足がお留守だね。おっと武器を持つ手に気を付けて。危ない、背中側が死角だ。
 砕けた言い方で、どちらの何がという言い方をわざと特定されないような物言い。果たして偏食家がそれをきっちりと聞いて理解できるだろうか。いや、聞いている。
 これが自分の隙ならば、突かれないようにしなくては。
 これが相手の隙ならば、そこを見れば勝てるのでは。
 僅かにでもそうして意識が逸れれば逸れる程に、より浮ついた足元は浚いやすくなる。当然のことながら、上司である紋次郎の口調や語気から、どちらを指すのかは容易く判別可能ならゼロからすれば、彼の言い回しに疑問などなく、純粋に自信に対する指示でありアドバイスとして受け止めることだろう。
 そうして時間を使えば使う程、少年の飢えがかえって自分に牙を剥いていく。

 フユトの足が、滑る。踏み込んだ足と、噛み合う。
 今だ――鋭い紋次郎の声が飛ぶ。
 すべての光景がスローモーションになっていく最中……ゼロは、一切斧を振り抜くスピードを緩めない。一切の邪念を、雑事を思考から排除して、今は、ただこの一撃に全てを注ぐ。
(どうかこれで、苦痛の無いように)
 手に伝わる、感覚。肉、骨を刃が通り抜けていく、触感。
 そして同時に伝わるだろう、何度も何度も見えざる中で断ち切ってきた――透明な怪物の、手触り。
 目を見開き、歯を、食いしばる。
 さらに一歩踏み込み、重みも|半分《・・》になった少年の身体を肩に載せるような格好になりながら。自分の目には何も映らないその虚空を、重量、感情、載せられるものは全て載せて。全身全霊で薙ぎ払うだろう。

 ゼロからすれば、手触りだけがいくつもの『何か』を両断したとはわかるだろうが、それ以上のことはなく。見届けたのは、背後でフレームを作り続けた紋次郎だけ。
 ――偏食家に囁き続けた影の魚影を、その巣窟が如き黒ごと纏めて切り払う、蒼の軌跡を。


「どうだったかな、ゼロくん」
 怪異の気配と胃の底を押し潰すような重圧は、消え去った。
 地面に膝をついていた背中に紋次郎が語り掛ければ、ゼロは落ち着いた声音で、応えるだろう。
「――『頂きますもご馳走様も、ちゃんと言えるようになったよ』、だそうで」
「うん……うん、そうか」
 ……彼らのそばにはもう何も残っていない。怪物の残滓も、偏食家と呼ばれた少年も。ゼロがフユトと、その背後にいる巨大な群れを薙ぎ払った後、抱えたままだった少年はその一言を言い残し姿を消した。

 背後で囁き続けていたあのおぞましい透明な怪物が真の黒幕であったのかもしれないという、推論はある。それを紋次郎は包み隠さない。どのような結末になるかはわからないまでも、いくばくかの余白が心に迫る重荷を和らげてくれるものと信じて。
 そして、更に付け加える一言。
「もう少し、お弟子さんのこともっと信じてあげるといいよ」
「……そうです、ね」
 そんな上司の言葉に振り返ることなく、ゼロの視線が向くのは自身の、掌の中。
 心の中では信じていたつもりだった、いや、今も信じていると思っている。
 それと同じくらいに――意図せず満たされたことで手の中からすり抜けてしまったと、|欠落を失う《・・・・・》ことがなければと。堂々巡りの後悔が、自分の顔と声で繰り返されて、仕方がない。
(いや、らしくないな)
 顔を上げ、空を見る。
 既に夕は地平線まで走り去り、天井は夜の帳が落ちかけている。空に輝く星の粒がざらめのように輝く刻限。

「――さあ、僕らの取材もここまでだ」
「そうですね。戻って、記事にしましょう」
 二人の記者は、そう結ぶ。帰り道のタクシーに乗り込みながら、先の封印の岩についてのくだりを、冗談めかして語り合いながら。

 そうして一夜が明ければまた廃村に、静謐な静寂が戻ることだろう。
 ただ、そうあるべきであったように。


 某県山中にある廃村にて復活の確認された怪異は、EDENたちの協力のもと回収に成功した。|新物質《ニューパワー》として活用するための実験がこれから執り行われることになるだろうが、思考誘導による洗脳じみた汚染能力の高さから当分は外に出てくることもない。汎神解剖機関と懇意の人間であれば実験に立ち会うこともできるだろうが、それはまた別のお話。
 また、偏食家『色城・フユト』に関しても撃退に成功。予知された悲劇は未然に防がれた。彼が率いるはずだった集団の怪異に関しても全滅、或いは捕獲されたことによって万が一にも被害を及ぼすことはない。

 もう、皿には何も残っていない。
 丁寧にファイリングされた事件記録と君たちの記憶だけが、そこにあった|体験《メニュー》のすべて。
 取り戻された束の間の|平穏《まんぷく》を味わったのならば、また次へと旅立たなくてはならない。
 どうか、この|戦い《フルコース》がきみたちの糧になることを、願う。

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