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オークションをぶっつぶせ

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 #√仙術サイバー

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●√EDEN、東京・港区虎ノ門・大倉集古館
 日本最初の私立美術館として知られるこの施設には、日本古来の書跡や陶磁器をはじめ、中国古典の漢書約1000点余りが収蔵されている。
 3月末のこの時期、展覧会などのイベントはちょうどエアポケットの時期で、比較的客足も空いていた。
「すみません。少し時間を頂けますか。おそらく役に立つと思うので」
 そこへ集まったEDENたちに星詠みの|捌幡《やつはた》・|乙《おと》は言い、おもむろに入館する。
 普段ならすぐに予知した事件の内容を知らせるところ、わざわざ美術品巡りに付き合わせるのは何かしらの理由があるようだ。

 EDENがそれに大人しく従ったか、それとも時間を潰して待っていたかはともかく、短いながらも歴史と芸術に触れる時間を取った後、乙は改めて振り返った。
「√仙術サイバーの「虎ノ門Ⅵ」で、あるオークションが開催されます」
 移動に最適な「異世界の道」の在処などを告げたうえで、さらに続ける。
「|√EDEN《こちら》の香港ではこの時期、アート・バーゼルというイベントが催されるそうです。
 ようは世界的な美術品の見本市で、アジアでは唯一の開催地だそうで――中国文化の影響が強い√仙術サイバーでも、この時期は芸術関係の展覧会が多くなっています」
 呆れた様子で息を吐く。
「まあもっとも今回の目的地は、そんな芸術なんて二の次の催しですけれどね。
 上層で暮らす上流階級の"方々"が、そういう名目で集まってろくでもない話をする。この手のはどの√でも同じらしいです」
 どの層も活気に溢れ生き生きとした√仙術サイバーのオークションともなれば、それは欲望にギラついた集まりになるのだろう。

 そして当然、上層を裏から支配するマフィアが一枚噛んでいる。
 資金洗浄や勢力規模の誇示による組織間の暗闘、非合法な取引の会合……。
「実は今回は厳密に言うと、事件が|起きる《・・・》というより|起こす《・・・》形になります。
 ……件のオークションに出品されているアイテムは、殆ど下層から強奪されたものなんですよ」
 眉間に皺寄せ嫌悪をあらわに語り続ける。
「勿論、予知もなしにこんなことは頼みません。やっているときりがないですからね。
 オークションの開催を放置した場合、敵対マフィアが殴り込みをかけて大規模な抗争が発生し、さらに下の層を巻き込んだ大惨事に発展しかねないことがわかりました。
 であれば大元のイベントを潰しつつ、奪われたものを取り戻せば一石二鳥でしょう?」
 乙が予知した事象はひとつきりではない。
 オークションによって引き起こされる抗争、あるいは大切なコレクションは自らの作品を奪われた人々の自死や連鎖的な下層治安の悪化……そういう小さいが見逃せない事態がいくつも絡み合っている。育ちすぎた大樹の枝が互いにもつれあうように。

「そこでまずは皆さんにオークションへ潜入してもらい、しばらく待機してください。
 身元の偽装があれば完璧ですが、そもそもあの√は武強主義に支配されています。
 皆さんぐらいの腕前なら、多少怪しいところはあってもVIP扱いされると思いますよ」
 客に扮するなり警備側で潜り込むなり、やりようはどうとでもなるだろう。
 裏に違法な団体が関わっている以上、腕っ節の強い人間には態度も軟化するはずだ。
「動き出すタイミングは敵対マフィアが攻撃を仕掛けてきた、まさにその瞬間です。
 収蔵されている物品を可能な限り奪取、その後は下層に向かって移動してください」

 その時、EDENから「マフィアの抗争を叩くのではないのか」と質問が出た。
「肝心の商品がなくなれば、向こうは争っているどころではなくなりますよ。
 逆に言えば皆さんが追いかけられることになるんですけど、まあそこはいいでしょう」
 さらっと聞き捨てならない台詞が出たが、本人は何事もなく話を続ける。
「追いかけてきた連中は適宜迎撃、処遇は各自の判断の元でお任せします。
 |民間警備会社《PMC》なりマフィアと手を組んだ軍警なり、どいつもこいつもろくでなしどもばかりでしょうから」
 あっけらかんと切り捨てる。
「収蔵品の奪取がどれだけスムーズに行くかは、皆さんの溶け込み方次第です。
 あまり手間取ると奪って逃げるどころかその場で戦闘にならざるを得ないでしょう。
 当然逃げながら戦うよりは囲まれて苦しい状況を強いられることになるかと」
 数も戦況もあちらの有利になる。雌伏からの一瞬の行動、どちらも疎かには出来ない。

 乙はいくつかプリントアウトした紙束を配った。
「私がピックアップできた限りの収蔵品の元の持ち主と、その物品のリストです。
 連中もコソコソあちこちから奪っていたようで、とにかく数が多いんですよ。
 なので一つのものを守るというより、皆さんそれぞれで分担してもらう形ですね」
 どれだけの人々のもとへ届けられるかは、EDENの奮闘次第だ。
「それと、敵側には『柴郡猫娘』と呼ばれる全身機械の殺し屋が雇われています。
 物陰に隠れて不意打ちしたり空間跳躍したり……スピードタイプの簒奪者ですね。
 周りに雑多な敵がいる状態で接敵すると、かなり手強い相手になるはずです。
 逆に下層で戦いへ持ち込めれば、相対的に不利な状況を押し付けられます」
 口調はふざけた相手だが、油断できる敵ではないと付け添える。
 積層都市を舞台にしたド派手な戦いが、密かに幕を開けようとしていた。

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第1章 日常 『上層の宴』


●√仙術サイバー『虎ノ門Ⅵ』:|琅玕閣《ろうかんかく》|大飯店《グランドホテル》
 最上層の一つ下に建造されたこの高級ホテルは、香港文化の流入が強い√仙術サイバーらしいオリエンタルな佇まいを見せる。
 単純に考えれば、最高級のホテルなら最上層にあるのが自然だ――だがそれこそが琅玕閣の風格を裏付けている。
 すなわち琅玕閣は第七層が建築される以前から存在する、歴史ある施設なのだ。

 その証拠に、パーティ会場は最上階がフロア一つまるまるぶち抜きで使われている上に、このホテルからの景観を楽しむためだけにあえて『虎ノ門Ⅶ』の床の一部が切り取ったように空白になっている。
 空とはすなわち武強主義に従い勝ち取った権益の象徴。VIP客はホログラムの龍や踊る大型ディスプレイ窓を通し、自らの武と知恵の当然の恩恵を眺めて悦に浸るのである。

 当然ながら周辺の警備は厳重だ。
 オークション開催のため一時的に休戦したマフィアから選りすぐりの武闘派が集められ、ホテル内やその近辺を物々しい黒服として警備している。
 さらにフロント企業のPMCに所属する『軍事僧兵』が、√仙術サイバーの各地から集められた美術品を常に見張っている。忍び込むのはほぼ不可能と言っていい。

 一方でその豪華さは足枷にもなる。
 よほど目立つ行為を働かない限りは、招待客に紛れ込むのはそう難しいことではない。仮に見咎められても失礼を指摘し力で黙らせれば文句を言う輩は出まい。
 これだけの人員を投じてもまだ万全の警備とは言い難く、腕利きであれば用心棒として――これはイベントそのものではなく参加客のSPも含まれる――その場で登用される。強者にはあらゆる可能性が拓かれているのは良し悪しといえよう。

 赤絨毯の敷かれた会場では立食形式で食事が楽しめるほか、中国式の満漢全席にありつくこともできる。かき集められたスタッフは青い顔で東奔西走しており、気が休まる暇など一切ない。無論、同僚の顔を逐一覚えている者など皆無だ。
「それでは皆さん、崇高なる芸術と美を愛でながら、どうぞ素晴らしいお時間をお楽しみください」
 時折壇上にオークショニアが現れてはにこやかに媚を売り、様々な商品を取り扱う。
 かつて世界に雷素とインビジブルが満ちていた時代の歴史ある書跡や金工、刀剣、あるいは稀代の芸術家の知られざる絵画。
 それらは全て、この絢爛豪華な催しを生み出す金ともども、弱者から力によって毟り取られたものばかりなのだ。
瀬条・兎比良

 |瀬条《せじょう》・|兎比良《とびら》はなによりもまず最初に、武強主義への適応を心がけた。
 当然、刑事である彼が心から受け入れられる思想ではない。だがこの√仙術サイバーではそれが秩序だ。少なくとも今現在では圧倒的大多数がそう認識し、そして現実に社会が駆動している。人が所属し常識と決まりに従って生きている。
 現代の資本主義から見て王族や貴族が特権を持つ過去の仕組みは異常だ。だが当時は誰もがそれに――どんな感情を抱いていたとしても――従っていた。少なくともそれで世界は保たれていた。だから現在がある。
 この√も同じだ。理由はどうあれ乱す側が異端なのだ。ならばそれに則るのがスムーズだ。

(「少なくとも今は、ですが」)
 見せつけるような絢爛豪華を誇るホテルの正面エントランスに向かい、彼は歩を進める。
 通行人は殆ど居ない。警戒するような者はそもそもこの近辺に近づかないのだ。ゆえにまっすぐ近づく兎比良の姿は明らかに浮いていて、まず周辺をうろつく物騒な連中からジロジロと視線を浴びる。流石にいきなり殴りかかることはないらしい。察して消えろというわけだ――当然のごとく無視。

「おい。それ以上近づくな」

 エントランス前を警備していた禿頭の男が告げた。
 兎比良は素直に足を止め、挑発的な眼差しを男へ投げかける。
「腕の立つ警備は要りませんか? 用心棒、ということでも構いませんよ」
「なるほど、働き口目当てか。そこら中におっかねえ殺気振りまきやがって」
 脅迫の意図はない。それは気が引けるしあくまで最終手段だ。
 ただこちらの方が|分かりやすい《・・・・・・》。都市中に渦巻くギラついた活気にも似たようなところはあり、それを兎比良なりに真似ただけのことである。
「で? 一体お前は何を持ってる。腕っ節か? それとも頭のよさか?」
「そこまで自惚れてはいません。ですが」
 兎比良は胸の内ポケットから身分証をつまみ取り、ちらりとその一部を覗かせた。
「面倒事が起きた時に解決できそうな方々へのコネクションはあります」
「……フン。そりゃ助かる。トラブルが起きるのはわかりきってるからな」
 禿頭の男は鼻白み、こめかみに手を当てた。おそらく内耳部に通信用のサイバーパーツをインプラントしているのだ。
「通りな。詳しい話は中で聞かせてもらう」
「賢い判断をしていただけて、有り難い限りです」
 階段に足をかけると、何人もの警備が不躾な目線を叩きつけてくる。
 兎比良はただ黙殺した。大半はそれで彼我の差を悟り、ごく一部の愚か者は冷淡な一瞥を浴びて犬のように背を丸めて退散した。

「影」たちを四方八方へ散らし分かったことは、この会場の警備は外に対しては盤石だということだ。
 腕の立つ武闘派を大量に動員し、広域展開している。単独や少数で動くタイプのこそ泥は忍び込もうなどと考えすらしないだろう。
(「殺気を振りまいている、などと私を揶揄していた割には、なかなか」)
 兎比良は呆れを胸の中に仕舞い込んだ。
 これは立派な示威行為だ。外に対してのアピールを兼ねている。我々はこれだけ強大なのだ、と組織力と人脈の豊富さを見せつけている。
 ゆえに内部犯に対する警備は驚くほどに薄い。その極端さは、まさしく武強主義の表と裏そのものだった。

クウェイラ・ドラハルツェン

 クウェイラ・ドラハルツェンの永い生の中でも、この手の催しに何度か縁があった。
 古今東西の美をかき集め、富を誇示し、酒池肉林の如き贅沢に耽る。
 様々な時代、様々な土地、様々な人々が似たような目的で似たような欲望に浸った。もっと慎ましやかなこともあれば比肩できないほど壮大な規模も記憶にある。
 だが結局のところ中身は同じだ――人のはらわたに詰まった糞の如き、醜悪な汚穢である。

 その観点から見ると、なるほど此度の催しは至上を謳うだけはある。
 欲望のために強さを肯定した世界の、日向を歩けぬ者どもが力を合わせた企みだ。眩い煌めきはそれだけ濃い影を生み、かといって誰も後ろめたそうな顔はしていない。

(「己の煮詰めた腹の底を覆うつもりすらないらしい。此れは此れで愉快ではある」)

 クウェイラの生はこれ全て退屈凌ぎに過ぎなかった。
 渦巻く欲望を、顕示欲を、ライバルへの敵意と悪感情を愛でるように楽しむ。
 その渦中にあって塵一つ分たりとも染まることなく、迎合することもなく。まるで嵐の中平然と聳え立つ巨岩の如く。あまりにも当然すぎて、周囲の者は――着飾ったVIPですら強者ではあるはずなのだ――誰も彼の内なる強さに気付かない。足元の地面の広大さに慄きながら歩く者がいないのと同じだ。

「それでは、続きましての品はこちらでございます」
 壇上のオークショニアが身振りすると、ステージの舞台袖から麗しい美女たちが布で覆われた台車を転がしてきた。
 勿体ぶった間を置いてから布を勢いよく払うと、現れたのは台座に飾り付けられた両刃の漢剣である。
「……ほう」
 クウェイラはオークショニアの垂れ流す蘊蓄を右から左へ聞き流し、刀身へ視線を注いだ。彼の装いは普段から格式あるもので、一切己を偽らない堂々とした振る舞いも雰囲気にそぐう。誰も彼を異物のようには扱わない。
 そして肝心の出品物はというと、博物館に展示されているような錆びて使い物にならなくなった鑑賞物ではなく、今すぐにでも立派に扱えそうなほどに研ぎ澄まされた代物だ。シャンデリアの輝きを浴びた刃が滾る招待客たちの顔を鏡のように映し込んでいる。
 それも当然だ。クウェイラの優れた耳目と職業暗殺者ゆえの直感は、刀剣に纏わりついた拭い取れない血の匂いを瞬時に感じ取った。これは美術品でありながら同時に実用品でもあるのだ。
 人を惹きつける計算された美と、人を殺すために計算された実用さ。本来両立し得ぬその二つが成り立っているのは、優れた刀工の腕と数多の人の手を渡り血を啜ってきたからこそ。
「1000!」
「1500!」
 その間にも見せつけるような入札は過熱していた。市井の相場なら漢剣の類はせいぜい数百万、出自の明らかな一級品でようやくその域を越える。まともな競売場であれば出品されただけでニュースになるレベルである。

「一億だ」

 朝餉を求めるような平然とした声に、軽いどよめきとともに注目が集まる。
 クウェイラはそれをわざわざ見返すようなことはしない。彼の目は既にそこかしこの人の動き、物の流れ、構造、それらを観察しながら、同時に一人ひとりの目鼻の作りも記憶していた。

「あまり此を見るな。目を断つぞ」

 涼やかですらある一言。やはり声の調子は変わらない。
 それが客たちに長く忘れていたものを呼び起こした――恐怖という、強者には無縁のはずの感情を。

詩花・秋山・ホワイトテイラー

 人の集いには美酒と美食がつきものである。
 もっとも根源的な欲望は生存に必須な三大欲求だ。ここに集った人々は望めば睡も性も浴びるほど楽しめるだろうが、どちらも無防備と隣合わせだ。ゆえに食が残り楽しまれる。
 当然ながら食卓に並ぶのも一級品ばかり。√仙術サイバーの世界各国から選りすぐった腕利きの調理師たちが、腕によりをかけて作った豪勢な食事が振る舞われる。
 ことに日本は食文化に貪欲な国だ。香港や中国の影響が色濃いこの√でもそれは変わらず、華やかなテーブルはプライドの高い職人たちの静かな暗闘の様相すら呈していた。

 不敵にも、そこへ加わる者がいた。|詩花《シーフゥア》・|秋山《あきやま》・ホワイトテイラーである。
「皆様、デザートは如何でしょう」
 淑やかでありながら何処か心騒がせられる微笑を添え、詩花が振る舞うのは|甜品《デザート》である。メニューも様々だ。
 広東料理の高級デザートの定番といえばツバメの巣は欠かせない。その中でもさらに最高級と謳われる希少な血燕窩。深紅のスープが明かりを照り返す様は宝石のようですらある。
 くり抜いたパパイヤに収まる透明なゼリーめいた食品は|雪蛤《シュエハー》、すなわちアカガエルの輪卵管を乾燥させたものだ。少々ゲテモノめいているが立派な薬膳であり、これもやはり市場で出回ることは滅多にない最高級品をふんだんに使っている。
「此度の宴に相応しいものをご用意しました。食せばきっと皆様の願いが叶います」
 妖しい光を宿す瞳が蠱惑的に細まる。
「不老長寿、億万長者、万夫不当……古来より富める者も貧しき者も願うことは同じです。
 強きを極め今日という栄華に浴する椅子を手にした皆様も、それはきっと変わらないでしょうから」
 怪しんでいた者も気づけばその声音に引き寄せられるように舌鼓を打つ。

 詩花は特に嘘はついていない。だが真実をありのまま語ってもいない。
 √能力によって願いを叶える力を宿したそのデザートは、単なる饗宴の添え物ではなかった――言うなれば時限爆弾だ。
 願うことをやめられない。なるほどその通りだ。願いを叶えるために強くなる。その原始的なモチベーションがこの√を、社会を、世界を進歩させてきた。

(「その歪んだ性根に相応しい願いを叶えてあげましょう――あなた達の醜い心身がそれに耐えられるかは、アタシの知ったことではないけれど」)

 より多様なる社会を望み今を嫌悪する女は、冷然を瀟洒な笑みでくるんで人々を惑わす。
 古来より国を問わず洋を問わず繰り返されてきた警句――美味い話には裏がある。
 先人の有り難い忠告も、目の前にぶら下げられた餌の前には東よりの風のように軽やかだった。

終夜・夕陽
花喰・小鳥

 人も物も、図体が大きくなれば小回りが利かなくなるのは同じだ。
 一人より二人、二人より三人……頭数が多くなれば多くなるほど物事は複雑化し、思惑が入り混じり、互いの影が死角となる。齟齬は不和を呼びやがて繋がりは瓦解する。
 人はそれを防ぐために様々な手段を講じる。前例に倣って様々な決まりを設け、あるいは空気が澱まないよう風穴を開いて死角をなるべく減らす。どこの企業や団体でも当たり前に行われていること。
 怠惰や驕慢や策謀によって往々にして立ち行かなくなるものだが、では今回はどうだろうか?

 EDENにとって有り難いことに、巨大に膨らみすぎたオークションは死角だらけだ。
 なにせ一時的に糾合したとて本来は敵対するマフィア同士、そもそも上層部の折り合いが悪い。
 虚飾で覆われた催しは権謀術数の坩堝そのもので、当然誰も腹の中など明かさない。あけっぴろげにすれば誰に漬け込まれたものかわからない。そういう姿勢が催事として致命的な欠陥を産む。
「そちらの品は第二倉庫へ」
 ゆえに、潜入捜査に手慣れた|花喰《はなくい》・|小鳥《ことり》が平然と紛れ込むのはそう難しいことではなかった。
 黒一色のパンツスーツで装い、勤務中にも関わらず紫煙を纏う姿ははっきり言って|あちら側《マフィア》の方が自然である。
「あの女、例の商会に歯向かった手練れに似てないか?」
「よせ、聞こえたらろくなことにならんぞ」
 囁き声には畏怖が交じる。怖れとは強さにもっとも無縁な感情であり、それが彼女を孤立させる――好ましい孤立だ。接触や摩擦は可能な限りない方がいい。
(「この疼痛は如何ともし難いですが」)
 軍警道士として警備に紛れ込んだ小鳥は、じくじくと痛む片腕をさすった。

「小鳥。何かあったの?」
 いつの間にか傍に寄っていた|終夜《よもすがら》・|夕陽《ゆうひ》が周囲に気取られぬよう囁いた。
 彼の役割は小鳥の助手。普段通りの姿でも――というかむしろそれにより――仙術使いであることは明らかであり、誰も盗人などとは考えていないようだ。
「いえ、少し古傷が……と言うにはまあ新しい気もしますが」
「?」
 戦場にいなかった夕陽が呟きの意味を当意即妙に理解するわけもなく、ただ首を傾げるばかり。

 その時だ。夕陽の目が通り過ぎようとする運び手を鋭く見た。
「少し止まって」
「新しい収蔵品のようですね。検めさせてもらいます」
 小鳥は有無を言わさず告げてツカツカ歩み寄った。
「おいおい待ってくれ、こいつはさるお方からお願いされた品で……」
 運んできたマフィアの目が泳いだ。左右に立つ黒スーツの男女の存在が静かに彼を威圧する。ミラーシェードで覆われた表情はまるで人形めいて皆無だ。
「……わ、分かったよ。けどくれぐれも慎重に頼むぞ? 何かあったら俺の首が飛ぶんだ」
「文字通りにですか。その時は私が務めますからご安心を」
 本気か冗談かも分からない小鳥の軽口に、男は舌打ちと小さな悪態をついて去っていく。

「……それで、夕陽? これがそうですか?」
「うん。ここにあるのはおぞましいぐらい強くて剥き出しの感情ばかり。だけど」
 夕陽は収蔵品が入った箱を一瞥した。
「これはぜんぜん違う。外からの縁を感じる。きっと下層から奪われた品だよ」
「では一旦運び込んでリストと照らし合わせてみましょう。おそらく間違っていないと思いますが」
 小鳥はミラーシェードの男女へ視線を送った。諜報員たちは文字通り彼女のしもべだ。その数でもって余計な詮索を物理的にシャットアウトする。

「あるべき場所へ帰れば、幸せになれるでしょうか?」
 人気のない離れた倉庫――脱出の際にスムーズにするため目星をつけた場所だ――へ向かいながら、小鳥は紫煙混じりに呟いた。
「迷子になるよりはいい。そう思ってるよ……帰る場所があるんだから」
 夕陽は人形との五感共有で警戒を怠らない。
「それに小鳥も気を付けてね。変な奴に目をつけられたら大変だよ」
「はい? 私は競売品ではありませんが」
「そういう意味じゃなくて……」
 その美しさは下手な売り物では到底勝てない、などと歯の浮くような台詞は、流石に夕陽の胸中へしまいこまれた。

不破・鏡子

 このオークションは他の組織への挑発めいた顕示であり、それがおそらく予知された禍を招く。
 当然内側でも同様だ。招待客はこぞって希少なアクセサリーを下品に身につけ、あるいは唸るような額のオートクチュールや、名の知れたデザイナーの売り出す新作ファッションで着飾る。
 光景だけを見れば、たとえば√EDENのニュースを賑わせるセレブの集いとそう変わらない――彼らが浮かべるあからさまな倨傲の笑みや、声をひそめず交わされる不埒な会話を除けばだが。

 少なくとも目移りするほど美しく贅を凝らした歴々の中にあって、|不破《ふわ》・|鏡子《きょうこ》はなんの遜色もなく自然に溶け込んでいた。
 √仙術サイバーの文化に見合うよう、選んだのはオーソドックスな|旗袍《チーパオ》である。華美になりすぎない程度に現代的にアレンジされたドレスが軽やかな足取りに翻るたび、男たちの視線が否応なく惹きつけられた。
(「やっぱりこういう場に混じるなら、少しは大人っぽくしなきゃね」)
 よもや鏡子が若干15歳の若者などとは誰も思うまい。仮にそれが知れたとしても、むしろ驚かれるか、あるいは下卑た輩なら希少価値に鼻の下を伸ばすことだろう。
 もとより注目を集めるのは慣れているし、体の一部へ視線を集めるのも(主に義姉のせいで)そう違和感はない。大胆なスリットから伸びる太腿は健康的で、しなやかな肉つきの下に隠れたたくましい筋肉は見るものが見れば即座に分かる。繰り出される蹴撃の恐ろしさについては、実際に食らってみるまでは分からないかもしれないが。

「それにしても、この手の集まりってどうして誰も彼も周りの視線を集めたがるのかしら」
 ノンアルコールのグラスを手に、鏡子は見咎められない程度に呆れた。
 男も女も、老いも若いも誰もが己を見せびらかしている。それは仮面で正体を隠し悪と戦うヒーローからすれば真逆――というよりも、敵対してきた悪の怪人にどこか通じるものを感じる。
 実際に集まっている面子は圧倒的に|悪人悪党《そういうやから》が多数であろう。幸いなのは、日々死闘を繰り広げてきた立場だからこそ、人によってはあてられかねない悪の濃密な気配にも耐性があることか。
「ここは美味しいものもが揃ってるけど、気疲れしちゃうわね。競売でも冷やかそっかな」
 まだその時までは余裕がある。今は少しでも多くの情報を集め、立ち上がるべき瞬間に備えるのが肝要。
 一つでも多くの品を手元に置いておけば、脱出する際に手間が省ける。そう考えた鏡子はグラスの中身を一息に飲み干すと、通りがかった給仕に労いの言葉とともにグラスを預け、別のホールへと足を向けるのであった。

方・敬天

「……ん? なんだこりゃ」
 あるマフィアの警備員が移動中に見咎めたのは、裏方向けの休憩スペースに鎮座する一|條《脚》の|板凳《カンフーベンチ》だった。
 収蔵品の出入りや警備員、あるいはその他裏方スタッフの使う通路に、表舞台のような華やかさはない。しかしこんな日常的な品が設置されているのも奇妙である。一応はここ自体が一流の高級ホテルなのだ。
「まさかオークションの品か?」
 マフィアはしゃがみこみ、板凳をためつすがめつ眺めた。何処からどう見ても、むしろ中低層にありそうな古臭い品だ。とても金持ちが信じられない額で取引するようには見えない。
 しかし確証はない。学のない彼からすればただのガラクタにしか思えないような、奇矯な珍品も数多く出品されている。悪趣味にしか思えない絵画やアブストラクトな造形物、はたまた曰くとやらを添えられた使い物にならない刀剣類などなど。もしかするとこれもその手の類なのだろうか。
「まいったなぁ……」
 マフィアは迷った末、捨て置くことにした。座って一息つく暇など一切ない。裏方に与えられた仕事は膨大なのだ。
 人使いが荒いだのなんだの、ぶつくさ言いながら何処かへ去っていく。

 無人のスペースにしばし沈黙が流れた。
 完全に人気が絶えたことを静寂が示す――すると突然、板凳が人へ変じたのである!

「ふう。危ないところでした」

 彼の名は|方《フォン》・|敬天《キンティン》。板凳の付喪神――厳密には妖魔である。
 奪われた品々に物品ゆえのシンパシーを感じて馳せ参じたはいいものの、あいにく年若い見た目ではセレブ客に混じるのは難しい。おまけにこういうフォーマルな場に慣れていない。
 かといって悪党相手に力を振るうのも気が引ける。敬天は心優しい少年だった。だからこそ駆けつけたのである。
「どうせなら座って一息ついてくれても……いやいや、そんな場合じゃないのは俺も同じ……」
 咄嗟に本来の姿に戻ってやり過ごそうとしたが、そのせいか妙な本能(?)が顔をのぞかせる。
 しかしどうやら、場によっては収蔵品に紛れても違和感はないようだ。誰もが相応しい美的センスや審美眼を備えているわけではないらしい。
「わざと見つかって倉庫まで運んでもらうという手もあるかもしれませんね……」
 敬天は先程よりも少しだけ大胆に、見つからないよう再び移動を開始した。

呵々月・秋狸

 琅玕、西洋風に言えばインペリアルジェードは、その名の通り翡翠の中でも最高級に類する宝石だ。
 中国文化の色濃い√仙術サイバーにおいては黄金や白金に匹敵する名と言えよう。
「そんな名前を堂々と名乗るだけはある。なかなかに立派なホテルじゃないか」
 |呵々月《かかづき》・|秋狸《しゅうり》は周りを警備するマフィアに臆さず、むしろふてぶてしく歩きながら呟いた。
「あの有名な白菜の宝石も翡翠のはずだな。いくら小僧でもあれぐらいは知ってるだろう?」
 まるで隣に誰かがいるかのように呟く。それを訝しむ者もいない。聞きとがめたところで何事もなかったように見過ごすだけだ。

 何故なら今の秋狸は、一流のセレブ客にしか見えない。
 正しくはそういう幻影を纏い、周囲の耳目を欺いているのである。
 どこのお偉いさんかあるいはパトロンか……詳しいことは分からなくとも、この√で相応の地位に立つということは本人にそれなりの強さが必要になる。迂闊に関われば文字通り|痛い目《・・・》を見るというわけだ。
(「いちいち話しかけるなクソ狸。怪しまれたらどうする」)
 そして秋狸の本来の人格は、その主導権を妖狸に譲り内側へ引っ込んでいた。今しがたの皮肉は彼に向けたものである。
「呵々。そうビクつくな小僧。ナメられるとしたら、それはお前の体が貧相なせいだ」
(「いちいちムカつくこと言いやがって……暴れるのが目的じゃねえよな?」)
「まさか。目的なら忘れていないとも」
 秋狸はけろりと言い、そのまま顔パスで会場内へ。

 その足で向かうのは競売場になったホールでも警備棟でも、まだ倉庫に眠っている収蔵品のもと――ではなく。

「ほお! 焼鴨美味いぞ! さすが一流ホテルは出る肉も上等だなあ!」
(「……おい、クソ狸……?」)

 向かったのはパーティの催されているホール。それも満漢全席の用意されたテーブルの一つだ。
 広く知られた一流料理人がこれまた高級食材をふんだんに使った料理の数々を、秋狸……もとい妖狸はもりもりと驚くべきスピードで貪っていく。
「うむ! この叉焼も堪らん! いやあ来てよかった!」
(「おいクソ狸?? お前本当に目的忘れてねえよな??」)
「分かっとる分かっとる。咎められたら殺気当てて黙らせてやればよい。まあ見ておれ」
(「そういう話してんじゃねえよ! お前食い気に目移りしてんだろ!?」)
 こんな振る舞いをしておいて怪しまれると素早く別の顔ぶれに変化してやり過ごすのは、狸ゆえの狡猾さなのか食い意地のおかげなのか。それは妖狸の知るばかりなり、であった。

巫・黒星

 √仙術サイバーは積層都市で構成され、富める者・恵まれた者・勝ち得た者は上へ上へ向かう。
 それは空に残る僅かなインビジブルの支配権を示し、当然建物も組織も上に行くほどランクが上がる。あえて低層にこじんまりと存在する豪邸なんてものは滅多にない。あるとすればよほどの物好きだ。
 そして上層の中にもⅥとⅦとでは明確な差がある。本来であればこのⅥ層において、これほど豪勢な饗宴が催されるはずはない――人も、金も、物も、構成するあらゆるものがここまでは揃わないからだ。

「成る程。だからといって全部がそうなわけではないのね」
 雰囲気はむしろこの√の方が自然に感じられる|巫《ウー》・|黒星《ヘイシン》だが、護法たる彼女はあくまで外様。知られざる歴史の中で形作られた文化は素直に新鮮だ。
 もっとも今は特徴的な仮面すらも被らず、代わりに気品ある漢服姿の老婆へと変じていた。
 それは知られざる英傑の一人。幻術や借体形成の類でもなく"写"し取った|写体形成術《デッドコピー》である。見て聞いては勿論、触れたとしても偽りの姿だと気付く者はいない。
 何よりも老体が纏う気品は、肌に走る無数の皺に見合う武を醸し出す。写体と本来の黒星が積み重ねた武功、それぞれが相乗効果を発揮した結果だ。
 強き者こそが全てを勝ち得る。武強主義において強さはあらゆる権威やライセンスを上回る究極のパスポート。向けられる眼差しには畏怖、憧憬、あるいは血気盛んな敵愾心ばかりだった。
「そこの者。ちといいかね」
 黒星は見かけに相応しいしわがれ声で老婆を装い、近くのスタッフを呼びつけた。
「はい。何用でございましょうか、お客様」
「あちらのホールで催されているオークションについてなのじゃが、出品物のリストが見たい。取り寄せてもらえるかの」
「かしこまりました。お待ちの間、どうぞあちらで美食をお楽しみください」
 スタッフは畏まった一礼とともに、満漢全席やビュッフェを示す。
「お客様のような気品ある方々の舌を満足させるのに十分な品が用意されております。ぜひご賞味を」
「それは有り難いんじゃよ。どれ、少しつまんでくるかの」
 黒星はスタッフに促された通り、そちらへ足を運んだ。

夢野・きらら

 "おそらく役に立つ"。
 星詠みの狙いが功を奏したかはともかく、夢野・きららにとっては得難い体験だったようだ。
(「嬉しかったな。任せてと豪語した手前、今回もしっかりやらないとね」)
 それに事件を事前に防ぐというのはあまり例のない試みだ。
 今回はかなりイレギュラーなタイプだが、それでも予防措置が出来ることは非常に有意義といえる。
 きららはいつも以上にモチベーションに溢れていた。万全を期して潜入に臨む!

「よし、ハッキング完了」
 まったくもっていつも通りの|身分偽造《やりかた》だった。別に奇を衒う必要はないのでこれで正しいのである。

「そこの子供ちょっと待て!」
 だが秒で呼び止められた。

「はい? 何かまずいことをしちゃったかな?」
「そうじゃない。ここはガキの入れるところじゃないぞ」
「あー……実はお父さんの付き添いで来たんです」
「明らかに今思いついた顔をしてるだろう。いたずらなら他所へ行け!」
 比較的優しいマフィアだった。他の奴なら言葉の前に蹴りが出ているかもしれない。
「うーん、困ったなあ。お父さんからも何か言ってよ」
 きららは言いながらマフィアの後ろを覗き込んだ。
「そんな古典的な手で騙されるか! いいからさっさと――」
 その時、何か大きなものがマフィアときららに影を落とした。

 マフィアは黙り、ゆっくりと振り返った。
「ひい……!?」
 そこには彼の背丈を遥かに越える、八尺ほどの高さのパワードスーツが聳えていた。
「ろ、ロボット!? こ、こ、これは……」
「違うよ。お父さんは完全機械人……あーいや、真人類だっけ? まあとにかく全身が機械なんだ」
 マフィアの喉からヒュッと悲鳴が漏れた。
 脳以外の全身を仙術機械に置き換えるなど、黒社会のアウトローでも滅多にやらない狂気の所業だ。
 しかも最新の仙術機械で全身が構成されているため、凄まじい仙力と筋力を誇る。

 "真人類には楯突くな"。

 わきまえているマフィアなら常識だ。
「も、申し訳ありませんッ! どうぞお通りくださいッ!!」
 わりと常識人なこともあって、マフィアは完全に萎縮した。
 直角のお辞儀で脇へ退くのを見たきららは、思い出したように父――遠隔操作中の愛機「マスコバイトⅡ」の腕にしがみついた。
「じゃあ行こうかお父さん。ほら歩いて」
 マスコバイトⅡはぎこちない足取りで歩く。幸いマフィアは冷や汗をダラダラ流して直角お辞儀していたので、見咎められることはなかった。

羽宮・日和

 |羽宮《はねみや》・|日和《ひより》は無事に会場内への潜入に成功した。
 誤算はただ一つ。それは日和にとって許しがたい屈辱でもあった。

「まったく! 棺桶がダメってどういうことだ!」
 
 堂々と殴り棺桶を担いで入場しようとしたのである。そんなの止められるに決まっていた。
 おまけにその格好は何故かバニーガール衣装。一応上に黒いコートを羽織ってフォーマル要素を満たしてはいるが、どちらかというとサービスを提供する側の服装ではないだろうか。
 とりあえず仕方がないので愛する揺り籠は一旦運営側に預け、なんとかホテルに入場した形だ。もちろん帰る時はオークションの収蔵品もろとも強奪して逃げ出す前提である。なんてはた迷惑な地産地消であろうか。

 それから数分後。
「どこのデザイナーに作らせたんだ? センスがいいじゃないか。よければ私に教えてくれ」
 日和はあっという間に笑顔を取り戻し、初対面の客と気さくに打ち解けていた。

 もともとどんな時でも、どんな相手でも|心の底から《・・・・・》楽し|そう《・・》に笑う女だ。こんな欲望渦巻く闇の社交場でも、日和の周りだけは澱んだ空気が幾分和らいでいるように見えた。
「この料理を作ったのは私のお抱えでね。フランスから名指しで雇い入れたのだよ」
「へえ! 道理で味付けにそれっぽいところがあるわけだ」
 物怖じしない態度と華やかさは否応なく人を惹きつける。胡乱げに眺めていた金持ちもあっという間にこの通り。
「あなた随分大胆な服で来たのねえ。もっと似合うドレスあるでしょうに」
「ふふっ、そう言ってもらえるのは嬉しいよ。だが私はこれでいい。実際目立ってるだろ?」
 何処かの鼻持ちならない貴婦人とも、まるで数年来の友人のように朗らかに話している。

「そういえば君、入口でなにやら揉めてたよね? 何があったんだい?」
 眉目秀麗な、いかにもプレイボーイといった雰囲気の青年が言うと、日和はむっと顔を顰めた。
「私の大事なモノを手放せと言われたんだ。そうしないと入場を許さないと」
「そりゃひどい。……ん? 大事なモノ?」
 青年はその時の光景を思い出す。確かでかい棺桶を間に挟んで言い争っていたような……。

「おっと。それ以上訊いても答えは返ってこないよ」
 不敵な笑みを浮かべた日和が、謎めいた上目遣いで言った。
「女には多少秘密があったほうがいいんだよ。そう思うだろう?」
「あ、ああ……そうかもしれないね」
 青年はどこか奇妙な迫力、あるいは底知れなさに苦笑するしかなかった。

 笑っていても不機嫌そうな顔をしても、その姿はまるで一枚の絵のようだ。
「それにしてもオークションか。ふふ。鬱くしいじゃないか」
 ホールを訪れ一言。何か変換が違う気がしないでもないが、その考えを真に理解しうる者はここにはいない。
 ただ一人の女が、気まぐれな兎のように泡沫の夢のなかを跳ね回る。それだけが唯一確かな事実だ。

フォー・フルード

「で」
 華やかな表舞台とは一転、場末の裏通りめいた薄暗い部屋に入ったマフィアの男は、おぼろな照明を浴びる存在を睨むように見た。
「お前が取り立て目当ての完全機械人だと? いきなり現れてウチのモン脅したらしいな」
「認識の誤りを訂正します。自分はそのような威圧行為は取っておりません」
 人ならざる存在――フォー・フルードは、一切抑揚のない機械音声で答えた。
「ですがコンタクトの際、唐突であったことは認めます。取次してくださった方への非礼をお詫びします」
「ケッ。どうしてこう真人類の連中はイカれ野郎ばっかりなんだ」
 マフィアは小指で耳の穴をほじりながら呟いた。

 雷素崩壊により世界の法則は一変した。
 仙術というオカルティックなエネルギーに代替されたテクノロジーはいびつな進歩を遂げ、おそらく世界でもっともその恩恵を受けているのが完全機械人だ。
 |黒社会《アウトロー》は当然のように法を踏み躙る。そもそも武強主義という極端な思想に染まったこの世界の法律など前提から軽んじられているようなものだが、無法者たちは社会の爪弾き者であることは明らかだ。

 そんなアウトローですら完全機械人との関わりはなるべく避ける。
 理由はシンプルだ――狂っている。肉体の一部どころか全てを仙術機械に置換するなど正気の沙汰ではない。たとえ恩恵として絶大な力を得られたとしても、だ。
 そしてその「力を得ている」ことも拍車をかける。強さのために肉体を捨てるような狂人が他を画する強さを持つ。狂人に刃物とはこのことである。表社会はもとより裏社会においても様々な意味で隔絶した存在。それが完全機械人だ。

 フォーの狙い通り、ベルセルクマシンという真の正体を疑っている様子はない。それは前述のような畏れに近い嫌厭意識ゆえである。
 幸いというべきかフォーは白眼視を気にするタイプではない。むしろ好都合だとフラットに考えていた。
「|完全機械人《わたし》が有する|強さ《スペック》を有効活用すれば、この催しを安全かつ確実に終わらせられると断言いたします」
 フォーはやはり抑揚なく続けた。
「必要であれば射撃技術のデモンストレーションも行います。ある程度は白兵戦も可能です」
「いや、いい。お前みたいな奴に自由を許したら何をしでかされるか分からん」
 マフィアの男は沈思黙考した。胡乱な完全機械人は明らかに不穏だ。ただでさえ微妙な均衡に石を投げるようなこの催しに致命的な禍を呼び込みかねない。
 だが懸念こそが価値を裏打ちしている。本人の言う通り、味方につければ他の脅威に対して大きな抑止効果を齎すだろう。
 単に金目的や名を挙げるためではなさそうだが、完全機械人の考えを推測しても詮無きこと。単に有益か否かで考えるべきだ。

 ……と、ここまでがフォーの狙いであり、実際にマフィアの男もそう考えていた。
「いいだろう。手はいくらあっても足りねえんだ。何が目当てか知らないが力を使わせてくれるってんんら有り難くこき使わせてもらおうじゃねえか」
 マフィアの男は長く考えた末に結論付けた。
「ありがとうございます」
 フォーは完璧に計算された角度で会釈した。あちらからしてみれば、殺気がないことが逆に不気味だ。

 人手が足りない。
 事前に星詠みから話は聞いていたものの、マフィアが愚痴るだけはあった。
 横柄に振る舞う客同士の諍いや糾合したマフィア構成員の衝突――上が呉越同舟したところで下が飲み込めるかは別の話だ――あるいは襲撃を前提とした敵対組織の斥候。
 ホテル内外をひっきりなしに東奔西走することになるが、フォーに疲労という概念はない。彼はよく働き、その働きぶりで現場レベルの信頼を勝ち取った。
「おい木偶の坊、お前一体どうしてこんなとこで働こうって決めたんだ? え?」
「やめとけ、はらわたまで機械にしちまうようなぶっ壊れ野郎に聞いたってまともな答え返ってきやしねえよ」
 絡んできた警備担当の男たちがゲラゲラと笑った。フォーは小さく駆動音を立てて彼らを見た。

「オークションのために集められた芸術品を奪還、その後元の持ち主へ返却するすることが作戦目的です」

 男たちは呆気にとられて顔を見合わせた。
「こりゃあいい! お前冗談まで言えるのかよ!」
「肝心の内容はやっぱイカれてるがな! ありえねえ!」
「……見回りの時間です。行ってきます」
 フォーは嘲笑に顔色一つ(そんなものは存在しないが)変えずに歩き出す。
(「嘘はいけませんからね。信用されるはずがないと分かった上で言いましたが」)

 ほどなくして、彼の言葉が冗談でもなんでもなかったことを男たちは知ることになる。
 だが防ぐことなど出来なかった。勤務中に集めたフォーのデータは抜かりなく、試算した逃走ルールも(少なくとも追跡が放たれるまでは)完璧なものだった。
 なによりも彼は――彼らは鮮やかだった。
 フォーが疑われなかったのは、積み重ねた強さがあらばこそだったのだから。

第2章 冒険 『秘密の届け物』


 笑いささめき欲望に耽溺していた招待客の表情は、今や青ざめるか憤怒に満ちるかのどちらかだった。
「何が起きた!」
「ワシが競り落としたんだぞ!? どうしてくれる!」
「こんなことになって誰が責任を取るんだ!」

 怒号。
 悲鳴。
 痛罵。

 激情の矛先は出し抜かれた運営へ向かい、面子を傷つけられた者らの殺意を増幅させる。
 黒社会は恐怖と名誉の世界だ。ナメられた奴は何もかもを失う。強さで何もかもが手に入る社会にも限界はあるのだ。見くびられてしまえばそこで終わり。力づくで取り戻すチャンスすら手に入るかどうか。
「奴らを追え! 最悪品はどうなっても構わん――我々に楯突いた連中を生かしておくな!!」
 連合の席に座る誰かが叫んだ。
 それはまもなく糾合組織を満たすシュプレヒコールとなり、かくして巨大なる殺意がEDENを追った。

 もっともそれは全て想定の上だ。
 現実としてEDENは見事に敵を出し抜き、収蔵されていた品のうち奪還すべきものは全て奪い取った。
 最初に告げられていた通り、数が膨大である。一個や二個の話ではなく、小脇に抱えられる程度のものもあれば慎重な持ち運びが必要な繊細な美術品も少なくない。
 必然的に集団での団体行動ではなく、各々が別々のルートを使い中低層へ移動することとなる。
 待っているのは積層都市特有の|立体移動《パルクール》だ。
 長年メンテナンスされず罅割れた裂け目を駆け下り、違法入居者が群れをなす崩れかけたマンションを蹴り渡り、斜めに折れ渡った電柱を滑り降りる。
 √EDENの都市で行われるパフォーマンスとは何もかもが違う。中にはマフィアの打ち出した指名手配金につられ、あるいは成り上がりを目論見立ちはだかるお邪魔者も居るだろう。
「多少の人違いはあっても構わん。必ず殺せとの命令だ」
 上層から放たれる追手もまた無数。軍隊用錫杖と仙術通信、そしてEMP仙術爆弾で武装した『軍事僧兵』の大部隊がジェットパックを背負って追ってくる。
 
 急げ。
 備えろ。
 敵は大量。
 難所も大量。
 命がけの鬼ごっこの始まりだ。
花喰・小鳥
終夜・夕陽

「……残念だな」

 網の目じみた路地をしめやかに駆ける最中、|終夜《よもすがら》・|夕陽《ゆうひ》の呟きは速度に攫われ積層都市の路地裏へ消えていくものかと思われた。
 だが隣に並ぶ|花喰《はなくい》・|小鳥《ことり》の片目は、それを聞き逃すことなく穏やかに見つめていた。

「奪われた品のことですか?」

 そして呟いた意味も彼女にはおおよそ分かっていた。
 確認の意を籠めた問いかけには、こくんと素直な頷き。夕陽らしいと女は微笑む。
「これほどまでに執拗に追ってくるなら、それだけ執着があったってことだよね。
 ならもしかすると、中には大事に助かってくれる人もいたんじゃないか――そう思ったんだけど」
「残念ですが、彼らが血眼になって追っているのは収集欲からではありません」

 二人は平然と会話しているが、迷宮のような立体構造を駆ける速度は些かも落ちていない。
 当然、脱出までの過程での負傷はなし。地元住民でも迷いそうな路地をすいすいと走り抜ける。

「じゃあどうして?」
「面目――面子と言ってもいいですね」

 小鳥は瞑想的に呟いた。
「|彼ら《アウトロー》にとって、対外的な風評、威信は命よりも大切なものなんです。
 不要な軋轢を躱し、直接的な暴力なしに恫喝によってコトをスムーズに運ぶ大事な商売道具ですから」
「……こんな素晴らしい美術品は粗雑に扱うのに?」
「ええ。だからああして徒党を組んで、外に対して敵愾心を燃やすんですよ」
「ふうん……」
 夕陽にはまだ飲み込みきれない。彼はまだ現代的な都市の裏に蠢く黒社会のなんたるかを知るには若すぎるし、過ごした環境も真逆なのだ。

「ところで夕陽、これを」
 小鳥は走りながら小さな物体を放り投げた。
「耳栓?」
「必要になります。着けておいてください」
 謎めいた断言。夕陽は疑わず即座に装着した――まさにその次の瞬間だった。

 耳を劈くような叫び声が爆発。
 路地から飛び出した二人へ降り注ごうとしていた仙力の飛礫は、途端に軌道を狂わされた。
「がっ!?」
 待ち伏せしていたのは、移動ルートを先読みして回り込んでいた『軍事僧兵』である。
 疑心暗鬼を植え付けられるだけならまだマシだ。今しがた悲鳴を上げた僧兵は"悪い"方――動きを読むためサイバーイヤーの可聴域を限界まで拡大していたために、|幻惑草《マンドレイク》の叫声で鼓膜を破壊されたらしい。
 力を失い落ち行く姿に目もくれず、叫び声を耳栓で無効化した夕陽が小鳥に先んじて飛び出した。

「止めろ!」

 錫杖が十重二十重と突き出される。
 しかしそこに彼はいない――猫めいたしなやかな跳躍で一瞬早く頭上へ。
 軍事僧兵のサイバーアイが軌跡を追う。

 それが奴らの誤算であり失敗だった。
 直後、足元で再びの爆発。今度は幻惑の叫声ではなく、跳躍と同時に夕陽が仕掛けた護符の霊的炸裂だった。
 こじんまりとした中層の家屋を飛び石めいて渡りながら、夕陽は護符を扇状に投げる。軍事僧兵もさるもの、自らに飛来したものは錫杖で撃ち落とすかジャミング系のサイバーパーツで焼き切る。
 しかし本命はそもそもが外れた|と思わせた《・・・・・》ものだ。壁、床、あるいは天井に命中した国は光り輝き、霊的な炸裂によって敵を撹乱するのである。

 噴煙をくぐり抜けるように小鳥の長身が追従した。
「やはり荒事にも慣れていますね。もしもの時には庇うつもりでしたが」
 苦笑めいた感嘆の声。二人は互いの移動を攻撃と同時にサポートしあい、軍事僧兵を煙に巻く。
「くそ、何者だ奴らは……!」
 疑心暗鬼にかられ同士討ちする者、
 聴覚を破壊され飛行状態から狂い飛ぶようぶ壁に激突する者、
 あるいは単に攻撃によって撃退される者。

 彼らはただ、颯爽と駆け抜けてゆく2つの背中を見送るほかなかった。
「今回の仕事は大失敗だ」
 一人の兵士が呻いた。気絶した者も言葉なく憔悴した者も、胸の内に抱く感情は同じだった。

瀬条・兎比良

 サイドバッグを抱え走る|瀬条《せじょう》・|兎比良《とびら》の影が、投げかけられるネオンと全く別に動いた。
 さらに影は9つに分かれる。立体化した10cmほどの使い魔――ロストチャイルドの影はふわりと跳ねるように浮かび上がる。まるで風船のようでいて、しかし物理法則を無視したスピード。

 右方向へ曲がった影から警告の声が飛ぶ。軍事僧兵の待ち伏せか。
 兎比良は左腕を突き出した。手首からワイヤーが発射され、それを左方向の背の低いビル上へ駆け上がった影がキャッチする。
「流石に土地勘では勝ち目がありませんね」
 引っ張る力とアスファルトを蹴った勢いが兎比良を空へ。巻き上げ機構で影のもとへ着地、そのまま飛び石のように前へと加速を緩めない。

 飛翔する兎比良の直ぐ側を投げ放たれた錫杖が掠めた。
「居たぞ! 囲め!」
 見咎めた僧兵の叫びが届く。兎比良のスピードにやや遅れる形で、ビルや看板を飛び進むいくつかの人影が視界の端をちらついた。

(「多いな」)

 数は4――いや5か。
 |割れ物《・・・》を抱えた状態で戦うのは不利だ。倒すまでの間に新手に追いつかれる可能性も高い。
 袖口から滑り降りた略式允許拳銃をキャッチ。進行方向へ向け二度引き金を引く。

「ぐっ!?」
「しま……ジェットパックが!」

 どちらも|命中《ヒット》。残りの四発は後方への牽制にばらまく。
 全員を倒す必要はない。今重要なのは速やかに敵の包囲を振り切り下層へ潜り込むことだ。
 あちらは数が多く、地形を知り尽くしている。逆に言えばアドバンテージはそれだけで、個の戦力は当然兎比良が上。
 おそらくはなんらかの縄張り争いか、一定のエリアに飛び込むと明らかに僧兵の勢いが落ちる。雇われ者の身で好き放題するわけにはいかないらしい。

「どの√もどの業界も、悩みは変わらないものですね」

 兎比良は表情一つ変えずに呟いた。警察機構はまさにその典型例だ。
 だが今はただ有り難い。もっとも縄張りを侵されたマフィアがじきに立ち塞がるだろう。あるいは癒着した軍警か。
 再び影を先行させ、立体地形を分析しながら備える。右眼が流れ行くネオンを浴びてグラデーションのような色に瞬いた。 

詩花・秋山・ホワイトテイラー

 華やかなⅥ層にけたたましいエンジン音が轟いた。
 事態を何も知らぬ上流階級は、鋼鉄の魔物の咆哮に慄きあるいは柳眉を顰める。
 マフラーからたなびく白煙を後に引いて、流麗なフォルムのバイクが空へ飛び出した。
 舗装されたアスファルトをガリガリと削りながらカーヴ、一気に最高速へと到達して疾走する。

「あんなマシンどこに設置されていた?」
「周辺警備は徹底していたはずだ!」

 いくらジェットパックを装備していても、最高級のカスタムが施された軍用バイクに追いつける僧兵は殆どいない。
 こういった事態を防ぐためにホテル周辺の駐車場やガレージは点検されていたはず。何故? 疑問に思うのも当然だ。
 そもそもこのマシンは、|詩花《シーフゥア》・|秋山《あきやま》・ホワイトテイラー が√能力で召喚したものなのだから、どれだけセキュリティの目を厳しくしたところで見つかるはずがない。

「とはいえ、それだけで突破は難しいでしょうね」
 立ち塞がる簡易検問を見据えながら呟く。
 スピードで強行突破するのは簡単だ。しかしおそらくそれを前提にEMPトラップが仕掛けられている。
 いくらコスト度外視のカスタムマシンとて、駆動部を破壊されればただのスクラップだ。
 猛スピードで相対距離が縮まる。軍事僧兵は検問とその上の二部隊に分かれていた。ウィリージャンプでの跳躍突破も予想済みか。
 にも関わらず、詩花はスロットルを最大まで開く。
 鋼鉄の軍馬は力強く嘶き、火花を散らすほどのスピードで猛突進した!

「捕らえろ!」
 錫杖による同時攻撃が完璧なタイミングで繰り出された。
 マシンを囮に横へ飛び出すのも想定した同時攻撃。詩花は完全に射止められた――否。
「え?」
 乗り手のいないマシンを四方八方から串刺しにした僧兵は、間の抜けた声を漏らした。

 一つ隣の通りで盛大な爆炎が咲き誇る。
「あら、たまやー……にはまだ早いかしら」
 直前の空間転移でまんまと逃げおおせた詩花は、フルフェイスヘルメットのシールドを降ろしトランクを背負い直す。
 浮足立つ敵の隙を突き監視網を掻い潜ると、摩天楼を足場代わりにⅤ層へと飛び降りていった。

巫・黒星

「おい、そっちはどうだ?」
「いやダメだな。情報は正しいんだろうな?」
 路地裏に駆け込んだ軍事僧兵たちが会話していた。
「間違いない。何処かのマフィアの幹部らしい老婆だ。顔写真も出回っている」
 片割れが運営から提供された、収蔵品強奪犯の画像を見せる。
 ただならぬ達人めいた雰囲気を感じさせる、峻烈な顔つきの女性だ。
「こんな目立つババァならすぐに見つかりそうなもんだが……」
「あるいは戦闘に入ってもおかしくない。妙だな」
 忽然と姿を消した謎の老婆。はたして……その時である。

 軍事僧兵はとことこを通りがかった子供を見咎めた。
「おいそこのガキ!」
「ワタシのことなの?」
 大きな風呂敷を背負った少女が振り返る。
 何故か体に不釣り合いな禍々しい仮面を被っており雰囲気が妙だ。
「こんなところで何をしてる? その荷物はなんだ?」
「これ、おばあちゃんのおねがいでおとどけものなの」
 少女は風呂敷をよいしょと抱え直した。
「とってもおたかいものがはいってるそうなの。だいじなものなのよ」
「おばあちゃんだと? まさか……」
「そっか~、お使いできていい子だね~」
 もう片方の僧兵がデレデレした顔で割り込んだ。
「何してる?」
「うるさいないたいけな子供だぞ。おじさん達が邪魔してごめんね~行っていいよ~」
「ありがとうございますなの」
 少女はぺこりとお辞儀して歩き去っていく。
「あのババァの関係者だったらどうする!」
「あんなふくふくした子供が悪党なわけないだろうが!」
「なんだお前!?」
 言い争う声を背中に浴びながら、少女は何食わぬ顔で通りに出る。

「……なんだかべつのみのきけんをかんじたの」
 少女――もとい写体形成術で見事に老婆から幼女へ変身した|巫《ウー》・|黒星《ヘイシン》は、やけに馴れ馴れしい僧兵の態度に嫌悪を抱いた。
 とにかく奴のおかげで逃げおおせたのは事実だ。このままさっさと脱出してしまおう。

 すると、最初に声掛けしてきた僧兵が走ってきた。
「やっぱりその子供おかしいぞ!」
「だからそんなわけないだろ! やめろって!」
 例の気味の悪い僧兵が食い下がっている。何が彼をそこまでさせるのか(答え:性癖)。
「誰か捕まえろ! あのババァの関係者かもしれん!」
「みつかっちゃったのね」
 黒星は見た目にそぐわぬ軽やかさ――軽気功だ――で鳥のように飛翔した。
「功夫を使ったぞ!?」
 いくら仙術通信で連携していても、6歳の子供が仙術を使ったら驚くのが当然だ。
 身体の一部をサイバー化した軍用犬が猛追する。黒星は荷物の重みを利用して、空中でくるりと一回転した。
「ハァハァうるさいワンちゃんはメッなの!」
「キャイン!?」
 鼻っ面を蹴って怯ませ、その反動で加速。
 下層と上層をぶち抜く螺旋型の列車の背に飛び乗り、慌てふためく僧兵を尻目に一息ついた。

 風呂敷を解くと、白菜を思わせる最高級の翠玉が現れた。
「ふー。こわれてなくてなによりなの」
 ところで見た目はともかく喋り方まで幼女化しているのは√能力のデフォなのだろうか。

クウェイラ・ドラハルツェン

 突然、壁に無数の光の線が走った。
 単なる斬撃ではない。その証拠にガラガラと崩れた瓦礫の断面は完全に均一で、おそらく持ち上げて元通りに積み上げればレンガのようにぴったりと噛み合うはずだ。
 もしかすると接着する必要すらないかもしれない。どんな達人でも、どんな名刀でも、ここまで見事な切れ味は再現できない。

 瓦礫の一つを蹴りこんだウェイラ・ドラハルツェンは、文字通り矢のごとき速度で駆けた。
「客が品物を強奪したぞ!」
 背後からの声。あまりにも遅い。ウェイラは客に扮してそこかしこに"切れ目"を入れ、また警備の動きも観察している。
 そもそも構造が立ちはだかったところで、見て切ればいいだけだ。まさしく道を「切り拓いて」進む。ウェイラだからこそ出来る大胆かつ凄まじい脱出方法だった。

(「くそっ、なんだこいつは……こうなったら不意打ちしてやる」)
 一人の軍事僧兵が息を潜め、ウェイラの進む廊下の影で身構えた。
 近づいてきた瞬間EMP装備を展開、サイバーパーツのあるなしにせよ虚を突くことは出来るはず。そこへ錫杖で心臓を一突きというわけだ。

「不意を打った心算か?」

 まだろくに近づいていないはずなのに、心を見透かしたような言葉が僧兵を戦慄させた。
 何故だ? サイバー化した心音もギリギリまで抑えている。高性能センサーでも検知できないように対電子防御されたはずの装備が……!

「あいにく我は地獄耳だ。抑えたところで心音も呼吸音も聞こえている。」

 読心術めいて混乱する思考を言い当てながら、ウェイラがツカツカと歩く。
「そして直接頭の中を覗けなくとも、そこまで情報を垂れ流せば汝の考えていることは手に取るようにわかるものだ」
「う、うおおおおッ!」
 僧兵は雄叫びを上げ、死にものぐるいの攻撃を仕掛けた!

 そして、錫杖は届くことなく、僧兵ともともばしゃりと血溜まりと化した。
「な!? 妖魔か!?」
 遅れて背後から追ってきた僧兵たちが、信じがたい光景に狼狽える。
「砂糖菓子に集る蟻の如く、次から次へと集まってくれて感謝するほかないな」
 血は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、ウェイラの足元へと吸い込まれていった。
「|雑味《ジャンク》も此れでなかなか癖になる――小腹ぐらいは満たしてくれるのだろう?」
 追手であるはずの僧兵たちは恐怖に引きつった悲鳴を上げた。

 もっともそれは長続きしなかった。聞こえたのは血の飛沫が散る音だけ。
 悠々と外へ飛び出したウェイラは、何食わぬ顔で通りを駆け抜けた。

不破・鏡子

 ヤケクソなくらいに活気に溢れた通りに、銃声と爆音が響き渡る。
 上層でのマフィアの衝突は珍しい。巨大化した組織はその巨大さゆえにフットワークが鈍くなり、一度の争いが破滅的な大惨事に発展するため暗闘に終始しがちだからだ。
 仮に諍いが起きても大抵は、裏路地で構成員が繰り広げる個人レベルになるのが殆ど。

 その不文律がEDENの強行で破られた。
「あっちも必死ね。まあ顔に泥を塗られたようなものなら当然か」
 物陰で変身を終えた|不破《ふわ》・|鏡子《きょうこ》は、マスクの下で呟いた。
 抱えた美術品の重みは青色のスピード強化形態なら何も不都合がない。むしろエネルギーバリアで体表と装備品が薄く包みこまれるので、下手な防弾バッグに放り込むより安全だ。
 積層都市特有の密集したビルを駆ける。姿勢を低く保ち、上ではなく前へと跳ぶイメージだ。
 銀色の髪を長くたなびかせ縫うように走る姿は、水銀の獣のようにも思えた。

「来たぞ! 絶対に通すな!」
 行く手から声。軍事僧兵が展開した簡易式のバリケードが見える。
 設置されたフェンスには鉄条網がかけられ、隣のビルのネオン看板が高圧電流でショートを起こしバチバチと明滅していた。当然触れればその電流を自分で浴びることとなる。

(「足を止めたら奴らの思うツボ。最速で行くしかない」)

 鏡子はむしろ加速した。
 読み通り背後ギリギリに錫杖が斜めに突き刺さる。減速していればあれに貫かれていたわけだ。
「盗人め、生きて帰れると思うなよ!」
 重装備僧兵が立ちはだかる。錫杖の先端部がスタンガンのように放電した。

「下の連中から盗んだもので商売しておいて、よく言えるわね!」

 鏡子はさらに地面を蹴って加速、スライディングして足元を通り抜ける。
 そして立ち上がると同時に僧兵の背中を力強く蹴り、吹き飛ばしつつ足場代わりにした。
「ぐあッ!?」
 走り幅跳び選手のようにしなやかな身体を捻り、宙返りの要領で障害物を突破。
「これでも喰らえ!」
 待機していた別の僧兵がEMP爆弾を投擲――バック転へ繋ぎこれを蹴り返す!
「バカな!?」
 KBAM! 爆発とともに仙術機械を誤作動させる金属片がキラキラと舞い散る。
「ごめんなさいね。足癖はよくないの」
 鏡子はひらりと手を振り、後は構わず再び疾走。
 風のような鮮やかな逃走ぶりには、都市を知り尽くしたはずの僧兵も舌を巻かざるを得なかった。

羽宮・日和

 オークション会場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
 それも当然だ。収蔵品のかなりの数が厳重な警備――むしろそれが仇となって無数のセキュリティホールを抱えていたのだが――をくぐり抜けて盗まれたのである。

 しかも|目的が分からない《・・・・・・・・》。

 敵対組織の裏工作だとか怖いもの知らずの盗人集団というなら、まだ分かる。
 それだけの価値ある品が集まった大規模な催しだったのだ。
 だがその場合なら高級な品ばかりを盗んでいくはず。
 現実の盗難被害は全く統一性のない意味不明のバラバラ状態。
 収蔵品の中で最低価格に近いものもあれば、逆に最高額に等しいものもある。
 では位置的な問題か――これも違う。
 ほとんど真反対の倉庫を同時に襲撃、他の商品を差し置いて特定の物品を狙ったケースもあった。
 当然盗まれたものに共通点があるわけではない。
 まったくもって意味不明。予測できなかったのも当然であろう。

 ……これが|黒社会《マフィア》側から見た認識だ。
(「なるほど、|この世界《√仙術サイバー》ならではの誤謬というわけか」)
 責任の所在を求めるVIP客の騒ぎに紛れ密かに耳を欹てていた|羽宮《はねみや》・|日和《ひより》は、そこかしこから聞こえる怒号や囁き話から以上の見解をまとめた。
 もちろん先述の内容は見当違いにも程がある。EDENが盗み出したのは中下層から盗まれ(あるいは奪われ)た不当な品ばかり。
 実は手違いで間違っていたとかそんなふざけた話ではない。

 つまりこれは、武強主義という異質な思想が齎したあまりにも大きな隔絶だった。
 上へ昇ってこれない弱者にあえて手を差し伸べる物好きなど、この世界には滅多にいない。
 しかもそれが集団で、危険を犯して黒社会から盗みをやらかす。正気の沙汰ではない。
 無論アウトローゆえの倫理観の欠如はある――それを差し引いても、ここは完全な異世界なのだ。

「ふん。私の大事な|モノ《ヒト》も返してもらうからな!」

 日和は鼻を鳴らし、ズンズンと力強い足取りで倉庫の一区画へ。
「ちょ、ここは立ち入り禁止で――」
「いいや私は関係者だ! どいていろ!」
 下っ端らしきマフィアを押し退け雑多な没収品を改める。
 隅っこに邪魔くさそうに立てかけてあった棺桶を撫で、ようやくほっとした笑みを浮かべた。

「なんだ? 騒ぎか?」
 外からぞろぞろと足音が聞こえてくる。
「おっと、見つかると困るな。キミ、上手く言い訳を考えておいてくれ!」
「えっ」
「それじゃあ私はこれで! さて抜け道はと……」
 日和は新たに聞こえる"声"に聞き耳を立て、裏口からそそくさといなくなる。
 この後下っ端がろくな目に遭わなかったのは言うまでもない。

 外に出るとⅥ層にもあちこちからがなり立てるような怒声が聞こえてきた。
「みんな派手にやってるな~、祭りみたいでいいじゃないか!」
 とは言うものの、日和自身はこっそりと監視の隙を突いて"声"が導く先へ。
 バサバサと何処からともなく舞い降りてきた偵察梟を使ってエアバイクを呼び出すと、殴り棺桶と収蔵品入りの包をサイドカーにどさりと乗せた。
「あっちだ! 妙な女がコソコソ出ていきやがった!」
「む。思ったより速いな、捕まるわけにはいかないぞ!」
 追ってくる軍事僧兵に向け笑顔で手を振ると、フルスロットルで飛び出した。

夢野・きらら

「お父さん、ほら急いで!」
 父親……もとい愛機「マスコバイトⅡ」にしがみついた夢野・きららは、その鋼の腕に抱かれながら本当の娘のようにどやした。
 背中と脚部背面のバーニアが火を吹く。逆向きに開く花弁を思わせるソリッドなシルエットが空中に稲妻のような立体的ジグザグ軌道を描いて飛翔する姿は、まるで地上に降りた戦天使のようでもあった。

「いたぞ! 例の完全機械化人だ!」
 軍事僧兵の叫びがきららの耳に届く。
「あれ、まだバレてないの? うーん、なるほど恐れられるだけはあるんだね、この世界の|完全機械化《フルボーグ》って」
 脳だけを残した仙術サイボーグと友人操縦型パワードスーツに、外見的な違いはあまりない。
 しかも今はマスコバイトⅡのコクピットにかなりの量の|荷物《・・》を詰め込んでいるせいで、重量の問題でやや動きが鈍く余計に生々しく見えるのだろう。
「まあでも戦果ではあるね。似たようなシチュエーションなら意外と使い回せるかも」
「EMP爆弾を使うぞ!」
「おおっと」
 ギュ、ギュ、ギュッ! 多段加速で仙術爆弾範囲外へ緊急離脱。
 しがみついたままのきららは強烈な風圧とGに晒され、流石に顔を顰めた。

 追跡劇はそのままⅣ層へと移る。
 華やかな上層の雰囲気は既に遠い過去だ。たとえるなら日本の下街、あるいは極端な速度で開発が続く埋立地を思わせる落ち着かなさがある。
「|哎呀《アイヤー》!?」
 配達か何かをしていたらしい小太りの中年男性が、上から落下してきたマスコバイトときららに驚いて自転車から転げ落ちた。

「これは失礼。今は急いでるから、お金とかは後ろからくる人たちにもらってね!」

 きららは髪をなびかせ去っていく。男性がぽかんとしていると、軍事僧兵たちが同じルートを追ってぞろぞろと落下してきた。
「っていうか本当に言うんだなあアイヤーって。異国情緒だね」
 後ろのほうから聞こえてくる悲鳴にしみじみ呟く。

 ――のもつかの間、目の前に巨大看板!
「っと、いつまでも娘気分ではいられないか!」
 きららはコクピットを開放、荷物の一部を強引に押し退けなんとか滑り込む。
「多分壊れてない、ヨシ! 行くよマスコバイト!」
 エネルギーバリアがボディを包み込む。看板に向かって逆に加速!
 速度と障壁で壁をぶち抜き、軍事僧兵の大半を振り払った。
「無茶苦茶な真似を! だがそこまでだ!」
 小隊リーダークラスと思しき明らかに手練の僧兵が先回りしていた。
「困るんだよなぁ繊細な荷物抱えてるってのに!」
 ガラガラと崩れ落ちてきそうなその「荷物」を手と足でもう一度押しやると、真紅の決戦モードを発動した。
「ほらほら、どいてどいて!」
「ぐあああッ!?」
 生身の部分を残した中途半端なサイボーグにマスコバイトⅡは止められない。
 むしろ弾き飛ばしたその身体を飛び石代わりに踏みつけ、きららはさらにⅢ層へ飛び込む!

方・敬天

 |方《フォン》・|敬天《キンティン》の過去の記憶は曖昧だ。
 自我を持たない頃から|物品《にくたい》に刻まれた年月が、時折川底から舞う砂のようにおぼろげに蘇ることがある。
 あるいははっきりと想起を意識すら出来ないことも――たとえば今がそうだ。

(「もしかしたら、俺のかつての所有者に鏢師がいたんだろうか」)

 なるほど都市を飛び渡り滑るように駆け下りていく姿は鏢師さながらだ。
 妙な軽業の心得は他人の経験を借り受けているようなよそよそよしさを感じなくもない。

 だが敬天は誇らしげに都市を走る。
 ここまで染み付いた技は、きっとかつての持ち主が愛情を籠めて使ってくれた証だろうから。

 もっとも思い出に浸りながら逃げることなど、無慈悲な軍事僧兵は許してくれない。
「失礼。ここからは少し揺れますよ」
 荷物をパンパンになるまで詰め込んだ包みに、まるで貴婦人を抱き上げるかの如く囁く。
 人も物も敬天には大して違いはない。なによりこれら芸術品には、貧しい人々が長く親しんできた記憶や、あるいは我が子のように想いを籠めて作り上げたことが触れただけでわかる。
「待て! 薄汚い盗人がァ!」
 背中に浴びせられる罵声もなんら心が傷まない。
「盗人はどちらなんだか……まあ、あちらも雇われ者でしょうが」
 涼やかに受け流し、加速。ごうごうと風が唸り、徐々に下層らしい饐えた空気が彼を出迎えた。

「逃すか!」
 横から飛び出した軍事僧兵が戦闘用錫杖で直接攻撃を繰り出す。
「はッ!」
 裂帛の気合とともに軽気功から硬気功へ。
 肉体を鋼のように硬化させ、包みを自らの身体で庇うように攻撃を弾いた。
「な!?」
「ご安心を、俺が守ります。ですが少し遅れるのはご了承ください!」
 言ったのは軍事僧兵にではなく、もちろん|荷物《ごふじん》にだ。
 錫杖を受け流しながらの回し蹴りが側頭部を叩いた!
「ぐはッ!」
 倒れた敵を振り返ることなく、敬天はただ下を目指して颯爽と飛び出していく。

フォー・フルード

 |美術品《にもつ》入りのZIG ZAG BOXを苦も無く抱えたフォー・フルードは、整備不良により倒壊した電柱をサーフィンよろしく滑り落ちる。
 中層といっても蓋を開ければこんなものだ。富と権力が上へ集中するのはどんな世界でも社会でも変わらない。今はその荒廃のおかげで難なく逃げられるのだが。

 フォーの視界にはいくつものデータが表示される。
 BOX内の美術品の状態、温度、傾斜角度など荷物の安全を数値化したデータ。
 さらに彼の前方や横を羽ばたくように並んで飛ぶIASからの、背後や死角の視覚情報。
 ベルセルクマシンであるフォーは、全く異なる角度の撮影情報を並行処理出来る。
 これならば後ろを追跡する軍事僧兵――言っている間に早速新手だ――や障害物に隠れた伏兵にもすぐに対処可能だ。

 まさに今現れた小隊規模の敵にカメラがフォーカスする。
 サーモグラフィー、X線、赤外線など様々な撮影方法により敵の装備を解析。仙術機械による機械化規模、想定される身体能力、果ては携行武装をもある程度は割り出せる。√ウォーゾーンの技術力だ。

(「ジェットパック。そして爆発物――美術品もろともで構わない、と」)

 特に驚きはない。
 |黒社会《アウトロー》はその名の通り法の軛を外れた存在だ。
 奇妙なことに、法律を無視し法律の庇護を拒絶した彼らは、それゆえに法を求める。無法の法である。
 組織内の厳格な掟。裏切りや権力欲に基づく簒奪を防ぐための、苛烈で単純明快な暴力による応報。
 社会的生活を営むなら決まりは必要だ。上にとって都合の良い組織運営のためにも。
 だが敵対組織といちいち武力的に衝突するわけにもいかない。それでは早晩共倒れである。
 それを防ぐための概念。抑止力による消極的均衡めいた、暴力と恐怖による平和。記憶領域の言語野から最適な言葉をピックアップする。
(「面子、と言い表すのでしたか」)
 面子のためならばマフィアはなんでもやる。奪われたものを破壊するという矛盾すら。

「見つけたぞ!」
「EMP爆弾を使え! 完全機械化人ならそれで一網打尽だ!」

 ノイズ混じりの仙術通信がフォーの思考回路にリアルタイムに垂れ流される。
 電柱が途切れ、折れ曲がった先端部を利用しジャンプ台めいて飛び出す。あちらからすればそこへ爆弾を投擲するのがセオリー。
「撃て――!」
 号令が下る。敵の判断は正しい。フォーの弱点は機械であることだ。仙術文明がどれほどのテクノロジー水準かはわからないが、完全に異なる動作系だとすれば対電子防御が一切役に立たない可能性もある。

 |だから彼は先に自分を撃った《・・・・・・・・・・・・・》。
「|射出《FIR》」
 続けざまのに予測演算射撃機構を|起動《アクティベート》。崩落していつ瓦礫に還るかもわからないビルの壁に撃ち込み、最適なルートを算出。もう一方の腕からフックショットを別方向へ射出。
 どこから電源が供給されているのか、見るものもいないにもかかわらず明滅をやめない派手派手しい漢字ネオン看板へ打ち込み、自らを巻き上げ機構で引き寄せる。

 ――KBAM!!

 背後で爆発、EMP効果が球状に展開。
 放射された衝撃波でカメラがノイズがかる。だが誤差の範囲内だ。フォーは安全圏へギリギリ離脱している。
「避けただと!?」
「こちらの動きを未来予知でもしているのか!?」
 狼狽える声がノイズ混じりに徐々に蘇る。混線する通信が再び精度を高めているのだ。フォーは言葉に出さず冷静に否定する。√能力であれば未来予測は不可能ではない。だがこれは違う。
 周辺情報、追跡者のデータ、そして強化されたフォーの性能――世界とは畢竟あらゆる概念を数値で表すことが出来、相応しい数値があればあとは式に当てはめ解くだけでよい。
 予測演算された下層構造情報がワイヤフレーム上の立体図となってカメラ映像に投影される。
 積み重なった建築物で見えない向こうの形状や隆起すらも、全て予測している。あとはそこから最適なルートを割り出して辿ればよい。
「技術ツリーが異なるとはいえ、自分は兵器です。このような追撃戦で遅れを取るわけにはいきません」
 冷徹なるベルセルクマシンにも、狂気の科学から産み落とされた者なりの面子があった。

第3章 ボス戦 『柴郡猫娘』


 積層都市Ⅱ層。
 軍事僧兵の追跡を振り切ったEDENらの前に、一人の女が立ちはだかる。
「まいったにゃん、こんな薄汚くて息苦しい|下層《とこ》まで駆り出されるとか……」
 ふざけた口調でおどけた振る舞いを見せる女の名は、『柴郡猫娘』。
 マフィア側が駆り出した最高戦力であり、凄腕の暗殺者だ。

 だがこのインビジブルが枯渇した下層にあって、その力は大きく制限される。
「こんなとこ居たら息が詰まるにゃん、さっさと|美術品《もちもの》返したら楽に殺してやるにゃんよ?」
 傲慢な言葉は自惚れか、あるいは状況を把握できていないのか。
 いずれにせよ正面切って姿を現した時点で、アドバンテージは大きく損なわれている。
 本来のファイトスタイルから考えれば、宣告などせずに襲いかかるのが上策のはずだからだ。
 最後の障害を突破し、危険な配達任務を速やかに終えるとしよう。
花喰・小鳥
終夜・夕陽

 ジジ……と音を立て、オレンジがかった灯火が先端で燻る。
 たっぷり時間を置いて煙を吸い込んだ|花喰《はなくい》・|小鳥《ことり》は、ふう、と溜息混じりに長く吐き出した。
「おとなしく帰ってくれたら手間が省けるのですが、そうもいきませんか?」
「手間をかけさせられてるのはこっちにゃん。何様のつもりだにゃん?」
「荷物のことなら安心して。ボクが責任を持って持ち主に送り返すよ」
 すかさず|終夜《よもすがら》・|夕陽《ゆうひ》が口を挟んだ。『柴郡猫娘』は肩を竦める。
「話にならないにゃん。せっかく優しく殺してやろうと思ったのににゃ」
 微笑が変わる――針のように細く鋭い殺意が、二人に向けて全方位から突き刺さった。

 ぽとりと灰が落ちる音とともに戦は始まった。
 BLAMBLAMBLAM! 小鳥の抜き撃ちで灰が吹き飛ぶ。リロードも惜しみ彼女は横へ跳んでいた。夕陽の背後に滑り込む。

「にゃんっ!」

 うなじを狙い繰り出された爪を銃身で受け――きれない。ギン、と甲高い金属音と出血は同時。瞬時に空間転移した暗殺者は、小鳥の二の腕を削いだ手応えに顔を顰める。
 夕陽の首を落とすはずがこれでは不十分だ。そして当人が振り返る。符術による攻撃を行うことは軍事僧兵からのリークで分かっている。柴郡猫娘は素早く飛び退った。

 しかし符は彼女ではなく、周囲に放たれた。
「君たちも、ここで埋もれていくだけなんて嫌だよね?」
 言葉が霊力を引き出す。符が貼られたいくつものガラクタが亡者のような不気味な動きで立ち上がった。まるで鋼鉄製のキョンシーだ。
「|力《インビジブル》ならボクがあげる。そして巫女として、ことが終わったあとには安らかな眠りに就けることを約束しよう」
 天に見放された鋼の亡者たちが一斉に動いた。一方、暗殺者が味方につけるべきインビジブルは枯渇している。なにせここは強者が近寄らぬ最下層なのだ!
「だからこんなところには来たくなかったにゃん!」
 ざん、ざんと恐るべき鋭利な爪が亡者の首を刎ねる。たなびく尾から爆弾が零れ落ち――KBAM! 炎が爆ぜた。

「今度はこちらの番です」
「にゃんっ!?」
 暗殺者が死角から不意打ちされるという屈辱!
 小鳥の一撃が脇腹にめり込む。完全機械化された肉体は臓器へのダメージを無視できるが、問題は回避を妨害されたことだ。

「ついでです。あなたも帰すべき場所へ還しましょうか!」
「ナメんじゃねえにゃん!!」

 二つの影が思うがままに走らせた絵筆のように、ひと繋がりの色となって跳ね回った。
 時に稲妻のように、時にはDNAのような螺旋を描く煙と灯火。舞踏と呼ぶにはあまりにも恐ろしく、しかし闘争と断ずるには美しい流麗な死の炸裂。
 BLAM! 至近距離の発砲はフェイントも兼ねている。射線を逸らした暗殺者は小鳥の胸部を串刺しにしようとするが……そこへ、爆炎を纏った鋼の亡者が|突進《チャージ》を仕掛け、華奢な身体を轢き弾いた!
「がッ!」
「紹介が遅れたね。ボクは妖。君たちで言うなら妖魔人間というやつかな?」
 夕陽が悠然と告げる。
「そしてボクの力は|火車《これ》だ――息苦しいんだろう? ならたくさん味わうといい!」
「であれば私からも、たっぷりと餞を」
 迫りくる巨体。上からは小鳥のフルファイアで斜めに弾幕が降り注ぐ。
 十全な能力を発揮できない暗殺者では、完全に逃れる術はなかった。弾丸が鋼鉄の肢体を貫き、巨大な質量と熱が容赦なく砲弾のように吹き飛ばした!

詩花・秋山・ホワイトテイラー

 針ならぬ剣の筵とでもいうべき状況だった。
「ああもうっ! どんだけあるにゃん、このナマクラはっ!!」
 四方八方から担い手もなく襲いかかる妖刀の斬撃を、柴郡猫娘は弾きに弾いて凌ぐ。
 現出した妖刀の総数は169。しかも|詩花《シーフゥア》・|秋山《あきやま》・ホワイトテイラーは制御のためにリソースを払う必要がない。妖刀の攻撃は自動的、かつ的確だ。いわば無数の剣豪に包囲戦術を強いられるも同然である。
「いわば絨毯斬撃といったところかしら? いつまで耐えられるかしらね」
 もっとも警戒すべきは詩花だ。明らかに攻撃の合間を縫って隙を突こうとしている――暗殺者はそう考えた。当然妖刀は詩花の手にもあり、本体の攻撃がもっとも強力なのは言うまでもないのだ。
 なにより、詩花は常に暗殺者の背後に回り込もうとしている。瞬間移動する隙さえあれば逆に後ろを取って首を刎ねたいところだが、あまりにも攻撃の間隔が狭すぎてその余裕がない。せめてここが下層でなければ。

(「近づいてきてみろにゃん、相打ち覚悟でふっとばしてやるにゃん!」)
 暗殺者の尾には小型爆弾がいくつも内蔵されている。
 自らが背後を突くゆえに、逆にそうされる備えはあるというわけだ。
 積んできた場数が違う。プロフェッショナルとしての驕りではない自負だった。

 それこそが本人も見落としていた隙を生んでしまった。
「にゃっ!? あいつどこにゃん!?」
 一瞬のことだ。剣戟の嵐の中で攻撃を構えたと思った詩花が、忽然と姿を消した。
 まさか、自らと同じ転移術式を? そんな情報は僧兵からは――。

「それじゃあ、あなたに命の支払いをしてもらいましょうか」

 完全機械化で久しく忘れていた、血の気が引くという感覚が蘇る。
 正面からの声にゆっくりと――現実では一瞬のことだが――顔を向ける。

 まず銃口が対面した。
「バイバイ」
 その奥で女が微笑んだ。マズルフラッシュが世界を白く吹き飛ばし、全てを染めた!
「あああああッ!?」
 二重の布石を置いてのあえての正面からの攻撃。
 術式付与済みの弾薬をありったけ叩き込まれ、暗殺者は吹き飛ぶ。そこへ飢えたピラニアのように妖刀が突き刺さり、切り裂き、串刺しにするという無慈悲な二段構えの追い打ちだ。
「終わったらもう一度|上層《うえ》に戻って、あの金持ちどもがどんな間抜け面を晒してるかきちんと確かめておかないと」
 空になったマガジンを放り捨てながら、詩花は胸の中で「ざまあみろ」と悪態をついた。
 裏社会に名だたる権力者たちが、奇妙な破滅で次々と姿を消した――それは全てが終わってから、密かに流れた噂話の一部である。

羽宮・日和

 アンティークな佇まいのマスケット銃が、本来の時代遅れな形にそぐわぬ精度と速度で火を吹く。
 |羽宮《はねみや》・|日和《ひより》だからこそできる連射である。だが、弾丸は一発も暗殺者に触れることはない――撃たれるたびに文字通り姿を消し、日和に近いところへ出現。その繰り返しで徐々に距離を詰めてくる。
「なんなんだ! 私はまだ何もしてないぞ!? むしろ大事な|モノ《ヒト》を取られたんだから被害者だろ!!」
「強盗しといて何言ってやがるにゃん!」
 それも元はと言えばマフィアが奪ったもの……と反論したところで、もとより矛を収めてくれる相手ではない。
 消失、そして出現。日和の首筋にぞくりと寒気が走る。背後だと本能が告げた。

「背筋がぞくぞくする! 私の背後に立つなあっ!!」
「グワーッ!?」
 棺桶をノールックで振り抜いた。偶然(?)にも命中! フルスイングを浴びた暗殺者は若干間抜けなポーズで斜めに吹っ飛んだ。
「……ちょーーー!? 私の大事な|モノ《ヒト》になんつーことしてくれるんだ!?」
 が、日和はそれよりも棺桶のほうを心配していた。どこまでも自由である。

 といっても別に傷ついたわけではない。ただ暗殺者のほうが負傷していたので、その返り血がちょっぴり付着しただけのこと。
「ああ、かわいそうに……こんなに汚すなんて命知らずとしか思えんな、許すまじ!!」
「じ、自分から武器に使っといて何言ってやがるにゃんこいつ……!」
 勝手にキレた日和は、力任せに棺桶を振り回した。
 暗殺者は二度と痛打を受けないよう距離を取らざるを得ない。というか思考回路が(あちらからすると)理解不能すぎて、そもそも近づきたくないのである。
「逃げるなー!! 私から逃げるなー!! ぶん殴らせろー!!」
 鬼気迫る形相で叫ぶ。どっちが追手か分からなかった。

 日和にそのつもりがあったのかはともかく、気迫が敵の勢いを削いだのは確かだ。
 本来不意打ちと幻惑的な動きで翻弄するのが得手の暗殺者にとって、一方的に攻撃され続ける状況がまず苦しい。
「だからこっちくんにゃ……グワーッ!?」
 しかもインビジブルに乏しい環境ゆえ、瞬間移動が間に合わず棺桶がHIT!
「どうだ! 見たか!! ……ん? なんか元気だな私??」
 満足げな日和はツヤツヤしていた。こいつ無敵か?

フォー・フルード

 戦場とは常に不便で不利なものだ。
 与えられた|性能《スペック》を100%完全に活かしきったことなど、フォー・フルードが製造されてから一度とてあっただろうか。
 大抵は何処かの機能が低下しているか、装備が不調を起こしているか――もちろん十分かつ入念な整備を心がけたうえでだ――そもそも敵や環境がそうさせてくれないか。
 戦略や戦術にしてもそうだ。思い描いた理想的なムーブメントを完璧にそのまま取れたことなどほぼありえない。いつも何処かでアドリブを要求される。

「勝手ながら、シンパシーというものを感じます」
「にゃん?」
 出し抜けな言葉を暗殺者は訝しんだ。
「誰のせいだと思ってるにゃん? そんなセンチメントがあるなら奇襲の一つでもさせてもらいたかったにゃん」
「……失礼しました。自分としたことが、どうやら気分を害してしまったようですね」
 本当なら自ら姿を晒すなど屈辱なのだろう。フォーは遅れて理解する。
 殆ど全身を機械化した元人間と、完全なる機械の間には大きな隔絶が横たわっていた。

「それと、勝手に同情してるところ悪いけど――」
 きゅうと口の端が吊り上がった。獲物を弄ぶ悪辣な獣の笑み。
「別にこの状態からでもお前ら殺せるにゃんよ?」
 人間で言えば第六感、あるいは生存本能と呼ぶべき部分――予測演算射撃機能に付随するコンピュータの一部が警告を発した。
 なんらかの隠された機能? いや、違う。事前情報をもとに計算されたデータを何かが凌駕している。フォーはそれを知っている。
 経験。
 判断力。
 ベルセルクマシンの演算能力を以てすら完全には数値化出来ない、人ゆえの未知数。
「……最終フェーズへ移行、特級戦力との交戦を開始」
 フォーは躊躇なくカスタム拳銃を発砲した。予測演算射撃機能がアクティベートされる。同時に敵は消失した。

 出現予測地点は複数。確率は等価だ。
(「|牽制《フェイント》を噛ませてきましたか」)
 フォーは振り返りながら二発目を発射。舌打ちだけを残し、視界の端に映った姿が再び消失。読みには勝ったが再びディールだ。想定よりも消失と出現間隔が圧倒的に速い。
(「近接戦闘思考、|起動《アクティブ》」)
 射撃戦能力の幾分かを犠牲にインファイトに備える。もはや懐に潜り込まれるのは想定の上だ。最悪の場合、輸送物を含んだZIGZAG BOXを優先しなければならない。極論|本体《じぶん》は破壊されてもそれさえ輸送できれば作戦の目的は達成できる。

 銃撃の繰り返し。その都度敵は出現と消失を繰り返す。
 狙いは一箇所へ誘い込みフックショットを打ち込んで拘束することだ。現状の|優位《アドバンテージ》はこちらが手の内を読まれていないこと。おそらく軍事僧兵から一定の情報は伝達されているはずだが、逃走中に見せた能力が全てではない。
 BLAM! 射撃、消失――出現! 想定地点と現在座標が一致する! フォーはフックショットを射出……。
 相対距離がほぼゼロ化した。それ|自体は《・・・》狙い通りだった。

 相手に引き寄せられたという形でなければ。
「で、こうやって捕まえて、自爆でもするつもりだったにゃん?」
 声が装甲を舐った。フォーの電子頭脳が目まぐるしく過熱する。状況を把握。フックショットは命中――しなかった。殆ど皆無に等しい最小限の体捌きで回避され、逆に掴まれあちらが信じがたい牽引力でフォーを引き寄せたのだ。
 当然ながらフォーは宙へ舞い上げられたように不安定な姿勢だ。腹部にめり込んだ膝が内部へダメージを到達させ、網膜上に無数のアラートが出現する。
 何故。電子頭脳が疑問の答えを弾き出す――経験。判断力。数値化し難い不安定かつ曖昧な部分。勘と言い換えてもいい。つまりは敵が一枚上を行ったのだ。
 ヴン、と空気が歪んだ。仙術高周波振動爪が、フォーの胴体に!

 ガクンと、暗殺者の世界が揺れた。
「……が、はッ!?」
 爪は装甲の表層を削り取ったのみ。相対距離が再び離れる。電子頭脳が別の警告を発する。ZIGZAG BOX内の輸送物にダメージが発生した可能性を告げる。勢いよく相手の側頭部に外殻部分を叩きつけたのだから当然だ。運が悪ければどれか破損してもおかしくない。
「一つ学ばせていただきました。再度の勝手ながら感謝します」
 非効率極まる行動。それが勝敗を分けた。合理的ではない咄嗟の判断を何故繰り出せたのかはフォーにも分からない。
 一つ言えるのは、彼もまた無数の戦場を渡り歩いてきた熟練の戦士だということだ。
 サイドキックを腹部に叩き込み、巻き上げたフックショットを壁に向けて撃つ。皮肉にもそれは敵が回避し抱え込んだゆえに可能なことだった。
「待――」
 マーカー・ダート、|起動《アクティブ》。EMPパルスが吹き飛ぶ敵だけを飲み込む。視界が余波で若干のノイズを引き起こした。
 戦場は常に変化し不利を強いる――それを乗りこなした時、稀に100%を超える結果を齎すこともあるのだ。

夢野・きらら

「うぐ、が……ッ」
 柴郡猫娘はガクガクと痙攣していた。
 腹部に突き刺さったナイフを引き抜き、強烈なEMPによるダメージを克服しようと耐える。高性能仙術機械が誤作動でエラーを吐き出し、手足、指、瞼、口元と細かい場所がてんでバラバラに気味の悪い動きを繰り返していた。
「やって、くれやがるにゃん……! このクソども……!」
 血走った目が頭上を見る。戦いなど我関せずで素通りしようとする巨体。
「逃さねえ、にゃんッ!!」
 執念と怒りが爆発した。柴郡猫娘は殺意の疾風となり跳んだ。

「おっと、さすがに素通りとはいかないかな」
 抜け目なく逃走を優先しようとした夢野・きららは、猛烈なスピードで迫る敵性存在を受け入れた。
 これはこれで上等だ。そもそも目的は敵の殲滅ではなく対象物の輸送。そこに付け入る隙がある。ナメられていると言い換えてもいい。
 直接戦闘を回避しようとしている。そう思わせられているなら、その時点できららの策は始まっているのだから。

「逃すと思ってんのかにゃん!?」
 ギャリリ! マスコバイトⅡの白い装甲に爪痕が刻まれる。きららは精妙なコントロールでギリギリ直撃を回避した。反応が遅れていれば、今の一撃はコクピットに届いていた。
「暗殺者的には追いかけっこは得意なのかな? それとも待ち伏せのほうが慣れてるタイプ?」
「ごちゃごちゃうるせえにゃん! こっちだってこんなとこで油売ってたくないにゃんよ!」
「そう。ならほっといてくれればいいのに」
 エネルギーバリアを展開。柴郡猫娘は巻き添えを避けるために離脱する。短距離消失を繰り返し瞬くような速度で移動――きららは目を細める。

「よーい」
「あ?」
 敵は棒立ちになった。
 現実には殆ど刹那の停止。実際に立ち止まったわけではない。
 緩急をつけた移動のほんの僅かな隙。そこまでが狙い通りだと気付いたときには遅い。

「――どんッ!」
 質量がとんでもないスピードを伴い激突した!

 きららはそのまま立ちはだかる廃ビル、巨大看板、瓦礫の山を突破する。
 コクピットにまで届くほどの破砕音と振動。目的地が視認できるところまで来たところで、視界が拓けているのに気付いた。
「あれ? 途中で振り落としちゃったかな?」
 便利な"盾"はぶち破った建物か看板か瓦礫と一緒に何処かで転がり落ちたようだ。
「うーん残念。まあいい、本懐を優先しようっと」
 きららは再び加速した。
「……ふざ、けんじゃ、ねえにゃん……!!」
 粉塵の山の中から微かに漏れた呪わしげな声など、聞きとがめることさえなく。

クウェイラ・ドラハルツェン

「……随分と不服そうだな」
 自らの前へ現れた暗殺者に対し、クウェイラ・ドラハルツェンは何の感情もなく言った。
 敵は既に交戦で大きく負傷している。おそらく他のEDENから相当痛い目を見せられたのだろう。
「此はわざわざ其方と争うつもりはない。其の儘息絶えて呉れれば楽なのだが」
「冗談にしちゃ笑えないにゃんね」
 娘は文字通り吐き捨てた。
「雇われた以上、半端な仕事したら食い扶持がなくなるにゃん。こんな身体でも食わないと死ぬのが辛いにゃん」
「そうか」
 声音の色はやはりない。本気で退いてくれるとも最初から思っていなかった。

「では。此のAnkerよ。助けよ」
「は?」
 奇妙な光景だ。√能力で召喚されたのは、クウェイラを阻んでいたはずの軍事僧兵。
 しかも瀕死である。腕と足を一本ずつ喪失しているのは、密かに通信で受けていた通りクウェイラの未知の切断攻撃によるもののはず。
「行け」
「ひ、ひいい……!」
 おまけに当人も悲鳴を上げ、ボロボロの錫杖で自らを支えてこちらへ襲いかかってくる――というか、そうさせられている。
「ちょ……お前、Ankerってそういうものじゃないにゃん!?」
 敵を玩弄し翻弄するはずの暗殺者ですら、その無慈悲さには気後れした。

「た、助け、助けてください!」
 僧兵は泣き咽びながら攻撃を繰り出す。
「俺だけ生き延びたと思ったら、わけわかんない仙術でじ、自由が……!」
「こいつ……邪魔くせえにゃんッ!」
 本当に意識と肉体がバラバラなのか、あるいはそこも含めて忠実に命令に従ってこちらを邪魔しようとしているのか、敵からすれば些細な話だ。
 所詮一山いくらの雑兵である。振動爪が容赦なく首を刎ねた。

 その瞬間、僧兵の身体が|ぱん《・・》と爆ぜた。
「は――」
 まず血の炸裂。次に爆炎を伴う炸裂。
 従属吸血鬼へとさせられた僧兵は悲鳴すら遺さない。クウェイラの強制誓約は|忠実な《・・・》Ankerへと作り変える力だ。無論喪失は惜しいことだが、駆けるクウェイラの表情は最初からそう在る彫像のように変わらなかった。
「此は行くべき場所があるのだ。道を空けよ」
 そうでなければ命を獲っていた――否、取られていた。嘲りや見下しではなく淡々とした事実とともに、凄まじい苦痛が暗殺者を襲う。
「ま、待……」
 平然と去りゆく背中へ手を伸ばす。一刀のもとに斬り伏せられた身体では、届くことはない。

方・敬天
巫・黒星
不破・鏡子
瀬条・兎比良
呵々月・秋狸

 別々のルートから下層へ到達した五人のEDENは、現在思いがけぬ共闘を強いられていた。
「ここまで来たらすごすご帰るわけにもいかないにゃん、せめてお前らは殺すッ!」
 余裕あるナメた態度もかなぐり捨て、ボディのそこら中におびただしいダメージを受けた『柴郡猫娘』の猛攻である。
 窮鼠猫を噛む――いや、この場合は窮|猫《・》と云うべきか。どうやらいいようにされ続けたことでそのプライドを痛く傷つけられたらしく、個人的なモチベーションでEDENを殺すことに固執しているようだった。

「どうやら少しは腕に覚えは|あった《・・・》みたいだけど、これじゃ二流――いや、もはや三流なのね」
 怒り狂う暗殺者へ、|巫《ウー》・|黒星《ヘイシン》の容赦ない挑発が刺さる。
 空気を震わせる振動爪を無駄のない動きで躱す。鼻先を掠める爪が虚しく音を発した。
「大切なのは一に収蔵品の奪還、二は面子。ワタシたちなんて三の次なの。
 おまけにキレて引き際を誤るなんて、前にも似たような失敗をしてるの違いないの」
「うるさいにゃん! お前らが余計なことをしなきゃ、ラクな仕事だったはずにゃん!!」
 おそらく、適当にオークション会場で待機していれば甘い汁が吸えると思っていたのだろう。
 それがEDENの襲来で脆くも崩れ、インビジブルもろくにいない枯渇した下層への派遣。それどころかプライドを粉々にされるほどのダメージを負わされ、一部のEDENには捨て置かれるように輸送を優先されたのだ。
「全員ッ! バラバラにしてやるにゃああ!!」
 その怒りが一時的に√能力を強化したとでもいうのだろうか?
 柴郡猫娘の分身は本体にそぐわぬ戦闘能力を宿し、黒星へ、ひいては他の四人へ襲いかかる。

「まったく、ここまで楽してこれたと思ったらとんだ厄介者が待っていたものよ!」
 |呵々月《かかづき》・|秋狸《しゅうり》の身体を操る妖狸神は、心底面倒そうに呟きながら分身の爪を受けた。
 殴り棺桶を遮蔽物代わりに、その影から容赦ない大型拳銃による反撃。だが敵は腹部を撃ち抜かれても一切怯む様子なく、光学迷彩に隠れて不意を打とうとする。
「こちらとしては時間が惜しいのです。仕事が終わった後でならいくらでもお相手するのですが」
 だが背後へ回り込んでの強襲は、|瀬条《せじょう》・|兎比良《とびら》によって阻害された。
 チェス盤を模した空間の中、兎比良の攻撃は必ず当たる。
 そして誰かの死角は彼の射程内だ。背後を取ったと思った瞬間、さらにそれを義眼で捉えていた兎比良の精密なリボルバー射撃が撃ち抜くという寸法である。
「お高く止まってんじゃねえにゃん!!」
 しかし彼にもけしかけられた分身はいる。射撃の隙を突き、獲物を狙う猫科猛獣めいて襲いかかる爪!

「そこ! いい加減邪魔すんじゃないわよ!」
 横合いから同等以上のスピードで割り込んだ|不破《ふわ》・|鏡子《きょうこ》の蹴りが、分身をくの字に折り曲げ吹き飛ばした。
「こいつ……! スピード勝負でもする気かにゃん!?」
 本体なのか、分身なのか。いずれにせよ別の個体が目を剥いた。今となってはそれも些細なことか、とにかくプライドを刺激されるのは"効く"らしい。
「そうよ、ナメてた相手に上回られてさぞかしムカついてるでしょう? かかってきなさい!」
 黒星に挑発され、さらに鏡子に挑発されたとあっては攻撃はそちらへ向く。
「「「にゃあああ!!」」」
 四方八方から襲いかかる分身。空間跳躍を激しく繰り返しフェイントを混ぜ込みながら意識の隙を突く!

「|空間転移《それ》はもう見切っていますよ!」
「がはッ!?」
 真上からの蹴りおろしが分身を地面へ叩き伏せた。
 別の分身が咄嗟に|方《フォン》・|敬天《キンティン》へ襲いかかる。しかし首を刎ねようとした爪は、板凳の座面に突き刺さるのみ。高速震動で板はバラバラに砕け散る、が……。
「いくら高手でも隙だらけですね!」
「ぐふッ!?」
 打突が側頭部をしたたかに打ち昏倒させる。よろめいたところへ兎比良の目が光った。
「武強主義に口を挟むつもりはありません」
 BLAMN! 銃声とともに無慈悲な弾丸が脳天を貫く。
「――ですがあなたが今こうして冷静さを失い我々に固執しているのは、あなたが弱者を虐げるために武力を行使してきたからこそ。因果応報というものですね」
「べらべらとぉ! 軍警かなにかのつもりかにゃん!?」
 別の分身、あるいは本体が吠える。
「刑事ですよ。これでもね」
 兎比良はにこりともせず皮肉めかした。

 その時だ。ぞるりと湧き上がった妖魔の群れが、何体もの分身に纏わりついた。
「な!? 妖魔がこんなところに!?」
「呵々、こいつらはお前の血肉を味わいたいらしいぞ? 存分に戯れるがいい」
 妖狸神が嗤笑する。よもや異なる√の妖魔をも従えたというのか?
「雑魚妖魔ごときが……!」
 暗殺者は悶え、爪を振り回し百鬼夜行の如き魑魅魍魎を振り解こうとした。
 だが払おうと払おうと、無限のように妖魔は湧き出し続ける。

「|それ《・・》、ただの幻なのね」
 頭上を取った黒星が告げた。
「おっと! ネタ晴らしが早いぞ? もっと高みの見物をしたいところだったというのに!」
「急いでいるのは我々全員同じはずなのですが……」
 呆れたような兎比良の言葉にも、妖狸神は呵々大笑するのみ。
「え、な――」
 幻影。あまりにも精密すぎる。否、怒りで冷静さを失ったせいか?
 ならば振りほどく必要すらも――そんな判断をも、湧き上がる屈辱と怒りが焼き尽くした。

「この期に及んで、まだ頭が冷えてないのね。なら存分に灼いてあげるの」
 ――ごうッ!
「「「ああああッ!?」」」
 幻影が燃え上がる。違う、密かに仕込まれていた黒星の四象真火符が一斉に焼滅したのだ。
 地獄の現出じみた炎のなか、暗殺者は狂い悶えた。見下ろす少女の目は冷たい。
「さっさと尻尾を巻いて逃げてれば見逃してやったのに」
「……引き際を誤った、という点については同意します」
 兎比良はただ冷淡に告げた。

「は、かはッ!」
 炎の中から飛び出したのは一体だけ。つまりそれこそが本体だ。
「あなたのような強者とこのような形で決着をつけるのは、武侠としては惜しくもあります」
 敬天はしかし凛として拳を構えた。
「ですがこれは戦だ。容赦なく、終わらせます!」
「大嫌いな|最下層《ここ》で、敗北に塗れときなさい!」
 鏡子と敬天が同時に飛び蹴りを繰り出す。
 満身創痍の暗殺者に回避や防御が出来るはずもなく、口惜しさに溢れた断末魔だけを上げることしか許されない。
「そうれ、駄目押しぞ! 呵々ッ!」
 そして強者にとどめを刺され戦士として息絶えるという幻想をも、嘲笑う妖狸神が質量とともに叩き潰してしまった。

「……思わぬトラブルでしたね。早々に仕事を終わらせましょう」
 敵の沈黙を確認した兎比良が言った。
「これでしばらくは|黒社会《マフィア》も大人しくなるのね」
「それはつまらんなぁ、どうせなら副収入も稼ぎたいのだが!」
 黒星の言葉に妖狸神が云う。
「副収入って、品の横流しとかしたんじゃないでしょうね?」
「……まあ、目的のもの以外は特にどうしろとも言われてないですし……」
 鏡子と敬天はそれ以上深く立ち入らないことにした。元はと言えばマフィア相手に容赦は無用なのだ。
 そして彼らの命懸けの"配達"を受けた下層の人々からは、涙とともに深く真摯な感謝が寄せられたのであった。

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