√ワンダリング・インヘリター『貸倉庫の茜差す』
●√
『貸倉庫』と彼女は言っていた。
けれど、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は、己の目に映る『貸倉庫』がどうしても倉庫とは思えなかった。
「これは一軒家、ともいうのではないですか?」
「そうとも言いますね」
シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)は境華に返事をして頷いた。
確かに居住するには向かぬほどに古びてはいる。
しかし、それはシンシアにとっては居住に向かぬ、という意味であって、一般的な観点からすれば、そこは十分に人の住まいとして営みを行うには十分な家屋に思えてならなかった。
とは言え、境華はこれからシンシアが所蔵する魔導書を見せてもらう側である。
文句を言うつもりはない。
これは至極真っ当な疑問なのだ、彼女は自らに言い含めるように認識を新たにした。
シンシアはシンシアで定住先を持たぬ身である。
住まう、というよりも書類や審査やらなんやらの名目というか、そうした諸々雑多なことに対しての受け皿、というのが正しいだろう。
そういう意味では確かに『貸倉庫』と呼ぶのが正しい。
「これはこれで退位編に便利なんですよ。出先から荷物を送りつけることもできますからね。手ぶらで私は歩けるというものです。現代のインフラに大感謝ですね」
「はぁ……」
そういうものなのだろうか。
境華は少し考える。
彼女は御伽噺を伝承する語り部である。そう育てられた、という意味もあるし、そうであるべき、と自らを律する立場である。
手にした羅紗に、そうした御伽噺を織り紡ぐのが彼女の使命でもある。
もはや、それは実益を兼ねた趣味であるという自覚はある。
使命や義務というものは既に形骸化し、彼女の中では輪郭という名の外殻程度の意味しか持っていなかった。
すでに彼女は自らの興味、好奇心でもって物語を求めている。
だから、シンシアが『貸倉庫』に魔導書を含めた多くの書籍が収まっている、という話をした時に、思わず飛びついていたのだ。
「しかし、そろそろ一度様子を見に行かないと思っていたんですよ」
「確か、インビジブルに整理管理を任せてる、とか」
「ええ、便利ですよ」
とんでもないインビジブルの活用というか使役である。
もしかして、此度のことがなければ、こうして様子を見に来るのも先延ばしに先延ばしを重ねていたのではないかと思わせる。いや、絶対に先延ばしにしていたであろうことが言葉の端々から感じられる。
「境華さんが興味を持ってくれたのは純粋に嬉しいですしね。様子を見るのはついでです、ついで」
インビジブルがどうせちゃんと整理してくれているだろう、という当て込んだ目論見は、ご破算になってはいないだろうか。これが物語であれば、と境華は古今東西の物語……便利道具を便利に使うだけであれば、教訓話など必要ないのだが、と言う言葉を胸中に収めた。
まさかそんな、ことをシンシアが、という思いもあった。
そんなシンシアが『貸倉庫』の扉を開く。
施錠されていた扉が開けば、僅かに埃っぽい。陽光に舞う埃。
掃除が、というほどではないが、少しばかりシンシアは顔をしかめた。
「……掃除を怠っていますね。さ、小汚いところではありますが、どうぞ」
そう言って招き入れられて境華は『貸倉庫』内を見やる。
やはり住居だ。
しかし、そこかしこに樹木のように山積した書物の数々を見て、そうしたことは頭から押し出されていた。
「かなり、多くの蔵書があるのですね」
「ええ、まあ。流石に世界を揺るがすような逸品はありませんが、それなりに入手困難と言われる程度のレア魔導書くらいはあるはず? いやまあ、私もどこに何があるかあまり把握してないのですが」
苦笑いするシンシア。
嘘である。
まったく把握していない。
『貸倉庫』と呼ぶ程である。ほとんど、ここに戻ってくることはない。機会もなければ、その気もないのである。
体よく旅先で見つけた魔導書や物品を送りつけ、後はインビジブルにおまかせ、という具合である。体たらくというのは、ちょっと言葉が上品かもしれないと思う程度には、大雑把にシンシアは荷物を考えなしに、ここに送り込んでいるのである。
「こちらは」
「ああ、それは確か水を海水に変える方法が載っていた魔導書ですね」
「海水を水に、ではなくですか?」
「ですね」
「……どんな意味が?」
「さあ?」
わかんない。
シンシアはとぼけているように思えない。本当にわからないのだろう。これを入手した経緯やら目的。それ自体は、この魔導書を手に入れた際にはあったのかもしれないが、『貸倉庫』に送りつけたらもう満足した、とばかりに忘れてしまっていたのかもしれない。いや、絶対忘れていた。
「こっちは何処かの珍しい植物の写しを集めたものですね」
「なんだか独特の挿絵ですね。タッチが……その」
「子どもの落書きみたいですよね。もうちょっと上手く描けなかったんでしょうか?」
「いえ、むしろ、写実的に描いて、これだった、という可能性もあるのではないですか?」
「瓢箪から駒的な?」
「ありえないことではないと思います」
「この子どもの落書きみたいなのがですか? ないない、ないですってば。こんな植物があるようなトゥーンめいた√なんて」
ない、と言い切れないことは√能力者である彼女たちはよく知っていたかもしれない。
そんなふうに思い出話というか、雑多な蔵書についてシンシアは境華に説明していた。思い出そうとすれば、案外思い出せるものなのだな、とシンシアは自らの記憶力というものが、さほど悪いものではないのだ、と自画自賛したいところであった。
しかし、そんな彼女の前にゆらりと一体のインビジブルが現れた。
何か憤慨しているような雰囲気すら感じさせられる様子である。
「えっ、なんです?」
「――!」
「いやいや、そのためにあなた達にお願いしていたんでしょう。えっ、整理整頓しろ、と? えっ、管理は引き受けたが整理は引き受けてない? それも含めて……えっ、どう整理するのかも説明を受けてない? あれ、そうでしたっけ……?」
シンシアはインビジブルの抗議に、やべ……という顔をした。
なるほど。
確かにインビジブルを便利に活用しようというシンシアの目論見は正しかったのだろう。だが、指示を飛ばすによせ、大雑把にしていれば、眼の前の『貸倉庫』のような雑多な状況が生まれてしまうのだ。
それこそ、シンシアのように何年かに一回が良い所のように戻ってきては、胡乱な認識でまたどこそこにほっつき歩いて回るような性分とは相性が悪いと言わざるを得ないのだと境華は理解していた。
「あの、この辺りの魔導書、しばらく読ませていただいても良いですか……?」
「あ、それはもちろん……ああもうっ、わかってますってば! ガミガミ耳元で!」
「――!」
「……棚の整理くらいは、本を見繕いながらやりますので……」
「いや、いやいや! 流石にお客様にそこまでしてもらうわけには!」
「読ませていただくお礼……というほどのものではないのが恐縮ですが」
その言葉にシンシアは難しい顔をした。
いや、魔導書を読む、というのは良いのだ。
当初の彼女の予定では、自身の『貸倉庫』を境華に見てもらって、なんなら、『わーすごい!』みたいな感じの畏敬の念というか、年下の尊敬を身に浴びながら優雅に午後のお茶でも、と思っていたのだ。
だが、それはなんていうか、見事にご破算というか。なんでそうなるって思っていたんですか? というくらいに破綻した計画であった。
なので、シンシアは耳元で、やんややんやと文句をいうインビジブルを手で押しのけながら、これでは尊敬を集めるどころではないではないかと思いながら境華の申し出を受けることになるのだった――。
●√
境華は、満足だった。
いや、厳密的に言うなら満足の現在進行形と言うべきであろうか。
シンシアからは魔導書の閲覧を許可されている。本来なら、こうした魔導書はしっかりとした管理体制の元、厳重に保管されているものである。
力ある魔導書などであれば、当然のことだ。
不用意に目にした者を虜にしかねない。
そして、虜にされたものが破滅するのみならばいざしらず、大概の場合は世に災いを齎すものだ。
故に禁書と呼ばれ、人の目から遠ざけられるのだ。
だが、シンシアの蔵書は危険性がそこまで高くないにせよ、それなりに貴重な代物ばかりであった。
「……これは素晴らしいですね。物語形式で術式を読者にインストールする方式……経験を均一化して、フィードバックさせる……」
考え方。
認識。
方策。
そうしたものが、時代ごとに異なれど、目的や意義というものが魔導書によって異なる。それ自体が物語となっているのが境華にとっては興味深い。
思わず独り言のようにブツブツと呟いてしまうが、完全に無意識だった。
そうしていると、奥で何か派手な音がして肩を震わせた。
「今のは……?」
何かが崩れたような。いや、十中八九、書籍の山が崩れた音であった。
それも結構な鈍い音。
境華は音がした方へと、そろりと踏み出した。
なにせ、あちことに本の樹が樹立しているのだ。足の踏み場もない、という形容を実感するところとなりながら、境華は音がした奥へと歩んでいく。
すると、すぐにわかった。
此処が震源地か、と。
呆れるわけではないけれど、そこには案の定、様々な物品に埋もれたシンシアの姿があった。
「――!」
「どう考えてもちゃんと、管理していないあなた達のせいですよね!? なんで、こんなブービートラップみたいに荷物が置いてあるのですか!? バカなんですか?」
「――!」
「はあぁぁぁ? ブービートラップみたいな上等なものなど私には必要ない? 勝手に足を引っ掛けてすっ転んで、頭から壺を被って前が見えないって、ワタワタしながら醜態を晒しただけ、ですってー!?」」
「――!」
「悪意ありましたよね? ありましたよね? いいですよ、出るとこでましょうか! ええ、人間サマが作り上げた司法のもとにぶっ裁いてあげますよ!」
シンシアとインビジブルが責任のなすりつけ合いをしている。
仲いいな、と境華は思った。
そんなじゃれるような、と思えたのは境華だけであるが、彼女の足元に一冊のアルバムが転がっているのが目に入る。
シンシアとインビジブルはまだ言い争いをしているようである。
仕方ない、と手に取ったアルバムを整理しようとして、ふと思い立つ。これはアルバムのようだ。つまりは、写真の類が収められているのではないか。いや、アルバムなのだから、そうなのだろう。
興味が湧き上がる。
開いて中を見てみようか、と思う。けれど、他人のアルバムである。見られたくないものだってあるかもしれない。
境華は葛藤していた。
「……いえ、流石にこれは許可なく見て良いものではないです」
元に戻そうとしたアルバムの他にも何かのメモや、どこかの観光地のチラシ、何か中身のわからない得体の知れない箱などが散乱しているのだ。
「おや、それはアルバムじゃないですか?」
「ええ」
不躾にならぬ程度の視線を境華は手にしたアルバムに落とすとシンシアは懐かしむように受け取って、ためらいなくアルバムを開いた。
「ああ、やっぱり昔の私の写真ですね」
「昔の、シンシアさん」
「ええ、これいつのでしたっけ……?」
「あの、私……興味があります。シンシアさんの、昔のお話」
「え、大して面白いことは何もないと思いますけど……」
シンシアは少しばかり首を傾げた。
実際、そう波乱万丈、冒険活劇みたいな過去があったわけではないしな、と彼女は思ったようだった。
でもまあ、興味を持ってくれている境華がいるのだ。
ううん、と記憶の扉の錠前が特別締め切られていたわけではないことを証明するように記憶がシンシアの頭に溢れ出す。
「これは√ドラゴンファンタジーの公立高校に私が通っていた頃の写真ですね」
「制服、ブレザーだったんですね」
「かわいーですよね。このデザインだけで通うって子もいたくらいですし」
「制服で選ぶんですか、学校を?」
「まあ、他と大して変わらない公立高校ですからね。そこが魅力として選ぶ子がいたとしてもおかしくはないって話なんですけど……」
この頃はすでにソロの冒険者だった。
なので、特権をフルに活用して授業にはあまり出ていなかった。
とは言え、友人が少なかったわけではない。出席日数ギリギリで、クラスメイトよりも教師陣と接している時間が多かった、というのは敢えて言葉にしなかった。
これ以上、年上の尊厳を自ら傷つける必要はないと思ったからだ。
「どこか可愛らしい感じがしますね……」
「や、今と見比べられると、それはそれで、そのぉ」
「変わっていませんよ。今もお変わりなく」
誂われたのだとシンシアは気がついて、もう、と頬をふくらませる。
「あ、でも学生時代は一人暮らしをしてました。あ、野宿とかではなくちゃんとした家ですよ! アパート! なので、一通り料理もできます。あの頃はオムライスとかよく作ってましたね」
「オムライスですか」
「ええ、一時期ハマってましてね。如何にふんわり綺麗に卵を巻けるか、なんてのも研究したもんです」
むふん、とシンシアは得意満面である。
思い返してみると、割りと学生時代の自分のほうがしっかりとした生活力があるのではないかと思ったが、それは見なかったことにした。
「私も、料理は追々頑張りたいと思っておりまして……やはり、お手伝いさんはすごいですね。最初の頃は私も行き当たりばったりで苦労をしていました」
ん? とシンシアは思った。
お手伝いさん?
「こういったところで学んだことが、先々大切になるのですね……」
なんだか境華は一人で納得しているようだが、今、お手伝いさんって言ったよね? とシンシアは頭の中がいっぱいだった。
「私も春からは私立高校へ進学しますし、シンシアさんのようにできることが多くならねばなりませんね」
「しょ、食事はちゃんとたべたほうがいいです! 美味しいものは元気になりますからね!」
なんかアドバイスにもならないアドバイスをしたような形になってしまった。
思った以上に境華は良い所のお家の人なのだとシンシアはちょっと恐縮した。
しかし、それを言及するつもりはなかった。
何が他人の地雷になるかなんて言うまでもないことだったからだ。
そうしていると、一枚の古ぼけた写真が目に映る。
明らかにこれだけ他の写真と違ってくたびれているように思えた。さながら、常に肌身離さず持っていたような、そんなくたびれ具合であった。
そこに映っていたのは。
「のどかな村の風景ですね? 一体何処なのでしょうか? √は……少し判別ができませんね?」
「ああ、これは恐らくセレスティアルがたくさん住んでいた土地です。緑豊かで……私はこの風景を探して旅をしているのです……全然見つからないのですが」
「この場所を探して……」
それは彼女にとって大切な場所なのだろうということは境華にも理解できるところであった。
自分の知識の中では、この景色に合致する情報は見つけられなかった。
探している、ということはシンシアにとって大切な場所なのだろう。
だからこそ、これ以上なんと言って良いのかわからない。けれど、力にはなりたいという気持ちが湧き上がるのは、嘘ではなかった。
「ま、探すための旅と称して方々へ行く口実になるので、今の生活も悪くは……さ、探してはいます!」
ちょっと怪しいな、というインビジブルの視線を受けてシンシアは思わず手を振った。
「もしどこかで似た景色を見かけたなら……その時は、きっとお伝えしたいです」
境華は、一緒に探すとはまだ言えなかった。
けれど、それは仄かな思いが灯るものであったし、その瞳でシンシアを見つめる。
「ありがとうございます。心強いですね」
微笑むシンシア。
嬉しそうだ、とわかっただろう。
このまま、終わることができたのならば、良い一日だったと締めくくることができたかもしれない。
けれど、そのアルバムの新たな一頁がめくられた時、シンシアの目がまんまるに見開かれる。
「って、なんですこれ!? 最近のじゃないですか!?」
「あら? これは……何を頂いておられるのですか?」
そこにあったのは、とんでもない量のラーメンを食べるシンシアの姿。
どう考えても他撮である。
アングルからしても、他人が取らねば画角的に無理な一であった。
「ちょっ、半目の写真!?」
「面白いお顔をされて……」
「――」
インビジブルが、『自分が写真撮影忘れがちなので代わりに撮って』と以前言っていたから、と告げるがシンシアは寝耳に水であった。確かに言ったかもしれないが。
「もっとちゃんと撮ってくださいよ!」
「――」
そう言われても。
「変なところでお役所仕事!」
「――」
「あら、今も撮られるのですか? 構いません。沢山撮ってください。またこうして振り返ることができるので」
嬉しいです、と微笑む境華。
「ちゃんといい感じに撮ってくださいよ!」
そんなやり取りと共に夕暮れ時の茜が差し込む『貸倉庫』。
結局、整理は捗らなかったけれど、それでも二人の距離は、ずっと近づいたかも知れない。
だから、言うのだ。
「また……来ても良いですか――?」