キミのチカラになりたくて
オシゴトから帰ってきた時、ごしゅじんはたまに暗い顔をしていることがあります。
もっとちゃんと言うと、「|ドア《玄関》を開けるまでは暗い顔をしていたであろう」時があります。
ぼくがごしゅじんを迎えに玄関先に向かうと、いつも笑顔で「ただいま、ハヤタさん」と抱え上げてくれるけど。
でも、ほんの少しだけ、ふんいきが違う時があるんです。
何があったのかは聞かないし、聞けません。だって、ごしゅじんは、ぼくをオシゴトに連れていってくれませんから。
「シャワーを浴びて汗ながしてから、ハヤタさんにご飯をあげますね。
ちょっとの間、良い子で待っててください」
オシゴトから帰ってきたごしゅじんは、そう言い残しておフロへ行ってしまいました。
(「もっと、ぼくに弱音を話してくれてもいいのに」)
仮面を外したその顔の、目尻がほんの少し赤かった。
もしかすると、どこかで泣いたのかもしれません。
―――くやしい。
ごしゅじんがぼくの|毎日《平和》を守ってくれているように、ぼくだってごしゅじんのことを守りたい。
でも。
「くぅん……」
涙をぬぐえる長い指も、抱きしめるための腕も、ぼくにはありません。
ましてや、元気にさせる言葉なんて―――気のきいた言い回しなんて、言えやしないのです。
だって、ぼくは犬だから。幼く小さい柴犬だから。
どれほどガンバったって、ごしゅじんを抱きしめることなんて、できっこないのです。
声をからすほど叫んでも、「わんわん!」としか話せないのです……。
「お待たせしました、ハヤタさん……って、どうかしましたか?」
ハッと気づけば、|首からバスタオルをさげた《おフロあがりの》ごしゅじんが、ぼくのことを見つめていました。
どうやら長い間、悩みこんでいたみたいです。
「なんか元気がないですね?」
「わん……」
ああ、いけない。ごしゅじん「を」心配するはずが、ごしゅじん「に」心配をかけてしまっています。
「ふふ、隠し事をしてもムダですよ? ハヤタさんの目は正直ですから」
優しい声でそう言って、ごしゅじんはぼくのことを抱きしめました。
「……今日もあったかいですね」
ぼくの顔に頬を寄せて、ごしゅじんは目を閉じます。
「何があったか知りませんが、私が|側《そば》にいますからね」
ああ、その言葉は、ぼくの方が言いたかったのに。
―――キミはひとりじゃない。
寒い夜も、悲しいときも、ふたりでいれば、きっと乗り越えられるって。
「わん……」
もしもこの思いが通じなかったとしても、せめてこのぬくもりだけでも届いてほしい。
少しでも、ごしゅじんを|癒《いや》やせることができたら……。
そんなぼくの思いをかき消すように、ごしゅじんのスマートフォンが鳴りだしました。
「あっ、ハヤタさん、ごめんなさい。ちょっと電話が」
ぼくを放すと、ごしゅじんはスマホ片手に別の部屋に行ってしまいました。
ああ、くやしい。
きっとまた、オシゴトに呼ばれたのでしょう。
ごしゅじんはデキる人だから、あっちこっちで必要とされているのでしょう。
それは分かります。誇らしさもあります。
でも、もう少し、休む時間があってもいいじゃないですか。悲しみを振り払う時間があたえられたっていいじゃないですか。
ああ、ぼくに力があれば。そうすれば、ぼくが代わりにオシゴトをしてあげられるのに……。
―――例え、この|平凡だけど安寧な日常《・・・・・・・・・・》を欠くことになったとしても。
それでも、ぼくは、ごしゅじんの役に立ちたいんです!
ぼくがそう強く思った瞬間、「なにか」が変わった気がしました。
「……わん?」
何が変わったのか分からなくてキョロキョロと周りを見回すと、部屋のすみっこに立てかけてある|鏡《姿見》が目に入りました。
そこに映っていたのは、ごしゅじんによく似た―――いや、ごしゅじんを幼くしたような、そんな顔立ちをした人間の子供でした。
そして、その子の頭には、ぼくと同じ色と形の耳があって……。
「わ、わぅん?」
ぼくが首を傾げると、鏡の中の|子供《犬耳の子》も同じように首を傾げました。
ぴるぴるっと僕が耳を震わせると、鏡の向こうのお耳もぴるぴるっと動いて。
「……」
ぼくがぼくの前足に目を向けると、そこには、ごしゅじんによく似た形の|前足《お手々》がありました。
これは、もしかして。
「ハヤタさん、すみません。私、これからもうひと仕事……って、どちら様ですか!?」
スマホ片手に戻ってきたごしゅじんが、ぼくを見るなり驚きの声をあげました。
―――ああ、やっぱりそうなんだ。
ぼくは、|人間へと大変身《【必殺! 黒柴大変身術!】》したんだ!
「わおんっ!」
これで、ごしゅじんと一緒に|おでかけできる《戦える》!
目を白黒させているごしゅじんの胸の中へ、ぼくは勢いよく飛び込んだのでした。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功