物語は灰に埋もれて
煙の臭いと瓦礫の灰色ばかり。|神隠祇・境華《かみおぎ きょうか》(金瞳の御伽守・h10121)は√ウォーゾーンに、そのような印象を抱いていた。硬く、平坦で、しかし傾いていて、とにかく歩きにくい。美しかったかもしれない何もかもは崩壊し、生命の息吹すら機械に置き換えられて、どこまでも無機質。
境華はこの√に、未だ物語を見いだせずにいる。風は冷たく、青空すらどこか他人のようだった。
崩壊した建物を横目で見る。むき出しの鉄筋の向こうに、割れたマグカップが転がっていた。ばらばらに吹き飛んだ木片は、それが椅子とダイニングテーブルだったことをかろうじて伝えている。文庫本らしきものは焼け焦げて床に散らばり、沈黙を押し付けられていた。
誰かの生活の痕跡は叩き潰されて久しく、建物の壁と同じように、ぽっかりと穴があることだけが、かつてそこに何かがあったのだという存在証明となっていた。
横目で見て、境華は通り過ぎる。ここにどんな日常があったのか、境華には読み取れない。物語を手繰り寄せようと手を伸ばしても、空を掴むばかり。
ここが別の√だったなら、誰かが笑った場所、誰かが愛した物、誰かが生きた痕跡が温かく残っていただろうに。
ふと足に何か固いものが当たる。コンクリート片を蹴ってしまったかと視線を落とすと、埃にまみれた拳銃が、物言わず横たわっていた。境華は注意深くそれを拾い上げる。
冷たく、重い。
手に砂埃がつくのも厭わず、くるりと一通り眺めてみる。引き金を引いてしまわないよう、あるいは銃口を自分に向けないように気を遣いながら。|これ《・・》は思いのほか簡単に暴力を発すると、どこかで聞いたことがあった。
かすれた刻印のようなものがある。意味するところは分からない。製造元か、所属か、それとも個人を示すのか。この銃は誰の手にあり、誰に向けられて、そしてここに打ち捨てられるに至ったのか。持ち主は、何のために戦ったのか。辺りには手がかりを示す物は何もなく……あるいは境華には見つけられないものだったのかもしれないが、いずれにせよ。
紐解かれない物語は、物語にはなりえない。
そうなれば、武器はただ武器にしかなれない。物語に包まれる刀剣のような穏やかな在り方とは遠い、ただ人を傷つけるための装置でしかない存在。そこには、人間の姿が無いのだから。
ほう、と息を吐く。如何に思いを馳せようにも読み取れない物語が、ここで寂しく断絶していた。
いくら歩いても鳥のさえずりも人のざわめきもなく、聞こえるのは遠く爆発音ばかり。訪れたことのある√の中では異質とも言える場所を、境華は彷徨う。
ふと、はるか彼方に動く黒いものを見つけた。境華は金の瞳を細めると、それが人であることを確認する。三人。何か機械に追われている。今から駆けて助けられるものか、逡巡する間に何かが光って、一人が倒れる。少し遅れて破裂音が耳に届いた。叫ぶ声がかすかに聞こえる。
一人が仲間の腕を取って助け起こそうとするが、もう一人が前方を指さし、未練そうに仲間をその場に置いていった。倒れた人は、もう動かなかった。
その後彼らがどうなったのか。生存者の逃げた先は倒壊したビルの陰に隠れて、ここからは見えない。倒れた人は機械の軍勢に呑まれていった。
固く目を閉じ、祈る。これがこの√の現実。静謐の中で物語に潜ることは許されない。境華には、逃げていた誰かの無事を祈ることしかできない。彼らの目にしたもの、彼らの心、無念、無力さ、あるいは憎しみ……かすかな文字を手繰るように、夢中で頁をめくるように、ようやく見つけた人の在りようを手放すまいと抱き締めた。
ああ、と境華は得心する。ここに物語が無いのではない。種子はいくつもあるのだろう。世界を救う英雄のそれではなく、この時代を生きる――生きた人々の、物語の種が。あるいは、いつか英雄になるべき誰かの物語のはじまりが。
今はまだ灰に埋もれ、観測者はその芽を見出すに至らない。だが、今日の戦いもいつかは歴史となり、物語となるのだろう。古の合戦が、時を経て語り継がれる物語となったように。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功