逆光のルポルタージュ
「――ふぅ。これで今月分は片付いたな」
朝早めに作業を始めて、今は一体何時間経過したものやら。月刊『Rリープ』の編集部内、使い込まれたデスクの上でキーボードを叩く指を最後の一撃として「タンッ!」と強めにエンターキーを叩き、指を止めるゼロ・ロストブルー(消え逝く世界の想いを抱え・h00991)は、大きく背伸びをした。
窓の外には、彼の大好きな澄み渡った青空が広がっている。時計を見れば既に午前中は過去の時間として終了し、今は丁度ぽかぽかとした午後特有の春の日差しが差し込んできているところだった。程よく穏やかな気候であり、過ごしやすい。
本来ならこの後は資料の整理をのんびり進める――はずだった。
『ゼロさん!ゼロさん、ちょっといいかな!?』
背後からバタバタと慌てた勢いのまま飛び込んできたのは、切実な叫び。
そのままの勢いでがっしゃーん、と物置代わりに資料が積まれたソファの上に該当人物が転ぶ姿をゼロが目撃したのは、数秒後の事だ。
「大丈夫か?」
『……ああ、はい!なんとか!』
えへへ、と笑い声が返ってくるが顔を上げた彼の顔は、顔面蒼白と言って差し支えなく、無理に応えた返答だ、というのは明らか。
「佐藤くんは慌て癖でトラブルを起こしやすいんだから、走るなとアレほど……」
佐藤はファッション雑誌部署の所属『ヴェローチェ』のメンズファッション担当編集であり、以前ふとした拍子に仕事で意気投合した旧知の仲である。
『そりゃあ走りもするよ!た、大変なんだよ!』
「締め切りなら俺の担当じゃないはずだが」
『今日約束していたモデルが来ないんだよ!現場で急病案件なんだ、代役も捕まらない。うちの撮影は、あと一時間で始まるのに……!』
うわぁあああと取り乱す勢いで叫ぶ佐藤にゼロは苦笑し、手にしたままだった資料を一旦置いた。事は一刻を争うらしい。
「それは災難だな。俺にできることなら手伝うよ。カメラの機材運びか?それとも、ライターとして現場のトラブル対応の記録でも書こうか」
『いや……実は、その……。ゼロさん、身長っておよそ180くらいあったよね?』
具体的な数字と、顔を覆った手の隙間から佐藤ががチラリと覗く視線。
狂った様子、焦った様子はどこへ消えたのだろうか。その瞬間、ゼロの脳裏に"嫌な予感"という名の彼自身の人生という名のルポルタージュが過り始めた。
*
数分後。
ゼロは連れ出されていた。
連れてこられたのは、出版社ビル内にある撮影スタジオだ。
「待て待て、佐藤くん。カメラは持ってきたが、俺が持つのはそっちじゃないだろう?」
『いや頼むよ!服のサイズが奇跡的にぴったりなんだ!ゼロさんのその、無駄のない筋肉のつき方、絶対に映えるから!』
助けて欲しいという佐藤の願いに応えたつもりだったゼロだが、周囲を見渡してみるとカメラマンや照明アシスタントたちが【獲物】を見るような目でこちらを見ているではないか。これは猛獣、猛禽類系の目付きである。
「(――獅子の群れに迷い込んだ気分だな)」
ゼロは、逃げ道を塞がれて懇願されている案件だと悟った。誠実な彼の性格上、困っている友人を突き放すことはできない、そこを上手く利用されたともいうが。
「はは……仕方がないな。手伝うとは言った。だが、俺なんかでいいのか?文筆家が誌面を飾るなんて、読者は驚くぞ」
『大丈夫、今日は『街角の知性』がテーマの特集なんだ。アスリート体型の、静かな人がモデルのやつで……つまり、ゼロさんの雰囲気なら完璧だ!』
観念するとほらもう時間が、と着替え室に押し込まれる。
まずコレを着て欲しい、と差し出されたモノは"ネイビーのロングコート"と"知的要素用のタートルネックのニット"。きっちりコートの前を閉める形より、開ける形が理想で、と注文まで来る。はいはい、と腕を通すが本当に、ちょうどいいサイズである。
普段の私服系統とはまた違う、都会的で洗練されたスタイルとも言えた。
「……どうかな。少し窮屈だが」
アイテムに文庫本をどうぞ、と手渡されたがそれより首元が気になるゼロが着替え室から出てきた姿を見てスタジオにいたスタッフたちが一瞬、息を呑んだ。
『(コレは絵になるぞ!絶対彼を逃がすな!畳み掛けろ!)』
高い身長に、アスリートを思わせるほどよく引き締まった体格が、スッキリ映える良い姿勢。更には青い髪がライトに照らされ、誠実そうな瞳が眼鏡の奥で揺れている。
『……完璧だ。ゼロさん、そのままそっちを壁を背にしてレンズを見て!』
カメラマンの声が飛ぶ。シャッター音が響く。
最初は勝手があまり分からず、硬い表情を浮かべていたゼロだったが、彼は根っからの「ノリの良さ」と「探求心」の持ち主だった。
『そうそういい感じ!少し顎を引いて』
――成程。顎を少し引くだけで、影の落ち方を変えようというんだな。
見え方が変わり、映える風貌が変わる。
――記事の構成と同じだな……見せたいものを強調する手法は。
一度理解を深めると、あとは早かった。
カメラマンの指示に応えるたび、周囲の熱気が上がっていく。
『ゼロさんいいよ!次、眼鏡外してみようか!』
「眼鏡を?ああ、いいが……あまり遠くは見えなくなるぞ」
ゼロがゆるりとフレームに手をかけて、眼鏡を外す。尚、その瞬間を『動画で残せなかったのが一生の不覚』とは、後にデータを受け取った画像処理班の談である。
外した途端、ゼロの視界はふわりとぼやけた。やはりよくみえない。
周囲のスタッフの顔も、機材の細かいディテールも消え、ただ目の前にある黒いレンズの円形だけが際立つ。その"少し心細げで、何かを探すような眼差し"が、カメラマンのクリエイティビティを刺激した。
『最高だ!その、ちょっと物憂げな感じ!』
「はは、そう見えるのか?ただ標的が見えてないだけなんだが」
ゼロは笑いながら、無意識にウインクを飛ばすと、現場の女性スタッフから小さな悲鳴が上がった。
撮影が進むにつれ、ゼロの"サービス精神"が暴走し始める。
「次はこれです!」
渡されたのは、派手な色合いに胸にポップな熊の顔が描かれたシャツと、なぜかテニスラケット。
「……これ、元々のモデルさんはオッケーだしたのか!?」
衣装を見て、ゼロは思わず吹き出した。
SD調の熊が"蜂蜜より野菜主義なんだよね"とモリモリ野菜を食べているイラストが妙に可愛い。被写体のイメージとテーマに絶対合わない気がするのだ。
『【休日を楽しむアクティブ・インテリ】というコンセプトでして!』
「ははは!面白い。よし、乗った!」
――佐藤くんの顔が少し泳いだ気がしたが、深くは追求しないでおこう。
笑いの絶えない気分の高まりも有り、ゼロはもはやノリノリだった。髪型を大胆にアレンジされ、カメラに向かって豪快なマッスルポーズを決める。
「熊イラストが胸にあるとは言え、ルポライターがこんなポーズしていいのか?読者に『こいつ、何やってるんだ』って思われないかな」
『大丈夫です!モデルは指示を受けただけ、そう言いましょう!そのギャップが、いいんですから!』
指示されるままに笑い、動き、時にはクールに、時にはコミカルに。
気がつけば、予定されていたカットはすべて終了していた。
*
『お疲れ様でした、ゼロさん!助かりました、本当に!』
佐藤が深々と頭を下げる。ゼロは自分の眼鏡をかけ直し、少し乱れた髪を掻き揚げた。
「いや、こちらこそとてもいい経験になったよ。モデルさんは大変なんだな。一瞬の表情を作るのに、あれほどエネルギーを使うとは」
『今度の特集、間違いなくアンケート一位ですよ。謝礼と言っちゃなんですが……』
「はは、困ったときはお互い様、ってやつだ。謝礼なんていいさ。今度、美味い夕飯でも奢ってくれたら、それで十分だよ。俺もいつか、無茶な取材協力をお願いするかもしれないしな」
スタジオを後にし、夕暮れ時の街へ出る。先ほどまで浴びていた眩いフラッシュの残像が、網膜の裏でまだチカチカと踊っている。ゼロはふと、自分を見つめる視線を受けた気がして呟く。
「……ただ、弟子には恥ずかしいから、あまり見られたくないな、これは」
手に取って読まれない限りは、大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
しかし、その日のゼロの足取りは、いつもより少しだけ軽やかだった。あの派手なシャツで決めたマッスルポーズの自分の顔を思い出し、再び空の下で「ははは」と声を上げて笑ってしまったくらいだ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功