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Sweet wish

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 距離が二人の関係を変えることはないと、巷の物語は堂々と謳う。
 然れども現実を前にすれば、斯様な御伽噺を――全て否定するほどの根拠はなくとも――頭から信ずるほど浮かれてもいられぬことは明白であった。
 学生の身分にしてみれば一年の差は大きい。元よりたった三年間しか籍を置くことのない匣の中から、一年早く、或いは遅く出ていくことになる。時に絶望的な断絶を生むという事実と比してみれば、平咲・鳴衣(十束・新貴のAnkerの片思いの相手・h04101)は幸運といえるのかもしれなかった。
 ――想いの矛先である十束・新貴(三度目の正直・h04096)は今年度を以て卒業するが、会おうと思えばいつでも会える存在に変わりはない。
 しかし、その|いつでも《・・・・》の定義が変わることも、鳴衣は理解していた。
 大学に進学する新貴と三年になって俄かに慌ただしくなるだろう彼女は、同じ学内に留まっていたときと比べれば必然距離が開くことになるだろう。会うにしても予定を立てて学外で顔を合わせることになるのは明白だ。互いの教室が変わる程度の単なる進級とは違う大きな区切りを前にして、彼女はバレンタインデーに|特別な《・・・》贈り物を用意していた。
 昨日に作ったチョコレートの甘い香りの中には未だ幽かな不安が燻る。受け取ってもらえないとは思わない。|友人《・・》である彼女が差し出せば、優しい新貴は差し出したリボンのラッピングをいつものように笑顔で受け取ってくれるだろう。
 それが――鳴衣のものであるかどうかに拘わらず。
 我知らず箱を握る力が強くなったのを、どうにか解くように息を吐いた。思うよりも憂鬱に感ぜられる吐息には押し隠す恋慕の色が載る。
 告白なんてことが出来るわけがない、と思っていた。少なくともチョコレートを作り終えるまでは。何しろ気に掛かっているこの頃の様子――彼らしからぬ予定のキャンセルや、何か隠し事をしているようなそぶりを面と向かって問うことすら出来ていないのだ。
 先輩後輩というよりも友人に近しいような距離感も彼女に二の足を踏ませる理由だった。なまじ近しい関係性はリスクを好まない。その先に踏み込むことで今ある心地良い距離を壊すのには、互いの距離が遠いときよりも勇気を要することなのだ。
 幾らバレンタインデーが恋の祭典だからといって、彼女にはこの脳裡を吐露する勇気は到底なかった。だからこそ、せめてもの想いを込めた箱の中身にハートが並ぶことになったのである。
 しかし。
 学校に来てみれば、|最後だから《・・・・・》と張り切っているのは鳴衣だけではなかった。新貴に対するものこそ耳に入って来なかったものの、今年で卒業する先輩に思い切って告白する――などという話は教室にも廊下にも溢れ返っていた。学校全体がどこか浮ついたような気配に包まれて、そこここで少女たちの華やかな恋の温度が花開いている一日だった。
 あてられたというべきではない。そも鳴衣はいかなるときにも己の意志を曲げるようなことはしたことがない。
 自らの信念に従い固い意志を以て定めた物事であれば、鳴衣はどんな決定であっても覆しはしなかっただろう。しかし此度は違う。彼女は|告白しない《・・・・・》と決めてここにいるのではない。|告白出来ない《・・・・・・》と思うから、チョコレートの形に想いを秘めたのだ。
 少女の惑いを乗せた足取りは、そうしている間にも目的の教室に辿り着く。おそるおそる中を覗いてみれば、昼休みに様子を見に来たときには友人に囲まれていた新貴が、斜陽の中に一人立っていた。
 唇から安堵の息が零れる。想定通りだ。昨日の時点で想いを告げることこそするつもりはなかったものの、他の生徒たちに見られるのは気恥ずかしいと思っていたのだ。さりとてわざわざバレンタインデーに呼び出すのでは不自然極まりない。それで、昼休みか――人が多くて難しければ放課後を狙おうと定めていたのである。
「十束先輩」
「平咲」
 呼べば振り返る顔はいつもより幾分嬉しそうに笑った。
 彼が誰もが帰った後にも教室で待っていた理由を、鳴衣は知らない。バレンタインデーが近付くにつれ意識せざるを得ない彼女からのチョコレートを、密かな期待と大いなる不安を抱えて待っていたことも、むろん知る由もないことである。
 二人が互いの距離を詰めるのは殆ど同時であった。誰もいない教室に踏み込んだ鳴衣は、斜陽で照らされて――実際には彼女を前にして――僅かに赤くなった新貴の頬を見詰める。
 |これが最後だから《・・・・・・・・》と語っていた少女の浮ついた声が、ふと鳴衣の中に蘇った。彼女が言ったほどの絶対的な断絶は、新貴との間には訪れないが――。
 高校生の新貴にチョコレートを渡すのはこれが最後になるのだと思った。
 大切に運んで来た包装を両手で差し出す。鼓動が高鳴る。言えるはずがないと思っていた想いが喉元まで込み上げてくるような感覚がした。それを飲み乾そうとして、やはり今日一日彼女を包んでいた甘やかな空気と、恋の気配が心に蘇る。
 常の表情が繕えているだろうか。どうしようもなく頬が熱くなるのは、友人たちに配ったのと寸分たがわぬ綺麗なラッピングの下に込めた想いを手渡すからばかりではあるまい。
「いつもお世話になっているので……これを、どうぞ。その、一人で食べてくださいね」
「あ、ありがとう!」
 余裕のないながらに前日から考えていた注意を付け足した鳴衣が、新貴の様子に気付くことまでは出来なかった。たとえばその眼差しが、彼女がチョコレートの入った箱を見せた瞬間から輝いていたこと。箱を差し出しきるより前に手が伸びていたこと。僅かに触れる指先に熱が灯っていること。
 気付かなかったが、それでも。
 少女は深く息を吸って、吐いた。あれほど湧いて来なかった勇気が心に満ちているような気がする。唾が口の中に溜まって、しかし口腔内は乾ききっているような感覚だった。
 言えるのかどうか分からない。そも己が何を口にしようとしているのかすら鳴衣には分かっていない。それでも、持ち上げた視線の先にいる不思議そうな顔をした新貴を前にして、口は驚くほど自然に開いていた。
「先輩――」
 開いた唇から零れた声が告げた言葉が勇気を貫いたのか、或いは臆病になる少女の心に阻まれたのか――。
 知るのは、ただ二人のみである。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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