心ひらく、特別な一杯
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「いただきます」
鳴宮・響希は手を合わせてから、箸を手に鶏出汁の香るラーメンをすすり始める。響希のバイト先である《喫茶・リーブズ》には看板メニューの一つにラーメンがあり、オーナーのこだわりがこの一杯に込められていた。
(今思えば、あの日からラーメン好きになった気がするな)
今では好物の一つ。
ラーメン好きになったのは、響希を変える大きな思い出があった。
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「……おせわに、なります」
響希がまだ7歳の頃、√EDENで家族と旅行をしている途中で√を跨いで√百鬼に迷い込んでしまった。その際、見知らぬ妖怪に襲われ、幼い響希の目の前で両親を惨殺。奇跡的に白い犬神──シロさんに救われた事で√EDENまで帰ってくる事が出来たが、それと同時に家族に関する記憶は全て真っ白に塗りつぶされてしまった。
一時的に入院し、退院してからは身寄りが無かった事から施設で暮らしていた。傍にシロさんはいてくれるけれど、ぽっかり空いた記憶の穴は埋まらない。そんな日々を一年過ごした後、一般家庭の鳴宮家へ養子として引き取られた。
学校の先生をしている夫の|圭吾《けいご》さん、パートをしている妻の|里緒奈《りおな》さんの夫婦の二人暮らし。少し離れたところに、少し無愛想で不器用な圭吾の父・|英治《えいじ》さんが暮らしている。
引き取られたばかりの響希は、幼心の中でも慣れないながらに嫌われないよう常に作り笑顔を浮かべていた。受け入れてくれた鳴宮夫婦に対しても、敬語で言葉少なに接するのが精一杯だった。
「響希、これからは家族なんだ。俺達のことは、お父さんとお母さんって呼んでもいいんだぞ」
「まだ緊張してるかしら? すぐには出来なくても良いの。でも、呼んでくれたら嬉しいわ」
「あ、ありがと、う…ございます……」
作り笑顔でぎこちない言葉に、夫婦も困ったように微笑んでいた。まだ慣れないのだろう。理由は分からずとも、突然家族がいなくなれば幼い響希が受けた心の傷は大きいはずというのも夫婦は理解していた。いつか心を開いてくれるはず、その日を信じて待とうと二人は心に決めていた。
《全く、もっと甘えればいいではないか》
「そう、だけど……でも、きらわれちゃう…から……」
《あの二人は嫌うことないだろうに……》
シロさんが言っている言葉も分からなくはない。けれど、思い出せない不安も、嫌われる恐怖も拭えない響希にとって、新しい一歩が踏み出せない。
お父さんとお母さんにはどう接してた? 思い出そうとするけれど、ズキッと痛む頭に呻くしか出来なかった。
とある日、圭吾の父である英治が訪ねてきた。
圭吾さん達に用事があるのだろうかと思っていると、視線は夫婦ではなく響希へと向けてくる。
「響希、ついてこい」
「ど、どこにいく、んですか!? まって!」
声を掛けるなり、英治は先に歩き出すのを見て響希は慌ててついて行く。どこに連れていかれるのだろう? もしかして、施設へ戻されてしまうのだろうか。ぐるぐる、ぐるぐると響希の思考はぐちゃぐちゃになっていく。
「着いたぞ」
「ここ、は……」
英治が立ち止まり、響希が視線を向けたのは施設──ではなく、昔ながらの町中華屋だった。キョトンと目をまんまるにしていると慣れた様子で英治は店内に入り、遅れて響希も入れば良い匂いが厨房から漂ってきて、思わずお腹が鳴ってしまうほど。
「お、いらっしゃい! 今日は二人かい?」
「あぁ」
顔馴染みの店主と短いやり取りを交わした後、英治は響希と共に空いてる席へ向かえば向かい合う席で腰掛けた。
「ラーメン二つ」
「あいよ、ラーメン二つ!」
ソワソワ、ソワソワ。
慣れない町中華の店内、活気ある店主や店員の掛け声、賑わう家族連れやガッツリ食べたい男性組など、お客さん達も賑やかで。響希はどうすればいいのか分からないまま、落ち着きないままでいると「ラーメン二つお待ち!」の声と共にラーメンが運ばれてきた。
「なにも言うな考えるな。まずは目の前の麺をすすれ。話はそれからだ」
不器用な言葉。けれど、目の前に置かれたラーメンは美味しそうで。麺が伸びてしまうのは勿体ないのもあり、控えめに手を合わせて割り箸を手にラーメンをすすり始めた。鶏ガラベースの醤油のスープであっさりめ、縮れ麺にスープがよく絡む。どこか落ち着く味で、この町中華のお店でも看板メニューの一つになっていた。
「おい、し……です」
あまりの美味しさに感動し、響希は無我夢中に麺をすする。チャーシューやメンマも美味しくて、あっという間に半分以上食べ進めていた。
「ぼく……ほんとは、ほんとうは…うれしかった。でも、びょういんにいるとき…かぞくのこと、おもいだせなくて……こわくて。こんなぼくをかぞくにしてくれたの、すごくうれしくて……! でも、どうしたら、きらわれないか、わからなくて……だから…っ!」
話していくうちに、ポロポロと大粒の涙が零れ始める。
本当はすごく嬉しくて。あたたかい空間をつくってくれるのも、家族にしてくれたのも。不安がずっとある中でも、優しく見守ってくれて、全てが嬉しかったのと同時に嫌われないか不安だった事も、全部自然に話せるようになっていた。
最初は怖いと感じていたけれど、不器用なだけで本当はとても優しくて。英治の不器用な優しさが、少しずつ響希の心を解していく。
「ごめんな、っ……こわいって、おもって、たの…」
「別に気にしていない。少しずつでいい、圭吾達を信じてやればいい」
自分は後でもいい。
息子夫婦は響希にとって新しい両親になるからこそ、響希にとって味方なのだと分かってくれるだけで十分だから。
この日食べたラーメンは響希にとって思い出深い味となり、気が付けば英治と少しずつだがポツポツと話せるようになっていた。
それ以降、夫婦に対してはお父さんお母さんと呼べるように、英治に対してもじいちゃんと呼べるくらい仲良くなった。時間はかかったけれど、家族の一員として過ごせるように。
▽
「あの時、じいちゃんがキッカケをくれたから今の僕がいるんだ」
《どうした、独り言か》
「わっ、驚かせないでよシロさん!」
口に出てたのか、と少し恥ずかしくなりながらリーブズオーナーのラーメンを完食する。ご馳走様と手を合わせ、響希は空いた食器を片付け始めた。
(久しぶりに、あの町中華も行きたいな)
懐かしの味を求めたくなる、思い出のお店。
今度じいちゃん誘っていこうかなと考えつつ、今日も喫茶店でのバイトに勤しむ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功