はるいろのはんぶんこ
春めく風が街にも甘い気配を運ぶ。
ビル街の中にあっても華やかな色が増えて来た。人々のどこか浮つく忙しない足取りの中で、少女の指先は頻りにスカートの裾を気にしていた。
神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)にとって、洋装は慣れぬ格好だ。
友人と遊ぶために必要な荷物はそう多くない。小さなショルダーバッグはマチにゆとりがあるクラシカルなものだ。春らしいパステルカラーのロングワンピースはラベンダーを思わせる色合いで、柔らかな印象のアイボリーカラーのカーディガンと相俟って控えめながらも軽やかな印象を与える。足許を彩るベージュのショートブーツでアスファルトを踏む感覚もあまり慣れ親しんだものとはいえない。日頃はシンプルに纏めるばかりの長い髪にも編み込みを施したから、尚のこと境華の眼差しは忙しなく周囲を巡った。
――変ではないでしょうか。
鏡の前で幾度も確認して来たが、さりとて親しまない服装の良し悪しが明瞭に分かるはずもない。緊張を湛えた境華の落ち着かない視線が定まるよりも、小さな待ち合わせ相手が彼女に気付く方が先だった。
大きな人波を器用に跳び躱したココ・ロロ(よだまり・h09066)は、黒い体に目立つ春色のスカーフと爛漫の花のポシェットを目印に、意気揚々と待ち合わせ場所に辿り着く。見渡した先にいるはずの友人の姿を暫し探していた彼は、すぐに落ち着かない少女の姿に破顔した。
「あ! きょうかさ~ん!」
「ココさん」
大きなココの声に顔を上げる。安堵したような境華の吐息が零れるのが先か、けものが傍に寄って目を輝かせるのが先か――ともあれ、彼女の元に辿り着いたココが声と共に体を弾ませる。
「わぁ、わあ! ふふふ、今日のきょうかさんはいつもとちがうおよーふくなのですね!」
「そうなんです。ど……どうでしょうか?」
カーディガンの端を揺らしておそるおそる問うてみれば、ますます楽しげに黒い体が跳ね回る。常とは違う姿の彼女に会えた嬉しさを日差しと同じだけいっぱいに吸い込んだ翼が、喜びを示すように周囲を飛んでいた。
ココの姿を目で追っていた境華の、幾分かの驚きを湛えた眼差しは、しかしすぐにも眦を和らげることになる。
「きょうかさんにぴったりな、おちついたはるのいろ~。それにね、あみあみなかみがたとってもかわい!」
「ありがとうございます。少し不安だったので……そう言っていただけると、安心しました」
屈託のない褒め言葉は不安を吹き飛ばすには充分だった。控えめな笑みで見返した先の黒い体も、境華に負けず劣らずの春めく装いだった。
「ココさんも、春色の装いがとても素敵です」
「えへへ。きょーかさんありがとです! ココもはるいろだから、はるいろおともだち~」
「ふふ、本当ですね」
ビルのただなかに咲いた二輪の春の花が並んで人波に目を遣った。目的地を決めているわけではない。さて何をしようか――切り出すより前に、ココが逸る様子で今しがた辿ったばかりの道へ視線を投じる。
「あのね、あのね。さっきあるいてたひとが、あっちのほうにたべものやさんがいっぱいあるっていってたのです」
ほんの小さな前足が無邪気に指し示す方には、成程確かに食べ歩く人々の群れがある。
団子、フルーツ飴、鯛焼き――やはり人気なのは甘味だろうか。中には唐揚げや肉まんを手にしている姿もちらほらとある。多種多様な屋台が出ているのは充分に伝わって来た。
表情の変化こそ慎ましやかながらも、境華の眼差しには少女らしい煌めきが小さく宿る。知ってか知らずか無邪気なけものが笑った。
「えへへ、ココおいしいのたべたいだから、たべあるきするのはどーですか?」
「良いですね。せっかくですから、色々見て回りましょうか:
「ふふ~、やった~!」
己自身が楽しいのは勿論としても、全身で喜びを表現するココには心が和む。弾む心地を足取りに映して、二人は人波に逆らって歩き始めた。
屋台が見えて来るより先に、鼻腔には暖かな食事の香りが滑り込む。小さな鼻を動かしているココの夢中さに、境華が小さく吐息のような笑声を零せば、首を傾げた黒い体が彼女を見た。
首を横に振って誤魔化す彼女の視線も店を巡る。左手にはフードが、右手にはスイーツが並ぶ構造だ。どちらかといえば甘やかな香りについつい惹かれてしまう少女の横合いから、なお弾んだ声が聞こえた。
「ふふ~、どれもおいしそなのです。きょうかさんはなにたべたいですか?」
「ううん、迷ってしまいますね。ココさんはお決まりですか?」
「ココは~……」
――ぐるりと一周するけものの視線が定まったのは、揚げたてのリングが並ぶ店先だった。
「あ! ドーナツ屋さん……! たべた~い!」
今すぐにでも飛びつきたいような心地で翼を動かすココは、横合いの少女のことを忘れてはいない。円らな眼差しは窺うように彼女を見る。
「きょうかさん、いいですか?」
「勿論です」
近寄っていった店先に並ぶのは、愛らしいサイズのドーナツだ。
境華であれば片手で持てる。幾つでも食べられてしまいそうな可愛らしいそれを覗き込みながら、彼女もまた我知らずカラフルなトッピングに視線を巡らせていた。
円は幸せの形である。どれもこれも捨てがたい中、店先で悩みに悩んだココは、ようやく迷いを振り切って一つを指差した。
「んとね~……きめました! チョコがかかったのにします!」
「とても美味しそうですね。ココさんにぴったりの大きさ……」
――見遣った先の黒い手はとても小さい。きっと胃袋の大きさも、境華とは比べ物にならないと思わせるほどに。
「でしょうか?」
「ふふ~、そうですね。ココのおなかもまんぞくなおおきさなのです」
果たしてその言葉通り、手渡されたドーナツは彼が持てばボリューム満点だった。
両手に抱えた甘い香りに齧りつく前に、ココには問わねばならないことがある。少女の顔と通りとを見比べて、けものが再び首を傾いだ。
「きょうかさんはどうしますか?」
「迷いますが……甘いものならクレープも気になります」
「ふふふ、じゃあさがさないとですね!」
跳ねるような声と共に、黒い手がドーナツを大切に抱えて周囲を見渡す。今すぐにもかぶりつきたいが、こういうものは一緒に食べるから美味しいのだ。
ココの仕草の意図を過たず理解した境華の唇が微笑を描く。垂れた眉尻には、気遣いに対する遠慮と抑えきれない喜びが綯い交ぜになっていた。
「ありがとうございます、ココさん。すぐに見付けましょうね」
果たしてココが限界を迎えるより前に、クレープ屋が無事に見付かる方が先だった。辿り着いた店頭の看板に目を輝かせるのは二人同時で、視線が彷徨うのも同じだ。
種類が豊富で些か迷う。おかず系と呼ばれるものを抜いても両手で足りぬそれの中から、ココが目敏く見付けたのは、端に貼られたポップだった。
「わ! たいへん! いまだけクリームぞーりょーみたいですよ!」
瞬いた境華の眼差しに分かりやすく煌めきが差す。控えめな表情がなおのこと明白に明るくなるのは日差しのせいだけではない。口の中に満ちる甘やかな幸福の総量が増えると思えば、口ぶりとは裏腹に決意は確固と揺るがなくもなろう。
「それは……とても危険な言葉ですね。けれど、せっかくですから」
「ふふふ、きょうかさんあまいのだいすきさんですから、きっとぺろりですね」
「ぺろり、できるかは分かりませんけれど……甘いものが好きなのは、否定できませんね」
となれば選ぶは一つ。増量されるクリームと同じだけのフルーツが盛られた一番大きな写真のものだ。
無事に手中に収まった分を片手に手近なベンチに腰を下ろす。何らの憂いもなくなったなら、後は口を開いて幸福を味わうだけだ。
「いただきまーす!」
「いただきます」
手にしたドーナツを大きく開いた口に頬張っても、真ん中に空いた穴には届かない。揚げたての生地の軽やかな歯応えの下にはもっちりとした生地が濃密に詰まっている。チョコレートの芳醇な香りと甘さが練り込まれた砂糖をなお引き立ててくれるようだ。
口いっぱいの幸いに舌鼓を打つココを横目に、小さく口を開いた境華は、はたと何かに気が付いて動きを止めた。
そのまま手にしたクレープを静かに友人の隣に翳して瞬く。視界の端に動く境華の手へ顔を上げたココが、奇妙な少女の動きに首を傾げて声を上げた。
「どーしました?」
「……ココさんと、クレープが同じくらいの大きさに見えます」
たっぷりのクリームと果実も含めれば、ほんの小さなけものとちょうど同等の大きさだ。まじまじと見詰めるココの眼差しが自身の体とクレープとを行き来して、表情を華やがせる。
「わあ! ほんとだ! でもでも~あしとからだのばしたらココのがおおきい!」
ドーナツを抱えたまま浮き上がった黒い体がぴんと足を伸ばす。胸を張った小さなけものは、それでも境華の翳したクレープから幾分はみ出して笑った。
「ふふ、確かに。ココさんの方が大きいですね」
「ふふん!」
和やかな大きさ比べの張り合いに、少女の唇も思わず緩んだ笑声を零す。見詰める先にあるクレープが、きっとココのお腹を満たして尚も有り余るだろう――という想像も、頭の中にお揃いだ。
果たしてそれを食べ切った人間の少女の胃袋と比べ、ずっと小さなけもののそれは健啖らしい。
「きょうかさんおなかまだだいじょぶですか?」
「お腹は、まだ少しだけ余裕がありますけれど……ココさんこそ大丈夫ですか?」
食べ歩きの続行を所望する素直な眼差しとは裏腹、境華の視線は心配げにココを見た。先のドーナツは彼を存分に満たしたように思えたのだ。食べすぎれば気分も悪くなるだろう。
彼女の心配を感じ取ったか、黒いけものが胸を張る。
「ふふ~、ココちいさいですが、ひとにあわせてとんだりあるくの、エネルギーたくさんつかうからおなかもすぐすいちゃうのです!」
「なるほど……それなら、たくさん食べたくなるのも分かる気がします」
境華からすれば労せず歩ける道も、小さな体には大変な道程であるらしい。次の店に向かうまでにはきっと充分に減ってしまうのだろう腹を思って、彼女も頷いた。
立ち上がって見る先にはフードショップが並ぶ。甘味を存分に満たされた舌が飽きないように、少女の弾む足取りが示すのは、味の違う一角だ。
「甘いものばかりになりすぎないように、次は少ししょっぱいものも良いかもしれません」
「たべた~い! ココね、じつはにくまんもきになってたのです」
「でしたら、違う味を選んで分け合うのも楽しそうです」
「わあわあ! わけっこもした~い!」
くるくると踊るようなけものの飛翔も心なしか力強い。そのさまに再び小さく笑みを浮かべた境華の眸は、減るのと同じだけすぐに満腹になるだろうココとの算段を指折り立て始めた。
「では、私は普通の肉まんではなく、少し変わった味を選んでみましょうか」
「かわったあじの……? ふふ~、たべてからのおたのしみ~というやつですね!」
やがて手に入った肉まんは、やはり境華の思った通りに一口の大きさが全く違った。半分に割ったのではココには大きすぎるから、少女の指先が目算で摘まんだ|一口分《・・・》を片手に持つ。彼が手にした分を食べ切る間に半分を簡単に胃に収めてしまえるが、先に宣言した通り、ココはお喋りと飛行に精を出しながらすっかり境華と同じだけを食べ切ってしまった。
フードを食べたら次は甘いものである。そうして交互に食べていると存外に境華の腹にも余裕があるような気がして来るものだ。一口大のカステラはココの手にも充分収まるから、今度は小さなそれをアソートにしたものを食べて歩く。
「少し速度を落とした方が良いでしょうか?」
「ん~、だいじょうぶです! きょーかさんといっしょにいっぱいたべられる~」
ご機嫌に鼻歌を零すココの手が、さくさくとした外側を噛んでいる。境華からすればほんの軽い小さなカステラは、彼にとっては二口三口を要するものだ。
揚げ物ばかりでは腹に溜まるのも早かろう――気の早い|次《・》を探して視線を巡らせているうちに、春めく歩様はますます楽しげにアスファルトを踏んだ。境華の足取りに合わせて飛ぶココが指すのはフランクフルトだ。
その横には団子のキッチンカーも出店している。どれもこれも目移りするばかりの爛漫な気配に、顔を見合わせた二人の唇が柔らかく綻ぶ。
「行きましょう、ココさん。次は何を見つけられるでしょうね」
「はい! いきましょうきょうかさん!」
一人では慣れてしまうばかりのよく知る味わいも、二人でなければ手を出せないような初めての味わいも、全て春の柔らかな風に後押しされて期待に変わる。大きな足と小さな翼の思う|一歩《・・》は異なれど、心の裡にあるのは同じ思いだ。
春を纏い、爽やかな風の中を歩くことは、きっと忘れ得ぬ一頁を刻んでくれる。大きな体と小さな口で味わう喜びが同じだけの暖かさを孕んでいることも疑いようはない。
暖かくなり始めた日差しの中を、春の色をした二人が歩いていく。思っていたよりも沢山を食べてもまだまだ遊び足りないのも、二人で共に声を交わすお陰だ。
人間のための料理は、どれもこれもけものの手には大きすぎる。爪楊枝で刺した唐揚げをそっと差し出した境華が、熱いから気を付けてください――と忠言を告げるよりも早く、かぶりついたココが慌てて口を離した。
揚げたてのそれの熱さを二人で分け合って、舌の上で踊る脂の温度に揃って美味しさと熱のどちらとも取れる悲鳴を上げる。重なる声にどちらからともなく笑ったのも、きっと、半分こ。
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