√アルビオン『ナギサデバイス』
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受け入れられない現実が眼の前にあるのだとして、それをどのようにして乗り越えるべきだったのだろうか。
自問自答は、どうしようもなく足踏みをさせる。
人の歩みを止めさせるのはいつだって、諦観であるという。
絶望ではないのだ、と。
けれど、であれば、この足踏みするのは自分が『後悔』しているからなのだと言い換えることもできるだろう。
『大切な人を救えなかった』
それは言葉にすれば、なんとも陳腐な言葉だろうか。
『私』は、敗北していない。
『私』は、憎んでいるわけでもない。
『私』は、絶望しているわけでもない。
『私』は、ただ受け入れられなかっただけだった。最期の、最期まで。到底受け入れることがなかった。
踏み出した一歩は、もしも。
もしも、向こう側からも、もう一歩踏み出す一歩と同じだったのならば。
この手はきっと届いていたのだと思う。
「どうしてだろう。どうしてなんだろう。どうしてこんなにも『私』達はすれ違ってばかりなのだろう。ボタンの掛け違いも、ささやかな入れ違いも、思い違いも、全部が意味のないことのように思えてならなくなって」
全部が、どうでもよくなってしまう。
でも、と思う。
『私』も、あの人も、人間だ。
相手を思い遣る善意や遠慮が積み重なって、避けられたはずの悲劇が目の前にやってきてしまう。
引き寄せたように、悲劇は眼の前に立ちふさがる。
逃げることも、避けることもできなくなってしまう。
どうしてだろう?
考える。
『私』は考える。
どうしてそうなってしまったのかを考える。
ずっと、ずっと、ずっと考える。
理解しようと務めた。
どうしてそんな事をするのかと言われたら、大切なものを取りこぼさないようにするためだ。
いつだって、人間はそのために努力するのだ。
であれば、取りこぼしてしまったのは努力をやめた時なのだろう。
なら、それは起きるべくして起きてしまった出来事であるとも言えるだろう。
悔恨は消えない。
絶望は拭えない。
悲しみは途切れてはくれない。
どこまで行っても、どれだけ歴史を重ねても、どれだけ言葉を重ねても、人は遅かれ早かれ、こんな悲しみばかりを得てしまう生き物なのだ。
これは結論だ。
だからこそ、この思いを鼓動にしようと思う。
「理解を止めないこと」
人と人とは本来、理解しあえるはずだ。
そうでなければ、言葉というものが生まれた意味がない。
言葉を得たからこそ、誤解が生まれる。
同じ言葉を使っていても、言い方一つ、ニュアンス一つ、前後のセンテンスの違い一つで、誤解を招いてしまう。
悲しいことだ。
けれど、どうしようもないことだ。
そんなすれ違いの摩擦が、通り魔の刃のように思えてしまう自分自身が嫌だ。嫌いだ。でも、他人までも嫌いになれない自分がいる。
最期の時まで、『私』はきっと願い続けるだろう。
人を信じたいと願い続けるだろう。
理解を、互助を通して、その心のうちの底にある真を得たいと思ってしまう。
「だから、こんなにもすれ違いは努力の方向性一つ違っても起こり得てしまう」
届かないこともある。
真心であっても、偽りであると捉えられることもある。
善意と善意とが出会っても、悲劇は生まれ得てしまう。
どこまでも人は理解し難いものだ。
理解しようと努めてなお、理解しきれない他人がいる。
それは、どうしようもないことなのだろうか?
「『私』は、あの人を失って初めて考え始めた。本当は、もっともっと早くに考えなければならないことであったはずなのに、『私』は、ずっとずっと遅かった。何もかも手遅れになって初めて、それがどんなにかけがえのないことであったのかを思い知らされた」
確かに自分の眼の前に現れたのは悲劇だったのだろう。
しかし、その悲劇の主は自分なのだ。
その悲劇を手にして自分が何をするのかが、肝要である。
そして、思うのだ。
「もう二度と取りこぼさないよにするためには、どうすればいいの?」
「君の掌はどうしたって隙間がある。人間のそれは、常にそういうものだよ。しようがないことなんだよ。悲しんでも、憂いても、詮無きことなんだよ」
そう告げる言葉に、『私』は、否と首を振った。
仕方ないことなんてない。
どうしようもないことなんてない。
だって、『私』には意思がある。
そうしたいという意思がある。
この意思は連綿と紡がれていくものだ。『私』ではない、いつかの誰かが為し得ることかもしれない。そういう希望を抱くこともまた、人のあり方なのだと思うのだ。
なら、未だ見ぬ次なる『私』に託す。
それは信頼と呼ぶものであった。
『私』という意思と次なる『私』という意思。
互いの意思で築き上げるものがある。
決して壊れない関係。
それを構築できると信じたいのだ。
「本当にそう思うかい? 決して壊れない関係だけが存在する世界なんてものが、存在し得ると思うかい?」
否定する声は、『私』には届かない。
誰も誤解せず、誰も離れず、誰も取りこぼすことのない世界は、きっとこの掌の中にだけ存在しているのだ。
「理解し合いたい。理解し合えなかった悲劇を二度と繰り返したくない。この二つだけは、決して『私』の中で摩耗することのない願いとして、存在し続ける」
「それは矛盾していないかい?」
「していない。理解し合えれば、悲劇は繰り返されない」
「けれど、悲劇がなければ、理解の重要性も解らない。理解できないものを理解の中で生み出すのなら、それはきっと」
「矛盾じゃない」
答えの出ないのならば、それは確定しないことである。
「『私』はもう二度と誰も失いたくない」
「それは、誰かの手を取らないことで完結することではないかい?」
「『私』は理解したい。だって、そうでなければ、あの人と理解し合えなかったという理由だけで生まれてしまった悲劇の、本当の意味も失われてしまうから」
「しかし、繰り返される悲劇こそが、人を前に進ませる。悲劇を繰り返させないためならば、前に進むことも否定するのかい?」
たとえ、偽りであっても。
その言葉が反響する。
『私』――『片霧渚』は、永久機関『ナギサデバイス』のうちにて、鼓動を続ける。
それは、戦うための力なんかではなかった。
無論、世界を滅ぼす意思でもなかった。
手放せなかった願いが形成した一つの観点でしかなかった。
悲劇というものを起点として、全ての事象に対して意思を示し続けるものであった。
終わらない自問自答。
デバイスの中で繰り返される懊悩。
伸ばした手を思い出す。
眼前で途切れた腕を思い出す。
血潮と、涙と、嗚咽とが慟哭となって脳を揺らし続ける。
「もう二度と、繰り返さない。繰り返さないためには、決して壊れぬ関係で」
「自分の心を鎧うというのだね」
「それが手段。それが、意思。それが、願い。それが、希望」
「自らを理解することではなく、あくまで他者を理解しようとし続けるのは、自らの姿から目をそらし続けることと同義だよ」
「それでも『私』が貴方を知ろうとすれば、貴方も私を知ることができる。それが互いを知ろうとすること」
繰り返さないための一つの手段。
手段が価値観へと変貌した経緯――。
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きっとそれは、恐怖だったのだと思う。
失うことへの恐怖。
どうしても、それだけは避けなければならないという恐怖。
胸の奥にある『ナギサデバイス』は、今も過去を振り返って慟哭し続ける。
それが鼓動となって胸を打つ。
何度も、何度も。
反芻するように、幾度となく繰り返され続ける悪夢めいた過去の出来事。
それは彼女――『片霧渚』にとっては、救いであったのかもしれない。
これは悲劇ではない。
狂える心の発露でもない。
常に考え続け、自身の理解と他者の理解との間にたち続けることを是とした思想に完結である。
他者から見れば、歪みつつあるものかもしれない。
不確実性と再現性のなさ。
それは当然のことだ。
一人として同じ人間がいないのだから、誰もに当てはまる真理など存在しえない。
人と人とが出会うたびに、また一からなのだ。
はじめから構築していく。
それはあまりにも遠い道程だろう。
どうしようもなく、苦しい道程だろう。
けれど、悲劇を繰り返さないという意思だけが、自問自答の足踏みを前に進ませるのだ。
「私は、『片霧渚』じゃない」
私は、真壁・蒼穹(飛燕空剣流末弟子・h02281)だ。
胸に抱く鼓動を糧にして前に進んでいく存在だ。
大切なものを取りこぼしたくない。
それは恐怖にも似た感情であった。
嘗てあった、思想と惹かれ合うのは必然でもあった。
「これは、理想じゃない。本物がほしい。その道程がどれだけ険しく厳しいものだったとしても」
それでも前に進んでいきたい。
効率も合理性も整合性もいらない。
付け入る隙などない。
これは。
「私の人生だ」
二度と繰り返したくないというのならば、『ナギサデバイス』が存在していること事態が誤りだ。
けれど、その悲劇があったからこそ、進める道程がある。
なら、その道はきっと己が振り返った残影でしかないのだ――。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功