シナリオ

パッチワーク

#√EDEN #ノベル #過去

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√EDEN
 #ノベル
 #過去

※あなたはタグを編集できません。


 いつのことかと訊かれても、手探りですら思い出せない。どの世界でかと問われても、何の確証も抱けない。ただ一つだけ確かなことは、いつの時代もどこの世も、濁った川には棲めぬ魚も居るのだと——淀み汚れた世界には、純真無垢なシュクレ・ド・リームは生きること等能わなかったと、ただそれだけのことである。そんな自明の理がわざわざ長い時間を掛けて結実を得た、あれはそれだけの沙汰だった。
 思い返せばシュクレ・ド・リームがこの世に生を受けたその日より、たとえ騙し騙しでも、酷く綱渡りめいてでも十年という歳月を無事に過ごせていたことが最早奇跡に等しいか。それでも十一を迎える日すら間近であったと、言い訳がましく添えておこうか。
 “de“の着くその名の示す通りに、シュクレの生まれは高貴であった。世が世なら青き血がその身に巡ると誇らしく喧伝していよう貴族の家系の末娘、嗚呼、実際に抜ける様に白いシュクレの肌になら、巡る血が赤ならぬ青だと述べても誰も異存は唱えられまい。名匠の手になるビスクドールの白磁すらおよそ敵わぬ白皙よ。そうして血の気を知らぬと言って良いほどに白いくせをして、頬に唇に滲ませた、極上の顔料を刷いたかの様な桜色の淡い鮮やかな色合いは、稀代の詩人の言葉を以てすらおよそ満足に表せまい。豊かに広がる同色の髪の色も相俟って、彼女が歩む場所にはいつも春が訪れたかのようであると家族も使用人たちも、目にする誰もが称賛をした。
 他方で両親、兄姉の悩みの種は、ロマンチックな見目に劣らず、シュクレ自身が酷くロマンチストなことだった。物心がついた時から鏡を覗けば御伽の世界がそこにあるのだ。御伽の世界と言うならば、登場人物たちもまた相応しくあるべきだ。即ちシュクレにしてみれば、現実の同世代の少年少女の誰も、彼女の世界に相応しくないと思えるらしい。現代風に言うなれば、作画が違うとでも言う程に、容姿の格ではきかぬ程度の隔たりを覚えているものか。だが、第三者から見てすらもそれは無理のないことに思われた。故にこそ誰が咎めることもなく、必然、シュクレの関心はより愛らしいものたちへ——ビスクドールには己が勝ってしまうから、決して己と張り合うことなき愛らしさ、それを携えるぬいぐるみたちへとシュクレは傾倒して行った。
 彼女がぬいぐるみに熱をあげた理由はもうひとつあるやもしれぬ。一族の傍系、何分の一の血が繋がるかもよく解らない縁戚の、ひとりの青年が街のはずれでぬいぐるみの店を兼ねた工房を出していた。本来ならば高貴なる一族としては決して好ましからぬ、優雅ではない労働者。だが、彼とシュクレとの付き合いを差し控えさせたいはずの父母ですら、持ち帰ってきたぬいぐるみを友として紹介して来るシュクレを前に、その諫言は出来かねた。
「この子はシュクレの為にお兄様が作ってくださったの!」
 砂糖細工を思わせる繊細可憐な笑顔でそう告げられて、誰が咎めることが出来よう? 故にあの日も、誰ひとり、街のはずれの工房に出かける彼女のことをただ笑顔で見送るだけだった。
 彼らが、シュクレが、住んでいるのはきっと何処までもこの世の中の上澄みだ。下層がどれだけ汚れ淀んで居るか等、夢にも思い描けない。高い塀と護衛に護られた己の邸宅とは別に、市井がどれだけ泥に塗れて困窮に喘いでいるか、知らなかったのが不幸の始まりやもしれぬ。結論のみを言うならば、宝飾品を扱うでもないただのぬいぐるみ工房を、僅かな売上と仕入れの為の現金を狙って賊が襲う程には、この世の底辺は底辺だ。だが、そんな事情をシュクレとその一族たちは知る由もないのだ。この日まで。
 その日、工房の扉が乱暴に破られた刹那、パッチワークのテディベアを縫っていた店主は、咄嗟にシュクレを背に庇おうとした。こう言う輩の目的などは知れたこと、不毛な問答と暴力を受ける手間を省いて開口一番金の在り処を告げたのに、強盗どもは顔を見られたからだのと宣ってナイフを振り下ろしたのだった。そうして血の海に沈んだ彼を尻目に悠々と店を漁った。
 床にへたりこんだまま、机の上で血染めになったテディベアを一点凝視しているシュクレのことなど端から存在もせぬもののようにして。
「あぁいけねぇ。このガキ、全部見てたのか」
 目ぼしいものを粗方集めて一旦は戸口に向かおうとした強盗が、床に座り込むシュクレを見下ろし足を止めたのは暫く後の事。
「拉致るか?」
「いや、今日びガキには大した値はつかねぇよ」
 当たり前のようにして目の前に突き付けられた刃に何を思ったか。シュクレには今も思い出せないままでいる。
「どうせ殺すならついでにバラして遊ばねぇ?」
「いいね。なんかあんなぬいぐるみ流行ってんだろ?」
「顔はやめろよ、勿体無い——」
 覚えていない。思い出せない。
 思ったことはただ一つ。|つぎはぎの魔法《パッチワーク》で何とかしなくちゃ、と。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト