シナリオ

サマー・ガールズ

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 土曜の青空の下、コンクリートの灰色を飲み込みそうなほどに青く燃える街路樹たち。空と緑の狭間を忙しなく歩く人々を、シンシア・ウォーカーは少し得意げに見やる。こういう時、旅人は気楽だ。
 改札を出てすぐの駅前、周辺案内図が今日の待ち合わせ場所。案内図が早朝の日差しを遮るため過ごしやすい。
 少しつま先立ちして人混みを見渡すたび、日焼け対策に羽織ったシアーカーディガンが揺れる。首元を伝う汗を、青紫のキャミソールが濡れる前にハンカチで拭う。
 足元へ目を落とすと、お気に入りのレースサンダルが視界に入る。一目惚れして買ったとっておきだ。小石を蹴るように軽く足を振ると、七分丈の青いフレアパンツがふわりと裾を広げた。
 スニーカーにすべきだっただろうか? だが今日は一番お気に入りのコーデにしたかったのだから、すべて覚悟の上だ。

「ごめんなさい、お待たせしました!」
 待ち望んだ声に、シンシアの表情がパッと華やぐ。
「境華さーん、こっちです!」
 片手を大きく振ると、周りの視線が一斉に集まる。|神隠祇《かみおぎ》・|境華《きょうか》は小走りに駆け寄ってくるなり、周りに小さくお辞儀を繰り返した。
「どうしたんですか?」
「見られるのが恥ずかしくて……」
「そんなに気になります? それに『お待たせ』だなんて、まだ約束の5分前ですし」
 シンシアは言いながら境華の服に目を移す。丈が長くシアーの和風羽織は、見慣れた彼女らしさ。けれどその下の白いタンクトップと濃いめのクロップドパンツは良い意味で新鮮だ。
「……どうでしょうか? 渋谷でお店の方に選んでもらったんです」
「もしかして、今日のために?」
 境華が照れ臭そうに頷くと、シンシアは目を輝かせた。
「嬉しいですっ! いつもと違う髪型も新鮮で、すっごく可愛らしい……どこのお店で買ったんです!?」
 小ぶりの麦わらハットに目が移ると、境華はそれを被り直しはにかんだ。
「ありがとうございます。シンシアさんも普段より涼しげな装いで、とても素敵です。やっぱり、青がお似合いですね」
「ふふん、夏ですからね! 動きやすさ重視で合わせてみましたっ!」
 普段はあまり見せない白い腕で、力こぶを作るような仕草。境華は「本当に、素敵ですよ」と繰り返した。

 ふたりは少し離れた小さな駐車場へ向かった。
「じゃん! 本日の乗り物はこちらです!」
 シンシアは事前に借り受けたレンタカーを自慢げに紹介した。
「まあ、ではお荷物も既に?」
「ご明察! この通り、完璧ですよ!」
 後部座席には、テントやクーラーボックスなど、キャンプ用品が詰まっている。
「こないだ買い出しした食材も揃ってますから、安心してくださいね」
「残りの生鮮品とアイスは行きがけのお店で、ですよね」
 入念な計画の賜物だと、ふたりは笑い合う。
「運転に荷物の積み込みに……シンシアさん、何から何までありがとうございます」
「とんでもないです、今日は楽しいキャンプなんですし。それにいつも通りインビジブルも使いました」
 今日のレジャーが楽しみすぎて殆ど自分で積み込んだことは、黙っておくことにした。アクセルを緩やかに踏むと、安全運転の旅が始まる。

 途中で残りの買い出しを挟みつつ、約一時間後、車は高速道路の上を走っていた。カーラジオが渋滞情報を知らせると、シンシアは安堵に息を吐く。
「危なかったー。お店を出るのがもう少し遅かったら巻き込まれてましたよ」
「先日の買い出しの経験が役に立った……の、でしょうか?」
 境華は口元に手を当てくすくす笑った。
「あの時のシンシアさんったら、急に制服屋さんに入ってしまって……ふふ」
「き、境華さんだって、食料品コーナーでふらふらしてたじゃないですかっ」
 和やかな会話のうちに、外の景色は山間へと移りつつあった。

 渓谷のキャンプ場に着いたのは、出発から約2時間後。
 ふたりは荷物を下ろすと、テントの設営の前に川へ足を運んだ。
 秘境を思わせる自然は鮮やかな緑で満たされ、無機質な都会と地続きとはとても思えない。川のせせらぎ、小鳥の囀り、木々のざわめき、全てを包み込む柔らかく優しい静寂。
「静かでとても気持ちがいいですね……」
 川面を撫でる爽やかな風に髪を遊ばれながら、境華は帽子を押さえた。
「今日はここで日頃の疲れを癒やす……まーえーに!」
「前に?」
「ででん!」
 シンシアはふたり分の釣りセットを見せた。
「境華さん、釣りの経験はあります?」
「いえ、全く……シンシアさんは?」
「ありますとも、なにせ旅人ですので。こんなこともあろうかとレンタルしておきました!」
 シンシアは餌の川虫を摘み取り、ニヤリと笑った。

「ここに餌をつけて、投入は……こうっ!」
 ちゃぽん。シンシアの釣り糸が水面に波紋を起こす。
「あとは当たりが来るまで待つだけです。簡単でしょ?」
「確かに……道具はあまり複雑ではないですね。えっ、と……」
 境華なりに見様見真似で餌をつけ、川の畔に並んで釣り糸を垂らす。
「静かにしてたほうがいいんでしょうか?」
「大騒ぎしなければ大丈夫です。お喋りしましょう!」
「お喋り……」
 しばし沈黙が流れ、
「……朝、本当はもっと早く着く予定だったんです。けど、昨晩は楽しみで寝付けなくて」
「え! 境華さんが!?」
「はい……今日は一日シンシアさんとゆっくり過ごせると思うと、どうしても」
「そんなこと言われると顔が緩んじゃいますね。えへへ」
 ふたりは揃って恥じらい、また静寂が訪れる。

 しばらくすると、出し抜けに境華の釣り竿が揺れた。
「わ、それ当たり来てますよ!」
「へ? ど、どうすれば」
「タモは私が持ちますから、こう……えいっと!」
「え、えいっ!」
 水飛沫を上げ、艶やかに輝くヤマメが姿を現す。シンシアは素早く網でバケツに移すと、パチパチと拍手した。
「凄いです! ヤマメはイワナより釣るのが難しいんですよ!」
「そうなんですね……! ふふ、初めての釣り大成功です」
 境華はしゃがみこみ、バケツの中で泳ぐ釣果をじっと見つめた。シンシアはにこやかにその横顔を見守る。
「ところで、お魚ってどう調理するのがいいんですか?」
「そうですね。やっぱりストレートに焼いちゃうのが一番……」
 思案するシンシアの背後で、立てかけた釣り竿の先端がピクピクと震えていた。
「って、シンシアさん、釣り竿が!」
「え? わわわ、バレちゃうバレちゃう!」
 さっきまでの静けさが嘘のような騒ぎは、昼まで続いた。

●
 少し前、映画化されたというミステリーを読んだ時のことだ。唸るほど緻密な構成と大胆な筆致に、境華はすっかり魅了された。
 調理に取り掛かるシンシアの手さばきを見ていると、あの時を思い出す。ページをめくるたびに新しい物語が現れるように、手品めいて作業が進んでいくのだ。
「ヤマメは内臓を抜いたら串を打ちまして、っと。じっくり焼いた方がいいので先に火にかけちゃいましょう」
 シンシアは言いつつスキレットを取り出した。
「まさか興味本位でポチッたこれが役立つ日が来るとは……」
「手際がよいだけではなく、色々なものまでお持ちなのですね。まるで物語の魔法使いです」
 簡単な作業ぐらい手伝うつもりだった境華は感嘆するばかり。
「じゃあメインは一緒に作りましょう。まずは材料を綺麗にしてもらえますか?」
「はい。お任せください」
 具材の汚れを取り、教わりながら包丁を入れ、スキレットへ並べたりと、境華も出来る限り作業を手伝う。
「一緒にスーパーで決めたメニューを作るの、楽しいですねっ」
「ええ。正直言うと、もうお腹がペコペコです」
 つまみ食いはしないように、なんてシンシアに釘を差され、笑い声が上がった。

 小一時間後、空腹を刺激する音と香りが、二人を包みこんだ。
「シンシア流キャンプフルコース、完成です!」
 川魚の串焼きに貝類の網焼き、そしてメイン料理はアヒージョ。具材はトマトにベビーホタテ、ニンニク、エトセトラ。仕上げにパセリを散らせば色合いも鮮やかだ。
「すごく豪華……! これ、お店で出せるのではないでしょうか?」
「まあまあ、そこは食べてみてからということで」
 ふたりはにんまり笑いながら両手を合わせた。
「「いただきます」」
 まずはアヒージョから。

「「おいしい」」
 お互いを見、こくこく頷きあう。
「やっぱりお店で出せます。私が推薦しますよ」
「ありがとうございます! これは確かに会心の出来です!」
 一度食事が始まると、もう手が止まらない。次は串焼きだ。
 程よく焼けた白い身に塩をふりかけ、お手本としてシンシアがまず齧り付き、それを見た境華も控えめにがぶり。
「「おいしい……!」」
 今度は瞠目して溜息混じりに。
「自然の中で調理して食べたからでしょうか? すごく新鮮な味わいです」
「やっぱり、自分で釣ったお魚を食べるのは違いますからね。釣り、ハマッちゃいました?」
 喋りながら、ぺろりと平らげてしまうのであった。

 食後はテントの設営だ。
「ええい、さっきからやかましい」
 シンシアはインビジブルを睨みつけ、境華には笑顔で振り返る。
「境華さん、そっちの部分持ってもらえます?」
「はい、こうですよね」
「そうそう。そしたらこれを……あ、あれ? こっちかな?」
 試行錯誤するシンシアと、それを不思議そうに見つめる境華に、またしてもインビジブルが近づいてきた。
「あーもうごちゃごちゃと! 私だって一回は使ったことありますから!」
「シンシアさん……?」
「だ、大丈夫ですよ? いやー一緒だと作業の進みも早いなー!」
「まだ何も始まってないような……」
 タープの設営完了まで、終始そんなノリが続いた。

 だが出来上がると、何の変哲もない二人用テントでも、境華には隠れ家のように見えた。
「わあ……今日はここで休むんですね!」
 意味もなく出入りを繰り返し、うっとりと感激する。期待以上の反応に、シンシアは満面の笑顔だ。
「チョコでもつまみながら休憩しましょっか」
「賛成です!」
 今度はふたりで潜り込み、他愛もない雑談に花を咲かせる。
「この後はどうしましょうか?」
「せっかくいい陽気ですし、探検とかどうです?」
「渓谷の冒険、ですね? 腕が鳴ります!」
 境華はさっそく革のブレスレットを外し、テント内に運んだサコッシュへ仕舞い込む。
「隠された洞窟とか見つかったり……なーんて、早々ありませんよね」
 と言いながらも、胸踊らせるのはシンシアも同じだ。

 釣り場と逆に山の奥を目指すと、川の上流に出くわした。
「ここ、浅めで歩けそうですよ」
「えっ? 入るのですか?」
 シンシアが躊躇いもなく川に踏み込んだことに、境華は驚いた。
「あー、涼しくて気持ちいい! 境華さんも、ほら!」
「そういうことであれば、私も……」
 サンダルを脱いでシンシアが伸ばした手を取り、つま先で水面に触れる。
「ひゃっ!」
 甲高い声にいたずら心が湧いたシンシアは、手を繋いだまま、もう片方の手で軽く水をかけてみる。
「つ、冷たいです!」
 しばし無言で見つめ合ううち、シンシアのにんまり顔が境華に移る。持っていたサンダルを河原へ緩やかに放り出すと、
「お返しですっ」
「隙を見せたほうが悪いんですよ!」
 水飛沫とともに笑い声が弾け、乾いた石を濡らす。気付けば膝まで濡れたふたりは、お互いを見てまた大きく笑った。

 さらに奥へ進むと、木々のあわいに広がる一面の花畑。キャンプ場の広告にはなかった風景だ。
「洞窟ではありませんけど、隠しスポットはちゃんとありましたよ」
「探検、やってみるもんですねえ」
 太陽は西の空へ傾きつつあり、頭上を覆う枝葉のおかげで夏とは思えないほど涼やかだ。
 そよ風が森を吹き抜け、花々の甘い香りを届ける。輪唱のような安らかなざわめきに、ふたりは静かに耳を傾けた。
「こんなにお花が咲いていたら、冠も作れそうですね」
 ぽつりと溢れた一言に、シンシアは「それです」と手を叩いた。
「作りましょう、花冠! お互いにお花を見繕うのはどうですか?」
「私が、シンシアさんのものを……それは楽しそうですね」
 そうと決まれば材料集めだ。花畑の中に座り込み、これはと思った花を摘んでは相手の髪にかざしチェックする。

「境華さんの黒髪にはやっぱりこれだと思うんです」
 シンシアが選んだのは美しい白。
「綺麗な金髪ですから、これが……いえ、やっぱりこっちのほうが……」
 境華は色とりどりの花を一つ一つ入れ替え、全体的な色合いを整える。
 そして互いにアドバイスしながら花冠を編み上げると、まずシンシアから、次に境華からと、厳かな戴冠式のように贈り合う。
「やっぱり白にして正解でした。お似合いです」
「シンシアさんも、すごく素敵ですよ」
 それ以上の言葉は要らなかった。ただ笑いを交えるだけで、喜びと親愛が伝わる。
「そうだ。写真……」
「どうせならふたりで映りましょ? ぴーすぴーす」
 境華は頷き、シンシアとぴったり身体を寄せ合った。

 テントに戻る途中、二人は大きな木陰で一休みすることに。
「たくさん遊んで疲れました! でも涼しいのはいいですね」
「これ、いかがですか? テントから持ってきたんです」
 境華ははちみつレモン漬けを炭酸水で割ったものを、携帯用コップに入れて差し出す。
「ありがとうございます! ……あー、甘いものが沁みる~」
 境華も自分用のコップに口をつけると、心地よい疲労が、甘酸っぱさのなかにゆっくりほどけていく。
「この花冠、お祈りでなんとか長持ちさせられないかなあ」
 シンシアは独りごちながら、なにやら念力めいて奮闘している。
「そんな力をお持ちなんです?」
「あります。セレスティアルパワーです。……普段は全然使わないんですけど」
 境華は「シンシアさんらしいですね」と微笑んだ。

 すると、ぽつぽつと小さな音がざわめきの中を飛び跳ねた。
「あれ、空暗くなってません?」
 シンシアが見上げた瞬間、桶をひっくり返したような夕立が訪れる。
「わあ! ここにいたらずぶ濡れです!」
「急ぎましょう!」
 ふたりは手を取り合い、慌ててテントへ駆け戻った。

 幸いすぐに動いたおかげで少し濡れるだけで済んだが、念のためタオルで水を拭き取る。水合戦のせいで思ったより身体は冷えていた。
「風邪引かないように気を付けてくださ……ふえっくちゅん」
「私は大丈夫ですから、シンシアさんこそちゃんと拭かないといけませんよ」
「はーい……」
 まるでいたずらを叱られた子供のようだ。あながち間違いでもなかった。

●
 しゅっ、しゅっ……何度も擦り付けた木にようやく小さな種火が生まれると、ふたりは新たな命の誕生に立ち会ったかの如く喜んだ。
 わざわざ道具を使わず火を起こそう、などと言い出したのはシンシアだったか。境華も懸命に手伝ったものの、夕立の湿気のせいで難航し、いつの間にかすっかり夜である。
「で、でも待たせただけはありますよ! じゃじゃーん、目玉のお肉です!」
 前日の買い出しでふたり相談して決めた、ちょっと質の良い肉。それを切ったばかりの玉ねぎと一緒にしょうが・醤油で味付けする。
「というわけで、おまちどう様! シンシア流生姜焼きです!」
「……シンシアさん」
 境華は神妙な顔を上げた。
「あなたはなんでも作れてしまうのですか? 手際が良すぎます」
「び、びっくりした。火起こしのこと詰め寄られるのかと」
「とんでもないです! あの、さっそくいただきますね?」
 よほど空腹だったのか、境華はいつになくそわそわし、ぱくりと一口。その様子を、シンシアは落ち着きなく見守る。
「……美味しいです、とっても!」
「よかったぁ~……」
 胸を撫で下ろす。旅人の面子は保たれたようだ。
「シンシアさんはいつだって頼りになるんですから、そんなに構えないでください」
「だって、作ろうって話してましたし!」
 結局食卓に訪れるのは、楽しげな笑い声。

 小さかった種火は、食事を終えるとすっかり立派に育ち、宵の闇の中で鮮やかに身を踊らせる。
「夜の火の灯りって、独特の雰囲気がありますね」
 炎に照らされる金色の瞳は、それ自体が燃えるようだった。
「なんだかシメのような雰囲気ですけど、まだまだありますよ~? ほら、マシュマロ!」
 いつの間にか棒を用意していたシンシアは、袋から取り出したマシュマロをぶすりと先端に刺し、炎でじりじり焼き上げる。
「これが焼きマシュマロなんですね。私もやってみていいですか?」
「もちろん! そのために徳用のを買いましたからね!」
 シンシアは得意満面で「マシュマロはまんべんなく焼くのがコツ」だの、「普段は食べると割とがっかりするけどロケーションが大事」だの、テクニックやらどうでもいい雑学やらを披露するが、
「あー、焦げたー! これ難し!」
 と、自分もそんなに慣れてないことを露呈した。
 だが、境華はむしろ嬉しそうに微笑む。シンシアはその顔を不思議そうに見返した。
「どうしてそんなに笑顔なんです?」
「だって、苦手なのが私だけじゃないって分かって、逆に心強いんです……ふふ、ほんとに難しいですね、これ」
「……あはは」
 焼き上がったマシュマロをクラッカーで挟み込み、スモアにすると、ふたりはまた他愛もない雑談を弾ませた。
 朝からこうして喋り通すのは何度目だろうか。だが、言葉を交わしても交わしても――むしろ交わすほどに、伝えたいことが湧き上がるようだ。

 それをそのまま紡ぐ代わりに、シンシアは音楽を頼ることにした。
 アコースティックギターをおもむろに取り出し、ややぎこちない手つきで爪弾く。
 むろん、プロの腕には程遠い。だが猛練習したことが一目で分かった。表情、手つき、少し強張った姿勢……不要な力みが、逆にひたむきさをありありと伝えるのだ。
「……い、以上です! いかがだったでしょうか!」
 シンシアがちらりと様子を盗み見ると、境華は目を丸くし、半ば呆然と緩やかに拍手する。
「……もしかして、あの骨董市で買ってからずっと練習してくださっていたんですか?」
「それはもう、たっぷりと。まあ逆に色々身の程を知ったといいますか……」
「そんなことありません! とっても……本当に、感激しました」
 そこまで言われたのが照れくさくて、シンシアはへらりと笑みを蕩かせた。

 見上げると、空には満天の星々。
 今日見た景色の中で、一番綺羅びやかで美しい。
「今日のこと、すごく楽しみだったんです」
 揃って空を見上げながら、境華が呟いた。
「色んな準備を通じて、絶対に楽しい一日になると思って……こんなことなら、私もお料理を少しぐらい覚えておくべきだったかもしれませんね」
「何をおっしゃいますやら。お手伝いしてくれましたし、こうやって一緒に綺麗な空を見れただけで十分過ぎます」
 シンシアは頭をかきながら「それに楽しみにしてくれてたの、嬉しいです」とまたへらへら笑う。
「あの、お世辞ではないんですよ。正直、少し前まではこんなふうに一緒に出かけるとは思っていなかったのは確かなんですが……」
「それは私もそうですよう」
 銀の瞳に、頬と似た赤みが差す。
「でも今はすごく色々なことを経験してきてます。だから……これからも、よろしくお願いしますね」
「……はい、もちろん」
 境華の笑顔は、シンシアの目には星よりも輝いて見えた。
「今日のこともちゃんと日記に書きます。書きたいことがたくさんあるんです」
「それは嬉し……ん? 『も』??」
 シンシアは訝しんだ。
「あの、もしかして今までも既に? ちゃんと頼れるスーパー完璧淑女だって書いてくれました?」
「そ、それは……ごめんなさい、今回からはちゃんと気を付けます」
「えっ、本当に書くんですか!? っていうか、今までの内容も気になるんですけど!?」
 騒がしい声を、星々も静かな夜も、誰も邪魔することはなかった。

●
「シンシアさん、起きてください」
「うーん……あと五分~……」
「シンシアさんっ」
「……はっ!?」
 がばりと慌てて跳ね起きたシンシアは、髪を直すのも忘れ急いでスマホをチェックした。
「ぎゃあ! レンタカーの時間が!」
「やっぱり……朝ご飯も食べるんですよね? 本当に間に合わなくなってしまいますよ」
「ご、ごめんなさい! いやしかしこんなこともあろうかと秘密兵器ホットサンドメイカーがあ!」
 どたどたと荷物をひっくり返す姿を見ながら、境華は昨夜のことを思い出した。

「……寝ないとですね」
「ですね。おやすみなさい……」
「……そういえば、シンシアさんは以前野宿でも平気とおっしゃられましたよね」
「へ? ええ。楽園顕現がありますし。でもお宿に泊まるのも好きですよ、ご飯美味しいですから」
「なるほど……あ、いただいたブランケット、あったかくて快適です」
「寒くないですか? それならよかったです。テントって思ったより冷えますからねえ」
「でも、楽しいですよ。なんだか眠るのが勿体なく思えて」
「わかってくれますか!」
 シンシアはブランケットを跳ね飛ばし、勢いよく身を起こした。
「寝てしまえば一日が終わっちゃう、けど眠らないと明日が大変。さりとて目を閉じれば、思い浮かぶのは今日のこと、そして明日のこと……ほら、居酒屋グルメとか、話したいことたくさんありますし!」
「シンシアさんも同じだったんですね。実はその行き先のことでアイデアがあって……」

「……ね、寝ないと、ですね」
「そうですねえ……おやすみなふぁい……」
「……」
「……」
「…………あの、私、今日はどれも楽しかったんですけど」
「ふぁい? |私《わたひ》も川遊びとかすんごく……」
 境華は完全に目が醒めていた。
 普段夜ふかしなど滅多にしないお嬢様にとって、自然に囲まれた初めてのテント、隣には親しい大事な友人という状況は、あまりにも刺激的だったのである。
 勿論、頭では分かっている。帰りはシンシアに運転をお願いするし、レンタカーの返却時間はかなり早めだ。
 シンシアの提案で朝の食事を摂ってからここを発つことになっているが、それを考慮するともうとっくに寝入っていなければならない。
 しかし目を閉じると、これまでのこと、これからのことが万華鏡のように溢れ出し――。

 ふと、柔らかなぬくもりが掌を包んだ。
「境華さん」
 隣を見ると、優しげで大人びた微笑がすぐそこにある。
「私たち、出自もなにもかも違いますけれど、だからこそ妙に嬉しくなることがあるんです」
 きゅっと、シンシアは少女の手を少しだけ強く握りしめる。
「友達だなんて言葉では、この気持ちは包み込みきれなくて……でも、どう名前をつければいいか、正直わからないんですよね」
「……ええ。私もそうです。だから日記をつけるとき、少し困ってしまうんですよ」
 少女の掌が、乙女の手の甲に触れ、そして撫でた。
「でも、今日という一日は、私の心のなかの大切な本にしっかりと刻み込まれました。絶対に忘れられない一ページです」
「……落ち着きました?」
「はい。ありがとうございます」
 甘くて、少しだけくすぐったくて、絶対に離したくないぬくもり。ランタンの灯火を消すのも億劫になるほどの。
「おやすみなさい」
 闇の中、告げたのはどちらか。それさえも溶けるように曖昧だった。
 光なくとも視線が交わっていることだけは分かる、すぐ傍の吐息を感じながら、ゆっくりと幸福な微睡みに浸る――。

「……一つだけ、反省点も絶対に書いておこうと思います」
 境華は眉間を指で押さえ、完全にはしゃぎ飛ばした自分の未熟を悔いた。
「へ? なんですか? と、とにかく急いで荷物積み込まないと!」
「そ、そうですね! あ、でもサンドイッチがまだ……チーズが溢れ出て……!」
「ありったけ詰めた弊害出てる! もうこうなったらインビジブルフル稼働です!」
 帰り際の大騒ぎの後、車内は次の計画でさらに盛り上がったとか。
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