シナリオ

夏色プロムナード

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 中心街から少し離れた閑静な住宅街、のさらに奥。ガイドブックの頁を開くと涼やかな色合いの上で多様な魚たちが描かれていた。より大きなスペースを使って紹介されているのは大水槽――控えめの照明の下で群れを成して泳ぐ魚たちの美しい姿を見られる、この水族館の大人気スポット兼デートスポットだ。
 シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)の指先が水族館の名前をなぞったところで、小さな声が聞こえてシンシアは顔を上げた。丁度通りがかった神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)がシンシアに気付いて思わず声が出たらしい。いつものように挨拶を交わし、いつもと違ってシンシアはガイドブック片手に目を輝かせて境華へと詰め寄った。
「境華さん、今日空いてますか。水族館行きませんか」
「今日、ですか?」
 戸惑う声に元気な返事。シンシアが見せたガイドブックを境華も覗き込んで、弾んだ声の案内人の語り口を聞いている。一つ一つトピックを取り上げて熱弁を披露するシンシアの声を聞いていると、境華もじんわりと興味が湧いてくる。
「というわけで、夏は待ってくれませんよ。今です。行きましょう!」
「……今?」
 朝一。
「今です」
 鳥たちがまだ寝惚けたような鳴き声を聞かせる中でのシンシアの熱意に、境華は眦を緩めて微笑んだ。
「ふふ、はい。行きましょう」
 
 時期は夏。多くの学校が休みに入り、日中から子供たちが街に解き放たれる。特に、普段遊びに行けない場所には親に連れられてやってきた子供の姿が多かった。
「すごい……人混みですね……?」
 水族館の前ですら人だかりが出来ており、ともすれば逸れてしまいそうに人々の歩みが波打っていた。
「これは……迷ってしまいそうです。境華さん、手つなぎましょう」
「手、ですか?」
 隣同士で立っていたシンシアが境華に手を差し出す。水族館に来るまでも、混み合う歩道でお喋りの合間に人が通った。
 境華が差し出された手を見つめていると、自分の頬を指先で撫でたシンシアが言葉を付け加える。
「……これははぐれないようにするための合理的判断です」
「あ……はい。分かりました」
 境華が手を取ると、シンシアがきゅっと握り返す。少しだけ体温が上がったような心地がするのは、夏の日差しのせい。境華の視線が少しだけ落ち着かないのも、この人混みのせい。
 なんて。
 言葉少なに水族館の入口を潜った二人はそんなやり取りも忘れるぐらい、視界いっぱいに広がる藍色の天井と揺らめく水面の影に目を奪われた。アクアリウムが両側にずらりと並び、壁や天井にうつくしい影を落としていた。
 これでも、大水槽には及ばない。写真でしか見た事のない大水槽への期待を膨らませながら、シンシアは境華の手を引いた。はっとなった境華はシンシアの後に続いて進路の流れに合流する。
 最初に出迎えたのは船の小窓のようにくり抜かれた、小さな水槽の並びだった。
「これは……アルタムエンゼル」
 境華が説明文の文字列を読み、シンシアが水槽の中を覗き込む。淡い飴色の魚が中央から少しズレた所でふわふわと浮かんでいた。
 どうやら熱帯魚の並びらしい。小さな子供たちには文字の羅列は退屈なようで、ゆっくり水槽を眺めていても意外に邪魔にならなかった。無邪気に駆け寄ってきた少年に前を譲っても、数秒もしない内にぱっと隣へ移っていく。
「隣の展示にはワニがいるみたいです」
「ワニ? ……ワニ?」
 水族館に?と言いたげなシンシアの手を境華が引いて、大水槽の前に小さな寄り道。どうやら期間限定イベントらしく、ガイドブックには載っていない内容だ。通路を抜けて部屋に入ると、生暖かい空気が頬を撫でた。
 部屋には熱帯雨林が再現されている。背の低い水槽の壁が腰辺りで途切れており、よりリアルに生息域の雰囲気を感じられた。
「あ、シンシアさん、いました。思ったより近いですね」
「本当ですね……! 触れちゃいそうです」
 のんびり歩くメガネカイマンの瞳が思ったよりもつぶらで可愛い。多くの人々が眺めている前でうとうとと眠そうにしていた。
「ふふっ、思わぬ収穫、ですね」
 今日来たから見れたワニの部屋を後にして、二人はいよいよ話題の大水槽の前に辿り着く。エントランスも豪華だったが、この大水槽を見た後だとちっぽけに思えるような、壁一面の水槽が二人を出迎える。
「すごい……」
 シンシアはゆっくりと顔を上げて感嘆の声を零す。写真だけでは伝わらない壮大さが目の前に広がって多くの魚たちが泳いでいた。小さな魚影がちかちかと床に煌めいて、部屋そのものが芸術品になっている。境華も少しだけ瞠目して息を呑む。悠然な海の世界が眼前に現れて存在感をまざまざと見せつけた。
 思わず立ち止まってしまったシンシアがはっと我に返り、ふと隣を見て口元を緩めた。やっぱり、今日来て良かった。目を輝かせる境華の姿を見ていると、シンシアも胸があたたかくなる。
「端からゆっくり見ませんか?」
「あ……はい、そうしましょう」
 人気のスポットとはいえ、相応に広い部屋では人混みを気にせず歩いて行ける。シンシアが手を引いた方は装飾のサンゴ礁が豊かに実り、小魚たちの棲家になっていた。大水槽では大きな魚に目が行きがちだが、細部までしっかりと楽しめるように工夫がされている。
「わぁ……シンシアさん、見てください。あんなに大きな魚もいます」
「わ、本当ですね……大きな魚……!」
 目の煌めきはそのままに、境華は悠々と泳ぎ去るジンベエザメを指差す。口調こそ丁寧だが、年相応にはしゃぐ心持ちは隠しきれず声に乗った。シンシアも実物を見るのは初めてだ。
 大水槽では深海から浅瀬までの生態系を上手に作り上げていた。多種多様な魚たちは勿論、海底の砂にはエビやカニも隠れていて、時折装飾に紛れていた貝が器用に海を泳いだ。二人して小さな穴をじっと見つめていると、チンアナゴがぴょっと顔をだして、しゅっと戻るところも見えた。
 半円状の大水槽を百八十度楽しんだ後、ほうと息をついた二人はより暗い部屋へと足を運ぶ。照明が絞られていても暗く感じないのは、ぷかぷかと浮かぶクラゲたちのお陰だろう。ここの水槽に余計なものは存在せず、ただクラゲが水中を漂っていた。
「……シンシアさん?」
 静かにクラゲを眺めていた境華は、隣の様子をちらちらと窺い声をかけた。どうにも、神妙な顔をしているから。
「やっぱり……気になりますか?」
「クラゲの水槽は……こう、幻想的ではありますが、使役している雑用インビジブル共のことが脳裏をよぎるんですよね……」
 シンシアの変わらぬ表情と呑気に漂うクラゲを交互に見た境華は、シンシアの言い分にくすっと笑った。
「ふよふよ浮きながら人使いが荒いとか言うだけ言ってどっか行っちゃうんですよ、まったく」
 シンシアの文句もなんのその。クラゲはぷかぷかと水槽に漂うだけ。
 神妙な顔から中々戻らないシンシアを連れ、クラゲの部屋を後にした境華はふと目に留まった時計の時刻に気付いて進路から逸れる。この水族館では、毎日定刻に色々なショーを開いていた。もうすぐ、ショーが始まる時間だ。
 ばたばたと駆け込んでいく子供たちが口々にイルカのことを喋るのに気付いて、シンシアもこれからの目的地のことを思い出す。
「イルカショーですよ境華さん!」
「ふふ、急がなくても間に合う時間ですよ」
 訪れたショーステージは既に人でいっぱいで、席を探してうろうろしている人の姿が見受けられた。どこに座ろうかなんて話していれば、丁度斜め前のベンチが隙間を詰めてくれたようで二人分のスペースになり、境華とシンシアは並んで座った。ブザーが鳴る。
「本日はイルカショーにお越し頂きありがとうございます」
 そんなアナウンスが聞こえ、イルカの紹介タイムが始まった。水飛沫がとぶという説明の通り、体格のいいイルカがばしゃんと跳ねると扇状に飛沫が宙を舞う。ステージからほど近い席は既にびしゃびしゃだ。
「わあタイミング合わせてジャンプしてます! すごい!」
 感想は全部声に出るシンシアと、ひたすらイルカを目で追いかけてぱちぱちと拍手をする境華。反応は違えど、二人ともがそれぞれにイルカショーを満喫していた。数メートルも上に吊るしたボールを叩くチャレンジでは二度届かずに苦戦していたが、それも織り込み済みとばかりに飼育員が応援してくださいと客席に声をかけ、子供たちの頑張れコールが盛り上がる。
 微笑ましいですねと見ているシンシアの隣で。
「頑張ってください……!」
 ぎゅっと両手を握り、真剣な面持ちで応援している境華もいた。すっかり夢中だ。
 三度目の正直。くるりと回ったイルカの尾がボールを叩きわあっと一層大きな声が上がった。そして、ここ一番の水飛沫も上がった。
「わ……」
 少しだけではあったが、水飛沫を被った二人が無言で顔を合わせる。どちらからともなくふっと笑いがこみあげれば、一緒に笑い合った。
 イルカショーが終わり、カフェに移動する。水族館メニューは海洋生物を模した料理が並んでおり、境華はペンギンのクレープを選び、シンシアはアザラシのパフェを選んだ。クリームや果物で作られたペンギンの顔は手書きらしく、少ししょんぼり眉毛のペンギンが可愛らしい。海のような青いゼリーの上に生クリームとアイスで立体的に作られたアザラシのパフェは手が凝っている。
「可愛らしいだけでなく、美味しいですね」
 食べるのが惜しいが、ずっと見つめている訳にもいかない。境華はしっかりと目に焼き付けてから慎重に一口運び、何となくアザラシを後回しにしたシンシアも冷たいゼリーを口に運んだ。
 味や見た目の感想から始まって、エントランスの綺麗さ、細かな展示の丁寧さ、イベントの意外性、大水槽の壮大さ――今まで巡って来た水族館の話に花を咲かせる。もったいなくてゆっくりと食べていたデザートも、雑談の前ではすぐになくなってしまう。
「お土産買いましょう!」
 イルカショーの振り返りを終えた所で、シンシアがすくっと立ち上がり手を差し出した。境華も迷わず手を繋いで、二人売店の方へ。魚の形のクッキーは定番で、パッケージは水族館が描かれている。売店の隙間を埋めるように海洋生物のストラップが至る所にかけられ、奥の方ではスノードームがキラキラと輝いた。
 境華が棚を抜けた先でふとくるくる回る紙を見つける。
「……ぬいぐるみが、必ず当たるのですか?」
 説明文には、そう書いてあった。シンシアも足を止めて、隣の景品棚を見る。
「ぬいぐるみが必ず当たるくじ? ぜひやりたいです! 特等のぬいぐるみはとっても大きいですね……」
「わ、本当ですね」
「さて何が出るでしょうか!」

 帰り道。
「大きいの、当たりませんでしたね」
「でも、お揃いだから良いことにします!」
 手のひらの上にちょんと乗るサイズのイルカのぬいぐるみが二人の手にあった。他にもクラゲやマンボウのぬいぐるみがあったが、二人はあえて同じのを選んだ。
 もうすっかり日が暮れてきている。朝一で行ったのに随分と時間が経ったものだ。それだけ時間を忘れて楽しめた。大勢の人でごった返していた道も、帰りはぽつぽつと人がいる程度ではぐれる心配はもうない。それでも、二人は手を繋いで帰路に就いた。
「ふふ、人が多かったのもあって……ずっと手をつないでましたね」
「そうですね……何となく、ずっと」
 手を離すタイミングは何度かあった。イルカショーの時も、カフェの時も。それでも緩く繋いだこの手を離したままにするのは何だか寂しくて、理由もなく繋ぎ直した。
 繋ぎ続ける理由は、もうない。
「……お互いの宿に戻るその直前までずっと手を繋いでいましょっか」
 シンシアがそう微笑む。
「……はい」
 境華がきゅっと握り返す。
「今日は楽しかったです!」
「突然のお出かけでしたけれど、私もとても楽しかったです」
 胸に宿る気持ちをうまく言葉には出来ないけれど、とても大切な気持ちであることは理解出来た。
 まだ、一日が終わるには早い。まだ、宿に着くには早い。自然と歩くスピードは遅くなって、ゆったりとした帰り道を往く。
 時が止まればいいのに、なんて、思わないけれど。二人並んで歩く日がまた来ればいいのに、なんて、胸にしまって。
「またお出掛けに行きましょう」
「はい」
 願うだけじゃなく、これからを歩んでいく。
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