星々の彼方へ
人類は未来を欲しがるが、おれたちに未来はない。
この世界は滅びそうになっているそうだ。だからおれたちが生まれた。|被検体《・・・》と銘打たれたおれたちは、後から与えられた名前よりも、毎朝支給される同じ服につけられた札にある味気ない数字で呼ばれることの方が多い。大人たちにとってみれば、兵器なんていうのは識別さえ出来れば良いわけだから、馴染みのある――分類しやすい――方で呼ばれるのは当然だろう。
だから、おれたちも|馴染みのある《・・・・・・》名前で呼び合うことにしている。
「ハルカ」
大人たちが名前をくれる、つまり実験が成功する前におれが付けてやった名前を呼べば、目の前の少女は振り返った。金星の眸が瞬いておれを見た。
「ナユタ」
声を掛けるたびに、ハルカは少し怯えたような目をする。それが気に入らなくて無言で頬を摘まんでやったら、彼女はいつもと同じような情けない声を上げた。
「な、何するの、痛いよ」
その顔に少し溜飲が下がる。
いつもならこのまま遊びに行くところだ。といっても、おれたちが自由に研究所内を歩き回る時間は限られているし、大人たちに怒られずに触れる遊び道具もない。だから大抵は、おれが歌を歌ってやったり、おれの書く歌にハルカが歌詞を乗せたりしているだけだ。
それはそれで面白くはある。だが今日はそういうことをしている時間はない。
手を無理矢理に握って歩き出す。うろたえるような気配が後ろにあった。
構うものか。
「一緒に来い、ハルカ。外に行くぞ」
「え!」
「バカ! 大きい声出すな!」
小さく叱りつけてやれば、ハルカは少し身を竦めた。閉じられた金星の双眸がおそるおそる長い睫毛の間から覗いて、暢気に首を傾げる。
「なんで?」
おれは答えなかった。
――理解のある殊勝な子供のふりをしていたら、大人たちはいつでも勝手に油断した。だから他の被験体の奴らより、おれは色々なことを知っていた。
おれの歌には人間も|殺戮機械《ウォーゾーン》も殺せる才能があることだって聞いていた。ここにいる奴らがそのためだけに作られる兵器だってことも、戦場で死ぬか潰れるかするまで|人類の未来《・・・・・》とやらのために戦わされることも。
つい最近捕まえた宇宙人だか何だかをハルカに移植して、|人工衛星《サテライト》にする手術に成功したから、とうとう彼女がこの施設から永久に外に出されることも。
成功したばかりの研究者が興奮して喋るのを物陰で聞いたのだ。宇宙の環境はとても辛いものらしい。空気がないから呼吸も出来ないし、冷たくて防備なしではすぐに死ぬ。天体の重力に巻き込まれて、地上には戻れないが離れることも出来ない空間があって、ハルカはそこに|打ち上げられる《・・・・・・・》。
曰く、ウォーゾーンの攻撃範囲の外から攻撃出来ることはとても重要で、制空権とやらを取り戻す活路になるそうだ。おれの歌声が頼りにされるのと同じようなことだろう。前線に武器を持って突っ込んで、生きるか死ぬかの戦いを繰り広げる必要がない。そのうえ大量の敵を纏めて排除出来るとなれば、おれの歌をそういう風に褒める大人たちにとっては喉から手が出るほど欲しいのだろう。
そんなことは許さない。
だから逃げるのだ。品行方正な子供で通して来たから、大人たちがおれたちを追い始めるのも遅くなるはずだ。行く当てもないが、ここにいてもハルカは人工衛星にされてしまう。
|おれが《・・・》助けなくてはいけない。|おれが《・・・》ハルカの傍にいてやる。|おれが《・・・》――。
唐突に腕を引っ張られるような感覚があって、足を止めた。振り返った先で俯いたハルカが立ち尽くしている。こんなときまで危機感がないことに苛立って、おれは強く腕を引いた。
ハルカは動かない。
「何してるんだよ、早く――」
「ナユタ、やっぱり私、戻るね」
――頭が真っ白になった。
何を言っているのか理解するのに時間がかかった。混乱した頭はハルカの言動に合理的な意味を見出そうとして、ようやく見つけたそれらしい言い訳を掴み取る。
彼女は戦場を知らない。人が死ぬということも勿論だが、自分が独りで死んでいくことの怖さも知らないのだ。|おれが《・・・》ハルカを独りにしたことはないのだかr、当然だろう。
だから真剣な表情を作った。睨むように見てやれば、困惑したような金星の眼差しが揺らぐ。
「自分がどうなるのか分かってるのか」
「なんとなく」
「だったら――」
「でも」
ハルカは首を横に振った。
「私がやらなきゃ、みんながもっと死んじゃうんだよね?」
どうして――と思うより前に、ハルカの頬に思い切り掌をぶつけていた。みるみる赤くなる頬を押さえて涙を零し始める彼女に強い怒りが込み上げて来る。
どうしてそんなことを言えるんだ。|みんな《・・・》が誰なのかも分からないくせに。人間が死ぬことだって、自分が死ぬことだって分かりもしないくせに。
いつもそうだ。おれとハルカは同じ、おれたちが見ることも出来ない人類の未来とやらのために戦って、おれたちがもらえないものをもらって生きる奴らのために死んでいくしかない存在なのだ。ハルカにとって頼れる存在はおれしかいないはずなのに、彼女が本当に楽しそうな顔をするのはおれの歌を聞いたり一緒に歌を作っているときだけだ。
怖いなら泣けばいい。弱音だっておれが聞いてやるのに。もっと頼って、もっと傍にいればいいのに、ハルカはそうしない。
あまつさえ、ハルカを助けようとするおれの腕を拒むのだ。
そのどれもをどう口にしていいのか――もしくは、どれから口にしていいのか――分からずに、歯を食い縛って睨むおれの視線を受けても、ハルカの意志は変わりそうになかった。いっぱいに溜めた涙をとめどなく零しながら、彼女は震える声で抗議する。
「な、ナユタだって、いやでしょ。みんな、みんな死んじゃうんだよ」
「おれはそんなのどうだって良い!」
おれとハルカがいればいい。研究所の大人たちも、世界にいるとかいうほんの少しの人間たちもどうでも良い。二人でいられるなら場所も時間も関係ない。世界が滅んでいたって構わない。
おれが一緒に|打ち上がった《・・・・・・》っていいが、大人たちはきっとそれを許さない。だからおれとハルカが一緒にいるためには、こうやって逃げるしか方法がないのだ。
怒鳴りつけてもハルカは動こうとしなかった。金星の眸から同じような煌めきの涙を零して、大きく首を横に振った。
人の駆けて来る音がしても彼女は動かなかった。ハルカが動かなければ、おれも動くことは出来なかった。
「こんなところにいたのか」
安堵したような声と一緒に大人の手がおれからハルカを奪っていく。思わず喉を鳴らそうとしたのに、ハルカの涙に濡れた眸に見詰められると、どうしても人を殺せるらしい声帯は震えなかった。
ハルカの温度が掌を離れる。冷えた空気を掴むおれの指から全てを奪うように、優しく手を握り込んだ女の顔が笑った。
「珍しいね、君がこんなことするなんて。喧嘩しちゃ駄目だよ」
おれは――。
それきり何も出来なかった。
おれの企てた逃走など誰にも気が付かれないほどの些事にすぎなかった。計画は滞りなく進んで、ハルカは仰々しい装置に括りつけられて、空の彼方に消えた。
興奮する研究者たちの声を横合いに聞きながら、おれはただ彼女が去っていった|宙《そら》のことを考えていた。
それから――。
|ナユタ《・・・》でなくなったおれに、イル・ネームレス(|気怠い劇薬《イル》・h05276)の名前が馴染むようになった。戦場に歌を響かせて敵を殺すおれの歌を、夜だけは月の浮かぶ星空に向けるようになった。
そのたびにハルカを想った。
おれの手を払ったから、あいつは報いを受けて永久の孤独に苦しんでいるのだろう。そう思うたびに、身を裂くような心の痛みと同時に、その|罰《・》を受け続けていることを期待する思いがおれを満たした。
その孤独を|おれが《・・・》和らげるために歌うのだ。空の向こうにはハルカがいる。この歌声が彼女に届けば良い。おれの歌をいつも嬉しそうに聴いていた笑顔を星空に描いて、おれは目を閉じた。
◆
少年は知らない。
嘗て兵器研究所にあったとき、少女は彼に僅かな恐怖と当惑を抱いていた。言葉が足りず時に暴力的な彼のことを理解出来ずにいたのである。
そして――。
宇宙空間に辿り着いた少女の身は、宙間に住まう星霊の目に留まった。幼くして孤独な死の運命を押し付けられた彼女を憐れんだそれらの力で、彼女は最も幸福な――最も美しく、最も脆い世界へと送り届けられたのだ。
大人たちの眺めるレーダーからはとうに|人工衛星《サテライト》の反応は消失し、|煌流《ながれぼし》の心底楽しげな笑声だけが残った。薄氷の上に成り立つ幸いの世界で目覚めたサテラ・メーティス(|Astral Rain《星雨》・h04299)は、その名の他の記憶を全て取り落とした。
少年の声は届かない。夜空の彼方に彼女の姿がないことを彼が知る日まで、あと――。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功