水鞠と戯れて
●夏想い
赤や白、淡いみどり。可愛らしい花模様やリボン、幾重にも重ねられたフリル。どれも水辺へ出るための衣服でありながら、そこにはそれぞれ異なる夏の趣がある。神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は、それらの前ですこしだけ難しい顔をしながら佇んでいた。
普段彼女が身につけるものの多くは和装である。布の重なり、帯の位置、袖の長さ。そのひとつひとつに馴染んだ身体は、見慣れない水着を前にすると、かえって所在を失うようだった。
『水着があった方がいい』。友人たちにそう言われたことを境華は思い返していた。水着姿を見てみたい、と言ってくれた人もいた。それらは思い出すたびに胸の奥へちいさな波紋を呼ぶ。ひとつひとつは決して大きな感情ではないが、自分の知らないところで自分を思い描いてくれたことが、すこしだけ嬉しかった。
だから誰かと一緒ではなく、ひとりで買いに行くことにした。もしかしたら、そのほうが――『おどろき』と『よろこび』を、同時に伝えられるような気がしたから。
最初に手に取ったのは装飾の少ないシンプルなものだった。
鏡の前で身体に合わせてみる。色も形も穏当で、特別目を惹くところはないが、その慎ましさには確かな安心があった。けれど、しばらく眺めていると胸の内にわずかな違和感が残る。
『これでよい』――そう思おうとしているだけなのではないか?
ふるふるとかぶりを振って、境華は水着をもとあった場所に返すことにした。
次に手に取ったものは、もうすこし華やかなものだった。
似合わないわけではない。ただ、まだ自分のものではないような気がして、また戻す。そうしていくつもの水着を前にしては立ち止まり、手に取っては戻した。
落ち着くもの、可愛らしいもの。目立たないもの、少し大胆なもの。どれもそれぞれの良さがある。けれど、『だから、これが好き』と言えるものだけがなかなか見つからなくて、肩を落としかけたその瞬間のことだった。
彷徨っていた視線が留まる。あおを基調とした、ワンピースタイプの可愛らしい水着だ。深すぎないあおいろは、よく晴れた日の水底に差し込むひかりを思わせた。胸元と腰回りには上品なフリルが添えられ、その上には淡い色の羽織が被さっている。
境華はしばらく、時間を忘れてその一着をじっと見つめていた。そろりと伸ばした布地に触れる指先に躊躇が生まれたけれど、それを振り払い、勇気を振り絞って店員の女性に声を掛けて試着を申し出た。
試着室の中で着替え、鏡の前に立つ。
普段の装いに隠れている身体の輪郭がいつもよりはっきりと鏡に現れている。それだけのことなのに、視線の置き場が分からなくなる。知らない自分を見ているようで落ち着かない。境華はすこしだけ俯き、それから羽織を肩へ掛けた。薄い布が肌を覆えば、それだけで張りつめていたものはほんの僅かだけほどけていった。
改めて鏡を見れば、このあおいろが自分によく似合っているような気がした。黒い髪やしろい肌との対比もうつくしく、月の双眸が鏡の中で夏のひかりを受けているようだった。恥ずかしさは消えなかったけれど、嫌ではない。これはこれで綺麗な夏のいろなのだと思えるような気がした。
それでも、すぐには決めない。
ほかの水着も真剣に見る。もう一度、最初に見たものを手に取っては鏡の前に立つ。けれど――ふと気付くと視線はまた、あのあおいろへ戻っていた。
一度。また一度。
選ぶということは何かを強く望むことなのだと思っていたけれど。何度手放しても手を伸ばしてしまうもの。それもまた、自分の意思なのではないかと、今度こそ確信出来たから。
「……こちらに、しましょう」
それは自分の心の奥に沈んでいた、ほんのささやかな好みを拾い上げるためのちいさなおまじないだった。
――それから、幾日か。
海辺には夏のひかりが満ちていた。
更衣室の鏡の前で、境華は前髪や裾を気にしていた。羽織の位置を直して、持ってきたポーチの紐を確認する。
買った日よりも今の方がずっと緊張していた。それでも水面の底に沈んでいたひかりが、ようやく輪郭を得たように見えたから。境華は一度だけ目を伏せ、それから思い切って更衣室を出る。潮の匂いが広がって、遠くでは波が砕け、しろい飛沫が夏のそらへと散っていた。
目線のすこし先には、自分の待っている人の姿があった。境華の足取りは決して速くはなかったけれど、一歩ずつ砂を踏み――やがて、止まる。視線を伏せたまま、ほんの一瞬だけ躊躇ったのちに、ゆっくりと顔を上げた。
少女の頬には隠しきれないほどの淡い赤みがさしていた。それでも境華はそこから逃げず、自分で選んだものを、自分の足でここまで持ってきた。その事実だけが胸の奥で、静かに熱を持っている。
「その……どう、でしょうか?」
震える唇が紡いだことばは、きっと――『あなた』の笑顔を連れてやってくる。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功