「異端」について
「【異端の書】ねえ……」
今から遡ること数年前。√ドラゴンファンタジー某所にて。
10歳くらいの年頃のセレスティアルの少女が、一冊の魔導書を片手に呟いた。
「こんな本がウチにあったなんて、私知らなかったんだけど」
つい先日、彼女の母が死んだ。
大規模な呪殺テロに巻き込まれたというが、詳しくは知らない。
すでに父もなく、天涯孤独の身となった少女だが、本人は全く気にしていなかった。
現在の少女の興味は、遺品整理の最中に見つけたこの魔導書と、もう一冊。
誰かの日記と思しき、古ぼけた書物だった。
「なになに……『私は、あの異端者を止められなかった』?」
日記の内容は、かなりの紙幅で「異端者」なる人物について語られている。
魔導書の方となにか関係があるのかと、興味を持った少女は次のページを捲った。
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日記の著者が語る「異端者」は、天上界の中でもかなりの名家の姫だった。
在りし日の天上界で実施されていた√能力研究、そのスポンサーでもあったという。
その家柄だけでなく、彼女は超自然に愛され、歌と祈りで超自然を操る天才だった。
若き頃から将来を嘱望され、ゆくゆくは栄光を約束された人生を歩むはず――だった。
『しかし同時にその頃から、彼女の嗜好は常人とはズレていたという』
清浄で清らかな空気や、静かでささやかな幸せなど、セレスティアルの美徳とされるものに馴染まず。
天上界から下界の殺し合いや他√の戦争を見物しては、快楽や愉悦を感じていた。
その性質はセレスティアルという種族としては「異端」としか言いようがなく。
募りゆく下界の戦争や殺し合いへの憧れと、周囲との相性の悪さがストレスを溜め、やがて彼女は「倫理観」を喪失する。
『倫理観こそが彼女の欠落であり、√能力者へ覚醒する契機だった』
倫理観の喪失により、事あるごとに彼女は『自分は【異端者】である』という現実を叩きこまれることになったらしいが、生来の性質はそれでも止まらなかった。
異世界への道を目視できるようになった彼女は、これ以降積極的に天上界の「外」へ足を運ぶようになる。
『最初に迷い込んだのは、√EDEN。そこで異端者は歌い手としての力を覚醒させ、我々とは異なる種族との邂逅を果たした』
レゾナンスディーバへの覚醒と、世界難民『吸血鬼』との出会い。
このふたつが、彼女の人生を――あるいは天上界の命運さえも大きく動かした。
吸血鬼との繋がりから、彼らの能力と先祖伝来の古代魔法を組み合わせた彼女は、新たな魔法体系を思いつく。
その名は『鮮血魔法』。セレスティアルの倫理に背を向けた、まさに異端の秘術だった。
『この魔法と、レゾナンスディーバの力を用いて、異端者は暗躍を始めた』
力なき人々を励ます【世界を変える歌】も、悪用すれば煽動の手段となる。
類稀なる才をもって、下界の人間を煽りに煽って唆し、戦乱の火種を撒き。
少しずつ、だが着実に、世界を混沌に導いていった。
『異端者の望みは一つ。かつて憧れた下界の戦争を、天上界でも引き起こす事』
それは後世『失楽園戦争』と歴史に記される、天上界の破局。
かの大乱勃発の原因の全てを、この異端者ひとりに集約する事はできまい。
だが間違いなく、彼女は失楽園戦争における黒幕の一人だった。
『私はずっと異端者の……母の近くにいたのに、なにもできなかった』
√能力が発現した時点で、異端者には夫も子供も居た。
彼女は夫や子を彼女なりに愛してもいたが、自分の性質には敢えて逆らわず、計画を進めていった。
日記には「息子」の立場から見た「異端」の姿と、異端の子としての苦悩がありありと綴られている。
異端の大天使は「道化の仮面」を被り、民を破滅へと導く。
美しき歌声の裏に隠された、血塗られた野望に誰かが気付いた時。
それは天上界が鮮血に染まる日であった。
『異端者スノウドロップ。彼女の名は咎人として天上界の歴史に刻まれるだろう。
だが私は忘れることができない。母として私に見せてくれた、あの人の笑顔を』
そう綴られたページには、血痕と、涙の痕が、一雫ずつ残されていた。
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「ふーん。なるほどね」
そこまで読み進めた所で、少女は日記を閉じた。
つまり、この日記を書いたのは自分の爺さんかひい祖父さんあたりで、「異端者」というのも自分のご先祖サマなんだろう。
この時すでに、少女は「倫理観」を喪失した√能力者だった。
そして後に、日記と共に見つけた「異端の書」が、自分のAnkerであることも知る。
これすらも果たして偶然なのか、それとも必然なのか、知る術はないが。
少なくとも両親はこの話を知っていた。でなければ流石に偶然がすぎる。
一体両親はどんな思いを込めて、娘に異端の先祖に由来する名を付けたのやら。
「アホかあの毒親」
吐き捨てるようにそう言って、少女――スノードロップ・シングウジは日記を投げ捨てたのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功