【夏手紙】満たし、満たして、ふたりいろ
晴れやかな空、白い雲。吹く風に葉先が揺れる、濃い庭木の緑。そんな窓枠に切り取られた景色を見つめる、常折・菖蒲(白夢・h13202)の耳に、『彼』の音が聞こえた。セミの声に交じり、駆け足気味に近づいてくるこの足音は、聞き違えようもない。音からしてあと数歩、という所で菖蒲の瞳が動き、ふわりと艶やかな灰の髪が揺れて。向けた視線の先、小気味よい音とともに勢いよく戸が開かれた。
「菖蒲ちゃん、じゃーん!」
そうして響く高らかな声は一瞬で、菖蒲の居る|部屋《世界》の『いろ』を塗り替えてしまう。見慣れた眼鏡の向こうの瞳は己の髪と対の色。晴れやかな金色の髪は己の瞳と対の色。耳に馴染む聲、その仕草――あゝ、その全てが、窓枠の向こうの景色よりもずっとずっと、鮮明に、私の|世界《・・》を彩ってゆく。そう、常折・悠久(漂白・h13192)は、菖蒲にとってそういう|存在《つがい》なのである。
「悠久、どうしたの。突然」
彼から齎された|色彩《いろ》を噛みしめて、改めて視線を動かせば、広げた彼の両の腕には数多下げられた紙袋。その多さに、黄金の瞳を円かに開き驚いて見せた菖蒲へと、悠久は楽し気に、そしてどこか得意げな笑みを向けて歩み寄れば、その笑みを一層深くしながら手にした袋の中身を彼女の前へ徐に広げ往く。
「菖蒲ちゃんに、『夏』をプレゼント!」
先ずはひとつ、と、解かれた其処からころりと最初に転がり出でたのは、夏らしい飾り箱に納められた、爽やかなソーダ色の硝子ペン。その横に添うようにして流れてきたのは、涼やかで愛らしいミズクラゲが泳ぐ海色の便箋。スイカや麦わら帽子といった夏の品が並ぶシールも愛らしい。
そう、彼が用意してきた品々は、|今の季節《『夏』》を感じる文具たち。とりわけ、『手紙』を書くための。
悠久と菖蒲には普段から、思い立ったときに互いに手紙を送り合うという習慣がある。それに加えて、悠久がこうして文具を揃えてくるのは、『あまり外に出ることのできなかった菖蒲に、夏の楽しさを感じてもらうため』。それが始まったのはいつからだったか、春夏秋冬問わず、季節限定の文具を集めては、悠久は菖蒲へ四季を渡している。そうして、今日もまた。
目の前に広げられたそれらから、悠久の意図を察した菖蒲が彼の方を見上げれば、悠久もまた、満面の笑みでそれに応える。そんな彼に菖蒲も綻ぶように笑みを返して――そうして、柔らかに唇を開いた。
――なら、いつも通り交換ね。
菖蒲の受け入れる言の葉を聞けば、陽光増すような笑みと共に、嬉々として全ての紙袋を明かしてゆく悠久。今回もまた数えきれないくらいに集めてきた文房具が、机の上を満たしてゆく。描かれた大輪の向日葵は元気をくれる色であるし、白波たつ海の絵は夏の熱さに涼を添えてくれるよう。色とりどりのかき氷は、どの味が好き? なんて会話の呼び水にもきっとなる。瞬く間に色で溢れた机を見て、菖蒲は小さく笑って|いつもの《・・・・》台詞。
「またこんなに集めてきて。使い切れないわよ」
苦笑交じりに紡ぐ言葉の中にも、嬉しさの音が――幸せの響きが滲んでいるものだから、悠久は、使い切るくらいに沢山書こうよ、なんて更に笑って、眼鏡の向こうから人懐こい視線を、真直ぐに彼女へ向ける。悠久は、常から人当たりの良い態度をしているが、其れは|菖蒲《つがい》以外への興味が薄いことからくる態度であり表情仕草。今こうして浮かべるその笑みは、視線は、態度は、|彼女《つがい》にだけ向けられるものだ。
「ね、菖蒲ちゃんは、どれがいい?」
「ん……、どれも綺麗だから、迷っちゃうわね」
「僕のイチオシは海の便箋かな、あと夏の星座の絵はがきもあるんだよ」
きらきらと楽し気に品々を語る悠久が、机に広がる『夏』よりもいっとう輝いて、色付いて見える。こうして己に四季を届けてくれることもそうだけれど、それ以上に――菖蒲にとっては、悠久が『四季』そのものなのだ。
そうして、肩を並べて悠久の『夏』をふたりで味わう。
手紙を綴り合うことも楽しいけれど、こうしてふたりで手紙に使う物を選ぶのも、楽しいいつものやり取り。順番にひとつづつ選んでいこうと、せーので指をさし合って、便箋、ペン、シールと使いたいものを選んでゆく。
「それじゃあ、次。せーのっ」
とん、と示すふたりの指先が触れあった。己ではない指先の感触が、己の其処に触れ、互いの顔を見合わせる。それはつまり。
「えー! 菖蒲ちゃんも? 被っちゃったー」
「だって、私もそれがいいと思ったんだもの」
――だから、いつも通りに、じゃんけんね。
「僕が菖蒲ちゃんにじゃんけんで勝てたことないの、知ってるくせにー」
なんて、悠久は拗ねたよにみせて云うけれど、その心の裡は、同じものを選んだ喜びと、彼女の欲しい物ならいくらでもあげたいという気持ちで満ちている。そんな彼の心の裡を知ってかしらずか、その言葉が終わりきらぬうち、柔く目を伏せ笑んだ菖蒲は、いつものふたりの様式美をかたちにしてゆく。
「はい、じゃーんけん……」
ぽん!
「私の勝ちね」
「ほら、やっぱり~」
しぶしぶとした表情を作ってみせ乍ら、菖蒲の手に収まる向日葵のシールを見つめる。嫋やかな指先に手繰られた、その輝くような陽の花は彼女の瞳によく似ていて、その手にあるべきだとも悠久は思う。一方、菖蒲も、晴れ晴れと咲く向日葵は彼女に向けられる彼の笑みのようで、明るくその顔を向けてくれる彼を想って、ついと手が伸びたものだった。先程のしぶしぶといった様はどこへやら、いつの間にかにこにことこちらを見ている彼の様が、いつか彼が教えてくれた陽を追う向日葵のようで。愛しつがいへの想いが、ふつを湧き上がっては口端が綻ぶ。
「そんなにそれが気に入った?」
大事そうに手許に寄せた菖蒲の仕草に、悠久が問う。その問いに、シールに向けていた視線を彼に向け、そうして、彼の持って来てくれた数多の『夏』を今一度見遣る。鮮やかな色彩、広がる『季節』そうして、その全てを齎したのは――あなた。噛みしめるようにして、一呼吸置いた菖蒲を、悠久は真っ直ぐに見つめている。だからこそ、菖蒲も真っ直ぐと紡ぐのだ。
「悠久が見せてくれるものが私の世界になる、それが何よりも嬉しいの」
己に向けられた言の葉に、彼女の紡いだ気持ちに、悠久の瞳がまあるく開く。じわり。届いた言葉が裡に染みる程、嬉しさと幸せで胸が満ちてゆく。それが顔にも滲み出る。そうして溢れ往くものを――彼女にも、伝えたくなるのだ。
そっか、そっかあ、なんて。自分の裡で噛みしめた後、ぱっと、揃いの赤が結わわれた彼女の左手を握る。包むようにした彼の手にも、彼女と同じ赤が、薬指と小指を結わっている。ふたり揃う赤い|組紐《いと》。同じさまで結わわれた、左手の薬指と小指。そうそれは――結婚指輪と運命の赤い糸の証明として。己の赤と彼女の赤、すぐ近くにある其れを愛おしげに見つめた後、悠久は言う。
「菖蒲ちゃんがいればどこだっていいけど、菖蒲ちゃんのキラキラした瞳に綺麗な景色が写ったら、それって世界で一番綺麗なものだろ? だからいつか連れて行ってあげる」
握られた手、向けられた言の葉、目の前の彼の表情仕草その全てが菖蒲の裡を満たしてゆく。想いが、溢れてゆく。
――悠久。私の悠久。私だけの。貴方が私の世界をつくって、色をつけて。そして、貴方の世界は私につくらせて。
そう、口から零れてしまいそう。
『つがいと同じ存在になる』、もしくは『つがいを自分と同じ存在にする』、そう日々伝え続ける|悠久《つがい》を、一応は窘める素振りを見せながら、菖蒲の内に抱く本心は、喜びでいっぱいなのだもの。親のような愛情、恋人のような恋慕、神としての強い執着。菖蒲の内には、悠久への想いに満ちている。執着心は見せないようにしているけれど、もし彼が目的を諦めるようだったら、意思を無視しても自身の手で引きずり下ろすことも辞さないと決意している程に。
零れそうな言の葉を静か内に秘めながら、代わりにと取った筆先で菖蒲は夏色に文字を綴る。かりかりと耳に心地いい彼女の筆記音を耳に拾いながら、悠久の目が彼女とその手元の手紙に向けられる。彼女の綴る想いが、交わす想いが、今日もまたこうして増えてゆく。残されてゆく。形になる。あゝ、なんて――、そう噛みしめる想いの代わり、悠久は明るく告げる。
――僕と菖蒲ちゃんの宝箱、すぐいっぱいになっちゃいそう。
その言の葉に、瞬きひとつ。瞳を和らげた菖蒲は、裡より出でる想いのままに紡ぐ。
「いっぱいになっていいの。私と悠久だけの想いが詰まった手紙で、箱をいっぱいにしたいのよ」
その言葉に、胸がいっぱいになるのは悠久の方だ。目に見える宝箱だけではなくて、この裡に在る|宝箱《・・》だって君でいっぱいだ。溢れそうになるたびに大きくしたって、いつだってすぐにいっぱいになっていく。
菖蒲ちゃん、僕の初恋の人。物心つく前から傍にいる何よりも愛しい存在。すべてがあったあの家で、傍には誰もいなかった僕へと、『よし、よし』──と、小さな手が触れたあの日から、僕の隣には常に彼女が在り、彼女の隣には常に僕が在る。歳を重ねて、人と神の違いを理解してからは、『君と同じ存在になる』――それか、『君を自分と同じ存在にする』、と決めているんだ。
ねえ、菖蒲ちゃん、僕は本当に心の底から君が好きだよ。だからなんでもあげたいし、見せてあげたいし、どこまでだって共に歩いていきたい。いつか僕が君と同じ存在になれたとき、あの頃はそんなこともあったね、なんて笑いながら、ずっと、永遠に傍にいたい。
願い、想い、綴り合い。そうして、互いの|想い《いろ》を詰め込んだ手紙が交わされる。目の前で読むのも読まれるのも気恥ずかしさはあるけれど、見ちゃダメだとか、内容についてすぐに語り合ったりだとか。愛らしい赤い金魚が泳ぐさまを絵に見ては、同じ色だねなんて、誓いの赤を泳がせてみる。交わす想いも言の葉も、そうして、こうしてふたり重ねる時間も、掛けがえのないふたりいろ。
そうしてふたりの|想い《いろ》が混ざりあって一つになるのも、この瞬間がどうしようもなく愛おしい。目で追って、心に留めて、大切に抱いた手紙は、ふたりの指先によって『宝箱』へと納められる。手紙を手にするは、どちらも左。結ぶ誓いの同じ赤が、すぐ傍に寄り添った。
今までも、これからも、ずっとずっと――そう、ずっと。
願いながら、音も無く、今迄のいろに今日のいろが重なる。
納めながら、菖蒲は想う。
私を求めて、私のために、私だけのためにこれからも。
そしていつか、貴方と私が同じになったとき。
ふたりだけの愛で、世界を彩ってほしいの。
あなたのちいさなせかいが広がっていっても。隣には、私が――私だけが、ずっと。
そうして、悠久も想いを籠める。
願う儘、想う儘。
この夏も宝箱に閉じ込めて。
そう、これは僕の願掛けの、ひとつ。
きっと、いつか、果てまでも――貴女と同じになれますように。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功