やくそくのポプラの木
●あかい小鳥としろがねの魔女
石造りの家々を淡い陽のひかりがなでていき、窓辺ではラベンダーや薔薇の花がそよそよと囁き合うように揺れていました。
屋根の上では、ねこがひなたぼっこ。道ばたでは籠いっぱいの野菜を抱えたおばさんが、近所のおじさんと楽しそうにおしゃべりをしています。そんな、のどかな村のはずれを、ひとりの魔女がほうきに横坐りをして飛んでおりました。
リシェル・チェルケス(白銀の魔女・h13518)は、近くの森の工房に住む、ちいさな魔女です。
今日は街までお買い物。ほうきの先には、大きな買い物かごがぶらさがっています。お菓子に、調味料。りんごや葡萄に、いくつかの缶詰。それから、今日のおやつにする焼き菓子も。
けれど、お天気のいい日にまっすぐ帰るのは、ちょっぴりもったいないものです。リシェルは、ほうきをゆっくりと村の上へと向けました。
誰かに頼まれたわけではありません。
それでも、村のそばに悪い妖魔や山賊がいたら、ちょっとだけ驚かせて追い払う。それが森の善き魔女としての、ささやかな『近所のよしみ』でした。
今日も、なにもいないといいな。
そう思いながら空を進んでいたときです。ふと、大きな木の枝のあいだから、まぶしいくらいのあかねいろが見えました。
目が覚めるような赤毛としろい服。そして、その背中にはたくさんのまっしろな翼。リシェルはぱちりと目を瞬きました。枝をつかむちいさな手。その手が、ひとつ上の枝へ伸びていきます。
よいしょ。よいしょ。
しろい法衣はもうすっかり土で汚れていて、袖も、裾もどろんこです。それでも女の子は、ちっとも気にしていない様子。翼があるのに、空を飛べるはずなのに。女の子はまるでちいさなリスみたいに、一生懸命に木を登っています。
やがて、いちばん高い枝へたどりつくと。女の子は、ふう、と息をついて、満足そうに笑いました。その横顔があんまり嬉しそうだったので、リシェルはもっと近くで女の子のことを見てみたくなりました。
ほうきを枝のそばへ寄せます。
驚かせないように。ちゃんと視界に入るところから、ゆっくり、ゆっくり。
「こんにちは、|翼あるひと《セレスティアル》のあなた。急に声をかけて、ごめんなさい」
「わっ!」
女の子がびっくりして、枝の上でぴょこんと跳ねました。
危ない、とリシェルが思うより先に、女の子はしっかり枝にしがみつきます。リシェルは、ほっと胸を撫で下ろしました。
「えへへ。こんにちは、妖精族の……あなたは、魔女さま?」
すると女の子は、きょとんとしたあと。すぐに、ぱっとおひさまが咲いたように笑いました。
「わたしはリシェル。しろがねの魔女。近くの森に住んでいるの」
「あたし、アン。村のみんなは、アニーって呼んでくれるわ」
名乗ると、女の子――アン・ロワ(彩羽・h00005)は嬉しそうに首を傾げます。
アニー。
なんだか、お花みたいな名前です。
それから、ふたりは木の上と空中でおはなしをしました。けれど、ふと不思議に思って。今度はリシェルがアンへ首を傾いで見せました。
「ねぇ、あなたはどうして木登りをするの?」
「えっ?」
「翼あるひとは、そんなことをしなくっても、自分でお空を飛べるのに……?」
それはリシェルにとって、ごく自然な疑問でした。
けれどアンは、すぐにくすくす笑いはじめます。
「うふふ。それはね!」
そうして、いちばん高い枝から見える景色を、両手で抱えるようにして。
「小鳥たちがあいをうたうように。縞栗鼠たちが御伽話をつむぐように。『とまりぎ』の上でないと、みえないものがあるからよ!」
リシェルは、そらの上で目を丸くしました。
アンの言葉はリシェルの心の中に、ぽとん、と落ちていきました。まるで、まだ開いたことのない絵本の中身のように思えて、思わず身を乗り出してしまいます。
「とまりぎの上でないと、みえないもの?」
「そう! だからね、あたし。ねこの集会に参加して、『きのぼり』のこつをおしえてもらったの!」
ねこの集会。
リシェルは、またぱちぱちと目を瞬きました。おはなしを聞いているうちに、自分もその『とまりぎ』から見えるものを見てみたくなりました。
「……わたしも。ちょっとだけ、やってみようかしら」
リシェルはほうきを枝へ寄せます。片手を伸ばして、ぎゅっと枝をつかみます。
ところが、
ぷるぷる。ぷるぷる。
細い腕が震えます。木は思ったより高くて、枝は思ったよりも細くて――そして何より、リシェルは木登りがとても苦手でした。
「リシェル、だいじょうぶ?」
心配そうな声がした、そのとき。
するりと、手が枝からすべってしまいます。
「あっ」
からだがふわりと宙へ落ちます。すぐに、ほうきが慌てて戻ってきました。
けれど、その拍子に。木の下に積もっていた土が、ぼふっとおおきな音を立てて、ふたりの顔へ『ぶち模様』を描きます。
「ふふっ」
アンが笑えば、リシェルも、くすくす。
とうとうふたりとも、声をあげて笑ってしまいました。
川へ行って、手を洗って。顔についた土もつめたい水でぱしゃぱしゃ流します。
リシェルは、篭から焼き菓子の包みを取り出しました。
ひとつは、自分のため。もうひとつは――今日出会った、この女の子のため。
「おわびと、お礼と、お近づきのしるしです」
「わあ、いいの?」
せえの、で焼き菓子をふたりで一緒に頬張ったなら、やさしい甘さが口いっぱいに広がります。そこから先は、たくさんのおしゃべりです。
ジゼルおばさんの焼くパンはとってもおいしいとか。お気に入りの日向ぼっこの場所だとか――ほかにも、たくさん!
リシェルは、森の工房で暮らしていることを話しました。
そこには古い絵本がたくさんあって、ついこのあいだ、ずっとほしかった一冊を買えたのだとも。アニーは、それを聞いて目をきらきらと輝かせます。
リシェルは、これまで森でひとり暮らしをしていることを寂しいと思ったことはありませんでした。森には小鳥がいて、木々があり、絵本もある。それだけで、毎日は十分に賑やかでした。けれど今日、ひとつだけ知らなかったことを知りました。
誰かと一緒に笑うことは、こんなにもあたたかいのだと。
もっと、お話ししたい。もっと、一緒に遊びたい。
できるなら――また、会いたい。
陽は少しずつ傾き、アンのあかねいろの髪が夕陽の中で燃えるように輝いています。リシェルは、隣を歩くアンを見つめ、そっと立ち止まります。
「ねぇ。アニーさん。もしアニーさんがよかったら、わたしとお友達になってくださいませんか?」
アンは、すこしだけ目をまあるくして。
次にはその顔いっぱいに、笑顔の花が咲きました。
「……まあ。まあ、まあ! あたしもね……おんなじことを思っていたところなの!」
その日、おひさまの村の木の下で、ちいさな約束が生まれました。
どんな魔法の呪文よりもあえかな。
けれど、いにしえの魔術よりもあたたかな約束が。
白銀の魔女は、ときどき村へ遊びにいくようになりました。
そして、翼ある女の子は、ときどき森の工房を訪ねるようになりました。
絵本をひらいて。お菓子を食べて。ときには、いっしょに木登りをして。そんなふたりの毎日は、あの日の木の枝から伸びていった若葉のように――ひとつ。また、ひとつと、新しい頁を綴っていくことになるのでした。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功