シナリオ

序曲はとある雪の日に

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 或る早朝のことだった。未だ動き出す前の町、冴えた空気は冷ややかに、茶治・レモンの吐く息を白く染める。
 寒さは平気な方とは言え、レモンの足取りがやや急いたものになるのも致し方ない。今日は今年一番の寒波だと一昨日あたりからテレビやラジオが頻りに騒ぎ立てて居た。雪が降るとの予報もあって、レモンがいつも茶葉を仕入れている店が便乗気味に2、3日休むと連絡を寄越したものだから、取り寄せを依頼していた茶葉を急遽受け取りに出向いた帰りが今である。
 故に、ほんの少しの近道の為にレモンが日頃は通らぬ路地裏に足を向けたのは、全く、寒さの所為だった。
「うわっ!?」
 角を曲がって路地裏に踏み入れた途端、ばさばさと数羽の烏が飛び立った。思わず見上げたレモンへとカァカァとけたたましい鳴き声を降らせて去ってゆく。
「一体何に集まって……?」
 ゴミでも散らばっているなら最悪だ。だが、視線を落としたレモンの目に飛び込んで来たものは果たして、地べたに倒れて微動だにしない赤髪の青年の姿であった。
「えっ!? なんでこんなところに人が‥…!?」
 思わず第一発見者、の言葉がレモンの脳裏を過ぎる。こんな路地裏で人が倒れていることがまず非常事態であるのだが、それ以上に倒れている青年の風体が事態をややこしくした。華美な分だけ堅気ではなさそうなその装いとこの場所、それからこの時間帯、もしかして夜中の内に何かの組織の抗争だか粛清だかの犠牲になった被害者である可能性にまで想像を膨らませつつ、脈と呼吸の確認には遅滞も手抜かりもないレモンである。
「あ、生きてますね。それに、見たところ目立つ外傷もない……」
 レモンは改めて青年を観察する。よく整った白い貌は、きっと目を覚まして立ち動いて居てもあまり生命力を感じさせるものではないのだろう。規則正しく寝息を立てながら、長い睫毛を伏して目を閉じている今は尚更、ある種の儚さの様なものを漂わせていて、レモンは微かにぞわりと怖気立つ。このまま目を覚まさないのではないか、そんな不穏な想像がこの彼の容色に妙に自然に馴染んでしまって、それに奇妙に納得している自分に気付いた為だ。
「大丈夫ですか?」
 声を掛けても、軽く肩を揺さぶってみても、青年は目覚めない。それどころか、身動ぎひとつしないのだ。レモンは仕方なく彼を大鍋堂に運ぶことにした。レモンが魔女代行として管理している魔女の店、魔法で快適が約束されたあの場所ならば、薬草の使用も含めて少なくともこの場所に居るよりは何か施す手もあるだろう。当然、救急車を呼ぶことも一瞬考えはしたものの、やはりどう見ても青年が堅気には見えなかった為に断念をした。
——目を覚まさなかったら、どうしよう。
 上背があるくせに不思議なまでに重さを感じぬ青年の身体を引き摺る様に運びながら、レモンは再び湧いた不安を飲み下す。青年の左手薬指に光るものを目にしていたので、彼を待っている筈の誰かが悲しみそうな想像は思考の外に追いやった。

「……Do you speak English?」
 目を覚ました青年の第一声がそれである。
 予報に違わず昼前に雪が降り始め、積もり始めた午後の遅くに、窓の外を見ていたレモンは唐突に背中から声を掛けられた。振り向けば、ソファに寝かせておいた青年が身体を起こしているではないか。愛想の良い笑みに流暢な英語、レモンはやや面食らう。
「あ、え、Please wait! I am Japanese.……えと、Can you speak Japanese?」
 いつか習った単語と文法をレモンなりにフル動員して何とか告げた白旗に、相手はニカッと破顔した。
「あぁ、英語は苦手ですか? 奇遇ですね、俺もほとんど喋れません!」
「思いっきり日本語じゃないですか!」
 それも明らかに母国語話者の流暢さにレモンは脊椎反射で突っ込んで居た。日本語でならレモンの返しの瞬発力は神速である。
「何で英語で訊いたんですか?」
「英語は世界の共通語ですからね!しかしなかなか発音良いですね君、あれ以上喋られてたら俺が聞き取れなかったかもしれないですね」
「何なんですかあなた……」
 レモンの心底からの呟きは虚空に溶けた。青年は自分の身体の上にかけてあった毛布を畳んで除けながらソファに座り直して辺りを見回し、やがてレモンに視線を戻す。
「はは、なんか状況から判断するに、これ完全に君に助けてもらった感じですよね?いやはや、ありがとうございます」
「えぇまぁ、大きな怪我もなくて幸いです。差支えなければですけど、どうしてあんなところに……?」
 気遣わしげに問うたレモンに、あぁ、と青年は頷いた。
「疲れてたから仮眠取ってたんですけど、おかげさまでより良い環境で熟睡できましたよ」
「……寝て、た? 気絶してた訳ではなく……? あんな所で……!?」
「ちょっと最近仕事が立て込んでましてね、軽く寝てから帰った方がスッキリするかなーと思いまして」
「この時期に!? しかも大寒波の雪の日に……!?」
「いやぁ、俺寒さは本当ダメな方なんですけど、寒さも感じないくらいに疲れてたんで、これは睡眠優先かなぁと」
 レモンは絶句した。言葉を交わしていると言うのに、どちらかと言えばテンポ良く会話自体は成り立っている様な気がするのに、恐ろしいほど噛み合わない。と、言うより、相手がいちいちレモンの常識の範疇を逸脱して来る。どうしようもない。
 依然にこやかに喋り続ける青年からは、レモンが先ほど抱いた儚げな美青年の印象は最早完全に消えていた。儚さ故に何処かしらの淡い庇護心を掻き立てられたのは今は昔、今やどちらかと言えばこの彼はむしろ殺しても死なない類の何かに見えて来る。いっそ、これ本当に人類? と言う域だ。好奇ではない、どちらかと言えばあまりお関わり合いになりたくない、敬遠寄りのこの感覚。
「ところで、ここは何処ですか?」
 レモンの困惑をよそに、青年はあくまで何処までもマイペースだ。
「ここは大鍋堂と言う、魔女が運営する店です。とは言え魔女は現在不在でして、僕が代行を務めています」
 訊かれれば律義に答えてしまう素直さがレモンの美点でもあり泣き所でもある。
「魔女の店? なるほど、君は魔女代行くんなのですね。なるほどなるほど、ご立派ですねぇ。あ、店ってことは何か売ってたりするんです?」
「……まぁ、多少は売ってますけど。マンドラゴラとか、不死鳥の火の粉とか、星喰う砂とか」
 正直あまり答えたくないながらも無難な辺りを列挙したレモンの言葉に、青年が、パチン、と指を鳴らす。
「マンドラゴラ……アレですよね、なんかキモい根菜ですよね!」
 紫の瞳が輝いている。まずい、とレモンが嫌な予感を覚えたところで後の祭りだ。
「土から抜いたら鬱陶しい大声で叫んで、それを聞いたら死ぬとか失神するとか言われているキモい根菜で合ってますか!?」
「概ね合ってますけどうちのマンドラゴラは品種改良されてますのでキモくないです!可愛いです!」
「えっ、マンドラゴラと言えばキモい根菜の代名詞なのに」
「キモい根菜とかいうジャンルあります……? とにかくうちのマンドラゴラはキモくないです!」
 レモンの渾身のツッコミと訂正。しかし青年は完全に柳に風の様相だ。
「でもいいですねぇ、マンドラゴラ……ちょっと欲しいです」
「珍しいものですから、興奮するのは分かりますが……!あれだけキモいキモいとdisっておいてそれでも欲しいって思うんですか?」
「よくぞ聞いてくれました魔女代行くん」
「あ、今のナシで。聞きたくないです」
「いやいやダメです、聞いてください。天才的なこと思いついたんですから。あいつ、土からちょい抜きしたり戻したりを繰り返したら小刻みに悲鳴をあげてグルーヴィーな音楽を奏でてくれそうじゃないですか」
「えっ、あっ、グルーヴィー?」
「飲みの場や取引の場でも使えそうですし、苦悶に満ちたリリックを想像するだけで爆ウケです」
「趣味が悪い!あなたマンドラゴラに何か恨みでもあるんですか……?」
「いやぁ、特に恨みはないですけど、別に思い入れも無いっていうか……まぁそもそも現物見たことないですしね!で、下さい、お幾ら万円ですか?」
 当然の様に購入の流れだ。放っておけば財布でも開き出しそうな雰囲気に、レモンは慌てて言葉を返す。
「あの……あの!うちのマンドラゴラは、品種改良されてますので……。自分で好きに、土から出たり入ったりするくらいです。ほぼ鳴きません」
 これは真実だ。
「え、鳴かないんですか?うーん、それは欲しくない!じゃあ他に何か面白そうなもの……」
「と言うか、本当に申し訳ないのですが!一見さんはお断りです!!」
 残念そうに、辺りを見渡して次の候補を探し出した青年にレモンは言葉を重ねた。こちらは完全に嘘なのだが、レモンの勘が告げているのだ。こんなヤバい輩に商品を売ってはいけない、と。どんな常識外の方法で悪用だの乱用だのをされるか解ったものではないから、魔女代行としてここは断固お断りせねばならない。
「えー、それは残念……」
 何かを言い募ろうとした青年の言葉を遮ったのは柱時計の鐘だった。ふと見れば、蔦が縁取る窓の外の陽射しもやや翳りつつある。
「うわ、いつの間にか良い時間になってましたね。回復してきましたし、そろそろ帰ります。大変お世話になりました」
「すぐに動いて大丈夫なんですか……!?」
 あっさりと立ち上がった青年に、レモンがやや心配そうに問う。
「大丈夫ですよ。久々にしっかり眠れたおかげでこの最近で一番くらいに元気いっぱいです!」
「あっ、あぁそうか、寝てただけなんですもんね……そりゃ大丈夫ですよね……」
 完全に杞憂だった。青年はポンと手を叩く。
「そうだ、世話になった御礼を払わなくては!電子マネーでいいですか? てか電子マネーやってますか? 十万くらいでいいですか?」
「えっ、えっ!? あの、お金はいりません!」
「いやいや、そうは行かないですよ。二十万くらいにしときます?」
「いえ、本当に大丈夫です。むしろ、僕が話し相手になって頂いたくらいです、お気になさらず」
「うーん、じゃあ三十万!」
「いえ、本当にそうじゃなくて、勝手にオークション始めないでもらえますかね……あ、あと電子マネーやってません」
「それは先に欲しかった情報ですね!ううん、それだと恩が少しも返せないままなんですけど……やっぱり少しは現金も持ち歩いておくべきでしたね……」
 愛想良い笑みに一点の翳り、生真面目なレモンはそれを恩返しに律義な性質として素直に好意的に捉えた。裏を返せば恩を受けたままではなしにこの場で清算してしまいたい彼の主義のあらわれであると言うことを知るのはもう少し先のことである。
「別に今日のことでなにか恩を着せようとしたりはしないですから大丈夫ですよ」
「そうは行かないんですけど、仕方ない、今日のところは諦めます」
「はい、それじゃあお気をつけて……」
「また来ますね、魔女代行くん!」
「ま、また来るんですか……!いえ、はい、まぁ、お待ちしてますね……」
 レモンは玄関まで見送りに出て、背の高い細い背中の足取りが確かであることを見守った。雪にぼやけた夕闇に消えるその背中へと、ふと、声をかけたくなったのは衝動でありお節介だ。非常識で得体の知れない存在ながら、口を閉じている限りはやはり何処か放っておけない雰囲気がこの青年にはあるらしい。
「……あ!あの!今度は仮眠したりせずに真っ直ぐ自宅に帰って下さいね。ご家族の方、きっと心配されますよ!」
 レモンの言葉に振り向いた青年は穏やかに微笑んで——
「そうでした、奥さんへのお土産を買ってませんでした!」
「はい?」
「もう二見さんですから購入オッケーですよね? ちゃんと叫んでくれるマンドラゴラを一丁、よろしく——」
 口を開けばこれである。
「家族を心配させないで下さい!駆け足で帰って!本当に、もう!!」
 悲鳴じみたレモンの叫びが夕闇にこだました。
 その後、青年——日宮・芥多 が恩返しの機を伺って大鍋堂に通うようになったのも、その度にレモンが彼を顎で使いつつ無料でお茶を出すようになったのもまた別の話だ。
 なお、本日に至るまで、マンドラゴラは売られていないし、芥多のあの日の謝礼も受け取って貰えて居ないままである。
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